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公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:117分
監 督:マシュー・ヴォーン
出 演:アーロン・ジョンソン、クリストファー・ミンツ=プラッセ、マーク・ストロング、クロエ・グレース・モレッツ、ニコラス・ケイジ、ギャレット・M・ブラウン、クラーク・デューク、エヴァン・ピーターズ、デボラ・トゥイス、リンジー・フォンセカ、ソフィー・ウー、エリザベス・マクガヴァン、ステュー・ライリー、マイケル・リスポリ、ランダル・バティンコフ、デクスター・フレッチャー、ヤンシー・バトラー、オマリ・ハードウィック、ザンダー・バークレイ、クレイグ・ファーガソン 他
ノミネート:【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】若手俳優賞(クロエ・グレース・モレッツ)、アクション映画賞
コピー:正義の心で悪をKILL
特殊能力ゼロ、モテ度ゼロ、体力微妙──なりきりヒーローが世界を救う
アメコミ好きの高校生デイヴは、“なぜ、みんなヒーローになろうとしないのか?”と思いつき、インターネットで手に入れたコスチュームを着て、ヒーロー“キック・アス”として街に出る。とはいえ、何の能力もないタダの高校生の彼は、最初のパトロールでチンピラに瀕死の重傷を負わされてしまう。おかげで、全身の骨に金属のプレートが入れられ、神経にも障碍が残り痛みに鈍感な体になってしまう。懲りない彼は、痛みを感じないのをこれ幸いと、トレーニングを重ねパトロールを再開。リンチを受けている人を助けると、野次馬がその様子を動画サイトにアップしたことで、キック・アスの名はたちまち知れ渡ることに…というストーリー。
ヒーローコミックが好きなんだろう。それはヒシヒシと伝わってくる。神経が麻痺してるギミックは『ダークマン』と同じだし、その他色々なヒーロー物ありきというかリスペクトというか、愛情で溢れていると思う。
はっきりいってしまえば、私が求めていたヒーローアクション映画とはコレ。今の仮面ライダーは“改造人間”という設定すら使わないし、敵側も無慈悲に人を殺したりはしない。太古の神話しかり、ヒーロー物というのは、ある意味、子供の心にトラウマを残すくらいじゃなくてはいけないと私は思う。昔の敵の怪人・怪獣の描写はグロかったりエグかったりしたものだ。子供への配慮という名目のくだらない予定調和なんかにはウンザリしていた。ヒーロー側が悪を憎んだとしても完璧な聖人君主でいられるわけがないし、私怨に溺れてしまうことのほうがかえってリアル。現代のリアルヒーローとは何かを、真剣に考えたらこういう設定になると思う(仮面ライダーV3だって家族の敵討ちだぜ)。
この予定調和の壊しっぷりは、昔、週間少年ジャンプで“ウイングマン”の連載が始まったときのインパクトを思い出したなぁ。
なんといっても、監督のマシュー・ヴォーンは、どこの製作会社からも、子供の暴力等々の過激描写を抑えるように要求されたため、自分で制作費を調達して自主映画として本作を製作したという。その心意気だけでも驚きだけど、そこまで私が欲している要素を譲れないマスト条件と考えてくれたことに、強い共感とリスペクトを感じる(この監督の未来に幸あれと祈る)。
加えて、完全に主役を喰ってしまったクロエ・グレース・モレッツの存在が秀逸(『(500)日のサマー』に出てたっていうんだけど、記憶になかったので観返してしまった。主人公の妹役ね)。そのキュートさが、この狂気の世界の屋台骨を支えているといってもよい。とにかくヒットガールの登場するシーンにはシビれっぱなし。
残念なのは、ニコラス・ケイジ。けっこう、こういうコミックヒーローテイストの作品に関わるけど、今回も、バットマン風の衣装にしたいと要求したとか(TSUTAYAの宣伝を読む限り)。この映画のイマイチなところは、そのバットマン風衣装が浮いている点だけ(そうするなら、せめてバットマン風にする意味をしっかりと作って欲しかった)。彼が死ぬほどヒーローコミックが好きなのは有名だけど、この人ほど好きこそものの上手なれって言葉から遠いのもめずらしい(『ゴーストライダー』の時も、なんかズレてたんだよね)。今後は余計な口出ししないで、製作側にお任せして欲しい。
普通のアクション映画と同列に観ている人には、つまらなく思たかもしれないだろうけど、私の中では、『X-MEN』も『スパイダーマン』も軽く超えた最高の作品。強くお薦めする。とはいえ、女性の心に響くかは、甚だ疑問だったりする(どうなんだろ)。
#日本でコレをつくると、多分、主人公に多かれ少なかれなんらかの超能力を持たせてしまったと思う。生身で勝負して違和感がないのは、銃社会、バイオレンス社会のアメリカがベースだからかも(アメリカにはこんな感じで、自前でヒーローやってる人が本当にいるらしいし)。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:フィル・ロード、クリストファー・ミラー
出 演:ビル・ヘイダー、アンナ・ファリス、ブルース・キャンベル、ミスター・T、ジェームズ・カーン、アンディ・サムバーグ、ニール・パトリック・ハリス、ボビー・J・トンプソン、ベンジャミン・ブラット、ウィル・フォーテ、ラレイン・ニューマン 他
ノミネート:【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】アニメーション作品賞
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】長編アニメ賞
コピー:おなかがすいてもだいじょうぶ 食べたいものは、みーんな空からふってくる。
イワシばかり食べている貧しい町スワロー・フォールズに住む青年フリント・ロックウッド。偉大な発明家を夢見ていたが、役に立たないおかしなものばかり発明しているので、町の人たちから迷惑がられている。ある日、貧しい町を救うため、水を食べ物に変えるマシーンを発明するが、ちょっとしたトラブルで実験装置を空に飛ばしてしまう。飛ばしはしてしまったが、装置は正しく動作しており、雨雲からチーズバーガーが降ってきて、町の人々は大喜び。フリントは一躍ヒーローに祭り上げられるが、次第に天候が悪化。降ってくる食べ物はどんどん巨大化し…というストーリー。
食べ物をぞんざいに扱っている気がして、少し背徳感が漂うのは日本人のもったいない精神ゆえか(地面に落ちた物を食べるのも、なんか抵抗あるなぁ)。それに、この異常気象の影響は北半球のみで、アフリカの食糧危機は救わないという、ある意味都合の良い設定もね…。ファンタジーにしてはいささか生々しさを感じなくはないけれど、元は絵本みたいなので、そんなことは気にせずにサラっと観るのが正しいんだろう。
『アルマゲドン』とか天変地異系のパニックムービーのパロディと思しき演出が多々で、非常に愉しい。悪ノリの程度もほどよい。そして、予想外にもヒロインのサムがかなり魅力的。普段はシュっとしていながら、実はちょっぴりユニークな人で、化粧をとるとキュート。案外、男の人は結婚したり付き合ったりした後は、化粧なんかしない方が好きだったりするからね。いいラインのキャラをつくったと思う。
なんといっても、本作が秀逸なのは、あらゆる伏線にしっかりケリをつけていること。前半に登場するタダの小ネタ(翻訳機やらスプレー・シューズまで)だと思っていた部分も、しっかり最後には繋がっていた。一つの軸である父子関係の部分が弱かったり、町名変更の件がわかりにくかったり(“チュー・アンド・スワロー”噛む&飲むの意)と、途中からグダグダにかりかけるんだけど、「おお、そうくるか」って感じで、なんとか持ち堪えた。
トータル的にバランスが整っていて小気味良い作品。充分大人の鑑賞にも耐えると思う。軽くお薦め。
#パワーパフガールズっぽいビジュアルセンスも好みかも。
公開年:2002年
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:133分
監 督:シェカール・カプール
出 演:ヒース・レジャー、ウェス・ベントリー、ケイト・ハドソン、ジャイモン・フンスー、マイケル・シーン、ルパート・ペンリー=ジョーンズ、クリス・マーシャル、アレック・ウェック、ティム・ピゴット=スミス 他
コピー:この羽根に誓って、必ず君のもとへ。
1884年。世界の4分の1を支配下に収め、更なる領土拡大に邁進するイギリス。将軍を父に持つハリーは若きエリート仕官。親友のジャック達からの信頼も篤く、美しいエスネとも婚約を果たし、順調な人生を送っていた。ある日、氾濫鎮圧のためにスーダンへの派兵命令が下る。この戦争の意義に疑問を感じたハリーは苦悩の末に除隊すると、部隊の仲間たちから、臆病者を意味する白い羽根が送られ、失望したエスネも彼の元を去っていく。世間の人々から臆病者のレッテルを貼られたハリーは苦悩の日々を過ごすことになるのだが…というストーリー。
ズール戦争が舞台ということだが、その戦争は1884年にはすっかり終結しているのでは…。自分が戦争に行くことになるとは思わなかった…という旨のセリフがあったが、ズール戦争は1879年開始で、その前から不穏な関係がずっと続いていたので、戦争が有り得ないなんて思うのには何か違和感を感じる。もしかして別の戦争が舞台?
まあ、よくわからないが、史実的な部分を気にしなければ楽しめないわけではないから、無視することにする。
『エリザベス』の監督なので、期待したのだが非常に欠陥のある作品。私の理解力が低すぎるのかもしれないが、何?どういうこと?という部分が多すぎる。
一度は戦争を怖れて除隊までした主人公が、仲間が戦っている戦地に行くのだが、なんでいまさら行く気になったのか、説得力があるようで無い。私には、単に恥を雪ぎたいだけにしか見えなかった。軍隊を辞めたのも自分の都合、スーダンに行こうと思ったのも臆病者を思われることが堪えられないだけ。それでは、単なる思慮の浅い、自分勝手な男である。戦争の意義に疑問を感じ苦悩の末に除隊までした…という様子には到底見えないのである(親は将軍なのだから、除隊をするということは相当なことなのに)。
そして、かなり無理で危険な手段でアフリカに行こうとするのだが、そこまでやれるなら従軍しなかったことのほうが不自然に思える。そして、スーダンで何をしてるのか??一見、外部から援助しているように見えるけど、結局羽根を返したいわけで、「俺は臆病じゃないぜ!こうやって命がけでおまえらを助けてるだろ!」ってことを見せたいのだろうか。それでは、やっぱり自分勝手なだけだ。
アブーがなんで、そこまでハリーに義理を通すのかもわからない(神の思し召しっていうだけだと都合が良すぎ)。また、ハリーが敵に混ざって馬で向かってくるシーンは、どういう流れであそこに登場できたのか、いきさつがさっぱりわからない。唐突すぎる。とにかく、行動の経緯や理由が繋がっていないように感じらる部分が多々あり、消化不良の感が残る。
映画化になるくらいなので良い原作なのだろう。何度もリメイクされている作品らしいので、根本的には絶対おもしろい作品のはず。ちょっと過去の映画化作品を探して観てみたいと思う(“四枚の羽根”というやつらしい)。まあ、ヒース・レジャーの演技自体は悪くなくて、ところどころ引き込まれるところが無いわけではないが、及第点までは到達しなかった。お薦めしない。
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:102分
監 督:アンジェラ・ロビンソン
出 演:リンジー・ローハン、マイケル・キートン、マット・ディロン、ブレッキン・メイヤー、ジャスティン・ロング、シェリル・ハインズ、ジミ・シンプソン、ジル・リッチー、トーマス・レノン、ジェレミー・ロバーツ、E・E・ベル 他
コピー:彼の名は、ハービー。人の心を持った魔法のクルマ。愛するオーナーに幸せを運ぶ…。
レーシングチームを経営する一家で育ち、自分もいつかはレーサーになることを夢みたいたマギー。しかし、数年前に事故を起こして以来、レースに出場することを禁じられ、大学卒業後はTV局へ就職することが決まっていた。卒業式を終えた彼女は、父から車をプレゼントしてもらうことになり、訪れた廃車場でスクラップ寸前のワーゲンを見つける。ところが、マギーがそのワーゲンのエンジンをかけた途端、勝手に猛スピードで走り始め…というストーリー。
どうも昔から、アメリカでは“ハービー”シリーズというのがあるようだが、私はまったく知らない(懐かしいとかそういう感慨は一切なし)。
感情のある車が…というストーリーなんだだけど、映画としては『ベイブ』とか『レーシングストライプ』とかを同系統の話だと思う。ダメなペット(車ね)がイヤな奴に馬鹿にされちゃっうんだけど、仲間の協力と愛情を受けて、一生懸命、レースやらコンテストやらステージやらを健気にがんばるというプロット。アメリカの映画では多いパターン。
チームの仲間が一致団結してハービーをメンテしていくシーンとか、お約束展開のオンパレード。もちろん容易に展開の予想はついちゃうんだけど、テンポがいいので、先回りさせて興醒めさせるヒマを与えない。それにいろんなところで差し込まれるBGMも懐かしくて(というか洋楽に詳しくない人でも知ってる曲で)高揚する。
リンジー・ローハンのファンを対象にしたアイドル映画みたいな感じもするけど、吹替え音声の土屋アンナが予想外に良かったせいか、ぜんぜん許容範囲。ハスキーな感じで耳当たりが新しかったし、リンジー・ローハンの演技自体が学芸会チックな感じのためか、それほど声優スキルがなくても全然違和感がなかった(叫ぶシーンも多かったし)。これまで彼女が携わった映画の仕事の中で一番のデキなんじゃないかな。
私、車にはあんまり興味もなくてワクワクしない方なんだけど、それなりに楽しめた。アニメ版の『マッハGoGoGo』のスタッフが誰ひとり車の免許を持っておらず、逆に現実にはありえないダイナミックさを表現できた…というエピソードは有名だけれど、本作のハービーの動きもそんな感じ。逆にモータースポーツに興味のない人間のほうが愉しめるんだと思う。まあ、『カーズ』なんて映画もあったくらいで、ディズニーらしいっちゃあディズニーらしいってことかな。
ジャケットからして女の子向けと思われるかもしれないけど、案外男の子向け。そりゃあ1800円払って劇場で観た日にゃあ、頭にくるかもしれないけど、旧作レンタル料金なら余裕で満足できるレベル。気楽に陽気な時間を過ごすには最適な作品だと思う。まさかの軽くお薦め。
#ああ、今週は当たり映画ばっかりでラッキーだなぁ…。
公開年:2000年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:ラッセ・ハルストレ
出 演:ジュリエット・ビノシュ、ヴィクトワール・ティヴィソル、ジョニー・デップ、アルフレッド・モリナ、ヒュー・オコナー、レナ・オリン、ピーター・ストーメア、ジュディ・デンチ、キャリー=アン・モス、レスリー・キャロン、ジョン・ウッド 他
ノミネート:【2000年/第73回アカデミー賞】作品賞、主演女優賞(ジュリエット・ビノシュ)、助演女優賞(ジュディ・デンチ)、脚色賞(ロバート・ネルソン・ジェイコブス)、作曲賞(レイチェル・ポートマン)
【2000年/第58回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、女優賞[コメディ/ミュージカル](ジュリエット・ビノシュ)、助演女優賞(ジュディ・デンチ)、音楽賞(レイチェル・ポートマン)
【2000年/第54回英国アカデミー賞】助演女優賞(ジュディ・デンチ、レナ・オリン)、脚色賞(ロバート・ネルソン・ジェイコブス)、撮影賞(ロジャー・プラット)、プロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞
コピー:おいしい幸せ、召し上がれ
カトリックの因習が根付くフランス郊外の小さな村に、ある日突然、母娘がやってくる。母ヴィアンヌは空き店舗を借り、チョコレート・ショップを開店する。一切の娯楽を堕落と見なす村長は、チョコレート・ショップを良しとしなかったが、ヴィアンヌの作るチェコの魔法のような味わいに、村人たちは虜になってしまう。徐々にヴィアンヌに心を開く村人も現れ、村の雰囲気も和らぎはじめたのだが…というストーリー。
どうしてもチョコが食べたくなって、ムハムハ頬張りながら見た。吹き出物が出そう。
ハルストレム監督といえば、『ギルバート・グレイプ』『サイダーハウス・ルール』『シッピング・ニュース』と、イタかったりエグかったりする展開が多い。それに比べれば、本作は、病死する人こそあれど無碍に殺されたりレイプされたりする人は登場しなくて、それだけで、まるで童話のように思える。
革新者というか、まさに新しい風を吹かせる人間には、苦悩が付き物だ…という作品。風のように街から街へ渡り歩くDNA。その設定がおもしろくて、リアルとファンタジーの狭間をうまく演出していると思う。
カトリックをピンポイント攻撃してしまうとアレだけど、もっともらしいことを言って権力を振りかざすだけで、人に手を差し伸べる本質を忘れてしまった者が、どこの誰を救えるか!弊害しかないだろ!というメッセージを私は受け取った。それについてはいたく同意する。
なんてことのない普通の映画と評価する人も多いのだが、私はそうは思わない。人間のコミュニケーションの目的は、各々の心に変化がおこること。いまいちつまらないという人は、人が人と関わることによって引き起こされる内面の変化を、元々あまりおもしろいと感じない人かもしれない。ここまで、評価の差が生じるということは、素養の差が影響しているのだと思う。ある意味、人間の本質に響く作品なのかな…と。
本作に登場する様々な人の心がどう変化するか(またはしないのか)が一様ではないのが、またおもしろい。実は、観るのは二度目なのだが(10年近く前に観たので、ほぼ内容は忘れていた)、前回よりも味わい深く観ることができたと思う。それもこれも、観ている私の側に変化があったからだと思う。
本作は、先々まで観続けられる映画で、後年になればなるほど評価が上がっていくだろう。ジョニー・デップが浮いているとか、そういうところに目がいっているうちは、本作は愉しめないと思うので、そういう人は一旦観るのをやめて、4年後くらいに観直すといい。過去に観て低評価だった人に、もう一回観ることをあえてお薦め。
#唯一、フランスが舞台という点には違和感があるけどね。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:リチャード・ケリー
出 演:キャメロン・ディアス、ジェームズ・マースデン、フランク・ランジェラ、ジェームズ・レブホーン、ホームズ・オズボーン、ジリアン・ジェイコブス、セリア・ウェストン、デボラ・ラッシュ 他
コピー:あなたの人生史上、最高の実あなたなら、押しますか?
ボタンを押せば1億円、ただし見知らぬ誰かが死ぬ。決断の期限は24時間──
ある日の早朝、ヴァージニア州郊外に暮らすルイス家のドアの前に、ひとつの四角い箱が置かれる。箱を開けると、中には赤いボタンが付いた木箱が入っていた。その日の夕方、アーリントン・スチュワードと名乗る男が訪れ、あなたたちが赤いボタンを押せば、見知らぬ誰かが死ぬが現金100万ドルを手にすることができると告げる。決断の期限は24時間。荒唐無稽な話と思いつつも、経済的に追いつめられていた夫妻は、葛藤の末にボタンを押してしまう…というストーリー。
キャメロン・ディアス主演で“運命のボタン”なんてユル目のタイトルなので、軽めのシチュエーションサスペンスか?程度にしか思っておらず、全然期待していなかった。実際、はじめの方はそんな感じで展開していくのだが、次第に、サスペンスなのか、ホラーなのか、犯罪モノなのか、陰謀モノなのか、サイコスリラーなのか、心理サスペンスなのか、SFなのか、この作品自体いったい何なのかわからなくなっていく。いや、わからなくすることに腐心している。そういうところに軸を置いて展開しているのだ。
『ナイト&デイ』の時のトホホなくたびれ方とは違い、本作のキャメロン・ディアスは、その老い具合(二の腕のゆるゆる具合とか、疲れた顔)が、役柄に絶妙にマッチしている。でもそれも、観ている人を混乱させるための材料の一つだった。夫がNASA勤務であることもそう。ハンディキャッパーであることもそう。舞台が1976年であることもそう。
とはいえ、映画である以上どうしてもストーリーは集約されていくので、時間の経過に伴いどこかの方向に倒れていくのが判り興醒めしかける。しかし、そうなってくると今度は、“ビックリ効果音”作戦が始まる。注意報を発令しておく。私、電車の中で観ていたら、猛烈にビクっとしちゃって隣に立っていた女の人にぶつかっちゃったよ。心臓の悪い人は、本当に要注意(背中の筋肉が痛くなるほどビックリしたもの)。
そういう、一体どっちに転がるのか判らない…という演出は残り30分になっても続き、その遊園地のアトラクションばりの努力のおかげて、私はかなり愉しむことができた。
ネタバレなので、一応ふせる(OKな人は[ツヅキ ヲ ヨム] を押して)。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:128分
監 督:ジョン・リー・ハンコック
出 演:サンドラ・ブロック、クィントン・アーロン、ティム・マッグロウ、キャシー・ベイツ、リリー・コリンズ、ジェイ・ヘッド、レイ・マッキノン、キム・ディケンズ、キャサリン・ダイアー、アンディ・スタール、トム・ノウィッキ 他
受 賞:【2009年/第82回アカデミー賞】主演女優賞(サンドラ・ブロック)
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](サンドラ・ブロック)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(サンドラ・ブロック)
コピー:あなたの人生史上、最高の実話
飲食店チェーンを経営する夫と娘、息子と幸せに暮らしているリー・アン。ある真冬の夜、軽装で夜道を歩く巨漢の黒人少年に目を止め、声をかける。寝る場所がないというそのマイケルという少年を放っておけず、自宅へ彼を泊める。マイケルは小さいころに母親から引き離され、里親先を転々とするかわいそうな境遇だったという。はじめは憐れみの気持ちで接していたリー・アンだったが、マイケルの中に輝くものを感じた彼女は、家族としてマイケルを迎え入れ、住む場所と教育の機会を与えるのだった。さらに、大柄な体格に似合わず敏捷な肉体を持つマイケルは、次第にアメフトの才能を発揮しだし、有望選手として一躍注目を浴びるようになるのだが…というストーリー。
金銭的に満たされたならば、ああいうことがやりたい、こういうことがやりたいと色々思い浮かぶだろうが、このように“チャンスに恵まれない人に機会を与える”ということは、最高に夢のある行いだと思う。実に羨ましい。夢の映画である。
リー・アンの家族の行いを、白人が貧しい黒人に施しをするだけの自己満足だ、偽善だ、単なる道楽だなんていうヤツがいるようだが、そういう見方しかできない人は心の貧しい人だ。一人の人間を救うよりも、金銭に余裕があるならもっと救えばいいという意見もあるが、教育というのはそういうものではない。薄く広く施して救えてるんだか救えていないんだかわからないようなら0に等しいわけで(いけないというわけではないが、そういうのは政府にまかせておけばよい)、0か1かといわれれば一人の教育に力を傾けることが悪いわけがない(貧しい人はもっと他にもいるんだから一人だけを救うなんて…という意見のほうがよっぽど偽善である)。
とにかく、冒頭からぐっと惹き付けられる演出が続く。ものすごくウマい(『オールド・ルーキー』の監督ですな)。サンドラ・ブロックが登場してからは、そのグイグイはさらに加速。電車の中で観ていたのだけど、乗り過ごしてしまったよ。すっかり魅入られてしまった。このオスカー主演女優賞は、まったくもって納得できる。すばらしい。
南部の白人女性がみんなこんな感じだとは思わないし、ましてやこの一家が南部の裕福なクリスチャン家庭の代表例とも思わない。むしろこの懐の深さは例外的かと。実際にママ友たちは偏見の目で見るわけだが、それでも毅然とポリシーを貫き、アゴのくいっとあがったステキな“ママ”をしっかり演じてくれた。
他のキャスティングも穴がなくて、弟のSJもいい味を出しているし、家庭教師役のキャシー・ベイツや、ちょい役だけど教師陣も輝きを発揮している。
アメフトを扱った映画は色々あるが、戦術的な説明もさりげなくわかりやすくて、私、はじめてアメフトの醍醐味が判った気がする。
実話なんだだけど、アメフトは詳しくないし、この主人公は幸せにプロまでいくのかどうも知らなかった。でも、これが実話かどうかなんかどうでもいい。教育物語、スポーツ物語、少年の成長物語、家族の成長物語、サクセスストーリー、どの面をとっても高品質。心が色んなモノで満たされた一本(昨今のタイガーマスク運動なんかよりも)。今、映画ベスト30を作れといわれたら、間違いなく入れる作品。強くお薦めする。
#とにかく、ブッシュは共和党員からみてもバカ野郎なんだ!ってことで…。
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:85分
監 督:ジェームズ・C・ストラウス
出 演:ジョン・キューザック、シェラン・オキーフ、グレイシー・ベドナルジク、アレッサンドロ・ニヴォラ、マリサ・トメイ、メアリー・ケイ・プレイス 他 他
ノミネート: 【2007年/第65回ゴールデン・グローブ】音楽賞(クリント・イーストウッド)、歌曲賞(詞:キャロル・ベイヤー・セイガー、曲:クリント・イーストウッド“Grace Is Gone”)
【2007年/第13回放送映画批評家協会賞】音楽賞(クリント・イーストウッド)
コピー: 笑うとき 目覚めるとき 眠るとき 海を眺めるとき 必ずママを思い出します
イラクから突然届いた母の戦死。悲嘆に暮れる父親が、娘に真実を告げる時を迎える
シカゴのホームセンターで働くスタンレーは、妻グレイスと2歳の長女ハイディ、8歳の次女ドーンの四人家族だが、軍人である妻は現在イラクに出征中。しかし、妻グレイスの戦死の報が伝えられる。妻の死を受け止められないスタンレーは、どうしても2人の娘にその事実を伝えることができない。とりあえず外出しようと娘達を食事に連れ出すが、突然、かねてからドーンが行きたがっていたフロリダの遊園地を目指して家族旅行を始めてしまう…というストーリー。
家族を喪失する悲しさ、現実に向き合うことの恐怖、死を受け止めるだけでなく受け止めさせることへのとまどい。大人だって子供だって、人の死や人生の岐路の前では、同じような子羊だ。そのような、けっして人格的に成熟しているとは言いがたい父親をジョン・キューザックが好演している。
加えて反戦映画でもあり、それらが父娘のロードムービーとして展開される。いろいろな要素が重層的に織り成されており、ものすごくシンプルな内容のはずなんだけど、なかなか侮れない作品。あらすじだけ読んでものすごく重い内容を予測していたのだが、そうでもなかった点にも好感が持てる。
盛りだくさんなのは良いが、個々の要素があまり強く主張していないのも事実。特にこの反戦メッセージ部分がサラっとしている点を、踏み込みが甘いと捉えるか、両方をバランスよく描いたと感じるかで、印象は異なるだろう。
私も、受け止めるしかないツラさとか、政府批判が家族のアイデンティティ喪失に繋がってしまう矛盾とか、そういう反戦部分にもっと切り込んでもよいかな…と思いながらみていたのだが、かといってどちらかに倒してしまうと、絶妙な味のバランスが崩れてしまうような気もして判断にこまった。
まあ、丸投げしちゃうようで申し訳ないのだが、そのあたりの評価はそれぞれの判断におまかせということで(本当に人によって重きを置くポイントがかなり異なると思うので)。とりあえずお薦め。及第点越えは保証する。
#最後の無音状態は、ベタベタな演出ながら効果抜群で、『秋深き』のスタッフ陣の首根っこを掴んで見せたい気分になった。
公開年:1984年
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:アルバート・マグノーリ
出 演:プリンス、アポロニア・コテロ、モリス・デイ、オルガ・カルラトス、クラレンス・ウィリアムズ三世、ジェローム・ベントン、ビリー・スパーク、ウェンディ・メルヴォワン、リサ・コールマン、ザ・レヴォリューション 他
受 賞:【1984年/第57回アカデミー賞】音楽[編曲・歌曲]賞(プリンス)
ボーカルの“キッド”が率いるミネアポリスで人気のバンド『ザ・レヴォリューション』。最近勢いをつけてきたバンド『ザ・タイム』の影響で、メンバーと不協和音が聞こえ始めていた。加えて、家庭内の問題や恋人との関係など、彼を取り巻く環境はすべて悪化していったが、彼は自分の音楽のスタイルを変えようとはしなかった…というストーリー。
この映画のサントラ(?なのか、映画のほうがPVなのかよくわからんけど)は100回以上聞いてるのにに、本作をきちんと観るのは初めて。観たくなって探した時にはレンタルショップには無かったんだもの。
#ビートに抱かれて“"When Doves Cry”は、英語の歌詞をカタカナでノートに書き出して、唄ってた(懐)。後にも先にも外国人アーティストのコンサートにいったのはプリンスだけだなぁ。
あまり指摘する人はいないのだが、私は本作のカメラワークがものすごく秀逸だと思う。ゆっくりとしたズームアップやパーンがものすごく自然で、ライブ感をまったく邪魔していない。ライブ以外の場面でもすごく滑らかなカメラ移動で、奥行きのある空間が表現できており感心。
まあ、私がプリンス好きなのでバイアスが掛かっちゃってるには否めないんだけど、若者の悩み、家族との不和、仲間との確執を経て、最終的にハッピーエンドに向かうというシンプルなストーリーが、かえって心地好いと思う。プリンスの体格の小ささや華奢さも、主人公の不安定な心模様ににマッチしていて、うまくいっていると思う。
ロックに興味のない人には苦痛かもしれないけど、単なる、アーチストのミュージック映画以上の物があると思うので、軽くお薦め。
#ただ、歌詞の日本語訳はしっくりこない(というかダサい)ので、ピンとこなくても軽く流そうね。
続編の『グラフィティ・ブリッジ』は日本では未公開で観たこと無いし、レンタルショップで観たこともない(サントラはバッチリもってるんだけどなあ)。BSとかで放送してくれないかなあ。
#全員のギターにシールドがささっていないし、ワイヤレスでもない…ってのはご愛嬌なのかな…(いくらステージの動きを邪魔するからってねえ)。
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:96分
監 督:高橋玄
出 演:本郷奏多、高梨臨、松尾敏伸、柳生みゆ、山中聡、鳥肌実、夏生ゆうな、中田圭、二階堂智、奥田恵梨華、長塚圭史 他
コピー:君が死にたくなったときは、きっと僕が殺してあげるよ。
日頃は模範的な高校生でありながら、その内面では猟奇的な犯罪に異常なまでに興味を示している神山樹。クラスメイトの森野夜は、そんな神山の二面性を見抜き近づいていく。周囲との関わりを避けていた森野だったが、神山に共鳴しいていき、次第に心を許すようになる。やがて二人は、巷を騒がせている連続猟奇殺人事件に興味を抱き、赴くままに事件の真相に迫っていく…というストーリー。
箸にも棒にも掛からない、お子様向け作品と片付けるのは簡単なんだけど、二つの大きな問題があるだけで、実は悪くない作品だと思う。ただ、二つの問題があまりに致命的すぎるんじゃないかと。
一つは、原作のノリを、映画制作陣がつかめていないらしい点。大ヒット作品らしいのだが、私は読んでいない(多分、今後も読まないと思うけど)。猟奇的な内容を扱うことなんていまどきめずらしくもなんともないし、高校生男女を軸に繰り広げられようがなんだろうが、大して新規性はない。でもヒットしているいうことは、こういうテーマを無駄な説明もせずにさらっと表現するような、独特のノリがある文調なんだと思う。悪い言い方かもしれないが、原作者の乙一という人は、ハードルを下げるのがうまいんだと思う。変に煽ったり、これからスゴイ話ははじまりますよー的なことを一切せずに、さらっと表現していくので、あまり手のこんだことをしなくても、効果的なんだと思う。若い人たちにとっては、それがリアリティに繋がっているんだろう。
しかし、本作の製作陣は、ヒット作の映画化ということもあって、表現に策を弄しすぎた。それもどちらかといえば小手先と言われても仕方ないくらい技巧に走ったと思う。どれだけさらっと淡々と表現できるかが、本作の勝負ポイントだったと思うのだが、皆さんはどう思われるか。
簡単にいえば、変に雰囲気をつくって身構えさせたためにインパクトが削がれ、観ている人に注視させる余裕を与えてしまうことに繋がり、あら捜しをさせる結果になったと思う。
もう一つの敗因は、本郷奏多という人の演技。はっきりいってしまうと、「自分は世に言う猟奇犯罪者たちと同じ性向をもった他者とは違う特別な人間なんだよぉ~」っと悦に入ってるだけの勘違いボウズにしか見えなかった。私は、最後になったら、知識だけのなりきり厨が本物と出会って、ヘタレっぷりを発揮しておしっこでも漏らしてくれるのかとおもったのだが、そのままのダークなキャラで終わってしまった(おまけに犯人と対峙する役回りまでになってしまった)。力不足という言葉は、ここで使わないでいつ使うんだと思うほどである。本当にこれはイカン(わたしが原作者なら怒るよ)。
このクソみたいな演技のせいで、神山はダークサイドにいっちゃうの?みたいなドキドキが半減どころか激減しちゃって…。
#まあ、この役は荷が重かったというだけで、役者としてすべてを否定するわけじゃないんだけど。
その他にも、神山も森野も指紋をベタベタ残しすぎだとか、もっと説明しないと姉妹が入れ替わったことにリアリティが無さすぎだとか、ビジュアル化する時には色々補完しなくちゃいけないことがわかっていないとか、シンケンピンク高梨臨のかわいさもいまいちピンとこないとか、とほほなポイントは多々あるんだけど。
多分、本作を観るくらいなら原作を読んだほうが楽しめるんだと思う。どうして『ミレニアム』のような作品にならないのか、日本映画というものにがっかりさせられる一本。
#リメイクされても、ハリウッドじゃ仰々しくなって味は出ないだろうな。
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:105分
監 督:池田敏春
出 演:八嶋智人、佐藤江梨子、赤井英和、渋谷天外、山田スミ子、和泉妃夏、鍋島浩、別府あゆみ、要冷蔵、芝本正、轟太郎、橋野香菜、海原はるか、海原かなた、佐藤浩市 他
コピー:女は男の一途さに惚れ、男は女の乳房に恋した──。可笑しくて、泣けて、心温まる“日本一純情”な恋物語。
マジメでおとなしい性格の中学教師・寺田は、酒も飲めないにもかかわらず、ホステスの一代を目当てに、大阪・北新地のクラブへ通い詰めていた。酒も飲めない寺田のお目当ては、ホステスの一代。両親からは強く見合いを勧められるが、一代を思うが故に、すべて断り続けていた。とうとう、寺田は心を決めてプロポーズを敢行すると、思いもよらず一代はあっさりと受け入れてくれる。早々に実家を出て、一代との生活を始める寺田。しかし、これまで女性と付き合ったことのない寺田は、一代の過去の男関係に想いを巡らせ、嫉妬をしてしまうのだった…というストーリー。
公開時から一代がどういう結末になるのかは、紹介されていたので判っており、普通に考えるとオチが見えている作品なんて観る必要なんかない…と考えてしまいそう。でも、もう明らかすぎるほどのベタベタなお涙頂戴ストーリーで、新規性の高い物語を見せたいわけじゃないのははっきりしている。むしろ、そりゃあ泣けるさぁ…ズルいわぁ…っていう、浪花節的な感じで勝負。泣かせてもらおうじゃありませんか!ってあえて踏み込んでみたくなるときも、こんな私にもありますわな。
とはいえ、『キューティーハニー』や『腑抜けども、悲しみの愛を見せろの佐藤江梨子の演技を考えると、トホホな内容になる可能性は高く、劇場公開はもとよりDVDレンタルすら今の今まで後回しになっていた。
実際に観てみると、佐藤江梨子の演技は全然問題なかった。むしろ、謎の多い嘘っぽいキャラクターが、その稚拙な演技にマッチしていて、キャスティングの妙って感じ。早々に弱りはじめて、気丈に振舞う役柄なので、さほど高度な演技も必要としていない。関西で生活していたこともあるので、大阪弁もさほど変ではない。この一番の懸念事項がクリアされたのだから、あとはどっぷり泣かせてもらいましょうや!
…と、そうなるハズだったが、全然、そうはならなかった。何故か。別のほかの役者の演技がダメだったわけではない。
実のところ、この話は正味60分程度で充分な内容なのだ。それでは劇場にかけられないので、色々加えて上映時間を長くしたものと思われる。その加えた部分が冗長で冗長で。一連の“競馬”の件が、あまりに無理がありすぎる。佐藤浩市と出会うのは許せるとしても、彼が本当に探していた男だというのは…。ひょんなことからそんな男と出会ってしまいました…ということだと思っていたのに。さらにその後、寺田に知られないように一代と接触していたってのも変な感じ。病床で連絡取り合っていたってことでしょ。それに自殺を防ぎたいならポリタンクを処分するか、ポリタンクがなければ別の手段をとるかもしれないとして中身を替えたとしても水でしょ。酢ってなんだよ(おもしろくもなんともない)。
色々な民間療法を試そうとするのは良しとしても、ツボ買うために借金を重ねたり、学校の金にまで手を出すのはやりすぎ。もう手術しないとアウトだって宣告された状況で、傍で看病しないなんてありえないでしょ。クレイジーすぎて何一つ共感できなくしてしまった。
それに、胸を残さないといけないと思うそこまでの動機付けが薄すぎる。どう考えてもあのシチュエーションなら手術するのが普通。一代が死んでしまったことよりも、手術すれば救えたかもしれないという後悔に苛まれてあたりまえだと思うし。最後は単にいなくなった喪失感で自殺しようとしただけにしか見えない。もう、人としての道をはずしてるんだもの。クレイジー。クレイジー。クレイジー。
泣けるか!
120%泣ける状態だったので、微塵も泣かせないとは、この監督の才能はものすごい。人情とか心の機微とか、根本的にわかってないのだと思う。二度と人間の感情が重要になる作品に携わってはいけない。こんなにハードルの低い期待すら裏切ってくれるなんて、もちろんお薦めするはずがない。
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:ダンカン・タッカー
出 演:フェリシティ・ハフマン、ケヴィン・ゼガーズ、フィオヌラ・フラナガン、エリザベス・ペーニャ、グレアム・グリーン、バート・ヤング、キャリー・プレストン、レイノール・シェイン、リチャード・ポー 他
受 賞:【2005年/第63回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](フェリシティ・ハフマン)
【2005年/第21回インディペンデント・スピリット賞】主演女優賞(フェリシティ・ハフマン)、新人脚本賞(ダンカン・タッカー)
【1999年/第5回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ヒラリー・スワンク)
コピー:スカートの下に何があるかより もっとだいじなこと。
若い頃から性同一性障害に悩んでいたスタンリーは、現在ロスでブリーという女性として生活を送っている。これまで何度か女性化手術を重ね、いよいよ最後の手術という時に、ニューヨークの拘置所から電話が掛かってくる。逮捕されているトビーという少年が、顔も知らない父親“スタンリー”を探しているという。トビーは、スタンリー時代に一度だけ女性と関係を持ったときに出来た子どもだったのだ。そんな子供がいることを知らなかったブリーだが、嫌々ながらも身元引受人になるべくニューヨークへと向かう…というストーリー。
性転換手術を控えている人のところに、自分も知らない息子が突然登場してきて、なんだかんだあって一緒に旅をすることになるロードムービー…ってさらっと説明されると、荒唐無稽なチョロいコメディかと思うかもしれない。おまけにダッサいDVDパッケージでピンとこないかもしれないが、良い意味ですっかり裏切ってくれた。
連続のトランスセクシュアル物。別に好んで選んでいるわけではない。たまたま。でも、昨日の『ボーイズ・ドント・クライ』にしろ『プリシラ』や『僕を葬る』にしろ、性別的にノーマルではないとされる登場人物は、どうして人間生活的にもノーマルでない感じで描かれねばならないのか。オカマであることを売りにしてみたり、まるで異常性欲者みたいだったり。自分の性に違和感があるだけで、それ以外は品行方正に暮らしている人がいていいんじゃないのか。そういうひっかかりがあるので、こういう作品をチョイスしてしまうのかも。
そういう意味では、本作はかなり求めていたものに近く、満足できたと思う。そうそう、こういう性同一性障害だけど普通に生活している映画。性同一性障害=性的に異常に奔放な人ではないからね。こういう作品があってしかるべきなのだ。
この主役のフェリシティ・ハフマンという人の演技がすごい。この俳優さんは、本当にそういう性転換をした人?男性俳優?なんて思わず確認してしまうほど、本当に男性かと思える場面も多々ある。昨日の『ボーイズ・ドント・クライ』におけるヒラリー・スワンクの演技の評価は差し控えたが、がんばったで賞という意味でも純粋な演技としてもフェリシティ・ハフマンの方が素晴らしいデキだと思う。いまいち受賞歴がないが、もっと評価されてよいかと。
全編に漂う、相手をおもんばかるが故に生じている心地よい空気感。完全に性転換した父親と、ポルノ男優の道を歩みはじめた息子…という状況が爽やかなわけがないのだが、これがなぜか爽やかだったりする。そう見えた私は、内面の自分を見て欲しいという彼らの願いが通じているということかな。
この手の作品では、今まで観た作品の中で一番といってかも。あえて強くお薦めしてみたい。
#ちなみに、コメディにカテゴライズされる場合があるけど、あまり笑わせようとしているとは思えないし、実際笑う場面はないと思う。本作をコメディだと思った人のセンスを疑うね。
公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:119分
監 督:キンバリー・ピアース
出 演:ヒラリー・スワンク、クロエ・セヴィニー、ピーター・サースガード、ブレンダン・セクストン・III、アリシア・ゴランソン、アリソン・フォーランド、ジャネッタ・アーネット、マット・マクグラス、ピーター・サースガード、ブレンダン・セクストン三世 他
受 賞:【1999年/第66回NY批評家協会賞】女優賞(ヒラリー・スワンク)
【1999年/第25回LA批評家協会賞】女優賞(ヒラリー・スワンク)、助演女優賞(クロエ・セヴィニー)
【1999年/第57回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ヒラリー・スワンク)
【1999年/第15回インディペンデント・スピリット賞】主演女優賞(ヒラリー・スワンク)、助演女優賞(クロエ・セヴィニー)
【1999年/第5回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ヒラリー・スワンク)
コピー:自分自身を 見い出すための 勇気を描いた 衝撃の実話。
1993年、ネブラスカ州リンカーン。性同一性障害の女性テーナは、男性の格好をしてブランドンと名乗り生活していたが、軽犯罪を重ねたため街にいられなくなり、フォールズ・シティという街に向かう。ブランドンは、そこのバーでラナという女性に出会い、すぐに恋に落ちる。その後、彼女だけで彼女の友人や家族に対しても男性と偽って付き合いを続けていたが、とある事件がきっかけとなり、秘密が明るみになってしまい…というストーリー。
性同一性障害という医学的な疾患をテーマにした作品としては、いささか不真面目な気がするなぁ…と思いながら観ていた。一見理解のあるラナの行動だけど、それは家族でもなんでもない距離感だからだろうし。こういう症状の人を家族に持ってしまった人の苦悩とか、そういうことを考えると理解してくれた人が見つかってよかったね…なんて手放しで喜べない。
#もちろん、ラナの母親の態度や、アホ二人の行動が肯定するつもりはない。
作品自体も、性同一性障害というものの存在とか苦悩に対する理解を深めさせたいのか、人の不寛容というものを表現するツールとして単に登場させただけのことなのか、意図が見えてこない。それに加えて、可愛そうな状況だってのはわかるんだけど、性同一性障害の部分を除いても共感できない主人公像。同様のことを『僕を葬る』のときにも言ったけど、バーで不特定の相手を物色することに執着するわ、犯罪を犯すことも厭わないは、性がどうのこうの以前の問題かと。そんなになっちゃったのも、性同一性障害について周囲の理解がないからだから、理解しろよ!と押し付けているのなら、それを受け止めることを私は拒否する。
それに、アホ二人の所業も、あまりにひどくて、こんなに不条理で救いがない展開にする意味があるのかよ!という気持ちになるほど(何故にその人まで死なねばならんか!?)。
どうも釈然としなかったんだけど、途中で確認したら実話ベースだった(ラストでわかるんだけど)。実際の事件がベースならしょうがない…(と、思うしかない)。セミドキュメントだとすれば大変デキは良い作品だろう。ズドーンとみぞおちに衝撃をくらった感じはする。でも、フィクションとかノンフィクションとかカテゴリを超越して純粋な作品として括って評価するならば、あくまで“実話ベース”ならば…という注釈付きの評価にならざるを得ず、手放しですごく良い作品!とは言い難い。
もしかすると、冒頭で「この作品は実話に基づいています」とはっきり入れてくれれば、おもしろくなったのかもしれない(もしかして見落としてる?)。
本作のヒラリー・スワンクの演技の良し悪しを私は評価できない。難しい役を演じきったのは明らかなんだけど、そういうがんばったで賞的な部分を差し引いて、純粋に演技が素晴らしかったのかどうか、私にはわからないから(ハードさに目がいってしまって演技がどうのこうのという観点で観られなかった)。
これから観る人は、実際の事件がベースだ!ということを認識した上で観よう。ひたすら重いし、腹立たしいし、どうにもできないもやもやが心に渦巻くけれど、“納得”はできると思う。条件付きでお薦め。
#コレを観た後に、TVのチャンネルをひねると、オネエキャラの人が普通にコメントとかしてる…という状況のほうが、よっぽど味わい深い空気だったけどね。
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:ジェフリー・サックス
出 演:マイケル・キートン、チャンドラ・ウェスト、デボラ・カーラ・アンガー、イアン・マクニース、サラ・ストレンジ、アンバー・ロスウェル、コナー・トレイシー、アーロン・ダグラス 他
コピー:聞かなければ 殺される
全米1000万人が震撼!! 超自然(スーパーナチュラル)サウンドスリラー誕生
建築家のジョナサンは有名作家のアンナと再婚し、前妻の子マイケルとの幸せな生活を送っていた。ある日、アンナが帰宅せず、そのまま行方不明になってしまう。有名作家の失踪事件はマスコミを賑わせ、警察による大々的な捜索が行われるも一行に手掛かりはつかめなかった。失意に暮れるジョナサンの前に、レイモンドという不振な男が現れる。彼は、アンナは既に死んでおり、EVPという装置でアンナの声を聞いたという。最初は相手にしなかったジョナサンだったが、事故死したアンナの遺体が発見され、その後不可思議な現象が次々と発生したため、レイモンドの話を聞こうと彼の元を訪れ…というストーリー。
EVPといえば、晩年のエジソンが研究してたとかしてないとかいうアレですな。非常の面白い題材を見つけたと思う。
『コーリング』『シックス・センス』『ラブリー・ボーン』etc…と、霊からの声という題材の作品は実はけっこう多い。さらに『悪魔を憐れむ歌』『エクソシスト』『コンスタンティン』etc…と、悪霊が我々の生活に影響を及ぼしている…という作品もたくさん存在する。なので、題材としては見慣れた感も大きくて、陳腐に思われても仕方が無いのだけれど、このEVPというツールの目新しさが救ってくれた気がする。
また、いくら妻を亡くした喪失感に打ちひしがれたからって始めはそんな荒唐無稽な話に耳を傾けない主人公が、信じ始めるどころかどっぷりはまっていくのは、いささか都合のよい展開では???と思うかもしれない。しかし、マイケル・キートンの目ヂカラ演技が、そんな思いを無理やりねじ伏せて、成立させてくれる。彼は難しい役をうまく演じきったと思う。
簡単に言ってしまえば“力技”なんだけど、それを感じさせない空気感というかノリがあって、なかなか愉しめ傑作の予感すらして、「なんでこの作品はこんなに評価されていないの?」と思ったほど。でも、その理由は後半になると明らかに。
途中から未来の様子が…っていう要素入ってきてきてグダグダになるのだ。単なる霊からのメッセージとはあまりにも方向性の異なるため、話の土台が崩れてしまったと思う。そのギミックを持ち込まないでなんとかならなかったものか。
さらに致命的なのは、なぜ霊たちはメッセージを送ってくるのか、悪霊の目的はなんなのか、という肝心の謎解きがなされたとは言い難い点。無念を晴らして欲しいという『シックス・センス』的な目的なのか、現世の人を助けたいと思う『ラブリー・ボーン』的な話なのか。結局、どういう話にしたかったのか。
モニターに映るノイズのような映像と声だけで、『コンスタンティン』並の“あの世”の世界観をしっかり表現できているわけで、ものすごくレベルの高いことが実現できている。それは驚嘆するほどすごいことだと思うのだが、ミステリー面での作り手の腹が決まっていなかったために、こんなありさまに。絶対に傑作にできたと思うので、残念でならない。
別の観点。
音声っていうのは、振動が電気信号に変換されただけなので、音声があっちの世界から飛んできても、周波数を合わせるだけで受信できるのは何となく腑に落ちる。でも映像が飛んでくるのは滑稽に感じてしまう。映像っていうのは、NTSCだPALだSECAMだと信号の形式があるわけで、アナログであっても極めてデジタル的な変換過程が必要。
アメリカと日本はNTSC形式だから劇中の映像は受け取れるけど、他のヨーロッパ・中東・南米・アジア圏はPALやSECAM形式なので、信号を映像化できない。それら地域の霊たちは別の映像変換装置を持っている?それともEVPというのは日米限定?とか色々考えると、何か滑稽に思えてしまう。ああ、技術者の悲しい性か。無理やりでもいいから、霊による念の力でなんとかなるという、もっともらしい説明があるとうれしかった。
結論をいうとお薦めしない。しっくりこないだろうしカタルシスもない。途中で、話をまとめることに腐心して、映画が“娯楽”であることを忘れてしまった感すらある。でも、きちんとリメイクしてほしい作品ではある。ただ、ひたすら惜しいとだけ感じる作品。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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