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image2067.png公開年:2011年
公開国:中国
時 間:97分
監 督:デイヤン・エン
出 演:ケヴィン・スペイシー、ダニエル・ウー、コン・ベイビー、ピーター・ストーメア、ヤン・ニー、ケネス・ツァン 他





両親の事故死や妻の流産を経て、リーと妻との関係は冷め切っていた。おまけに会社では、不正の隠蔽に加担させられ良心の呵責でストレスが溜まる一方。精神的に追い込まれた彼は、自殺を図るが、偶然訪ねてきた隣の部屋に住んでいるという西洋人チャックに救われ、一命を取り留める。その後、リーが追い詰められる度にチャックが現れ、親身になってリーの相談相手となり、少しづつリーの心に明るさがもどってくる。そして、チャックは、仕事上の問題や妻との関係を修復するためのステップとして“世直し”を提案する。リーは手作りのコスチュームを着込み、市民へ奉仕するために、街にくりだすのだったが…というストーリー。

DVDジャケットの画像を見ると、『キック・アス』や『スーパー!』の二番煎じ、三番煎じとしか思えない。ただ、ケヴィン・スペイシーが出演していて、且つ中国映画ってどういうことだ…と。普通に考えれば、話題作になって然るべきなのに、それほどでもないのは何故か…と。ダメもとでの興味、それだけでレンタル。

ケヴィン・スペイシーが出ているくらいだから、もっと洗練されているのかと思ったが、状況説明のシーンなんかは、いかにも中国圏的編集。はっきりいって構成はダサい。かろうじてカメラワークが、ハリウッド然としているので、田舎臭くはない。これが救い。

(以下、ネタバレ)
そのまま、素人ヒーローとしての活躍を描くと思わせておいて、『シックス・センス』や『ファイト・クラブ』的な展開に。これが、まったく判らない演出になっていれば文句はないのだが、どうひっくり返しても予想がつくので、インパクトがない。妻が部分的に妄想だってことは誰でも気付いているのに(というか誰でも判るようにしているとしか思えないのに)、レストランのシーンで謎解き的に明かされても、ぜんぜん驚けない。

ちょうど半分が過ぎたあたりで、妄想だということに主人公が気付くのだが、『ビューティフル・マインド』くらい、前半はしっかり観客を騙して欲しい。そう、この作品は『ビューティフル・マインド』の構成をお手本にすべきなのだ。後半は、妄想との闘い、妻との間の問題、会社での出来事など、話の軸があちこちに飛んでズレまくり。ハッキリと方向性を定めるべきだった。八方丸く収めようとするから、ボケるのだ。ここまでやらかしているなら、痛みを伴わないオチなど、味わいもなにも生まれるはずがな。
街で豆腐屋を襲撃するくだりにいたっては、なんであそこまで不正な製品だと確信したのか意味不明なので、観ている側が一切共感できず、作品から心が離れてしまう。せめて、錯誤するのも仕方がない理由を演出すべきだった。

「実は守護天使なんだ」的な台詞があるのだが、本当に守護天使という設定なら、もっとそれを有効に生かすべき。それも単なる妄想の一部だというなら、エンドロール前のあれは要らないだろう。

中盤以降、非常に芸のない演出を見せられた。ハジけた設定のはずなのに、“マネごと”感満載で突き抜けた演出が一切ない。凡作といいたいところだが、片足が駄作エリアに落ちている。そりゃあ、日本未公開になるはずだわ。
#製作費の大半がケヴィン・スペイシーのギャラなのでは?

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image2080.png公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:85分
監 督:サム・ライミ
出 演:ブルース・キャンベル、サラ・ベリー、ダン・ヒックス、キャシー・ウェズリー、セオドア・ライミ、デニス・ビクスラー、リチャード・ドメイアー 他





アッシュと恋人リンダはドライブの途中、とある森の廃屋を見付け休憩する。少し怪しい雰囲気の屋敷の中を調べると、その小屋の持ち主の考古学教授が残したテープレコーダーと“死者の書”を発見。本を読み進めながらテープレコーダーをかけていると、教授の「死霊にとりつかれた者を殺すにはその体を切断しなければならない」などという死霊についての説明が流れる。その後、悪霊を目覚めさせる呪文が再生されると、あっという間に悪霊が目覚めリンダに乗り移り、アッシュを襲いはじめるのだった…というストーリー。

続編ということだが、森の中の小屋に男女が行き、考古学者の残したテープを聴き…と、何か前作と同じようなお話。
じゃあ、セルフリメイクなのか?いや、前作の小屋にまた別の人間たちが迷い込んだ…死霊さんたちは同じ目的でそこにいるんだから、同じ被害にあっているだけ…という解釈も十分できるわけで、続編として成立しているのは間違いない。
でも、サム・ライミのデビュー作であった前作の、稚拙な演技、無駄な演出、あまりにも雑な特撮など、商業作品として最低限クリアすべき部分が満たされていない点を、とりあえず補っておきたいという気持ちからなのか、“やり直し”感がどうしても溢れる続編に…。そういうことではなかろうか。

死者の書についての説明も、発見当時の様子を差し込んだりして、世界観がわかりやすくなっている。前作のように登場人物がいっぺんに登場するのではなく、後から教授の娘一行が登場する二段構えになっているのも良い構成。続編ゆえに、はじめのアッシュとリンダが被害にあうくだりは、急展開。リンダがあっというまに餌食になる様は、最近のホラー映画では見られない斬新な展開といえる。
演者のレベルも上がっており、特にブルース・キャンベルの演技は、すばらしい。まだまだ高度とはいえない特殊メイクに、ブルース・キャンベルの極端な顔芸で寄せていくという荒業。本作のMVPといってよいかも。その特撮についても、前作に比べたら、格段に洗練されたと思う。
そして、自分で切った腕に、チェーンソーを装着するという、悪ノリ。でも、あんまり秘密兵器になっていないトホホ感。これらを前作同様の絶妙なカメラアングルがまとめあげている。サム・ライミ節が満開である。ゲロゲロ、グチャグチャの内容なのに、何故かホッとしてしまうのは何故なのか。

最後のタイムスリップで、ちょっとド肝を抜かれる。これは三作目への布石なのか?!この二作目を観て、三作目を観ない人間はいないだろう。ちょっくら借りてくる。

 

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image2073.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:143分
監 督:ゲイリー・ロス
出 演:ジェニファー・ローレンス、ジョシュ・ハッチャーソン、リアム・ヘムズワース、ウディ・ハレルソン、エリザベス・バンクス、レニー・クラヴィッツ、スタンリー・トゥッチ、ドナルド・サザーランド、ウェス・ベントリー、トビー・ジョーンズ、アレクサンダー・ルドウィグ、イザベル・ファーマン、アマンドラ・ステンバーグ、ウィロウ・シールズ、ポーラ・マルコムソン、レヴェン・ランビン、ジャック・クエイド 他
受 賞:【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】アクション映画女優賞(ジェニファー・ローレンス)
 【2012年/第21回MTVムービー・アワード】男優賞(ジョシュ・ハッチャーソン)、女優賞(ジェニファー・ローレンス)、格闘シーン賞(ジェニファー・ローレンス&ジョシュ・ハッチャーソン vs アレクサンダー・ルドウィグ)、役作り賞(エリザベス・バンクス)
コピー:生存率1/24 それは究極のサバイバル。戦うことでしか、生き残れないのか――?

独裁国家パネムは、首都のキャピトルと1それに隷属する12の貧困地区から構成されている。この国では、地域の反乱を抑止する目的で、毎年12地区から12~18歳の男女一人づつを選出し、24人が最後の一人になるまで戦わせるサバイバル・コンテスト“ハンガー・ゲーム”を開催していた。ハンガー・ゲームは全国に生中継され、キャピトルの住民にとっては最大の娯楽となっていた。プレイヤー抽選会が開催された第12地区からは、2歳の少女プリムローズが選ばれてしまうが、姉のカットニスが身代わりで志願、男子には同級生ピータ・メラークが選出される。選手たちはキャピトルに集められ、教育係ヘイミッチの指導の下、厳しいトレーニングに打ち込み、いよいよ、開戦の日を迎え…というストーリー。

公開前は散々『バトルロワイヤル』のパクりじゃねーかって言われていたけど、実際観てみると、そんな文句をいう気は失せる。たしかに、国家権力が子供を最後の一人になるまで戦わせる、それも自然環境の中で、そしてリアルタイムで中継されていうっていう設定はそのまんまなのは事実。

でも、そういう社会のできごとなんです…っていう、プレーヤーも社会もそれを受け入れてしまっている前提になってしまっているので、それが異常だという感覚は消えてしまう。平たくいえば、ただのSFサスペンスになっているということ。
SFだっていうなら、そういう目線でみてやろうじゃないか…と思うわけだが、隷属する地区の産業がものすごく発達はしているのだが搾取されていて貧しい…っていう設定なら腑に落ちるが、極めて零細。反乱をさせないようになだめることが必要なら、労働力として価値がないと辻褄が合わないのだが、いったい中央のキャピトルはどうやって繁栄を維持しているのかさっぱりわからない。世界のバランスが悪説得力に欠ける。

これから争うことになる選手同士が豪奢な訓練場で一緒に訓練したり、選手インタビューの番組があったりと、アメリカでありがちなリアリティ番組のノリに。クソおもしろくない。弓の達人という設定でありながら、それほど弓で活躍はしないし(というか、直接の殺害はしない)。隣人愛や勇気なんかの差込み方が、教科書的で気持ち悪い。
黒人の少女と仲良くなる展開で、後で裏切られたり、戦わないといけなくなるんだろうな…と思っていたら、都合よく別の人間に殺されるし。ルールをころころ変えるわ、大型犬みたいな動物をけしかけてみるわ、ラストに向かうにつれて、行き当たりばったりのグダグダ展開。両方死んだら困るでしょ…が、ぜんぜんトンチが効いているとは思えないし、ゲームとして中途半端な終わり方。途中で勃発した反乱もうやむやで収束するし、勝者二人は結局は権力者を恐れて、主張を殺して地元に返るだけ。なんのカタルシスもなく、消化不良。
闘いはまだ半ば…みたいな空気を醸しだして、まさか続編作る気とか?やめたほうがいいんじゃね?

どれだけ興行収入があろうとも、これは駄作。こういうのを甘やかしてはいかん、そんな気持ちになる作品。

 

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image0931.png公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:エリック・ブレス、J・マッキー・グルーバー
出 演:アシュトン・カッチャー、エイミー・スマート、ウィリアム・リー・スコット、エルデン・ヘンソン、メローラ・ウォルターズ、エリック・ストルツ、ローガン・ラーマン、ナサニエル・デヴォー、イーサン・サプリー、カラム・キース・レニー、ケンドール・クロス、キャメロン・ブライト、ジョン・パトリック・アメドリ、ロレーナ・ゲイル 他
コピー:きみを救うため、ぼくは何度でも過去に戻る。
 それは、神にも許されない行為。

小学生のエヴァンは、時おり記憶が欠落してしまう“ブラックアウト”を起こしてしまう。記憶を無くしている時は、問題行動をしていることが多く、心配した母親は精神科へ連れて行く。原因は不明だったが、精神科医は日記をつけさせることを勧める。彼は13歳になったとき、幼馴染ケイリーの兄トミーのおこした出来事が原因で、ケイリーとh離れ離れになることに。別れ際エヴァンは「君を迎えに来る」といったが、時は流れ、結局そのまま出会うことは無く、別々の道を歩むことに。エヴァンは心理学を勉強する大学生になっていたが、あれ以降ブラックアウトを起こしてはいなかった。そんあある日、自分が起こさないこと書いていた日記を発見。懐かしく思い、読んでいると、日記の中の少年時代に逆戻りしてしまい…というストーリー。

二度目の鑑賞。最近、本作を評価する記事を見かけることが多く、内容をほとんど忘れていたので改めて。そんなに良かったかなぁ??と。

バタフライ理論を持ち出しているが、当時流行っていただけのことで、作中では、ドラえもんレベルの過去の改竄による現在の変化が描かれているにすぎない。かすかな動作が一見無関係な所に大きな変化をもたらすという理論とは程遠く、身の回りの出来事以外はほとんど変わりはない。
こういうと反論する人も多いだろうが、根本的にバタフライ理論自体は、検証不可能な理論であって、コンピュータシミュレーションで証明しようとしても、限られた材料の中でそれをやっているだけで、とても科学理論とは言えないと思う。何をどうひっくりかえしても結果は現在のこれ以外にないのだがら。仮に、過去の時点においてああだったならこうなっていただろうなんて、歴史の“if”以上に無意味なことである。よって、これを題材にお話を作ろうとすると、都合のよいタイムマシンを登場させなければならないわけだ。

じゃあ、こういうお話はつまらないか?と聞かれれば、本作はおもしろいと断言できる。ハッキリいってしまえば、科学理論がどうとか「細けーことはどうでもいいんだ」という、なぎ倒すだけの勢いがある。
状況を変えようとしてどツボにはまっていく様子は、グイっと引き込まれる。悲惨な状況に陥っているかつての友人を救うために良かれと思ってやっている“他愛”部分と、自分の望まない展開を回避するためにやっている“エゴ”が入り混じっているところや、父親の行動や自分の無意識でやっていた奇行が、きっちりと伏線にもなっている点も、おもしろい。

最後は、ハッピーエンド方向に傾けておいて、最後の最後で実は…というのが、この手の作品の王道だとは思うが、普通にハッピーエンドにしたことが果たしてよかったか…。この一点が難点でもあり、逆に2、3と続編を作りたくなる“隙”になっているんだと思う。

さすがに名作とまではいえないが、やりたいことがハッキリしている質のよいSFサスペンス。年代を越えて愉しめる良作だと思う。
#観てなかったけど、続編を観てみるかな。

 

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image2070.png公開年:1954年
公開国:イギリス
時 間:74分
監 督:ジョン・ハラス、ジョイ・バチェラー
コピー:歴史は繰り返す。支配する者とされる者。その構造は変わらない、ただ…
 今、豚は太っていない。
 伝説のH&Bが半世紀前に描いた、永遠不変の権力の寓話。ジョージ・オーウェル原作「動物農場」、ついに日本解禁。




ひなびた荘園農場で、動物たちは人間にひどい扱いを受け、搾取されていた。耐えかねた動物たちは、豚の指導の下で革命を起こし、人間を追放する。動物たちは“すべての動物の平等”を掲げ、自分たちで農場経営を始める。数ヶ月経ったころ、豚のスノーボールが、新たなな秩序や教育活動、電力を得るための風車建設計画などを進める。そんな動きを疎ましくおもった豚のナポレオンは、密かに手なずけて訓練を施していた大型犬でスノーボールを襲撃し、農場から追放してしまう。その後、豚が他の動物を監視・労働させ、自分たちはかつての農場主の家で優雅な生活をするという体制がはじまり…というストーリー。

さすがイギリス、搾取される労働者による階級闘争話、ケン・ローチの世界か…と思ったが、もっと直球の全体主義、共産主義批判で、自由主義、共和制こそ正義という思想のもの作られた作品だった。はじめは労働者による純粋な反抗からスタートする。このスタートは自由主義国家であっても共産主義国家でも変わらない。不当な搾取からの脱却。では、同じスタートながら、なんで両者が異なる結果を生むのか…と、これを考えさせてくれる、いい教科書ではあると思う。今、これが製作されたというのなら、別になんてことはないのだが、この原作が1945年で、本作が1954年ということを考えると、共産主義の末路を予言しているという意味では、なかなかの慧眼だといえる。
#スノーボールのモデルはトロツキーらしいか、トロツキーがそんなに美化される人物なのかは、意見が分かれるところだろう。
だから、アニメといっても子供向けではない。ラストに微塵のカタルシスもなし。ジブリライブラリだからといって、うかつに子供に見せると、子供のブーイング必至である。

現在において、多少、全体主義に傾きかける傾向がみられることがあったとしても、それは周辺国の蛮行や、国内の破廉恥な商業主義のカウンターバランスとして表出するだけで、この作品が警告するような、全体主義や共産主義への道ではないわけで、アニメの歴史的価値とか古典という意味以外に本作の価値はないよに思える。

しかし、一点、現代社会においても考えさせられる部分が。それは馬とロバ。
馬とロバは、労働者の鑑として描かれる。おそらく馬もロバも、資本主義社会だろうが共産主義社会だろうが、いずれにおいてもマジメに働くと思われる。たしかにすばらしいことなのだが、いずれにしても権力者にとって都合のよい労働力だというのが悲しい。革命というドラスティックな展開になるまでそれを放置してしまう原因が“マジメさ”と“隣人愛”だと考えると、なにかやるせない。
さて、現代の労働者が、本作の馬やロバのようにならないよう、“動物らしく”生きるためには、どうすればいいのか。60年近く経った今でも考えさせてくれる要素が詰まった作品だと思う。佳作。

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image1196.png公開年:1982年
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:ジョン・カーペンター
出 演:カート・ラッセル、ウィルフォード・フリムリー、リチャード・ダイサート、カーダ、ピーター・マロニー、ドナルド・モファット、T・K・カーター、A・ウィルフォード・ブリムリー 他
ノミネート:【1982年/第3回ラジー賞】ワースト音楽賞(エンニオ・モリコーネ)




1982年冬の南極。アメリカ観測基地に一匹の犬を執拗に追う軍用ヘリが近づいてくる。ヘリは犬をライフルで狙撃し続けるが当たらず、ついには基地に着陸し、二人の乗組員は犬を狂ったように追い続ける。しかし、一人の乗組員が手榴弾の扱いを誤りヘリは炎上。もう一人もアメリカ基地のゲーリーによって射殺されてしまう。ヘリの国籍はノルウェーだったが、彼らがなぜ犬を殺そうと必死になっていたのか見当もつかなかった。その後、ノルウェー基地と連絡を試みるが一切応答がない。謎を解明するために、ヘリ・パイロットのマクレディとコッパー医師は、ノルウェー基地に向かったが、そこは、隊員の死体が転がる廃墟となっていた。さらに、何かを取り出した後のような謎の氷塊や、地球上の生き物とは思えない謎の死体があり…というストーリー。

『遊星からの物体X ファーストコンタクト』のラストを1982年製の本作が繋がっていると知り、ある意味答え合わせで鑑賞。あら、マジで繋がってるわ。

ファーストコンタクトのエンドロール中に犬を射殺しようとヘリを飛ばすノルウェー人で終わるのだが、本作の冒頭で犬を追って飛来する二名のノルウェー人がまさにそれ。風貌までぴったり揃えていいる。手榴弾の型も一緒。カート・ラッセル演じるマクレディが、ノルウェー基地を訪れたときの様子は、ファーストコンタクトで散々バトルした後の様子になっている。エイリアンが飛び出した氷塊や建物も一緒。もう、偏執的といってよいほどぴったり同じ。
でも、残念ながら、ファーストコンタクトだけ観ても誰も気付かないんだわ。で、こうやって答え合わせをしても、「ふ~ん。同じに作ったんだね」とそれだけで、新たに何か発見があるわけじゃないんだな。こりゃ、マニアの自己満足でしかないな(笑)。

主人公の考古学者の女性がどうなったのかは不明で、消化不良だしなぁ。1982年版は、ラストの登場した黒人さんが、こいつも乗っ取られてるんじゃね?っていう余韻を残してたんだけど、ファーストコンタクトの方は、雪上車の中で呆然としている主人公に、そういう深読みさせる意図は見えないんだよなぁ…。
まあ、繋がっているっていう件は、そんな所だな。

ゾンビ映画の多くが、大衆社会の投影だったりするが、『遊星からの物体X』は何だろう。それは隣人への不審だな。見た目はいつもどおりの普通の人に見えているけれど、人間なんて中身では何を考えているかはわからない。いつ自分に牙を剥いてくるかわかったもんじゃない…っていう、いささか心が病んでいる気もするけれど、そういう感情。そう感じる場面に人生の上で遭遇しない人はいないだろう。ある意味普遍的な感覚だと思う。
でも、ゾンビ物が量産されるのに比べて、この手の成りすまし系の作品は少ないような気がする。それは、大衆文化、消費社会という大波が、人間個人にとっては抗うことのできないプレッシャーなのだ…という帰結だろう。まさにマルクスがいうところの“疎外”への恐怖というものが、生物としての人間とっては、頭ではわかっていても釈然としないものであり、不安の顕れなのだ。

一方の隣人不審は、あたりまえに日常生活の中で散見されるけれど、より信頼のおける人だけとの付き合いに絞ればいいし、社交辞令的な付き合いでなんとかやり過ごすことは可能なので、潜在意識に潜む恐怖としては弱いということなんだろう。
だから、この成りすまし系の話っていうのは、成りすましている者が、近しい存在であればある程怖い話になるはず。でも、本作は、隊員同士は同僚程度の付き合いで、心が通い合って信頼しきっているというほどではない。それでも、極寒の基地内という狭い空間という設定で、なんとかそれを補おうとしている。
しかし、ファーストコンタクトに至っては、数日前に初めて合流した間柄な上に、まともに言葉も通じない。この設定では、成りすまし系の本当の恐怖は表現しきれないよね。イマイチ感の原因はここにあったな。似せることばかりで、恐怖の根源までは深く追求していなかったってことだろう。

ジョン・カーペンター御大のお仕事に対して、とやかくいうつもりはない。CGのないローテクな特撮だけど、CGよりもよりリアルで、数段気色悪く感じるのだから。30年前の作品の方がすごいと感じられるんだから、文句のつけようがあるまい。

#エンニオ・モリコーネの音楽がラジー賞ノミネートってどういうことやねん。それほど悪くはなかろう。

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image2056.png公開年:1972年
公開国:イギリス
時 間:93分
監 督:キャロル・リード
出 演:ミア・ファロー、トポル、マイケル・ジェイストン、マーガレット・ローリングス、アネット・クロスビー、ダドリー・フォスター、マイケル・アルドリッジ 他
コピー:ゆらぐ現代の愛を限りない優しさでつつむ 名匠キャロル・リードの心暖まる名作




ロンドン在住の一流会計士のチャールズは、妻ベリンダの最近の行動に不審を抱き、浮気を疑い、私立探偵のクリストホルーに調査を依頼する。クリストホルーは、調査に必要ということで、妻との馴れ初めを話すようにチャールズに求める。クリストホルーはやたらと馴れ馴れしく、チャールズの癇に障る男だったが、調査に必要ということで、レストランで働いていたベリンダとの出会いから、結婚後の彼女の行動までを語るのだった。実は、ベリンダは、チャールズが妻のあるべき姿をあまりにも押し付けるので窮屈に感じ、日々の散歩で気を紛らわせていただけだった。しかし、クリストホルーのバレバレの尾行に気付き、彼に興味を抱くようになり…というストーリー。

吹き替え音声で観たが、昔のTV放送時の音声、それも声優さんのいかにも昔の台詞回しにノスタルジーを感じた。いい味だと思った。しかし、はじめに言ってしまうが、この作品は私の好みではなかった。妻の浮気を疑う夫のお話、そして妻との馴れ初め、正直、何の興味も沸かないシーンが長々と続き、私は飽きてしまった。93分と短めの映画だが、2時間以上に感じた。

今の時代からすると、ヒッピーというのがピンとこないが、まあ、まともな社会規範とか常識を持っていない人間であり、浮き草みたいな存在と考えればいいのだろうか。そんな若い女性、それもアメリカからの流れ者と、ロンドンの堅物会計士が結ばれるという、普通に考えればありえない設定。少女マンガ的だね。自分を変えたいと思っているってこと、その一点だけが共通点といえるわけだが、普通に考えれば、会計士の妻として収まることなんかできるわけがない。
ここで誰かに感情移入できればよかったんだろうが、この段階で、別れようがヨリを戻そうがどうでもいいや…と思ってしまった。おそらく、こういう作品が好きな人は大勢いると思う。でも、私個人は、どうしても入り込めなかったのだ。仕方がない。
夫がヒッピーの娘に固執する理由がよくわからんし、妻がそんな堅物と結婚生活を続けたいと思うモチベーションの基底になっているものもわからない。

夫が妻のほうに寄せていくという結末。そんな息抜きに付き合うのは結構なことかもしれないが、これからの結婚生活でこのような生き抜きに延々と付き合うということか。それで収まるわけがなかろう。妻も少しは夫のほうに歩み寄る姿勢はないものだろうか。だってできないんだもん…って、妻側はそれしか言っていない。
最後のシーンに爽やかさを覚える人もいるようだが、私には、そんな形で続けることが美しいとは思わない。私には破滅しか見えないのだが。別れたほうがいいんじゃね?やさしさをうまく表現できない夫…という解釈もできるかもしれないが、結婚前はうまく表現できていたんだから、悪い方に変わっただけでしょ。

メインの夫婦を食ってしまったというか、強烈なキャラクターのクリストホルー。掻き回し役と修復役を担っているわけだが、色々都合が良すぎてピンとこなかった。

小品良作ってところか。個人的は全然ダメな作品。

 

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image2062.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:井筒和幸
出 演:松本竜介、趙方豪、升毅、紗貴めぐみ、渡辺とく子、夢路いとし、上岡龍太郎、國村隼、大杉漣 他





万博を3年後に控えた昭和42年。少年院から出てきたリュウは、一緒に出院した高を連れ、親友のケンとチャボのいる母校を訪れる。大阪ではキタの北神同盟とミナミのホープ会の二大グループが激しい勢力争いを繰り広げていた。どちらに属さないケンたちは、肩身の狭い思いをしているという。その後も、徒党を組むことを良しとしないリュウたちは、いずれのグループにも属せず、北神同盟やホープ会と小競り合いを繰り返すのだった。その頃、高は北神同盟に入会、上部組織の暴力団・神竜会の小野から、入会儀式として激しいリンチを受けたが、その打たれ強さから“明日のジョー”と異名を付けられ、気に入られるのだった…というストーリー。

お亡くなりになった松本竜介と、実質お亡くなりになったのと同様の島田紳助が主演。主演ではあるが、はじめこそ、この二人のドタバタで展開していくけど、中盤になるとこの二人の影はまったくといっていいほど薄くなる。そして、趙方豪や升毅が演じる在日系の人の若者の軋轢が主軸になっていく。
#升毅は今と雰囲気がかなり違うねぇ。

まあ、こういう半分ヤクザみたいなチンピラに在日朝鮮人が多かったのは事実なんだろうけど、ストーリーの流れ上、朝鮮族内のぶつかり合いって必要だとは思えないんだが…。なんで、井筒和幸はここまで在日朝鮮人にこだわるのかな。
井筒和幸も、朝鮮系の人で『ゴッドファーザー』をやろうとしているようにみえる。けど、やっぱ朝鮮系の人は隣人愛がないからダメなんだよね。ただ、殺伐とした空気しか残らない。その中途半端さを監督もわかっていて、あえて“ガキ”というタイトルを冠しているんだとは思う。この腰の引け方が、逆におもしろい空気を作っているのは認める。

ただ、もし田舎に出張して、時間が凄く余っていて、何気にふらっと入った場末の映画館で、500円くらいでこの作品をやっていたら、かなり満足できると思う。
はっきりいって、構成とかいきあたりばったりに感じる。とにかく勢いだけで展開する感じ。勢いだけっていうのが悪いわけじゃなく、これは監督の狙いだと思う。偶然ではなく、ハッとするようなカットが結構多いから、稚拙だなぁ…と思いつつも観続けてしまう。よく考えると、その後の井筒監督のどの作品よりも、本作は面白いような気がする。
#作品自体に好きなものは少ないけど、井筒監督が映画論を語っている書籍は結構好き。特に技術論は。

本作を観ると、上岡龍太郎は細々でもいいから仕事を続けて欲しかったなって思うね。いい顔している。
#夢路いとしとダウンタウン浜田は似てるなぁ。

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image2068.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:135分
監 督:三池崇史
出 演:成宮寛貴、斎藤工、桐谷美玲、中尾明慶、大東駿介、柄本明、檀れい、谷村美月、平岳大、篠井英介、鮎川誠、余貴美子、石橋凌、小日向文世 他
コピー:偽りの真実を打ち砕け。




20XX年、政府は凶悪犯罪の増加に対応するために、検事と弁護士を直接対決させ、3日以内に判決を出すという序審裁判制度”を導入する。ある日、新人弁護士の成歩堂龍一は、上司の綾里千尋から「長年追っていた事件の証拠を見つけた」と事務所に呼び出される。しかし、事務所にいくとそこには千尋の他殺体が。容疑者となったのは、現場に居合わせた千尋の妹で霊媒師修行中の綾里真宵。龍一は真宵の無実を信じ弁護を引き受け、幼馴染の敏腕弁護士・御剣怜侍と対決することに。劣勢の龍一だったが、真宵の霊媒能力で蘇った千尋のヒントによって、証人の矛盾を突き、何とか真宵の無罪を勝ち取るのだった。しかし、その裁判の後、御剣が殺人容疑で逮捕されてしまう。龍一は御剣の弁護を名乗り出るが…。

DSでレイトンをやり終わって、すごくおもしろかったから、同じような謎解きモノをやろうとおもって、逆転裁判をやり始めたんだけど、なんか操作性とかノリとかが合わなくって、すぐにやめちゃったんだ。だから、各キャラクターが似ているかどうかはわかるんだけど、ストーリー的にうまく仕上がっているのか否かはよくわからない。

キャラは、成宮寛貴、斎藤工、桐谷美玲、中尾明慶と良く似ていると思う。キャスティングプロデューサーが単独で存在するくらいなのでよく注力されている。しかし、鮎川誠は、レモンティーとか団塊世代しかわからんでしょ。団塊世代が孫とか子供を連れて一緒に観に来るってことはないだろうから、あれだけは無意味なキャスティングかな。また、柄本明が悪役の親玉でもなく重要な役でもないのは評価するが、柄本明である必要がいまいち不明。
桐谷美玲は口角が下がってる場面が多すぎ。不審とか悲しみの表情は口角を下げればいいと思っているようだが、役者を続けたいんなら、もうちょっと研究を。こういうキャラものがハマる人は、最近少ないのでがんばってほしい。

シナリオは、はっきりってつまらない。謎解きモノっていうのは、前段階で色々ヒントが差し込まれるもののだが、裁判所でのやり取りなんか、完全に後出しだったりする。でも、どんなに稚拙なストーリーだとしても、演出でいくらでも興味を繋ぐことができるんだということを証明している。法廷の場面の証拠合戦なんか、何がなんだかわからんが、勢いで押し切っているもの。
もうね、この手の作品は三池崇史監督の専売特許になりつつある。はじめから、大作だなんて誰も思っちゃいない。どうせ、キャラがどれだけ似ているか、元の作品の世界観にどれだけ近いかしか、観客は期待していない。その程度のハードルしかない上に、三池崇史はこのストーリーに何の思い入れもないから、その場その場で一番効果的な演出を、思い切り採用できるんだろう。

この手の三池崇史作品で、一切、エロもグロも無いのって、本作が初めてでは?首吊りのシーンくらいだけど、その程度はTVの二時間ドラマでもあるしな。『ヤッターマン』だって、無駄なエログロを差し込んできたからね。『忍たま乱太郎』だって子供向けなのに何か小汚かったりして。そういうの誰も得しないってわかってるのに、本性を差し込まずにはいられなかった三池崇史。本作で、完全に職人になったね。これが褒め言葉になるのかどうかはわからんけど。

まあ、無駄に長いことを除けば、それなりに楽しめる作品。こういうゲームを元に実写映画にするのって、面白いな。『バイオハザード』とか『ファイナル・ファンタジー』とか、バトルモノはあるけど、この手で且つ日本映画って案外ないよね。

#着ぐるみの“タイホくん”の中に人が入っていないってのは、何だったんだろう…意味不明。ゲームを最後までやってりゃわかったんだろうか。

 

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image2072.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:マシーズ・ヴァン・ヘイニンゲン・Jr
出 演:メアリー・エリザベス・ウィンステッド、ジョエル・エドガートン、アドウェール・アキノエ=アグバエ、ウルリク・トムセン、エリック・クリスチャン・オルセン、トロンド・エスペン・セイム 他
コピー:それは、細胞の一つ一つが単独で生きている それは、生物に同化して擬態する それは、すでに我々の中にいる…



南極大陸の太古の氷層から、謎の建造物と未知の生物の化石が発見される。調査隊がノルウェー基地に集められることになり、コロンビア大学の考古生物学者ケイトも、現地へ向かう。すでに謎の生物の化石が閉じ込められた氷塊が置かれていた。調査のために、ドリルで穴を開け、検体を取り出す。世紀の大発見に沸き立つ基地はパーティ状態だったが、一人の隊員が氷塊を見に行くと、中の生物が蘇生し、ものすごい勢いで氷塊を瓦解、天井を突き破って施設外に逃走してしまう。隊員たちはその生物を追跡するが、隊員の一人が捕食されて、倉庫に逃げ込まれる。倉庫ごと焼却し、何とか生物の暴走を止めることができたが、その後、生物の細胞と調査すると、まだ細胞は生きており…というストーリー。

ファーストコンタクトって何?と思っていたけど、これ、リメイクじゃないんだね。『遊星からの物体X』の前日譚なんだって。原題が『THE THING』のままだからリメイクだと思っていた。ビギニング物が溢れかえっているので、あえて避けたんだろうとは思うけど、本作に限っては本当にビギニングなので、タイトルはそれにしたほうが良かったと思うのだが…。
それに、よっぽどのマニアじゃないと、前作のディテールとか覚えていないし。ノルウェー基地と聞いてもピンとこないくらい忘れてるわ。まあ、たしかに、二人の人間が融合した死体とかがあった記憶がかすかにあるけど…。

それに、リメイクじゃないっていうけど、謎の生物の襲撃を受けて、どうやら誰かに乗り移るらしいってことが判り疑心暗鬼になるってい展開は、同じなんだよね。血を調べればわかるとか、怪しい隊員を隔離するとか、同じような展開があったと思うんだ。
リメイクだと勘違いしても、仕方が無いくらい展開が類似してるんだよね。前日譚だっていうんなら、同じ展開は避けるべきなんじゃなかろうか。
#落ちたヘリから戻ってこられるのはおかしいっていう展開もなかったけ?

ただ、私はリメイクだと思い込んでいたので、技術的な進歩が効果的に面白さに繋がっていて、純粋に愉しんだ。だれが乗り移られているか?だけでなく、コピーとか融合とかいう部分で、CGを十分に活用できている。
判別するために、無機物をコピーできないという特性を使うとかも良かった(これ、82年版にあったかな?)。

残念なのは、監督さんが経験不足なのか、南極の基地内だっていうのに、閉塞感が全然表現できていない点。1982年版なんか、猛吹雪で孤立した空間で、逃げ場がないっていうのがよく表現できていたと思うのだが。本作はあまり吹雪のシーンもないし。
その癖、宇宙船らしき建造物は、妙にSFチックで違和感バリバリ。あの生物があの宇宙船を操縦してきた?だってあそこに戻ろうとしていたもんなぁ。

まあ、色々と引っかかる部分は多かったけど、楽しめた。とりあえず、1982年版との繋がりを確認するために、もう一回観ることにする。

#なんで、コピーですっかりネタをバラすのか?前作は82年なんだから、若い世代は全然知らんのやで?最近の日本の配給会社の奴らのレベルって落ちすぎじゃね?

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image2069.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:マーカス・ニスペル
出 演:ジェイソン・モモア、レイチェル・ニコルズ、スティーヴン・ラング、ローズ・マッゴーワン、サイード・タグマウイ、ロン・パールマン、レオ・ハワード、スティーヴン・オドネル、ラード・ラウィ、ノンソー・アノジー、ボブ・サップ、ミルトン・ウェルシュ 他
コピー:斬って!斬って!斬りまくれ!



部族間闘争と妖術が吹き荒れる先史時代。女戦士の母の命と引き換えに誕生したコナンが11歳に成長したとき、彼が暮らす村を地獄の力を得るために歴代王の骨を集めて作られた仮面の破片を探しているアケロン族の騎士カラー率いる一団が襲撃する。カラーは、仮面の破片の在り処を知るために、コナンの父を拷問。破片を見つけるとコナンの目の前で惨殺する。逃亡したコナンはカラーへの復讐の憎悪と共に逞しく成長。20年後、友人アルタスと共に義勇海賊を率いていた。立ち寄った港で、偶然カラーの一団にいた男を発見。その男からカラーを居場所を聞き出す。カラーは、妖術師であった新だ妻を仮面の力で生き返らせようとしており、妻が死んだ地にいることを知る。その後、コナンはカラーの一団が僧院の襲撃に遭遇。一団が捉えようとしていた女性にタマラ加勢し救出するが、タマラを囮にして、カラーを誘い出そうと考え…というストーリー。

シュワちゃん主演の『コナン・ザ・グレート』は、時代設定がいつなのかイマイチよくわからなかったけれど、本作はアトランティスが沈んだ後から、現在“有史”といわれる時代より前の超古代のお話とのこと。ここがハッキリした点は悪くないのだが、仮面の設定が良くない。
なにやら悪の王様みたいなのがいて、それを倒した後、復活しないように仮面を9個に分割して各地に隠し…で、悪役の族長みたいなのが、それを捜しまわっている…って、丸まんま『ロード・オブ・ザ・リング』やんけ。

前作では、両親を殺された後に奴隷にされたコナンが、厳しい労働を乗り越えてムキムキになっていく。普通の子供が過酷な環境によって強くなっていったわけだ。だけど、それほど頭は良くないし世間知らずだし、そういう肉体と頭のアンバランスさが魅力だった。ハスキー犬みたいな愛らしさすらあった。
しかし、本作では、子供のころから、武の才能がハンパなく父親の英才教育を施されるという設定。無垢さとかバカっぽさが無くて、全然愛せないキャラ。顔がエキゾチックなのはいいとして、肉体がシュワちゃんに比べるといまいちで、敵にはもっと体格のいい人もいるほど。『300』とか肉体美がウリの作品もたくさんあるわけで…、せめて、もうちょっとパンプアップすればよかったのに。
もしかすると、原作がこういう設定なのかもしれない。けれど、だからといって既視感満載だったりキャラの魅力を落として良い訳がない。

映像もアクションも非常によろしくて、すごく能力の高いスタッフが集まっているのだと思うが、プロットの質があまりに低すぎて。いや、逆にいえば、ポンコツプロットなのに、よくぞここまで魅せているというべきか。

で、もっとも訳がわからないのが、敵の親玉が“悪の帝王”やらになった後である。仮面を装着し無敵状態になったはずなのに、以前とかわらずコナンと同レベルの強さだってこと。何が変わったの????って感じ。単に、黄泉の世界から妻を蘇らせる能力がついただけのような…。
で、蘇らせてどうしたいのかもよく説明されていない。妻が蘇ると何がどうなると?とりあえずヒロインの巫女が乗っ取られること以外にデメリットがないので、あまりハラハラしないという…。さらに、最後は橋の板をはずされて落ちていくだけというオチ。悪の帝王が足元の板をはがされて落ちておしまいって、何が悪の帝王やねん。
何度も言っているが、敵が弱けりゃ映画は面白くないんだって…。

シュワちゃんに『コナン・ザ・グレート』も結構トンデモ要素が多かったけど、それを踏まえた上で今の技術を加味したのに、この出来映えとは…。

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image2058.png公開年:2009年
公開国:イギリス、ドイツ
時 間:135分
監 督:リチャード・カーティス
出 演:フィリップ・シーモア・ホフマン、トム・スターリッジ、ビル・ナイ、ウィル・アダムズデイル、トム・ブルック、リス・ダービー、ニック・フロスト、キャサリン・パーキンソン、クリス・オダウド、アイク・ハミルトン、ケネス・ブラナー、シネイド・マシューズ、トム・ウィズダム、ジェマ・アータートン、ジャック・ダヴェンポート、ラルフ・ブラウン、リス・エヴァンス、タルラ・ライリー、ジャニュアリー・ジョーンズ、アマンダ・フェアバンク=ハインズ、フランチェスカ・ロングリッグ、オリヴィア・ルウェリン、エマ・トンプソン 他

1966年。民放ラジオ局の存在しなかったイギリスでは、国営のBBCラジオがポピュラーミュージックの放送を位置に45分と制限しており、若者たちは不満を募らせていた。しかし、イギリスの法律が及ばない北海に、放送機材を備えた船舶から24時間ロックを流し続ける海賊ラジオ局が誕生。その名もラジオ・ロック”。若者たちの熱狂的な支持を集める。そんなラジオ・ロックの船に、ドラッグと喫煙で高校を退学になったカールがやってくる。更正のため、母親に名付け親でラジオ・ロックの経営者であるクエンティンに預けられたのだ。個性溢れるDJたちの、自由だが異様なノリに戸惑いながらも、次第に船の雰囲気に馴染んでいくカールだった。一方、イギリス政府は、ラジオ・ロックの不道徳な内容に不快感を顕わにし、何とか放送をやめさせようと様々な策を弄してくるのだった…というストーリー。

冒頭の放送局の紹介部分がシビれる。見た目はブサイクなDJたちなんだけど、まるで“七人の侍”でも見るようなワクワク感(デブキャラがダブってるのはどうかと思うが)。好きなことであることを職業とし、かつ使命感を感じられているという、ある意味夢のような職業であり職場である。
ただ、ちょっと説明不足で、政府による制限のことや、法律の及ばない北海じゃないとこういうことができないから、ほとんど海上にいないといけないっていうことを、もう少し厚く説明したほうがよかったかも。

このポピュラーミュージックに対する制限や、こういい海賊ラジオ局があったことが実話かどうか知らない。おそらく制限はあっただろうが、船の部分は創作じゃないかと。

この時代のブリティッシュロックって、とにかく最高だなぁ~。使われた曲をまとめたサントラCDって出てるのかな。ちょっと欲しいわ。
しかし、個人的な好みの問題だが、セックスネタに話の焦点が寄ってしまい、中盤は興味が薄れてしまった。性的なネタがいけないというわけではないだが、もう一つの軸である、政府側による圧力っていうのが、イマイチ弱い。政府側ともっと激しく丁々発止するのかと思ったら、それほど大した作戦を仕掛けてくるわけでもなく、終盤になるまでほぼ何の問題も生じないといってもよい。
ただ、大臣がヒステリックにムッキ~!て怒ってるだけ。大臣にからんだコメディ部分もスベっている。
映画の基本だけど、敵が弱すぎると盛り上がらない。

(以下ネタバレ)
最後、放送局を制限する法案が通ったことで、クライマックスに向かうわけだが、まあ、映画的にはもちろん最後まで反抗を試みる展開になる。しかし、なぜか都合よく(?)船が沈んでしまうという展開。で、誰でも読める大団円。せめて、あの大臣が非難されて失職するとか、落としどころはなかったものか。
カールが、あの女の子と結ばれるという流れも、気持ちわるいんだよなぁ…。設定も好き、音楽も好きなんだけど…、好みの問題なのかなぁ。何かフリーセックス的な展開が、いまいち引くんだと思う。凡作。

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image2060.png公開年:2012年
公開国:日本
時 間:66分
監 督:坂本浩一
出 演:福士蒼汰、高橋龍輝、清水富美加、吉沢亮、坂田梨香子、冨森ジャスティン、志保、土屋シオン、田中卓志、山根良顕、原幹恵、岡田浩暉、木下あゆ美、鶴見辰吾 他





ある日、仮面ライダー部員たちの前に、歌星賢吾の亡き父が所属していた“外宇宙技術開発機構OSTO”を引き継いだ組織“OSTO Legacy”の本部長・冴葉が現れ、とある作戦への参加を依頼する。それは、仮面ライダーフォーゼとメテオの能力を使って、宇宙に浮遊している建造中の衛星兵器「XVII」(エックスブイツー)を完成前に破壊して欲しいというものだった。そして、その衛星兵器を使って地球の破壊を目論んでいるのが、アリシア連邦製の宇宙鉄人グランダインとスカイダインで、彼らの排除も依頼の一つだった。しかし、アリシア連邦の破壊工作員インガ・ブリンクと第3の宇宙鉄人ブラックナイトが弦太朗の前に立ちふさがり…というストーリー。

石ノ森章太郎の他作品ヒーローを、悪役に仕立ててるという試みの作品。35年以上前の『宇宙鉄人キョーダイン』というTV作品の主役ヒーロー・スカイゼル、グランゼルをモチーフに、スカイダイン、グランダインという悪役キャラをつくり、それを仮面ライダーと対決させるプロット。宇宙での舞台となる宇宙船も、同じくTBS系で放映されていた『大鉄人17』を衛星兵器XVIIとして登場させている。

本作の評判が良かったからではないと思うが、次作の『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』でも同様のキャラ設定が行われている。しかし、元々、正義のヒーローであるものを、モチーフとはいえ完全な悪役として登場させることに違和感が満載。本作とは別に『宇宙鉄人キョーダイン』のリメイクか何かがあって、そのプロモーションの一環とかいうならばわからんでもないが。

そういう、興味を引く設定はまあよしとして、肝心のストーリーが陳腐。悪い奴が仮面ライダー部員を騙して悪事を働こうとして、騙されたー!クソー!という、ただそれだけのお話。最後は、“元気玉”パターンという、もはや“夢オチ”と同レベルの愚作展開。劇団☆新感線の中島かずきという人が書いているらしいが、シリーズとしての縛りや、おもちゃ会社の意向など、色々制限はあるのだろうが、純粋におもしろくない。
財団Xの設定は必要だったろうか。いらないでしょ。
恒例になってきた映画での新フォーム紹介は、TVシリーズに登場する新フォームの先出し紹介ではなく、映画オリジナルフォーム。敵が二人なんだから、ライダー側もメテオの新フォームとのタッグマッチのほうがよかったんじゃないかと思う。

アクションはなかなか良くて、さすが坂本監督…って言いたいところなのだが、CGを多用すぎ。CGも予算が無かったのか、テクスチャの処理が安っぽい。主役の福士蒼汰は、だんだん滑舌が悪くなっており、本作はせっかくの映画作品なのにところどころ何をいっているのか判別できない。
坂本監督と仮面ライダー部のちょっとシュールなキャラは、相性が悪いのかもしれない。なにか噛み合っていない感じ。

唯一の収穫は、原幹恵。意外によく動けていたし、引きの画でも目鼻立ちがはっきりしているわりには、美人すぎず、仮面ライダーの世界に違和感が無い。まさかの友子のライバル??という、意外な展開だったが、友子を演じるモデルの志保が、TV放映が終わる前にヌード写真集を出すという斜め上なことをやってくれたので、むしろ、相手女性役変更というのが正しいか(ここ数年は、特撮ヒーロー作品に出ていても、普通に他の仕事もやるからねえ)。次作にも登場しているらしいので、彼女メインのOVAもあるかもしれない。

ただ、トータルでみると、やはり駄作かも。かなり眠くなる。

 

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image2051.png公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:ダニー・デヴィート
出 演:ダニー・デヴィート、ビリー・クリスタル、キム・グライスト、アン・ラムジー、ケイト・マルグルー、ブランフォード・マルサリス、ロブ・ライナー、ブルース・カービイ、オリヴィア・ブラウン、アニー・ロス、オプラ・ウィンフリー 他
ノミネート:【1987年/第60回アカデミー賞】助演女優賞(アン・ラムジー)
 【1987年/第45回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](ダニー・デヴィート)、助演女優賞(アン・ラムジー)

小説家のラリーは、妻に自分の書いた大作を持ち逃げされる。妻はその作品を自分の創作として出版すると、ベストセラーとなり大金持ちになってしまい、あまりのショックにラリーは筆を進めることができなくなる。妻に対する怒りに震える日々をおくりながらも、生計のためにカルチャーセンターで、文章表現を教える講師として教壇に立っていた。そんなある日、生徒の一人であるオーウェンという男が、自分の母親があまりにもひどい人間で殺したいほど憎いと、ラリーに相談をしてくる。小説の内容についての相談と勘違いしたラリーは、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』を参考にしろと薦める。交換殺人を題材をしたその作品を観たオーウェンは、ラリーが交換殺人を提案したと思い込み、ラリーの妻が滞在するハワイへ相談もなしに向かうが…というストーリー。

ダニー・デヴィート演じるオーウェンが、殺人に向かうまでは、ちっとも話が動かない。ラリーもオーウェンも、ただイライラしているだけ。観ている側のイライラも一緒にピークに達するように、うまく展開させてくれればいいのだが、盛り上がりがブツブツと途切れぎみで、観ている側のテンションが緩む。あまり笑える部分も多くなくて、結構、冷めた目線での鑑賞が続く

オーウェンが殺人を犯したと告白した後、自分が容疑者になると、なぜあそこまで過剰に反応したのか。友人の彼女のスチュワーデスが、ハワイに行ける可能性があると言ったから?その唯一ハワイに行ける手段であるその便に、自分が乗っているかどうかなど記録を見ればわかるだろう。空港なんだから監視カメラくらいあるだろうし、勤務していたスチュワーデスに聞けば潔白は証明されるだろう。
そして、警察はなぜラリーが犯人だと思い、第一容疑者とするのか。警察がそれを疑うなら、それこそ記録やカメラを調べればよろしい。恋人の発言があったからといって、ハワイにいける可能性なんかあるのかどうか、疑問がわかないわけがない。肝心な部分に無理がある。

その後、交換殺人がうまくいかず、なんとかオーウェンの母親を殺さなければ…という展開になる。警察に見つかりそうになるのだが、むしろ捕まったほうがスッキリするし、楽に決まっているのだから、ばれちゃう~~見つかっちゃう~~なんてド。キドキするはずがない。
とにかく、交換殺人を実行するしか道がない…という追い詰められた状況にならないのだから、どうにも緊迫感が沸かない。

たしかにオーウェンの母親はイライラする。いい演技だ。でも、他人であるラリーが思わず殺そうと思うような一線は越えていないし、鉄道内で母親が、小説に一文を言ったことがなんで導火線になったのかも意味がわからない(自分が散々悩んでいたフレーズを、クソババァがスラっといいのを言ったから?わけわかんねぇ)。
最後も、生きてました~だ、またパクられるのか!発狂!とか、いやいやそうじゃないよ~んとか、上げたり下げたりが場当たり的でピリっとしない。
シナリオが落第点ってことなんだろうね。

しゃべくりが多い作品なのに、字幕を追わなければならない苦痛。声優の名前は知らんけど、よくダニー・デヴィートをやってる人の声でセルフ脳内変換して観ていた。本作は絶対に吹き替えにすべきだな。また、『ホームアローン』ばりのBGMならテンポよく感じられたかもしれない。いくら87年の作品といっても、音楽は古くさすぎる。

ちょっと、お薦めしかねる。
#TRAINがタイトルに入るほど重要には思えないのだが…。

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プロフィール
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クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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