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image1096.png公開年:2006年
公開国:中国、日本、香港、韓国
時 間:133分
監 督:ジェイコブ・チャン
出 演:アンディ・ラウ、アン・ソンギ、ワン・チーウェン、ファン・ビンビン、ウー・チーロン、チェ・シウォン 他
コピー:10万人の敵に たった1人で挑む。
戦乱の中国──歴史上に忽然と現れ消えた、墨家(ぼっか)という戦闘集団がいた。天才戦術家[革離]、彼の使命は、戦わずして守ること。



紀元前370年。中国の戦国時代。趙と燕との二大国の戦争に巻き込まれた小国・梁は、燕へ向かう将軍・巷淹中が率いる10万の趙軍の侵攻による陥落寸前。そこで梁王は、“非攻”という専守防衛の思想を掲げる“墨家”に支援を依頼する。しかし、やってきたのは革離と名乗る粗末な身なりの男が一人。落胆する梁の人々を尻目に、革離は機転の利いた方法で趙軍の先遣隊を追い払い。梁軍の指揮は一気に上がる。巷淹中は革離の実力を見て、梁城の攻略は簡単ではないと悟り、一旦引き下がり攻撃の再準備を計ることに。梁は全権を革離に預け、攻撃への備えをすべて彼に任せる。そして、趙軍との総力戦を知略を駆使して凌ぎきることに成功するのだったが…というストーリー。

酒見賢一の歴史小説を漫画化した『墨攻』を全巻持っている。原作とどのくらい違いがあるのかは不明だが、この漫画、すごく好き。
まず、主人公の革離がものごっついブサイクというのがシンパシーを感じるし、格好いいは正義!みたいなバイアスが、はじめっから完全排除な構成なのが実によろしい。しかし、本作のアンディ・ラウはすっかり美男なので、そういう要素は無い。

墨子の考え方というのがまたおもしろい。時は戦国時代だというのに、兼愛・非攻などの思想をぶちあげて実行するという、ガンジーの非暴力主義はおろか、仏教すらまともに伝来していなかったであろう時代に、この先見性は異常。そして、時代を先取りしすぎたのか、その即席はスパっと歴史から消えてしまう。単に時代にマッチしていなかったというよりも、これを本気で実行するのは、民主主義を実現するよりも難しい。中国大陸には、貨幣経済社会がはち切れんばかりに揺籃した時代は数度ある。でも、資本主義は発芽しなかった。中国には可能性だけが無数に表れ、結実せずに終わるという、実験場的な運命が染み付いているのかもしれない(今は何の実験中なのか…と考えると非常に面白い。いずれにせよ失敗しか待っていないのだが…)。

専守防衛という日本の防衛体制に比較してみることができるのもおもしろい。日本は自国のみ防衛するが、墨家はこまった国があれば、その防衛のために、恩や義理はおろか敵味方も関係なく手助けする。こまった人を見殺しにできない…といえば聞こえはいいが、防衛とはいえ、やることは戦闘である。攻めてきた人間はもちろん殺すわけで、クールダウンさせるための緩衝材なんて呑気なこともいっていられない。攻める攻められるはその時の情勢次第なので、正義・悪とは無関係。ある意味、都合のいいように利用されてしまう。
でも、革離は、国同士の戦争で無碍に殺されていく庶民を助けにはいられず、その能力を、こまった領民のために全力で使ってしまう。博愛だとかいうけど、悪く言えばかなり近視眼的な考え方で、行動しているのも事実。その考えを簡単に国家レベルに当てはめてしまえば、収集が付かなくなるのは明白。そして実際に、何の見返りももとめずに差し出した手なのに、その手はいつも傷だらけ、血まみれになってしまう。
それは判っているけれど、やっぱりこまった庶民には手を差し伸べずにはいられない。この賢いバカっぷりが実に魅力的なのだ。。

原作では、既に墨家自体が堕落しており(むしろ当然ではあるのだが)、理想に邁進する革離が墨家から狙われる存在になっており、その辺もなかなかおもしろいのだが、さすがに二時間の映画にそこまで盛り込むわけにはいかない。
そのかわり、原作よりも梁王のクソっぷりは、際立って演出されていると思う。

ちなみに原作では、疲弊した革離と声を失った女性は東へ東へ逃れて、やがて日本に渡って、幸せに暮らす…というオチなのだが、さすがにそれをやると中国で公開はできない(笑)。おかげで、最後は単なる悲劇になってしまい、非常にモヤモヤして終わる。

明らかに、墨子の思想が現代日本の一部の思想に似通っていることに、原作者は注目していると思われる。しかし、その理想を実現するには、かつての墨子が衰退したように簡単には実現できないし、マクロ的に整合性、合理性を確立する必要がある。さて現代の皆さんはどう思いますか?どう考えますか?というメッセージがこめられていると私は思う。
まあ、闇雲に原発反対!とぶち上げるだけの人がたくさんいて、それに賛同する人た相当数いる日本では、まだそれを熟考する土壌すら醸成されいないレベルかもしれないな。
あ、そういうメッセージ性は、映画には無いッス(笑)。大体にして英題の“A BATTLE OF WITS”は、知力戦って意味なんだろうけど、墨子の思想のポイントってそこじゃねえしなぁ…。

#あと、小国とはいえ城の規模感が小さすぎなのが、気になったかな。

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