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公開年:1989年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:メアリー・ランバート
出 演:デイル・ミッドキフ、デニース・クロスビー、フレッド・グウィン、ブラッド・グリーンクイスト、ブレイズ・バーダール、ミコ・ヒューズ、スティーヴン・キング、マイケル・ロンバード、スーザン・ブロンマート、カヴィ・ラズ、チャック・コートニー 他
受 賞:【1990年/第18回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】観客賞
田舎の大学の校医となることが決まり、家を購入して引っ越してきたクリード一家。妻レイチェルと幼い娘のエリー、歩き始めたばかりの息子ゲイジと共にシカゴから引っ越してきた。しかし、家の前の道路を大型トラックが猛スピードで頻繁に往来する様子にに驚く。向かいの家にすむ老人ジャドは、この道路で轢かれたぺットを葬るペット霊園が裏山にあることを教える。感謝祭の日、レイチェルと子供達がシカゴの実家に帰省していたが、エリーが可愛がっていたペットの猫チャーチルが車に轢かれて死んでしまう。ルイスは、幼いエリーが身近な“死”を受け入れることが難しいと悩む。そんな彼の様子を見たジャドは、詳しい事情も説明せずに、チャーチルの死体を裏山からさらに奥に分け入った丘に埋めるように指示するのだった…というストーリー。
原作者スティーヴン・キング自らシナリオを書いているのだが、映画版に直接関わって成功している稀有な例だと思う。キューブリック版の映画の内容が自分の原作のイメージと合わないっていって、自ら脚本・製作総指揮をした『シャイニング』なんかトホホの極みだった。逆に、原案とか原作だけで関わっている作品のクオリティの高さはハンパないわけで、天はニ物を与えずとはまさにこのこと。
ズバっと猟奇的な演出になりがちな昨今のホラーとは違い、奥ゆかしさすら感じる(?)ホラーかなと。守護者の霊が導くという展開や、奥さんの過去の経験の話など、恐怖と悲しさと軽いユーモアが絶妙なバランスで配合されいるところが、実にキングらしい。
本人も薄々どうなるかはわかっているのに、情にほだされてやってしまう悲しさ。子供がいる人は、この状況になったら自分も思わずやってしまうかも…と思うか思わないかが、本作の評価の分水嶺だろう。まあ、息子のことはまあわからんでもないが、奥さんはどうなのよ?と思う人は多いかもしれないが…。
#まあ、「ジャドじじぃ、おまえがすべて悪い!」と言いたくなるけどね。
そこに共感できずに、単純にホラーを期待していた人は肩透かしをくらうことになる。いや、そういう人は、キングのホラーは元より“モダン・ホラー”ってやつでは物足りなく感じる脳になっちゃってるのだろう。ホラーやスプラッタって観続けていると耐性ができちゃっう。麻薬みたいなもんだからね。麻痺している人には、こういう家族の感情みたいな部分をチクチク攻撃してくるキングの演出のよさが見えなくなってくるのかも。
そういう意味でも、逆に新鮮に感じた一作。これはお薦め。
#しかし、ネイティブアメリカンの墓がゾンビ製造機だとか、ヨチヨチ歩きの子供がチャッキーばりに殺りまくる内容は、今では製作しにくいだろうし、地上波で流すのは難しいかもしれん。
負けるな日本
公開年:2011年
公開国:アメリカ、カナダ
時 間:100分
監 督:キャサリン・ハードウィック
出 演:アマンダ・サイフリッド、ゲイリー・オールドマン、ビリー・バーク、シャイロー・フェルナンデス、マックス・アイアンズ、ヴァージニア・マドセン、ルーカス・ハース、ジュリー・クリスティ、ショーナ・ケイン、マイケル・ホーガン、エイドリアン・ホームズ、コール・ヘッペル、クリスティーン・ウィリス、マイケル・シャンクス、ドン・トンプソン 他
コピー:恋をした、大人になった。
森の奥深くにある村で暮らす年頃の娘ヴァレリー。その村では、満月の夜になると村の周囲に巨大な狼が出没していたが、村人が定期的に動物の生け贄を捧げるという契約を狼と結ぶことで、なんとか平和を維持していた。ある日、ヴァレリーと裕福な家の息子ヘンリーとの縁談話が持ち上がる。ピーターと将来を誓い合っていた彼女は、知らぬ間に縁談を進めた両親に反発。ピーターとの駆け落ちを決意する。しかし、その矢先に、ヴァレリーの姉が狼に殺害されてしまう。契約を破った狼に怒った村人は、報復のために狼狩りを行い、見事に狼を仕留めるのだった。しかし、村にやって来たソロモン神父は、狼が人の姿になって村に紛れていると言う。村人達が疑心暗鬼になる中、ソロモン神父は人狼狩りを続け…というストーリー。
まるで、あの童話の赤ずきんちゃんの後日談みたいなキャッチコピーだけど、そういう話ではない。
『スリーピー・ホロウ』みたいな雰囲気で好感が持てるのだが、如何せん『トワイライト』シリーズのハードウィック監督だからなぁ…。
これは“赤ずきん”という童話をモチーフにした『トワイライト』のパラレルワールド物語なんじゃないかと思えてくる。だって、共通点が多すぎなんだもん。
一人の少女を二人のイケメンが取り合うという構図。それもヤサ男系とワイルド系というところまで一緒。
『トワイライト』がヴァンパイアだったのが、狼男モノに置き換わっただけ。
『トワイライト』の登場人物が必要以上に美しく描かれれいたのと同じで、本作も深い森の中の小村なのにみんな小ぎれい。
『トワイライト』のヒロインがヴァンパイアになるか否かを悩んでいたのと同様で、本作でも人狼になるかどうかの選択を迫られる。
等々…
好意的に観れば、自分のできることを愚直にやっていて潔いってことかもしれないけど、普通は同じことしかできないのかも…って思っちゃう。へたに『トワイライト』シリーズで当ててしまったのが、将来のキャリア的には仇になりそうな気がする。まあ、ティーン向けのサスペンス&ロマンスってことで、ターゲット層を考えるとこれでいいんだろうとは思うけどね。
ただ、それにしても、中盤のだらけ具合が眠気を誘う。正直、30分くらい眠ってしまって巻き戻したわ。若者だって相当の人数が眠ったと思う。相変わらずストーリーテリングがヘタクソな監督だわ。
終盤はだれが人狼の正体?っていうサスペンス展開で、なんとか興味を維持できていた。最後のほうになって“赤ずきん”の童話の部分もやっと挿入される。
ほんと、あと一歩なんだよね。本人の心の声で話が展開するんじゃなく。金田一耕助や『スリーピー・ホロウ』のイガボットみたいな狂言廻しがいてもおもしろかったかもしれない。
でも、決して悪い作品ではない。十分暇つぶしにはなるとは思うよ。
負けるな日本
公開年:1959年
公開国:フランス
時 間:97分
監 督:フランソワ・トリュフォー
出 演:ジャン=ピエール・レオ、クレール・モーリエ、アルベール・レミー、ジャン=クロード・ブリアリ、ギイ・ドゥコンブル 他
受 賞:【1959年/第12回カンヌ国際映画祭】監督賞(フランソワ・トリュフォー)、国際カトリック映画事務局賞(フランソワ・トリュフォー)
【1959年/第25回NY批評家協会賞】外国映画賞
パリの下町に住む12歳の少年アントワーヌ・ドワネル。学校ではいつもいたずらばかりして先生に叱責され、成績も悪く、通うことが苦痛でならない。稼ぎも少ないくせに趣味の車にばかり興じる父親や、残業と偽り浮気を重ねる母親は、アントワーヌのことを放任状態に。夫婦仲も悪く、毎日繰り広げられる口論を寝袋にくるまって聞かされる日。そんなアントワーヌの楽しみは映画を観ることだけだった。そんなある日、アントワーヌの書いた作文の宿題がバルザックの盗作であると指摘し、学校の先生は停学を命じる。居場所がなくなった彼は、独立して生きていく旨を手紙にしたため、家でしてしまう…というストーリー。
原題は“400回の殴打”っていう意味らしいけど、邦題の“大人は判ってくれない”のほうがぴったりだわ。この邦題を考えた人は天才。『あるいは裏切りという名の犬』に匹敵(あら、両方ともフランス映画だわ)。
この時代の古い作品は、いくら名作といえども時代独特のもたつきが感じられることが多いけれど、本作はするっと最後まで飽きずに観ることができた。いい感じの疾走感がある。音楽の使い方もカメラカットも編集の仕方も“新しい”と思う。それゆえに“ヌーヴェルヴァーグ”っていわれるのかな。
まあ、私だって子供だった頃があるので「大人は判ってくれない」って気持ちはわかる。彼の家庭環境や学校での扱われ方は確かにやるせない。
途中で母親が気持ちを切り替えて一生懸命にかまっていたときはおとなしくなりかけていたので、単に親の愛情の欠乏だという方向にしたいのかもしれない。でも、いろいろなすれ違いがあって不幸にもこんな状態に…って感じじゃなく、多分にアントワーヌ本人の性格傾向に問題があるよう見える。それは、単なるやんちゃの範疇を大きく超えて、アスペルガー症候群的な傾向すら感じられる。そのせいなのか、理解こそできたが共感はまったくできなかった。
それどころか、境遇の悪さをたてにとって、自分の主張が正当化される…というような反社会的性格傾向がみえる。それは、アントワーヌだけでなく、周りの大人たちの様子にも伺えるところが実に興味深かった。これが、“フランス流”の個人主義の有態なのか、「社会全体でなんとかしてもらえるんでしょ?」的な感覚がにじみ出ているような感じ。
人権主義さ標榜しておきながら、結局、肝心な部分は社会(政府)がなんとかすべきでしょ…という乖離状態って、権利は主張するけど、それに伴う義務は無視するのと同じ。こんな感覚だと、お題目だけすばらしい誤った政策にほだれて痛い目にあっちゃうよ。移民政策の失敗もこういう感覚がベースにあるからなのかも。
自由・博愛・平等を掲げている国だけれど、裏を返せば、掲げなければ実現できないということも意味しているわけで、フランス国民って簡単に社会主義や全体主義に傾きやすいのかもしれないね。
周りの顔を覗ってばかりいていると指摘される日本が、実際はどっぷり個人主義であるのと、本質的に真逆に見えるのも不思議で面白い。
まあ、ラストは投げっぱなしの極みって感じだけど、だからといって、その後を丁寧に描かれても、それはそれで興醒めすると思うんで、これでいいんだろう。
社会を漂流する子供に、大人は碇も救命ボートも差し出さない。政府という大船も一時しのぎの小島と最低限の食料を善人顔で差出しはするが、その受け取り方が悪いときには頭を叩く。う~ん。
負けるな日本
公開年:2011年
公開国:アメリカ、カナダ
時 間:110分
監 督:ザック・スナイダー
出 演:エミリー・ブラウニング、アビー・コーニッシュ、ジェナ・マローン、ヴァネッサ・ハジェンズ、ジェイミー・チャン、オスカー・アイザック、カーラ・グギーノ、ジョン・ハム、スコット・グレン、リチャード・セトロン、ジェラルド・プランケット、マルコム・スコット、ロン・セルモア、A・C・ピーターソン、フレデリック・ド・ラコート 他
母の死後、遺産を狙う義父により精神病院に入れられてしまう少女ベイビードール。彼女は辛い現実から逃れるために、売春宿に入れられたという設定の空想に逃げ込む。そこで、同じ境遇のロケット、ブロンディ、アンバー、スイートピーと知り合い、売春宿から脱出するのために、ある計画を実行しようと呼びかける。その計画とは、男達がベイビードールの踊りに見とれている間に、建物の地図、ライター、ナイフ、鍵を手に入れるというものだった。当初はためらいを見せる4人だったが、やがて自由をもとめ共闘していく…というストーリー。
別に賢い人ぶって言うわけじゃないんだけど、おそらく6割の人が「はあ?」ってなるんじゃないかと思う(プロの映画批評家でさえも)。そして、2割の人が「まあまあかな」。残りの1割の人が「あれ?評判悪いけど、良いよね、これ」って感じじゃないかな(私はその1割の中にいるけど)。
まあ、そりゃそうだろう。基本的にザック・スナイダー作品に好意的で、『アンデンティティ』みたいな話も大好物な私ですら、一瞬戸惑うレベルだからね。
日本の寺院、世界大戦下、中世の城、未来の惑星と、ベイビードールの空想の“ステージ”が移り変わっていく様子が、テレビゲーム的だと批評されているわけだが、プロの批評家達がそんな見たまんまの指摘をしてどうするのか…とちょっと閉口。つっこむところはそこじゃないと思うんだ。ザック・スナイダーが、日本のサブカルチャーやコンピュータゲームが好きなのは明らかだけど、だからといってそれだけを前面に出して勝負しているようには見えないし、映像表現に関しては、むしろ過去作品を超えているくらい。
踊り始めたら空想の世界に飛んじゃって、上手に踊れていることをああいう映像で表現しちゃうって、これは薬をキメた人じゃないと思いつかないレベル。ザック・スナイダー、やはり只者ではないな…と(いろんな意味で)感じさせてくれた。むしろ、そこは否定するところではなくて、褒めるべきところである。
では、なにが問題か。その答えは単純明快。シナリオが悪い。その精神病院では目ぼしい入院患者をこっそり売春組織に送り込んでいる…という部分を、観客がそれがリアルであると疑わないレベルで作りこむべきだったのだ。はっきりと、ベイビードールの空想だと始めからわかってしまうような演出こそが、本作シナリオの稚拙な部分である。どっちが現実なのか判然としない演出に腐心すべきだった。
じゃあ、シナリオを書いているのはだれか?ザック・スナイダー本人だったりする。だから、今回、文句を言われるのは監督のザックではなく、脚本家のザックということだね。
でも、個人的には許容範囲。この作品をOKといえる人はどんな人は。『アイデンティティ』『キックアス』『300』この3つがすべてOKな人は本作もOK。間違いない。
ベイビードールに見覚えがあるな…と思っていたが、『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』で長女役を演じていたエミリー・ブラウニングだね。絶妙というか微妙というか、いい感じに成長しましたな。クリスティーナ・リッチみたいな感じになるのかと思っていたけど、少なくともそういう方向には進んでいない模様。
“SUCKER PUNCH”じゃ聞いてもパッと意味がわからないから、適当な邦題をつけてみたのだろう(“SUCKER PUNCH”は“不意の一撃”的な意味)。でも、観終わるとエンジェル ウォーズの意味がわからん。いまどき、ネット辞書で簡単に調べられるんだし、むしろそのままの題名のほうが気を引いたんじゃないかな。
#カテゴライズに困る作品だな…。
負けるな日本
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:186分
監 督:ピーター・ジャクソン
出 演:ナオミ・ワッツ、エイドリアン・ブロディ、ジャック・ブラック、トーマス・クレッチマン、コリン・ハンクス、 ジェイミー・ベル、エヴァン・パーク、カイル・チャンドラー、アンディ・サーキス 他
受 賞:【2005年/第78回アカデミー賞】視覚効果賞(ジョー・レッテリ、Brian Van't Hul、Christian Rivers、リチャード・テイラー)、音響賞[編集](Mike Hopkins、Ethan Van der Ryn)、音響賞[調整](Christopher Boyes、Michael Semanick、Michael Hedges、Hammond Peek)
【2005年/第59回英国アカデミー賞】特殊視覚効果賞
コピー:伝説が蘇る。
1930年代初頭のニューヨーク。映画監督のカール。デナムは、投資家達が資金が引き上げようとしていることを知り、これまで撮ったフィルムをすべて持ち出し、アジアロケを強行しようとする。降板した女優の代わりに無名で極貧のアン・ダロウを抜擢。脚本家ジャック・ドリスコルも騙して下船さず、そのまま撮影クルーを率いて航海に乗り出す。やがて船は幻の孤島スカル・アイランドに到達。さっそくカールは撮影を開始するが、撮影班は原住民に襲撃される。船員達の救出によってかろうじて脱出したが、その夜、原住民達が船を強襲し、アンがさらわれてしまう…というストーリー。
『ロード・オブ・ザ・リング』3部作を作り上げたご褒美に、思い入れのある『キング・コング』を好きなように作る。うん。ピーター・ジャクソンには好きなようにやる権利は充分にあると思う。長年の夢だったのもわかる。でも、とにかく長い。長いものは長い。思い入れの分だけ詰め込みすぎたんだろう。
所詮『キング・コング』は、南海の孤島で巨大ゴリラを発見し→アンに恋するコング→見世物にされるためにニューヨークへ連れて来られる→悲恋の末の死…というシンプルなストーリー。普通につくったら二時間を越えるわけがない。実際にオリジナル版は90分そこそこ。
じゃあ、何で長くなってるのかというと、まず、序盤の人間模様が丁寧すぎるほど丁寧。ヒロインのアンがとボードビリアンってどうなの?大恐慌を舞台する意味あるの?船長が動物ハンターっていう設定は必要?脚本家とアンの恋愛展開って本当に必要?とか、冗長に感じる演出は多々あったんだけど、きちんと伏線にはなっていた。最後のビジョンがあって、そこから逆算しているのだな…ということは理解できた。でも、長いものは長い。
#黒人の船員と小僧のくだりは必要だったかは疑問だけど。
序盤のもたもたから一点して、スカルアイランドについてからは、猛スピード展開に。
原住民や巨大ゴリラは理解できるが、突然、恐竜の群れが登場。あの大量の恐竜との追っかけっこ→恐竜のごった煮状態…をやりたかったんだろうね。
虫唾が走るような襲いくる大量の虫とのバトル…をやりたかっただろうね。
ドンキーコングみたいに、崖にたれた蔦を落ちそうになりながらも恐竜とバトル…をやりたかったんだろうね。
思いつくことは全部やった…って感じ。展開は猛スピードになったけど、こういう演出がこれでもかこれでもかと続く。
滑らかな動きは数々の受賞歴を獲っているだけのことはあるのだが、両手を縄なのか蔦なのかわからないが、原住民に縛られた状態から、ムギッ!っとコングむしりとられたのに、肩のひとつも外れないとか、巨大な動物に片手に握られてぶんまわされてるのに無傷だとか、アンが一番すごい生物な気がするのは、私だけか?
でも、スカルアイランドで、恐竜や虫からにげまくる所が、本作のピークである。そこで力尽きたかのように、本来は最大のクライマックスであるはずのニューヨークのシーンで、何故か無性にに眠くなる。
#数多くのキャラも投げっぱなし状態に。
おまけに、鉄板の泣けるシーンのはずなのに、なぜかまったく泣けないのだ。一番の理由は、コングにさほど感情移入できないこと。アンとコングの間にあった感情が、私には愛には見えないこと。コング側にあるのは並以上の興味。アンにあったのは哀れみ。ベクトルの違う感情が、いくら交差しても、そこには愛は生まれないと思う。
もしかして、ピーター・ジャクソンって“泣き”のセンスをもっていない監督なんじゃなかろうか。
あのままニューヨークにはいかず、島で生き残りバトルを繰り広げてくれてたら…、あのスピーディなハラハラドキドキをずっと続けてくれたら…、どれだけよかっただろう。いっそのこと島のシーンだけ、ジョイポリスのアトラクションにしたらいいと思うくらい。600円くらいなら平気で出すよ。
これは、アトラクションムービーだね。それ以上のものではないかな。素晴らしい映像スペクタクル-(長すぎる+ラストのデキが悪い)=普通。こんな感じ。
負けるな日本
公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:ケネス・ブラナー
出 演:クリス・ヘムズワース、ナタリー・ポートマン、トム・ヒドルストン、ステラン・スカルスガルド、コルム・フィオール、レイ・スティーヴンソン、イドリス・エルバ、カット・デニングス、浅野忠信、ジェイミー・アレクサンダー、ジョシュア・ダラス、クラーク・グレッグ、レネ・ルッソ、アンソニー・ホプキンス、アドリアナ・バラーザ、マキシミリアーノ・ヘルナンデス、リチャード・セトロン、ダレン・ケンドリック、ジョシュ・コックス、ダコタ・ゴヨ、サミュエル・L・ジャクソン、ジェレミー・レナー、テッド・オールプレス、ジュリエット・ロペス、マット・バタグリア、ブレーク・シルバー、デール・ゴッドボルド、パトリック・オブライエン・デムジー、テリー・パークス、バディ・ソストハンド 他
コピー:神失格の男《ヒーロー》“二つの世界”の運命は彼の手に
神の世界アスガルド。オーディン王の息子ソーは、自分の強さゆえに傲慢となり、いつもトラブルを引き起こしていた。ある日、ついに王の怒りは頂点に達し、ソーは王位継承権と最強の武器“ムジョルニア”を剥奪され、地球に追放されてしまう。地球に堕ちたソーは、偶然出合った天文学者のジェーンに救われる。一方アスガルドでは、自分の待遇に不満を募らせるソーの弟ロキが、権力を握ろうと陰謀を廻らせて、オーディン王を危機に陥れる。さらに神の能力を失っているソーにとどめを刺すべく、地球に刺客を送り込むのだった…というストーリー。
日本じゃ馴染みのないキャラクター。『髪長姫』とか、アメリカでメジャーでも日本ではてんで知られていないものが、映画化されることが、最近多いような気がする。
ハーキュリーなんかもそうだけど、こういうギリシア神話っぽいヒーローや、親子や兄弟の確執話が、アメリカ人は好きだよね。日本ではこのタイプのストーリー原型は、子供のころ読むお話の中には少ないような。だから、アメリカ人はワクワクするのかもしれないけど、日本人はどうなのかな…と、ちょっと期待薄だった。
実際に、地球に堕とされるまでのくだりは、それほどピンとこない内容。しかし、期待値がが下がったせいなのか、徐々におもしろく感じてきて、最終的には、なかなか面白い仕上がりになっていたと思う。
この意外な面白さの要因は、傲慢なおぼっちゃまが、コメディ調のドタバタを見せてくれているから。『星の王子ニューヨークへ行く』とか『ローマの休日』みたいに、権力者だった人が下々の世界とのカルチャーギャップの中で、おもしろ行動を繰り広げる展開だね。それに加えてアホっぽくて憎めないキャラクターが、功を奏していると思う。このお笑いテイストが、凡庸なヒロイックムービーを救っている感じかな。
しかし、肝心のソーが改心する部分の描き方が雑。心の成長の部分をもうちょっと丁寧にかくべきだったかな(原作コミックでは、記憶も奪われて人間として転生させられるんだよね。この基本プロットの変更に対応しきれていないんだわ)。
また、魅力のある敵キャラ不在なのも、ちょっと痛いところ。敵が光っていないということは味方も光らないということ。プロレスだって、光る悪役がいてこそ盛り上がる。だから、主人公のお仲間役の浅野忠信も全然光ってこない。ジャケット画像にはドカッとまるでメインキャラのように載っているけど、全然こんな位置にいれる仕事はしていない。でも、それは浅野忠信のせいではない。本作全体のキャラクター構成が弱いおかげで、彼は割りを喰ったんだと思う。
#でも吹き替え音声が本人なのは評価する。
とはいえ、実のところ、本作単体でのデキなんかどうでもよかったりする。
本作に、『アイアンマン』に出ていたコールソン捜査官や、エンドロールの後にはサミュエル・L・ジャクソン演じるニック・フューリーといった共通キャラクターも出演していることから判るように、本作は『アイアンマン』と世界観が繋がってるの。
さらに、『インクレディブル・ハルク』には、ロバート・ダウニー・Jr演じるアイアンマン(トニー・スターク)が出てるし、ニック・フューリーは『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』にも登場するみたい。
そう。これはマーベル・コミックの『アベンジャーズ』計画の一環。マーベル・コミックのヒーローたちがチームを組んで活躍するお話が、ここのところずーーっと発動中なのだ。来年公開の『ジ・アベンジャーズ』に『アイアンマン』『インクレディブル・ハルク』『アイアンマン2』『マイティ・ソー』『キャプテン・アメリカ: ザ・ファースト・アベンジャー』がすべて繋がっていくんだね。
まぁ、そっちに繋がっていく前哨戦、顔見世みたいなものだと思えば、本作単体でのツメの甘さなんか、どうでもよいって所かな。
アンソニー・ホプキンスにナタリー・ポートマンと、この手の作品に出なさそうな豪華な出演陣もなかなか新鮮だし、単体としては及第点かなと。
まあ、男の子としては、『ジ・アベンジャーズ』までを一気通貫で観たくなるような、そういう方向性のモチベーションが湧く作品。
負けるな日本
公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:129分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:トム・ハンクス、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、スタンリー・トゥッチ、チー・マクブライド、ディエゴ・ルナ、バリー・シャバカ・ヘンリー、ゾーイ・サルダナ、クマール・パラーナ、エディ・ジョーンズ、マイケル・ヌーリー、ジュード・チコレッラ、ギレルモ・ディアズ、ヴァレラ・ニコラエフ、コリー・レイノルズ 他
コピー:彼は空港(そこ)で待ち続けた。約束を果たすために…
ニューヨークJFK国際空港。東ヨーロッパのクラコージアという小国からビクター・ナボルスキーという男がやってくる。しかし、彼は、アメリカへの入国を拒否されてしまう。彼が飛行機に乗っている最中に、クラコージアでクーデターが発生し、事実上国家が消滅してしまい、パスポートが無効となってしまったからだ。おまけに、クラコージアの情勢が落ち着くまで、帰国することもままならず、空港内に留まるしかない状態に。英語も分からなければ、所持金もない彼は、空港内で生活し事態が改善するのを根気良く待つのだが…というストーリー。
国が無くなってこのシチュエーションになることは稀だと思うけど、入国できずに空港で長く過ごすことは有り得る話だし、似たようなエピソードは実際にあるんじゃないかな。じゃあ、リアリティのあるストーリーなのかな?というと、残念ながらそうではない。いや、設定はリアルだと思うのだが、シナリオの端々がちょっと変なのだ。
スピルバーグ&トム・ハンクスなのに、まったくの無冠なのだが、シナリオが色々すっきりしないからだろうね。
クラコージア語の通訳がいない→自分でお勉強。なのに、ロシア人拘束→隣国だからクラコージア人は会話できる。
じゃあ、ロシア語の通訳がいれば簡単に事情説明できただろ。ロシア語話せるやつなんかたくさんいるだろ。ロシア圏からくる旅行者やキャビンアテンダントだってたくさんいるだろうし。
ニュースで取り上げられているほどだったら、そんな国から来た人が空港で足止めを食ってることがわかったら、取材にくらい来ると思うんだけどね。
入管窓口の女性にアプローチし続けるくだり。顔も知らない状態なのに、いきなり結婚するのはいくらなんでも不自然でしょ。
最終目的はジャズバーに赴いて、とあるミュージシャンのサインをもらうこと。別にナボルスキーが絶対そこに行かなければいけない理由はないわけだ。ナボルスキーの父親だって文通で集めたんだし。
仮に赴くこよに心を決めていたとして、それは良しとしよう。でも、空港の仲間に事情を話しておけば、前もってコンタクトを取るなりしてもらえるよね。なんなら、空港にだってきてもらえるかもしれない。いやいや、アメリアさんよ、特別ビザ発給に手をつくすのもいいけど、サインもらいにいけばいいじゃねえか。
それに、ナボルスキー自身、目的に対する強い意志はあるのに、お願いすることも思いつかないという不自然さ。
ナボルスキーにいじわるをする空港職員の男だが、いじわるをしなければいけない理由がピンとこない。国境警備隊などに引き渡したりすると、自分の管理能力が問われるから????国がクーデターにあって無国籍状態の人間を空港に何日も足止めしていることが知れたら、国際問題になって、自分の管理能力がどうのこうのというレベルではすまないと思うのだが。
また、特別ビザが発行されているのに、サインしない理由も不明。特段の理由もないのに、大使館が発給しているビザにサインしなかったことを後に糾弾されたら、せっかく昇進した地位もかえって危うくなるじゃないか。
そしてニューヨークに向かうナボルスキーを応援する職員のみんな。おい、一人や二人、車で出勤してる奴いないのかよ。タクシーで行かせるなよ。上司に逆らってまで応援してるくせに、誰一人仕事をサボりやしねえ。エセ友情じゃねえか。冷たいやつら。
このような「もっとどうにかなるでしょ…」という引っかかりが、ず~~~~っと付きまとう作品。大作のように見えるが凡作中の凡作。
空港なんか全部セットなんだそうだ。気合入ってるのにね。何か、すごくもったいなく感じる。
負けるな日本
公開年:2007年
公開国:フランス
時 間:125分
監 督:オリヴィエ・マルシャル
出 演:ダニエル・オートゥイユ、オリヴィア・ボナミー、カトリーヌ・マルシャル、フランシス・ルノー、ジェラール・ラロシュ、フィリップ・ナオン、ムーサ・マースクリ 他
自分の過失によって娘を失い、妻は病院で寝たきり状態にしてしまったシュナイデル刑事は、酒に溺れた生活をおくり、終にはバスジャック騒動までおこしてしまう。過去の功績のおかげで免職は逃れるが、引き換えに、自分が追いかけていた連続猟奇殺人の捜査からは外されてしまう。どうしても自分の手で解決したいシュナイデルは、独断で捜査を継続する。一方、25年前に両親を目の前で殺され、未だにトラウマを抱える女性ジュスティーヌは、終身刑になった犯人が仮出所するという噂を聞き苦悩。当時、犯人を逮捕したのがシュナイデルであることを知り、彼に話を聞こうと接触を試みる…というストーリー。
同監督による『あるいは裏切りという名の犬』と同じく、野良犬のように堕ちていく刑事が、泥くさく事件を追っていく…みたいな感じかと思い観てみたのだが、微妙に違った。
本作は元刑事というキャリアをもつ監督が、実在の事件に基づいて作ったということらしいのだが、実話ベースのくせにまったくもってリアリティが感じられない。事実は小説より奇なり…とか、そういうレベルじゃなく、お世辞でも薦められないレベル。とにかく、シナリオがとっちらかっているとしか言いようが無い。
連続殺人事件を追う話と刑務所に入っている猟奇殺人鬼が出所する話が、なんらかの形でリンクするんだろうと予測していたのだが、基本的に無関係。こういう展開がダメとはいわないが、普通は事件の上で何らかの関係があると思うのでは?この肩透かしがピンとこない一番の理由。
同時進行させる意味があまり無いし、実際におもしろさに繋がっていない。この二つが無関係なんて、許されるのだろうか。こんなことなら、お偉いさんの息子が犯人だった流れだけを膨らませて、サイコサスペンスに徹すればよかったのに。警察上部の隠蔽工作とかの話もあるわけだし、いくらでも膨らませようはあったっだろう。
フランス映画のノリなんてこんな感じだよ…といわれてしまえばそうなのかもしれないが、何でジュスティーヌがシュナイデルに話を聞こう思ったのか、振り返るとよくわからん。当時の刑事に話を聞いたところで、その犯人が更正したかどうかの判断なんかつかないだろうに。
また、自分の行動が招いてしまった取り返しの付かない行為を悔やんでいるのは判るが、心が病んでいるということを表現するために、バスジャックをしてしまうという演出は必要だろうか。つらい経験に耐え切れない男を表現したいだけなのに、ちょっとオーバーで不必要な演出だと思う。
自分が捜査に加われなくても、独自に調べて情報を流すことはできるし、上部がもみ消そうとしても証拠を集めてマスコミにリークするなり、方法はいくらでもありそう。それが思いつかないだけならいざしらず、打つ手打つ手がすべて短絡的。その無念さを警察組織にぶつけているのが、理不尽にすら見えるし、同僚(上司?)の刑事を悪役にするのも、稚拙で都合によい設定に感じる。知恵というものを発揮して難局を乗りる場面があまり見られず、ただ狂ったように荒くれるだけでは、共感のしようもない。
『あるいは裏切りという名の犬』では、脱法していても理があるように見えるから主人公への共感が可能なのだが、本作の主人公は、ただ自分が捜査したいからやってるだけに見える。
ラストに向かうにつれ、観ている側と主人公の距離が離れ、最後は完全に冷めていくという…。日本未公開なのもさもありなん。お薦めしない。
負けるな日本
公開年:2011年
公開国:日本
時 間:141分
監 督:佐藤信介
出 演:二宮和也、松山ケンイチ、吉高由里子、本郷奏多、夏菜、千阪健介、白石隼也、緑友利恵、玄覺悠子、若葉竜也、阪田マサノブ、越村友一、橋本まつり、水沢奈子、奥瀬繁、平野靖幸、大石将史、神威杏次、戸田菜穂、小松利昌、池上幸平、落合モトキ、小林一英、市川千恵子、春名柊夜、Merii、古澤裕介、土平ドンペイ、長江英和、柴田愛之助、綾野剛、伊藤歩、田口トモロヲ、山田孝之 他
ガンツに命じられるまま星人との戦いに身を投じた玄野と加藤。解放されることを目指し得点を重ねていたが、戦いの中で加藤は死んでしまう。100点に到達すると人間を再生させること知り、加藤を生き返らせるために玄野は懸命に戦い続けるのだった。しかし、順調に点数を重ねる玄野前に、過去に100点を取りガンツを卒業していたメンバーが再び呼び寄せられたり、何故か加藤が復活するなど、不可解なことが続く。そして、彼らの前に最強の星人が出現すると、ガンツの様子に異変が生じる。そんなガンツが次のターゲットに選んだのは、星人ではなく玄野のことを想い続ける多恵だった…というストーリー。
一作目からの補足率は高いと思う。ほとんどの人が二作目に流れたと思う。いい謎の残し方だったし、期待のさせ方だった。原作がどういう展開なのか知らないのだが、星人側が反撃にくるという流れは、自然な流れだし、不自然さは無い。むしろ前回よりもテンポはよくなっているし、人間アクションという点では向上していると思う。
吉高由里子は、なにか腹黒さがにじみ出ているように見えて、あまり好きな女優ではないのだが、本作は必要以上なかわいさを必要としていない役なのでマッチしていたと思う。唯一キャスティングでトホホだったのは、有名タレント鮎川映莉子役の伊藤歩。残念ながら有名芸能人のオーラが出ていない。キャスティングの問題はそのくらいでしょう。近年の日本のSF映画としては、珠玉のデキだと思う。しかし…。
あえて文句を言わなければいけないようなデキではないのだが、ただ、わざわざタイトルに“PERFECT ANSWER”とまで冠しているくせに、その完璧な答えとやらがちっとも完璧じゃない点だけは、指摘させてもらう。
自分なら絶対忌避するオチだったと思う。
だって、対星人抗争を“させていた”のは、だれの意思だったのか?というところを想像すると変な感じになるでしょ。GANTZ玉自体の意思なのか、中の玉男の意思なのか。玄野が玉男になったら、争いが無くなった…ということは、中の人の意思でGANTZの力が使われているということになるよね。つまり中の玉男の心が邪悪だったから、こうなった…と。
でも、玄野が玉男になることを決意したらGANTZ玉はお礼を言っていたぞ。中のハゲの玉男の意思で動いているなら、なんで感謝するのだ?おかしいじゃないか。あれはどう解釈しても、GANTZ玉自体の意思だろ。要するに人間を生体エネルギーとして必要としているけど、ハゲが死にそうだから、代わりになってくれるなんてどうもありがとう。そういうことだろ。
なによ、じゃあGANTZ玉ってのはタダ人間を取り込んで活動を維持できりゃそれで満足だってこと?じゃあ、存在意義は何よ?目的は何よ?わけわかんないよね。
で、そのGANTZの能力をもってすれば、すべてが無かったことにできるわけ?すべてのこの事件で死んだ人も生き返って、破壊されたものまで元に戻って。じゃあ、多分、死んだ星人なんかも元に戻って、その星で楽しく暮らしてるんだろうね…。そして、スケッチブックの絵とか電光掲示板とかそういうのだけは、元に戻さない…そんなこともできるんだ…って、その万能っぷりに何かヒいちゃうわ。
まあ、私が薦めなくても、一作目を観た人は観るんでしょう。最後だけがすっきりしないけど、充分満足に足るレベル。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:107分
監 督:柴田一成
出 演:石田卓也、吉永淳、三浦翔平、蕨野友也、内野謙太、草野イニ、山崎将平、霧島れいか、田中伸一、滝裕次郎、片山依利、松澤仁晶、和田三四郎、滝藤賢一、中村育二、渡辺奈緒子、永島敏行 他
コピー:全国の“佐藤さん”まだ終わっていませんでした──新たなる鬼ごっこ、始まります。
佐藤姓の人の連続怪死の原因は、パラレルワールドで行われていた全国の佐藤さん強制参加による殺人ゲーム“リアル鬼ごっこ”。このパラレルワールドの“王様”を倒し、危機を脱した佐藤翼だったが、別のパラレルワールドに飛ばされてしまう。その世界でも、謎の独裁者“将軍”によって全国の佐藤さんは迫害を受けていた。翼は、妹の愛や幼なじみの洋たち仲間と共にレジスタンス活動を繰り広げていたが、残り少ない佐藤さんを殲滅するために、将軍は“リアル鬼ごっこ”を開始。逃げ回る中、翼は元々自分がいた世界に飛ばされてしまう。やっと戻れたとほっとしたのも束の間、“鬼”も一緒にスリップしてしまい…というストーリー。
だから、佐藤さんは殺されるのか、捕まえられるのか、どっちなんだ!肝心の説明がブレるブレる。ブラッシュアップしろ!惰性でちゃらんぽらんに作るんじゃない!。俺が監督なら怒るところだけどなぁ。そんな調子で前提が説明しきれていないから、前回観た人“しか”付いていけないはず。そのくせ、前回観た人には、鬱陶しい説明なんかが入ってたりして、中途半端なんだよなぁ…。
将軍が何で“佐藤さん”を迫害するのか…という根本がぼんやり。無理やりにでもそれなりの理由付けないといけないと思うのだが、それを放棄して何となくの理由(鈴木より佐藤が多いから)で片付けるのは、いけないと思うんだけど。
永島敏行だけキャスティングが浮いていて、すぐに黒幕だってわかるじゃないか。前回の柄本明と同じ轍を踏むんじゃないよ。
なんで、刑事だった人間が、自分の脳波で制御できる動物と人間のハイブリッドを作れるの?向こうの鈴木さんは元々研究者でそういう開発をしていて、それを引き継いだだけってこと?でも、それならこっちの世界に飛んできた鈴木さんは、その科学的な知識を駆使もせずにおとなしく刑事やってたんだ…。ありえないだろ。
足に刺さったバールを抜かずに曲げる…。曲げるギミックを入れたかったんだろうけど、それならもっと抜きにくいものが刺さってないとさ…。
液体にさわって自分もビビビビ…、金属を触って自分もビビビビ…。自分で止めることくらいできないと、色々行動に観準が生じるでしょ。
…と、こんなに文句の連続なんだけど、驚くことに決して面白くないわけじゃないんだよ、これが。正直、子供向けだけど、それなりにハラハラしながら観たよ。前作同様にアクションも悪くない。追い詰められ方やストーリーの進め方も悪くない。前回観た人なら、愉しめはする。レンタル料金100円くらなら充分なほど満足できる。
先に書いたように難点のオンパレードなのに、それなりに面白く観れたってことは、基本的に愉しい作品のハズなんだよ。これは細かいところの手を抜きすぎたんだな。手榴弾で自爆したあのシチュエーションで、どうやって生き残れるのか、まったく説明しようとしないのなんか、製作側の力の入れていなさを証明してるもの。始めからダメなものをダメにつくったならいざしらず、ものすごく面白くなる可能性を潰した罪は重い。重いよ。
もったいない作品。きちんとやれば、同じようにパート3だってありえたはず。ちょっとしたカルトシリーズとして展開できたかもしれないし、ビデオ作品やアニメへの展開もあったかもしれないのに、その可能性に微塵も気付かず、ダラダラ作ったその姿勢は万死に値するかも。
負けるな日本
公開年:1971年
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:デニス・ウィーヴァー、キャリー・ロフティン、エディ・ファイアストーン、ルー・フリッゼル、ルシル・ベンソン、ジャクリーン・スコット、アレクサンダー・ロックウッド 他
受 賞:【1973年/第1回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】グランプリ
コピー:40トンの殺人トラックに戦慄が走る!凄まじい迫力で追いまくられる車 500マイルのデッドヒート!かつてなき恐怖と衝撃の連続!
借金を返済してもらうために、知人のところへ車で向かうデヴィッド。その道中、ゆっくり走る1台のタンクローリーを追い越すと、そのタンク・ローリーはデヴィッドの車を煽り、追い越し、前方をふさぐ。頭にきたデヴィッドは再び追い抜き、再び抜かれないように大きく距離を開け、そのままガソリン・スタンドに入る。すると、さきほどのタンクローリーも同じスタンドに入ってきた。訝しく思いながらも、また車を走らせると、タンクローリーはまたしても執拗に煽ってきて…と言うストーリー。
カーチェイスをテーマにした作品は数あれど、なぜ追われるのか分からない不条理と心理的不安をミックスした、このテイストは他にはあるまい。悪い言い方をすれば、たった一個のアイデアを、とことん最後までしゃぶり尽くしただけ。ほんとに、単に乗用車とトラックのチェイスだけだからね。だけど、シンプルなのにこんなにおもしろいんだから、25歳のスピルバーグ恐るべし。
まあ、チェイスだけ…というのは語弊があるかな。ガソリンスタンドやスクールバスのやりとりで、どんどん追い詰められていく様子を表現するのは実に巧みだと思う。アングルの良さ、編集のウマさも、主人公の心理的不安を描く一助になっていて、しっかりと低予算をカバーしている。
結局、“敵”が誰なのか、目的は何なのかさっぱりわからない。普通ならモヤモヤするところだけど、ラストの開放感溢れる画はなんだろうね。何か隠喩があるんだろうな…とは思いつつも、どうでもよくなっちゃうくらいの爽快感がある。
日々、仕事に追われている私たちは、いつ、この爽快な風景が見られるのか。年金支給年齢がどんどん後退してきそうな気配に、定年の先にその風景があるとは思えず…(そういう隠喩なのか?いや、違うな(笑))。
まあ、とにかく低予算なのは観ればわかる。クリエイターは、まず世に出たいならば、限りなく低予算で作れる傑作を常に模索すべきなんだね。困難こそ宝。一流になりたければ、それが通過儀礼の第一関門ってことだ。逆にこれがクリアできなければ、商業芸術家は諦めたほうがいいんだわ。
飽きずに一気通貫で観れるけれど、なぜか89分以上、どっしりと観た印象も残る。傑作。未見なら是非お薦め。
#今だったら、すべて追いかけられてる主人公の妄想で、他の人にはトレーラーなんか見えてない…なんて展開になっちゃったりしてね。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:アン・フレッチャー
出 演:キャサリン・ハイグル、ジェームズ・マーズデン、エドワード・バーンズ、ジュディ・グリア、マリン・アッカーマン 他
コピー:「プラダを着た悪魔」のスタッフが贈るあなたの物語。
結婚式の人々の幸せな様子に魅せられているジェーンは、いまや花嫁付添い人のスペシャリスト。クローゼットには付添い人として着たドレスが27着も眠っている。しかし、彼女自身の恋愛については臆病で、上司のジョージに長く片思いしているが想いを告げられずにいる。そんなある日、わがままな妹テスが実家のNYに帰ってくる。テスとであったジョージは彼女に一目惚れしてしまい、あっというまに結婚することに。ジェーンはショックを隠して2人の結婚準備に奔走する。一方、地元新聞社で結婚式欄を担当しているライターのケビンは、花嫁付添い人を繰り返すジェーンに興味を持ち、取材を申し込むのだったが…というストーリー。
ブライドメイドとか兄弟プログラムとか、アメリカにある制度はよくわかんねーなぁ…と思う。じゃあ、全然共感できないのか?というとそんなことはない。他者が喜んでくれることが自分の喜びっていうジェーンの感覚は、日本人の職業観に近いと思う。それに頼まれたら、“NO”なんてはっきりは言えないでしょ。シンパシーを感じる日本人は多いと思うし、男性でもこのジェーンに共感できると思う。
人の結婚式の手伝いばかりしていて自分の人生は?っていう、ありきたりなプロットなんだけど、他人が喜んでくれるのがうれしいと思う気持ちと、自分が奥手なのは、別にトレード・オフじゃないだろう(リア充だけどブライドメイドをするのも大好きてのもありえるでしょ)。だから、途中でケビンが指摘したような、他人の喜びを自分の喜びの代償にしている…みたいな指摘はたぶん的外れなのだよ。
じゃあ、そんな的外れなのになぜおもしろいのか?内に秘めるタイプの女性が、アバズレな妹に好きな人をとられちゃって、これてどうなっちゃうのよって部分。そこだけで、充分おもしろい。
だから、意外とジェーンとケビンとの恋愛模様は、オマケかな。捻った展開もあって工夫がみられたので、ここはジェーンとケビンがあえて簡単にくっつかないという流れもありかな…なんて思ったくらい(さすがにそれはなかったけど)。
でも、最後、テスとジョージの展開にも救いがあったし、たいして重要じゃないと思ってた“27”にもしっかり意味を持たせてくれたところは、ベタだったけど正直ゾワっときたよ。おさまり具合のいいラストだった。サラッとスッキリ見せてくれる、心地のよいラブコメとして仕上がっている。昨日に続き、男性もOKなラブコメ。良作だね。軽くお薦め。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:マーク・ローレンス
出 演:ヒュー・グラント、サラ・ジェシカ・パーカー、サム・エリオット、メアリー・スティーンバージェン、エリザベス・モス、マイケル・ケリー、ウィルフォード・ブリムリー、セス・ギリアム、ケヴィン・ブラウン、スティーヴン・ボイヤー、シャロン・ウィルキンス、キム・ショウ 他
ノミネート:【2009年/第30回ラジー賞】ワースト主演女優賞(サラ・ジェシカ・パーカー)
コピー:「浮気したけど、妻が好き」そんなのアリですか?
弁護士ポールと不動産会社社長メリルのモーガン夫妻は、各々が雑誌の表紙を飾るほどの有名人で、理想のセレブカップルとしてニューヨーク中から注目を浴びていた。しかし、ポールの浮気が原因で、現在は別居中。なんとかメリルの気持ちを取り戻そうと躍起になるポールだったが、メリルはつれない態度を取り続ける。なんとかレストランでの食事をすることができたものの、その帰り道、二人は殺人現場を目撃。犯人に顔を見られてしまい、殺し屋から狙われるハメに。警察は二人に証人保護プログラム適用し、身分を隠してワイオミングへ移送するが、そこはとんでもないド田舎で…というストーリー。
アメリカ国内では評判がよろしくなかったらしい。確かに、タイトルもキャスティングもありがちなラブコメ然としてるし、私もまったく期待していなかった。しかし、ハードルが下がりきっていたせいかもしれないが、かなり愉しんだぞ。
冒頭の別居云々、ヨリを戻す云々のくだりははっきりいって陳腐だったが、いきなりの殺人現場目撃に証人保護プログラムという馬鹿馬鹿しい展開は、良い意味で“くだらない”。
サラ・ジェシカ・パーカーに『セックス・アンド・ザ・シティ』に通じる何かを求めて本作を観たなら、それはちょっと違う…と感じてしまうのかもしれない。でも、ヒュー・グラントの格好の良さも劣化しまくっていて完全にコメディ側に倒れちゃってるし、サラ・ジェシカ・パーカーだって単なるヒステリックで凝り固まった頭のヴィーガンの役。先入観を捨てれば、それなりにコメディ俳優に徹していて好感が持てる。
ラジー賞ワースト主演女優賞にノミネートされてるけど、私は他の作品の彼女よりよいデキだと思う。少なくとも『セックス・アンド・ザ・シティ』の彼女よりはいいと思う。
田舎のライフスタイルにに四苦八苦する様子をコメディ調に見せたかったんだろうけど、ワイオミングの大自然の美しさや“いい人”たちに癒されてしまい、そっちの方を楽しんでしまった。下卑た笑いじゃなくってほっこりした笑いという、予期せぬ方向性に。いい副産物ってかんじかな。
プロテスタントの共和党員に、アメリカン・アイドルを目指す少女。リアルなアメリカのド田舎ってあんな感じなんだと思う。特に、サム・エリオットとメアリー・スティーンバージェンの保安官夫婦がとてもいい味。その他のワイオミングの人たちも適度に田舎者で適度にいい人。
ベタベタなストーリーだし、ベタベタなキャスティング。だけど、ラブコメと殺し屋をこういう風に絡めたのって、案外ほかには無いかもしれない。ちょっと新鮮かも。
メリルが別の男と寝ていたことが判明した後のポールの反応。男なら「わかるわ~」って感じで、男性でも愉しめるライトなラブコメだね。お薦めしたい。
負けるな日本
公開年:1979年
公開国:西ドイツ、フランス
時 間:142分
監 督:フォルカー・シュレンドルフ
出 演:ダーヴィット・ベネント、マリオ・アドルフ、アンゲラ・ヴィンクラー、ハインツ・ベネント、ダニエル・オルブリフスキー、シャルル・アズナヴール、アンドレア・フェレオル、カタリナ・タルバッハ、マリエラ・オリヴェリ 他
受 賞:【1979年/第52回アカデミー賞】外国語映画賞
【1979年/第32回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(フォルカー・シュレンドルフ)
【1980年/第6回LA批評家協会賞】外国映画賞
【1981年/第5回日本アカデミー賞】外国作品賞
【1981年/第24回ブルーリボン賞】外国作品賞
1899年。農地で芋を焼いていたアンナは、逃走中の放火魔の男をスカートの中に匿い、それが縁で彼との間に娘アグネスが生まれる。その後、第一次大戦が終り、成長したアグネスはドイツ人のアルフレート・マツェラートと結婚するが、従兄のポーランド人ヤンと愛し合いオスカルを生む。オスカルは、3歳の誕生日に母からブリキの太鼓をプレゼントされるが、この日の大人たちの振る舞いを嫌悪し、その日から肉体の成長を拒み、自ら地下室の階段を脱落し成長を止める…というストーリー。
むむ…、この居心地の悪さ。
哲学的な隠喩が潜んでいるのかな…ということは感じさせてくれるが、一回観ただけでそれを掴むのは、私には難しかった。消化しきれない。それを阻んでいるのは、ただようグロさというかエグさ。原作の段階でもいくらか孕んではいたのだろうが、監督のビジュアルセンスがそれを増幅させている印象。
ただ、そのグロさっていうのも単純なものではなく、子供ゆえのグロさと、大人の世界にあたりまえに存在するグロさが入り混じっている。子供にとって大人の不潔さは耐え難いし、大人にとって子供のグロさは忌避すべきもの。さらにそれとは別の流れで、“社会”の不潔さというグロさもある。それら不潔な何本かの河が、渦をまいて合流しているような映画。
随所でみられるエロチックさ皆無のセックス描写が、ますますグロさを強調している。オスカルの口についた毛を取る描写とか、そういうところに細やかさを発揮するこの監督とは、感覚の地平が異なるな…と思わざるを得ない。
子供のままでいることで、社会や歴史や大人というものを客観的に見る…、そんな狂言回しを演じているという単純なものでもなさそう。かといって、ポーランド侵攻を中心とした歴史を通じて、ナチスの所業を糾弾したいわけでもないだろうし、ポーランド人の苦悩を伝えたいわけでもなさそう(原作はそっち寄りの話かもしれないけど)。
様々な受賞をしているが、その評価ポイントは、成長しないとか声でガラスを割るという本作の特徴的なギミックとは無関係な気もする。それどころか、タイトルである“ブリキの太鼓”にすら必要性を感じなかったりして、不条理極まりない。油断して観ていると単なるモラトリアムな表現で煙に巻いているようにも感じるけれど、やはり何かがあるという感覚を払拭できない。
でも、通ぶって、感慨深いだの痺れるだのとは言いたくない。むむ…、すごい嵐に巻き込まれた感覚だけど、整理できない、とりあえず落ち着こう…そんな心持ち。もう一回観てからじゃないと、評価はむずかしいかな。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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