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公開年:2010年
公開国:日本
時 間:129分
監 督:森田芳光
出 演:堺雅人、仲間由紀恵、松坂慶子、西村雅彦、草笛光子、伊藤祐輝、藤井美菜、大八木凱斗、嶋田久作、宮川一朗太、小木茂光、茂山千五郎、中村雅俊 他
コピー:刀でなく、そろばんで、家族を守った侍がいた。
江戸末期。加賀藩で御算用者(会計係)として仕える猪山家。その八代目・直之は、算術・そろばんの腕だけでなく、実直な働きぶりで周囲から評価される。やがて、町同心の娘お駒を嫁にもらい、出世も果たした直之。しかし昇進によって出費も膨らみ、家計は苦しくなるばかり。直之が猪山家の財政状況を調べ直してみると、既に借金総額は年収の2倍にも膨れあがっていることが判明。お家存亡の危機と悟った直之は、家財一式を売り払い返済することを決意。今後は自らが家計簿をつけることを宣言し、工夫を施しながら倹約生活を実践していくのだった…というストーリー。
正直、おもしろいっちゃあおもしろかったのだが、映画のシナリオとしてどうなのか…と非常に悩んだ。特に、一体だれが主人公なんだ?と。
一見、直之が主人公のように見えるが、家計崩壊の難局を乗り越えはしても、直之自身に何か変化があるわけでもなく、始めから最後まで愚直に真面目を通しているだけ。支出を制するが、入りの改善は試みない…これでは、単なるガマンのお話。
#むしろ計算が合わないことを無性に気持ち悪く思う潔癖さは、真面目を通り越して性癖だ。
じゃあ、直之だけじゃなくて、猪山家全体が主人公か?というと、そうでもない。狂言回し的な息子だって、仕込まれた算術の腕で明治政府に組み込まれていくだけ。戦争にすったもんだはあれどむしろ家系としては平常運転だ。これで、健全経営の阻害要因であった信之・つね夫妻が、直之の愚直さによって、その心に変化が…とかいう展開なら、実は彼らが裏の主人公ってことになるけど、最後までポンコツ夫妻だし。草笛光子演じるおばばだって、元々“ちょっとわかってる人”っていうだけで、何の変化もないし。じゃあ、妻のお駒かっていうと、ずっと夫に従う良妻なだけだし。
完全に主人公不在。こりゃ、むしろ主人公は、価値観が変遷してく“世の中”なんじゃないかと思えてくる。これって物語といえるのか?と。で、やっぱり何か変だなーと思って調べてみると、原作は小説ではなくて、こういう倹約した先人がいましたよ…という、一般向けの教養書。まあ、ノンフィクションと考えると、腑に落ちるわなぁ。
現在の日本の礎は、基礎能力の高い下級武士のおかげなのは、疑いの余地がないので、こういった話にスポットを当てたのはよしとしたい。でも、映画にするなら、架空でもいから、もうちょっと誇大に表現しないと。
例えば、直之は親のいいなりで、本当は気持ち悪いと思いつつも、武家の倣いに従って親を尊重し続ける。妻からは、普段は偉そうに御算用者の有り様を語るくせに親の金遣いにはだんまりか…と責められる。んで、すったもんだあって、直之ブチギレ。なんとか主導権を握り倹約することで、なんとか乗り切る。次は、息子の教育。スパルタ教育をほどこし、うまくいっているように見えて、息子の不満爆発で出奔。縁を切ろうとおもったのに、結局は親の仕込んでくれた能力で、ピンチを切り抜ける。でも、親にあわす顔はない。このまま生き別れか…と思いきや、父の体調が芳しくないことを聞き、ダッシュで帰郷。死に際には間に合い、最後に感動のやりとり…、こんな感じじゃないかな。
あれ…、大筋の流れはこの映画のとおりじゃないか。じゃあ、何がダメなのさ。
結局は、直之のキャラクターが死んでいて、心の起伏が見えないのが敗因ってことか。つまり森田芳光の演出がダメってことなんじゃん。はぁ…。
面子なんかよりも身の丈にあった生活をしないとね…、現状を正確に把握しないと改善はできませんよ…、という、あたりまえのことこを語る“静かな武勇伝”ですな。映画と思わず、人物紹介のコーナーだと思って見れば愉しめるだろう(その割には、ちょっと長いけど…)。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:リー・アンクリッチ
出 演:トム・ハンクス、ティム・アレン、ジョーン・キューザック、ネッド・ビーティ、ドン・リックルズ、マイケル・キートン、ウォーレス・ショーン、ジョン・ラッツェンバーガー、エステル・ハリス、ジョン・モリス、ジョディ・ベンソン、ブレイク・クラーク、テディ・ニュートン、ティモシー・ダルトン、クリステン・シャール、ジェフ・ガーリン、ボニー・ハント、ジョン・サイガン、ジェフ・ピジョン、ウーピー・ゴールドバーグ、ジャック・エンジェル、R・リー・アーメイ、ジャン・ラブソン、リチャード・カインド、エリック・フォン・デットン、チャーリー・ブライト、アンバー・クローナー、ブリアンナ・メイワンド 他
受 賞:【2010年/第36回LA批評家協会賞】アニメーション賞
【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】アニメーション作品賞
【2010年/第64回英国アカデミー賞】アニメーション賞
【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】長編アニメ賞
コピー:「さよならなんて、言えないよ…」
17歳になったアンディは、大学進学で引っ越すことに。一番のお気に入りだったウッディだけを引越し先に持っていくことにして、あとのおもちゃ達は屋根裏部屋にしまうことにした。しかし、手違いでゴミに出されてしまう。なんとか脱出した彼らだったが、本当に捨てられたと勘違いした彼らは、ウッディの説得も聞かずに、託児施設“サニーサイド”に行くことを決める。サニーサイドに到着すると、ロッツォというクマのヌイグルミたちに歓迎され、理想的な場所にたどり着いたことを喜ぶ一同。しかし、そこは、おもちゃを乱暴に扱う凶暴な幼児ばかりの地獄の場所だった。ウッディは、仲間たちの危機を知り、急いで彼らの救出に向かうのだったが…。
「泣けた…」という感想を聞くことが多くて、どんだけ盛り上げてくれるんじゃ!と期待していたが、そんな感じではなかった。
誰にでもある人生の岐路と、おもちゃの運命がシンクロして、どうにもセンチメンタルにさせてくれて、掴みはOK。その後もラストらしく、いつもとは違うテイストになるのかと思いきや、部屋を飛び出しての冒険&悪役との対峙&ピンチ&脱出!…と、むしろトイ・ストーリー シリーズとしては平常運転。いつもどおりの傑作。
冒険アクションの緊迫度は数段グレードアップ。1,2,3と省みても、CGの技術はますます進歩している。単なるテクスチャ&陰影処理だったものが、本物なんじゃねーのか?って感じるレベルに到達(そりゃあ昨今の実写映画のCGレベルを考えたら、玩具を本物に見せるくらい訳ないわなぁ)。もう、映像的に違和感を感じる部分は皆無。まさに、おもちゃが動いている。
ただ、成長してもおもちゃに愛着を持っているアンディをみて、逆に心苦しくなっちゃったのも事実。だって、飽きたら分解して改造して訳わからなくなって、引越しのタイミングでエイヤーで廃棄。乱暴にあつかうこともなかったけど、愛着を感じることもあまり無かったかな…なんて。もし、同じようにおもちゃを大事にしていた人は、泣いちゃうのかもね。
まあ、最後はウッディを手放す決断をして、アンディは大人になっていくわけだけど、こういう儀式が私の人生には無かったから、いまだにフィギュアとか買って遊んでるんだろうな…(はぁ…)。
でも、これ、子供に見せると、変におもちゃに執着しちゃって、変なかんじにならないだろうか。気になっておいそれと捨てられないのも考え物。やっぱ、おもちゃって子供の成長の軽い通過点であるべきなのかも。
シリーズの味を壊すことなく、且つ、フィナーレにふさわしい結末に大満足。二作目の6割増くらいで愉しめた。お薦め。こいつらのフォギュア、全部揃えたくなった。
#ザークの登場はおもしろかったけど、トトロは別に出す必要なくねーか?
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:115分
監 督:長崎俊一
出 演:サチ・パーカー、高橋真悠、りょう、大森南朋、高橋克実、木村祐一 他
コピー:人はみんな幸せになれるようにできているんですよ
中学1年生のまいは、友達関係がうまくいかず登校拒否になってしまう。対処に困ったママは、田舎にくらすおばあちゃんのところにまいを預けることに。おばあちゃんはイギリス人で、日本人の夫に先立たれてからは一人暮らしをしている。そんなおばあちゃんとの暮らしはとても新鮮だった。ある日、おばあちゃんは自分が魔女の家系だとまいに打ち明ける。自分にも魔女の血が流れていると知ったまいは、自分も魔女になりたいと願い、魔女になるべく“修行”をはじめるのだった…というストーリー。
いうほど“魔女”がどうしたこうしたという内容ではなくって、田舎にすむ西洋人のおばあちゃんとの異空間での生活…そのゆるく流れる空気を感じる作品かと。
途中、妙に料理シーンを挟んできて、『かもめ食堂』的なテイストで押そうとしてるのかな…なんて思ったが、如何せんイギリス人のやることななので、料理がおいしく見えるはずもなく。イギリス人なので、庭もけっこうぼーぼー(イングリッシュガーデンってそんなものでしょ)。まあ、飾らない感じではあるので、テーマには合ってるといえば合ってるのだが。
主人公に共感を持った人が意外といるのではないかな…と思う。登校拒否児とはいえ、その直接的な原因は主人公には無くて、そんな状況に甘んじる必要も迎合する必要ない、おかしいのはおまえじゃないから変に乗り越えようとするだけ無駄。だから、別に逃げたっていいじゃないかという思考に、「やっぱりそうだよな…」と妙に納得できて、それこそ励まされる何かを感じたりする。
特に会社勤めをしていると、往々にして、苦境に立たされると、こんなことが乗り越えられない自分に問題があるんじゃないかと考えてしまうことがある。しかし、後になって冷静に考えてみると、どう考えても上司の言っていることや状況がクレイジーだったと思うことが多々ある。
だからといって、いつも斜に構えてイヤなことはやらないで結構というわけではないのだが、“逃げるが勝ち”という場面は存在すると、はっきり主張してくれるのは、なにか心強く感じられる。
#西洋人で且つ魔女というおばあちゃんが、ある意味“部外者”としての客観的視点を発揮してくれるわけだが、異世界で異端者から救済されるという、何かジブリ作品に通じるものも感じなくは無い。
ただ、一方的に逃げりゃいいじゃんと肯定しているわけでもなくて、“客観視できる能力”を孫のあなたも見に付けなさい…と、そうじゃないと逃げるべき時なのかそうでなのか判断が付かず、永遠に苦しむことになるわよ…と。で、それが“魔女修行”という名で展開される。まあ、至極まっとうな考え方だし、それが中学生の主人公を通してのロールプレイになっていて、ちょっとしたメンタルヘルス改善のツールって気すらしてくる。
ただ、言っていることが正しければ、映画として正しいのかというと、それは否である。
途中で、この主人公がエスケイプできてるのって、親がそれなりの収入があって且つ逃げ場所があるからじゃん…とか頭をよぎる。大抵の世の中の人は、逃げ場所もなければ物理的に逃げられないからこまってるんじゃん…と、それが頭をよぎると、急に興醒めしてしまうのも事実。妙にゆるい空気を演出しているせいで、観客側に考えさせる猶予を与えているのが敗因。100分以内にまとめるなり、もうちょっと別のエピソードを挟んで気をそらすなりして、“逃げ切る”だけのパワーが無かった。
良作といいたいところなのだが、ほんとにあと一歩。実におしい出来映えだったと思う。でも、いかにもハリウッド的なエンタメ作品ばかり観続けていると、ほっとできたのも事実。荻上直子作品なんかよりは、ずっとほっとできたかも。軽くお薦め。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:90分
監 督:田崎竜太
出 演:吉川晃司、桐山漣、菅田将暉、山本ひかる、木ノ本嶺浩、山本太郎、かでなれおん、佐戸井けん太、つぶやきシロー、小沢和義、渡部秀、三浦涼介、高田里穂、君嶋麻耶、有末麻祐子、甲斐まり恵、宇梶剛士、大口兼悟、彩也子、なだぎ武、なすび、腹筋善之介、中川真吾、板野友美、河西智美、神尾佑、中野若葉、嘉数一星、八木瑛美莉、植田紗帆、伊藤正之、小川輝晃、伊勢浩二、本橋由香、高越昭紀、諸田敏、剣持直明、五味涼子
竜との結婚式を迎えた亜樹子の父親・鳴海荘吉が仮面ライダースカルになるまでの真実の物語-『仮面ライダースカル メッセージ for ダブル』と、鴻上ファウンデーションが人造人間として蘇生させた織田信長が施設を脱走。記憶装置喪失となったノブナガと映司がであう物語『仮面ライダーオーズ ノブナガの欲望』。そして、邪悪な巨大なエネルギー体“仮面ライダーコア”を阻止するWとオーズの物語『MOVIE大戦CORE』の3部構成。
特撮ヒーロー物に興味が無ければ、視界にすら入らない作品だと思うが、平成仮面ライダーは10年以上TV放送が継続され、キャラクター商品売り上げに至っては2010年だけで230億円以上の大産業。本作もその一翼を担う作品ということだ。
最近の仮面ライダーの劇場作品には一つの特徴がある。一昔前なら、複数の同時上映作品を順番に流すだけだったが、今は、1作目をスタートしていいところでストップ。そして2作品目をスタートして、そちらもいいところでストップ。その後その2本のストーリーを融合したり、片方が片方の世界にお邪魔したりするなどして、MIXした3本目が始まる。子供を飽きさせない工夫でもあるし、前年の仮面ライダーと本年の仮面ライダーをコラボして商品収入の増加も見込む作戦でもあるい(通常は新シリーズの終了で、過去の作品は死に商品になるのが普通だが、仮面ライダーは決してそうではない)。
ただ、この演出はハマる時は大人が観てもワクワクするのだが、外れると本当にグダグダになる。で、本作は…というと、残念ながら外してしまっている。『W』のパートも『オーズ』のパートもあらすじだけはものすごくおもしろい。しかし、あきらかに各所で練りが足りが足らず、スケジュール的な妥協の影がアリアリと見て取れる。
前者はキャスティングに失敗。戦犯は山本太郎とかでなれおん。山本太郎は他の作品でもそうなのだが、本当に大根。いかにも演技をしているという感じが伝わってくるので、子供でも醒める。かでなれおんについては、最近の仮面ライダー(だけでなく特撮物すべて)に設けられているセクシー枠で(そんなものが本当に必要なのかどうか、よく考えたほうがいいと思うが)、花魁言葉を使うキャラなのだが、まともにセリフが言えていないため、何をいっているのかわからない上に、セリフをいうだけで精一杯で演技がお留守。おまけにセクシー枠のくせにちっともセクシーじゃないという二重苦。元々いてもいなくてもストーリーに影響のない味付け敵的キャラなので、無駄な存在感がハンパない。
メインキャラクターの山本ひかるの演技も、実は大問題(エキセントリックな演技以外は、見るに堪えない)。でも、レギュラーなので仕方が無い(1年がんばったご褒美ということか)。
一方の『オーズ』は、とても30分ちょっとではまとめきれないような内容なのだが、展開を急ぎすぎてダイジェスト版のようになってしまっている。そうせざるを得ないならば、割り切ってアクションと新キャラ・新技のオンパレードにしちゃえばよいのに、妙に複数の登場人物の心理描写などを盛り込もうなどとするから、この有様。たぶん、子供は付いていけなかっただろうし、お父さん世代はやっつけ感を嗅ぎ取って興醒めしただろう。
1年間の特撮物のTV放映というのは、ものすごく大変で、短距離走のスピードでフルマラソンを走るようなもの。それに加えて映画作品まで作るというのは、いくらビジネスといえどもとてつもない労力であることを想像に難くない。おまけにそれを毎年毎年続けているわけだ。
で、もう、きちんとシナリオを推敲する時間を確保できていないことがよくわかる仕上がり。とりあえずプロットの流れの整合性が確保できさえすれば、後は見切り発車しているんじゃないかと思うくらい。
伊達に世の中で流行っているわけではないので、どっしりと腰をすえればいい作品になるはず。これまで、TV版に無関係の監督を使うとむちゃくちゃにされる傾向が強かったので、非常に悩むところなのだが、少なくとも絵コンテの推敲の段階で、あと3週くらい掛けられるようなスケジュールを考えるべきだろう。
はい、言うまでもないが、仮面ライダーWのファンだった人は“押さえ”程度の価値しかなく、オーズのファンについては、特に映画のみのフォームがあるわけもないので、観る価値はない。以上。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:126分
監 督:三木孝浩
出 演:宮崎あおい、高良健吾、桐谷健太、近藤洋一、伊藤歩、ARATA、永山絢斗、岩田さゆり、美保純、財津和夫 他
コピー:それは、二人の想いをつなぐ歌──。切なく胸に鳴り響く、青春恋愛映画の誕生!
大学時代に軽音サークルで知り合い、付き合って6年になるバンドマンの種田とOLの芽衣子は、小さなアパートで同棲中。種田はサークル時代の仲間とバンドは続けているものの、不安と焦りから音楽への思いを押さえ込んでバイトに励む毎日。芽衣子が日々嫌々会社にいっているのを見て、そんな会社に行かなくても自分が面倒みると勢いで言ってしまうと、芽衣子は本当に会社を辞めてしまう。そんな芽衣子から、音楽と向き合うことから逃げていると指摘された種田も、バイトを辞めてレコーディングに集中しデモCDを完成させる。今回のチャンスを掴めなければバンドを解散することを決意していたが、まったく芽が出そうにもない現実を目の当たりにして、芽衣子に別れを切り出す。そのまま散歩といって外出したまま部屋に戻らない種田を、待ち続ける芽衣子だったが…というストーリー。
間違いなく宮崎あおい演じる芽衣子が主人公のはず。それならば、種田が死ぬ(↓)、バンドを始める(↑)、もがき苦しむけどどうしてもうまくいかない(↓)、仲間の協力と自分の努力でうまくいく、やったー(↑)っていう、上がり下がりの波に特化しないのか。種田が死ぬまでに半分以上つかってどうするんだ。
ただでさえ、ゆとり世代のくっだらないモラトリアムな理屈と、くさい演技を見せ続けられて、うんざりするのに、ペース配分もおかしいと、目も当てられない。
こういう作品の場合、監督の責任で演者さんに非は無いということが多いけれど、本作については違う。クサい演技なのは、シナリオのせりふがクサいからだと思っているかもしれないが、まともな役者がやれば、この程度のクサいセリフなら違和感はないはず。本作の役者はあまりにもレベルが低すぎるのだ。反省すべし。
ああ、若いころは確かにこんな考えになったかも…、若いっていいなあ…と感じさせてくれるように、彼らの生活を観せないといけないはず。そのためには、余計な前半の描写はズッパズパ切るべき。種田との生活を重要と考え、引っ張りに引っ張りすぎたのが、敗因だと思う。100分くらいに抑えるべき。
もう一度言うけど、観せたいのは、宮崎あおい演じる芽衣子の変化・成長。種田の死は、それが始まる一要因・味付けでしかない。種田の死でさぞやつらかろう…ということに共感して涙させることが主軸ではない。
ただ、監督自身が、その大事なポイントに気付いていない可能性が実はある。その証拠に、この作品で一番重要なはずの、芽衣子が自分でバンドをやろうという気持ちになった、心の変化の描写が非常の薄いから。
無駄なことは表現しないっていう部分(たとえば、種田が死んでからのすったもんだは表現しないとは)は、心得ているのに、抑えるべきポイントをズレていたり、流れを阻害するなら思い入れのある場面でも切るという、監督として絶対に持っていなければいけない素養に欠ける。
#バイト先のギター小僧とか、種田の親のくだりとか、バンドの後輩にキスされるシーンとか、etc,,,本当に必要かどうかよく考えてごらんよ。
お薦めでできない。でも、だれか別の人に編集してもらえば、生き返るかもしれない作品。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:トニー・ギルロイ
出 演:ジョージ・クルーニー、トム・ウィルキンソン、ティルダ・スウィントン、シドニー・ポラック、マイケル・オキーフ 他
受 賞:【2007年/第80回アカデミー賞】助演女優賞(ティルダ・スウィントン)
コピー:【フィクサー】……弁護士事務所に所属する“もみ消しのプロ”。
男は、完璧に罪を消せるはずだった・・・・・・。
ニューヨークの弁護士事務所で、法律で解決できない案件を揉み消す仕事を担当する男マイケル・クレイトン。その汚れ仕事に嫌気が差していたクレイトンは、事務所をやめようとレストラン経営に手を出したが失敗し、多額の負債を抱えてしまう。その頃、事務所は、農薬関連の大企業U・ノース社側の弁護団として大規模集団訴訟を抱えていたが、その公判のさなか、主任弁護士のアーサーが全裸になるという事件をおこしてしまう。さっそくマイケルが派遣されるが、親友でもあるアーサーの対応に苦慮する。自分は正気だと主張するアーサーをひとまずホテルに軟禁するが、隙をみて脱走。そこから、自分の金銭問題も相まって、思いも掛けない窮地に陥っていく…というストーリー。
一見複雑な内容に見えて、実は非常にシンプル極まりないストーリー。それなのに、ここまで味のある作品に仕上がっているのは、ひとえに監督のセンスの賜物だろう。ちなみに監督&脚本のトニー・ギルロイは、『ボーン・アイデンティティー』シリーズの脚本家である。
頭の上にびっしりと霧がかかったような世界観。ぬるぬると進むストーリー。かと思うと、始めの方の、馬を愛でようとしたら後ろで大爆発なんてのもあって、掴みもOK。
扱っているのが公害訴訟だし、友人が殺されちゃう展開なので、社会正義に打ち震える流れになっちゃいそうなんだけど、本人の経済的苦境と打算的な振る舞いで、最後までどっちに倒れるのかわからない状況を作り出しているのが秀逸。
最後のエンドロールに入ってのニヤリってのも粋な演出だと思う。あのニヤリの表情一つで、“色んな意味で”勝ったということが表現できている。
シナリオで唯一の不備は、フィクサーという役割が、単なる閑職にしか見えないところか。本人も訴訟担当に戻して欲しいといっているので、雑務程度にしか映らない。もうちょとと特殊技能である部分を強調してもよかったかと。
#いや、大体にして原題は“MICHAEL CLAYTON”じゃないか。そう、“マイケル・クレイトンという男”とか、そんな感じの方がニュアンスとしては正しいわけだ。
じめっとした雰囲気の中、心の機微がピリピリと伝わってくるような演技を見せてくれたティルダ・スウィントン。でも、確かに演技はすばらしかったが、オスカーの価値があったかどうかは微妙。そのときのノミネート者を見てみると、消去法だった気がしないでもない(『アイム・ノット・ゼア』でケイト・ブランシェットにあげるか、どっちかってところ)。
ジョージ・クルーニーのこれまでの作品で一番愉しめた作品かも。誤解を恐れずに一言で表せば、“大人”の作品。ぐいぐい惹きこまれた。お薦めする。
負けるな日本
公開年:2003年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:アンディー・ジョーンズ、前田真宏、渡辺信一郎、川尻善昭、小池健、森本晃司、ピーター・チョン
出 演:キャリー=アン・モス、キアヌ・リーブス、ケヴィン・マイケル・リチャードソン、パメラ・アドロン、ベッド・フォード、デイン・デイヴィス、クレイトン・ワトソン、ヘディ・ビューレス、フィル・ラマール、ビクター・ウィリアムズ、アレックス・フェルナンデス、キャス・スーシー、ジェームズ・アーノルド・テイラー、メリンダ・クラーク、ロドニー・ソールスベリー 他
人類が“マトリックス”に支配されるまでの過程や、派生的エピソードをオムニバス形式で綴る。マトリックスの世界観を深く知ることができる『ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス』『セカンド・ルネッサンス パート1』『パート2』『キッズ・ストーリー』『プログラム』『ワールド・レコード』『ビヨンド』『ディテクティブ・ストーリー』『マトリキュレーテッド』の全9編。
一部、『ドリームキャッチャー』にゲリラ的に同時上映したらしけど、基本的には劇場未公開作品(DVD発売時に限定公開したらしけど)。
本作を観て、単なる続編への繋ぎとみる人は、『マトリックス』にアクションを求めているだけの人。そういう人は『リローデット』や『レボリューションズ』で充分満足できたことだろう。実に幸せだ。
先日、『マトリックス』をTV放映していたが、続編を特に観ようという気持ちは湧かなかった。はっきりいってパート2以降は私の期待していた内容ではない。認識論とか実在論とか哲学的な思索が、続編にはない。単なるレジスタンス物に早々に成り下がってしまったと思うのだ。その代わり、本作を見返したくなったのだ。
ある意味、『マトリックス』の真の面白さを継承しているのは、マトリックス世界の秘密や歴史をしっかりと綺麗に説明してくれている『アニマトリックス』だけだとすら思う。もっと、はっきいってしまえば、マトリックスシリーズは、1作目と『アニマトリックス』だけ観れば満足できる(だから、私はこの2本だけ購入している)。
特に『セカンド・ルネッサンス』は慧眼の出来映え。ロボットが覚醒するくだりは、手塚治虫の『火の鳥 復活編』そのままなんだけれど、それを超える味わいとまとまりがあり、日本人クリエイターの面目躍如といったところだ。
ちなみに、面白い作品は日本人監督で、ちょっといまいちなのは外国人作品である(『マトリッキュレーテッド』ね)。外国人を蔑視したいわけではない。なんでこんなに明確に味わいに差が生じるのか。自分はいったいどこを観て興醒めしているのか。そのセンス差がどこで生じているか分析しきれない。ここがまた魅力であり、何度か繰り返し見てしまう理由だったりする。
まあ、唯一の難点は、クリエイターは違えど、各作品のテイストやリズムが似かよってしまっているので、油断するとちょっと眠くなることか。もし観ていない人がいるならば、是非お薦め。これを観るか観ないかで、続編の受け取り方はまったく違うはずだから。
負けるな日本
公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:129分
監 督:ドミニク・セナ
出 演:ジョン・トラヴォルタ、ヒュー・ジャックマン、ハリー・ベリー、ドン・チードル、ヴィニー・ジョーンズ、カムリン・グライムズ、サム・シェパード、ルドルフ・マーティン、ザック・グルニエ、ドレア・ド・マッテオ 他
コピー:全米が、ハメられた。
ロサンジェルス空港で国際手配中のハッカーが逮捕される。なぜ危険を冒してまでアメリカに入国しようとしたのか、その理由を聞き出そうとロバーツ捜査官は執拗に尋問する。しかし、尋問の合間に目を離した隙に、何者かによってハッカーは射殺されてしまう。一方、服役を期に引退した世界一と称されたハッカー・スタンリーのもとにジンジャーと名乗る女性が訪れる。彼女は、とある計画への協力をスタンリーに依頼する。以前、麻薬取締局が行った極秘作戦“ソードフィッシュ”のために作られたダミー会社が、95億ドルもの巨額の利益をあげてしまい、そのプールされている金をハッキングによって奪おうという計画だ。その計画の首謀者は元モサドの大物スパイ・ガブリエル。スタンリーは別れて暮らす娘を取り戻すための訴訟費用欲しさに協力を受諾してしまい…というストーリー。
『狼たちの午後』を観た時に、そういえば『狼たちの午後』について薀蓄を語ってる映画があったよな…と本作を思い出して、再鑑賞。内容は微塵も記憶になかった。
すごいドンパチに、すごいアクション。冒頭のベアリングボールが四方八方に飛び散る爆破シーンの迫力はなかなかのもので、掴みはOK。でも、早々に、この人たちは何が目的でこんなことしてたんだっけ?状態になる。別に勧善懲悪じゃないといけないわけじゃないけれれど、誰の目線で観ればいいのかもわからなくなる。
すべて、見せたい演出が先に存在して、それにストーリーをねじ込んでいった感じ。冒頭の迫力ある映像は実に素晴らしいのだが、その後、その勢いは見事に消滅。息切れが早すぎ。
さっぱり意味のわからない、ハッキングのテスト。肉体的な刺激と60秒のハッキングに何の意味があったのか。結局、60秒でハッキングしなくてはいけないような、クリティカルな場面も出てこないし。
最期のオチの“やられた”感がまったく無いのも、ヒドい。この監督、フーディーニの話とかを差し込んで、おしゃれな伏線だと悦に入っているのかもしれないが、こんなつまらない仕掛けをドヤ顔で見せられても、苦笑するしかない。びっくりするくらい、たいしたことの無い仕掛けなんだもの。
ガブリエルの歯型が一致ってことは、どこかでニセモノに入れ替わっている?それとも偽者の情報が本物というっことになっている?わからん。けど、それを追求したいとも思わない。
ジンジャーは生きていた…って、現場から死体が紛失したことになるから、どう考えても疑われるだろう。普通。ホントに稚拙なシナリオだと思う。いまどきなら、映画会社から作り直しを命ぜられるレベル。
メインキャストが全員主役クラスという、ハンパない陣容なのに、この有様。ある意味、贅沢の極みともいえるが、大間のマグロでツナ缶つくちゃったような無駄っぷり。ヒュー・ジャックマンがハッカーってのもなあ。全然ピンとこない。
この監督のセンスは、とにかくダサいな。そう思って調べてみたら、この後2009年まで監督作品は無し。業界の方々もよくお判りで。とてもお薦めできない。
負けるな日本
公開年:1998年
公開国:アメリカ
時 間:99分
監 督:ブライアン・デ・パルマ
出 演:ニコラス・ケイジ、ゲイリー・シニーズ、ジョン・ハード、カーラ・グギーノ、スタン・ショウ 他
コピー:目撃者:1万4,000人、容疑者:1万4,000人 巨大スタジアムに仕掛けられた戦慄の陰謀!
アトランティック・シティのドーム会場で、ボクシング王座戦が開催される。大観衆が白熱する中リングサイドで観戦中の国防長官が銃撃される。その瞬間を間近で目撃した地元刑事のリック・サントーロは、国防長官の護衛にあたっていたのが旧友のケビン・ダンだったことから、犯人捜しに奔走するのだった。しかし、捜査を進めるうち、何や他巨大な陰謀が仕組まれていることに気付き…というストーリー。
大したストーリーじゃないのに、4度目の鑑賞。なんで観ちゃうのかというと、例のラストの宝石のくだりって何だっけ?ってふと頭をよぎるから。で、結局、思い出せないんで観直しちゃう。
実際、この映画がなんで話題になる(なった)のかって、この一点だけでしょ。でも、はっきりって話の本筋にはあまり関係ないんだけどね。だって、エンドロールを馬鹿正直に最後まで観ないと出てこないんだから。
で、実際に意味を考えると大した仕掛けではない。“スネーク・アイズ”ってのは親の総取りっていうバクチ用語らしい。つまり、この映画で誰が丸々特をしたのか?ってこと。それは主人公ではなくってパウェルってことだよね。サントーロ刑事が最後に語る灯台の話は、娯楽という物欲で人を集め食いものにすることに通じていて、且つ、灯台の光は例の宝石の光に通じるわけだ。で、あの宝石は途中に出てきた赤毛の女が、口封じのために人柱になってるってこと。
#ただ、パウェル役のジョン・ハードが、黒幕ってほどの演技を見せていないのが…。そして、ある意味、リークした女性も最終的に得をしているのも、判りにくさの一要因か。
これに焦点を当てて、思わせぶりにプロモーションした配給会社がウマかったんだろうね。
でも、なんだかはっきりしない演出が多いのは事実。それが、単なる失敗なんだか、わざと思わせぶりにして惑わせているんだか、判断がつかないという不思議な状態。あまりにわからなすぎて、しまいにはサントーロとダンはグル?いやいや、それは辻褄が合わないから…とか、そういう次元で脳が働きはじめる始末。
なんか、謎の多い男に惹かれちゃう女性の心境に近いのかね。その反面、人によっては、イライラさせられて、まったく受け付けられないかも。評価がぱっくり分かれる作品だろう。まあ、そこはデ・パルマのスゴさということにしておこうじゃないか。
でも、映像センスは確かに素晴らしくて、特に前半の長廻しは特筆すべきだと思う。
特段、お薦めはしない。またいつか日曜の昼下がりとかにTV放映するだろう。そのときで充分。
#今回、字にしたので、もう宝石のくだりは忘れないだろう。つまり、これが最期の鑑賞ってことかな。さらば。
負けるな日本
公開年:2000年
公開国:アメリカ
時 間:130分
監 督:ロバート・ゼメキス
出 演:ハリソン・フォード、ミシェル・ファイファー、ダイアナ・スカーウィッド、ジョー・モートン、ミランダ・オットー 他
コピー:彼は、完璧な夫だった。たった一度の過ちを犯すまでは。
大学教授のノーマンと妻クレアは、娘のケイトリンが大学の寮に入るのをきっかけに、ノーマンの父が遺した美しい湖のほとりの家で暮らすことに。クレアは娘のいない生活に馴れず、心に穴が空いたようだった。そんな中、ドアが突然開いたり、コンピュータが突然起動したり、囁き声が聞こえるなど、奇妙なことが頻発する。とうとう、見知らぬ女性の顔がバスタブに浮かんで見えるようになるなど、エスカレート。ノーマンは、すべてクレアの妄想であるとして、カウンセリングを受けることを薦めるのだったが…というストーリー。
このネタバレな馬鹿コピーがなんで許されたのかさっぱり理解できない。前半は、クレアが暴走しまくりで、二重人格?お隣の妻なんかいないんじゃないの?クレアの犯行なんじゃねえの?くらいのミスリードをしているのに(まあ、実際にクレアに秘密はあるんだけど)。日本の配給会社は何を考えているのか、ただただ呆れるばかり。こんなヒドい仕事には、そうそう出会えない。
しかし、観終わってからも、どうも話の流れが腑に落ちない。
問題の出来事は、娘がまだ家にいたころの出来事ってことか?そして、その記憶は封印されたってこと?それは自然に?薬物で?当然、娘はその出来事を知っているはずなのに、触れないようにしていた?それほどの大イベントを、すっかり忘れることができているという、とても都合のよい所に立脚しているわけで、そう考えたら、あまりに幼稚なサスペンスドラマである。
問題は、幽霊の部分をミスリードとして使いたいのか、直球の“恨み”のお話として扱いたいのか、よくわからんという点。簡単に言えば、ホラーなのかサスペンスなのか、どっちをやりたいんだよ!ってこと。
ロバート・ゼメキスが扱うようなテーマじゃない気がするけどね…。カメラアングルなどものすごく工夫の跡は見られるのが、根本的にホラーもサスペンスも得意じゃない人なんだと思うけど。
唯一の見所はバスタブでの窒息シーン。それ以外に惹きつけた所はなし(でも、リアリティ皆無の脱出方法だったけどね。実際にやってみたら、絶対にあんな感じにはならないと思うわ)。
こんなので愉しめた人は、幸せだと思う。世の中の大抵のことが面白く感じるんだろうね。うらやましいよ。私はお薦めしない。駄作。
負けるな日本
公開年:2007年
公開国:イギリス、オーストラリア
時 間:96分
監 督:ジリアン・アームストロング
出 演:キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、ガイ・ピアース、ティモシー・スポール、シアーシャ・ローナン、ラルフ・ライアック 他
イカサマ降霊術師のメアリーと娘のベンジーは、降霊術ショーでなんとか食いつないでいる生活。ある日、二人が住む町に、超有名な奇術師フーディーニが興行に訪れる。彼は、亡くなった母親が最後に残した言葉を降霊術師に、1万ドルの賞金を出すと宣言する。極貧の生活から抜け出したいメアリーは、降霊術を成功させるため彼の身辺に近づき、母親の最後の言葉のヒントを探るのだった。しかし、彼に近づき親しくなるうちに、お互いに惹かれはじめてしまい…というストーリー。
まず、フーディーニという人物を良く知らない(最後のテロップを見るまで実在の人物だと思っていなかった)。実在とはいえ、どこまで本当でどこまで脚色なのかな。
#そういえば、『ソードフィッシュ』でトラボルタが名前を出していたような…。
お金をせしめるために、奇術師と霊媒師による丁々発止のバトルが展開されるのかと思いきや、おっさんとおばちゃんの淡い恋愛話になってしまう。いや、恋をしてしまうことで騙しあいがうまくいかなくなる…という味付けならば別に問題は無いのだが、恋愛ストーリーに傾きすぎて、話の主軸をどこにおこうとしているのかわからなくなり、迷子状態に。
まだこれで、フーディーニが独身貴族だっていうんなら、かわいい恋愛ドタバタコメディになったかもしれないが、妻帯者なので不倫ってことになると、なんかノリきれない。それに加えて、母子関係の機微を加えようとしたりするので、ますます混迷。最後の方になると、フーディーニは単なるマザコンのおっさんでしかなくなってしまう。
ゼタ=ジョーンズとガイ・ピアースを配しておきながら、この結果では実にうかばれない。妙に映像が綺麗なので、逆につまらなさが際立ってしまうほど。
で、最後はダーウィン賞にノミネートされてもおかしくない死に方で、ポカーン。最後の母子の涙に微塵も共感できないというありさまで、そりゃあ日本未公開だろうよ…というデキ。これは、観るだけ時間の無駄だろう。要注意フラグを立てておこう。
負けるな日本
公開年:1993年
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:ロン・アンダーウッド
出 演:ロバート・ダウニー・Jr、チャールズ・グローディン、アルフレ・ウッダード、キーラ・セジウィック、トム・サイズモア、デヴィッド・ペイマー、エリザベス・シュー、エリック・ロイド、B・B・キング 他
1950年代末のサンフランシスコ。トロリーバスが事故をおこし、乗り合わせていた4人の乗客と運転手が死んでしまう。乗客4人の男女は霊となってしまうが、バス事故に巻き込まれた別の車の中で生まれた赤ん坊に、なぜか取り憑くことになってしまう。そして、4人はその赤ん坊から離れることができない。その子の名前はトーマス。トーマスに4人は見えているのだが、周りの人間には見えないため、4人と会話するトーマスは、異常があると看做されてしまう。このままでは、トーマスがまともな大人になることができないのではないかと心配した4人は、以後姿を見せないことを決断するのだった。その後成長したトーマスは、自分勝手で利己的で仕事中毒の銀行員となってしまう。4人の霊たちそんな彼を心配して再び姿を現すのだったが…というストーリー。
冒頭の上空俯瞰からの降下映像は、レトロ映画チックな雰囲気と共に、霊魂のお話であるということをさらりと醸し出している。1950年代という舞台にぴったりのGOOD演出で、掴みはOK。このスタッフは映画大好きなんだろうな…というのが伝わってきて好感が持てた。
不慮の事故で無くなった男女の幽霊のお話だが、(欧米なのでこういう表現はどうかと思うが)彼らは成仏できない自縛霊さんたちである。本来、伝わるべき最後の権利が知らされないという、ちょっと無理やり臭さが漂わないわけではないが、後半に展開される4人の成仏ロードは、ベタベタながらも感動できる。
低予算なのは間違いない。しかし、人間のSatisfactionって何か、ひいては生きる喜びって何だろうということまで考えされてくれる。それをシンプルで見やすく、且つお上品なコメディに仕上げている。4人の満足ポイントは何かという伏線も、導入部で自然にさらりと表現できているのもよい。
若い頃のロバート・ダウニー・Jrは、ちょっぴり気持ち悪さもある見た目で、これはどうかな…って感じだけど、演技はうまい。4人の芸達者に埋没しない輝きで、むしろメジャーになった今よりもウマいかも。
1点だけ難点を挙げれば、3人目までの成仏と比較して、最後の一人だけちょっと説明的でまわりくどすぎたかも。結局、数十年も待たされた理由がこの為か…、神の業か…という流れが、全体な流れとマッチしていない気がする。もうちょっと直感的なエピソードでよかった気がする。何なら最後のバスに、恋人が乗っていたっていいと思う。
#まあ、脚本家も4人クレジットされているくらいなので、この最後を悩み抜いたのが、何となく覗える。
受賞歴皆無というのも解せないが、案外キリスト教的な霊の概念と乖離しており、根源的に受け入れられない何かがあったのかもしれない。でも、逆に日本人としては、素直に楽しめる隠れた良作。お薦めする。
負けるな日本
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:92分
監 督:ティム・ヒル
出 演:ジェイソン・リー、デヴィッド・クロス、キャメロン・リチャードソン、ジェーン・リンチ、ベス・リースグラフ、ジャスティン・ロング、マシュー・グレイ・ガブラー、ジェシー・マッカートニー 他
森で仲良く暮らしていたシマリスの、サイモン、セオドアの3兄弟。住んでいた木がクリスマスツリーとして伐採されてしまい、木と一緒にトラックで都会に運ばれてしまう。運ばれた場所はジェット・レコード社。そこにやってきた売れないミュージシャンのデイブは、大学時代の友人で今はジェット・レコードの社長になっているイアンと訪ね、自分の曲を売り込みにやってきたのだ。しかし、彼の曲は酷評され追い返されてしまう。シマリス3兄弟は、デイブにくっついて彼の自宅についていく。はじめはシマリスたちを追い返そうとしたデイブだったが、彼らに歌の才能があることを知り…というストーリー。
冒頭のデイブの苦境とシマリスたちのハチャメチャ具合、そこからデイブを救うためにに自ら売り込みにいくあたりは、よい展開だと思う。
大人気となるものの、その後、悪役社長にこき使われて大ピンチとなってしまう。非常に判りやすく且つセオリーどおりのシナリオ。しかし、最後がいけない。
つらい状況をガマンし溜めに溜め込んで、最後に弾けた結果として、ただカゴから逃げ出して一件落着とは。これは、じつにつまらない。脱出のための大立ち回りを繰り広げ、決定的にイアンの悪事がバレてしまって晴れて放免とか、もう少し、苦境を乗り越える派手な儀式を差し込むことはできなかったのだろうか(簡単にカゴから脱出できるもん…っていわれちゃあねぇ…)。
あまり、気にしている人はいないのかもしれないが、本作の主人公がデイブなのかシマリスなのか不明確なのも、ボケている要員の一つだと思う。結論からいうと、デイブは“家族”にコンプレックスを持っているという設定で、それを乗り越えるという展開があるので主人公なのは間違いない。しかし、そのコンプレックス部分をしっかり描ききれていないので(なんでそうなのか?とか)、それを乗り越えて成長するというとこrまですべてボケてしまっている。
アルビンたちは、途中いくらか反省するものの、始終我がまま勝手し放題で奔放なのは変わらない。だから主役というよりも設定や背景の役割だ。それなのに、アルビンたちにばかり比重が置かれすぎで、終盤はデイブがほとんど放置状態である。
まあ、所詮は子供向けのコメディで、シマリスちゃんたちかわいいわーという視線で観て欲しかったのだろうから、仕方がないのかもしれない。しかし、その分、大人の鑑賞には堪えないものになってしまっている。ヒットしたポピュラーミュージックを歌わせたりして、興味をひこうとしているが、あまり効果は出ていない。お薦めしない。
#そういう切り口ならば、シマリスちゃんたちも成長する物語にすればよかったと思うのだが。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:フランス、アメリカ、スペイン、イギリス
時 間:114分
監 督:ポール・グリーングラス
出 演:マット・デイモン、グレッグ・キニア、ブレンダン・グリーソン、エイミー・ライアン、ハリド・アブダラ、ジェイソン・アイザックス、イガル・ノール 他
コピー:グリーン・ゾーン──。そこは、偽りに支配された安全地帯。
フセイン政権が陥落した直後のバグダッド。陸軍のロイ・ミラー准尉率いる部隊は、大量破壊兵器の発見という任務を遂行していたが、指示された施設を捜索しても、何も無い状態が繰り返されていた。3度目の空振りの後、情報源に誤りがあるのではないかとミラーは主張するが、上官はそれを無視する。納得できないまま引き続き指示に従うが、イラク人フレディの情報提供をきっかけに、国防総省に不審な動きがあることを察知する。ミラーは、同様に疑念を抱くCIA捜査官や記者と共に、独自の調査を敢行するが…というストーリー。
イラクの大量破壊兵器が無かったなんてことに、いまさらフォーカスを当てられても、そのこと自体は世界中の誰しも知っていることで、それ自体はサスペンスにもミステリーにもなりえない。むしろ、多くの国を騙くらかしたペテン行為(もちろん日本も騙された)で、思い出せば苦々しい感情が沸くだけで、それをトレースされても、何一つおもしろみを感じない。せめて映画にするのだから、それに輪をかけた切り口にしなければいけない…と、普通は考えるのだが、この映画は事実以上のオチは何一つないのだ。
#ただ、実際はCIAのチョンボだったのが、国防総省の陰謀ということになっている。この変更に何の意味や効果を期待しているのかさっぱりわからないけれど。
じゃあ、それはそれとしてアクションやドンパチを盛大に見せる方向にもっていくのか?と思っていたが、同じ実話である『ブラックホーク・ダウン』と比較しても、そのレベルは半分にも満たない。
ちょっと哲学的な話になるが、“無い”ことを証明するのは、“ある”ことを証明することよりも格段に困難である。簡単な例を出すと、宇宙人の存在を証明するためには宇宙人を一人発見すればよいが、いないことを証明するためには宇宙の隅から隅まであらゆるところを探さなければいけないわけだ。
なぜこの映画がピリっとしないのか。ある隠された証拠を探す話なら、それを追ってチェイスを展開すればいいので話がどんどん集約されていく。しかし、大量殺戮兵器は“なかった”という一点に向かって集中させることは不可能なのだから、話は進めば進むほどボケていくのである。
結局、最後のほうは、自分で乗り込んで捕まってそれから逃げて…というマッチポンプを展開させる意外に、オチを付ける方法が無かったいう、極めて愚作なシナリオとなっている。これほどピリっとしない戦争ムービーも珍しい。お薦めしない。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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