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image0710.png公開年:2002年  
公開国:フランス、ドイツ、ポーランド、イギリス
時 間:149分  
監 督:ロマン・ポランスキー
出 演:エイドリアン・ブロディ、エミリア・フォックス、ミハウ・ジェブロフスキー、エド・ストッパード、モーリン・リップマン、フランク・フィンレイ、ジェシカ・ケイト・マイヤー、ジュリア・レイナー、ワーニャ・ミュエス、トーマス・ラヴィンスキー、ヨアヒム・パウル・アスベック、ポペック、ルース・プラット、ロナン・ヴィバート、ヴァレンタイン・ペルカ  他
受 賞:【2002年/第75回アカデミー賞】主演男優賞(エイドリアン・ブロディ)、監督賞(ロマン・ポランスキー)、脚色賞(ロナルド・ハーウッド)
【2002年/第55回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(ロマン・ポランスキー)
【2002年/第37回全米批評家協会賞】作品賞、主演男優賞(エイドリアン・ブロディ)、監督賞(ロマン・ポランスキー)、脚本賞(ロナルド・ハーウッド)
【2002年/第56回英国アカデミー賞】作品賞、監督賞[デヴィッド・リーン賞](ロマン・ポランスキー)
【2002年/第15回ヨーロッパ映画賞】撮影賞(パヴェル・エデルマン)
【2003年/第27回日本アカデミー賞】外国作品賞
【2002年/第28回セザール賞】作品賞、監督賞(ロマン・ポランスキー)、主演男優賞(エイドリアン・ブロディ)、音楽賞(ヴォイチェフ・キラール)、撮影賞(パヴェル・エデルマン)、音響賞(Jean-Marie Blondel、Dean Humphreys、Gerard Hardy)、美術賞(Allan Starski)
コピー:音楽だけが生きる糧だった

ナチス占領下のポーランドを生き抜いたユダヤ人ピアニストを描いたストーリー。公開当時は、実話であることや、長男が日本で大学教授をやっていることなどを含め、大層話題になっていた。見よう見ようと思っていながら、重い内容と長さから、後回しになっていたのだが、この間、スイスでポランスキーが逮捕されたのをきっかけに、見てみようと…(なんだかなぁ)。

今後、ポランスキーがお亡くなりになったとしたら、間違いなく、その人生は映画化されるでしょうね。なかなかこんな人はいない。

幼少時、両親とともにゲットーに押し込められ、父親が逮捕される直前に、有刺鉄線に切って穴をあけポランスキーを逃がす。その後、父は強制労働、母はアウシュビッツで虐殺。本人もユダヤ人狩りからの逃走を続ける。本作は、彼にとってどうしても作らなければいけない作品だったということ。これを作らずして死ねるか…くらいの気持ちで撮っていたことだろう。

まあ、彼の場合、その後も波乱万丈。運良く生き残った父と再会し、俳優活動などをするが、自由な活動を求め(冷戦時代だからね)、ポーランドからヨーロッパに移住し、映画監督に。西側でウケたので、アメリカに居住。女優のシャロン・テートと結婚するが、この顛末が恐ろしい。かの悪名高きマンソン・ファミリーに襲撃されて、妊娠中の彼女は惨殺されてしまう。アポロ11号が月着陸したちょっと後のハナシ。

「FBI心理分析官」を読んだので、シャロン・テート殺害を含めた罪で逮捕されたチャールズ・マンソンのことは知っていたが、彼女がポランスキーの奥さんだったことは、結構最近になってから気付いた。まったく結びついていなかった。ちなみに、チャールズ・マンソンは、まだ刑務所内で存命している。

まあ、ここまでなら、単なる悲劇で終わるのだが(といっては失礼だが)、その後がよろしくない。友人のジャック・ニコルソン宅で、13歳の少女に性的行為をした嫌疑で逮捕。本人は無罪を主張するも有罪となる。さらに悪いのが、その保釈中に、国外逃亡。今回逮捕されたのも、この件で国際手配されていたからである。

彼を釈放するように署名が集まっているようだが、どんなに才能のある映画監督だろうが(本作以外は見たことがないが)、それはそれ、これはこれ。今後どうなるかは注目したいところだが、ここまでくると、不謹慎なのは承知で言うが、あとは映画のいいラストになるような、さらに味のある晩年を迎えて欲しいと思う。

で、本作なのだが、これは是非みるべき。いや、見なくてはいけないといっていいかも。私も何年かに一度、こういう類の悪夢を見るが、なんともいえない緊迫感。じっとり汗が出るようだ。これはポランスキーにしか撮れない作品ということ。彼のこれまでの経験は、この映画をとるためにあったといってもよいかもしれない。なんといっても体験した本人が監督した映画なのだがら、貴重の極みだ。

重ね重ね不謹慎なことをいうが、中国も今あるような抗日映画ではなく、このレベルの作品がつくれればよいのだけどね。

閑話休題。とにかく無条件にお薦めする。
実は『シンドラーのリスト』も後回しにして、見ていなかった。これを機会に見ることにする。

#(追伸)10/26に、ポランスキーに対する訴えが取り下げられたと報道があった。

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image1415.png公開年:2009年  
公開国:日本
時 間:113分  
監 督:本木克英
出 演:山田孝之、栗山千明、濱田岳、石田卓也、芦名星、斉藤祥太、斉藤慶太、渡部豪太、藤間宇宙、梅林亮太、和田正人、趙民和、三村恭代、大谷英子、オジンオズボーン中林大樹、佐藤めぐみ、甲本雅裕、パパイヤ鈴木、笑福亭鶴光、石橋蓮司、荒川良々  他
コピー:笑う阿呆に~オニ来たる~!


二浪して京大生に入学した安倍は、謎のサークル“京大青竜会”に入会してしまう。そのサークルは小さな式神の集団を操り戦わせる伝統の祭り、“ホルモー”を行うサークルだった…。というストーリ。

こういうアイデアを思いついて、設定を作って、そこにユニークなキャラを放り込むところまでは、できる人はできると思うのだが、それどぐっとまとめあげて、ラストにむかってきっちり集約するのは、とてもすごい才能だ。原作を読んだことはなく、原作からこのクオリティーのストーリなのかはわからないので、褒めるべきが原作者なのか監督なのかわからないが、本作のストーリーのまとめっぷりは、すばらしいと評価したい。

ただストーリーといっても、レンタルDVDサイトとか公式ホームページで紹介されているような内容以上のものがあるわけではない。誰がどういうキャラクターで、誰が誰を好きで、ホルモーがどういうもので…と、すっかり事前にわかっているわけ。それでもおもしろく仕上がっていることが、実にすごいこと。

本木克英監督は、『ゲゲゲの鬼太郎』2作では、説明的なセリフがうっとしくて、それに引っ張りまわされていた感じがあったのだが、今回はすっかり克服されている(まあ、鬼太郎は子供が見るっている条件があったから仕方がなかったんだろうが)。必要以上のクドイ説明もないし、適度な置いてきぼり感とてもいうのだろうか。それがストーリーの疾走感に繋がって、清流のようにするっと最後まで見せてくれた。
また、鬼太郎では、女の子がいまいちかわいく撮れていなかっただけど、今回は栗山千明や芦名星はもちろん他の人もいい感じで撮れている。

ホルモーなどという荒唐無稽な設定のため、はじめっから観る対象から除外している人もいるかもしれないが、毛嫌いすることなく、観ることをお薦めする。

あと、気になる点をひとつ。
最後に赤十字マークの使用方法に誤りがあった旨の表示があるのだが、見ている側は、何が誤用なのかさっぱりわからない。なんなんだ?クイズか?
イスラム圏やイスラエルでは別の意味だからか?法律で使用範囲が決まっているからか?
誰がこの断り書きを入れさせているのか知らないが、これを見ても、多くの人が結局なにが悪いのかわからないじゃないか。本当に注意を促し啓蒙したいなら、この書き方でおしまいはないだろう。これを書かせた奴、そしてこの書き方でOKとしたやつは、間違いなくバカです。

で、結局何が悪いのだ?せっかくのいい作品に水を差したな。

 

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image0785.png公開年:1989年  
公開国:アメリカ
時 間:104分  
監 督:アンドレイ・コンチャロフスキー
出 演:シルヴェスター・スタローン、カート・ラッセル、テリー・ハッチャー、ジャック・パランス、ブライオン・ジェームズ、ジェームズ・ホン、マーク・アライモ、マイケル・J・ポラード、クリント・ハワード、ロバート・ツダール、ビング・ラッセル、ルイス・アークエット、ジェフリー・ルイス  他
コピー:デカイ敵ほど燃えあがる!ビシッとスタローン超過激!!


ロスの2人の刑事が、悪の組織にはめられちゃうけど、負けないぜ!という、べたべたなバディ物。
この作品は、昔、レンタルビデオ落ちしたテープを買って、持っていた。捨てちゃったけど。懐かしかったので、久々に観てみた。

スタローンとカート・ラッセルの競演。まさにA級とB級のぶつかり合いで、さて本作はどっちになるかな?というところだが、なんといっても、B級の帝王カート・ラッセルだもの。帝王の勝ちさ。コピーはスタローン押しなんだけどね。

セックスもサイコも社会問題もなにも出てこない、日曜の午後3時くらいに、小学校の高学年生と一緒に観ても、なんの問題もない、健全な作品。少年ジャンプで連載していてもおかしくない程度。
『リーサル・ウェポン』とはまったく違って、登場人物にもストーリーにも、影なんてまったくなし。よって、心にひっかかるものなんて、何一つないから、続編なんかできるはずもなし。

気の利いたセリフをいっているつもりが、すべりたおし。過去のバディ物をあえてなぞって、笑いにしようとしているのかと思ってしまうくらい(笑えはしないけど)。バディ物っていうのは、大抵、どっちかに感情移入できたりするものだし、かっこいいなぁと思わせるものだけど、本作の2人は、まったくそんなことを思わせないね。両方ともチンケなキャラクターで、愛すべきところがないなんて、ある意味すごい。
でもね、じゃあ、ダメ作品かというと、タマにはこういう、な~~~~んにも考えさせない映画も必要なのだと思う。
まったく作品の中にのめりこませてくれないんだもの。逆に、今、こういうレベルの作品なんてないもの。貴重というか必要悪だよ(笑)。

休日のお昼にブッフェで食べ過ぎて、ソファーで寝転がっているときとかに、観るとよい。ふしぎなことに、頭もすっきりして、いつのまにかお腹もこなれるでしょう。脳に血流がいってないときに楽しめる作品だと思う(褒め言葉になってないか)。

ちなみに、脚本のランディ・フェルドマンは、黒澤明が書いた脚本をもとの『暴走機関車』という作品の脚本を担当していたらしい。そんな映画があったか。レンタルショップで出会ったら、借りてみようか。

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image0093.png公開年:2003年  
公開国:ウルグアイ、アルゼンチン、ドイツ、スペイン
時 間:94分  
監 督:フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール
出 演:アンドレス・パソス、ミレージャ・パスクアル、ホルヘ・ボラーニ、ダニエル・エンドレール、アナ・カッツ、アルフォンソ・トール  他
受 賞:【2004年/第57回カンヌ国際映画祭】オリジナル視点賞、国際批評家連盟賞【2004年/第17回東京国際映画祭】東京グランプリ・都知事賞、最優秀女優賞(ミレージャ・パスクアル)
コピー:“ウィスキー”は幸せの合言葉

ブラジルとアルゼンチンの間の小国ウルグアイで作られためずらしい映画。はじめてみた。
さびれた靴下工場の経営者ハコボの下で、中年女性マルタが助手として働いている。弟エルマンが、死んだ母の墓の建立式のためにブラジルから帰国する。ハコボは弟が滞在する間、マルタに夫婦の振りをして欲しいと頼むが…というストーリー。
南米の国の関係はよくわからないが、ブラジルなんかとくらべると、豊かさの面でかなり劣る様子である。文化的背景でも、わからない点がある。母親の墓の建立式の様子をみると、ユダヤ人のようである。ウルグアイではユダヤ人が多いのか?また、社会的な地位は高いのだろうか(工場経営者だしね)。また、妻のふりをしてくれと頼むと、さもあたりまえのようにマルタは了解する。ウルグアイでは一人身でいることがはずかしいことなのだろうか。

などなど、ちょっとニュアンス的に掴みかねる部分はあるのだが、そんなことはどうでもよいと思えるくらい、特徴的なのが、あまりにもゆるーい時間の流れ。その中で、ほぼ3人だけで繰り広げられる不思議な小旅行。ドラマチックな展開があるわけでもないし、ストーリーの裏になにか寓意があるわけでもない。とにかく淡々と淡々と。その中で、かたつむりの速度のようだが、それぞれの心にかすかな変化がおこる。
これだけ緩ければ、途中で飽きることがありそうなものだが、その隙を与えない監督のテクニックや、演技(特にマルタ役)は、なかなかのものだ。

まあ、正直最後の展開は、なんでそうなっちゃうかなぁ…と思わなくもないのだが、最後にマルタの心に何が起こったのかを、観た人それぞれが想像していただければよいだろう。明確な答えを出さない所も、この映画のいいところ。
特別に傑作というわけでもないが、他の映画ではなかなか味わえない感覚が得られる、おもしろい映画だ。過剰な情とか欲とは対極にあるので、心静かにさせてくれる。興奮を煽るような映画に疲れている人や飽きている人は、一旦リセットする意味でも、観るとよい。お薦めの映画だ。

ちなみに、“ウィスキー”とはいっても、本作とお酒は関係ありません。写真を撮るときの掛け声です。チーズとかキムチと同じ。

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image0044.png公開年:2003年  
公開国:アメリカ
時 間:101分  
監 督:シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ
出 演:ハービー・ピーカー、ポール・ジアマッティ、ホープ・デイヴィス、ジェームス・アーバニアク、ジュダ・フリードランダー、マディリン・スウィーテン、ジョイス・ブラブナー、トビー・ラドロフ、ドナル・ローグ、モリー・シャノン、ジェームズ・マキャフリー、ジョシュ・ハッチャーソン 他
受 賞:【2003年/第38回全米批評家協会賞】作品賞、脚本賞(シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ)
【2003年/第70回NY批評家協会賞】女優賞(ホープ・デイヴィス:「Secret Lives of Dentists」に対しても)、新人監督賞(シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ)
【2003年/第29回LA批評家協会賞】作品賞、脚本賞(シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ)
コピー:あなたを“輝かせて<スプレンダー>”くれる人が、きっと見つかる

外見も性格も難ありの男が、自分の日常をコミックにしようと思い立ち、友人のロバート・クラムに作画を頼み、コミック“アメリカン・スプレンダー”を創刊すると、予想以上の評判を呼び…という、ストーリーだが、パッケージの写真やコピーを見ると、冴えない男の恋愛ストーリーなのかと思ってしまう。全然違う。こういうミスリードは良くない。もうちょっと売り方というものを考えてほしいものだ。

なかなかユニークなキャラクターを思いついて、それを手の込んだ手法で見せてくれた面白い作品だったので、お薦めしようとしていたのだが、実は、ちょっとした衝撃があった。本作が伝記映画であること、つまり実話をベースにした物語であることを、観終ってから知ったのだ。
私は、アメリカン・スプレンダーという漫画も架空だと思っていたし、原作者がナレーションを入れるホワイトバックのシーンも一つの表現テクニックだと思ったし、TV出演時の映像が本人らしき人に変わるのもセンスのいい演出だと褒めようと思っていた。実際の映像だったとは。

逆に実話ベースでがっかりという感も否めないのだが、おもしろいものはおもしろいと認めよう(前にも言ったが、ちょっと壊れ気味の人間が好きなので、そういうバイアスがかかってはいるが)。これが、すべてフィクションだったらすごい作品だと絶賛されていただろうね。

それにしても、なんとも興味深い人生なのだろう。生きがいというものを持っているからといって、それだけで幸せになれるというわけではないけれど、それがあるかないかの差は大きいということを、強く感じさせてくれた作品。不思議な清清しさすら感じさせてくれる。
アメリカ映画というよりも、カナダ人がつくった映画っぽい雰囲気がある本作。お薦めする。

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b5ed082f.Png公開年:2000年  
公開国:アメリカ
時 間:123分  
監 督:ミミ・レダー
出 演:ハーレイ・ジョエル・オスメント、ケヴィン・スペイシー、ヘレン・ハント、ジェームズ・カヴィーゼル、ショーン・パイフロム、ジョン・ボン・ジョヴィ、アンジー・ディキンソン、ジェイ・モーア、デヴィッド・ラムゼイ、ゲイリー・ワーンツ、コリーン・フリン、マーク・ドネイト、キャスリーン・ウィルホイト 他
コピー:きっかけはここにある!



ケヴィン・スペイシー演じる社会科の先生が出した“世の中を良くするためにはどうしたらいい?”という課題に、ハーレイ君演じるトレバー少年が思いついた方法は人から受けた好意を別の三人へ回すというもの。
公開当時のCMも、この方法で世界が変わっちゃう感動作みたいなニュアンスだった記憶があったので、世の中の人がどんどん感化されていくのを楽しんで観るような、ファンタジー要素もありの映画なのかなと思っていたが、そんな展開にはならず。クセものだらけの人間ドラマだった。

そういう先入観が悪かったのかもしれないが、いつどっちの方向に展開するのかな?という目線でずーっと観続けることに。結局、大して展開はしないまま最後まで進むのだが…。本筋と並行して進む記者のハナシも、いまいちじゃまくさいし、『ライフ・オブ・デビットゲイル』ばりのラストも、たしかに衝撃的かもしれないが、冷静になれば、結局何がいいたいのか、よくわからない。

加えて、なんともガッカリさせてくれたのは、ハーレイ君の演技。母親に叩かれた後の顔。『シックス・センス』でも『A.I』でも同じ顔をしていたな。人間の脳というのは別の記憶がひょんに繋がると、笑いになることがある。ハーレイ君のあの顔がでてくると、笑いどころか、くっだらない駄洒落を聞かされた感じになる。子役にこんなことをいうのは酷かもしれないが、彼の役者としての限界見たり。

かといって、そこそこ楽しめたのは、ケヴィン・スペイシーの演技のおかげ。凡作を彼に救われたといったところだろう。心に傷のある人、それも“現代の狂気”的な感じを演じさせたら、もう、彼の右に出る人はいない。

さほどお薦めできる作品ではないが、駄作をここまで持ち上げたケヴィン・スペイシーの演技だけでも、観る価値はあるだろう(駄作になってしまった(笑))。何か深い意味やテーマがあると思わないで観ればよいだろう。『この森で、天使はバスを降りた』のような作品がOKの人は、本作もアリだろう。

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image0428.png公開年:2005年  
公開国:アメリカ、フランス
時 間:122分  
監 督:トミー・リー・ジョーンズ
出 演:トミー・リー・ジョーンズ、バリー・ペッパー、ドワイト・ヨアカム、ジャニュアリー・ジョーンズ、メリッサ・レオ、ドワイト ヨーカム 他
受 賞:【2005年/第58回カンヌ国際映画祭】男優賞(トミー・リー・ジョーンズ)、脚本賞(ギジェルモ・アリアガ)
コピー:俺が死んだら故郷ヒメネスに埋めてくれ


ある日、メキシコからの不法労働者のメルキアデスが他殺死体で見つかる。トミー・リー・ジョーンズ演じる親友のカウボーイのピートは、その犯人が新任の国境警備隊員マイクだと知ると、彼を拉致して、メルキアデスの死体を掘り起こさせ、彼の故郷メキシコへ埋葬するための旅に出る…というストーリー。

脚本は、『21グラム』のギジェルモ・アリアガだが、本作は、時間軸バラバラのフラッシュ編集ではない。やはり『21グラム』の極端な編集は、監督の仕業だったに違いない。

なぜそこまでして、親友をメキシコに埋葬しなければいけないか?友情か、哀れみか、それとも何か別の理由が?という感じで引っ張っていくのだが、それが徐々に解っていくほど、心の中から聞こえる、カサカサとさびれた音が大きくなってくるようだった。

ダイナーの女に対してピートが電話で求婚したときに、女が返した言葉「どうせあなたにはわからないわよ」。そしてラストシーンで、立ち去るピートにマイクが投げかける言葉「一人で大丈夫か?」。結局、人間は孤独なのだなということをいやでも浮き彫りにする台詞たちで、本作は溢れている。
さびれた街の住人たちは、人間が孤独なんてことは百も承知で、それを補うかのように繋がりあってるだけであると、自らはっきり認識している。しかし、登場人物の中で唯一、ピートだけが、人間の繋がりの中にやすらぎがあると思っているのだ。ダイナーの女は、何が「どうせあなたにはわからないわよ」といっているのか。私が旦那を愛する気持ちがあなたにはわからないといっているのではない。あなたは本気で人と人との繋がりの中に愛や安らぎがあると思っているけど、所詮、人間はすべて孤独なのよ。その上で繋がっていることがあなたには判らないのね…と言っているのだ。最後のサムも、人間はすべて孤独であるということを噛み締めてしまったピートの背中を見て、哀れんでいる。

『21グラム』のときもそうだったが、登場人物の心はすべて孤独だ。ギジェルモ・アリアガの人間観なのだろう。共感はしたくもないが否定もできない。ただ、心で鳴るカサカサが、必ずしも不快かというと、そんなことはない。何かあなたにも通ずるものはあるはずだ。皆さんもこのカサカサを味わってほしい。お勧めの作品だ。さすがカンヌ脚本賞。トミー・リー・ジョーンズがシナリオに惚れ込んで、自ら製作・監督に乗り出したのもうなずける。

ただ、女性はどういう感想を持つのだろう。その点は、興味がある。

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image1380.png公開年:2008年  
公開国:アメリカ
時 間:106分  
監 督:マーク・フォースター
出 演:ダニエル・クレイグ、オルガ・キュリレンコ、マチュー・アマルリック、ジュディ・デンチ、ジェフリー・ライト、ジェマ・アータートン、イェスパー・クリステンセン、デヴィッド・ハーバー、アナトール・トーブマン、ロシー・キニア、ジャンカルロ・ジャンニーニ、ホアキン・コシオ、グレン・フォスター、フェルナンド・ギーエン・クエルボ、スタナ・カティック、ニール・ジャクソン 他
ノミネート:【2008年/第62回英国アカデミー賞】音響賞(James Boyle、Eddy Joseph、Chris Munro、Mike Prestwood Smith、Mark Taylor)、特殊視覚効果賞(Kevin Tod Haug、Chris Corbould)
【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】歌曲賞(ジャック・ホワイト、アリシア・キーズ“Another Way to Die”)、アクション映画賞

何者かの陰謀によって愛するヴェスパーを亡くし、復讐を誓ったボンドは、彼女を操っていたミスター・ホワイトを捕らえ、真相を究明すべく尋問。彼の背後に世界中の有力者や諜報機関すら影響下に置く巨大組織の存在を知る。調査を続けると、慈善団体“グリーン・プラネット”という企業に突き当たる。上司Mから、グリーンの陰謀を阻止する任務を私情を挟まず遂行せよ、と念を押されるボンドだったが…というストーリー。

前作の冒頭は、激しいボディーアクションの追いかけっこを見せてくれたが、2作目の本作も同じ。別監督なのだが、そういうノリはしっかり踏襲してくれている。悪くない。
前作のレビュでいったとおり、『カジノ・ロワイヤル』の内容をしっかり覚えていないとさっぱりわからないので、必ず観ること。CIAのフィリップスとかヴェスパーとかマティスとか思い出せなければ、本作の面白さは8割減になるので、注意しておく。

『カジノ・ロワイヤル』と密接に繋がったシナリオなのだが、完全オリジナルだ(前作でもテロ組織資金の運用をしている悪玉という部分はオリジナルなんだと思うが)。今後も、その裏の謎の組織を追うという軸で、ダニエル・クレイグのボンドシリーズを展開していくのだろう。前作もそうだが、話しのスケールが荒唐無稽に大きくなりすぎないところが、適度なリアリティを生んで効果的。男女の関係はなく、おなじ復讐者として繋がりをもつという、いままでにないボンド・ガール設定も面白い。

役者ではモデル出身のオルガ・キュリレンコが非常にキュート。役者としてのキャリアはさほどないが、本作のような跳ねっかえり娘的な役にはピッタリ。いずれ日本のシャンプーのCMとかに出てきそうな感じで、ジェシカ・アルバよりも日本人ウケするタイプかもしれない(まあ、プライベートではバツ2みたいで、いまさらアイドル的な扱いをされることもないだろうが)。

前作と同じで、最後のくだり(ヴェスパーの元彼の話)は、私にはよく理解できなかった。それを3本目への布石と捉えてよいのか、ペンダントを落としたことで本件の区切りはついたと捉えていいのか。が、ハードルは益々上がっていくとは思うが、3部作を完結するくらいの意気込みで、次回作を作って貰いたいと思う。

もう一度言うが、前作と連続して見ることをお勧めする。前作は長めだったが、本作は106分と短めなので、あわせてみても大丈夫だろう。

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image0709.png公開年:2006年  
公開国:アメリカ
時 間:145分  
監 督:マーティン・キャンベル
出 演:ダニエル・クレイグ、エヴァ・グリーン、マッツ・ミケルセン、ジュディ・デンチ、ジャンカルロ・ジャンニーニ、ジェフリー・ライト、ダニエル・クレイグ、ジェフリー・ライト、カテリーナ・ムリノ、イワナ・ミルセヴィッチ、セバスチャン・フォーカン、イェスパー・クリステンセン、クラウディオ・サンタマリア、イザック・ド・バンコレ、トビアス・メンジーズ 他
受 賞:【2006年/第60回英国アカデミー賞】音響賞(Martin Cantwell、Mark Taylor、Chris Munro、Eddy Joseph、Mike Prestwood Smith)
コピー:最初の任務は、自分の愛を殺すこと

ダブル・オーの称号を得たジェームズ・ボンドは、犯罪組織の資金源を絶つという最初の任務に乗り出す。やがて、世界中のテロリストを資金面で支えるル・シッフルなる人物が一連の事件に関わっていることが判明。ル・シッフルがモンテネグロの“カジノ・ロワイヤル”で大勝負に出ることが明らかとなり、更なる陰謀を阻止せんと現地へ向かうのだが…というストーリー。

『007 慰めの報酬』を観たが、人物名から追っておる相手からさっぱりトンチンカン。我慢して観進めていくと、Mがボンドに対して、復讐している云々のセリフが出てきて、どうやら、前作『カジノ・ロワイヤル』と密接につながっていることに気付く。これは、もう一度観直して、思い出さないとイカンと思い中断。

さて観ようとおもっていたら、奇跡のTV放送が。

本作は、ボンドが00ナンバーになるところから語る“ビギニングもの”。とはいえ、それほど“ビギニング”的な部分が前面押しなわけでもない。いままでのシリーズと比較すると、プレイボーイ要素は減り気味で、マッチョで骨太なキャラクター。冒頭のアクションシーンはかなり激しく、カンフー映画かというくらいで少しびっくりするくらい。現実離れしたハイテク武器もほとんど出ない。
ダニエル・クレイグがボンドに選ばれたとき、かなり否定的な意見もあったけれど、本作を観るかぎり非常に好感が持てる。こういうボンド像はいいと思う。ステレオタイプな色男が流行る時代でもないしね。
こういうノリで3本くらいつづけてくれればいいと思う。

ポーカーのシーンまでは、なかなかいいテンポで、毒を盛られたくだりなど、かなりドキドキできてよかったのだが、拷問を受けてから謎解きのくだりになっていくと、なにやらノリが悪くなってくる。まあ許容範囲ではあるのだが、ただ、あのラストは、大半の人が混乱したのではないか。まず、あれは誰?あそこでバツッと終わらせる意味は?と正直意味不明だった。最近の映画にしては長めの145分なのに、こんな投げっぱなし?と思わざるを得ない。公開当時は続編があるかどうかもわからないし、続編と密接に繋げるかどうかもわからないし、モヤモヤした気持ちで映画館を出た人が多いだろう。

まあ、はじめにも言ったが、次作の慰めの報酬に、直につながっているので、両方をレンタルして連続して見ることをお勧めする。『ボーン・アイデンティティ』シリーズよりも、純粋にアクションを楽しめるいい作品だし、意外に、このところスカッとアクションで楽しませてくれる映画は多くないので、いいと思う。
 

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image0003.png公開年:2001年  
公開国:アメリカ
時 間:133分  
監 督:ジェシー・ネルソン
出 演:ショーン・ペン、ミシェル・ファイファー、ダコタ・ファニング、ダイアン・ウィースト、リチャード・シフ、ロレッタ・ディヴァイン、ダグ・ハッチソン、ローラ・ダーン、スタンリー・デサンティス、ロザリンド・チャオ、ケン・ジェンキンス、ウェンディ・フィリップス、エル・ファニング 他
受 賞:【2001年/第7回放送映画批評家協会賞】若手俳優賞(ダコタ・ファニング)
【2001年/第26回日本アカデミー賞】外国作品賞
コピー:いっしょなら、愛は元気。/いつも、一緒にいたい。それが何よりも大切なこと。全米が涙した、無垢で純粋な愛の感動作。

7歳の知能しか持たない父親サムは、スターバックスで働きながら一人で愛娘ルーシーを育てていた。しかし、家庭訪問に来たソーシャルワーカーによって養育能力なしと判断され、ルーシーと離れて暮らすことに。どうしてもルーシーを取り戻したいサムは、女性弁護士リタのもとを訪ねるが、を雇うお金などあるわけもなくあっさり断られてしまう。しかし、諦めきれないサムは…というストーリー。

公開当時、お涙頂戴映画として批判もあった本作。初めて観たときは、サムの行動に胸が痛くなったり、そんなことあるわけないじゃんと思いイラっときたり、それらが、泣かせにかかっている演出に思えて、純粋に楽しめなかった。でも、どうしても引っかかることがあって、しばらくたって再度観たのだが、根本的に、そういう見方自体は正しくないと思った。

まず、親子の絆で泣かせることを目的としているなら、本作のような設定にするのは有効とは思えない。
何を言いたいかというと、自閉症傾向の知的障害者で7歳児程度の知能の持ち主が、7年近くも、行政の目をかいくぐり、子を育てながら都市生活を営んでいるという状況がすでに、無理があるということだ。こんな状況がありえるのだろうか。一度も病気になったり検診を受けたり、なんらかの保護を受けるために、行政と接触することはなかったのだろうか。子供の安全を考えれば保護者として適当でないのは明らかだし、7歳になって初めて問題になるなどとは考えにくい。
たとえ、ショーン・ペンやダコタ・ファニングの演技が涙を誘うに十分なほど絶品だったとしても、リアリティのない設定ならば、その効果も半減してしまう。効果的に親子の絆の深さを見せ付けたいならば、もっとリアルな設定にしたほうがグっとくるはずである。自閉症の程度がもっとギリギリの線であるとか、これまでは公的に認められるような別の親族がいたが、その人が大病や事故で無くなってしまったが行政はしばらく気付かないとか、より有り得る設定に近づけることはいくらでもでるだろう。
いくらフィクションとはいえ、本作の設定は、童話のレベルといってよいのではないか。

でも、あえてリアルな設定にしていないのだから、お涙頂戴を目指している映画ではないのだ。つまり、ここで、リアリティがないと憤慨するのは間違っており、都会のファンタジーと捉えなければいけない。では、泣ける親子愛を見せる映画でないとすると、この映画は何を見せたいのであろうか。

それはおそらく、「ニヒリストVS.そうでない人」闘いの映画であると考える(そんな仰々しいテーマであるわけがない、、とお思いになるだろうが)。ニヒリストとは人生の意味なんてないと思っている人。サムは、自分の人生の意味は何か?と聞かれても多分答えられないだろうけれど、自分の人生に意味があること自体は疑ってもいないだろう。対して弁護士さんは、自分が社会的な存在意義のある人間であることは確信しているだろうけど、自分の人生が本当に意味のあるものだと思えているかは、甚だあやしい。一昔、ベストセラーになった養老孟司『バカの壁』の中に、麻薬中毒患者の100%が「自分は無意味だ」と考えていた…という記述があった。そういう社会の対極にいる存在がサムという訳。
途中で、サムと弁護士さんの、生きる意味に対する考え方が逆転しちゃったりすることもあったりして、そういう対立軸で綴られているのは明確だと思う。

とにかく、これは、現代の都会のファンタジーだということを、心に留めて観さえすれば、つまらないことに引っかかることなく、心地好いカタルシスを感じることができる。お勧めします。
 

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image1409.png公開年:2008年  
公開国:日本
時 間:111分  
監 督:三池崇史
出 演:櫻井翔、福田沙紀、生瀬勝久、ケンドーコバヤシ、岡本杏理、阿部サダヲ、深田恭子、斎藤歩、ムロツヨシ、松田俊政、三浦誠己、桃生亜希子、太田英明、水谷加奈、柳原哲也、平井善之、山寺宏一、小原乃梨子、たてかべ和也、笹川ひろし、滝口順平、山寺宏一、たかはし智秋 他



ガンちゃんは、父の発案した犬型ロボット、ヤッターワンを完成させ、ガールフレンドの愛ちゃんと共に愛と正義のヒーロー、ヤッターマン1号・2号に変身。4つ全部集めると願いが叶うという伝説のドクロストーンをめぐってドロンジョ、ボヤッキー、トンズラーのドロンボー一味と争奪戦を展開する…というストーリー。

公開中は、たいしたことはなかろうと思い観る気がしなかったのだが、興行成績が大変よろしかったということなので、DVDレンタル開始早々、鑑賞してみた。

負のレビュが続いているので、そろそろお勧めレビュが書きたくなっていたのだが、残念。この映画はヒドいよ。
まず、おもしろくしようと小ネタを連発しているのだが、すべて(本当にすべて)が、笑えるタイミングをハズしている。間が悪いといったほうが正しいか。おそらくクスりと笑わせたいのだろうが、その意図が見えるだけに余計につらい。

別に私はお笑い芸人でもなんでもないので、笑いについて講釈できる立場にはないが、それにしても、笑えるものをわざわざ笑えなくしているとしか思えない。この編集をした人は、笑いのセンスが無いのだろう(勝手な予想だが、ダジャレをいって自分で笑って、自分は面白い人間だと思っているタイプだと思う。そう思いたくなるデキなのだ)。さらに、この編集でOKとした、監督連中も笑いのわからない人たちなのだろう。私なら、「おいおい、ちょっとまて」と絶対に言う(断言する)。
まあ、『妖怪大戦争』のときも、笑いを取るところは、すべっていた。『妖怪大戦争』ではお笑い芸人さんがいっぱい出演していたが、間の悪い編集をするから、すべて笑えなくなっていた。芸人殺しだ。

救いは、キャスティングや統一感のあるデザインなどが、評価できること。ヤッターマンを実写でやるとしたら、100点に近いだろう(まあ、なんでヤッターワンのカラーリングが、赤ら顔でゼンダライオンみたいなのかはよくわからないとか、細かい不満はあるけれど)。大きなマイナス点はほぼない。だから、このクソみたいな編集以外は、とてもよいデキなのだ。
その証拠にエンドロール後に、おまけでくっついている、なんちゃって次回予告は、非常におもしろいではないか。本作で一番おもしろかったのは、このおふざけの予告だ。あれは、別の人がつくったか、アニメの予告編を模して編集したのだろう。テンポがよくおもしろいのだ。全部がピタっとはまっている。
もう、はっきり言ってしまおう。どういう理由をつけてもいいから、別の人(ガイナックスとか銀魂とかつくってる会社とか、アニメ関係がいいだろう)に、再編集を依頼して、別バージョンでリリースしなおしたほうがいい。最高の作品になるに違いない。

別の観点から、もう一つ。
三池崇史監督は、本作や『妖怪大戦争』のような子供がみれる作品もつくるが、基本的にエログロで評価されている人だ(それもけっこうハードな)。海外で書かれた『死ぬまでに観たい映画1001本』をいう本がある。2003年までの映画が取り扱われている本なのだが、その1本に彼の『オーディション』が選ばれている。映画の歴史が始まってからの世界中すべての作品中から選ばれているのだから、その知名度たるや、大したものである。
ジャンルは、サスペンスに分類されていることが多いが、エログロの要素が濃い。『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』だって、不必要なくらいエロシーンや、スプラッタ的な演出があったでしょう。もう、そうせずにはいられない人なのだ。この手の映画で評価されているからこそ、吐き気がするようなグロさで、観るだけでうんざりだった『ホステル』のような作品に、カメオ出演の依頼がくるのだ。
私の好みにはまったく合わないセンスなのだが、彼は、女の子を素敵に見せるのはうまいと思う。それも適度ないい線のエロチックさを表現するのが得意だと思う(『妖怪大戦争』の川姫などがいい例)。
ところが、今回はイマイチなのだ。三池監督のせいではないのかもしれないが、深田恭子と福田沙紀は、マスクをすると(特に引きの画になると)、ぜんぜんかわいく見えないのだ。もうちょっとマスクの面積・デザイン等々、原作から多少逸脱してでも、工夫が必要だったのかもしれない。

結果からいうと、深田恭子・櫻井翔・福田沙紀らのファンなら、見てもいいだろうが、そうでもなければ、無理に観なくてよい。どうしても観るならば、早送りで見るといいテンポになって、意外によくなるかもよ。

もう一度いう。編集しなおせ。

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image0870.png公開年:2003年  
公開国:アメリカ
時 間:124分  
監 督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出 演:ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロ、シャルロット・ゲンズブール、メリッサ・レオ、クレア・デュヴァル、ダニー・ヒューストン、ポール・カルデロン、デニス・オヘア、エディ・マーサン、アニー・コーレイ、トム・アーウィン、キャサリン・デント、ケヴィン・H・チャップマン 他
受 賞:【2003年/第60回ヴェネチア国際映画祭】男優賞(ショーン・ペン)
【2003年/第29回LA批評家協会賞】女優賞(ナオミ・ワッツ)
コピー:誰もがいつか失う重さ。

余命一ヶ月と宣告され、心臓移植を待つ大学教授・ポール。それを知った妻は、彼が死ぬ前に子供が欲しいといわれ動揺する。前科者のジャックは、今では改心し信仰に篤く、クジで当たったトラックも神からの授かり物と信じるほどで、貧しくも懸命に家族を養っていた。かつてドラッグに溺れていたクリスティーナは、今では薬物を縁を切り、優しい夫と2人の娘と共に幸せに暮らしている。そんな出会うはずのない3人が、ある事故をきっかけに交わりを持ち…というストーリー。

最近は陳腐化したのか、めっきり減ったが、時間軸をごちゃまぜした作品(というと怒られるかもしれない)が、連発された時期があった。『パルプ・フィクション』の成功が火付け役だろう。『メメント』は設定上、その手法が必然だったが、本当にこの手法は必要なのか?という作品もあれば、パクリといわれるのを嫌ってか、小さく限定的に使った作品もある。本作は、顕著にこの手法を用いている。
『パルプ・フィクション』より9年も後の作品である。その間に、散々この手法の作品を見てきたので、「またかよ…」という気持ちが先にに立ってしまった。正直、飽きている。

『メメント』のDVDには、特典として、時間軸を正しい方向で見るモードが付いている。多分、普通に見ても、結局、真実がなんだったかよくわからなかった人のための、お遊びなのだが、おもしろいことに、正しい時系列で見たからといって、さほど、すっきり明解になるわけでもないのだ(もちろん、おもしろくもない)。それは、『メメント』の場合は、クリストファー・ノーラン監督の頭の中に、編集後の時系列が逆転した状態のイメージができていた上で、製作されていという証拠だろうと思う。では、本作はどうだろう。おそらく、ギジェルモ・アリアガの脚本の段階では、この編集のイメージはなかったと思われる(このような編集をすることを知っていたか否かも疑問。実際どうなのか非常に興味があるが、確かめる術はなし)。

ギジェルモ・アリアガは、『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』『バベル』などを手がけているが、一貫して「命の重さ」的なテーマを扱う(それらのレビュは、別途書く)。本作も重いテーマの作品なのだが、このような編集をしていなくても充分おもしろいシナリオだと思う。かといって、正しい時系列の編集だったら、もっと面白くなったとは、いいきれない。むずかしいところだね。
ただ、少なくとも、ここまで細切れにしなくてはいけない理由は見当たらない…。ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロ、3人の演技は鬼気迫るものがあった。シナリオの重さを受け止めきった、いい仕事をしたと思う。特にデル・トロの特異ともいえる顔力は(そんな言葉があるかどうかは知らんが)、本作のテーマに非常にマッチしていた。しかし、「ん?ん?どういうこと?」「どっちが先?」と、あまりに短いシーンがフラッシュバックばりに挿入されるので、勝手に脳が流れを理解しようと躍起になってしまい、ストーリーに没頭しようとしても意識が削がれてしまうことが多かった。世の中にはこの編集を絶賛している人もいるのだが、私にとってはやりすぎで逆効果。

また、シナリオでいまいち腑に落ちなかった点もある。ショーン・ペン演じるポールが、なぜ、脱法してまでドナーを知りたがったのかという点が、よくわからなかったので、彼の行動に理解も感情移入もしにくかった。そういう性格の人なのだろうだから、しょうがないでしょといわれてもこまるのだ(説明されていたのかもしれないが、私は気付かなかった)。もしこの点がうまく盛り込まれていたら、より面白くなったかも。

さて、本作はどういう人が楽しめるだろう。気持ちが沈んでいる人はますます沈んでしまうだろう。テーマは重いのだけど、哲学的か?といわれると、そこまででもない(命ってなんなんだろうねって、放り投げられちゃった感じがしなくもない)。泣ける訳でもないし。謎解き的なすっきり感があるわけでもないし。難しい。

重いテーマで且つ極端な編集という特徴に興味が沸いた人はみてくれればいい。典型的なハリウッド作品に飽きた人も、気分転換になるかもしれない。でも、是非観るべきと薦めまではしない。

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image0182.png公開年:1958年  
公開国:日本
時 間:139分  
監 督:黒澤明
出 演:三船敏郎、千秋実、藤原釜足、藤田進、志村喬、上原美佐、三好栄子、樋口年子、藤木悠、笈川武夫、土屋嘉男、高堂国典、加藤武、三井弘次、小川虎之助、佐田豊、上田吉二郎、沢村いき雄、大村千吉、小杉義男、中島春雄、堺左千夫、谷晃、佐藤允、中丸忠雄、緒方燐作、熊谷二良、広瀬正一、西条康彦、日方一夫、千葉一郎、山口博哉 他
受 賞:【1959年/第9回ベルリン国際映画祭】監督賞(黒澤明)、国際評論家連盟賞
【1958年/第9回ブルーリボン賞】作品賞

image1289.png公開年:2008年  
公開国:日本
時 間:118分  
監 督:樋口真嗣
出 演:松本潤、長澤まさみ、椎名桔平、宮川大輔、甲本雅裕、皆川猿時、小松和重、田鍋謙一郎、坂野友香、中村橋弥、橋本じゅん、粟根まこと、川口節子、古田新太、生瀬勝久、ピエール瀧、徳井優、黒瀬真奈美、KREVA、上川隆也、國村隼、高嶋政宏、阿部寛 他



続いて、隠し砦の三悪人をオリジナル作・リメイク版を鑑賞。

時は戦国時代、とある地方に秋月、早川、山名という互いに隣接した3つの小国があった。秋月家は隣国の山名家と一戦を交えて陥落。秋月家の侍大将真壁六郎太は、世継の雪姫を擁して数名の残党と隠し砦にこもった。お家の再興を図るための軍資金黄金二百貫をもって、同盟国の早川領へ脱出の機会を狙っていたが…というストーリー。

オリジナル版の千秋実、藤原釜足が、スター・ウォーズのC-3POとR2-D2のモデルであることは有名だが、姫を守りながらの再興をめざす冒険譚というストーリーも似ており、共通点は多い。本当に深い深いところには、なにかしらの重いテーマがあるのかもしれないが、私は、純粋な冒険活劇として楽しんだ。ただ、『椿三十郎』のときにも言ったが、いかんせん音声が聞き取りにくいのが、玉に瑕。

さて、リメイク版であるが、まず阿部寛が三船敏郎の役であることは疑いないのだが、松潤は千秋実の役なのか?と、まず混乱発生(背は宮川大輔の方が高いしね)。あわてて、オリジナル版をもう一度調べる始末。役名からして違う。オリジナルキャラクターだ。狂言回し的なこの2人は、本作の特徴中の特徴なのだが、まず、ここから壊してきた。設定も性格も名前も別のキャラクターだ(まあ、それは許される演出の範囲だろう)。

しかし、なにやら姫(長澤まさみ)と松潤に恋愛的な演出が。オリジナルでは、姫と六郎太(三船敏郎)の間に微妙な恋愛感情的演出があったのだが(『クレヨンしんちゃん アッパレ戦国大作戦』のモトネタだと、私は思っているのだが)、そこも壊してきた。リメイク版の恋愛的なくだりに、ストーリーを面白くする効果は感じない。ただアイドルが二人いるから、もちょもちょさせてみただけなのか。つまらない。
オリジナルでは特異な存在で記憶に残る田所兵衛の行動も違う。あれだけリアルに死闘を演じたにも関わらず、あそこで裏切るからこそ、安い政治体制を超える正義・感情というものがあるのだよ、という、取り方によっては反体制・革命的に見えなくもない要素が、すぱっと無くなってしまった。私は、あの裏切りのくだりが、最高に面白いと思うのだけれど。それを完全な悪者にして得られた効果はなんだろう?何も無い。断言する。
どうも、リメイク版は、人の感情表現にまつわる演出がつまらない。この監督は、人の心の機微というものを感じ取る能力が低いのではなかろうか。

さらにオチは決定的に異なる。
なにやら、君主と民のあるべき姿という、君主論的な要素が加わっておる。なんだこれは?

『隠し砦の三悪人』の特徴的な要素をすべて壊してさらに、監督の政治的主張を盛り込むなど、リメイク作品としていかがなものだろう?まるで自分の政治理念を語るために、黒澤作品をいたずらに引っ張ってきただけではないか。よくこのシナリオで『隠し砦の三悪人』のリメイクと名乗ることを許したものだ。そして名乗れるものだ。挙句の果てに、死ぬ思いで運んでいたアレが、実は…だと?意味がわからん。頭がおかしくなりそうだ。そんな演出の何が面白いのか説明してほしい。
はっきりいうが、お気に入りの役者でも出ていない限りは、リメイク版を見る必要はない。オリジナルを知らない人でも、最後まで見たら、得体の知れないモヤモヤした感情で溢れかえってしまう思うので、見ないほうがよい。

少しだけ、フォローしておくと、阿部寛をはじめ、演者の皆さんはとても良い仕事をされていると思う。悪いのは、監督をはじめとするスタッフだ。

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image0379.png公開年:1962年  
公開国:日本
時 間:96分  
監 督:黒澤明
出 演:三船敏郎、仲代達矢、小林桂樹、加山雄三、団令子、志村喬、藤原釜足、入江たか子、清水将夫、伊藤雄之助、久保明、太刀川寛、土屋嘉男、田中邦衛、江原達怡、平田昭彦、小川虎之助、堺左千夫、堤康久、山田彰、松井鍵三、樋口年子、波里達彦、佐田豊、清水元、山口博義、広瀬正一、大友伸、大橋史典、峯丘ひろみ、河美智子、爪生登喜、伊藤実、宇留多耕司 他


image1411.png公開年:2007年  
公開国:日本
時 間:119分  
監 督:森田芳光
出 演:織田裕二、豊川悦司、松山ケンイチ、鈴木杏、村川絵梨、佐々木蔵之介、林剛史、一太郎、粕谷吉洋、富川一人、戸谷公人、鈴木亮平、小林裕吉、中山卓也、風間杜夫、西岡徳馬、小林稔侍、中村玉緒、藤田まこと他




とある城下町の薄暗い社殿で九人の若侍が密かに話し合いをしていた。彼らは、上役の次席家老・黒藤と国許用人・竹林の汚職を暴こうとして、意見書を城代家老・睦田に差し出したが撥ねつけられた。その後、意見書は大目付の菊井に受け入れられ、この社殿に集められたのだ。それを図らずも聞いていた浪人はは、正しいのは睦田で、菊井が黒幕だと言い放つ。その通り社殿は菊井の手下に包囲されていたが、浪人の機転で窮場をしのぐことができた。やがて浪人は、意気上がるも頼りない若侍たちのためにに一肌脱ぐこととなるのだが…というストーリー。

2007年は椿三十郎、翌年は隠し砦の三悪人と、リメイクが続いた黒澤作品。オリジナルとリメイク作品を比較してみようと思う。今回は『椿三十郎』。

まずは、椿三十郎のリメイク作品。同じシナリオでカット割も愚直なまでに再現している様子。映画自体のおもしろさよりも「おんなじ、おんなじ、へへへ」という、子供の学芸会を「うまい、うまい」と楽しむ感覚に近いかも。誤解されるといけないので断っておくが、決して演技が学芸会といっているわけではない。むしろ、名作のリメイクというプレッシャーもあっただろうに、演者各位大変よく演じていると思う。松山ケンイチや一太郎や中村玉緒や鈴木杏の演技の青臭さにイマイチ感を覚えた人がいるかもしれないが、実は黒澤版も同じようなもの(いや、むしろそれをコピーした感すらある)。

このまま、単なる焼き直しで終わるのかと思いきや、『椿三十郎』のラストシーンといえばこれ、、、という有名なシーンが異なるのだ。マンガのような大量の血しぶきのシーンが、細かいカット割とスローモーションの演出に変わっている。もちろん血しぶきはない。黒澤版の公開当時には、この血しぶきのシーンがあまりに極端なことに対して、賛否両論があったそうだ。でも、私は、大量の血しぶきを変だとは思わない。良くも悪くも苛烈に生きた男の死に様の表現として至極真っ当だと思うし、若造達とは生きている世界・境地が違うのだよ…というコントラスト表現だと思うからだ。

私はリメイク版のこのシーンを見て、軽い驚きとともに若干困惑した。ここまで焼き直しのように作ってきて、ラストだけ違えるということは、何を意味するのだろう。森田芳光監督は黒澤版のラストだけが気に入っておらず、作り直したのか?それとも、黒澤版を知っている人がとまどうように、仕掛けを楽しんでいるのか?予算をかけて、ただコピーをつくったと揶揄されるのを恐れたか?
いずれにせよ、オリジナルのラストが嫌いではない私にとっては、趣味に合わない演出だし、戸惑わせるにしても、少なくないであろう制作費をかけてやるには、実に趣味が悪いし、大した効果も得られていない。

正直、こんなことなら、オリジナルを着色したり、聞きにくい音声をクリアにして公開したほうが、楽しめたのではないかと思える。リメイク作品はこの世にたくさんあるが、いったいリメイク作品の使命とはなんなのか…。すくなくとも本作から、その答えは見えず。

やはりオリジナルは、いい味が出ている名作なのでお勧めするが、いかんせん、白黒な上に音声は聞き取りにくい(技術的な問題だけでなく、演者の滑舌も決して良くはない)のも事実。気楽に本作のエッセンスを楽しむならばリメイク作品もよいと思う。松ケンやトヨエツがお気に入りなら尚の事(でも、その場合も、ラストの違いは比べてみてほしいが)。

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プロフィール
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クボタカユキ
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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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