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公開年:1992年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:アンソニー・ヒコックス
出 演:テリー・ファレル、ダグ・ブラッドレイ、ポーラ・マーシャル、ケヴィン・バーンハート、ローレンス・モートフ、ケン・カーペンター 他
ノミネート:【1993年/第21回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】参加作品





新人テレビレポーター・ジョーイは、初仕事である夜の救急病院のリポートに気合いを入れていたが、その日に限って救急搬送が一件もなく、中継は中止に。スタッフが撤収したあとも、病院で意気消沈していると、そこに救急車が到着。なんと全身に鎖が食い込んだ男が運び込まれてくる。あまりの奇妙さに、ERに押し入って搬送された患者を取材しようとするジョーイ。しかし、男に食い込んだ鎖が勝手に動き出して体を引き裂き、男の肉体を消失させてしまうのだった。その男に付き添っていた女性がいたが、立ち去ってしまい話を聞くことができない。翌日、ジョーイは自分の見たことを上司に説明するが、まったく信用してもらえない。くやしい彼女は、自力で消失した男に付き添っていた女性・テリーを探し出すのだった。一方、“ボイラールーム”という流行りのクラブを経営しているJ.P.は、退廃的なアート作品の収集が趣味で、不気味な魔物が多数彫刻されている像を画廊で見つけて購入する。クラブに直結している自室に飾っていたのだが、不注意で怪我をしたJ.P.の地が像にかかると、像に刻み込まれていた魔道士ピンヘッドが目を覚まし…というストーリー。

ピンヘッドはJ.P.をそそのかして、自分が復活するための生贄をつれてこさせようとする。かつてフランクがやったように。完全に悪の存在になってしまったな…設定ブレブレやんか…と思ったのだが、よく考えると、前作で魔導士さんたちは実は人間だったということが判明しており、ピンヘッドさんの人格も善と悪に分離したってことなんだね。像の中に封印されたのは悪の方だからこんな振る舞いをすると…整合性はしっかり取れているな。3作目はオリジナルビデオらしいということが判り、実はまったく期待していなかったのだが、結構しっかりシリーズとしての繋がりは考えられている模様。

じゃあ、前作と同じノリか?というとそういうことはない。新魔導士さんたちが5体登場。ジョーイの同僚カメラマンが変身したカメラヘッド、ボイラールームのDJさん、火を吐くやつ(誰だっけ?)、それにJ.P.とテリー。ところが、もしかして笑わせようとしてる?って感じのデザイン。
まじめに路線変更を考えた末だとは思うが、安っぽくて、前の魔導士さんたちの威厳が皆無。これは賛否両論だったのではないかな。元々SMチックなディテールが評価されていたわけだから、“S”側に威厳がないと成立しない気がするのよね。

ジョーイ側のストーリーと、J.P.側のストーリーが並行に進展し、テリーという共通のキャラで両方が繋がり、最終的なバトルに集約されていくというシナリオ構成は悪くない。最終的には、善悪に分かれていたスペンサー大尉とピンヘッドは融合するというオチも、シリーズの繋ぎとして、いい匙加減。
ハードルが下がりまくっていたせいか、なかなかやるねぇ…と関心させられた作品だ。
#オリジナルビデオ作品が参加できるアボリアッツ・ファンタスティック映画祭って、どういう基準やねん。

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公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:トニー・ランデル
出 演:アシュレイ・ローレンス、クレア・ヒギンズ、ケネス・クランハム、イモージェン・ブアマン、ショーン・チャップマン、ウィリアム・ホープ、ダグ・ブラッドレイ、オリヴァー・スミス 他





魔道士の目を逃れて現世に復活したフランクだけでなく、魔道士たちからも命を狙われることとなったカースティ。パズルボックスを封印しなんとか逃れることに成功したものの、その恐怖体験の影響により精神が不安定になってしまう。その後の刑事からの事情聴取でも、常軌を逸する証言を繰り返したため、精神病院に収容されてしまう。収容された後も、家にある血の浸み込んだマットレスだけは絶対に処分しろと叫ぶ自閉症の少女ティファニー。それをたまたま聞いたのが病院の院長チャナード。なんと彼は、かねてから例のパズルボックスの研究を続けており、彼女の言葉を聞いて色めき立つ。チャナード院長は警察と交渉し、例のマットレスを引き取り自宅へ持ち帰ると、自傷癖のある患者をマットレスに放置。自分の体を傷つけ始めた患者から流れ出た血がマットレスに浸み込むと、その途端に骨にわずかな肉だけの怪物が出現し、患者を引きずりこんでしまう。なんと復活したのは、フランクに殺されたカースティの継母ジュリアだった…というストーリー。

前作の直後からはじまる完全なる続編。パズルボックス研究家が登場するなんて、ずいぶん都合が良すぎると思うかもしれないが、続編設定としては悪くないと思う。

この世ならざる者(魔道士さんたち)と、この世ならざるものに魅入られた者(パズルボックスを使った者)、そして魅入られた者と対峙するもの(パズルボックスから身内を救いたい者)の三極構造のお話なのだが、後者2つのせめぎ合いがストーリーの大半を占める。魔道士さんたちがメインのように見せておいて、人間同士のドロドロとしたホラー&サスペンスがストーリーの主軸。それがこのシリーズの魅力のひとつといえる。
前作では究極の快楽を求めるフランクの僕となった継母ジュリアだが、。本作では“あの世”との扉の秘密にとり憑かれた男チャナード院長が、復活した継母ジュリアの僕となる。この組み合わせも前作と一緒。

医者だけにいけにえの調達は簡単で、とんとん拍子にジュリアは復活。よく考えたら、復活する過程で人が殺されることは問題だが、完全復活を遂げたら究極の化け物になるとか、そういうわけではなない(前作のフランクも父親に化けて暮らしていこうとしたから、カースティ的には問題があったわけで)。では、今回はなんで対立するかというと、自閉症の少女ティファニーを使って、地獄との扉を開けようとしているから。
#その他にも若い刑事という味方が登場するのだが、すぐにご退場。

それを防ぐというだけなら結構スッキリした話なのだが、カースティは前作で死んでしまった父親の魂を救おうとする。ということは、地獄との扉が開くことを防ぎたいが、その扉の向こうにいかねばならないという相反する行動をとらねばならない。というか、父やの魂を救うとは具体的にどういうことなのか、よくわからないまま話が進む。

よくわからないなぁ…と思っていたら、地獄にはなぜか前回のフランクがいる。ジュリアとすったもんだあるけど、まあ大した内容じゃない。この地獄の様子がどうもよろしくない。私は、本作の敗因は、地獄のシーンが多く、且つ陳腐であることだと思う。『ビートル・ジュース』のあの世と、ダリの描いた絵みたいな世界がミックスされた感じ。これが、魅力的な魔道士さん達のデザインとマッチしていない。

で、カースティが地獄に到達すると、やっと魔道士たちが登場するのだが、なぜか彼らはカースティに“究極の快楽”を味合わせようと押し売りしはじめる。そうじゃないっていってるのに押し売りを始める。アホなのかな?
その代わりに、チャナード院長が魔道士さんのように変身してカースティに立ちはだかるとか、ジュリアが妨害するとかがんばりはじめる。でも、なんかドタバタしていて面白くない。

すると、地獄の存在意義を説明するかのように“リバイアサン”という言葉が出てきて、さらに魔道士さんたちは実は元人間だった!とかいうシーンが差し挟まれる。決して悪い設定ではないよ。でも、なんでもかんでも盛り込んで、それぞれが浅い。前作で醸成した魅力がすっかり減退してしまっている。もう観なくていいかな…という気持ちになっているが、3も借りてしまったので、観る(しかない)。

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公開年:1987年
公開国:イギリス
時 間:95分
監 督:クライヴ・バーカー
出 演:アシュレイ・ローレンス、アンドリュー・ロビンソン、クレア・ヒギンズ、オリヴァー・スミス、ロバート・ハインズ、ショーン・チャップマン、アントニー・アレン、レオン・デイヴィス、マイケル・キャシディ 他
受 賞:【1988年/第16回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】恐怖映画賞




フランク・コットンは、マルシャンの小箱というパズル・ボックスを手に入れる。それは、パズルを組み替えて特定の形をつくることで究極の性的官能状態を経験できると言い伝えられている物。早速自宅でパズルを組み替るフランクだったが、とある形が出来上がった瞬間、その肉体は一瞬にして破壊されてしまう。フランクは失踪者扱いとなるが、数年後、フランクの弟ラリーが、その失踪した家に引っ越してくる。ラリーの妻ジュリアと娘カースティとの3人家族だが、ジュリアは後妻。ラリーが出勤した後、フランクが使っていたと思われる部屋から、声がする。なんと、骨にわずかな肉をまとった化け物が出現。しかし、その声はフランクだった。例の小箱の力で肉体を消失したフランクだったが、引越しの際に怪我をしたラリーから滴り落ちた血を吸収したことで、少しだけ肉体が回復したのだった。驚くジュリアだったが、実はジュリアは、ラリーと結婚した直後からフランクと愛人関係となっており、失踪するまでその関係は続いていたのだ。ジュリアは、復活したラリーの言うがままに、より肉体を復活させるために、街で男たちを誘惑しては家に連れ込み、ラリーの“餌”とすることを繰り返す。しかし、ジュリアの行動を不審に思ったカースティは、彼女を尾行して…というストーリー。

あまりにピンヘッドさんのビジュアルが強烈すぎて、そういうクリーチャー物なのかな?と敬遠しており、今回初めて鑑賞。『死霊のはらわた』のようなB級レベルの部類かと思っていたが、そうではなかった。

後半までピンヘッドさんは全然出てこなくて、むしろ“魔のツール”をめぐる愛憎の物語としてプロットがしっかりしている。調べてみると原作小説が存在する模様。愛人であり夫の弟であるS男から支配される妻ジュリア。あんまり美人じゃないところがミソで、妙なリアルさがある。そのみだらな愛欲の深さがよく表現されており、快楽を求めて“箱”を開けてしまった男とのバランスが絶妙だと思う。
一方の騙されている夫は愚鈍で、そんな妻の様子にはまったく気づかない。逆にいえば信頼という名の愛情に溢れた人物。主人公である娘カースティも、そんな父を慮る家族愛に溢れた娘。同じ愛でも、情愛と家族愛という別種の愛のぶつかり合い、それが本作の根底にある。だから惹きつけられる。ピンヘッドさんたち魔導士の活躍を期待して本作を観始めると、期待はずれだと感じる人がいるかもしれないが、そうであっても納得できる内容だと思う。

ある意味、本作の重要ポイントである、魔導士さんたち関連の描写。もちろんビジュアル的にはインパクト十分で文句なしなのだが、ちょっと設定に粗があるのが気になった。快楽に溺れるものをこらしめるという目的なんだろうけど、そうなると手段に問題はあるが、ある意味、神の意向に沿った懲罰を行う執行官ということになる。ただ、どうも神側というよりも悪魔側の存在のようにも思える描写もあり、彼らの行動の源泉がいまいちよくわからない。
なんでカースティーまで襲おうとするのか。フランクの扱いをめぐって契約をしたはずで、彼女に牙を剥く理由がわからない。これで、ますます魔導士さんたちの存在意義が見えなくなってくる。

あと、ラリーの血が少しかかっただけで、ものすごく復活したのに、その後何人も丸ごとお供えされたのに、なかなか復活しないバランスの悪さ。私なら肉親の血は親和性が高いのでものすごく復活するんだよ!という設定にして、だから復活のトドメとして血縁のあるカースティを!っていう展開にするけど、ラリーは弟になりすまして普通にカースティを暮らそうとするんだよなぁ…。ものすごい違和感。
で、調べてみたら、原作ではカースティは娘の設定じゃないんだって。なんか本作のシナリオは練りが甘いよね。

まあ、難点はあるけれど、何なら魔導士さんたちがいなくても成立するくらい、しっかりした内容だった。軽くお薦め。たぶん続編を借りるね。

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公開年:2002年
公開国:アメリカ
時 間:92分
監 督:ドン・コスカレリ
出 演:ブルース・キャンベル、オシー・デイヴィス、エラ・ジョイス、ハイディ・マーンハウト、ボブ・アイヴィ 他
コピー:ラフ・ミー・テンダー!
伝説のホラー映画「ファンタズム」シリーズの鬼才ドン・コスカレリ監督が仕掛ける前代未聞のバトルホラー!




テキサス州マッドクリークにある老人向けの医療施設ジェイディ・ホームで、入居老人の不審な突然死が続くようになる。その老人ホームには、頑固で口うるさいプレスリーの格好をした老人がいた。彼は20年前に腰を強打して、下半身を自由に動かすことができなくなり、長らく入所している。いくらリハビリを繰り返しても一向に改善する気配はなく、歩行器がなくては移動することもできない上に、強い薬の影響もあり意識も混濁する日々が続いていた。実は彼は、ただのコスプレ老人ではなく、かつてソックリさんと入れ替わって、自由な人生を謳歌していた本物のエルヴィス・プレスリーだったのだ。彼の唯一の友人で、自分をジョン・F・ケネディだと言い張る黒人の老人ジャックは、このところ発生している連続死が、精気を吸い取るエジプトのミイラ男“ババ・ホ・テップ”の仕業だという。確かに、全米各地を巡業していた“ミイラ展”から4000年前のミイラが何者かに盗まれるという事件があった。恐るべき事実を知った歩行器と車椅子の老人2人は、施設の平和を取り戻すために、ババ・ホ・テップ退治を決意するのだったが…というストーリー。

あらすじを読むと、本物のプレスリーなんだよ…という設定になっているんだけど、本編を見ると、本当なんだか虚言なんだかボケてるんだかよくわからなかったりする演出に。まあ、自分をJFKだと思い込んでいる黒人さんが相方だし、薬で頭がぼーっとしている人なので、仕方がないのはわかるんだけど、早々にご本人であることを確定した上で、話を展開したほうがおもしろくなったと思う。

主演のブルース・キャンベルは、『死霊のはらわた』『キャプテン・スーパーマーケット』の主役アッシュの人なのね。本人が望んでいるわけではないと思うけど、ずっとB級を貫いているキャリアはちょっと素敵。
ただ、B級に思えるのは、監督のせいだと思う。設定こそ突飛だけど、プロットはしっかりしている。不自由な体、人のために何かをする、何かを守るという“男の尊厳”を取り戻す過程、覚悟を決める瞬間、ぐっと熱くさせるポイントは押さえられていると思う。掘り下げれば、高尚なレベルまで昇華できたのではと思うけれど、そこはこの監督さんの方向性とは違うんだろうね。

また、如何せん移動手段が歩行器に車椅子なので、ラストバトルがトロい。まったくスピード感がないので、これをどう面白く観せるのかは、なかなか難しかったと思う。案の定、ボヤけたオチになってしまったな…と。

またもや、ロバート・ロドリゲスだったらどう撮ったかな…と考えてしまったよ。観客を没頭させたまま、馬鹿を真剣に貫くのって、本当に難しいんだな…と改めて思う。残念ながら貫けていない本作は、凡作からちょいと転げ落ちてる感じ。ちょっとお薦めするのが憚られる作品。

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公開年:2001年
公開国:フランス
時 間:82分
監 督:カンタン・デュピュー
出 演:スティーヴン・スピネラ、ロキサーヌ・メスキダ、ジャック・プロトニック、ウィングス・ハウザー 他
コピー:この殺人タイヤに気をつけろ!






砂漠に捨てられた1本のタイヤに命が宿る。はじめはヨロヨロと砂漠を動くだけだったが、ゴミなどの小さな障害物を踏み潰す喜びを覚える。やがてタイヤは、自分に物を破壊する念力があることに気づき、障害物や小動物を破裂させていくのだった。やがて人が住む地域に近づいていったタイヤは、ドライバーの頭を破裂させる。とうとう殺人タイヤとなってしまた彼の暴走は止まらない。しかし、そんなタイヤの目の前に一人の美女が通りかかると、一目ぼれしてしまう。一方、そんなタイヤの行動を、遠くから眺めるツアー客の一団がおり…というストーリー。

冒頭に登場する警察官が、様々な映画作品の登場人物の行動を例にとって、それらに理由はない…と講釈をたれる。いやいや、理由あるやろ。何いってんだこの警官。ETの色が茶色なのだって、深い意味はないかもしれんけど、なんで茶色かは設定上理由はあるだろ(というか、理由はつけられるだろ)。
なんで、この警察官がトランクに入ってるのか理由なんか無いといいたいのかな。

このノリ。カンヌで話題に…という触れ込み。もう、イヤな予感しかしない。でも、先に褒められるところは褒めておこう。タイヤの動きはCGでもなさそうだし、どうやって撮ってるのかなぁ?って素直に関心する。この技術はすごい。そのおかげで、おそらくただ転がしたり、立てかけただけのシーンも、なぜかトボトボと進んでいたり、じーっと何かを見つめているように見えたりする。記憶や自我の目覚めの表現はうまくできている。人間の子供も小動物を殺したりするから、凶暴化しているプロセスも案外リアルだと思う。でも、褒められるのはこれだけ。

ヒチコックの『鳥』とか、スピルバーグの『激突!』なんかと同じ切り口で、これらの亜種だと思う。でも、タイヤに魂が宿るという設定は、昨日の『ウォーム・ボディーズ』と同じくらい、このアイデアだけで勝利したも同然っていうくらいの慧眼だと思う。

でも、シュールな展開を繰り広げようとして、大失敗している。ストレンジな状況をつくっているのはわかるのだが、シュールをこじらせて、意味不明に。

なんのツアーなのか結局わからない。客観的なメタ視点を象徴する存在として登場させているのかな?と思ったが、しっくりこない。さらに、ツアコンはなんで、客を殺そうとしているのかもわからない。警察官とつるんでいるのか?いや、つるんでいるとしてもその目的は? 単なるシリアルキラーなのか?
なんで自分が用意した毒入りの食事を食べるの?そこは笑うところなの?
途中で、警察官は胸に二発の銃弾を受ける。「この世界は現実ではない」とかなんとか。でも、現実。でも、彼は死なない。どういうこと?
「理由はない」と説明したでしょ?そういう作品ってことだよ!といわれそうだが、結果的につまらなかったら元も子もないし。

はじめは“理由はない”と突き放しておいて、ラストで、全部の疑問が繋がって解決しちゃうような理由を理路整然とつきつけて終了したら傑作になってたのになぁ。

三輪車になったら、つまんなくねえか?と思っていたら、他のタイヤも動き始めるとか、つまらなさの上塗り。ラスト5分の蛇足感がハンパない。最高のヒラメキを具現化した作品だが、無能なクリエイターに、ひらめきをあたえた神の悪戯としか思えない作品。やはり、カンヌが注目するような作品はクソ…という方程式が正しいように思えてきた。
#ロビタばりに自殺でもしてくれよ。

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公開年:2001年
公開国:アメリカ、スペイン、フランス
時 間:104分
監 督:アレハンドロ・アメナーバル
出 演:ニコール・キッドマン、フィオヌラ・フラナガン、クリストファー・エクルストン、エレイン・キャシディ、エリック・サイクス、アラキーナ・マン、ジェームズ・ベントレー、ルネ・アシャーソン、アレクサンダー・ヴィンス、キース・アレン 他
ノミネート:【2001年/第59回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ニコール・キッドマン)
【2001年/第55回英国アカデミー賞】主演女優賞(ニコール・キッドマン)、オリジナル脚本賞(アレハンドロ・アメナーバル)
【2001年/第14回ヨーロッパ映画賞】作品賞
コピー:その“存在(アザーズ)”が見えた時、全てが変わる。
その恐怖に世界が戦慄した、ゴシック・ホラーの最高傑作。
 光さえ届かない館で、子供達は何を見たのか?

1945年、第二次世界大戦末期。イギリスのチャネル諸島にあるジャージー島に建つ大きな屋敷に、母グレースと娘アンと息子ニコラスの3人が暮らしていた。夫は戦地に向かったまま音信不通となっていた。アンとニコラスは、太陽光アレルギーで、光を浴びると皮膚が腫れ上がり、ひどい場合には死に至ってしまうほどのため、屋敷の窓はすべて厚いカーテンで閉ざされており、他の部屋の窓から光が誤って入ることを防ぐために、部屋の鍵は入退室の度に施錠するほど徹底していた。そのような厳しいルールを強いられたせいか、屋敷の使用人は一人もいなくなってしまい、すべての家事をグレースが行っていた。そんなある日、ミセス・ミルズと口のきけないリディア、庭師のミスター・タトルが、使用人の口を求めて屋敷を訪れる。3人は即採用されたが、その頃から、屋敷の中で何者かが走る音がしたり、ピアノが勝手に鳴り出すなどの怪現象がおこりはじめる。グレースは何者かが侵入したと怯えるが、アンはその招待は幽霊だと主張。老婆と男の子とその両親の絵を見せ、これが幽霊の姿だというのだった…というストーリー。

いかにも“演技をしてる”って感じが前面に出てしまうニコール・キッドマンだが、本作がいかにもなホラー作品なので、マッチしていると思う。子供を守れるのは私だけ!という、母の愛が狂ったように溢れれば溢れるほど、オチの展開が生きてくる。

薄暗く、装飾も少ない屋敷は、色があっても色が無いような世界で、ゴシックホラーの舞台としては最適。

難病の子供を抱えており、ヒステリックになるのも致し方ないという状況のグレース。夫は戻ってこなし、家を訪れる人もいない。そんな中、使用人がやってくる。それも昔屋敷で働いていたことのある人間だという。どう考えても怪しい3人だが、彼らはグレース一家にとって天使なのか悪魔なのか。そして、過去の母の行動を怖がる子供たち。その行動とは何なのか? これらについて頭に?を浮かべながら、話がすすんでいく。

屋敷では過去に凄惨な出来事があったと臭わしてはいるが、ストーリー展開上、死体はおろか血の一滴も出てこない。ドカン!バタン!と音で観客を驚かすこともしておらず、シチュエーションだけで恐怖を募らせていく、至極正統派のホラー作品で、実に好感が持てる。

(ネタバレ)
オチが判明した後は、あの場面はそういうことだったのか…と、『シックス・センス』的な感じで振り返りたくなる(見ているものの視点によって世界の見え方が違うという意味では、共通点がある)。とはいえ、さすがにもう一回おさらいで観直すほどではない。

『ビートルジュース』『ホーンテッドマンション』なんていうコメディもあるくらいだし、その場所に固執して離れない“自縛霊”っていうのは、欧米でも普通の概念なんだろう。でも、本作は、“日本の怪談”的な雰囲気が漂っている気がするが、何がそれを感じさせているのか、ちょっとわからない。“子への想い”と“自己愛”が判然としなくなっているところかな。それとも、母親が子供を慮っているのはもちろんだけど、実は子供も親を慮っているし、ある意味使用人たちもグレースへ配慮して直接的には、何もいわないでいるところかな。

自縛霊って、永遠の時の中で生きているようなイメージだけど、光アレルギーは治ったりとか、それなりにステージが展開しているところはユニークに感じる。そう、ホラー作品としては、他と一線を画しているという意味で、強く評価されるべき作品だと思う。単なる雰囲気だけの作品では決して無い。未見の方にはお薦めしたい。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:キンバリー・ピアース
出 演:クロエ・グレース・モレッツ、ジュリアン・ムーア、ジュディ・グリア、ポーシャ・ダブルデイ、アレックス・ラッセル、ガブリエラ・ワイルド、アンセル・エルゴート、ゾーイ・ベルキン、サマンサ・ワインスタイン、カリッサ・ストレイン、ケイティ・ストレイン、バリー・シャバカ・ヘンリー、シンシア・プレストン、アーリーン・マゼロール 他




高校に通う少女キャリーは、その内気な性格とヤボったい容姿のせいで友達がおらず、同級生たちから陰湿なイジメを受けていた。家では母親と二人暮らしだったが、狂信的な母親による娘に対する束縛は相当なもので、キャリーは心の休まる暇がなかった。ある日、同級生のイジメが度を超えて問題化。学校側は厳正に対応するが、イジメの主犯格だったクリスは学校の処分に反発したことで停学処分になってしまう。そのおかげで楽しみにしていたプロムの出られなくなってしまい、キャリーを逆恨みすることに。同じく、キャリーのイジメに加わっていたスーは、これまでの行いを強く反省。その償いとして、自分の恋人トミーに、キャリーをプロムに誘うようにお願いするのだった。はじめはからかわれていると思ったキャリーだったが、実はトミーに好意を持っており、申し出を受諾。夢見心地になるキャリーだったが、母親はプロムに出ることを強く反対する。何とか説き伏せて、自作のドレスを身にまといパーティに参加。美しく着飾ったキャリーは会場の注目を集め、幸せな気分にひたっていたが…というストーリー。

デ・パルマによる1976年版と、登場人物の名前からエピソードまで、何も変わりがない。スティーブン・キングの原作に忠実ってことでしょ?といいたいところだが、違う要素は、動画サイトの存在くらいで、学校や町の雰囲気や、プロムの様子のなんかも、あえて似せにいっているような感じ(そりゃあ、細かい演出のさじ加減は違うけど)。

そんな判で押したようなリメイクじゃ、おもしろくないだろう…と思われるかもしれないが、これがすばらしかった。まず、クロエ・モレッツの野暮ったさと磨けば光る感じが絶妙。そして、今、この役を演じさせたら彼女しかいなんだろうと思うくらいだったジュリアン・ムーアのクレイジーな演技。特に、前作で狂気の度がすぎてリアルさを削いでいた気がする母親役は、ジュリアン・ムーアによって現実味と狂気が倍増したと思う。

オリジナルが好きな人でも、すっきりと受け入れられる内容。まさにブラッシュアップしたという感じで、近年稀に見るリメイクの成功例。うまくリメイクしたってだけなので、賞には無縁だが、それでも観る価値は十分にあると思う。っていうかお薦めしたい。満足した。

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公開年:2012年
公開国:フランス、アメリカ
時 間:89分
監 督:フランク・カルフン
出 演:イライジャ・ウッド、ノラ・アルネゼデール、ジュヌヴィエーヴ・アレクサンドラ、リアーヌ・バラバン、アメリカ・オリーヴォ、サミ・ロティビ、モルガンヌ・スランプ、サル・ランディ、ジャン・ブロバーグ 他
コピー:傷つけなければ、愛せない。





ロサンゼルスでは、若い女性が殺され、頭皮が剥がされるという猟奇連続殺人が発生していた。両親のマネキン店を継ぎ、修復の仕事をしているフランクは、性に奔放だった母親から受けたトラウマのせいで、生身の女性を愛することができない人間となっていた。彼は、マネキンに囲まれている時にだけが、心休まるひと時だだったが、やがて夜の街を彷徨い、若い女性を殺すようになっていった。彼は、剥いだ頭皮を持ち帰り、自分の愛するマネキンに被せては、幸せを感じるのだった。そんなある日、女性カメラマンのアンナが、フランクのマネキンに興味を抱き、個展に出す作品のモチーフにしたいと依頼してきた。アンナは、マネキンの芸術性を理解しており、そんあ女性と初めてであったフランクは、彼女の個展の準備に惜しみなく協力するのだった。初めて生身の人間に好意をもったフランクは、戸惑いつつも彼女との未来を想像する。しかし、生来の欲望も抑えることができず…というストーリー。

なんで、連続で週末に凄惨な作品を観てるんだか…。

多重人格っぽい設定とか、幼い頃の母親のトラウマとか、ディテールが古臭い。こういう症例が多々あるのは事実として、映画では使い尽くされている…という意味で。
その上、昨日の『アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ』と同じで、殺し方があからさまにはなりはするものの、手口がエスカレートして歯止めが利かなくなるとか、巧みさが増すとかが無くて、飽きてしまう。切り傷から血が溢れる様子とか、映像技術はすごいだけに、残念だ。

狂人なんだけど、観客にひとつまみ程度の共感を感じさせるのが、この手の作品のミソ。、それがないのが本作の敗因だと感じる。途中で、『カリガリ博士』の映像がそのまま使われているが、“そんな人間にされてしまった”という共通点があるといいたいのだと思うが、いまいちピンとこない。狂ってしまった自分から逃れることができない悲哀に繋がっていない。

なぜ髪の毛、それも頭皮に執着するのか?という説明が不足している。髪の毛が彼にとって母性の象徴だとしても、なぜ頭皮も?マネキン職人なんだから、皮なんか剥がなくてもカツラくらいつくれそう。何体も腐らせるより管理も出来映えも良いに決まってるのに、なぜ、あんな状態でなければいけないのか。やはりわからない。

自分を理解してくれるのではないか?と思える人と初めて出会う(思い込みだが)。そういう人が現れたら、いままで愛を注いてきた(彼の感覚では注がれているのかもしれないが)マネキンとの関係に狂いが出てくる。それについて苦悩するシーンも、一応はさまれてはいるようなのだが、どうも“苦悩”している様子の上っ面だけで、彼の心情の分析・理解がなされていないように感じる。よく主人公のことを理解しないで作り進めていたのではなかろうか。

シナリオもなにか不自然。最後のほうで、通りかかった車に乗せてもらったのはいいんだけど、その車が、逃げるんじゃなく、躊躇なく轢き殺しにかかった意味がわからん。フランクがたとえ血まみれだったとしても、事情もわからないのに轢くわけがない。

あまり褒められた出来ではない。お薦めしない。

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公開年:1984年
公開国:アメリカ
時 間:92分
監 督:マイケル・ハーツ、サミュエル・ウェイル
出 演:ンドリー・マランダ、ミッチェル・コーエン、ジェニファー・バプティスト、シンディ・マニオン、ゲイリー・シュナイダー、マーク・トーグル 他








スポーツクラブに集う若者たち。体を鍛えるものもいれば、如何わしい行為に及ぶカップルもいる。そのスポーツクラブの清掃係であるメルヴィンは、ひ弱な風貌から不良グループからいじめられていたが、ロッカーで性行為をしていたカップルを目撃してしまい、逆恨みされてしまう。翌日、グラマーな美女がメルヴィンを誘惑。その美女に促されるまま暗いところに連れて行かれ、キスをすると途端に明転。美女だと思っていたキスの相手は犬で、スポーツクラブのみんながその様子をみて大笑い。大恥をかかされたメルヴィンは、その場を逃走するが、あやまって窓を突き破って落下。そこには偶然、有毒廃棄物の入ったドラム缶があり、落ちてしまう。メルヴィンは全身大火傷を負ってしまい、命からがら帰宅するも、有毒廃棄物の科学反応により醜いモンスターに変貌してしまう。しかし、同時に強大な身体能力を得た彼は、街に出て悪人たちを懲らしめて廻るのだった…というストーリー。

安っぽいのも下衆なのもグロいのも、一向に構わないのだが、すべてが半歩やりすぎていて、いかがわしさ満載である。冒頭から、子供を快楽目的でひき殺すシーンは、そこまで必要か?という設定。
随所に見られるギャグは、すべてがベタベタで、ここまでくるとわざとつまらない逆を重ねて、独特の雰囲気を作ろうとしているのではないか?とすら考えたくなる(実際は本気のギャグなんだろうけど)。

有毒廃棄物の入ったドラム缶は蓋がされていないし、荷台に固定もされもせずに運搬されている。もちろんあり得ないわけだが、そこに主人公を落とすという目的が達成されれば、細かいディテールなんぞ気にもかけない。いや、むしろ、変な小細工を感じさせるくらいなら、何もしないほうがよいという、開き直りがたまらん。

レストランの壁に日本刀の真剣が飾っていようが、不自然に思う必要ないのだ。ただ、カタナをふりまわすシーンを入れたかった、ただそれだけなのだ。犬だって子供だって容赦なく殺す。あえてハリウッド的なタブーを犯しているわけではない。特にそういう意図はなく、ただ流れで殺そうと思っただけ…だと思う。

こんな稚拙なのに、何故愉しめてしまうのか。真面目に分析すると、①イジメられっ子の復讐劇、②盲人とのラブストーリー、③わかりやすい悪の権力者との対峙、④自我を失い暴走してしまう滅びの美学…という、ストーリー上の要素が案外しっかりしているからに他ならない。でも、脚本家はそれを意図的に狙っていたようには見えなかったりする。ある意味、奇跡の一作なのかもしれない。

ノーカット無修正完全版というやつを観たのだが、同じカットが繰り返えされており、何の意味があったのか意味不明(もしかして回想のつもりかな?)

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公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:デクラン・オブライエン
出 演:ケレム・バーシン、サラ・マラクル・レイン、エリック・ロバーツ、エクトル・ヒメネス、ピーター・ネルソン 他






アメリカ海軍はブルー・ウォーター社に、コントロール可能な生物兵器の開発を依頼。その生物は遺伝子工学で生まれた鮫とタコの合体生物“シャークトパス”。しかし、実験中に制御装置がハズレ、海に放たれてしまう。そのまま南下し、メキシコのプエルトパヤルタに移動する。ブルー・ウォーター社の責任者は、これまでの開発成果を無にすることを良しとせず、かつて社に勤務していたアンディに、30万ドルで生け捕りにすることを依頼する。しかし、シャークトパスは次々を人を襲い始め、とうとうマスコミにもその存在が知られてしまい…というストーリー。

「マツコ&有吉の怒り新党」で紹介されていたそうで、面白そうなので観てみたら?といわれ薦められるがままに素直に鑑賞。

これから出てくるおそろしい謎の生物は??なんていう煽りは一切なしで、チラ見せも無しで、いきなり鮫とタコの合成生物を作りましたわ!スゴいでしょ!というところからはじまる。一切観客をジラす気もない。まあ、タイトルはそのまんまだし、ジャケット画像にはバッチリ出ているわけでお、ある意味、快い潔さをも言える。

CGのレベルはかなりショボいが、低予算のTVムービーということもあって、そこは大目にみたい。シャークトパス自体のデザインは悪くないし、蛸足のおかげで水中で小回りが利くというだけでなく、多少なら陸地に上がれるという、素敵な能力のおかげで、攻撃のバリエーションが増えているのも、おもしろい。CGがどうのこうのいうよりも、パースが狂っているカットが多いほうが気になる。

はじめこそ、麻薬犯罪組織の人間が襲われるが、以降は、B級ホラー作品にはありがちな、何の落ち度もない市民が、躊躇のない方法で無慈悲に(というかおもしろおかしく)殺されていく。じゃあ、退治しなくちゃ!となり、会社のご都合主義との戦いという人間側の葛藤も、ありがち。
恋愛っぽい展開や、親子の軋轢なんかの設定は、とりあえず配置してみた程度で、あまり盛り上がりに貢献していないのも、いかにもB級映画らしい。いや、こういう処理がきちんとできないからB級なんだけど。

ラストはシャークトパスに元々埋め込まれていた緊急用の爆破装置を作動させて倒すという、なかなか都合のよい展開。バカ映画だなぁ…っていいたいんだけど、後半は飽きる。とにかく飽きる。
まあ要するに、“シャークトパス”の出落ち作品ってことかな。

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公開年:2012年
公開国:フランス、アメリカ、カナダ
時 間:95分
監 督:マイケル・J・バセット
出 演:アデレイド・クレメンス、キット・ハリントン、ショーン・ビーン、キャリー=アン・モス、ラダ・ミッチェル、デボラ・カーラ・アンガー ダリア・ギレスピー、マーティン・ドノヴァン、マルコム・マクダウェル、ロベルト・カンパネラ、ピーター・アウターブリッジ、エリン・ピット 他
コピー:封印された街 閉ざされた記憶 呪われた運命)
この謎を解くまで逃げられない。


ヘザーと父のハリーは、これまで街から街を転々と移り住み、身を隠すような生活を送っていたが、ヘザーの18歳の誕生日を目前に、またもや新しい土地に移り住み、おそらく長くはいないであろう学校に通い始める。ヘザーには何故か幼い頃の記憶が無かったが、その一方で夜ごとサイレントヒルという見知らぬ街で何者かに追われる悪夢を見続けていた。そんなある日、学校から帰宅すると父親が失踪しており、家の壁には“サイレントヒルに来い”という血文字が残されていた。ヘザーは、同じ日に転校してきた青年ヴィンセントと共に、血文字に書いてあったサイレントヒルへ立ち入ると、サイレンが突然鳴り響き、街は闇に飲み込まれ、この世のものとは思えない異形の何者かが現れるのだった…というストーリー。

今回観たのは2Dだけど、“3D”と銘打って公開された作品。あ、もしかして前作を3D化しただけで内容は同じか?なんて一瞬焦ったのだが、ちゃんと続編だった。私、ゲームとかやらないんでよくわからないんだけど、ゲームの続編を映画化したってことみたい。

主人公の娘は、前作でサイレントヒルから戻ってこれた女の子。母親(といっても実母ではない)は、サイレントヒルから戻ってこれないままの模様。改めて前作を観なくても思い出せる(というか、思い出した気になれる)ほどよい説明は、なかなか悪くなかったとと思う。

で、前作で娘だけは戻ってこれためでたしめでたし…だと思ったのだが、全然めでたしじゃなかった…というのが、本作の筋であり、謎の根幹である。表向きは父の奪還が目的なのだが、結局はヘザーの自分探しがメイン。

ここで少し残念なのは、製作に日本陣営がいなくなったこと。そのせいか、ジャパニーズホラーとまでは言わないが、ちょっとウェットな感情が絡まったいい雰囲気があったのに、本作では見事に皆無である。善と悪に二分された、片割れ同士のバトルという、いかにも欧米人が考えそうなギミック。

キャリー・アン・モス演じる教団のボス・クローディアは、探偵や自分の息子を差し向けてまで、ヘザーをサイレントヒルに連れてきたかったわけだが、連れてきて一体どうしたかったんだろう…実はよくわからん。アレッサとヘザーを融合させることで、恨みを解消し、サイレントヒルを消滅させたかったのだろうか?あの二つ合体させた印章みたいなのが欲しかっただけだろうか?印章によって怪物化するようだが、アレッサとヘザーを融合させるツールでもあるということか?だとしたらなんで、カルト教団の元リーダが半分もっていて、もう半分をヘザーが持っていたのか。その経緯は?

でも、融合したにも関わらず、サイレントヒルは相変わらず異世界に突入する描写のラストで終わる。なぜ、なにも変わってないのか?サイレントヒルを生んだのはアレッサの恨みではないのか?(あれ?それとも、また分離した?)
正直、細かいところを突き詰めて考えていくと、よくわからんね。この話。まさか、わけのわからない世界のお話だから、わけわからなくてもどうでもいいよね?とか思ってる?勘弁してほしいなぁ。

だるまさんが転んだナースとか、三角頭さんとか、私の好きなキャラは、前作に引き続き登場しているのはちょっとうれしいし、新キャラの生首キャリースパイダーさんなどの新参者もとても素敵。単純な気持ち悪さを超えた何かに、惹き付けられる。ただ、なぜか三角頭さんは、ひたすらヘザーの援護をしているように見えるのが、どういうことかわからんが。

うん。クリーチャーはおもしろいだけど、よくわからん。この話。だからといって、ちょっと観返す気にもならない。

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公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:フランシス・フォード・コッポラ
出 演:ヴァル・キルマー、ブルース・ダーン、エル・ファニング、ベン・チャップリン、ジョアンヌ・ウォーリー、デヴィッド・ペイマー、オールデン・エアエンライク、ドン・ノヴェロ、ライアン・シンプキンス 他
コピー:彼女だけが知っている、この街の秘密





ミステリー作家のホール・ボルティモアは、事故で娘を亡くして以来スランプに陥り、次回作のアイデアが浮かばないまま、地方を巡りサイン会を繰り返している。とはいえ、訪れる客はまばらでほとんど本は売れない。自宅に残る妻は、支払いに追われており、出版者から当座の生活費として前借りをするよう、しつこく夫に連絡してくる。妻は、魔女物の作品をまた書けば良いというが、ホールは気が乗らない。そんな中、昔エドガー・アラン・ポーが滞在したことあるという田舎町で、胸に杭を打ち込まれた身元不明の少女の死体が見つかった。町のミステリー好きの保安官ボビー・ラグレインジは、ホールをむりやりモルグに連れて行こうとする。ホールは乗り気ではなかったが、小説のネタ探しのためについていくと、保安官に小説を共著しないかと持ちかけられる。ホールは固辞したが、その夜、“V.”と名乗る少女が夢に出てきて、かつてエドガー・アラン・ポーが宿泊したチカリング・ホテルで何かがあったことを示唆する。翌朝、図書館で過去の新聞記事を調べると、かつてこの町で凄惨な事件がおこっていたことを知り…というストーリー。

ブックブクに太ったヴァル・キルマーのみっともなさは、脇に置いておくとして…。『ランブル・フィッシュ』と同様に、まったくもってコッポラらしくない作品。というか、作品の質が非常に悪いと思う。

まず、現実世界のシーンが、TVムービーのような画質で、安っぽい。中途半端なマイナー作家が、夢で猟奇殺人の様子をみたり、ポーと出会ったりする。それらは、幻想的な雰囲気で現実世界よりは魅力的で、決して悪くないのだが、特筆するほどでもない。こういうのは、デビッド・リンチか、スティーヴン・キング原作作品にまかしておけばいいんじゃね?って感じ。

(以下、ネタバレ散乱)
ストーリー上、娘を亡くしたことが心の傷になっている点と、“V.”との関係が、うまく生きていないと感じる。ホールは、娘の死に罪悪感を感じて、その後の人生がおかしくなっている。“V.”を救済することと、娘への思いから解かれることが“一応”描かれているのだが、それ以上に、繰り広げられている事件の全容がよくわからん。

私は、ポーが夢の中で導いているから、神父が13人の子供をどうにかしようとしていた事件が、てっきり大昔のことだと思い込んでいた(これがいけなかった)。黒魔術集団の若い男とかヴァージニアが、神父から生き延びたということが判り、頭が混乱。当然、あおの女性死体がヴァージニアだなんてことは微塵も想像していなかった。
#ポーは本人の霊なの?ホール自身の化身なの?

過去の事件と、今おこっている胸に喰いを打たれた少女との繋がりがよくわからん。いや、ストーリー上の関係性はわかるんだけど、だから何だっちゅうねん…的な。最後も、ぶった切ったように、出版後のシーンに切り替わり、結局なんだったのか詳細はよくわからず。クレイジーな保安官は、犯人だったのか何だったのか。
#なんで、彼女はホールを襲うの?根本的に襲うシーンは事実なの?夢なの?

本当にデビッド・リンチ的な難解さなんだけど、やっぱ、そういうのはコッポラがやる必要はないんじゃないかなぁ。こういうのは、もう一回、確かめるために観直して観よう!ってくらいの、画のインパクトが無いとダメだと思うの。はじめに書いたように、TVムービーみたいな画なんだもん。カルトムービーにすら成り得ていないと感じる。晩節を汚すような作品だな…と。
#エル・ファニングだった?ってくらい、白塗りの無表情なキャラクターじゃ、別に誰でもいいんじゃね?って感じ。

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公開年:1982年
公開国:カナダ
時 間:87分
監 督:デヴィッド・クローネンバーグ
出 演:ジェームズ・ウッズ、デボラ・ハリー、ソーニャ・スミッツ、レイ・カールソン、ピーター・ドゥヴォルスキー 他
ノミネート:【1984年/第12回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】参加作品




カナダ、トロントにあるケーブルTV局“シヴィックTV”は、セックスやバイオレンスを前面に出した番組を放送していた。局の若き社長マックスは、よりインパクトのあるコンテンツを探していたが、なかなか見つからず苛立っていた。そんな中、局のエンジニアが、偶然キャッチした海賊放送の内容が興味深いと知らされる。その番組の名前は“ヒデオドローム”。ストーリーは無く、ただ拷問の場面が延々と続く内容だった。その後、TVの暴力性についての対談番組に出演したマックス。ラジオDJのニッキと、オブリヴィオン教授と対談したが、オブリヴィオン教授はモニタを通じてでしかコンタクトを取らない変人で、その主張は「TVに写ったことこそ真実」という極端なもの。まともない対談にならずじまいの中、マックスはニックに番組中にアプローチする始末。その後、自宅にてニッキに“ヒデオドローム”を観せると、元々SM志向が強かったのか、放映しているピッツバーグに行き出演したいとまで言い出す。“ヒデオドローム”の内容に可能性を感じたマックスは、その番組の放映権を得ようと、製作元を探すが掴むことができない。そんな中、“ヒデオドローム”を製作したのがオブリヴィオン教授であるという情報が入り…というストーリー。

邦題表記が“ヒデオドローム”だったり“ヴィデオドローム”だったりと、様々。

難解…というか、ゾンビが大衆社会の投影であるように、このヒデオドロームは何の投影なのかな?というのが、いまいちよくわからない。そういうレベルで難解。そういった裏を一切考えずに、繰り広げられている内容の表層を味わっているだけなら、いかにもクローネンバーグらしいオドロオドロしい作風で、とても愉しめる。後に『ザ・フライ』や『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』等々を世に送り出すわけだが、作風にブレがないという意味では随一の監督だと思う。
ブラウン管がびよ~んとか、特撮はローテクなんだけど、その稚拙さを気持ち悪さに繋げることに成功している例。だから30年以上前の作品なのに、全然色褪せていない。

まあ、大体にして、いくらケーブルTVとはいえ、そんなスナッフムービーを放送できるわけがなく、主人公のTV局社長からして、頭がおかしいのは明白(逸脱とかやり過ぎの範疇を大きく超えている)。設定からしてはじめっからフルスロットルでクレイジーな内容なのだ。

なんで腹の中に銃を入れないかんねん…と思ったが、キチンと展開があった。さて、単なる催眠電波みたいなものなのか、本当に取り出したのか。その辺をあいまいにしているところが、さらにオドロオドロしさを増している。その他諸々、それどういう意味なん?っていうところが散見されるのだが、とにかくビジュアルのインパクトでなぎ倒している感じ。

とはいえ、やっぱり投げっぱなしな感じは否めない。その投げっぱなし感と、絶妙なオドロオドロしさの振幅ゆえに、カルト的な人気を得ている作品。未見の方は一見の価値がある作品だと思う。軽くお薦め。

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image2202.png公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:イアン・ソフトリー
 出 演:ケイト・ハドソン、ジーナ・ローランズ、ジョン・ハート ベン、ピーター・サースガード、ジョイ・ブライアント 他






ルイジアナ州ニューオリンズ。看護師志望を目指しているキャロラインは、とある弁護士から住み込みの仕事を紹介してもらう。町外れにある豪邸に、老婦人のヴァイオレットと脳梗塞で全く身動き出来ない夫のベンが住んでおり、ベンの介護を手伝うというのがその仕事だ。ヴァイオレットはキャロラインのことを快く思っていなかったが、弁護士の強い推薦により仕事が決まる。住み込みが始まるが、ヴァイオレットが嫌いということで屋敷の中には鏡が一切なく、非常に生活が不便。また、至る所に魔除けのレンガ屑が敷いてあるなど、どこか異様な雰囲気だった。キャロラインは屋敷内すべての部屋を開けられる合鍵を与えられていたが、屋根裏に鍵の合わない部屋があることを発見する。ベンが脳梗塞で倒れたのが屋根裏部屋と聞かされていたこともあり、その部屋に興味を持ち鍵を壊して侵入。するとそこには、室内には不気味なものが並んでいた…というストーリー。

日本未公開作品。たしかに昨今のホラー作品のような派手な演出がないので、いささか退屈で凡庸な感じをを抱くことだろう。
身動きの取れないじいさんの介護を依頼されるが、そのじいさんは、キャロラインに何かを伝えようとしている。それどころか、身動きが取れないはずなのに、なぜか自力で窓を越えて、這ってでもこの屋敷から逃げ出そうとする。そんなことができるなら、どうにかして言いたいことを伝えるくらいできるんじゃないの?なんて思いながら観ていたわけだが…。

はじめから、すこし挙動もおかしいヴァイオレット。いかにも訳知り顔なので、じいさんが倒れた原因は知っていそうな様子。『ミザリー』みたいな感じ?でも、悪者なのかそうでないのか、なかなか微妙な雰囲気。魔術の知恵が付いたキャロラインが結界を張って、ヴァイオレットが入ってこれなくなったところをみると、やっぱり悪者なのかな?と思うのだが、実はそう見せておいて違うのかな?という余地も残しており、地味だけどしっかりと計算された演出ができていると思う。
登場人物が少ないので、展開の幅にも限界がある。ある意味、真っ向勝負のシナリオではある。

でもさすがに、助けを求めた弁護士が、ヴァイオレットの仲間か?!というところで、「ああ、結局、駄作かぁ…」とすっかり油断する。つまらない物に時間を使ってしまった…って思うくらいに、本当にすっかり侮ってしまうわけだが、突然落とし穴に落とされたように、この話の真相が襲ってくる(さすがにオチを言ってしまうとおもしろく無くなるので言わないが)

真相がわかったときの、脳内でギュルギュルーって音が鳴るような感じ。掃除機の電源コードを巻き取る時のような勢いで伏線回収される。ああ、はじめにキャロラインの体にタトゥーがあるかどうか聞いたのはこういうことか…、家族がいるかいないか聞いたのはこういうことか…、昔この屋敷で起こった出来事の話で、被害者の子供のセリフの意味はそういうことか…。

まあ、この作品は、四の五の言わず観ることをお薦めする。
『悪魔を憐れむ歌』とか、こういう系の作品は、基本的なアイデアは非常に面白いんだけど、最後までバレないように作り上げるのは難しいんだと思う。ヒントを与えて気付かれると後は興醒めだし、与えなさすぎれば観客を飽きさせちゃうし。本作はギリギリの線で持ちこたえた感じ。隠れた良作ってところ。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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