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image2114.png公開年:1993年
公開国:イギリス、日本
時 間:75分
監 督:デレク・ジャーマン
出 演:クランシー・チャセー、カール・ジョンソン、マイケル・ガフ、ティルダ・スウィントン、ジョン・クエンティン 他






ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、1899年にウィーンで工業界の大物であったユダヤ系富豪の息子として生まれる。ケンブリッジ大学に進学した彼は思想家バートランド・ラッセルの援助を受けながら論理研究重ね、そこでケインズらとの親交を深める。その後、第一次大戦に志願兵として従軍中に、『論理哲学論考』完成し。復員すると、オーストリアの小学生教師として教鞭ととるが、体罰事件により教職を追われる。その後、各地を転々とするが、1929年にケンブリッジに戻り、再び哲学研究に打ち込み、1951年に前立腺がんで亡くなる。20世紀の哲学者ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの生涯とその思想を映像化した作品。

『ドッグヴィル]のように、ほぼ全編、薄暗い舞台上で演じられる。『アイム・ノット・ゼア』と同じで、本人を良く知らないと、ピンとこない作品って結構あるね。本作もその一つ。哲学の本を読んでいれば、現愛哲学の中で必ず出てくる人だけど、解説している人もよくわかっていないのか、ヴィトゲンシュタインの項はよくわからない記述が多い。
#まあ、世の中の事象を論理学記号で表していこう…っていうか、表せるよって、そんな風に書いてるよね。

あまりに判らないので、wikipediaのルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの欄を見ながら、はじめから鑑賞し直した。すると、いくらかスッキリ腑に落ちる。腑に落ちる…というか、奇抜で抽象的な表現が、彼の生い立ちの何を指しているかが判る…という意味だが…。
参考資料を観ながらじゃないとピンとこない映画ってのもいかがなものかと思うが、やはり、ヴィトゲンシュタインを知っている人のための作品ということだ。

ヴィトゲンシュタイン自身は良く知らないが、彼の人生で登場する人物が早々たるメンバー。アドルフ・ヒトラーとかケインズとか。ケインズが彼をやたら評価していた模様だが、両者ともその書籍の内容は、極めて難解であるというのも共通点。時間が経って読み解かれた内容を読むと、価値のあることを論じていることは確かなのだが、おまえの表現能力が稚拙なせいで、わかりにくかっただけやんけ!って、いうのも共通している。

結局、哲学なんていうものは、“存在”をどう証明するか。その方法論を“実在”を使わずに証明する試み。それだけ。“だけ”っていうけど、それが簡単じゃない。さあこの作品から彼の思索を知ろう!という気にはなるのだが、本作は彼の哲学的思索を綴ったわけではなく、奇抜な人生がつらつらと描かれている。その切り口で展開するので、“狂人”としての側面が強調される。狂人のたわごとの先に何かあるか。無いな。欠乏した愛への渇望をこじらせた人に写る。しかし、彼が幼少期に愛を得られなかった状況や原因は、この作品では一切描かれていない。

哲学自体の意味に疑問を抱き第一次世界大戦に参加するも、いざ参加してみるとおかしな様子に。そのおかしな様子のおかげで『論考』が出来上がったと考えれば悪いことではないので、そこまではまあ理解できても、復員後に何故か教員になることを選択のは理解しがたい。なにか深い考えや志があるのかと思いきや、子供が自分の思うように理解できなければ体罰を振るうって、どうかしている。時代が違うっていう人がいるかもしれないけど、当時だって大問題になって追放されている。
これで疎外感を味わった…って、そりゃそうだろう。ヴィトゲンシュタインがおかしいのだから。

ヴィトゲンシュタインは、他者への共感が薄い…というか、普通なら他者の痛みに自然に共感できるのだが、それができていない人に見える。私の予想だが、おそらく痛覚が薄い人だったのではなかろうか。共感が薄いからこそ、感情や直感に溺れず他者とは違った切り口ができたのだが、それが災いして他者へ自分の考えを共有させることが困難になっている模様。共感力がすくないのに、公共の言葉で表現しようという、間逆の帰結になる。
じゃあ、その言葉を公共のものにするにはどういう手順を踏めばいいのか。結局、共感という個人の感覚。それが、各自同じであるという確認不可能な前提に立たねばならないという矛盾にぶつかる。彼は共感の能力が欠如してるのだがらそれをすることができない。でも、自分に無いものが確かにあることだけはわかる。だから苦悩する。そんな矛盾にぶち当たるまでに何年かかってるのかと…。そしてそれを超えられずに狂っていくって、悪い言い方だけども滑稽である。

名のある哲学者って、自分が探求していると思っているのかもしれないけど、、実は、後人のために自ら実験台になってくれている人だと、私は思う。こういう狂人がいるからこそ、われわれは哲学を冷静に眺めることができるわけで、“実験台”の様子をつらつらと綴る本作のような作品には、意味があるな…と。
なーんて、哲学に造詣の深くない私なんぞが、批判するのもおこがましいんだけど、これが本作を観た素直な感想でありんす。

監督も同性愛者でエイズで亡くなった人だとか。そういうシンパシーを基盤に語られても、私には何も響きませんなぁ。お薦めはしません。奇作。

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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