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image1873.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:スティーヴン・ソダーバーグ
出 演:マリオン・コティヤール、マット・デイモン、ローレンス・フィッシュバーン、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロー、ケイト・ウィンスレット、ブライアン・クランストン、ジェニファー・イーリー、サナ・レイサン、ジョシー・ホー、チョイ・ティンヤウ、モニーク・ガブリエラ・カーネン、ダリア・ストロコウス、ジョン・ホークス、アルミン・ローデ、ラリー・クラーク、アナ・ジャコービー=ヘロン、ディミトリ・マーティン、エリオット・グールド、エンリコ・コラントーニ、ジム・オルトリーブ、カーラ・ゼディカー 他
コピー:【恐怖】は、ウイルスより早く感染する。

香港出張から帰国したベスは、咳と熱を発症し、二日後にはげしい痙攣を起こして意識不明となり、そのまま死亡してしまう。続けてベスの子どものクラークも同様の症状で命を落とす。同じような症状の事例が香港、ロンドン、東京など各地で相次ぎ、報告を受けたWHOのオランテス医師たちや各地の衛生当局は、感染経路の解明と、ウイルスの正体の特定、そしてワクチン開発に躍起になる。そんな中、フリージャーナリストのアランは、政府が伝染病を隠蔽しているとブログで指摘。彼のブログには、情報不足で不安に陥った人々が殺到し…というストーリー。

豪華なキャスト…というか、グウィネス・パルトローとケイト・ウィンスレットの無駄遣いって気がする。

アメリカ版『感染列島』ってところ。日本の『感染列島』はどうしようもなかったけど、こっちのもけっこうトホホかも。どちらの作品も、シミュレーションという色合いを強くしているところが、命取りになってる。観客の立場からすると、感染におびえる当事者という目線で観たいのに、愚かな人間の様子を俯瞰で観ることを強いられる。
さらには、専門用語を出さざるを得ないので仕方が無いことかもしれないけど、説明的なセリフが多すぎて、冷める。

他のパンデミック作品より強く打ち出されたのは、ジュード・ロウが演じたフリージャーナリストのアランの行い。災害よりも人間の行いのほうが怖いいんだぜ…といいたいんだろう。実際そういう人間はそういう行動を取るだろうし、本作のオチも明確にそういう方向性になっている。でも、勧善懲悪とはほど遠いその顛末にモヤモヤを感じた人は多いだろう。
これをやりたいなら、もっとドキュメンタリータッチでつくればよかったのだ。リアルさも追求したい、でも人間ドラマも展開したい、かといってウマい妥協点も見い出せていない。

感染経路を特定する流れで、舞台がカジノで映像がすべて残っているという、都合の良すぎる展開に苦笑いしてしまうのだが、でも、一番おもしろかったのは映像を分析しているシーンという悲しさ。リアルをいくら追求しても、結局は捜索ドラマの部分が一番おもしろかったという事実。本作が失敗してる証だと思う。ソダーバーグをしてこのありさまとは。

人質解放の条件としてワクチンを要求。誘拐された村の子供たちと触れ合ってしまいミュンヒハウゼン症候群になってしまったWHO職員。渡したワクチンが偽者だって知って村に戻るとか、お前を救うためにどれだけ同僚が苦労してるか。村人だって発祥してねえじゃねえか。バカじゃねえのか。フリージャーナリストのアランの行動もそうだけど、エゴがひどすぎるんだよ、欧米人は。

2011年公開で震災後の作品なわけだが、それでもやっぱりアメリカでは放火略奪が発生するわけだ(笑)。アメリカ人は観ていて自分たちのことがイヤにならないのかね。そして、中国のバカにされかたといったらない。もう、不潔の代名詞じゃないか。
#中国が発生源っていう発表を阻止しようとしているのかと思ったら、自分の村を救うためだったし。

玄人筋の評価は高かった模様だが、あまり愉しめなかった。お薦めしない。

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image1872.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:99分
監 督:山口雄大
出 演:坂口拓、星野真里、蜷川みほ、須賀貴匡、ペ・ジョンミョン、播田美保、ミッキー・カーチス、山寺宏一、田山涼成 他
コピー:「地獄甲子園」から9年――さらに過激になり、ヤツらが帰ってきた!




キャッチボールで父親を死なせしまったため、野球を辞めた野球十兵衛。その後、各地で数々の凶悪犯罪を犯すが、17歳の時に逮捕され、矯正施設“鳥竜矯正学院高校”に送致される。十兵衛に野球の才能があることを知った校長は、彼を野球部に入れようとするが、十兵衛は拒否。しかし、生き別れの弟の居場所を知るために、矯正所同士の野球大会“非行甲子園”に出場することになる…というストーリー。

地獄甲子園のリメイクってことは、原作は漫☆画太郎ってことだね。リメイク元の『地獄甲子園』も観た記憶がないし、オリジナルの漫画も読んだことがあるような無いような(結構昔じゃね?)。でも、こんな話じゃなかった気がするんだけどな。

ただ、観て思うのは、“これじゃない感”。全然、漫☆画太郎の作風が感じられないんだもん。
漫☆画太郎のオモシロさを生かしたいなら、(実は)猛烈に高い画力と、コマのテンポを映像でもうまく再現しないといけないと思う。でも、とても漫☆画太郎のキャラクターを模したとは思えない。校長とか看守長とかぜんぜん画太郎のババァじゃねえしなぁ。見た目の役作りが出来ていないだけでなく、星野真里が名優に見えるくらい、他の俳優の演技がポンコツすぎる。
じゃあ、見た目が再現できないなら、笑いとアクションのテンポで…ってことになるのだが、本作の編集はものすごく悪い。笑いのタイミングも、アクションの流れも、つんのめってる感じ。

大体にして、ギャグ漫画のくせに一切笑えない。いや、笑わそうとしているのわかるのだが、クスりともこない。アメリカ人が観ることも想定しているから…とか言いそうだけど、そんな言い訳は通用しない。根本的ない笑いのセンスないように思える。いやいや、スプラッタ的な表現が演出のメインだから!という言い訳をするかもしれないけど、笑いのセンスをエログロ表現で補おうとしているだけにしかみえない。この笑いのセンス、韓国のコメディ映画を観ているときと同じ感覚だなぁ。
所々で、在日朝鮮人だとか北朝鮮ネタを挟んでくるのだが、その意味もメリットもよくわからんし。もしかしてそっちの人が作ってるのかしら。いずれにせよ、いい物を作ろうっていう姿勢でキャスティングされている感じじゃなくて、別のコネクションを重視して、仲間内で集めてるっていう印象がする。

なにか、“SUSHI TYPHOON”とかいう、コンセプトレーベルらしいんだけど、こういうセンスが日本のサブカルチャーだぜ!っていう顔しているのがちょっと不快かな。なんか自分で“COOL JAPAN”とか言っちゃってるくらい、こっぱずかしく感じる。
まあ、別にこんな出来映えでも、漫☆画太郎の原作が毀損されるわけでもないだろうし、小額なりとも懐が潤うんだろうし、それはそれでいいんだけど。

100円でレンタルしたけど、その価値は無かった。せめて、もう一歩、色々諦めないで作りこみして欲しかった(手なんか抜いていないっていうかもしれないけど、そう見えないんだからしょうがない)。本当につまらなかったよ。まるでお薦めできない。

#得したのは星野真里だけだと思う。異様にかわいく見える。この仕事を受けた事務所がスゴいと思う。

 

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image1122.png公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:168分
監 督:フランク・ダラボン
出 演:ジム・キャリー、マーティン・ランドー、ローリー・ホールデン、アレン・ガーフィールド、アマンダ・デトマー、ボブ・バラバン、ブレント・ブリスコー、ジェフリー・デマン、ハル・ホルブルック、ロン・リフキン、デヴィッド・オグデン・スタイアーズ、ジェームズ・ホイットモア、ジェリー・ブラック、キャサリン・デント、カール・ベリー 他
コピー:自分のことすら知らない男を、町の誰もが“希望”と呼んだ。
『ショーシャンクの空に』であきらめない“希望”を 『グリーンマイル』で“希望”が生み出した奇跡を そして2002年フランク・ダラボン監督が贈る3つめの希望のものがたり――

1951年ハリウッド。駆け出しの脚本家ピーターは、まだ大作を手掛けたことこそなかったが、夢の世界で仕事ができたことに満足し、幸福な時を過ごしていた。しかし、身に覚えがないのに、当時猛威を振るっていたレッドパージのリストにあがってしまい、業界から締め出されてしまう。絶望したピーターは、自暴自棄になり泥酔の末に車を走らせていると、橋の上で事故をおこしてそのまま河に転落してしまう。彼は見知らぬ海岸で目を醒まし、偶然通りかかった老人に助けられるが、事故のショックで記憶を無くしており、自分が何者かもわからない。しかし、町で治療を受けていると、一人の老人が、第二次大戦に出征し行方不明になった息子のルークだと言いはじめ…というストーリー。

アメリカには南北戦争やベトナム戦争やいろいろピンチはあったと思うが、第二のシーザーをつくらないために大統領の選出方法に腐心しているアメリカにおいて、マッカーシズムは最大のピンチ、それどころかこれによって“一度アメリカ憲法は死んだ”といってもよい。
政府と国民の契約関係…という意味においては、ピーターが審問会でぶちあげた演説の内容がすべて。ただ、それ以外の意味があって、大統領に権力が集まることをあれだけ警戒しているにもかかわらず、CIA長官が大統領よりも情報や権力が集まってしまうという、システム的欠陥がアメリカにはある。そして、このレッドパージも、議員と役人の暴走を阻むことができなかったというシステムの欠陥である。そして、一番目立つ形で被害を被ったのはハリウッド。

正直、ハリウッドも忸怩たる思いはあるあろうが、被害者であり加害者でもあるという触れるには痛すぎる歴史。でも、どうしても映画化しないといけなかったテーマ。しかし、あまりハードに糾弾すると自国を攻撃することになるし、変に煽ったところで今その敵はいないわけだし。主人公にジム・キャリーを据えたのは、ギスギスしがちなテーマに対して、少しガス抜きする意味もあるだろうな。でも、ちょっとガス抜きがすぎて、緊張感が削がれてしまったと思う。

それから、昨日の『マグノリア』と同様に、ちょっと長い。あと15分短くしたい。ラストの審問会を一番やりたかったことなのはわかる。実際に盛り上がるのだが、あそこだけが取ってつけたようなのがね。

いやいや、9年経とうが、父親はもちろん恋人や親友だって、間違わないと思うけどなぁ…という思いは避けられない。まあ、そうあってほしいという町の人の思いがあってね…というのは追々判ってくるんだけど、そういう違和感を頭の片隅に置きながら観せ続けるのは得策じゃなかったよね。
審問会の後にピーターが名前を出してしまったことによって、その人の人生を狂わせてしまったのは?という戸惑いに対して、都合よく片付けすぎた気もするし。

でも、色々文句は言ったけど、観終わったときのほっとした感には満足している。個人的には良作だと思う(今回で観たの2回目だもん)。
 

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image1120.png公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:189分
監 督:ポール・トーマス・アンダーソン
出 演:ジェレミー・ブラックマン、トム・クルーズ、メリンダ・ディロン、フィリップ・ベイカー・ホール、フィリップ・シーモア・ホフマン、ウィリアム・H・メイシー、ジュリアン・ムーア、ジョン・C・ライリー、ジェイソン・ロバーズ、メローラ・ウォルターズ、マイケル・ボーウェン、エマニュエル・L・ジョンソン、フェリシティ・ハフマン、アルフレッド・モリナ、トーマス・ジェーン、ドン・マクマナス、パット・ヒーリー、ロッド・マクラクラン 他
受 賞:【1999年/第72回アカデミー賞】助演男優賞(トム・クルーズ)、脚本賞(ポール・トーマス・アンダーソン)、主題歌賞(エイミー・マン “Save Me”)
コピー:20世紀の最後を生き抜く愛と希望のものがたり

ロサンゼルス。TV番組プロデューサーのアール・パートリッジは末期癌で臨終間近。彼の若い後妻リンダはあまりの悲しみに混乱。当のアールは混濁する意識の中で、かつて癌だったた妻と一緒に捨てた息子を、介護人のフィルに捜して欲しいと依頼する。その息子は、現在フランク・T・J・マッキーという名で、『誘惑してねじ伏せろ』という女性の口説き方の本を出筆し、性のカリスマとしてセミナーを開き荒稼ぎしている。一方、人気クイズ番組『子供は何を知ってるの?』の司会者ジミー・ゲイターも癌宣告されており、死ぬ前に彼を憎んで家を出て行った娘と和解しようとするが、追い返される。その娘クローディアは、薬物に溺れる毎日を過ごしていたが、ラリっている彼女が大音量で音楽を流したために近所から苦情が入り、対処のために警察官のジムが彼女に家に訪れる。ジムは玄関から出てきた彼女を見て一目惚れしてしまい…というストーリー。

色々な人々の奇異なお話が並行して流れるのだが、すべてのストーリーに共通するのが、父親との関係をうまく気付けなかった子供が、それをどうやって乗り越えるか、どうやって和解するのか…っていう点。ダメになった人々が何故そうなったのか?という点について、彼らが子供だった故に抗えないものがあったから仕方がないんだ…という立場からスタートしてるので、愛すべきダメ人間として描かれているのはそのせいだ。
このテーマに気付かないと、この人たちがなにをやってるのか、どういう話なのかさっぱりわからないまま、例の“カエル”に突入してしまい、さらにわからなくなるだろう。本作を好きになる人1割。よくらからん人5割。くだらねーと感じる人4割。そんな割合じゃないかな。そして、好きになった人とそうでない人の温度差がものすごくある作品だと思う。

個人的には、話を発散しすぎたために収束しきれずに終わってしまったという印象。各登場人物を最後に繋げていこうという流れはわかるが、それほど効果的に繋がっていくわけじゃない。
冒頭で語られるいくつかの不思議なエピソード。世の中にはまるで神の悪戯のような出来事が存在する…それはわかる。最後のカエルがそれと同様なのもわかる。だが、その神の悪戯によって、親から消すことのできない傷を追ってしまった彼らは、このカエルで救われるのか?カエルが印象的すぎて、記憶には残るのだが、そのインパクトを越える何かがあるかと聞かれると、それは微妙かと。何か、ピースが1つ欠けている気がして仕方が無い。

この内容で2時間ちょっとでスピーディにまとめあげてくれたら、それなりに良作だと思うのだが。3時間超であるメリットもそうせざるを得ない理由も特にみつからない。いや、これを2時間ちょっとにまとめるのが映画監督の本来の仕事だと思うのだが。
ウィリアム・H・メイシーのエピソードは薄い。他エピソードの関連も薄いし、父親との関係という本作を貫くテーマに対しても薄い。絡めるならもっと絡めるか、この程度の中途半端さならいっそのこと切ってしまってよいと思う。
あのクイズ番組を話の中核に据えたいなら、臨終のプロデューサー(トム・クルーズの父親)が、クイズ番組にもっと密接に関わっていたことにすべきだとも思う。

決して駄作ではないし、平凡な作品ではないけれど、究極的に好みが別れる作品だろうな。

#カエルについては遠地で発生した竜巻に吸い上げられた…とか考えれば、無理やり納得できないでもないのだが、銃が落ちてくるのはやりすぎだろ。
 

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image1845.png公開年:2009年
公開国:ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア
時 間:144分
監 督:ミヒャエル・ハネケ
出 演:クリスティアン・フリーデル、レオニー・ベネシュ、ウルリッヒ・トゥクール、フィオン・ムーテルト、ミヒャエル・クランツ、ブルクハルト・クラウスナー、ライナー・ボック、スザンヌ・ロタール、ウルシーナ・ラルディ、シュテッフィ・クーネルト、ヨーゼフ・ビアビヒラー、ブランコ・サマロフスキー 他
受 賞:【2009年/第62回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(ミヒャエル・ハネケ)
【2009年/第44回全米批評家協会賞】撮影賞(クリスティアン・ベルガー)
【2009年/第76回NY批評家協会賞】撮影賞(クリスティアン・ベルガー)
【2009年/第35回LA批評家協会賞】撮影賞(クリスティアン・ベルガー)
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞
【2009年/第22回ヨーロッパ映画賞】作品賞、監督賞(ミヒャエル・ハネケ)、脚本賞(ミヒャエル・ハネケ)
コピー:美しい村 静かな暮らし 聴こえてくる魔物の足音

北ドイツの田舎にある男爵が支配する小さな村。村に一人だけいる医師が落馬して大怪我をおってしまう。道に張られていた細い針金に馬が足をかけてしまったからだ。その後、村の製剤所で女性が事故死。さらに、男爵のキャベツ畑が荒らされたり、男爵の子供が行方不明になるなど、不審な事件が相次ぐのだが、それらの犯人は一切わからないまま、村人の間に重く不穏な空気が立ち込めるのだった…というストーリー。

恐ろしいことがおこるのだった…と煽るけど、たいしたことはおこらない。まあ、確かに人は死んだりするけど、そりゃ田舎の村だって事故くらいあるだろうて。続けて、もっと恐ろしいことがおこるのだった…と、重ねて煽るのだが、やっぱりそれほど恐ろしいことはおこらない。医者の生活、男爵の生活と荘園の農夫たちの生活、牧師の生活が、あまり絡むことなく並行して紹介される。まあ、どんな家庭でもいろいろあるでしょ。
まあ、徐々にストレスを重ね上げていく演出なんだろうけど。

『ファニーゲーム』のミヒャエル・ハネケ作品だが、これでもかーこれでもかーっていう演出はトリアー監督と似ているようだけど、決定的に毛色が違う。人間の悪の行いに理由なんかない。でも間違いなくそこかしこに存在する。そして、その悪が裁かれるとも限らないし、被害者がいつか報われるとも限らない…ってスタンスを徹底的に貫いている。

子どもたちに対する抑圧。そして彼らの抵抗。そういうプロットなので、犯人は子供ということだ。だってタイトルの白いリボンは子供たちに大人が結びつける、無垢の象徴であり罰なのだから。混乱するのが、劇中におこる事件のすべてが子供たちが犯人ではないってこと。地主のキャベツ畑が荒らされた事件はあきらかに子供の仕業ではないし、納屋の火事も、農民の妻の死も違うだろう。犯行の動機も一切わからないんだけど、抑圧された子供たちが生み出した“絶対悪”ってことだな。

ナレーションの声の主がだれなのか15分くらい経って、やっと教師だということがわかる。でも、ずっと教師目線で話が進むわけでもない。一人称で語るくらいなんだから、もっと事件に噛んでほしいのだが、最後の方になって急に探偵さんみたいにかぎまわりはじめる。それまで事件のことに無関心なくらいだったのにね。で、この教師は、家庭教師をクビになったエヴァとの恋愛に夢中。陰湿な殺人とは全然関係ないエピソードに意味があるのか?と。
まあ、後から考えると、なんでエヴァは森にいくのを嫌がったか。森は子供たちの溜まり場。エヴァは年齢も若いし家庭教師だった。彼女が子供側にいるのか、近いポジションだから知っているだけのかは微妙なところだが、とにかく子供たちが犯人であることを知ってるわけだ。

世の中の評価が高いのは事実。でも、私は微塵も面白いと良いと思わなかった。本作に漂う“悪の霧”みたいなものが、やがて本作の舞台を襲うナチス禍に繋がるのだ…って、ヨーロッパ人にどれだけトラウマがあるか知らんけど、ナチスナチスっていってりゃ、人間の底なしの闇の表現になると思ってるのか。ああ、深い作品だなぁ…ってなると思ってるのか。この村に漂っていたような空気がナチスを産んだという主張なら、それは私は賛同しない。子供を抑圧すると、ナチスみたいなのを作る土壌になっちゃうんだぞーってか?そんな単純なわけないだろ。その短絡的なロジックがあからさますぎて、鼻についた。

正直、一回で消化し切れなかった。あとから邂逅すると、ああそういう意味か…と繋がる部分も多々あるけど、色々不親切すぎるんだよ。面白くかんじるどころか、まったくもって不快になったのだが、多分もう一回観て整理することになると思う。
私の頭が悪いだけだとは思うけど、混乱させたまま終わる上に面白くも感じさせず、でもモヤモヤするからもう一回観させるなんてのは、根本的にはダメな映画だと思うよ。やっぱり映画は娯楽だからねぇ。だから、私は通ぶって“すごい映画だ”なんてことは言わない。

#一番ギョっとしたシーンは、医師が愛人の助産婦に暴言を吐くシーン。でも、“よっぽど臭かったんだと思う”よ。うん。

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image1154.png公開年:1977年
公開国:アメリカ
時 間:137分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:リチャード・ドレイファス、フランソワ・トリュフォー、テリー・ガー、メリンダ・ディロン、ボブ・バラバン、ケリー・ギャフィ、ランス・ヘンリクセン、ロバーツ・ブロッサム、カール・ウェザース 他
受 賞:【1977年/第50回アカデミー賞】撮影賞(ヴィルモス・ジグモンド)、特別業績賞(ベン・バート:音響効果に対して)
【1978年/第32回英国アカデミー賞】プロダクションデザイン賞
【2007年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
コピー:We are not alone.宇宙にいるのはわれわれだけではない。

真新しい状態の大戦時代の戦闘機が突如砂漠に出現したり、民間航空機が未確認飛行物体とニアミスするなど、奇妙な事件が頻発する。同じ頃、インディアナ州の田舎町で大停電が発生。電気技師ロイは調査のために車を走らせていると、猛烈な光と激しい振動に襲われるのだった。その後、この光の正体に取り付かれたロイは、仕事も手につかなくなり、とうとう会社をクビになってしまい、挙句の果てに妻と子供にまで逃げられてしまう。その後、自分の頭に浮かぶ“山”のイメージに従い模型をつくるようになり、それが、ワイオミング州にあるデビルズ・タワーであることに気付き…というストーリー。

私なんかがごちゃごちゃ解説する必要もないくらい有名な作品だけど、案外、観ていない人は多いわなぁ。
でも、その有名具合とシナリオのデキは反比例している。UFOが襲来→どうやら接触しようとしているらしい→コンタクト。基本はそれだけ。ストーリーの起伏はあまりない。転換ポイントは、ロイが自分のノイローゼ(イライラ)の理由に気付いて行動に移すところくらいだろう。
ほとんど、宇宙人との遭遇話なんだけど、一応、主人公ロイは家族との絆を失い、ジリアンは息子との絆を取り戻すっていう、人間ドラマも並行してる。でも、そっちは全然描ききれていなくて、ものすごく弱いんだよね。この中身の無さが、実際に宇宙人と接触する前の心構えのためにアメリカ政府が作らせた作品だ!なんていう噂に繋がるわけだ。

宇宙人さんからの通信らしいけど、さて何だろう。そこで一人の男が「おれは本当は地図屋なんだ!」ふむふむ、それで?「これは緯度と経度だ!(キリッ)」う~~~~ん。
緯度は許せるけど経度ってさぁ、人間が決めた子午線を基点にした角度じゃん。宇宙人ってば地球人の地図持ってるのかよ~~~って思ったら、ちょっとアホらしくなっちゃった。
まあ、ラストで、拉致されてた(!?)人間がいっぱい開放されるから、その人たちから情報は得ていたってことなんだろうけど、それがわかるまで、最後まで興醒めしっぱなしだったよ。どうよ、この演出。私は失敗演出だと思うけどねぇ。

「音階言語をレクチャーしているらしい」「パターンを解析したからコンピュータに切り替える!(キリッ!)」その割には、同じことを繰り返しているだけで、地球人側からは何の意思も伝えられていないどころか、何を伝えてきたのかもわかってないし。
ってか、緯度・経度の情報を人間から得たとすれば、なんらかの方法で人間とコンタクトする術があるってことじゃねーの?それどころか、ロイとつれていきたいんなら、直接ロイのところでさらっていきゃいいじゃん。他の人はさらってるんだから。

あまりにツッコミどころが満載すぎるんだけど、きっとこの理不尽さが“未知”なんだな。宇宙人の思考を簡単に地球人が理解できるわけがないんだよな…。そういうことにしておこう(って思いたいけど、そんなこといったらなんでもありだよなぁ)。

悪い言い方をすれば“リアルな技術を誇示したかった”“作りたいものを思いっきり作った”それ以上でもそれ以下でもない作品だな。

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image0949.png公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:キャメロン・クロウ
出 演:トム・クルーズ、ペネロペ・クルス、カート・ラッセル、キャメロン・ディアス、ジェイソン・リー、ジョニー・ガレッキ、W・アール・ブラウン、ジェニファー・アスペン、アリシア・ウィット、ノア・テイラー、ティルダ・スウィントン、マイケル・シャノン、アーマンド・シュルツ 他
ノミネート:【2001年/第74回アカデミー賞】歌曲賞(ポール・マッカートニー“Vanilla Sky”)
コピー:あなたが思う あなた自身は 幻に過ぎない…


親が築いた出版社を相続し、いまや出版界の若き実力者となったデヴィッド。マンハッタンの豪邸に住み、容姿端麗で、美人の彼女ジュリーとの関係も良好だったが、なにか物足りなさを感じている。そんなある日、親友がパーティに連れてきた恋人ソフィアに一目惚れしてしまうが、ジュリーはそのデヴィッドの心を察知する。しかし、デヴィッドはジュリーの嫉妬心などお構いなしに彼女と距離を置き、ジュリーへのアプローチを続けるのだった。苦痛がピークに達したジュリーは、自ら運転する車にデヴィッドを乗せ無理心中を図り車ごと橋から落下。ジュリーは死亡したが、デヴィッドは一命を取り留める。しかし彼の端整な顔立ちは見るも無残に崩れてしまい…というストーリー。

これまで数回観ているはずなんだけど、ラストを失念してしまったので、思わず再観してしまった。ああ、そうそう、こんなオチだったね。

クソ男の放蕩な生活→ クソ男の転落と苦悩→ クソ男の崩壊する精神。
恋愛→サイコ→SF…と、プロットの基盤部分を大きくシフトさせるという荒業をやってのけながら、どれだけパラダイムをシフトさせようとも“クソ男”のお話であることを貫き続ける。まさにクソ男の映画である。途中、役員達や弁護士による陰謀サスペンスの可能性もありえるし、どっちころがるかわからないこの危うさに、私は好感を持っている。

私が油断しまくっていただけなのだが、犬が冷凍から目覚めた番組とか、冷凍保存を薦める番組がヘビーローテされている点に引っかかれば、容易に予測できていたんだろうけど、私の脳内は完全スルーだったのね。予測可能なオチという人は多いのだが、予想できたからといって、本当にそこに持っていくかな?という疑いはずっと頭の片隅に残る。選択肢は浮かぶけど“このオチしか考えられんな”という域ではないので、個人的には許容範囲。

しかし、このSFオチを望まない人には、「なんじゃこりゃ」評価になる。さらに、オリジナルの『オープン・ユア・アイズ』は観ていないのでわからないけど、観た人のほとんどがオリジナルのほうが数段良かったとの大合唱。ペネロペもオリジナルのほうがよかったという人もいる(オリジナルでもペネロペは同じ役らしい)。油断して観ていたら、トンチンカンでついていけなかったという人もいる。結構、脱落ポイントが多くて、世の中の反応を見ると、最後まで満足して観られた人は、そう多くはなかったのかもしれない。でも、私はこの展開もオチも、嫌いじゃないんだ。

この“ストーリー”の、どこまでは妄想でどこまでが現実なのか?という境目を観客は探し続けることになる。事故後に投薬されたあたりから、ジュリーとソフィアの混同(というか脳内入れ替え)がはじまったのか?とか、いやいや元々すべて妄想で、事故だってなかったのかもしれないぞ?とかね。

で、このお話は150年間ずっと見続けている?そうならば、あの会社の人たちは150年、彼の脳内をウオッチし続けている?作中の台詞からすると、オートじゃなくって人がウォッチしてるみたいで、150年分の人件費ってどんだけだってね。彼のソフィアに対する純愛(っていうか偏愛)に目がいくけど、それもよく考えるとクレイジーなのよ。べつに好きなように記憶を操作できるのに、わざわざそんなストーリーを選択するってなぁ…。だって150年後には間違いなく、その彼女はいないんだしさ。そこまでいくと、偏愛っていくか変態の域だよね。って、否定してるように聞こえるかもしれないけど、こういう斜め上のクレイジーさ、嫌いじゃない。うん。

計算なのかどうかわからないがペネロペの垢抜けなさと美しさの分配が絶妙すぎ。本作の彼女を見て好意を持たない人間などおるまい。対してキャメロン・ディアスの無闇にビッチな役回り。ペネロペに比べてちょっと損してるかなとも思ったけど、そうでもなく、最後の殺害されるシーンの様子なんか、ああ、ビッチに見えたのは単なる先入観だったな…と思わせる、微妙な役回りをうまく演じていると感じる。『メリーに首ったけ』の彼女よりも本作のほうが魅力的。

スタイリッシュな音楽や映像なことも手伝って、それなりに気にってしまうと、たま~に再度観たくなる作品。軽くお薦め。

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image1871.png公開年:1974年
公開国:アメリカ
時 間:131分
監 督:ロマン・ポランスキー
出 演:ジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイ、ジョン・ヒューストン、バート・ヤング、ペリー・ロペス、ジョン・ヒラーマン、ダレル・ツワリング、ダイアン・ラッド、ブルース・グローヴァー、ロイ・ジェンソン、リチャード・バカリアン、ジョー・マンテル、ジェームズ・ホン、ベリンダ・パーマー 他
受 賞:【1974年/第46回アカデミー賞】脚本賞(ロバート・タウン)
【1974年/第9回全米批評家協会賞】主演男優賞(ジャック・ニコルソン『さらば冬のかもめ』に対しても)
【1974年/第40回NY批評家協会賞】男優賞(ジャック・ニコルソン)
【1974年/第32回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ジャック・ニコルソン)、監督賞(ロマン・ポランスキー)、脚本賞(ロバート・タウン)
【1974年/第28回英国アカデミー賞】主演男優賞(ジャック・ニコルソン)、主演男優賞(ジャック・ニコルソン)
【1991年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
コピー:出来ることなら そっと秘めておきたかった……運命の街チャイナタウンに最期の愛をかけた女イブリン!名匠ポランスキーが最大の愛情を注いだ批評界激賛の名篇!!

1937年。ロサンゼルスの私立探偵ジェイク・ギテスは、モーレイ夫人から市の水道局幹部である夫の浮気調査を依頼される。尾行の結果、モーレイ氏が若いブロンド女性と逢っている写真を盗み撮り。これで調査は終了したと思っていると、なぜかその写真が新聞に掲載されてしまっう。そして、調査を依頼してきた人物とは別の女性が本当のモーレイ夫人だと名乗り、ギデスの前に現われるのだった。納得いかないギデスは、ダム建設の疑惑に関係があると見て独自に事件の真相に迫ろうとするが、当のモーレイ氏が溺死体で派遣され、ギデスも謎の男たちの暴行をうけてしまい…というストーリー。
古臭い画質とノリの作品だが、今となっては実際に古典作品の部類。

ポランスキー監督が海外に逃亡する前の作品だけど、その事件現場は本作主演のジャック・ニコルソンの家だったし、さらに本作の事件の裏にある陰湿な性的倒錯を考えると、いささか気持ちの悪いものを感じなくも無い。
まあ、それはそれとして…。

たしかに古臭さに溢れてはいるのだが、ロバート・タウンによるシナリオは、それを覆すくらいにとても巧み。
慢性的な水不足というロスの歴史、そして実際に水に関しておこった事件などを下地にして、その人間関係をうまくサスペンスストーリーの背景に絡めている。説明的なセリフが極力少なくて、細かい仕草や身なりなどビジュアル的に、状況や立場を説明しているのが実にうまい。例えば、主人公ギデスの伊達男ともいえる小洒落た服装や態度は、彼の求める社会的ポジションやスタンスを代弁していたりね。
この点でいささか残念だったのは、私が今回みたDVDが字幕オンリーだったこと。画面が無言で伝える情報が非常に多いため、字幕を追っていると(これもなかなか多い)画面上のヒントを見過ごしてしまうのだ。実際、わけがわからなくなって何度も何度も戻した。捜せばあるのかしれないが、吹き替え音声版のDVDでもう一度観てみたいものだ。
#ギデスが元警官だとか、チャイナタウンも勝手知ったる地域だってこととか、油断すると見落としちゃうもん。

(以下ネタバレ)
サスペンスとしてもとても優秀で、展開はなかなか読めない。依頼者のモーレイ夫人が偽者という以外な展開だけでなく、さらに調査結果は公開され、あれよあれよというまにモーレイ氏は殺害される。作中のギデスが混乱する以上に、観ているこっちも大混乱。おそらく登場人物のだれかが殺人の黒幕だろうとは思うが、動機も水がらみなのか痴情のもつれなのか。ノア・クロスの色が濃くなってくると、予測がつくような単純な一本線がなかなかうかばない。

さらに、流れに身をまかせて眺めていると、そりゃあわかるはずがない…というような、斜め上の秘密が。とにかく先回りして想像させないという部分においては、映画シナリオ中トップクラスの出来映えだと思う。

正直にいうと、利権がらみのスジと、その隠れた秘密が、それほど不可分であるとは思えない点については、納得できていない。そんなにイヤなら、近しいところにいるんじゃねえよ!っつー部分ね(別に関係が今も続いているってわけじゃないんでしょ??)

勧善懲悪でもなければ、腑に落ちるオチが用意されているわけでもない。すべてを「ここはチャイナタウンだ…」で片付けてしまうのだけれど、そのモヤモヤをいかにもペーパーバック小説的な汚れた大人世界の空気で、煙に巻いて終わるのである。
こういうノリの作品だし、エグい謎のこともあって、好みが分かれる作品に違いないのだが、“シナリオの教科書”って言い切っていいレベルなので、あえてお薦めしたい。

#ギデスが大笑いしていた中国人ネタのおもしろさは、何度観てもさっぱりわからないけどね。
 

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image1870.png公開年:1966年
公開国:日本
時 間:88分
監 督:本多猪四郎
出 演:ラス・タンブリン、佐原健二、水野久美、田崎潤、中村伸郎、伊藤久哉、田島義文、桐野洋雄、山本廉、岡部正、勝部義夫、伊藤実、岡豊、渋谷英男、橘正晃、小宮康弘、ヘンリー大川、森今日子、沢村いき雄、広瀬正一、伊原徳、堤康久、坂本春哉、津田光男、キップ・ハミルトン、大前亘、古谷敏、睦五郎、木下華声 他



嵐の夜、三浦半島沖を航行する漁船が沈没。唯一生き残った船員は巨大なタコと怪物に襲われたと証言するが誰も信じない。しかし、現場を捜索すると、巨大な生き物から吐き出されたような衣服が見つかった為、フランケンシュタインの研究で有名なスチュワート博士に連絡を取る。1年前に博士の研究室で育ったフランケンシュタインが暴れたことがあり、その死んだはずのランケンシュタインが生き残っていて悪さをしているのではないかと、疑いが掛けられた。研究室は疑いを否定しつづけたが、その後も三浦半島付近で海難事故が続発。スチュワート博士とアケミ助手は目撃情報を元に富士山麓へ、間宮博士は横須賀へ、それぞれ調査に向かう。間宮博士は漁船に付いていた海棲生物らしき細胞を採取。分析するとフランケンシュタインのものと判明。すると、羽田空港に巨大なフランケンシュタインが出現したとの情報が入り…というストーリー。

よく利用しているレンタル屋では、細々ながらコンスタントに古い特撮DVDが増えていく。好きな人はいるのかな。本作は名前だけは知っていたが観たことがなかったのでチョイス。

いきなり、フランケンシュタイン研究で有名な博士が京都にいて云々かんぬんって、何やら既にフランケンシュタインで一騒動あったよう台詞が普通にあって違和感満載。調べてみたら、『フランケンシュタイン対地底怪獣』ってやつの続編なんだって。失敗こいた。知ってたらそっちを借りてた(今度借りるわ)。

どうせ、昔のヘッポコ特撮だと高を括っていたら、なんとびっくりのクオリティ。ミニチュアなんだか実写の映像合成なんだかわからんようなカットがあるくらいで、これ、黎明期の特撮作品の中では最高品質なんではなかろうか。なんか巨大な怪物が妙に軽やかに走ってたりするんで、本当はコメディ調に感じてもいいくらいなんだけど、なかなか精緻なセットなもんで普通に観れてしまう。怪物の操作なんかもものすごくって、冒頭のタコさん怪獣の腕足の動きなんかリアルすぎて、どうやってるんだか興味が沸く一方。サンダとガイラのデザインはウルトラマンの成田亨。特技監督は円谷英二。監督はゴジラの本多猪四郎。音楽も同じく伊福部昭。プロデューサーも同じく田中友幸。なんだよ、特撮レジェンド祭じゃねーか。そりゃデキがいいに決まってるか。
こういう映画って、自衛隊は役立たずで結局正義の怪獣まかせだったりするんだけど、本作では大活躍でおまけにかっこいい。

平成ガメラではギャオスが人間を食べるくだりがあって、子供も観るのに踏み込んだなぁ…とおもったものだが、本作はそれどころではなくって、一人一人つまんで口に含んでモゴモゴして、服だけ吐き出すっていう、巨体のわりにはなかなか非効率なことをやってくれてる。でも、人間の味を知ってしまったらそうなるかな…珍味なんだろうな…っていう妙な説得力もあって逆に怖いのね。

ああ、“サン”ダと“ガイ”ラって、山と海のことか。海幸彦山幸彦か。でも、ストーリーはあの神話とは無関係だ。
フランケンシュタインってことだから死体をくっつけた怪物ってイメージだけど、細胞レベルから作り上げた人口生命って感じだな(それは前作をみないとわからんわ)。
でも、人間の科学技術の横暴によって生まれた怪物が人間に牙を向く。同じく人間の手がかかった怪物がいじましく人間を守ってくれる悲哀と献身。ああ、人間って愚か也…って、ちょっと斜に構えた視点で子供っぽいけど、まあ今でもこういうテーマを下地にした作品はたくさんあるし、『ゴジラ』もそうだったけど深いものがあるよね。
海幸彦山幸彦の神話を臭わすプロットとか、サンダがなんで人間を守ろうとするのか…っていうところをもう少し厚く描ければ、そして、そこにより一層の刹那さがあれば名作になったんだろうなぁ。

子供を子供扱いしていない壁っていうか、幼児が観るとトラウマになりそうなリアル感があるからちょっと要注意かもなぁ。うかつに幼児に観せて泣かれでもしたら、その子のお母さんにおこられちゃうぞ(笑)。

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image0171.png公開年:1984年
公開国:日本
時 間:124分
監 督:伊丹十三
出 演:山崎努、宮本信子、菅井きん、大滝秀治、奥村公延、財津一郎、江戸家猫八、友里千賀子、尾藤イサオ、岸部一徳、津川雅彦、横山道代、小林薫、池内万平、西川ひかる、海老名美どり、津村隆、高瀬春奈、香川良介、藤原釜足、田中春男、吉川満子、加藤善博、関弘子、佐野浅夫、関山耕司、左右田一平、利重剛、井上陽水、笠智衆 他
受 賞:【1984年/第8回日本アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(山崎努)、助演女優賞(菅井きん)、監督賞(伊丹十三)、脚本賞(伊丹十三)
【1984年/第27回ブルーリボン賞】主演男優賞(山崎努『さらば箱舟』に対しても)、監督賞(伊丹十三)

俳優の夫婦である井上佗助、雨宮千鶴子がCM撮影を行っている現場に、千鶴子の父・真吉が無くなったと訃報が入る。千鶴子の両親は佗助の別荘に住んでいたが、千鶴子の母・きく江はその別荘で葬式を出したいという。そして、長女の夫として親族代表となり葬式を出さなくてはならなくなった侘助は、動揺し途方に暮れマネージャー里見の助けを求めるが、何もかも勝手が分からないのは里見も一緒。一行は別荘に向かい、病院に安置されている亡き父と対面。そこには、母・きく江や千鶴子の妹・綾子夫婦、そして真吉の兄・正吉がおり…というストーリー。

ハウ・ツー映画のはしりであり、日本文化・日本人気質の紹介ムービーにもなっているが、伊丹十三本人がそれを目指していたわけではないだろう。純粋に思いついたこと考えていたことを一生懸命に作品化しただけ。でも、自分が住んでる日本に対する愛と、ちょっと左翼的な日本卑下、そんなアンビバレントな感覚の包含が、客観的で醒めた視線を産んでいるんだろう。怪我の功名ってところは大きいと思う。
カメラワークのデキの良さが秀でているのも、その醒めた視線に助力している。コメディは笑わせようとしないこと。それが大事だなと再認識させてくれる良作だ。

本作への批判としてよく聞くのは、カーチェイスでのサンドイッチ渡しとか林でのセックスシーンとかが無駄だっていう点。たしかに本線ストーリーとはあまりにも無関係。初監督作品っていう自信の無さなのか、“葬式”一本だけで勝負する勇気がなかったことが伺えるが、でも、気をひく演出なのは事実。でも、荒削りなおかげで、他の伊丹作品よりも作為とかあざとさを感じないので、いつ観ても新鮮に感じる。
笠智衆演じる住職のタイルのくだりは、後の『マルサの女』の視点に繋がるが、その他にも後の伊丹作品に繋がる萌芽が随所に見られる。この葬儀屋役って江戸家猫八なんだね。意外に(なんて言うと失礼かもしれないが)ウマい演技だと思う。
ラストの、焚き火で色んなものを処分するシーンでの菅井きんの表情。ああ、そんなにこの先長くないんだろうな…なんて感じを醸し出してる。

葬式ってのは、普段はなかなか会えない懐かしい人と会える。でも、絶対会いたくない人と会わないといけない場でもある。通夜で、岸部一徳演じる明が、茂の正吉に対する反発を茶化すシーン。うるさい奴らが帰宅して、千鶴子ときく江と茂だけが残り飲み直すシーン。まあ、結構どこの親族でもこういう軋轢はあるわな。なるほどなぁって思えるシーンは多々あるし、葬式に関わらずに生きることは難しいので、面白く感じるだけでなく、いつか自分も…っていう緊張感も感じる。

不謹慎だが、身近に訃報を聞くと、思い出して観たくなる作品。

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image1195.png公開年:1971年
公開国:アメリカ
時 間:137分
監 督:スタンリー・キューブリック
出 演:マルコム・マクダウェル、パトリック・マギー、アドリエンヌ・コリ、ウォーレン・クラーク、マイケル・ベイツ、エイドリアン・コリ、オーブリー・スミス、マイケル・ベイツ、マルコム・マクドウェル、パトリック・マギー 他
受 賞:【1971年/第37回NY批評家協会賞】作品賞、監督賞(スタンリー・キューブリック)
コピー:レープと超暴力とベートーベンだけにすべてのエネルギーを費やす恐るべき若者たち!


社会秩序は乱れ、夜な夜な少年ギャングの群れが横行して治安は悪化の一途を辿っている近未来のロンドン。ベートーベンを愛する15歳のアレックスをリーダーとする少年4人組ドルーグは、その夜も街で暴れ廻っていた。手始めにゴミのように溢れるホームレスの老人を袋叩きに。その後、ライバルの非行少年グループの一団が、1人の女性をレイプしようとしてるところを襲撃し、相手のリーダを病院送りにする。さらに、盗んだスポーツカーを暴走させて郊外へ。作家の邸宅に覆面を付けて押し入り、『雨に唄えば』を歌いながら家中を破壊しながら作家の妻をレイプする。その後、グループの主導権を巡り仲間といざこざを起こすが、その夜仲間と共に金持ちが住む一軒家へ強盗に入る。アレックスは住人の老婦人を撲殺するが、昼間のいさかいが原因で仲間から裏切られ、ついに投獄させられてしまう…というストーリー。

おぞましい暴力描写が、それほど、ぞましいと感じられないくらい、昨今の作品(というか今の時代)が追いついてしまったのかなと。で、その感覚があながち間違いではないな…と。

本作の中で、アレックスは狂った振る舞いを重ねた末、逮捕され、人権無視の人体実験をされはするけれど、実は、彼の根の部分は何一つ変化していない。変化したのは、彼の家族やかつての仲間、そして社会体制。
この作品をみた印象が時代によって変わるのは、まさに作中でアレックスにおこったことと同じことを、観客が長い時代の移り変わりを経て体験しているからなんだな…と。この作品が、時代を超えて、人々の印象に残り続けているのは、そういう理由なんだと思う。キューブリックがそこまで計算していたか否かはわからないけれど、何度かこの作品は観ているが、観客の立場や経験値が変化すると、それに伴って印象がガラっと変わる作品。

若者は、親や学校も含めて社会に抑圧されていると考え、反抗する。しかし、親の立場になればわかるだろうが、それは抑圧でもなんでもない。牙を剥かれたから剥きかえしただけ。つまりガチンコ勝負してるだけ。刑務所長が、悪に痛めつけられた国家が、殴り返しても当然っていう理屈に、至極納得しちゃう。今回はそっち方面に目が向いたな。

正直、初めて観たときは、あまり性的な暴力描写に耐性が無くって、脳がトルチョック制裁に耐えるだけで精一杯って感じだった。アレックスが唄う『雨に唄えば』を聞いて、フラッシュバックする作家のおっさんの顔が、すごいわ。それにしても、近未来設定なことを忘れちゃうよね。実は初見の時は、気付いてなかった。よくわからないけど、人民は労働から解放されて、生活の心配をすることがなくなった世界らしいよ(ホームレースはいるけどね)。

時代を跨いでも色褪せない何かがあるキューブリックの傑作。その“何か”が簡単にわかるようでわからない。かといって、アート作品ぶってるわけもないのがいい。

#ポップな美術センスについては、今、一周廻ってものすごくいい感じに。あの作家の家をみると、すごくリフォームしたくなる。
 

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image1866.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:138分
監 督:テレンス・マリック
出 演:ブラッド・ピット、ショーン・ペン、ジェシカ・チャステイン、フィオナ・ショウ、ハンター・マクラケン、ララミー・エップラー、タイ・シェリダン、アイリーン・ベダード、ウィル・ウォレス他
受 賞:【2011年/第64回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(テレンス・マリック)
【2011年/第46回全米批評家協会賞】助演女優賞(ジェシカ・チャステイン『テイク・シェルター』『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』に対しても)、監督賞(テレンス・マリック)、撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)
【2011年/第78回NY批評家協会賞】助演女優賞(ジェシカ・チャステイン『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』『Take Shelter』に対しても)、撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)
【2011年/第37回LA批評家協会賞】助演女優賞(ジェシカ・チャステイン『コリオレイナス(原題)』『The Debt』『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』『テイク・シェルター(原題)』『キリング・フィールズ 失踪地帯』に対しても)、監督賞(テレンス・マリック)、撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)
コピー:父さん、あの頃の僕はあなたが嫌いだった…

1950年代半ば。テキサスの田舎町に暮らすオブライエン一家。3人の息子に恵まれ一見平穏に見える家庭だったが、厳格な父親は、社会的な成功者になるための力を身につけるべく息子たちに厳しくあたり、子供たちにとってやすらぐ場所ではなかった。一方、全てを神の御心として受け入れようとする母親は、子どもたちを愛で包み込もうと優しく接していたが、そんなそんな両親の狭間で、長男ジャックは苦しみ葛藤していた。その後成長し、実業家として成功したジャックだったが、人生の岐路に立った今、少年時代を回想するのだった…というストーリー。

理不尽なまでに厳しい父親の教育に戸惑う妻と子供たち、しかしそれを受け入れるしかない状況。それを思い出す、おそらく成長したジャックであろうショーン・ペン演じる実業家。なにやら重々しい雰囲気でスタートし、彼らに何があったのか…と、期待は膨らむばかりだったのだが…。
いきなり20分近く、大宇宙の創世から生物の誕生・進化、恐竜まで登場するイメージ映像を延々と見せられる。まるで、手塚治虫の『火の鳥』の冒頭みたいなシーンだけど、テキサスの片田舎の家庭から、振幅が激しすぎてついていけない。たとえ、これが聖書の教えを信じた母親の想像だったとしても、突飛すぎる。映像は確かに美しいけれど、それはそれだろう。
キリスト教思想下での想像だとしても、それはそれでおかしい。この映像は、キリスト教的宗教的史観と科学的なそれとは相容れない。キリスト教原理主義者は、この大スペクタクルをたった6000年くらいのできごとだっていってるんだぜ。進化なんか認めていないし。それはないだろう。

とにかく、家庭ドラマの部分はまだしも、このイメージ映像とは繋がっていない。豚の丸焼きと、巨大なボールに入ったフルーチェをドーンと食卓に出されて、うまいだろ?うまいだろ、しつこく言われている感じ。
父なる神と、家庭の父を同一視して、実の父を憎むのと同じくして神も憎んでるってこと?それはそれで神への不敬なんじゃないかと思う。それに、息子・兄弟の死をどう受け止めるかってことと、この宇宙の理と何の関係が?間違いなく輪廻転生ではないわけで、息子の死から立ち直れない心に対して、何の一助にもなっていない。
だが、それでも生きていくには、そんな父親や神を信じなければならない。そんな世界観の中で、弱い存在の人間はそうやって生きていくしかない。だから、欧米に無神論者が増えているんだろうさ。

私には、なんで父親がきつく子供たちにあたったのか、理由は示されたようには見えないんだが。父と息子が似ていたから?自分のようになってほしくないから?そんなの詭弁だろ。虐待とまではいわないにせよ、子供への常軌を逸した行動に理由なんかない。心のゆがみ。それだけだよ。子供は延々と苦しみ続けるのさ(実際に長男ジャックは、成功者になっても苦しみつづけてるね)。
#大体、父親は好きなんて、そんな息子はこの世にそうそういないんだって。

結局は、私が“映画”というものに求めているものとは、ちょっと方向性が違う。すごく褒めている人がいるんだけど、そういう人とは友達になれんわ…って、そう思わせてくれるくらい。これがパルムドールってやっぱりカンヌはクソだよ。選考委員が芸術家気取りのクソ野郎ばっかりってのを証明してるわな。これを絶賛できるのが映画通だっていうんなら、私は映画通になんかなれなくて結構。そんなレベルかな。これを地上派で放映できる勇気のある局があったら逆に褒めてあげるわ。
とはいえ、一応話題作ではあるので、これから観ようという人もいるだろう。そういう人にアドバイスすると、“何も考えるな”、“絵画みたいなもんだと思え”そんなところかな。

#ショーン・ペンが出てくると、画が締まったのは認める。

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image1864.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:リサ・チョロデンコ
出 演:アネット・ベニング、ジュリアン・ムーア、ミア・ワシコウスカ、マーク・ラファロ、ジョシュ・ハッチャーソン、ヤヤ・ダコスタ、クナル・シャーマ、エディ・ハッセル、ゾーシャ・マメット、ホアキン・ガリード、レベッカ・ローレンス、リサ・アイズナー、エリック・アイズナー、サーシャ・スピルバーグ、ジェームズ・マクドナルド他
受 賞:【2010年/第77回NY批評家協会賞】女優賞(アネット・ベニング)、助演男優賞(マーク・ラファロ)、脚本賞(スチュアート・ブルムバーグ、リサ・チョロデンコ)
【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、女優賞[コメディ/ミュージカル](アネット・ベニング、ジュリアン・ムーア)
【2010年/第26回インディペンデント・スピリット賞】脚本賞(リサ・チョロデンコ、スチュアート・ブルムバーグ)
コピー:青空の下、共に生きる。家族になる。

ニックとジュールスはレズビアンのカップルで、精子バンクから提供された精子で一人づつ子供を儲けている。ニックの子供は18歳になる娘ジョニ、ジュールスの子供は15歳の息子レイザーで、郊外の一軒家で仲良く暮らしている。ある日、レイザーとジョニは、精子を提供した“父親”の存在が気になり始め、精子バンクに問い合わせ父親とコンタクトを取ろうとする。やがて、レストランのオーナーを務めるポールが提供者であることが判明。ポールも突然の二人の子供の出現を喜び、その気さくな性格で瞬く間に仲良くなってしまうが、それを知ったニックとジュールスの心は穏やかではなく…というストーリー。

まず、ジュリアン・ムーアが出て、性的なテーマがあるわけでなので、間違いなく“脱ぐ”んだろうな…と予想が付く。もちろんその読みは正解。もう、いい年なんだから、そのくらいの期待を裏切ったらどうかと思うんだが(笑)。

レズビアンのカップルが、男同士のビデオみて興奮するかね?と思っていたら、息子も不思議に思ってたみたいで質問してた。まあ、男性がレズビアン物を観るのと同じ感覚かね。
自分たちもそうだからって、息子もゲイなんじゃないかって疑うくだり。自分たちもそうだから疑うって、バカ親だわな。と、同時に、普通にストレートの親と大差ない親をやってるって表現なんだろうね。

(以下ネタバレ注意)
まあ、今のアメリカではけっこうある家族構成…っていうかもしれないけど、やっぱり特殊だと思う。でも、こういう特殊な設定の話ではあるけれど、シナリオはいたってセオリーどおり。
レズビアンカップルが体外受精で子供をつくって立派に育て上げる…っていう設定(掴み)→ 子供が精子ドナーを探して勝手に接触(転換ポイント①)→ 登場した“父親”によってぎくしゃくしてくる家族→ “父親”とジュールスが関係を持ってしまう(転換ポイント②)→ すったもんだで家族の絆の再確認。転換ポイントの挟み方は理想的だね。

ストレートの人間からすると、“父親”ポールとジュリアン・ムーア演じるジュールスの距離が縮まっていくのをみると、レズビアンっていうけど、彼女の人生の中でたまたまマッチする男性がいなかっただけで、別に男性が嫌いってわけじゃないんでしょ?むしろ“本当の私”に気付いちゃった…とか、そこまではいかないにせよ、女性でも男性でも人間として必要な人と一緒にいたいのよ…とか、そういう展開になるのかな、と思うわな。

でも、どういう形であろうと“家族”は“家族”っていうオチになる。個人的にはこのオチには満足していなくて、無難なところに収めたな…というガッカリ感すらある。
うーん。普通の家族と同じだっていうんなら、むしろ普通に離婚だってあるわけだし、なんか自分の存在意義とか生きがいとかそういうものにジュールスが気付いたように見えて、応援したい気持ちになっちゃった。だから、なんか残念な感じなんだよね。
それに、ニックってのが終始感じの悪いキャラクターで、一切共感できなかったのも、そう思わせる原因なのかもしれないな。
#どうしても、男目線だとポール寄りになっちゃうしなぁ。

ポールの出現によりニックが家族を取られるんじゃないか…という焦りから、まさかの父親ポジションの取り合い。そんなギスギスから、和解のディナーになり、あれ?まさか逆にニックもポールを気に入っちゃたりして?なんて思ったが、さすがにそれはない。その後の、ワインをゆっくり飲み周囲の音が消えていく“すべてを悟った”演出の緊迫感、ガラガラと価値観が崩れ落ちるような感じはうまかったね。

仮にポールとジュールスが思い切って結ばれたら、ミア・ワシコウスカ演じるジョニの扱いはシナリオ上かなり難しくはなったわな。そうしなかったせいで、息子のレイザーの影が物凄く薄くなってるけど。
正直、ドラスティックな展開(オチ)も観たいな。穏便な同性愛者の映画を作りたかったのかもしれないし、ゲイだって普通なんだって線ははずせなかったんだろうけど、このシナリオはその枠組みをはずしたほうが、より面白くなったと思う。でも、本当にラスト以外は、すんごく愉しんだよ。良作だと思う。
#男性がホモ映画をみると「うぇー」ってなる場合が多いけど、女性はどうなんだろ。
 

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image1865.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:スペンサー・サッサー
出 演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ナタリー・ポートマン、レイン・ウィルソン、デヴィン・ブロシュー、パイパー・ローリー、ジョン・キャロル・リンチ、フランク・コリソン、オードリー・ヴァシレフスキ、ポール・ベイツ 他




自動車事故で母を失った少年T.J.は、心に深い傷を負ったまま日々を過ごしていた。彼の父親ポールも同様で、鬱病になり家で寝ているか、セラピーに行くかを繰り返す日々だった。そんなある日、T.J.は、街で長髪に半裸のヘッシャーという男に遭遇。その後、なぜかT.J.の周りに出没し、挙句の果てにはT.J.の家に押しかけ、そのまま住みついてしまう。彼はヘヴィメタを大音響で流し、気の向くままに破壊行為を繰り返す。そんな彼をうんざりするT.J.だったが…というストーリー。

原題の“HESHER”は、あやしい風貌の兄ちゃんの名前。本名なんだかあだ名なのかはわからん。この兄ちゃんが舞い込んできて、人々(っつーか家族と一人のネエちゃん)はどう変わるのか?ってお話だから、彼の名前がタイトル。でも、そんな題名だと、何がなにやらよくわからんから、メタルヘッドなんていうそれっぽい邦題になってる。でも、残念ながら的外れ。ヘッシャーは車ではメタルロックばかりかけてるし、暇があればギターを弾いてる。けど、ヘヴィメタな格好ってわけでもないし(メタル要素はない)、タイトルにもってくるほど重要でもないし、焦点を合わすべきところでもない(まあ、そこはいいや)。

見覚えがあるな…と思ってたんだけど、『(500)日のサマー』の主人公の人だ。まったくイメージは違うけど悪くない。ARATAみたいなポジションの役者かな。

ナタリー・ポートマンの無駄遣い…って言いたいところだけど、案外、母親を喪失した少年が、母を投影しつつ恋心も抱くっていう微妙な線にはぴったりだったかと。野暮ったくてショボいんだけど、それがかえってビッチな本性とのコントラストを生んでいて、いいキャスティングだったと思う。でも、まるで彼女がメイン俳優みたいなジャケットなのはトホホ状態かな。メイン俳優陣だけだと誰も観ないだろうから、しょうがないんだろうけど、せめて眼鏡かけた写真にしようぜ。

すごく、いいセンスを持っている監督だと思う。
冒頭の、子供が車に接触して吹っ飛ぶんだけど、運転手が出てくるでもないし、ぶつけられた子供もそのまま行っちゃうっていう描写で、この街に住む人のレベルとか土地柄をさらりと表現していて、うまいと思う。
少年がなぜ車にこだわるのか?は、おおかたの観客が予想するとおりで、母親がらみ。ヒネリはない(というか、それ以外にない)。

妻を亡くして沈み続ける父親、母を無くして悲嘆したいのだが自分以上に父が壊れていて悲嘆することができない息子。そして、本当に壊れかかっている(ボケかかってる)おばあちゃんの三人暮らし。そんなところに正体不明でムチャクチャなヘッシャーがやってくるけど、そんな彼を追い返す力すら、彼らにはない。

ちょっと『家族ゲーム』みたいな感じになるのかな…と思いきや、ヘッシャーの行動にはあまりに一貫性がないし、ポリシーとか信念みたいなものもなく、単なる世捨て人のようにも見える。少年がいじめられていても、絶対になにもしない。そんなヘッシャーが家族をどう変えていくのか…そういう軸で展開する。

ただ、ちょっとこのシナリオというか設定で疑わしいのは、このヘッシャーってキャラの設定をどこまで創れているのかな?って点。別に本作の中で、ヘッシャーのバックボーンをすべて語れといっているわけではないし、語る必要まもちろん無いんだけど、設定上はしっかり細かいところまで考えていないと、行動に微妙な矛盾が漂ってくる。
ヘッシャーは、心を病んでいるのか、それとも育った環境によって不安定なのか、実は協調性がないだけで健常なのか。いつからこんな生活をしているのか。元はマトモな生活をしていたのか。今回と同じように人の家に押しかける生活を続けているのか、実は別に生計を立てる術はもっているのか…とか。
それまで、頑なに自分のやりたいことだけをやっていたヘッシャーが、ナタリー・ポートマン演じるニコールとそういう関係になって、少年を傷つけてしまった後、謝ろうとしてなのか色々加担するのだが、その気持ちの境目というか、価値観の境目みたいなものが、いまいち腑に落ちない。なんでばあちゃんにあそこまで感情移入したのかとかもね。みなまで言わなくていいけど、ちょっとブレがあるように感じられて、結局、ただのよくわからない人で終わってしまったのが残念。もう少しくらい正体をチラ見せしたほうが深みが出たと思う。

まあ、嵐に理由はない。あまりの自然の猛威にすっかりなぎ倒されて、笑うしかない…立ち上がるしかない…そう思える人もいるだろうさ。結局わけのわからないまま、終わってしまうんだけど、このわけのわからないものを作りたかったんだろうな…という気がするので、これはこれでOKかなと。

良作と胸を張ってお薦めはできないけど、なかなか悪くなかったと思う。化けそうな予感のする監督なので、ちょっと名前を覚えておこうと思う。

 

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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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