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image0978.png公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:92分
監 督:ティム・バートン
出 演:マイケル・キートン、アレック・ボールドウィン、ジーナ・デイヴィス、ウィノナ・ライダー、キャサリン・オハラ 他
受 賞:【1988年/第61回アカデミー賞】メイクアップ賞(スティーヴ・ラ・ボート、ロバート・ショート、ヴェ・ニール)
 【1988年/第23回全米批評家協会賞】 主演男優賞(マイケル・キートン『偽りのヘブン』に対しても)


ニュー・イングランドの田舎町に住む若い夫婦アダムとバーバラは、買い物の帰路、橋から自動車ごと落ちて死んでしまう。二人はいつのまにか自宅に戻っていたが、しばらくは自分が死んだことが自覚できずにいた。しかし、家から出ようとして異世界に紛れ込み、蛇のような怪物に襲われ、命からがら戻ると、屋根裏部屋に「新しく死者になった者へのガイドブック」というガイドブックが置かれていた。観念して自分たちが死んだことを受け止めると、金持ち一家がニューヨークから引っ越してくる。金儲けばかりを考えている父親チャールズ、前衛芸術家きどりの継母デリア、根暗な娘リディアの3人を見て、こんな人たちに自分の家に住んでほしくないと考えた二人は、一家を追い出そうと手を尽くすが、一向に効果がない。そこで、ハンドブックに書いてあった死後の世界のカウンセラーに相談してみようとするのだが…というストーリー。

荒削りでいかにもティム・バートンらしさが満開な本作だが、アメリカでは大変ヒットした。もちろん日本でも公開されたわけだが、デビュー作の『フランケンウィニー』は短編だったし、次の『ピーウィーの大冒険』は日本未公開だったので、実質本作がティム・バートンの初お目見え作品だといってよい。日本語吹き替え版の扱いを見ればゲテ物扱いされていたのがよくわかる。ハリー・ベラフォンテの「The Banana Boat Song 」の歌詞訳や、死後の世界のクリーチャーの名前など、小手先で笑いを取ろうとしているところなど、苦笑モノではある。
しかし、そのゲテもの扱いが、西川のりおのアフレコという奇跡を生んだわけだ。ビートルジュース演じているのが、マイケル・キートンだと分からないほどで、まさに怪演なのだが、吹き替えの怪演がそれを上回るという秀逸な出来映え(まあ、嫌いな人は嫌いだろうけど…)。純粋に振り切った演技を見せてくれている。『じゃりン子チエ』のアニメ版で声優の経験はあったわけだが、別にそれが生かされているとか、そういうレベルの話ではない。

翌年の『バットマン』で一躍メジャー監督になるわけだが、長編映画3作目で、スポ~ンと第一線に躍り出たのは、なかなかハイペースな出世だ。それだけに、ティム・バートンの手作り感が溢れる本作こそ、最後のハンドメイドという気がして、数あるバートン作品の中でも大好きなのだ。
この急激な出世は6年後の『エド・ウッド』によって、まるで先祖帰りのように、反メジャー的に作風として現れる。その後の『マーズ・アタック!』など、必ずしも一般ウケするとは言いがたい方向に傾いていくが、それは「自分の居場所はココだよ!」という彼の叫びに聞こえる。その“ココ”こそ、本作だと、私には思えて仕方がないのだ。

ストーリーの独自の世界観も秀逸だと思う。人は幽霊が見えないのではなく“見ない”とか、家から出られず自縛霊として100年以上もこのまま過ごさねばならないとか、何か東洋的な感覚との親和性も感じられる。なんだか判らないグダグダな展開で終盤を迎えながらも、なんとなく大団円で終わるあたりも、実にティム・バートンらしい。
愉快な娯楽映画という意味では、傑作だと思う。

 

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imageX0092.Png公開年:2000年
公開国:アメリカ
時 間:81分
監 督:クレイグ・マクラッケン
出 演:キャサリン・カヴァディーニ、タラ・ストロング、E・G・デイリー、トム・ケニー、ロジャー・L・ジャクソン、トム・ケイ 他






タウンズビルという治安の悪い街に住む、天才科学者・ユートニウム博士。彼は、『お砂糖+スパイス+ステキなもの』で、パーフェクトな女の子を作り出す実験に没頭していたが、チンパンジーのジョジョが、謎の薬品“ケミカルX”混ぜてしまい大爆発。すると、3人のカワイイ女の子たちが誕生し、それぞれブロッサム、バブルス、バターカップと名付けられる。しかし、3人は、かわいいクセにとんでもないパワーを持っており、通いはじめたばかりの幼稚園での鬼ごっこがエスカレートして、街中を破壊してしまう。非難を浴びたガールズは、街中の人から嫌われたと思い苦悩する。そんな時、ガールズたちを一緒にケミカルXの爆発に巻き込まれ、突然変異を遂げ悪者になったジョジョがあわられ、彼女たちに手を差し伸べるのだったが…というストーリー。

ここ10数年の間で、日本人の鑑賞に堪えうる子供向けのアメリカ製TVアニメは、本作だけだと思う。そんなわけあるか! という声が聞こえてきそうだが、『サウスパーク』とかは子供向けじゃないし、案外、このクオリティのものは無いのだよ。

ビビッドな配色、エッジがボールドな線、子供も大人も理解できるシュールさ。カートゥーンチャンネルで似たようなテイストの作品は他にも作られているが、その後どんな作品が作られても、PPGの二番煎じにしか思えないくらい。いかに本作の新規性というかユニークさが特出しているか…という証拠である。
#日本でもリメイクしたアニメが作られたが、PPGの良さを見事に消した残念な作品だった。

タウンズビルは間違いなくゴッサムシティがモチーフというかパロディになっているし、モジョは『バットマン』でいうところのジョーカーにあたる。そして、本作は、TVシリーズの“ビギンズ”物になっている。しかし、決して第一話の焼き直しではなく、しっかりとした誕生物語。プロットはしっかりしていて、はじめは人間から忌み嫌われるが、正義の心に目覚め、荒ぶる力の使い方を覚えることで市民たちと和解し、スーパーヒロインになっていく。『バットマン』や『スパイダーマン』や『ゴジラ』シリーズや『ガメラ』シリーズにも通じる王道路線である。『バットマン ビギンズ』の三年前だが、よっぽど本作のほうが、ビギンズ物としては優秀に感じるほどである。
#研究で女の子をつくろうという博士の話がマトモだとは思わないけどさ(笑)。

まあ、ちょっと褒めすぎたが、10年以上経っても古臭さは一切感じない。プリキュアとか観せるくらいなら、幼稚園児にはこれのTV版をレンタルして観せたほうがいいように思える。激しいバイオレンスシーンが満載だが、あまりにもリアリティがなさすぎて、『アンパンマン』のほうが暴力的に感じるくらいである。『アンパンマン』は一緒に観ていると苦痛になるときもあるが、本作はちりばめられた毒気のおかげで、親もニヤリとできるのが素敵。
#ずっと顔が出ない市長の秘書とか、いたねー。久々に観て、思い出したわー。

 

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image0996.png公開年:2000年
公開国:アメリカ
時 間:88分
監 督:ビル・イーグルス
出 演:レイチェル・ワイズ、スーザン・リンチ、アイエイン・グリン、イアン・グレン、モーリス・ローヴ、トム・マニオン、イェーン・グレン、モーリス ローブス 他





イギリスのグラスゴー。暴力的な恋人から逃げるため、愛犬プルートを連れて家を出たドロシー。バスを待っていると、突然プルートが走り出し逃げてしまう。それを追いかけていくと、空き地で女性が泥酔した男から暴力を受けている場面に遭遇する。彼女を助けようとしたドロシーは、咄嵯に手近にあった鉄パイプで男を殴り、昏倒させてしまう。ドロシーと暴力を受けていた女性ペチューラは、とりあえずドロシーの部屋に気絶した男ブライアンを運びこむ。吐くと厄介なので、とりあえずバスタブに入れ毛布をかけておくことに。しかし、目を覚ましたブライアンは、よろけてバスルームの床にひどく頭を打ちつけ、そのまま帰らぬ人となってしまう。誰にも気づかれないように死体を隠そうと二人は考えるが…というストーリー。

舞台はイギリスだけどアメリカ映画。何で日本未公開なのかな…。私は結構おもしろい作品だと思う。交際相手の男性から暴力や虐待を受けている二人の女性が、共闘して乗り切っていく様子は、スペイン映画にありそうな感じ。スコットランド最大の都市だが、中途半端な規模の都会なので、雑な雰囲気の作風にマッチしている。ちょっと軽妙すぎるところや、おぶざけが過ぎる箇所が若干あるので嫌われているのかな。レイチェル・ワイズはあまり好きな女優ではないが、黒髪を金髪に染めているのが、少し頭が弱くて男に依存して生きているけど、どこか腹の据わったところのある役柄と、マッチしていると思う。

あちこちに、“これ、伏線ですよ~”っていうシーンがわかりやすく差し込まれる。でも、伏線であることはわかるのだが、その伏線が、彼女たちを利することになるのかピンチにつながるのか、さっぱり見えない。先がわかりそうでわからない、良いシナリオだと思う。途中で出てくる刑事が、欲をかいて身代金騒ぎに便乗して、ますますカオス状態になるのだが、公務員なんかやっていても未来なんか微塵も見えない閉塞したイギリスだからこそ、妙な説得力がある。

まあ、“ビューティフル・クリーチャー”が何を指すのか。ペチューラのことを漠然と指しているんだろうなと思ったが、実にくだらなくて、それをわざわざ伏線にするほどのことかいな…と、そういうシーンがある。どうやってあのボルトを抜いたのか…は、まあ、あの男の子が手伝ったんだろうな。

ラストもそれなりにうまくまとまって悪くない。もう一つ、飛びぬけていれば文句なしといったところ。まあまあの良作だと思う。コメディじゃなくて、彼女たちがどうやってこの苦境を乗り切るのか? という純粋なサスペンスとして観るべきかと。

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image1023.png公開年:1997年
公開国:アメリカ、フランス
時 間:127分
監 督:マルタン・プロヴォスト
出 演:ブルース・ウィリス、ゲイリー・オールドマン、イアン・ホルム、ミラ・ジョヴォヴィッチ、クリス・タッカー 他
受 賞:【1997年/第70回アカデミー賞】音響効果編集賞(マーク・マンジーニ)
【1997年/第23回セザール賞】監督賞(リュック・ベッソン)、撮影賞(ティエリー・アルボガスト)、美術賞(ダン・ヴェイル)
コピー:誰も見たことのない未来。

1914年。エジプトの地下神殿の壁画に書かれた古代文字を考古学者が解読しようとしていたが、今まさに謎の確信に迫ったとき、突然、巨大な宇宙船が神殿に舞い降りる。宇宙船から降りてきた地球外の生物は、神殿から、4つのエレメントが彫刻された石を持ち出し、そのまま空へ帰っていくのだった。2214年、ニューヨーク。巨大なエネルギー体が地球に接近し、統一宇宙連邦のリンドバーグ大統領がそれの撃退を試みるが失敗する。大統領に接見したコーネリアス神父は、そのエネルギー体が5千年に一度地球にやっくる邪悪な存在であり、それを撃退するために、モンドシャワンという知的生命体が4つの石を持って助けに来ることを告げる。その予言どおりにモンドシャワン人が宇宙船でやってくるが、武器商人ゾーグの手下であるマンガロワ人に撃墜されてしまう。しかし、政府はモンドシャワン人の細胞を回収し、それをもとに再生を試みる。すると、赤い髪の少女が復活。地球の言語が分からない彼女は研究施設を破壊して逃亡。地上450階から飛び降り、元統一宇宙連邦軍で今はタクシー運転手をしているコーベンが運転するタクシーに激突し…というストーリー。

太古に隠されたロストテクノロジー兵器とか無敵のパワーをめぐって攻防するようなお話は、その後たくさんつくられた。SFアドベンチャー作品としては非常にありがちなお話。でも、リュック・ベッソンはまともにSFをやるつもりはなかったと思う。前の方で出てくる“マイナス5000度”とかいう表現で、サイエンスフィクションとしての基盤は、完全に放棄しているものと判断してよいだろう。

『砂の惑星』のようなボリューミーな建物や乗り物のデザインが特徴的。恐怖を抱かせるようなシャープさやおどろおどろしさがまったくなく、特に亀のようなモンドシャワン人のデザインが秀逸。それに対比するように、ゴルチエが担当した、いかにも欧州らしい衣装が非常に映えている。ミラ・ジョヴォの衣装は、いまみるとそれほどでもないが、当時は結構衝撃的だった。こういうデザイン面での補強のおかげで時間が経っても色褪せることがない。

ミラ・ジョヴォは、本作で出合ったリュック・ベッソンと結婚するがすぐに離婚。その後、『バイオハザード』のポール・W・S・アンダーソンと結婚するが、監督が好きなのか手近な人を好きになるのかよくわからん。でも、本作でブレークした彼女だが、役柄どおりの無垢さと奔放さを見事に演じている。これが演技なのか、演技が稚拙ゆえに地が出ているのかはよくわからないが、後の彼女の演技を見る限り、もういちど本作の役をやれといっても無理だろう。結果オーライだろうがなんだろうが、とにかく本作の彼女は魅力的である。

宇宙レベルの厄介ごとに巻き込まれる運の悪い男の役に、『ダイ・ハード3』から二年経ったブルース・ウィルスを持ってきているのは、半分悪ふざけに思える。ミラ・ジョヴォヴィッチ演じるリールーが、排気口を逃げるシーンなんか、意識して挿入されているような…。
クリス・タッカーも本作でブレイクしたといっていいだろう。むちゃくちゃなキャラで、興ざめしないように振り切った演技をするのは、実は難しかったと思う。

テンポがよく、色々な要素がごちゃまぜになっている割りにはすっきり整理されており、きっと、練りに練られたプロットに違いない。リュック・ベッソン作品の中ではいささか異色ではあるが、実は本作が一番完成度が高いのではないかと思っている。そして、私が唯一購入しているリュック・ベッソン作品だったする。6,7年に一回ペースで観返したくなる作品。時間が経てば経つほど、映画史の中で評価が高まってくと確信している。

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image2029.png公開年:2008年
公開国:フランス、ベルギー、ドイツ
時 間:126分
監 督:マルタン・プロヴォスト
出 演:ヨランド・モロー、ウルリッヒ・トゥクール、アンヌ・ベネント、ジュヌヴィエーヴ・ムニシュ、フランソワーズ・ルブラン、ニコ・ログナー、セルジュ・ラヴィリエール、アデライード・ルルー 他
受 賞:【2009年/第44回全米批評家協会賞】主演女優賞(ヨランド・モロー)
 【2009年/第35回LA批評家協会賞】女優賞(ヨランド・モロー)
 【2008年/第34回セザール賞】作品賞、主演女優賞(ヨランド・モロー)、脚本賞(マルク・アブデルヌール、マルタン・プロヴォスト)、音楽賞(マイケル・ガラッソ)、撮影賞(ロラン・ブリュネ)、美術賞(ティエリー・フランソワ)、衣装デザイン賞(マデリーン・フォンテーヌ)
コピー:花に話しかけて木に耳をすませて心のままに、私は描く。

1912年、フランスのパリ郊外サンリス。貧しく身寄りもない女性セラフィーヌは、家政婦として生計を立ててながら、部屋に籠もって黙々と絵を描く日々を送っていた。彼女は、40才を過ぎてから守護天使の「絵を描け」というお告げを聞き、それまで描いたこともない絵を描き始めた。絵画の手ほどきを一切うけておらず、絵の具は植物など自然の素材から手作りし、板の上に絵を描いていた。そんなある日、彼女が家政婦として働く家に、ドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデが間借りすることに。ウーデはセラフィーヌの絵を偶然見かけ、彼女の絵に惚れ込んでしまう。そして、彼女に家政婦をやめて絵を描くことに専念できるように、金銭的な援助を申し出るのだった。しかし、1914年に第一次世界大戦が始まると、フランスの敵国であるドイツ出身のウーデはフランスを出国せざるを得なくなり、セラフィーヌと音信不通になってしまう。 1927年、フランスに戻ったウーデは、セラフィーヌの居場所を捜索。彼女は、まだ家政婦をしながら絵を描き続けており、ますます画力を向上させていた。以前の約束のとおり、ウーデは金銭的な援助を開始し、彼の紹介により徐々に彼女の絵は売れ始め、生活は豊かいなっていったのだったが…というストーリー。

容姿は小汚いし、おばさんというよりもおばあさんという感じのセラフィーヌ。いささか絵を描くことに偏執してはいるが、きちんとメイドの仕事はこなしているので、社会性はある。肉屋とかシーツ洗いなど、他のバイトを掛け持ちしているくらいなので、それなりに生きる術は知っている感じ。でも、あまり笑わないのが怖い。

肉屋で血をこっそり拝借しているのは、いったい何だ? と思ったが絵の具を自分で作っているのだ。まあ、著名な絵描きさんたちの逸話によくあること。フェルメールがあの独特の青色を出すために、中東で算出される貴重な青い宝石を躊躇無くすり潰して絵の具に使った…なんて話は有名。でも、血やら植物だと、経年による退色は凄いので、現存する彼女の作品の色は、当時のものとは違うんだろうね(彼女の作品のことは良く知らないんだけど)。

途中で、修道女たちと食事をするシーンがあるが、その会話の内容からすると、セラフィーヌも元修道女で、神の「絵を描け」という声に従って辞めたということだろうか。それとも、単に元々信心深くて、長い知り合いってことなのか、よくわからない。とにかく、マリア信仰に強く傾倒している。

それなりに社会性はあるのだが、学が無い…だけでなく、それに加えて頑固。その頑固さが不見識の上で発揮されるので、とにかく厄介。はじめは自分の絵を褒められても、馬鹿にされているに違いないと思うほどだったのに、本当に評価されているのだと確信したらもう止まらない。確かに、ウーデに見出されたことは、彼女にとって良かったことには違いないのだが、絵を描くことが天の人の期待に沿うことだと思っているので、諸々の思い込みをどんどんエスカレートしていく。金に余裕が出てくると、あの質素な生活はなんだったのかと思うくらい、突然爆発したように散財し始める。思いつきで家まで買おうとする。そして、不幸に世界恐慌でそんな散財が許されなくなると、ウーデが自分を見捨てたと、斜め上の理屈で発狂し始める。
おそらく彼女は、肌身で感じられる世界が、理解できる範囲だったんだろう。その社会の範囲ではなんとか常軌を保てていたに過ぎないのだ。そして彼女は、絵を先鋭化させていくのと並行して“女ゴッホ”になっていく。絵の作風も、ゴッホに近いと思う。同じような脳の構造なんだと思う。彼らには、ああいう風に世界が見えているのだと思う。

そういう人がいました…ということは、わかった。でも、この映画自体、彼女を生き方を通じて何が言いたいのだろう…ということはよくわからなかった。フランス映画は、こういうのが多いね。凄い生き様の人がいたから、それをそのまま映画にしてみました…っての。監督や脚本家は、それを通じて、こういうことを俺は感じたんだ、君もそう思わないかい? っていうのが無いよね。あとはそれぞれ自分でいいように感じてよ…っていう投げっぱなし。何で、観客側が、作品の意義を考えなくてはいけないのか。これじゃだただの再現ドラマだよね。
再現ドラマとしては非常に優秀。本物の“セラフィーヌ”を観ている気分になるのは事実。時間を経過するごとに崩壊していくセラフィーヌ演じるヨランド・モローの演技は、神がかりかもしれない。でも、ああ、芸術家ってみんな紙一重なんだな…と、それしか残らないわな。
最後あたりの、花嫁衣裳を着て近所に物を配り始めるところなんか、映画の視点自体も、狂った彼女を俯瞰で見ちゃってるんだもの。こういう作品は主観的な狂気を観客といくばくか共有して、誰しもちょっとは持っている内なる狂気とリンクさせることに意味があると思うだよね。
デキのよい再現ドラマ。それ以上でもそれ以下でもない。

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image1972.png公開年:2010年
公開国:フランス
時 間:120分
監 督:グザヴィエ・ボーヴォワ
出 演:ランベール・ウィルソン、マイケル・ロンズデール、オリヴィエ・ラブルダン、フィリップ・ロダンバッシュ、ジャック・エルラン、ロイック・ピション、グザヴィエ・マリー、ジャン=マリー・フラン、オリヴィエ・ペリエ、サブリナ・ウアザニ、ファリド・ラービ、アデル・バンシェリ 他
受 賞:【2010年/第63回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(グザヴィエ・ボーヴォワ)
 【2010年/第36回セザール賞】作品賞、助演男優賞(マイケル・ロンズデール、オリヴィエ・ラブルダン)、撮影賞(カロリーヌ・シャンプティエ)
コピー:さよならを言わなければならない時に──ともに生きる

1996年。アルジェリアの郊外にある田舎村。アラブの国だが、そこにカトリックのアトラス修道院があり、7人のフランス人修道士と医師1人が、イスラム教徒の地元民と穏健に暮らしていた。特に、医師リュックの元には、診察を希望する村人が毎日たくさん訪れていた。しかし、アルジェリア国内では、イスラム過激派による内乱が激しさを増し治安が悪化。修道院から20キロほどの場所で、クロアチア人が殺害される事件も発生する。以後、武装した過激派がたびたび修道院に押しかけてくるように。なんとか説得して追い返すことができたが、修道士たちは、殉教覚悟で留まるか、フランス政府の指示に従って帰国するかで意見が別る。何度も話し合いを重ねた結果、留まることに決めた彼らだったが…というストーリー。

奇しくも、今、アルジェリアで邦人が拉致されたとニュースが入ったところ。本作は、1996年のアルジェリアで、7人のフランス人修道士がイスラム原理主義者ににより誘拐され殺害された実際の事件が元になっているらしい。でも、どこまで実話に近いのかよくわからん。

アルジェリアの歴史も情勢もよくわからないが、フランスの植民地だったようで、位置的にも地中海を挟んで対面で近い。本作はほぼ前編フランス語だが、現地はほとんどアラブ語でフランス語も通じるらしい。だから、予備知識がないと舞台がどこなのかさっぱりわからなかった。さらに観客を混乱するのは、アラブ顔の人々が住んでいるところに、カトリックの教会があるという、日本人には見慣れないシチュエーション。はじめ、カトリックの教会だと思わなくて、イスラムでもこんな坊主がいるんだな…と思った。修道士さんがコーランを読んで勉強していたりするシーンもあったし。
彼らはイスラム圏のアルジェリアに布教に来ているのだ。普通のムスリムさんたちは寛大だし、元々同じ神を崇める民同士なので、うまいことやってるんだろう。イスラム過激派のイメージで、彼らが異教徒に常に攻撃的なように思われてるけど、本来のイスラム教は他宗教を攻撃したりしないからね。

イスラム原理主義者が無茶をしだしたので、フランス政府も彼らに帰国指示を出すが、彼らはすぐに帰ろうとしない(というか修道士の間で意見がまとまらない)。まあ、フランスはアルジェリアで核実験やら好き勝手やってたわけだし、好かれるわけはないんだけどね。
まあ、一般のイスラム民と過激派は分けて考えないといけないがよくわかる作品ではある。作中でも、修道士が「まともにコーランも読まない」と嘆いている。

で、テロリストに襲撃されて、さぞやのっぴきならない状況に陥るのかとおもったのだが、1時間半を超えてもも、情勢こそ悪くなるが、全然襲撃されたりせず、教会の神父さんたちが帰国するか逃げるかを侃々諤々、議論し続けるだけ。

何で、これがカンヌで受賞してるのか、正直さっぱりわからない。危険な土地にとどまって布教した姿を称えたいのか。それならもっとピンチな状況を演出すればいいのだが、それほどでガチガチに緊迫した状況だったり、神経が衰弱するような状況に見えない。そりゃ、最後は誘拐されちゃうけど、ちょろっと押しかけられてさらわれるシーンがあるだけ。葛藤する彼らの苦悩する姿が見所なのかもしれないが、何だかんだいって腹をくくって布教にきているんだし、留まることがそれほど苦難ということもなかろう。さっき書いたように、ヤバそうだな…程度の状況で、それほどのっぴきならない状況にも見えない。

キリスト教徒は、彼ら修道士の姿を見て随喜の涙を流すのだろうか。もうしわけない。悪い作品ではないのだが、私にはよくわからない。そういう事件がありました…以外に私の心には何も残らなかった。すまぬ。
#とにかく、イスラム過激派の所業に正義はない。

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image1973.png公開年:2009年
公開国:フランス
時 間:105分
監 督:エリック・=エマニュエル・シュミット
出 演:ミシェル・ラロック、アミール、マックス・フォン・シドー、アミラ・カサール、ミレーヌ・ドモンジョ、コンスタンス・ドレ、ジェローム・キルシャー、ティエリー・ヌーヴィック、ブノワ・ブリエール、マチルド・ゴファール、ブルーノ・メッツガー、シモーヌ=エリース・ジラール 他
コピー:病気と闘う少年が、10日間で100歳まで駆け抜けた人生。そこで知った生きる意味──



白血病で入院中の10歳の少年オスカーは、余命わずか。余命を悟られないように恐る恐る接する医師や両親の態度に傷つき、口を閉ざしてしまう。そんな中、ピザの配達に訪れたビザ屋の女主人ローズと廊下でぶつかる。悪態をつく彼女の口の悪さに、人間の正直さを見たオスカーは、彼女に興味を持つ。何も喋ってくれないオスカーに、ほとほと困り果てた病院長はオスカーが唯一心を開くローズに、話し相手になってほしいとお願いする。病人や人の死に関わることが大嫌いなローズは、その願いを固辞するが、一緒にピザも注文してくれるという申し出に、戸惑いつつも引き受けることに。ローズは、余命わずかなオスカーを励まそうと、1日を10年と考えて日々を過ごし、その10年間の人生を神様宛の手紙に書くというものだった…というストーリー。

いかにも泣けそうなプロットなんだけど、これがまた全然泣けない。ダメ作品ってことじゃなくて、別に泣かせようとしている作品じゃないから。アクションやらコメディばっか観ていると、たまには如何にも泣かせまっせ~的な作品に素直に乗っかりたいこともあるわけだけれど、スカされた感じ。あと数日で死ぬ子供のコンディションにはまったく見えない。
“余命12日”ってそんなピンポイントでわかるわけないじゃん…。非常にファンタジー然としたお話で、そういうノリなのは重重承知なのだが、人の命についてそういうノリって関心できない。ぴったり12日目にお亡くなりになるが、ローズも両親もいない医師だけがいるときに臨終するもんだから、てっきり医師がとどめを刺したのかのかと思っちゃったよ。

小児病棟なので、いろんな症状の子供がいるのはわかるのだが、骨髄移植のようなデリケートな手術をした白血病患者が、普通に別の病状の子供と接触していることに違和感を感じるのだが、実際どんなもんなのかよくわからん。

ローズのキャラクターはおもしろい。元プロレスラーというだけじゃなく、家族について何かコンプレックスがある。彼女が病人が嫌い…というか、人の死にできるだけ関わらないようにしているのだが、その理由は父の死に関係あるのか? 彼女はオスカーとの出会いで、その心持ちに変化を生じるのだが、何で人の死を忌避しているのかということを、うまく描けていないので、いまいちピンとこなかった。

疑似体験ながらも、オスカーは10年ごと年齢を重ね、両親やローズや医師よりも年上になっていく。医師は「私たちがオスカーを見守っていたのではなく、オスカーが我々を見守っていたのだよ」的なことを言っていたが、たしかに両親もローズもオスカーを通して人間的に成長したのは事実だか、何かそれは言いすぎな気がする。
余命を薄々悟りながらも飄々と生きる少年の姿に、おもしろくなる予感を感じていたのだが、結果的には、命を軽々しく扱われたような気がして、妙にひっかかる作品。凡作。

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imageX0091.Png公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:スタンリー・キューブリック
出 演:トム・クルーズ、ニコール・キッドマン、シドニー・ポラック、トッド・フィールド、マリー・リチャードソン、アラン・カミング、マディソン・エジントン、トーマス・ギブソン、レイド・セルベッジア、リーリー・ソビエスキー、ヴィネッサ・ショウ 他
ノミネート:【1999年/第57回ゴールデン・グローブ】音楽賞(ジョスリン・プーク)
コピー:見てはいけない、愛


ニューヨーク在住の医師ウィリアムとアリス。結婚して9年目で7歳になる娘と幸せに暮らしていた。クリスマスが近いある日、ウィリアムの知人であるヴィクターのパーティに夫婦で出かける。パーティを楽しんでいると、ウィリアムはヴィクターから呼び出されれる。ヴィクターは一室に娼婦を呼んでおり、ヘロイン中毒で昏倒してしている彼女を前に狼狽していた。ウィリアムはマンディという名のその娼婦を治療して、なんとか一命と取り留める。パーティからの帰宅後、寝室でマリファナを吸ったアリスは、以前、家族で出かけたヴァカンス先のホテルで、視線が合った海軍士官に心を奪われ、求められたらすべてを捨ててもいいと思った…と告白する。それを聞いたウィリアムはこの言葉に衝撃を受ける。それをきっかけに、ウィリアムは性の妄想にとり憑かれ、深夜の街を徘徊するよになり…というストーリー。

ニコール・キッドマン演じる妻の必要以上の裸、それにジャケットの二人がからんだ写真を見て、妻もそういう倒錯した性の世界に沈んでいくのか、もしくはすでにそっちの住人だたりするんだろう…と勘ぐっていたのだが、すかされた。地味に、あの女性は、マンディなのか、街で会った娼婦なのか、貸衣装屋の娘なのか、はたまた妻なのか…なんて、色々想像していたんだけど。
トム・クルーズとニコール・キッドマンって、なんか薄っぺらなキャスティングだなぁ…と思っていた。ウィリアムはいたる所で金払いの良くて、セレブなように見ていたのだが、これは意図的な演出だったようだ。乱交パーティの参加者は、一介の医師ごときなんか足元にも及ばないくらい超セレブ。おまえらなんか全然セレブちゃうやんけ! っていう、展開のための前フリだった。そう考えると、彼らの薄っぺらさは、ナイスキャスティングってことなんだよね。

妻アリスが抱いている欲望、夫ウィリアムが囚われる性の妄想。表面的には円満で幸せな生活を送っている夫婦の内面は、それとは真反対。一夫一婦制を良しとしながらも、人間の真の姿はそんな規範の埒外にある。そういう主張なのか。ウィリアムって性の妄想にとり憑かれちゃうけど、マンディが死んだことについては、自分が殺したんじゃないかと、理詰めで苦しむ。忘れろ、人に話すな…と脅されたんだから、忘れりゃいいんだけど、変にモラリストだから気になって仕方が無い。人間の中には、動物的な欲求と理詰めのモラルが引っ張り合いをしているだ…というのを体言しているわけだ。
そして、最後の「Fuck」の意味は、人間の生活は必ずしも動物としての人間にマッチしているわけではない、でも、動物として行動することに躊躇しないようになる必要はない。夫婦の間で刺激を継続する工夫をして、うまいことやっていくのが一番…という、至極真っ当なアンサーに見える。つまり、“EYES WIDE SHUT” 見て見ぬふりしておけってことだよね。

これが遺作じゃなきゃぁ、別にそういう作品もあるわなぁ…で終わるんだろうけど、本作を失敗作という人は多い。でも、乱交パーティというかフリーセックスの教団みたいなエグい設定なのに、作品全体が何故かファンタジーっぽいのが不思議。この不思議さ故に、私はこの作品が嫌いになれない。

#でも、目隠ししてキーボードを弾いてるんだから、儀式とタイミングを計ることもできないわけで、それなら別にテープでも流しておけばいいのでは?情報が漏れる危険性を考えると、ナイチンゲールさんの役割の必要性がいまいちピンとこない。まあ、倒錯した世界だから、そういう偏執はあるってことで…。

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image2035.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:リドリー・スコット
出 演:ノオミ・ラパス、マイケル・ファスベンダー、シャーリーズ・セロン、イドリス・エルバ、ガイ・ピアース、ローガン・マーシャル=グリーン、ショーン・ハリス、レイフ・スポール、イーモン・エリオット、ベネディクト・ウォン、ケイト・ディッキー、パトリック・ウィルソン 他
ノミネート:【2012年/第85回アカデミー賞】視覚効果賞(Martin Hill、Charley Henley、Trevor Wood、Richard Stammers)
 【2012年/第66回英国アカデミー賞】特殊視覚効果賞(Paul Butterworth、Trevor Wood、Charley Henley、Richard Stammers)
 【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】SF/ホラー映画賞
コピー:人類は どこから 来たのか。
 人類最大の謎、それは《人類の起源》

2089年。科学者のエリザベス・ショウは、地球の各地で発見された壁画に共通する図があることに着目し、これが地球外知的生命体からの“招待状”だという説を唱える。そして、エリザベス、その恋人ホロウェイ、女性監督官ヴィッカーズ、アンドロイドのデヴィッドら17名は巨大企業ウェイランド社が出資した宇宙船プロメテウス号に乗り、壁画の図が示している遥か彼方の惑星を目指す。2093年。長い人工冬眠から目覚めた彼らの前に目的の惑星が現れる。未踏の惑星に着陸し探査を開始すると、明らかに知的生物によて建造された遺跡を発見し、その奥に足を踏み入れる。しかし、地球のテクノノロジーでは理解できない出来事が次々と発生し…というストーリー。

冷凍睡眠、人間に寄生する生物、アンドロイド…いくら監督がリドリー・スコットだからって、そこまで『エイリアン』に似てちゃだめじゃね?と思って観ていたのだが、『エイリアン』の前日譚とのこと。それを知らないで観ていて、最後でぎょっとしてしまった。

でも、エイリアンの舞台は2122年らしいので、その約30年前の出来事ということか。よく考えたら“スペースジョッキー”ってやつ?エイリアンで出てたような気がするし、会社の名前だって“ウェイランド”で一緒だもんなぁ。でも、はじめから『エイリアン』と同一世界だと思って観ていたら、「ああ、これはアレにつなるんだな…」と、純粋に話を愉しむことができなかったと思う。前日譚であることを知らずに観ることができたのは非常にラッキーだったかも。

ビジュアル的にも、H・R・ギーガーの変態的なデザインをしっかり踏襲していて、非常に好み。“エンジニア”の真っ白マッチョな容貌もユニーク。雰囲気はばっちり。でも、宇宙船で使用されているテクノノロジーが『エイリアン』時代より格段に高いのが、気になる(まあ、次回作で文化的な劣化の理由については描写されるんでしょう)。シャーリズ・セロン演じるヴィッカーズのための医療システムが“男性用”って言うので、はぁ?となったんだけど、あれはあの爺さんのためのものなんだろうね。

でも、『エイリアン』世界の謎解きができたかというと、そうでもなくて、またまた、あれはどういう意味なのか…、『エイリアン』のあれとはどういう繋がりなのか…と、またまたマニアの話の種を増やしてくれたと思う。
冒頭の“創造主”がやったことはなんだったのか。地球を人間牧場とする計画の第一歩だったのか。そして、あの宇宙船の目的は本当に地球を滅ぼしにいくことだったのか。
最後まで“プロメテウス”が単なる船名なのか意味があるのかも不明。ただ、続編やる気マンマンなのはわかった!(笑)
#『エイリアン』の5作目を作るよりもこっちで良かったと思う。リドリー・スコットの判断は正しいと確信する。

ヨーロッパ版の『ミレニアム』シリーズのノオミ・ラパスが主演。『ミレニアム』の時から、どうもかわいげが無いというか、気持ち悪いというか、ユニークではあるんだけどあまり好きなタイプではないのだが、あまりフェミな感じだと本作の主役には合わないので適役ではある。でも、それ以上に吹き替えが剛力彩芽ってのがヒドい。こんな棒読みはないだろう。かなしいシーンもつらいシーンも全部同じ抑揚なんだぜ。『スノーホワイト』小雪、『ドミノ』の眞鍋かをりと、日本三大ポンコツ吹き替え女優に選定する。

あまり『エイリアン』を意識しないで観ることをお薦めする。私は非常に堪能した。剛力以外は。

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image2034.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:118分
監 督:レン・ワイズマン
出 演:コリン・ファレル、ケイト・ベッキンセイル、ジェシカ・ビール、ブライアン・クランストン、ジョン・チョー、ビル・ナイ 他
コピー:なりたい自分になれる記憶、あなたは買いますか?





世界大戦によって荒廃した近未来。人間が生きていくことができる場所はわずかになり、現在のイギリス近辺を中心とした裕福なブリテン連邦と、オーストラリア近辺を中心とした貧しいコロニーという2つの地域に分けて暮らしている。貧富の差は広がる一方で、ブリテン連邦の圧政に抵抗するレジスタンス組織の動きも活発になっている。コロニーで暮らす工場労働者のクエイドは、単純労働の毎日に飽き飽きしており、最近話題のリコール社による人工記憶を試して、ストレスを解消しようと考えていた。しかし、あまりにリアルな経験のため、社会問題化しており、現在は非合法化されている。期待していた昇進が見送られることを上司から知らされ、クエイドのイライラはピークに達し、同僚から教えてもらった名刺を頼りにリコール社を訪れる。クエイドは、憧れていた諜報部員の記憶を体験することを選択。いよいよ体験しようとしたとき、突如警官隊が乱入し、店舗が手入れを受けてしまう。ところがクエイドは、無意識に自分でも信じられない戦闘能力で警官隊を撃退。そのまま自宅に逃げ帰り、妻ローリーに事情を説明すると、何故かローリーはクエイドを殺そうと…というストーリー。

アーノルド・シュワルツェネッガー主演『トータル・リコール』(1990年製作)のリメイク。原作を読んだことがないので、どっちが原作に近いのかは知らない。
前作とはかなり違いがあり、火星なし、ユニークなクリーチャーなし、高度な異星人のテクノロジーなし、ただの革命話になっている。この割り切りは、決して悪くないのだが、そうするなら、もっと、今見ている世界が現実なのか仮想のか?で揺れる演出を増やすべきだったと思う。ちょっと少ない。前作も実は全部仮想の記憶の中の出来事でした…っていうオチだったらしいし、原作の『追憶売ります』もそっちのテイストが濃いはずななのだが。
そこまで割り切るなら、前作で特徴的だったデブのおばちゃんに変装するシーンとか、仮想記憶にハマッた奴が火星にいっちゃって云々という台詞とか不要だった。遊び心のつもりだろうが、中途半端で覚悟の欠如に写った。監督の腹が据わっていないいなんだと思う。

世界中の文化が二箇所に集中し、カオスな世界になっている設定は面白い。まあ、荒唐無稽すぎるけど地球の核と通過するトンネルの設定も悪くない。『ブレードランナー』と『マイノリティ・リポート』をあわせたような雰囲気か。
リコール社の社名がハングルなのは、どういう意図があるのか。非合法なくせにふつうにCMしてるとか、よくわからん。

途中で、将来の自分に映像を残したのだ…という演出があって、映像の最後に捕らえられてしまうのだが、その映像をどうやってあそこに残したのか。仕掛けがいまいちよくわからない。元自宅と思しき部屋のピアノに残された自分の映像が「簡単な答えなら可能」ということなのだが、いくらなんでもそれはおかしいような…。

まあ、色々引っかかることはあるのだが、それなりにスピーディで愉しめる作品。でも、DVDレンタルがTSUTAYA独占でも、それほど文句が出ない…ってことで、どんなレベルかは慮ってくだされ。

#メジャー作品でTSUTAYA独占の場合はイマイチ…っていう法則ができつつあるな。そりゃあ、配給する側が、広く展開するよりも、独占契約料+TSUTAYAのみのレンタル料金を得たほうが利益が高いって計算したわけだから、その程度ってことだよね。

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image2033.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:ポール・W・S・アンダーソン
出 演:ラ・ジョヴォヴィッチ、ミシェル・ロドリゲス、シエンナ・ギロリー、ケヴィン・デュランド、ショーン・ロバーツ、ボリス・コジョー、リー・ビンビン、アリアーナ・エンジニア、コリン・サーモン、ヨハン・アーブ、オデッド・フェール、中島美嘉 他
コピー:「世界」を壊せ。地球を救うために。



アルカディア号にてアンブレラ社の特殊部隊の襲撃をうけ、壮絶な銃撃戦を繰り広げるものの海へ転落し意識を失ってしまうアリス。そのまま、アンブレラ社の実験施設に捕らわれ、ジルから拷問を受ける。しかし突然、セキュリティシステムが一時的に停止し独房の扉が開き、アリスは脱出。復活したセキュリティーシステムの攻撃を受けながら、なんとか施設を脱出すると、そこは日本の渋谷。“シーケンス開始”のアナウンスが響き、無数のアンデッドがアリスに襲い掛かる…というストーリー。

4作目の直接的な続き。前作のラストを観た時「こんな駄作のくせに、続編作る気マンマンとかアホか~~」と思ったが、こんな内容でもしっかり収益をあげられるんだから、そりゃできる限り続けるよなぁ。ポール・W・S・アンダーソンとミラ・ジョヴォヴィッチ。夫婦で楽に荒稼ぎできる金ヅルシリーズである。

冒頭でこれまでのシリーズを振り返ってくれるが、肝心の前作の流れは説明はしない。正直、つまらなかったという記憶しかなくて、わざわざ観直す気にもならないので、一番説明してほしいのは前作なんだけどなぁ…。とはいえ、このシリーズは3作目から大した内容じゃないので、そのまま観たけど。
シナリオもポール・W・S・アンダーソンが手がけているのだが、もう開き直っているとしか思えない。まず、まともなストーリーというものがない。実験施設から脱出するだけ。脱出施設は、東京・ニューヨーク・モスクワなどの都市を模していて、脱出のためにはそれらを抜けねばならないと。要するに、一つのステージをクリアしたら次のステージ、つまりゲームと一緒なのである。
“処刑マジニ”など、これまで出てこなかったような種類のアンデッドも登場。『サイレントヒル』の三角頭さんみたいなノリのキャラだけど、おそらくゲームには出てくるんだろうが、映画的にはあまり新鮮味も魅力もない。
同じようなテンポで、これでもかこれでもかとバトルが続くので、激しいバトルなのに眠くなるという…。

最後、もう、人類は残っていない…的なナレーションが入っていたような気がするが、人間がいないんじゃぁ、もう何の目的で戦っているのかわからんよね。レッド・クイーンに追いかけられるから戦っています…じゃぁおもしろくならない。

日本の興行的には中島美嘉が目玉なんだろうけど、可もなく不可もなくといったところ。元々、アンデッドっぽいテイストの顔なので違和感もない。ただ、「こんなことやる前に、紅白できちんと歌えるように、本業をちゃんとせいや」と、私の心はつぶやいてた。病気なら歌はお休みすればよろしい。

これは、3D上映で観て、激しい音響にびっくりするというアトラクション的な楽しみ方をするための作品。DVDをお家で観ても、何てことない作品。新作料金で借りる価値はない。

 

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image2032.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:ニコラス・マッカーシー
出 演:ケイティ・ロッツ、キャスリーン・ローズ・パーキンス、ヘイリー・ハドソン、サム・ボール、マーク・スティガー、アグネス・ブルックナー、キャスパー・ヴァン・ディーン 他





アーニーは、幼いころから母親に虐待されていたため、独り立ちできる年齢になると家を飛び出し、そのまま疎遠となっていた。しかし、その母親が亡くなったため、姉から葬式に出るように何度も連絡が入る。姉も同じように母親から虐待されていたのに、なぜそんな気になるのにのかアーニーには理解できなかったが、しぶしぶ故郷に戻ることに。しかし、戻ってみたが家に姉がいない。起動したままのノートパソコンが床に置かれているなど、なにか不自然な様子。しばらくすれば戻ってくるだろうと考えていたが、結局葬儀の日になっても戻らない。葬儀を終えたアーニーは、預けられていた姉の子を家に引き取り、家で休むことに。しかし、その夜、恐ろしい体験をすることに…というストーリー。

日本未公開作品だが、それほど悪くなかった。ありきたりなポルターガイストや怨念モノのような感じでスタートするので、前半でかなり観る気が失せるのは事実。始めの姉が襲われるシーンまでは、幽霊の仕業なのか人間の仕業なのか、どちらにも取れなくない演出なのだが、葬儀後は完全に霊魂の仕業であるこことが明白な演出に。さらに、知り合いの霊能者が登場して確定。ああ、やっぱりそっち路線か…凡庸だな…と。しかし、そうやって散々油断し切ったときに、突然違うテイストが放り込まれて、「あ?お?何?」となる。

(以下ネタバレ)
いい加減な演出かと思っていたが、壁に包丁が刺さるのもしっかり伏線になっている。母親と一緒に写真に写っている女性の胸には、今、自分がしているペンダントが…。母親の住民情報を確認すると、母親の弟の存在が。その弟はどこへ?おや、もしかするとシリアルキラー物に方向転換か?しかし、刑事も登場して捜査を始めるが、現場写真には不思議な影が。やはり心霊現象なのか?と。終盤まで揺らす揺らす。で、コックリさんをやってやっぱり心霊モノかと思わせていると、突然…。

壁中に穴が開いてるんだから、霊魂による超常現象が発生していることを、地下男は見ていたんじゃなかろうか…と思うと、そこは辻褄が合わないような気が。
母親が虐待するような人間だったのは、遺伝子的にそういう傾向のある姉弟だということでいいのかな。弟の存在を一緒に暮らす子供にも隠すために、やむを得ずやっていたとか、そういう演出でも良かったと思う。そう、本作に足りないのは“愛”だな。
キャリアのない監督さんらしいが(脚本も監督が書いている)、彼には悪いが、これは、時間を置いてリメイクすればいいと思う。きっといい作品になる。

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image1995.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:トム・ハンクス
出 演:トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ、ブライアン・クランストン、セドリック・ジ・エンターテイナー、タラジ・P・ヘンソン ベラ、ググ・バサ=ロー、ウィルマー・バルデラマ、パム・グリア、ラミ・マレック、ジョージ・タケイ、グレイス・ガマー、リタ・ウィルソン、ジョン・セダ、リチャード・モントーヤ、マリア・カナルス=バレッラ、ホームズ・オズボーン、デイル・ダイ、ロクサーナ・オルテガ、ニア・ヴァルダロス 他
コピー:そこは、明日が好きになれる場所。


スーパーに勤務するラリー・クラウンは、優秀従業員に8回も選ばれたことがある優秀なベテラン店員で、同僚からも客からも愛されていた。そんなある日、勤務中に管理職らからバックヤードに呼ばれ、また優秀従業員に選ばれたのか…と思っていたら、いきなりクビを宣告されてしまう。会社の業績が芳しくないことが理由だったが、同期の社員の中でなんでラリーが選ばれたかというと、彼が大卒ではなく、昇進の見込みがないからだという。妻とは数年前に別れて独身だが、家のローンを抱えており、早急に再就職しなければならなかったが、高卒の彼を雇ってくれるところはいくら捜しても見つからなかった。そこで、再就職のためのスキルを身につけようと、思い切って短期大学に入学することに。そこで彼は、年齢も考え方もことなる生徒たちと出会い、今まで経験したことのない学生生活を送ることに。そして、スピーチの授業で、マンネリの授業にうんざりているうえに、結婚生活が破綻し、やさぐれぎみの教師メルセデス・テイノーと出会う…というストーリー。

脚本は、トム・ハンクスと『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』のニア・ヴァルダロス。実際はどうか知らないが、ラリー・クラウン目線の部分はトム・ハンクスが書き、メルセデス・テイノーの部分はニア・ヴァルダロスが書いたんじゃないか…と思うくらい、角度の違う目線で書き分けができていると思う。こういう、ラブコメ的なシナリオは、書き手の性別に視点が偏るものだが、うまく男女両方が共感できる内容になっていると思う。

しかし、日本でもリストラされることはあるだろうが、本作のようにロックアウト方式で解雇されることはまずないのでピンとこないし、いくら自分が大卒じゃないからといって、今月乗り切れるかどうかという経済状況の中、えいやーで学校に通うというのが不自然に思える。いや、解雇されて奮起して大学に通い始めるなんて、私からしたら、ある意味で夢のようでうらやましくもあるのだが、コミュニティ・カレッジの費用もよくわからんし、カツカツの生活の描写があるにもかかわらず、どのくらいお金が足りないのかがよくわからないし、彼の追い詰められ具合が見えてこないので伝わってこない。

経済学の授業をまじめにうけたので、自分の債務(ローン)をどうするのが最適かわかりました…的なのも、いまいち面白くない。だってあの講義、ミクロ経済がメインに見えるんだもん。ファイナンス系の話や家計の話はあまり関係ないでしょ。なんかズレてる。
細かいディテールを描くことを放棄して、ぼんやり話を進めている感じがする。典型的な取材不足なシナリオに思える。

ラリーが新しい世界に触れて、変わっていくのは面白いのだが、肝心のテイノー先生との恋愛が全然ワクワクしない。酔っ払った彼女を拾って、酒の勢いで距離が急速に縮まるのは、エピソードとしてはいいのだが、それまで別にお互いを意識したようなそぶりもないし、唐突に思える。彼女がラリーに好意を持つポイントは、スピーチの内容くらい。もっと激しくぶつかった末にひっくり返って恋愛に転じるとか、そういう伏線も薄い。若い生徒とラリーがつるんでいるのを見て、いやー気持ち悪いわーとか思ってたくらいで、好意を抱く場面は一切なかったと思う。
旦那を追い出したのはいいだろうが、結局離婚したのか…とかも描写していないので、ラリーと結ばれるのを、手放しで喜んでいいのかどうかもわからん。

観終わった後、すごく爽やかな気分にはなる。でもこれは、大きく感情が動かされることもなく、大してアップダウンもなく普通に男女が結ばれて、めでたしめでたしで終わるアクの無い作品だからだと思う。普通の作品…というか、観ても観なくても、あなたの人生になんの影響も及ぼさない作品。観るだけ時間の無駄だった~というようなマイナスの感情もわかない。卒なくまとめてはいるが、踏み込みが甘い。

#醤油のくだりとか、スベってるんだよなあ…。

 

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image2027.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:146分
監 督:テイト・テイラー
出 演:エマ・ストーン、ヴィオラ・デイヴィス、オクタヴィア・スペンサー、ブライス・ダラス・ハワード、ジェシカ・チャステイン シーリア、アリソン・ジャネイ、シシー・スペイセク、シシリー・タイソン、メアリー・スティーンバージェン 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】助演女優賞(オクタヴィア・スペンサー、ジェシカ・チャステイン)
 【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】助演女優賞(オクタヴィア・スペンサー、ジェシカ・チャステイン)
 【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ヴィオラ・デイヴィス)、助演女優賞(オクタヴィア・スペンサー、ジェシカ・チャステイン)、アンサンブル演技賞
コピー:彼女たちの物語が、私を変える。私の物語が、世界を変える。

1960年代前半のアメリカ南部。ミシシッピ州。大学を卒業したスキータは、故郷の町であるジャクソンに戻ってきた。彼女は作家志望で、地元の新聞社に就職。初仕事は、家事に関するコラムの代筆の担当だったが、彼女には家事の知識はない。そこで、実家のメイドのコンスタンティンの知恵を借りようと考え、久々に家に戻るが、そこにコンスタンティンの姿は無かった。自分の育ての母親も同然の彼女が、自分の知らぬ間にいなくなっていたことに怒り心頭のスキータは、母親に理由を問い詰めるが、母親は言葉を濁すばかり。とりあえず、コラム執筆のために、友人エリザベスの家のメイドであるエイビリーンの知恵を借りることに。おかげで家事のコラム執筆は順調に進んだが、取材の中で、エイビリーンから雇い主のことを聞くにつれ、メイドたちに対する南部の上流社会の扱いに疑問を抱き始める。そんな時、同窓生のリーダー格であるヒリーが、黒人と同じトイレを使うのは不衛生だと主張し、メイド専用のトイレを作る活動を始め、それに影響されてエリザベスもトイレを設置するのだった。それでも、不満を口しにしない黒人メイドたちの姿を見て、心を痛めたスキータは、メイドたちの証言を集めて本を出そうと思いつく。しかし、エイビリーンは、それに協力したことがバレたら、身に危険が生じると取材を拒否し…というストーリー。

黒人差別をモチーフにした映画は、理不尽な暴力や陰謀、農奴的に側面を扱う場合が多いと思う。本作のように、各家庭に入り込み、“育ての母”としての存在がクローズアップされたストーリーを私は初めて観た。時代設定も公民権運動はなやかりしころだし、舞台はバリバリの典型的な南部なので、血なまぐさい展開になりがちだと思うのだが、エピソードは比較的穏健。逆に、それをカウンターバランスとして、一般家庭レベルにがっちりと絡み付いた差別意識を描いているところが秀逸だと思う。

非常にユニークなのは、メイドたちが子育ての中で、排尿・排便のしつけをしたり、黒人専用をトイレを作ろうとする話だったり、チョコレートパイにうんこをまぜる話だったり、いたるところにウンコの話ばかりだったこと。人間はどう着飾っても、絶対排便はする。それほど、黒人メイドという存在が、南部白人の歴史にがっちり絡み合っているという証を表現しているのかもしれない。

アメリカは、自分の国の皇帝が生まれないように、大統領を選出する術をあみ出した。しかし、ヨーロッパからフロンティア精神を持ってアメリカ大陸に渡ってきた彼らは、結局、貴族社会の構築に邁進したということだ。開拓者は“市民”としてほぼ平等。ヨーロッパ時代の門地などひけらかしてもどうしようもないわけだが、では、どうやって彼らが貴族になったか。自分の地位を高められないなら、下をつくればいい。そうやって黒人奴隷をかき集めて、相対的に貴族になったということだ。黒人奴隷=労働力という捉え方をしてきたが、黒人の存在こを自分を貴族たらしめる物なのだ…そう考えたほうがしっくりくるなぁ、と考えさせられた。

黒人メイドを育ての親と言いはばからず、家庭に入るだけが女の価値ではないと考えるスキータと、小さな不満の種火をくすぶらせ続けたメイドたちの小さな勇気。その二つが、別に白人社会を直球で糾弾すのではなく、日々行われている事実を淡々と書き連ねることで見えてくる白人の滑稽さを浮き彫りにするという、比較的穏健なムーブメントを生み出すのだ。

そういう“抵抗”をしながらも、メイドたちは、日々働き続け、そこで“ヘルプ”つ続ける。彼女たちを所有物のように扱う人もいるが、人間と人間として尊重する人もいる。あたりまえの行動なのだが、そういう人をメイドが心を通わすシーンを観るだけで、心が熱くなる。オクタヴィア・スペンサーとジェシカ・チャステインが連名で助演女優賞を多々受賞していてめずらしいのだが、観れば納得すること必至である。
対して、頑なに黒人を人間として扱えない人もいて、エイビリーンのラストは、その断崖が簡単にはなくならないこと(現在でもなくなっていないこと)を示唆して終わる。ヴィオラ・デイヴィスの演技も悪いわけではないのだが、抑え目のキャラなので受賞に至っていないのは仕方が無い。

146分とちょっと長めなのだが、観入ってしまって、時間を忘れた。黒人差別をテーマにした作品で、ここまで爽やかなのに鳩尾にズンとくる作品は他にはないな。極めて良作。

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プロフィール
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クボタカユキ
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男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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