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公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:150分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:ダニエル・デイ=ルイス、サリー・フィールド、デヴィッド・ストラザーン、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ジェームズ・スペイダー、ハル・ホルブルック、トミー・リー・ジョーンズ、ジョン・ホークス、ジャッキー・アール・ヘイリー、ブルース・マッギル、ティム・ブレイク・ネルソン、ジョセフ・クロス、ジャレッド・ハリス、リー・ペイス、ピーター・マクロビー、ガリヴァー・マクグラス、グロリア・ルーベン、ジェレミー・ストロング、マイケル・スタールバーグ、ボリス・マクギヴァー、デヴィッド・コスタビル、スティーヴン・スピネラ、ウォルトン・ゴギンズ、デヴィッド・ウォーショフスキー、デヴィッド・オイェロウォ、コールマン・ドミンゴ、ルーカス・ハース、ビル・キャンプ、エリザベス・マーヴェル、バイロン・ジェニングス、ジュリー・ホワイト、グレインジャー・ハインズ、リチャード・トポル、ウェイン・デュヴァル、クリストファー・エヴァン・ウェルチ、S・エパサ・マーカーソン、クリストファー・ボイヤー 他
受 賞:【2012年/第85回アカデミー賞】主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、美術賞(Jim Erickson、リック・カーター)
【2012年/第47回全米批評家協会賞】主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、脚本賞(トニー・クシュナー)
【2012年/第79回NY批評家協会賞】男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、助演女優賞(サリー・フィールド)、脚本賞(トニー・クシュナー)
【2012年/第70回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ダニエル・デイ=ルイス)
【2012年/第66回英国アカデミー賞】主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)
【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、脚色賞(トニー・クシュナー)、音楽賞(ジョン・ウィリアムズ)
コピー:命をかけて夢見た 真の『自由』

南北戦争がはじまり4年が経過。北軍が有利になりつつあったが、未だ戦火は激しく多くの若者が命を落としていた。再選を果たし2期目に突入した第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、奴隷解放宣言をしたものの、合衆国憲法修正第13条を成立しないまま戦争が終結してしまえば、南部の奴隷解放は永遠になされないと考え、民主党陣営は多数派工作に乗り出す。しかし、修正案の成立にこだわることで、戦争の終結が伸びる状況を生んでいることに苦悩するリンカーン。一方家庭では、戦争で子供を失った心の傷のために精神が不安定になっている妻との口論や、強行に北軍入隊を希望する正義感が強い長男ロバートの説得に疲れ果てていく…というストーリー。

民主党の黒人大統領をいう今の状況なので、リベラル派さんたちは、いまこそ民主党最大のヒーローの映画だ!と考えたのだろう。冒頭で説明するスピルバーグの映像が差し挟まれるのだが、真剣な顔をしてはいるがノリノリなのが伺える。

普通のセンスなら「人民の~」演説とか、暗殺されるところにスポットを当てがちだけど、修正第13条を通すための丁々発止、権謀術数を見せているという点は、非常に評価できるシナリオだと思う。

28分あたりのリンカーンのセリフ(というか説明がすべて)。非常に判りにくいのが残念なのだが、そのセリフがこの作品のすべてといってよい。
戦時下の間は、連邦政府は国民の財産を合法的に接収できるかもしれないが、通常時は各州法が尊重されるのが、アメリカの法律。奴隷解放宣言を南北戦争終結後も無効になせないためには、黒人奴隷を持つことが合法であるという各州法を無効にしなければならない。それができるのは今だけ。多少、好みじゃない小汚い手法を使ったとしても、そのためなら平気で手を汚しますよ!という覚悟。
リンカーンたちと大筋の方向性は同じなのだが、求める手段の違いや、付随して発生する出来事に懸念を示す勢力に対して、小事にこだわって大事を成すことに失敗することの愚かさを滔々と説く姿勢は感服する。

その説得の際に用いられる言葉には、なかなかの名言がある。「その時々の状況にあわせて、実験を重ねるしかない」みたいな発言とか。単なる理想じゃなく、政治の実務を行っている人間だからこそ吐ける、重いセリフが随所に見られる。

トミー・リー・ジョーンズ演じるスティーブンス議員が興味深い。ちょっと勉強不足でこの人の存在を知らなかったのだが、こっそり妻にしている黒人女性に修正案の条文を見せるところは名シーンだ。
リンカーンは悪妻で有名だけど、母の愛ゆえの行動なのよ!てな感じで描かれている。さすがに、ちょっと美化しすぎ。やっぱり彼女は狂人の域だったと思うよ。

まともな教育を受けているアメリカ人で、それも民主党よりの人なら、素直に楽しめるのかもしれないが、日本人の大半はポカーンなのかもしれない。
今のオバマ政権が、目先の小事のために、大事を損ねている状況を、アメリカ国民はどう見ているのか。いや、アメリカ人はなんとも思っていないかもね。最近アメリカに何かを期待するのが馬鹿馬鹿しくなり状況だ。
決して、娯楽映画としてはおもしろくはないけれど、意義深い作品ではある。おっさん向けだと思う。

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公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:161分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:フォレスト・ウィッテカー、ダイアン・ヴェノーラ、マイケル・ゼルニカー、サミュエル・E・ライト、キース・デヴィッド、マイケル・マクガイア、ジェームズ・ハンディ、デイモン・ウィッテカー、サム・ロバーズ、ビル・コッブス、ジョン・ウィザースプーン、トニー・トッド、アンナ・トムソン、トニー・コックス 他
受 賞:【1988年/第61回アカデミー賞】音響賞(Les Fresholtz、Dick Alexander、Vern Poore、Willie D.Burton)
【1988年/第41回カンヌ国際映画祭】男優賞(フォレスト・ウィッテカー)、フランス映画高等技術委員会賞(クリント・イーストウッド)
【1988年/第54回NY批評家協会賞】助演女優賞(ダイアン・ヴェノーラ)
【1988年/第46回ゴールデン・グローブ】監督賞(クリント・イーストウッド)

自殺を図り精神病院に運ばれたバードこと、サックス奏者のチャーリー・パーカー。彼はベッドの上で、16歳の頃を思い出していた。ヘロイン中毒で死んだ父親の姿、そして、とあるクラブで行われたコンテストに参加し、自分の演奏を多くの客に笑われたことを。その8年後、彼は、ニューヨークの52番街のクラブ“BE BOP”で観客を熱狂させるプレーヤーになっていた。しかし、父親を反面教師にすることなく同じようにヘロインに溺れていたのだった。妻チャンとの出会いもその頃だった。当時ダンサーだったチャンの心を必死で射止めたチャーリーは、薬物を絶って、西部への進出を図ったが、よそ者扱いされうまくいかず、酒びたりになって結局入院するハメに。そんな夫を救うためにチャンは奔走。再びニューヨークで仕事を得るのだったが、薬物から離れることができず…というストーリー。

愉しむのが難しかった作品。何故難しいかといえば、まず、主役のチャーリー・パーカーなる実在のサックス奏者のことを微塵も知らないこと。全編に渡って、クラブで演奏する姿、夜の街、薄暗い部屋であることに加え、ほとんどが黒人キャストなので、とにかく目に刺激がない。現在と過去を交互に見せる演出なのだが、フォレスト・ウィッテカーの見た目に変りがなくて、油断すると過去なんだか現在なんだかわからなくなってしまうほど。
そのくせ、こんな見づらいくせに、それを補って余りあるほど、音楽だけはクソ心地よい。それが合体すると何がやって来るかといえば、睡魔以外にない。20分観続けることが難しい。もう何度、巻き戻したことやら。
#途中でチャーリーのことをダディと呼ぶ白人の子が出てきたが、アレはなんだ? 謎だったが、スルーしてしまった。

主人公は子供のころから薬物中毒だし、粗野で感情的で身勝手で、可愛げがない。一つの能力に秀でているけど、クソ人間ってう役柄は、フォレスト・ウィッテカーのお得意だとは思うのだが、あまり興味深いとは思えないし、魅力の薄いキャラクターだと思う。正直、この丸々としたおっさんがどうなろうと知ったこっちゃない…そんな気持ちになってしまっては、愉しく映画を観るのは困難。

おまけに、これが、クソ長いときている。

で、そのまま、ズブズブと堕ちていき、若くしてお亡くなりになる。それだけ。よっぽどチャーリー・パーカー本人や、ジャズの歴史に興味がないと、無理ですわ。

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公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:99分
監 督:サーシャ・ガヴァシ
出 演:アンソニー・ホプキンス、ヘレン・ミレン、スカーレット・ヨハンソン、トニ・コレット、ダニー・ヒューストン、ジェシカ・ビール、マイケル・スタールバーグ、ジェームズ・ダーシー、マイケル・ウィンコット、リチャード・ポートナウ、カートウッド・スミス、ラルフ・マッチオ、カイ・レノックス、タラ・サマーズ、ウォレス・ランガム、ポール・シャックマン、カリー・グレアム、スペンサー・ギャレット、フランク・コリソン、ジュディス・ホーグ 他
ノミネート:【2012年/第85回アカデミー賞】メイクアップ&ヘアスタイリング賞(ハワード・バーガー、Martin Samuel、Peter Montagna)
【2012年/第70回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ヘレン・ミレン)
【2012年/第66回英国アカデミー賞】主演女優賞(ヘレン・ミレン)、メイクアップ&ヘアー賞
コピー:神と呼ばれた男、神を創った女。 
 
『レベッカ』『裏窓』『知りすぎていた男』『めまい』など数々のサスペンス映画を世に送り出したアルフレッド・ヒッチコック。1959年、『北北西に進路を取れ』をヒットさせた後、誰もが驚くような次回作の企画を探し始める中、実在の殺人鬼エド・ゲインをモデルにした小説『サイコ』に出会う。強烈に心惹かれたヒッチコックは、映画化を決意。しかし、長年彼の作品の編集に携り、脚本家でもある妻アルマには、この企画が成功するとはとても思えなかった。さらに、あまりにも陰惨な内容に映画会社も出資を拒む始末。どうしても諦めきれないヒッチコックは、自宅を担保に入れてまで資金を調達して製作を開始するも、これまで以上に演出面でも技術面でもこだわりを発揮し、資金は底を尽きかけてしまう。それでも熱意を衰えさせることのない夫に対し、表面上はいつもどおりのサポートをしていくアルマだったが…というストーリー。

『サイコ』製作の様子(というか裏話)を綴った作品。あの『サイコ』が、何でこんなテーマを扱うのか?!と批判ぷんぷんだっただけでなく、資金調達に窮したり、配給を拒否されるほどだったとは実に驚き。自由の国を標榜しているくせに、その自由さが一番発揮されていそうなエンターテイメント業界が保守的だという、おもしろい構造。

その苦労と並行して夫婦のギクシャクが語られるわけだが、正直、その下世話な内容自体は特におもしろみはない。いいおっさんとババァが、何やってんだ…って感じ。

主演女優へのパワハラとかセクハラする姿やのぞき趣味が描かれているが、相手にされる可能性すら感じない(っていうかなんで妻の前でやるのか)。よっぽど性的な魅力に欠ける男性だったのだろう。オーソン・ウェルズとは真逆。遺伝子レベルで女性に魅力を感じさせない人だったのではないか。
ただ、モテない男が食に走るのはなんとなく理解ができて、ちょっとシンパシーが沸いてしまった。で、そういう人は、名声をいくら得ても、ぜんぜん満足できない性質だったりもする。
その、ブサイクなおっさんが無駄なアプローチを繰り返すのを見る妻の、やるせなさといったら無いだろう。それも理解できる。しかし、理解できるとはいえ、浮気に走るのは別問題。挙句の果てに、どれだけ重要な仕事をやってもヒッチコックの添え物としか扱わないことが不満だった!と、妻アルマはぶちまけるわけだが、それって、よく浮気した女がいう台詞の典型例だよね(笑)。そっちが悪いってさ。
夫婦共々、才能と反比例して、かなりみっともない。有名なシャワーシーンでの惨殺のシーンで、嫉妬に狂ったヒッチコックが包丁を振り下ろしていたかと思うと、何か怖い…というか、やっぱり何かみっともないな。ただ、このように描かれている姿や、心の内証が事実か否かはよくわからん(原作が本人たちの吐露を元に書かれているのかどうか知らん)。

そのみっともない夫婦間の問題に苦悩し、それを解決していく姿と、世間から総スカンを食らった『サイコ』を製作し続け、目が醒めた(というか相手の男と別の女の情事を目撃してショックを受けた)後、本来のサポート業務に注力し、再編集⇒セルフプロモーション⇒最大のヒット作にする…という有能っぷり。みっともなさと有能さの落差と、それらが絡み合うように昇華されていく描写がとてもおもしろかった。

個人的に、厚く描写して欲しかったのは、なんで、ヒッチコックが“エド・ゲイン”に執着したのか?っていう部分。そこが未消化な気がする。元々『下宿人』という“切り裂きジャック”をテーマにした作品をつくっていたくらいなので、何か連続殺人鬼に関して、ひっかかるものがあるのだと思う。もう少し、心理学的な考察を踏まえた解釈・演出をしてほしかった。

特殊メイクだとはいえ、アンソニー・ホプキンスの成りきりっぷりも良いし、ラストの方に鳥が乗るカットも、ヒッチコックに詳しくない人でも、理解できるほどよいジョーク。まあ、絶対成功することがわかっているストーリー展開ながらも、小気味良い気持ちで観終えることができた作品。まあまあでした。

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image0036.png公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:170分
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演: レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ブランシェット、ケイト ベッキンセイル、ケイト・ベッキンセール、ジュード・ロウ、アレック・ボールドウィン、ジョン C ライリー、アラン・アルダ、イアン・ホルム、ダニー・ヒューストン、グウェン・ステファニー、アダム・スコット、マット・ロス、ウィレム・デフォー、ジョン・C・ライリー 他
受 賞:【2004年/第77回アカデミー賞】助演女優賞(ケイト・ブランシェット)、撮影賞(ロバート・リチャードソン)、美術賞(ダンテ・フェレッティ:Art Direction、Francesca LoSchiavo:Set Decoration)、衣裳デザイン賞(サンディ・パウエル)
 【2004年/第30回LA批評家協会賞】美術賞(ダンテ・フェレッティ)
 【2004年/第62回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](レオナルド・ディカプリオ)、音楽賞(ハワード・ショア)
 【2004年/第58回英国アカデミー賞】作品賞、プロダクションデザイン賞(ダンテ・フェレッティ)、メイクアップ&ヘアー賞
 【2004年/第10回放送映画批評家協会賞】監督賞(マーティン・スコセッシ)、音楽賞(ハワード・ショア)
 【2005年/第4回MTVムービー・アワード】男優賞(レオナルド・ディカプリオ)
コピー:すべての夢をつかんだ時、いったい何が見えるのだろう。

18歳で亡くなった父から石油掘削機の事業を引き継いで成功したハワード・ヒューズ。1927年、21歳になった彼は、潤沢な財産を飛行機アクション映画に大量に投入する。映画界の常識からはずれた撮影技法は業界人たちから揶揄されたが、3年以上かけて完成した『地獄の天使』は大ヒットを記録。ハリウッドの有名人となった彼は、その後も映画製作を継続しヒットを飛ばす。やがて人気女優キャサリン・ヘプバーンと出会い恋に落ちる。一方、飛行機への情熱は航空ビジネスへと向かい、会社TWAを買収。新型の飛行機開発を行い、自ら操縦桿を握り、飛行機の世界最速記録を次々と更新。自らの夢を次々と叶えて人生を謳歌するハワードだったが…というストーリー。

『ディパーテッド』でようやくオスカーを受賞したスコセッシだが、あれは、もういいかげん獲らせてあげないと…という功績賞的な意味合いが強かったと思う。あんなお抱え監督仕事にオスカーを与えるんじゃなくて、真の意味でオスカーを渡すに値するのは本作だったと、私は思っている。

昨日の『アルゴ』もそうだったが、アメリカには実在のエピソードの中にとんでもないものが存在する。ただ、実話ベースの映画は大別するを二つあり、一つは“事実は小説より奇なり”パターン。もう一つは“奇人列伝”パターン。本作は後者である。

幼い頃、母親に言われたこと(“QUARANTINE”)が頭にこびり付いて潔癖症になってしまったハワード(事実は知らんが作中ではそう描かれている)。とてつもないハンデではあるが、彼自身それに耐えて眼前の問題をクリアしなければ、自分の夢が実現できないことを認識しており、実際それを乗り越えて勝利を勝ち取っていく。彼は、傍若無人で夢の為なら手段を選ばない…という男ではない。きちんと状況(敵)を見極め、それに対処すべき方法を模索し、これだ!と思ったら躊躇無く邁進する。いやいやそれは難しいだろう…と躊躇してしまうところを全力でアクセルが踏める。一般人との違いはそこである。その障壁の一つとして自分の潔癖症があるならば、何とかそれを乗り越えるだけの胆力を持ち合わせている。

彼の夢は非常に子供じみてみえるかもしれないし、彼が成し遂げたことと投入した費用のバランスに疑問を感じる人がいるかもしれないが、自由主義経済の中で彼のような存在が実は不可欠。①彼の事業により購入される資材や支払われる給与が膨大でお金が回ること、②目的のために飽くなき技術革新を求めていくが、一見無駄な開発に見えても後々その成果が何らかに活用される可能性があること。②はイノベーションであり、①は資本主義社会を廻す基本である。彼が奇人であり、あまりにスピード感のある人間なので、そこに目を奪われがちだが、彼は自由主義経済の化身であることを見逃してはならない。
その証拠に、終盤はパンナムと結託した議員との戦いになる。国益の名の下にパンナムが国際線を独占するという法、つまり“規制”と彼は戦うのである。

結果、その戦いに勝利するハワード。そのやりとりは大変参考になる。相手の出方を予測して反証を準備するという手法は、財産とコネクションの賜物なので、我々は参考にできない。しかし、(必ずしもどんな場面でも活用できるとは限らないが)彼が、ブリュースター上院議員と公聴会で対峙するときの、ブリュースターの発言に対するハワードの言葉のかぶせ方。周囲の人間を不快にさせないレベルで、相手の発言を止める微妙なタイミング。実際の映像は残っているのでそれを参考にしたと思われるが、これを訓練せずにやっていたのなら天性の論客なんだろう。
まあ、とにかくこの公聴会での勝利のシーンは、実に興奮した。

タイトルの『アビエイター』のとおりに、実際に空を駆け巡り、そして経済界・社交界を時には高速で飛ぶ、時にはアクロバット飛行をみせたハワードだったが、最後は壊れていく。でも、神からその役目を与えらているような人間とは、大抵そんなもんじゃなかろうか。(一神教世界以外にみられる)荒ぶる神、職能神っていうのは、神話の中でもどこか狂っているものだ。本作は、ハワードという“神”を眺める作品である。お薦め。

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image2114.png公開年:1993年
公開国:イギリス、日本
時 間:75分
監 督:デレク・ジャーマン
出 演:クランシー・チャセー、カール・ジョンソン、マイケル・ガフ、ティルダ・スウィントン、ジョン・クエンティン 他






ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、1899年にウィーンで工業界の大物であったユダヤ系富豪の息子として生まれる。ケンブリッジ大学に進学した彼は思想家バートランド・ラッセルの援助を受けながら論理研究重ね、そこでケインズらとの親交を深める。その後、第一次大戦に志願兵として従軍中に、『論理哲学論考』完成し。復員すると、オーストリアの小学生教師として教鞭ととるが、体罰事件により教職を追われる。その後、各地を転々とするが、1929年にケンブリッジに戻り、再び哲学研究に打ち込み、1951年に前立腺がんで亡くなる。20世紀の哲学者ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの生涯とその思想を映像化した作品。

『ドッグヴィル]のように、ほぼ全編、薄暗い舞台上で演じられる。『アイム・ノット・ゼア』と同じで、本人を良く知らないと、ピンとこない作品って結構あるね。本作もその一つ。哲学の本を読んでいれば、現愛哲学の中で必ず出てくる人だけど、解説している人もよくわかっていないのか、ヴィトゲンシュタインの項はよくわからない記述が多い。
#まあ、世の中の事象を論理学記号で表していこう…っていうか、表せるよって、そんな風に書いてるよね。

あまりに判らないので、wikipediaのルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの欄を見ながら、はじめから鑑賞し直した。すると、いくらかスッキリ腑に落ちる。腑に落ちる…というか、奇抜で抽象的な表現が、彼の生い立ちの何を指しているかが判る…という意味だが…。
参考資料を観ながらじゃないとピンとこない映画ってのもいかがなものかと思うが、やはり、ヴィトゲンシュタインを知っている人のための作品ということだ。

ヴィトゲンシュタイン自身は良く知らないが、彼の人生で登場する人物が早々たるメンバー。アドルフ・ヒトラーとかケインズとか。ケインズが彼をやたら評価していた模様だが、両者ともその書籍の内容は、極めて難解であるというのも共通点。時間が経って読み解かれた内容を読むと、価値のあることを論じていることは確かなのだが、おまえの表現能力が稚拙なせいで、わかりにくかっただけやんけ!って、いうのも共通している。

結局、哲学なんていうものは、“存在”をどう証明するか。その方法論を“実在”を使わずに証明する試み。それだけ。“だけ”っていうけど、それが簡単じゃない。さあこの作品から彼の思索を知ろう!という気にはなるのだが、本作は彼の哲学的思索を綴ったわけではなく、奇抜な人生がつらつらと描かれている。その切り口で展開するので、“狂人”としての側面が強調される。狂人のたわごとの先に何かあるか。無いな。欠乏した愛への渇望をこじらせた人に写る。しかし、彼が幼少期に愛を得られなかった状況や原因は、この作品では一切描かれていない。

哲学自体の意味に疑問を抱き第一次世界大戦に参加するも、いざ参加してみるとおかしな様子に。そのおかしな様子のおかげで『論考』が出来上がったと考えれば悪いことではないので、そこまではまあ理解できても、復員後に何故か教員になることを選択のは理解しがたい。なにか深い考えや志があるのかと思いきや、子供が自分の思うように理解できなければ体罰を振るうって、どうかしている。時代が違うっていう人がいるかもしれないけど、当時だって大問題になって追放されている。
これで疎外感を味わった…って、そりゃそうだろう。ヴィトゲンシュタインがおかしいのだから。

ヴィトゲンシュタインは、他者への共感が薄い…というか、普通なら他者の痛みに自然に共感できるのだが、それができていない人に見える。私の予想だが、おそらく痛覚が薄い人だったのではなかろうか。共感が薄いからこそ、感情や直感に溺れず他者とは違った切り口ができたのだが、それが災いして他者へ自分の考えを共有させることが困難になっている模様。共感力がすくないのに、公共の言葉で表現しようという、間逆の帰結になる。
じゃあ、その言葉を公共のものにするにはどういう手順を踏めばいいのか。結局、共感という個人の感覚。それが、各自同じであるという確認不可能な前提に立たねばならないという矛盾にぶつかる。彼は共感の能力が欠如してるのだがらそれをすることができない。でも、自分に無いものが確かにあることだけはわかる。だから苦悩する。そんな矛盾にぶち当たるまでに何年かかってるのかと…。そしてそれを超えられずに狂っていくって、悪い言い方だけども滑稽である。

名のある哲学者って、自分が探求していると思っているのかもしれないけど、、実は、後人のために自ら実験台になってくれている人だと、私は思う。こういう狂人がいるからこそ、われわれは哲学を冷静に眺めることができるわけで、“実験台”の様子をつらつらと綴る本作のような作品には、意味があるな…と。
なーんて、哲学に造詣の深くない私なんぞが、批判するのもおこがましいんだけど、これが本作を観た素直な感想でありんす。

監督も同性愛者でエイズで亡くなった人だとか。そういうシンパシーを基盤に語られても、私には何も響きませんなぁ。お薦めはしません。奇作。

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image1207.png公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:トッド・ヘインズ
出 演: クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー、ジュリアン・ムーア、シャルロット・ゲンズブール、ミシェル・ウィリアムズ、デヴィッド・クロス、ブルース・グリーンウッド 他
受 賞:【2007年/第64回ヴェネチア国際映画祭】女優賞(ケイト・ブランシェット)、審査員特別賞(トッド・ヘインズ)
 【2007年/第42回全米批評家協会賞】助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
 【2007年/第65回ゴールデン・グローブ】助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
 【2007年/第23回インディペンデント・スピリット賞】助演女優賞(ケイト・ブランシェット)、ロバート・アルトマン賞[アンサンブル演技作品賞]
コピー:詩人・無法者(アウトロー)・映画スター・革命家・放浪者・ロックスター
 全てボブ・ディラン 6人の豪華キャストが演じる、生ける伝説

詩人のアルチュール・ランボーは、「なぜプロテスト・ミュージックをやめたのか?」という理由と問われ、淡々と応え続ける。1959年、“ファシストを殺すマシン”と書いたギターケースを持つ黒人少年ウディは、放浪の末に一人のブルース・シンガーの家に転がり込む。60年代後半、プロテスト・フォーク界で時代の寵児となったジャック・ロリンズは、パーティのスピーチでJFK暗殺犯を称えて隠遁するはめに。約20年後、彼は教会でジョン牧師と名乗っていた。1965年、俳優のロビーは、美大生クレアと出会い結婚するが、次第に2人の気持ちはすれ違い始める。1965年、ジュードはロックバンドを率いてフォーク・フェスティバルに出演し、ブーイングを受ける。彼はロンドンのライブで再びロックを演奏しフォーク・ソングとの決別を表現。観客から裏切り者と罵声を浴びる。西部の町リドルで隠遁生活をするビリーは、ハイウェイ建設のため町民が立ち退かされるのが、ギャレット長官であることを突き止め、彼の演説会で非難の声を上げる。ボブ・ディランの多面性と波乱に富んだ人生を6人のキャラクターで描く作品。

何度観ても、演出意図がさっぱり理解できない作品。まず、私が根本的にボブ・ディランを知らない上に、歌手ボブ・ディランの半生を6人の俳優達が演じたとの謳い文句なのに、詩人アルチュール、黒人少年ウディ、ジャック・ロリンズ、俳優ロビー、ジュード、ビリー、どれもボブ・ディランじゃないし。
ケイト・ブランシェットだけが、ボブ・ディランに似せようと演技をしてた…なんてことも聞くけど、その役も“ジュード”て名前で、ボブ・ディランがそんな名前で活動していたなんて情報もないし…、一体何なのか。エピソード的には、各者、彼の生い立ちを散りばめているのかもしれないないが、とにかくみんな名前が違うというその演出意図はなんなの?
嫌味で言っているわけじゃなく、本当にこの作品の意味がわらななくて、誰かわかる人に解説をしてもらいたい。

おそらく、6人それぞれが、ボブ・ディランの一面、歴史の一幕を表現しており、トータルでボブ・ディランをいう人物像を浮かび上がらせているということか。洒脱な演出だねぇ…ってな感じで、ボブ・ディランを知っている人には、しっくりくるんだろうが、私には観る資格が無い作品だということだ。
少なくともボブ・ディランを知らない人が、この作品を経てボブ・ディランを知ろうということは不可能であるということ。そして、ボブ・ディランに興味をもって、じゃあ彼の曲を聴いてみよう…という気にならないということ。そして、ボブ・ディランは別にそんなことを望んでいないこと。
つまり、一見さんお断り作品なのだ。この先、私がボブ・ディランの曲が好きになったら、改めてみることがあるかもしれないが、そんなことが無ければもう二度と観ることはないであろう作品。

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image2029.png公開年:2008年
公開国:フランス、ベルギー、ドイツ
時 間:126分
監 督:マルタン・プロヴォスト
出 演:ヨランド・モロー、ウルリッヒ・トゥクール、アンヌ・ベネント、ジュヌヴィエーヴ・ムニシュ、フランソワーズ・ルブラン、ニコ・ログナー、セルジュ・ラヴィリエール、アデライード・ルルー 他
受 賞:【2009年/第44回全米批評家協会賞】主演女優賞(ヨランド・モロー)
 【2009年/第35回LA批評家協会賞】女優賞(ヨランド・モロー)
 【2008年/第34回セザール賞】作品賞、主演女優賞(ヨランド・モロー)、脚本賞(マルク・アブデルヌール、マルタン・プロヴォスト)、音楽賞(マイケル・ガラッソ)、撮影賞(ロラン・ブリュネ)、美術賞(ティエリー・フランソワ)、衣装デザイン賞(マデリーン・フォンテーヌ)
コピー:花に話しかけて木に耳をすませて心のままに、私は描く。

1912年、フランスのパリ郊外サンリス。貧しく身寄りもない女性セラフィーヌは、家政婦として生計を立ててながら、部屋に籠もって黙々と絵を描く日々を送っていた。彼女は、40才を過ぎてから守護天使の「絵を描け」というお告げを聞き、それまで描いたこともない絵を描き始めた。絵画の手ほどきを一切うけておらず、絵の具は植物など自然の素材から手作りし、板の上に絵を描いていた。そんなある日、彼女が家政婦として働く家に、ドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデが間借りすることに。ウーデはセラフィーヌの絵を偶然見かけ、彼女の絵に惚れ込んでしまう。そして、彼女に家政婦をやめて絵を描くことに専念できるように、金銭的な援助を申し出るのだった。しかし、1914年に第一次世界大戦が始まると、フランスの敵国であるドイツ出身のウーデはフランスを出国せざるを得なくなり、セラフィーヌと音信不通になってしまう。 1927年、フランスに戻ったウーデは、セラフィーヌの居場所を捜索。彼女は、まだ家政婦をしながら絵を描き続けており、ますます画力を向上させていた。以前の約束のとおり、ウーデは金銭的な援助を開始し、彼の紹介により徐々に彼女の絵は売れ始め、生活は豊かいなっていったのだったが…というストーリー。

容姿は小汚いし、おばさんというよりもおばあさんという感じのセラフィーヌ。いささか絵を描くことに偏執してはいるが、きちんとメイドの仕事はこなしているので、社会性はある。肉屋とかシーツ洗いなど、他のバイトを掛け持ちしているくらいなので、それなりに生きる術は知っている感じ。でも、あまり笑わないのが怖い。

肉屋で血をこっそり拝借しているのは、いったい何だ? と思ったが絵の具を自分で作っているのだ。まあ、著名な絵描きさんたちの逸話によくあること。フェルメールがあの独特の青色を出すために、中東で算出される貴重な青い宝石を躊躇無くすり潰して絵の具に使った…なんて話は有名。でも、血やら植物だと、経年による退色は凄いので、現存する彼女の作品の色は、当時のものとは違うんだろうね(彼女の作品のことは良く知らないんだけど)。

途中で、修道女たちと食事をするシーンがあるが、その会話の内容からすると、セラフィーヌも元修道女で、神の「絵を描け」という声に従って辞めたということだろうか。それとも、単に元々信心深くて、長い知り合いってことなのか、よくわからない。とにかく、マリア信仰に強く傾倒している。

それなりに社会性はあるのだが、学が無い…だけでなく、それに加えて頑固。その頑固さが不見識の上で発揮されるので、とにかく厄介。はじめは自分の絵を褒められても、馬鹿にされているに違いないと思うほどだったのに、本当に評価されているのだと確信したらもう止まらない。確かに、ウーデに見出されたことは、彼女にとって良かったことには違いないのだが、絵を描くことが天の人の期待に沿うことだと思っているので、諸々の思い込みをどんどんエスカレートしていく。金に余裕が出てくると、あの質素な生活はなんだったのかと思うくらい、突然爆発したように散財し始める。思いつきで家まで買おうとする。そして、不幸に世界恐慌でそんな散財が許されなくなると、ウーデが自分を見捨てたと、斜め上の理屈で発狂し始める。
おそらく彼女は、肌身で感じられる世界が、理解できる範囲だったんだろう。その社会の範囲ではなんとか常軌を保てていたに過ぎないのだ。そして彼女は、絵を先鋭化させていくのと並行して“女ゴッホ”になっていく。絵の作風も、ゴッホに近いと思う。同じような脳の構造なんだと思う。彼らには、ああいう風に世界が見えているのだと思う。

そういう人がいました…ということは、わかった。でも、この映画自体、彼女を生き方を通じて何が言いたいのだろう…ということはよくわからなかった。フランス映画は、こういうのが多いね。凄い生き様の人がいたから、それをそのまま映画にしてみました…っての。監督や脚本家は、それを通じて、こういうことを俺は感じたんだ、君もそう思わないかい? っていうのが無いよね。あとはそれぞれ自分でいいように感じてよ…っていう投げっぱなし。何で、観客側が、作品の意義を考えなくてはいけないのか。これじゃだただの再現ドラマだよね。
再現ドラマとしては非常に優秀。本物の“セラフィーヌ”を観ている気分になるのは事実。時間を経過するごとに崩壊していくセラフィーヌ演じるヨランド・モローの演技は、神がかりかもしれない。でも、ああ、芸術家ってみんな紙一重なんだな…と、それしか残らないわな。
最後あたりの、花嫁衣裳を着て近所に物を配り始めるところなんか、映画の視点自体も、狂った彼女を俯瞰で見ちゃってるんだもの。こういう作品は主観的な狂気を観客といくばくか共有して、誰しもちょっとは持っている内なる狂気とリンクさせることに意味があると思うだよね。
デキのよい再現ドラマ。それ以上でもそれ以下でもない。

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image2002.png公開年:2011年  
公開国:アメリカ
時 間:120分  
監 督:ブルース・ロビンソン
出 演:ジョニー・デップ、アーロン・エッカート、マイケル・リスポリ、アンバー・ハード、リチャード・ジェンキンス、ジョヴァンニ・リビシ、アマウリー・ノラスコ、マーシャル・ベル、ビル・スミトロヴィッチ  他
コピー:最低な毎日は“最高”だ。



1960年のプエルトリコ。NYから来たポール・ケンプは、地元の新聞社の求人に応募しやってきた。嘘だらけの履歴書だったか、なんとか採用される。しかし、上司は神経質すぎるし、同僚の新聞記者たちはまともに仕事をしておらず、新聞事態も発行部数は右肩さがり。ポール自身もそれほど意欲的ではなかったため、同僚と一緒に酒漬けの毎日に。そんなある日、不正な不動産取引で金儲けを企むサンダーソンという男が、ポールに接近してくる。彼は、島のリゾートホテル売買の宣伝広告を担当してほしいという。ポールの意思とは無関係に、どんどんその悪巧みに巻き込まれていくが、当のポールは、サンダーソンの婚約者のシュノーに心奪われてしまい…というストーリー。

話はゴチャゴチャする一方で、どんどん巻き込まれていき、カオス状態になっていくんだけど、彼女のくだり、島のリゾート化計画のくだり、新聞社の倒産のくだり、各々の傍線が特に盛り上がるわけではない。魅力的なロマンスが展開されるわけでなし、守銭奴どもに一杯食わせるわけでもし、なんとか新聞を刊行してジャーナリストして一矢報いるわけでもし。
一番盛り上がったのは、ダイナーでプエルトリコ人に追われて、カーチェイスになるくだり。これがピークだということで、この映画のレベルを推して知るべし…って感じ。っていうか、傍線だけで、主筋がないよね。

エンドロールで、本作が実話であることを知る。ハンター・S・トンプソンの自叙伝らしいのだかわかるわけがない、劇中の主人公はポール・ケンプという名だし。あの有名なジャーナリストであるハンター・S・トンプソンに、こんなことがあったんだぁ…という興味が沸く人には面白いだろうが、根本的にハンター・S・トンプソンを知らなければ、ただのなんだかわからない話だと思う。自分がプエルトリコで体験した、不思議な出来事を、つらつらと並べただけ。
廃人一歩手前の同僚も、ストーリー上、大事な役回りをするのかと思いきや、別にたいしたことをしないのは、実際にそういう人がいたんだもん…って、それだけのことなんだよね。

ただ、もしかすると、事件がおこりそうで一切おこらないという、この人を喰った寸止めシナリオは、わざとなのかもしれない。高度な仕掛けというか、プレーというか。一体、どういう映画なのか、最後までつかめずにわるのだから。ジョニー・デップ自身が製作に名を連ねていることだ、色々計算ずくで、この内容なのかも。でも、個人的には、お薦めし難い。

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image1963.png公開年:2011年
公開国:イギリス
時 間:105分
監 督:フィリダ・ロイド
出 演:メリル・ストリープ、ジム・ブロードベント、オリヴィア・コールマン、ロジャー・アラム、スーザン・ブラウン、ニック・ダニング、ニコラス・ファレル、イアン・グレン、リチャード・E・グラント、アンソニー・ヘッド、ハリー・ロイド、アレクサンドラ・ローチ、マイケル・マロニー、ピップ・トレンス、ジュリアン・ワダム、アンガス・ライト 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】主演女優賞(メリル・ストリープ)、メイクアップ賞(J. Roy Helland、Mark Coulier)
【2011年/第78回NY批評家協会賞】女優賞(メリル・ストリープ)
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](メリル・ストリープ)
【2011年/第65回英国アカデミー賞】主演女優賞(メリル・ストリープ)、メイクアップ&ヘアー賞
コピー:世界を変えたのは、妻であり、母であり、ひとりの女性だった。
英国史上初の女性首相の栄光と挫折、そして最愛の夫との感動の物語。

亡くなった夫の幻覚を見るほど認知症が悪化している86歳のマーガレット・サッチャー。そんな彼女が、自らの人生を振り返る。雑貨商の家に生まれたマーガレットは、市長も務めた父の影響で政治家を志すが、初めての下院議員選挙に立候補するが落選。そんな失意の彼女に、実業家のデニス・サッチャーがプロポーズして、結婚に至る。子どもにも恵まれ、幸せな家庭を築く一方、政治への意欲は失われることなく、やがて下院議員に当選する。男性ばかりの世界に飛び込んだマーガレットは、その強靭な意志で立ち向かい、政界での地位を高めていくが、その一方で、夫や子供たちの時間を犠牲にしていく。しかし、失墜した英国を再建するために、保守党の党首選に立候補する…というストーリー。

本作で複数の受賞をしたメリル・ストリープ。似ているのはメイク技術の賜物だが、それ以上に、皮膚がタレ気味の顔の中にある、女性的な眼差しと刺すような眼光が目まぐるしく変わる表情は、まさに本人のそれ。もうメリル・ストリープにかかったら、ちびまる子ちゃんでも演じきれるんじゃないかと思うくらいだ。そろそろ映画賞は、殿堂入りしてもいいんじゃないかと。演技が似ているかどうかなんか、観始めた途端に気にならなくなるレベル。
また、初立候補の頃を演じている女優さんも、よく似ている。こちらは演技というよりも、本当に似ているかどうかでキャスティングされているようだが、演技も決して悪くない。

ご存命ながら認知症を患っているという状況で、さらに、当然劇中に登場する子供たちは、決して品行方正とは言いがたく、よく映画化が許されたものだと思う。これは、今、サッチャーを扱うことに意味があると考えて、製作されたものと思われる。なんといっても、鳴り物入りでスタートしたユーロが、世界経済崩壊の引き金か…と騒がれるようになろうとは、誰が思ったか(私は思ってたけど)。この局面で、彼女にスポット当てることに意味があるわけだ。
本作では、夫が政策のフィクサー的な役割をしていたことは一切触れていない。むしろ、政治に没頭していく妻を我慢してささえていただけに描かれている。それは、この映画が今公開される意味とは、無関係だからオミットしたということに違いない。

劇中で、サッチャーは、ユーロ圏参加を頑なに拒否する。ポンド経済は健全であると。単なるプライドのように聞こえるかもしれないが、経済圏が巨大になったからといって、経済が健全に活発化するわけではないことを見抜いていたのだと思う。
だから、FTAだTPPだなんて、推進しようとしている輩はアホなのである。もし、日本の農業を強くしたいのであれば、補助金で保護する以外の、健全な競争力を身につける政策を実行するればいいだけのことであって、それもなしに自由経済の荒波に放りこむなど愚の骨頂なのである。あるべき経済状態を実現したいのか、国民の生活を豊かにしたいのかどっちなのだ?ということ。昨今話題の維新の会はTPP推進派らしいけど、その主張は間違い。TPPに参加して、自由競争にもまれてはじめは苦労するだろうけど、時間が経てば健全な競争力が身に付くと思っているんだろうが、それは“モデル”の中での話し。実際の人間は、“次第に健全化していく”間に死んでしまう。理論と実際の違いを理解できていない。
大体にして、大阪で再建を託された人間のくせに、それを達成しないうちに、国政に色気を出す感覚が理解できん。まず、はじめに託されたことをこなせ。愚か者どもめ。
#別に維新の会が大阪でやろうとしていることに文句があるわけではない。大阪でやっていることは賛同しているのだが、国政の舞台を見据えた彼らの行動は、途端に陳腐になっていく。

閑話休題。

日本のバブル期の国営企業の民営化などは、サッチャーの政策の真似っ子だったんだな…とよくわかる。しかし、移民政策や医療保険制度などは真似しなかった。いいとこ取り。そう意味では、70~80年代の日本の官僚は優秀だったといえる。

サッチャーも徹頭徹尾、新自由主義を振りかざしていたわけではなく、失業率に歯止めをかけられなくなると、金融緩和政策などを実施した。自由経済主義を展開していたサッチャーが、マクロ経済政策に手を染めたものだから、自由主義学者たちはサッチャーを非難する。自由主義経済学者とケインズ主義は相対してきたが、どちらが正しいということではない。経済というのは、自由主義が有効な時期とマクロ経済政策が有効な時期が、呼吸をするように繰り返すのである。
残念ながら、著名な経済学者といっても、そんなことも気付かないレベル。サッチャーがそれをわかっていたのか、肌で感じ取ったのかはわからないが、その慧眼と決断力はすばらしいと思う。

それ以上にイギリスと日本の国民性の差が大きいか。おとなしいだけかもしれないけど、その猶予というか我慢のおかげでそれなりに効果が表れるのを様子見できる期間が生まれたと思う。イギリスみたいに、ちょっと国民の負担を増やそうとしようものなら、デモなんだか暴動なんだかわからない状態になる国民とは違うからな。正直、日本に生まれてよかったなと思う。
ちなみに、彼女が掲げた人頭税だが、私は正しいと思う。多くの人は、貧しい人からも税金を取るのか!と怒るかもしれないが、国民が国民として国を担っていることを強く意識させるために、納税は絶対必要。100円でもいいから、日本国民であるならば納めるという儀式が必要だと思う。根本的に、納税と社会保障が別にすべきなんだけど、実際は徴収のコストや、控除の仕組みなんかで一緒くたにせざるを得ないんだけどね。

死に体だったイギリス経済が、フォークランド紛争によって絶頂を迎えるという、そりゃあ、アメリカが定期的に戦争を吹っかけるわけだ。さて、日本も、小島の領有権をめぐる紛争を二つも抱えているけど、どうなるかな?戦争はしなくてもいいから、海上保安隊や自衛隊の設備や人員を増加すると、景気に(それも内需に)影響があるんだろうね。

政治経済に興味がある人とない人では、まるで、面白く感じるポイントが異なる作品だと思う。正直、一女性の人生の物語と考えると、それほどおもしろい作品ではないだろう。彼女のまっすぐな思いが、一国の経済をどう変えていくのか。神でも魔法使いでもないのだから、こうすれば成功するという確信はもちろんない。でも、彼女が貫いていた“国家とはこうあるべき”という思い、そしてそれに応えたかのような世界の潮流に、改めて驚きと感慨深さを覚えた。
とにかく、この作品を観れば、日本の民主党なんぞ、箸にも棒にもかからないと思うこと必至。お薦め。

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imageX0052.Png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:137分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:レオナルド・ディカプリオ、ナオミ・ワッツ、アーミー・ハマー、ジョシュ・ルーカス、ジュディ・デンチ、エド・ウェストウィック、デイモン・ヘリマン、スティーヴン・ルート、ジェフリー・ドノヴァン、ケン・ハワード、ジョシュ・ハミルトン、ジェフリー・ピアソン、ジェシカ・ヘクト、ジョーダン・ブリッジス、ジャック・アクセルロッド、ジョシュ・スタンバーグ、クリスチャン・クレメンソン、ビリー・スミス、マイケル・レイディ、ジェフ・スタルツ、ライアン・マクパートリン、ダーモット・マローニー、ザック・グルニエ、リー・ココ、スティーヴ・モンロー、アーネスト・ハーデン・Jr、ショーン・マーフィ、ゲイリー・ワーンツ、デヴィッド・クレノン、マイケル・オニール、エリック・ラーキン、マヌ・インティライミ、エミリー・アリン・リンド、ジェイミー・ラバーバー、リー・トンプソン、アマンダ・シュル、クリストファー・シャイアー 他
ノミネート:【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】作曲賞(ジョン・ウィリアムズ)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(レオナルド・ディカプリオ)、メイクアップ賞
コピー:だれよりも恐れられ、だれよりも崇められた男。

1919年。ソビエト連邦の建国による世界的な共産主義の高まりの中、アメリカ国内でも共産主義運動や労働争議が活発化。過激な行動に出る者も現れ始め、ついには司法長官宅が爆破される事件まで発生する。それを受けて、司法省は過激派対策の特別捜査チームを編成。司法省に勤務していたフーバーは、24歳にして責任者に抜擢され、後にFBIの前身である司法省捜査局の長官代行となる。かねてより、全国民の個人データを集約して犯罪捜査に役立たせようという構想をもっていた彼は、同時に科学を捜査に応用するなど、これまでになかった手法を活用することで、数人のチームにもかかわらず、過激派のアジトを急襲、大勢の過激派を逮捕することに成功するのだったが…というストーリー。

フーバーという人間は、孤独で偏執的なキャラクターだが、その志は理解できなくもなく、興味深い人物だ。しかし、その手法には、首を傾げざるを得ない。敵が過激派だろうとなんだろうと、結局は、民主主義の基本中の基本であるデュー・プロセスを逸脱したことには代わりが無い。

共産主義が安全を脅かす!という名目だが、結局はもっともらしい顔をしつつも、臆病さを隠すために過剰な反応をしただけのことである。それに、“敵”とみなした“共産主義”自体が何なのか、実のところ彼らは良く判っていない。正しい姿がわからないものとどう戦うというのか。妄想を爆発させるだけ。エドガーたちの行動はまさにそれ。

こう考えると、アメリカが強行に武力を行使するのは、その内なる臆病さに端を発していることがよくわかる。そう、それは世界の警察として、あらゆるトラブルに首を突っ込むかれらの根底には、臆病があるということなのだ。よく軍需産業による経済効果云々という話が出るが、実は関係ない。アメリカが銃社会から脱却することも、同じ理由で今後もありえない。アメリカ人は、究極的に臆病なのだ。

そしてエドガーも同様の臆病者ながら、他の臆病者に付け込んで、権力を簒奪することに非常に長けている。いや、だれよりも臆病者だから臆病者の心の中がわかると言ったほうが正しいだろう。
加えて、マザコンで外国人差別主義者でゲイで出歯亀でギャンブル好きで服装に異常にうるさいんだぜ。おまけにゲイの相手は副長官なんだぜ。まさに怪人。こういう欠陥人間じゃないと、事は成せないといういい例かもしれない。

大統領以上の期間、それ以上の権力を持つ地位が存在すること自体が、アメリカ民主主義の欠陥である。この欠陥は、大日本帝国憲法の軍部大臣現役武官制と元老院制度とどうレベルの欠陥である。
FBIの設立、リンドバーグ法。伝記映画としては非常に優秀…というか、アメリカ人なら知っておかねばいけない事が満載だ。中央に情報を集中するのは結構だか、中央が間違えばすべて間違う。その諸刃の剣こそ、イラク戦争を産んだ。

娯楽作ではないし、受賞歴も芳しくないが、ものすごく意義のある作品だと思う。現在のアメリカの4分の1は、この映画に描かれている事柄が形成しているとすら感じるほど。伝記映画として優秀で、観るべき良作だと思う。ただし娯楽作品だと思って観始めると眠りに堕ちるのは必至。

ディカプリオの演技は、悪くないと思う。クリント・イーストウッドとのコンビにもかかわらず、ここまで評価されないというのは、実に不思議だな。同文化圏の人間には不快に感じられる何かがあるとでもいうのだろうか。

#最後のヘレンの行動が、かろうじてフーバーの志の高さを証明している…そんなところか。

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image1681.png公開年:2000年
公開国:イタリア、チェコ、ドイツ
時 間:176分
監 督:ロジャー・ヤング
出 演:ヨハネス・ブランドラップ、トーマス・ロックヤー、バルボラ・ボブローヴァ、G・W・ベイリー、エンニオ・ファンタスティキーニ、フランコ・ネロ、ジョルジョ・パソッティ、ダニエラ・ポギー、ウンベルト・オルシーニ、ジョヴァンニ・ロンバルド・ラディス




イエスが十字架に架けられてまもなくの頃。エルサレムはキリストの教えを異端として迫害していたが、そのエルサレムを支配下においていたローマ帝国もイエスの弟子たちの行動を問題視しており、鎮圧を指示していた。テント職人として財を成しローマ市民権を保持しているサウロも、イエスの教えを毛嫌いし弾圧していた。彼は、王と大祭司から地方でイエスの教えを広めている者たちを捕らえる命令を受け、友人である祭司ルベンと共に出立するのだったが…というストーリー。

おそらく、カトリック系チャンネルで放送されたTVムービー。CMの境目がはっきりわかる。おまけに前後編に分けるほど長く、2回にわたって放送されたんだろう。
カトリック信者向けに製作されたもので、歴史的な検証とかは度外視されているのが、クリスチャンではない私から見ると、首を傾げたくなる部分が多い。さすがに、パウロの時代に三位一体の教義が確立されていたとは思えない。途中で、「何世紀も…」というのが出てくるが、その時代から“世紀”という通念があるかねえぇ。
このような演出を見れば、本作が熱狂的な信者のためにつくられた作品であって、歴史的な検証には固執するつもりが一切ないことがわかる。
“パウロの回心”これが何だったのか、子供を持つ親や教師の便利な教材として、そして老人たちが「ありがたや~、ありがたや~」となる娯楽作品として、つくられた作品であって、教義にいささかの疑問を沸かせるような点があってはいけないのだ。

とはいえ、パウロが存在しなければキリスト教というものが存在していないほどの人物なのに、彼がイエスの直弟子でないという事実、それどころか、むしろ十二使徒たちは、キリスト教が確立されるにあたっての阻害要因だったという事実をはっきり描いている点は、興味深い。
現存する宗教をちょっと調べてみれば、啓いた人を直接知らない人が躍進させるのはパターン。というか、開祖がいないほうが神格化できて利用しやすいし、現実を知らないので猛進しやすいわけだ。それに、抵抗する人間ほどハマりやすいのは、宗教でありがちでしょ。

まあ、歴史検証的な価値はその程度。すまん。一生懸命価値を見出そうとしたけど、キリスト教徒でない私が引き出せるのはそのくらいだ。無関係の人には価値は無く、これをみて改宗する気になる人が出てくるようなレベルの作品でもない。

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image1707.png公開年:2009年
公開国:ドイツ、ロシア
時 間:112分
監 督:マイケル・ホフマン
出 演:ヘレン・ミレン、クリストファー・プラマー、ジェームズ・マカヴォイ、ポール・ジアマッティ、アンヌ=マリー・ダフ、ケリー・コンドン、ジョン・セッションズ、パトリック・ケネディ 他
ノミネート:【2009年/第82回アカデミー賞】主演女優賞(ヘレン・ミレン)、助演男優賞(クリストファー・プラマー)
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ヘレン・ミレン)、助演男優賞(クリストファー・プラマー)
【2009年/第25回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、監督賞(マイケル・ホフマン)、主演女優賞(ヘレン・ミレン)、助演男優賞(クリストファー・プラマー)
コピー: 大作家と“世界三大悪妻”と名高い 妻ソフィヤとの知られざる愛の物語。

ロシアの文豪トルストイが提唱する自然主義的思想を信奉する人々が、彼の元に集い“トルストイ運動”と称する共同生活を送っていた。トルストイも彼らの実践を評価して、自分の財産のすべてをロシア国民に分配しようと、自分の作品の著作権を放棄しようとする。しかし、50年近くも夫を献身的に支えてきた妻ソフィアには、家族の生活を困窮させるその行為が、とても許せるものではなく、必死に阻止しようとする。そんな中、トルストイの個人秘書として雇われた青年ワレンチンは、その誠実な性格から夫婦各々に信頼され、二人の間で板ばさみになっていく…というストーリー。

悪妻で有名なトルストイの妻と、そこから逃げるトルストイの話。トルストイの作品は読んだことはなくて、『戦争と平和』の映画を観たくらいだな。

本作中の、晩年のトルストイは、私有財産制を否定する活動に夢中になっており、実におめでたい。金持ちが財産を独占するから、貧しい人はいつまでも貧しいんだ!という短絡的な想像しかできない、そんなレベルの老人。
まあ、共産主義国家が成立すれば、すべてが平等になってみんなハッピーと本当に思っていたロシア人たちだもの、文豪トルストイといえども、このくらいのアホ思想に溺れてもしかたあるまい。

しかし、例えば、私有せずに共有化したとしても、その財産を維持するためには、誰かが責任もって管理する必要が生じる。その責任を果たすためには占有が必要なわけで、それは私有と変わらない。色々なケースを想像すれば、私有=強欲ではないケースが多々あることがわかりそうなもの。
無償で管理して誰にでも自由に使わせるのは、単なるボランティア。人のために労働して、その正当な対価を貰うことまで否定するから、共産主義国家は全部崩壊したわけだ。その愚かさは歴史が証明している。トルストイ運動はまるで原始キリスト教のよう。共産主義もキリスト教の変種といわれることがあるが、その指摘が実に腑に落ちる。

また、トルストイは、“自由”について色々語るんだけど、普遍的な自由なんか実際には存在しないということが根本的にわかっていない。この世に存在するのは“○○からの自由”だけである。

始めのほうは、あまり悪妻っぷりは関係なさそうな感じで話は進むんだけど、トルストイがこんなアホな運動をし始めるもんだから、そりゃ奥さんもブチ切れる。トルストイ運動 VS. そんなアホなことをやめさせたい妻。このバトルを展開しながらも、夫婦の間にはこれまで育んできた愛の思い出もある。だから夫婦の間はすぐに破綻するわけではないのが面白い。そして、その間で揺れ動くトルストイ信者の若者が、狂言廻しを演じる。

で、結局、この奥さんは悪妻でもなんでもないのだよ。財産を貧しい人に与えたい夫の意志に逆らって、作品の版権を自分の物にしたい強欲人間だ!なんてのは、トルストイ運動をどうしても進めたいとりまきのクズ人間によって作られた風評。本作を見る限り、その悪妻という評判はウソであることがわかる。
誰がどうかんがえても、トルストイ側がやっていることのほうが、クレイジーである。まあ、どこの宗教団体でも似たようなことやるよね。セクトっていうのはこういう風にできていくんだな…と、変な感心をしちゃった。

こんな感じだから、比喩じゃなく、本当に駅で死んだんだ…というオチが、なんだかアホっぽく思える。だけど、ポール・ジアマッティは、こういう小ずるいクソ人間を演じさせたらピカ一だし、さすがヘレン・ミレンって思わせてくれる圧巻の演技が、佳作にまで引っ張り上げてくれている。まあ、あまり万人が興味を抱くような内容ではないな。




負けるな日本

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image0260.png公開年:1966年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:フレッド・ジンネマン
出 演:ポール・スコアフィールド、ロバート・ショー、バネッサ・レッドグレーブ、オーソン・ウェルズ、ジョン・ハート、ポール・スコフィールド、スザンナ・ヨーク、ロバート・ショウ、レオ・マッカーン 他
受 賞:【1966年/第39回アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ポール・スコフィールド)、監督賞(フレッド・ジンネマン)、脚色賞(ロバート・ボルト)、撮影賞[カラー](テッド・ムーア)、衣装デザイン賞[カラー](Elizabeth Haffenden、Joan Bridge)
【1966年/第32回NY批評家協会賞】作品賞、男優賞(ポール・スコフィールド)、監督賞(フレッド・ジンネマン)、脚本賞(ロバート・ボルト)
【1966年/第24回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ポール・スコフィールド)、監督賞(フレッド・ジンネマン)、脚本賞(ロバート・ボルト)
【1967年/第21回英国アカデミー賞】作品賞[総合]、作品賞[国内]、男優賞[国内](ポール・スコフィールド)、脚本賞(ロバート・ボルト)、撮影賞[カラー](テッド・ムーア)、美術賞[カラー]、衣装デザイン賞[カラー]

ヘンリー8世は、王妃と離婚して宮廷女官のアン・ブーリンと結婚しようする。しかし、離婚にはローマ法王の許可が必要であり、許可を求めるためには、王妃との結婚自体が無効であることを証明せねばならず、それを主張するには、国内の議員たちの賛同、特に偉大な文学者として有名なトマス・モア卿の弁護が必要であった。しかし、トマス・モアは、その深い教養と信仰心ゆえに、頑なに王の要請を拒否し続け…というストーリー。

ヘンリー8世やアン・ブーリン側を描いた作品は多いと思うが(俗っぽくて下品な内容のほうが面白いからね)、それに反して高潔に生きたトマス・モア側を描いためずらしい作品。

その後、煙たがられながらも大法官になってしまたモアは、王の離婚問題をどう片付けるのか?モアは、法治国家の在りようを滔々と語っているけれど、当時としてはかなり先進的な思想の持ち主。結局、筋を通し続けるも、国王側はイギリス国教会の設立を行い、離婚にローマ法王の許可を不要にするというウルトラCを、傍観することになる(傍観というよりも、反対も賛成もしないという態度を貫き通すのだが…)。

はじめは、トマス・モアが高潔なのは結構なことだけれども、単なる反体制思想の持ち主にも見えなくも無い。しかし、家族まで苦境に立たされても、その行く添えを慮りながらも、決して信念を曲げない彼を応援したくなってくる。彼の“生き得ぬ世なら、生きようとは思わない”というセリフが、実にかっこよい。

教科書でチラリとしか名前を見ただけのトマス・モア(むしろ、本作では悪役のクロムウェルのほうが扱いは大きい)。別に新しい概念や事件をおこした人じゃないので、扱いは大きくは無い。でも、本作を観て、その人となりに、物凄く共感して尊敬してしまった。

日本でも第二次世界大戦時に、日帝に投獄されたことを自分の正当性の根拠にする人が散見されるが、そんなチンケなレベルとは違う。彼は執拗に抗った訳ではなく、淡々と主張を貫いただけ。それも理路整然と理性を失わずに。そして、いたずらにそれに対して誇りをもったりもしない。
映画を観て、尊敬できる人に出会えるとは思ってもいなかった。当時のイギリスのチューダー朝の状態や、国内の宗教・政治の状態がすんなりと腑に落ちる。教材としても一流の出来映え。とてもデキのよろしいお薦めの一本。




負けるな日本

 

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image1302.png公開年:1977年
公開国:アメリカ、モロッコ、リビア、サウジアラビア、クウェート
時 間:180分
監 督:マーク・スティーヴン・ジョンソン
出 演:アンソニー・クイン、イレーネ・パパス、マイケル・アンサラ、ジョニー・セッカ、マイケル・フォレスト、アンドレ・モレル、ロバート・ブラウン 他
ノミネート: 【1977年/第50回アカデミー賞】作曲賞(モーリス・ジャール)
コピー:神の声は下った…行けそして戦え!豪壮、華麗!砂漠に燃えるマホメットと殉教の戦士たち!製作費51億円を投じて放つ 感動のスペクタクル巨篇!


西暦610年メッカ。人々はカーバの神殿に数々の神を祭り、偶像崇拝していた。メッカは、マフズーム家やアブド・シャムス家など、一部の者に支配されており、貧富の差が激しく、女性や奴隷は不当な扱いを受けていた。その頃、メッカ近郊のヒラー山の洞穴である男が、神からの啓示をうけたという噂が流れていた。その男マホメットは、唯一絶対の神アラーを信奉し、その預言者として社会矛盾を非難したため、彼とその支持者たちは迫害を受けることになり…というストーリー。

昨日の『アラビアのロレンス』と同じ舞台の中東。テーマでもあるイスラム教、その発生過程を追った作品。マホメットが啓示を受けてから、メッカがまさに“聖地メッカ”になるまでの話である。

キリストの生涯については、色々映画化されているので、目にすることはあるのだが、マホメットの場合は本作以外に聞いたことが無い。おまけに、日本人はイスラム教自体になじみがないので、マホメットがどんな人だったのか知る機会は少ない。コーランは聖書と違って基本的にアラビア語以外に訳することが禁じられているので、勉強しようにもなかなか難しかったりする。

ジャケットのおっさんがマホメットなのか?と思うかもしれないが、イスラム教は一切の偶像崇拝を禁止しているため、マホメットの顔を描くことすら禁忌。冒頭でも説明(言い訳?)されているのだが、本作には一切マホメットの姿は映っていない。じゃあ、どうやってマホメットの生い立ちを語っているのだ?と疑問に思われるだろう。時にはマホメット目線、時には画面の外のマホメットに話しかける、始終そんな感じ。そしてマホメットの言葉は一切音声にはなっていない。宗教上の事情があることは百も承知だが、そうだとしても、とんでもない奇作であることには変わらない。

本当ならば、イスラム教の歴史を知る上での一級の資料だといいたいところなのだが、まったく画面に登場しないので、そのエピソードの時にマホメット本人がいたのか弟子だけなのかがよくわからないのだ。途中、思い出したようにマホメットに話しかけたりするシーンが差し込まれるのだが、さすがに始終それをやってるわけにもいかないし、非常に苦しいところ。
こんなことになるなら、とりあえず誰かに仮に演じてもらって、マホメットを黒塗りにしてもらい、そのセリフは字幕にでもしてくれたほうがわかりやすかったと思う。
#まあ、教義的には、仮に撮影することも許されないし、本当だったらアラビア語以外の音声すらNGのはずだから、無理だろうけど。

いずれにせよ、人種間の平等や男女間の平等を標榜し、非常に社会主義的な思想を根本的な教義としてイスラム教が発生しているのが、よくわかる。そして、“戦う宗教”の要素を早々に帯びて、現在のイスラム=戦闘のイメージの萌芽が見られるところも興味深い。そして、初めの志とは大きく違い、種族間の迫害や女性蔑視が当たり前の現代イスラム世界。彼らは省みるということを知らないのだろうか。その乖離が実に不思議でならない。

国の法と宗教の法が一体であり、宗教の律法のありかたとしては完璧なイスラム教(人々が幸せかどうかは別の問題)が生まれる過程が理解できる作品。神との契約から人間同士の契約の概念は生じているので、イスラム世界でも資本主義経済が発生しておかしくはないのだが、利息を頑なに否定するため、経済活動が発達しないというジレンマを抱えている社会。知らない世界を理解するための扉を開けるという意味では、有益な作品かと。ただし、本作もとにかく流いし、予備知識がなければトンチンカンになるのは否めないので、お薦めはできないけど。
#まあ、やっぱり珍作の部類に入るんだろうなぁ…。





負けるな日本

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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