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image2059.png公開年:1993年
公開国:イギリス、フランス
時 間:141分
監 督:ベルナルド・ベルトルッチ
出 演:アレックス・ヴィーゼンダンガー、キアヌ・リーヴス、ブリジット・フォンダ、クリス・アイザック、イン・ルオチェン、ラジュ・ラル、グラシュマ・マカール・シングー 他
ノミネート:【1994年/第15回ラジー賞】ワースト新人賞(クリス・アイザック)



シアトルに住む9歳のジェシー・コンラッドは、父ディーンと母リサとの三人暮らし。ある日、数人のラマ僧が訪れる。その一人ラマ・ノルブは、ブッダの魂を受け継ぐと言われた尊師ラマ・ドルジェが9年前に死んだこと、そしてジェシーがその生まれ変わりの可能性があることを告げる。荒唐無稽な話だと思いつつも、リサは息子にノルブから贈られたシッダールタ王子の物語を読んで聞かせる。その後ノルブは、ジェシーが他の2人の候補者と共にラマ・ドルジェの生まれ変わりか否かの試験を受けるために、ブータンに赴かねばならないと両親に説明する。はじめは拒否する両親だったが、運命はジェシーをブータンへと呼び寄せ、父と共に未知のチベットに向かうことになる…というストーリー。

チベット仏教ということで、上座部仏教のお話ばかりかと思ったがそんなことはなく、大乗でも上座部でも共通の仏教概念や、共通で伝えられているシッダルダの逸話が描かれている。それこそ、手塚治虫の『ブッダ』で語られている、シッダルダーの生涯のそれが、キアヌ・リーヴスによって演じられている。
それと、欧米人にとっても我々日本人にとっても縁の薄いチベット仏教の儀式が、交互に描かれる構成である。

この作品は、ある程度、仏教に造詣がないとわからないし、ちょっと年齢を重ねないとピンとこない部分が多い作品。実は劇場で観ているのだが、当時は「なんじゃこりゃ。つまんね。」状態だった。でも、今観ると、それなりに味わいがある。

仏陀とはシッダルダのことではなく、悟りを開いた人のことを指す。仏性に目覚めた人、つまり仏陀になった人は、輪廻転生の輪から外れて、二度と生まれてくることはない。だから、尊師ラマ・ドルジェがブッダの魂を受け継ぐっていっても、生まれ変わりではなく、精神を受け継ぐとかそういう意味でないとおかしい。

アメリカにて、ノルブ僧が、ジェシーの父にあることを説く。お茶の入ったカップを割って、カップは割れてしまってカップじゃなくなっても、お茶はお茶だと。彼はこれで肉体と魂の関係を理解させ、ひいては輪廻転生を説明したいらしいが、これはあまりにもかんがえが浅いといわざるを得ない。
ソフトウェアとハードウェアのことを突き詰めて考えれば、その理屈は成立しない。たとえば、マッチ棒で“A”の字形をつくったとしよう。私はあなたに“A”を持ってきてという。するとあなたは“A”の形を崩さずにマッチ棒をもってくる。でも私は「マッチはいらない、“A”を持って来て」という。さてあなたはどうするか。別の何かで“A”を形作っても同じこと。何かを媒体にしないと“A”を持ってくることはできない。でも、マッチを崩して持ってきても持ってきた物の重さは変わらないのに“A”を持ってきたことにならない。実体はなくても“A”は紛れも無くそこにある。逆の言い方をすれば、“A”の存在においてAとマッチ棒は不可分なのだ。
つまり、ソフトウェアとハードウェアは別々の物と考えられがちだが、一体。ひいては、魂と肉体は別けようがないものなのだ。これは、プラトンのイデアの概念と同じである。

でも、それって輪廻転生の考えと矛盾しないか?そう、単に霊魂が肉体を離れて転生するのだ…という解釈では矛盾する。本当の輪廻転生とはもっと高次の思考だということ(ここで説明してるとキリがないのでやめるけど)。作中のノルブ僧の説明ではギリシア哲学にも及ばないということで、父親が腑に落ちないのもあたりまえである。
まあ、形而上的な解釈が面倒な人は、輪廻転生を信じたほうが、神義論的にも納得できて前向きな生き方ができる場合が多い、つまり方便だという解釈でもいいと思う。

(閑話休題)
生まれ変わりを見つけて、次の指導者にするという考え方自体が、ものすごいクレイジーに映るかもしれないが、実は合理的。どんなに次の指導者になる資格条件を定めたとしても、絶対に争いは起こる。仏性というのはどの人間にもその芽はあるので、極論からいえば誰でも僧侶の長になる資格はある。それなら、生まれ代わりという否定しようのない条件で“子供の段階で”決めてしまって、あとは育てればいいのである。絶対に揉め事はおこらない。

で、3人合格したのに、ジェシーと女の子はなんで普通に家に帰ってるわけ?特に説明されないので、いまいちわからん。外人と女性は体よく除いただけに見えちゃうのが、なんか気持ち悪い。
#坂本龍一の音楽は、あまり坂本龍一っぽさが前面に出ていなくて、このくらいがちょうどいい。

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