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公開年:1983年
公開国:日本
時 間:104分
監 督:大林宣彦
出 演:原田知世、高柳良一、尾美としのり、上原謙、内藤誠、津田ゆかり、岸部一徳、根岸季衣、入江たか子、松任谷正隆、入江若葉 他
受 賞:【1983年/第7回日本アカデミー賞】新人俳優賞(原田知世)





高校生の芳山和子は、同級生の堀川吾朗や深町一夫と一緒に理科室の掃除をしていた。和子は実験室で物音を聞き、中に入ってみるが誰もない。床に倒れていたフラスコから垂れていた液体から湧き上がる白い煙の臭いを嗅ぐと、気を失っていしまう。保健室で目を覚ました和子は、先生たちに顛末を話し、再び実験室に行くものの、室内は何事もなかったようにきれいな状態だった。気のせいということで片づけられてしまうが、和子は煙がラベンダーの香りだったことを強く記憶する。その事件の後、和子は同じ時間を繰り返すような奇妙な感覚に襲われるようになり…というストーリー。

自分が今まで観てきた映画を振り返ると、変な言い方かもしれないが、“映画”を映画として認識した初めての作品がこれだと思う。言い方を変えれば、映画というメディアの愉しさを知ったというか…。でも、大林演出は決して好みではないので、それを認めることを拒否する自分もいたりするのだが(笑)。
当時は、ビデオを持っていたわけではないのに、よくもまあ、劇中のセリフや歌を、学校でマネして遊んでいたな…と、思い出すとちょっと驚愕する。♪もも~くりさ~んねん…とか、古文のレ点のシーンとかね。ビデオとかがないから、記憶に焼きつけよう!ってくらいに勢いで、真剣に映画を観ていたんだと思う。そして、デジャビューという言葉を始めて知る映画。

加えて思い出深いのが、この映画に原作があることを知り、筒井康隆の原作を買ったものの、全然違って腰抜かすというアルアル。筒井康隆の存在を初めて認識したのも本作がきっかけ。

いい思い出が、今目の前にいる好きな人とのものじゃなかったとか、結構せつない。このせつなさの“匂い”が、本作の魅力。そして、ラベンダーという“匂い”の小道具。
だれか愛する人が別にいるような…という違和感のために、いまいち相手にされないごろーちゃん、かわいそう!と思いつつ、両方とも記憶が消えているのに、再会したらなんか引っかかるとか、そんなレベルの恋愛あるんか!という、子供には刺激的な衝撃。
で、何で彼女がその力を持ってしまったか、明確な説明はなされないという適度な投げっぱなし感が心地良い。そして、ローテクな合成が、ストーリーにマッチしてるんだよねえ。

本編とは関係ないが、本編のリフレインかと思いきや、突然登場人物が主題歌を歌い始めるというエンディングがあまりにも秀逸。これ映画史に残るエンディングだと思う。なんか知らんけど胃がキュットなる。

角川アイドル路線があったけど、薬師丸ひろ子も渡辺典子も、すぐにちょいヨゴレ入ってたし、真の意味の角川アイドルは原田知世だけだったかも。でも、逆にそこからの展開が難しくなってしまったと。芸能の世界は難しい。
仲里依紗版はおもしろくもせつなくもなかったな。ちょっと前ならももクロの玉井さんとかでリメイクして欲しいが、今の玉井さんじゃちょっと難しいか。

閑話休題。“様式美”と言ってもよいほど監督の色が濃くて、人の心に残るという意味では、日本映画史屈指のユニークさを誇る作品だと思う。
#当時、すごく弓道に魅力を感じたものだが、今観ると、あんなグラウンドでやるのあぶないような気がする。

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公開年:1979年
公開国:日本
時 間:138分
監 督:斉藤光正
出 演:千葉真一、中康治、江藤潤、速水亮、にしきのあきら、三浦洋一、かまやつひろし、倉石功、高橋研、渡瀬恒彦、河原崎建三、角野卓造、鈴木ヒロミツ、竜雷太、三上真一郎、辻萬長、伊藤敏孝、加納正、清水昭博、古今亭志ん駒、佐藤仁哉 小野みゆき、岡田奈々、夏木勲、大前均、工藤堅太郎、仲谷昇、成田三樹夫、中田博久、小池朝雄、田中浩、薬師丸ひろ子、草刈正雄、勝野洋、岸田森 直江文吾、石橋雅史、真田広之、佐藤蛾次郎、中山剣吾、きくち英一、宇崎竜童、中庸助、高橋利道、栗原敏、井上清和、黒崎誠輝 他
ノミネート:【1981年/第9回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】参加作品 
 
伊庭三尉を隊長とする21名の自衛隊員は、日本海側で行なわれる演習に参加するために移動中、400年前の戦国時代にタイム・スリップしてしまう。状況が把握できないでいる中、長尾景虎が家来を引き連れて訪問してくる。時代は、織田信長が勢力を伸ばし、上杉、武田、浅井、朝倉などの勢力が覇を競い合っていた頃だった。景虎も伊庭たちが何者かわからずにいたが、見た目も話す言葉も“同族”であることを知り安堵。さらに、伊庭たちの武器の威力に強く惹かれ、仲間にしたいと考えるのだった。その後、景虎に敵対する勢力によって、仲間が多数死んだことから、成り行きで景虎に加担することとなる。近代兵器の威力で連戦連勝の景虎軍。そして、景虎と伊庭は、戦火の中、心を通じあわせていくのだった。そんな中、かねてから伊庭に反抗していた矢野が、仲間を引き入れて巡視船を強奪し反乱をおこすのだったが…というストーリー。

強力な武器を持った現代人が、戦国時代にいったら、歴史変わっちゃうんじゃね? という、ありがちな想像だけど、想像力がかき立てられる興味深い発想。掘り下げれば掘り下げるほど、おもしろくなるテーマだと思う。

ただ、観始めて30分くらいで、期待したコンセプトとなにか違うな…という違和感を強く感じ始める。タイムスリップした自衛隊員は、戦国時代の兵士たちに襲われる。弓などで襲われるわけだが、いくら中世の兵器とはいえ当たれば致命傷になる。それに対して、ガンガン発砲して圧倒的な武力差によって制圧していくわけだ。全編に渡ってそれが繰り返されるのだが、観ている側の頭に何が浮かぶかというと、補給もないのにどうしてそんなにガンガン使えるんだ? ということ。
節約しなければあっというまにタダの鉄の塊になる。給油もしないで戦車がどれだけ移動し続けられるのか。使えなくなれば、このお話はおしまいなのに。
その最たるシーンが、矢野の反乱を鎮圧した後に、船を沈めたこと。武器も燃料も相当あっただろうに、なんでそんな無駄なことができるのか。まったくもって意味不明。

製作側は、装備がどんどん消耗していくという事実をあえて無視しているように思える。ではその反面、何に焦点を当てようとしていたのか? にしきのあきらと岡田奈々のシーンが象徴する、ああいうセンチメンタルな部分である。さらに、それを多重的にする、つまり群像劇的な演出を施している。
矢野は自衛隊員ではあるが、過激な革命思想の持ち主で、伊庭とはそれがらみで因縁があるという設定もそのひとつ。設定自体は問題ないのだが、そのくだりで、所詮、専守防衛の自衛隊なんておままごといっているようで(というか明確に言っているのだが)、当時はそれなりに説得力があったのかもしれないが、今観るとなんかカチンとくる内容だったりする(が、それは別の話)。

で、このいかにも人間ドラマ的で群像劇的な演出は、はたして良い効果を生んだか否か。さらにそれを、SF的観点(決められた自衛隊の装備で、戦国時代でどこまでできるか? という“if”)とバーターにしなければいけない理由はなんだとのか?

別に、両方やっちゃいけない理由は何も無いわけで、単なる無敵な魔法道具をもった集団としか描いていない点に違和感を感じる。やはり、もうちょっと戦略的な部分にスポットを当てて欲しかったと強く思う。そのおかげで、武田軍との戦闘で劣勢になっていくシーンに、まったく深みが無くなってしまっている。一番のクライマックスのはずなのに、正直、眠りそうになった。

で、そこが眠りそうになるくらいつまらないことに、製作側も気付いていたのか、真田広之や薬師丸ひろ子などJACや角川関連の目立つ役者どころをチョイ役で出してみたりするのだが、まさに付け焼刃。
でも、逆に言えば、本作における付け焼刃的演出が、ものすごいとも言える。JACのアクション、自衛隊装備のそれなりのリアルさ、まったく現代の建造物などが見えない場所でのロケーション。何とかしなければマトモな映画にならないという、現場のがんばりというか焦りが伝わってくるようだ。

まあ、結果的には、コンセプト構築の段階で失敗している。旬のいい魚を仕入れたのに、カレーに入れちゃうんだ…的な、感覚になる作品。

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公開年:1980年
公開国:日本
時 間:158分
監 督:深作欣二
出 演:草刈正雄、渡瀬恒彦、夏木勲、千葉真一、森田健作、永島敏行、ジョージ・ケネディ、ステファニー・フォークナー、オリヴィア・ハッセー、グレン・フォード、ロバート・ヴォーン、チャック・コナーズ、多岐川裕美、緒形拳、ボー・スヴェンソン、エドワード・ジェームズ・オルモス、丘みつ子、中原早苗、ヘンリー・シルヴァ、セシル・リンダ 他




1982年、陸軍細菌研究所から新種の猛毒ウイルスMM-88が盗まれた。その細菌はマイナス10℃で増殖を開始し、0℃を超えると強い毒性を現す。MM-88を盗み出したスパイは、小型機でアルプス越えを図るが、吹雪の影響で墜落。細菌は飛散してしまう。やがて春になると、モンゴルで羊の集団死や、中国でのアヒルの大量死に始まり、イタリアでは乳幼児が次々と意識不明になる病気が蔓延し、通称“イタリア風邪”と呼ばれるように。そのまま猛威は衰えることなく全世界に拡散。初夏になると、東京でも次々と死んでいく人が路上に溢れるまでになっていた。そんなニュースを受信した、南極昭和基地では、隊員たちが残してきた家族の身を案じていたが、どうすることもできずにいた。そんな中、アメリカのホワイトハウスでは、連日閣議が開かれており、バークレイ上院議員が、ガーランド将軍が政府に内密に開発した細菌兵器MM-88であることを付き止めるのだったが…というストーリー。

市川崑以上に仕事のバリエーションが多彩な深作欣二の作品。同じ小松左京原作の『日本沈没』よりも本作のほうが面白かった。実際、興行収入も本作のほうが1.5倍だった模様。制作費も相当なものだろう。本当に南極ロケが必要だったかどうかは、甚だ疑問だが。

草刈正雄演じる吉住が、潜水艦から廃墟とかした東京を、潜望鏡から眺め、絶望するシーンからはじまる。どうしてこうなったのか?という疑問を観客に抱かせる構成はよい。

(ちょっとネタバレ)
極寒の中では活動しない細菌という設定。南極観測員だけが生き残るという設定。放射線が当たると無毒化するという設定から、クレイジー将軍によるオート核戦争による細菌消滅という流れ。こうやって簡単に書くと陳腐に思えるかもしれないが、とても収まりのよいストーリー展開。昨今のSF映画でこんなにきれいに流れるものは少ないと思う。

『日本沈没』というのは基本的に日本のドメスティックな展開で進むのだが、実際、海外と無関係ではすまないわけで、観ながら色々考えないわけにはいけない。色々考えるなかで、それはちょっと無理があるんじゃないか?とか、疑問を抱かせる余地が多分にある。本作の場合、全世界レベルでドンドン死んでしまうので、それを考える余地はない。この割り切りが実に功を奏している。

南極以外の人間の生存がほぼ絶望視される中、南極にいる人間は男855人と女8人、食料や燃料は2年分。南極の派遣される人たちなので、そこそこ英語が喋れる研究者も多く、南極臨時政府と作り、普通にコミュニケーションをとるのも、まったく不自然さがない。これも設定の勝利。
生物の種は個体数が500を下回ると、ほぼ滅亡するともいわれているが、人数もなかなか絶妙。ただ、女性数が極端に少ないのはいまよりも女性の社会進出が進んでいない時代だと考えるとこれまたリアル。

早々に種の存続の問題に直面。だけどこのくだりは、一人の女性隊員のレイプ事件から端を発する。本当は性処理の問題なのだが、さすがにそういう直球にするわけにもいかなかったのだろう。子孫を残すという崇高な目的のために、体を奉げるという設定になっている。ちょっとエグいけど、タイトルが“復活”の日だからしょうがない。
でも、どうがんばっても1年に8人しか生まれないわけで、種の存続としてはいかがなものか…という気が。せめて気に入った人との子供を生ませてやれよ…とも思うが、そうなると、男同士で争いが起こるってことなんだろう。まあ、納得はできるか…。そのおかげで、吉住と、オリヴィア・ハッセー演じるマリトとの悲恋に繋がるわけだが。
#両者のはじめの出会いがマリトの出産のお手伝いってことなのだが、大体にしてなんで妊婦が南極にいるんだよ!っていう疑問はあるよな(笑)

で、冒頭の東京の惨劇を潜望鏡で覗くシーン。彼らは、ニューヨークのクレイジー将軍が発動させてしまった、核防衛システムを止めに行くその途中に寄り道したものと思われる…、、、ん?ルート、遠回りじゃねぇか?とっとと大西洋を北上しろよ、一刻を争うんだから…。これも、本作の数少ない穴の一つだな。まあ、その他、都合良く、ニューヨーク上陸と同時に大地震がおきるというのも都合が良すぎる…。。

運よくワクチンが効いていた吉住。アメリカ大陸を南下。水分をサボテンで摂っていたのはわかるが、脊椎動物に等しく害を為すという細菌なので、どうやて食いつないでいたのか(魚はセーフというのはちょっと都合が良すぎるような)。それはそれとして、ボロボロになりながら(おそらく精神を病みながら)、生き残った隊員とその子供たちと再会。そこまでいったら、そのシーンがどういう意味を持つとか、どうでもいいラスト。

悪くない作品。というか、日本SF映画で、一番成功した作品かもしれないね。

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公開年:1997年
公開国:日本
時 間:115分
監 督:佐藤純彌
出 演:緒形直人、ジョイ・ウォン、本田博太郎、小松みゆき、小野賢章、片岡礼子、小島一慶、坂上忍、佐藤蛾次郎、長谷川初範、ケント・ギルバート、北大路欣也、丹波哲郎、哀川翔、大竹まこと、下絛アトム、引田天功 他






第二次大戦中に消失した北京原人の頭蓋骨を、2001年、日本の生命科学研究所が東シナ海の海底に沈んでいた船の残骸から発見する。研究所は、その頭骨からDNAを採取し、北京原人を蘇らせる計画に着手する。日本政府が打ち上げた有人シャトルにてDNA操作を行い、見事に実験は成功するが、その時隕石がシャトルに衝突。原人のDNAを積んだポッドが地球に落下してしまう。幸いにして日本の領海内の島でポッドは発見され、島には親子と思われる3人の北京原人が元気に活動しており…というストーリー。

『幻の湖』を観たら、もう一本のトンデモ作品を観たくなって早速レンタル。いやいや、さすがですわ。もう、箇条書き状態でいいだろうか。

ジョイ・ウォン演じる中国人研究者。「ニホンのヒコキにケキチンサレタンデス」それが喋れるんなら通訳いらねえだろ。ポイントだけ喋らせたい演出意図はわかるけど不自然すぎる。「私たちは北京原人を奪ったのではありません。返してもらったのです!」っていうセリフは、あまりに中国らしすぎて、今じゃ放送できないレベルかも。
手錠ハメられた瞬間に、血がでるほど赤くなるかよ。ジョイ・ウォンがらみは変なところが盛りだくさん。それに気付かない監督の負の才能がすごい

もっともらしいDNA複製の説明が入るのだが、これが1980年代の映画だっていうんならわからなくもないが1997年だからね。『ジュラシック・パーク』って1993年だよ。それを考えると、本作の科学描写が稚拙極まりない。
日本が有人シャトルを打ち上げただけで大事件なのに、その中で極秘に実験をするなんてことが可能なわけもなく、宇宙飛行士としての訓練をまともしていない研究員を搭乗させるのも、荒唐無稽すぎる。
さらにDNAの複製だけじゃなく、なんで“時間反転”とかワケのわからないことをしちゃうのか。急速に成長させたいので、無理矢理持ってきた設定だと思うが、そんな仰々しい設定をもってこなくて話は成立すると思うんだ。特別な培養方法で2,3年で成年になる。そのために無重力空間が必要だった…とかでいいじゃない。落下してくるのが、2,3年後でもストーリーには何の問題もない。
っていうか、待てよ?発見されている頭骨は一つだぞ。そこから何で3体の原人が復活できるんだ??????

北京原人が女性研究員を襲う設定、必要かな。丹波哲郎演じる研究所の偉い人が、人非人ってことを表現したいんだけど、なんか取って付けたようだよね。てか、3人の原人は家族の設定じゃないのかな。フジ・タカシ、ヤマト・ハナコと苗字をわざわざかえてるのは何でだろう。一夫一婦制ではないっていう設定?よくわからん。

トンデモの一番の最大要素である、北京原人を陸上大会に出すシーン。これ意味あるかな?北京原人の子供を客席に座らせる必要あるかな?競技場に集まったマスコミ、「あれ、おかしくないか?」おかしいよ。誰がどう見ても(笑)。

そういえば、『幻の湖』でも、主人公は走ってたよな。トンデモ作品は“走らせる”ようだ。頭がおかしくなった監督や脚本家は、走らせたくなるらしい。他にも共通点はある。それほど豊満ではない女性の裸の露出。なんだろう、この印象的な共通点は。心理学的な研究の対象ではなかろうか。
ちなみに、現在公開中の『ガッチャマン』は本作の監督の息子らしいね。トンデモを生み出す力も遺伝するのか、これも研究の対象ではなかろうか(笑)。
あれ、北大路欣也と長谷川初範が出てるぞ。この二人『幻の湖』にも出てる。3大トンデモ作品の二つに出てるって、役者のキャリアとしてどうなんだろ。

終盤になると、科学描写は破綻を極める。成体のマンモスが登場。いつの間に?ストーリー的に、マンモス必要か?と思うだろうが、おそらくDNAからの再生技術があるんだよ…という補足設定のためと、最後にマンモスに乗った画が欲しかっただけだろう。

DNAで再生した北京原人に、50万年前の記憶がある???はぁ?ここまでくると、もうどうにでもして…って感じ。噂どおりですわ。

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imageX0069.Png公開年:1973年
公開国:日本
時 間:140分
監 督:森谷司郎
出 演:藤岡弘、いしだあゆみ、小林桂樹、滝田裕介、二谷英明、中丸忠雄、村井国夫、夏八木勲、丹波哲郎、伊東光一、松下達雄、河村弘二、山本武、森幹太、鈴木瑞穂、垂水悟郎、細川俊夫、加藤和夫、中村伸郎、島田正吾、角ゆり子、梶哲也、稲垣昭二、内田稔、大木史朗、吉永慶、宮島誠、大杉雄二、神山繁、高橋昌也、近藤準、竹内均、石井宏明、今井和雄、早川雄三、中條静夫、名古屋章、斉藤美和、大久保正信、アンドリュウ・ヒューズ、ロジャー・ウッド、大類正照、小松左京 他


ある日、小笠原諸島の一部の島が一夜にして消えてしまう。深海潜水艇の操艇者・小野寺と物理学者の田所たちは、その原因を突き止めようと日本海溝を調査する。その結果、異様な海底異変を発見。いま日本の海底で何かが起こりつつあることを検知する。やがて、伊豆天城山が爆発すると、相次いで三原山と大室山が噴火する。地震問題に関する学者と閣僚たちは懇談会を開催。いずれのメンバーも楽観的な意見を述べていたが、田所博士だけが列島の異常を警告する。しかし、彼の意見は狂人のたわごとと一笑に付されるのだった。しかし、その後、田所は政財界の黒幕と噂される渡という老人に呼び出され、昨今の地震や噴火について問いただされる。後日、政府の人間が田所を訪れ“D計画”への参加を要請する…というストーリー。

今は亡き竹内均先生が、若き姿で、丹波哲郎演じる総理大臣にプレートテクトロニクスを説明している。NHK教育の地学はよく観ていたなぁ。今でこそ、プレート・テクトロニクスはあたりまえだし、何といっても東北太平洋沖地震を経験してしまって、絵空事だなんていう気なんか微塵もないわけだけど、当時はどうだったのか。

パニックムービーに違いはないのだが、本作で描かれているのは、日本列島の終末を知ってしまった人々の苦悩。自分の立場で、今何ができるのか…という、折れそうな心を振り絞って、知恵を出し体を動かす様子にスポットが当たっているところが良い。この作品が持つ、緊迫感と虚無感は今観ても秀逸だった。

個人的には、小野寺が結婚して日本を脱出すると打ち明けられても、これまで一緒に調査してきた政府の人や研究者たちが「そうかそうか」と納得しちゃうところがおもしろかった。不思議な達観の境地というか、腹が据わってしまった人間の価値観がうまく描けていると思う。

全部救えないなら、言わないほうがいいんじゃないのかっていう意見も当然出てくる。時代が違うな…と思う部分も多々ある。一切、文化財的なものを退避しようとか、当時、そういう価値観がないことがわかる。いまでこそ、日本の文化は世界から着目されているが、当時はそれほどでもなかったのだろう。今なら、そこそこの文化財ひとつで2万人くらい引き取ってくれそうじゃん。
欧州じゃ移民で痛い目にあっているが、それでも、お行儀がよくてある程度の資産と技術をもってくる日本人は、ウェルカムだろう。今なら、日本企業が海外の企業と合併して、社員とその家族単位で移住してくる…なんて展開もあるだろうね。

ギリギリになって手を差し伸べるのが中国だというのは、失笑。公開の1年前に日中国交正常化があったので、なんとなくわからないではないけれど、当時の中国が万単位の人間を救助できるほど船を持っていたとは思えないし、無条件でそんなことするわけないがな。行ったら、奴隷だかな。でも、韓国に行くと銃殺されるらしいよ(そこは本気で笑った)。

ネット上では、本作の特撮のデキに文句をいっている輩が多いのだが、この作品の特撮のデキは物凄くよい。ミニチュアセットの映像と、実際に人が歩いてる映像の合成がものすごくシームレス。

ラストは非常にあっさり終わってしまって、そこだけが残念。オチは“日本沈没”なので見えているので、最後に締まりがなくなっちゃうのは仕方が無いのだが、だからこそ、最後はヒューマンドラマなり、ヒロイックなシーンを差し込んだりして、人間のがんばりで感動させるべきなんだけどね。
草なぎ剛が演じた2006年のリメイク版では見事にその点を補っていたんだけれど、他の部分がまるでクソだったので、如何ともし難い。リメイクでリスペクトしたつもりが、むしろ侮辱になっているという…。

藤岡弘も丹波哲郎も、コミカルというか何か締まらない感じなることが多いんだけど、本作での彼らはなかなか。秀作な一作。

 

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image1800.png公開年:1974年
公開国:日本
時 間:94分
監 督:福田純
出 演:藤岡弘、由美かおる、草刈正雄、加山雄三、若山富三郎、内田勝正、スティーブ・グリーン、岡田英次、睦五郎、ジミー・ショウ、ロジャー・ウッド、ウィリー・ドウシー、山谷初男、ロルフ・ジェッサー、ゲルマン・ライナー、フランツ・グルーベル、バート・ヨハンソン、デュケネ、ギンター・グレイブ、ダンハム、ヘンリー、ジュリー・クラブ、ケリー・バンシス、高村ルナ、アンドリュウ・ヒューズ 他



国連の秘密組織'“エスパイ”に所属する田村とマリアは、テストレーサーの三木をスカウトする。エスパイは、超能力を悪用する逆エスパイと呼ばれる悪の集団と戦う超能力者集団である。田村とマリアは三木の強力な念動力に目をつけたのだ。やがてエスパイたちは逆エスパイによるバルトニア国首相暗殺計画の情報を察知し、それを阻止するために行動を開始する…というストーリー。

藤岡弘が主演で東宝製作だからなのか、レンタルビデオ屋で特撮ヒーローの棚にあったぞ(笑)。特撮といっても、ちょっとしたオプティカル合成と模型の爆破ぐらいで、もちろん変身ヒーローも怪獣も出てこない。せめてSFの棚だろ。

加山雄三、若山富三郎と無駄に豪華俳優が並ぶし、トルコロケにヨーロッパロケと時代を考えると結構な制作費だったのではなかろうか。
無駄なお色気シーンに、冒頭とラストに流れるムード歌謡。当時、どういう思惑があったのかはわからないが、プロモーション的に迷走した跡が伺える。由美かおるは同じお色気ショットのカットを何回も何回も使われて、ちょっとかわいそう。

タイトルの“エスパイ”てのはエスパーなスパイってことなんだろうけど、“エスパイ”の発音が“眠たい”のイントネーションなのが気になる。“ネクタイ”のイントネーションだと思うんだけど…。

エスパイという正義の組織があって、逆エスパイという悪の組織があって、逆エスパイが企んでる何かをエスパイが阻止するというお話で、至極単純。
#悪の組織名が“逆エスパイ”というのもなかなか新鮮なのだが、エスパイあっての逆エスパイなわけで、逆エスパイの行動を阻止するために存在するのがエスパイという本末転倒な命名に、首を傾げざるを得ない。
超能力といっても念動力、透視能力、予知能力、幻覚能力、読心力等々、色々あると思うのだが、それぞれがどういう能力に長けているのか、いまいち面白く描けていない。サイボーグ009にしろ幻魔大戦だとその辺のギミックやキャラ付けがしっかりしているのだけれど、その辺が極めて浅い。
そんな調子だから、ヨーロッパで鐘の音の超音波で苦戦するというシーンがあるのだが、とても変テコ。老師とやらが(何者だ?)自分の力の限り超音波を阻止すると言うのだが、超音波なんだから、耳にちり紙で栓でもすりゃいいだけだと思うのね。脳に直接送り込まれる波動だ!とかそういうのではないのだから(敵はヘッドホンして防ぐいでるんだし)。

その辺の浅さが究極的に残念なのが、ラストの展開。大悪人だったけど、そういう事情があったのね…程度の内容で映画を締められてもねぇ。せめて、若山富三郎演じる悪の首領ウルロフの悲惨な過去を回想シーンとして挟むとか、いやたとえそんな過去があったからといってダメなものはダメなんだ!俺なんかはこういう経験をしてこう悟ったぜ!だから俺はお前を認めないぜ!とか、そういう正邪のバトルくらいやってもらえないとさ。それに加えて、バトル上の仕掛けとかもあるとよかった。

しかし、わざとくだらなく極めてマンガチックに描こうという意図があるんだとは感じる(劇画マンガ的にという表現が正しいかな)。ノリで突っ走ろうという姿勢は評価したいし、製作姿勢として正しいと思う。だけど、それなら、もっと人間ゆえの苦悩とか、恋愛のもつれとか、不必要に愛や正義を振りかざすとか、スポ根かよ!って思われるくらいのアホなノリにもっと徹してほしかった。

小松左京さんもお亡くなりになったことだし、もう一回つくってもいいくらいのプロット・設定だと思う。もちろんラストの一捻りは必要だろうけど。
『修羅雪姫』クラスのブッ飛び作品だったり、トンデモ作品だっていうなら、是非モノでお薦めしたところなんだけど、意外と観られるレベル。ということで、逆にお薦めしにくい。凡作。




負けるな日本

 

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image1478.png公開年:1978年 
公開国:日本
時 間:105分  
監 督:深作欣二
出 演:ビック・モロー、フィリップ・カズノフ、ペギー・リー・ブレナン、真田広之、岡部正純、志穂美悦子、千葉真一、成田三樹夫、天本英世、佐藤允、織本順吉、丹波哲郎、三谷昇、サンダー杉山、中田博久、林彰太郎、小林稔侍、ウィリアム・ロ 他





惑星ジルーシアは邪悪な皇帝ロクセイア率いるガバナス帝国に占領された。ジルーシアの長老は、遥か彼方にある太陽系に向けて“リアベの実”を8個放ち、リアベの実に選ばれた8人の勇士を導くために孫娘のエメラリーダと戦士ウロッコを送り出す。この実を手に入れた8人の勇者がガバナスとの壮絶な戦いを繰り広げる…というストーリー。

“東映特撮ヒーロー THE MOVIE”という、昔の東映まんがまつりの特撮作品だけをまとめたDVDがあるのだが、その中に『宇宙からのメッセージ 銀河大戦』というTVシリーズを編集した1本があった。TVシリーズは観たことがないのだが、石森章太郎作のマンガ(たぶんTVマガジンだと思う)で、ある星で巨大な蟹に襲われて戦うのだが、じつはその蟹の甲羅がやわらかくて…みたいなエピソードがものすごく記憶に残っている。
いや、まてよ。たしか『宇宙からのメッセージ 銀河大戦』って一番はじめは映画だったよな…。噂では知っていたが、そういえば観たことないぞ…と思い出し、本作をレンタルしてみたのだ。

実は、本作、製作までの経緯がとても興味深い(というかワタシ的に言わせてもらえればフザけているのだが…)。元々、別の特撮映画の企画進行中だったが、海外で『スター・ウォーズ』が大ブームの報を聞き、日本で『スター・ウォーズ』が公開される前に、似たようなのやっちゃおうぜ!ってことで、企画を変更。突貫工事で製作されたのが本作なのだ。
噂に聞けば、『スター・ウォーズ』がヒットといっても、それを海外で実際に観たものは数名で、ほとんどのスタッフが断片的な情報を元に、模倣に走ったとのこと。できうるかぎりのSF要素に八犬伝のモチーフを加え、なんとか映画にした感じである。

そんな作品なのだが、その後の特撮で多様されるような技術も初導入されており(光がぴゅんぴゅん飛ぶような合成)、日本特撮界的にはパイオニア的な部分もあるのだが、実はその技術の用い方で、技術に対する考え方が、日米で異なっていることが露見している。『スターウォーズ』では、様々な特撮技術が、製作者の脳内にあるイメージを実現するための“こだわり”に利用されているのに対して、本作では実現したいイメージを安易に(安価にというのが正しいか)表現するために用いられているのだ。同じく目的を実現するためでも、前者はより研ぎ澄ますために、後者はちゃっちゃっと作るために、この差は大きい。この姿勢は、作品の端々に現れる。戦闘機内のパイプや計器、ヘッドセットなど、普通の電気街や工具店で民生品として売っているようなものを流用。宇宙時代の酒場のキッチンにも民家にあるような食器棚、服装も商店街で売っていそうなジャケット、等々、細部へのこだわりは何も無いのだ。
映画の出来不出来を云々言う前に、もう、この姿勢にうんざりしてしまう。

実は、本作のDVDには、当時の製作発表のCM(映画館で流したもの)が入っている。『未知との遭遇』『スターウォーズ』に続いて『宇宙からのメッセージ』だ!(って、スターウォーズは公開していないわけで、逆にスターウォーズの宣伝になってやしないかい?)。海外スターの起用で大作っぷりをアピール。そのCMの中での特撮は結構まともで、期待が持てるのだ。でも、煽るだけ煽って、出来上がったものは、こだわりのかけらもないレベル。ストーリーも陳腐でガッカリしてしまう。
これでよしとする、深作欣二っていうのは、いったいどういう神経をしているのやら(まあ、深作欣二って人の作品でよいと思ったものはあまりないので、なんか本作を観て、その理由がわかった気もするんだけどね)。

ちなみに、本格SF作品とうたっているわりには、口に酸素マスクだけをつけて宇宙空間に飛び出し、さらにすいすいと手足で掻き分けて前に進んだり方向転換するなど、科学常識を著しく無視(それも、ジョークでやってるとは思えない感じで)。これをSFといった時点で、総スカンだと思うのだが、一体なにを考えているのか。

アメリカで『スターウォーズ』をやっているときに、日本ではコレ。その後、アメリカのSFX技術はCGをいう武器を得てますます発展し、日本では特撮ヒーロー番組は、息も絶え絶えながら何とか生き延びている状態。この差はなにか。映画技術に対する、真摯な姿勢と敬意の違いだ。ちょくちょく苦言を呈しているが、ライティング一つとっても大違い。日本映画は、もっと技術に敬意を払いなさい。

もちろん、珍作を観たいという人以外は観るまでもない。

#ちなみに、TVシリーズの『宇宙からのメッセージ 銀河大戦』は『スターウォーズ』公開後にTV放映されているのだが、チューバッカ的なキャラが登場するなど、より『スターウォーズ』へのパクリ度は増し、それに反比例し特撮技術は程度が落ちていく。チューバッカ的なキャラなんか、口すら動かないのに流暢にしゃべるのだ。いくら子供番組でも、笑いを通り越して怒りすら覚えるね(でも、なぜか、日本でも流行らなかったのに、フランスでは人気があったという。不思議だね)。

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