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image1325.png公開年:1995年 
公開国:アメリカ
時 間:189分
監 督:カーマ・ヒントン、リチャード・ゴードン
出 演:デボラ・エイモス 他






1989年に発生した中国・天安門事件について、89年4月から6月までの運動の過程を再検証したドキュメンタリー。

前々から観よう観ようと思いながら、長さに怖気づいていたのだが、劉暁波のノーベル平和賞受賞を機に、エイヤーで鑑賞してみた。男が戦車に向かっていく例の映像でおなじみの天安門事件の顛末を、参加した学生側のインタビューを元に構成した作品である。劉暁波もしっかり登場する(まあ当然か)。中国政府側のインタビューは無く、そういう意味ではバランスを欠いた欠席裁判のようにも見えるが、なるべく客観的な考察を加えて、公平に仕上げようという意図は汲み取れる(一方的に学生側を賞賛しているわけでない)。

長いわりには非常に興味深いポイントが多々あったので、意外と飽きることなく観終えることができた。私が気づいた点をいくつか紹介しよう。

①現在、反日デモで盛り上がっており、その理由は偶発的な領土問題に端を発する小競り合いが起因と思われているが、どうもそうではないことが見えてくる。それなりに統制の効いている中国において“デモ”とはそうそう実行できるものではない。その背景には中国政府内の保守派と改革派の権力闘争があり、改革派が勢力を伸ばしつつあるところに保守派が巻き返しを行おうとする…そしていずれかの勢力が自らの不利な点から目をそらすためにデモを利用する…、そういう背景でおこる。今回も中国共産党内の権力闘争が影響していると見られる。

②本作では、まったく抗日活動に関しては触れられていない(過去の五四運動の説明においてもである)。これは、製作側の西洋人には、中国の反日感情に一切興味がないことの現れである。欧米の興味は非民主的な国家において民主主義を勝ち取ろうとする若い力の発露である。六カ国協議で日本の拉致問題が俎上に上がらないのは、彼らにとって日本の問題など微塵の興味もないからである。

③どうしてもこの作品にでてくる中国人にノーベル平和賞をあげなければならない…となった場合、あげることができる人物は確かに劉暁波しかいない。他の人物には、申し訳ないが、我が我がと主張し続けるだけの、いけ好かない人物ばかりで、他者を慮って行動しているのは劉暁波だけなのだ。とはいえ、アメリカのコロンビア大学やノルウェーのオスロ大学と縁のある人なので、賞をあげやすい人物だったのも事実である。
中国は今回の受賞について、“ノーベル平和賞を政治の道具として利用した。ノーベルを侮辱している”と言っていたが、ノーベル平和賞が政治的主張を含まなかったことなど、過去にはない。なにをおぼこ娘のような甘っちょろいことを言っているのか、苦笑を通り越して稚拙すぎて逆に切なくなってくる(まあ、何もしていないオバマに平和賞をあげた時点で、平和賞の選定委員もかなりクレイジーなのは事実なんだけど)。
それよりも、劉暁波に平和賞が与えられる可能性は十分あったのに、のんきに平和賞受賞のシーンを放映し、名前が読み上げられたところで放送をカットするなんて、あまりにくだらない。はじめから平和賞の手前で放送を打ち切ればいいものを。やろうと思えばいくらでも情報統制が可能なのに、こんなブロックもできなくなってしまった共産党政府の力の衰えが逆に心配になってくる。

④柴玲という女性の学生指導者が出てくるのだが、実に奇妙な人物なのだ。運動の過激派グループのリーダ格なのだが、民主運動を推進することが目的のようで実は違うようなのだ。どうもこの事件で名を上げたいのと、異常なまでの上昇志向と注目を集めたい癖がある模様。ホテルの一室でアメリカメディアの単独取材を受けるシーンが結構な長さで収録されているのだが、実に気持ちが悪い。心理学の資料として使ってほしいくらい。そのインタビューでは、自分がなんでこの運動を行っているのかを語り、でも中国の一般人は民主化の心なんか持っていないと嘆き、自分は非常につらくてもうこのような過激な行動で命を危うくするのは止めたいと、涙を流しながら訴える。どうも私はひっかかるものを覚えて、あることをやってゾッとしてしまった。もう、ホラー映画なんかみるより背筋が凍るのでお試しあれ。そのインタビューを話の内容なんかどうでもいいので、ずっと一時停止(コマ送り)を繰り返して見てみよう。なんと、泣いているはずの柴玲は間違いなく瞬間的にニヤリとしているのだ(ぎゃー!)。もともと笑い顔に見える顔なわけではないし、民族的な特徴でももない。そういう表情がかなりの頻度でさしはさまれている。気持ち悪いにもほどがある。
そして、止めたいといっていたのに、ここで逃げると自分の価値が下がると見た彼女は、手のひらを返したように運動を継続する。もう、その行動にはなんのポリシーもない。事件が収束を迎えると、香港に逃亡し、そこで海外メディアにコメントを発表(他の運動に参加した人間は、そのコメント内容はウソだと言っている)。そして海外に亡命し、今ではアメリカでコンピュータ会社を設立し実業家である。簡単に言ってしまえば、それが目的だったのが、見え見えである。そんな人間をよくもまあアメリカは受け入れている。お笑いぐさである。このバカ女に踊らされて命を失った人間も少なくないと考えると、その悪魔性たるや…。

本作をみると、中国の民主化運動がまだまだうまくいかないのが実感できるし、民主化運動がうまくいかないということは資本主経済もうまくいかないことを意味する。プロテスタント的な行動基盤はもちろんあるわけもないし、日本のように職業を無条件に尊いと考える発想もないし、労働は他人より豊かな生活するためとしか思っていない(周囲の人間を幸せにする…という要素が微塵もない)。残念だが、中国経済が容易にアノミー状態になるのが手に取るようにわかる。
まあ、柴玲のクソ人間っぷりを観察するだけも観る価値がある(リアルホラーだ)。お勉強のためにたまにはこういうのも良いと思うので、軽くお薦めしておく。これを観て、中国について頭の整理がつく人もいると思う。

#人を呪わば穴二つという言葉があるけれど、自分の国の子供に、他国を恨めーと教育するような国が、そのことわざとおりにならないわけがない。まあ、近くの2つの国のことだけど。
 

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imageX0011.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ
時 間:123分
監 督:マイケル・ムーア
出 演:マイケル・ムーア  他
受 賞:【2007年/第19回放送映画批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
コピー:常軌を逸しているアメリカのドキュメント。
「シッコ」は笑いの要素が殆どないマイケル・ムーア作品
それだけ切迫した“悲しい実情”なのです


先進国の中では唯一、公的な国民皆保険制度を持たないアメリカ。国民の健康保険の大半は民間の保険会社に委ねられているが、高い保険料のために約4700万人が無保険。しかし、営利を追求する保険会社のせいで、加入者の方こそ被害をこうむっているのだ、という主張をマイケル・ムーアが展開。そんなアメリカの医療制度の問題点を、他国との比較や、医療の現場で生じている事例を紹介しながら、白日の下にさらす…という内容。

アメリカ人は、自国アメリカに対する愛や誇りはあるかもしれないけれど、同じ国民に対して愛など持っていないのがよくわかる。だけど、アメリカがクソ国家であることや、自由を笠に着た姑息な詐欺師集団であることをいまさら指摘しても何の意味もない。

私から見れば、カナダやイギリスのように自己負担が皆無なのだって、制度維持のためにはいささか無理があると思うし(だって税は高いんだから)、イギリスやフランスのホームドクター制度だって功罪があるように見える。キューバのように国全体の生産性が医療制度の基盤になっていると、国の調子がいいときは大丈夫だがコケれば制度すべてが疲弊してしまう。もちろん日本も同様で、ご存知のとおり医者の報酬は減り、医者の数は減る一方。どの国にも完璧な医療制度なんてないのだ。しかし、ムーア監督にすらそれが見えないほど、アメリカの制度がクソだってことである。
#まあ、私的には案外日本の制度がいいところで落ち着いている気がするんだけど。

それにしても、こんな状態だったら、闇の医療ネットワークができそうなもんなんだけど、それもないんだねぇ。不思議だなぁ。

しかし、病気にビクビクして暮らすことが、どれだけぞっとすることか。いや、アメリカ人は能天気なのか、著しく想像力がないかのどちらかだろう。粗野で乱暴な行動をする子供はいつも怪我だらけ。鈍い子なんかよりも寿命は短い。なにをいいたいのかは判るよね?アメリカという国家の寿命(少なくとも健康でいられる寿命)は、さほど長くないということ。人が人を喰う国は、100年もたない。おそらくアメリカは建国300年を迎えることはないだろう(だって、柔軟性がなさすぎるんだもの)。一番のアメリカの病気は、相互愛が欠落していることだが、その次は、社会主義が何かをしらずに社会主義が悪だと思い込んでいる人間ばかりだということね…。
#本作のラストで、アメリカも変われると、希望的なメッセージがあるが、多分無理。

この映画のおかげかどうかはわからないが、アメリカは国民皆保険制度の導入に向かうことになった。もちろんいまさら導入したってなかなか状況は改善しない。ただ、我々は気をつけなければいけない。アメリカを筆頭に奴らは、自国が失敗し、他国が成功している場合、別の作戦を弄して失敗するように仕向け、バランスをとろうとする不思議なロジックを持っているから。アメリカが日本に対して何をしてくるか。おそらく経済的に日本が不利になるような状況(つまり税収が減るような状況)になっても、一切ノータッチを決め込むだろう。要するに、今後、円高が進んでも彼らはダンマリを決め込むし、日本からの輸入にもっともらしい理由をつけて関税をあげる(WTOにもロビー活動をすると思われる)ってこと。そして敵の敵は味方理論で、韓国を優遇し始めるだろう(予言)。

閑話休題。
マイケル・ムーアは変質した。カンヌをとる前は、奇を衒ったり扇情的な演出をしたり、時には失礼極まりない下品な手法を多用した。そして、私はそんな彼が大嫌いだった。本作では、そういう無茶っぷりが無くなってお行儀がよくなったのだが、意に反して映画が面白くなくなってしまった…というか、すでに映画ではないように思えてきた。これは、単なるレポートだと思う。

さすがに、『華氏911』に比べると、パンチも浅いのだが、勉強にはなるので軽くお薦めはしておく。でも、これは映画ではない。

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image1513.png公開年:2007年 
公開国:イギリス
時 間:108分
監 督:スティーヴン・ウォーカー
ノミネート:【2008年/第14回全米批評家協会賞】ドキュメンタリー賞)
コピー:世界一いかしたロックンロール・コーラス隊。





1982年に誕生してから、指揮者のボブ・シルマンに率いられ、ロックンロールなパフォーマンスで、全米だけでなく欧州ツアーも成功させた“ヤング@ハート”。老いや死にに直面しながらも歌に情熱を注ぐ、年1回のコンサートまでの6週間の様子に密着したドキュメント。

じいさんばあさんが、ロックを歌っているだけといってしまえばそれまでなのだが、理由はよくわからないが、なぜか心に沁みてくる。決して、彼らはロックに興味があるわけでもなく、ボブの選曲に従っているだけなのだが、そのちょっとしたやらされてる感もいい効果を生んでいる。日本の老人だったら、自分が若い頃に歌った曲をうたっちゃうもんな。それこそ実社会からの乖離に繋がっちゃう。ロックをすんなり受け入れちゃうアメリカの老人の社会性というか柔軟性は素晴らしいと思う(まあ、アメリカ老人の全部がこうじゃないとは思うけど)。

“NO MUSIC, NO LIFE.”を地で行く作品で、楽しいから歌う!ただそれだけ。こうありたい。
私が老人になったら、これをやりたい…、と強く思うが、その時にキビしいボブのような存在がいてくれるかどうか。いなけりゃディストーション付きのギターをかき鳴らして、一人で歌うことにしよう(それはそれでボケたと思われるか…)。

若干、モタつくシーンもあるけれど、ドキュメンタリーなので大目にみよう。日々の生活の瑣末なことでイライラ・クヨクヨしているときは、本作を観ると気が晴れるかも。軽くお薦めする。

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image1473.png公開年:2008年 
公開国:イギリス
時 間:95分  
監 督:ジェームズ・マーシュ
出 演:フィリップ・プティ 他
受 賞:【2008年/第81回アカデミー賞】ドキュメンタリー長編賞(サイモン・チン、ジェームズ・マーシュ)
【2008年/第43回全米批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
【2008年/第75回NY批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
【2008年/第34回LA批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
【2008年/第62回英国アカデミー賞】英国作品賞
【2008年/第24回インディペンデント・スピリット賞】ドキュメンタリー賞(ジェームズ・マーシュ)
【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
コピー:空に、夢に、近づきたかった。

1974年、ニューヨーク。当時世界一の高さだったワールド・トレード・センターのツインタワー間にワイヤーを張り、渡り歩いた男がいた。彼はフランスの大道芸人、フィリップ・プティ。無許可のため逮捕されてしまったが、その驚愕のパフォーマンスに人々は喝采。その、無謀とも思えるチャレンジは、綿密な計画と仲間たちの支えによって実現できたのだった…というストーリー。

『おくりびと』が受賞したのと同じ回にドキュメンタリー長編賞を取っているので、記憶にある人いるかもしれない。こっちはおくりびとならぬ“つなわたり”。

インタビューは確かにドキュメントだし、挟まれるニュース映像もたしかに当時のもの。だが、肝心の計画遂行の様子は、完全に再現フィルム。これをドキュメントと呼んでいいのか。ドキュメントの定義とは?このエピソードを元に映画にしちゃったほうが面白かったんじゃないかと、一瞬思うのだが、”実際にこれをやった”感っていうのが大事なので、肝心のシーンはやっぱり当時の映像でいきたいというのもわかる。
ならば、画質が悪かろうとWTC潜入後の映像シーンは、もう少し欲しかった。内容としては50分程度が限度だったのではなかろうか。奇跡体験アンビリーバボーで紹介される程度の内容かなと。
チャレンジ成功後に、友達関係が壊れていくくだりをいれるんなら、彼らのその後をもう少し追ってもよさそうなものだが、入ってないところをみると、語るまでもない人生だったってことか…。

そのくせ数々受賞しているのだが、それは、9.11によってWTCはいまや存在しないという事実があって、あえてそれには作品の中では触れないという、得もいわれぬ哀愁があってこそかなと、私は思う。まあ、日本だったら、逮捕後にこんなに賞賛されないでしょう。やはりアメリカ人はアドレナリンが一回でちゃうと冷静になれない。生物的に異なるんだなぁ、奴らには気をつけないといけないぁ、、と本気で思う。

せめで1時間にまとめてくれれば、かなり楽しめただろうが、吹替え音声もないのでつかれて眠くなること請け合い。まったくお薦めはしない。米アカデミー賞にはまともな価値判断基準が存在していないことを証明した一作ですな。

#私はロープを張ったことよりも、どうやって下ろしたのか?のほうが興味ありますけれどね。アメリカ人はそこには着目しないんだな。やっぱり理解できないなぁ。

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image1031.png公開年:2006年 
公開国:アメリカ
時 間:97分  
監 督:デイビス・グッゲンハイム
出 演:アル・ゴア 他
受 賞:【2006年/第79回アカデミー賞】歌曲賞(曲/詞:Melissa Etheridge:“I Need to Wake Up”)、ドキュメンタリー長編賞
コピー:地球の裏切りか?人類が地球を裏切ったのか?地球を愛し、子供達を愛する全ての人へ──。アル・ゴアが半生を捧げて伝える人類への警告。


民主党クリントン政権下で副大統領を務め、その後、共和党ジョージ・ブッシュとの大接戦と混乱の末に敗れ去ったアゴア。その後、地球温暖化対策の緊急性を訴え世界各地で精力的な講演活動を続けている。本作は彼の講演活動の模様を中心に紹介するドキュメンタリー。

いきなりでもうしわけないが、ドキュメンタリーとはいえ、生涯で観た映画の中で、ダントツで最低な気がする。本作を観ようと思ったのは、『華氏911』でブッシュにやぶれたゴアを見たからなのだが、観ようとおもった自分に、何を血迷ったか…と言いたい。

自分の言うことを信じないやつはマトモな人間ではないという、この態度、人としてどうなのだろう。大体にして、“真実”“事実”を繰り返すが、根拠が希薄だし、眉唾。私は科学者ではないから、すぐさま反論することはできないが、ある著名な科学者がそういっていた…ってわれても。

観客が笑っている理由がまったくわからず、実に気持ちが悪い。本当に何が面白いのか。作中で使われるアニメも、どういう効果が?共和党を揶揄したいのもわかるが、まともな喧嘩の仕方とは思えない。こんな汚い論調で、もっともらしい顔で喧嘩をしかける人間の神経がわからない。人として品性が低い。すくなくとも科学者のあるでき姿勢ではない。こういう自分の思いどおりにならないときに、こういう態度を取る人間は信用ならない。

自分の息子の事故と、本件になんの関係があるのか?ゴアの信念や自分がどうやってがんばったかなどは、本作で訴えたいことと無関係だ。逆に、どんな大悪人だろうと、真実は真実。息子を失いかけた人間の意見だから真実なわけではない。

科学者がつくった映画ではないのが、唯一の救いかもしれないと思うのと同時に、こんなことをいう人間にノーベル賞を与えるなんて、ノーベル賞の使命は終わったのかもしれない。こんな映画にアカデミー賞を与えるなんて、米アカデミー賞は終わったのかもしれない。そりゃあ『ザ・コーブ』が受賞するわな。模型をつかったドキュメンタリーが許されるくらいだから(あ、脱線したか?)。

しかし、SARSや鳥インフルも温暖化のせいだっていいきるんだから、ばかばかしい。まともな科学者の姿勢が微塵もあるのなら、そういう事象はあるかもしれないとはいうが、それが原因だ!といいきるようなはずかしいことはできないはず。厚顔無恥も甚だしい。そんな単純に地球の現象の原因がわかるわけがない。もっと複雑な問題だろう。これなら『ウルトラマンガイア』を観たほうがましかもしれない。

以前、イギリスにて公立の小中学校に教材として本作を配布しようとして、保護者が科学的にウソがある提訴したニュースがあったと思う。その時の判決は、“科学的根拠が乏しい9箇所がある”と注意を促すこと…というものであった。私は拍手を送りたいよ。

本作を観るのは、苦行である。本作を観て、もっともらしいことをいう権威のありそうな人間であっても、表面に騙されないようにするという、高度な行である。みんながんばって。

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image0187.png公開年:2004年 
公開国:アメリカ
時 間:122分  
監 督:マイケル・ムーア
出 演:マイケル・ムーア、ジョージ・W・ブッシュ 他
受 賞:【2004年/第57回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(マイケル・ムーア)
【2004年/第71回NY批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
【2004年/第10回放送映画批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
【2004年/第25回ラジー賞】ワースト主演男優賞(ジョージ・W・ブッシュ)、ワースト助演男優賞(ラムズフェルド国防長官)、ワースト助演女優賞(ブリトニー・スピアーズ、ライス大統領補佐官)、ワースト・スクリーン・カップル賞(ジョージ・W・ブッシュ、ジョージ・W・ブッシュ&ライス大統領補佐官、もしくはジョージ・W・ブッシュ&“彼の”『Pet Goat』)
コピー:それは自由が燃える温度。

2000年の大統領選挙にて混乱の末にブッシュがアメリカ合衆国大統領に就任。そして2001年9月11日、アメリカのニューヨークとワシントンをハイジャックされた旅客機が襲うという前代未聞のテロ事件が起きる。やがてテロの実行組織がオサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダと判明し、アルカイダが潜伏するアフガニスタンを攻撃する。しかし一向に彼らを捕えられないまま、なぜか戦場はイラクへと移る。一連のブッシュ政権の行動に疑問を抱いたマイケル・ムーアは、様々な角度からその真相を明らかにしていく…というドキュメンタリー。

本作は非常にすばらしい作品である。数十年後にますます評価が高まる作品であると断言しよう。
なぜこんなすばらしい作品を撮る監督が、いまいち好かれていないのか?(特に本国で)。そりゃあ、真実をえぐりだすようなジャーナリストはいつも嫌われるものだよ…という人がいるかもしれないが、若干違う。それは、彼が手がけていたTVシリーズに原因がある。日本でも『マイケル・ムーアの“恐るべき真実” アホでマヌケなアメリカ白人』というタイトルでレンタルされているので観てみるとよい。「わかるんだけどさぁ。そのやりかたってどうなの?」のオンパレードなのだ(本作でもその片鱗はちょこちょこ見えるが)。正直、私はマイケル・ムーアという人間は大嫌いである。でも、それはそれとして、本作はよくできている。

ちょっと話は違うが…、中国は歴史教といってもいいくらい歴史を残すことに命をかけている。細かいことを言えば色々記述や描写の誤りはあるが、『史記』の司馬遷から歴史家としての姿勢は脈々と貫かれている。そんな中国でも、易姓革命が起こり皇帝の血筋が変わったからといって、すぐに前の代の歴史書はつくられない。なぜかといえば当事者がいる間は、感情的なバイアスが公正な目を曇らせるから(だから“清史”だって、まだ完成していない)。
だから、私は、数十年経った後に、ジョージ・ブッシュは、ヒトラーと並列で扱われると思っている。いくらなんでもそこまでは思う人がいるかもしれないが、わたしは予言する。絶対にそうである。
その理由はなにか。ヒトラーは全権委任法の成立によってワイマール憲法を殺した(憲法は他の法律とちがって、法を廃止しなくても執行する唯一の法律である)。私は社会科の教員免許をもっているが、自分の生きている間に、このような稀有な事件を遭遇することはないと思っていた。しかし、それはおこったのだ。それもなんと自由と民主主義の旗手であるアメリカで。「愛国者法」の成立はそのくらいの意味を持つのだ。残念ながら現在、アメリカの憲法は死んでいる(後世の歴史家が分析してくれることだろう)。

私はある自論ゆえに、本作を非常に興味深く観た。それは何かというと…。私は、現在の日本の議院内閣制は制度的(というか運用的)に疲弊してしまっていて、三権分立のカウンターバランスが効いていないと見ており、行政の長を大統領という形で選出することを考える時期にきていると考えている。ここまで話すと、「そうそう、私も首相公選制にすべきだと思うんですよ~」という輩が口を挟んでくる。私はそういう輩に、必ず質問するのだ。「あなたは、アメリカ大領領が、国民の直接選挙で選ばれていると思っているのか?」と。もちろんアメリカ大統領は直接選挙では選ばれていない。選挙人を選出し、彼らが投票する。それも1年以上の日数と膨大ない費用をかけて。なんでこんな面倒くさいことしているのか考えないのだろうか。これは、アメリカが誇れる発明である。答えを聞けば「なーんだ」と思うかもしれない。一つは衆愚政治を防ぐため。数ヶ月の選挙戦で投票になってしまったら、その時の雰囲気で簡単に誤った方向に倒れる可能性がある。1年以上選挙戦をやれば、否が応でもじっくり考えざるを得ないのだ。そしてもう一つは、立候補者のあら捜しだ。人間は完璧ではない。だれでも多かれ少なかれ脛に傷はある。短い選挙戦だと、それが隠し通せてしまうが、1年もやれば、ぽろぽろと漏れてくる。はじめは偉そうなこといっていた立候補者だって、私は過去にこんな過ちを犯したことがあるが、悔い改めてがんばりますと、謙虚になるのだ。こうやって、アメリカは“皇帝”の出現を防ぐ方法を発明したのだ。素晴らしい。

私は、これに習うべきだと常々考えていたのだが、本作を観て、考えを修正しなければならなくなったと考えている。残念ながら、立候補者に対するあら捜しはうまく機能せずに、ブッシュのような愚か者が選出されてしまい(本作だって、当選した後につくられたのだからその役目ははたしていない)、さらに「愛国者法」なるものまで生み、権利の簒奪を許した。これは、ジャーナリズムは機能しなかったことが大きいのだが、それは現在の日本でも同じことである。
現在の日本の首相も、行政の長がどういう立場を取るべきか、わかっているのかいないか甚だ怪しいことからわかるように、三権分立をより明確にする必要はあるのだが、そのためには憲法も変えねばいけないが、あまりにもあまりにも硬性憲法がすぎる。さてさてどうしたものかと思案を巡らせる日々である(って、私は何様なんだか…)。

とにかく本作は一見に値するので見て欲しいし、アメリカがどういう国かを理解する一助になると思う。特に、いまのトヨタ問題が、なにか怪しいなと感じるだろう(アメリカ政府はアメリカ自動車産業の大株主だしね。もっといろいろあるんだろうけど)。しかし残念ながら、またしてもイラク戦争と同じ結末になることを予言しておこう。日本がぐうの音も出ないように仕掛けたつもりだろうけど、結局日本が成長する材料を与えてしまっていることに彼らは気付かない。アメリカ政府はイソップ童話を読んで、感じるものが無いらしい。

まあ、今はだまって反論しないでいたほうがいい。ジャイアンが暴れているときに刃向かったって殴られるだけだから。しばらくすると、こっちのほうが有利になってるのだ。それに映画の時のジャイアンは役にたつからね。面倒くさいやつはうまく利用するに限るのだ。そのくらいのしたたかさというか小ズルさが、いまの日本政府に欲しいですな。

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9a157936.Png公開年:2006年 
公開国:オーストリア,ベルギー,フランス
時 間:112分  
監 督:フーベルト・ザウパー
出 演:ロビン・ウィリアムズ、ジェフ・ブリッジス、マーセデス・ルール、アマンダ・プラマー、キャシー・ナジミー 他
ノミネート:【2005年/第78回アカデミー賞】ドキュメンタリー長編賞 (フーベルト・ザウパー)
コピー:一匹の魚から始まる悪夢のグローバリゼーション


タンザニアの巨大湖であるビクトリア湖は、約半世紀ほど前から、外来種の肉食魚“ナイルパーチ”が在来種を駆逐し湖の生態系を破壊。しかし、その身は食用としてEUや日本で好まれ、湖畔の町にはナイルパーチを加工・輸出する一大産業が誕生する。新たな産業は雇用を生み出したが、地域社会に経済格差・売春・エイズ・ストリートチルドレン・ドラッグも生み出した。さらに、ロシアからの輸送機は大量の魚をEUへ空輸するが、その往路は武器を輸送している疑惑が…という内容。

ダーウィンの悪魔というタイトルの意味がまったくわからなかったので調べてみた。アフリカのビクトリア湖は多様な生物が生息していて、“ダーウィンの箱庭”と呼ばれていたそうで、そこでおきた悲劇だからからだそうだ。そこをきちんと説明してくれないと、ピンとこないね。人間の行為(経済行為)が環境を激変させる流れと、ダーウィンは関係ないからね。

でも、経済行動によって社会が変わっていくのはあたりまえのことだし、どんな社会であっても、どこで折り合いを付けるか、落としどころはどこなのかを模索しているものである。どうも、搾取する側と搾取する側という対立軸で、語ろうとしているようでもあり、ちょっと観点が古臭くはないだろうか。そういう搾取の手がおよばない手付かずの社会をよしとして、経済行為自体を否定するならば、それは自然に還れというもっともらしい言葉に偽装したアナーキズムでしかない。

こういう状況であることはよくわかったのだが、だからどうすればよいのか、そういう示唆は一切ない。ドキュメンタリーなのはわかるが、ただ、製作者がいる以上、その人なりの光の当て方というものがあるはずなのだが、ただただ、現実をそのままみせようという、生態学者的な態度である。別にそれでもいいのだが、残念ながら、それは“映画”の範疇ではなく、資料映像である。
#ドキュメンタリーというわりには、まるでシナリオがあるような、アングルやセリフまわしなのが、若干気になるのだが、本当にドキュメンタリーならば、そういうカットを取れるのは、なかなかの才能だと思う。

ということで、残念ながら映画としての評価はしない。こういうアフリカでおこっていることに興味のある人が観てくれればいい。とりあえず、アフリカが舞台の映画だと思って、まちがって観てしまい、がっかりしてしまうことがないよう、注意喚起だけさせていただく。

話は変わる。
随分、英語を話す人が多いなぁと思ったが、後で調べたら、タンザニアはスワヒリ語と英語が公用語だった。納得。ただ、あくまで国語はスワヒリ語だし、ここまで英語を話せる人がいるということ、ひいては識字率が7割以上ということで、発展できる要素はあるということだろう。
ただし、マックスウェーバーによるところの、資本主義がうまれるにはプロテスタンティズムという要素が不可欠だという点を考慮するならば、タンザニアはこの状態を打破できない。日本いまがりなりにも資本主義が生まれたのは、“仕事”自体を無条件に尊いとして邁進できたからである(それがプロテスタンティズムと同じ効果を生んだから)。本作の登場人物は仕事を欲しているが、その“仕事”とは収入を得る手段のことを言っているだけど、仕事そのものを尊いものとは思っていない。登場する布教の様子は、カソリックの一派のようであるし(カソリック批判ではないので、誤解ないように)。
援助を否定はしないが、この状態では打破されないことをわかった上で(悪くいえば、援助は捨てたものとして)行わなければいけない。時間がかかるでしょう。
 

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image1377.png公開年:2007年 
公開国:イギリス
時 間:100分  
監 督:デヴィッド・シントン
出 演:バズ・オルドリン(11号)、アラン・ビーン(12号)、ジーン・サーナン(10号/17号)、マイク・コリンズ(11号)、チャーリー・デューク(アポロ16号)、ジム・ラヴェル(8号/13号)、エドガー・ミッチェル(アポロ14号)、ハリソン・シュミット(アポロ17号)、デイヴ・スコット(9号/15号)、ジョン・ヤング(10号/16号) 他
ノミネート:【2007年/第13回放送映画批評家協会賞】ドキュメンタリー賞
コピー:それは奇跡の“宇宙”体験

1969年、アポロ11号が月に降り立ってから、最後のミッションとなった1972年のアポロ17号まで、12人の宇宙飛行士が月面を体験。しかし、いまだ月面に降り立った人間はその12人のみ。そんな奇跡の偉業である“アポロ計画”の全貌を、10人の宇宙飛行士の証言と、NASAの蔵出し映像の数々で綴るエンタテインメント・ドキュメンタリー。

私は、アポロ計画モノが大好きである。『ライトスタッフ』『アポロ13』はもちろん『人類、月に立つ』のDVDボックスまで購入して持っている。
今回は、NASAからの蔵出し映像も盛り込んでいるようだし、エンタテインメント・ドキュメンタリーと銘打っているくらいなので、かなり期待したのだが、残念だが“エンタテインメント”の部分は皆無といっていい。単なるドキュメンタリーである。資料映像とそれに対するコメント群である。それが悪いとはいえないが、“エンタテインメント・ドキュメンタリー”という売り文句が反則かな。

これはDVDで観ても感動はイマイチである。いまとなっては劇場で観ることは不可能だがら、ブルーレイで大画面TVで、ビール片手に観るのがいいですな。なかなか新鮮な映像がたくさんなので、酔いと相まって自分も宇宙を進んでいるような気分になること請け合い。

ということで、『アポロ13』のような映画ではないこと、小さい画面で観ても感動は半減なことを注意しておくので、条件の整っている人だけが観ていただければいいと思う(私は14インチの画面でみてしまったので、イマイチだったよ)。

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プロフィール
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クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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