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公開国:スウェーデン
時 間:102分
監 督:ラッセ・ハルストレム
出 演: アントン・グランセリウス、メリンダ・キナマン、マンフレド・セルネル、アンキ・リデン、ラルフ・カールソン 他
受 賞:【1987年/第3回NY批評家協会賞】外国映画賞
【1987年/第45回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞
【1987年/第3回インディペンデント・スピリット賞】外国映画賞
12歳の少年イングマルはいたずらっ子で、周囲の大人をこまらせてばかり。父は海外で働いており、母親といじめっ子の兄との3人暮らし。しかし、近頃、母親の体調が芳しくなく、夏休みの間、兄は祖母のところに、イングマルはグンネル叔父さんのところに預けられることになった。愛犬シッカンは、犬の保育所が預かってくれるとのこと。グンネル叔父さんの家は大きなガラス工場があるオーフェルシュ村にある。そこには都会にはいないような個性的な人たちばかり。中でも同じ年のガキ大将サガと出会う。はじめは男の子だとおもっていたが、実はサガは女の子。男の子と一緒にボクシングやサッカーに興じているが、彼女が胸が目立ってきて、女の子であることがバレてサッカーチームにいられないことを恐れている。彼女をはじめ多くの友達とひと夏を過ごしたイングマルは、秋になり久しぶりに家に戻るのだが…というストーリー。
『ギルバート・グレイプ』や『サイダーハウス・ルール』『シッピング・ニュース』のラッセ・ハルストレムがアメリカに渡る前の作品。アメリカで製作された各作品ほど、“鬱”展開ではないがその萌芽は十分に見られる。
イングマルを庇護すべき母親は病気によりその役目を果たすことができない。肉体的な病気だけならまだ問題はないのだが、精神にまで不安定となり、その理不尽な反応に、少年は苦悩する。それでも、それほど不幸じゃないと、自分に言い聞かせるイングマル。
そんな状況もあって、いたずらっ子というかガキ大将的な振るまいをするイングマル。問題行動は母をさらに苦悩のネタを増やすことになるが、母親はただ泣き叫ぶだけで、決してイングマルが求める反応になって返ってくることはない。
養育が出来なくなった母親は(というか親族は)、子供たちを親戚のところに預けることに。幸いなことに、はみだし者だったイングマルが戸惑うほど変わった人で溢れる村で暮らすことに。母親への思いは、犬の身を心配する心は張り裂けんばかりだが、それでも、田舎の子供たちを子供らしい日々をすごす。
粗暴な子供が案外モテるというのは、ヨーロッパでも日本でも同じなんだな。イングマルはなかなかモテる(笑)。
アメリカに渡ってからのハルストレムなら、不幸なできごとがもっと波状攻撃になるところだが、本作は予感だけ漂わせて、寸止めで大した事が起こらない展開が多い。その予兆が的中したのは、シッカンの死くらいだな(でも、あんな田舎なら、別に犬くらい連れていっても問題なかっただろうに…)。
もう、鬱になるかグレるかしかなさそうな状況なのに、イングマルは周囲のおかしな人々から溢れる小さな愛で踏みとどまる。イングマルの楽しさと悲しさが渾然とした笑顔は、とても印象的。
そうこうしながら、イングマルは成長していく。サガも成長していく(最後はスカート穿いていたな)。色々あるけど、どんなにつらくても何とかなるよ…、たしかにハルストレムらしい。まあ、好みは別れるところだとは思うが良作。
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:ベン・アフレック
出 演: ベン・アフレック、ブライアン・クランストン、アラン・アーキン、ジョン・グッドマン、ヴィクター・ガーバー、テイト・ドノヴァン、クレア・デュヴァル、スクート・マクネイリー、ケリー・ビシェ、クリストファー・デナム、カイル・チャンドラー、クリス・メッシーナ、タイタス・ウェリヴァー、シェイラ・ヴァンド、マイケル・パークス、ロリー・コクレイン、ジェリコ・イヴァネク、キース・ザラバッカ、ボブ・ガントン、リチャード・カインド、リチャード・ディレイン、オミッド・アブタヒ、ペイジ・レオン、マット・ノーラン、J・R・カシア、ロブ・ブラウンスタイン、デヴィッド・サリヴァン、ジョン・ボイド、スコット・アンソニー・リート、エイドリアン・バーボー、リンゼイ・ギンター、テイラー・シリング クリスティーン・メンデス、ジェイミー・マクシェーン、マシュー・グレイヴ、クリストファー・スタンリー、フィリップ・ベイカー・ホール 他
受 賞:【2012年/第85回アカデミー賞】作品賞、 脚色賞(クリス・テリオ)、編集賞(ウィリアム・ゴールデンバーグ)
【2012年/第38回LA批評家協会賞】脚本賞(クリス・テリオ)
【2012年/第70回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、監督賞(ベン・アフレック)
【2012年/第66回英国アカデミー賞】作品賞、監督賞(ベン・アフレック)、編集賞(ウィリアム・ゴールデンバーグ)
【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】作品賞、監督賞(ベン・アフレック)
【2012年/第38回セザール賞】外国映画賞(ベン・アフレック)
コピー:この《実話》は、フィクションよりも大胆
1979年11月4日、イランの過激派は、圧政を敷いた前国王パーレビがアメリカに保護されたことを知り、アメリカ大使館を占拠。海兵隊員とその家族を人質にとり、前国王の身柄引き渡しを要求する。その際、6人の職員がカナダ大使館に脱出。脱出時に職員の写真つきの全名簿はシュレッダーにかけたものの、イラン側は復元を試みており、もし名簿が足りなければ、職員の数が合わないことが発覚し、周辺の捜索が始まることは必至。そして、見つかれば処刑は免れない。この絶望的な状況に、国務省はCIAに援助を要請し、CIAの人質奪還の専門家トニー・メンデスが召集される。彼は、架空の映画企画をでっち上げ、隠れている6人をロケハンに来たカナダの映画クルーに仕立て上げて出国させるというアイデアを思いつく。さっそく特殊メイクの第一人者ジョン・チェンバースや、大物プロデューサーのレスターらの協力を得て、ボツ脚本の中からイランの砂漠が舞台になりそうなSF冒険映画『アルゴ』を見つけ出す。そして、その映画が偽者だと疑われないように、事務所を立ち上げて製作記者発表を盛大に行うのだったが…というストーリー。
実話ベースの作品は何だかんだいって、実話であること自体が盛り上がりを疎外する要素になってしまい、尻すぼみになるのが大半。でも本作は違った。あまりにも事件自体が荒唐無稽で、フィクションの作為的な盛り上げなんかを平気で超えている。そして、それが最近まで極秘だったという事実が生む、目新しさと緊張感。
電話に出られるかどうか?! 空港のゲートを通過できるか否か?! 飛行機は領空を越えることができるか否か?!はっきりいってベタベタな演出。でも事実なんだから、これでいいのだ。ヘタなサスペンスよりもハラハラできた。映画バカが真剣に協力したっていうシチュエーションも、映画好きとしてはたまらない。
純粋にこの事件がおもしろい…というのはもちろんだとして、リベラル派のベン・アフレックが、カーター時代のこのエピソードを選んだ理由は、ちょっと測りかねる。カーターは民主党だが、この出来事を彼の手柄だといいたいのか?それはないだろう。彼の中東政策の大半は失敗し、むしろ、この事件のきっかけを作ったのはカーターだといってよい。おまけに国内経済もボロボロに。歴代の無能大統領を挙げろを言われたたら、けっこうな順位で登場する人物だと思う。
#北朝鮮問題などに特使として顔を出すが、正直何の役にもたっていない(というか、邪魔な気がする)。
カーターはCIAの予算を大幅に削減していたのに、結局CIAに助けられちゃう。滑稽極まりないが、そんな無能が再選されるわけもなく、レーガンに座を奪われる。
#それにしてもよくカナダは面倒な役を受けたと思うわ。
今でも、イランとアメリカの関係は悪いと思うが、こんなに直球でイランの人々を直情的で愚かな人々と描いてよいのかどうか、そっちはそっちでハラハラする。バザールでカナダ人だといっているのに、白人と見るや罵倒しつづけて止まることのないじいさん。まるで猿の惑星に紛れ込んだみたいだった。
そこにジョン・グッドマンを持ってくるかぁ…安易なキャスティングだな…と思っていたが、エンドロールを見たらものすごく似てた(笑)。それどころか、脱出した6人もそっくりだった。
とにかく愉しんだ。久々に是非観るべき作品!と手放しでお薦めできる作品。
公開国:アメリカ
時 間:170分
監 督:ピーター・ジャクソン
出 演: イアン・マッケラン、マーティン・フリーマン、リチャード・アーミティッジ、ジェームズ・ネスビット、ケン・ストット、シルヴェスター・マッコイ、ケイト・ブランシェット、イアン・ホルム、クリストファー・リー、ヒューゴ・ウィーヴィング、イライジャ・ウッド、アンディ・サーキス、エイダン・ターナー、ディーン・オゴーマン、グレアム・マクタヴィッシュ、アダム・ブラウン、ピーター・ハンブルトン、ジョン・カレン、マーク・ハドロウ、ジェド・ブロフィー、ウィリアム・キルシャー、スティーヴン・ハンター、コナン・スティーヴンス 他
ノミネート:【2012年/第85回アカデミー賞】美術賞(Simon Bright、Ra Vincent、ダン・ヘナ)、メイクアップ&ヘアスタイリング賞(Tami Lane、Rick Findlater、Peter Swords King)、視覚効果賞(Christopher White、David Clayton、Eric Saindon、ジョー・レッテリ)
【2012年/第66回英国アカデミー賞】メイクアップ&ヘアー賞、音響賞、特殊視覚効果賞(R. Christopher White、David Clayton、Eric Saindon、ジョー・レッテリ)
【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】美術賞(Simon Bright、Ra Vincent、ダン・ヘナ)、衣装デザイン賞(リチャード・テイラー、アン・マスクリー、ボブ・バック)、メイクアップ賞、視覚効果賞
【2013年/第22回MTVムービー・アワード】恐怖演技賞(マーティン・フリーマン)
中つ国のホビット族のビルボ・バギンズは、魔法使いガンダルフから、トーリン率いる陽気な13人のドワーフたちの、失われた王国を取り戻すための旅に誘われる。ドワーフ族は、かつてエレボールにドワーフ王国を築いていたが、邪竜“スマウグ”に奪われて以降、あても無く彷徨う暮らしを強いられているのだった。ガンダルフは、旅の成功のためには、ホビットの忍びの能力が必要と考え、ビルボを推薦したのだった。危険な旅への同行にとまどうビルボだったが、持ち前の好奇心が騒いでしまい、仲間に加わってしまう。しかし、14人の前には、とてつもない険しい道のりと、ゴブリンやオーク、凶暴なワーグや魔術師たちが跋扈する危険な荒野が待ち構えているのだった…というストーリー。
ピーター・ジャクソンによる異常ともいえる世界観へのこだわり、そのクオリティは『ロード・オブ・ザ・リング』三部作と遜色なし。劇場では3Dで公開されており、技術的な向上は間違いなくあるのだが、2Dで観る限り前作と遜色は無く、グレードアップはしていない。
ストーリー的にも、大人数で旅に出かけるという流れに既視感満載。おまけに、ビルボとガンダルフ以外は全員ドワーフで、ガンダルフ以外は全員小さいという遠目で見栄えのしないパーティなのが、いまいちおもしろくない。イケメンのドワーフというのも、いまいちしっくりこないし。他のドワーフがコミカルなのに対して、不遜でプライドの高いトーリンというコントラストはあるものの、それほど魅力的なキャラではない。
さらに、前半は過去の出来事の説明的な回想シーンばかりで、話に入り込めない。前作のサムのように、影の主役的な存在がおらず、キャラクターの重層性というか、サブストーリー的にも不足気味。途中で、この度っていったい何がゴールなんだっけ?と本気で忘れてしまうくらい。正直、軽く眠くなる。まあ、エクステンドエディションばりに長いっていうのも、眠くなる理由ではある。
中盤を越えて、見覚えのあるエルフが出てきて、眠気が覚める。サルマンは、ちょっとの登場ながらもクソ野郎っぷりを発揮し、ケイト・ブランシェット演じるガラドリエルは、敵なのか味方なのか判然としないような不思議な魅力を発揮してくれる。ああ、同じ時間軸のお話なんだな…と締まりが出てくる。
あとは、バトルの波状攻撃と、ゴラムとビルボとの出会いと“指輪”の入手の経緯が並行で描かれる。決してうまい演出でもないし、テンポが特段良いわけでもないが、それなりの面白さ。まあ、前三部作で馴れちゃってるんだな。贅沢病だ。3Dで観ればもっとすばらしい迫力だったんだろう。
最後の終わり方をみると、続きを作る気マンマンみたい。というか、“続きがある…”ということから生まれる締まりの無さが、前作以上に漂っている気がする。これはよろしくないし、劇場に足を運ばせる吸引力が足りないといえる。ほとんど劇場に行かない私でも、前三部作は劇場で観たのだが、このシリーズはたぶん行かないだろう。
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ティムール・ベクマンベトフ
出 演: ベンジャミン・ウォーカー、ドミニク・クーパー、アンソニー・マッキー、メアリー・エリザベス・ウィンステッド、ルーファス・シーウェル、マートン・ソーカス、ジミ・シンプソン、ジョゼフ・マウル、ロビン・マクリーヴィー、エリン・ワッソン、ジョン・ロスマン、キャメロン・M・ブラウン、アラン・テュディック 他
コピー:昼は大統領 夜はハンター
あの大統領には、若き日から挑み続けた誰も知らない戦いがあった――。
開拓農民の家に生まれリンカーンは、地元の名士であるジャック・バーツが自分の母を不治の病にするのを目撃する。以降、母の命を奪ったバーツを探し続け、いよいよ追い詰めるものの、異形の姿に豹変し尋常ならざる身体能力により逃亡を許してしまう。その場に居合わせた青年富豪のヘンリー・スタージスから、バーツがヴァンパイアであると知らされる。リンカーンは、ヴァンパイアの生態を良く知るヘンリーの元で、斧使いのヴァンパイア・ハンターとしての修行を重ねていく。1837年、ハンターとして独り立ちしたリンカーンはイリノイ州スプリングフィールドに移住し、昼間はの雑貨店に勤めながら、夜はハンターをする二重生活を始める。彼は、ヴァンパイアたちが、奴隷制度を活用して黒人たちを食糧供給源としていることを知り…というストーリー。
ティム・バートン製作だが、お馴染みのキャストは一人もいないし、演出には微塵もティム・バートンらしさはない(それが悪いわけではない)。ヴァンパイアのバトルシーンなど、どこかで見覚えのある演出だなと思って観ていたが『ナイト・ウォッチ』のロシア人監督だった。ふわっと煙を残して消える演出とかね。確かに、ティム・バートンが持っていないセンスだとは思うが、じゃあ、それが革新的か?効果的か?と聞かれれば、“微妙”と答えざるを得ない。
ただ、本作は3D公開で、今回は2Dで観たので、その映像的面白さをすべて堪能したわけではないが…。
#『リンカーン弁護士』『リンカーン vs ゾンビ』そして『リンカーン』と、2012年はリンカーンだらけ。なんでやねん。
『ナイト・ウォッチ』の時もそうだったのだが、テンポはいいが緩急がないので一本調子でメリハリが薄い印象。そっちの世界に踏み込むときの、苦悩とかそういうものを描くのがにがて…というか描く気がない監督らしい。感情の機微とかそういう味付けがない。ヘンリーがヴァンパイアなった経緯などはわかったが、その後のリンカーンとの軋轢や彼自身の苦悩なども掘り下げが甘い気がする。キャラ設定だけが存在して、キャラが成長したり変化したり…が薄く感じるのはシナリオ上の欠陥ともいえる。
リンカーン大統領の史実とヴァンパイア・ハンターの生き様については、うまくまとめている。南北戦争あたりの雰囲気の再現ははすばらしいと思う。アメリカ人は学校の歴史の時間に必ず習う部分なので、ゾクゾクする人も多かっただろう。ハリウッド作品にしてはめずらしく子供が餌食になるな…と思ったが、史実だからできるわけだ。でも、こういううまい部分は原作からうまいのであって監督の力ではない。
“銀”の効能が不明瞭なところは、いまいち気に喰わない。ヴァンパイアにとって近づくのも危険なのか、さわらなければ問題ないのか、体に埋め込まれるくらいの傷でなければ効果がないのかいずれなのか。また、銀を運ぶには他の線路もあるのさ…といっていたが、別の坑道でもあったのか?それとも女性によるハンドキャリー?(さすがにそれはないよな…)。結局どうやって運んだのか、さっぱりわからない。ヴァンパイアの中ボス的な女をリンカーンの妻があっさり殺したのも、違和感あり。
細かいところは気にせずに、ノリだけで観るのが正解なんだろう。絶対深く考えちゃだめ。そうすれば楽しめる。極めて凡作だけど。
最後にひとつだけ苦言を言っておこう。リンカーンの妻の吹き替えをやった相武紗季の棒読みはひどい。小雪、剛力彩芽、眞鍋かをりに並ぶ。
公開国:アメリカ
時 間:131分
監 督:スコット・ヒックス
出 演: アンソニー・ホプキンス、アントン・イェルチン、ホープ・デイビス、ミカ・ブーレム、デビッド・モース、アラン・テュディック、トム・バウアー、セリア・ウェストン、アダム・ルフェーヴル、ウィル・ロスハー、ティミー・リーフスネイダー、ディアドル・オコネル、テリー・ビーヴァー 他
コピー:世界でほんのわずかな人しか持っていない[こころの力」をその人は持っていた。
不思議な力がむすびつけた ひとりの男と少年の こころの奇跡の物語。
50歳の写真家ボビー・フィールドのもとに、幼なじみの訃報が届く。久しぶりに故郷に戻ったボビーは、11歳の夏の出来事を思い出す。1960年の夏、父を幼い頃に亡くしていたボビーは、まだ若い母リズと田舎町で暮らしていた。リズは自分の洋服などにはお金を使うものの、息子の為にお金を使うことのない母親だった。ある日、空いている家の二階に、テッドという老人が下宿することになった。テッドは知的で物静かな人物だったが、目が悪くなった彼は、ボビーに新聞を毎日読む度に1ドルをあげるという仕事を与える。そして、もし町でいつもと様子の違うことを見つけたら、すぐに教えるように言いつけるのだった。父のいないボビーは、そんなテッドに親しみを感じていくが、ある時、テッドが人の心を読む能力の持ち主であることを知り…というストーリー。
スティーヴン・キング原作。幼い頃を思い出す形式のグローイングアップムービーとしては『スタンド・バイ・ミー』が有名だが、個人的には本作のほうが好きだったりする。キングお得意の“超能力”設定が混ざっているのも良い。ジャケット画像が、アンソニー・ホプキンスのどアップなんで、こんな爽やかなお話だと思ってない人も多いだろうね。
はっきりいって状況的には全てバッドエンドだといっていいのだが、そのバッドエンドの先にあるほろ苦さが、他作にはない味わいになっている。
(以下、少しネタバレ)
善戦むなしくテッドは連行されてしまう。その時ボビーに「君のことは何があっても忘れない」といい、孫と子のように年齢が離れている二人の友情が素敵。手を合わせたときに、再び能力が移ってしまって…みたいな『グリーンマイル』的な展開かと思ったが、そうじゃなかったのも良いさじ加減。
キャロルが年長の男の子から殴られてしまうのだが、彼女を背負って森を抜けるボビーを純粋に応援して観ることができた。サリーの葬儀だったんだけど、キャロルも実は死んでいることを知ってショックを受けるテッド。その後の彼女の娘との出会いもなんともほろ苦い。その後、娘となにか付き合いが続くとも思えないが、自分と出会わなくても、特別に幸せとは言えなそうだがそれなりの人生だったことを知って、ボビーは何となく納得できたのかもしれない。そして、もしかするとテッドは、そんな将来まで予測していたのかな…と。
テッドとはその後も一度も出会うことなく、リズがいい母親になったかどうかもわからない。なんでボビーがキャロルに一度も手紙書かなかったのか、はっきりと明かされない。この辺りが踏み込みが足りないというかメリハリがないと感じる人も多いかもしれない。でも、私は好き。お薦め。
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:スティーブン・ソダーバーグ
出 演: テレンス・スタンプ、レスリー・アン・ウォーレン、ピーター・フォンダ、ルイス・ガズマン、バリー・ニューマン、ジョー・ダレッサンドロ、ニッキー・カット、ルイス・ガズマン 他
ノミネート:【1999年/第15回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、監督賞(スティーヴン・ソダーバーグ)、主演男優賞(テレンス・スタンプ)、助演男優賞(ルイス・ガスマン)、脚本賞(レム・ドブス)
コピー:娘が死んだ理由<わけ>を教えてくれ。
9年の刑期を終えて出所した男ウィルソンは、一人娘のステイシーがロスサンゼルスで事故死したという手紙を受け取る。死因が納得いかないウィルソンは、手紙の差出人で娘の知り合いだったエドを訪ねるが、彼も事故死だったと語る。どうしても納得いかないウィルソンは、一人で娘と係わり合いのあった人物を洗い、大物音楽プロデューサーのテリーと関係があることをつきとめる。また、麻薬取引も関係していることを知り…というストーリー。
冒頭の15分くらいは、謎の男が娘の死の真相を、異常なまでの執着で追求する緊張感の溢れる展開だった。なぜ、そこまで事故死ではないという確信があるのだろう。父親とはいうが、なんでここまでできるのだろう。どうも堅気の人間じゃなさそう…と、謎に溢れたキャラクターが相まって、興味が大変膨らんでいった。
しかし、随所にフラッシュバック的な編集が多用されるが、多用されすぎて実にうっとおしく、飽き飽きする。
さらに、かなり早い段階で、娘が大物プロデューサと付き合っていることがわかり、また、麻薬取引が絡んでいることがわかる。途中で麻薬取締官が登場し、話が大きくなっていくのかと思ったが、ただ、麻薬取引が絡んでいることを追加説明した以上に何もなかった。
結局、何か新たな事実はなく、犯罪者の父と娘の距離感をノスタルジックかつウェットに演出しただけ。正直、その娘との思い出も、あまりうまく描けていないと思う。で、展開的には冒頭で明らかになった事象以外に、何一つ存在しないストーリーだった。
ラストのイギリスへ向かう機内でのセリフだが、何一つニヒルでもなく格好良くもない。無骨ながらダサかっこいいとか、そういう感じでもない。犯罪者として強烈な狂暴さを見せたわけでもなく、アクションも老いかけのジジィだったし。執念からどんどん汚れていく様が描かれていないから、私には渋い男には映らなかったんだと思う。
なにかが噛み合っておらず、エンストしかけてガクンガクンしながら、走ってるような印象。なにかしっくりこない作品。
公開国:アメリカ、フランス
時 間:147分
監 督:ミシェル・ゴンドリー
出 演: ティム・ロビンス、パトリシア・アークエット、リス・エヴァンズ、ミランダ・オットー、ロージー・ペレス、メアリー・ケイ・プレイス、ロバート・フォスター 他
コピー:自分を猿だと思い込んでいる男×宇宙イチ毛深い女×ネズミにテーブル・マナーを教える博士
異常に毛深い体質の女性ライラは普通の生活ができず、見世物小屋などで稼いでいたが、そんな生き方に嫌気がさして、人間社会から逃避して森で自然と共に暮らす。その体験を本にして多額の印税を得ることができたが、性的に男性を求める欲求を抑えることができず、都会生活に戻って全身脱毛を試みる。ライラは全身脱毛の施術師から一人の男性を紹介される。その男はマナーに異常な執着を示すネイサン博士。礼儀こそ人間と獣を別ける文明社会の基本と信じて疑わない人間で、ねずみにテーブルマナーを学ばせる研究に没頭している。二人はある日、森にデートにでかけたが、そこで幼いころから類人猿として育てられた男に遭遇。自分の研究に最適な対象をみつけたネイサンは、彼を“人間”に教育するために研究室に連れて行き、パフと名づける。次第に上品なマナーと知識を覚え、紳士に教育されていくパフ。一方、ネイサンはライラと結婚したが、助手のガブリエルの誘惑に、心が揺らいでおり…というストーリー。
脚本は『マルコヴィッチの穴』のチャーリー・カウフマン。
容姿が獣のようでありながら精神は人間の女。容姿は人間だが、獣として育てられた男。マナーという人間の行動に価値を見出し執着する男。この三者の奇異な行動と通して“人間らしさ”とはなにかを浮き彫りするお話。荒唐無稽ではあるけど、コメディに分類していいかは少々疑問。
この奇異な設定だけでなく、三者とも作中で変化を遂げる。この点はさすがチャーリー・カウフマン。シナリオとは人間の変化を表現するもの…という鉄則ははずさない。
ライラは人間社会にうんざりして自然で生活するが結局人間社会に戻る。しかし、再度目覚めて自然に帰る。さらにラストでは、罪を背負って人間の醜さを主張し、獣としての清さを守った彼女は、皮肉にも人間の規範の象徴である刑務所に入る。この作品の中で一番振幅の激しいキャラクター。
#あんなに体毛生えてきたらツラいよな…って思うだろうけど、実際いるからなぁ。
ネイサンは文明的人間の象徴だが、その生い立ちは苛烈な躾によって偏執的にマナーにこだわるようになってしまった男。そんな彼が、性欲というもっとも生物らしい欲求に振り回される。その精神の醜さは獣にも劣る男。
パフは、類人猿として成長し、あとから人間の行動規範を押し付けられる。彼も目覚めて自然に帰るが、ラストでは人間社会の虜になってしまう。ライラとは別の形で。人間の汚さに完全にまみれながらも、自由を教授する結果に。
ラストは好みが分かれるところだろう。もう少し、インパクトのある展開を望む向きは多いかもしれない。ネイサンの殺害までガブリエルの策略とするか否かが…、それがシナリオとして得策か否か、不自然ではないか…色々考えるとことではある。
獣としての姿が人間の本質、それが自然の姿だ!いや、人間の本質って、小汚い姿のそれだから…。いろいろ価値観を変遷させられる作品である。まあ、人間の生活=不自然…みたいな原始生活こそ理想みたいな価値観へのアンチテーゼにはなっているだろな。それなりに長く文明社会を築いてきたのだから、ある意味それが自然なんだろう。動物は自分のことを自然とも不自然とも思っていない。省みることこそ不自然。でも省みることができる能力こそ人間特有の者。ということは不自然こそ人間。もう禅問答みたいだよね。
まあ、人は醜い。それはそれとして素直に受け入れろ!そういう作品かな。他のチャーリー・カウフマン作品と比べると小粒かもしれないが、良作。
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:M.ナイト・シャマラン
出 演: ブライス・ダラス・ハワード、ホアキン・フェニックス、エイドリアン・ブロディ、ウィリアム・ハート、シガーニー・ウィーヴァー、ブレンダン・グリーソン、チェリー・ジョーンズ、セリア・ウェストン、ジョン・クリストファー・ジョーンズ、フランク・コリソン、ジェイン・アトキンソン、ジュディ・グリア、マイケル・ピット、フラン・クランツ、ジェシー・アイゼンバーグ、チャーリー・ホフハイマー、スコット・ソワーズ、M・ナイト・シャマラン 他
ノミネート:【2004年/第77回アカデミー賞】作曲賞(ジェームズ・ニュートン・ハワード)
【2005年/第14回MTVムービー・アワード】ブレイクスルー演技賞:女優(ブライス・ダラス・ハワード)
コピー:その《地上の楽園》は、奇妙な《掟》に縛られていた・・・。――何故?
1897年、ペンシルヴェニア州。深い森に囲まれた人口60人ほどの寒村があった。村人たちは自給自足の生活を営んでる。村では、外部の町には恐ろしい人々か暮らしており、接触するとひどい目に合わされるだけでなく、この村の平和も脅かされると教育がされている。さらに村には、周囲の森には怪物がいると伝えられており、森に立ち入らないという“掟”さえ破らなければ怪物が村人を襲うことはないとされていた。ある日、家畜が不気味な死体となって発見されたのを機に、平穏な村で何かがおこり始める。鍛冶職人のルシアス・ハントと村の指導者エドワード・ウォーカーの盲目の娘アイヴィーが結婚をすることに。しかし、村の青年の一人で精神のバランスを崩した男ノアは、ルシアスに嫉妬して彼を刺し重症を負わせてしまう。アイヴィーは瀕死のルシアスを救うために、村にはない医薬品を森の外の町に取りに行くことを申し出る…というストーリー。
昨日の『ビッグ・フィッシュ』と同じく、時間を置いて観返すと、じわじわと味わいが増す作品。この作品、実は良く出来てる。
100年前の設定とはいえ、アメリカには今でもアーミッシュのような人たちが存在するので、そのリアリティたるや我々日本人が感じるのとは若干異なると思う。
(いきなりだが、以下ネタバレ)
ジジィとババァたちが、社会に嫌気がさして、周囲から孤立した村をつくったのでした…だけでなく、年代までトランスしてしまっていたという、オチの二重構造。
さらに着眼点を予想すると、また味わい深い。第一世代は、全員が心に傷を負って、カウンセリング治療を受けていた仲間だということ。さて、その心の傷は、都市社会、現代文明の中でなければ、負うことのないものばかりではないか?という切り口。確かにその通りで、単なる病んだ人の忌避行動だと、無碍に笑えなかったりする。
数世帯しかいないような村がこれから継続できるわけなんかなかろう…と誰もがツッコミたくなるところだか、そんなツッコミは無意味。だって、心が病んでしまって、なによりも文明社会から遠ざかりたいことが一番の人たちなんだもん。そしてそこまでやっちゃう実行力と経済力はあるんだから、ある意味狂っているの。もう、意義をさしはさむ余地のない説得力(力技だけど)。
指導者エドワードが、「皆がこれ以上続けたいと思うならば…」という言葉の後、アイヴィーが帰還する。彼女に近づく第一世代のババァたち。それを掻き分けてルシアスに寄り添うアイヴィー。さて、果たして、この茶番は継続されるのか否か。
#エドワードとルシアスの母親の、手を触る触らないのくだりは、もうちょっと主筋…というか第一世代の心に変化が生じている…という描写に強く絡められるとよかったと思う。
エドワードや男連中これ以上続けることに無理があると思い始めている節がある。それは、彼らの心の傷が回復したことを意味するのではなかろうか。ずいぶん長く、そして無関係の子供を巻き込んだ、罪な治療方法である。そのエゴ満開の末に残った罪を購うことはできるのか。結局はできずに惰性で続けてしまうのだろう…等々、この投げっぱなしの終わり方が案外ちょうどよい。
当時、何だこりゃと思った人も、改めて観てみることをお薦めする。
公開国:アメリカ
時 間:125分
監 督:ティム・バートン
出 演: ユアン・マクレガー、アルバート・フィニー、ビリー・クラダップ、ジェシカ・ラング、ヘレナ・ボナム=カーター、アリソン・ローマン、ロバート・ギローム、マリオン・コティヤール、マシュー・マッグローリー、ミッシー・パイル、スティーヴ・ブシェミ、ダニー・デヴィート、ダニエル・ウォレス、トレヴァー・ガニョン、デヴィッド・デンマン、マイリー・サイラス 他
ノミネート:【2003年/第76回アカデミー賞】作曲賞(ダニー・エルフマン)
コピー:人生なんて、まるでお伽噺さ。
ジャーナリストのウィル・ブルームは、自分の結婚式で父エドワードが、ウィルが生まれた時のエピソードとして巨大魚の話をして注目を浴びる様子をみて以来、そんな父親に嫌悪を感じ、3年以上疎遠になっていた。エドワードは、自分の人生を脚色して話すことで有名な男だったが、ウィルも子供の頃はそんな父の話を聞くのが大好きだった。片目で未来を見せる魔女、故郷の村で出会い旅仲間となった大巨人カール、人を誘い捉える町…etc。そんなある日、母から父が患っていた病が悪化したとの連絡が入り、出産間近の妻ジョセフィーンと一緒に実家に帰ることに。エドワードは一日のほとんどをベッドで過ごしていたが、相変わらずホラまじりの思い出話ばかりを繰り返していた。ジョセフィーンは義母とのエピソードを聞き感動していたが、ウィルはこの期に及んでそんな話をしている父に苛立っていた。彼はホラ話ではなく、本当の父親の姿を知りたいを心の底で願っていたからだった…というストーリー。
製作の前年に父親を亡くしたティム・バートンが手掛けた作品だが、別にティム・バートンがシナリオを書いたわけではなく、原作がある作品。
『マーズ・アタック!』⇒『スリーピー・ホロウ』⇒『PLANET OF THE APES 猿の惑星』ときた後に本作だったので、毛色の違いに当時はガックリ来たものだ。内容がウェットな点は文句はなかったのだが、もっと奇抜な映像表現を期待していた。でも、それはあくまでその時自分が求めていたものとのギャップがあったからであって、作品自体に大きな問題があったわけではなかった。その証拠に、この作品は、観返す度に味が増してくる。
父親のほら話にうんざりする息子の気持ちはわからないでもないが、別に害のない話だし、目くじらを立てるような内容でもない。父親の本当の姿がわからない!と息子は主張するが、本当にそれが聞きたかったのだろうか?
じゃあ、父親が、実はこうだったのだよ…と、逐一説明して、それが何になったというのか。おそらくそれを聞いた息子は、父親は朝鮮戦争のヒーローで、町を一つ再建させたものすごい男なのだ!と、満足してそれでおしまいだったんだろう。社交的な反面照れ屋だっていうことも影響しているのだと思うが…。
#なんで、あの町を救おうとあそこまで思ったのは、説得力が不足してる気はするけど。
で、臨終の際で、ホラ話を嫌っていた息子が、父親にホラ話を聞かせる。父子の間ってのはピンポンでやりとりして完結ではない部分がある。次の世代へと引き継ぐことが答えということがある。
その後の葬式で、ホラ話から飛び出したように、父の死を悼む人が続々集まってくるという、振幅が面白い。泣ける…とはちょっと違う感覚が味わえる良作。
#ティム・バートンから奇抜さを抜くと、不思議なことにフェデリコ・フェリーニみたいになるんだな。
公開国:アメリカ
時 間:92分
監 督:オリヴィエ・メガトン
出 演: リーアム・ニーソン、マギー・グレイス、ファムケ・ヤンセン、ラデ・シェルベッジア、リーランド・オーサー、ジョン・グライス、D・B・スウィーニー、ルーク・グライムス、ケヴォルク・マリキャン、アラン・フィグラルツ、オリヴィエ・ラブルダン、ルネル 他
コピー:迷宮の街 イスタンブール。
悲しいほどの父の愛が、再び暴走を始める。
娘キムを誘拐した人身売買組織を一人で壊滅した元CIA秘密工作員のブライアン。現在は、事件のトラウマを払拭しようとするキムを、車の運転を教えるなどして援助する生活を送っているが、娘の恋人との交際に鑑賞するなどして鬱陶しがられている。ブライアンは元妻レノーアが現在の恋人とうまくいっていないことを知り、二人を海外旅行に誘う。その後、イスタンブールでの仕事を終えたブライアンと、レノーアとキムが現地で合流。しかし翌日、バザールに出かけたブライアンとレノーアは、謎の男たちの襲撃を受け拉致されてしまう。男たちは、二年前の事件でブライアントに息子を殺されたアルバニア人のムラドの部下たちだった。ブライアントは密か携帯電話でキムに緊急事態を告げ、部屋のクロゼットに隠れるようにと指示するのだったが…というストーリー。
前作は非常に愉しませてもらった。しかし冒頭の展開をみると、どうせ、また娘が誘拐されちゃうんでしょ?という二番煎じがプンプンする。さすがにそれはマズいのでは?という感じ。あれだけ海外でイヤな目にあっているのに海外旅行、それも中東って…と。おまけに夫婦だけ別行動とか…。
ああ、ダメかも…と思わせておいて、さらわれるのは夫婦の側という展開に。これは、なかなかのスカしっぷり。さらに娘に救出の手助けをさせる流れに。おまけに手榴弾を街中でブッ放つように指示するとか~。何とか、無理やり続編として意味のある域まで持っていった感じ。
ただ、敵に問題がある。敵のアルバニア人だが、自分の息子が殺されたことで怒りに震えるのはいいが、息子が犯罪組織、それも人身売買組織というみっともない行いをしていたことは完全無視で、復讐の鬼になる。あまりの理不尽さに呆れるレベル。その理不尽さを狂気のレベルまで発展させれば、逆にとてつもない恐怖に繋がるのだが、普通の武装集団以上に描けてはいない。
さらに、妻救出のために、単独行動をしなければいけない理由はない。娘の身柄確保だけでなく、支援を要請することに何の問題もないはず。前作では、バックアップ協力をしてくれた相棒は、今回は電話しても不在か、大使館への連絡しかしていない。このあたりもうまく活用すれば、もっと盛り上がったかもしれない。
結局、敵のボスの小物っぷりを発揮して終焉。盛り上がりに欠けてしまった。復讐の連鎖…というオチ以上に、もう一枚、ストーリー上の仕掛けが欲しかった。
リーアム・ニーソン演じる引退したロートル工作員というキャラクターは、結構魅力的なので、これが最後というのはもったいない気がするのよ。娘のマギー・グレイスも妻のファムケ・ヤンセンも老けすぎだし、続編をつくるなら家族から離れたストーリーにしたほうがよいのかもしれないが、かといって、このキャラクターが家族のピンチ以外に力を振るうとも思えないし。そうだ、次にさらわれるのは孫だな(笑)。
でも、孫が先天性の病気で96時間以内に治療しないと云々…っていうのはNGね。
#96時間関係ないやん!と思うだろうが、邦題の勇み足だから仕方が無い(笑)。
公開国:アメリカ
時 間:75分
監 督:クライド・ジェロニミ、ハミルトン・ラスケ、ウィルフレッド・ジャクソン
出 演:キャスリーン・ボーモント、ビル・トンプソン、パット・オマレイ、スターリング・ホロウェイ、エド・ウィン、ジェリー・コロンナ、ヴェルナ・フェルトン 他
ノミネート:【1951年/第24回アカデミー賞】ミュージカル映画音楽賞(オリヴァー・ウォーレス)
昼下がり、木陰で姉の読むイギリスの歴史本の読み聞かせに飽きたアリス。すると突然アリスの横をチョッキを着た白いウサギが駆け抜けていく。大きな懐中時計を持って慌てているウサギをアリスは追いかけてトンネルに入り込み、その先の穴に落ちてしまう。落ちた先でウサギを見つけ、さらに追いかけると、狭い部屋に迷い込む。小さいドアを開けようとすると、ドアは「大きすぎて入れない」からと拒否。アリスが途方にくれていると、テーブルの上に小瓶が出現。そこには“私を飲んで”と小さな紙切れが添えてあった。書かれているとおり飲んでみると、アリスの体はどんどん縮んでしまい…というストーリー。
ディズニーランド30周年ということで、関連作品がTV放送されていますな。録画したものを観せていただいた。
原作にはもっと色々な言葉遊びや仕掛けがあり、ラストの「たぶんあなたは…、もういいわ」意味深な姉のセリフなど性的な隠喩も多く含まれるが、必要な取捨選択が的確に行われていると思う。サイケデリックともいえる彩色は、これでもか!というほどの原画の書き込みと相まって酔いを誘発するほど。キャラクター達のフォルムや動作はかなりグロテスクだが、この毒がいい。一周まわってアリ…というか2周まわって上質の現代アートに昇華している感じ。動画が映せるフォトフレームに入れて壁にかけておけば、立派な現代アートだよ。
ウーピー・ゴールドバーグがチシャ猫を演じた『アリス・イン・ワンダーランド/不思議の国のアリス』は、本作をただなぞって実写化しただけの劣化コピーだし、ティム・バートンの『アリス・イン・ワンダーランド』は、蛇足な続編で、いずれも3歩も4歩も及ばない。
夢オチは大抵興醒めするものだが、そうならない唯一の作品かもしれない。
公開国:日本
時 間:29分
監 督:折田至
出 演: 速水亮、小林昭二、早田みゆき、小坂チサコ、小塙謙士、水の江じゅん、富士野幸夫、新草恵子、小松陽太郎、山田芳一、森裕介、 和田久夫 他
神敬介と立花藤兵衛は、オートバイレースのトレーニング中に、かつて倒したはずの怪人たちの襲撃を受ける。反撃するものの怪人たちはあっさりと引き上げてしまい、敵の意図を測りかねるXライダー。その後、GODアジトでは、怪人コウモリフランケンが立ち上がった。実は、怪人たちはXライダーのデータを採取するために、闘いを仕掛けていたのだった。Xライダーを上回る能力を備えた怪人だけに大苦戦。1号、2号、V3、ライダーマンたちの協力により、なんとか怪人軍団を撃退する。一方、マサルとエツ子たちからの情報により、GODが“東京カラカラ作戦”を遂行していることを知った5人ライダーは、GODのアジト“奇岩城”へ向かうのだったが…というストーリー。
こんな短い作品のレビューを書くのはいかがなものかと思うが、仮面ライダー映画の中では、いささか珍しい作品…というか事情があるので、改めて鑑賞してみた。ちなみに、本作は「仮面ライダーMOVIE BOX」の2巻目に収録されており、東映まんがまつりの一作である。
仮面ライダーV3は1号2号から改造されたという、明らかな連続性があったのだが、仮面ライダーXには当初その繋がりは無かった。終盤になってくると藪から棒に先輩ライダーがちょこちょこでてくるようになる(まあ、視聴率の問題か、子供たちへのサービスだろう)。そして、最終的には、本作のタイトルのような“五人ライダー対キングダーク”でTV放送を最終回にするという予定だったらしい。ところが、何故か急遽やめてしまう。色々理由は語られているが、どう考えてもその流れが自然。最終回までに、先輩ライダーが一人二人と順番に客演していったのだから。
TV放映でそのアイデアを止めたからといって、映画でそれをやるわけにもいかず、追い詰めたキングダークはまぼろしでした…という、わけのわからないオチでお茶を濁してしまう。実に残念。でも、ウルトラマンAでウルトラ兄弟という概念ができたように、ライダーは共闘しているという世界観が明確になった作品である。
また、本作は『ハヌマーンと5人の仮面ライダー』というタイの珍作を生んだことでも有名(たまにyoutubeとかに転がってる)。本作に配給権を売っただけだったのに、勝手にタイで編集してしまうというダイナミックさ。オリジナルストーリーの部分は、アトラクション用衣装の流用や自作マスクを利用しているのだが、デキがあまりにひどい(デキの悪いライダーマンのマスクの下から中の人の目がのぞく)。猿の神様ハヌマーンが出てくるのはもちろんだが、等身大のキングダークが大活躍(?)など、本作とのギャップが著しくて、ある意味伝説…というか闇歴史。
ちなみに、本作自体も結構ポンコツで、ライダーマンの、武器を装着する腕が左右逆になっているというミスがある。ライダーファンは、きっと再改造を受けて、両手に武器を付けられるようになったに違いないという裏設定を作って、無理やり納得していたりする(半分、冗談だけど)。
まあ、本作もノスタルジー作品だね。
公開国:日本
時 間:146分
監 督:舛田利雄
出 演: 納谷悟朗、富山敬、麻上洋子、神谷明、青野武、仲村秀生、緒方賢一、永井一郎、安原義人、柴田秀勝、阪脩、大林丈史、平井道子、小林修、広川太一郎、井上和彦、野村信次、山下啓介 他
西暦2199年。地球は突如、ガミラス帝国を名乗る勢力から遊星爆弾による攻撃を受け、放射線汚染により地表の生物は死滅してしまう。人類は地下へ逃げ延びるが、汚染は地下にも及びつつあり、人類滅亡まで1年ほどと予測された。そんなある日、はるか14万8千光年の彼方にあるイスカンダル星から宇宙船が飛来。中にいた一人の女性乗組員は既に死亡していたが、メッセージを携えていた。イスカンダルには放射能除去装置“コスモクリーナー”があり、メッセージと一緒にあった“波動エンジン”の設計図を元に宇宙船を製造しイスカンダルまでやってくれば提供する用意があるという内容だった。早速、第二次世界大戦中に海中に没した戦艦大和を宇宙戦艦に改造し、沖田艦長を筆頭に、古代進や島大介、森雪ら若き戦士は、宇宙へと旅立つのだったが…というストーリー。
なにやら、『宇宙戦艦ヤマト2199』とかいうのをTVでやっていたので、思い出して鑑賞。新しいのは絵柄が好みじゃないな。
“宇宙戦艦ヤマト”シリーズといえば、子供の頃、よく水曜ロードショーなどで放映されていたが、夜更かしのできない私は、大抵10時すぎに寝てしまうので、全作オチを観たことがないという…。TVの前にテープレコーダーを置いて(結線せずに)録音したしていたが、途中で「寝るならベッドで寝なさい」とかいう声が入る(笑)。
TVシリーズのダイジェスト版なのだが、別にがっかりする必要はない。半分以上のエピソードが一話完結の小ネタなので、本作でまとめた程度がちょうどよかったりする(アステロイド・ベルトのエピソードなど、印象深いものもあるのだが)。ヤマト発進から、シュルツとの攻防とワープ&波動砲の披露、ドメル艦隊との七色星団戦、ガミラス星での採集決戦、このくらいで十分である。
ただし、森雪の戦死⇒復活はカット。さすがに、流れをちょん切ると思ったか。
子供向けアニメとはいえ、改めてみるとツッコミどころが満載。ガミラスはなんで遠くの地球なんぞに眼を付ける前に、近所のイスカンダルに住もうとしなかったのか(ここを膨らますだけで、サイドストーリーが一本できるくらいの問題だと思う)。豊かな自然環境の地球が欲しいわけではないのは、わざわざ惑星改造が必要だったことから明白。もっち近場で適した星はあったに違いない。
第三艦橋は、ドメルの自爆によって破壊され、ガミラス星の決戦では熔け落ちたにも関わらず、イスカンダル到着時には復活。どういうことやねん。
古代進のセリフからは、イスカンダルにはスターシャくらいしか人がいないような感じなのに、真田さんのセリフだとイスカンダルの技師がいるような感じ、でも誰一人出てこない。どういうことや。
最後に、ヤマト乗組員の生存者67名、死亡者47名って、もっと人いたよね…。
まあ、正直、目くじら立てるつもりはない。『宇宙戦艦ヤマト』ってさぞや大ヒットしたんだろうと思われがちだが、TVシリーズは実際打ち切り状態で、最後は端折ってるからね。だから最後はワープにワープを重ねて終わらせてるとか…。TV版の後番組が“すばらしい世界旅行”(ドキュメンタリー番組ね)だったのをみると、よほどダメ番組だと判断されたんだろう。
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』もそうだったけど、荒さは勢いだからね。
ちなみに、本作が劇場公開された時の内容は、“スターシャ死亡版”といわれるものだったらしい。イスカンダルに到着すると既にスターシャは死亡していて、コスモクリーナーはオートメーションで引き渡される。よって、ヤマトといえばこのシーンというくらい有名な古代守は出てこないとのこと。後のシリーズとの整合性は取れないけれど、一つのストーリーとしてはそっちのほうが良いような気がする。
ノスタルジー。個人的には、ただそれだけの作品だが、フリークといわれる層が初めて発生した金字塔的アニメ作品。
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:ジョン・カーペンター
出 演: クリストファー・リーブ、カースティ・アレイ、リンダ・コズラウスキー、マーク・ハミル、マイケル・パレ、メレディス・サレンジャー、カースティ・アリホ、トーマス・デッカー、リンジー・ホーン 他
ノミネート:【1995年/第16回ラジー賞】ワースト・リメイク・続編賞
カリフォルニア州の海沿いの小さな町ミッドウィッチ。ある日、町の全住民が午前10時に気を失ってしまうという現象が発生する。異変に気付いた周辺の警察組織が救援に向かうものの、町に近づいた人間も気を失ってしまうという状況で、何もできずにいた。その後、6時間が経過すると全員が目を覚ましはじめる。一部の人間は、気を失ったことで事故をおこして死亡してしまったが、大半の住民は特に問題はなく、日常生活に戻っていった。しかし後日とあることが発覚する。町の女性10人が妊娠していたのだ。住人が困惑する中、政府は研究に協力することで費用の援助を申し出る。夫が不在であったり、男性を交際したことのない者まで妊娠していたことから、中絶を選択する者もいると予想されたが、ある日を境に出産することに迷いを抱くものは誰一人いなくなっていた。やがて、女性たちは同日に出産。一人だけ死産だったが、5人の男の子と4人の女の子が誕生する。すくすくと成長する子供たちだったが、光る眼で大人たちの精神を操るよういなっていき…という
ストーリー。
ジョン・カーペンターのハズレ作品は、大ハズレであることが多い。本作はそれだと思う。リメイク作品らしいのだが、とても前作を踏まえて作り直されたとは信じがたいレベルである。
妊娠が発覚し、混乱しつつも全員が出産するという流れまでは、そこそこ面白い展開である。ところがそれ以降がトーンダウンしてしまう。むしろ、そこからが本題なのだが、イマイチなのだ。
精神が読まれるだけでなく支配されるというのは大変恐ろしい能力だと思う。これの能力を小憎らしいほど巧みに使えば、ゾっとするお話になったことだろう。そう、ならないのは何故か。
同様の現象が発生した地域が世界各国にあり、同じような状況になっていると、作中で語られる。しかし、ミッドウィッチ以外は爆破されたと。もう、私たちしか残っていないので、絶対に生き残ってみせる…という趣旨のことを子供たちは発言する。
でも、冷静に考えれば、何でそうなるのかは明白である。子供のうちから安易に能力をつかって大人たちに敵だと認識させたからである。もう少し怪しまれないように潜伏して、大人になってから社会に紛れれば、世界征服なんか簡単にできたと思う。地球人の情報もそこそこ学習したであろうに、我を通して自分たちの奇異な行動様式を隠そうともしない無策っぷり。他の地域では、あっさり魂胆がバレて、町ごと爆破されてしまったのだ。
たしかに恐ろしい能力かもしれないが、他では対処できたんだから、この町でも対処できちゃうだろう。急に恐怖にレベルが下がってしまう。
また、感情の有無に、ストーリーの焦点を当てた意味が無くなってしまっているのも敗因。感情=慈悲や愛…みたいなノリで展開するのだが、感情とはそれだけではないだろう。死産だった子供のホルマリン漬けを発見するシーンがあるのだが、それを見つけるシーンの意味があっただろうか。だって、彼らは感情が無いんだから、それに対して怒ることもないだろう。そうなのだ、感情が無いのなら、痛いと思いをさせられたからって母親を超能力で折檻するという行動には出ないはず。別にあの女博士が殺したわけではなく死産だったことは、頭の中を読めばわかったはず。なのに、残虐な方法で殺すということは、同胞を殺された怒りがあったからに相違ない。目的遂行のための障害の排除という意味ならば、一番効率の良い殺し方を選択するのにそうしないのは、実に矛盾している。
結局、パートナーのいない男の子にに感情を湧かせることがポイントのような流れにしておきながら、そこは全然ポイントにならずじまい。この設定は不完全燃焼だ。
ラストの陳腐さは、「心を読まれない方法をみつけたんだ。海の映像を思い浮かべるんだ!」に極まれる。そう言っていたのに、いざ心をブロックするときはレンガの壁でブロックするという方法。妻との思い出の中にある海じゃないんかい。変なの…。
スーパーマンのクリストファー・リーブに、ルーク・スカイウォーカーのマーク・ハミルの競演ということで、ちょっと期待したが、完全に裏切られた作品。駄作といってよいだろう。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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