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image0672.png公開年:2004年
公開国:イギリス
時 間:83分
監 督:ロバート・ヴィンス
出 演:クリス・ポッター、リチャード・カインド、エマ・ロバーツ、マイケル・ベイリー・スミス、ミュゼッタ・ヴァンダー、デブラ・ジョー・ラップ、パット・モリタ 他





トップ・エージェントとして大活躍するチンパンジーのミンキーとその相棒マイク。しかし、マイクの妻が急死してしまったため、幼い娘アメリアを育てるためにマイクは引退を決意する。そしてミンキーもサーカスの団員に転職する。10年後、ミンキーはサーカスの大スターに、マイクは保険のセールスマンとして、退屈な日々を過ごしていた。12歳になったアメリアは、天才化学少女に成長。画期的なレーザードリルを発明した功績が認められ、世界有数の科学者であるファーレー博士から科学功労賞を授与されることことになった。しかし、それは彼女の発明に目をつけたファーレー博士の陰謀で、巨大なドリルで地球を掘り進み、マグマのエネルギーを開放しようという目的だったのだ。ファーレーは、彼女を誘拐して日本へ連れ去ってしまうが、それを知ったマイクは、サーカス団のミンキーに助けを求めコンビを再結成する…というストーリー。

B級中のB級って作品なのに、ものすごく頑張っている。日本描写は確かに変なんだけど、出てくる日本語の看板に誤字はないし、ところどころ実際ロケをした様子もあるし、日本への愛情が感じられる。『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』を同じ志向性。
予算は無いけど時間はあるよ!だから、チンパンジーの演技は何テイクも撮れるし、日本語のチェックをする時間もあるよ!そんな感じ。

しかし、後半、息切れしちゃうのだ(笑)。車のナンバープレートの形が変だったり、タクシーが自動ドアじゃなくて屋根にランプがないとか。おしい!って感じ。それに、せっかくおもしろいキャラクターだったサーカスの仲間たちは、前半だけでお役御免になる。
でも、この力尽きていく様子が生暖かく見守れるってのが、本作の良いところ。もう、製作側も開き直っていて、槍ヶ岳に舞台が移ると「カナダに似ている…」っていって、ロケ地がカナダになっちゃう(笑)。

すると、ニッポン要素が不足してくるので、“ミヤギさん”投入。ニンジャマスターなんだけど、別にミンキーに何かを授けるわけではない。というか弱い!!最後はグダグダになるけど、まあそんなもんでしょ…ってところに不時着。なんなら次回作をつくってもいいんじゃね?って感じで終わる。

とにかく、好感が持てるコメディ。

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image0763.png公開年:2005年
公開国:イギリス
時 間:77分
監 督:ティム・バートン、マイク・ジョンソン
出 演:ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、エミリー・ワトソン、トレイシー・ウルマン、ポール・ホワイトハウス、アルバート・フィニー、ジョアンナ・ラムレイ、リチャード・E・グラント、クリストファー・リー、マイケル・ガフ、ジェーン・ホロックス、ディープ・ロイ、ダニー・エルフマン 他
ノミネート:【2005年/第78回アカデミー賞】長編アニメ賞
【2005年/第11回放送映画批評家協会賞】長編アニメ賞
コピー:ホネまで愛してくれますか?

19世紀ヨーロッパにある小さな村。魚屋で財を成したが品のないヴァン・ドート夫妻の息子ビクターと、破産寸前の貧乏貴族エヴァーグロット夫妻の娘ビクトリアは、親同士の思惑により結婚させられることに。結婚式の前日のリハーサルで、はじめで顔を合わせたが、お互い好印象でまんざらでもない様子。しかし、いちもオドオドしていてドジなビクターは緊張しまくりで、式の手順を覚えられない。怒った神父は覚えるまで式は延期を言い渡す始末。落ち込んだビクターは、一人夜の森で結婚式の練習をする。そして地面から出ている枝を花嫁の指に見立て、結婚指輪をはめ誓いの言葉を述べると、突然地面から花嫁衣装を着た白骨化した女性が現われ…というストーリー。

マペットアニメのクオリティは『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』よりも数段上がっていると思う。CGか?って思うくらい。逆に、それならCGでいいじゃねーかというジレンマを生んでしまうくらい。でも、とにかく、魚の生臭さが伝わってくるくらいデキはよい。画質は灰色度合いが過ぎて子供の目は飽きるだろう。それに対して黄泉の世界を色鮮やかにするのかな…と思ったが、それほどカラフルでもないという。

両家の打算で結婚させられる若い男女。内容的に子供向けではない。プロットは基本敵な流れは『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』と同じ。ロシアの民話が元らしいし、脚本にティム・バートンは名を連ねてはいないけど、ストーリーボードは彼が作ってるはず。

本作で特徴的だと思う点は、ヒロインが二人いる点。そしてヒロインの正確がそれまでの作品と微妙に異なる点。
従来の作品だと、死体であるコープス・ブライドの方がヒロイン扱い。そして、その異形の姿と裏腹に美しい内面で…というキャラクターになる。たしかにコープス・ブライドは魅力的に描かれているのだが、アホな男に騙されて殺されており、そのくせ結婚に憧れているのかビクターから求婚されたと勘違いして粘着するという、どちらかといえばビッチな役。
一方のビクトリアは、ビターン卿と結婚するハメになってもイヤがりはするがそれほど強く抗うわけではないという、弱い人物。純真以外の何者でもないが、特段魅力があるわけでもない。これまでの作品では取り上げられるような性格ですらないと思う。

最終的には、コープス・ブライドは成仏するし、ビクトリアとビクターは結ばれるっていうオチなのでOKっつー話ではある。しかし、以前ならそんな風に男女関係が描かれなかったと思う。ヘレナ・ボナム=カーターとの間に子供が生まれ、幸せな家庭生活をおくっていることが、作風に変化に繋がっているんだろうな。あまり“お母さん”にならないでねっていうアピールとか?よくはわからんけど、以降の作品に出てくる女性像が、あまり魅力的に写らないのはちょっと残念に感じるね。

ただ、ミュージカルとしてのデキは良いと思う。劇団四季とかコレをやればウケると思うんだ。
『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』『ジャイアント・ピーチ』『コープスブライド』この三本をまとめてディズニーのアトラクションにすればとても面白いのに…と思うけど、本作はディズニーじゃないんだよね。

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image0576.png公開年:1996年
公開国:アメリカ
時 間:79分
監 督:ヘンリー・セリック
出 演:ポール・テリー、ジョアンナ・ラムレイ、ミリアム・マーゴリーズ、ピート・ポスルスウェイト、リチャード・ドレイファス、スーザン・サランドン、サイモン・キャロウ、デヴィッド・シューリス 他
ノミネート:【1996年/第69回アカデミー賞】音楽賞[オリジナル・ミュージカル/コメディ](ランディ・ニューマン)


優しかった両親がサイに襲われて亡くなった後、スポンジおばさんとスパイカーおばさんの住む孤島に引き取られた9才のジェームズ少年。二人の叔母はジェームスをこき使い、満足に食事を与えないほどいじめてていた。ジェームスは、生前に両親が3人でニューヨークのエンパイアステートビルに登ろうと話していたことを思い出し、いつか訪れることを夢見るのだった。そんなある日、ジェームスは謎の老人から緑色に輝く不思議な物体を貰う。うっかり桃の枯れ木の下にこぼしてしまうと、桃の実がつき、みるみるその実は大きくなっていく。思わず桃を一かじりすると、その穴からジェームスは桃の中に引き込まれてしまう。そこには、愉快な虫の仲間達がおり…というストーリー。

ヘンリー・セリックって監督だけど、製作はティム・バートンとデニーズ・ディ・ノヴィで、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』とまったくおなじチーム。途中でジャック・スケリントンも登場し、世界観(というか質感)を共有するお話。最初と最後に実写シーンがあるけどね。

私、ティム・バートン好きではあるんだけれど、シナリオはあいかわらず感心できない。
困ったことになる主人公→未知の力を誰かがくれる→突っ走る→破綻もしくは崩壊する→なんかわからんけど悪役は痛い目にあう→なんとなく大団円。原作の童話があるんだけど、結局このパターンに落ち着いてしまう。
#原作は読んだことがないので差があるのかは不明。

アクが強くてちょっぴり気持ちの悪いキャラクターが動き回るのが愉しい。おもしろさの7割はそっちだから。
ただ、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』だとキャラクターのフィギュアが売っていたら、思わず欲しい!って思うんだけど、本作のキャラクターのデザインはいまいち、そういう気にさせてくれない。虫のデザインが残っているからか?虫の動作の範囲を大きく逸脱しないから、おもしろく感じられないのか?

寓意というか、裏に潜めた主張みたいなものがあまり無い。“サイに殺された”って何か別の意味があるのかとおもったけど、本当にサイに殺されたってことみたい。純粋に少年とおかしな仲間たちの冒険を楽しめばいい、そういう作戦なんだと思う。

なんだかんだ文句をいいつつ、DVDを買った作品なんだけどね。
妙にまとまっているせいなのかもしれんが、なぜか眠くなる。いい意味で催眠術な作品。小さい子供と見るには最適な作品なのかもね(親子で寝ちゃうんだわ)。

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image1877.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ミカエル・ハフストローム
出 演:ジョン・キューザック、コン・リー、チョウ・ユンファ、フランカ・ポテンテ、ジェフリー・ディーン・モーガン、菊地凛子、ベネディクト・ウォン、ヒュー・ボネヴィル、デヴィッド・モース、渡辺謙 他
コピー:そこは、愛が命取りになる街。



1941年の上海。イギリス、アメリカ、フランスが租界(外国人居留地)を設定していたが、日中戦争勃発以降は日本軍の統制下に置かれるようになっている。アメリカ諜報員のポール・ソームズは、同僚で親友だったコナーに会うため上海へとやってきたが、コナーが殺されたことを知る。コナーが上海裏社会の大物ランティンについて調査していたことを知ったポールは、彼を殺した者、そして彼が何を探っていたのかを明らかにするため、ランティンに近づく。そこで出会ったのが、ランティンの妻アンナ、日本軍情報部のトップ・タナカ大佐、コナーの愛人で姿を消した女スミコ。そして、アンナの秘密を知ってしまったポールは、その裏の顔を知りつつも彼女に強く惹かれてしまい…というストーリー。

正直言って、つまらんかったので、いきなりで申し訳ないけど、以下、ネタバレ注意。

ヘビーな拷問からスタートするけど、執拗に一人の女性の居所を訊くという掴みから始まる。これで「お!?」って興味を惹かれる人はいるか?逆に、ショボい話なんだろうな…と大抵の人は感じるだろう。せっかく、第二次世界大戦というダイナミックな舞台なのにもったいないと思う。

ジョン・キューザックとコン・リーとのラブロマンスに軸を置くならば、そこにもっと焦点を当てればいいのに。友人の死を探っていたら、出会ったアンナを愛してしまったポール。しかしアンナは有力者の人妻。しかし彼女が地下活動に身を投じていることをスパイであるポールは知ってしまう。彼女の破滅を回避するために正体を隠すことに尽力してしまうポール…その部分だけにね。
中途半端に真珠湾攻撃の予兆を掴んで云々…みたいな、スケールのデカい話を無理やり絡めようとするから、話の軸がブレる。

結局は旦那との関係が崩れるわけでもなければ、バレるバレないに話が集約されていくわけでもないから、愛憎劇とはとても言えないし。
挙句の果てに、友人の死の謎は、大きな謎にせまったからでもなんでもなくて、スミコを巡ってのトラブルだったとか…。もうねぇ。殺したのが誰かわかったけど、復讐する気もおこらない?どうでもよくなった?それどころじゃない?このストーリーって、それを追う話だったんだけど、そんなふわっと終わって許されると思ってるのかな。親友は空気かよ。そんなことなら親友が殺されたことへの憤りなんか不要じゃないか。

ポールは、ランティンと少なからず心を通わせ、敵である田中大佐とも、スミコの処置で小さな友情のようなものを芽生えさせる。スパイだからイソップ物語のこうもりみたいなポジションになるのはわかるけど、うまいことすり抜けて流されて…と、わかったようなわかんないようなオチ。これでいいのか?

本当にシナリオがつまらない。プロットレベルでつまらない。とっちらかってるんだわシナリオが。
この脚本家(ホセイン・アミニ)って、今公開してる『スノーホワイト』の脚本もやってるんだけど、こんなんで続けて仕事貰えるんだなぁ。

アメリカが日本に対する石油の輸出を止めたこと(ABCD包囲網)に触れられていることや、南京事件のことが“何か事件があったらしい…”の程度の反応で表現されていることは、なかなか好感が持てる。3年くらい前に30万人も殺されたのに、ずいぶんのんきだよね(笑)。

そのくせ、アンナは上海を脱出したにも関わらず、自らの意思で上海に戻り抗日活動をしましたとさ…とか、まるで中国が一枚岩の中国と描かれているところに、現在の中国の哀れさがにじみ出ている。八路軍かよ、国民党側かよ、それとも単なるゲリラかよ。
中国で公開するためには、こういう表現をせざるを得ないのは、俺たちは日本に攻め込まれた被害者ですみたいな顔を永遠にし続けるしかない、現在の中共の惨めさと顕しているってことだ。
#今、中国公開を前提に製作するって、足枷以外のなにものでもないわ。

久々に注意報発令レベルのつまらなさ。
#別に菊地凛子でなくてもよかった…というか菊地凛子だと気付かないで終わる人もいるんじゃないのかね。

 

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公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:ジョセフ・ラスナック
出 演:クレイグ・ビアーコ、アーミン・ミューラー=スタール、グレッチェン・モル、ヴィンセント・ドノフリオ、デニス・ヘイズバート、スティーヴ・シュブ、ジェレミー・ロバーツ、リフ・ハットン、レオン・リッピー 他




1999年。ソフトウェア企業の開発者ホールは、コンピュータ内に1937年のロサンゼルスを模したヴァーチャルな世界を構築しようとしていた。ある朝、彼が目覚めると部屋のは血まみれのシャツがあり、前日の記憶も曖昧に。そこに、彼の上司であるフラー社長が何者かに殺害されたと連絡が入り、アリバイが立証できなかったホールは容疑者になってしまう。犯行時間の記憶が無いことから、もしかすると自分がやったのかもしれないという疑いを拭いきれず、混乱するホール。身の潔白を証明しようと、事件を追っていくと、フラーが開発中のヴァーチャル世界に、頻繁に出入りしていたことを突き止める。そこに秘密があると確信したホールは、引き止める同僚の制止を振り切って、システムに侵入し…というストーリー。

『マトリックス』も1999年で、同じテーマで同年公開じゃ勝負にならなかったろう。でも、本作自体のデキは決して悪くないのよ。逆に考えれば、なんで『マトリックス』がウケて、本作がダメだったのか。いい研究材料だと思う。
世界観や哲学的な問答については、むしろ『マトリックス』のほうが難解。当時は付いていけないという思う人がいたくらい。本作は、“テレビゲーム”のようなバーチャルな世界に精神が入り込める…という判りやすさがある。

『マトリックス』には、アドレナリンが出るような戦闘シーンや、驚愕のビジュアル表現。本作のビジュアル表現といえば、“世界の果て”のフレームワーク画像程度。単なる予算の差とはいえないほどのセンスの差が横たわっている。

本作は、時間制限といういい材料があったのにウマく活用できなかったのがイタい。クライマックスで、“主人公”がいなくなってしまうのもイタい。結果的に、自分の旦那が気にくわなくなったから中身を入れ替えた…と見えてしまうのに、めでたしめでたしとしてしまう気持ち悪さもイタい。
#“13F”っていう設定自体、生きてないしな。
「俺たちのことを放っておいてくれ」は、一見、名セリフのように聞こえるが、他にもこの世界の正体を知ってしまった人間がいるという事実と、その刑事が“放っておいて”もらうための行動を取っていないという、若干の矛盾を感じる。始めから気付いていたのか、途中から気付いたのかも判然としない。もっと、「ああ、あの刑事の行動は、わかっていたからなんだな…」という、気付きが盛り込めればよかったのだが…。

ちなみに『バニラ・スカイ』が2001年。こういう哲学的というか認識論的な視が流行だった時期なのかも。こういう話を思いついただけで、その人は仏教徒である。ただ3作いずれも、今見ている世界が虚像であって、リアルな世界が別にある…というところまでしか到達できていないが、“空”の理論からすれば、そのリアルな世界だって、リアルか否かは証明できないんだぜ?というところまでいけば、すばらしい。

ちょっと批判的に聞こえるかもしれないけど、“地味におもしろい”、そういうレベルの作品。

 

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image1875.png公開年:2010年
公開国:ポーランド、ノルウェー、アイルランド、ハンガリー
時 間:83分
監 督:イエジー・スコリモフスキ
出 演:ヴィンセント・ギャロ、エマニュエル・セニエ、ザック・コーエン、イフタック・オフィア、ニコライ・クレーヴェ・ブロック、スティッグ・フローデ・ヘンリクセン 他
受 賞:【2010年/第67回ヴェネチア国際映画祭】男優賞(ヴィンセント・ギャロ)、審査員特別賞(イエジー・スコリモフスキ)
コピー:逃げろ!!


アフガニスタンで米兵を殺害したことで拘束されたアラブ人テロリストのムハンマド。収容所で拷問された後、移送されることになったが、護送車が事故をおこした隙に脱出し、そのまま逃走する。彼は雪深い森の中へ逃げ込んだが、どこへ逃げてよいのかもわからず、たくさんの追手からひたすら逃れようと、山野を進み続ける…というストーリー。

神々しく感じるほどの、雪景色の中を、“ただ逃げる!”思想とか主張とか、そういうものは一切省いて、“ただ逃げる!”。主人公のバックボーンは、所々アフガンの家族らとの生活のフラッシュバックが挟まれるのみ。民間人を躊躇無く襲っているところから、テロリストなのかな?と思うけれど、それ以上に何かが語られることはない。

ヴィンセント・ギャロ演じるムスリムの男は、収監された状態、つまり裸一貫で、何の武器も道具も持たない状態から、ただ“生きる”という生命の欲求にだけ正直であり続ける。身も蓋も無いが、それ以上でもそれ以下でもない作品。

前半は、生きるために容赦なく無関係の人間も殺害。とにかく生き抜くために、人間性が排除されていく。何とか生き延びているものの、冬の森の中に食べ物があるわけでもなく、空腹と衰弱から、蟻塚のアリや木の皮をむさぼり喰うようになる。
しかし、後半になると、より“生”と向き合ったためなのか、逆に狂気が薄れていくように見える、この不思議さよ。

先日観た『テトロ 過去を殺した男』と同様に、本作でもヴィンセント・ギャロの眼光は鋭い。いや、よく考えたらセリフ無しじゃないか。彼のセリフは眼光のみってこと。こんな動物と人間の中間みたいな目、彼にしかできないかもしれないな。

さて、観終わった後、あなたは何を感じた?戦争の空しさ?反戦?いやいや、私はそんな裏に潜んだ何かなんて感じなかった。“逃げる”そして“力尽きる”ただそれだけ。

作為的なアクションやトリックはない。本当に生身の人間が逃げるということだけをリアルに追求したという、そのコンセプトに対してヴェネチアは賞を与えたのだと思う。なかなかトンがった秀作かと。

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image1887.png公開年:2010年
公開国:アメリカ、スウェーデン、イギリス、カナダ
時 間:109分
監 督:マイケル・ウィンターボトム
出 演:ケイシー・アフレック、ケイト・ハドソン、ジェシカ・アルバ、ネッド・ビーティ、イライアス・コティーズ、トム・バウアー、サイモン・ベイカー、ビル・プルマン、ブレント・ブリスコー、リーアム・エイケン、ジェイ・R・ファーガソン、マシュー・マー 他
受 賞:【2010年/第31回ラジー賞】ワースト助演女優賞(ジェシカ・アルバ『Little Fockers』『マチェーテ』『バレンタインデー』に対しても)
コピー:そして目覚める。もう一人の自分。

1950年代、西テキサスの田舎町。保安官助手を務めるルーは好青年で誰からも好かれていた。幼なじみの女性教師エイミーと交際していたが、結婚をはぐらかしながらも、気ままに関係を続ける日々。ある日、町の有力者から、郊外にある一軒家で売春行為が行われているので取り締まるように苦情を受ける。その売春婦ジョイスのもとへルーが訪れると、客と間違えられて歓待されるが、保安官と判ると暴言を吐かれ平手打ちされる。その瞬間、ルーの中に潜んでいた衝動が爆発。彼女をベッドに押さえつけ何度も殴打。そのまま関係を持ってしまう。それ以来、毎日ジョイスとの情事を重ねるルーだったが…というストーリー。

表面的には非常に温厚で社会的地位もある男の内面にはこんな野獣が…というお話なわけだが、まあ、野獣になるまでの過程(生い立ち)が色々語られるわけだが、「そんなことがあれば、そんな風になっちゃうよな…」とはならない。ルーの内なる声は伝わってこないので、何か腑に落ちない。

あらすじを読めば1950年代というのはわかるのだが、何の予備知識もないと、少し古い時代だな…ということはわかるが、いつ頃なのか判然としない。時間が止まったようなものすごいド田舎ってこともありえるからね。なぜそれにこだわるかというと、科学捜査がなされていないことが、非常に奇異に感じるから。

周到な計画の末に罪を逃れられている…というわけではなく、計画は場当たり的といってもよい。指紋の一つでも採られればあっさりと犯人は確定する事件なわけだが、一切そういう描写はない。そのことは指紋採取をしないほど遅れた捜査状況だったのか?かといって、瀕死の娼婦ジョイスを飛行機で都会の病院に移送したり、まんざら田舎検事の行いとも言いがたく…。アメリカにおいて指紋照合のシステムを確立したのが『J.エドガー』なわけだが、その照合システムが地方の事件で活用できたかどうかは別にして、捜査において指紋を採取する…という手順は1950年代にもあったのではないか?と思う。変だなぁと思いつつも、南部の田舎のほうはそういう捜査はしなかったんだな…と思うしかないわけだ。

その点については無理やり納得するとして観進めることに。簡単にバレそうな穴だらけの犯行なのに、なぜかバレない。地方検事は疑いの目を向けるが、ちょっとはぐらかすだけでそれ以上なぜか追求できない。ルーの犯行に気付いて恐喝する男も現れるが、結局はルーの内なる野獣の餌食に。エイミーもジョイスと同様の結末に。いい加減、破綻してもよさそうなのに、あれよあれよとウマい方に転がって、ルー的にはまるく納まってしまう。
なぜかそういう運のある星の下に生まれた、希代の殺人鬼。その展開はなかなか面白いかもしれない…と評価しかけたらなぜか、これまでスリ抜けていたことが通らなくなり、あっさりと逮捕。何が理由で逮捕されたのか、何が理由で精神病院にいれられたのか、さっぱりわからない。いくらなんでも何の説明もなしに逮捕はできんだろう。

(以下ネタバレ)
キャスティングのバランスを考えると、ジェシカ・アルバをそんな前の方で退場させるような勿体無い使いかたをするわけがない…と誰しも思うわけで。おかげで、最後の驚きが全然無いという稚拙さ。
おまけに、なぜか犯人と疑っている人間の前に、彼を追い詰める最大の切り札である証人を差し出してしまうのか。そして、凶行に及んだ犯人を制止するために、なぜか証人の背中に銃弾を浴びせてしまうというトンチンカンさ。

これは、シナリオ教室で、ダメなシナリオとして教材にされるレベル。

ラジー賞をもらってしまったジェシカ・アルバだが、本作の彼女は別にやらかしてはいない。これまでどおりに美しさを爆発させているし、むしろキレイすぎて娼婦というキャラクターに合っていないと感じるほどで、信条には合わなかったであろう役柄をがんばってこなしたと思う。ケイシー・アフレックもうまく狂気を表現したと思うんだけど、如何せんこのシナリオではね…。

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image1883.png公開年:2009年
公開国:アメリカ、イタリア、スペイン、アルゼンチン
時 間:127分
監 督:フランシス・フォード・コッポラ
出 演:ヴィンセント・ギャロ、オールデン・エアエンライク、マリベル・ベルドゥ、クラウス・マリア・ブランダウアー、カルメン・マウラ 他





「いつか迎えに行く」と手紙を残し、幼い異母弟ベニーを残し音信不通になった兄アンジー。その兄がブエノスアイレスにいることを知ったベニーはNYから兄の家を訪ねる。しかし、アンジーは過去の生活や家族の存在を隠しただけでなく、“テトロ”と名を変えて生活をしていた。テトロにはミランダという妻がいたが、彼女にも父親が著名な音楽家であることも隠していた。突然現れたベニーのことも周囲の人に友人と紹介するなど、距離を縮めようとしない兄の態度を不快に思ったベニー。兄の荷物の中に誰も教えてくれない家族に関する何かがないかと物色すると、作家をめざしていた兄が綴った私小説を発見し…というストーリー。

コッポラか…、すっかり観終わってから気付いてしまった。確かに、『ゴッドファーザー』で描かれた“親子”が別の切り口で表現されている。エディプスコンプレックスという古典的なテーマの作品で、確かにコッポラらしい。
マエストロの父親とアンジーと、ちょっとネタバレになってしまうが、もう一つの親子関係の、エディプスコンプレックスの二重構造という構成。

誰も教えてくれない家族の過去を知りたい弟ベニー。それを一切語ろうとしない兄アンジー。夫が隠している過去を知りたくもあるが、今の生活が壊れることも恐ろしいミランダ。神経衰弱のように弟の好奇心と自分探しの欲求に追い詰められていくテトロは、どう結末をつけるのか…。

現在進行する話は白黒で、テトロが書いた過去や記憶、そして演劇など虚構表現がカラーという表現手法。白黒の映像に、ギャロの神経質そうでエグるような眼光が映える。彼の眼光だけでなく、風景などにも“光”を特徴的につかった表現が多く観られる。ただ、巧みだとは思うが、それほど新規性の高い表現化だとも思えず、むしろ野暮ったく感じるのは、いささか残念。

交通事故で同乗者を死なせたのは、事実なのか虚構なのか。事実だとしてあの女性はアンジーの彼女なのか、父親の伴侶なのか。ベニーの母でないんだよな?。それがミスリードなのか何なのか、すっきりしない。審査委員長的な女性とテトロの間に具体的に何があったのかもイマイチよくわからない。作家を目指していたが何で挫折したのかも、いまいちスッキリしない。

(ネタバレ注意)
“コッポラだ”とありがたがる人はいるかもしれないが、正直にいってしまうと、兄が父親なのがすぐ読めてしまい、それほど愉しめなかった。抱擁しておしまいという結末も陳腐とまではいわないが、ヒネりがないと思う。
#私なら、事実を淡々と受け止める弟。淡々と家族を問い詰め、逆にその態度に戸惑う周囲…という線で描くかも。

まあ、とにかくギャロだけでなく、オールデン・エアエンライクらの演技のデキはいい。それは否定の仕様が無い。

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image1889.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:237分
監 督:園子温
出 演:西島隆弘、満島ひかり、安藤サクラ、尾上寛之、清水優、永岡佑、広澤草、玄覺悠子、中村麻美、渡辺真起子、渡部篤郎、板尾創路、岩松了、大口広司、大久保鷹、岡田正、倉本美津留、ジェイ・ウェスト、深水元基、吹越満、古屋兎丸、堀部圭亮、宮台真司 他




園子温監督作品は初見。色んな人のレビューをみるともっとグッチャグッチャなのかと思ったけど、そうでもなかった。

上巻は、エロ、暴力、狂気を各キャラクターを切り口に重層的に描いており、和製タランティーノか!って思うくらい。だけど、タランティーノ的な手法は見飽きた感はあるし、和製が必要なわけでもないし…。
コスプレ、盗撮、女装など、ある意味“日本”の歪んだサブカルチャーとして外国人の目に映る姿がそこにはある。血しぶきドバーなシーンについては、海外作品でもよくあるのでどうってことはないが、“変態”的な表現については、海外には新鮮に観えたかもしれない。まあ、日本人からすると馬鹿馬鹿しさが先に立つが。
#ラブとアガペーの混同について、指摘するのが気恥ずかしいくらい。

パンチラというくだらなさがガス抜きになっているおかげで、バランスがとれているだけで、エグい虐待のオンパレード。意図的にバランスを取っているなら大したものだが、それが作為なのかどうかよくわからん。メインキャストのユウとヨーコとコイケの唯一の共通点は親から虐待された…という点。そこからも、本作の異常さが伺えるというもの。

下巻は、『サテリコン』ばりの狂気、邪教、サド・マゾ、調教の世界。破滅的な展開しかないだろうな…という大方の予想通り、各者が破滅していく。上巻にはまだあった幾ばくかのスタイリッシュさは鳴りを潜め、匕首を突きつけ続けるような膠着と、一度刺してしまった後は、ただグサグサと同じところを刺し続けているようなどうしようもなさで満たされる。

コイケがなんで、ユウの発狂を見て自刃するのか。正直、唐突に映ったが、まあ、それが目的だったから…ってことなんだろう。
地域の教会をまるごと勢力下に置く事が目的だったはずなのに、神父夫婦を巻き込むだけという成果で、なんで良しとされているのかはよくわからんし。それを言い出したら、ユウの女装が気付かれないのはいくらなんでも…とか、変なところは散見される。

4時間があっという間だったという人もいるようだけど、確かに引き込まれる展開で飽きはしなかったが、4時間は4時間だったと思う。ブラッシュアップすれば3時間ちょっとくらいならまとめることはできたと思う。でも表現したいことはすべて愚直に表現して、匂わせて終わらせるとかは一切していないのでこの時間になったのかと。それが意図的なのかこだわりなのかもよくわからない。演技も演出も良いんだが、「こりゃいいゾ!」とか「すごいもん観ちゃったな~」とまで思わせてくれないのは、サブカル的な枠を超えさせないための“ワザと”ならば、それはそれで感心する。個人的な好みからは外れているのだが、注目される理由はよくわかる作品。

ああ、そういえば、本作の主人公ユウも、昨日の『馬鹿まるだし』と一緒で、純粋ゆえに女性と関係をもてない“妖精”さんだなぁ。日本独特のキャラなのかもしれない。

園子温への文句ではないのだが、長いから上下巻に分かれるのはかまわんけど、別々にレンタルするのが納得できん。いくらなんでも二本分の値段の価値はないわ。セットでレンタルしろよ。

 

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imageX0054.Png公開年:1964年
公開国:日本
時 間:108分
監 督:山田洋次
出 演:ハナ肇、桑野みゆき、清水まゆみ、水科慶子、藤山寛美、小沢栄太郎、犬塚弘、長門勇、三井弘次、渥美清 他





瀬戸内海沿いのとある小さな町。シベリアから帰ってきた安五郎は、淨念寺に寺男として転がり転がり込む。淨念寺の住職の長男はシベリアに出征しまま抑留されており、長男の嫁(ご新造さん)夏子は、帰還を待ち焦がれていた。安五郎は美しい夏子に一目惚れするも、手の届かぬ存在として秘に恋慕していた。やがて、腕っぷしのよい安五郎は、地元の有力者の娘と興行に来ていた怪力男との駆け落ち騒ぎを解決したり、工場の労働争議を解決するなどの大活躍をして、町の人気者になっていく。でも、安五郎はただたた夏子に褒めてもらいたい、その一心からの行動なのであった。しかし、町の勢力を反対派が握るようになって、安五郎に対する町の人々の目が冷たくなっていく。さらに、根も葉もない夏子との間を噂するものが現れ、浄閑寺への出入りうを禁止されるハメになり…というストーリー。

安五郎という人物は確かに学はないが、“馬鹿”とタイトルにするほどのものだろうか。何を指して馬鹿なのかわからないのだから、何を“まるだし”にしているのかもよくわからん。インパクトはあるけれど、このタイトルは内容と乖離している。まあ、それはそれとして…。

私は山田洋次という人の作品はどうも性に合わなくて、ほとんどみたことがない。寅さんですら、あまり観たことがない。ただ、本作の安五郎という人物像は寅さんの原型であることはわかる。簡単に言ってしまうと、いい年をこいて女性経験がないという、単に純情とかそういう次元を超えたレベルのキャラクター。
寅さんとか両さんとか、すごく人間臭いし、人並みに女性には惚れる。でも奥手といえるほど不器用で、その恋が成就することはない。結局、そこから脱却することができないので、いつまでたっても女性と深い仲になることはない。人間臭いくせに“妖精”というこのアンビバレントさ。外国映画では観かけることのない、日本独特のキャラ類型といえるかもしれない。

ヒロインの女性(桑野みゆき)のキュートさが異常。こんな女優さんが日本に存在したことを知らなかったことを恥じるくらいかわいらしい。

コメディの純粋なレベルとしてどうか?と聞かれると、なんとも答えにくい。だって、正直あまり笑えないんだもの。ただ、なんとも不思議な雰囲気が漂う。画面の中の世界は、戦後間もない小汚い世界であることに違いはないし、主人公も無骨で小汚いおっさんである。でも、その世界を“妖精”が飛び回るという、ファンタジーなのだ。その妖精が爆弾魔のダイナマイトで吹き飛ばされる前の微笑み。ご新造さんが嫁ぐ前に、清く気持ちを伝える神々しさ。

なんとも不思議な魅力が滲み出ている作品。

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imageX0053.Png公開年:1996年
公開国:日本
時 間:136分
監 督:周防正行
出 演:役所広司、草刈民代、竹中直人、渡辺えり子、柄本明、徳井優、田口浩正、草村礼子、原日出子、仲村綾乃、松阪隆子、原英美子、西野まり、宮坂ひろし、河内ゆり、井田州彦、東城亜美枝、石井トミコ、川村真樹、森山周一郎、香川京子、上田耕一、田中英和、片岡五郎、石山雄大、大杉漣、パラダイス山元、東京ラテンムードデラックス、園田ルリ子、本木雅弘、清水美砂、田中陽子、本田博太郎 他
受 賞:【1997年/第3回放送映画批評家協会賞】外国語映画賞
【1996年/第20回日本アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(役所広司)、主演女優賞(草刈民代)、助演男優賞(竹中直人)、助演女優賞(渡辺えり子、草村礼子)、監督賞(周防正行)、脚本賞(周防正行)、音楽賞(周防義和)、撮影賞(栢野直樹)、照明賞(長田達也)、美術賞(部谷京子)、録音賞(米山靖)、編集賞(菊池純一)、新人俳優賞(草刈民代)
【1996年/第39回ブルーリボン賞】主演男優賞(役所広司『眠る男』『シャブ極道』に対しても)、助演女優賞(渡辺えり子)
コピー:“絶望”の中にも必ず“光”は存在する。

ボタン会社の経理課課長として、単調な日々を送るサラリーマン杉山。ようやく郊外に妻と娘と暮らす一軒家を手に入れて、何も不満もないはずだった。ある日、会社帰りの電車の中から見える社交ダンス教室の窓際に佇む美女を見つける。その美しさに目を奪われた杉山は、数日後、そのダンス教室を訪れる。勇気を出して教室に足を踏み入れてみると、そこにはあの美女と個性豊かな生徒たちが。結局、習い始めることになり、団体レッスンから始めることになったのだが…というストーリー。

TV放映されると何気に見てしまう作品。朝5時半おきのサラリーマン。私も犬の散歩があるので、似たような起床時間。家を買ったら、会社に身を売った気になる…、まあそれも判る。外国人が日本の様子を知るのには、結構参考になる作品。リメイクされるのもなんとなくわかる。

1996年の作品だけど、画面の中になる世界は、あまり現在と変わらない。ちょっと文化的に日本は煮詰まりきったのかな…と感じてしまう作品。勢いで始めたダンス。課長さんとはいえども、チケットや靴など中々の出費で、家のローンを抱えたお父さんのお小遣いで何とかなるものなのか。すっかりバブルは弾けた後だよなぁ。まあ、変だな…と感じる細かい部分はいろいろあるが、面白さを阻害するようなものではない。

まあ、シナリオ的に稚拙なのは、奥さんと踊るのが読めるところくらいかな。余計(というか好きじゃない展開)だとおもったのは、最後の会場に妻子を呼んだところかな。試合は試合でしっかりと盛り上げて終わらせるべきだったんじゃないかな…と(私は本作よりも『シコふんじゃった』のほうが周防監督のベストだと思う理由)。

メインどころに脇役からチョイ役までけっこう役者はダブってる。森山周一郎とか柄本明とか、チョイ役のクオリティがすごい。すべての役者を完璧にすることで、草刈民代のポンコツ演技を逆に意味のあるものにするという高等テクニック。あくまでこのバランス上でアリなだけで、主演女優賞をあげてしまうのは、どうかとは思うけどね。
玉子先生っていうキャラが、独身でダンスの先生とか掛け持ちしてるとか、一番ユニークだ。このキャラクターを作ったことをこそ秀逸なシナリオの極み。

『シコふんじゃった』の手法をさらに洗練させた感じ。洗練させたことで、より一般ウケする作品になってるが、アザとさが前面に出たを感じる人もいるだろう(私だけど)。でも誰もを心地よくさせる日本映画の傑作だと思う。
男性が素直に吐露すると、女性陣が黙る…という展開のテンドンが、私にはツボ。

#キャストとスタッフのエンドロールを別けた斬新さ…という点に結構感心している私。
 

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image1896.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:109分
監 督:羽住英一郎
出 演:瑛太、椎名桔平、丸山隆平、阿部力、宇梶剛士、平山祐介、松本実、要潤、本仮屋ユイカ、中原丈雄、吉田鋼太郎、深田恭子、中井貴一 他
コピー:悪を撃ち抜け
愛を守り抜け



警視庁内に秘密裏に組織された超法規的組織“ワイルド7”。飛葉をはじめ構成員はすべてが元凶悪犯たち。彼らはワイルド7の発案者である草波警視正に率いられ、犯罪者を秘密裏に抹殺していった。ある日、ワイルド7たちが犯人を追い詰めると、それに先回りして犯人を殺害する謎のライダーが出現することが続いていた。飛葉たちはライダーの正体をつきとめようとしたが、一向に正体を突き止めることはできなかった。そんな中、金銭と引き換えに、ウイルスを積んだ飛行船を東京上空で爆破させるというテロ事件が発生する。しして犯人グループを追い詰めるワイルド7の前に、またしても謎のライダーが出現し、ワイルド7に先んじて犯人を射殺しようとし…というストーリー。

世代の差か。原作マンガを読んだこともなければ、TVドラマも観たことがない。『あしたのジョー』なんかと一緒で団塊世代ド真ん中の作品ってことなんだろうな。まあ、実は段階世代が意外と映画館に足を運んでいるといデータもあるので、目の付け所は悪くないんだよね。

原作がどうあれ、“ワイルド7”という荒唐無稽ともいえる弾けた存在が活躍する作品なのはよしとして、社会状況や敵までもが荒唐無稽なレベルだと、肝心の主人公集団である“ワイルド7”の魅力が際立たないではなかろうか。
現行社会の考えうる範囲のとてつもなく悪い奴らを、超法規的な勢力がブチのめす。まさに水戸黄門と共通するオモシロさだと思うのだが、飛行船に未知のウイルス爆弾…やら、FBIも真っ青な情報組織とか、もうSFファンタジーになってしまっている。

悪人からスカウトした警察官っていうコンセプトは基本的に問題なし。刑さえ終えれば警察官になったってかまわないわけだし。超法規的組織というけれど、任務中だからスピード違反をしてもいいだろうし、緊急時で必要があれば射殺してかまわないわけで、単なる特殊部隊なのでは?という疑問が沸いて仕方が無かった。現代のドラマに置き換えてみて、一体なにが超法規なのか、きちんとコンセプトを練ったのだろうか。そこが練れていないことが、フワッとした出来映えの真の原因ではないのか。私にはそう思えて仕方が無い。

シナリオで悪い点は、敵への憎悪がいまいち涵養されないことである。完全懲悪モノは、敵に憎悪を沸かせてナンボである。桐生という最後の敵も、言動からして小物で、まさに役不足。
#この桐生を演じている吉田鋼太郎という役者さん。映画は向いていないんじゃないかね。舞台のドヤ顔みたいのをそのまま持ち込んじゃだめだよ。興ざめする。

そして、7人いるけど、全員のキャラの魅力を描ききれていないという至らなさ感。加えて、キライじゃないけど、深田恭子ではないな…と。ちょっと舞台でもやって発声を鍛えたほうがいいんじゃないかと思う。所々彼女の台詞回しで興ざめさせられる場面が散見。ビジュアル的には一切問題がないだけに、非常に残念。

じゃあ、アクションで魅せましょう…と、そっちに期待するのだが、単調。これだけドンパチやっていながら、夜みたら眠くなること必至。緩急というものがこの製作陣はわかっていない。残念ながら、新作料金で見る価値なし。100円で納得できるかどうかの出来映え。

意外に関ジャニ∞の丸山隆平が画面で映えていたのが印象的(特に何をしたというわけではないのだが)。反面、『インシテミル』の時と同様にぜんぜん画面映えないというか空気な阿部力。この人、アクの強い脇役とか犯人役とかに方向性を早めにシフトしたほうがいいような気がする。

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image1869.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:133分
監 督:ベネット・ミラー
出 演:ブラッド・ピット、ジョナ・ヒル、フィリップ・シーモア・ホフマン、ロビン・ライト、クリス・プラット、ケリス・ドーシー、スティーヴン・ビショップ、ブレント・ジェニングス、ニック・ポラッツォ、ジャック・マクギー、ヴィト・ルギニス、ニック・サーシー、グレン・モーシャワー、アーリス・ハワード、ケン・メドロック、ケイシー・ボンド、ロイス・クレイトン、タカヨ・フィッシャー、タミー・ブランチャード、リード・トンプソン、ジェームズ・シャンクリン、ダイアン・ベーレンズ、リード・ダイアモンド 他
受 賞:【2011年/第46回全米批評家協会賞】主演男優賞(ブラッド・ピット『ツリー・オブ・ライフ』に対しても)
【2011年/第78回NY批評家協会賞】男優賞(ブラッド・ピット『ツリー・オブ・ライフ』に対しても)、脚本賞(アーロン・ソーキン、スティーヴン・ザイリアン)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】脚色賞(スタン・チャーヴィン、アーロン・ソーキン、スティーヴン・ザイリアン)
コピー:常識を打ち破る理論で野球を変えたひとりの異端児の闘い。

かつてニューヨーク・メッツから1巡目指名を受けたほどの有望株だったビリー・ビーン。スカウトのくどき文句を信じ、スタンフォード大学の奨学生の道を蹴ってまで入団したが、芽が出ることは無く、様々な球団を転々とした挙句に引退。その後はスカウトに身を転じ、今は若くして弱小球団アスレチックスのGMに就任する。2001年ポストシーズンでヤンキースに破れた上に、デイモン、ジアンビ、イズリングハウゼンのスター選手がFAで移籍することに。財政が厳しいアスレチックスはまともな補強をすることもできなかった。そんな中、トレード交渉のために訪れたインディアンズのオフィスで、イェール大の経済学部卒でインディアンズのスタッフとして勤務していたピーターと出会う。彼は、独自にセイバーメトリクス法を用いた選手のデータ分析を行っており、経験と勘だけを頼りにしていた他のスカウトとは異なる尺度で選手を評価していた。彼の理論に興味をもったビーンは、彼を引き抜いて自分の補佐とし、他球団からは評価されていない埋もれた戦力を見つけ出し、低予算でチームを生まれ変わらせようとするのだったが…というストーリー。

サラリーマンというよりも、管理職とかチームリーダーが是非観るべき作品。ドラッカーなんかを読むよりも、ずっと日々の力になると思う。とはいえ、ノムさんのID野球とやらで、データ重視という理論自体に違和感は感じない。

現在の日本と同じく、アスレチックスの編成チームの中も“老害”で溢れている。変わらなくてはいけないのは明白だが、自分の立場や生活を守るために、もっとらしい御託をならべて日々の糧を得ようとする。
アスレチックスのスカウトをクビになったじいさんが、そのあとゴタゴタとビリーの手法をこき下ろすわけだが、そういう人種はビリーが成功しても謝罪もしなければ、職を失うこともない。
彼らはスカウトをやめても、飯のタネとして主観を客観のように語り、大衆をミスリードする。簡単に言えば“平気でウソをつく人々”なのだ。今、テレビをつけてみたら、番組のコメンテーターと称する人物が、同じような態度ととっていないだろうか。いい加減、私たちも、もっともらしいことをいうだけで発言に責任を持たない人間を見抜く能力、いや糾弾する態度を身につけねばけないのだろう。

現場に足を運ばないGMと聞くと、自分では何もやらない人間のように思えて、ちょっと変な気がしたのだが、それはゲンかつぎだということが、後に判る。彼は基本的に“改革”自体を自分の手でやりとげている。けっしてやらせるだけにはしない。信じること、そしてやってみせること。上司としては理想的。
20連勝で十分ファンには夢も喜びも与えただろうが、最終目標はワールド・チャンプと言ってはばからないところも、実に好感が持てる。

最後のインディアンズのオーナー(かな?)のセリフ。そういう既得権益者はほどなくして滅びるという予言は見事的中する。インディアンズの実践によって…ではあるが。別に小泉元首相のファンでもなんでもないが、人間世界のあらゆるところにはびこる既得権益という名の“怠惰”を、お天道様が許すことなどない(と信じたい)。
アスレチックスもトップであるオーナーと一枚岩であったら、きっと同じような道を歩んだに違いないと私は信じている。これは、スポーツ映画というよりも社会学をテーマにした映画だな。

ビリーがアスレチックスに残ったことが美談のように描かれているが、ここは観た人の意見が分かれるところだろう。
将来を嘱望されたが花咲かず…という彼の人生。あの時こうすればよかったんじゃないかという思いは、程度の差はあれ、だれでも思っていること。過ぎたことを考えても仕方が無いということはわかっていても、考えてしまう。痛いほど良く判る。そこから生まれた情みたいなものが、彼がオファーを断った一因なのかどうかはわからない。一旦別のところで成功して戻ることだって無くはないわけで、あの場所が彼にとってどれだけ意味があったのか、その点だけはちょっと描ききれていなかったかもしれない。

同じ理論を使えという意味では決して無いが、“野球”をどういうスポーツなのか?という定義を基底にして、コンセプトを前面に出す球団が日本にあってもよいな…と思う。もちろんその方針はファンも理解できるようにね。
かつての広島カープが日本人オンリーだったのはポリシーが明確だったよね。今は、地域性による差こそあれ、似たり寄ったりのチームばかりになってしまった。日本野球低迷の理由は、案外この映画に答えが隠れているような気がしてならない。

ちょっと男の子向け映画な気もするけど、企業で生きる人間にとっては、非常に勇気と力をくれる作品だと思う。またもや2011年アメリカの当たり作品。お薦めしたい。野球好きな人は、絶対に観ることをお薦めする。努力・友情・勝利という、野球映画にありがちな要素とはまったく別の“野球映画”がそこにある。
#当初、ソダーバーグ監督で製作される予定だったらしいが、観たかった気もしてちょっと残念かも。

 

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image1886.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:ロバート・ロドリゲス
出 演:ジェシカ・アルバ、ジョエル・マクヘイル、アレクサ・ヴェガ、ダリル・サバラ、ローワン・ブランチャード、メイソン・クック、ジェレミー・ピヴェン、ダニー・トレホ、リッキー・ジャーヴェイス 他




OSSの敏腕スパイ、マリッサは出産を機に引退。自分がスパイであることを秘密にしたまま、夫とその双子の連れ子レベッカとセシルと赤ん坊の五人暮らしを送っていた。しかし、引退して1年後、結婚して2年経ったが、レベッカはマリッサに心を開かない。二人の間の溝を埋めようと、マリッサはレベッカに赤い宝石のついたネックレスをプレゼントする。そんなある日、世界中の大都市で時間が早まるという事件が発生。悪党チックタックとタイムキーパーを名乗る謎の男が、世界中の時間を奪う“アルマゲドン装置”を発動したと犯行宣言。マリッサのもとにOSSから「アルマゲドン装置を停止できる秘石“クロノスサファイア”を持ってくるように指示が入る。その秘石とはレベッカにプレゼントしたネックレスの宝石だったのだ。何も知らない双子は、襲撃してきたタイムキーパーの手下にネックレスを奪われてしまう。スパイロボット犬のアルゴ犬と一緒にOSS本部に逃げた双子たちは、マリッサの正体を知ってしまい…というストーリー。

“4”でもなんでもないじゃねーか…、原題にも4なんて入ってねーし…、って思ってたらカルメン登場。正統な続編だぁ。ドヒャー!ラテン系は老けるの早いな。ジュニがいなくなってて、カルメンもいなくなった理由をいわないし、もしかして敵の正体はジュニ?とか思ったけど、さすがにそれはなかったか。
3のときは、は赤青メガネかけて3Dでございますっていってたんだよな。8年での技術進歩はすごいと思うと同時に、そりゃ老けもするかと思う。
カルメンの老け顔に対してジェシカ・アルバの童顔は際立つ。妊婦姿のジェシカ・アルバを見て、なぜかせつない気分になってしまったのだが、出産後は魅力爆発。ジェシカ・アルバのファンならそれだけで十分に楽しめるだろう。

監督もこれまでと一緒でロバート・ロドリゲスなのもすごい。このシリーズを愛してるのが良く判る。しっかりとファミリー&アクションという路線もしっかり継承しているのも敬服。でも、3がポンコツ作品で、有終の美を飾れなかったことを考えると、この4は非常に面白い。とにかく一作目のオモシロさが復活した感じ。このメンバーでの続編は十分にありえるね。

時が奪われたっていうけど、世の中全体の物理法則に変化があるわけじゃなくって、時計がぐるぐるまわるだけってどういうことよ!とか、そういう野暮なことに引っかかってはいけない。マンガのレベルだからね。オチがグダグダだと思うかもしれないが、このシリーズはすべてそんなもん。

個人的には一瞬だけダニー・トレホが出ていて笑った。こりゃあ一瞬でも写真でもいいからアントニオ・バンデラスが出てるのでは?と目を皿にしたけど、出てないみたい。

こう考えると2011年ってアメリカ娯楽映画の当たり年だったのかもしれないな。ここ3日で観ている作品は、基本的に当たりだった。

 

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クボタカユキ
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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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