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公開年:1979年
公開国:アメリカ
時 間:122分
監 督:ジェームズ・ブリッジス
出 演:ジェーン・フォンダ、ジャック・レモン、マイケル・ダグラス、ダニエル・ヴァルデス、ジム・ハンプトン、ピーター・ドゥナット、スコット・ブラディ、ウィルフォード・ブリムリー、ルイス・アークエット、リチャード・ハード、スタン・ボーマン、ジェームズ・カレン、マイケル・アライモ、ドナルド・ホットン、ポール・ラーソン、ロン・ロンバード、ニック・ペレグリーノ、カリラ・アリ 他
受 賞:【1979年/第32回カンヌ国際映画祭】男優賞(ジャック・レモン)
【1979年/第33回英国アカデミー賞】主演男優賞(ジャック・レモン)、主演女優賞(ジェーン・フォンダ)
地方テレビ局の女性リポーター・キンバリーは、硬派なニュースキャスターを志望していたのに、街中の他愛も無い日常ニュースしか担当させてもらえないことを不満に思っていた。そんな彼女に、原子力発電所の取材というのステップアップのチャンスが舞い込む。彼女はカメラマンのリチャードとともに取材をはじめるが、コントロールルームを見学している最中に、原子力発電所にトラブルが発生する。発電所側からは問題なしと発表されたが、事故当時の様子を撮影したフィルムを専門家に見せると、重大事故が発生寸前の可能性があるという見解が。一方、発電所の技師ゴデルは、過去の資料の再調査で原発の欠陥を発見。その事を知ったキンバリーは彼の協力を得て、公表しようとするのだが…というストーリー。
実際に事故に到って、“チャイナ・シンドローム”してくれるようなSFチックなお話なのか思ったら全然違った。利益のために都合の悪いことを隠蔽する企業と、心ある人たちの争い…という内容。でも決して社会派な物語ではなく、あくまで純粋なサスペンス。
本作の公開直後にたまたまスリーマイル島の事故が発生してしまい、社会問題として注目されてしまっただけ。製作側は、単なるテラー要素として原発を持ち出したのであって、社会派作品を目指したわけじゃないと思う。
悪役の企業側がわかりやすすぎるキャラなのも、その証だろう。本当に社会派作品を目指したのならば、利益以外の企業が隠蔽しなくてはいけない事情や、その老獪さ陰湿さをネチネチと表現したに違いない。所詮、隠蔽するためにチンピラを差し向けるだけのわかりやすい悪役だ。
とはいえ、伝説の巻物をめぐって攻防する冒険小説のように、機器のエックス線写真を巡ってのカーチェイスや、ゴデルが立てこもってからの緊迫感、スリルは特筆に価する。ジェーン・フォンダやマイケル・ダグラスもがんばってはいるが、ジャック・レモンの演技は数段上をいっており、ぐいぐい引き込まれる。「ゴデルさん、カメラまわってるんだから、もっとわかりやすく話せよ~!」と、まるで「志村、後ろ~!」って叫んでる子供みたいな気持ちになる。
ところが、一転、ラストはちょっと残念な感じに。TV中継にて同僚のフォローこそあったものの、せっかくのゴデルの勇気は狂人の仕業として片付けられてしまう。大体にして、フォローした同僚だって、事故がおこる前はゴデルをアホ扱いした腹立つヤツなので、なんか引っかかるしなぁ。
篭城中の緊迫感と、事後のうやむやでモヤモヤしたラストの、振幅の大きさがとっても残念な感じ。ジャック・レモンの名演技がなければ、本作の評価はせいぜい凡作どまりだったと思うな。
“チャイナ・シンドローム”っていうのは、メルトダウンすると漏れた核燃料が、地面に溶けていき中国に達しちゃうぞ!っていう、アメリカンジョークが元らしい。これはジョークであって、科学的な事実とはもちろん異なるので、それは別に良い。しかし、本作に登場する物理学者が、したり顔で“チャイナ・シンドロームがおこる”っていうところでガクっときてしまった。物理上の地球の裏側を持ち出すよりも、“竹のカーテン”共産主義中国を真反対として持ち出すのは、ジョークとしては悪くない、だけど、まじめな顔した物理学者が、重大インシデントを前にしてジョークを言うとも思えなくて、違和感アリアリ。もしかして脚本家は本気で言ってるのか?と。
それにしても、本作にでてくる反原発活動家の様子をみていると、何年たっても同じことしかしないんだな…というか。今と変わらないことがよくわかる。
死刑制度に反対だからって、小手先の抵抗で判決や執行を遅延させる自称人権弁護士と一緒ですな。こういうのは、根本問題に向き合って、時間がかかったとしてもコツコツ対応しなければ、永遠に解決しないのに。つまり、曲がりなりにも法治国家なんだから、法を変える努力をしろ!ということ。それにむかってコツコツと努力ができないなら、もっともらしいことをいうなよ!ということなのだが、自称人権弁護士さんや反原発のプロ市民の人たちには、そういう感覚がまったく欠如しているらしく…。
原発に関しては、危ないからやめるってのが、一見当たり前と思うだろうが、じゃあ、なんであぶない原発を作る必要があったのか?というところを真剣に考えないといけない。利権がどうのこうのは後からの話であって、根本はそこではないということを理解しないと。
簡単にいうと、第二次世界大戦の発生要因、それと同じことを繰り返さないための対策として原発は導入されている。どこかの国からの輸入に依存するということは、その国に首根っこを掴まれるのと同じということ。つまり産油国に生殺与奪を握られるということだ。石油による火力発電一辺倒でなければいいわけで、逆に言えば、特定国家間との関係に問題が生じても、安定供給が可能であればエネルギー源はなんでもよかったわけ。しかし、当時は核以外にそんなものは存在しなかった。いや、今でも存在しない。
どっかの社長が大々的に太陽光発電に投資するとかいっているが、そんな非効率な発電方法ではなんともならん(個人的には地熱でいけそうな気はしているが、どこまで安定的に高出力が可能かは疑問なところ)。
で、原発を導入した後に、我々が目指すべきだったことは、原子力より安全で効率的なエネルギーによる発電方法を確立すること(原発が事故をおこすまでに)。そして我々は結果としてそのレースに負けたのだ。“我々は負けた”この事実を国民全員が受け止めないと、何もはじまらない。
特に原発事故の後に「ほらみたことか」状態で、即座に反原発の側にススッと移動して言いたいことを言っている人間は、ダーティな人間である。まず、“自分も”負けたのだということをしっかり認めた上で、「で、我々はどうすべきなのか?」と議論すべきなのだ。
ちなみに、東電をはじめ日本の電力会社は、本来は次世代エネルギーに積極的に研究・投資しなければいけなかったのだが、儲けの出ている原発システムが永遠に続けばいいというスタンスになった。彼らが攻められるべき点は、新エネルギーの模索をいう絶対必須なレースを自発的にリタイアした所である(いや、根本的にそれが自分のミッションだとすら思ってもいなかっただろうけど)。
そういう意味で、本作にでてくる電力会社と一緒で、単なる利益追求団体と同じってことなんだけどさ。
等々、色々な思いが涵養される、良作である。お薦め。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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