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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:スティーヴン・ソマーズ
出 演:アントン・イェルチン、アディソン・ティムリン、ググ・ンバータ=ロー、ニコ・トルトレッラ、パットン・オズワルト、ウィレム・デフォー 他







南カリフォルニア。ダイナーで働く20歳の青年オッド・トーマス。彼には、死者の霊が見えたり、彼らの訴えを感じ取る特殊な能力が備わっており、小さいころかその能力で苦労してきた。彼の能力のことを知っているのは、警察署長のワイアットと恋人のストーミーだけで、今では警察の犯罪操作に協力するなどして、それなりにうまくやっている。ある日、“ボダッハ”という大殺戮がおこるときだけに現れる悪霊が、大量に街にあふれるようになった。ボダッハが見えていることを知られると、必ず殺されてしまうため、見えないふりをするオッド。そんな中、友人のヴァイオラから、自分と赤と黒のボーリングウェアを着た人々の死体が横たわっている夢を見たと打ち明けられたオッド。数日前にまったく自分も同じ夢を見ており、街になんらかのピンチに直面していると悟ったオッドは、ボダッハに見つからないように調べ始める。オッドは“霊的磁力”を使って、あやしい人物を探し始めると、ストーミーの店で大量のアイスクリームを購入する男に引き寄せられる。案の定その男の周りにはボダッハがまとわりついていたが、備考して棲家を突き止める。その男がいなくなったのを確認して棲家に侵入すると、そこには…というストーリー。

ウィレム・デフォーが出てきて、なんとか映画っぽさをキープしているが、画質と主人公の一人語りではじまる冒頭シーンは、まるでTVドラマかな?と見紛うようレベル。その後も、深刻なシチュエーションをお気楽な(というか妙に飄々とした)態度で乗り切る主人公のおかげ、軽い作風に終始する。

大殺戮のキーマンとして登場する、帽子頭の男のコミカルな気持ち悪さとか、オッドとストーミーのいちゃいちゃがのノリがおふざけがすぎて、その軽さはますます加速していく。無駄にグロ表現を入れるのも、昨今のティーン向け作品にはありがちな演出。ところが、その軽さもすべて、オチに対するカウンターであり、ミスリードだった。全部、終盤で効いてくる。

そういう軽さを差し引いてみると、ボダッハを巡る謎のストーリー自体もなかなか手が込んだ内容になっている。原作あり作品のようなので、いかにもティーン向けだけど、その辺はしっかりしているんだろう。ネタバレになるので書かないが、ミステリーとしてもしこそこ優秀だと思う。

実は母親も同じ能力の持ち主で、狂人扱いされて収監されている。自分はそうならないように慎重に生きているオッド。なんとか折り合いをつけてこれまで生きてきて、恋人や自分の能力を理解してくれる権力者もいる。そして、何とか街を救ってヒーローとなって、安泰、安泰…という展開に。まあ、ここで終われば、凡作かな…という評価だが、ちょっと意表を突かれる。勘のよい人なら気づいたのかもしれないが、上に書いた“軽さ”のせいで、私はすっかり油断していた。

とても悲しいオチだったが、良いラスト。もちろんここでは書かない。観てほしい。軽くお薦め。ちょっと世の中の評価が低すぎると思う。

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公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:ケネス・ブラナー
出 演:イケル・ケイン、ジュード・ロウ 他
コピー:男の嫉妬は世界を滅ぼす。







ベストセラー推理小説家アンドリュー・ワイクが暮らすロンドンの豪邸。そこに、若い俳優マイロ・ティンドルが訪れる。彼は、ワイクの妻マギーの浮気相手で、ワイクにマギーと離婚するように説得に来たのだ。彼の来訪の目的は百も承知のワイクは、にこやかに彼を招き入れる。さっそく説得を開始したティンドルだったが、のらりくらりと話をそらし、世間話に終始するワイクにイラ立ちを覚える。離婚に応じるつもりが無さそうだと感じたティンドルは、ワイクの自尊心を傷つけようと悪口雑言を浴びせかけるのだが、ワイクが思いもよらない提案をを持ちかけてきて、面食らってしまう。ワイクは、売れない俳優では収入もないだろうから、この屋敷にあるマギーの宝石を盗んで売ればいいという。実は金使いの荒い妻とは離婚がしたいワイクには宝石にかけている保険が入るし、ティンドルには宝石とマギーが手に入り、両者とも得をするというのだ。取引に乗ったティンドルは、ワイクの指示したがって金庫の扉を開けるのだったが、その時、ワイクがティンドルに銃を向けて…というストーリー。

1972年製の『探偵<スルース>』を観たかったんだけど、無かったのでリメイク版である本作を。二人劇&室内劇(元々は舞台劇とのこと)。

3場面あって上のあらすじは1場面目(というか第1ラウンド)。老獪なワイクが、小憎らしい若い愛人をとっちめてやろうと、口八丁手八丁で硬軟織り交ぜながら追い詰めていく。じゃあ、ティンドルがかわいそう…って気持ちになるかと言われればそんなことはなく、簡単に尻馬に乗っちゃう軽率さにあきれてしまう。ワイクがどうであれ、人妻と知りながら付き合っているクズであることには変わらない。むしろワイク側の仕掛けを愉しんだ観客のほうが多いだろう。
まあ、屑人間同士がペチペチなぐり合っているのを眺めている感じ。

(以下ネタバレ)
さて、第1ラウンドはワイクの勝利(?)で終わるが、さて、次は?
刑事が屋敷を訪れ、お前ティンドルを殺しただろ! とワイクを責める展開に。本作が二人劇であることを知っている場合、もちろんこの刑事がティンドルであることは明白だったりする。ティンドルが役者でることが、第1ラウンドでしつこく語られてるしねぇ。とにかく刑事はワイクを追い詰めていくが、そりゃあ刑事に銃を向けられりゃぁ誰でも狼狽もするだろう。正体を明かした後も、ワイクをいたぶり続けるティンドル。よっぽど空砲で気絶したことが屈辱だった模様。これで1対1だ!とティンドルはいうが、本当にそうかは甚だ疑問だけど。

で、なし崩しで第3ラウンドに突入するが、なにやら訳の分からない展開に。ワイクの懐柔に始まり、何故かホモっぽい展開に。なんじゃこりゃ。
説明はしないが、結果的にかなり後味の悪い終わり方。

役者としても監督としても、一流といって良いであろうケネス・ブラナーだが、本作はちょっとねぇ。リメイクされるぐらいなので、元作品は良いんだろう。やっぱり探して観ることにしよう。

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公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:130分
監 督:クリストファー・ノーラン
出 演:ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベール、スカーレット・ヨハンソン、マイケル・ケイン、デビッド・ボウイ、パイパー・ペラーボ、アンディ・サーキス、クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン 他
ノミネート:【2006年/第79回アカデミー賞】撮影賞(ウォーリー・フィスター)、美術賞(ネイサン・クロウリー、Julie Ochipinti)
ノミネート:運命さえトリック


19世紀末のロンドン。二人のマジシャン、“グレート・ダントン”ことロバート・アンジャーと、“THE プロフェッサー”ことアルフレッド・ボーデンは、互いに尊敬しあうライバルだった。ある日、マジックのアシスタントでもあるアンジャーの妻ジュリアが、脱出マジックで死亡してしまう。彼女は両手を縛ったまま水に落とされた後、縄をほどいて脱出するはずだったのだが、縄がほどけず溺死してしまったのだ。縄を縛ったのがボーデンであったこに加え、“縄を二十結びにしたかどうか記憶にない”というボーデンの態度に激昂したアンジャーは、強く復讐を誓うのだった。その後、ボーデンはサラという女性と出会い結婚をし、さらに驚異的な“瞬間移動”のイリュージョンでロンドン中を熱狂させる。アンジャーはその秘密を探り出そうと、助手のオリヴィアをボーデンのもとに差し向けるのだったが…というストーリー。

二度目の鑑賞だが、何度観ても、本作は映画史に残る奇作だと思う。

妻を殺された憎悪に加え、マジシャンとしてのライバル意識が加わり、復讐の応酬が繰り返されるのだが、普通はこの流れだけで、十分に作品は成立する。マジックの本番に変装して現れ、相手のマジックを失敗させて貶めるという、昼ドラですか?ガラスの仮面ですか?っていう、陰湿な展開。
しかし、そこで作風に不釣合いなテスラさんが登場する(エジソンとテスラの争いも描写される)。ご存知だと思うがテスラさんは実在の人物。元々はエジソンの従業員だったが、エジソンと対立して袂を分かつ。でも、現在我々が使用している交流電気は、テスラさんが主張していた電送方式(エジソンは直流にこだわった)。おまけに晩年は、電線なしで送電する方法を考えていたともいわれる。宇宙で発電してそれを電波として送電しようって、現在研究されてるよね。それくらいテスラさんは天才だった。なんでこんなドロドロした復習劇にその天才が出てくるのか?

アンジャーは、テスラのある発明を利用するのだが、これを言っちゃうとおもしろくないので、是非観ていただきたい。まさかのSF展開に驚愕。そんなもん持ち出したら、謎解きもクソもあったもんじゃないだろうって思う人もいるだろうし、せっかくの復讐劇が台無しになったと思う人もいただろう。でも、あまりに憎悪をこじらせるあまり、クレイジー&クレイジーになっちゃうわけで、嫌いなノリじゃない。さすがクリストファー・ノーランってところ。ある意味、のび太がドラえもんの道具をつかってジャイアンに復讐するのと同じレベル。そんな道具があったら、もっといろんなことができるじゃない…。それを大真面目にヒュー・ジャックマンが演じちゃうんだもん。これを奇作といわず何といおうか。
で、ドラえもんの道具を持ち出されたら、クリスチャン・ベールにゃあ勝ち目はないだろう…って思うけど、そうでもないのがまた面白い。

好き嫌いは別れると思うが、こういうネジのはずれた狂人のお話は、個人的に好き。軽くお薦め。

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公開年:1978年
公開国:イギリス
時 間:140分
監 督:ジョン・ギラーミン
出 演:ピーター・ユスティノフ、ベティ・デイヴィス、マギー・スミス、ミア・ファロー、アンジェラ・ランズベリー、ジョージ・ケネディ、オリヴィア・ハッセー、ジョン・フィンチ、デヴィッド・ニーヴン、ジャック・ウォーデン、ロイス・チャイルズ、サイモン・マッコーキンデール、ジェーン・バーキン、ハリー・アンドリュース 他
受 賞:【1978年/第32回英国アカデミー賞】衣装デザイン賞



莫大な遺産を相続した若い娘リネット。彼女の親友ジャクリーンは、自分の婚約者サイモンが経済的に窮していたため、相談に乗って欲しいと相談する。ジャクリーンの申し出を受けて、サイモンに会うリネット。しかし、なんとサイモンとリネットは突然婚約を発表し、関係者の間で物議を醸すことに。二人は人目を避けてエジプトへ豪華客船でのハネムーン旅行へ旅立つのだが、何と船にはジャクリーンの姿が。ジャクリーンだけでなく、リネットの叔父で財産管理を任されていたアンドリュー、リネットを自作の小説のモデルにしてトラブルになっている作家のサロメ、サロメの娘でリネットにコンプレックスを持つロザリー、リネットの真珠のネックレスに執着しているバン・スカイラー、リネットに侮辱されたことを恨んでいる医師のべスナー、リネットに自分の結婚を破談に追い込まれたと思い込んでいるメイドのルイーズ、父親がリネットの祖父に破産させられた過去を持つ看護婦のバウアーズなど、関係者が多数乗り合わせていたのだ。そんな中、遺跡を観光している最中に、サイモンとリネットめがけて落石が。リネットはジャクリーンの仕業と考え、偶然乗船していた私立探偵ポアロに、彼女を遠ざけるように依頼するのだたが…というストーリー。

本作の最後の「列車内でおこったおもしろい事件の話があるのですが…」的なセリフのお遊びからも判るように、『オリエント急行殺人事件』の後の映画化作品。舞台はクルーズ船ということで、密室劇であるところは同じ。

でも、『オリエント急行殺人事件』の監督はシドニー・ルメットで別だし、主役ポアロを演じてる人も違う上にキャラクターも異なる。『オリエント急行殺人事件』では、ちょっと偏屈で感じの悪いおっさんだったが、本作では食いしん坊デブの好好爺(怪我人の食事まで喰う)。おまけに、ナイル川クルーズっていう設定もあって、開放的な雰囲気で、印象が全然違う。ミステリーなのに、どこかほのぼの感すら漂う。

印象は異なるが、古典推理ドラマというか、古臭いと言っては失礼なのかもしれないが、実に刺激の少ない演出。昨今の作品の派手な演出に馴れちゃってるからねえ。
関係者がわらわらと虫がたかるように、同じ船に大集合っていう不自然な状況が、不自然なまま未消化で話が進むことと、なかなか事件がおこらないことで、どうも前半で集中力が途切れてしまい、ヨソ見しまくりだった(大事なポイントを、かなり見落としていると思う)。

で、事件は結局ありがちなトリックだったりする。というか、アガサ・クリスティのほうが後世の作品のモチーフにされる側であって、それをありがちというのは失礼なのは百も承知。でも、そこを差し引いて観なければいけない義務もないので、素直に後世の作品と平等に比べちゃうと、やっぱりありがちな筋。犯人だって、まあ半数の人は予想を付けてたと思う。
でも、そのありがちを、単なるありがちで終わらせていない点がすごいと思うのね。一つは、発射された弾の数や、ストールの扱いなど、偽装に用いられた小道具を非常に効果的に興味深く使用していること(これは原作のすごさ)。もう一つは、役者陣が豪華&実力者ばかりで、ともすれば学芸会になってしまいがちな密室ミステリー劇に、重量感とエキセントリックさを与えてくれている。その中でも、ミア・ファローの演技は光っていたかな。
オリヴィア・ハッセーは、キラりと光る美しさを観せてくれているが、この2年後に日本映画『復活の日』なんぞに出ていると考えると、ちょっと不思議な感じ。
#マギー・スミスは『ハリー・ポッター』のマグゴナガル役ですな。若い頃から、あまり変わっていませんな…と思ったら、本作のときに既に44歳か。

私、推理小説の世界はあまり詳しくないが、推理中に事件が進行していく様や、最後、女性犯人による自殺を許してしまうところなど、金田一耕介シリーズとの共通点を感じる。もちろん、横溝正史が影響を受けているのは間違いないわけで、そう考えると、やっぱりアガサ・クリスティは偉大だな…と。

古さを差し引いても、普通に愉しめた作品。

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image2150.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:110分
監 督:ジェームズ・マクティーグ
出 演:ジョン・キューザック、ルーク・エヴァンス、アリス・イヴ、ブレンダン・グリーソン、ケヴィン・マクナリー、オリヴァー・ジャクソン=コーエン、ジミー・ユール、パム・フェリス、ブレンダン・コイル、エイドリアン・ローリンズ、マイケル・シャノン、アナ・ソフレノヴィック 他
コピー:偉大なる作家エドガー・アラン・ポーは、なぜ死んだのか…?


1849年。アメリカ、ボルティモア。かつて大ヒット推理小説を相次いで出版したエドガー・アラン・ポーだったが、今ではアイデアが枯渇し新聞に書評を寄稿するなどして糊口をしのいでいた。ポーは地元名士の令嬢エミリーにご執心だったが、彼の下品な態度と貧しさ故に、父親から交際が許されることはなかった。ある夜、密室で母娘が殺害される猟奇殺人事件が発生する。現場に駆けつけたフィールズ刑事は、犯行の手口が、数年前に出版されたポーの推理小説『モルグ街の殺人』にそっくりであることに気づく。ほどなくして、『落とし穴と振り子』を模倣した第2の殺人事件が発生。被害者は、紙面でポーと争っていた文芸評論家のグリズウォルドで、台座に拘束された状態で、振り子状の巨大は刃物によって胴体を真っ二つにされていた。現場には“仮面舞踏会に死がやってくる”と書いたメモが残されており、犯人がポーの小説に拘っていると確信したフィールズ刑事はポーに捜査への協力を要請する。メモにあった仮面舞踏会とはエミリーの誕生日に催される仮面舞踏会を指していると考え、フィールズと部下たちは厳重に警備するのだったが…というストーリー。

ポーを良く知らないからだと思うが、雰囲気がアメリカっぽく感じられず、すっかりイギリスが舞台だと思い込んでいた。邦題で最後の5日間となっているので、死ぬ間際なのかな?と認識できはするが、史実としていつ頃死んだのかも知らないので、なんともボヤけた感じ。大体にして、作品は知っていたとしても本人のことなんか知らんし。

また、吹き替えの音声の“ポーさん”が“父さん”に聞こえてずいぶん大きな息子がいるのに若い女にうつつをぬかしているのかと思ったりして、キャラクター設定を把握するのに時間を要した。細かいディテールでも不親切な部分が多い。インクが磁石に付くのは、新聞用のインクだから…って、そんなに常識だろうか。伏線を張ってた?(ないよね?)。また、全編にわたって画面が暗すぎ。DVD鑑賞は厳しかった(特に日中の鑑賞はツラい)。Blu-rayじゃないとダメな作品かもしれない。

自分の小説のとおりの猟奇殺人事件が発生し、作者はその解明に協力するという展開は、それほど斬新ではない。さらに、才能の枯渇していたポーは全然キレが無く、自分の作品が愚弄されたと憤慨することもなく、フィールズ刑事に引っ張られている感じ。そのせいで、刑事がクサく感じられるのだが、いささかミスリードとしては弱いのが難。
ミスリードといえば、途中で出てくるブラッドリー夫人なんかも、もうちょっとうまく使えば、良かったと思う。

恋人が拉致されて、やっとやる気を出し始めるものの、この事件をそのまま小説にしろという犯人の指示に従うだけで、自主性がないのが、ミステリー物として致命的な気がする。
(以下、ネタバレ注意)
事実と虚構が絶妙に入り混じった出来映えに、作家としての充実感を蘇らせてしまうという流れは悪くないのだが、教会にいくあたりから、どう考えても印刷所の人しか犯人に思えないのも難点か。

「答えはすぐそこ」というヒントこそあったが、ピンポイントで“そこ”を掘り始めるのは、ちょっと都合が良すぎる。また、いくら新聞社がうるさいからといっても、輪転機が止まったときに大声出したら、誰かに聞こえそうなもんだけど…。てか、新聞社の下に地下室なんかどうやってつくったのか?いや、はじめからあったのか?

薬品で意識が混濁したポーは、「名字は“レイノルズ”と、フィールズに伝えてくれ」と言うが、これまたわかりにく、あの植字工の名前がレイノルズだなんて全然出てこないし、出てきたとしても記憶にあるわけもないし。最後に馬車に乗るときに、運転手に名前を呼ばれるのだが、身なりが小奇麗になっているので、あの植字工と同一人物だとスルっとわからなかったりして。

まあ、とにかく色々、判りにくい作品。もうちょっと素直に作れなかったものかと。犯人の望みどおりに作品を書かせられるものの、ポー本人も漲る創作意欲の魔力に魅せられてしまい、このまま解決しなくてもいいとすら思える魔力との間で苦悩する…という部分に、比重を置いたほうがよかったんじゃないかと思う。

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 image2124.png 公開年:1976年
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:ロバート・ムーア
出 演: ピーター・セラーズ、ピーター・フォーク、デヴィッド・ニーヴン、マギー・スミス、アイリーン・ブレナン、トルーマン・カポーティ、エルザ・ランチェスター、ナンシー・ウォーカー、ジェームズ・ココ、ジェームズ・クロムウェル、アレック・ギネス、エステル・ウィンウッド、リチャード・ナリタ 他
コピー:世界の5大名探偵とともに華麗な晩餐会と殺人にご招待します!?




“あなたを晩餐と殺人に御招待します”と書かれた、富豪ライオネル・トウェインからの招待状を受け取った世界的に有名な5人の探偵、ミロ・ペリエ、サム・ダイヤモンド、ジェシー・マーブル、シドニー・ワン、ディック・チャールストンは、それぞれお供を連れて北カルフォルニアにあるトウェイン邸にやってくる。盲目の執事ベンソンマムに迎え食卓についたものの、新たに雇った料理女イエッタが聾唖者で指示が伝わらず、晩餐の準備はされずじまい。食道楽のペリエが怒りだすと、突然トウェインが現れる。彼は“12時にここにいる誰かが殺され、その犯人はこの中にいる。真犯人を解き明かした者には、100万ドルと本件の出版権と映画化権を譲渡する”と言って姿を消すのだった。屋敷に閉じ込められてしまった彼らは、これからおこることに戦々恐々としていると、調理室で執事が殺されているのを発見し…というストーリー。

まず、本作はまともなミステリー作品ではないことを断っておく。

ペリエがポワロのパロディで、マーブルズはミス・マープルのパロディで、でも、ピーター・フォークが演じているのはコロンボじゃなくてサム・スペードで…って、元ネタがよくわかんないから笑いどころもわからない。元の探偵の性格とか捜査手法ともわからない、彼らの行動の笑いどころもわからなない。

どうやら探偵小説にありがちな密室殺人ネタを小バカにしている模様。そのあたりは『殺人ゲームへの招待』と似ている。そして、ストーリーに登場する証拠などは一切無関係に、真犯人はダレかというオチをどうにでもできる…も『殺人ゲームへの招待』と似ている。

演者は間違いなく本作のほうが豪華だと思うのだが、『殺人ゲームへの招待』よりも面白くない。
トウェインが機械マニアだという設定は良しとしても、そのテクノロジーがSF並みだというのが致命的。一切振動もなく、部屋がムーブするということが可能なら、もうドラえもんレベルの所業。何も言うことはない。
行き当たりばったりなのも、ヒドすぎで、聾唖のメイドがロボットで且つ執事のベンソンマムも健常者だったとしたら、調理場でのあのやりとりはまったくもって意味不明。
ただただ、ミステリー物を批判したいということなのかもしれないが、行き当たりばったりで雑に作ってよいということにはならない。

ピーター・セラーズが演じるワンの養子が日本人で、全然日本人ぽくない上に、日本評がトンチンカンなことについては、もう何も言うまい。アメリカ人には別に期待していない。それ以前にワンが微塵も中国人っぽくないのだが…。

本作で驚くべきところは、トゥエインを演じているのが、あのトルーマン・カポーティということだ。あの『冷血』『ティファニーで朝食を』のトルーマン・カポーティだ。『冷血』で筆を折ってから10年くらいたっている。アルコールと薬物中毒に悩んでいる時期か。おそらく気持ちの悪いトゥエインは大して役作りはしていなく、おそらく素だと思う。

欧米の推理小説マニアなら楽しめるのかもしれないが、私には無理。つまらん。

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image0095.png公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:M.ナイト・シャマラン
出 演: ブライス・ダラス・ハワード、ホアキン・フェニックス、エイドリアン・ブロディ、ウィリアム・ハート、シガーニー・ウィーヴァー、ブレンダン・グリーソン、チェリー・ジョーンズ、セリア・ウェストン、ジョン・クリストファー・ジョーンズ、フランク・コリソン、ジェイン・アトキンソン、ジュディ・グリア、マイケル・ピット、フラン・クランツ、ジェシー・アイゼンバーグ、チャーリー・ホフハイマー、スコット・ソワーズ、M・ナイト・シャマラン 他
ノミネート:【2004年/第77回アカデミー賞】作曲賞(ジェームズ・ニュートン・ハワード)
 【2005年/第14回MTVムービー・アワード】ブレイクスルー演技賞:女優(ブライス・ダラス・ハワード)
コピー:その《地上の楽園》は、奇妙な《掟》に縛られていた・・・。――何故?

1897年、ペンシルヴェニア州。深い森に囲まれた人口60人ほどの寒村があった。村人たちは自給自足の生活を営んでる。村では、外部の町には恐ろしい人々か暮らしており、接触するとひどい目に合わされるだけでなく、この村の平和も脅かされると教育がされている。さらに村には、周囲の森には怪物がいると伝えられており、森に立ち入らないという“掟”さえ破らなければ怪物が村人を襲うことはないとされていた。ある日、家畜が不気味な死体となって発見されたのを機に、平穏な村で何かがおこり始める。鍛冶職人のルシアス・ハントと村の指導者エドワード・ウォーカーの盲目の娘アイヴィーが結婚をすることに。しかし、村の青年の一人で精神のバランスを崩した男ノアは、ルシアスに嫉妬して彼を刺し重症を負わせてしまう。アイヴィーは瀕死のルシアスを救うために、村にはない医薬品を森の外の町に取りに行くことを申し出る…というストーリー。

昨日の『ビッグ・フィッシュ』と同じく、時間を置いて観返すと、じわじわと味わいが増す作品。この作品、実は良く出来てる。
100年前の設定とはいえ、アメリカには今でもアーミッシュのような人たちが存在するので、そのリアリティたるや我々日本人が感じるのとは若干異なると思う。

(いきなりだが、以下ネタバレ)
ジジィとババァたちが、社会に嫌気がさして、周囲から孤立した村をつくったのでした…だけでなく、年代までトランスしてしまっていたという、オチの二重構造。
さらに着眼点を予想すると、また味わい深い。第一世代は、全員が心に傷を負って、カウンセリング治療を受けていた仲間だということ。さて、その心の傷は、都市社会、現代文明の中でなければ、負うことのないものばかりではないか?という切り口。確かにその通りで、単なる病んだ人の忌避行動だと、無碍に笑えなかったりする。

数世帯しかいないような村がこれから継続できるわけなんかなかろう…と誰もがツッコミたくなるところだか、そんなツッコミは無意味。だって、心が病んでしまって、なによりも文明社会から遠ざかりたいことが一番の人たちなんだもん。そしてそこまでやっちゃう実行力と経済力はあるんだから、ある意味狂っているの。もう、意義をさしはさむ余地のない説得力(力技だけど)。

指導者エドワードが、「皆がこれ以上続けたいと思うならば…」という言葉の後、アイヴィーが帰還する。彼女に近づく第一世代のババァたち。それを掻き分けてルシアスに寄り添うアイヴィー。さて、果たして、この茶番は継続されるのか否か。
#エドワードとルシアスの母親の、手を触る触らないのくだりは、もうちょっと主筋…というか第一世代の心に変化が生じている…という描写に強く絡められるとよかったと思う。

エドワードや男連中これ以上続けることに無理があると思い始めている節がある。それは、彼らの心の傷が回復したことを意味するのではなかろうか。ずいぶん長く、そして無関係の子供を巻き込んだ、罪な治療方法である。そのエゴ満開の末に残った罪を購うことはできるのか。結局はできずに惰性で続けてしまうのだろう…等々、この投げっぱなしの終わり方が案外ちょうどよい。

当時、何だこりゃと思った人も、改めて観てみることをお薦めする。

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10242785.png公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:142分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:トム・ハンクス、デヴィッド・モース、ボニー・ハント、マイケル・クラーク・ダンカン、ジェームズ・クロムウェル、マイケル・ジェッター、グレアム・グリーン、ダグ・ハッチソン、サム・ロックウェル、バリー・ペッパー、ジェフリー・デマン、パトリシア・クラークソン、ハリー・ディーン・スタントン、ウィリアム・サドラー、ゲイリー・シニーズ、ポーラ・マルコムソン 他
ノミネート:【2008年/第81回アカデミー賞】主演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)、撮影賞(トム・スターン)、美術賞(ジェームズ・J・ムラカミ、Gary Fettis)
【2008年/第61回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(クリント・イーストウッド)
【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](アンジェリーナ・ジョリー)、音楽賞(クリント・イーストウッド)
【2008年/第62回英国アカデミー賞】主演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)、監督賞(クリント・イーストウッド)、脚本賞(J・マイケル・ストラジンスキー)、撮影賞(トム・スターン)、美術賞(Gary Fettis、ジェームズ・J・ムラカミ)、衣装デザイン賞(デボラ・ホッパー)、編集賞(ジョエル・コックス、ゲイリー・ローチ)、音響賞(John T. Reitz、Gregg Rudloff、Walt Martin、Alan Robert Murray)
【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】作品賞、主演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)、音楽賞(クリント・イーストウッド)
コピー:どれだけ祈れば、あの子は帰ってくるの──?

1928年、ロサンゼルス。9歳の息子ウォルターと幸せな毎日を送る、シングル・マザーのクリスティン・コリンズ。彼女は、電話会社に勤務していたが、ある日、休日出勤をせざるを得なくなり、息子を家に残して出勤することに。しかし、夕方、彼女が帰宅すると、ウォルターは忽然と姿を消していた。警察に捜索願を出したものの、手がかりは掴めなかった。それから5ヶ月後、ォルターがイリノイ州で見つかったと連絡が入る。ロス市警は、警察の成果を大々的に知らしめるために報道陣を集め、列車で移送されてくるウォルターを待ち構えていた。いよいよ列車が到着し、クリスティンが我が子を迎えようとするが、そこから出てきたのは、ウォルターではない見知らぬ少年だった…というストーリー。

実はこれまで2回鑑賞にチャレンジして断念している。その2回も、スパっと止めたわけではなく、観ては止め観ては止めして、結局断念に至っている。なんで、これまで断念したのか。本作が実話ベースであることは実は知っていた。行方不明になった子供が見つかったというから行ってみたら別人だった。警察はあなたの子だと強要する。いやいや、警察がなんと言おうとその場で引き取れるわけないでしょ…、頭おかしいんじゃねーの?って考えたら、観続けるのが馬鹿馬鹿しくなってしまったのだ。自分の子だぜ?だから、20分ちょっとくらいで、もう断念。

じゃあ何で、最後観ようと思うのか?それは、いくらなんでもクリント・イーストウッド御大が、そんなアホな話で終わらせるわけがないという希望、その一点のみ。だから、苦痛だったけど、がんばって観続けましたよ…。牧師が出てきて、精神病院に放り込まれて、食堂で“ケース12”について説明があったところで、やっと説得力が出てきた。ここを越えるのが最大の山だった。

あとは、連続殺人事件と絡んで警察権力が瓦解していく仮定と、クリスティンは再生できるのか、希望は見えるのか…という流れになっていくが、そのあたりは観てくだされ。ロス市警という悪人の所業にイライラし、それが処断されていく様子は、水戸
黄門的な感覚で楽しめるだろう。でも、個人的には、これまでのクリント・イーストウッドの作品群を考えると、一番デキがよろしくない作品だと思う。

(私の勝手な解釈だけど)本作を通じて、御大が何を言いたかったのかは、理解できる。ロス警察が強大な権力を持ち、市民の自由を簒奪しまくっているわけだ。アメリカ大統領選挙の仕組みのポイント、というか一番危惧されていることは“カエサルを生まないこと”である。つまり、一人の“帝王”を決めて権力を委ねるのはいいが、その権力を私欲(権力欲も含む)を満たすために使うような人間を選ぶわけにはいかない…ということである。だから、1年も選挙戦(党内の候補者選びを含め)をやっていけば、ダメな人間はボロを出すだろう…という構造になっている。つまり、アメリカ人は、自分自身が権力を持ってしまうと獣になってしまう、それを防がないとアメリカは暴走すると自覚しているわけだ。

イラク戦争はなぜおこったか。はっきりいって、CIAの偽情報である。小泉首相もそれに騙された。なぜ、CIAのそんな暴走を許したのか。簡単に言えば、国民から選ばれたわけでもないのに、大統領よりも、長く権力を維持し続けており、好き勝手にやっているから。大統領が統制できないような組織が存在してもいいのか?それが生み出した結果がこれだぞ?また暴走か。まったく成長していない……、ということだね。
このあたりのCIAの動きについては『フェア・ゲーム』など、直球の映画も色々ある。でも、こういう一見無関係に見える表現のほうが、すばらしいと私は考える。愛国者だけどリベラルである御大らしい主張の仕方だと思う。でも、その主張のすばらしさと映画のデキは別かな…と。
最後に、息子の行いのお陰で、彼女が一縷の希望の光を持ち続けて生きていけた…という部分は、見ている側にとっても救いだったかな。現代なら、DNA鑑定ですぐにわかっちゃうけどね。

最後に、作品のデキとは直接関係ないが、吹き替えが不自然。台詞の部分は日本語で吹き替えているのに、嗚咽とか息を漏らす音は原音を使っている。もちろん越え質が違うから違和感バリバリ。さらに、原音にはエコーがかかっているのに、吹き替えにはエコーがかかっていない、。せめて、エフェクトくらいかけて、音質を揃えればいいじゃないか。興ざめするだろ。馬鹿が。

#アンジェリーナ・ジョリーは、精神病院に入れられると、なぜかいい演技をするな(笑)。

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image1897.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:158分
監 督:デヴィッド・フィンチャー
出 演:ダニエル・クレイグ、ルーニー・マーラ、クリストファー・プラマー、スティーヴン・バーコフ、ステラン・スカルスガルド、ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン、ベンクトゥ・カールソン、ロビン・ライト、ゴラン・ヴィシュニック、ジェラルディン・ジェームズ、ジョエリー・リチャードソン、インガ・ランドグレー、ペル・ミルバーリ、マッツ・アンデション、イーヴァ・フリショフソン、ドナルド・サンプター、エロディ・ユン、ヨセフィン・アスプルンド、エンベス・デイヴィッツ、ウルフ・フリベリ、ジュリアン・サンズ、マーティン・ジャーヴィス、アーリー・ジョヴァー、アラン・デイル、ジョエル・キナマン 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】編集賞(カーク・バクスター、アンガス・ウォール)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】編集賞(アンガス・ウォール、カーク・バクスター)
コピー:誰がハリエットを殺した?

スウェーデンの社会派雑誌“ミレニアム”を発行するジャーナリストのミカエルは、実業化ヴェンネルストレムによる財界汚職事件の告発記事を書いたものの、名誉毀損で訴えられ敗訴してしまう。多額の賠償金とプライドを失い意気消沈の日々を送るミカエルだったが、そんなある日、国内有数のヴァンゲル財閥の元会長ヘンリック・ヴァンゲルから、自伝の編纂の依頼が舞い込む。しかしそれは表向きで、40年前に発生した曾孫ハリエットの失踪事件を再調査の依頼が真の目的であった。多額の報酬とヴェンネルストレムの悪事に関する情報を与えるという条件で、ミカエルはこの依頼を引き受ける。しかし、調査を進めても、ヴァンゲル一族の血塗られた過去が詳らかにはなるものの、真相には近づけずじまいだった。すると、ヴァンゲル家の弁護士が、調査の手助けのために、リスベット・サランデルという高度な情報収集能力と記憶力を持つが、著しく社会性にかけた小柄な女性を紹介される。彼女はこの事件に興味を示し、ハリエットの日記の記述が、未解決の連続猟奇殺人事件と関連があることを突き止めるのだったが…というストーリー。

類稀なコンピュータ技術の持ち主がメインキャストということで『ソーシャル・ネットワーク』のフィンチャー監督が浮かび、未解決の連続殺人事件を追うってことで『ゾディアック』のフィンチャー監督が浮かび、聖書モチーフの猟奇殺人ってことで『セブン』のフィンチャー監督が浮かび…。原作の要素を考えればフィンチャーにオファーが来るのは、自然の流れか。

それにしても、なんでいきなり『移民の歌』なんだー??別に移民が関係する話でもないし、もちろんブルーザー・ブロディとも関係ない(あたりまえ)。こういうブンブンとバットを大振りするような演出もあれば、しっかりと送りバントも決められる細やかな演出もある。デヴィッド・フィンチャーってそんなダイナミズムが魅力だよなぁ。
エンヤのウォーターマークで、舞台がどこかろ再確認できるしね。とにかく音楽チョイスのセンスは高いよね。

リメイクだからもっと短くできるかも…と思ったが、ミカエルとリスベットが遭遇するまでのエピソードがどうしても削れないから時間がかかるので、しょうがないか。
スウェーデン版は、すべての要素を満遍なく表現していて緩急がない印象。そのせいで、何の事件を追っているのか途中で失念してしまうほどだったが、本作は話の焦点がはっきりして、すっきりした流れになっている。さすが。

無駄な、ミカエルと妻子とのやりとりもオミットされてる。距離の縮まった二人が、別々の手法で同じ結論にたどり着くのがおもしろい。リスベットがミカエルを助けにくるまでの流れがすっきりしている。
後出しじゃんけんだもん…っていう人もいるかもしれないが、すっかりオチは判っているのに、これだけおもしろく観せているんだから、いいデキなんだと思う。
オーストラリアってのは雰囲気が壊れるなぁ…って思ってたんだけど、そこも変更してくれて満足。金を奪って逃走する部分も、意味がわかりにくかったんだけど、明快。

スウェーデン版のリスベットは、本当にクレイジーで気色悪いんだけど、本作はパンチのある姿は変わらないけどツンデレ(っていうかヤンデレ)で魅力いっぱい。家族と一緒の姿をみてショックを受けるようなキャラじゃなかったもんな。なんだかんだいって可愛げがある。本作のリスベットのほうが、性格や行動にブレが無いように見えるしね。

さて、本作にて父親に火を点けたことを告白してしまったリスベット。続編があってもなくても、問題のない状態で終わっているが、やはり続編には期待してしまう。でも、気をつけないと、『クリムゾン・リバー2』になっちゃう。そこをどう料理するのか期待は高まるね。

スウェーデン版を観た人は、内容を知っていてもその差を愉しめる。知らない人はこっちを観るだけでOKだろう。かなり満足した。
#リスベットが使うPCはLinuxマシンとかにしてほしかったな…。

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image1845.png公開年:2009年
公開国:ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア
時 間:144分
監 督:ミヒャエル・ハネケ
出 演:クリスティアン・フリーデル、レオニー・ベネシュ、ウルリッヒ・トゥクール、フィオン・ムーテルト、ミヒャエル・クランツ、ブルクハルト・クラウスナー、ライナー・ボック、スザンヌ・ロタール、ウルシーナ・ラルディ、シュテッフィ・クーネルト、ヨーゼフ・ビアビヒラー、ブランコ・サマロフスキー 他
受 賞:【2009年/第62回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(ミヒャエル・ハネケ)
【2009年/第44回全米批評家協会賞】撮影賞(クリスティアン・ベルガー)
【2009年/第76回NY批評家協会賞】撮影賞(クリスティアン・ベルガー)
【2009年/第35回LA批評家協会賞】撮影賞(クリスティアン・ベルガー)
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞
【2009年/第22回ヨーロッパ映画賞】作品賞、監督賞(ミヒャエル・ハネケ)、脚本賞(ミヒャエル・ハネケ)
コピー:美しい村 静かな暮らし 聴こえてくる魔物の足音

北ドイツの田舎にある男爵が支配する小さな村。村に一人だけいる医師が落馬して大怪我をおってしまう。道に張られていた細い針金に馬が足をかけてしまったからだ。その後、村の製剤所で女性が事故死。さらに、男爵のキャベツ畑が荒らされたり、男爵の子供が行方不明になるなど、不審な事件が相次ぐのだが、それらの犯人は一切わからないまま、村人の間に重く不穏な空気が立ち込めるのだった…というストーリー。

恐ろしいことがおこるのだった…と煽るけど、たいしたことはおこらない。まあ、確かに人は死んだりするけど、そりゃ田舎の村だって事故くらいあるだろうて。続けて、もっと恐ろしいことがおこるのだった…と、重ねて煽るのだが、やっぱりそれほど恐ろしいことはおこらない。医者の生活、男爵の生活と荘園の農夫たちの生活、牧師の生活が、あまり絡むことなく並行して紹介される。まあ、どんな家庭でもいろいろあるでしょ。
まあ、徐々にストレスを重ね上げていく演出なんだろうけど。

『ファニーゲーム』のミヒャエル・ハネケ作品だが、これでもかーこれでもかーっていう演出はトリアー監督と似ているようだけど、決定的に毛色が違う。人間の悪の行いに理由なんかない。でも間違いなくそこかしこに存在する。そして、その悪が裁かれるとも限らないし、被害者がいつか報われるとも限らない…ってスタンスを徹底的に貫いている。

子どもたちに対する抑圧。そして彼らの抵抗。そういうプロットなので、犯人は子供ということだ。だってタイトルの白いリボンは子供たちに大人が結びつける、無垢の象徴であり罰なのだから。混乱するのが、劇中におこる事件のすべてが子供たちが犯人ではないってこと。地主のキャベツ畑が荒らされた事件はあきらかに子供の仕業ではないし、納屋の火事も、農民の妻の死も違うだろう。犯行の動機も一切わからないんだけど、抑圧された子供たちが生み出した“絶対悪”ってことだな。

ナレーションの声の主がだれなのか15分くらい経って、やっと教師だということがわかる。でも、ずっと教師目線で話が進むわけでもない。一人称で語るくらいなんだから、もっと事件に噛んでほしいのだが、最後の方になって急に探偵さんみたいにかぎまわりはじめる。それまで事件のことに無関心なくらいだったのにね。で、この教師は、家庭教師をクビになったエヴァとの恋愛に夢中。陰湿な殺人とは全然関係ないエピソードに意味があるのか?と。
まあ、後から考えると、なんでエヴァは森にいくのを嫌がったか。森は子供たちの溜まり場。エヴァは年齢も若いし家庭教師だった。彼女が子供側にいるのか、近いポジションだから知っているだけのかは微妙なところだが、とにかく子供たちが犯人であることを知ってるわけだ。

世の中の評価が高いのは事実。でも、私は微塵も面白いと良いと思わなかった。本作に漂う“悪の霧”みたいなものが、やがて本作の舞台を襲うナチス禍に繋がるのだ…って、ヨーロッパ人にどれだけトラウマがあるか知らんけど、ナチスナチスっていってりゃ、人間の底なしの闇の表現になると思ってるのか。ああ、深い作品だなぁ…ってなると思ってるのか。この村に漂っていたような空気がナチスを産んだという主張なら、それは私は賛同しない。子供を抑圧すると、ナチスみたいなのを作る土壌になっちゃうんだぞーってか?そんな単純なわけないだろ。その短絡的なロジックがあからさますぎて、鼻についた。

正直、一回で消化し切れなかった。あとから邂逅すると、ああそういう意味か…と繋がる部分も多々あるけど、色々不親切すぎるんだよ。面白くかんじるどころか、まったくもって不快になったのだが、多分もう一回観て整理することになると思う。
私の頭が悪いだけだとは思うけど、混乱させたまま終わる上に面白くも感じさせず、でもモヤモヤするからもう一回観させるなんてのは、根本的にはダメな映画だと思うよ。やっぱり映画は娯楽だからねぇ。だから、私は通ぶって“すごい映画だ”なんてことは言わない。

#一番ギョっとしたシーンは、医師が愛人の助産婦に暴言を吐くシーン。でも、“よっぽど臭かったんだと思う”よ。うん。

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image1871.png公開年:1974年
公開国:アメリカ
時 間:131分
監 督:ロマン・ポランスキー
出 演:ジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイ、ジョン・ヒューストン、バート・ヤング、ペリー・ロペス、ジョン・ヒラーマン、ダレル・ツワリング、ダイアン・ラッド、ブルース・グローヴァー、ロイ・ジェンソン、リチャード・バカリアン、ジョー・マンテル、ジェームズ・ホン、ベリンダ・パーマー 他
受 賞:【1974年/第46回アカデミー賞】脚本賞(ロバート・タウン)
【1974年/第9回全米批評家協会賞】主演男優賞(ジャック・ニコルソン『さらば冬のかもめ』に対しても)
【1974年/第40回NY批評家協会賞】男優賞(ジャック・ニコルソン)
【1974年/第32回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ジャック・ニコルソン)、監督賞(ロマン・ポランスキー)、脚本賞(ロバート・タウン)
【1974年/第28回英国アカデミー賞】主演男優賞(ジャック・ニコルソン)、主演男優賞(ジャック・ニコルソン)
【1991年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
コピー:出来ることなら そっと秘めておきたかった……運命の街チャイナタウンに最期の愛をかけた女イブリン!名匠ポランスキーが最大の愛情を注いだ批評界激賛の名篇!!

1937年。ロサンゼルスの私立探偵ジェイク・ギテスは、モーレイ夫人から市の水道局幹部である夫の浮気調査を依頼される。尾行の結果、モーレイ氏が若いブロンド女性と逢っている写真を盗み撮り。これで調査は終了したと思っていると、なぜかその写真が新聞に掲載されてしまっう。そして、調査を依頼してきた人物とは別の女性が本当のモーレイ夫人だと名乗り、ギデスの前に現われるのだった。納得いかないギデスは、ダム建設の疑惑に関係があると見て独自に事件の真相に迫ろうとするが、当のモーレイ氏が溺死体で派遣され、ギデスも謎の男たちの暴行をうけてしまい…というストーリー。
古臭い画質とノリの作品だが、今となっては実際に古典作品の部類。

ポランスキー監督が海外に逃亡する前の作品だけど、その事件現場は本作主演のジャック・ニコルソンの家だったし、さらに本作の事件の裏にある陰湿な性的倒錯を考えると、いささか気持ちの悪いものを感じなくも無い。
まあ、それはそれとして…。

たしかに古臭さに溢れてはいるのだが、ロバート・タウンによるシナリオは、それを覆すくらいにとても巧み。
慢性的な水不足というロスの歴史、そして実際に水に関しておこった事件などを下地にして、その人間関係をうまくサスペンスストーリーの背景に絡めている。説明的なセリフが極力少なくて、細かい仕草や身なりなどビジュアル的に、状況や立場を説明しているのが実にうまい。例えば、主人公ギデスの伊達男ともいえる小洒落た服装や態度は、彼の求める社会的ポジションやスタンスを代弁していたりね。
この点でいささか残念だったのは、私が今回みたDVDが字幕オンリーだったこと。画面が無言で伝える情報が非常に多いため、字幕を追っていると(これもなかなか多い)画面上のヒントを見過ごしてしまうのだ。実際、わけがわからなくなって何度も何度も戻した。捜せばあるのかしれないが、吹き替え音声版のDVDでもう一度観てみたいものだ。
#ギデスが元警官だとか、チャイナタウンも勝手知ったる地域だってこととか、油断すると見落としちゃうもん。

(以下ネタバレ)
サスペンスとしてもとても優秀で、展開はなかなか読めない。依頼者のモーレイ夫人が偽者という以外な展開だけでなく、さらに調査結果は公開され、あれよあれよというまにモーレイ氏は殺害される。作中のギデスが混乱する以上に、観ているこっちも大混乱。おそらく登場人物のだれかが殺人の黒幕だろうとは思うが、動機も水がらみなのか痴情のもつれなのか。ノア・クロスの色が濃くなってくると、予測がつくような単純な一本線がなかなかうかばない。

さらに、流れに身をまかせて眺めていると、そりゃあわかるはずがない…というような、斜め上の秘密が。とにかく先回りして想像させないという部分においては、映画シナリオ中トップクラスの出来映えだと思う。

正直にいうと、利権がらみのスジと、その隠れた秘密が、それほど不可分であるとは思えない点については、納得できていない。そんなにイヤなら、近しいところにいるんじゃねえよ!っつー部分ね(別に関係が今も続いているってわけじゃないんでしょ??)

勧善懲悪でもなければ、腑に落ちるオチが用意されているわけでもない。すべてを「ここはチャイナタウンだ…」で片付けてしまうのだけれど、そのモヤモヤをいかにもペーパーバック小説的な汚れた大人世界の空気で、煙に巻いて終わるのである。
こういうノリの作品だし、エグい謎のこともあって、好みが分かれる作品に違いないのだが、“シナリオの教科書”って言い切っていいレベルなので、あえてお薦めしたい。

#ギデスが大笑いしていた中国人ネタのおもしろさは、何度観てもさっぱりわからないけどね。
 

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image1740.png公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:ブレット・サイモン
出 演:リース・ダニエル・トンプソン、ミーシャ・バートン、ブルース・ウィリス、マイケル・ラパポート、パトリック・テイラー、キャスリン・モリス、メロニー・ディアス、ジョシュ・パイス、ルーク・グライムス、アーロン・ヒメルスタイン、ジョー・ペリノ、ロビン・ロード・テイラー、ヴィンセント・ピアッツァ、ゾーイ・クラヴィッツ、ザカリー・ブース 他



とある高校で、全国共通試験の答案が盗まれる事件が発生。新聞部の記者ボビーは、学園のマドンナ・フランチェスカから、犯人を捜して欲しいと依頼され、舞い上がって調査に乗り出す。独自に捜査で得られた手がかりを元に、生徒会長のポールが犯人であるとの記事を学校新聞に寄稿。生徒会長のポールは退学処分となり矯正施設に収容。反対に、ボビーは一躍学園の人気者となるのだったが…というストーリー。

(ネタバレ注意)

まあ、“処刑”が実際に誰かが殺されることを指していないということはわかるんだけど、邦題と内容のイメージの乖離がハンパないのは事実。結論をいうと誰も殺されたりはしないのだが、普通はそっち方向の展開があると思って観始めるだろう。

そういうバイオレンス展開の話ではなくて、純粋な学園謎解きモノだということが把握できるまで、結構な時間がかかる。私は、半分を経過しても、これはどういうジャンルの映画なの?と、そんな感じのままだった。これが意図したことなのかどうかわからないが、結果としてノリきれない一因となっている。観客を迷走させることに、メリットはあっただろうか?

また、どういう経緯でブルース・ウィリスが出ることになったのか。ブルース・ウィリスでなければならない理由は何一つなく、むしろ彼のキャラクターは何一つ生かされていない点が、ものすごく疑問。ブルース・ウィリスのことだから、きっと何かもう一展開あるに違いない…などと思ってしまいがちだが、結果的になにもない。無名に近いキャラクターの濃い役者を当てがったほうが効果的だったかもしれない。

等々…、無駄な期待を抱かせる演出が多くて、面白さを殺してしまっていると思う。
シナリオ自体は別に悪い内容の話ではない。むしろ、学園探偵モノとしてはなかなかで、こういう無駄な演出が無ければ、サンダンス映画祭なんかで評価を得られるレベルじゃなかろうかと思える。

レンタル料金100円なら文句は言わないが、200円だと機嫌が悪い日ならイラっとくるかも…そんなレベル。

で、私には、要所要所で電話をかけてくる、大学か何かの新聞部の人がダレなのかよくわからん。意図があってかけてきてるのか、純粋に役目を果たしているだけなのか、釈然としないのだが、誰かわかる?




負けるな日本

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image1627.png公開年:2009年 
公開国:スウェーデン、デンマーク、ドイツ
時 間:148分
監 督:ダニエル・アルフレッドソン
出 演:ミカエル・ニクヴィスト、ノオミ・ラパス、アニカ・ハリン、レナ・エンドレ、アンデシュ・アルボム・ローゼンダール、ハンス・アルフレッドソン、ヤコブ・エリクソン、ソフィア・レダルプ、ミカエル・スプレイツ、ニクラス・ユールストレム、レンナルト・ユールストレム、ニコラス・ファルク、ミリヤ・トゥレステット、ヤン・ホルムクィスト、ヤコブ・ノルデンソン、アクセル・モリッセ、トマス・ケーラー、ターニャ・ロレンツォン、マグヌス・クレッペル、ヨハン・キレン、ドナルド・ホグベリ、ミカリス・コウトソグイアナキス、ヨハン・ホルムベリ、ペーレ・ボランデル、テイラ・ブラッド、ゲオルギー・ステイコフ 他

父親ザラとの対決で瀕死の重傷を負ったリスベットは、ミカエルによって発見され一命は取り留めるものの、病院で厳重な監視下に置かれ、外部との接触が困難に。これまで、亡命スパイのザラを利用して数々の犯罪に手を染めてきた秘密組織は、その隠蔽のために関係者の口封じを画策する。リスベットを再び精神病院に隔離するために、彼女の運命を狂わせた精神科医テレボリアンに嘘の診断書を作成させ、ミレニアム誌にはこの事件についての出版をしないように脅迫を行う。しかし、ミカエルは、妹の弁護士アニカや、リスベットを雇用していた警備会社社長など、彼女の理解者たちと強力しながら立ち向かっていく…というストーリー。

2作目のあまりのクリフハンガーっぷりに、我慢できなくなり、新作料金でレンタルしてしまった。劇場で2作目を観た人も、そのクオリティの落ちっぷりには不満を抱きつつも、あまりのモヤモヤのために3作目を観にいったひとも多いのではなかろうか。

1作目は『クリムゾン・リバー』のような雰囲気に加え、米ドラマの『クリミナル・マインド』のガルシアみたいな凄腕ハッカーで、かつ虐待の被害者っていう危うい主人公の魅力が良かったんだけど、3作目はほぼ謎の組織と闘う法廷劇になっちゃってて、趣が全然違う。2作目にいたっては、その繋ぎ以外の意味はないような気がする。

その法廷対決までの過程は、なかなか面白いので、愉しめないわけじゃないんだけど、本当に一つのシリーズ物としてテイストが違いすぎる。本当にそれ以外に難点はない。2作目以降が、1作目のヴァンゲル家事件ともうすこし関わりがあれば、よかったのだが、おそらく原作の段階で、こうなってるんだと思うので、その点について映画の製作陣を悪くいう気はない。

結局、一番楽しめて幸せだったのは、原作の段階でこの作品に出会って、リアルタイムで読んだ人たちなんだろうな。1作目を観たら、最後まで観ないわけにはいかないと思うので、覚悟して手を出そう。3本とも結構長いのでTVシリーズをみるつもりで。佳作以上であることは保障する。

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image1626.png公開年:2009年 
公開国:スウェーデン、デンマーク、ドイツ
時 間:130分
監 督:ダニエル・アルフレッドソン
出 演:ミカエル・ニクヴィスト、ノオミ・ラパス、アニカ・ハリン、ペール・オスカルソン、レナ・エンドレ、ペーター・アンデション、ヤコブ・エリクソン、ソフィア・レダルプ、ヤスミン・ガルビ、ヨハン・キレン、ターニャ・ロレンツォン、パオロ・ロベルト、ミカエル・スプレイツ、ミカリス・コウトソグイアナキス、アンデシュ・アルボム・ローゼンダール、トマス・リンドブラード、ペーレ・ボランデル、ハンス・クリスティアン・トゥーリン、イェニー・シルフヴェルヘルム、ラルフ・カールソン、オーラ・ヴァールストレム、ニクラス・ユールストレム、マグヌス・クレッペル、ダニエル・グスタフソン、ドナルド・ホグベリ、テイラ・ブラッド、ゲオルギー・ステイコフ 他

鼻ピアスに全身タトゥーの女性ハッカー・リスベットの協力でヴァンゲル家事件を解決し、「ミレニアム」編集部への復帰を果たしたジャーナリストのミカエル。しかし、その事件の後、リスベットとは連絡途絶のまま1年が経過していた。そんな時、売春組織の取材をしていた記者2人が殺害される事件が発生。現場にリスベットの指紋が付いた銃があったことから、彼女は殺人犯として指名手配に。警察の捜査を網をくぐりながら犯人を捜すリスベットと、彼女の無実を信じ独自に調査をするミカエル。やがて“ザラ”という人物が浮かび上がり…というストーリー。

1作目のデキがよろしかったので、ものスゴく期待していたのだが、観始めると違和感が。霧がかかってとてもいい雰囲気の森だったので、もう一度訪れてみると、その霧はすっかり晴れてしまって、ただ森になってしまった…そんな感じ。キャストも舞台も一切変更がないのに、この差は何か。
で、確認してみれば、監督が変わっているじゃないか。これはいかん。なんでじゃ。さらにウィキペディアで検索してみると、1作目の映画がヒットしたのを受けて、TVドラマとして続編が作られることとなったものの、1作目のヒットが予測以上だったので、急遽TVドラマを映画に編集したという事情らしい。そういう事情で監督変更があったのは理解したが、だからといって、ここまでレベルダウンする理由にはならんだろう。

非常にタチが悪いのは、完全に中途半端なモヤモヤ状態で2が終わること。2時間以上観せておいてクリフハンガーはいかん。単体でも成立するように仕上げないと(劇場で観た人はさぞや釈然としなかったことだろう)。
無痛症の巨人が登場するのだが、これも原作から登場しているとは思うが、実にリアリティがない。無通症と聞くと、痛みを感じないんだからものすごく強かろうと思いがちだが、生物としてのフィジカルな危機シグナルを察知できないのだがら、死ぬ確率は倍どころの騒ぎではない。ましてやこんな暴れん坊が、生存できる確率は極めて低い。でも、1作目にあったような勢いとノリが2作目にもあれば、こんなことは絶対に気にならなかったに違いないのに。
日本でも2・3と相次いで劇場公開されていたのだが、これは劇場公開が許されるレベルとは言いがたい。

確信して言わせて貰うが、絶対に前の監督が手掛けていればおもしろくなっただろう。いや、せめて編集に携わってもらうなり、なんらかの形で関与してもらうべきだったろう。とはいえ、乗りかかった船、1を観た人は2以降を観ないわけにはいかないだろう。それほど魅力的な魔力をもった原作ということなのか。そして、そんな原作の力にあぐらをかいて、ちゃらんぽらんな続編にしてしまったスタッフを呪う。ん~、結局、私は3を観て、このモヤモヤを晴らすと思うのだが、それがワナにはまったみたいで悔しい。

とにかく、3作目をみてから、このシリーズに足を踏み込むべきか否かを判断したいと思う。評価保留。

#原作の段階から“火と戯れる女”という副題はついているようだが、登場するどの女性も火と“戯れ”てはいないと思うんだが。

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プロフィール
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クボタカユキ
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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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