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image2151.png公開年:2010年
公開国:イギリス、フランス
時 間:80分
監 督:シルヴァン・ショメ
出 演:ジャン=クロード・ドンダ、エイリー・ランキン、レイモンド・マーンズ、ダンカン・マクニール、ジェームズ・T・ミューア 他
受 賞:【2010年/第77回NY批評家協会賞】アニメーション賞
 【2010年/第23回ヨーロッパ映画賞】長編アニメ賞(シルヴァン・ショメ)
【2010年/第36回セザール賞】長編アニメ賞(シルヴァン・ショメ)
コピー:これが最後の手品(イリュージョン)。


1950年代のパリ。昔ながらの地味なマジックを生業とする老手品師タチシェフは、ロックショーの幕間や場末のバーなど、ドサ廻りの日々。そんなある日、スコットランドの離島にあるバーでの仕事が入る。最近電気が開通したばかりのド田舎なので、タチシェフの古臭い手品でも村人たちは喝采する。タチシェフはバーの一室に宿を取ったが、そのバーには小間使いの少女アリスがいた。アリスはタチチェフを、何でも願いごとを叶えてくれる魔法使いだと思い込み、タチチェフが島を去るときに一緒に付いてきてしまう。フランス語のわからないアリスを放っておくわけにもいかず、エジンバラのタチチェフの部屋で一緒に暮らし始めることに。しかし、手品師のギャラではアリスを養うことができないため、彼は馴れない仕事に就くのだったが…というストーリー。

ジャック・タチというフランスの映画監督・俳優が実娘に残した脚本を映画化したということだが、根本的にジャック・タチを私は知らない。タチチェフには生き別れた娘がいて…という設定のようだが、その点も少しわかりにく。

シルヴァン・ショメのセンスは爆発しており、レイトン教授のゲームのような空間が広がる(レイトンがパクってるんだけど)。思わず画面のあやしいところをツンツンして、ヒントコインを探したくなってしまう。
『ベルヴィル・ランデブー』のときとは違い、車や汽車にCGの原画を使っている模様。おそらく彩色もコンピュータかな。別に、独特の味が毀損されているわけではないし、ヌルヌルと自動車や電車が動くことで、ものすごく奥行き、広がりのある舞台に感じられた。
#絵に集中したいから、吹き替えを着けて欲しい作品だ。
しかし、さすがに全編に漂う空気感が地味で緩すぎ。刺激のかけらも無く、目が飽きてしまう。正直、話がわからんくなって数度、チャプターを戻した。

言葉も通じない純真な少女が付いてきちゃう。こまったけど生き別れた娘とダブっちゃって無碍にはできない。食わせるために働こうか。でも、手品以外に仕事したことないし、もう年だし…、、って挫けそうになったところで、少女に彼氏ができたみたい。ああ、よかったよかった…って、そんなプロットだよね。この程度のプロットなら80分もダラダラやらないで、45分くらいでスパっとまとめたほうが、いい味が出たんじゃないかと思うのだが…。

ちょとやさしくされたからって、付いてきちゃう女の子ってのも、かなり怖いが、そこを否定すると話が進まないので良しとする。
なんで、手品師さんは、去ってしまったのか。少女のために、それなりにお金が必要になって、ガラにもなく働いたら疲れちゃったってこと?(だよな)。でも、言葉も満足に話せない、仕事もなく家賃も払えないであろう娘を放置して去っていく感覚がわからん。少女に親しい男がいる“らしい”と知っただけで、その男が面倒みてくれると決まったわけでもない。男がいるなら、なんとかなるやろ!と、元のお気楽な生活に戻ったっていうなら、けっこうクソ人間だ。

この脚本が、ジャック・タチなる人物が自分の娘に向けて書いたシナリオだとすると、あまりかまってあげられなかった娘への“言い訳”だし、言い訳なのに結局諦めて半ば投げ出しちゃうって内容はちっとも反省しているようには思えず、むしろ追い討ちな気がしてしまうのだが…。
#ウサギを野に放ったので廃業するのかとおもったら、遁走(?)した電車の中で、マジックに意欲満々になってるし。終盤は醜い言い訳のオンパレードに見える。

私の修行が足りないのか、本作のペーソスってのが、いまいち理解できない。
#ウサギが腸詰を喰うかなぁ…。

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image2160.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:130分
監 督:クリストファー・マッカリー
出 演:トム・クルーズ、ロザムンド・パイク、リチャード・ジェンキンス、デヴィッド・オイェロウォ、ヴェルナー・ヘルツォーク 、ジェイ・コートニー、ジョセフ・シコラ、ロバート・デュヴァル 他
コピー:その男、行きつく先に事件あり。
その名は、ジャック・リーチャー 世界で最も危険な流れ者(アウトロー)


ペンシルベニア州ピッツバーグ近郊。白昼、無作為に6発の銃弾が発射され、5人が殺害される事件が発生する。現場に残された薬莢と駐車機に投入された硬貨から指紋が採取され、元米軍スナイパーのジェームズ・バーが容疑者として浮上。簡単に逮捕される。事件は解決に向かうと思われたが、バーは“ジャック・リーチャーを呼べ”というメモを残した以外は黙秘を続けた。その後、護送中に同乗の犯罪者たちから暴行を受け、意識不明の重体となってしまう。警察は唯一の手がかりである“ジャック・リーチャー”を捜したが、まったく手がかりが掴めずに途方に暮れていた。すると、そこに突然チャーリー本人が現れ…というストーリー。

ジャック・リーチャーを主人公にした人気小説シリーズがあるとのこと。原作の主人公の風体とトム・クルーズにはかなり違いがあるようだが、私は読んだことがないので、どうでもいい。
元米国陸軍の退役少佐で、軍警察に所属していた有能な捜査官。その後、住民登録もせず運転免許やクレジットカードすらもたず、定期的に恩給を電子送金で引き落とす以外に、記録らしい記録を残しておらず、社会の隙間に潜むように生きている。ちょとネタバレになってしまうが、その軍警察時代に、容疑者のバーとは関係があったわけだ。

非常に興味深いキャラ設定だと思うし、その経歴に違わず、トム・クルーズのアクションシーンは非常に迫力も緊迫感もあり、ハマリ役なことは否定しない。
しかし、そういう社会から隔絶した生き方をしているから“アウトロー”という邦題になったのだろうが、この邦題がどうもしっくりこない。だって、別にジャック・リーチャーは“無法者”じゃないんだもの。一般社会からは隔絶して生きているけど、別に法は犯していないのはもちろんだが、バーの弁護士の捜査員としての仕事も法を逸脱するわけではない。むしろ、間違いないと思われている証拠を疑い、微かな違和感を見捨てずに、実直に調べ上げる姿は有能そのものである。

「ヤツを葬るために来た」⇒本当にバーが犯人ならね…という、シンプルな思考に貫かれた行動は、非常にわかり易い。そして誰が犯人なのか。検事か警察か弁護しかはたまた別の組織か? 犯人にとって邪魔者であるジャック・リーチャーは、様々なトラブルに巻き込まれる。フィジカルバトルに銃撃戦にカーチェイスと大迫力。核心に迫っていくと、もしかすると彼もハメられているのでは?という展開に。サスペンスあり、ミステリーあり、アクションありとバランスがよく、お腹一杯で非常におもしろく観終えることができた。

しかし、公開時には“トム・クルーズの当たり役!”“続編製作確実!”なんて、散々喧伝されていたのに、賞レースからは総スカン。でも、それも仕方が無いというのが素直な感想。
ただでさえ長いので、これ以上は無理だったかもしれないが、黒人警官と弁護士の父親だけでなく、もっと犯人なのでは?と可能性のある人間を増やすとよかったかと。また、陰謀の全容が明かされないまま、黒幕さんを撃って終わっちゃうのはちょっと引っかかるし、作品全体のスケールを小さくしてしまった。あの黒人警官がなんで奴らの仲間になったのけ、経緯が非常に興味があったのだが、明かされずじまい。はじめは善良な警官だったのに、蛇のように絡めてでがんじがらめにされてしまったとか、それをさらりと表現する方法はあったと思う。

個人的に一番ひっかかった…というか、主人公への共感が薄れてしまった点がある。ジャック・リーチャーと弁護士が事務所で会話するシーン。誰もが俺のような生活をしたいはずだ!と彼は言うのだが、そのセリフには反論しないとダメじゃないかな。自由に生きることと、正直に生きることは、意味が違うので、その辺は明確に定義しなおすべきだったと思う。彼の言う自由が後者の意味であれば、賛同できる。しかし、社会のしがらみを忌避することを指すならば、褒められたもんじゃない。その“社会”があるからこそ、おまえは潜んでいられるんじゃないのか?そして、サラリーマンだって、それを選択する自由を行使しての現状なんだし、あんたのような生き方を選択するとは限らないよ…と。まあ、私が小市民だから、ひっかかるんだろうけど。

この終盤の腰砕けに目をつぶれば、ずっとドキドキ、ワクワクできた。新作料金で観ても損したとは思わないだろう。
#さて、こういう作品が好意的に捉えられているとすると、アメリカの民主党政権も、そろそろ終わりかな…と。

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image2157.png公開年:2010年
公開国:フランス
時 間:81分
監 督:マリナ・ドゥ・ヴァン
出 演:ドニ・ラヴァン、アドリアン・ドゥ・ヴァン、ラシェル・アルディティ、ヴァレリー・ダッシュウッド 他





飢餓と貧困にあえぐ17世紀ヨーロッパ。5人兄弟を抱える夫妻は、日々の食料にも困り果て、とうとう子供たちを森の奥に置き去りにすることを決意する。末っ子で親指トムと呼ばれた少年は、捨てられることを察知し、道すがら白い小石を落としながら進んでくる。そのおかげで兄弟たちは無事に帰宅することができた。道に迷って力尽きただろうと考えていた両親は大変驚いたが、一方で人の道を踏み外さなくてすんだことに安堵した。しかし、生活の困窮は改善されたわけではなく、とうとうペットの犬の子を食べざるを得ないほどに。両親は、再び子供たちを森に捨てることを決め、再び森に置き去りにする。再び同じように家に戻ろうとしたが、今回トムが落としてきたのがパンだったため、カラスに食べられてしまい、目印を失った兄弟はすっかり森で迷ってしまう。やがてトムたちは大きな屋敷にたどり着くのだったが、そこは人食い鬼と娘たちが暮らす屋敷で…というストーリー。

親指トムは、一寸法師のような小さいキャラクターだと思っていたのだが、本作のトムは普通の身長の子供。どういうことやねん。また、グリム童話だと思っていたが(よく“本当は恐ろしいグリム童話”みたいな本もあるし)、フランス詩人シャルル・ペローが原作とか。ベースとなるイギリス民話があって、いろんな人が書いている模様。森にパンくずを落としてきたり、動物の骨をひそませておくのは、『ヘンゼルとグレーテル』なのでグリムの創作かと思っていたが、イギリス民話に元があるんだな。
#でも、本作での動物の骨の使い方はおもしろくない。
別に無理に大人向けにしている感じではなく、子供への配慮をまったくやめて原作通りに描写してみました…って感じ。

一貫しているテーマは、人間“窮すれば鈍する”こともあるだろうが、人としての一線を超えちゃダメでしょ…という教訓である。
両親の行動は、食人鬼一家の行動とダブる。そして、ペットの犬の子を平然と食べる兄弟だちは、食人鬼の娘たちとダブる。最後まで“人間”だったトムは、すでに“人間”ではない家族を動物として飼うというオチである。

表現が難しかっただろうなぁと思うのが、食人鬼が自分の娘を殺すまでの経緯。もうちょっと太らせましょうよという妻の言葉に従って我慢してみたものの、“最高の晩餐”が夢に出てきたしまい我慢できなくなり、暴走。なぜか(笑)それを察知したトムは、食人鬼の娘がつけているティアラを兄弟に移動。ティアラが付いているほうが娘だと認識した食人鬼は娘の喉笛に噛み付き血をすすって殺してしまう。
食人鬼は鳥目だとか、そういう設定をつけるべきだったと思うし、終盤はどうもグダグダ感が強い。原作がそうなんだろうから仕方が無いのかもしれないが、魔法の靴(だっけ?)の登場で醒めた。それまで魔法的なものは出さずに展開できていたのに、突然なんだもの。普通にバトルをして、トムの機知により勝利…という展開でよかったと思う。
うむ。食人鬼から逃げるあたりから、ブラッシュアップしたい。そうすれば、かなりおもしろくなるはず。

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image2155.png公開年:2012年
公開国:イギリス、南アフリカ
時 間:95分
監 督:ピート・トラヴィス
出 演:カール・アーバン、レナ・ヘディ、オリヴィア・サールビー、ウッド・ハリス、ドーナル・グリーソン、ラングレー・カークウッド、ウォリック・グリア、ルーク・タイラー 他
コピー:正義を取り戻す。この男の裁き(ジャッジ)を見届けよ――。




核戦争により国家が崩壊した近未来のアメリカでは、東海岸沿いに広がる都市“メガシティ・ワン”だけが残存していた。メガシティ・ワンでは、4億人以上が超高層ビル郡の中にひしめき合って暮らしており、犯罪が多発している。そんな暗黒都市の治安を守るのは、警察・裁判所・刑の執行官を兼ね備えた“ジャッジ”という集団。その中でも圧倒的な執行数でジャッジのトップに立つのがドレッドだった。ある日ドレッドは、新人ジャッジのアンダーソンの指導を命じられ、悪名高いマーマ一派が支配するピーチ・ツリーという200階建てビルに捜査に入ることに。二人がビルに侵入すると、マーマはビルを強制的に封鎖し、ビルの全住人に対しジャッジを殺害するように命じ…というストーリー。

遠い昔にスタローン主演版を観たはずだが、どんな内容だったか記憶にないところを見ると、たぶんつまらなかった模様。でもヘルメットのデザインだけは記憶にある。古臭いデザインだが、一周回ってダサ格好いい。スタローンに変わって主役を演じているカール・アーバン(知らん)は、本編中一度たりともそのヘルメットを外すシーンはない。口元と無精ひげの感じはスタローンに似ていて、ジャッジを演じているというよりも、ジャッジを演じているスタローンのコスプレという感じ。ここまで打算的で割り切った演出をしてくれると、逆に気持ちが良い。

原作の設定だとは思うが、はびこる悪を押さえ込むために、警察・裁判官・刑の執行官の権限を移譲するという設定は、特殊な社会情勢と絶妙にマッチしており秀逸。でも、ムチャクチャな社会情勢で、且つジャッジシステムでさえ悪をほとんど押さえ込むことができていない状況なので、納税というシステムh機能していなさそう。ジャッジの皆さんはどうやって禄を食んでいるのか不思議(笑)。

けっこう壮大なSF設定なのに、閉鎖された高層アパート内というスケールの小さいバトルに限定。おそらく低予算作品だと思われるが、そこから生じる陳腐さをウマく誤魔化すいい演出だと思う。
ミュータントの新人と、悪の組織のボス・マーマという両極端な女性キャラを配置するのも巧み。両者ともに掘り下げが不足な感は否めないが、悪くはない。

TSUTAYA独占レンタルということで、どうせつまらないんだろうとハードルが下がりまくっていたせいもあるが、それなりに楽しめてしまった

 

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image0413.png公開年:1997年
公開国:日本
時 間:133分
監 督:宮崎駿
出 演:松田洋治、石田ゆり子、田中裕子、小林薫、西村雅彦、上條恒彦、島本須美、渡辺哲、佐藤允、名古屋章、美輪明宏、森光子、森繁久彌、飯沼彗、近藤芳正、坂本あきら、斎藤志郎、菅原大吉、冷泉公裕、山本道子、飯沼希歩、得丸伸二、中村彰男、香月弥生、塚本景子、杉浦一恵、山本郁子 他
受 賞:【1997年/第21回日本アカデミー賞】作品賞、協会特別賞(米良美一)
【1997年/第40回ブルーリボン賞】特別賞
コピー:生きろ。

室町時代。山里に住む青年・アシタカは、北にあるエミシ一族の里を襲ったタタリ神と化した猪を退治する際に、死の呪いを右腕にかけられてしまう。村の老巫女から、西に行けば呪いを断てるかもしれないと告げられたアシタカは、西へ旅立つ。旅の途中、犬神に襲われて谷に転落した男たちを助けた縁で、“タタラ”の村に身を寄せることに。その村は、エボシ御前が率いる製鉄を生業とする村だったが、彼女たちが鉄を作るためにシシ神の森を切り続けたため、ナゴの守という猪をタタリ神に変えてしまったことを知る。その猪神こそ、アシタカの村を襲ったタタリ神だった。そんな夜、サンという娘が山犬とともにタタラの村を襲撃。サンは犬神モロの君に育てられたもののけ姫で、森を侵すエボシ御前を憎んでいるのだった…というストーリー。

ちょくちょくTV放送しているのをザッピングしなら観たり、あらすじを色んなTV番組や雑誌で知ってしまったりで、実はきちんと始めから最後まで観たことがなかった作品。やっときちんと鑑賞。

別に悪い作品だという気はないのだが、説教臭さが鼻について仕方が無いのは事実。手放しで感動している人がいるとしたら、逆にジブリ作品だからと良く内容を吟味することを放棄しているのでは?と、私は勘ぐりたくなる。本作が、アミニズムを表現しているという感想を見ることがあるが、舞台が森なのはわかるし自然を表現しているのは判るが、精神としてのアミニズムがどこに表現されているのか、私にはピンとこない。

たくさんの猪神の姿や、怒りでタタリ神になってしまう様子は王蟲を彷彿とし、コダマなどが出現し人の侵入を拒む森は腐海の設定に近い。そして、その“正しい”生態系は時には人に仇なすという畏怖の存在。サンはナウシカ、アシタカはアスベル、エボシ御前はクシャナで、ゴンザはクロトワ。キャラクター配置もナウシカを想像させ、ユングの“類型”よろしく、前期宮崎駿にみられる独特の類型の顕著たる例である。ちゃんとみると、『風の谷のナウシカ』の焼き直し…というか、原作版の『風の谷のナウシカ』をそのまま作るわけにもいかないから、舞台を中世日本にして作ってみようかな、そんな感じに思える。
腕スパーン、首チョーンと、現在ならばPG指定になりそうな描写も、原作版ナウシカのある意味エグい描写に踏み込みたかったものと想像する。

シシ神様の頭を返却し、怒りを納めるという先に、何があるのか。結局、サンはアシタカは共存できないを言い放つわけで、自然と人間の対立は永遠に解消しない。それこそ抵抗しても無駄という“運命論”のようなものを感じるし、最終的に滅びる運命にあるのだという斜に構えたニヒリズムみたいなものも感じる。
自然と人間の共生がテーマともいわれているが、ストーリー的に何も解決していないし、現実社会に対して何かを示唆していると思えない。いかにも戦後育ち世代の投げっぱなし具合を体現した作品だと、私には映る。いかにも深く物を考えているふりをしているだけで実は大して考えていない戦後育ち老人にありがちな思想。簡単に共産主義思想にかぶれて、且つその浅はかさを振りかざして臆面もなく説教をはじめるのが多い。戦後の虚無感の中で育ったことを差し引いても、私たちからみると実にうんざりである。

自然をコントロールしようなどということはおこがましい…という点には同意するが、人間もその自然から生まれた一部だろう。人間は自然に帰るべきなどという思想だって、逆に、人間は神に近い力を得たという驕りから生まれたおこがましい思想に私には思える。

まあ、元々ジブリはそういう傾いた思想がエンジンになっているのは判ってるので、そこをとやかくいうつもりはない。投げっぱなしなら投げっぱなしでいい。むしろ、自然をテーマにすればするほど答えなんか出るはずもないのだ。ただ、それならば、本作はみなまで語りすぎてはいないだろうか。本作の問題はただそれだけ。本作を褒めている人は、ちょっと鈍感な人だと思う(喧嘩売ってるな)。

 

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image2134.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:127分
監 督:アン・リー
出 演:スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、アディル・フセイン、タブー、レイフ・スポール、ジェラール・ドパルデュー 他
受 賞:【2012年/第85回アカデミー賞】監督賞(アン・リー)、撮影賞(クラウディオ・ミランダ)、作曲賞(マイケル・ダナ)、視覚効果賞(Donald R. Elliott、Erik-Jan De Boer、Guillaume Rocheron、Bill Westenhofer)
【2012年/第70回ゴールデン・グローブ】音楽賞(マイケル・ダナ)
【2012年/第66回英国アカデミー賞】撮影賞(クラウディオ・ミランダ)、特殊視覚効果賞(Erik-Jan De Boer、Guillaume Rocheron、Bill Westenhofer)
【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】撮影賞(クラウディオ・ミランダ)、視覚効果賞
 【2013年/第22回MTVムービー・アワード】恐怖演技賞(スラージ・シャルマ)
コピー:なぜ少年は、生きることができたのか。
 命を奪うのか、希望を与えるのか。

小説のアイデアを探していた作家は、パイ・パテルというインド人男性がおもしろい話を持っていると紹介され訪ねて行く。物腰の静かなパイは、インドで育った幼少期からの出来事をゆっくりと語り始める。パテル家はインドのボンディシェリで動物園を営んでいたが、パイが16歳になった時、経営が苦しくなりカナダへの移住をすることに。恋人と別れたくないパイはカナダ行きに反対したが、どうすることもできず、両親、兄、そして動物たちと一緒にカナダへ向かう日本の船会社所有の貨物船に乗り込む。しかし太平洋上で巨大な嵐に遭遇し、船は沈没してしまう。運よく救命ボートに乗り移ることができたパイは、同じように脱出してきたシマウマやハイエナ、オランウータン、そしてリチャード・パーカーと名付けていたベンガルトラとの同乗を余儀なくされる…というストーリー。

散々CMで紹介されていた通り、ボートで虎と一緒に漂流するというシチュエーションに向かって、ストーリーが進んでいく。着々と。どうせそうなることがわかっていて、実際にその通りに展開していくのをただただ観るのは、なかなかの苦痛。
“パイ”という名前の由来とか、がっちりと敷かれたレールから目を逸らそうと色々小ネタを差し挟んではくるものの、漂流するためには、動物と一緒に船を沈没させる展開以外には考えられない。 そして44分まで観た私の感想は「こりゃ、つまらん」。

そうなると、粗ばかりが見えてくる。虎が他の動物で飢えを凌いだのはわかるが、糞尿はどうしたんだ…とか。クジラの衝突をうけ、水や食料が海に落ちるが、もの凄く泳ぎはウマいんだから、けっこうな量を拾えるんじゃないか…とか。
所詮ファンタジーなんだよな…と諦めかけたところで、とても現実とは思えない、謎の島が登場。ミーアキャットが足の踏み場もないくらいいる島。アフリカのサバンナに生きる動物が島に?どういうこっちゃ。

どうして、こんな作品が、それほどブーイングも受けずにいるのか…と疑問に思っていたが、最後のオチで納得した。

(以下ネタバレ注意)
トラと別れ救助された後の、日本の船会社に語った話。せっかくのファンタジー性が毀損されたと思う人がいるかもしれない。でも、本作のファンタジー的な要素っておもしろい?そうでもないよね。私はこの“真実”があったからこそ、本作を受け入れることができた。みなまでは言わないが、シャマラン監督的なこの作品のオチは好きである。

人間の脳は、受け入れがたいものに遭遇したときに、都合よくストーリーを創作する。先に書いた虎の糞尿の件など、見えるはずがないのだ。そして、謎のミーアキャットの島。そこに生えている木の実の中にあった、人間の歯。それは何を意味するか。混濁した意識の中では、彼は一線を越えてしまった可能性を示唆していると思う(もしかすると自分の便の中に歯を見たのかも)。それで我に返り、最後の力(人間たれ!という意識)を振り絞った。まあ、そこで彼がベジタリアンだというのがカウンターとして効いているのかもしれない(けこうエグいが)。

なんで、日本の船会社という設定なのかな…と違和感を感じていた。インドからカナダまでの貨物船を日本の船会社が担っているのに、日本に寄港した描写がない。なんでわざわざ日本を絡めるのか…と。もしかすると、原作者は『ヒカリゴケ』という日本の小説を意識していたのかな?と。

上沼恵美子が自分が司会をしている芸能情報番組でこの作品の話になり、何で最後に別れる時に、虎は会釈の一つもせんのか?と文句をいっていたが、するわけが無い。上沼恵美子は本当に虎と旅をしたと思っていた模様だが、どうしてそう捉えられるのか、逆に疑問。自分の“獣性”が去っていくことを象徴しているわけで、獣性と会釈という人間的な行為は真逆でありえない。
#案外、ピンとこない大人は多かったのかな??
こりゃ、純粋な冒険ファンタジーと思って、子供を連れて行った親御さん、なかなか困惑したのではないか。どういう意味?なんて聞かれたら、キビシイわな。

あ、言い忘れたが、CGの技術はこの世に存在する作品の中で最高。もう、どれがリアルでどれがCGかなんて、調教した実際の動物を使ったって無理無理って、状況的に推察してやっと区別できるレベル。

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image1096.png公開年:2006年
公開国:中国、日本、香港、韓国
時 間:133分
監 督:ジェイコブ・チャン
出 演:アンディ・ラウ、アン・ソンギ、ワン・チーウェン、ファン・ビンビン、ウー・チーロン、チェ・シウォン 他
コピー:10万人の敵に たった1人で挑む。
戦乱の中国──歴史上に忽然と現れ消えた、墨家(ぼっか)という戦闘集団がいた。天才戦術家[革離]、彼の使命は、戦わずして守ること。



紀元前370年。中国の戦国時代。趙と燕との二大国の戦争に巻き込まれた小国・梁は、燕へ向かう将軍・巷淹中が率いる10万の趙軍の侵攻による陥落寸前。そこで梁王は、“非攻”という専守防衛の思想を掲げる“墨家”に支援を依頼する。しかし、やってきたのは革離と名乗る粗末な身なりの男が一人。落胆する梁の人々を尻目に、革離は機転の利いた方法で趙軍の先遣隊を追い払い。梁軍の指揮は一気に上がる。巷淹中は革離の実力を見て、梁城の攻略は簡単ではないと悟り、一旦引き下がり攻撃の再準備を計ることに。梁は全権を革離に預け、攻撃への備えをすべて彼に任せる。そして、趙軍との総力戦を知略を駆使して凌ぎきることに成功するのだったが…というストーリー。

酒見賢一の歴史小説を漫画化した『墨攻』を全巻持っている。原作とどのくらい違いがあるのかは不明だが、この漫画、すごく好き。
まず、主人公の革離がものごっついブサイクというのがシンパシーを感じるし、格好いいは正義!みたいなバイアスが、はじめっから完全排除な構成なのが実によろしい。しかし、本作のアンディ・ラウはすっかり美男なので、そういう要素は無い。

墨子の考え方というのがまたおもしろい。時は戦国時代だというのに、兼愛・非攻などの思想をぶちあげて実行するという、ガンジーの非暴力主義はおろか、仏教すらまともに伝来していなかったであろう時代に、この先見性は異常。そして、時代を先取りしすぎたのか、その即席はスパっと歴史から消えてしまう。単に時代にマッチしていなかったというよりも、これを本気で実行するのは、民主主義を実現するよりも難しい。中国大陸には、貨幣経済社会がはち切れんばかりに揺籃した時代は数度ある。でも、資本主義は発芽しなかった。中国には可能性だけが無数に表れ、結実せずに終わるという、実験場的な運命が染み付いているのかもしれない(今は何の実験中なのか…と考えると非常に面白い。いずれにせよ失敗しか待っていないのだが…)。

専守防衛という日本の防衛体制に比較してみることができるのもおもしろい。日本は自国のみ防衛するが、墨家はこまった国があれば、その防衛のために、恩や義理はおろか敵味方も関係なく手助けする。こまった人を見殺しにできない…といえば聞こえはいいが、防衛とはいえ、やることは戦闘である。攻めてきた人間はもちろん殺すわけで、クールダウンさせるための緩衝材なんて呑気なこともいっていられない。攻める攻められるはその時の情勢次第なので、正義・悪とは無関係。ある意味、都合のいいように利用されてしまう。
でも、革離は、国同士の戦争で無碍に殺されていく庶民を助けにはいられず、その能力を、こまった領民のために全力で使ってしまう。博愛だとかいうけど、悪く言えばかなり近視眼的な考え方で、行動しているのも事実。その考えを簡単に国家レベルに当てはめてしまえば、収集が付かなくなるのは明白。そして実際に、何の見返りももとめずに差し出した手なのに、その手はいつも傷だらけ、血まみれになってしまう。
それは判っているけれど、やっぱりこまった庶民には手を差し伸べずにはいられない。この賢いバカっぷりが実に魅力的なのだ。。

原作では、既に墨家自体が堕落しており(むしろ当然ではあるのだが)、理想に邁進する革離が墨家から狙われる存在になっており、その辺もなかなかおもしろいのだが、さすがに二時間の映画にそこまで盛り込むわけにはいかない。
そのかわり、原作よりも梁王のクソっぷりは、際立って演出されていると思う。

ちなみに原作では、疲弊した革離と声を失った女性は東へ東へ逃れて、やがて日本に渡って、幸せに暮らす…というオチなのだが、さすがにそれをやると中国で公開はできない(笑)。おかげで、最後は単なる悲劇になってしまい、非常にモヤモヤして終わる。

明らかに、墨子の思想が現代日本の一部の思想に似通っていることに、原作者は注目していると思われる。しかし、その理想を実現するには、かつての墨子が衰退したように簡単には実現できないし、マクロ的に整合性、合理性を確立する必要がある。さて現代の皆さんはどう思いますか?どう考えますか?というメッセージがこめられていると私は思う。
まあ、闇雲に原発反対!とぶち上げるだけの人がたくさんいて、それに賛同する人た相当数いる日本では、まだそれを熟考する土壌すら醸成されいないレベルかもしれないな。
あ、そういうメッセージ性は、映画には無いッス(笑)。大体にして英題の“A BATTLE OF WITS”は、知力戦って意味なんだろうけど、墨子の思想のポイントってそこじゃねえしなぁ…。

#あと、小国とはいえ城の規模感が小さすぎなのが、気になったかな。

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image2150.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:110分
監 督:ジェームズ・マクティーグ
出 演:ジョン・キューザック、ルーク・エヴァンス、アリス・イヴ、ブレンダン・グリーソン、ケヴィン・マクナリー、オリヴァー・ジャクソン=コーエン、ジミー・ユール、パム・フェリス、ブレンダン・コイル、エイドリアン・ローリンズ、マイケル・シャノン、アナ・ソフレノヴィック 他
コピー:偉大なる作家エドガー・アラン・ポーは、なぜ死んだのか…?


1849年。アメリカ、ボルティモア。かつて大ヒット推理小説を相次いで出版したエドガー・アラン・ポーだったが、今ではアイデアが枯渇し新聞に書評を寄稿するなどして糊口をしのいでいた。ポーは地元名士の令嬢エミリーにご執心だったが、彼の下品な態度と貧しさ故に、父親から交際が許されることはなかった。ある夜、密室で母娘が殺害される猟奇殺人事件が発生する。現場に駆けつけたフィールズ刑事は、犯行の手口が、数年前に出版されたポーの推理小説『モルグ街の殺人』にそっくりであることに気づく。ほどなくして、『落とし穴と振り子』を模倣した第2の殺人事件が発生。被害者は、紙面でポーと争っていた文芸評論家のグリズウォルドで、台座に拘束された状態で、振り子状の巨大は刃物によって胴体を真っ二つにされていた。現場には“仮面舞踏会に死がやってくる”と書いたメモが残されており、犯人がポーの小説に拘っていると確信したフィールズ刑事はポーに捜査への協力を要請する。メモにあった仮面舞踏会とはエミリーの誕生日に催される仮面舞踏会を指していると考え、フィールズと部下たちは厳重に警備するのだったが…というストーリー。

ポーを良く知らないからだと思うが、雰囲気がアメリカっぽく感じられず、すっかりイギリスが舞台だと思い込んでいた。邦題で最後の5日間となっているので、死ぬ間際なのかな?と認識できはするが、史実としていつ頃死んだのかも知らないので、なんともボヤけた感じ。大体にして、作品は知っていたとしても本人のことなんか知らんし。

また、吹き替えの音声の“ポーさん”が“父さん”に聞こえてずいぶん大きな息子がいるのに若い女にうつつをぬかしているのかと思ったりして、キャラクター設定を把握するのに時間を要した。細かいディテールでも不親切な部分が多い。インクが磁石に付くのは、新聞用のインクだから…って、そんなに常識だろうか。伏線を張ってた?(ないよね?)。また、全編にわたって画面が暗すぎ。DVD鑑賞は厳しかった(特に日中の鑑賞はツラい)。Blu-rayじゃないとダメな作品かもしれない。

自分の小説のとおりの猟奇殺人事件が発生し、作者はその解明に協力するという展開は、それほど斬新ではない。さらに、才能の枯渇していたポーは全然キレが無く、自分の作品が愚弄されたと憤慨することもなく、フィールズ刑事に引っ張られている感じ。そのせいで、刑事がクサく感じられるのだが、いささかミスリードとしては弱いのが難。
ミスリードといえば、途中で出てくるブラッドリー夫人なんかも、もうちょっとうまく使えば、良かったと思う。

恋人が拉致されて、やっとやる気を出し始めるものの、この事件をそのまま小説にしろという犯人の指示に従うだけで、自主性がないのが、ミステリー物として致命的な気がする。
(以下、ネタバレ注意)
事実と虚構が絶妙に入り混じった出来映えに、作家としての充実感を蘇らせてしまうという流れは悪くないのだが、教会にいくあたりから、どう考えても印刷所の人しか犯人に思えないのも難点か。

「答えはすぐそこ」というヒントこそあったが、ピンポイントで“そこ”を掘り始めるのは、ちょっと都合が良すぎる。また、いくら新聞社がうるさいからといっても、輪転機が止まったときに大声出したら、誰かに聞こえそうなもんだけど…。てか、新聞社の下に地下室なんかどうやってつくったのか?いや、はじめからあったのか?

薬品で意識が混濁したポーは、「名字は“レイノルズ”と、フィールズに伝えてくれ」と言うが、これまたわかりにく、あの植字工の名前がレイノルズだなんて全然出てこないし、出てきたとしても記憶にあるわけもないし。最後に馬車に乗るときに、運転手に名前を呼ばれるのだが、身なりが小奇麗になっているので、あの植字工と同一人物だとスルっとわからなかったりして。

まあ、とにかく色々、判りにくい作品。もうちょっと素直に作れなかったものかと。犯人の望みどおりに作品を書かせられるものの、ポー本人も漲る創作意欲の魔力に魅せられてしまい、このまま解決しなくてもいいとすら思える魔力との間で苦悩する…という部分に、比重を置いたほうがよかったんじゃないかと思う。

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image2149.png公開年:2012年
公開国:フィンランド、ドイツ、オーストラリア
時 間:93分
監 督:ティモ・ヴオレンソラ
出 演:ユリア・ディーツェ、ゲッツ・オットー、クリストファー・カービイ、ペータ・サージェント、ステファニー・ポール、ティロ・プリュックナー、マイケル・カレン、ウド・キア 他
コピー:ナチスが月から攻めてきた!!





2018年。アポロ17号で終了した有人月面着陸プロジェクトを復活させたアメリカ合衆国政府は、黒人ファッションモデルのジェームズ・ワシントンらを月面に送り込む。しかし、彼がそこで見たものは、第二次世界大戦の敗戦後に月へと逃亡したナチスの残党によって築かれた第四帝国の秘密基地。アメリカ船は攻撃を受け捕らえられてしまう。総統のコーツフライシュの元、ナチスは着々と軍備を増強し、地球の帰還を目指していたが、ワシントンが持っていたスマートフォンを見てその技術力に驚愕。その処理能力を持ってすれば開発中の最終兵器“神々の黄昏号”を稼動させることも可能と考え、調達のために地球潜入作戦を敢行。ワシントンを案内役に、野心家の将校クラウス・アドラーと彼のフィアンセで地球学者レナーテ・リヒターが円盤にのって月を出発するのだったが…というストーリー。

アメリカ映画だと思っていたのだが違った。ナチスを題材にした荒唐無稽なコメディをフィンランド、ドイツ、オーストラリアというかつての枢軸国側が作ることに抵抗がなくなったのだな。

ナチスが実は生き延びていて突然襲ってきたらおもしろいんじゃないか?という思いつきを、大真面目に展開した作品。結構壮大な舞台は、それなりのクオリティのCGでしっかりと構築。ナチスのスチームパンクばりのデカイ歯車の機械も、それっぽく表現できている。

さすがにその思いつきだけで引っ張るのは無理があるので、その後ストーリーはカルチャーギャップと現代社会を揶揄する方向に展開する。
相変わらず優生学を是としているナチス科学のせいで、ワシントンは白人化されてしまう。地球では黒人全員が表立って差別されるようなことは無くなり、資本主義社会は揺籃し技術は進歩しまくっている。ナチスの思想など微塵も存在しない。スマホの計算処理能力に驚くものの、宇宙船は普通に飛ばせるという技術的偏り。月にはヘリウム3があるから燃料は無尽蔵という設定なのかもしれないけど、核融合はそう簡単に実現できないだろう。まあ、そのバカらしさがおもしろいのだが。

一方、政治の世界のレベルは過去と変わりない…どころか打算的にレベルダウンしている。ナチを引き合いに出しているものの、茶化すターゲットは現在の国家。アメリカ女性大統領はペイリンそのままで、アメリカの愚作と短絡さを直球で馬鹿にしている。
その馬鹿アメリカは相変わらず、世界の盟主たれと鼻息は荒いものの、政策の失敗による支持率の低下を挽回するために、ナチスの宣伝手法を利用。ナチスという国家社会主義とアメリカ至上主義が世界の覇権を唱える姿で何故か(というか必然的に)マッチするブラックさ。
とはいえ、各国のお国柄を小バカにする程度じゃなくって、もっとブラックでもよかったと思う。ちょっと踏み込みは甘かったかも。日本もちょろっと出てくるが、こっそり他の国と一緒に宇宙戦艦を開発していた場面くらい。宇宙戦艦をつくっていないのはフィンランドだけ…っていうネタが、判るようで判らないけれど。

制作費が安かったのか、さすがに終盤になるとショボくなってくるが、そこはご愛嬌。ラストのワシントンとリヒターとの絡みのシーンにヒネりがあって、スカっと終わることができれば、申し分ない作品だったと思う。
#今の日本はこのレベルの作品を作ることができないと思うな。きっとシリアスな内容の作品になってしまう。

 

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image2147.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:ビル・コンドン
出 演:クリステン・スチュワート、ロバート・パティンソン、テイラー・ロートナー、ビリー・バーク、ピーター・ファシネリ、エリザベス・リーサー、ケラン・ラッツ、ニッキー・リード、ジャクソン・ラスボーン、アシュリー・グリーン、マイケル・シーン、ダコタ・ファニング、マッケンジー・フォイ、ジェイミー・キャンベル・バウアー、クリストファー・ハイアーダール、キャメロン・ブライト、ダニエル・クドモア、チャーリー・ビューリー、トレイシー・ヘギンズ、ジュディス・シェコーニ、クリスチャン・カマルゴ、ミア・マエストロ、マイアンナ・バーリング、マギー・グレイス、ケイシー・ラボウ、オマー・メトワリー、ラミ・マレック、アンドレア・ガブリエル、アンジェラ・サラフィアン、リサ・ハワード、パトリック・ブレナン、マーレイン・バーンズ、ジョー・アンダーソン、リー・ペイス、グーリー・ワインバーグ、ノエル・フィッシャー 他
受 賞:2013年/第84回MTVムービー・アワード】シャツなし演技賞(テイラー・ロートナー)
【2012年/第33回ラジー賞】ワースト作品賞、ワースト監督賞(ビル・コンドン)、ワースト助演男優賞(テイラー・ロートナー)、ワースト・スクリーン・カップル賞(テイラー・ロートナーとマッケンジー・フォイ、ロバート・パティンソンとクリステン・スチュワート )、ワースト・アンサンブル演技賞、ワースト・リメイク・盗作・続編賞
コピー:史上最強のヴァンパイア・ラブファンタジー 全てをかけて、新たな命を守る
 ついに訪れる、壮大な“夜明け” 『トワイライト』完結編

ヴァンパイアのエドワードと結婚し、自らもヴァンパイアになることでカレン家の一員となたに迎えられたベラ・スワン。バンパイアに転生する直前に出産した娘のレネズミは、カレン家に愛されすくすくを育っていたが、驚異的なスピードで成長しており、ベラは不安を募らせていた。一方、ベラの幼馴染で彼女に恋していたジェイコブは、レネズミこそがオオカミ族に伝わる“刻印”の相手と悟り、それにより永らく続いていたヴァンパイアとオオカミ族の抗争は終結した。平穏が訪れると思われたが、3000年以上ヴァンパイアの頂点に君臨するヴォルトゥーリ族は、レネズミがヴァンパイアを滅ぼすと恐れられる伝説の存在“不滅の子”であると疑いがかけられ、カレン家を抹殺しようと忍び寄る…というストーリー。

前作のPART 1では、色っぽいだけでストーリーとはあまり関係の無いシーンばかりでうんざりしてしまい、別に二部構成にしなくてもよかったんじゃない?と思ってしまったが、だからといって、ここまで観たのにオチを観ないというわけにもいかず…。
ヴァンパイアとオオカミ族の間で揺れる人間の少女…という設定のシリーズだったが、ヴァンパイアと結ばれるだけでなく、子供まで作るわ、挙句の果てには自分もヴァンパイアになっちゃうわで、正直、主人公には共感を感じられる部分が少なくなってしまった。
もう、一歩間違えば人間を襲う状態だし、これまで色々ヘルプしてくれたジェイコブにひどい扱いをするし、死ぬ思いをして生んだ娘なのに(愛してはいるものの)妙な距離感で接しているし。
そこで、シリーズを通して敵として存在していたヴォルトゥーリ族との決着という方向に話がシフトしてく。原作の構成がしっかししているのか、シリーズのトータルのプロットとしては文句はない。ぎゅっとストーリーが収斂されていく。

もう、娘が人間で無くなったことや、孫が生まれたとおもったら急速に大きくなっていることを、戸惑いつつも受け入れる父親。まあ、そうしないと話が進まないからしょうがない。

(以下ネタバレ)
普通、“夢オチ”っていうのは忌避されるものだけど、本作のアレはなかなかいい演出だったのではなかろうか。昨今のこの手の作品では、残酷で無碍に殺戮し合って、無常の中で疲弊しきって終わる作品が多いので、油断していて“やられた~”って感じになった。

突然、ブラジルの先住民族が登場して、両者の矛先も納まるという、なんとい後出しじゃんけん。そして、親子問題とかつての三角関係も丸く収まるという、少女マンガ的なオチ。いくら急速に成長するとはいえ、かつて恋愛感情を抱いたこともある男と自分の娘が…という展開の気持ち悪さはさて置き。

役者陣の演技は、大げさでワザとらしく、おそらくアメリカ人にとっては、クサくて観ていられないレベルなんだと思うが、日本語吹き替えで観るぶんにはそれなりのデキだ。何度も言っているが、このシリーズはティーン女子向けの作品でも、シリーズとして本当によくまとめたと思う。娘が殺されなくて良かったとは思うが、だからといってヴァンパイアと人間が共存できるわけでもなく、さほどなにも解決しているわけでもないのだが(笑)、そんなことはどうでもいい。有終の美といって良いだろう。

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image2110.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:ロブ・ライナー
出 演:モーガン・フリーマン、ヴァージニア・マドセン、マデリン・キャロル、キーナン・トンプソン、エマ・ファーマン、C・J・ウィルソン、アッシュ・クリスチャン、デバーゴ・サンヤル、フレッド・ウィラード、ジェシカ・ヘクト、クリストファー・マッキャン、ケヴィン・ポラック、ボイド・ホルブルック 他



甥と叔父の関係にある二人の男性が避暑地にやってくる。足が不自由な叔父のモンテ・ワイルドホーンは有名な小説家だったが、妻を亡くしてからアルコールにおぼれ、創作意欲を完全に失っていた。ヘンリーは、モンテが少しでも以前の叔父に戻れるように、避暑地で夏を過ごすことを勧めたのだ。そして、タイプライターを別荘に置くことも忘れない。別荘の隣家には、シャーロットという女性とその3人の娘が住んでいた。次女と三女はモンテに興味津々で、特に次女はモンテが小説家であることを知って、小説の書き方を教えて欲しいと小遣いを払って懇願する。渋々ながらレッスンを開始する一方で、モンテは彼女たちとの交流を深めるにつれて、シャーロットに惹かれていくのだった…というストーリー。

日本では劇場未公開作品。『スタンド・バイ・ミー』『ミザリー』のロブ・ライナー監督でモーガン・フリーマン主演だからといって、これをヒットさせる!と公開に踏み切るのは確かにむずかしい。だって、最初から最後まで大した事件がおこらないんだもの。
イマイチな作品でも、トガった内容ならば、単館上映はあり得ると思うが、最後までふわっとしたハートウォーミングに終始するので難しかろう。
#ちなみにロブ・ライナーが『最高の人生の見つけ方』の監督だったから、本作の邦題になっている模様。実に無能。

だからといって悪い作品かと聞かれれば、そんなことはまったく無い。心温まるいい作品だと思う。心が頑なになってしまった老人の心が、避暑地で出会った隣人との付き合いと経て、ほぐれていく様子は、観客の心もほぐしてく。教科書的な批評になってしまうけど、実際そうだから仕方が無い。

頑固親父で通すのかと思ったら、ジジィってば結構柔軟だし素直。モメごとをおこしてまで我を通すのは、かえって面倒くさいと思っている模様。極めて現実的。
シャーロットのほうも、離婚問題でドロドロ展開になるのかと思いきや、弁護士を通し常識的に事を進めていく。離婚交渉にともなう、母娘の軋轢も、母親の娘時代の日記を発見することで、穏便に収束する。
あまりにも都合のよい展開だが、都合が良すぎて、観客の心がかき乱されることはない。でも、稚拙な演出で判っていながらもイライラさせられるよりはずっとましで、たまにはこういうさざ波のような作品は、心の栄養になると思う。
モンテは経済的には困窮してるんだけど、昔のヒット小説の権利を売りさえすれば、気持ち一つでリッチマンになれる。もう、普通に考えたら、いつでも安泰な人生をはじめられる人なんだよね。
#足が不自由(というか下半身不随)なだけに、下世話な展開にはまずならないし、まあ、とにかく安心して観ることができる。

確かに劇場公開に不向きだが、裏を返せば、だからこそレンタルで観るべき作品といえる。ほっこりしたよ。

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image1097.png公開年:2004年
公開国:日本
時 間:125分
監 督:タカハタ秀太
出 演:草なぎ剛、中谷美紀、香川照之、市村正親、パク・ジョンウ、コ・ドヒ、チョ・ウンジ、イ・ジュンギ 他






韓国の最果ての街。オカマの老人“ビーナス”が経営する“ホテル ビーナス”には、ワケありな住人が住んでいる。酒浸りの元医者“ドクター”と妻の“ワイフ”、3号室にはいつか花屋を開くことを夢見る娘“ソーダ”、4号室には殺し屋を自称する少年“ボウイ”、屋根裏部屋である0号室にはウェイター兼ホテルの世話係“チョナン”がが暮らしていた。そこへある日、。無口な男“ガイ”と娘“サイ”がやって来る…というストーリー。

あらすじを書いていて思ったが、設定こそあるが、あまりまともなストーリーは存在しない。

白黒であることに何か意味があるのか…と真剣に考えていたのだが、理由は思いつかなかった。パートカラーなので、カラーになっている部分に何か意味があるのだろう…とも考えたが、それでも意味がわからない。ラストはすっかりカラーになってしまうのだが、その境目もわかったようなわからないような。警察(らしき人)に対して、虫けら呼ばわりされたことに反抗するのだが、それで、霧が晴れたように彼らの何かが変わったのだろうか。あれが決定的な場面だとも思えず、どうにも空々しく感じてしまう。
韓国地方都市の場末のホテルということで、むしろ、小汚い町並みをそのまま写したほうが、雰囲気が出たのではないかと思った。しかし、ラストのカラーをみると、中途半端な色合いで、こんな色彩にしても逆効果だったかもしれない(TVドラマの色)。言い方は悪いが、白黒にして“逃げた”んだと思う。
#ここは韓国人カメラマンを使えばよかった。

LOVE PSYCHEDELICOの楽曲を多用しているのだが、その使い方がクドくてとにかくダサい。
舞台が韓国だったり、全編韓国語だったりするのは、この作品が草なぎ剛がやってたTV番組だからしょうがないとしても、タップダンスは、あまり演出上の意味がなかった。符牒として意味をキチンと持たせればいいと思うのだが。
日本に韓国の彼女を呼んだら事故にあって死んじゃった。呼ばなきゃよかった…とは思うだろうけど、自己責任だわな。父親の気持ちはわからんでもないが、なんでラストで墓参りを許す気になったのかもわからん(そこ、大事じゃね?)。それにしても、あんな山の中腹に墓ってあり得るのかしら。

まあ、ガイ・リッチーとかロバート・ロドリゲスとかタランティーノとか、その辺の米英映画の真似事をして、失敗しているんだろう。

それにしても2時間超は長すぎかな…と。最後まで全編白黒で、本当に意味を持たせたいところをパートカラーに。そして、香取慎吾とか出さない。説明しすぎのところはカットする。きちんと意味付けができていない無駄な演技や動作はばっさり捨てる。
まともな編集をしさえすれば、もうすこし観られるものになっただろう。

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image1103.png公開年:1997年
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:ミック・ジャクソン
出 演:トミー・リー・ジョーンズ、アン・ヘッシュ、ギャビー・ホフマン、ドン・チードル、ジャクリーン・キム 他
コピー:世界は地獄より熱く燃えさかる





民間企業による地下鉄延伸工事が進むL.A.の中心部。そんな中、中規模の地震が発生。大したことはないと考えられていたが、マッカーサー公園近くのマンホールの下から大火傷をおった作業員が這い出してくる。生存者はその作業員のみで、他の7名の作業者は死亡。工事責任者は蒸気漏出による事故だと報告するが、回収された遺体のブーツが熱で溶けているのを見たロサンゼルス郡危機管理局・局長のマイク・ロークは、別の原因を疑う。原因が判明するまで地下鉄の運行を休止するように要請するが、地下鉄事務局は拒否。業を煮やしたロークは自ら耐熱服を着て地下道に入ると、無線機が溶けだすほどの異常な高熱になっている。ロークは、カリフォルニア地質学研究所のエミー・バーンズ博士に協力を要請。バーンズ博士が自ら調査することをロークは制止したが、博士は同僚のレイチェルと共に無許可で地下道に侵入する。丁度その時、大地震が発生し…というストーリー。

突然都市部を襲う溶岩と対峙するというパニックムービー。ありそうであまり無いシチュエーションだし、噴火っていうのは色々なパターンがあるので(溶岩の粘度だけでも色々)、多少科学的に荒唐無稽だったとしても許される。時間制限という意味でも、ゆるりと迫ってくる溶岩流は、扱い易い素材に思える。何とか人力で対抗できそうな気がしてくるから、消防士や警察官たちによるブレイブストーリーに仕立て上げることも可能。無理ゲーだと思わせる状況を、知恵と勇気で切り抜けていく…という点が見せ場になってくる。

当初はクソ人間なキャラクターなのに、なぜか職業人として責任を発揮しちゃって命を落としたり、憎しみあっている人同士が協力したりとか(素行の悪い黒人と警官)、他の映画なら痛い目にあっていい気味だ…という展開になるのだが、災害を前になぜか人間の尊厳的なものに目覚めてしまうという展開が、ユニークかも。
でも、民衆の略奪シーンは、しっかり差し込まれるけどね。東日本大震災を経てこれを観ると、やっぱり外国人は別の生き物だわ…とつくづく思うわ。

本作は、残念なことに、ラスト近くのビル倒壊の演出、その一つだけで、駄作になってしまっている。爆破作業員が脱出できなくなったにも関わらず、人々を救うためにこのまま爆破されることを受け入れる…というシーンと並行して展開するのだが、それすら台無しにしてしまう。別に主人公に死ねというつもりはないのだが、生き残る説得力のある理由を作ればよかったと思うのだ。瓦礫の中から無傷の3人がスクっと登場…じゃ、いくらなんでもマズいだろう。

めでたしめでたしとなった後、バーンズ博士がつい数時間前に、親友でもある同僚の博士を目の前で死なせてしまったことをすっかり忘れて、ニコニコ帰宅するのも、十分アホらしい。

この、最後のマトモな演出の放棄を除けば、最高のパニックムービーだと思う。本当に、残念な作品。もう一度言うが、溶岩がゆっくり迫ってくるが、確実に侵食してくるという素材が非常におもしろい。案外、今、リメイクするとウケる作品なのでは?
#ビル爆破シーンだけだけ差し替えてくれれば、それで充分ではあるが…

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image1085.png公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:ロバート・ゼメキス
出 演:トム・ハンクス、ノーナ ゲイ、ピーター・スコラリ、エディー・ディゼン、マイケル・ジェッター 他
受 賞:【2004年/第77回アカデミー賞】歌曲賞(曲/詞:アラン・シルヴェストリ、グレン・バラード“Believe”)、音響賞[編集](ランディ・トム、Dennis Leonard)、音響賞[調整](William B. Kaplan、ランディ・トム、Tom Johnson、Dennis S. Sands)
コピー:それは“初めてのクリスマス”をみつけに行く旅──



クリスマスイブの夜。サンタクロースなんて嘘に違いないと感じ始めている少年は、ベッドの中でじっと耳をそばだてていた。真夜中まであと5分という時、地鳴りのような轟音が響く。ベッドから跳ね起きた少年は、窓から外を眺めると、なんと白煙を上げる蒸気機関車が家の前に停まっているではないか。パジャマのまま機関車に駆け寄った少年の前に車掌が現れ、この北極点行きの急行“ポーラー・エクスプレス”に乗車するよう勧めてくる。あまりの出来事に躊躇する少年をよそに、汽車は発車。少年はあわてて飛び乗る。と、社内には、知ったかぶりで感じの悪い男の子や、何かを言いかけて止めてしまう思わせぶりな女の子など、大勢の子供たちが既に乗車していた。彼らをのせて、汽車は北極点へ向かう…というストーリー。

なんで今クリスマスやねん!というツッコミは無しで。避暑。

かわいげの皆無なリアル顔のCGに、子供が気持ち悪がるのは必至だが、内容は間違いなく子供向け。現在3D版も発売されているが、もちろんそういう民生用AV機器の技術向上を見越して作られている。さすがロバート・ゼメキス。3D化するための技術的な着地点として、キャラデザが気持ち悪くなっていると…、ん?そうなのか(笑)。

個人的には、元々クリスマスという風習に思い入れが皆無に近く、ワクワクしないため、チケットが車外に飛ばされる演出で正直うんざりしかけた。そういう悪い夢…みたいな、不自然な作為によって主人公をこまらせる演出は陳腐だと思うから。しかし、それが、動物たちによるスピーディなリレーに変貌する演出は、非常に面白かった。この流れは、車両の上でのスキーや、その後の氷原の列車ドリフトなど迫力のシーンへと続き、ドキドキハラハラのジェットコースタームービーになり、非常に楽しめた。イイネ、イイネ。

ただ、その面白さっていうのは、ジョイポリスとかにある映像を観ながら椅子がガウンガウン動くアトラクション的な意味での面白さね。ストーリーが面白いわけではない。だって、別にストーリーはないんだもん。
乗り合いの子供たちに色々性格付けされているけど、それがどうなるわけでもないし。屋根の上にいるよく判らないおっさんも、何がしたかったのかよく判らないし。教条的な内容がないことについては、むしろ歓迎すべきなのだが、あまりにも作中のキャラクターの成長・変化がない。私は、半分経過したあたりで、この作品にまともなストーリーは無いのだ!とはっきりと認識するに至った。

しかし残念なことに、それに気づいてアトラクション的な楽しみだけを注視しようと決断した途端(厳密には、サンタの国で迷子になるあたりから)、非常に楽しめていたスピード感が一気に消失していく。妖精らしき生物たちのドタバタには、それほどスピード感はなく、ラオウのような巨大な縮尺のサンタや鈴を貰うなどの特別扱いが何を意味するのかさっぱりわからず(おそらく意味はない)。
一体なにしに北極にいったのか判らないまま帰宅に至る。

どうせ意味が無いのなら、最後までジェットコースターをやってくれればよかったのにと思う。これは、“クリスマス”“サンタ”と聞いて、気持ちが高揚するような思い入れのある人のための作品だ。

 

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プロフィール
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クボタカユキ
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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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