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公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:102分
監 督:マイケル・レーマン
出 演:ダイアン・キートン、マンディ・ムーア、ガブリエル・マクト、パイパー・ペラーボ、トム・エヴェレット・スコット、ローレン・グレアム、スティーヴン・コリンズ、タイ・パニッツ、マット・シャンパーニュ、コリン・ファーガソン、トニー・ヘイル、メアリー・パット・グリーソン 他
ノミネート:【2007年/第28回ラジー賞】ワースト主演女優賞(ダイアン・キートン)
コピー:恋愛、結婚、子育て-フルコースを終えた私に、極上のデザートが待っていた。
夫と死別してから、残された3人の娘を育て上げたパティシエのダフネ。娘たちの幸せをとことん願っているのだが、末娘のミリーがダメ男にひっかかって失恋ばかりしていることが、気が気でならない。そこでダフネは、こっそりとWebサイトで結婚を前提に付き合ってくれる男性を募集。応募してきた男性を自ら面接し、気に入った人とミリーをくっつけようと画策するのだったが…というストーリー。
モテない末娘と干渉しすぎる母親↓、その母親のおせっかいで彼氏ができる(それも二人も)↑、二股がバレて両方失う↓、本当に好きな人とそれに向き合う自分を見つける↑…セオリーどおりの上げ下げが展開されるシナリオ。実に教科書どおり。好感が持てる出来映えだと思う。恋愛&ドタバタドラマとしては、かなり秀逸な部類だと思う。
しかし、セックスの話題も気楽に話せる女家族がウケル…なんていう、マーケティング分析が、エージェントの間でなされたのではなかろうか。この浅はかな分析によってもたらされた、随所に散りばめられた下品な演出がいいシナリオを台無しにしている。
『SEX and the CITY』みたいなのが流行っているんだから、こういうコメディチックな映画も同じノリでウケますよ!やるなら中途半端じゃなく、グッとエグい表現にしないと、響きませんよ!今の娘たちはそのくらいじゃなきゃ!…とかなんとか、もっともらしくプレゼンされたんだろう。そんなのにノセられちゃってねえ…。
母と姉妹の間で赤裸々に語られる性的な表現が下品すぎ。ダイアン・キートンの下っ腹なんそ見たくもない。死んだ夫(父親)との性生活が満足行くものではなかったと娘とするなんて、仲の良い親子の域を大きく逸脱している。
欧米人女性の65歳でそのスタイルを維持しているのは大したものだとは思う。だけど、だからといって、そんなおばあちゃんの補正下着姿の下っ腹を見せられて、気分のいいのはマニアだけ。
娘のミリーが、親の干渉によって振り回されるのはいいとしても、二股に甘んじて並行に肉体関係を結んでしまうのも、いかがなものか。自由な性に大して世の中がどれだけ寛容になろうとも、共感できるキャラを逸脱してしまっている。
これ以上、ごちゃごちゃ言わないでおくが、性関係の味付けのおかげで台無しの作品。刺身にウスターソースをかけられたみたい。こんなに「もったいない…」と思わされた作品もめずらしい。残念ながらお薦めできない。
負けるな日本
公開年:1986年
公開国:日本
時 間:132分
監 督:深作欣二
出 演:緒形拳、いしだあゆみ、原田美枝子、松坂慶子、利根川龍二、一柳信之、大熊敏志、谷本小代子、浅見美那、檀ふみ、石橋蓮司、伊勢将人、宮城幸生、蟹江敬三、野口貴史、相馬剛三、下元勉、井川比佐志、荒井注、下絛アトム、山谷初男、宮内順子、真田広之、岡田裕介 他
受 賞:【1986年/第10回日本アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(緒形)、主演女優賞(いしだあゆみ「時計 Adiue I'Hiver」に対しても)、助演女優賞(原田美枝子)、監督賞(深作欣二)、脚本賞(深作欣二、神波史男)、撮影賞(木村大作)
【1986年/第29回ブルーリボン賞】主演女優賞(いしだあゆみ「時計 Adiue I'Hiver」に対しても)
妻に先立たれた、作家の桂一雄は、知り合いの紹介でヨリ子を後妻としてもらう。ヨリ子は四人の子供をもうけ、先妻との間の長男・一郎を含め五人の子供を育てるが、次男の二郎が日本脳炎にかかり、重い障碍を持ってしまう。ヨリ子は、その苦痛から怪しげな宗教にすがるようになる。そのころ、一雄は、女優の卵の恵子と恋仲になり、しまいには家を出て恵子を同棲生活を始めてしまう…というストーリー。
ここまで、そのまま自分の家庭と浮気の様子を書き綴るなら、別に実名でも良いんじゃないか…という気がするくらい。
冒頭で、母に捨てられたことで、その性格が決定付けられたような調子で語られている。“火宅”とまで形容するくらいなので、どれだけ煩悩の欲するがままに行動していたのか…と思ったが、前妻とはいたって普通の夫婦関係だったようだし、二郎が障碍を負うまでは、ヨリ子とも大して問題は無かったように見える(もちろん、若い頃は好き勝手やっていたんだろうが)。むしろ、両親を反面教師にして、家庭は大事にしようという姿勢が見られる。
短絡的に三つ子の魂百まで、子供のときに形成された性格はそうそう直らない、人が煩悩に左右されてしまうものだ…ということを深作欣二は表現したかったのだろう。しかし、私なら、「何で息子がこんな状況…、なんで俺がこんな目に…、本当の俺はこんなはずじゃない…」という感じで、覆い隠していた心の地金が見えてきてしまうという、演出にする。
自分がこうあるべきと理性で押さえつけていた社会性のタガが外れた後の暴走っぷりは、推して知るべし。檀一雄の愛人は、この映画程度の数ではすまなかったはず。
一方、浮気相手のヨリ子は、一雄と一緒にさえなれれば幸せになれると、欲望と浅はかさな算段が入り混じっている。
浮気されたヨリ子は、何か男の浅はかな考えを超えた先の何かを見据えているような、ゾっとするような達観を見せる。
キャバレー勤めの葉子は、その不幸な生い立ち故か、打算的な将来を選択し、それでいいのか…という思いを断ち切るように、まるでこれで今生との別れと言わんばかりに、無頼に付き合う。この三者に女が持ち合わせる怖さを分担させているわけだね。
話の筋は、正直いって別に高尚なものでもないし、他人の家を覗き見している感覚で、下世話な内容だと思う。元々は、断続的にタラタラと描かれた、浮気の告白文みたいなものなのに、それをよくここまでまとめたと思う。手を怪我して、ヨリ子に自分の浮気話を口実筆記させるくだりで、「小説の誇張だ」というシーン。おそらく小説には出てこないだろうし、脚本家の想像だろう。こういう想像を含めて、脚本の勝利といってよいかもしれいない。
欲するがままに生きて、幸せになれない人間てなんぞや。自由恋愛は生の謳歌だなんだと偉そうにいうが、それは犬畜生とどう違うのか。ある意味、人生をシミュレートしてくれているというか、こういう暴れ方はしたくないと思わせてくれるというか…。まあ、昨今の日本映画にはない、まさに“無頼”な面白さがある。軽くお薦め。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:139分
監 督:李相日
出 演:妻夫木聡、深津絵里、岡田将生、満島ひかり、塩見三省、池内万作、光石研、余貴美子、井川比佐志、松尾スズキ、山田キヌヲ、韓英恵、中村絢香、宮崎美子、永山絢斗、樹木希林、柄本明 他
受 賞:【2010年/第34回日本アカデミー賞】主演男優賞(妻夫木聡)、主演女優賞(深津絵里)、助演男優賞(柄本明、岡田将生)、助演女優賞(樹木希林、満島ひかり)、音楽賞(久石譲)
【2010年/第53回ブルーリボン賞】主演男優賞(妻夫木聡)
コピー:なぜ、殺したのか。なぜ、愛したのか。
ひとつの殺人事件。引き裂かれた家族。誰が本当の“悪人”なのか?
解体工として働く清水祐一。幼いこと母親に捨てられ、それ以降、寂れた漁村で祖父母と暮らしているは、現在、祖父は寝たきり状態。祖母も衰えているため、祖父の介護も手伝っている。特に友人らしい友人もおらず孤独な日々を重ねる祐一は、出会い系サイトで知り合った福岡在住の保険外交員・石橋佳乃と打算的な関係を結んでしまうが、感情のもつれから彼女を殺害してしまう。ところが、捜査線上に上がったのは別の大学生。迫り来る恐怖を抑えつついつもどおりの生活を送る祐一だったが、そこに一通のメールが届く。それは、かつて出会い系サイトを通じて一度メールのやり取りをした佐賀の女性・馬込光代からのものだった。光代は紳士服量販店に勤務する普通の社会人だったが、孤独に苦悩する毎日を重ねており、話し相手を求めて連絡をしたのだった。そして二人は、佐賀で出会う約束をするのだったが…というストーリー。
主演の妻夫木聡演じる祐一は、悲しく侘しい生い立ちから、まさに、愛されたことのない人には愛し方がわからないという典型パターンのキャラクター。特別に凶暴なわけではない。
深津絵里演じる光代は、むしろ一般的すぎる生い立ちに、内向的な性格が加わり、孤独に苛まれている女性。二人は、内向的で強く思いを表出することも少なく、あらゆる行動に幼稚ゆえのぎこちなさが見られるキャラクター。こんな二人が、恋愛というよりも猛烈なシンパシーを感じあい離れられなくなってしまうわけだが、主役といいつつこの二人は本作の背景でしかないと思う。だって、二人がくっついたからって孤独が解消されるわけでもないし、お互いが精神的に成長するわけでもない。むしろ孤独は二乗になって、社会からの孤立・埋没というキャラが際立つだけ。そういう“事象”として存在しているだけ。
#逃避行劇としては、別におもしろくないでしょ。ただ痛々しいだけで。
そんな“悪人”の周りで、のたうち回るように心の色模様を変化させていくのは、樹木希林と柄本明。
被害者の父親は、はじめは妻を責め、警察を責め、容疑者を責め、そして最後には自分の心の中に何かを見る。
一方の加害者の育ての親である祖母は、自分を責め、自分を責め、自分を責め続けるが、それでも自分の中に何かを見つけ、変わっていく。
人間誰しも、その中に“悪人”の部分を持っている。そして、人それぞれに個性があるように“悪人”の要素も異なる。でも、それを正面から見つめることこそ、生きるということ。被害者の父親が「そうやって、人を馬鹿にして行き続ければいい」という意味の言葉を吐き捨てるのは、それに気付いた証拠なのだ。加害者の祖母が取材陣に囲まれ深々と頭を下げるのもそう。この作品がみせたいのは、そういう部分だと思う。
#特に光代なんかは、始めと最後を比べても対して変化していないのだから、狂言回しといってもよいくらい。
本作はキャスティングした人がMVPかもしれない。満島ひかりはビッチ役をやらせたらピカイチ。蹴しだされて観客誰しもをすっきりさせるんだから、大したもの(…というか、あまりにハマりすぎて、今後大丈夫かってくらい)。岡田将生もクソ人間の演じっぷりは見事なもの。日本アカデミー賞がこの二人に賞を与えているのは、至極打倒である。
李相日監督は、構成力という映画監督として重要なスキルを持っており、貴重な存在かもしれない。これからいい話はどんどん舞い込むだろう。がんばって。
お薦めする。見る価値はある。
負けるな日本
公開年:1963年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:アルフレッド・ヒッチコック
出 演:ティッピー・ヘドレン、ロッド・テイラー、スザンヌ・プレシェット、ジェシカ・タンディ、ヴェロニカ・カートライト、ドリーン・ラング、エリザベス・ウィルソン、エセル・グリフィス、チャールズ・マックグロー、ロニー・チャップマン、ジョー・マンテル、マルコム・アターベリイ 他
ノミネート:【1963年/第36回アカデミー賞】特殊効果賞(Ub Iwerks)
コピー:恐怖映画の巨匠ヒッチコックの最高傑作
鳥たちが、人間を食いちぎる このショック! 凄まじい恐怖が、あなたを襲う!
社長令嬢のメラニーは、ペットショップで出会った弁護士ブレナーに興味をひかれる。彼につがいの鳥をプレゼントしようと、アパートを探し当てるが、本宅は田舎町にあると隣人から教えられる。とりあえずその町に向かい、人づてにブレナーの家を聞き出し、向かうことに。その途中、突然一羽のカモメに額をつつかれ流血してしまう。ブレナーに手当てをしてもらった後、町を去ろうとするメラニーをブレナーは引止め、明日のパーティーに参加することを促す。一泊することになったメラニーだったが、泊まった家のドアに突然カモメが激突し死んでいた。町中の鳥の様子が何か不穏で…というストーリー。
これほど、世の中の評価と自分の評価が乖離すると、ちょっと不安になってくる。
鳥の襲撃シーンはたしかに“当時としては”インパクトがあっただろう。身近な動物が襲撃してくるというアイデアの先見性は高い(原作あり作品なのでヒチコックのヒラメキではないけれど)。なんで鳥が襲ってきたか?を明確にしないもの、演出としてはいいのかもしれない。ただ、襲ってきた理由を伏せた分…というか鳥を単なる襲撃者として見せすぎた分、本来は登場人物側にドラマを盛らなければバランスが取れないところが、ちょっと薄いままなのが残念ポイント。
唯一、このストーリーの中で心に変化が生じているのはジェシカ・タンディ演じる母親。息子LOVEゆえに初めはメラニーが気に喰わなかったが、鳥騒動で周囲の人に甲斐甲斐しくする様子を見て心を開くわけだ。でも、偏執的に息子LOVEという設定ならよかったのに、実は別に心の拠り所の男性がいたということがわかり、そのキャラ設定も破綻。そういうことなら、息子LOVEじゃなくって、死んだ夫の資産を守るために周囲に厳しい態度をとる老女…っていうキャラのほうがよかったと思う。
仮に、鳥があの小さな町の閉鎖的な人々の心の投影だとすると、メラニーという部外者を排除しようとする行動がそれにリンクするわけだ。
そう考えると、ブレナー家のあの町における位置づけが失敗しているように思える。最後、ブレナー家とメラニーが車で家を出て行くことになるのだから、あの家族は、死んだじいさんの生前の所業や、その後の偏屈なおばあさんの態度によって、町の人々から嫌われていなければしっくりこない。なんなら、子供のキャシーだって、地味に仲間はずれになっているくらいで丁度いい。息子のミッチだって、町で弁護士の仕事を依頼してくる人なんていないから、都会で仕事をしないと食って生けない。実は、表面的には町の一員だが、実は村八分状態ってのが中盤にどんどん見えてくる。見えてくるのと同時に鳥の襲撃が激しくなる。そんな感じだから、警察もまともに捜査しようとしない…って感じ。その嫌われている家族が、同じく部外者として嫌われている女性と心を通わせて、偏狭な町を去るのだ。
でも、鳥は平等に町の人間も襲う。そういう閉鎖的な態度をとる人間の自滅を象徴しているのだろう。ダイナーみたいなところで、メラニーに冷たい視線を浴びせる町の人々の目がそれを表している。
大衆社会の到来が、田舎者の排他主義や差別主義を許さない。つまり時代は変わっていくのだ…という意味ならば、メラニーが新聞社の社長令嬢であることにも意味が出てくる。
メラニーと母親の心が通い合うところが、一つのターニングポイントになるのだから、その後、協力して街を脱出するストーリーをもっと差し込まないとダメ。だから、尻切れトンボみたいな印象になる。それを乗り越えて都会で暮らすことにならないと。
なんなら、一旦街の外にはでたけれど、やっぱり大事なものだけは持って行きたい(通帳とか権利書)と母親が言い出す。娘もつがいのインコを取りに行きたいとか言いだして戻る。戻ると家を荒らしている街のやつらがいて、そいつらと対決。最後はそいつらも鳥にやられちゃう。
その後、一家とメラニーは街を出て、安穏な世界へ。でも都会暮らしだって厳しい。「いままで田舎暮らししかしたことがないけど大丈夫かね…」って不安がる母親と娘に、「どこでもつらいことはあるけど、今度はずっと僕がそばにいるよ」「私もそばにいるわ」的な感じ。
どうよ。これで人間ドラマのほうに厚みがでるんじゃね?って、ヒッチコックにダメだしする俺…。
本作をおもしろいとおっしゃる皆さんには申し訳ないが、私から見ると、イマイチどころかイマサンくらいのシナリオなので、それほどお薦めはしない。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:デヴィッド・フィンチャー
出 演:ジェシー・アイゼンバーグ、アンドリュー・ガーフィールド、ジャスティン・ティンバーレイク、アーミー・ハマー、マックス・ミンゲラ、ブレンダ・ソング、ルーニー・マーラ、ジョセフ・マッゼロ、ジョン・ゲッツ、ラシダ・ジョーンズ、バリー・リヴィングストン、ダグラス・アーバンスキー、アーロン・ソーキン、ウォレス・ランガム、スコット・ローレンス、パトリック・メイペル、デニス・グレイスン、デヴィッド・シェルビー、スティーブ・サイレス、インガー・テューダー、ジェームズ・シャンクリン、ジョン・ヘイドン、ブライアン・バーター、ブレット・リー、ヴィクター・Z・アイザック、マーク・ソウル、マレス・ジョー、エマ・フィッツパトリック、マルセラ・レンツ=ポープ 他
受 賞:【2010年/第83回アカデミー賞】脚色賞(アーロン・ソーキン)、作曲賞(アッティカス・ロス、トレント・レズナー)、編集賞(カーク・バクスター、アンガス・ウォール)
【2010年/第45回全米批評家協会賞】作品賞、主演男優賞(ジェシー・アイゼンバーグ)、監督賞(デヴィッド・フィンチャー)、脚本賞(アーロン・ソーキン)
【2010年/第77回NY批評家協会賞】作品賞、監督賞(デヴィッド・フィンチャー)
【2010年/第36回LA批評家協会賞】作品賞、監督賞(デヴィッド・フィンチャー)、脚本賞(アーロン・ソーキン)、音楽賞(アッティカス・ロス、トレント・レズナー)
【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、監督賞(デヴィッド・フィンチャー)、脚本賞(アーロン・ソーキン)、音楽賞(アッティカス・ロス、トレント・レズナー)
【2010年/第64回英国アカデミー賞】監督賞(デヴィッド・フィンチャー)、脚色賞(アーロン・ソーキン)、編集賞(カーク・バクスター、アンガス・ウォール)
【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】作品賞、監督賞(デヴィッド・フィンチャー)、脚色賞(アーロン・ソーキン)、音楽賞(アッティカス・ロス、トレント・レズナー)
【2010年/第36回セザール賞】外国映画賞(デヴィッド・フィンチャー)
2003年の秋。ハーバード大学の学生マーク・ザッカーバーグは、恋人にフラれた腹いせに、大学のデータベースをハッキングして、女子学生たちの顔写真を入手。それを使って人気投票サイトを作ってしまう。大学からは半年の保護観察処分を受けたが、そんな彼の技術に目を付けたエリート学生のウィンクルボス兄弟達が、学内の社交クラブ拡大を目的としたサイト作成の協力を依頼する。しかしマークは、親友のサベリンを誘って、大学内の学生をターゲットにした社交サイトを勝手に立ち上げてしまう。そのサイトは、たちまち登録者数を増やしていったが、それに気付いたウィンクルボス兄弟達は、マークをアイデア盗用で告訴しようとする…というストーリー。
マーク・ザッカーバーグは確かに主人公なんだけど、はっきりいって面白みは皆無。賢いオタクではあるが、愛すべき性格でもないし、共感できるような不幸な境遇でもない。始めに作った人気投票サイトには、サベリンの数式みたいな素敵なロジックがあったかもしれないが、SNSの仕組み自体に高度な数式が関与しているも思われない(実際は知らんけど)。つまり、サクっとつくってしまう能力は高いが、圧倒的な天賦の才能による帰結というわけでもない。
後に和解しているわけだから、間違いなくアイデア登用しているのも事実。じゃあ、興味が沸いちゃうほどの悪人かといえば小悪人ですらない。
相方のサベリンが広告を入れて維持費を捻出しようとするのを頑なに拒むが、それほど強いポリシーで言っているわけではなく、自分の好みに合わなかっただけ。Napsterの馬鹿に簡単につけいれられ、やっぱり自分の考えが正しいのだと悦に入る小物。
おまけに、サベリン排除のために使った手口が新株発行による議決権の薄めって、字におこすと余計にクソ人間であることが浮かび上がる。
こんな魅力のない人物を主人公にして、これだけ目の離せない作品に仕立て上げるとは、さすがデヴィッド・フィンチャー。というか、本作は“フェイスブック”という現象の渦に「あれ~~」と巻き込まれてく低俗な人々の様子を眺める映画なのだ。だから、実はマーク・ザッカーバーグですら、フェイスブックの周りで踊る脇役なのかもしれない。
#まあそれは、ラストで、元カノのページを見つけたときの彼の態度で証明されているよね。彼もただフェイスブックの周りで踊っている一人にすぎないって。
ただ、残念ながら私はこの作品を、良作とは思えど傑作とまでは感じていない。その一番の理由は、ソーシャルネットワークという仕組み自体に魅力を感じていないからである。こうやって毎日ブログを書いている私だが、SNSもtwitterもこれほど流行る意味がわからない(いや、本当の意味で流行ってるのかどうかすら疑問である)。
フェイスブックは大学内の社交クラブのツールとして作成されたのだが、まず、この社交クラブというシステム自体がピンとこない。京都の一見さんお断りの店は知り合いの紹介がないと入れないが、その紹介や常連さんに対する店からの情報発信をWebシステムで構築した。こんな感じか?
匿名世界のネット社会とは一線を画した、身元の知れた者同士の安心できるコミュニティサイトというわけなのだが、実際には安易にコミュニティへの参加は許される場合が大半で(だって、基本的に見てもらいたいんだもの)、情報はダダ漏れである。おまけにフェイスブックは実名登録なので、個人情報は晒されまくりで、社会的に問題のある発言をすれば、簡単に身元が割れる。悪意の転載が簡単に横行する。何が一番問題かって、その危険性をよくわからないで使っている人間が多いこと。身内の間でちょっと口を滑らせても閉じた世界だからたいしたことは無い…なんてことでは済まないのである。
twitterにいたっては馬鹿発見器とまで言われる始末。どんな人間だって、不謹慎な思いつきや怒りに任せて無慈悲で失礼なことを思いつくわけで、それを安易につぶやけてしまう道具って、サトラレ製造機じゃないか。
#セカンドライフとまでは言わないが、同じように凋落していくような気がしている。
私はデヴィッド・フィンチャーのファンなので、オスカー監督賞を獲ってほしい気持ちはあった。そしてそれだけの成果がこの作品にはあったと思う。でも、やはり、テーマ自体の魅力の無さを補う迄には至っていないと思うので、米アカデミーの判断は妥当だと感じている。
良作。お薦めする。こういう若い時代の寵児みたいのが登場しても、冷静に見ることができるようになるかも。
負けるな日本
公開年:1986年
公開国:香港
時 間:94分
監 督:ジャッキー・チェン
出 演:ジャッキー・チェン、ロザムンド・クアン、アラン・タム、ローラ・フォルネル、ロザマンド・クワン、ローラ・フォルネル、ケン・ボイル 他
数千年前に紛失した6種の“神の秘宝”を探し続ける邪教集団。秘宝をすべて揃えると他の宗教をすべて滅亡させることができるという伝説を信じ、これまでに2つを手に入れていた。しかし、残り4つをどうしても見つけることができなかったため、トレジャーハンター“アジアの鷹”として名を馳せているジャッキーを利用することを思いつく。教祖はジャッキーの友人で芸能人のアランの妻ローレライを誘拐し、妻を返して欲しければ神の秘宝を集めろと要求する…というストーリー。
身代金として宝を集めてこいという単純なプロットなのだから、謎解き冒険物語を展開させればよろしいのに、そうはしない。
丁度その宝をオークションで売っ払っちまたところなので、その在り処は判っていて、おまけにそこには既に4種類がそろっているという都合のよい展開。じゃあ、きっと宝が6つってことは、後におもしろいギミックがあるんだろうなと思ったら、なにも無かった。じゃあ別に3つだって2つだっていいじゃないか。
それ以前に、潜入して奪還するつもりなら、別に4つ秘法を持っていく必要ないじゃないか。ジャッキーは秘法を6つ揃えたいわけじゃないんだから。白人女性を旅に参加させたいからといって、無理に捻って大破綻している。
兄弟っていうけど、ジャッキーじゃない方は特に活躍するわけでも能力があるわけでもない。でも、別の意味で兄弟っていう下品具合。売春婦に紛れて教団に潜入するというのも下品だし、会話も下品。
アクションも命知らずというか使い捨てというか、スタントマンが地面に落ちるときのグシャっと感がものすごくて、ちょっと引いちゃう。それもある意味下品。
すごいアクションを見せられれば、実のところストーリーやキャラクター設定は、どうでも良いと考えていたのが見え見え。その証拠に、ジャッキー以下メインの4名のキャラクターには、始めから最後まで精神的な成長や変化が生じない。ただ、ドタバタを延々続けるだけ。
神の秘宝を揃えることが目的のはずなんだけど、最終シーンではあっさり放棄し、そんな話など無かったように大爆発で大団円。どういうことじゃ。気球にスカイダイビングして飛び乗るというシーンを撮りたかったのは判る。しかし、そんなことは無理なので、①単独スカイダイビングの映像②低空飛行の気球の飛び乗る映像③気球の上から降りる映像、この①~③を繋げているのが丸判りの編集。興醒めする。
2、3シーン、「おぉ!」っと思うようなアクションは繰り広げられていたが、それが無かったら、もう映画として成立していないレベル。『少林寺木人拳』や『プロジェクトA』みたいに、後に語り継がれるようなシーンがあるわけでもない。私は駄作と判定。お薦めしない。
#どう考えても、あのダイナマイトを始めから体に巻いていたとは考えられんだろう…とか、もう、そういうツッコミがカワイク感じるほど稚拙。
負けるな日本
公開年:2003年
公開国:韓国
時 間:120分
監 督:パク・チャヌク
出 演:チェ・ミンシク、ユ・ジテ、カン・ヘジョン、チ・デハン、キム・ビョンオク、オ・ダルス、ユン・ジンソ 他
受 賞:【2004年/第57回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(パク・チャヌク)
コピー:お前は誰だ!? なぜ俺を15年監禁した!?
妻と娘と暮らすオ・デスは、多少、素行が悪いものの、いたって普通のサラリーマン。しかし、突然何者かに誘拐され、小さな部屋に監禁されてしまう。テレビは観ることができ、食事も与えられるが、それ以外に外界との接触はできず、監禁の理由も教えててはもらえない。そのまま15年間も監禁が続き、ある日突然解放される。監禁の理由をどうしても知りたいデスは、偶然知り合った若い女性ミドの助けを得て、監禁した相手の正体をたどり始める。そんな2人の前にウジンと名乗る男が現れ、“5日以内に謎を解き明かせ”と告げ…というストーリー。
以前観た後、もう二度と観ることはあるまいと思ったのだが、とある事情で再度鑑賞。
先日観た『母なる証明』のラストで、母親が自ら忘却のツボに針を刺し、すべてを忘れたことにして踊るシーンが、まさに韓国人の精神構造をよく表していると感じたのだが、その時ふと『オールド・ボーイ』が頭をよぎったのである。
『復讐者に憐れみを』『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』はパク・チャヌクの復讐三部作と言われており、その怨念と過激な暴力表現にばかり気が向いていたのだが、実は『オールド・ボーイ』も韓国人独特の精神構造の発露なんじゃないか?と。
(以下、ネタバレ)
オ・デスは素行の悪い生徒だったが、ウジンに文句を言われるようなことはしていない。確かに、転校の間際に友達に見たことは言った。でも“見たことを言った”だけである。オ・デスは、口を滑らせたことが原因でウジンの姉が自殺したと始めは罪悪感を感じただろうが、実は本当にウジンと姉は近親相姦の間柄だった。思うようにならなかったからといって、人の道にはずれた自分の行動はすっかり棚に上げて(というか無視して)ネチネチと攻撃する姿勢。まあ、このキャラクターの行動ひとつで、韓国人の精神の表れとするつもりはない。
しかし、ラストはどうだ。とても堪えられそうもない自分の状況に向き合うことを拒否して、なんとそれを催眠術で忘却し、娘との近親相姦生活を継続することを選択するのだ。まったくもって『母なる証明』と同じラスト。忘れて、それで自分が保てるならそれでいいじゃないかロジック。なんだこれ。
本作が公開されたとき、原作が日本の漫画だということが話題になったが、いざ原作漫画を読んで「あれ?」を思った人が大半だろう。なぜって、肝心の監禁された理由がまったく違うから。とはいえ、漫画のほうの監禁の理由は、さっぱりピンとこない物で、そのままに映画にしても面白いものになったとは思えないので、変えたこと自体は良い。いや、監禁と謎解きというプロットだけを残したのは、むしろ慧眼といえる。
ただ、はっきりいって日本人は(いや、他の民族も)、こんなノリで近親相姦を扱わない。いや、扱えない。まあ、仮にそういうエグい展開になったとしても、最終的に忘れて近親相姦状態を継続しようなんていう選択肢はありえんわ。韓国って、これがギリギリでも許容される土壌なの?
あ、誤解しないでいただきたいが、私はパク・チャヌクの暴力表現は許容範囲だし、カメラーワークとかウマいと思うので、監督として嫌いじゃない。本作のストーリー構成も、主人公の変化や困難を切り抜けるポイントなど、展開の配分がセオリーどおりで評価したい。でも、本作に限っては、近親相姦のくだりが生理的に許容できないので、お薦めしない。以上。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:105分
監 督:松本佳奈
出 演:小林聡美、小泉今日子、加瀬亮、市川実日子、永山絢斗、光石研、もたいまさこ、田熊直太郎、伽奈 他
コピー:あしたへは、ダイジなことだけもってゆく。
清らかな水系を持つ京都で、ウィスキーしか置いていないバーを構えるセツコ。喫茶店を営むタカコ。念願だった豆腐屋を始めたハツミ。それぞれが、自分の思うように生きている。同じ街に住む、家具職人のヤマノハ、銭湯の主人オトメ、その銭湯を手伝う若者ジン、散歩する謎のおばさんマコト。そして、彼らの輪の中で、いつもニコニコしている子供ポプラ。彼らは互いに、少しずつ関わりを深めながら、おだやかに日々を重ねていく…というストーリー。
『かもめ食堂』『めがね』の製作陣か作った作品とのこと。確かに『めがね』で崩れかけてしまったものを、グイっと『かもめ食堂』のテイストに戻した印象である。荻上直子が『トイレット』で中途半端な暴走をしようとしていることに、スタッフが愛想を尽かしたのか。「いやいやウケるのはこれっすから~」とばかりに、スタッフたちが『かもめ食堂』の成功体験が忘れられず、同じことをやったのか(関連書籍やら何やらで、おいしい思いをした人がいるのかな)。
まあ、どういう経緯かはよく知らないけれど、簡単に言っちゃうと、スローライフ・おひとりさま・ロハス…みたいなライフタイルを提案するカタログ映画である。場面場面で、料理のレシピとか家具のメーカーと値段とか、ポップが出てきそう。空気感を愉しむ映画なんだろうから、そこに金の匂いが漂っちゃあ客は付いてこないと思うんだよね。
一番ノリきれないのは、各キャラクターのスカした厭世的な雰囲気。『かもめ食堂』も同様にスローだったけど、スローな中に前向きさがあったと思うが、この作品は違う。この人たち、なんか年金とか払ってなさそう…とか、それどころかヘタすると登場人物全員、亡霊なんじゃねーの?ってくらい、人の匂いがしない。
あまり、この人たちと一緒にいたくないな…って感じ始めたら、その時点でアウトだよね。
それでも、私が観続けることができたのは、数ヶ月前に京都にいったので、なつかしく思えたからかも。八坂の塔を下ったところにある、湯葉屋さんの店先で湯葉をいただいたのを思い出す。おいしくって2パックもお土産に買っちゃったもんね。
閑話休題。
これで癒される人って、よっぽど日常生活で疲れきっている人なんでしょう。やみくもに永遠楽土を求めたって、そこに幸せなんか無いのにね。私、そこまで困憊していないので…。お薦めしない。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:ジョン・ヒルコート
出 演:ヴィゴ・モーテンセン、コディ・スミット=マクフィー、ロバート・デュヴァル、ガイ・ピアース、シャーリーズ・セロン、モリー・パーカー、ギャレット・ディラハント、マイケル・ケネス・ウィリアムズ 他
受 賞:【2009年/第63回英国アカデミー賞】撮影賞(ハビエル・アギーレサロベ)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ヴィゴ・モーテンセン)、若手俳優賞(コディ・スミット=マクフィー)、メイクアップ賞
コピー:父には息子が、息子には父が全てだった。それぞれが、相手の全世界となって──。
突然の大災害により文明を失った世界。空は塵に覆われ寒冷化が進み動植物は死滅しはじめて、10年以上が経過。食料が尽きた世界で、ある者は餓死し、ある者は自殺を選び、またある者はお互いを食べ合う。そんな荒廃した世界で、善き者であろうとし続け、南を目指し歩き続ける父と息子がいた…というストーリー。
『ザ・ウォーカー』とまったく同じ設定の作品。同様に“イーライ”が登場することからも、裏にある隠喩が同じであろうことがわかる。はっきり言って、終末思想のある宗教観の人じゃないと、ピンとこないのではなかろうか。聖書にあるとおりにのことが顕れると、随喜の涙を流して喜ぶような人にしかね。『ザ・ウォーカー』の場合は、まだ、異教徒でもSF作品として受け止めることは可能だったに、本作は何が何やらわからない状態。
#この二つの作品を、近い時期に公開しちゃうアメリカって、なんなんだろう。おまけにアメリカ国内では、本作の評価が相当高かった模様。原理主義者の思考はよくわからん。
滅び行く世界がすごくリアルだと評価する人がいるのだが、そうかあ?って感じ。まあ、大災害の様子が描写されていないから、なんとも言えないんだけど、民家とか市街地は破壊こそされているが、根こそぎ消滅しているわけでも無さそう。ならば、食料がなくなるのは判るとして、10年やそこらで靴や衣服は枯渇するのは変な話。タダでさえ人間がバタバタ死んで使う人はいないわけだし、それこそ売るほど残っているはず。
根本的に、なんで南の海岸に行かねばならぬのか。いや、寒さから逃れるために南にいくというのはわからんでもない。で、あれだけガリガリになったときに、奇跡的に発見したシェルターを放棄してまで、南にいくモチベーションって何?数百キロでどれだけ気候が違うっていうのか(いままでもっと北にいたんでしょ?)
人の足音がしたからと、安全策で移動したくなるのもわかるが、とりあえずシェルターからある程度の食料を持ち出した後にシェルターをしっかり隠し、そばの家なり近くの森なりに隠れて何日か様子を伺うのが、普通の思考だろう。人の親なら、子供の体力回復を優先しろっての。
最後に、絵に書いたような父母兄妹に犬という家族が登場って、何を意味しているのやら。結果からすると、シェルターの上を通ったのは、最後の家族なんだろう。そうなると、おびえて逃げ回った父の役回りはなんだったのか。父の死は単なる独り立ちの儀式か、だとすると家族と出会い子供として受け入れられるのはどういうことなのか。
また、いろんな場面で、“いい人”“悪い人”という表現が出てくるが、盗んだり、人喰いしたりする人が悪い人という、この期に及んでそんな単純な線引きしかしない価値観の押し付けに、かなりうんざり。インチキくさい宗教家の詭弁まみれの説法を聞かされ、煙に撒かれたような感じ。
親子愛を感じるためとか、滅び行く世界のサバイバルを実感するとか、狂った世界の恐怖を味わうとか、そういう目的ならもっと他の作品がある。どの要素をとっても水準以下だと思う。正直、おもしろくないを通り越して不快。お薦めしない。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:トム・フォード
出 演:コリン・ファース、ジュリアン・ムーア、マシュー・グード、ニコラス・ホルト、ジョン・コルタハレナ、ジニファー・グッドウィン、テディ・シアーズ、ポール・バトラー、アーロン・サンダーズ、ケリー・リン・プラット、リー・ペイス、リッジ・キャナイプ、エリザベス・ハーノイス、エリン・ダニエルズ、ニコール・スタインウェデル 他
受 賞:【2009年/第66回ヴェネチア国際映画祭】男優賞(コリン・ファース)
【2009年/第63回英国アカデミー賞】主演男優賞(コリン・ファース)
コピー:愛する者を失った人生に、意味はあるのか。
1962年。キューバ危機の不安の中にあったロサンゼルス。大学教授のジョージは、16年間共に暮らした同性愛の恋人ジムを交通事故で亡くす、それから8ヶ月間、悲しみに暮れ、ついには生きていく価値を見失い、ピストル自殺することを決意する。身の回りを整理し、弾丸を購入し、いよいよ最期の日を迎えるが、大学の講義ではいつも以上に自らの考えを熱く語り、元恋人で親友の女性チャーリーと思い出話に花を咲かすなどして、凡庸だった日常が少し色を帯びたように感じられるのだった。そして、一日の終わりを迎えようとしていた時、ジョージの前に教え子のケニーが現われ…というストーリー。
愛する人を失った苦しみに加え、社会的に大っぴらにできないが故に悲しみを表出することができない苦しみ。そして、自分と同様に孤独の海の中にいる親友の女性やゲイの教え子。惹かれることは惹かれるし、お互いに必要としてはいるのだが、けっして彼らとその傷を補いあうことはかなわないという空しさ。表現したい部分はよく判る。
確かに想像することはできるのだが、如何せんゲイの主人公に対してシンパシーを感じることができず、どうも入り込めない。この虚無感を一体となって味わえるかどうかが、本作のすべてだと思うので、そういう意味では、まったく愉しめなかったといえる。
いや、同性愛の映画を、ストレートの人はまったく受け入れられないということはないはずだ。やはり、この主人公が小難しくてとっつきにくいキャラクターだったことと、精神状態が始めからどん底状態で、最期の方までずっと低空飛行のままだったことが、原因かもしれない。
反面、非常にアーチスティックな映像であったのが救い。ファッションもインテリアもとても洗練されており、さすがこの監督さん有名なファッションデザイナーというだけはある。
まあ、結局、この監督が何を伝えたいのかを理解こそできたが、実際に伝わってはこなかったということ。同性愛者の方々には伝わるのだろうか。わかりまへん。お薦めはしない。
全然、話は変わる。不思議なもので、ジュリアン・ムーアが出た瞬間「ああ、今回は脱がないな…」と判った。この人、脱ぎがあるときと無いときで自然とギアの入れ方が違うんじゃないだろうか。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本、カナダ
時 間:118分
監 督:伊藤俊也
出 演:渡辺大、奥田瑛二、川村ゆきえ、武田真治、矢島健一、菅田俊、春田純一、奥村知史、中村映里子、伊藤明賢、斎藤歩、ダイヤモンド勝田、針原滋、飯田裕久、烏丸せつこ、熊谷真実、中田喜子、かたせ梨乃、宅麻伸、原田芳雄、夏八木勲 他
コピー:世紀の完全犯罪、三億円事件、解決。
隅田川で発見された絞殺死体の捜査にあたるベテラン刑事・滝口と若手刑事・片桐。定年間近の滝口は上層部の指示を無視した行動を続け、辟易する片桐。しかし、滝口から、被害者の葛木勝が3億円事件の最重要容疑者の一人だったということを聞かされる。当時3億円事件の捜査でミスをしていた滝口は、その苦い記憶を引きずっており、今回の葛木が3億円事件に関わりがあるのではないかと執着する。そして、滝口と同じように、葛木殺しと三億円事件の繋がりに気づいたフリージャーナリストの宮本が、片桐に接近。彼らは、独自の捜査で事件の核心に徐々に迫っていくのだったが…というストーリー。
下山事件やグリコ森永事件と同列であろう、日本犯罪史最大級の事件を扱って、このザマとは。観ていてここまではずかしくなる作品もめずらしい。
本作で繰り広げられる、事件の真相というのが非常につまらない。それが整合性のある物になればなるほど、無駄にリアリティを増してしまい、フィクションとしてはおもしろくなくなる。そういう運命を背負っているのだから、「つまらなくても事実だから!」と強引に言い張るくらいの勢いと説得力がかければいけいない。実はこうだったんですよ…ということをどう膨らませるか、どんな謎解きを仕掛けるかが勝負だと思うのだが、それは無い。
何がすごいって、80分近く経過しても、実はストーリーが何一つ展開していないというおそろしさ(まあ、正味40分もあれば、充分にまとめられそうな内容なんだけどね)。
サスペンス感の無さ。ミステリー感の無さ。ラーメン屋殺しの犯人を挙げたいのか、3億円事件の真相を暴きたいのか、一体この刑事たちは何をゴールとして進んでいるのかさっぱり見えなくなる。製作側はこの2つが同じ意味だと思っているようなのだが、残念ながら、どっちのスタンスを取るかで行動は変わってくるはず。そこがわかっていないからこんな迷子状態になり、オチが判ってもカタルシスは皆無。
警察機構は、このまま武田真治がやらかし続けてくれれば、3億円事件が闇に葬られて都合がいいのでめでたしめでたし…ってことで、奥田瑛二を妨害しているということなんだろうけど、そういうことなら、「俺はただ目の前の事件を捜査したいだけなんだ!」って愚直に捜査してくれたほうが面白かったような気がするけど。まあ、シナリオが稚拙すぎて、武田真治が伏線として生きていないレベルだから、こんなことを言っても無駄かもしれん。
そんな散っちゃいガムテープで口をふさげるとか…
複数人が襲い掛かっているのに、本当に捕まえたい人を無視して若造とだけ戦闘。そして、車はその戦闘をだまってまっているとか…
一般家庭に何気に青酸カリがあるとか…
川村ゆきえやら中田喜子やらかたせ梨乃のちちくりシーンに必然性や演出上の意味があるとは思えず、おまけに官能的ですらないとか…
かたせ梨乃の「ああ、昔、やらかしてたな…」という闘士感が一切無いとか…
はずかしくもなく「臨界を超えちまった!」そんなセリフ吐くとか…
Vシネマ未満。トンデモムービーですわ、これ。まったくはじけていないトンデモムービーほど、つまらないものはない。観るだけ時間の無駄。その時間をつかってラーメン二郎のオーダーの仕方を練習していたほうが、時間の無駄にならない。
#渡辺大はいい俳優になりそうなのだが、こんな作品に出てしまい出世が何歩も遅れてしまったのではないか。誰か救ってあげて。
負けるな日本
公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:131分
監 督:トッド・フィールド
出 演:トム・ウィルキンソン、シシー・スペイセク、ニック・スタール、マリサ・トメイ、ウィリアム・メイポーザー、ウィリアム・ワイズ、セリア・ウェストン、カレン・アレン 他
受 賞:【2001年/第68回NY批評家協会賞】男優賞(トム・ウィルキンソン)、女優賞(シシー・スペイセク)、新人監督賞(トッド・フィールド)
【2001年/第27回LA批評家協会賞】作品賞、女優賞(シシー・スペイセク)
【2001年/第59回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](シシー・スペイセク)
【2001年/第17回インディペンデント・スピリット賞】主演男優賞(トム・ウィルキンソン)、主演女優賞(シシー・スペイセク)、新人作品賞
【2001年/第7回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(シシー・スペイセク)
メイン州の小さな町で開業医をしているマット。妻ナタリーと、大学の夏休みで帰省した一人息子のフランクと久しぶりの3人暮らしを愉しんでいた。フランクは漁船でのバイトに励む一方で、近所に住んでいる年上の女性ナタリーと交際を始める。彼女は二人の男児の母親で、夫のリチャードの暴力が原因で別居中。現在でも、リチャードは離婚に応じず、ナタリーの家に時々やってきては暴力を振るっていた。ある日、フランクはナタリーの家に押しかけたリチャードと言い争いになる、射殺されてしまう。突然に一人息子を失ったマットとルースは途方に暮れてしまい…というストーリー。
受賞が多いわりにはまり知られていない作品なのだが、結構な名作だと思う。今回で3回目の鑑賞。
突然、狂気によって一人息子を奪われてしまう夫婦の悲しみと、終盤の復讐劇のコントラストが特徴的な作品なのだが、それは表面的なストーリー。そこだけ観ても面白いと思うが、さらに奥を観たい。
タイトルの『イン・ザ・ベッドルーム』、冒頭の卵を孕んだ雌のエビの話、そして年上の子持ち女性と恋に落ちる息子…と、これらの仕掛けから判るとおり、“女”でこの世の中は動いており、且つ狂わされているのだというのがテーマだと思う。
復讐に転じる父親の行動が唐突に映るかもしれないが、息子を失った苦悩の末の行動とだけ考えてしまえば確かにそう映るだろう。でも、ナタリーと付き合うことを止めるどころか、どちらかといえば面白がっていた自分。また、同時にいい女だとも思っていた自分。そして、ナタリーに気があるんだろうと妻に暴言を吐かれうろたえる自分。
私が重ねて本作を観る理由は、最後のベッドルームの様子が、難解というか色々な解釈ができて考えさせられるからである。茫然自失でベッドに潜り込んだマットは、リチャードの家でナタリーの写真を見てムカっときてしまったことを語り始める。あれ、自分はやっぱり妻が言ったとおりナタリーに惚れていたのか?初めは苦痛にあえぐ妻を見かねてたのが殺害動機かもしれないが、もしかしてナタリーに嫉妬して激情にまかせて殺した俺って、リチャードと同レベルかよ…と。
ベッドという雌エビの腹に戻ったマットだったが、肝心の雌エビは、“ああやったんだな”とばかりに起きだして甲斐甲斐しく世話を焼き始める。これをただ現実を好意的に受け止めただけと見るか、「ああ、私がけしかけた通りに動いてくれた。よしよし」…と見るか。この夫婦がそれぞれ、どこまで考えているのか…観るたびに印象や解釈が少しづつ変わってくる作品。
まあ、とにかく、男はみんな女によって動かされ、ダメになっていくってことはしっかり伝わってくる。強くお薦めしたい。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:日本、カナダ
時 間:112分
監 督:角川春樹
出 演:大森南朋、松雪泰子、宮迫博之、忍成修吾、螢雪次朗、野村祐人、大友康平、伊藤明賢、矢島健一、鹿賀丈史 他
コピー:追うも警官、追われるも警官。
北海道警察による組織ぐるみの裏金工作疑惑が浮上したため、道議会は、その真偽を問うべく現職警官の証人とする“百条委員会”の開催を決定する。開催の2日前、札幌市内のアパートで婦警の水村巡査の死体が発見される。道警の上層部は、早々に元交際相手の津久井巡査を容疑者と断定し、拳銃所持と覚せい剤摂取の疑いがあるとして、異例の射殺命令が下す。過去に津久井と任務を遂行した経験のある佐伯は、迅速すぎる動きを不審に感じ、元道警の警察官がマスターを務めるバーへ同僚たちを集める。翌日行われる百条委員会の関連性を疑い、今後の身の振り方を話し合っていると、バーの奥から津久井本人が姿を現わし…というストーリー。
ちょっと邦画が続く。
まあ、原作がおもしろいのだろうな…ということは何となく伝わってくる。派手なドンパチはないけれど、『あるいは裏切りという名の犬』のような、フランスの刑事モノみたいな感じもしないわけではい。
残り時間が少ない中、誰が黒幕か?誰が裏切るのか?という緊迫感満載の展開が!!となって然るべきなのだが、残念ながらそうはならない。時間が無いはずなのに、主人公達はけっこうのんびりしていたりして、ピリピリとした世界観がまったく表現できていない。
演出的な問題はそれだけではなくて、角川春樹、わかってないなぁ…というのが、率直な印象。ラストのダサい妄想的な演出など、まともな神経の人間のセンスとは思えない。
どんな手口でどれだけやってるか、裏金作ってる当事者でさえ把握できないくらいの状態になってるから、こんな裏金天国なのである。個々人は軽微な逸脱くらいにしか思っていないが、俯瞰でみると巨悪。だから、悪魔というのははっきりとした形をもたないからこそ恐ろしいのだ…という表現にしなければいけないのであって、あの人が黒幕でした…みたいな表現は一番の禁忌だと思う。
一応フィクションとはいえ、実在の組織で実際にあった悪事をモチーフにして、さらにそれをご当地で撮影しているのだから、もっと詳細な部分までリアルを追求すべきではなかったのだろうか。
これは、TVの2時間ドラマならセーフだと思うが、劇場公開作としては信じられないレベル。自分にどんな才能があると思ってメガホンを取ったのか、よくわからない角川春樹。演者さんたちには悪いけど、これは見る価値のない作品。仮に地上は放送があったとして、深夜じゃないと堪えられまへん。
#松山ケンイチの無駄遣いぶりがハンパない。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:130分
監 督:佐藤信介
出 演:二宮和也、松山ケンイチ、吉高由里子、本郷奏多、夏菜、綾野剛、水沢奈子、千阪健介、白石隼也、伊藤歩、田口トモロヲ、山田孝之、戸田菜穂、浅野和之、小林一英、小松利昌、落合扶樹、市川千恵子、春名柊夜、古澤裕介、土平ドンペイ、Merii、阪田マサノブ、越村友一、緑友利恵、橋本まつり、長江英和、玄覺悠子、若葉竜也、奥瀬繁、平野靖幸、大石将史、神威杏次、五十嵐翔、早川恭崇、柴田愛之助 他
コピー:なぜ、戦うのか──
就職活動中の大学生・玄野は無気力な毎日を過ごしていた。ある日、玄野は地下鉄のホームで、小学校時代の幼馴染・加藤を見かける。加藤は落下した人を救出するために線路に降りる。一瞬躊躇した玄野も線路へ降りて、一緒に救出するが、脱出が間に合わず通過する電車にはねられ命を落としてしまう。しかし、死んだはずの2人はとあるマンションの一室に瞬間移動。そこには、死んだはずの人々が同様に集められていた。やがて部屋の中央にある謎の黒い球体から、“星人”と呼ばれる者を抹殺しろという指令が下される。玄野たちは、理由もわからないまま、いきなり戦いの場へと転送されるのだったが…というストーリー。
ほとんど青年マンガ誌を読まない。黒いぱっつんぱっつんの服装で戦闘をするGANTZというマンガがそれなりにヒットしていことは知っていたけど。独創的と評価されており確かにその通りではあるが、『マトリックス』が1999年、『CUBE』が1997年であることを考えると、決して先進的というわけではない。
オチは知らないけれど、もし第三者が殺人ゲームを愉しむため仕掛けだとすると、『バトルロワイアル』とか『プレデターズ』に似たテイスト。問答無用でゲームに巻き込まれていく不条理感なんかは、やはり『CUBE』に近いので、ユニークなプロットだとは言いにくいものがある。
原作者がどう考えるかはわからないが、舞台を外国にするのは容易。リメイクというよりも世界観の広がりという形で発展させることも可能で、“GANTZサーガ”にすることも可能だろう。その点、『CUBE』よりもビジネス的な可能性を感じさせてくれるが、そういう方向性にもっていくフィクサーはいないのか。というか、日本テレビが映画化権を獲得してしまったことが、本当に正解だったのかどうか。何年後には海外で映画化することが可能になる契約であればいいのにね。
#黒い玉がニューヨークのアパートの一室にあっても何の問題もないものね。
ハリウッド映画に劣らない映像技術。敵のデザインの奇の衒い方も絶妙で、そこに日本の市街地の雰囲気が加わり、まさにクレイジー・ジャパンが体現できていると思う。
戦闘シーンの疾走感と、日常世界の緩急の具合も非常によろしくて、130分間まったく飽きずに観続けることができた。真夜中に鑑賞したのだが、先日の『トイレット』や『SPACE BATTLESHIP ヤマト』で襲ってきた睡魔の襲来は無し。日本のSFアクション映画として、初の成功例かも…そう思えるほど。
#原作を知らないからそこまで思えるのかも知れないけど。
死亡者が生き返ることや、あの戦闘している世界がバーチャルなのかリアルなのか…、諸々の整合性を考え始めると、このお話は破綻しそう(というか興醒めしてしまいそう)な気がするので、「宇宙人のテクノロジーでした!」敵なふわふわした状態にしておいたほうがいいんだろうね(原作を読んだら答えはわかるのかもしれないが、積極的に読む気はなし)
昨今の蒸し暑さを忘れさせてくれる一本だったので、お薦めしたい。『SPACEBATTLESHIP ヤマト』の3倍くらい楽しめた。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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