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公開年:2013年
公開国:日本
時 間:100分
監 督:松本人志
出 演:森南朋、大地真央、寺島しのぶ、片桐はいり、冨永愛、佐藤江梨子、渡辺直美、前田吟、YOU、西本晴紀、松本人志、松尾スズキ、渡部篤郎、リンジー・ヘイワード、美知枝、奥村佳恵、永池南津子、桑原麻紀、播田美保、護あさな、吉田優華、安藤輪子、小木茂光、北見敏之、高橋昌也、松浦祐也、林田麻里、佐藤恒治、佐藤貢三、日野陽仁、淵上泰史、中村直太郎、野中隆光、小高三良、吉川まりあ、奈之未夜、深谷美歩、太田順子、中村真綾、川口圭子、荒木誠、杉崎佳穂、松田百香 他
コピー:父はM。


都内家具店に勤務する片山貴文。1年前に妻が意識不明となり入院しており、一人息子と二人暮らし。たまに妻の父親が様子を見に来てくれている。ある日、ふらりと立ち寄ったビルの一室にある“ボンデージ”というSMクラブに入会してしまう。その店が提供するサービスは、いつやってくるかわからない女王様の責めを受けるというもので、契約期間は1年。決して途中退会は許されないという。以降、さまざまなタイプの女王様たちが、片山の日常生活の中に現れ、彼がこれまで味わったこのとない快感の世界へと誘うのであった。はじめは、街角や飲食店に出現していたのだが、職場や家庭にまでやってくるようになり、とうとう耐えられなくなった片山は、契約の解除を申し出るが、もちろんそれは受け入れられない。そんな中、誤って一人の女王様を殺してしまい…というストーリー。

劇場公開が予定より早く終わってしまったり、客が2、3人しかいないなんてレポートされていたり、評判は散々だった本作。でも、結果を先にいってしまうと、いままでの松本人志監督作品の中では、一番マトモだと思う。

問題は、やはり“チョケかた”が醜いということ。松本作品の難点は毎回コレだ。
後半は、このお話が齢100歳を迎える大御所監督による作品で、その理不尽な内容に関係者が辟易するという、メタ視点の作品にパラダイムシフトする。はっきりいうが、映画でメタ視点を用いるのは、難しい。成立させるためにはものすごい高等テクニックが必要なのである(もちろん、本作で、それは成功していない)。
あえて難しいノリの挑戦したから、多少うまくいかなくても大目に見てよ…という了見なら、納得できないし、メタ視点を扱う難しさに気づいていないとすれば、それはそれで才能に疑念を抱かざるを得ないし、どっちにころがっても問題アリ。

絶対に松本人志は認めないだろうけど、この大御所監督が作った映画…という設定を捨てて(R-100というタイトルの根源がここにあるので、絶対に捨てないとは思うけど)、素直にこの謎のSM店に翻弄される男の話を最後まで描き切ってほしかった。

“ボンデージ”という組織の荒唐無稽さとか、丸のみ女のリアリティの無さなど、そんなことはお構いなしで作りきればよかったと思う。場面を変えて、業界の人に「わけがわからない」と言わせるなんて、“逃げ”“言い訳”にしか見えない。非常に恰好の悪い演出だと思う。

片山という男のドラマが、老人の作った映画だ…とする演出は、不条理を不条理のままとしておけなくなったことを表す。不条理を「なにが悪いの?」を悪びれずにそのまま世に出すのは、強い精神力が必要だ(精神を壊すギャグ漫画化が多いのもそのせい)。それができなくなったのは、松本人志が老いた証拠なのかもしれない。
松本人志がその老人監督のように不条理おかまいなしに作品を作れるのはいつの日だろう。もしかして本作は、100歳になるまで無理!という、松本監督の告白だったのだろうか。それなら、もう映画はやめたほうがいいのかも。

最後にフォローするけど、私はこの片山のドラマは好きだ。

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公開年:1965年
公開国:日本
時 間:92分
監 督:石井輝男
出 演:高倉健、南原宏治、丹波哲郎、安部徹、嵐寛寿郎、田中邦衛、潮健児、滝島孝二、三重街恒二、ジョージ・吉村、杉義一、佐藤晟也、関山耕司、菅沼正、北山達也、沢彰謙、風見章子、志摩栄 他






冬の網走刑務所に、手錠に繋がれた囚人たちが移送されてくる。その中の一人、橘真一は貧農の生まれで義父との仲が悪く家を飛び出した後、やくざとなり、親分のために傷害事件をおこし懲役三年を言い渡されていた。雑居房に入れられた橘は、有名な殺人鬼“鬼寅”の義兄弟と称して幅を利かせている牢名主の依田や、一緒に収監された前科五犯の権田と衝突し、度々懲罰房に送られていた。橘は妹らの手紙で、母親が癌を患い死の床にいることを知り、できるだけ早く仮出所できるように真面目に労役をこなしていたが、他の囚人たちはそれを点数稼ぎと揶揄するのだった。結局、騒動を起こして再び懲罰房に入れられてしまうのだが、保護司の妻木は何故か橘に目をかけて相談にのってくれて、仮釈放の手続きまでしてくれるのだった。一方、雑居房では、依田、桑原、権田の3人が中心となって、脱獄計画が進められていた。仮釈放を目指す橘はそれを冷やかに見つめていたが…というストーリー。

シリーズ化しているのには理由があるに違いないから観てみよう企画。結果をいうと、この一作を見た限りでは、続編が作られるまでの良さを感じることはできなかった。というよりも、ちょっと拍子抜けというか、ヤクザ映画のくせに、このハートフルともいえる終わり方はなんなんだ?!というね。

原作は存在するようだが、全然内容は異なるらしく、刑務所内や、入浴方法、看守たちとの距離感、野外作業の様子などの描写が正しいのか否かは確認できず。網走刑務所の近くを通ったことはあるが見学はしたことはないけど。

橘は早期の仮出所を狙っていたのに、労役の移動時に権田と手錠で繋がれているときに、権田が脱走してしまう。橘は付いて行きたくはないのだから、強引に手錠を外すなり権田をぶち殺すなりすりゃいいんじゃね?と思うわけだが、権田は戻った橘に居場所を伝えられては困るので、仮にお前が戻ったとしても俺は橘が主導したって言うからな!って脅す。おまけに、逃げる過程で看守を一人撃っちゃってるから、もう脱獄囚扱いされている。橘は、仕方なく権田と行動を共にする。
ちょっと、無理やり練ったな…という感じはしないでもないが、逃避行に至る過程の説得力はあるシナリオ。

途中で見つけた家が、保護司の妻木の家だっていうのも、偶然がすぎる気もするが、あんなド田舎だから、まあ無くはないよな…という、これも説得力キープ。

ここまでのレベルだということがわかってくると、なんで白黒にするかなぁ…と残念な気持ちになる。何かの効果を狙ったのかと思いきや、実は予算の問題だったらしいが、本作は絶対にカラーのほうがよかった。一面白銀の世界だから白黒でもいいだろ?と思うかもしれないが、道東の大自然はカラーで見たかった。カラーでこそ際立つ“白”がある。

本作一作だけのおさまりの良さは認めるが、続編の予想がつかない。おそらく全然別キャラクターによるお話だろうし、人情的な内容は減って、ヤクザ物要素が増えていくのではないだろうか。とういうことで2作目は観てみようかなと。

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公開年:2013年
公開国:日本
時 間:62分
監 督:中澤祥次郎、(アクション監督)石垣広文
出 演:白石隼也、奥仲麻琴、永瀬匡、戸塚純貴、高山侑子、中山絵梨奈、篤海、前山剛久、KABA.ちゃん、小倉久寛、忍成修吾、陣内孝則、福田彩乃 他
コピー:金色の魔法使い・仮面ライダーソーサラー降臨






ある夜、“金色の魔法使い”にコヨミが誘拐される。金色の魔法使いは、コヨミの魔力と自分のリングの力を合わせて虹色の竜巻を作り出す。その竜巻は全世界を包み込み、竜巻に巻き込まれたコヨミと操真晴人は意識を失ってしまう。夜が明けて2人が目を覚ますと、世界は“魔法使いの国”に変貌していた。一般ンの人々はすべて魔法使いで、流通貨幣として魔力が用いられる“魔力流通システム”が成立している。そんな不思議な世界で晴人とコヨミは、奈良瞬平や大門凛子、仁藤攻介と再会するが、彼らはまったく2人のことを知らない。「面影堂」に向かった彼らは、そこで、虹色の竜巻によって母を失った少年・シイナと出会う。晴人は金色の魔法使いが犯人を考え、真相を探るために、この世界の支配者マヤ大王の住むエメラルド城を訪れるのだが…というストーリー。

いまさらの鑑賞。正直、ウィザード のTV放送は流し見状態だったので、触手が動かなかった。TVシリーズに影響を与えないような異世界話で、よくある置きに行ったふわっとしたプロット。観始めてすぐに、攻めのない話だな…と感じる。

ネタバレしちゃうけど、マヤ大王ってのが、魔法の国の大王なのに魔法が使えないってのが話のポイントになってる。ハリー・ポッターでいうところのマグル。それはいいとして、なんかシナリオ上の扱いが、生まれつきのハンデに苦悩する人みたいな扱いで、さらにその弱みを悪人に付け込まれてエライことになるって話なのね。
この“生まれつき”みたいな要素が、本当に醒める。平成ライダーって“改造人間”っていうシチュエーションが批判を受けそうだからって理由で止めてるらしんだけど、こういう“生まれつき”っていうどうしようもない先天的要素をクローズアップするほうがよっぽど問題じゃないか?って思う。
いや、そういうのを扱っちゃいけないとは言っていないよ。ただ、こういうハンデを克服しましょうみたいなノリが、なんか多いように思えるのね。
#まあ、そこをどうにかしたからって、おもしろくなるようなレベルじゃないんだけど。

陣内孝則が“史上最年長のライダー”ということで、公開当時はキャンペーンをしていたが、最年長ライダーが登場することが観客動員に繋がるとなんで思ったのが、いささか疑問。お父さん、お母さん世代が陣内孝則の登場を喜ぶか?というマーケティング上の疑問も。

はっきりいって、本作を観て、平成仮面ライダーシリーズの大ピンチを感じざるを得なかった。平成ライダーシリーズが、電王でハジケて、ディケイド→W→オーズと中興したのは、“わけのわからなさ”だった(と私は分析している)。フォーゼ以降は、プロットにしても企画・設定にしても、考えすぎて“条理”が 臭いはじめた。製作側が、世間の悪評やクレームに先回りで対応し始めて(実在するかしないかわからない世間のリアクションで動き始めて)、結果的に縮こまっているように見える。

去年くらいまでは、仮面ライダーがいまいちの時は戦隊の方がそれなりだったのだが、今は、日曜朝の特撮が両方しっくりこないというピンチ時期(鎧武も“わけのわからなさ”を発揮したのははじめだけで、今は主役が毎週毎週ぐぬぬぬーって苦虫潰してるだけ)。
なんなら、『ウルトラマン ギンガ』のほうが、“わけのわからなさ”を発揮しているかも(ただ、企画段階ではハジケてるんだけど、ストーリー展開が旧態依然なのがね)。

また、アクション要素でもイマイチ楽しめなかったのは問題。予算の問題か?やる気の問題か?イカンねコレは。

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公開年:1940年
公開国:アメリカ
時 間:122分
監 督:(アニメーション監督)ベン・シャープスティーン、(動画監督)ウォード・キンボール
受 賞:【1940年/第6回NY批評家協会賞】特別賞(ウォルト・ディズニー)
【1990年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品






『トッカータとフーガ』『くるみ割り人形』『魔法使いの弟子』『春の祭典』『交響曲/田園』『時の踊り』『はげ山の一夜』『アベ・マリア』をファンタスチックなアニメーションと古典音楽の融合によって表現した作品。

実は100円ショップで売っているのを見かけたので(版権切れでパブリックドメインになっている)、何気なく購入。『魔法使いの弟子』だけは観た記憶があるけど、他はおそらく観ていないはずなので。特に、地球誕生から恐竜の絶滅を描いた『春の祭典』は初見だ。
これまで100円ショップで販売しているこの手のDVDは、どんだけボロいフィルムを元にして作ったんだ?って感じの画質だったので、おそらくこれも同様だろうと思っていたのだが、案外画質がきれいでびっくり。
いいじゃん!と思っていたのだが一つ落とし穴。どうやら韓国で作られている模様で、一応日本語吹き替え音声が入っているのだが、カタコト。明らかに韓国人訛り。とても聞いてられないので原音で。本作はほとんどセリフがないのでいいのだが、もしかして同じく販売されているDVDもこうなのかな(『バンビ』も買ってしまった)。

1940年製とは思えないクオリティではあるが、子供が観るようなアニメとして製作されたのかは疑問。まず、身も蓋もない言い方だが、アニメ自体はあまりおもしろくない。目が飽きて眠くなる。ミッキーさん登場の『魔法使いの弟子』ですら、それほど楽しくはない。また、『くるみ割り人形』での中国人(清描写)はいかがなものか…とか、田園交響曲での裸体表現とか(隠すところ隠さないところの線引きポリシーがいないちわからない)。

やはり、音響技術面での挑戦という側面が強いな…と感じる。ディナーをしながら観てもいいんじゃないかっていうほど。誤解されるといけないのでフォローしておくけど、アニメのクオリティが低いわけじゃなく、単純に目を楽しませるという要素に長けていないというだけど、大人のアニメーションとしては全然アリだと思う。

『春の祭典』の地球誕生から恐竜滅亡までの描写は、地球誕生が6000年前だと主張する聖書ファンダメンタリスト的にはどうなんだろうな…と。ただ、はっきりと“地球”だと言ってないような気もするが。
#一部のDVDで『春の祭典』が削除されているものがあるらしいけど、理由はこれじゃなくて、スラビンスキーの版権問題だろうな。

別の話になるが、手塚治虫の『森の伝説』は、音楽との融合という方向性という意味では、完全に本作の影響を受けているね。
この手の作品は、真剣に観入るっていうよりも、環境音楽的に流しておくっていうニーズにマッチしているかもね。途中、2回くらい寝落ちした。

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公開年:2010年
公開国:フランス
時 間:97分
監 督:エマニュエル・ローラン
出 演:イジルド・ル・ベスコ、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、ジャン=ピエール・レオ 他
コピー:これは、世界を変えた男たちの軌跡






1959年5月にフランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』がカンヌ国際映画祭で上映されてから50周年を記念して製作されたドキュメンタリー。カンヌでトリュフォーは監督賞を受賞。その直後、ジャン=リュック・ゴダールが『勝手にしやがれ』を発表し、“ヌーヴェルヴァーグ”の潮流は確固たるものとなっていく。両名は同志として強い友情で結ばれていたが、1968年の5月革命を境にして、ゴダールは政治活動に傾倒して商業映画から距離を置くようになり、トリュフォーはあくまで映画職人の道を歩み続け、政治観の違いが2人の間を切り裂いていく。また、『大人は判ってくれない』で主演したジャン=ピエール・レオは、2人の監督の間で翻弄されていく…というストーリー。

『勝手にしやがれ』を観たつもりでいたんだけど、本作で紹介された場面を見てもどうにも記憶がない。どうやら観たつもりになっていただけの模様。早々に借りてこねば。

ゴダールとトリュフォーが若くして第一線の映画監督になっただけでなく、並行して映画批評家としてズバズバと他人の作品をブッた切っていたという事実に驚いた。今、こんなことやったらフルボッコになるだろうけど、新進気鋭の作家というポジションと、当時のフランス映画界というか芸術界自体が、ものすごく閉塞していて、このような“揺れ”を待望していたと思われる。ただ闇雲に批判するのではなく、フランス映画界に必要なスキルをもった海外の監督(ヒチコックなど)をリスペクトして冷静に分析するという、前向きな態度に貫かれていた点も重要だ。

ヌーヴェルヴァーグ”といえば映画史上の重要な基点であり、劇的なパラダイムシフトという捉え方をしていたのだが(編集方法など、ヌーヴェルヴァーグ前後の違い本作では解説してくれている)、このムーブメントが半年ちょっとしか盛り上がっていなかったという事実にもまた驚愕(期間に関しては諸説あるが)。

やはりフランスというお国柄だが、政治ムーブメントに強い影響を受けてしまう。1968年には五月革命でカンヌ国際映画祭が中止に。日本の学生運動も同じだが、反体制という旗印を掲げるものの政治的主張の本質はいまいちボヤけている。なぜか“フリーセックス”などの主張も入り混じってきて、一部はセクト化して自滅の方向へ、その他はしれっと転向という、雨散霧消で終わってしまう。結局は暴れたかっただけじゃね?という気がしないでもないが、そういう時代だった。
で、ゴダールは、カンヌ中止を訴える側になったが、トリュフォーは関わらなかったというわけ。

個人的には同年代を生きていた、サルトルとかの関わりなんかが語られることを期待したのだが、同じ左派寄りでも思想のパラダイムが全く異なるのかもね。

まあ、なるほどなぁ…と映画史のお勉強になった作品。

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公開年:1987年
公開国:日本
時 間:48分
監 督:平田敏夫
出 演:井上和彦、鶴ひろみ、屋良有作、池田昌子 他








4世紀頃の古墳時代。ヤマト国の王子ヤマトオグナは、父である大王から、クマソ国の酋長川上タケル征伐を命じられる。川上タケルらが作ろうとしている歴史書の内容が、ヤマト国にとって不都合だったからだ。クマソ国に潜入したオグナだったが、川上タケルの妹であるカジカと出会い恋に落ちてしまう。そして、オグナはクマソ国で、その血を飲めば永遠の命が得られるという伝説の“火の鳥”の存在を知る。川上タケルはオグナを認め、カジカとの婚姻を認めようとする。しかし、オグナは父からの使命との間で苦悩した末、川上タケルを殺害。一転、愛したカジカに仇をして追われる身となり…というストーリー。

これは宇宙編と同様、OVA。短い。

古事記や日本書紀の内容に沿ったエピソードなのだが、まず、川上タケルが作ろうとしている歴史書の内容の都合が悪いから殺せ!という、極めて中二病的な設定であることに着目しなくてはならない。そして、対立する国のトップの縁者である若者同士が恋におちるという『ロミオとジュリエット』的なプロット。憎んでいるけど、愛してるという少女マンガか昼メロかっていう両者の感情。
そう、まずこの原作のストーリー自体が、ものすごいメロドラマであることに気付くべき。だから、やりすぎだ!悪ノリだ!って言われるくらい、メロメロのメロドラマ、それも仰々しいくらいの
ベタベタ演出をしなくてはいけないのに、それができていない。なんなら、全編、宝塚調にするとか、ミュージカル調でもよかったくらい。

この編は、短い時間にまとめるには適しているんだけど、実は、一番アニメ化に向いていないと思う。
それが一番顕著に表れているのが、タケルとカジカが埋められた後も、しばらく生きているというシーン。埋められた様子が、画面の周囲はモヤがかかった感じで表現されている。これは原作も一緒。これをそのままアニメにしたところで、何の利点も無い。だって動かないし、何なら音声だけで済んじゃうんだもん。極めて漫画的な簡略表現であり、台詞で想像させるという意味では小説的でもある表現。この表現をズルっと変えてしまうことこそ、アニメ化する意味なんじゃないかと思うのだ。それをそのままにした時点で、駄作である。
#原作を読んていたときは、けっこう肉体が朽ちているのに、生きていたりするのかなぁ…とかいろいろ想像したものだよ。

宇宙編のOVAがまあまあだったのは原作が優れていただけってことを考えると、りんたろうチームは“火の鳥”のアニメ化には向いていなかったということか。まあ、手塚治虫作品の演出を、ずるっと変えちゃう勇気がある人はなかなかいないだろうけど、きちんと相談すりゃ、手塚治虫もおもしろがってくれたと思うよ(相談できたギリギリ最後の時期だったね)。
まあ、そのままアニメかすりゃウケるだろ!っていう短絡的な感覚もあっただろう。

火の鳥のアニメ化作品の中で一番悪い出来映え。

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公開年:1986年
公開国:日本
時 間:60分
監 督:りんたろう
出 演:堀勝之祐、古川登志夫、麻上洋子、小山茉美、大塚周夫 他








奈良時代。彫物師・茜丸は、山中で修業中に、片目と片腕を失っている盗賊の我王に出会う。我王は、何の非も無い茜丸の右腕を切り付ける。仏師として修業していることを語る茜丸に、自分の不自由な体を馬鹿にされたように感じたからだ。その後、我王は盗賊の頭目となり殺戮と強盗を繰り返すが、美しい娘・速魚と出会い強引に妻とする。やがて我王は鼻が腫れ上がる奇病を発症。速魚は甲斐甲斐しく看病を続けるが、実は速魚が塗っている薬は毒だという部下の讒言を信じて、速魚を切り殺してしまう。死の間際、速魚は自分の正体を明かすが、それを知った我王は激しい後悔の念に襲われ、そのショックから野を彷徨い、やがては乞食僧になっていく。一方、茜丸は彫物師として復帰するために修行を重ねていく中、ブチという少女と出会う。旅中、茜丸に大仏建立の命が下り、都の役人がやって来るが、茜丸を連れていかせまいと抵抗したブチが役人に殺されてしまい…というストーリー。

これは劇場作品。原作のアニメ化としては初作品かな(『2772 愛のコスモゾーン』よりも後)。でも、OVA並みに短い。

二人の主人公が、それぞれ、体的なハンデを背負い、寄り添う女性が非業の死を遂げるという同様の経験をしつつ、その善と悪が、クロスフェードしていくという実に味わい深い構成になっている。

ただ、残念ながら60分で表現しきれる内容ではなかった。そのせいで、良弁上人の即身仏の話がなかったりと、我王がその心持ちに至るまでの重要な経緯が省かれているのが、致命的である。本作だと、ショックを受けた我王は、精神が壊れてどうにでもなれと放心している人間にしか見えない。

60分にまとめるなら、こういう構成になるだろうな…という擁護はできる。原作ではブチは死なないけど、60分にまとめるためなら、確かに殺すしかない。ブチの亡霊に悪口雑言する茜丸のシーンで、ちょうど両者のクソっぷりのバランスは取れた。60分作品を作れと命じた角川の責任なのだが、でも、そんな端折り方をするくらいならやるな!これに尽きる一作。フラフラと山に向かって歩く我王で終わっちゃうけど、原作の我王は、なかなか強いセリフで終了する。で、乱世編に繋がる。

有名なあのトラウマシーンは入っている。茜丸の死に際に現れた火の鳥に対して、また仏師に生まれ変わりたいと告げると、次は魚だという(原作では虫→亀と生まれ変わり、永遠に人間にはならないと告げられる)。ひえー!!!というシーン。まあ、“生”を一回の物と考えて大事に生きろと言いたいのかな…とは思うけど、シビアすぎてニヒリストになってしまいそう(実際、そういう影響は与えていると思う)。

火の鳥には強い母性を発揮する女性と、ただ寄り添う程度の女性が登場する(手塚治虫的には両方は同じで、踏み込み具合の違いでしかないのかもしれないけど)。本作に登場する女性は後者、健気な女性がいいってわけじゃないんだけど、宇宙編のナナみたいにあんまりドラスティックすぎると、観ていて頭がおかしくなりそうになるからね。

まあ、原作の良さの60%を毀損してしまった出来栄え。あまり観る価値はない。
#そういえば、おととし、東大寺にいったときに、鬼瓦を見るの忘れたかも…。

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公開年:1987年
公開国:日本
時 間:48分
監 督:川尻善昭
出 演:森勝之祐、神谷明、戸田恵子、玄田哲章、塩沢兼人 他








西暦2577年。ベテルギウス第3惑星から地球へ向かう宇宙船。5人の乗組員は、4人が人口冬眠をして、1人が操縦するというサイクルで船を進めていた。ある時、船内に警報が響き渡り、全員が強制的に目覚めることに。今は牧村隊員が操縦者で、彼に何かが起こった模様。隊長、猿田、奇崎、ナナの4人が操縦室に向かうと、そこにはミイラ化した牧村の遺体があった。奇妙なことに牧村の体が操縦席に縛り付けられていた。宇宙船は隕石の衝突により航行不能となっており、4人は救命艇で脱出することに。無線で会話が可能だったが、それも各救命艇が近い位置で航行している間だけ。救命艇は独自推進できないため、いずれは離れ離れになる運命にあった。そこで、隊長は、牧村が何者かに殺されたということを告げる。操縦席の手すりに、「ぼくは殺される」という言葉が残っていたというのだ。疑心暗鬼になる中、隊員たちは、自殺した牧村についての過去の出来事を話しはじめる…というストーリー。

前日の『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』で思い出してしまったので鑑賞。でも、これ劇場公開作品じゃなくてOVAなんだね(短い)。本当は1978年製の東宝実写版が観たいのだが、ソフトリリースされていない。

ほぼ原作どおりの内容。要するに原作がとても優秀だということ。改めて原作漫画を読み返してみると、そのコマ割りが、いかにも映画を意識したものであることがわかる。登場人物、一人ひとりのの行動がマルチトラックの絵コンテみたいに表現されている。

それでだけでなく、各隊員が過去を語ることで、牧村についての謎が解けるようで逆に一層深まってしまうという展開になる。まさに宇宙版『藪の中』。ミステリー&サスペンス要素が非常に優秀なシナリオである。真犯人が誰かは別にしても各自の悪感情を赤裸々にし、併せて、恋愛感情までむき出しにしていくという、厳しい人間ドラマでもある。もちろん、『ベンジャミン・バトン』ばりの珍事や、偶然のレントゲン照射など、SF要素も忘れられることはない。

隊長の空気っぷりは忘れるとして(笑)、猿田とナナの救命艇はとある惑星に不時着する。そこで火の鳥登場。鳥さんたちを大虐殺した牧村の過去が語られる。

実は、猿田の原罪が描かれる編でもある。ただ、大犯罪者である牧村を愛すだけならいざしらず、そんな究極的な愛の行動をとられてしまっては、いったい牧村のどこにそんな魅力があるというのか、疑問に感じるのは当然だし、そこまでやる女ってなんなのよ!?!?っていう恐怖すら感じる。火の鳥で表現されている母性って、私にとってものすごく怖い。
また、生まれ変わっても延々と苦しみ続ける猿田の、罪と罰のバランスが悪いような気がして、気の毒になってくる(手塚治虫がもうちょっと長生きして、『火の鳥 アトム編』を完成させていたら、御茶ノ水博士の段階で罪は消えたのだろうか…)。ラダを食っちゃうシーンは、火の鳥屈指のトラウマシーンでしょ。牧村に殺意を抱くのなんて、当たり前な気がするのよね。

まあ、いずれにせよ、本作以外に、劇場版、OVA、NHK番組と色々アニメ化されたけど、この“宇宙編”が一番よくできていると思う

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公開年:1980年
公開国:日本
時 間:122分
監 督:手塚治虫、杉山卓
出 演:塩沢兼人、三輪勝恵、池田秀一、藤田淑子、熊倉一郎 他








地球連邦は、人口を抑制するために、試験管ベイビーによる出生数管理を行い、その能力に応じて将来の姿を決定付け、教育を施していった。つまり、生まれながらにして、職業や階級が定められているのだ。育児ロボット・オルガに育てられたゴドーも、生まれながらにして宇宙ハンターになることが運命づけられていた。その頃、地球は深刻なエネルギー不足に陥っており、地熱エネルギーによる発電を試みていたが、それがかえって地球を悪影響を及ぼしていた。そのエネルギー問題の打開策と考えられていたのが、“コスモゾーン2772”と呼ばれている未確認宇宙生命体。それを捕まえるのが宇宙ハンターの使命だった。ゴドーは厳しい訓練の末、晴れて一人前の宇宙ハンターとなり、市街地への自由行動が許される。そこで、禁じられているにもかかわらず、一人の女性と恋におちてしまう。おまけに、その女性はロックの許婚者レナで、発覚後、激怒したロックによって、ゴドーは労働キャンプに追放されてしまう。そこで、反政府活動により追放された学者のサルタを出会い、意気投合した二人は、オルガの助けを得て宇宙船を奪取し、コスモゾーン2772を求めて宇宙へ飛び出すのだったが…というストーリー。

以前観たはずで、冒頭のシーンも、ラストのオルガが人間になるくだりは覚えていたけれど、真ん中がすっかり記憶から抜けてしまっていた。クラックとかプークスが動いている姿に既視感がない。もしかすると、紹介映像とかを観ただけで、実は観ていなかったのかも。いや、手塚治虫漫画全集のシナリオ巻とかを読んで観た気になっていただけか?

脚本自体を手塚治虫が手掛けているので、火の鳥の正史として扱っていいのかな?と思ったのだが、他の編とのアンバランス感が否めない。まず、世界観は、『火の鳥 未来編』と同じ。未来の地球では、人間は試験管で作られて管理されている。文化的にも衰退しており、同時に地球自体の寿命が尽きかけているという設定。ロボットに愛情を抱くという設定は、『火の鳥 復活編』を彷彿させるし。最後の、ゴドーは赤ん坊に、オルガは人間になるくだりで、『火の鳥 宇宙編』を思い出す。火の鳥の各編は、時代を過去・未来と振幅している構成になっているので、やはり、本作のように設定や要素がダブることに非常に違和感を覚える。あくまで別モノとして捉えるのが正解なのかも。

上記に挙げた、諸々の要素が何を意味するかは、原作で扱われている内容なので説明しない(共産主義批判とかね)。逆いえば、本作独自の新しい視点がないともいえ、ちょっと面白みに欠ける内容だと思う。
技術的にはフルアニメーションであり、その他にも実写トレースとか、いろいろな技術をふんだんに用いており(実験的にというほうが正しいか)、むしろ、そちらに注力した作品なんだと思う。ただ、その注力具合が結果に出ていない。せっかくのフルアニメーションなのだが、動画が力尽きているし、原画も背景も書き込みが不十分。特に動画マンが、平面的に動かすことしかできていないのが致命的。結局、24時間テレビの、スターシステム作品と同クオリティに落ち着いてしまっている。

レイアウト・メカ作画監修として湖川友謙が参加しているのが興味深い。私、キャラクターデザイナーとしての湖川さんが大好き。『ザブングル』とか『ダンバイン』とかのキャラデザは、私にとってちょっとしたお絵かきのバイブルだった。いまだに、人間の手足の書き方は影響をいると思う(設定画集とかを紛失してしまったのが本当に残念)。でも、本先では、キャラデザはやっていない。おそらくオルガの変形部分を担当していたのではないかと予想する。

手塚作品に散見される、男は結局母親を求めているのよ…という観点が、あまりすきじゃない。そういうコンプレックスをもった人は多いのかもしれないけど、男性共通の普遍的な意識みたいにいわれるのはなんか違和感が…。
アニメ技術もダメ、ストーリーも新規性に欠ける、メッセージも性に合わないとなると、高い評価のしようがない。手塚治虫ファンの私でもシビアにならざるを得ない。凡作未満(駄作と言わないのは武士の情け)。

拍手[0回]

公開年:1995年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:ピーター・ホートン
出 演:ブラッド・レンフロー、ジョセフ・マッゼロ、アナベラ・シオラ、ダイアナ・スカーウィッド、ブルース・デイヴィソン、ニッキー・カット、エイブリー・イーガン、レニー・ハンフリー 他





12歳のエリック。夏休みに11歳のデクスターが引っ越してくる。デクスターは母親と二人暮らし。彼は幼い頃の輸血のせいでHIVに感染してしまっており、体も弱く学校には通っていない。はじめはHIV患者ということで戸惑っていたエリックだったが、徐々に言葉を交わすうちに、心が通じ合うようになる。一方、エリックの家も母親と二人暮らしだったが、日々の生活に追われ息子のことを顧みようともしない。HIVの知識もなく、ただ闇雲に接触を禁じるばかりの母親に、友達付き合いをしていることを知られるわけにはいかず、見つからないようにこっそりと遊ぶ日々が続くのだった。デクスターの母親は、はじめて息子に友達ができたことに甚く喜び、エリックを夕食に招く。そこで、デクスターの食事に注意が払われていることを知ったエリック。もしかすると食事療法でHIVが治療できるのではないかと考え、普段デクスターが食べないチョコレートを食べ続けてみたり、ルイジアナの医師がある植物からHIVの特効薬を発見したという新聞記事を発見し、河原の植物を煎じて飲ませたりする。しかし、エリックが煎じた草が毒草で、デクスターが病院に担ぎ込まれてしまう。そのせいで、デクスターと付き合っていたことが母親に発覚してしまい…というストーリー。

20年前なので、HIVに対する一般の感覚はあんなもんだったと思うけど、エリックの母親の態度は腹が立つのを通り越して悲しくなってくる。エリックの母親がなかなかのクソ人間で、無知ゆえに、子供を思うあまり息子を殴ってしまったのだ…と、好意的に捉えられないレベル。変な表現かもしれないけど、そのおかげで「このクソババァめ!!」で済んだと思う。町の人が全員あんな態度を取っているシーンなんかがあったら、私の心は折れていたかも。
エリックの同級生のワルガキどもは、エリックの反論で納得していたからね。あれは、本当に心が救われるシーンだったわ。

で、後半は、友達付き合いを禁止された二人が、無茶な逃避行をする。馬鹿だな…と思いつつも、そうするしかないよな…という納得感。そして、エリックはもちろん、残り少ないであろう寿命のなかで成長していくデクスター。

自分の状況を鑑みて泣くことがないデクスター。泣くをことを知らないのか、泣くことを忘れたのか。あまりに出来過ぎな少年ゆえに、嘘臭さを感じないわけではない。重いテーマだが、所詮はフィクションなので、こういう都合のいいキャラが鼻につく人がいるかもしれないね。

旅から戻された後、エリックの母親が発狂してそうなものなんだけど、最後のあたりまででてこないというのも、少し不自然かも。まあ、出てきたら出てきたで、方向性が変わっちゃったかもしれないんだけど、あまりにクソ人間に描きすぎたせいで、罰も当たらずに終劇するのが、消化不良に思える。

これまでの数々の虐待が露見して、父親が引き取ってもいいんだよ?みたいな流れになるけど、デクスターのお母さんがさみしがるだろうからここにいてやるわ!って言い放って、母親がオヨヨヨ~と泣き崩れる程度の仕打ちはしてほしかったわ。

いやぁ、こういうお涙頂戴モノで、めずらしくズッポり観入ってしまった(疲れてんのかな)。

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公開年:2012年
公開国:オランダ
時 間:89分
監 督:ポール・ヴァーホーヴェン
出 演:ピーター・ブロック、ヨフム・テン・ハーフ、サリー・ハルムセン、ロベルト・デ・ホーフ、ハイテ・ヤンセン、リッキー・コーレ、カロリーン・スプーア、ピーテル・ティデンス 他






会社経営者のレムコは、妻と2人の子どもに恵まれた豊かな生活を送っていたが、唯一の欠点は、愛人が切れることがなかったほどの女好きであること。レムコの50歳を祝うパーティが開かれたが、そこに、今は日本で暮らしているはずの愛人ナジャが突然現れる。彼女は妊娠しており、レムコが父親であることを匂わせて去っていく。妻は、もし父親がレムコであれば離婚すると言い放つ。そんな中、共同経営者が、中国企業への身売り話を持ってくる。一方、娘の親友であるメリルは、実はレムコと関係を持っており…というストーリー。

いきなりドキュメントぽいかんじでスタート。おまけに監督登場。どゆこと?
本作は、冒頭4分間の映像を公開し、その後の脚本を一般公募するという手法。役者もアマチュアをオーディションで選出するという。ポール・ヴァーホーヴェンがなんでこの作品を撮ろうと思ったか、そして、彼のキャリアと映画観が滔々と綴られる。

ヴァーホーヴェンは、以前やったことに再び精力をつぎ込むことはイヤだという。同じことを繰り返すのは商売人のやることであり、芸術家、創造的職業人がやることではない。クリエイターのひとつの姿勢としてアリだと思う。これが、金を稼ぐことが主目的か、社会への影響を主目的にしているのかの境目かもしれない。冒頭から、なかなか慧眼な発言だ。確かに、『ロボコップ』『トータル・リコール』『氷の微笑』『スターシップ・トゥルーパーズ』とバラバラっちゃあばらばらだ。同じSFカテゴリでも、根っこが異なる。
日本にも、こういう監督が生まれてほしい。でも、生まれるためには、こういう確固たるポリシーが必要なんだな。

それはそれとして、DVDの特典映像っていわれても納得できてしまう内容。これは映画なのか?まあ、そういうドキュメンタリー作品なんだろうと諦める。続いて、撮影の様子が綴られ、公開に向けての記者会見などの様子が。と、そこまでいって、さあご覧ください…てな感じで、突然本編が始まる。このDVD、なんつー構成だよ。

なんじゃこれって思っていたら、内容がクッソおもしろい。公募した脚本をまとめただけにしてはよく練られている。シナリオの作り方についても、前半のドキュメンタリー部分で語られているのだが、完成形を観たら彼の言っていたことがよくわかる。どんなシナリオでも良い部分が必ずあって、その良いポイントをカテゴリ分けして整理していて、そのデータに基づいて素人のシナリオを繋げているのだという。ヴァーホーヴェンって職人だわ。

ストーリー運びに淀みが無く、且つ穴がないというレベルの高いシナリオ。登場人物は、それぞれの思惑を抱えてバラバラに行動している。元愛人の妊娠、妻の疑い、共同経営者の裏切り、継続中の愛人の愛でで動揺しきりの主人公。レムコを偽装妊娠で騙そうとする元愛人。実はその元愛人と通じている共同経営者。愛人の娘と親友でありながら、友達付き合いは継続している学生。夫の愛人に気を寄せる息子。どこか一つが明らかになる度に、ストーリーが展開していく。

なんだかかんだいって、最終的に収まるところに収まって、勧善懲悪、火遊びが終わった若者が未来に向けて歩き出すという終わり方なのも優秀。

これ以上、内容は言わない。観てほしい一作。

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公開年:1984年
公開国:香港
時 間:1108分
監 督:サモ・ハン・キンポー
出 演:ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポー、ローラ・フォルネル、リチャード・ウン、ポール・チャン、ペペ・サンチョ、ベニー・ユキーデ、キース・ヴィタリ 他






スペインのバルセロナ。キッチン・カーでハンバーガーを販売して暮らしているトーマスといとこのデビッド。二人は、精神病院に入院しているデビッドの父親を見舞いにいくが、そこで父親が同じく入院患者であるグロリアと愛し合っていることを知る。その恋愛を好意的に受け止める2人だったが、グロリアの娘シルビアがとても美しく、彼女の方に色めきたってしまう。その夜、ストリート・ガールが立ち並ぶ裏通りで営業うる2人。そこに突然、スリだといって追いかけられている女性が逃げ込んでくる。なんとその女性は昼間病院で出会ったシルビア。偶然の再会も驚きだが、彼女がストリート・ガールだったことにも驚く2人。とりあえず、自室に彼女を匿うのだったが…というストーリー。

初の海外オールロケ作品ということだが、2人が中国語なのはわかるけど、なんでスペインのアパートの隣人とか、現地の警察官まで中国語喋ってんのかちょっと意味不明。まあ、高倉健の『ゴルゴ13』と同じことで、全員スペイン語で話ているんだけど、それを中国語に吹き替えしている体ってことなんだろうね。

ロケ自体は観客をうまく使っていたりと、なかなか面白いのだが、精神病院とかストリート・ガールと、もうちょっと何とかならなかったのかという設定に溢れている。隣室の浮気夫の話も、必要だろうか…。

上のあらすじには出てこないが、探偵助手としてサモ・ハン・キンポーが演ずるモビーという役がいる。ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポーの三銃士的なシーンを撮りたかったであろうことは判る。この3人揃い踏みが大好評だった黄金時代である。でも、モビーという役が結構冗長だと思う。はっきりいっていなきゃいないでストーリーを成立させることは可能。
トーマスとデビッドは、結局モビーと知り合いだが、その関係がうやむやなままというのもいただけない。加えて、シルビアのモビーに対する態度、トーマスとデビッドのモビーに態度が、とにかく邪険にするの一点張りで、不当に失礼で観ていて気分が悪くなる。だって、なんでそんなに邪険にするのか説明不足なんだもん。
その他、実父の執事をなぜか殺そうとしたり、頭が悪いんじゃないか?というシーンが多い。香港映画独特のその場でシナリオを組み上げちゃう的なノリの弊害ではなかろうか。“とにかく雑”これが本作の印象。

その他、特徴といえば、無駄にカーアクションがすごくて、カンフーは薄めっていうところか。個々のバトルアクションが悪いというわけではないのだが、上で言ったように“三銃士”を意識した置きに行ったアクションが大目の印象。カンフー以外の要素を重視し始めた転換期といえるかもしれない。

ファンには非常に評価が高い作品なのだが、個人的には好みじゃなかった作品。
#それにしてもファミコンゲームのスパルタンXとまったくテイストが違うよね。

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公開年:1984年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:ヒュー・ウィルソン
出 演:スティーヴ・グッテンバーグ、G・W・ベイリー、ジョージ・ゲインズ、キム・キャトラル、ババ・スミス、マイケル・ウィンスロー、アンドリュー・ルービン、デヴィッド・グラフ、ブルース・マーラー、レスリー・イースターブルック、ジョージナ・スペルヴィン、スコット・トムソン 他





アメリカのとある都市。女性市長が警察官の採用条件を撤廃してしまったため、有象無象が警察学校に殺到してしまう。教官のハリス警部は、警察の秩序と伝統を守るために、どんどんしごいて不適格な者を脱落させようとする。一方、駐車場に勤務していたマホーニーは、客とトラブルを起こして逮捕されてしまう。マホーニーの父は元警察官で署長の恩人だったため、警察学校への入学を条件に起訴をしないという取引を持ちかける。警察学校は、大金持ちの家のお嬢さんカレン、大口径拳銃マニアのタックルベリー、効果音名人のジョーンズ、デブのレスリー、大男のハイタワー、臆病者で声の小さいフックスなど、とても警察官になれそうもない生徒ばかり。ハリス警部とキャラハン警部補は、彼らを落伍させようとしごきまくるが、なぜかターゲットにしている彼らは粘り続け…というストーリー。

たまに無償に観たくなってレンタルするのだが、その度にああ吹き替え音声が無いんだった…と、がっかりする作品。日本語吹き替え音声が入っている版もあるはずなんだけど、いつも使っているレンタル屋に置いてあるのが古いんだな。ちょっと他の店で探してみよう。本当に字幕を追うと味が半減する作品なんだもん。
また、その後のシリーズ作品と記憶がごちゃ混ぜになっているせいなのか、物足りなく感じるのもアルアルかな。特にタックルベリーはもっとハチャメチャだった気がする。

改めて観ると、当時はギャグだった人種差別ネタが、一線を超えていて素直に愉しめないレベルではある。しかし、ダメ人間のレッテルを貼られた人たちが、知恵と勇気でそれを乗り越えていくという、正統派の成長物語。終盤で主人公を含め2名が脱落するが、アメリカらしく暴動が発生。カオス状態になっての大逆転という、落としてから持ち上げるという、シナリオの基本もしっかりできている。キャラクターのバリエーションも豊富で、誰か一人くらいは応援したくなるってのもポイント(意外と効果音の人は、心に響かない出オチキャラだったりする)。
シリーズ化する作品には、そうなりしっかりした理由があるということ。

『ホーム・アローン』に匹敵する出来で、本当は子供に観せたいくらいなのだが、人種差別ネタだけでなくお色気ネタも一線を超えていてダメなのが残念(昔は普通にTV放映してたとは思うけどね)。コメディ史上に残る快作。7作くらいまで続いたはずなんだけど、さすがに後ろのほうは観ていない。借りたいけどなかなか置いてない。やっぱ別の店を探してみよう。

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公開年:2010年
公開国:イギリス
時 間:106分
監 督:ジム・ローチ
出 演:エミリー・ワトソン、デヴィッド・ウェナム、ヒューゴ・ウィーヴィング、タラ・モーリス、アシュリング・ロフタス、ロレイン・アシュボーン 他
コピー:その手を誰も忘れなかった。






1986年。イギリスのノッティンガム。ソーシャルワーカーのマーガレットは、ある日、オーストラリアからやって来たシャーロットという女性から、自分のルーツを調べてほしいという相談を受ける。シャーロットは、幼児期にノッティンガムの児童養護施設にいたが、4歳の時に突然ほかの数百人の子どもたちと一緒にオーストラリアに移送されたという。養子縁組の手続きが取られていた記録はなく、不振に思ったマーガレットが調べると、シャーロットと同じようにしてオーストラリアに連れて行かれた人がオーストラリアにたくさんいることが判る。マーガレットはオーストラリアに向かい、彼らの家族を探す作業に取り掛かるのだったが、児童移民に深く関わっていたと思われる、慈善団体の圧力や、教会の信者たちからの中傷や脅迫を受けるようになり、疲れ果てていく。やがて、子供たちが教会にて強制労働やレイプなどの被害を受けていたことを知り…というストーリー。

実話。戦後にイギリスとオーストラリア間で発生した出来事だと考えると、ものすごく恐ろしく、気持ちの悪いお話。鑑賞中は無意識に考えないようにしていてが、後でよく考えると吐き気がするほど。調査が教会に及んだときの、信者の反応は吐き気がするよ。現在、カトリック教会で問題になっている性的虐待問題と直結する話でもある。
そして、この事実を両政府が認めたのが、たった5,6年前の話っていうのがね。それが13万人もいて、いまだにマーガレット・ハンフリーズが原作本の印税で彼らの家族を探しているっていう。すべて両国が責任もってやるべきだろ?っつーね。英豪の人権感覚ってどうなってるんだろう、そら恐ろしくなる。彼らと付き合う際には、感覚が違うことを忘れてはいけないな。特に、オーストラリアは、原住民対応も含め、人を人とも思わない行動を取るくせに、鯨は守れと拳を上げるわけで、ちょっと同盟国といえども線引きは必要な国民性だと感じる。
#イギリスはいつまでたっても三枚舌だから、いうまでもない。

本作の監督のジム・ローチは、あのケン・ローチの息子。なるほど、社会派のDNAを引き継いで入る。ちょっとヒドい事件すぎて、映画のテクニック云々に頭が回っていないという面もあるんだけど、再現ドラマの域を出ていない気はする。
ケン・ローチのナイフのような鋭さがないこと、淡々とことがらを追うのが息子の味だという見方ができなくもないが、この点は、他の手がけた作品を見ていないのでなんともいえない。

いずれにせよ、日本人はあまり知らない事件だと思うので、決して映画としておもしろいわけではないが、観ておいた方はいい作品だと思った。本作のレンタル料金の内の幾ばくかでも、彼らの家族探しの助力になっていれば幸いである。

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クボタカユキ
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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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