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公開年:2014年
公開国:アメリカ
時 間:117分
監 督:ジョゼ・パヂーリャ
出 演:ジョエル・キナマン、ゲイリー・オールドマン、マイケル・キートン、アビー・コーニッシュ、ジャッキー・アール・ヘイリー、マイケル・K・ウィリアムズ、ジェニファー・イーリー、ジェイ・バルシェル、サミュエル・L・ジャクソン 他
コピー:半分人間、半分ロボット 最強の警官誕生。




2028年。ロボット・テクノロジーの分野で支配的な地位を占める巨大企業オムニコープ社は、軍事用ロボットを世界各国で販売し、巨大な利益を得ていたが、アメリカ国内での配備は、法律で禁止されていた。事業拡大を目指すオムニコープ社は、その法案を廃止するために、積極的に議員たちへの働きかけたり、TV番組を使って世論誘導を試みるも、ことごとく阻まれていた。アメリカ国民は心の無いロボットを配備することに懸念を抱いていると分析したCEOのレイモンド・セラーズは、機械のボディに人間の頭脳を融合させたサイボーグならば、受け入れられると判断。サイボーグ技術の権威であるデネット・ノートン博士を抜擢し、『ロボコップ』計画を立ち上げるのだった。被験者に選ばれたのは、デトロイトの警官アレックス・マーフィ。彼は、自宅前に停めていた車に仕掛けられた爆弾により、体の多くの部分を欠損するほどの重傷を負っていた。彼の妻の同意を得たノートン博士は、アレックスの身体のほとんどを機械に改造し、ロボコップとして蘇らせるのだが、元の体がほとんど残っていないことにショックを受け、死を望むアレックス。妻子のためにも生き続けろというノートン博士に説得され、アレックスはロボコップとして生きることを受け入れたものの…というストーリー。

1作目の監督であるポール・ヴァーホーヴェンが『トリック』内で述べていたように、同じ毛色の作品を続けて作ることに意味あるの?2とかクソだったでしょ?(意訳)と発言していたが、さて、完全に1作目のリメイクある本作はいかがなものか。
1作目の音楽を使用しているのだが、それを聞くと何故か1作目を汚されているような気分に。やはりヴァーホーヴェンの言っていることが正しいのか?と思えてくる。
障碍者用ロボットが実用化されつつある今の時代、それほどSF的な感じもしない。さらに、話がロボットとの反応速度の違いとか、議会の理解を得るために“人間らしさ”が必要とか、ロボコップ計画が始まるまでの展開がまわりくどい。

1作目の、社内派閥の対立っていう構図が判りやすかったし、企業の都合と権力を持った一社員によってグイグイとプロジェクトが進む展開に、そら恐ろしさを感じたものだが、本作では企業のトップと現場の科学者との軋轢と、それに翻弄されるマーフィーという構図になっている。

世界各地で軍事用ロボットが使用されているが、アメリカ国内では使用を禁じられている…という設定については、世界中で使用されているのに、アメリカが使わないなんてことがあるか?と一瞬思うが、現在でも国際関係においてアメリカは国内外でダブルスタンダードな違う対応をしているし、意外と聖書ファンダメンタリストによる非科学的な教育がまかり通ったり、アーミッシュみたいなのが存在するわけで、この二面性は現実的である。そして企業が世論操作のためにメディアを利用している点についても。でもそれは、現実的であるということではあるが、SF的というか未来を予見しているわけではない。つまり、舞台設定に夢はない(明るい・暗いは別にして)。“暗い社会”という意味ではゴッサムシティに近いかもしれないが、“何でもアリ”な舞台設定でもないのでワクワクしたりはしない。

また1作目と大きく異なるのは、マーフィーの妻の扱い。1作目では彼はただただ死んだ扱いになっており、“疎遠”になるだけだった。後で会いにいくこともできたんじゃねーの?という僅かな疑問を残したりしたものだ。本作では、ロボコップになることも把握しており、妻も子も夫の“帰還”を待っているという設定。この違いは大きくて、話の大きな軸になっている。いや、むしろこの一点で1作目とは別の話になっているともいえる。

劇場公開時のCMやキャンペーンでは、新作ロボコップの“黒いボディ”が殊更強調され、旧作ファンから強い批判と失望の声があがった。確かにCMなどで紹介されていた黒いボディにはロボコップらしさは皆無だった。“そんなのロボコップじゃねえ”本作がヒットに至らなかった大きな理由の一つであろう。

しかし、実際本編を観てみると、それほど違和感を感じない。あの頭部のシェードのデザインがロボコップらしさを削いでいるのだ。それ以外のデザインは悪くない。さらに、黒いボディ自体が、“人間の心を喪失した姿”の象徴でもある(プロトタイプ時点や、一段落したラスト付近では、元の銀のボディだったりする)。その姿だけをプロモーションで強調したのが良くない。

また、あまりにスピーディすぎて重厚感皆無であることも指摘されていたが、その点も、あまり違和感を感じなかった。“ライバル”となるロボットたちや犯罪者たちのスピード感、そして彼らが保持する重火器の威力を考えると、ノッシノッシ動いていたらただただ的になるだけだし、全部の攻撃を受けきれってしまったら、それはそれでリアリティに欠けてしまっただろう。
結論を言えば、黒いボディではなく、その前後のシーンをCMに使えばよかった。ただそれだけのこと。あとのストーリー展開は悪くない。十分に愉しめた。

ただ観終った後、ふと思い出したのは、“なぜ片手を生身で残したのか?”銃を撃つシーンの為だとすれば、逆に何の効果も生んでいない。残った片手に子供との思い出を蘇らせる何かがあるとか、息子が生身の手に触れて父親との絆を感じるとか、そういうシーンはなかった。前半に無駄に夫婦のエロシーンを入れたせいで、片手を残したことで下衆な勘繰りをさせる余地を与えたのは、失敗かも(そんな勘繰りをする奴はいないって?いや、それなら逆に手を残す演出上の意味がない)。

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公開年:2009年
公開国:ロシア
時 間:106分
監 督:ドミトリー・キセレフ、アレクサンドル・ヴォイティンスキ
出 演:グレゴリー・ドブリギン、エカテリーナ・ヴィルコワ、ヴィクトル・ヴェルズビツキー、ワレーリー・ゾロトゥーヒン 他







大学生のディマは、貧しい家の生まれ。真面目で正義感は強いがいまいち野暮ったくて、女性にはモテない。新入生のナスティヤに一目惚れするが、高級車を持っている金持ち同級生にかっさらわれてしまう。自分も車が欲しいと思うがもちろん手が出ない。そんなある日、誕生日に父親から車をプレゼントされる。しかし、ボロボロのソ連時代の国民車ヴォルガ。乗っているのを友人に見られるのも恥ずかしいほどだったが、プレゼントしてくれた両親の手前、乗らないわけにもいかない。しかし、ひょんなことから、そのヴォルガが、空を飛べる能力を備えたスーパーマシンであることを知ってしまい…というストーリー。

“ナイトライダー”なんていうタイトルだから、あのアメリカドラマのリメイクかと思ったら、ぜんぜん違った(笑)。だってジャケット画像、黒い車だよ?(まあよく見たら、古臭い車なんだけどさ)。さらに、観始めたら舞台はロシア。っていうか根本的にロシア映画。
まあ、同じように騙された(?)人は多数いるだろうが、騙された人の半分は、案外満足したんじゃないかな。絶対B級作品だと思うだろうけど、本作のVFXやCGは侮れない。もう5年以上前の作品だけど、日本映画でこのクオリティ、出せないだろう。

監督の一人ドミトリー・キセレフは、『ナイト・ウォッチ』『デイ・ウォッチ』の人だし、製作のティムール・ベクマンベトフは『ウォンテッド』の監督で、それなりに一線で仕事をしている人だから、このクオリティも頷けるというもの。

共産時代のロストテクノロジーが飛ぶ車とか、主人公の貧乏学生のコンプレックスとか、ストーリーは結構よくある流れというか、王道路線。
ボルガに乗ってる人はだれだ?のくだりとかおもしろい。父親のくだりとか、完全にスパイダーマン入ってるけど、むしろ、スパイダーマンより不自然さはない。ロシア映画界、中々やるじゃんって感じ。ナイトウォッチから断然成長してる。

ただ、いつも言うことだけど、悪役が弱い。都市の下にある岩盤の下に大量のダイヤモンドがあるから、スーパーテクノロジーを使って掘るとか意味不明。次世代燃料などの資源があるとかならわかるけど、ダイヤモンドみたいな嗜好品が大量にあったって、値段が暴落するだけじゃないか。なぜ必死に掘ろうとするのかまったく理解できない(っていうか、製作側も深く考えていない)。
そして、ヒロインがはじめは金持ちになびいていたことと、勘違い展開があまりにアホすぎるせいで、いまいち恋愛方面のストーリーが応援できない点。まあ、難点はそこくらい。

燃料切れの後は少しだけ活動できるという説明とか、あまりにもわかりやすい伏線だけど、ティーンを鑑賞対象にしているなら程よい線だろう。軽い娯楽作品としては、十分すぎる出来映え。ハリウッドに寄ってはいるが、微妙に違う雰囲気も愉しめる。

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公開年:2011年
公開国:イタリア
時 間:83分
監 督:アントニオ・マネッティ、マルコ・マネッティ
出 演:エンニオ・ファンタスティキーニ、フランチェスカ・クティカ、ジュリエット・エセイ・ジョセフ、アントネット・モローニ 他
コピー:拷問反対。






中国語翻訳の仕事をしているガイアのもとに、中国語の同時通訳の依頼が入る。厳しいスケジュールだったのではじめは断ろうと考えたが、2時間2000ユーロという高給を提示され、引き受けることに。しかし、待ち合わせの場所へ出向くと、目隠しされて謎の地下施設に連れて行かれてしまう。そこでは“ワン”と呼ばれている中国系の人物への厳しい尋問が行われていたが、尋問者であるイタリア秘密警察のキュルティが中国語を解さないため、彼女が通訳として呼ばれたというわけだ。しかし、ワンは暗闇の中に座らされており、ガイアはその顔を見ることができないまま仕事を続ける。文化交流のためローマに来たというワンの態度は非常に友好的で愛嬌すら感じられるほど。しかしキュルティは、その応えをまったく信用せず、ただただ厳しく尋問するばかり。おまけに、キュルティの質問は荒唐無稽で、その意図がまったく見えないガイアは混乱していく。そして次第に尋問がエスカレートし、拷問に発展していき…というストーリー。

設定を思いつき、オチも明確にイメージしていることがよくわかる。オチに向けてグっと集約させていく、良いシナリオの作り方だと思う。ただ、邦題が邦題まだけに、ワンさんが宇宙人であることが明白。DVDのジャケットや裏パッケージを見れば、そのまま内容が明確に載っているので、冒頭のワンさんの姿が現れるまでの演出が、わずらわしくてしょうがない。

タイトルやジャケット画像の雰囲気はコメディ然としているが、まったく違うシリアスなノリ、雰囲気で始まる。その後もコメディ要素は薄い。

エスプリとまで言ってよいかはわからないが、移民がヨーロッパを侵食していく現在の様子が反映された作品なのかなと思う。はじめは友好的にマイノリティらしく殊勝にしているが、しばらくすると、元のコミュニティを破壊して、自分たちのルールを当然の権利として主張してく。
そういう裏に潜む製作意図はよくわかるのだが、演出自体があまりおもしろくない。ずっと尋問が続くんだけど、尋問の丁々発止がぜんぜん面白くない。機関側が何かをつかんでいて、それを執拗に探っている感じじゃない。。一応、宇宙人が何かをつくっていた“らしい”とか、二週間も潜伏していたっていう、疑いたくなる事象はあるんだけど、ただそれだけで、ずっと手さぐり。宇宙人もただ来ただけですってノリ。
通訳のガイアが、宇宙人が正しいのか、尋問している機関が正しいのか揺れるような展開にしたほうがよさそうなものだが、攻める機関、ただ攻め続けられるかわいそうな宇宙人という構図が一切変わらない。飽きる。

(以下ネタバレ)
最後のオチがはっきりしているのはわかる。ガイアがすっかり宇宙人に騙されるというオチ。ワンさんが「お前バカだな」というシーン。そこだけがやりたかった作品。
移民を受け入れて、軒を貸して母屋を取られている人に対して「お前バカだな」と言いたい。障碍者を“聖人”扱いして、むやみに尊重して、トータル的に住みずらい社会にしてしまっているエセ人道主義者に対して「お前バカだな」と言いたい。その一ネタだけで引っ張った作品。

でも、映画の演出ってそれだけでいいのかな。もっと正しいのか間違ってるのかの間をガイアが揺れる様子を見せるべきじゃないかな。簡単に言えば、秘密警察側も正しいのかも?と思わせる何かがあるべきで、それでも宇宙人の方が上手でした…という展開があるべき。
また、真実がわかったあとの展開を何一つ用意していないのもセンスがない。思いつきだけで、走り切ってしまった作品だな…と。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:ポール・ハフ
出 演:ポール・マッカーシー=ボーイントン、エディ・マッギー、トリスタ・ロビンソン、T・アーサー・コッタム、ドミツィアーノ・アルカンジェリ 他







街にいたはずなのに、突然見たこともない場所に立っている80人の人々。老人、子供、妊婦、障碍者、様々な人種の人々で、同じ街にいたであろうということ以外に共通点はない。呆然としていると、突然声が響く。それは耳から聞こえているのではなく、直接頭に届いている模様。声は淡々と何かのルールを読み上げる。「勝者はただ一人」「学校、家、刑務所は安全地帯」「矢印から外れたら命はない」「2周遅れたら命はない」「草に触れたら命はない」「レースを拒めば命はない」そして、スタートの号令。何のことかわからずにいる中、一人が草むらに足を踏み入れると頭部が爆発。指示に従わなければ同じ目にあうことを察した人々は、矢印の方向に一斉に走り出す。このレースの意味がわからないまま、ルールから逸脱した人はどんどん死んでいき…というストーリー。

明らかに『CUBE』や『ソウ』などのライン(というか注目のされ方)を狙った作品。低予算、アイデア勝負で映画界に爪痕を残すぜ!っていう貪欲さが見て取れる(悪いことじゃない)。

ある意味、一発ネタで押し切った作品なので、細かいストーリーは言わないでおこう。

確かに目的も誰の仕業かもわからない中、人間の醜さが次々に表出する地獄絵図が展開される。子供は殺さないというハリウッドの不文律も破棄。何の落ち度もない老人も妊婦もどんどん殺す。聾唖者であることをいまいち生かし切れていない部分はあったが、障碍者だって健常者と同じ人間で、健常者の中にクソ人間がいるように、障碍者の中にもクソ人間はいるし、障碍者の性欲だって健常者と同じという、よく考えればあたりまえのことだけど、障碍者を聖人扱いしがちな世間に一石を投じている部分は、個人的に評価したい。

あれ、この聾唖者2人って、いつのまに2周追い抜いた?とか、肝心の2周追い抜きルールがわからなくなってしまうところがある。もうちょっと工夫できなかったかな…と、そこは残念。

最後の大風呂敷の広げ方は、もうマトモなオチが思いつかずにやっちゃったでしょ!って感じ。次はSFにならざるを得ない。続編も視野に入れているなら、なかなか難しい方向性を選択しちゃったと思う。
宇宙人さんには宇宙人なりの苦痛を与えているみたいだけど、別ルールで勝ち上がってきた両者をどういう今日つルールで戦わせようとしているのか…までは、考えてないだろうな(笑)。

悪くなかった。軽くお薦めしたい。

デジタルビデオ画質というか、CG処理の稚拙さのせいなのか、画質の安っぽさはどうにかしたほうがよかったと思う。ポストプロダクションでデジタル映像をマットな感じに加工してるのだろうけど、人間の目は意外と違和感を察知する。なんなら編集後に、いったんフィルムに焼き直すとか、したほうが楽に雰囲気をつくれたかも。
評価が低いのは、案外これあ原因かも。

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公開年:1958年
公開国:アメリカ
時 間:82分
監 督:アーヴィン・ショーテス・イヤワース・Jr
出 演:スティーヴ・マックィーン、アール・ロウ、オーリン・ハウリン、アニタ・コルシオ 他







アメリカの田舎町。郊外の森に隕石が落下。様子を見に行った老人がそれにふれると、ゲル状の物体が付着する。宇宙生物らしいそれは、腕を侵食し簡単に剥がすことができない。老人が苦痛に叫ぶ声を上げて道路まで這い出たところに、スティーヴとガールフレンドがのった車が通りかかる。スティーヴは老人を車に乗せ、病院まで連れて行く。ハレン先生は、ちょうど学会に向かうために外出するところだったが、老人の腕の様子をみて治療を開始する。スティーヴはハレン先生から、老人を救出した場所あたりの様子を調べてほしいを言われ、現地へ向かう。しかし、ゲル状の物体は老人の体をすっかり捕食して大きくなり、ハレン先生や看護婦まで犠牲となってしまい…というストーリー。

『マックイーンの人喰いアメーバの恐怖』という名前の場合もあり。こちらのほうが内容にマッチしてる。古典SF映画の典型例みたいな作品だが、ゲル状の宇宙生物ということで、ローテクながらもそれなりの特撮になっている。企画力の勝利か。

宇宙から飛んできた隕石が、そんな形状のままで、地面にほぼダメージがないとかありえねーわ(笑)とか、そういうのはご愛嬌。昔の知識なんてそんなもの。時代も差し引いて“味”だとおもって観るべし。

初感染にいたる展開の速さは、悪くない。あまり観客に粗隠しさせる暇を与えないというのも、この手の映画の重要テクニック。すごく狭い範囲内だけでストーリー展開したり、それが深夜であることも、同様の演出効果。

マックィーンが、いまいち若者にみえないからアレなんだけど、SF要素と並行して、やんちゃな若者の冒険譚にもなっている。敵対する若者同士や、彼らを目の敵にする警察官との高圧的な大度とか、若者を抑圧するだけの大人たちとか、そういう街にあるギスギスした関係が、この宇宙生物に抗うことで解消されていくという流れも。

冷蔵庫の伏線とか、子供にも分かりやすいレベル。娯楽作品を作ろうという姿勢が見えて好感がもてる。

でも、科学知識的にはやっぱりヘンテコ。CO2じゃなくても冷たきゃいんじゃね?氷とかさって思う。「CO2」とか言わないで「冷たいのが苦手だよー」って言ったほうが話通じるだろ…とかね。
そして、最後は思わず「いやいやいやいやいやいやいやいや、、、、、」って口に出ちゃう。冷蔵庫に入れておこうよ。栄養が追加されなきゃ大きくならなそうだし、密閉容器に入れておこうよ。深海でいいじゃん…とかね(笑)。

『ブロブ』というリメイク作品がある模様。ちょっと探してみようかな。 

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公開年:1978年
公開国:アメリカ
時 間:119分
監 督:ブライアン・デ・パルマ
出 演:カーク・ダグラス、ジョン・カサヴェテス、エイミー・アーヴィング、チャールズ・ダーニング、キャリー・スノッドグレス、アンドリュー・スティーヴンス、フィオナ・ルイス、キャロル・ロッセン、ルターニャ・アルダ、ウィリアム・フィンレイ、デニス・フランツ、ダリル・ハンナ、ローラ・イネス 他





1977年。元アメリカ合衆国最高特務機関の諜報員ピーターは、アフリカのカサブランカで、息子ロビンと生活していた。妻はロビンを生んだ直後に亡くなっている。一度もアメリカで生活をしたことがないロビンは、高校卒業後にシカゴの大学に進学することが決まっている。ある日、2人が海水浴場で過ごしていると、突然アラブ系集団の銃撃を受け、ロビンが誘拐されてしまう。実は、ロビンは念動力を駆使できる超能力者で、その能力を諜報活動に利用しようとしている組織の仕業だった。誘拐の手引きをしたのが同僚のチルドレスであることを知ったピーターは、ロビンを追ってシカゴへ向かい、パラゴン研究所につとめる恋人のヘスターに協力を依頼する。一方、シカゴには、17歳のギリアンという少女がいたが、彼女も超能力の持ち主として諜報機関に目を付けられていた。彼女の能力は、怒りや嫌悪の感情のエネルギーを触った人間に伝播し、相手の体内から血を噴出させ、死に至らしめてしまうという過激なもので…というストーリー。

『キャリー』の爆発的な猟奇シーンだけを抽出して増幅したような作品なのだが、“超能力”表現を過多にすれば恐怖が増すかといえばそうでもないところが、映画の難しいところ。触った相手を破壊するだけでなく、未来予知までできちゃうという能力のインフレ具合が、安っぽさを増してしまった遠因か。

ただ、普通の監督が同じことをやれば間違いなくB級になってしまったところを、踏み止まらせているところが、デ・パルマの力なんだろう。普通の工作員モノのテイストで始まるんだけど、そこに無造作にぶち込まれる超能力描写、それらの振幅が独特の雰囲気を生んでいる作品。
人間性を不条理ともいえるほど踏みにじる存在の象徴として“超能力”を扱っており、

シナリオ上の明確な欠点があると感じる。ピーター、ロビン、ギリアンの3人をバランスよく扱ってしまったため、ポイントが散ってしまった点。ギリアンを主役にして、親子のストーリーはギリアンと関わる中で徐々に明かしていけばよかったと思う。役者の格の問題だと予想するが、カーク・ダグラス成分を強くしたのは、結果的に失敗に見える。シカゴにいる恋人(?)が死んでしまって、俺に関わるやつは皆死んでしまう…的な描写は、判らんでもないが、いいオヤジが悦に入っていて気持ち悪く見える。

最後は、飛べるくらいの能力を発現したなら、もっとどうにかなりそうなもんだけどな…という、もやもやで終わってしまったも残念。好きな人もいるだろうけど、私的には凡作。

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公開年:2005年
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:109分
監 督:ガース・ジェニングス
出 演:マーティン・フリーマン、サム・ロックウェル、モス・デフ、ゾーイ・デシャネル、ビル・ナイ、ジョン・マルコヴィッチ、ワーウィック・デイヴィス、アンナ・チャンセラー、ケリー・マクドナルド、アラン・リックマン、スティーヴン・フライ、イアン・マクニース、ヘレン・ミレン、トーマス・レノン 他
コピー :DON'T PANIC



ある日、世界各国の上空に無数の宇宙船が突如出現し、アナウンスを開始。太陽系に銀河バイパスを作るために、建設予定エリアにある地球を爆破するとのこと。施工を担当するヴォゴン星人によって、地球はあっさりと爆破。ところが、イギリス人のアーサー・デントだけが生き残ってしまう。彼を助けたのは15年来の親友フォードだったが、実はフォードは異星人で、宇宙を旅するためのガイドブックで銀河系最大のベストセラー『銀河ヒッチハイク・ガイド』の編集を務める人物。2人はヴォゴン建設船団の宇宙船をヒッチハイクして爆発を逃れたのだ。しかし、ヴォゴン星人のジェルツ大尉は、ヒッチハイカーが大嫌い。2人は拷問された末、宇宙空間に放り出されるのだが、たまたま通りかかった銀河系大統領ゼイフォード・ビーブルブロックスが乗る“黄金の心号”に救出される。しかし、ゼイフォード大統領は、職務を放棄してとある計画を進めている真っ最中で、銀河政府から執拗に追跡されている状況で…というストーリー。

印象的なイルカのくだりからはじまる。イルカは地球で2番目に賢い動物で、人間が1番ではないということなので、別に1番の動物がいるということ。そこは一応伏線になっている。

SFパロディと称されることが多いが、あまりパロディ的要素は前面には出てこない。捏ねくり廻すような説明など、いかにもイギリスらしいアイロニーあふれるコメディである一方、単なるおふざけかと思いきや、半分は哲学的な思索で出来上がっている作品。銀河系大統領は究極的にくだらない人物なのだけど、彼が追い求めている“謎”が究極的に哲学的な内容だったりする。この振幅こそが、本作の魅力だろう。ノリが掴めれさえすれば、非常に愉しめると思うが、乗り損ねて置いてきぼりにされたらポカーンとなる。

原作ありの作品らしいが、おそらくそのせいで、映画上本当に必要なのかどうかわからない設定が散見される(フォードとゼイフォードが腹違いの兄弟とか)。上に書いたイルのくだりもそうなのだが、伏線なのかストーリー上無視していい小ネタなのか判然としないエピソードが波状攻撃で押し寄せてくる感じ。それぞれにメリハリが無いので、全部頭に入れようとするとちょっと疲れちゃうレベル(これも、脱落者を生む要因)。

実は他にも生き残っていた地球人女性トリシア。どうも彼女の行動がわからん。大統領に好意があるのか、アーサーに気があるのか、途中でよくわからなくなる場面がある。こういうところをみると、ヘタクソな監督なのかな…と感じる。全体的に勢いで乗り切ろうという意図がみられるが、むしろ本作は、もっと緩いペースでじっくり描いた方が、おもしろくなったと思う。

ちょっとネタバレぎみだけど、地球のバックアップのくだりになると、ポカーンとなった人もちょっと目が醒めるだろう。哲学的な思索が発展していけば当然宗教的な領域に踏み込まざるを得ないわけだが、“天地創造”を揶揄する展開に。でも、タブーを犯しているな…という背徳感までは生まれていない。もうちょっと突き抜け感が欲しいところ。

他のSFコメディとは一線を画すセンスなので評価したいが、おそらくその魅力は原作に盛りだくさんなのだろう。映像化したメリットは“無限不可能性ドライブ”の表現くらいだろうね。微かにお薦め…くらいの表現に留めておくことにする。まあ、典型的なカルト作品だ。
#イルカに単独で地球を離脱できる能力があり、且つ危機を伝えるという指名が無いのなら、なぜ新地球に存在するのか…という単純な疑問が湧いたが、どうでもいい話かな…。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:ギャヴィン・フッド
出 演:エイサ・バターフィールド、ハリソン・フォード、ベン・キングズレー、ヴィオラ・デイヴィス、ヘイリー・スタインフェルド、アビゲイル・ブレスリン、アラミス・ナイト、スラージ・パーサ、モイセス・アリアス、カイリン・ランボ、ジミー・“ジャックス”・ピンカク、ノンソー・アノジー、コナー・キャロル 他
ノミネート :【2013年/第19回放送映画批評家協会賞】若手俳優賞(エイサ・バターフィールド)


近未来。昆虫型異星生命体フォーミックが突如襲来し、壊滅の危機に瀕する地球。人類はメイザー・ラッカムという献身的な英雄の行動によって、辛くも絶滅を逃れる。再度侵攻された場合に備え、国際艦隊は世界中から優秀な子供たちを徴兵し、宇宙空間に設置した訓練施設“バトル・スクール”でエリート戦士育成を行うのだった。そんな中、訓練長官のグラッフ大佐は、一人の少年に注目する。その少年は“サード”と呼ばれる政府の特別許可で生まれた子供で、名前はエンダー。政府は人口抑制政策を行っており、2人しか子供を作ることは許されていなかったが、上の2人の子供が優秀だったウィッギン家に特別許可が与えられて生まれた。特別扱いされた存在であるが故、スクールでは孤立しいじめにあっていたのだが、いじめがエスカレートしたその時、自分より体の大きないじめっ子たちを、完膚なきまでに痛めつけ制圧するのだった。その様子を見たグラッフ大佐は、エンダーこそ求めていた子供だと色めき立ち、ウィッギン家に直接出向いてバトル・スクールへスカウトするのだった。スクールでも、特別扱いされたために孤立気味だったが、その才能をめきめき開花させ、情け容赦ないいくつもの試練をクリアし、ドラゴン隊指揮官に任命されるまでに成長するのだったが…というストーリー。

『エアベンダー』とか『アフター・アース』の臭いがして、非常にイヤな予感がしたんだけど、結果的にはセーフだった。ほどよい漫画加減の作品で、『スターシップ・トゥルーパーズ』のような、シニカルな演出がない。純粋に、スクールの様子がワクワクする。行くところ行くところでイヤなやつが現れて、それを乗り越えていく展開は、ガラスの仮面とかのノリ。そして、主人公はがなかなか人たらしなのもおもしろい。最終的にどういう話に展開してくのか、先が見えない感じを常に漂わせており、あらゆる出来事のすべてが、全部、彼を鍛えるための仕掛けにおもえてくるのもおもしろい。

宇宙に上下なんかないのに、上下の概念があることを笑ったエンダーのことを、こいつは賢いとグラッフ大佐は褒めるのだが、乗り物の構造上 上下はあるだろうに、それが頭がいいことになぜなるのかさっぱりわからない私。
また、今そこに地球が滅びたら元も子もないという危機があるというのに、エンダーの命や人生を第一に尊重しようとする、少佐や姉。あまりのノンキ具合に、非常に違和感を感じると共に、女性をバカにしてるのかなな?とすら思えてくる。こういう中二病的な演出が実に多くて、やっぱり漫画的。

(ちょっとネタバレ)
ずっとゲームなんだよなーーと思ってたら…というオチなんだけど、軽く原爆投下批判とかアメリカ批判が入っているね、こりゃ。

そりゃ、コミュニケーションがとれりゃ世話ないけど、世の中そんな簡単にはいかないわさ。一回、絶滅の危機に瀕するところまで追いつめられてるんだから、攻撃するがな。それを責められてもなぁ…という思いになる私はクソ大人かな。最後は、いかにも青臭い終わり方だけど、これも中二病的。なかなか楽しい漫画だった。

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公開年:1991年
公開国:フランス
時 間:100分
監 督:ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ
出 演:ドミニク・ピノン、マリー=ロール・ドゥーニャ、ジャン=クロード・ドレフュス、カリン・ヴィアール、ティッキー・オルガド、アン=マリー・ピサニ、エディス・カー、チック・オルテガ 他
受 賞:【1991年/第4回ヨーロッパ映画賞】プロダクションデザイン賞(衣装:Valerie Pozzo di Borgo、セット:ミリアン・クレカ・クリアコヴィッチ)
【1991年/第17回セザール賞】脚本賞(ジル・アドリアン、ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ)、新人監督作品賞(ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ)、編集賞(エルヴェ・シュネイ)、美術賞(Jean-Philippe Carp、ミリアン・クレカ・クリアコヴィッチ)
コピー:肉踊る世紀末の巴里へようこそ。

核戦争から15年後、人々は少ない食料をあさるようにして生きている。パリ郊外に“デリカテッセン”という肉屋があったがなかなか繁盛していた。肉屋は、建物の上の階をアパートにしていたが、どこか気味の悪い住人たちばかりだった。ある日、ルイゾンという小男が職を求めてやってくる。丁度、空き部屋ができたので入居するルイゾン。実は、肉屋の主人は、入居者をおびき寄せては、食肉として処理して売っており、住民たちもそれを承知で肉を買っているのだ。アパートの上階に住む肉屋の娘ジュリーは、とても気さくなルイゾンに好意を寄せ、彼が次の餌食になってしまうことが堪えられなくなってしまう。そこで、肉食主義者を憎む菜食主義者の秘密結社“地底人”と手を結び、ルイゾン救出作戦を敢行する。しかし、次の肉を待ち受けている住民たちも激しく抵抗をして…というストーリー。

まず、核戦争から15年後の世界という説明がない。DVDジャケットを見ればどうみてもスプラッタホラーだと思う人が多いだろう。食人鬼のお話だと思って観始めたのに、だんだんとひとつのアパート内で繰り広げられる群像コメディーみたいな流れになっていく。はじめは人肉だと知らないで買ってるのかな?と思っていたが、だんだんと判って買っていることが見えてくる。さらに“地底人”が登場してきたあたりで、世界観がやっと理解できる。

上のあらすじを読めば、ものすごいシンプルなストーリーなのだが、丁寧な説明を省くことで観客の頭に「何がおこってるんだ?」「何だこれは?」という意識が生まれる。それにジュネ監督お得意の、赤みがかった独特の画質が加わって、観客を惹きつける。次作の『ロスト・チルドレン』にも通じる質感。いずれにせよ、このような構成・ストーリー配分の作品は、他にはないと思う。

同じくフランス人監督であるリュック・ベッソンの長編デビュー作は『最後の戦い』もディストピア物だ。他にも、日本人は変態で猟奇的だ…という設定がフランス人は大好きだね。フランス人って、社会を壊す設定が好きだよね。基本的に彼らはアナーキストなんだと思う。

良い意味で期待を裏切ってくれた、一言で称すれば“心地よい毒”という感じの作品。世界観を理解してホラーではないことは認識したものの、はたして近未来SFなのか、コメディなのか、ジャンル分けが難しい。
#レンタルショップでも、ホラーに並んでいることあるよね。
映画史に輝く孤高の作品といってもよいほどのユニークっぷりなのだが、世界観がつかめた後は、単なるドタバタ対決になってしまうのが唯一残念な点か。肉屋亡き後の地域社会はどうなってしまったのか興味が沸いたのだが、そこの説明ももちろんない。投げっぱなしな感じで、消化不良だったかも。
#“これ”を“之”と書く字幕翻訳のセンスがよくわからん。

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公開年:1954年
公開国:アメリカ
時 間:76分
監 督:ジャック・アーノルド
出 演:ジュリー・アダムス、リチャード・カールソン、リチャード・デニング、ウィット・ビセル 他






地理学者カール・マイアはアマゾン河沿岸で指に水かきのある化石を発見する。その報告を受けて、リード博士らによる探検隊が組織された。一行が“黒い入り江”で調査中に、未知の生物が網にかかる。大暴れしたために惜しくも捕獲できなかったが、爪を残していった。未発見の生物の存在が明白となったので、志気があがる一行。その後、未知の生物が半魚人のような姿をしていることを知ったリードは、水中カメラをつかって撮影を試みるが、ウィリアム博士が功をあせって捕獲しようと攻撃したために逃がしてしまう。その際に手負いとなった半魚人は、怒って乗組員の1人を襲撃し殺害。そこでリードは、木の根から抽出した毒薬を河に流す作戦を敢行。半魚人は怒り狂って船を襲い、同乗していたリード博士の許婚ケイをさらって、水中に逃げようとし…というストーリー。

まあ、隠してもしようがないのだが、はじめっから、半魚人が登場しちゃう。当時の技術を考えれば、この半魚人の造形こそが、作品の全てってことなんだろうと思う。確かに、今見ても秀逸なデザインだと思うし、水中を泳いでも滑稽に見えない可動性はすばらしいと思う。

ただ、やっぱり“出オチ”なのだ。一生懸命、科学的な冒険映画を目指しているのが伺える。アマゾン川がデボン紀から変わってない…なんて表現がそれなんだけど、化石とミイラの区別も満足についていないような不自然な描写をしてみたり、アマゾン河の水が澄んでいたりと、すぐにボロが出ちゃう。

半魚人捕まえようと探索。追い詰めると反撃されて、バトル。都合よく探検隊に動向しているヒロインが襲われたそうになったり、さらわれそうになったりというお約束展開。なかなか半魚人も賢いしぞ!バトルの行く末は?!と、盛り上がるところなのだが、まあ盛り上がらない。
科学路線で盛り上がれないと、怪奇路線に方向転換。怪奇路線でダメなら、冒険小説路線で。それでもダメなら…と、逃げのシナリオだから。

歴史的な意味で価値のある作品だとは思うけれど、内容はクソつまらない。本当に半魚人の造形だけで歴史に名を遺している作品。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:132分
監 督:J・J・エイブラムス
出 演:クリス・パイン、ザカリー・クイント、ゾーイ・サルダナ、ベネディクト・カンバーバッチ、ジョン・チョー、サイモン・ペッグ、カール・アーバン、ピーター・ウェラー、アリス・イヴ、ブルース・グリーンウッド、アントン・イェルチン、ノエル・クラーク、ナズニーン・コントラクター、アマンダ・フォアマン、ディープ・ロイ、クリス・ヘムズワース、ジェニファー・モリソン、レナード・ニモイ、アイシャ・ハインズ、ジャック・ローファー、リー・レハーマン、スコット・ローレンス 他
ノミネート:2013年/第86回アカデミー賞】視覚効果賞(Pat Tubach、ロジャー・ガイエット、Burt Dalton、ベン・グロスマン)
【2013年/第67回英国アカデミー賞】(Pat Tubach、ロジャー・ガイエット、Burt Dalton、ベン・グロスマン)
【2013年/第19回放送映画批評家協会賞】視覚効果賞、アクション映画賞、SF/ホラー映画賞
【2014年/第23回MTVムービー・アワード】悪役賞(ベネディクト・カンバーバッチ)、フェイバリット・キャラクター賞(ベネディクト・カンバーバッチ)
コピー:人類最大の弱点は、愛だ。

西暦2259年。艦長ジェームス・T・カーク率いるUSSエンタープライズは、惑星ニビルを探査中にその星が大噴火の危機に瀕していることを知る。星の住民を救うために、火山を冷却するが、冷却装置を設置にいった副艦長スポックが事故によって取り残される事態に。救出に向かえば、星の住民にエンタープライズ号を見られてしまい、調査対象の生活に影響を与えてはいけないという規則を犯すこととなる。しかし、カークはスポックを救い、地球に帰還。その重大な違反の責任を問われ、艦長を解任されてしまう。一方その頃、ロンドンで爆破事件が発生。首謀者はスターフリートの隊員、ジョン・ハリソン。その対応のため、全艦長・副艦長会議が召集されるが、その会場もハリソンに攻撃されてしまう。その後ハリソンはクリンゴン人が支配する惑星クロノスに逃亡。この緊急事態に、エンタープライズ艦長に復帰したカークは、新型爆弾を搭載して、惑星クロノスに向かうのだったが…というストーリー。

冒頭、映像の美しさと反比例して、何をやってるんだかさっぱりわからなくなってしまったが残念だった。地元民の文化に干渉してはいけない…何となく判るけど、変装して地元民の中にいった理由がわらん。変な巻物を奪ってたのとか。それが調査なの?星がピンチとその潜入に繋がりはあるの?火山がどうのこうのじゃなくて、盗賊まがいのことしてるの?わかんないなぁ…。

私、トレッキーじゃないし、TVシリーズも観てない。前作も2009年だから4年前だし、全然覚えてないわ。
一番混乱したのは、若いスポックが、老け顔のスポックを呼び出して相談するシーン。前作で、未来からスポックが来てバルカンの復興をしているっていう内容だったね。まだいるわけだ。微かに覚えてる。これは、覚えてない人が多いでしょ。冒頭に前作のあらすじとか4、5分くつけたほうがよかったと思う。
#タイムマシン&パラレルワールドを一作目でやっちゃう罪は小さくないかな…。ヘビーなファンだとそう思わないのかもしれないけど。

また、ハリソンの行動の動機が、話が進むにつれて一枚一枚明らかになっていくのだが、判明する陰謀が、後付け&後付けに感じられてしまう。

まあ、悪いところはこれ点くらいだ。若いクルーたちの滾る感情が弾ける青春アクション物。はじめから最後まで、友情を軸に話が展開してるしね。
コアをガンガン蹴ってたけど、全然直りそうもない角度で蹴ってた。そういう細かさにこだわっていないので、SF要素はあまり感じない。

疾走感、観客を置いてきぼりしない状況説明の巧みさ、ドキドキハラハラのさじ加減。スケールが大きくなりすぎても、興ざめさせない。本当にうまいJ・J・エイブラムス。万能血液とかなんの意味があるんだ?と思ったけど、きちんと伏線になっていたし(とってつけた感はあるけど)。
愉しかった。軽くお勧め。

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公開年:1983年
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ジョン・バダム
出 演:マシュー・ブロデリック、ダブニー・コールマン、ジョン・ウッド、アリー・シーディ、バリー・コービン、ジュアニン・クレイ、ケント・ウィリアムズ、デニス・リップスコーム、ジョー・ドーシー、アーヴィング・メッツマン、マイケル・エンサイン、ウィリアム・ボガート、スーザン・デイヴィス、ジェームズ・トルカン、デヴィッド・クローヴァー、ドリュー・シュナイダー、ジョン・ガーバー、ダンカン・ウィルモア、ビリー・レイ・シャーキー、ジョン・スペンサー、マイケル・マドセン、エリック・スターン、アラン・ブルーメンフェルド、モーリー・チェイキン、アート・ラフルー、ウィリアム・ ・メイシー 他
受 賞:【1983年/第37回英国アカデミー賞】音響賞
  
 
北米防空司令部は、核ミサイルの発射命令が実際に機能するか確認するため、演習を行った。しかし、22%の兵士が核ミサイル発射のボタンを押すことを躊躇うという結果に。これはシステムに人間が介在する限り避けられないと主張するマッキットリック博士は、すべてコンピューターにまかせるべきだと主張する。バリンジャー将軍は強く反対するが、防衛プログラムを搭載したコンピューター“WORP”が採用され、各地のミサイル発射拠点には兵士が配置されなくなってしまった。シアトルの高校生デイヴィッドは、学校の成績は悪かったが、コンピュータ技術に関しては天才的。学校のコンピュータに、自宅のパソコンから電話回線を介して侵入し、自分の成績を書き換えたるなどしていた。ある日、コンピューター雑誌を読んでいると、プロトヴィジョン社が新ゲームを発売するという広告が目に止まる。売り出し前にタダで遊びたいデイヴィッドは、プロトヴィジョン社のコンピューターにプログラムがあるに違いないと考え、プロトヴィジョン社のある地域の電話番号に総当りでアタックをかける。数日後、とある正体不明のコンピュータへの接続に成功。複数のゲームプログラムを発見するが、その中には、砂漠戦争、生物科学戦争、世界全面核戦争と物騒なものが。それらプログラムにはパスワードがかかっていて起動できないプログラムのリストにあった“フォーケン”について調べると、コンピュータの権威で既に死亡していることが判明。同級生のジェニファーのの言葉をヒントに、フォーケンの息子の名前“ジョシュア”を入力すると対話式のプログラムが起動しはじめる。そしてデイヴィッドとコンピューターは世界全面核戦争ゲームをすることになるのだが…というストーリー。

公開当時は「ありえねー」状態だったと思うが、30年以上経った今となっては、むしろリアル感が満載だ。実際に政府組織のサーバにクラッキングなんていうのは、たまに聞く話。ヒューマンエラーについての議論なんて、今こそ一般的な話題。未来をいってた作品だね。冒頭の“訓練”の緊迫感がハンパないのだが、舞台背景をすっかり説明しきっているというのも秀逸。

この監督さんの計算通りだったのかどうかは微妙なところなのだが、本作には、これぞ映画の醍醐味っていう要素が詰まるだけ詰まっている。巻き込まれ系であり、弱者の大冒険であり、クライシス物であり、大権力の追跡から逃れるサスペンスであり、プログラムの秘密を追う謎解き物語であり、そのために旅をするロードムービーであり、世界を救うヒーロー物であり、俯瞰で見れば高校生に手玉に取られる国防システムというシニカル風味満載だし、もちろん純粋なSFである。

高校生の主人公なんかどうでもよくなっちゃうくらい、すっかり話しが大きくなりすぎるのだが、最後に一山、デイヴィッドに見せ場をつくるところもウマい。最後の“ジョシュア”との対戦も、人工知能という興醒めしがちな要素も、コンピュータに現実の世界では勝ち負けなんか存在しないことをシミュレートさせて、“つまらない”という結論に導くというオチ。往々にして反戦メッセージが臭くなりがちだけど、それがシニカルさの裏に潜んでいる程度に抑えられているのもGOODだと思う。

彼女の役割が不要かな?と思わせつつ、きちんと背中を押す役割を果たしている。本当に無駄の無い、娯楽作品のお手本のような作品。名作だと思う。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:ニール・ブロムカンプ
出 演:マット・デイモン、ジョディ・フォスター、シャールト・コプリー、アリシー・ブラガ、ディエゴ・ルナ、ワグネル・モウラ、ウィリアム・フィクトナー、ファラン・タヒール、ブランドン・オーレ、ジョシュ・ブラッカー、エマ・トレンブレイ、ホセ・パブロ・カンティージョ 他
コピー:彼の余命は、あと5日――。



2154年。人口増加と環境破壊で荒廃が進んだ地球では、富裕層だけが400キロ上空に浮かぶスペースコロニー“エリジウム”に移住していた。エリジウムは、完全管理された清浄な環境。さらに、あらゆる病気を正確に診断し瞬時に治療してしまう医療ポッドがあり、人々は快適で安全な生活を謳歌していた。一方、地上は人口過密がさらに進み、犯罪と貧困が蔓延していた。マックスは強盗の罪で収監されていたが、心を入れ替えてロボット工場アーマダイン社での過酷な勤務を続ける毎日だった。そんなある日、マックスは工場のラインで大量の放射線を浴びる事故に遭ってしまう。余命5日と宣告された彼は、エリジウムにあるという医療ポッドで治療を受けるために、かつて付き合いのあったレジスタンス組織と接触。エリジウム行きのチケットを要求。しかし、交換条件として提示されたのは、とある作戦を遂行する工作員となることだった…というストーリー。

主人公は元犯罪者で今も自分の命のために不法行為を犯そうとしている人間。だから感情移入できないとか野暮なことは言わない。相手もクソ組織だからね。ある意味、崩壊社会であがく、虐げられた階層民による立派なレジスタンス物として成立しているとは思う。『第9地区』の監督さんなだけあって、スラムの描き方は堂に入っている。

ただ、なんでもかんでもバックボーンを丁寧に説明するのが良いわけではないのだが、本作は表現不足が目立つと感じた。
悪い舞台設定ではないのが、医療ポッドを地球の人間が使えない理由がわからないのが、非常に難点だと思う。別に貧しい人がそれを使用したからといって、上の人間がこまることなどあるのだろか。ものすごくコストがかかるからなのか。たんなる嫌がらせなのか。前者ならばそのコストについて説明が必要だし、後者ならば、上の人間は不作為を装いながらも、地球のゴミ虫みたいな人間達を滅ぼそうとしているとか、完全な選民主義思想に支配さえているといった明確な描写が欲しいところ。地上の民はなにか搾取されていたのか?奴隷的労働力として扱われているという構造が、しっかり描かれていない。

製作側からすれば、きちんと表現してるのよね?と言いたいところかもしれないが、残念ながら薄い。差別構造だけが表現されていて、そのバックボーンに深みがないから、いささか説得力にかける設定になってしまっている。

誰しも死にたくないに決まっているのだが、かといってそこまでの生への執着がどっから生まれているのか、その根源がよくわからない。元々彼が成し遂げようと思っていること(彼が犯罪組織から距離を置いている理由)があるとか、何か守ろうとしているものがあるとか、そういう設定が必要だと思う。

ストーリーの肝である、脳にあるエリジウムの再起動データ。再起動データっていうのが、もっともらしいだけで何を指しているのかよくわからなかったりする。起動時のパラメータか?起動パスワードではなさそう。まあいいや。それはそれとして、頭かからデータを抜くとき、コピーじゃなくて移動しかできない模様。そして死ぬと消えるらしい。人なんだから、不慮の事故で死ぬこともあるだろう。死んだらデータ喪失しちゃう設定らしいのだが、そんなデータをバックアップもなしに人の頭に入れておくことが、あまりにもリアリティがない(というか、設定上の欠陥としか思えない)。

なんとなくの演出なんだとは思うが、服の上から器具をつけた意味もわからない。
限定クラウドって、劇中の意図だともうクラウドじゃねえな(笑)。クラウドって言いたいだけか。
屋内に梅が咲いている意味が不明(っていうか、桜のつもりかも)。

こういう設定上の馬鹿馬鹿しさに気付かなければ非常におもしろいお話ではある。また、兵器のギミックのセンスがものすごく良い。対象にくっつけて任意のタイミングで爆発させるやつとか、電子シールドとか、本当に面白い。本気で開発したくなるレベル。
また、エリジウムの法制度が、大日本国帝国憲法ばりの欠陥構造をもっており、軍に首根っこをつかまれやすいという点もおもしろい。

ジョディ・フォスターの扱いが、ある意味痛快。純粋に演技なのか、彼女の人間性からにじみ出ているものなのかはわからないけど、クソみたいな死に方をしたことは本心で快感だった。彼女の悪役演技はすばらしい。お似合いだ。この路線で進むべき。

最後の救世主要素もいまいち薄っぺらだった。おかげで幼馴染の子供のくだりも冗長に感じてしまったほど。やっぱり、デザインや映像は最高なのに、設定やシナリオがクソで、凡作に成り下がってしまっている残念な作品。

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公開年:1986年
公開国:ソ連
時 間:134分
監 督:ゲオルギー・ダネリア
出 演:スタニスラフ・リュブシン、エフゲニー・レオーノフ、ユーリー・ヤコヴレフ、レヴァン・ガブリアゼ 他
コピー:この審判(トライアル)は――プライドの殴り合い。






妻に夕飯の買い物を頼まれて街にでた建築技師マシコフ。そんなマシコフに助けを求める若者が一人。若者はゲデバンという学生で、浮浪者のような風体の男性がおかしなことを口走っているという。二人は浮浪者のような男に問いかけると、自分はほかの惑星から来た者で、空間転移装置の不調で地球に飛ばされてきてしまったのだという。嘘をついていると思ったマシコフは、男が持っていた空間転移装置のボタンを押してしまう。すると、マシコフとゲデバンは、一瞬にして砂漠の真ん中に放り出されてしまう。ゲデバンは、あの男の星に飛ばされたのでは?と恐怖に慄くが、マシコフはソ連内のカラクルム砂漠に違いないと主張する。しかし、そこはキン・ザ・ザ星雲の惑星プリュク。彼らに向かって謎の飛行物体が近づいてきて…というストーリー。

冒頭から斜め上の展開が連続する上に、地味に合成技術がすごくて、すっかり心を持っていかれてしまう。

地球を上回るテクノロジーは存在するのだが、未来都市のような感じではない。『砂の惑星』のような感じでもない。浮浪者みたいな人しかいないし、テクノロジーの使い方がチープ。いかにもSFチックなメカニックを登場させることなく、異星のテクノロジーを表現。惑星の社会構造も滑稽極まりない。

こんなヘンテコムービーながらも、実は反体制映画なんだ!と聞いていたのだが、一部の集団による支配体制、人種(?)差別など、前近代的な身分制度や、初期資本主義的な構造を表現しているように見え、社会主義や共産主義を揶揄している感じではないのだが(どの辺が反体制なのか?)。むしろ政治を離れて、のびのびと表現しているように見える。
服従のポーズとか、鼻ベルとか。クゥーってなんやねん。これはカルトムービーですわ。脱力感を最後まで維持できているのは、スゴイことだと思う。
マシコフは、この星で出会った二人を見捨てることが忍びなく、地球に戻ることを断念するという“人情”を発揮するのだが、それが全然伝わらない。終盤は異文化交流の刹那さをシュールというかシニカルさで表現している。
時間が逆戻りしたのに記憶は残っているとか、地球に帰ってからの二人の行動とか、真剣に考えたら矛盾満載なんだけど、そんなことどうでもいい…というか、むしろ矛盾してくれてありがとう…って言いたくなるノリがすごい。

冷戦時代のソ連。恐るべし。映画史に立派に爪痕を残している作品。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
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趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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