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image1235.png公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:86分
監 督:ジミー・ヘイワード、スティーヴ・マーティノ
出 演:ジム・キャリー ホートン、スティーヴ・カレル、キャロル・バーネット、ウィル・アーネット、アイラ・フィッシャー、エイミー・ポーラー、セス・ローゲン、ジョシュ・フリッター、ジェイミー・プレスリー、ラウラ・オルティス、ジョナ・ヒル、ダン・フォグラー、ジェシー・マッカートニー 他
コピー:こりみたいに小さくたって、ひとはひとだ。



ジャングルヌールに住む象のホートンは、風に乗って耳元とかすめたホコリの中から、助けを求める声を聞く。他の動物たちにそのことを話ても嘲笑されるだけだった。実は、ホコリの中には、超極小の生き物“ダレダーレ”の国があったのだ。ダレダーレ国のあるホコリは、これまでヒマワリの花の上に固着していたが、突然の突風により空中に放り出されてしまったのだ。そのせいでダレダーレ国では大嵐や地震が発生。助けを求めたダレダーレたちの悲鳴が、ホートンの耳に届いたのだった。ホートンはそのホコリをクローバーの花で受け止め、仲間たちがバカにするのもお構いなしに、ホコリへ話し掛ける。すると、ホートンの声はダレダーレの国の市長の耳に届く。市長は、外の大きな世界からホートンが話しかけていることを知って驚くが、それを市民に説明しても嘲笑されるだけ。ホコリの中にたくさんの人が住んでいることを知ったホートンは、ヌール山の頂上の割れ目なら彼らは安全にくらせるだろうと考え、山頂目指して旅立つのだったが…というストーリー。

表面的には、ホコリの中に小さな国があるとかバカなこと言ってんじゃねえ!と嘲笑される象と、そんな空の彼方にデカい生き物がいるなんてあり得ねえ!と気違い扱いされる市長が、お互いを信じてがんばるというストーリー。マヌケな両者のがんばりが微笑ましいお話で、もちろん子供向けの作品なんだが、ホートンとカンガルーの母親の対立軸構図が地味にエグいお話だと思う。

パッと見だと、見えないものを信じるホートンがカトリックで、見えるもの以外は信じられないというカンガルーの母親が無神論者に感じる。しかし、実際の行動様式は間逆。
カンガルーの母親は、アホなことを言っているホートンを社会を乱す種とレッテル貼りして、住人たちを扇動して村八分的に追い詰めていく。アメリカ南部で、進化論を唱えた教師を、地域で追い詰めていった流れに酷似。巧みにファンダメンタリスト批判になっている…と私には映る。

さらに、カンガルーの母親は、ホートンが大事に守っている花の破棄をハゲタカ(?)に依頼する。反社会組織に仕事を依頼する行為で、簡単に言えば、PTAの会長が地元にある暴力団事務所の下部組織の組長に、気に喰わない母親に嫌がらせを依頼するようなレベル。
『グリンチ』と同じ原作者らしいので、人間の奥底の歪みのようなものを表現するのが味になっているのはわかるだが、このカンガルーの母親の行動には、はっきりいって引かざるを得ない。

ラストはすったもんだで大団円になるのだが、最後まで動物たちが、カンガルーの母親の扇動にのせられ続けるのが怖い。上っ面の扇動に簡単に簡単に騙され、自分の考えというものが一切ない。何、この衆愚政治。
そして、ホートンが信じてもらえる決め手になるのが、カンガルーの子供の勇気。ただそれだけ。ダレダーレ国民が団結して大きな声を出せたから…ということになっているが、そんなことをしなくてもホートンの耳には届いていたわけで、声量の問題ではないのは明らか。じゃあ、彼らの耳に届かない理由は何か? それを考えると、大人たちの先入観がまず変わることはなく、子供たちに託すしかないという諦めに見えて、実に怖い。

これは、アメリカ社会の滅びを予言した作品かと。大げさかもしれないけど、進化論を完全否定して、この世が生まれたのは6000年くらい前で、人間と恐竜は共存していた!と、本気で子供に教え込んでいるような国は、アメリカだけだからね(南部だけど)。で、そいつらが支持する政党が共和党。二大政党のどっちになっても終わってるんだから、アメリカは終わってるんだろう。
いやー、アニメと内容の振幅が大きすぎるもんだから、素直に楽しめないわ、この作品。

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image2151.png公開年:2010年
公開国:イギリス、フランス
時 間:80分
監 督:シルヴァン・ショメ
出 演:ジャン=クロード・ドンダ、エイリー・ランキン、レイモンド・マーンズ、ダンカン・マクニール、ジェームズ・T・ミューア 他
受 賞:【2010年/第77回NY批評家協会賞】アニメーション賞
 【2010年/第23回ヨーロッパ映画賞】長編アニメ賞(シルヴァン・ショメ)
【2010年/第36回セザール賞】長編アニメ賞(シルヴァン・ショメ)
コピー:これが最後の手品(イリュージョン)。


1950年代のパリ。昔ながらの地味なマジックを生業とする老手品師タチシェフは、ロックショーの幕間や場末のバーなど、ドサ廻りの日々。そんなある日、スコットランドの離島にあるバーでの仕事が入る。最近電気が開通したばかりのド田舎なので、タチシェフの古臭い手品でも村人たちは喝采する。タチシェフはバーの一室に宿を取ったが、そのバーには小間使いの少女アリスがいた。アリスはタチチェフを、何でも願いごとを叶えてくれる魔法使いだと思い込み、タチチェフが島を去るときに一緒に付いてきてしまう。フランス語のわからないアリスを放っておくわけにもいかず、エジンバラのタチチェフの部屋で一緒に暮らし始めることに。しかし、手品師のギャラではアリスを養うことができないため、彼は馴れない仕事に就くのだったが…というストーリー。

ジャック・タチというフランスの映画監督・俳優が実娘に残した脚本を映画化したということだが、根本的にジャック・タチを私は知らない。タチチェフには生き別れた娘がいて…という設定のようだが、その点も少しわかりにく。

シルヴァン・ショメのセンスは爆発しており、レイトン教授のゲームのような空間が広がる(レイトンがパクってるんだけど)。思わず画面のあやしいところをツンツンして、ヒントコインを探したくなってしまう。
『ベルヴィル・ランデブー』のときとは違い、車や汽車にCGの原画を使っている模様。おそらく彩色もコンピュータかな。別に、独特の味が毀損されているわけではないし、ヌルヌルと自動車や電車が動くことで、ものすごく奥行き、広がりのある舞台に感じられた。
#絵に集中したいから、吹き替えを着けて欲しい作品だ。
しかし、さすがに全編に漂う空気感が地味で緩すぎ。刺激のかけらも無く、目が飽きてしまう。正直、話がわからんくなって数度、チャプターを戻した。

言葉も通じない純真な少女が付いてきちゃう。こまったけど生き別れた娘とダブっちゃって無碍にはできない。食わせるために働こうか。でも、手品以外に仕事したことないし、もう年だし…、、って挫けそうになったところで、少女に彼氏ができたみたい。ああ、よかったよかった…って、そんなプロットだよね。この程度のプロットなら80分もダラダラやらないで、45分くらいでスパっとまとめたほうが、いい味が出たんじゃないかと思うのだが…。

ちょとやさしくされたからって、付いてきちゃう女の子ってのも、かなり怖いが、そこを否定すると話が進まないので良しとする。
なんで、手品師さんは、去ってしまったのか。少女のために、それなりにお金が必要になって、ガラにもなく働いたら疲れちゃったってこと?(だよな)。でも、言葉も満足に話せない、仕事もなく家賃も払えないであろう娘を放置して去っていく感覚がわからん。少女に親しい男がいる“らしい”と知っただけで、その男が面倒みてくれると決まったわけでもない。男がいるなら、なんとかなるやろ!と、元のお気楽な生活に戻ったっていうなら、けっこうクソ人間だ。

この脚本が、ジャック・タチなる人物が自分の娘に向けて書いたシナリオだとすると、あまりかまってあげられなかった娘への“言い訳”だし、言い訳なのに結局諦めて半ば投げ出しちゃうって内容はちっとも反省しているようには思えず、むしろ追い討ちな気がしてしまうのだが…。
#ウサギを野に放ったので廃業するのかとおもったら、遁走(?)した電車の中で、マジックに意欲満々になってるし。終盤は醜い言い訳のオンパレードに見える。

私の修行が足りないのか、本作のペーソスってのが、いまいち理解できない。
#ウサギが腸詰を喰うかなぁ…。

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image1085.png公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:ロバート・ゼメキス
出 演:トム・ハンクス、ノーナ ゲイ、ピーター・スコラリ、エディー・ディゼン、マイケル・ジェッター 他
受 賞:【2004年/第77回アカデミー賞】歌曲賞(曲/詞:アラン・シルヴェストリ、グレン・バラード“Believe”)、音響賞[編集](ランディ・トム、Dennis Leonard)、音響賞[調整](William B. Kaplan、ランディ・トム、Tom Johnson、Dennis S. Sands)
コピー:それは“初めてのクリスマス”をみつけに行く旅──



クリスマスイブの夜。サンタクロースなんて嘘に違いないと感じ始めている少年は、ベッドの中でじっと耳をそばだてていた。真夜中まであと5分という時、地鳴りのような轟音が響く。ベッドから跳ね起きた少年は、窓から外を眺めると、なんと白煙を上げる蒸気機関車が家の前に停まっているではないか。パジャマのまま機関車に駆け寄った少年の前に車掌が現れ、この北極点行きの急行“ポーラー・エクスプレス”に乗車するよう勧めてくる。あまりの出来事に躊躇する少年をよそに、汽車は発車。少年はあわてて飛び乗る。と、社内には、知ったかぶりで感じの悪い男の子や、何かを言いかけて止めてしまう思わせぶりな女の子など、大勢の子供たちが既に乗車していた。彼らをのせて、汽車は北極点へ向かう…というストーリー。

なんで今クリスマスやねん!というツッコミは無しで。避暑。

かわいげの皆無なリアル顔のCGに、子供が気持ち悪がるのは必至だが、内容は間違いなく子供向け。現在3D版も発売されているが、もちろんそういう民生用AV機器の技術向上を見越して作られている。さすがロバート・ゼメキス。3D化するための技術的な着地点として、キャラデザが気持ち悪くなっていると…、ん?そうなのか(笑)。

個人的には、元々クリスマスという風習に思い入れが皆無に近く、ワクワクしないため、チケットが車外に飛ばされる演出で正直うんざりしかけた。そういう悪い夢…みたいな、不自然な作為によって主人公をこまらせる演出は陳腐だと思うから。しかし、それが、動物たちによるスピーディなリレーに変貌する演出は、非常に面白かった。この流れは、車両の上でのスキーや、その後の氷原の列車ドリフトなど迫力のシーンへと続き、ドキドキハラハラのジェットコースタームービーになり、非常に楽しめた。イイネ、イイネ。

ただ、その面白さっていうのは、ジョイポリスとかにある映像を観ながら椅子がガウンガウン動くアトラクション的な意味での面白さね。ストーリーが面白いわけではない。だって、別にストーリーはないんだもん。
乗り合いの子供たちに色々性格付けされているけど、それがどうなるわけでもないし。屋根の上にいるよく判らないおっさんも、何がしたかったのかよく判らないし。教条的な内容がないことについては、むしろ歓迎すべきなのだが、あまりにも作中のキャラクターの成長・変化がない。私は、半分経過したあたりで、この作品にまともなストーリーは無いのだ!とはっきりと認識するに至った。

しかし残念なことに、それに気づいてアトラクション的な楽しみだけを注視しようと決断した途端(厳密には、サンタの国で迷子になるあたりから)、非常に楽しめていたスピード感が一気に消失していく。妖精らしき生物たちのドタバタには、それほどスピード感はなく、ラオウのような巨大な縮尺のサンタや鈴を貰うなどの特別扱いが何を意味するのかさっぱりわからず(おそらく意味はない)。
一体なにしに北極にいったのか判らないまま帰宅に至る。

どうせ意味が無いのなら、最後までジェットコースターをやってくれればよかったのにと思う。これは、“クリスマス”“サンタ”と聞いて、気持ちが高揚するような思い入れのある人のための作品だ。

 

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imageX0098.Png公開年:1998年
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:バリー・クック、トニー・バンクロフト
出 演:ミンナ・ウェン、エディ・マーフィ、B・D・ウォン、ミゲル・ファーラー、パット・モリタ、ジョージ・タケイ、ハーヴェイ・ファイアスタイン、スーン=テック・オー、ジェームズ繁田 他
ノミネート:【1998年/第71回アカデミー賞】音楽賞[オリジナル・ミュージカル/コメディ](ジェリー・ゴールドスミス)
【1998年/第56回ールデン・グローブ】音楽賞(ジェリー・ゴールドスミス)、歌曲賞(曲:マシュー・ワイルダー“Reflection”、詞:David Zippel“Reflection”)
コピー:この秋、激しくも美しいヒロインが鮮烈な感動を贈ります
秘めたる想いを胸に 少女ムーランは 髪を切り 戦士になった… 私は決してふりかえらない

ファ家のひとり娘ムーランは、女らしくすることが苦手で、嫁ぎ先が見つからず、家族を悩まさせていた。そんなある日、北方騎馬民族フン族が中国に侵攻してきた。皇帝は各家から男子一人を出征させるように命を下した。しかし、ファ家の男は、老いて足の悪くなった父しかいない。父想いのムーランは、長い髪を切って男装し入隊するのだった。そんな彼女を心配した先祖の霊たちは、ファ家最強の守護竜を降臨させてムーランを守らせようとしたが、手違いで弱小の守護竜ムーシューを呼び出してしまう。仕方なくムーシューを派遣。それでも、ムーランはムーシューの力を借りて、なんとか軍隊の厳しい訓練をこなしていくのだったが…というストーリー。

あんまり女性らしい行動が出来ない子…という描写はあったが、男まさり…という描写はなかったので、急に徴兵に応募する展開が、少々不自然に感じられた。『リボンの騎士』的なお話で、ありがちなプロットではあるが、女性の活躍と、純粋な立身出世物語として、ストレートに楽しめる内容だと思う。

ただ、それ以外に、ストーリーらしいストーリーはないのも事実。メリハリをつけるために、場面場面すべてでドタバタを差し込んでいる感じ。恋愛については、それを主軸におくとストーリーが壊れてしまうので、ラスト以外は友情の範囲に収めているので、そういう意味では女の子向けとは言い難いのかも。

では、戦争スペクタルとして優秀かといわれると、敵が中華の派遣を握っている統一王朝を脅かすほどの勢力には見えないという大欠点があり、盛り上がりに欠ける。黄巾党みたいなのが、同時多発的に各地で勃発して、ムーランのいる地方にも…という話ならわかるのだが。アメリカ人は、中国のスケールを理解していないし、歴史もよくわかっていない模様。フン族って、いつの時代に比定しているのかわからん。テュルク族とかが適当なんだと思うけど、それにしてもスケールが小さい。皇帝の城に攻めてくるラストだが、敵の数が少なく、且つ城の周りにいる民衆も、ただ眺めているだけという、ある意味シュールなクライマックス。
まあ、アメリカ人はおバカだし、アジアの歴史なんかまともに描くつもりはなさそうなので、違和感など感じないんだろう。お粥を箸で食えるかどうかは、アメリカ人でもなんとなくわかりそうなもんだけどね。

個人的には、民族的特長を出しすぎなキャラデザイン云々よりも、ご先祖が降りてきて会談するシーンが、なにか不快に感じる。なんでだろう。
私なら、あの小さい竜とかコオロギは出さない。『ピノキオ』的な効果を狙ったんだろうがストーリーにマッチしていない。
まず、ムーランの村に世捨て人のような老人を出す。村人からは疎まれているがムーランはやさしく接する。そして父もそんなムーランの行動を暖かく見守る。ムーランが男装して入隊したことをしった老人は、密かにムーランの後を追い、影からムーランを助ける。実はその老人は、以前皇帝の使えた軍師だったのだ。そして、皇帝とはちょっとした因縁があり、ラストではその因縁や過去の事件が明かされ、皇帝と老人も和解する。こんな話にするかな。要するにご先祖の霊とか妖精とか、そういうテイストと合わないプロットだと思うんだよね。

ストーリー面での苦言はここまでにして、技術面の話。
奥行きのある構図で、ヘタな3D作品なんかよりも、よっぽど空間を感じられる。まあ普通の遠近法なんだけど、原画マンの基本が出来ているってことだね。CG全盛になる前のディズニー作品の中で、一番のデキだと私は思う。手塚治虫が『バンビ』を見習って、自分の糧にしたように、本作の構図は見習う価値がある。これをただトレースするだけで、とてつもなく技術向上するんじゃなかろうか。

昨日観た『009 RE:CYBORG』がいかにクソかを、本作でも思い知らされる。それはね、原画のエッジの線。『009 RE:CYBORG』は全部黒でしょ。本柵は塗り色に近い色で書かれている部分が多く、雰囲気を毀損していない。

ストーリーの練り上げがもう少々できていれば、大傑作になったであろう作品。

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image2135.png公開年:2011年
公開国:フランス
時 間:84分
監 督:ミッシェル・オスロ
出 演:坂本真綾、逢笠恵祐、金尾哲夫 他
受 賞:【2011年/第65回英国アカデミー賞】脚色賞(ピーター・ストローハン、ブリジット・オコナー)、英国作品賞
 【2012年/第25回ヨーロッパ映画賞】音楽賞(アルベルト・イグレシアス)、プロダクションデザイン賞(マリア・ジャーコヴィク)
コピー:光と影と圧倒的な色彩美が紡ぐ、新たな5つの夢の物語。


夜の古い映画館で、好奇心旺盛な少年と少女、初老の映写技師が紡ぐ5つお話。
【怪物のあるじ】怪物が支配する地下世界では、水の飲むのも、わずかな食料源であるキノコを食べるのも命懸けで、盗むようにして生きている。人々の中の一人の少女は、大人たちから罵倒・虐待される対象となっていたが、そんな彼女に一匹のネズミがやってくる。ネズミは少女に、“怪物のあるじ”として怪物の行動を制して、地上にでることができることを教える。少女は怪物を恐れ、ネズミに従うことを躊躇するのだったが…。
【靴職人と夢の橋】靴職人の青年は、貧しさ故に恋人と結婚することもままならない。ある日、大きな橋の彫像の下に宝が埋められているという夢を見る。靴修理にきたお客から、その橋がプラハにあると聞き、本当に宝があるのか確かめたくて仕方が無くなった青年は、意を決して旅に出る…。
【見習い水夫と猫】海賊船でる見習い水夫として、こき使われる少年がいた。船内でいじめられていた猫を庇ったばかりに、少年もいじめられる始末。こんな生活にうんざりした彼は、いつか猫と一緒に陸地で暮らそうと、夢を見ていた。ある時、海賊たちが大きな街の王に財宝を売りに行くことを知り、少年も同行するのだが、その王はある悩みを抱えており…。
【魔法使いの弟子】職探しをするもののまったく採用されない青年。途方にくれて町はずれを歩いていると、年老いた魔法使いに弟子として雇われることに。気難しい魔法使いだったが、青年は難しい変身の術をあっさり覚えてしまい、有望株だと褒められ有頂天に。しかし、魔法使いの娘は、とある秘密を青年に告げるのだった…。
【イワン王子と七変化の姫】
父王が危篤となり、救うためには黄金のスモモが3つ必要と聞いたイワン王子は、果樹園の王の宮殿に忍び込む。しかし、あっさりと捕まってしまい、首を刎ねられそうになる。王子が事情は話すと、果樹園の王は、陶器の王が所持しているとある財宝を手に入れるることができたら黄金のスモモをあげてもよいといわれ…。

本作は、ミッシェル・オスロの短編シリーズ『ドラゴン&プリンセス』(全10話)の中の5編をまとめたもの。先に『夜のとばりの物語』がDVD化されていたのだけど、こっちを先に借りてしまった。今度、借りてくることにしよう。

構成もアニメーションの手法も『プリンス&プリンセス』とまったく同じ。未来のアニメータ的な人たちが、コスプレマシンをつかってお話を作っていくという設定は、正直なんじゃそりゃ…って感じなのだが、まあ、SF的な世界と懐古的な各ストーリーの振幅が楽しい…と言っておこう。。
ただ、以前よりも技術が向上したせいなのか、妙に奥行きのある動画だったり、ぬるぬる動くのでちょっと違和感がある。影絵的なリミテッドな感じが、逆に味だったのだが、ちょっと残念な気はする。とはいえ、もう様式美ともいえるレベルまで達しており、観るだけで安心感を得られるレベル。

お気に入りのエピソードは“イワン王子と七変化の姫”。わらしべ長者的で世界各地に似たようなプロットのお話はありそうだが、七変化の姫のツンデレぶりがいい味を醸し出している。王子が軽くバカなのも良い。

『プリンス&プリンセス』の吹き替えは、原田知世、松尾貴史、穂積隆信だったが、今回は別の人。平板で無意味に高圧的な声色の松尾貴史がいなくなったことは大歓迎だが、原田知世と穂積隆信じゃなくなったのは、非常に惜しい。

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imageX0096.Png公開年:1951年
公開国:アメリカ
時 間:75分
監 督:クライド・ジェロニミ、ハミルトン・ラスケ、ウィルフレッド・ジャクソン
出 演:キャスリーン・ボーモント、ビル・トンプソン、パット・オマレイ、スターリング・ホロウェイ、エド・ウィン、ジェリー・コロンナ、ヴェルナ・フェルトン 他
ノミネート:【1951年/第24回アカデミー賞】ミュージカル映画音楽賞(オリヴァー・ウォーレス)



昼下がり、木陰で姉の読むイギリスの歴史本の読み聞かせに飽きたアリス。すると突然アリスの横をチョッキを着た白いウサギが駆け抜けていく。大きな懐中時計を持って慌てているウサギをアリスは追いかけてトンネルに入り込み、その先の穴に落ちてしまう。落ちた先でウサギを見つけ、さらに追いかけると、狭い部屋に迷い込む。小さいドアを開けようとすると、ドアは「大きすぎて入れない」からと拒否。アリスが途方にくれていると、テーブルの上に小瓶が出現。そこには“私を飲んで”と小さな紙切れが添えてあった。書かれているとおり飲んでみると、アリスの体はどんどん縮んでしまい…というストーリー。

ディズニーランド30周年ということで、関連作品がTV放送されていますな。録画したものを観せていただいた。

原作にはもっと色々な言葉遊びや仕掛けがあり、ラストの「たぶんあなたは…、もういいわ」意味深な姉のセリフなど性的な隠喩も多く含まれるが、必要な取捨選択が的確に行われていると思う。サイケデリックともいえる彩色は、これでもか!というほどの原画の書き込みと相まって酔いを誘発するほど。キャラクター達のフォルムや動作はかなりグロテスクだが、この毒がいい。一周まわってアリ…というか2周まわって上質の現代アートに昇華している感じ。動画が映せるフォトフレームに入れて壁にかけておけば、立派な現代アートだよ。

ウーピー・ゴールドバーグがチシャ猫を演じた『アリス・イン・ワンダーランド/不思議の国のアリス』は、本作をただなぞって実写化しただけの劣化コピーだし、ティム・バートンの『アリス・イン・ワンダーランド』は、蛇足な続編で、いずれも3歩も4歩も及ばない。

夢オチは大抵興醒めするものだが、そうならない唯一の作品かもしれない。

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image2081.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:マーク・アンドリュース、ブレンダ・チャップマン
出 演:ケリー・マクドナルド、ビリー・コノリー、エマ・トンプソン、ケヴィン・マクキッド、クレイグ・ファーガソン、ロビー・コルトレーン、ジュリー・ウォルターズ 他
受 賞:【2012年/第70回ゴールデン・グローブ】アニメーション作品賞
 【2012年/第66回英国アカデミー賞】長編アニメ賞
コピー:私が、守り抜く。


中世スコットランドにあるとある王国。メリダは、馬に乗って弓を射るのが大好きなお転婆な王女。母のエリノア王妃は、メリダに王女らしく優雅に振舞うように口うるさく躾けるので、二人はいつも衝突してばかり。そんなある日、王妃はメリダを結婚させようと、周辺にある三つの国の王子とお見合いを勝手にセッティングしてしまう。不満なメリダは馬に乗って森に逃げ込むと、不思議な鬼火に導かれて魔女の家に辿り着く。そして、メリダは魔女に、自由になるために母を変えて欲しいとお願いする。しかし、森と人間の間には魔法を使ってはならないという掟があり、王国全体に呪いがかかってしまい…というストーリー。

タレントが声優をやっていいことはほとんどないが、本作の大島優子や中川翔子みたいにたまに飛びぬけてウマい人がいるからこまる(笑)。特に本作の大島優子なんか、絶対話題集めのためだけにキャスティングしたに違いないのに、このデキだもの。拾い物にもほどがある。はじめのナレーションでアレ?と思ったけど、普通の会話の台詞になったら違和感は皆無。続けられるものなら、続けたほうがいと思う。

魔女が作ったケーキを食べたため、熊になってしまった王妃と三つ子。魔法の力で運命を変えようとしたために悲劇がおこる。熊退治で名を成した父王は、皮肉にも熊になった妻を殺そうとしまう。冷静に考えれば、グリム童話ばりのおそろしい展開だ。さて、どうなっちゃうのか?母は人間に戻れるのか?欧州民話をオペラにしたみたいな、ある意味スタンダードなお話。昨今ではめずらしいくらいの、素直で古典的なドキドキ展開で、灰汁も毒も薄いけど、悪くなかった。

また、ピクサー作品なのにピクサーっぽくないのも特徴か。
ディズニーにピクサーが吸収された後、完全にピクサー臭がなくなった初めての作品かも。
魔女の家に押しかけていったら、壷から音声ガイダンスみたいなメッセージが出てくるところとか、エンドロール後の木彫りの熊の宅配のくだりなんて、『シュレック』とかのワーナー作品みたいなノリ。

CG技術に関してはもう行き着くところまで行ってしまった感じで、逆に髪の毛とか物体の素材感がリアルすぎて、逆にアニメとして違和感バリバリになってしまってるレベル。実写のCG技術をそのまま適用するのは、方向性として何か間違っている気がするのだが。

変な表現だけど、質の良い凡作って感じ。

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image2070.png公開年:1954年
公開国:イギリス
時 間:74分
監 督:ジョン・ハラス、ジョイ・バチェラー
コピー:歴史は繰り返す。支配する者とされる者。その構造は変わらない、ただ…
 今、豚は太っていない。
 伝説のH&Bが半世紀前に描いた、永遠不変の権力の寓話。ジョージ・オーウェル原作「動物農場」、ついに日本解禁。




ひなびた荘園農場で、動物たちは人間にひどい扱いを受け、搾取されていた。耐えかねた動物たちは、豚の指導の下で革命を起こし、人間を追放する。動物たちは“すべての動物の平等”を掲げ、自分たちで農場経営を始める。数ヶ月経ったころ、豚のスノーボールが、新たなな秩序や教育活動、電力を得るための風車建設計画などを進める。そんな動きを疎ましくおもった豚のナポレオンは、密かに手なずけて訓練を施していた大型犬でスノーボールを襲撃し、農場から追放してしまう。その後、豚が他の動物を監視・労働させ、自分たちはかつての農場主の家で優雅な生活をするという体制がはじまり…というストーリー。

さすがイギリス、搾取される労働者による階級闘争話、ケン・ローチの世界か…と思ったが、もっと直球の全体主義、共産主義批判で、自由主義、共和制こそ正義という思想のもの作られた作品だった。はじめは労働者による純粋な反抗からスタートする。このスタートは自由主義国家であっても共産主義国家でも変わらない。不当な搾取からの脱却。では、同じスタートながら、なんで両者が異なる結果を生むのか…と、これを考えさせてくれる、いい教科書ではあると思う。今、これが製作されたというのなら、別になんてことはないのだが、この原作が1945年で、本作が1954年ということを考えると、共産主義の末路を予言しているという意味では、なかなかの慧眼だといえる。
#スノーボールのモデルはトロツキーらしいか、トロツキーがそんなに美化される人物なのかは、意見が分かれるところだろう。
だから、アニメといっても子供向けではない。ラストに微塵のカタルシスもなし。ジブリライブラリだからといって、うかつに子供に見せると、子供のブーイング必至である。

現在において、多少、全体主義に傾きかける傾向がみられることがあったとしても、それは周辺国の蛮行や、国内の破廉恥な商業主義のカウンターバランスとして表出するだけで、この作品が警告するような、全体主義や共産主義への道ではないわけで、アニメの歴史的価値とか古典という意味以外に本作の価値はないよに思える。

しかし、一点、現代社会においても考えさせられる部分が。それは馬とロバ。
馬とロバは、労働者の鑑として描かれる。おそらく馬もロバも、資本主義社会だろうが共産主義社会だろうが、いずれにおいてもマジメに働くと思われる。たしかにすばらしいことなのだが、いずれにしても権力者にとって都合のよい労働力だというのが悲しい。革命というドラスティックな展開になるまでそれを放置してしまう原因が“マジメさ”と“隣人愛”だと考えると、なにかやるせない。
さて、現代の労働者が、本作の馬やロバのようにならないよう、“動物らしく”生きるためには、どうすればいいのか。60年近く経った今でも考えさせてくれる要素が詰まった作品だと思う。佳作。

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imageX0092.Png公開年:2000年
公開国:アメリカ
時 間:81分
監 督:クレイグ・マクラッケン
出 演:キャサリン・カヴァディーニ、タラ・ストロング、E・G・デイリー、トム・ケニー、ロジャー・L・ジャクソン、トム・ケイ 他






タウンズビルという治安の悪い街に住む、天才科学者・ユートニウム博士。彼は、『お砂糖+スパイス+ステキなもの』で、パーフェクトな女の子を作り出す実験に没頭していたが、チンパンジーのジョジョが、謎の薬品“ケミカルX”混ぜてしまい大爆発。すると、3人のカワイイ女の子たちが誕生し、それぞれブロッサム、バブルス、バターカップと名付けられる。しかし、3人は、かわいいクセにとんでもないパワーを持っており、通いはじめたばかりの幼稚園での鬼ごっこがエスカレートして、街中を破壊してしまう。非難を浴びたガールズは、街中の人から嫌われたと思い苦悩する。そんな時、ガールズたちを一緒にケミカルXの爆発に巻き込まれ、突然変異を遂げ悪者になったジョジョがあわられ、彼女たちに手を差し伸べるのだったが…というストーリー。

ここ10数年の間で、日本人の鑑賞に堪えうる子供向けのアメリカ製TVアニメは、本作だけだと思う。そんなわけあるか! という声が聞こえてきそうだが、『サウスパーク』とかは子供向けじゃないし、案外、このクオリティのものは無いのだよ。

ビビッドな配色、エッジがボールドな線、子供も大人も理解できるシュールさ。カートゥーンチャンネルで似たようなテイストの作品は他にも作られているが、その後どんな作品が作られても、PPGの二番煎じにしか思えないくらい。いかに本作の新規性というかユニークさが特出しているか…という証拠である。
#日本でもリメイクしたアニメが作られたが、PPGの良さを見事に消した残念な作品だった。

タウンズビルは間違いなくゴッサムシティがモチーフというかパロディになっているし、モジョは『バットマン』でいうところのジョーカーにあたる。そして、本作は、TVシリーズの“ビギンズ”物になっている。しかし、決して第一話の焼き直しではなく、しっかりとした誕生物語。プロットはしっかりしていて、はじめは人間から忌み嫌われるが、正義の心に目覚め、荒ぶる力の使い方を覚えることで市民たちと和解し、スーパーヒロインになっていく。『バットマン』や『スパイダーマン』や『ゴジラ』シリーズや『ガメラ』シリーズにも通じる王道路線である。『バットマン ビギンズ』の三年前だが、よっぽど本作のほうが、ビギンズ物としては優秀に感じるほどである。
#研究で女の子をつくろうという博士の話がマトモだとは思わないけどさ(笑)。

まあ、ちょっと褒めすぎたが、10年以上経っても古臭さは一切感じない。プリキュアとか観せるくらいなら、幼稚園児にはこれのTV版をレンタルして観せたほうがいいように思える。激しいバイオレンスシーンが満載だが、あまりにもリアリティがなさすぎて、『アンパンマン』のほうが暴力的に感じるくらいである。『アンパンマン』は一緒に観ていると苦痛になるときもあるが、本作はちりばめられた毒気のおかげで、親もニヤリとできるのが素敵。
#ずっと顔が出ない市長の秘書とか、いたねー。久々に観て、思い出したわー。

 

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image2031.png公開年:2011年
公開国:フランス
時 間:86分
監 督:ビボ・バージェロン
出 演:ヴァネッサ・パラディ、(英語版)アダム・ゴールドバーグ、ショーン・レノン、(仏語版)ジェイ・ハリントン、ガド・エルマレ、マチュー・シェディド、フランソワ・クリュゼ、リュディヴィーヌ・サニエ、ジュリー・フェリエ、ブルノ・サロモネ 他




1910年代のパリ。自称発明家だが配送業をしているラウルは、友達の映写技師のエミールを乗せて、とある博士の研究室に荷物を届ける。研究室に入っていたずらを始めるラウルは、そこにあった薬品で遊んでいると、偶然、生き物を巨大化させる薬を配合してしまう。草花を強大化させてしまうが、一緒に別の何かも巨大化させてしまう。その日から、2メートルほどの謎のモンスターの目撃情報が、パリの至るところから寄せられ、大騒ぎに。そんな中、ラウルとエミールの幼馴染で、人気歌手のルシールのところに、モンスターが現れる。しかし、そのモンスターの美しい歌声に心惹かれたルシールは、モンスターを楽屋に招き入れる。モンスターが音楽を大好きなことを知ったルシールは、変装をさせて''フランクール''と名前をつけ匿おうとするが、ステージママにフランクールがみつかつぃまいステージに出すことになってしまい…というストーリー。

日本未公開のアニメということでまったく期待していなかったのだが、どうしてどうして、非常に質の良いアニメだった。

アメリカでも日本でも、CGアニメは陰影処理こそしているが、いまいち奥行きを感じない作品が多い。CGにすることで楽に仕上がっているのならわかるが、かえって手間がかかるならCGにする意味があるのか疑問な場合も多々ある。
エンドロールに出てくる原画(か絵コンテ)がすばらしく、3Dじゃなくて、そのままそっちで作ったほうが名作になりそうではあるが、本作は、奥行きを感じる構図と、落ち着いた配色によって、作品全体が非常に良い雰囲気に仕上がっている。

また、アクションが非常に小気味良い。モーションキャプチャーのような手法は使っていないと思うのだが、とにかく動きがよい。人が動く時の、肩や腰のグッと入る感じが実にうまくて、デッサンの基礎能力が非常に高い人による仕事であることがわかる。いかにも、欧米のアニメらしいキャラクターなのだが、このキレのあるモーションのおかげで、アニメであることを忘れる瞬間があるほどである。これは今の日本のアニメに欠けている技術的方向性。是非見習うべき…というか、この基本に立ち返るクリエイターを育成しないと、あっという間にフランス産アニメに追いつけなくなる日が来る…そんな気すらする。

フランスが大洪水にみまわれているという設定も愉快だし、キャラクターの配置もユニーク。映写技師のエミールとモギりの女の子とのくだりでスタートするのだが、彼らは話の主軸ではない。その友達のラウルでもない。彼らが生み出したモンスターと、後から登場するルシールとの、オペラ座の怪人のようなストーリーが主軸になっていく。敵役として登場する警察署長(選挙があるから保安官?ちょっとフランスの警察制度はよくわからん)が登場し、彼らを追いかけ苦しめる。さて、彼らはフランクールを守れるか否か?味付けのちょっと濃いキャラクターたちはどう絡んでいくのか。ちょっとヒネりのある世界観で、なかなか面白いと思う。

うやむやのうちに警察署長が逮捕されたり、肝心の博士が顔もださずに、都合よく薬だけ作ってくれたり、よく考えると、ブラッシュアップしきれていないような気もするのだが、それを押し切るだけの、画面の力がある。アメリカの3Dアニメとは、微妙に一線を画する作品。軽くお薦めしたい。

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image1942.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:クリス・ミラー
出 演:アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック、ザック・ガリフィナーキス、ビリー・ボブ・ソーントン、エイミー・セダリス、コンスタンス・マリー、ギレルモ・デル・トロ 他
ノミネート:【2011年/第84回アカデミー賞】長編アニメ賞
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】アニメーション作品賞
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】長編アニメ賞
コピー:捨て猫プスの宝探しの大冒険が始まる!

孤児院で育てられた猫のプスは、やってもいない銀行強盗の汚名を着せられ、故郷を追われ、そのままお尋ね者となり、そのまま盗賊として街から街を渡り歩いている。ある日街の酒場で魔法の豆の話を聞く。かつて魔法の豆を探し続け見つけることができなかったプスは、豆を持っているというジャックとジルという夫婦から盗むことを決める。しかし、彼らの部屋に盗みに入ると、そこで覆面猫に遭遇。モメているとジャックとジルに見つかってしまい豆を盗むのに失敗してしまう。邪魔をした覆面猫を追いかけていくと、その猫は何とメスのキティ。さらに、彼女が旧友のハンプティ・ダンプティの仲間であることが判り…というストーリー。

特段、悪い所があるわけではないのだが、『シュレック』と比べると、ギャグの切れも悪いし、身も蓋も無い下品さもない。まあ、私がそういう部分を愉しみにしていただけなんだけど。

ハンプティ・ダンプティというキャラクターやその行動がいまいち成立していないと思う。
復讐復讐というが、こういう形で猫を巻き込まねばならない意味がわからない。ハンプティ・ダンプティが捕まったことへの復讐というが、町の人々は犯罪者だったハンプティ・ダンプティの言いなりになっているし、いまだにプスだけがお尋ね者で、よってたかって悪者扱いなのもいまいちよくわからん。

雲の上に行くために、どうしてもプスの力が必要だったというならわかる。でも、そんなこともなく。まず、不思議な豆を入手でしたならば、普通に金の卵でもガチョウでも手下を連れて、乗り込めばいい。それはそれとして、別途復讐すればいい。絡める理由が何一つない。
だから、はい、始めから最後まで、ハンプティ・ダンプティの仕掛けでしたーってオチが、物凄くつまらない。モヤモヤ。

ハンプティ・ダンプティをすっかり人格が破綻したキャラにして、もっと狂人として描けばよかったと思う。それこそ『ダーク・ナイト』のジョーカーみたいにね。中途半端だね
また、キティがなんでハンプティ・ダンプティの言いなりなのかもよくわからんし、プスの生い立ちがラテン系の性格と繋がっていないような気もする。なにか、シナリオの練りこみが甘い、というか『シュレック』自体に対する愛が足りないんじゃないかな。
3D効果の注力して、肝心のシナリオがイマイチな、昨今よくあるパターンだな。でも、空間を生かした動きのあるシーンが満載で、さぞや3D映像は楽しかっただろうと思う。でも、観たのはDVDだからなぁ。

まあ、猫派か犬派かによって印象も違うんだろう。猫っていうだけで可愛いバイアスがかかる人は満足できる。残念ながら私は犬派なので、プスの子供時代とかを観ても、それほど萌えないのよ。極めて凡作。
#気圧が低いから声が高くなるとか、子供向けのアメリカ映画ってなんで非科学的な描写が多いんだろう。さすが、ファンダメンタリストの国。アホだわ。

 

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image1054.png公開年:1999年
公開国:フランス
時 間:67分
監 督:ミッシェル・オスロ
出 演:原田知世、松尾貴史、穂積隆信 他
コピー:だれも知らないおとぎの国のお話――





未来のアニメーターのような立体映写技師の老人と、好奇心旺盛な少年と少女が、ラブストーリーを紡ぎ出していく。魔法にかけられ囚われの身となった王女をプリンセスが助けに行く「プリンセスとダイアモンド」。貧しいが善良な青年が、自分の庭になった季節外れのいちじくをファラオに捧げに行く「少年といちじく」。王女の妻になるために難攻不落の魔女の城に、青年が丸腰で挑む「魔女」。老婆の腰掛を奪おうとする泥棒の日本を舞台にした物語「泥棒と老婆」。王女から逃げ切ることができれば夫になれるが見つかれば殺されるという死のかくれんぼに参加する青年の物語「冷酷なプリンセス」。キスをするたびに様々な生き物に変化してしまう王子と王女の物語「プリンス&プリンセス」の全6話。

『キリクと魔女』のオスロ監督の作品。彼の数ある短編アニメの中から、プリンスとプリンセスにまつわる作品だけをチョイスしてまとめたとのこと。だから厳密にいうと、このDVDの構成で公開しようとはじめから作られたわけではないので、映画といえるかどうか微妙なところではある(まあ、いいや)。

日本の商業アニメがマンガを動かすところからスタートしているので、当然昔話も絵本を動かそうという発想になっても仕方が無い。日本昔話のような番組は、絵柄にアート性を盛り込もうという意図はそれほど高くなかったのも理解できなくはない。本作は、オリジナルストーリーだったり民話が元だったりするわけだが、全編影絵による表現力は統一されており、その表情が伝わってくるほどのとてつもない表現力にはただただ感服する。
復活した日本昔話が、意外と観てもらえずにひっそりと終わってしまった理由は、本作のような絵力、さもすれば子供たちを置いてきぼりにしそうなくらいの独創力が、不足していたからではなかろうか。その不足が子供からみても“子供だまし”にみえると、話には入り込めなくなるものだ。
とにかく本作は、子供の目も大人の目も飽きさせない、実に質の高い作品だと思う。

今、本作のような作品が商業ベースに乗らないのは理解する。でも、個人のパソコンでこのレベルの作品は作ることができる時代になったにも関わらず、こういう作品が雨後の筍のように生まれてこないという、アート界の現状を危惧すべき…そんな気がする。

穂積隆信の声優としての演技力が特出しているため、松尾貴史のセリフがポンコツ演技に思える。いや、松尾貴史の声の演技の大したことがないのが際立ってしまった…というのが正確かも。

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image1840.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ジョン・ラセター、(共同監督)ブラッド・ルイス
出 演:ラリー・ザ・ケイブル・ガイ、オーウェン・ウィルソン、ボニー・ハント、トニー・シャルーブ、グイド・クアローニ、マイケル・ケイン、エミリー・モーティマー、ジェイソン・アイザックス、エディ・イザード、ジョン・タートゥーロ、ルイス・ハミルトン、トーマス・クレッチマン、ジョー・マンテーニャ、ピーター・ジェイコブソン、フランコ・ネロ、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ブルース・キャンベル、ポール・ドゥーリイ、ジョン・ラッツェンバーガー、キャサリン・ヘルモンド、ジェニファー・ルイス、チーチ・マリン、ダレル・ウォルトリップ、ロイド・シャー、マイケル・ウォリス、エディ・マックラーグ、リチャード・カインド、ブレント・マスバーガー、デヴィッド・ホッブス、パトリック・ウォーカー、ジェフ・ガーリン、マイケル・ミシェルス、ジェフ・ゴードン、テレサ・ギャラガー、スタンリー・タウンゼント、ヴェリボー・トピック 他
ノミネート:【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】アニメーション作品賞
コピー:彼らの“友情”が“世界”を救う!

ピストン・カップに4度優勝中、絶好調の天才レーサー“ライトニング・マックィーン”。ラジエーター・スプリングスで休暇中だったが、親友のレッカー車メーターのおせっかいで、バイオ燃料メーカーが主催するワールド・グランプリに出場することになってしまう。今回は、メータをはじめ町のみんなをピットクルーとして帯同させることに。みんな意気揚々と第一戦が開催させる日本へ向かうが、トップチームが集結するレースの様子に、田舎者のメーターは戸惑ってしまう。そんな中、イギリスのスパイ・コンビにアメリカのスパイと誤解され、メーターはクルマ世界の存亡がかかった争いに巻き込まれてしまい…というストーリー。

CMを見た限りだと、単なるレースの世界ツアーのお話だと思うわけだが、冒頭からスパイ映画のノリでスタート。前作とは打って変わって世界規模の大風呂敷を広げた展開。でも、どこかのスパイ映画で観た様なアクションを、クルマたちが演じている姿がおもしろくて、掴みはバッチリ。コミカルなので、007ってよりもオースチン・パワーズみたい。

前作は、スポーツ物やアクション物での若者成長物語のテンプレート。今回は、アクションコメディのテンプレート。いずれにせよ、ハリウッドが培ってきた鉄板シナリオのパターンを外していないので、安心して鑑賞できる。
ただし、今回の主役はマックィーンじゃなくて、メータ。メーターとマックイーンの不仲、そしてメーターのアイデンティティ崩壊と成長・再生の物語。だから“2”ってよりも、メーターが主役のスピンオフ作品に近いかも。

日本を舞台にした海外の映画は数あれど、一番、正しい日本描写な気がするのは私だけか?でも、東京じゃなくて大阪を舞台にしたほうがマッチしてたかもね。
海外ツアーってことで、日本、ヨーロッパと、プロモーションもばっちり。でも日本車は出ない。ここもまた、大人の事情がプンプンだわな(笑)。
大人の事情といえば、スパイ戦争側のプロットもそう。代替燃料と石油メジャーの陰謀っていう構図はおもしろいけど、その代替燃料に欠陥があって、代替燃料マンセーにならないという、実在の石油メジャーにもエコロジー活動家たちにも、どちらに対しても極めて政治的な配慮(笑)がなされている。車、石油と、けっこうエグくなるテーマだもんな。
ふつうならそういう大人の事情には、気持ち悪さを覚えるとことなんだけど、通り越して笑えるレベルまで昇華できてるな。

前作の時に、メーターはアイルランド系っぽいって書いたけど、その読みは案外はずれてなくて、今回はイギリスでナイトの称号をもらっちゃう(イギリスに縁も所縁もない人はまずもらえないからね)。

こりゃ3もあるかな…くらいの出来映えだけど、毎回恋愛話が絡んでくるとなると、ちょっと世界観に限界があるよな…とも思う。何がって、子供はどうやって生まれてくるのか…っていうところに触れなきゃならないからね。工場とかそういう夢のない描写になっちゃうから、よっぽど工夫しないといけない。3が作られたとしても、またスピンオフみたいな内容になるだろうね。
ジャスティスリーグやアベンジャーズみたいに、“ピクサー・リーグ”みたいなのもおもしろいかもよ(私ならそんな企画を出すけど)。

とても愉しめた。前作共々お薦め。
#「ポリリズム」は、別にどうでもいいや。主題歌歌ってるくらいでヴェネチアとか行っちゃだめじゃね?Perfume。

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image1863.png公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:122分
監 督:ジョン・ラセター
出 演:オーウェン・ウィルソン、ポール・ニューマン、ボニー・ハント、ラリー・ザ・ケイブル・ガイ、チーチ・マリン、トニー・シャルーブ、グイド・クアローニ、ジョージ・カーリン、ボブ・コスタス、ダレル・ウォルトリップ、ポール・ドゥーリイ、ジェニファー・ルイス、キャサリン・ヘルモンド、マイケル・ウォリス、リチャード・ベティ、マイケル・キートン、ジョン・ラッツェンバーガー 他
受 賞:【2006年/第64回ゴールデン・グローブ】アニメーション作品賞
【2006年/第12回放送映画批評家協会賞】長編アニメ賞
コピー:そこは、地図から消えた町――
都会育ちの人気レーサーが迷い込んだのは、クルマたちが平和に暮らす町、ラジエーター・スプリングス。しかし、その町には《悲しい運命》が待ち受けていた…。

そこは車だけの世界。ピストン・カップの才能ある若きレーサー、ライトニング・マックイーンは、初の新人チャンピオンがかかっていた最終レースで、その自己中心的な性格が災いし、優勝確実た展開だったのにチャンスを逃してしまう。そして、3台同着となったため、1週間後に優勝決定戦が行われることに。しかし、会場のカリフォルニアへ向かう途中、トラブルによりマックィーンはルート66沿いの田舎町“ラジエーター・スプリングス”に迷い込んでしまう。一刻も早く町を出てレース会場に向かいたいりマックィーンだったが、ド田舎の住人達と過ごすうちに、忘れていた大切なものに気付きはじめ…というストーリー。

それまでピクサー作品はDVDが出れば、新作レンタルで追従していたんだけど、私、モータースポーツというものに、まっ~~~~~ったく興味がないもので、この作品でその慣習は途切れた。この度『カーズ2』を知り合いから借りたのだが、一作目を観てなかったのでレンタルした次第。

なんだよ、単なる喰わず嫌いだったじゃねえか、ものすげーおもしろかった。未だにけっこうグッズが売られてるのも“2”ができるのも納得だぁ。

“人間”が存在しない世界というのは、ピクサー作品ではじめてじゃなかろうか(画面には出てこなくても、どこかに人間がいる世界ばかりだったと思う)。牛や蝿まで車だもんな。このノリは面白い…というか、擬人化大好きの日本人にはピンとくるセンスだわ。

冒頭の圧巻のレースの様子や、トラックに散らばる“タイヤかす”まで表現されている細かさに圧倒される。掴みはOK。
髪の毛の質感とか生体表現にこだわって結果をだしてくたピクサーだけど、つるつるの車の表面反射の処理なんて、それに比べたら大した技術じゃないので、画質に対する違和感など皆無。その分、ストーリーにも集中できる。
先人と若者の軋轢と和解。都会の効率化した生活での感じた疎外への苦しみと、仲間を見つけることでその疎外から開放される過程。車のお話だけど、しっかりした“人間再生”のストーリー。これまでハリウッドが培ってきたウケるシナリオの鉄則から一切外れることは無い、鉄板の展開。

メーターの歯並びの悪さは、アイランド系の肉体労働者って感じで、(ちょっとギリギリの表現くさいけど)キャラ付けもばっちり。ドイツ車、イタリア車、もちろんアメ車等々新旧の車種が盛りだくさんで、車でここまでキャラクターを立たせることでできるなんてすごい。あんま日本車はみないな…って思うけど、そこは“2”におまかせしよう。

文句なし快作。多くを語る必要なし。エンドロールでのドライブシアターで流れる、車にて演じられた歴代のピクサーアニメのデキが最高。“2”にも期待。

#ジローラモの吹き替えが、意外にも成功している。ピクサー映画の吹き替えプロデュース能力はスゴイ。
 

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プロフィール
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クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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