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image0803.png公開年:1995年
公開国:アメリカ
時 間:130分
監 督:テリー・ギリアム
出 演:ブルース・ウィリス、マデリーン・ストー、ブラッド・ピット、クリストファー・プラマー、ジョン・セダ、H・マイケル・ウォールズ、ボブ・アドリアン、サイモン・ジョーンズ、ジョセフ・メリト、デヴィッド・モース、キャロル・フローレンス、フランク・ゴーシン、リサ・ゲイ・ハミルトン、ブルース・カークパトリック、マット・ロス、クリストファー・メローニ、ケヴィン・シグペン、ジョセフ・マッケナ 他
受 賞:【1995年/第53回】ゴールデン・グローブ】助演男優賞(ブラッド・ピット)
コピー:み・ん・な・消・え・る

謎のウィルスによって全人類の99%が死滅し、生き残った人類が地下に住むことを余儀なくされている世界。2035年、人間たちはその原因を探るために、タイムマシンでジェームズ・コールという囚人を過去に送り出す。謎へのヒントは、ウィルスを散布したとされる“12モンキーズ”と名乗る団体名のみ。しかし、1996年に行く予定だったコールは、タイムマシンの誤動作によって1990年に到着してしまう。挙動のおかしな彼は、精神病院送りとなり、、患者仲間のジェフリーと医師キャサリンと出会う。キャサリンはコールを妄想を見ていると診断するのだが…というストーリー。

完動しているタイムマシンとはとても思えないアナログのギミックに、まともな知識を持っているのか甚だ怪しい科学者たち。ウイルスで滅亡しかかっている未来世界の様子は、まさにテリー・ギリアム節が満開。対して過去世界のパートはハリウッド映画然としていて、テリー・ギリアムとハリウッドが一番きれいに融合した作品だと思う。

タイムマシンネタっていうのは諸刃の剣で、自由自在に過去に戻れるんなら、どうにもなるじゃないか…とか、よーく考えると矛盾してないか?とか、観客を興ざめさせる要素にもなりかねない。本作だって、冷静になればつっこみどころは多いかも。だって、最後の空港に、別の仲間が駆けつけることができたわけだから、もう一回チャレンジすりゃいいじゃんってことになる。まあ、このタイムマシンの挙動込み込みで、運命は一本線ってオチなんだと思うけど、あのポンコツなタイムマシンの様子なんかを見せられると、なんかそういうパラドックス的なところに思索を巡らす気が失せるんだよね。そういうこと考えるのって野暮な気がして、純粋に世界観を愉しむべきなんじゃね?と。で、ブルース・ウィリスの演技もあまりにも人間臭くてね。そのおかげで、けっこう骨太なSFなのに、純粋にサスペンスとしてハラハラを愉しめる。
ブルース・ウィリスにブラッド・ピットと、こんな風にメジャーどころを堂々と配役すると、取ってつけたようになって浮いちゃう場合も多いけど、もう、精神病院でイっちゃってる彼らが秀逸すぎて、作風にがっちりマッチ(しすぎ)。

結局は任務失敗…とか、タイトルの“12モンキーズ”がスカし…とか、謎解きや伏線の回収は色々あるけれど、観るたびに新しい気付きがある。結構、画面が伝える情報量が多くて、観客が一度に捉えるきれる以上のものがそこにあるね(決してわかりにくわけではない)。名作の証拠。何度みても納得のおもしろさ。

#レイトン教授の音楽ってどこかで聴いたことがあるなぁ…と思ってたんだけど、本作の音楽だったな。うん。

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image0157.png公開年:1997年
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:ジェイ・ローチ
出 演:マイク・マイヤーズ、エリザベス・ハーレイ、ロバート・ワグナー、マイケル・ヨーク、ミミ・ロジャース、セス・グリーン、ファビアナ・ウーデニオ、ミンディ・スターリング、ポール・ディロン、チャールズ・ネイピア、ウィル・フェレル、ジョアン・リクター、アナスタシア・サケラリス、クリント・ハワード、マーク・ブリングルソン、ジョー・サン、ロビン・ガンメル、ジム・マクマラン、バート・バカラック、キャリー・フィッシャー、ロブ・ロウ、クリスチャン・スレイター、トム・アーノルド、プリシラ・プレスリー、エリヤ・バスキン 他
受 賞:【1998年/第7回MTVムービー・アワード】ダンス・シーン賞(マイク・マイヤーズ)、悪役賞(マイク・マイヤーズ)
コピー:バカも休み休みyeah!
スウィンギング・ロンドンから 蘇った伝説のスパイ ついに日本上陸!

1967年。世界制服を企てるドクター・イーヴルは、英国諜報部員オースティン・パワーズの抹殺を計画。パワーズはその動きを察知し、逆に追い詰めるが、イーヴルは自ら冷凍睡眠装置に入って宇宙に脱出してしまう。英国諜報部は、イーヴルが戻ってきたときのために、パワーズも冷凍睡眠することに。そして30年後。ドクター・イーヴルは帰還し、世界征服計画を再開。核弾頭を奪取して地下ミサイルを作成し、内部から地球を破壊する“バルカン計画”を遂行する。それを阻止するために、さっそく目覚めさせられたパワーズは、30年前にパートナーだったミセス・ケンジントンの娘ヴァネッサとコンビを組むが、任務そっちのけで彼女に夢中になってしまい…というストーリー。

サイケデリックな美術センスだけではなく、荒削りというか雑ともいえるギャグが、ある意味、様式美の域まで達している。下ネタには違いないけど、下品…ってよりも「くだらねー」って素直に思えるレベルをキープ。公開当時の時事ネタもほとんどないので、15年経ってもでもそんなに古臭くは感じない(まあそこは、30年間冷凍睡眠していたっていうプロットの勝利かも)。それどころか、韓国キャラの扱いを見ると、先見の明っていうか、冷静な視点を基盤にしていることが伺える。

でも、こういうしつこい笑いを日本人やっても、絶対にアウトなのは明白で、こういう緩急もなにもあったもんじゃない“ひたすらバカ”が成立するアメリカがうらやましい。
唯一残念なのは、風呂敷を広げている間は楽しいのだが、いざ話をまとめようという段階になり、戦闘シーンになるとイマイチ面白みがトーンダウンする点。さすがにおっぱいマシンガンのアンドロイドを変な動きで撃退とかは、つまんないわ。作り手側もこのバカ話を延々と続けたくて、終わらせることなんかまともに考えてなかったんじゃないか、とすら思える(そのくらい、おバカの連打)。
#まあ、結果として、このバカ話を続けたいという欲求は結実して、続編が作られるわけだが。

今、同じようなテイストの作品を作るとしたら、CG満載になると思うんだが、本作は特殊メイクやらアナログテクニックでがんばっている(少しくらいCGあったかもしれんけど)。ところが、このアナログ感満載な映像が妙に心休まる。実に不思議。前に観たときは、ただただクダラネーって思っただけだった…っていう人。ちょっと今、見直してごらんなさい。最近のCGが当たり前の作品ってのは、“不気味の壁”みたいな空気が漂ってるってことを、確認できるから。

酒を飲みながら観て、結末にたどり着くまでに、寝ちゃう。これが本作の正しい観方だな。前に観たときよりもおもしろかったわ。
#歯並びが悪い=イギリスっているのはガチのイメージなんだな。
 

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imageX0037.Png公開年:1991年
公開国:日本
時 間:103分
監 督:周防正行
出 演:本木雅弘、清水美砂、竹中直人、水島かおり、田口浩正、宝井誠明、梅本律子、松田勝、宮坂ひろし、片岡五郎、六平直政、村上冬樹、桜むつ子、ロバート・ホフマン、柄本明 他
受 賞:【1992年/第16回日本アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(本木雅弘)、助演男優賞(竹中直人)、監督賞(周防正行)、脚本賞(周防正行)
【1992年/第35回ブルーリボン賞】作品賞、主演男優賞(本木雅弘)、監督賞(周防正行)


教立大学4年の山本秋平は、父親のコネで就職も決まっていたのだが、卒論指導教授の穴山教授から、代返で一度も出席しなかったことを指摘され、卒業に必要な単位を与えないと宣告される。しかし、卒業と引き換えに、穴山が顧問をしている相撲部の試合に出れば、単位を与えてもいいと言われる。しぶしぶ、仮入部した秋平だったが、相撲部には留年を重ねた青木だけしか部員はおらず、試合出場に必要なメンバーを集めるところから始めなければならなかった。なんとか、太っているだけで気弱な田中、秋平の弟の春雄を入部させ大会には出場するも惨敗。約束の大会出場を果たして、それでおしまいのはずだったのだが、大会後の飲み会で相撲部OBに散々罵倒され、怒った秋平は「次は勝ってやる」と啖呵を切ってしまい…というストーリー。

監督としてよりも脚本家としての力量がすばらしい。
すべてきれいに伏線が回収できている…ってどころか、ちょっとした小ネタか?で流されるような部分も実は伏線で、それすらしっかり後から生きてくるのが驚愕。
正子がマネージャになるくだりとか、スマイリーが入部を勧められるにあたって尻を出すことを拒否するくだりはもちろんだけど、入部当初に田口浩正演じる田中がさりげなく胸で十字を切ったところとか、竹中直人演じる青木が自分の得意技が内無双だっていってシラけさせるところなんかまで、全部後で繋がってくるんだから。ここまで練られたシナリオって、そうそうお見かけできるものではない。
何か、日本の電化製品の変態的な気の配り方に通じるものがある。

実は、超弱小相撲部があって、それを残すために奮闘するお話っていうプロット自体は、さほど珍しくなければおもしろくもないのだ。本木雅弘演じる秋平が卒業を条件に入部したあたりまでなんか、「これ、この後、どうやって面白くするつもりなんだろう…」と逆に心配しちゃうレベルだもの。でも、とてつもなく話しの運び(ストーリーテリング)がうまいの。
『タンポポ』も本作と同じく、そのドロドロ、ベタベタな内容に反して、ラストで爽やかな気持ちにさせてくれた作品だけど、このストーリーテリングのウマさとオチのスッキリ感の合わせ技という観点では、本作のほうが上だろうね。

前作『ファンシイダンス』はなんだかんだいって原作ありで、ストーリーテリングの幅には制限があったし、『Shall We ダンス?』はリメイクもされて評価も高いかもしれないけど、悲哀の部分やウェットな部分が好き嫌いが分かれるところだと思う。竹中直人の既視感もあるし。だから私は、総合して周防監督の代表作と言えるのは本作だと思う。

この手のコメディは、時代の差によって陳腐に感じてしまうモノが多いけれど、20年を越えてもこの色褪せなさ。7,8年に一回は観たくなるレベル。日本映画50本に入る(私は入れたい)作品だと思う。お薦め。体が徐々にできていく流れもあるんで、撮影の順番とか大変だったろうなぁ。

#コメディに出た柄本明が、これ以上にいい仕事をした作品を私は知らない。

 

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image1855.png公開年:2007年
公開国:イギリス、ハンガリー
時 間:100分
監 督:ロバート・ヤング
出 演:トーマス・クレッチマン、トロイ・ギャリティ、フランカ・ポテンテ、スティーヴン・フライ、デレイン・イェーツ、テレーザ・スルボーヴァ、ユディット・ヴィクトル、スティーヴン・グリーフ 他





ナチス政権下、ユダヤ人の大量虐殺に関与したアイヒマンは、戦後、正体を隠してアルゼンチンへ逃亡していた。15年後、イスラエル諜報機関モサドによってアルゼンチンで捕らえられ、イスラエルに強制連行される。イスラエル政府は、アイヒマンから犯行の自白を取るために、イスラエル人警官アヴナーに尋問役を命ずる。他のナチス構成員からの証言をもとに、彼を問い詰めていくが、尋問をいくら重ねても、彼はナチス上層部からの指示に従っただけという姿勢は崩すことはなく…というストーリー。

冒頭に、この作品はイスラエル側の資料に忠実に基づき…というテロップが。一見、史実に沿って表現されているアピールに見えるけど、裏を返せばイスラエル視点しかないってことになる。正直、この一文で観るのをやめようとおもったくらい。イスラエルは、ナチス犯罪を再検証しようとすると、圧力をかけるという噂もあるし(本当かどうかしらんけど)、どうも気にくわない。

忠実な描写をかなり求められていることが伺える(ある意味、演出上の制限がかけられている)のだが、そんな中でも、なんとか独自な色を出していこうと、登場人物の考えていることをカメラーワークやアングルで表現しようという姿勢がみられる。
例えば、拘置所の中で、女性看守の下着の線や胸のラインに着目するカット。別の特段アップにするわけでもなく、なんとなくパンフォーカスが合ってるだけなんだけど、その表現だけでアイヒマンが尋問中でもいたって冷静な精神状態であることを表現しているわけだ。

判りにくいのは、自白を取れ、自白を取れと、延々と指示されつづけるのだが、何を自白させようとしているのか観ていて判らなくなる点である。だって、アイヒマンは関わったことは自白しているように見えるからね。

「平和に対する罪」「人道に対する罪」(いわゆるA級・C級戦犯)に問うためには、アイヒマンが組織犯罪の歯車ではなく、自らの意思をもって殺人を犯したという供述を取りたいということなんだろう。
客観的な証拠があれば簡単なわけだが、要するに脆弱な証拠しかなかったということ。
さらに、モサドがアルゼンチンでアイヒマンを拘束・移送したこと自体、アルゼンチンとイスラエルとの間の正しい犯罪者手続きを怠った。デュープロセスを踏んでいないため、逮捕自体が違法となる可能性もあったわけだ。
さらに、イスラエル人たちは、あれだけ迫害されたんだから国をもつことくらい当たり前だ!といわんばかりにパレスチナ人を追い出したり殺したりしてるわけで、ただでさえ国際社会からの風当たりは強かった。これ以上、民主主義に則っていないように見えるのは、非常にまずい。
でも、今持っている材料ではとても納得してはもらえないので、状況証拠+自白のセットで何とか死刑にしたい…と。いや、ガス室送りに高官として加担しただけで、十分死刑に問えるのではないか?と思うだろうが、イスラエルには根本的ない死刑制度がないし、イスラエル建国前の犯罪を事後法で問えるはずもない。でもこの憎い悪魔は殺したい。さてどうするか…といったら、「平和に対する罪」「人道に対する罪」で問うしかないってこと(まあ、これも事後法で、普通に考えりゃ無効なんだけど)。
#まあ、これは私の解釈ね。

で、やっと逮捕したのに、イスラエル民衆は「釈放しろ!」と大騒ぎ。一瞬、は?って思うよね。彼を罪に問うことをやめろと言ってる?いやいや、釈放したら私刑にするって言ってるんだ、彼らは。所詮、ナチスからやられたことと同じことをパレスチナ人に対してやってるんじゃないか?とかそういう考えに及ばない土人レベルだからね。きちんとした手続きなんかどうでもいいんだ。

エンドロール前に、若い世代はアイヒマンってきいてもわからん…とか愚痴めいたテロップが入るのだが、だったら、こういう世論とか状況とか民衆の感情とかをきちんと説明すべきだと思う。小難しく表現しておきながら、最近の若いものは…って、自ら風化させようとしているに等しい。バカ老人の発想だと思う。
大体にして、極力事実を告げることを共用されるような縛りがある中で、“映画”という手法を選択するのが誤り。ドキュメンタリー的な再現ドラマにでもすればいいのだ(ヒストリーチャンネルの番組みたいに)。
実話モノっていうのは、いつでも、「それは事実と違う」だ「解釈が違っている」だのクレームはつきもの。でも、映画というものが、クリエイターの目や脳を経由する以上、他者と捕らえ方がことなるのが当たり前であって、それを避けるなら、映画なんかにしないほうがいいのだ。

テーマ的にも作品レベル的にも、日本未公開のは当然と思える出来映え。歴史のお勉強資料としても、本作でなければわからない事柄もない。映画としては駄作の部類。
このアイヒマンの態度(組織の規範に従っただけという態度)が、非常に興味を持たれ、“アイヒマン実験”なんて心理学的なテーマになっちゃうほうが、よっぽど面白い。そういう観点に着目して尋問の様子を描けばよかったのに。もしかして、人間だれしもこうなっちゃう可能性があるのでは?みたいなね。

 

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image1631.png公開年:2009年
公開国:韓国
時 間:132分
監 督:チャン・ジン
出 演:チャン・ドンゴン、イ・スンジェ、コ・ドゥシム、イム・ハリョン、ハン・チェヨン、パク・ヘイル、イ・ムンス 他
コピー:愛すべき大統領へ、国民もあなたの幸せを願っています。




任期満了まであと半年の大統領キム・ジョンホだったが、パフォーマンスで購入した宝くじが高額当選していしまう。しかし、当選の暁には全額寄付すると宣言してしまっていた手前、表立って当選を宣言することもできない。なんとか、老後の優雅な生活のために自分の懐に入れる手段はないか、大いに悩むのだったが…というストーリー。

コメディをやりたいのであれば、大統領のキャラクターは、もっと俗っぽく、そしてクソ人間であればあるほどおもしろいと思うのだが、中途半端。

たった6桁(番号が6つじゃないからね、1桁を6つだからね)、それもマークシート式なのに、超高額宝くじってどういうこと?それも当選者一人って…。よくわからん。
それに、いくら高額だからって、既に一国の大統領として名声を得ているわけだし、退任後もそれなりの生活もできるのだろうから(まあ、韓国大統領は退任後、逮捕されるか殺されるかが基本だけどさ(笑))、そこまで金に執着するのが不自然。たかだか二十数億円の金と、全額寄付して得られる名声と満足を深くしたら、前者が勝るとは思えない。そう考えたら、選択の結果は見えてるじゃないか。何が面白いんだか、さっぱりわからなくなってきた。まさか、この宝くじネタで二時間以上ひっぱるつもりなのか?と思ってたら、早々に、記者会見で寄付するって宣言してしまう。あれ?この後どういう展開にする気?逆に斬新じゃん!
ところが、すぐに次の若い大統領の話にチェンジ。あれ、どういうこと?

よくわからないなぁ…と思っていると、急に、日本をコケにし始め、国際問題にストーリーをシフト。国際紛争を舞台したコメディにしたいようなのだが、単に他国をコケにして喜んでいるだけのように見える。まるで、虫を踏み潰してストレスを解消している、病んだ子供を見ているようで、笑えるどころかかわいそうになってくる。
ところでさっきの宝くじのくだりとどう繋がるのかな?と思っていると、さらに、腎臓移植をもとめる暴漢の話に。移植を求める声にこたえる心優しき大統領を演出…っていう全然違う話に。あれ?さっきの日本の軍事演習がどうしたこうしたってのはどうなったのよ。
大統領は注射嫌いとかいう設定をもってきて、思い出したようにコメディを再開しようとするんだけど、もう、笑えるわけがない。手遅れ。
ところどころで、変な音楽のシーンが差し込まれるのだが、それもどうやら“笑うところ”らしい。もちろん笑えない。
#調理場で花札。あなたたちが大嫌いな日本文化だと思うんだけど、いいんかい(笑)。

意味がわかんないなーと困惑しきり…ってところで、また別のお話に。ここで気付く。「これオムニバスなのか!?」と。愕然とした。昔、『バカヤロー』っていうシリーズがあったけど、そんなノリを目指してるのかもしれない。けれど、あまりにも一つ一つのパートのクオリティが低すぎるし、大体にして、コメディとしてオチていない。三文コント…っていうか、ここまで、笑いのツボが違うと、もう人としての基盤が全然違うんだな…と思えてくる。

最後は、むりやり『天皇の料理番』みたいなまとめかたにもっていくが、料理人はさほど噛んでいないし。何がなにやら。

私ははじめから最後まで、眉をひそめて首を傾げ続けていた。とにかく笑いの概念のことなる世界の人がつくったコメディ。宇宙人の笑いを体現したい人にはお薦めするが、まともな人にはお薦めしない。
#まあ、韓国コメディなんかを観ようとした私が間違いなんだろう(でも、知り合いから借りただけで、金はらってレンタルしたわけじゃないしな。それでも時間の無駄だったと思えるレベルだけど)。

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image1854.png公開年:2003年
公開国:フランス
時 間:104分
監 督:クロード・シャブロル
出 演:ナタリー・バイ、ブノワ・マジメル、シュザンヌ・フロン、ベルナール・ル・コク、メラニー・ドゥーテ、トマ・シャブロル、カロリーヌ・バエル、アンリ・アタル、ジェローム・ベルタン、フランソワーズ・ベルタン 他




ナチス占領下のフランスにおいてナチスに協力したとして忌み嫌われるヴァスール家。当時、レジスタンスに身を投じていたリンの兄は、ナチスに協力的な父によって殺されてしまうが、兄を思うあまりにリンは父を殺してしまう。その優雅な生活とは裏腹にそんな悪夢の記憶を脈々と受け継ぐ一族だった。そして現在。アメリカに生活していた長男フランソワが3年ぶりに帰国することになり、義妹ミシェルはその帰国を喜ぶが、義母アンナは市長選挙に出馬し選挙戦の真っ最中であり、父ジェラールはそれを不満に思っており、ギスギスした状態が続いていた。そんな中、アンナの元にナチス協力者であったヴァスール家や、リンが犯した罪を中傷するビラが送られてきて…というストーリー。

ボードレールの『悪の華』を翻案したものか何かかと思ってレンタルしたのだが、全然関係なかったみたいだ。

さらっと観ていると、人間関係の深さがさっぱり見えてこない。アンヌは現在の夫ジェラールの兄弟と過去に結婚しており、ジェラールとは子連れで再婚。だから、フランソワとミシェルは従兄弟ってことになるんだろうが、アンヌの元夫とジェラールの元妻に関係があったような可能性も示唆されていて、もしかして兄弟かも…ってことに。でも、なんかぼんやりしていて、判りにくい。そんな基本設定を、一生懸命探りながら観なければいけないのか。もったいぶる必要がどこにあるのか。
結局、最後まぜ判然としなかったのだが、ヴァスール家の人間なのはアンナなのかジェラールなのか?アンナはリンの姪ってことか?ん~~。こんなこともはっきり描写できないなんで、どうかしてると思う。

サスペンス映画とのことだが、ずるずると家族の変な雰囲気は1時間半ほど描写され、残り15分でようやく殺人が発生する。歴史のある一家にまつわる血なまぐさい過去と性的倒錯。おどろおどろしい因縁。まるで金田一耕助シリーズの舞台になりそうな感じではあるが、残念ながら本作には金田一探偵もいなければ等々力警部もいない。金田一耕助シリーズだったら始めの10~15分くらいで巻き起こることを、1時間半かけてダラダラとやってる感じ。それを愉しめといわれても、これはなかなか難しい。

いや、リンとミシェルが運んている死体を落としそうになって、思わず笑いあっちゃう…みたいな描写で、なんとなく表現したいことはわからないでもない。『女はみんな生きている』みたいな、そんな風にしか生きられない女の性みたいなものを、一種の退廃的な空気を混ぜて表現したいんだろう。
でも、それにしたって、構成やストーリー展開の配分がクソだと思う。結局、怪文書も誰の仕業だったのか判然としないし。伏線も回収したんだか、するつもりがないんだかよくわからんし。最後もぼや~んと終わらせて、「だから何なんだよ…」って気分にならない人がいるのだろうか。

ミシェル役のメラニー・ドゥーテは、妙な魅力のある女優さんだが、それ以外に特に見所はない。少なくとも本作に“悪の華”などという仰々しいものや、それに相当するものは登場しない。これこそがフランス映画の魅力だ…というんならフランス映画なんかクソくらえだ!って言いたくなるくらい、駄作に感じた。お薦めしない。

 

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image0997.png公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:ロン・ハワード
出 演:ラッセル・クロウ、エド・ハリス、ジェニファー・コネリー、クリストファー・プラマー、ポール・ベタニー、アダム・ゴールドバーグ、ジョシュ・ルーカス、ヴィヴィエン・カーダン、アンソニー・ラップ、ジャド・ハーシュ、オースティン・ペンドルトン、ターニャ・クラーク 他
受 賞:【2001年/第74回アカデミー賞】作品賞、監督賞(ロン・ハワード)、助演女優賞(ジェニファー・コネリー)、脚色賞(アキヴァ・ゴールズマン)
【2001年/第59回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ラッセル・クロウ)、助演女優賞(ジェニファー・コネリー)、脚本賞(アキヴァ・ゴールズマン)
【2001年/第55回英国アカデミー賞】主演男優賞(ラッセル・クロウ)、助演女優賞(ジェニファー・コネリー)
【2001年/第7回放送映画批評家協会賞】作品賞、主演男優賞(ラッセル・クロウ)、助演女優賞(ジェニファー・コネリー)、監督賞(ロン・ハワード)
コピー:それは──真実をみつめる勇気 信じつづけるひたむきな心

1947年。プリンストン大学院の数学科に入学したジョン・ナッシュは、「この世の全てを支配する理論」を見つけることを願い、一人で研究に没頭していたが、誰とも協調しない彼はクラスメートから孤立していく。多くのクラスメートが論文を書き上げ、進路を決めていく中、焦りを募らせる彼だったが、遂に画期的な“ゲーム理論”を発見。それにより、希望していた、MITのウィーラー研究所に採用されることに。プライベートでは、愛する女性アリシアと結婚。順風満帆に見えたが、彼の明晰な頭脳に目をつけた軍が、極秘の暗号解読という任務を強要。その重圧により精神が追い詰められていき…というストーリー。

昨日の『ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男』と同様に、実在の人物を扱ったストーリーであり、且つ心を病んでしまった描写のあるお話。しかし、あまりにも格が違う。もちろん本作が上だ。

はじめは、ナッシュの存在も知らないし、ゲーム理論も均衡理論も知らずに鑑賞した。いささか社会性や協調性にかけた青年が、自分の才能を開花させるために必死になる物語…と思ってみていたら、なにやら巨大な陰謀の歯車に巻き込まれる展開に。おっと急に舵を切ったなと思ったら、続いて、実は統合失調症で…と。
じゃあ、今まで観ていた、アレもソレも実在しないってことかぁ??!!と、時間を遡ってパラダイムシフトを発生させる映画の構成に、腰が抜けたような感覚になった。単純に“謎解き”だとか“ひっかけ”では片付けられない技だと思う。最終的にはノーベル賞受賞で、荒波を越えた後の達成感のような気分にさせてくれる。観終わった後は、まるで、突然大嵐に遭遇したり、洪水に遭遇したり…と、急激な気候変化に翻弄された旅をしたような気分だった。

統合失調症の苦しみ(本人は現実だとしか思えないものが、存在しないと知った絶望感)とか、妻アリシア側の視点でみるとサイコホラー的な印象になったり、もう、数回観ているが、観る度に印象が少しずつ変わっている。

ジェニファー・コネリー演じる妻が「夢と現実を区別するのは、ひょとすると頭ではなくここ(胸)かも」というセリフを発する。もっともらしくて、感情的には何となく納得してしまいそうになるのだが、実は私はピンときていない。だって、結局ナッシュは、幻の女の子が歳をとっていないことに気付き、それが幻覚であることを認識するわけで、夢と現実を区別したのは心じゃなく、ロジカルな判断力(頭)だったから。

こんな波乱万丈な人のお話なら、そりゃ面白くなるでしょ…と思うかもしれないがそれは違う。このお話、実はかなり現実と乖離している。だって、まるで、ずっと妻が献身的に夫の病気を支えたように描かれているけど、実際はナッシュのホモ浮気疑惑で離婚して、その後40年以上も別居だったらしい(その後、再婚したらしいけど)。大体にしてラッシュの症状が、幻のルームメイトを長きにわたって見るようなものだったのか、よくわからない。
何がいいたいかというと、きちんと、おもしろくなるように手が加えられてのコレなんだよ…ということ。

まあ、いずれにせよ、この何度観てもおいしいことこそ、傑作の証かと。未見の人には強くお薦めしたい。ラッセル・クロウの相手の後頭部の先にピントが合っているような目線。病んだ男の表情がよく演じられていており、お気に入り。

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image1847.png公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:ラッセ・ハルストレム
出 演:リチャード・ギア、アルフレッド・モリナ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ホープ・デイヴィス、ジュリー・デルピー、スタンリー・トゥッチ、デヴィッド・アーロン・ベイカー、クリストファー・エヴァン・ウェルチ、アントーニ・ノッパーズ、メイミー・ガマー、マイク・ワトフォード、イーライ・ウォラック、ジェリコ・イヴァネク、ピーター・マクロビー、ジョン・ベッドフォード・ロイド、マルセリーヌ・ヒューゴ、スチュアート・マーゴリン、テッド・ノイスタッド 他
コピー:伝説の大富豪“ハワード・ヒューズの偽りの伝記”を執筆した、ある作家の<真実の物語>。

1971年、ニューヨーク。出版社への売り込みを繰り返すが、まったく出版に漕ぎ着けない売れない作家のアーヴィング。やっと出版の約束を得るも、土壇場でキャンセルされてしまう。しかし、出版を見越して借金した上に散財してしまい、追い込まれてしまう。そんな彼に目に留まったのが、伝説の大富豪ハワード・ヒューズの雑誌記事。ヒューズの自伝を書いても、一切人前に出てこない彼ならバレずに済むと考えたアーヴィングは、ヒューズの筆跡を真似て自伝出版許可の手紙を偽造し、出版社へ売り込みを行う。偽造手紙はあっさりと真筆と鑑定され、出版の契約を結ぶと、ニセ自伝執筆に向け親友のサスキンドと一緒に、ヒューズに関する調査を始めるのだったが…というストーリー。

『ギルバート・グレイプ』『サイダーハウス・ルール』『シッピング・ニュース』など、トリアー監督ほどではないが、イタいシチュエーションの作品が多いハルストレム監督。好きな作風の監督の一人なのだが、2005年の『カサノバ』や日本未公開だった『アンフィニッシュ・ライフ』など、ちょっとノリが変わってきて、それと共に不調続きな気がする。

本作は、作品のデキ云々よりも、本作が実話であることの驚きが大きい。
思いつきで筆跡を真似たらあっさりと騙せてしまうという、フィクションだったら逆に陳腐すぎて絶対に採用されないシナリオなんだが、事実なんだから仕方が無い。ヒューズのインタビューもアーヴィングのモノマネとか、なんでバレないのか逆に不思議。事実は小説より奇なりというが、“奇”すぎて思わず神の存在を信じてしまいそうになるくらいだ。
結果として、あっさり詐欺が成功してしまうので、詐欺師の話なら当然あるべき、スピード感やハラハラ感や追い詰められた感じがが薄まってしまったのは、とても残念である。

このまま詐欺師としてストーリーがエスカレートしていくのかと思いきや、終盤は心を病んだ人のお話になってしまう。実は彼の幻想でした!というサプライズにも成りきれておらず、単に軸がブレたように感じられるのもマイナスポイントかも(まあ、そこは逆にハルストレム監督らしいっちゃぁらしいんだが)。
とはいえ、あまり評価が高くないが、それらウィークポイントがありながらも、見ごたえのある仕上がりになっていると思うので軽くお薦めしたい。他作品とはノリが違うリチャード・ギアの演技も悪くないし。その後『HACHI 約束の犬』で、再度一緒に仕事をするのもわかる気がする。相性は悪くないと思う。

もう一度いうが、事実は小説より奇なり。ハワード・ヒューズやニクソンなど、彼ら一人だけで一本映画ができるような人物の影に、こういう珍奇な運命の人がいたこと。そしてそういう歴史を持っているアメリカという国は、本当にエンターテイメントのために存在している国なんだな…と、呆れるやら感心するやら。

#ハワード・ヒューズといえば、レオナルド・ディカプリオ主演の『アビエイター』。そういえば自伝を焼くシーンがあったような無かったような。ちょっと再鑑賞してみようかな。

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image0494.png公開年:1969年
公開国:イギリス
時 間:155分
監 督:リチャード・アッテンボロー
出 演:ローレンス・オリヴィエ、ラルフ・リチャードソン、ジョン・ギールグッド、マイケル・レッドグレーヴ、ジョン・ミルズ、ダーク・ボガード、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、マギー・スミス、スザンナ・ヨーク、ウェンディ・オルナット、フィリス・カルヴァート、イザベル・ディーン、ジュリエット・ミルズ、ジェーン・シーモア、ジャン=ピエール・カッセル、エドワード・フォックス、メアリー・ウィムビッチ 他
受 賞:【1969年/第27回ゴールデン・グローブ】外国映画賞[英語]
【1969年/第23回英国アカデミー賞】助演男優賞(ローレンス・オリヴィエ)、撮影賞(ジェリー・ターピン)、美術賞、衣装デザイン賞、音響賞、国連賞
コピー:英国の製作陣及び配役の総力を結集した…けんらんたる戦争巨篇!!

1914年初頭の欧州。ドイツと同盟したオーストリアと、フランスとロシアの支援を受けるセルビアの関係は一触即発状態だったが、セルビアを訪問中のオーストリアの大公夫妻が暗殺される。オーストリアがセルビアに対し宣戦布告すると、それを契機に、ドイツのカイゼルはベルギーに侵入し、イタリアと同盟を結ぶ。それにより中立を保っていたイギリスも参戦せざるを得なくなり、1919年4年7月第一次世界大戦が勃発する。これまで志願兵制度だったイギリスは、勝利のために徴兵運動を展開。その運動にいたって普通の小市民であるスミス一家も巻き込まれ、息子のハリーが募兵に応じ、ベルギー戦線に出兵。その後も、別の息子ジャックも妻子を置いて出兵するが、戦局はエスカレートする一方で…というストーリー。

地歴公民の教員免許は持ってるが、正直、第一次世界大戦前後は、ちょっと苦手(というか、おおよその流れ程度しか頭に浮かんでこない)という、なさけないポンコツの私。オーストリア大公夫妻の暗殺くらいはわかるけど、その周囲の動きなんかピンときていない。
だから、各国のキーマンが、ヨーロッパの地図が書いていある床の上で、いろいろペラペラお話していても、“うまくまとめた”ともシュールだともウィットだとも思えないという、実に情けない状態。
戦国時代とか幕末の話をこんなノリで演出されたら、日本人なら腑に落ちるのだろう(三国志とかでも同じかな)。海外なら高校生レベルでも、ああ、歴史の授業でやってたあれだよねーって、感じになるんだろうけどね。

また、豪華な配役とのことだが、それほど個性の強い顔立ちの面々ではないため、肝心のスミス一家の男兄弟が兵隊さん中の誰なのか、正直よくわからんまま、観終わってしまった。
そして、肝心のミュージカル部分だが、賛美歌やポピュラーミュージックの元の歌詞自体を知らないので、替え歌になってもその面白さがよくわからない。

確かに、塹壕の中での兵士たちの、本音の言葉や、厭世観はよくあらわれてはいて、反戦ムービーとしては伝わってくるのだが、それが笑いや歌にのって、私の心に届くことはなかった。
#一番、心が動いたのは、民衆の前で演説する女性のくだりだが、スミス一家の人?本当にキャラの描き分けがピンときていない。

これまで観て来た映画の中で、“付いていけていない”という不安を一番感じた映画だと思う。お薦めするとかしないとか、そういう段階ではない。まあ、私の修行不足ということなんだろう。そういうことで。

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image1844.png公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:ロバート・ゼメキス
出 演:ジム・キャリー、ゲイリー・オールドマン、ロビン・ライト・ペン、コリン・ファース、ボブ・ホスキンス、カラム・ブルー、ダリル・サバラ、フェイ・マスターソン、レスリー・マンヴィル、モリー・C・クイン、マイケル・J・フォックス 他
コピー:未来は、まだ変えられるかもしれない…
彼の名前はスクルージ。金がすべての、嫌われ者。


ロンドンで金貸しを営む老人スクルージは、まさに金の亡者で人々から嫌われていた。クリスマス・イヴのその日、貧しい人たちへの寄付の求めを拒否し、挙句の果てには「貧乏人が死んでも仕方が無い」「余計な人口が減るだけ」と暴言を吐くのだった。しかし、帰宅すると、かつて共同経営者だったマーレイの亡霊が出現。怯えるスクルージに対して、その金の亡者っぷりに警告を与え、さらに、これからスクルージの元に3人の霊がやって来ると言い残して姿を消す。ほどなく一人目の霊が現われ、スクルージを過去 のクリスマスの日々へと連れて行く。そこには、若き頃の、純真で優しかったスクルージがおり…というストーリー。

舞台も19世紀なら、実際にディケンズによって書かれたのも19世紀。資本主義の発展よって、底辺の人々が塗炭の苦しみを味わっている時代なので、ピンとくる話だろう、きっと子供なら楽しめる…といいたいところだが、恐怖で言うことを聞かせるタイプの教育にしか思えず、宗教上の説話だとしても、あまりにも直球すぎて閉口する。
確かにキリスト教らしいといえばらしいのだが、日本の児童が、この価値観の押し付けを素直に受け入れられるとは思えない。

大体にして、スクルージの主張する、社会保障は税金でしっかりと賄うべきという主張は一理ある。さらなる“税”が必要ならば、確固たる根拠が必要なのは至極当然。そこを、神の御心に沿って慈悲の心で私財を放出すべきという理屈は、問題があると思う。
本当の答えは、“資産の死蔵”つまり金やモノを動かさずに貯めこむこと自体が罪であって、それを次の投資や資本拡大に使用すればよい。資本主義というシステムは、どこかにお金が偏在するようになっているの。むしろその“偏在”する場所に当たった人は、その溜まった資産を早々に使わねばならない(廻さないといけない)という義務を負う、結構大変な役回りなのである。
だから、アホな金持ちはそれでウハウハしちゃうのだが、本当に“金”の意味がわかっている人は、こりゃ大変なことになったと一生懸命使い道を考えるのである。だからその役回りの人の価値はどうやって金を使っているのか?という一点によって決まる。で、スクルージの罪悪は、末端の市民に小金を貸すばかりで、有望な企業に投資するなどしていない…という点くらいだろう。
そんな主張のお話を映画にしたっておもしろくないだろ!と思うかもしれないが、本作でもスクルージは「金はあの世まで持っていけない」といっているではないか。結論は一緒である。でも、その過程がおかしいから、ただお金をあげるとか、何かをかってあげる…という行為にしか結びつかないのだ。
目先の施しが、本当に他者の幸せになるとは限らない…私は本作を観ている間、ずっと引っ掛かっていたのはそこなんだと思う。

技術面。確かにジム・キャリーの動きをしっかりとアニメーションで再現できている。しかし、技術としてのモーションキャプチャーにそれほどの新規性も驚きもない。本作のテーマは“3Dアニメ”なので、普通の2DのDVDで鑑賞したのでは、その技術的なテーマ(真価)を感じることはできないのだろう。ただ、新しい技術テーマに重点を置きすぎたせいなのか、アニメのくせにアングルとかカメラアングルが悪いと感じられる不思議な作品である。

それ以前に、じいさんが主人公なので、子供向けなのにとっつきにくく、共感しにくいという、高いハードルがある作品なんだけどね。諸々、残念な作品である。お薦めできない。大半の子供は途中で飽きると思う。

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image1808.png公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ジョナス・ペイト
出 演:ケヴィン・スペイシー、マーク・ウェバー、ダラス・ロバーツ、キキ・パーマー、サフロン・バロウズ、ジャック・ヒューストン、ペル・ジェームズ、ローラ・ラムジー、ロバート・ロジア、ゴア・ヴィダル、ジェシー・プレモンス、ロビン・ウィリアムズ 他




ヘンリーはセレブな顧客を多く抱える人気精神科医。しかし、多忙な生活の影で自殺してしまった妻を何故止めることができなかったのか、自問する日々が続いていた。その辛さからのがれるため、タバコ、酒、ドラッグに溺れている。見かねたヘンリーの父親は、同じように母親の自殺で苦しんでいる女子高校生のカウンセリングを命じるが、かえって苦しみは増す一方。ある日、そんな彼に自殺をテーマにした番組出演依頼が舞い込む。出演した彼は、自分は妻さえも救えないインチキな医者だと告白し、自分の本も買うなと生放送中に本を破り席を立ってしまい…というストーリー。

サスペンスでも謎解きでもないケヴィン・スペイシー主演作。残念ながらやっぱりキレは無いんだけど、ケヴィン・スペイシーであることで期待値が上がりすぎてしまっているだけで作品自体は悪くない。テイストとしては、人種間ではない軋轢による『クラッシュ』って感じ。

本当の自分はこうじゃない、こうあるべきだと思っている人たちのお話。向上心のある人、現状に満足できない人、その違いは何なのか。他人の評価、外部の価値観の差だけで、同じなのではないか…。そんなことを滔々と考えさせてくれる作品。
しかし、『クラッシュ』が答えを出さなかったのに対して、本作は、“奇跡”みたいなオチを用意している。ただ、その奇跡というのが、降って沸いたようなラッキーみたいなもので、そのおかげでうまくいったからといって、個々の問題は何一つ解決していないように感じられるのがよろしくない。作中の軋轢があまり激しくない(その軋轢は個人の内部で爆発する)ので、うまくいきすぎで興醒めしてしまうということもあるかも。せめて、この奇跡のような出来事に、ものすごい意外性があればよかったのだが、元々映画エージェントに関係する人がメインキャストの多くを占めているので、あまりにも予想の範疇なんだもの。

ジェマがシナリオにOKを出すこと、ヘンリーが女性に思い切って交際を求めること、それが、これまで彼らが悩みぬいてきたことへの答え…といわれれも、あまりにも“不足”。

日本未公開なのも仕方が無い。ヒットさせろといわれても、私も困惑すると思う。でも、終盤までは悪くないので駄作とは言いたくない。良質な凡作…だと思う。とにかく、最後にヒネリと深みがないのが残念すぎる。

 

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image0190.png公開年:1983年
公開国:日本
時 間:106分
監 督:森田芳光
出 演:松田優作、伊丹十三、由紀さおり、宮川一朗太、辻田順一、松金よね子、岡本かおり、鶴田忍、戸川純、白川和子、佐々木志郎、伊藤克信、加藤善博、土井浩一郎、植村拓也、前川麻子、渡辺知美、松野真由美、中森いづみ、佐藤真弓、小川隆宏、清水健太郎、阿木燿子 他
受 賞:【1983年/第7回日本アカデミー賞】新人俳優賞(宮川一郎太)
【1983年/第26回ブルーリボン賞】監督賞(森田芳光)

次男・茂之の高校受験を控えた沼田家は家中がピリピリしている。デキの良い兄と比べて茂之の成績は悪く、これまで何人もの家庭教師がきても、誰もがすぐに辞めてしまうほどのクセ者でもあった。そこへ、三流大学7年生の吉本という男が家庭教師としてやってくる。父・孝助は茂之の成績が上がればボーナスを払うことを約束すると、吉本のなりふりかまわない“教育”がスタートする…というストーリー。

げ、もう29年も前の作品だってさ。
残念ながら、森田芳光作品で心から「良いな…」と思ったのは本作だけ。基本的にセンスが合わないのかもしれないが、本作だけは別格だ。

当時としては非情に革新的な作品だったと思うが、30年近くたって今観ると、意図がぼんやりして、深く考えずになんとなく差し込んでみたような部分も。カメラアングルなども含めて“奇を衒った”印象が強く思える。
横長のテーブルにで並んで食事をする家族。駐車場に移動して、会話する父親。片手に図鑑を持っている家庭教師。etc…、極めてCM的というか、ノウハウ本的というか。こんなのおもしろいんじゃない?と企画会議でブレーンストーミングでホワイトボードに書き出してみて、生き残ったアイデアを散りばめてみました…そんな印象。
そういう手法が悪いと言っているわけではない。実際は練られた末なのかもしれないが、とりあえず撮っておいて、使うかどうかは編集の時に考えましょ…みたいな印象を勝手に持ってしまった私がいけないんだろう(『タンポポ』と比較するとどうしてもね)。

そんなに文句をいうクセに良いと評価するのは何故なのか。それは、本作が一見客観性持って、それもシュールな表現で貫いているように見せて、実は極めて主観的な怒りを孕んで進行するからだろう。そのシュールさだって、表面的には沼田家や吉本の行動がシュールに見えているけど、実は社会全体がシュールなんだぜ…と。その社会・周囲に対する怒りを無意識に共有してるから、ストーリーに入り込めるんだと思う。

こんな狭い空間で生活していながら、家族の精神的な距離は遠い。つまり、物理的なパーソナルスペースは狭いのに、精神的なパーソナルスペースはものすごく広いという、チグハグな構図。そこに、いずれのパーソナルスペースにもズケズケと進入してくる家庭教師がやってくる。
吉本の攻撃範囲のイメージは“ドス”みたいな感じかな。いや、これは吉本という架空のキャラクターの持つ攻撃能力じゃなく、松田優作の力なんだろう。

でも、破天荒なキャラに見えて実は単にビジネスライクなだけ。その証拠に、最後の最後で目的が達成できたところで、自分の感情を素直に表出。その結果がアレ。“ボーナス”は貰えたのか?最後の食事の前に貰ったということでいいのか?と、その点はちょっと気になったが、貰ったからこそアレなんだよね(貰う前だけど、キレちゃいました…みたいな演出でもよかった気がするけど)。

贅沢を言えば、湾岸沿いとか川辺付近の風景をもっともっと美しく差し込んでほしかった。淡々とシュールな演出が繰り返されるので、もっと別な方向に脳を持っていく瞬間があっても良かったかと。

その後の日本映画というよりも、テレビドラマに良くも悪くも多大な影響を与えた作品かと。個人的には『タンポポ』には劣ると思うけれど、見事な快作だと思う。30年近くたって、この色褪せなさは見事。

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image1857.png公開年:1996年
公開国:デンマーク
時 間:158分
監 督:ラース・フォン・トリアー
出 演:エミリー・ワトソン、ステラン・スカルスガルド、カトリン・カートリッジ、ジャン=マルク・バール、ジョナサン・ハケット、エイドリアン・ローリンズ、サンドラ・ヴォー、ウド・キア、ローフ・ラガス 他
受 賞:【1969年/第29回アカデミー賞】主演女優賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第49回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(ラース・フォン・トリアー)
【1996年/第31回全米批評家協会賞】主演女優賞(エミリー・ワトソン)、監督賞(ラース・フォン・トリアー)、撮影賞(ロビー・ミューラー)
【1996年/第63回NY批評家協会賞】女優賞(エミリー・ワトソン)、監督賞(ラース・フォン・トリアー)、撮影賞(ロビー・ミューラー)
【1996年/第22回LA批評家協会賞】ニュー・ジェネレーション賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第9回ヨーロッパ映画賞】作品賞(ラース・フォン・トリアー)、女優賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第22回セザール賞】外国映画賞(ラース・フォン・トリアー)

スコットランドにあるプロテスタント信仰が根強い寒村。無垢だが年齢にそぐわない幼い心の持ち主ベスは、油田工場で働くヤンと結婚する。しかし、ヤンは油田作業で不在の日々が続き、べスの苦しみは増す一方。ベスは教会でヤンが早く帰ってくるように日々祈るのだった。すると、ヤンは事故に巻き込まれてしまい、陸地の病院に搬送されてしまう。一命は取り留めたものの、半身不随状態に。自分が願ったせいでヤンに災いがふりかかったと考えたベスは、強く自分を攻める。やがてヤンは、セックスのできない自分の代わりに、ベスが愛人をつくりその様子を詳しく聞かせて欲しいという。それで間接的にベスと愛し合うことができるというのだが…というストーリー。

母を亡くし、自分の出自の秘密を知ったトリアー監督が、その直後に作った作品。
育ての父を否定しカトリックに入信するなど(実父がカソリックから?)、私から言わせれば一見筋が通っているように見えて、トンチンカンな行動に感じるのだが、本作を通じて表現されているプロテスタント教会への無慈悲さみたいなものはそこから来ているものと思われる。

華美な装飾がない教会の様子。教義においてもガチガチに教義に縛られている、田舎プロテスタント。ここまで男尊女卑が徹底されていることや、破門=死・地獄行きであり、村八分になる様子がストレートに描かれているのも、実に興味深い。
よく、ムスリムの男尊女卑が話題になることは多いが、プロテスタントにおいても同様な事例があることを描いた作品は少なかったと思う。教義をガチガチに追求していくと、女性の行動や扱いに制限が加わってしまうのは、一神教の共通点かもしれない。

神の答えを自ら口にする主人公。その神の回答が、意外と理路整然としていて、単なる異常者ではない微妙な線がうまく描けているとは思う。
声に出しているから変なだけで、あのように自問すること自体はノーマルだよな…とも思う。じゃあ、常人と異常者の境界って何よ…と、そういう点でも考えさせられる。
しかし、症状は段々悪化していく様子。これは、自分が似たような症状を持っているか、身近に存在しないと表現は難しかろう。トリアー監督の場合は前者かな。

いずれにせよ、ベスの奇行によって、先の読めない展開になっているのは事実である。冒頭からヤンが怪我をした後くらいまでは、背中の皮を剥かれて、その上からウールのセーターを着せられたような、とにかく“イタい”と思わせ続けられる内容。
後半は、夫が妻に愛人をつくれと促し、その行為を聞かせろという性的倒錯な展開に(おもいっきり腰と痛打されたような感覚に襲われる)。そして、それに従うべきとの神の答えに対して忠実に行動する、さらに輪をかけてクレイジーな行動をとる主人公。

まてよ。彼女はクレイジーなのか?否。プロテスタントってのは聖書の教えを愚直に実践する集団ではないか(聖書も読ませずに民衆を支配し続けたカトリックへのエンチテーゼだ)。一切の娯楽を排除してとにかく働き続ける。神がそう求めるのだから理由なんかどうでもいいのだから。彼女は教会から忌避されているが、その行動様式において、一番プロテスタントらしい(というか、それ以上)じゃないか。
でも、教会は彼女を破門するわけだが…。

結果として、どこもかしこも狂気で満ち溢れた世界が描かれる。これがトリアー監督作品の特徴だし、それ故に評価されているわけだが、意図的にそう描いているというよりも、トリアー監督には世界がそう見えているというのが正解なんだと思う。ピカソには世界がキュビズムに見えていたのと同じように(ピカソの中に入ったことあるわけじゃないから実際は知らんけど)。
#私の中では、ピカソもトリアーも同じ部類の人。

彼女の奇行ゆえに、その愛の純粋さを感じられる…というか、行為と愛そのもの価値が同じものさしで測れないことを痛感させられた。でも、最後のシーンは何なのか。私の傍には神はいないみたいなので(笑)、答えを出せていない(彼ら全員死んでたりする?究極の奇跡?)。ただ、不意打ちで膝カックンやられたような衝撃のラストではあった。

トリアー監督の“黄金の心”三部作で観ていないのは『イディオッツ』。レンタルビデオ屋で見つからねえ…。
#コマの抜き方は黒澤作品、ブランコの表現なんか伊丹作品に通じるものがあって、技術的にはかなり好みの部類。

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image0747.png公開年:1985年
公開国:日本
時 間:114分
監 督:伊丹十三
出 演:山崎努、宮本信子、渡辺謙、役所広司、安岡力也、桜金造、池内万作、加藤嘉、大滝秀治、黒田福美、篠井世津子、洞口依子、津川雅彦、村井邦彦、松本明子、榎木兵衛、粟津潔、大屋隆俊、瀬山修、野口元夫、嵯峨善兵、成田次穂、田中明夫、高橋長英、加藤賢崇、橋爪功、アンドレ・ルコント、久保晶、兼松隆、大島宇三郎、川島祐介、都家歌六、MARIO ABE、高木均、二見忠男、横山あきお、辻村真人、高見映、ギリヤーク尼ヶ崎、松井範雄、佐藤昇、日本合唱協会、福原秀雄、北見唯一、柴田美保子、南麻衣子、鈴木美江、小熊恭子、伊藤公子、上田耕一、大月ウルフ、大沢健、藤田敏八、原泉、井川比佐志、三田和代、中村伸郎、田武謙三、林成年、大友柳太朗、岡田茉莉子 他
ノミネート:【1987年/第3回インディペンデント・スピリット賞】外国映画賞

距離トラックの運転手、ゴローと助手のガンが、さびれたラーメン屋に入る。そこは死んだ夫のラーメン屋を一人で切り盛りしている、未亡人タンポポの店。ちょうど店には、タンポポに交際を迫っている幼馴染の土建屋ビスケンが陣取っている。しつこく迫る様子にたまりかねてゴローが助けを出すと、喧嘩になってしまうが、ビスケンの取り巻きも加えての多勢に無勢でゴローはやられてしまう。翌朝、介抱されて目覚めたゴローに、ラーメンの感想を聞くと、今一つとの指摘。落胆したものの、ラーメンの知識があるゴローに藁をもすがる思いで弟子入りを願うタンポポだったが…というストーリー。

またまた再観賞モノ。安定・安心のクオリティを無意識に求めているようだ(ちょっと私お疲れみたい)。

特に印象的なのは、“臨終チャーハン”。海外の人が見たら日本の男尊女卑がうんたらかんたら言うのかもしれないけど、食べ物自体に対する愛ってよりも、「家族への愛≒食わせること」っていう図式がしっくりくるシーンだと思うよ。で、このシーンで、もっと私が注目したいのは、母親がチャーハンを作ってるところで、電車が走ってるシーンを挟む編集。この間の取り方ってすごくて、脳が持っていかれる感じがする。

そう、この作品のすごいところは、編集だと思う。臨終チャーハンのシーンだけじゃないんだ。
ラーメン作りという主軸のほかに、様々な食に関するエピソードが差し込まれる構成なわけだけど、その場面転換のほとんどが、カット編集じゃなくてカメラパーンで行われている。つまり、別の話に移る場合は、横で次のシーンの準備をしているってこと。普通はそれぞれ別撮して後で編集でつなげるでしょ。もう、絵コンテ・撮影の段階で、この繋ぎまで計算されているんだ。この一点だけでもすごいことだよ(厳密に言うと、すべてのカットがそうじゃなくてワイプで次のシーンとかもあるけどね)。

大抵のことでは怒らんが、食い物のことに関してだけは激昂するといわれる日本人。その根幹文化ともいえる食い物へのこだわりと、サブカルチャーとしても百花繚乱のごとく咲き乱れる食文化が、よく表現できていると思う。日本文化を紹介するなら、『菊と刀』なんか読ませるよりも、まず本作を観せることが先だな。出てくる街並みは大きく変わったけど、出てくる食べ物に関しては、何一つ現在でも違和感ないもの。

ただ、このサブエピソードにも批判的な人が、案外多いのも事実。正直にいうと、スーパーで指でぐにぐに押すババアのシーンは、その必要性が私ににゃわからん。虫歯のエピソードを挟むのは良しとして、電車で点心じゃないといけない理由もわからん。イノシシの腸の話も、腸まで進んでりゃすでに山芋の状態なわけがないだろ…というツッコミが。わさび醤油なんか合うかもね…って。まあ、その辺は、ご愛嬌で流すとこなんだろうな。

ぶらりとツワモノたちがあつまり、無償の施しをして去っていく…って、ノリが西部劇みたい(だから、ゴローはテンガロンハットかぶってる)。当時も“ラーメンウエスタン”っていうふれ込みで宣伝してたみたいだけど、そこを前面に出すのは宣伝戦略としては失敗でしょ。
ラーメンとチャーシューメンで勝負っていっておきながら、ピスケンがちょちょいとつくったヤツがまあまあだったからって、あっさりメニュー追加とか(笑)、まあ、その辺は日本人らしくていいわ。宮本信子演じる未亡人タンポポの汚れ具合も調度いい。そのおかげで、恋愛展開なんかどうでもいいし、下着がでてきても「勘弁してくれ…」状態で、観客もラーメンに集中できるわ(笑)。飲食店の厨房の小汚さに通じて、作り手側のアイコンとしてはすばらしい(って、ちょっと失礼か)。
#この頃の渡辺謙から、今のKen Watanabeは想像できんわなぁ。

ラスト。目線だけで「さらば」という山崎努の演技。それでおしまいでもいいのに、エンドロールの授乳カット。あざとい演出だけど、これが真理だものな。文句のいいようがない。
大滝秀治は27年前から秀治だな…って、ああこれ27年前かよ。全然そこまでの古さ感じないなぁ。日本映画の10指に入る作品。昔観たなぁ…という人も改めてみることをお薦めする。日本人のアイデンティティが強く刺激される作品。

#あのオムライスは練習したわ。案外できるもんだよ。

 

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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
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