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公開年:1978年
公開国:香港
時 間:103分
監 督:ユエン・ウーピン
出 演:ジャッキー・チェン、ユエン・シャオティエン、ディーン・セキ、ウォン・チェン・リー、ワン・チェン 他
 
 
 
 
 
 
清朝末期。広東にあるカンフー道場の息子フェイ・フンは、まじめに鍛錬せず、悪友たちと町で放蕩三昧の日々。そんな彼だが、正義感だけは一人前で、町で露天商の親子をいじめているチンピラを懲らしめる。家へ帰ると、さきほどのチンピラが包帯を巻いて乗り込んでくる。チンピラのけがは大げさに吹聴したものだったが、結局その場でも大乱闘となり、結局ケガ人を増やす結果に。そのありさまをみてすっかり辟易した父親はフェイを鍛えなおそうとするが、やはり目を盗んではサボってばかり。お手上げの父は、旧知の達人ソウ・ハッイーに息子を預けることにした。ソウがとてつもなく厳しい先生だという噂を聞いたフェイは、着の身着のまま逃亡するが、あまりに空腹に無銭飲食を図り、またもや大騒ぎに。そこで、泥酔した不思議な爺さんに助けてもらい、何とか切り抜けることができたが、実はその爺さんがソウで…というストーリー。

冒頭のあたりは、ヤンチャなだけで、町の人を助ける正義感、そして主人公にありがちな誤解されるキャラなんだけど、少年漫画的なわかりやすいキャラで楽しい。
ただ、一応正義感は強いんだけど、ジャッキー演じるフェイの行動や、ヤンチャを超えてクソ人間。町のチンピラと同レベル。食堂のシーンは印象的だけど、その無線飲食の手口や言い訳は、単なる悪党である。もう少し、“実はいい人”という演出があっていいと思うが、最後までそういう描写がない。まあ、それが“異世界”な雰囲気を醸し出している一要因ではあるので、ダメなわけではないのだけれども…

酔拳がすごいというのは何となく納得できる。鶴拳は鶴の動きを模する。蛇拳は蛇を。酔拳だって、酔っぱらった人の動きを模すればいいのであって、実際にアル中になるほど飲み続ける必要はない(仮に修行中に実体験するために飲むことはあったとしても)。
実際に劇中で、「酔拳は本当に酔っているのではない、酔っているようにみえるのだ!」と言っている。そこまではいい。でも、ソウ・ハッイー、おまえアルコール切れたら手震えて力でないじゃねーか。弱い(確信)。

ソウ・ハッイーの最後の修行で、酔八拳を習うわけだが、その中の一つ女性の動きの拳がある。フェイにはいまいちピンときてなくて、適当にごまかして会得しておらず、最後の戦いでピンチに…という展開がある。そこは、はじめのほうに出てきた、達人おばさんを絡めないとシナリオ的にはダメだと思う。

その他にも、ケツが破けるとかシチュエーション的にギャグになっていないシーンが散見されるとか、アクション時の風きり音が過剰でズレもあるとか、難点はいくつかある。でも、アクションとストーリーとコミカルさの“バランス”という意味では、ジャッキーの拳法映画中随一で、集大成的作品だと思う。

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公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:ロルフ・カネフスキー
出 演:ジュリア・レーマン、ジェームズ・フェリス、エリック・ファガンデス、ブランディ・ウィリアムズ、アンジェラ・ドッドソン、ジョイ・ジョヴァンニ、ティファニー・シェピス 他
 
 
 
 
 
 
オタク少年ウォルターの隣家に、セクシー美女5人が住み始める。彼女たちは日々の生活をネット配信しているのだ。隣にいるのに近づくこともできず、悶々とするウォルター。そんなある日、ウォルターは父から携帯電話をプレゼントされるが、落雷の被害にあってしまう。すると携帯電話の中に謎のプログラムが宿る。なんとそのプログラムは、しゃべった通りに、人の行動を支配してしまう。さっそく隣家の美女たちに、いたずらすることを思いつくウォルター。しかし、携帯のプログラムがウォルターに惚れ始めてしまい…というストーリー。

まず、『超能力学園Z』(1982年)という作品が存在する模様。さらに『超能力学園WXY』(2001年)というのがあって、本作はその続編らしい。知らん。冒頭の携帯電話を荒野に捨てるシーンが、どのシーンにつながるのか(後なのか先なのか)もよくわからない。

実にくだらない内容ではあるが、シナリオの構成としては、悪くない。偶然にも謎のツールを手に入れてしまい、若者の欲望をそのツールで満たそうとするが、すったもんだでおかしなことに。

正直な気持ちをいうと、観て後悔している。途中から、ながら見状態だった。

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公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:アラン・メッター
出 演:ジョージ・ゲインズ、デヴィッド・グラフ、マイケル・ウィンスロー、レスリー・イースターブルック、クレア・フォーラニ、ロン・パールマン、チャーリー・シュラッター、クリストファー・リー、G・W・ベイリー 他







ロシア製の“THE GAME”というポータブルゲームが、世界規模で大ヒット。老若男女問わず、人々を夢中にしている。実は、このゲームの製作者はロシアンマフィアのボス、コンスタンティン・コナリ。何やら、このゲームソフトを用いて、とんでもない悪事を企んでいるという情報をロシア警察が掴む。ロシア警察は、かつてコナリをアメリカで追い詰めたことがあるラサード校長に支援要請。ラサールは、ジョーンズ、タックルベリー、キャラハンに加え、現アカデミーで成績優秀な生徒を一人同伴させることに。しかし、ちょっとした手違いで、高所恐怖症が原因で放校寸前だったコナーズが選出されてしまう。かくして、彼らにハリスを加えた6人がモスクワに到着するも、早々にラサールは行方不明になってしまい…というストーリー。

『ポリス・アカデミー'94 モスクワ大作戦』という邦題だったこともある模様。だが、どう小手先で策を弄しようとも、如何ともしがたい品質の悪さは覆せない。
前作から5年経過したことは仕方がない。5,6作目の質が悪過ぎたから。なら、5年ぶりの作品らしくもっと気合いを入れろ!と喝を入れたくなる。

“THE GAME”が大流行ということなのだが、使用しているのはゲームボーイ。カートリッジがささっていない。やる気ないのかよ小道具係!とは思ったが、まあそこは許そう。でも後に、パソコンで起動するとか、よくわからない描写が出てくる。パソコンゲームなの?

ハイタワー消える。役者さんがお亡くなりになった模様。残念。フックス消える。なんとニックが消えて、似たキャラのコナーズが登場。しかし、現地通訳との恋話ばかりで、あまり捜査の役に立たない。新米で旧メンバーとのエピソードがないから、かみ合わない。
コナーズは高所恐怖症というキャラ付けがされているのだが、後に通訳とのデートの時などに、思い出したようにちょこちょことその設定が出てくるのだが、ストーリー上、全然必要がない。はっきりいって邪魔な子。この子はいらない。タックとかジョーンズとかの活躍の場を増やし、ロシアのアカデミーの子をキャラハンが鍛えればよかったのだ(いろんな意味で)。
ジョーンズが公園で子供の自転車に乗っているときに狙撃されるシーンの意味が全然わからない。全然ギャグになっていなくて、かなりヒドい。

早々にラサードは行方不明になり、完全別行動。おとぼけを連発してはくれるのだが、いまいち面白くない。言葉の通じないロシア人とのすったもんだで、おもしろくなりそうなものなのだが、下品ネタばかり。ボルシチを捨てるシーンは、ロシア料理をディスってるんだと思うけど、いまいちピンとこない。
じゃあ、ハリスで面白さを補完してもらいたちところだが、何とプロクターいない。ハリス一人で失敗して空回りというパターンだけではとても持たない。

さすがに、5年のブランクはあるし、オリジナルの演者は減っているし、正直、自信がなかったのだろう。ロン・パールマンとか、クリストファー・リーとか、それなりに名の知れた役者を使って脇を固めようとしている。でも、逆にアカデミーメンバーの陳腐さを助長してしまった感じ。

続編製作の話が降っては沸くポリアカシリーズだけど、この7作を観たら、もうそっと静かに葬ってあげようよ…という気持ちにさせられる。正式なポリアカは4作目まで。これで確定。以上。

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公開年:1989年
公開国:アメリカ
時 間:85分
監 督:ピーター・ボナーズ
出 演:
ババ・スミス、デヴィッド・グラフ、レスリー・イースターブルック、マリオン・ラムジー、マット・マッコイ、ブルース・マーラー、G・W・ベイリー、ジョージ・ゲインズ、ケネス・マース、ゲリット・グレアム 他





ハリスが分署長となった管轄地域で、同一組織による宝石泥棒や強盗が繰り返される事案が発生。市長はラサード校長をに相談して事態の打開を依頼。ハイタワー、ジョーンズ、キャラハン、タックルベリー、フックス、ニック、ファックラーが招集され、さっそく警備にあたる。しかし、常に強盗団に裏をかかれてしまい失敗続き。どうやら、内部から情報が漏れている模様。どうやら、全市をパニックに陥れ、市政の転覆が目的らしいのだが…というストーリー。

ハリスが出世している…。まあ、イヤミなやつだが無能ってわけではなかったので、マウザーがアカデミー校長になっていたときほどの違和感はない。
ただ、本作での扱いは完全に無能者で、プロクターと同レベル。そうなると、どうして出世できたのか疑問が湧いてしまうというバランスの悪さ。

過去には、新ポリス・アカデミーという邦題だったこともあったらしいが、どうせなら、マホーニがいなくなった前作からつけるべきだったろう。実は、新キャラも登場しなくて、全然“新”じゃない。

コンクリンなど、新参組は消滅。ファックラーは復活!もう、ファックラーは邪神のような扱い(やりすぎで、笑えないレベル)。
メインは一応ニックだが、1作目からいるジョーンズやハイタワーのキャラの強さに完全埋没。とにかく薄い。

現場が舞台ということで、2に近い雰囲気。特徴は、スクリーンの裏にいる影のフィクサーは誰か?というミステリー仕立てであるという点。こういう推理要素は、今まではなかった。新機軸!って褒めてあげたいところなのだが、犯人がバレバレにもほどがある。おまけに、犯人が判った場面の、つまらなさ。脱力すること必至。

前作の舞台がマイアミだっただけに、スケールが小さくなった感も強い。セットなどを見ても予算が少ないのかな?と、ショボさが際立つ。絞り出すように続編を作ってみたけど、ダメでした…って感じで、力尽きた感が漂う。

結果的に、目新しさもシリーズが培ってきた面白さも見せることができず、マンネリ感だけを際立たせてしまった残念な結果に。次回作まで5年開くのも致し方ない。やはり、鑑賞に堪えるのは4作目までか。

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公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:アラン・マイヤーソン
出 演:ババ・スミス、マイケル・ウィンスロー、デヴィッド・グラフ、G・W・ベイリー、ジョージ・ゲインズ、レスリー・イースターブルック、マリオン・ラムジー、ジャネット・ジョーンズ、マット・マッコイ、ルネ・オーベルジョノワ 他
 
 
 
 
 
 
いよいよ定年間近となり、憂鬱な日々を過ごすラサール校長。そんな彼の姿を見て心を痛めるハイタワーたちポリス・アカデミーの卒業の面々。そんな中、ラサールが今年のNO.1警官に選出され、マイアミで開催される警察大会で表彰されることが決定したとの報が入る。少し元気を取り戻したラサールは、表彰式に卒業生たちを同行させることに。一方、相変わらずラサールの足を引っ張ろうと躍起になっているハリスは、ラサールの人事関係の書類を無断閲覧。そこで、実は去年の段階で定年に達していたという事実を知る。表彰式の場でそれを暴露して恥をかかせてやろうと、プロクターと一緒にマイアミへ向かうのだったが…というストーリー。

まず、マホーニが消えるという大転換点。確かに、マホーニがいなくなることは重大かもしれないが、彼がいなくなったからってポリアカ臭がなくなるわけではあるまいし。何とかなるだろうと期待(実は5作目以降は完全に初見である)。

マホーニに代わって、ニックというラサード校長の甥っ子が登場する。キャラはほぼ近い感じだが、劣化コピーであることは否めない。マイアミに同行するのは、ハイタワー、タックルベリー、ジョーンズ、キャラハン、フックス。前作からの継続組はコンクリン。それにハリスとプロクター。ゼッドやノガタは消えた。

マホーニがいなくてもメインどころはそれなりに残っているので、何とかなりそうなものなのだが、キャストのスッカスカ感がハンパ無い。観終って、フックスいたっけ?って思うくらい影無いし。気のせいかもしれないが、キャラハン役の人のはりきり具合は、違和感を感じる。あまり意図的に前に出ちゃいけないキャラだと思う。

マイアミに行った先も警察のイベントなんだけど、全編バカンス気分なものだから、前作までの頑ななまでの“原点回帰”の姿勢とは打って変わって、“ポリス”要素が希薄に。

本作のギャグは、ちょっとスベっている。これまでのシリーズ中の逆もベタベタでくだらないものだらけだったが、何か違う。おもしろくない。コンクリンが移動すると飛行機が傾く。ハリスの胸に日焼け止めで“DORK”と書く。鞄の取り違えネタを延々と。うーん、前からこのレベルだったような気はするのだが、イマイチ笑えないのはなぜか。

これまでも、いろいろグラグダながらも最後は派手にぶち上げて終わってくれていた。本作でも、マイアミの大自然を舞台に派手なアクションを展開してくれる。派手…うん、無駄にアクション要素が過ぎる。ワニとの格闘とか無駄に激しい。まあ、見どころっちゃあ見どころなんだけど、過剰ぎみでちょっと醒めてしまう。

なんと、ブルーオイスターがでてこない。マイアミ支店か、別の“オイスター”を出すべきではなろうか。ガクーンとクオリティが低下する作品。

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公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:88分
監 督:ジム・ドレイク
出 演:スティーヴ・グッテンバーグ、ババ・スミス、マイケル・ウィンスロー、デヴィッド・グラフ、シャロン・ストーン、レスリー・イースターブルック、マリオン・ラムジー、G・W・ベイリー、ボブ・ゴールドスウェイト、ジョージ・ゲインズ、ジャッキー・ジョセフ、スコット・トムソン
ノミネート:【1987年第8回ラジー賞(ゴールデン・ラズベリー賞)】ワースト主題歌賞(“Let's Go to Heaven in My Car”)



ポリス・アカデミーの校長ラサールは、卒業生たちを招集。ラサールは、かねてから市民による自警団を発足させたいと構想していた。定年間近となり、何とか実現したい彼は、卒業生たちに自警団員の募集と訓練を依頼するのだった。ラサールの願いとあって即応した彼ら。タックルベリーとキャラハンは老人ホーム、マホーニとジョーンズは町のチンピラたち、ゼッドは詩の朗読サークルを訪ねて勧誘する。勧誘の効果もあってどんどん希望者が集まってくる。中にはハイタワーの甥っ子も。しかし、集まった老若男女は、満足に整列はできない、号令には従わないと、ひどいありさま。そんな自警団結成の動きを煙たがる人物が一人。かつて市長のきまぐれで入学してきたマホーニたちをしごき倒したハリスだ。彼はまたもや嫌がらせを開始する…というストーリー。

3作目で舞台をアカデミーに戻し原点回帰。さすがにネタも切れた頃だろうと思ったら、1作目同様に素人集団を鍛えるという、さらなる原点回帰を見せるという大技に。
なんとゼッドが警官になった上に、恋愛エピソードを展開させる。これが意外と純なキャラクターで結構ほのぼの(相手の女性のセンスがまったく理解できんが、おもしろい)。タックが無茶苦茶なのに実は純情…というキャラだったが、彼が結婚して落ち着いてしまったので、そのポジションが廻ってきたってところか。しかし、彼が目立つ位置になったせいか、ファックラーが退場。さすがに3作目がクドかったからね。

一番のポイントはハリス復活。次期校長を狙うというお約束ポジション。マウザーはクドすぎたし、前作ではいまいち悪役っぷりがピリっとしていなかったから、退場は順当。しかし、驚くべきことにプロクターが残留(これもファックラーが消えた理由かな?)

シャロン・ストーンが出演しているのだが、ものすごい違和感。『氷の微笑』の5年も前だからキャリア的に出ていてもおかしくないんだけど浮いてる。とても可愛らしい容姿で目を惹くのだが、マホーニの恋のお相手役で記者役で、実は金持ちという、要素が盛りだくさんなのに、いまいち設定が消化しきれていない残念な役柄。もうちょっとストーリーのカギ的ポジションにしてあげればよかったのに。

ノガタはなぜかラサールの秘書みたいなことやっていて、キャラハンとの関係はうやむや。ジョーンズとフックスはいまいち影が薄い。

素人が素人なりに正義感を爆発させて活躍する展開は痛快。好みは分かれると思うが、3作目並みのおもしろさはキープできていると思う。もちろんブルーオイスターも健在!監督は変わっても、大きく変わりようがない歴史がここにある。
ただ、最後の囚人脱獄からエア・ショーの流れは、ほぼポリアカメンバーだけになってしまっていて、盛り上がりこそしているがマンネリ感は否めない。お馴染みネタも、待ってました!ってよりも、ノスタルジーに近い感覚になってきた。本作がシリーズ上の一つの転換点かもしれない。
#こんな作品の主題歌に対してラジー賞ノミネートとか、貶す意味がない。やっぱりラジー賞ってセンスない。

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公開年:1986年
公開国:アメリカ
時 間:83分
監 督:ジェリー・パリス
出 演:スティーヴ・グッテンバーグ、ババ・スミス、マイケル・ウィンスロー、デヴィッド・グラフ、マリオン・ラムジー、レスリー・イースターブルック、ボブ・ゴールドスウェイト、ジョージ・ゲインズ、ショーン・ウェザリー、スコット・トムソン 他
 
 
 
 
 
財政圧迫のために、州に2つあるポリス・アカデミーのうち1つが閉校になることに。一つはおなじみラサール校長が務めるアカデミー。もう一つは、16分署の警部だったマウザーが昇進して校長になったアカデミー。州政府は、両校のどちらを残すべきか判断するために、評定委員会を送り込む。ラサール校長は、マホニー、ジョーンズ、ハイタワー、タックルベリーらOBたちに協力を求める。しかし、今年の入学生は例年に増してポンコツ揃い。ギャング団のボスだったゼッド、タックルベリーの義弟バド、日本のから来た交換留学生だが言葉がいまいち通じないノガタなど、特訓は大苦戦。そんな中、マウザーがスパイをラサール・アカデミーに潜入させたことを察知したマホニーは…というストーリー。

3作目も現場のお話だと、“ポリスアカデミー”でも何でもないので、原点回帰といったところか。でも、さすがに前作で、ある意味悪の黒幕だったマウザーが昇進しているというのはリアリティがない。ラサール校側にハリスもいないし、パラレルワールドのお話かな?と思ったほど。

やっぱりマウザー校長には無理があって、本作ではさほど悪役として活躍できていない。その代わり、引き続き登場した腰巾着プロクターがドタバタ役として開花する。前作に引き続き登場するゼッドと、ゼッドたちにカモにされていた家具屋の店主スウィートチャックがなぜかアカデミーに入学して、ドタバタコンビに。おまけに、ナチュラル・ボーン・ドジのファックラーも継続出演しているものだがら、この3作目、ドジ人間が多すぎて、グッチャグチャなのだ。

アカデミーに舞台が戻ったことで、キャラハン復活。1作目のプレイボーイとは結ばれなかった模様だが、そのおかげで本作から性に奔放というキャラクターが一層強化されている。本作では、日本人のナガタと結ばれる設定だが、おそらく次作ではこの設定は無視されるだろう。
ユニークなのにやっぱりいまいち活躍しないジョーンズだが、ノガタのおかげで格闘技路線で目立つことができた。

マンネリぎみのキャラクターの賞味期限を、アホエピソードで強引に延ばしている印象ではあるが、悪くはない。マウザーが悪役として弱い分、無理矢理に最後は事件を発生させる。1作目も同じ終わらせ方でマンネリだと思ったけど、単純に水上バイクのレースシーンが面白かったので、力技ではあるが、満足。2作目に匹敵する。

もちろんブルーオイスターも登場(だんだん、登場するのが快感になってきた)。

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公開年:1985年
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:ジェリー・パリス
出 演:スティーヴ・グッテンバーグ、ババ・スミス、マイケル・ウィンスロー、デヴィッド・グラフ、ブルース・マーラー、マリオン・ラムジー、コリーン・キャンプ、ハワード・ヘッセマン、ジョージ・ゲインズ、ボブ・ゴールドスウェイト、ジャッキー・ジョセフ、ジュリー・ブラウン 他





ポリスアカデミーのラサール校長の弟は、全米最悪の犯罪発生件数の16分署で警察署長をしている。犯罪増加の原因がギャング団であることは判っているのだが、その本拠地の所在が不明で対処することができずにいた。犯罪件数の増加を止められなければクビだ!と言われた署長は、兄に助けを求める。弟のために一肌脱ごうと決めたラサール校長は、ポリスアカデミー卒業生の中から優秀な生徒を送り込む。選ばれたのは、マホーニー、ハイタワー、タックルベリー、ジョーンズ、フックス、ファックラーの6人。めちゃくちゃながらも、ギャング団撲滅に奔走するポリスアカデミー卒業生たちだったが、次期署長の座を狙うマウザー警部とその腰巾着プロクターは、マホーニー達を失敗させて、署長を失脚に追い込もうと悪だくみをする…というストーリー。

数日前に『ポリスアカデミー』を観て、その時は吹き替え音声のないDVDを借りてしまいがっかりしたわけだが、吹き替え音声あり版をレンタルしている店を発見。改めて1も観直した。やはり日本語吹き替えは最高。
ということで、本日からポリアカ祭。7作目まで全部レンタルしてきたよ。TVで放映していたのを観て以来のはず。

すったもんだでなんとか警察官になることができた卒業生たち。もちろんすぐに大活躍できるわけでもなく、交通整理などに配属されるわけだが、そこでもアホっぷりを発揮している模様。弟のために精鋭を投入だ!もちろん彼らは精鋭じゃない。もう、イヤな予感しかしないという、素敵な展開。

舞台が現場になったため、ハリスやキャラハンはもちろん登場しない。ハリスに代わって悪役となるのは、16分署副所長のマウザー。ハリスはただのイヤミな奴だったが、マウザーは自分の出世のために犯罪組織を助長させるという、はっきりとした悪人。ギャング団を撲滅するという目的のストーリーだから、悪役が2ついるということになるわけだが、単純にそうはならず、悪逆非道のはずのギャング団のボス・ゼッドが、ギャグ満載のオトボケキャラになることで、うまくバランス取ったキャラ配置になっている。

製作のポール・マスランスキーだけが前作と一緒で、監督も脚本も変更されているのだが、しっかりとノリは継承。ジョーンズに空手要素が加味されたり、タックのヘタレキャラと暴走キャラの振幅が明確になったりと、キャラの味わいがより深くなっており、こういう追加設定の成功こそが、以降のシリーズ化を決定づけたともいえる。
#前作でも言ったが、意外とジョーンズは出オチキャラなので、こういうキャラの補完は重要。

一旦、マホーニーとラサール署長はクビになってしまうが、持ち前の正義感で、個人的に潜入捜査を開始。この、下げて上げてのストーリーテリングや、意外と他のキャラの強い個性に埋もれがちなマホーニーに活躍の場を作るなど、バランスがうまい。
出た!ブルー・オイスター。こういう小ネタも忘れていない。
最後はグっと急展開で畳み掛けて、ずーっとひっぱてきたタックルベリーとカークランドの結婚式で大団円という、見事な締め具合。1作目はお世辞にも綺麗に締めたとは言えなかったが、本作は実に見事。シリーズ中、最高傑作といってよいだろう。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:アラン・テイラー
出 演:クリス・ヘムズワース、ナタリー・ポートマン、トム・ヒドルストン、アンソニー・ホプキンス、ステラン・スカルスガルド、イドリス・エルバ、クリストファー・エクルストン、アドウェール・アキノエ=アグバエ、カット・デニングス、レイ・スティーヴンソン、ザカリー・リーヴァイ、浅野忠信、ジェイミー・アレクサンダー、レネ・ルッソ、アリス・クリーグ、クライヴ・ラッセル、ジョナサン・ハワード、クリス・オダウド、スタン・リー、トニー・カラン、ベニチオ・デル・トロ、クリス・エヴァンス 他
ノミネート:【2014年/第23回MTVムービー・アワード】ヒーロー賞(クリス・ヘムズワース)、シャツなし演技賞(クリス・ヘムズワース)、フェイバリット・キャラクター賞(トム・ヒドルストン)
コピー:「ロキよ、お前の最後のチャンスだ。――私とともに、地球を救え」


ニューヨークに大打撃を与えた“アベンジャーズの戦い”から1年が経過。ソーとの音信が途絶え喪失感に襲われていた天文物理学者のジェーンのもとに、ロンドンで原因不明の重力異常が発生したとの情報が入る。調査を始めたジェーンは、とある倉庫の中の空間の一部が、どこかの異空間と繋がっているような状態であることを発見する。強い興味を抱いた彼女は、迂闊にも自らその空間の中に入ってしまう。一方、愛するジェーンの動向を常に監視していたソーは、彼女が地球から消失したことに驚き、地球へ急行。ジェーンは不思議な空間から自力で戻ることができたものの、感覚以上の時間が経過しており、さらに自分の体に謎の力が宿っていることに気付く。心配したソーは、彼女を神の国“アスガルド”へと連れて行く。調べると、彼女に体に全宇宙を闇に変える恐るべき力“ダーク・エルフ”が取り込まれいることが発覚する。その力が、かつて闇の力で宇宙を支配しようとして失敗し、今は封印されている闇の王マキレスを呼び寄せてしまい…というストーリー。

『アベンジャーズ』の戦いから1年という設定。前作の『マイティー・ソー』の続きというならわかるのだが、『アベンジャーズ』の後の世界がこれか?という違和感。お祭り騒ぎが、すっかり個々の作品の足枷になってしまっているな…と。
“アベンジャーズの戦い”の時に、なんでジェーンに会いに来なかったのかの説明に必死になっている説明的なシナリオが、結構ダサいのだが、それでも、粗忽なソーの言い訳をキャラの良い味付けに転じさせているところは、ウマいと思う。
絶対続編なんか作られんだろ!と思っていたが、まあ、ソーのハスキー犬みたいなアホっぽさが、本作では強調されていて、憎めない奴として確立されてる感じ。

前作もそうだったが、根本的に、この作品の“あっちの世界”観が、いまいちピンとこない。ファンタジーが過ぎるせいかもしれない。しかし、2つの世界を行ったり来たりするという展開が、『ハリー・ポッター』的な面白さを生んだ。終盤のバトル自体は、実はそれほど面白くはないのだが、この“異世界交流”という設定によって、飽きずに観ることができていると思う。

妙にシリアスだった前作と比べると、コメディチックな場面も多いし、メロドラマ要素も、冒険譚的な要素も強い。むしろ、2作目になってやっと“ソーの世界”の魅力が開眼したといっても過言ではなかろう。悪い意味ではなく、ナタリー・ポートマンのアンマッチ感も、それに助力していると思う。

ロキは前作のクソキャラっぷりから面目躍如の活躍。そして、やっぱりタダでは起きない曲者ぶりの両面を発揮。どうでもいいクズキャラだったが、意外と映画史にのこるユニークキャラになっていくかも。
#浅野は、この程度の出番なら出なくてよかったかもしれない(相変わらず吹き替え音声が本人なのは好感)。

最後にデルトロまで出したんだから、当然続編はある。いや、むしろ、他のアベンジャーズさんたちのどの個別作品よりも、長く続きそうな予感をさせてくれるほど、完全にシフトアップした。いまさら、惑星直列とか田舎くさいギミックだが、そういうダサいコミック調のノリを吸収して昇華する雰囲気の作品になった(ちょっと褒めすぎかも)。とても楽しい2作目だった。

拍手[0回]

公開年:2014年
公開国:アメリカ
時 間:117分
監 督:ジョゼ・パヂーリャ
出 演:ジョエル・キナマン、ゲイリー・オールドマン、マイケル・キートン、アビー・コーニッシュ、ジャッキー・アール・ヘイリー、マイケル・K・ウィリアムズ、ジェニファー・イーリー、ジェイ・バルシェル、サミュエル・L・ジャクソン 他
コピー:半分人間、半分ロボット 最強の警官誕生。




2028年。ロボット・テクノロジーの分野で支配的な地位を占める巨大企業オムニコープ社は、軍事用ロボットを世界各国で販売し、巨大な利益を得ていたが、アメリカ国内での配備は、法律で禁止されていた。事業拡大を目指すオムニコープ社は、その法案を廃止するために、積極的に議員たちへの働きかけたり、TV番組を使って世論誘導を試みるも、ことごとく阻まれていた。アメリカ国民は心の無いロボットを配備することに懸念を抱いていると分析したCEOのレイモンド・セラーズは、機械のボディに人間の頭脳を融合させたサイボーグならば、受け入れられると判断。サイボーグ技術の権威であるデネット・ノートン博士を抜擢し、『ロボコップ』計画を立ち上げるのだった。被験者に選ばれたのは、デトロイトの警官アレックス・マーフィ。彼は、自宅前に停めていた車に仕掛けられた爆弾により、体の多くの部分を欠損するほどの重傷を負っていた。彼の妻の同意を得たノートン博士は、アレックスの身体のほとんどを機械に改造し、ロボコップとして蘇らせるのだが、元の体がほとんど残っていないことにショックを受け、死を望むアレックス。妻子のためにも生き続けろというノートン博士に説得され、アレックスはロボコップとして生きることを受け入れたものの…というストーリー。

1作目の監督であるポール・ヴァーホーヴェンが『トリック』内で述べていたように、同じ毛色の作品を続けて作ることに意味あるの?2とかクソだったでしょ?(意訳)と発言していたが、さて、完全に1作目のリメイクある本作はいかがなものか。
1作目の音楽を使用しているのだが、それを聞くと何故か1作目を汚されているような気分に。やはりヴァーホーヴェンの言っていることが正しいのか?と思えてくる。
障碍者用ロボットが実用化されつつある今の時代、それほどSF的な感じもしない。さらに、話がロボットとの反応速度の違いとか、議会の理解を得るために“人間らしさ”が必要とか、ロボコップ計画が始まるまでの展開がまわりくどい。

1作目の、社内派閥の対立っていう構図が判りやすかったし、企業の都合と権力を持った一社員によってグイグイとプロジェクトが進む展開に、そら恐ろしさを感じたものだが、本作では企業のトップと現場の科学者との軋轢と、それに翻弄されるマーフィーという構図になっている。

世界各地で軍事用ロボットが使用されているが、アメリカ国内では使用を禁じられている…という設定については、世界中で使用されているのに、アメリカが使わないなんてことがあるか?と一瞬思うが、現在でも国際関係においてアメリカは国内外でダブルスタンダードな違う対応をしているし、意外と聖書ファンダメンタリストによる非科学的な教育がまかり通ったり、アーミッシュみたいなのが存在するわけで、この二面性は現実的である。そして企業が世論操作のためにメディアを利用している点についても。でもそれは、現実的であるということではあるが、SF的というか未来を予見しているわけではない。つまり、舞台設定に夢はない(明るい・暗いは別にして)。“暗い社会”という意味ではゴッサムシティに近いかもしれないが、“何でもアリ”な舞台設定でもないのでワクワクしたりはしない。

また1作目と大きく異なるのは、マーフィーの妻の扱い。1作目では彼はただただ死んだ扱いになっており、“疎遠”になるだけだった。後で会いにいくこともできたんじゃねーの?という僅かな疑問を残したりしたものだ。本作では、ロボコップになることも把握しており、妻も子も夫の“帰還”を待っているという設定。この違いは大きくて、話の大きな軸になっている。いや、むしろこの一点で1作目とは別の話になっているともいえる。

劇場公開時のCMやキャンペーンでは、新作ロボコップの“黒いボディ”が殊更強調され、旧作ファンから強い批判と失望の声があがった。確かにCMなどで紹介されていた黒いボディにはロボコップらしさは皆無だった。“そんなのロボコップじゃねえ”本作がヒットに至らなかった大きな理由の一つであろう。

しかし、実際本編を観てみると、それほど違和感を感じない。あの頭部のシェードのデザインがロボコップらしさを削いでいるのだ。それ以外のデザインは悪くない。さらに、黒いボディ自体が、“人間の心を喪失した姿”の象徴でもある(プロトタイプ時点や、一段落したラスト付近では、元の銀のボディだったりする)。その姿だけをプロモーションで強調したのが良くない。

また、あまりにスピーディすぎて重厚感皆無であることも指摘されていたが、その点も、あまり違和感を感じなかった。“ライバル”となるロボットたちや犯罪者たちのスピード感、そして彼らが保持する重火器の威力を考えると、ノッシノッシ動いていたらただただ的になるだけだし、全部の攻撃を受けきれってしまったら、それはそれでリアリティに欠けてしまっただろう。
結論を言えば、黒いボディではなく、その前後のシーンをCMに使えばよかった。ただそれだけのこと。あとのストーリー展開は悪くない。十分に愉しめた。

ただ観終った後、ふと思い出したのは、“なぜ片手を生身で残したのか?”銃を撃つシーンの為だとすれば、逆に何の効果も生んでいない。残った片手に子供との思い出を蘇らせる何かがあるとか、息子が生身の手に触れて父親との絆を感じるとか、そういうシーンはなかった。前半に無駄に夫婦のエロシーンを入れたせいで、片手を残したことで下衆な勘繰りをさせる余地を与えたのは、失敗かも(そんな勘繰りをする奴はいないって?いや、それなら逆に手を残す演出上の意味がない)。

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公開年:1956年
公開国:日本
時 間:87分
監 督:島耕二
出 演:刈田とよみ、川崎敬三、八木沢敏、見明凡太郎、南部彰三、フランク・熊谷、河原侃二、岡村文子、永井エミ子、小原利之、平井岐代子、斎藤紫香、山形勲、夏木章、目黒幸子、渡辺鉄弥、泉静治、谷謙一、杉田康、津田駿二、花村泰子、原田該 他





世界中で謎の飛行物体の目撃情報が相次ぎ、科学者たちの間で盛んに議論されていた。実は、その飛行物体は、地球を観測するためにやってきたパイラ星人のものだった。パイラ星人は、地球上で原子雲が発生しているのを見つけ、自分たちが原子力を兵器として使わないようにするために、散々苦労した歴史を持っており、地球人が同じ轍を踏もうとしていると思い、忠告にやってきたのだ。そんな彼らの思いなど露知らず、地球では空飛ぶ円盤騒ぎで大盛り上がり。しかし、天文学の小村博士や助手の磯辺徹、小村の従弟で物理学者の松田博士らが、研究を重ねるものの一向に正体を掴めずじまいだった。一方のパイラ星人も地球人にメッセージを送るために使者を送るが、その奇怪な姿に恐れおののかれるだけで、目的を達成することができずにいた。相手を奇怪な姿と思っているのはパイラ星人も一緒で、人間の美的感覚に首を傾げていたが、そうも言っておられず、一人の星人を人間の姿に変身させて地球に送り込むことに。人気歌手青空ひかりをモデルに変身し、銀子という名前で日本に送り、松田博士の家に入り込むことに成功はするのだったが…というストーリー。

内容とは無関係だが、このパイラ星人のデザインは岡本太郎。ガチャポンのパイラ星人、なかなか高額で手に入らない。まあ、自作できそうなくらいシンプルなデザインではあるのだけれど…。

実は、日本特撮映画史上、初のカラー作品は本作らしい。“色彩指導”にも岡本太郎がクレジットされているほどで、“カラー”であることに物凄く気を使っていたことが伺える。その一端かもしれないが、タイトルの“宇宙人”のフォントが無意味にポップなのがおもしろい。

普通だったら、宇宙人のデザインなんて一笑に附されるようなモノになるのだが、さすが岡本太郎。このパイラ星人、シンプルながらも、恐怖とコミカルと両面が融合された絶妙なデザインである。体の中央に眼球があるのだが、この瞳が光るギミックが無駄に注力されている。そのへんの拘りに微妙に狂気を感じたりもする。

高度な文明をもった宇宙人が愚かな地球人を指導にやってくるという考えは、ギスギスと殺伐した世の中では、誰しもが想像すること。朝鮮戦争が終わり、冷戦時代に突入。唯一の被爆国としては、両陣営による全面核戦争開始もリアリティがあった時代。さらに、西側陣営に組しているとはいえ、自分が核兵器を持っているわけでもなく、単独で戦争をすることすらできない。本作は製作されている頃は、警察予備隊、保安隊が、やっと自衛隊を名乗ったばかりのころである。

ストーリー面でも、やはり、なにか狂気を感じさせる。パイラ星人の会話、まあ地球人とは価値観が違うわけだから奇妙なのは当然なのだが、何かジワジワくるものがある。さらに、高度な文明が発達してても、地球人と全然まともにコミュニケーションが取れないときている。パイラ星人はずっと賢いんだろうから、先にこれは仮の姿だって説明するとか、うまい方法はありそうなのにできない。そこまで意図したかは不明なのだが、人間同士でも知的レベルに差があると、満足に会話が成立しない場面は多々ある。なんじゃこりゃ?この映画ふざけてんのか?と一瞬思うのだが、よく考えると、なかなかリアルなのかも…と。

で、なかなかうまく関係が気付けないパイラ星人と地球人。おまけに、地球に星が衝突してくるという危急の事態に。そこで、パイラ星人。あきらめちゃったのかいなくなっちゃう。
その後は、地球人の悪あがき。原水爆の廃止をうったえながら、衝突する星を原水爆で攻撃しないといけない皮肉。でも、原水爆ぐらいで星がこわれるわけない(なんで壊れると思ったか)。

結局、星の接近により高熱になる地球。もういろんな物が溶けちゃうくらい。もうダメじゃん!ってところで都合よくパイラ星人が再登場して、地球を救済。めでたしめでたし。一応、救済のカギである“ウリウム101”を研究している松田博士の所在はどこだ!っていうハラハラ展開は挟みつつも、そこは対して盛り上がりは見せずに、結局は宇宙人さんありがとうというオチ。

まあ、大人も子供も一緒に観れる“絵本”的な作品。

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公開年:2009年
公開国:ロシア
時 間:106分
監 督:ドミトリー・キセレフ、アレクサンドル・ヴォイティンスキ
出 演:グレゴリー・ドブリギン、エカテリーナ・ヴィルコワ、ヴィクトル・ヴェルズビツキー、ワレーリー・ゾロトゥーヒン 他







大学生のディマは、貧しい家の生まれ。真面目で正義感は強いがいまいち野暮ったくて、女性にはモテない。新入生のナスティヤに一目惚れするが、高級車を持っている金持ち同級生にかっさらわれてしまう。自分も車が欲しいと思うがもちろん手が出ない。そんなある日、誕生日に父親から車をプレゼントされる。しかし、ボロボロのソ連時代の国民車ヴォルガ。乗っているのを友人に見られるのも恥ずかしいほどだったが、プレゼントしてくれた両親の手前、乗らないわけにもいかない。しかし、ひょんなことから、そのヴォルガが、空を飛べる能力を備えたスーパーマシンであることを知ってしまい…というストーリー。

“ナイトライダー”なんていうタイトルだから、あのアメリカドラマのリメイクかと思ったら、ぜんぜん違った(笑)。だってジャケット画像、黒い車だよ?(まあよく見たら、古臭い車なんだけどさ)。さらに、観始めたら舞台はロシア。っていうか根本的にロシア映画。
まあ、同じように騙された(?)人は多数いるだろうが、騙された人の半分は、案外満足したんじゃないかな。絶対B級作品だと思うだろうけど、本作のVFXやCGは侮れない。もう5年以上前の作品だけど、日本映画でこのクオリティ、出せないだろう。

監督の一人ドミトリー・キセレフは、『ナイト・ウォッチ』『デイ・ウォッチ』の人だし、製作のティムール・ベクマンベトフは『ウォンテッド』の監督で、それなりに一線で仕事をしている人だから、このクオリティも頷けるというもの。

共産時代のロストテクノロジーが飛ぶ車とか、主人公の貧乏学生のコンプレックスとか、ストーリーは結構よくある流れというか、王道路線。
ボルガに乗ってる人はだれだ?のくだりとかおもしろい。父親のくだりとか、完全にスパイダーマン入ってるけど、むしろ、スパイダーマンより不自然さはない。ロシア映画界、中々やるじゃんって感じ。ナイトウォッチから断然成長してる。

ただ、いつも言うことだけど、悪役が弱い。都市の下にある岩盤の下に大量のダイヤモンドがあるから、スーパーテクノロジーを使って掘るとか意味不明。次世代燃料などの資源があるとかならわかるけど、ダイヤモンドみたいな嗜好品が大量にあったって、値段が暴落するだけじゃないか。なぜ必死に掘ろうとするのかまったく理解できない(っていうか、製作側も深く考えていない)。
そして、ヒロインがはじめは金持ちになびいていたことと、勘違い展開があまりにアホすぎるせいで、いまいち恋愛方面のストーリーが応援できない点。まあ、難点はそこくらい。

燃料切れの後は少しだけ活動できるという説明とか、あまりにもわかりやすい伏線だけど、ティーンを鑑賞対象にしているなら程よい線だろう。軽い娯楽作品としては、十分すぎる出来映え。ハリウッドに寄ってはいるが、微妙に違う雰囲気も愉しめる。

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公開年:1972年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:ゴードン・パークス・Jr
出 演:ロン・オニール、カール・リー、シーラ・フレイジャー、ジュリアス・W・ハリス、チャールズ・マクレガー、ロスコー・リー・ブラウン 他







ニューヨークのハーレムで、コカイン密売組織“スーパーフライ”を仕切っている男、称“牧師”。羽振りがよく派手に金を使い、女にも不自由しない生活を謳歌していたが、その一方でいつかこの裏稼業を抜け出して、真っ当な生き方をしたいと夢を見ていた。恋人のジョージアも、豪華な生活など送れなくても2人で生きていければそれだけでよいという。しかし、現実はそう甘くない。この生活を捨てれば、場末の工場で作業員として一生を終えるのが関の山だ。この生活から抜け出すためには、一生食うに困らないだけの、まとまった金を稼いでから足を洗うしかない。そこで、親友のエディと相談し、今まで稼いだ金をすべて使ってヤクを買い、一挙に売りさばこうと計画する。さっそく2人は、元売人の元締めだったが、廃業してレストランの主人をしているスキャターに、コカインの調達を依頼する。難色を示すスキャターだったが、かわいがっていた牧師の頼みということで、渋々了承する。あとは、調達したコカインを、組織をフル稼働して捌くだけだったが、組織の仲間の一人フレディが、暴力沙汰で警察に捕まった際に、牧師の取引のことを喋ってしまう。そのせいで牧師とエディも捕まってしまうのだが、警部がキャスター経由のコカインではなく、自分の持っているヤクをキロ1万ドルで捌けと命じてくるのだった。悪徳警部のいいなりとはいえ、結構な儲けになったためエディは大満足だったが、このまま使われ続けては、足を洗うことができないと考えた牧師は…というストーリー。

まず、音楽がおもしろいと感じるのが、第一印象。反面、画が野暮ったいのが残念。薬が流通していく様子を静止画で表現するなど随所に工夫はみられるのだが、全体的に惹きつける力が弱いというか、いい感じの一瞬を切り取る能力が低い。

ストーリー面は、ズバ抜けて面白いというわけではないんだけど、タランティーノ的な疾走感…というか観ていて置いてきぼりにされる感じが心地よいというか、1972年製であることを考えると、すごく先を行っていた演出の作品だなという印象。

汚れきっている牧師と恋人。ただただ“普通であること”を求めるだけなので、それすら叶わないその切なさ。主人公はヤクの売人でクソ悪人なんだけど、まともな生活がしたいと考えている。この一本の方向性を軸に展開するストーリは、わかりやすいし感情移入しやすい(途中で、強盗した金もってにげりゃいいんじゃないのか?と思う場面もあるけど、まあ、それじゃおもしろくない)。

シンプルだけど悪くないオチ。そんなに手がこんでいないけど、『ジャッキー・ブラウン』みたいな味がある。
そのままサラっと終わるのもアリなのは承知だが、腐れ相棒が殺されるのと、飛行機で逃亡成功!っていうシーンも見たかったかな(エンドロールとかで)。

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公開年:2011年
公開国:イタリア
時 間:83分
監 督:アントニオ・マネッティ、マルコ・マネッティ
出 演:エンニオ・ファンタスティキーニ、フランチェスカ・クティカ、ジュリエット・エセイ・ジョセフ、アントネット・モローニ 他
コピー:拷問反対。






中国語翻訳の仕事をしているガイアのもとに、中国語の同時通訳の依頼が入る。厳しいスケジュールだったのではじめは断ろうと考えたが、2時間2000ユーロという高給を提示され、引き受けることに。しかし、待ち合わせの場所へ出向くと、目隠しされて謎の地下施設に連れて行かれてしまう。そこでは“ワン”と呼ばれている中国系の人物への厳しい尋問が行われていたが、尋問者であるイタリア秘密警察のキュルティが中国語を解さないため、彼女が通訳として呼ばれたというわけだ。しかし、ワンは暗闇の中に座らされており、ガイアはその顔を見ることができないまま仕事を続ける。文化交流のためローマに来たというワンの態度は非常に友好的で愛嬌すら感じられるほど。しかしキュルティは、その応えをまったく信用せず、ただただ厳しく尋問するばかり。おまけに、キュルティの質問は荒唐無稽で、その意図がまったく見えないガイアは混乱していく。そして次第に尋問がエスカレートし、拷問に発展していき…というストーリー。

設定を思いつき、オチも明確にイメージしていることがよくわかる。オチに向けてグっと集約させていく、良いシナリオの作り方だと思う。ただ、邦題が邦題まだけに、ワンさんが宇宙人であることが明白。DVDのジャケットや裏パッケージを見れば、そのまま内容が明確に載っているので、冒頭のワンさんの姿が現れるまでの演出が、わずらわしくてしょうがない。

タイトルやジャケット画像の雰囲気はコメディ然としているが、まったく違うシリアスなノリ、雰囲気で始まる。その後もコメディ要素は薄い。

エスプリとまで言ってよいかはわからないが、移民がヨーロッパを侵食していく現在の様子が反映された作品なのかなと思う。はじめは友好的にマイノリティらしく殊勝にしているが、しばらくすると、元のコミュニティを破壊して、自分たちのルールを当然の権利として主張してく。
そういう裏に潜む製作意図はよくわかるのだが、演出自体があまりおもしろくない。ずっと尋問が続くんだけど、尋問の丁々発止がぜんぜん面白くない。機関側が何かをつかんでいて、それを執拗に探っている感じじゃない。。一応、宇宙人が何かをつくっていた“らしい”とか、二週間も潜伏していたっていう、疑いたくなる事象はあるんだけど、ただそれだけで、ずっと手さぐり。宇宙人もただ来ただけですってノリ。
通訳のガイアが、宇宙人が正しいのか、尋問している機関が正しいのか揺れるような展開にしたほうがよさそうなものだが、攻める機関、ただ攻め続けられるかわいそうな宇宙人という構図が一切変わらない。飽きる。

(以下ネタバレ)
最後のオチがはっきりしているのはわかる。ガイアがすっかり宇宙人に騙されるというオチ。ワンさんが「お前バカだな」というシーン。そこだけがやりたかった作品。
移民を受け入れて、軒を貸して母屋を取られている人に対して「お前バカだな」と言いたい。障碍者を“聖人”扱いして、むやみに尊重して、トータル的に住みずらい社会にしてしまっているエセ人道主義者に対して「お前バカだな」と言いたい。その一ネタだけで引っ張った作品。

でも、映画の演出ってそれだけでいいのかな。もっと正しいのか間違ってるのかの間をガイアが揺れる様子を見せるべきじゃないかな。簡単に言えば、秘密警察側も正しいのかも?と思わせる何かがあるべきで、それでも宇宙人の方が上手でした…という展開があるべき。
また、真実がわかったあとの展開を何一つ用意していないのもセンスがない。思いつきだけで、走り切ってしまった作品だな…と。

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プロフィール
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クボタカユキ
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男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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