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公開年:1978年
公開国:アメリカ
時 間:119分
監 督:ブライアン・デ・パルマ
出 演:カーク・ダグラス、ジョン・カサヴェテス、エイミー・アーヴィング、チャールズ・ダーニング、キャリー・スノッドグレス、アンドリュー・スティーヴンス、フィオナ・ルイス、キャロル・ロッセン、ルターニャ・アルダ、ウィリアム・フィンレイ、デニス・フランツ、ダリル・ハンナ、ローラ・イネス 他





1977年。元アメリカ合衆国最高特務機関の諜報員ピーターは、アフリカのカサブランカで、息子ロビンと生活していた。妻はロビンを生んだ直後に亡くなっている。一度もアメリカで生活をしたことがないロビンは、高校卒業後にシカゴの大学に進学することが決まっている。ある日、2人が海水浴場で過ごしていると、突然アラブ系集団の銃撃を受け、ロビンが誘拐されてしまう。実は、ロビンは念動力を駆使できる超能力者で、その能力を諜報活動に利用しようとしている組織の仕業だった。誘拐の手引きをしたのが同僚のチルドレスであることを知ったピーターは、ロビンを追ってシカゴへ向かい、パラゴン研究所につとめる恋人のヘスターに協力を依頼する。一方、シカゴには、17歳のギリアンという少女がいたが、彼女も超能力の持ち主として諜報機関に目を付けられていた。彼女の能力は、怒りや嫌悪の感情のエネルギーを触った人間に伝播し、相手の体内から血を噴出させ、死に至らしめてしまうという過激なもので…というストーリー。

『キャリー』の爆発的な猟奇シーンだけを抽出して増幅したような作品なのだが、“超能力”表現を過多にすれば恐怖が増すかといえばそうでもないところが、映画の難しいところ。触った相手を破壊するだけでなく、未来予知までできちゃうという能力のインフレ具合が、安っぽさを増してしまった遠因か。

ただ、普通の監督が同じことをやれば間違いなくB級になってしまったところを、踏み止まらせているところが、デ・パルマの力なんだろう。普通の工作員モノのテイストで始まるんだけど、そこに無造作にぶち込まれる超能力描写、それらの振幅が独特の雰囲気を生んでいる作品。
人間性を不条理ともいえるほど踏みにじる存在の象徴として“超能力”を扱っており、

シナリオ上の明確な欠点があると感じる。ピーター、ロビン、ギリアンの3人をバランスよく扱ってしまったため、ポイントが散ってしまった点。ギリアンを主役にして、親子のストーリーはギリアンと関わる中で徐々に明かしていけばよかったと思う。役者の格の問題だと予想するが、カーク・ダグラス成分を強くしたのは、結果的に失敗に見える。シカゴにいる恋人(?)が死んでしまって、俺に関わるやつは皆死んでしまう…的な描写は、判らんでもないが、いいオヤジが悦に入っていて気持ち悪く見える。

最後は、飛べるくらいの能力を発現したなら、もっとどうにかなりそうなもんだけどな…という、もやもやで終わってしまったも残念。好きな人もいるだろうけど、私的には凡作。

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公開年:2011年
公開国:フランス
時 間:109分
監 督:ダヴィド・フェンキノス、ステファン・フェンキノス
出 演:オドレイ・トトゥ、フランソワ・ダミアン、ブリュノ・トデスキーニ、メラニー・ベルニエ、ジョゼフィーヌ・ドゥ・モー、ピオ・マルマイ、モニーク・ショーメット、アリアンヌ・アスカリッド、クリストフ・マラヴォワ、アレクサンドル・パヴロフ、マルク・シッティ 他
ノミネート:【2011年/第37回セザール賞】脚色賞(ダヴィド・フェンキノス)、新人監督作品賞(ダヴィド・フェンキノス、ステファン・フェンキノス)




最愛の夫フランソワを亡くしたナタリー。それから3年、悲しみを乗り越えようと仕事に邁進。今では、プロジェクトのリーダーを任されるまでに。そんなある日、部下のマーカスにいきなりキスをしてしまう。マーカスという男は、頭髪も薄くなっており、いつも不格好なセーターを着ていて、絶対に女性のモテない風貌。ナタリー自身もなんでキスしてしまったのかわからないし、実際何の感情もない。それどころか満足に名前も覚えていないほどだったので、このことは忘れるようにマーカスに言い渡す。しかし、キスをされたマーカスはそうはいかない。彼女のことが四六時中頭から離れなくなってしまう。とりあえず、一度だけ食事をして、これでおしまいという約束をするのだが、いざ食事をしてみると意外とマーカスがユーモアに溢れた常識人であることを知る。その後も、食事や観劇、散歩などを重ねる2人だったが、実はナタリーのことを密かに狙っていた社長が、2人を関係を知ってしまい…というストーリー。

なんで本作は、日本劇場未公開なのか。ちょっとありえないなぁと思いつつ、反面、理由は明確かな…とも思うのだ。やっぱり、ナタリーがなんで突然薄らハゲ男にキスしてしまったのか?が、とにかく不条理だからである。

恋愛なんて不条理なものよ!という人もいるかもしれないが、根本的にあのキスは恋愛感情に起因しているわけではない。チラりとそういう感情がよぎったとかでもなく、なんとなく。いや、なんとなくという表現もおかしくて、“狂った”と言ったほうが正しいほどである。
いや、まあ、そういう“奇跡”がおこったんだよ。彼女の中に何が生じたのかは、考えちゃいけない。ただ受け止めよう。そう心に決めて鑑賞を続けると、本作はとてもおもしろい。

もう一つ、本作の難点を言え、男性ターゲットなのか女性ターゲットなのか微妙だ…というところだろうか。私は男性なので、マーカスが話の主体になるまでは、まったく本作をおもしろく感じなかった。マーカスの日々の生活が描写され、悶死しそうになっている様子が描写されて、「マーカス、こいつ、まるで俺だわぁ…」って感じはじめてからがものすごく引き込まれた。逆に、マーカスの成分が増えた後半部分を、女性はどう観るのだろう(わからん)。

見た目は愚鈍、仕事も大したことない。ただそれだけで見下されるマーカス。見ていて痛くなってくる。そういう周囲の決めつけや目線に対して、静かに対処し(というかあきらめ)ていく。それを上司であるナタリーが守るのかな?と思いきや、別に見た目なんかどうでもいいじゃん…という態度で、至極普通にふるまうナタリー。いや、本当はそれで正しい。それは判っているのだが、マーカスのハートは、ボロボロになっていく。

社長の乱心で、やっとナタリーがブチ切れるという展開に。まあ、そういうターニングポイントがないと、ナタリーが新しい道を歩むことができない。やっぱり、マーカスに比べると、ナタリーは真の意味で真剣に考えていなかったのかしら…とも思う。

その後の、2人と逃避旅行のシーンは、結構好き(観てくだされ)。最後の2人の覚悟は、なんてことのない内容なんだけど、いい感じだった。実際に結婚したら、意外と喧嘩の絶えない2人な気もするけど。

女性に比べたら、男性は何だかんだピュアで傷つきやすいんですよ…という作品だな(なんだそりゃ)。軽くお薦め。

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公開年:2012年
公開国:日本、アメリカ
時 間:107分
監 督:ピーター・ウェーバー
出 演:マシュー・フォックス、トミー・リー・ジョーンズ、初音映莉子、西田敏行、羽田昌義、火野正平、中村雅俊、夏八木勲、桃井かおり、伊武雅刀、片岡孝太郎、コリン・モイ他
コピー:戦いの果てに、わかり合えるのか――





1945年8月30日。日本はポツダム宣言を受諾した日本に、ダグラス・マッカーサー率いるGHQが降り立つ。日本の占領統治と共に、A級戦犯の容疑者たちの拘束を開始する。マッカーサーは、日本の文化にも精通しているボナー・フェラーズ准将に対して、真の戦争責任が誰にあったか、特に戦争における天皇の役割りや実際の権限について、10日間で調べるように命ずるのだった。連合国側は天皇を戦犯として法廷に引きずり出し処罰するように求めていたが、フェラーズは、それを行えば日本国民による激しい抵抗は必至と考えていた。なんとかその状況になることを防ごうと考えたが、近衛文麿など関係者への事情聴取を行っても、日本独特の意思決定のあり方に混乱する一方で、まったく真実は見えてこない。一方、フェラーズは、大学生の頃に恋愛関係にあった日本人留学生アヤの行方を探るよう、運転手兼通訳の高橋に命じていたが、彼女が教員をしていた静岡の大部分がアメリカ軍による空襲を受けていたことを知り…というストーリー。

ロシア製作の『太陽』(2005)以降、普通にこういう作品が製作されるようになって嬉しい。この時代のことは日本史でも詳細はやらないし、やったとしても日教組教師がまとも授業をするはずもなく。

天皇を死刑にすれば、日本の統治は非常に困難になるという、現場サイドの事情が発端だとはいえ、もしかして帝国っていってるくせに天皇って全然権限なかったんじゃね?というところに目をつけたのは、GHQなかなか。

当時の軍事国際法に照らしても、市街地への爆撃など許されるはずもなく、アメリカのやってきたことは不法行為。それでも勝ったものが正義という時代である。A項戦犯などという概念を持ち出して事後法で裁いたのはご承知の通り。なんでもアリだったのに…である。

大日本国帝国憲法は欠陥憲法である。陸軍大臣と海軍大臣には現役武官だけが就任できる。逆に言えば軍人にしかなれない。すべての大臣が決定しなければ組閣ができない。組閣ができなければ国の運営ができない。そうなると、軍人さんが政府の方針が気に食わなければ、陸軍大臣、海軍大臣への就任を断るなり保留するなりすれば、政府の首根っこを掴むことができる。何なら就任することを条件に、軍に有利な条件を飲ませることも可能なのである。

ああ、学校の先生がいうとおりに、それで軍が暴走しちゃったんだな…と考えるのは尚早。開戦は日本の“野心”が原因、パールハーバーの奇襲許すまじとアメリカ人は言うが、昭和12年あたりから、アメリカは対日経済封鎖を繰り返し行って、日本を窮地に追い込んで行った。昭和16年にはABCD包囲網に石油の対日全面禁輸である。これは、いわゆる軍事的な戦争をせずに交戦するという、アメリカが仕掛けた戦争である。
海外と輸出入ができなければ、国内がどうなるかは明らか。家族が飢えて死ぬのを指をくわえてみているバカはいない。いくら今の日本人が平和ボケしているといっても、同じように家族が飢え死ぬとなれば、戦いを決意するだろう。
で、意を決して戦いを決めれば、伝達の不備で奇襲だといわれ、それもルールに則って軍事施設だけを攻撃したにも関わらず非道だと恨まれる。こんな理不尽なことがあるだろうか。それも、兵器で市街地を爆撃して何十万人も殺すような奴らにね。
天皇の名の下に狂信した?自分の大事な人たちの命が危うかったから。これが真実だ。

ああ、戦争はイヤだイヤだといっているだけの人が多いが、どうすれば巻き込まれないかを考えようともしない人は、同じことを繰り返す。歴史を顧みない人はマヌケだ。身もふたもないけど、戦争に巻き込まれたくなければ、経済的に外国に首根っこをつかまれないこと。これに尽きる。
ちょっと話は逸れるけど、電力を火力・水力・原子力の3つに発電方法を分散している理由もこれ。
さらに燃料の入手先も政治的に地域的に分散。どれか一つに絞ったほうが、維持とか楽に決まってるけど、そうしない。どこかのルートが閉じてもすぐに困窮しないように考えている。話は変わるけど、原発動かさなくてもやっていけるじゃん!とか言うバカがいるけど、動かさなくてもすぐに詰まないように考えてあるんだからあたりまえ。だからといって、ずっとこの状態でいけば、次の一手で簡単に窮する。外国の言いなりにならざるを得なくなる。そんなに原発がいやなら、それに代わる何かを考えないとだめ。新エネルギーの確立推進の具体的な指針を出させることと、確立後にすみやかに移行することを条件に、原発を再稼働を認めるというのが、今の答え。

戦争がない世界がいい?いやいや、先ほど言ったよね。第二次世界大戦のアメリカは、軍事的な戦争をせずに交戦するという、新しい戦争方法を遂行したって。そして今も、ロシアに対して同じ手法で仕掛けてるでしょ。今も“戦争真っ最中”だということを、しっかりと認識しよう。

閑話休題。

事実かどうかは知らないが、フェラーズ准将は、恋人がいるかもしれないから静岡への空爆を避けようと工作していたという。まあ、身勝手な話。この恋愛ストーリーにかなりの比重が咲かれているが、これがないと本当にドキュメンタリーみたいになっちゃうので仕方がない。結果的に悲恋で終わっているのも悪くなかったし、ここは許容しよう。

ヒアリングを重ねれば重ねるほど誰に戦争の責任があるのかよくわからなくなるという、まるで『藪の中』。欧米人には理解できない状況に困惑しながらも、とうとう天皇との面談にまでこぎつけるマッカーサー。
いわゆる玉音方法のレコード原版めぐって、軍部が皇居に押し寄せて皇宮警察と戦闘なったという。不勉強でそういうことがあったことを私は知らなかった。これを知っただけでも観た意味があった。本作は、関屋宮内次官による証言な、なかなか重要なポイントとなっている。
すべての責任は私にあると言う天皇に対して、一緒に今後の日本を考えていこうと、途端に態度が軟化するマッカーサー。実は、結局誰が原因なのかはわからないとも捉えられるオチ。
そりゃあ、無理だ。実はアメリカが仕掛けた戦争なのに、そのアメリカが犯人探ししてるんだもん。見つかるわけがない。なんとシュールなオチかと。

ちなみに、対米戦争は別にしても、日中戦争は侵略だろ?日本が悪いだろ?と嬉々として語る人がいるが、当時、植民地化は不法行為ではない。現在の価値観や法で過去を裁いてはいけない。

ちょっとグダグダな演出も垣間見れるが、好き嫌いは別として日本人は観ておくべき作品なのかな…と思う。特に20代、30代前半くらいの人は。

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公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:マーク・アトキンス
出 演:コリン・ネメック、ヴァネッサ・リー・エヴィガン、ブルック・ホーガン、エリック・スコット・ウッズ、ジーナ・ホールデン 他







アメリカ東海岸沖の小島ホワイト・サンズに、町長の息子ジミー・グリーンが帰郷する。ジミーは、人口が減少して経済的に停滞してしまったこの島で、復興事業としてダンスフェスティバルを開催しようとしていた。町長を説得して、出資者を集めて準備を進めていたが、島では人間が何かに襲われる事件が続発。保安官のジョンが海洋研究所のサンディに調査を依頼すると、遺体はサメに襲われたことが判明するのだが、遺体が発見された場所がサメがやってこれるような場所ではなく、且つ誰かが遺体を運んだ形跡もないことから、敵の正体が掴めずにいた。とりあえず、ジョンたちはビーチを封鎖し、監視を強化したのだが、ビーチに客が来なくなることを恐れる島民は反発。ジミーはサメのハンターを雇い、適当なサメを捕まえて安全をアピールしようと画策するが失敗。その夜、陸地にいた町長が襲われる。“サメ”は、砂地の中を泳いて獲物を喰らう未知の生物“ビーチ・シャーク”だった…というストーリー。

ここ数か月ちょこちょこサメ映画を観ているのだが、別に好きなわけではない。宅配レンタルのリストに思いつきでいれちゃっただけ。リリースされるサメ映画が多いんだよ(ちなみに、本作はOV作品の模様)。

“ビーチ・シャーク”って邦題なのだが、ビーチに鮫がいるのはあたりまえで、原題のサンド・シャークのほうがしっくりくると思うのだが。“ビーチ”とすることでどういう効果があると思ったのか、まったく理解できない。普通の鮫パニック映画じゃなくって、未知の生物によるパニックムービーのほうが、差別化ができたはずなんだけどなぁ。日本の販売会社、無能だわ。

砂の中を泳ぐサメというアイデア以外には、特に評価する部分はない。それも、『トレマーズ』という作品が存在するわけで、新規性は薄い。おまけに、『トレマーズ』ではサンドワームが音に反応するという設定だったが、本作のサメも音に反応するという既視感っぷり。

じゃあ、人間ドラマのほうで補完するしかないのだが、そんなイヤなやつ死んじゃえー!サメ行け行け!って思えるほどの悪役も出てこない。この要素は、パニックムービーでは非常に大事なはずなんだけど、ジミー程度じゃまさに役不足。ローテク、低予算をどう補うかを真剣に考えていないのが、妙にムカつく。

古代生物?っていう設定らしい鮫のフォルムは悪くなかったんだけど、地面が水のようになる理屈がいまいちわからず、違和感満載で興醒めしてしまうという側面も。

タダで観たなら許せなくもないけど、108円だとちょっと勿体なく感じるレベル。

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公開年:1978年
公開国:日本
時 間:112分
監 督:増村保造
出 演:梶芽衣子、宇崎竜童、井川比佐志、左幸子、橋本功、木村元、灰地順、目黒幸子 他
受 賞:【1978年/第21回ブルーリボン賞】主演女優賞(梶芽衣子)






大阪内本町の醤油屋の手代・徳兵衛は、堂島新地天満屋の遊女・お初と深い関係にあった。しかし、徳兵衛の働きぶりが誠実であったため、醤油屋の主人であり叔父でもある久右衛門は、自分の妻の姪と徳兵衛を結婚させようと考える。そして、徳兵衛の継母であるおさいに銀二貫目を結納金として渡して、話をつけてしまう。それを聞いた徳兵衛は驚き、久右衛門に抗議。久右衛門は激昂したが、日頃の徳兵衛の行いに免じて、母親に渡した金を来月七日までに返す事ができれば許すという。しかし、返却できなければ大坂を追放すると。大急ぎで田舎の母親のもとを訪れ、やっとの思いでその金を取り戻した徳兵衛だったが、その帰路で親友の油屋九平次に出会う。九平次は博打で借金を作ってしまい、返済できなければ店を売るはめになってしまうと言い、徳兵衛に借金を頼むのだった。親友の窮地を放っておくことができず、母親から取り返した銀二貫目を九平次に貸すのだったが…というストーリー。

『女囚さそり』シリーズを何本か観たあと、ほかに梶芽衣子が出ている作品で何かな…と探すと案外少ない。そして、彼女が映画賞を獲っているのって、本作だけだったりする。

冒頭から心中場所に向かう2人のシーンからスタート。その後は、これまでの経緯とシーンが交互に展開するという構成。まあ、有名な話だし、心中しちゃうというオチは誰もがわかっているのだから、アリ。

私、人間なんて生きてりゃなんとかなるもんでしょ!って考えてる人間なので、こういう自殺のお話は愉しめないだろうな…って思っていた。しかし、徳兵衛が巻き込まれる様子を見るに、もう、こりゃどうしようもない、死にたくなってもしょうがないな…と思えてくる。誰も自分の言い分をまるで信じてくれない。何をいっても無駄。クソ馬鹿野郎の九平次の口車にみんな乗せられて、あることないこと言いふらされて、社会で生きていく先が見えなくなる。人間は社会性動物なので、それを否定されると、生きていくのは難しい。まあ、自分ひとりだけなら、逐電しちゃえば何とかなるのかもしれない。だけど、自分が追いつめられるだけならいざしらず、お初の方もどっかに見受けされちゃう手筈がとんとん拍子で整っていくという。そりゃ心も折れるわ。近松門左衛門、やるなぁ…と。

先日観た『野火』と同じく、主役を演じる宇崎竜童のダイコンっぷりが、逆に効果的。九平次役の橋本功の演技が過剰気味で、いいコントラストにもなっている。弱くも強くもない平均的な男である感じがうまく出ていて、観客の共感に繋がっている。
梶芽衣子の演技はちょっとわざとらしいんじゃないか?と思う人もいるかもしれないが、そこは、文楽の世界を“人間化”しているんだということに気付けば、これでいいことが判るだろう。

で、“人間化”することで、心中のシーンはひたすらグロくなる。つまり、全然、心中自体を美化するつもりはないという製作意図なのかもしれない。こういう諸々の製作意図が、ピシっとはまっている作品なんだろう。全然好みのジャンルじゃないはずなのに、とても愉しめた。軽くお薦め。

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公開年:2006年
公開国:日本
時 間:116分
監 督:馬場康夫
出 演:阿部寛、広末涼子、吹石一恵、伊藤裕子、劇団ひとり、小木茂光、森口博子、愛川ゆず季、鈴木一功、有吉弘行、山岸拓生、杉崎真宏、小野ヤスシ、露木茂、松山香織、木幡美子、ラモス瑠偉、飯島愛、八木亜希子、飯島直子、伊武雅刀、薬師丸ひろ子 他
コピー:戦国よりも幕末よりもハイテンションな、あの時代へ──
ニッポンを救う! タイムスリップ・ラブコメディ!!



 2007年。バブル崩壊後、低迷が続く日本経済。国の借金が800兆円となり、国家の崩壊は目前に迫っていた。それを食い止めようと、財務省に勤める下川路功はある計画を進めていた。その頃、元カレの作った借金の返済を迫られていたフリーター・田中真弓のもとに、疎遠だった母・真理子の訃報が届く。母の葬儀の後、下川は真弓のもとを訪れ、真理子は死んでおらず、自分が開発したタイムマシンで1990年にタイムスリップしたと告げるのだった。下川と真理子はバブル崩壊を食い止めるために、極秘裏にプロジェクトを進めていたというのだ。ところが真理子は行方不明となってしまったため、同じ背格好の真理子にタイムマシンの搭乗を依頼する。半信半疑の真弓だったが、母を救うためと借金から逃れるために承諾する。しかし、そのタイムマシンというのが、ドラム式の洗濯機で…というストーリー。

確かに、内容を的確に表しているタイトルだとは思う。しかし、意外と慧眼なプロットで、軽いコメディじゃなくってけっこう真面目に後世に残さないといけいないような作品だと思うので、この安っぽいタイトルは納得できない。

本作は、世に出すのが早すぎたのではないかと思う。

不況で、散々日本経済はダメだダメだとマスコミが吹聴しまくって、国民の心も折れかかったタイミングで世に出したことで、バブル時代へのアイロニーに捉えられてしまったのではないかと。
バブル崩壊の原因が総量規制にあったとする慧眼を発揮しながら、日本の借金額が膨大で返すアテがないとか、借金をしている相手が誰なのかとか、資産額がどれだけあって相殺してどれだけ残るのかとか、そういう観点が一切ないというアンバランスさ(当時は、そういうマスコミの論調に国民は簡単に騙された)。

おそらく、バブル崩壊の原因が総量規制ってのも、きちんとした知識ではなく、聞きかじった知識なんだろうな…と予測する(小室直樹の書籍でも読んだのだと思う)。学歴だけあって本当の知恵や知識のない人間が企画したのかなと思う。
そして、YAHOOのTシャツのくだりとか、ホイチョイの、時代遅れで成長していないセンスに、ちょっと辟易。

お金が余っててお札が飛び交ってたっていうけど、金が余って使い道がないってのは、リッチなんじゃなくて、通貨流通量が多くてお金の価値が低いだけ。そんな気分になってただけ。
金(ゴールド)の価値が低い時に売り出すやつはいないよね。高くなるまで暖めとくよね。じゃあ、ゴールドを紙幣(お金)にかえて考えてみよう。バブル当時はお金の価値が低かった。だから、馬鹿みたいに使ったやつは馬鹿。そういうときには貯蓄する。バブル崩壊後までに安全な形の投資をして保持していたやつが正しい。だからといってタンス貯金は愚作だけど、まだタンス貯金のほうが賢かった。
こんなんで経済は大丈夫なんか?と当時の人は思っただろうが、それは自然現象としての経済活動の振幅の一局面でしかない。あそこは放っておくのが正解(じゃあ、常にレッセフェールでいいかっていうとそうじゃない。ケインズ理論を発揮しなきゃダメな側面は存在する。ケインズ派も古典派も、その理屈はシチュエーションによって使っていい場面はことなるので、どっちが正しいってわけじゃないんやで。大半の経済学者がわかってないみたいだけど)。

そんな状況なのに、借金をできなくするという不自然な形で規制しようとしたら、経済活動の命脈まで断ってしまうことになる。その辺は、劇中でうまく説明されているし、まるで私財を増やすために行った悪行としか思えない!という演出も、わからんではないところだ。

単刀直入にいえば、劇中で伊武雅刀が演じている男のモデルは、土田正顕っちゅう男だ。しかし、名指しでそいつを戦犯と指摘した小室直樹も土田正顕も、もう亡くなってしまった。安部英とか、平成の悪魔どもは、裁かれる前に死んでしまうねぇ。

で、結論を言えば、2013年くらいに公開すべきだったと思う。帰りは誰がスイッチ押したんだ???とか、いい加減なレベルの演出も散見されるし、戻ってからがオマケになってるのが、ちょっと残念(なぜか『オフロでGO!!!!!タイムマシンはジェット式』と同じようなオチなんだよなぁ。誰が考えても、タイムマシン物のコメディってこうなっちゃうのかも)。
製作側はチョケたノリで作ってるんだろうけど、絶対真剣に作るべきだった。本当に本当にもったいない。
#老けメイクはいいね。

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公開年:1983年
公開国:日本
時 間:104分
監 督:大林宣彦
出 演:原田知世、高柳良一、尾美としのり、上原謙、内藤誠、津田ゆかり、岸部一徳、根岸季衣、入江たか子、松任谷正隆、入江若葉 他
受 賞:【1983年/第7回日本アカデミー賞】新人俳優賞(原田知世)





高校生の芳山和子は、同級生の堀川吾朗や深町一夫と一緒に理科室の掃除をしていた。和子は実験室で物音を聞き、中に入ってみるが誰もない。床に倒れていたフラスコから垂れていた液体から湧き上がる白い煙の臭いを嗅ぐと、気を失っていしまう。保健室で目を覚ました和子は、先生たちに顛末を話し、再び実験室に行くものの、室内は何事もなかったようにきれいな状態だった。気のせいということで片づけられてしまうが、和子は煙がラベンダーの香りだったことを強く記憶する。その事件の後、和子は同じ時間を繰り返すような奇妙な感覚に襲われるようになり…というストーリー。

自分が今まで観てきた映画を振り返ると、変な言い方かもしれないが、“映画”を映画として認識した初めての作品がこれだと思う。言い方を変えれば、映画というメディアの愉しさを知ったというか…。でも、大林演出は決して好みではないので、それを認めることを拒否する自分もいたりするのだが(笑)。
当時は、ビデオを持っていたわけではないのに、よくもまあ、劇中のセリフや歌を、学校でマネして遊んでいたな…と、思い出すとちょっと驚愕する。♪もも~くりさ~んねん…とか、古文のレ点のシーンとかね。ビデオとかがないから、記憶に焼きつけよう!ってくらいに勢いで、真剣に映画を観ていたんだと思う。そして、デジャビューという言葉を始めて知る映画。

加えて思い出深いのが、この映画に原作があることを知り、筒井康隆の原作を買ったものの、全然違って腰抜かすというアルアル。筒井康隆の存在を初めて認識したのも本作がきっかけ。

いい思い出が、今目の前にいる好きな人とのものじゃなかったとか、結構せつない。このせつなさの“匂い”が、本作の魅力。そして、ラベンダーという“匂い”の小道具。
だれか愛する人が別にいるような…という違和感のために、いまいち相手にされないごろーちゃん、かわいそう!と思いつつ、両方とも記憶が消えているのに、再会したらなんか引っかかるとか、そんなレベルの恋愛あるんか!という、子供には刺激的な衝撃。
で、何で彼女がその力を持ってしまったか、明確な説明はなされないという適度な投げっぱなし感が心地良い。そして、ローテクな合成が、ストーリーにマッチしてるんだよねえ。

本編とは関係ないが、本編のリフレインかと思いきや、突然登場人物が主題歌を歌い始めるというエンディングがあまりにも秀逸。これ映画史に残るエンディングだと思う。なんか知らんけど胃がキュットなる。

角川アイドル路線があったけど、薬師丸ひろ子も渡辺典子も、すぐにちょいヨゴレ入ってたし、真の意味の角川アイドルは原田知世だけだったかも。でも、逆にそこからの展開が難しくなってしまったと。芸能の世界は難しい。
仲里依紗版はおもしろくもせつなくもなかったな。ちょっと前ならももクロの玉井さんとかでリメイクして欲しいが、今の玉井さんじゃちょっと難しいか。

閑話休題。“様式美”と言ってもよいほど監督の色が濃くて、人の心に残るという意味では、日本映画史屈指のユニークさを誇る作品だと思う。
#当時、すごく弓道に魅力を感じたものだが、今観ると、あんなグラウンドでやるのあぶないような気がする。

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公開年:1959年
公開国:日本
時 間:105分
監 督:市川崑
出 演:船越英二、ミッキー・カーティス、滝沢修、浜口喜博、石黒達也、稲葉義男、星ひかる、月田昌也、杉田康、佐野浅夫、中條静夫、伊達信、伊藤光一、浜村純、潮万太郎、飛田喜佐夫、大川修、此木透、夏木章、竹内哲郎、早川雄三、志保京助、守田学、津田駿二 他
受 賞:【1959年/第10回ブルーリボン賞】撮影賞(小林節雄)



フィリピン戦線のレイテ島。田村一等兵は上官から病院に行くことを命ぜられたが、その程度では入院できないと医者から追い返されてしまう。戻った田村は、その旨を上官に伝えるが、再び病院に行けと追い出されてしまう。隊の食糧はすでに底をついていており、田村のような労働力にならない隊員は、ただの厄介者なのだ。どこにも行くところがない田村が病院の傍の林に行くと、田村と同様に入院を断れらた兵隊は、何人も横たわっていた。彼らに合流したものの、翌日、病院が爆撃を受けて壊滅。再び田村は一人で荒野を彷徨うことに。海に近いひとけのない村に立ち寄った田村が民家を物色していると、そこに男女が入ってくる。恐怖から女の方を銃殺してしまった田村は、民家から塩を奪って逃走。罪悪感から銃を捨てて丸腰で山中を歩いていると、芋畑を発見。そこで別隊所属の3人の兵士と出会うのだったが…というストーリー。

戦地の悲惨な状況を目の当たりにする一兵卒の主人公の行動…という『ビルマの竪琴』と似たようなシチュエーション。こういう作品って“反戦映画”って紹介されることが多いけど、戦争の悲惨さを描いたら反戦映画って短絡的だなと、いつも思う。悲惨で極限的な舞台設定でドラマを作りたいだけっていうのはイカンのか?と。

市川崑に反戦の心が無かったなんていう気はないけど、映画の舞台として良かったから扱っているだけだと、私は思うよ。金田一耕助シリーズだって、終戦間もない設定だから面白い(ちょっと設定が後になる病院坂とかはおもしろくないじゃん)。

田村が女を銃殺した村に教会があったことから、キリスト教信仰にまつわるテーマを指摘する人もいる。しかし、人間が人間たりえる最低ラインを死守しようと必死になっている田村の姿の、そのギリギリの先に宗教的な視点が見え隠れするだけで、別にキリスト教の宗教観を表現しているわけではないと思う。永松のカリバニズムとキリスト教が対峙しやすいという側面もあるだろうが、いずれにせよ、本作は一つの宗教観で収まりがつく内容でもないし、逆に言えば宗教観を持ち出すような観方をするのは無粋で、純粋にホラーやサスペンスとして観るほうが、監督の意にかなっている気がしないでもない。実際、私はそういう観方で愉しめた。
私の市川崑観を押し付ける気はないけど、裏を考えずに素直に観るべき監督だと思うんだよね。

白黒ながらも、暑さがむんむん伝わってくる画。南方なのに全然ウェット感がない。実際は雨も降るしジャングルだし小川も流れてる。でも、テーマ故なのか、ものすごく乾いている感覚に襲われる。観ていて苦しくなる画ってすごい。

船越英二はまあ彼だとわかるが、ミッキー・カーティスは全然いまの面影がない。二人とも演技はうまくない。特に本作の船越英二はダイコンくさいけど、なんかそのダイコン芝居が、極限な感じをうまく涵養しているような。その他の脇役の演技がしっかりしているだけに、逆に際立つのだ。これも含めて市川演出だとしたら、それはすごい。

決して楽しい作品ではないけれど、映画史に残る良作だと思う。

拍手[0回]

公開年:1996年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:スパイク・リー
出 演:チャールズ・S・ダットン、イザイア・ワシントン、ヒル・ハーパー、アンドレ・ブラウアー、トーマス・ジェファーソン・バード、オシー・デイヴィス、アルバート・ホール、ハリー・レニックス、リチャード・ベルザー、デオウンドレ・ボンズ、ガブリエル・カソーズ、バーニー・マック、ウェンデル・ピアース、クリスティン・ウィルソン 他




1995年10月14日。2日後に、ワシントンで黒人の自由と権利を訴えるミリオン・マン・マーチ(100万人の大行進)が行われる。そこに参加するためのバスツアー一向がロサンゼルスを出発する。参加者は、様々な事情の12人の黒人たち。裁判所の命令に従い犯罪を犯した実の息子を鎖で繋いだまま参加しているエヴァン。キャリアはほとんどないくせに口だけ達者な俳優フリップ。その他、ゲイのカップルや、イスラム教信者、片親だけが黒人の警察官。そしてベテラン添乗員のジョージも黒人だ。そんな彼らを、映画学校の学生エグゼビアはビデオカメラに収めていく。フィリップのゲイ嫌いに端を発し、諍いや反目の堪えない旅が続く。そんな中、バスがエンストし、替りのバスと運転手がやって来るのだが、新しい運転手リックはユダヤ人で…というストーリー。

監督がスパイク・リーなんで、妙に暴力的だったり、黒人バンザイ的だったりするのかと、ちょっと敬遠していたのだが、これ、隠れた名作だと思う。名作は言い過ぎかもしれないけど、スパイク・リー作品の中では異色で出色。偏見に聞こえるかもしれないがSEXシーンはないし、暴力シーンも喧嘩する部分はあっても暴力じゃない。

むしろ、“だから黒人はダメなんだよ…”っていう部分にイヤというほどスポットを当てている。無口なヤツは誰一人としていないという、口だけは達者だが、論理も我慢する姿勢も欠落している人間ばかり。コツコツ努力するとかできんのか?と思っていると、長老格の爺さんは、一生懸命文句も言わず働いてきたが、結局クビになった…とか語り始める。ただ、本当に黒人だからなのか?という気がしないでもないところがミソ。
イスラムかぶれは、元クリップスで何人も殺していると吐露。イスラムに出会ったから救われたとかなんとかノタマワって罪は無い…みたいな態度をとる(もちろん同乗してる警官は黙っちゃいない)。結局、マイノリティをこじらせている人間ばかり。

黒人差別に反発を抱いているくせに、冒頭からゲイカップルはガンガン差別される。途中でやってくるユダヤ人運転手のこともガンガン罵倒する。絶対に折れないし絶対に謝らない。あれ?俺も差別する側なんじゃね?とか絶対に考えない。
途中で、なぜか黒人をバカにしまくる黒人が乗ってくる。もちろん放っぽり出されるのだけど、その段になっても、あれ?自分も同じことやってね?とか思わない。その男、そこに気付かせるヒントをたくさん出しているのに誰も気づかない。黒人には反面教師という概念はないのか?と。

こんな感じで、人間性ははっきりしているので、揉め事が始まるとおもしろい。むちゃくちゃな理論で押収しまくるのに、全然終わらない。終わるタイミングは、別の揉め事か事件がおこるときだけ。

興味深かったのは、ツアー参加者の多くが民主党支持だってこと。まあ、経緯を考えれば、当然なのかもしれないけど、黒人だけじゃなくヒスパニックやらの支持を集めた現政権の無能っぷりを見ると、被差別意識を傘にきたまま、いつのまにかマジョリティになってしまうことの悲劇が見て取れるようだ。

なぜか、ゲイの人だけ共和党支持だったのだが、そこは、きっとエスプリのきいた部分なんだろうけど、アメリカ情勢に疎い私には、何を意味しているのかよくわからなかった(多民族主義を標榜しているような態度が、かえって差別しているように見えるとか?)。

すごく政治的だけど、末端のリアルな黒人社会の縮図を見せてくれた作品。

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公開年:2013年
公開国:日本
時 間:126分
監 督:宮崎駿
出 演:庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、スティーブン・アルパート、風間杜夫、竹下景子、志田未来、國村隼、大竹しのぶ、野村萬斎 他
受 賞:【2013年/第80回NY批評家協会賞】アニメーション賞
 【2013年/第37回日本アカデミー賞】アニメーション作品賞、音楽賞(久石譲)
コピー:生きねば。



少年の頃から飛行機に憧れ、設計士になることを決意した堀越二郎。1923年、東京帝国大学に進学するため上京した彼は、その移動中に関東大震災に遭遇。混乱の中、里見菜穂子とお供のお絹を助ける。その後、晴れて三菱内燃機株式会社への入社した堀越は、晴れて設計士の道を歩み始める。しかし、視察のためにドイツを訪れた堀越は、ユンカース社の技術を目の当たりにして、日本と世界の差を痛感する。その後、国産戦闘機の生産受注のためのチャンスである、七試艦上戦闘機の設計に主務者として携わることになるが、テスト飛行は失敗し大破。失意した堀越は、休暇と称して軽井沢を訪れるが、そこで菜穂子と再会。戦闘機設計のことで頭がいっぱいの堀越は、はじめは彼女であることに気付かず…というストーリー。

結局、コンピュータ彩色での表現をモノにできずに引退作となってしまったように思える。おまけに、カメラが寄りすぎなんじゃない?みたいな感じの絵コンテ。もうちょっと引きの画にならんもんか。全然奥行が感じられない。息子の悪癖が父親にまで伝染したのかと、かなりうんざり。

“零戦を作った男”を生々しくなく描いたという意味では、優秀かもしれない。でもこの生々しくなさが、よろしくない。

めずらしく直球の恋愛モノだったが、結局はオママゴトでおわってしまうという。宮崎駿自身の恋愛に対する情動の薄さなのか、深みのなさ故なのか、

設計士としての仕事をやらねばならない。でも新妻は結核だ。看病が必要だ。今いっしょにいなければ、せっかく結婚したのに一緒にいることができないかもしれない…という葛藤が描かれるのかと思いきや。物分りのいい妻のおかげで、仕事は継続。感情が湧きあがったときに、駆けつける。無理をして離れで生活する妻。それにのっかってふつうに生活する夫。別に夫婦の間のことだから口を挟む気はないけど、映画としては主人公が葛藤できる場面で葛藤せず、始終達観した状態って、おもしろくないでしょ。

当時、結核は死の病だから、もう死ぬこと前提なんだよ…ってことだとしても、最後、置手紙をして消える新妻を放っておきなさい…って、それはないだろ。妹も、泣いてるヒマがあったら、相手の父親に連絡しろや。

そう、“確実な死”とはっきり描けていないのがダメ。なんか、治りそうなんだもん菜穂子さん。その“死の影”を強く強く描けていないから、せっかくの突然結婚式も感動が薄くなる。
死におびえながらも強く生きる ⇒ 強く生きる=淡々と生きる ⇒ 堀越の飄々とした姿が痛々しく思える…という流れが生まれるはずなのに、前が欠落してるから、ただの飄々として兄ちゃんで終わってしまった。

カプローニが登場する夢の世界の、夢としての魅力の薄さ。たぶん、宮崎駿の頭の中ではもっといいイメージが浮かび上がっていたと思うよ。そのイメージとの乖離を、依然なら何としてでも埋めようとしたと思う。だけど、いまはそこまではやらない(のかできないのか)。
この期におよんで、劣化、迷走するという、ある意味まだ監督として“ナマモノ”なんだなという印象がした。逆に、この程度の作品で引退できる、満足だ…と思えるものかね。プロレス的に簡単に復帰すると思うわ。これじゃあね。

関東大震災のシーンでは「お!」っと思ったんだけど(マンガ表現が過ぎたけど)、そこだけだったなぁ。

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公開年:1989年
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:ブライアン・デ・パルマ
出 演:マイケル・J・フォックス、ショーン・ペン、ドン・ハーヴェイ、ジョン・C・ライリー、ジョン・レグイザモ、テュイ・テュー・リー、 エリック・キング、サム・ロバーズ、デイル・ダイ、ヴィング・レイムス、ドナル・ギブソン、ジャック・グワルトニー、マリス・ヴァライニス 他
ノミネート:【1989年/第47回ゴールデン・グローブ】音楽賞(エンニオ・モリコーネ)
コピー:ただひとり。少女を守るため---仲間すべてを“敵”にしたアメリカ兵! 名匠デ・パルマが挑む!あの戦争が生んだ「衝撃の事件」!


1966年。ベトナムの戦場で北ベトナム軍との死闘を繰り広げるミザーブ軍曹が率いる小隊。ある日、彼らはベトコンの奇襲を受け、ブラウン伍長が死亡してしまう。彼は、あと数日で除隊する予定で、その無常さとベトコンに対する怒りに、残ったものは打ち震えるのだった。ある夜、小隊は偵察パトロールを命じられるが、ミザーブ軍曹は部下にヴェトナムの少女を誘拐してレイプしようと提案する。エリクソン上等兵は耳を疑ったが、その命令は実行される。その後、少女を帯同させた挙句、エリクソン以外のザーヴ、クラーク、ハッチャー、ディアズによってレイプされてしまう。エリクソンは他の兵士が偵察任務を遂行している中、彼女を逃がそうとするが見つかってしまう。やがて北ベトナム軍の近くまで近づくが、誘拐した女性が声を上げて見つかる懸念が生じたことと、本件の証拠隠滅のために、彼女はミザーヴ軍曹の命令で射殺されてしまう。その後、戦闘で傷つき基地に搬送されたエリクソンは、上層部に事件のことを訴えるが、上官は相手にせず…というストーリー。

実話ベースらしい。最後の軍法会議がフィクションということはないだろうから、結構なところまでリアルなんだろう。まあ、胸糞悪い話である。でも、戦争は悲惨なものだ…とか、戦時は人間に狂気が生まれるとか、よくある戦争映画のコンセプトとは違う。あくまで設定が戦場だというだけで、内容は猟奇犯罪者をリーダーとする小集団と、それに抗おうとする男のストーリーである。デ・パルマらしくないという人もいるが、サイコキラーとアクション、過剰な暴力表現、まさに彼の作風ドンピシャだと思う。

マイケル・J・フォックスといえば、明るくコミカルな作品が多いので、本作とのギャップが著しい。そのイメージと胸糞悪いストーリーとのギャップが吐き気を催すような空気を生んでいると私は感じる。キャスティングが作風に大きな影響を与えている顕著な例だと思う。

ショーン・ペンにネジの外れた権力者を演じさせたらピカ一。まったく受賞はしていないけど、彼が演じるミザーブ軍曹の正気と狂気の間を行き来する様子があってこその本作だと感じる。

女性が死亡した後の、隠蔽と復讐合戦がまたもや陰湿。内部告発者はその行いが正しかろうと何だろうと、非難を受けてしまうという理不尽は、洋の東西を問わず存在する。人類が次に越えなければならない壁といってもよいかも。それも含めた後味の悪さが本作の魅力。どっちに転ぶかわからない雰囲気もうまく作れていると思う。

ただ、残念なのが、誘拐した女性が瀕死の状態で逃げようとするシーン。山腹に作られた細い足場の上で展開するんだけど、前後から銃で撃つとかありえないよね。足場はRがついていて直線じゃにから大丈夫なんだよというかもしれないが、それでも、味方にあたる確率は低くないんだし、ありえないと思うわ。すごくおもしろかったので、この一点だけで私の心の中で駄作扱いとなってしまった。残念。
#最後の音楽は優秀だなぁ。

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公開年:1969年
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ジョン・シュレシンジャー
出 演:ジョン・ヴォイト、ダスティン・ホフマン、シルヴィア・マイルズ、ジョン・マッギーヴァー、ブレンダ・ヴァッカロ、ギル・ランキン、バーナード・ヒューズ、ルース・ホワイト、ジェニファー・ソルト、ゲイリー・オーウェンズ、ジョーガン・ジョンソン、アンソニー・ホランド、ボブ・バラバン、ポール・ベンジャミン 他
受 賞:【1969年/第42回アカデミー賞】作品賞、監督賞(ジョン・シュレシンジャー)、脚色賞(ウォルド・ソルト)
【1969年/第19回ベルリン国際映画祭】国際カトリック映画事務局賞(ジョン・シュレシンジャー)
【1969年/第4回全米批評家協会賞】主演男優賞(ジョン・ヴォイト)
【1969年/第35回NY批評家協会賞】男優賞(ジョン・ヴォイト)
【1969年/第27回ゴールデン・グローブ】有望若手男優賞(ジョン・ヴォイト)
【1969年/第23回英国アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ダスティン・ホフマン)、監督賞(ジョン・シュレシンジャー)、脚本賞(ウォルド・ソルト)、編集賞、新人賞(ジョン・ヴォイト)
【1994年/第23回アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品

テキサスに住む青年ジョー。彼はカウボーイスタイルに身を包み、ニューヨーク行きのバスに乗り込む。彼は自分の容貌を武器に、さみしいニューヨークの金持ち婦人達を相手に男娼として一儲けしようと考えていた。しかし現実は厳しく、客は見つからない。ようやく一人の女性を引っかけるが、相手は実は娼婦で、逆にお金を巻き上げられる始末。そんな中、スラム街で足の不自由なペテン師ラッツオと出会う。ラッツオが売春を斡旋している人間だということを知り、手数料として10ドルを手渡したのだが、実はラッツオはホモ専門の手配師だった。騙されたと知ったジョーは激怒したが、始終咳き込んでいて無一文の彼に、それ以上怒る気力も失せてしまう。手持ちの金が無くなったジョーはホテルを追い出されてしまう。ラッツオは自分の室へ来るように薦め、男娼の仕事も自分がマネージャーをやるという。次第にジョーとラッツォの間に友情のようなものが芽生えていくが、仕事は一向に見つからず、おまけにラッツォの体調は悪くなる一方で…というストーリー。

なんで“カウボーイ”じゃなくて“カーボーイ”なのかは不明。車は無関係。最後、バスには乗るけど、タイトルにするほど重要じゃないし。むしろカウボーイスタイルこそ、ジョーのトラウマの表出であり、重要なポイントなのにな。邦題なんか後で変える例はいくつかあるんだから、真夜中のカウボーイに変えて再販すべきだね。

全然、本編と関係ないんだけど、ジョーがTVをザッピングするシーンで、画面に『ウルトラマン』が一瞬出てくる。スカイドンとジャミラ。そして本物のBGMも。権利無視だな。日本での放送から2年も経ってないと思うんだけどね。あと、一瞬『ジャズシンガー』の場面も出てくる。まあ、映画トリビアかな。
ダブル主演扱いだと思うが、完全にジョン・ヴォイドはダスティン・ホフマンに喰われちゃった感じ。外国人の美醜の感覚はよくわからないけれど、ジョーの容姿を見るに、なんで男娼で大儲けできると思った?と小一時間説教した気分になってしまった。まあ、稼ぐホストとかも必ずしも美男子というわけではないから何とも言えんのだが。

まあ、その辺の勘違いを含めてジョーという人格だということなのかもしれないが、それならば、ジョーをもうちょっと丁寧に描くべきだったかな…と感じる。
誰しもが、「仕事しろよ」と言いたくなるわけだが、頑なに他の仕事はしない。何故そこまで男娼にこだわるのか、それも何故カウボーイスタイルにこだわるのか。何故ニューヨークなのか。何度も挟まれるジョーの回想シーンから、それを判断しろ…ということなんだと思うが、いまいち腑に落ちない…というか、スパっと繋がらない。おばあさんの恋人のこと?自分の恋人がレイプされたこと?大体にして自分が犯人扱いされたことは、事実なの妄想なの?等々。

逆にラッツオの生い立ちが全然語られない。ジョーの回想がおもしろくもなんともなかったこともあり、そっちが気になってしかたがなかった。情報を与えられた方の興味を失ってしまい、逆に情報が不足している方に興味が沸いてしまうという、情報ツンデレ現象だな。

殺伐としやニューヨークの片隅で、ドブネズミのように生きる、2人の奇妙な友情を描いているのだが、いかにのニューシネマという感じ。ノンポリで、観客をどこに誘導するでもない。ニューシネマ作品は、意外と政治的なメッセージ性が直接的に出ているものが多いから、個人的には好みの匙加減に仕上がっていると感じた。

あのパーティってアンディ・ウォーホル主催っていう設定なんだね。そこは1970年前後のサイケな雰囲気が満載。だけど、その他は古いと感じさせないね。だからなんだ…ってストーリーなんだけど(まあ、それがニューシネマ)、目が離せない演出。お薦めかな。

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公開年:1977年
公開国:西ドイツ、スイス
時 間:75分
監 督:ジェス・フランコ
出 演:アダ・タウラー、ナンダ・ヴァン・ベルゲン、モニカ・スウィン、ウォルフガング・ウォールファート、イングリッド・ケア 他






南米コロンビアの山中に建つ病院施設。そこはゲリラ組織が、性倒錯の矯正と称して誘拐した女性を性奴隷として働かせる施設だった。女たちは、ほぼ全裸で施設内で生活することを強いられ、ゲリラ兵の慰み者とされる。女所長は、命令に従わない反抗的な女を、昼夜問わず調教、拷問を繰り返す。ときには、殺害することも躊躇しない。ゲリラ組織の指揮官は、女性の中から人妻女性を選ぶが、単なる性奴隷を超えて愛を傾けるようなり、人妻もその愛に応えるようになる。しかし、レズビアンである女所長も、その人妻に目をつけており、なんとか自分の物にしようと策を弄する。そんな中、女たちの衛生状態を診察にきた医師が、彼女たちを救出しようとしていることが発覚し…というストーリー。

すごくたくさん女性がいるように感じられたが、実際は5人くらいかな。自制はずっと全裸状態で、おまけに外国人の顔はいまいち区別がつかなかったりする。性的嗜好とかでキャラをつけようとしているが、けっこう難しい。ストックホルムシンドロームじゃないけど、望んで置かれた状況じゃないのに、それなりに楽しむやつとか、逃避なのかもしれないが楽しみを見つけようとするヤツ。人間に備わっている順応性なのか。また、女性が全員平等に扱われないとか、社会学的観点からおもしろく見ることができ………なくもない。こういう感情の動きを表現しようとしているから、単なるポルノではないと一部で評価されているのかな。

ポルノ映画というのは、情欲が喚起されるものだと思うのだが、観進めていくうちに裸を見てもなんとも思わなくなっていく。先日観た『倦怠』と一緒。製作側は純粋にポルノとつくりたかったのかもしれないが、意図から逸脱していくというのは、おもしろいかも。

演出方針の特徴だが、血がでない(というか傷口を見せない)。首を切られても切った人に返り血の一滴すらかからない。性器は見せても、血は見せないという価値観がおもしろいのだが、ヨーロッパの規制ってこんなもんなのか?

普通、革命組織が舞台なんだから、革命活動の経緯とか敵をしている政府の蛮行なんかが並行して描かれてよさそうなもんだけど、何もない。本当に何もない。本作が“普通じゃない”と感じられる理由の一つかも。

で、ラストはものスゴイところで終わる。ははは。そこまで愛してるなら、オンリーにするんじゃなくて自分の家に棲ませりゃいいじゃねえか。もしかして正妻いるんか?(そういうディテールは描かれないんだよなぁ…)。

画質はVHSレベルだし、興味本位で観ても後悔するだけかも。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:138分
監 督:デヴィッド・O・ラッセル
出 演:クリスチャン・ベイル、ブラッドリー・クーパー、ジェレミー・レナー、エイミー・アダムス、ジェニファー・ローレンス、ルイス・C・K、マイケル・ペーニャ、アレッサンドロ・ニヴォラ、ジャック・ヒューストン、シェー・ウィガム、エリザベス・ローム、ポール・ハーマン、サイード・タグマウイ、マシュー・ラッセル、トーマス・マシューズ、アドリアン・マルティネス、アンソニー・ザーブ、コリーン・キャンプ、ロバート・デ・ニーロ 他
受 賞:【2013年/第48回全米批評家協会賞】助演女優賞(ジェニファー・ローレンス)
【2013年/第80回NY批評家協会賞】作品賞、助演女優賞(ジェニファー・ローレンス)、脚本賞(エリック・ウォーレン・シンガー、デヴィッド・O・ラッセル)
【2013年/第71回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、女優賞[コメディ/ミュージカル](エイミー・アダムス)、助演女優賞(ジェニファー・ローレンス)
【2013年/第67回英国アカデミー賞】助演女優賞(ジェニファー・ローレンス)、メイクアップ&ヘアー賞
 【2013年/第19回放送映画批評家協会賞】アンサンブル演技賞、メイクアップ賞、コメディ映画賞、コメディ映画女優賞(エイミー・アダムス)
コピー:奴らは生き抜くためにウソをつく――

1979年。でっぷりと太った腹に、禿を隠すための不自然な髪形のアーヴィング・ローゼンフェルドは、表向きはクリーニング店を経営しているが、主な収入源は融資詐欺で得ている。妻帯者だったが、妻には詐欺のことは明かしていない。そんな容姿の彼だったが、シドニーという美しい愛人がおり、意を決して詐欺で稼いでいることを彼女に明かす。嫌悪感を示すどころかむしろノリノリとなり詐欺の相棒となるシドニー。イギリスの由緒ある家系の出で有力銀行とコネのあるレディーとして振る舞い、融資詐欺や絵画詐欺で稼ぎ続けるのだった。しかし、FBIのおとり捜査にひっかかって捕まってしまう2人。虚栄心と出世欲の強いFBI捜査官リッチーは、2人の能力を使ってもっと大物を捕まえようと司法取引を持ちかける。2人は、無罪放免にする変わりにおとり捜査に協力するハメになってしまう。その後、ニュージャージー州アトランティックシティをカジノタウンとして開発して経済を立て直そうとしている州知事と接触。カジノの利権に絡んだ大物汚職政治家たちを逮捕しようと、偽のアラブの大富豪を仕立て、おとり捜査を開始するのだったが…というストーリー。

冒頭で、実話を元にした話です…ってテロップが入るが、あまりにも現実味がない展開で、そんなことすっかり忘却してしまう。それくらい芸達者な役者ばかりが出演。実際の事件がベースだから、変に脚色すると粗が出てくるので流れは事実に近いんだろう。そのせいが、展開はけっこうごちゃごちゃしている。とにかく州知事を除く全員が全員イライラさせられる人物ばかり。本当にイライラさせられるから、観るのがイヤになる人もいるんじゃないかと思うくらい。でも、イライラするような人を演じているのだから、むしろ術中に落ちているということ。

“アブスキャム事件”というのをベースにしているらしいけど、そんなの知らないので、オチも予想がつかないし、クソ人間しかないなから誰が“勝って”終わるのか、それとも全滅なのか、全然読めない。まあ、とにかく勧善懲悪みたいなのを期待してはダメだな(そんな奴いねーか)。

クリスチャン・ベイルには、まあ見えない。みごとな汚しっぷり。その相方であるエイミー・アダムスの小悪魔的な風貌とその裏の抜かりのなさのバランスが良い味。話がドリフトしはじめるきっかけとなる、アーヴィングの妻ロザリン。そのそこ抜けのクレイジーっぷりを演じきったジェニファー・ローレンスの演技もなかなか(『ハンガー・ゲーム』のカットニス役の人。同じ人に見えないんだなぁ)。
地味に最後にデ・ニーロが出てくるのだが、とってつけたようなキャスティングだと思いつつも、ああもうこの作戦も終わりになんだな…、きっとうまくいかないんだろうな…的な絶望感を感じさせるには十分の重さ。でも、なぜか乗り切ってしまい、FBI捜査官リッチーが万々歳。このFBIのクソ野郎にいい目を見させるのが癪だなぁ…と誰しもが思うわけだが、むしろ、そこからが痛快だったりする。

最後に、事後の顛末の説明が入る。そのあたりで実話ベースであることを思い出して、ぞわっとする。

米アカデミー賞は、たくさんノミネートされたものの無冠。でも、他の映画賞は順調に受賞している。もうちょっと評価されてもいいような気がするが、演技陣に比べて監督さんの力不足は感じざるをえないので、妥当な評価かな(途中、バタバタ、モタモタするのは監督のせいだと思うし)。でも、軽くお薦めする。

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プロフィール
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クボタカユキ
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趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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