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公開年:1997年
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:ジャン・ジャック・アノー
出 演:ブラッド・ピット、デヴィッド・シューリス、B.D.ウォン、マコ(岩松信)、ダニー・デンゾンパ 他
ノミネート:【1997年/第55回ゴールデン・グローブ】音楽賞(ジョン・ウィリアムズ)
【1997年/第21回日本アカデミー賞】外国作品賞
コピー:愛のぬくもりが世界へ広がる
1939年。ヒマラヤへの登頂を目指す登山家ハラーだったが、第二次世界大戦の勃発によりイギリス軍の捕虜となり、インドの軍施設に収容されてしまう。登山仲間とともに脱走を強行し、ヒマラヤ山脈を越える決死の脱出を図るが、仲間の多くは死ぬか病気で再び捕虜になってしまい、ハラーとアウフシュナイターに2名だけになってしまう。2人は中国を目指し、途中のチベットにたどり着くが、チベットは外国人の入国を認めておらず、インドへ戻されてしまい…というストーリー。
冒頭の登山シーンは、高所恐怖症でなくても、お尻のあたりがヒュンとするね。このまま登山アクションが展開されるのかと思いきや、あっさりと異文化との遭遇映画に早替わり。テイストとしては『ラスト・エンペラー』の部類だ。
まあ、今の中国人は、日本人は中国を侵略したと、いつまでもいい続けるが、自分達も同じことをやってるのを認めないわけで、この映画の描写だって、すべてでっち上げだ陰謀だと絶対に認めない人たち。はい、ご苦労さん。
そして、他者の瑕疵を永遠に攻め続ける精神構造。犯罪者の子孫も永遠に犯罪者。自分の下僕にならない限り永遠に犯罪者扱い。そんなことをしてたらいつかは全員が犯罪者になっちゃうじゃないか…って普通は想像できると思うけれど、そこまで知恵が廻らない。そんな自分の姿を正視したら、気が狂うんじゃなかろうか。まあ、本当の意味で“赦し”のない国家に未来はないわ。はい、ご苦労さん。
まあ、あと20年もすれば、中国は毛沢東時代を総括せざるを得ないだろう。宗教は毒だと言い放ちながら、一人の思想を崇め、鶴の一声に言いなりになり、鉄を供出しろと言えば鍋釜まで接収して粗悪な鉄をつくって何の役にも立たなかったなんて逸話は枚挙に暇ない。そんな裸の王様を作り出し、百万単位の死者を出した歴史は、公になることもないし、子供に教育されることもない。そんな国が他国の歴史教科書にクレームつけてるんだもの、笑う以外にどうしろと。同じ轍は踏まないように気を付けることしかできまへんな。
#他者に尊敬のない行いをする者は、その報いを必ず受ける。
かといって、かわいそうだとは思えど、個人的にはチベットに対しても親近感も共感もない。この映画の影響だと思うけど、欧米で仏教といえばチベット仏教のイメージが強い。でも、はっきりいって私はこういう上座部仏教を認めていない。本当にそういう教義なのかどうかは知らないけど、本作中で、ダライ・ラマは仏陀なんちゃらかんちゃらの生まれ変わりで…という彼の生母のセリフがある。アホか。仏陀となって悟りを開いたら、輪廻転生のサイクルから解脱するのだから生まれ変わるわけがない。トンチンカンも甚だしい。それって仏教の基本じゃねえの?
今のダライ・ラマは、亡命生活も長いし知見もあるので、民主化を押しし進めていて、『リトル・ブッダ』で扱われた継承制度もおしまいにしようとしている。知名度もあり尊敬もされている今はいい。しかし、そろそろいい年齢である。あまりこういう予測はしたくないが、彼の死後亡命政権はかなり危険は状況になるだろう。本作でもチベット側が切り崩しにあって中国に占領されてしまうわけだが、それ以上のことが発生するはず。自滅、介入、混乱。おそらく文化的資料の保持すら難しい展開もありうる。そういう意味で、描写に若干の誤りはあるかもしれないが、本作はチベット文化的資料として有益だとと思われる。
#カリスマ指導者がいる仏教組織というのは、似たような末路なのかな。
ということで、面白いとか面白くないとか、そういう次元で愉しむ映画ではないのかなと思う。同じ時代を描いた作品ではあるが、映画としては『ラスト・エンペラー』に劣るかと…。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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