忍者ブログ
[1]  [2]  [3]  [4
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

image1525.png公開年:2009年 
公開国:日本
時 間:202分
監 督:若松節朗
出 演:渡辺謙、三浦友和、松雪泰子、鈴木京香、石坂浩二、香川照之、木村多江、清水美沙、鶴田真由、柏原崇、戸田恵梨香、大杉漣、西村雅彦、柴俊夫、風間トオル、山田辰夫、菅田俊、神山繁、草笛光子、小野武彦、矢島健一、品川徹、田中健、松下奈緒、宇津井健、小林稔侍、加藤剛 他
受 賞:【2009年/第33回日本アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(渡辺謙)、編集賞
コピー:魂が、震える。

国民航空の労働組合委員長を務める恩地元は、職場環境の改善を求め会社側と激しく対立したため、懲罰人事で海外赴任を命じられる。パキスタン、イラン、ケニアなど、社内規定を無視した長期の海外勤務であったが、恩地は自らの信念を曲げず任務を全うする。一方、同じく労組副委員長として共闘した恩地の同期・行天四郎は、出世と引き換えに会社側へ寝返り、エリートコースを歩みながら恩地と対立していく。10年後、恩地は本社復帰するが、当時の組合の同志たちと同様に、不遇な日々を過ごすのだった。そんな中、国民航空ジャンボ機の墜落事故が起こり、恩地は遺族係に就き、数々の悲劇に遭遇するのだった…というストーリー。

飛行機のCGがポンコツだっていう噂があったけれど、たいして気にならなかった(小さい画面で観たからかな)。

まあ、主人公の生き方がいいかどうかは、答えを出すことはできないし判断する意味もない。ただ、私が判るのは、彼は根っからの“戦士”だってこと。目の前の難局に抗うことで生きている実感を感じる人間なのだ。どんなに苦しくても、そうしなくては生きている実感がない人間なのだから、会社をやめるはずがない。どんな懲罰人事でも、それに抗わずに戦士でいることをやめることよりはよいのだ。辛いようにみえて、すべて自分で選択しているのである。
恩地の学生運動の延長みたいな組合活動の仕方にも共感できなかったし、会社側の腐れっぷりにも同様。労使のどちらにも共感できないってことは会社まるごとがクソにしか見えないわけで…。

それにしても、昨日の『マンデラの名もなき看守』と同じく、この時代の大人は、共産主義思想とは関係ないのに体制に抵抗すると“赤”呼ばわりする(私の母親もそうだったが)。いまだに、赤だ右だ左だ、的外れな形容をしてる人が多い世代で、レッテルを貼って人をカテゴライズしないと頭が整理できない人たちなんだろう。閉口する。

私は元々JALという企業が大嫌いなので、すべてが腹立たしく見えて仕方が無かった(実際JALには一切乗らない)。本作の公開にあたって、2009年の今になっても、そしてこの破綻状態の今になっても、“フィクションで金儲けをするのは遺族への配慮が欠ける”ともっともらしいことを平気でいえる会社である。大体にして、なんでJALに遺族の気持ちを代弁する資格があるというのだろう。単に自分たちに不都合な部分が扱われているのがイヤなだけなのに、遺族の気持ちを持ち出すような、そんな品性の企業に未来などあるわけがない。
末端の人たちはがんばっていると思うので気が引ける部分がないわけではないが、だからこそ、一旦潰して別会社にして再雇用すべきだったと考えている。

本作を見ると、事故の細かいディテールは記憶が薄れているなと思った。こういった表向きフィクション作品であったとしても、手に届きやすい形になっているのは意味があると思う。遺族の方々は苦しいであろうが、別に事実の隠蔽やウソをついているわけではないので、許容していただきたいものである。

この大きな原作を映画にするぞ!っていうよりも、原作を壊さないようにするぞ!ってベクトルで作られたような気がする。原作がすばらしいからそれでよかったんだろうけどね。長いことは長いが3時間超には感じなかったのはスゴイこと。
特に、最後のお遍路に回っているおじいさんに当てた手紙の内容が大変よろしい。そのシーンだけでも、私は観る価値があったと思う。まちがいなく良作(傑作じゃないんだ…(笑))。

#予言しておくけれど、いくら稲盛さんががんばってもJALはつぶれるはず。その理由の一つは、稲盛さんは無から大きくするのは得意かもしれないが、いびつな“有”を丸い“有”にするするのは決して得意ではないから(一回、潰しておけば、今頃復活していたと思う)。二つ目はLCCの波に完全に出遅れるから。そして、国民の多くは「あの時、潰しておけば…」と思うのだ。合掌。

拍手[0回]

PR

image1610.png公開年:2007年 
公開国:フランス、ドイツ、ベルギー、南アフリカ
時 間:117分
監 督:ビレ・アウグスト
出 演:ジョセフ・ファインズ、デニス・ヘイスバート、ダイアン・クルーガー、パトリック・リスター、テリー・フェト、シャイロ・ヘンダーソン 他
コピー:27年間囚われた、のちの南アフリカ初の黒人大統領。今、秘められた感動の実話が明かされる。
あなたに逢って、知った。世界は間違いだらけだと──


1968年、アパルトヘイト政策下の南ア。ジェームズ・グレゴリーはコーサ語を解することを買われ、反政府運動の首謀者ネルソン・マンデラの看守に抜擢される。彼に与えられた仕事は、マンデラたちの秘密の会話や手紙の内容をチェックし、情報を得ること。しかし、マンデラに長く接するうちに、彼に対する見方がかわりはじめ…というストーリー。

ネルソン・マンデラの承諾を得て映画化をした点を全面にアピールした作品。原作は主人公の看守さんなわけだし、マンデラの大統領就任式に呼ばれるくらい懇意な間柄なのだから、別に、アピールしなくても誰もウソだとは思わない。そんなことわざわざ前面に出さなくてもいいのでは?と思うが、それは、作品自体が興行的に当たりそうも無い地味なものだったからかも。
また、逆に言えば、マンデラの承諾があったということは、マンデラ側に不都合なことはあまり描かれていないとも捉えることができるので、描かれていることをすべて鵜呑みにするのは危険かもしれない。

ただ、誤解をされてはいけないので断っておくが、映画自体の質は良い。マンデラがアパルトヘイトに抵抗して長く投獄され、釈放後に大統領になったことまでは誰でも知っているだろう。アパルトヘイトの様子や、マンデラがどういう活動をしていたのか(なかなかの武力闘争を指揮していたこと)、27年間の獄中生活はどのようなものだったのかなどがよく判り、映画でありながら一級の資料といってもよい。
大昔『遠い夜明け』というアパルトヘイトを扱った作品を観たが、若くてアホだった私はまったく消化することができなかった。判りやすさという点では、本作は非常に質が良い。

どうも1900年代の中盤は、共産主義を敵だといいながら共産主義の何たるかを理解していない輩が世界中にいた時代のようだ。敵がわからないのだから敵を倒せるわけもなく、いつまでも泥沼状態なのは当たり前だと思うのだが。実に不思議な現象で、それが大衆を抑圧したい側の道具として利用され、何もわからない民衆が巻き込まれていくのも共通していて、興味深い。

看守の心の変遷は表現されているのと同様に、マンデラだって大きく変わったはずなのだが、まるで始めから聖人のように描かれていて、その心の変化は見えてこない。この点は実に不満で、本作を平板な印象にしている原因だと思う。
また、日本(特に日本の商社が)がアパルトヘイト下の南アから“名誉白人”とされていたことなども描かれていない。この歴史的事実は、とてつもなく恥ずべきことだったと、今後、今以上にクローズアップされることだろう。

観終わって思ったのだが、本作を観てから『インビクタス/負けざる者たち』を観るのが正しかったと思う。この流れで観ることを是非お薦めする。より“赦し”の大切さを強く感じられるはず。

拍手[0回]

image1609.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ
時 間:148分
監 督:ショーン・ペン
出 演:エミール・ハーシュ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ウィリアム・ハート、ジェナ・マローン、キャサリン・キーナー、ヴィンス・ヴォーン、クリステン・スチュワート、ハル・ホルブルック、ブライアン・ディアカー、ザック・ガリフィナーキス 他
受 賞:【2007年/第65回ゴールデン・グローブ】歌曲賞(曲/詞:エディ・ヴェダー“Guaranteed”)
コピー:そして僕は歩いて行くまだ見ぬ自分と出会うために

大学を優秀な成績で卒業した青年クリス。両親からの卒業祝いの新車を断り、口座に残っていた学費をすべて慈善団体に寄付し、何も告げることなくアラスカへ向けて旅に出る。道中、サウスダコタでは彼の無鉄砲を諫めてくれる荒くれ男のウェインと親交を深めたり、ヒッピーのコミュニティーに身を寄せたり、様々な経験を重ねる。その一方、彼の家族は祈る思いで彼の帰りを待っていたのだが…というストーリー。

若さゆえの純粋さや危うさを、うまく表現した作品…と評価してあげたいところだが、個人的にはしっくりこなかった作品。

まず、多くの人が引っかかったと思うが、荒野での生活を求めたにも関わらず、いきなりバスを見つけて居ついてしまうのは、腰砕けも甚だしい。いや、これが実話なのはわかっているので、実際、あの状況になったら、バスに入るのは理解できるのだが、コレは映画にまでする話なのだから、そんなトコで折れられてはたまったものではない。それに、物質社会を嫌うだけ嫌っておいて、相当数の弾丸を持ち込んでいるし、そこそこの量の米ももってきていて、けっきょく物質文明から離れられない矛盾に、何の違和感も感じていないのが、理解に苦しむ。
アラスカでの一冬だって、予想の範囲を超えた自然の厳しさだったっていうだけの問題であって、本人としては、ちょっとしてハードなキャンプ感覚だったのではなかろうか…そう頭をよぎると、なんかくだらなく思えて仕方がない。

社会から距離をおくために、紙幣を焼くシーンがあるが、大学出のいい年齢の人間がする行いではない。根本的に紙幣というものは、人が他人への施しをした対価であって尊い物である。それが拝金主義の根源みたいにしか見えないのだから、見識が浅いにもほどがある。また、旅の先々で出会った人が、いろいろ手を差し伸べているにも関わらず、丁重にお断りするという姿勢ならいざ知らず、その手を無碍に払うようなまねをしている。加えて、人の話は聞かないは、中途半端に知識だけはあって弁は立つは、闇雲に冒険心だけは強いは、危険を恐れる感覚は薄いは、こういう遺伝子をもった人間は、そりゃあ死ぬ確率は高かろう。

孤高の存在でありたいと思っていたのだろうが、孤高と孤立は違う。孤高というのは人と人と繋がりを理解した上で自立することであって、単に今の自分の周りにある繋がりがイヤだからといって忌避するのは孤高ではない。さらに、中途半端なものだから、どこかから離れても、すぐに別のだれかとの繋がりを求めてしまう。
結局、最後の主人公の感情だって、作者の予測でしかないんだし、「これ、真剣に付き合わないといけないわけ?」 そんな気持ちになってしまった。

内容を脇に置いたとしても、テンポが良くないと感じる。アラスカまでの道中(最後のじいさんに出会う前くらい)までは、若さゆえの疾走感みたいなものを表現して、もっとサクっと展開させるべきだと思う。そしてアラスカとの時間の流れのコントラストを表現してほしかった。そうすれば、上映時間ももう少し短くできただろう。申し訳ないが、これは、ショーン・ペンの監督としての力量の問題かと。

実話ベースの弊害の最たる作品だと思う。物質文明や家族内でのしがらみから逃避して、自分を見つめなおしたくなるのも理解できるよ~ってエピソードがもうちょっとあれば、バランスが取れたんだろうけど、実話だから創作エピソードを盛り込むわけにいかないものね。世の評価は結構高いが、凡作から半歩ほど足がはみ出た程度のデキだと思う。音楽の評価も高いんだけど、私の好みではなかった(楽曲の歌詞が理解できれば、違ったかもしれないけど、私のヒアリング能力はポンコツだから)。あまりお薦めしない。

#そんなに蝿を避けたいなら、川の中で解体するとか、生き死にを左右する場面なのに、もうすこし知恵は出ないものか…と冷めた目で見てしまった。

拍手[0回]

image1604.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:117分
監 督:ジョー・ライト
出 演:ジェイミー・フォックス、ロバート・ダウニー・Jr、キャサリン・キーナー、トム・ホランダー、リサゲイ・ハミルトン、スティーヴン・ルート、レイチェル・ハリス、アンジェラ・フェザーストーン、ジャスティン・マーティン、ネルサン・エリス 他
コピー:奏で続ければ、いつかきっと誰かに届く。



LAタイムズの記者スティーヴ・ロペスは仕事にも生活にも行き詰りを感じていた。そんなある日、弦の足りないバイオリンで奏でるホームレスの男ナサニエル・エアーズと出会う。ナサニエルがかつて名門ジュリアード音楽院に通っていたと知り、なぜ彼がホームレス生活をしているのか興味を抱き、取材を開始する。そして、少しずつ彼の生い立ちを調べ、記事にしていくと、彼のコラムは大きな反響を呼ぶようになる。そして、付き合いを重ねるうちに、次第にナサニエルをなんとか救済したいと思い始めるのだが…というストーリー。

正直、映画にするには難しいテーマだと思う。そして、観終わっても、問題解決はもとより示唆すら与えてもらった感じがしない。実話だから、“だってそうなんだもん…”で済ましちゃってるけれど、ものすごい重いテーマなだけに、若干無責任に感じられなくも無い。

日本も同様で、手を差し伸べなければならないホームレスは多数おり、はたから見ていると「手を差し伸べなきゃダメだ!」と言いたくなるのだが、実際手を差し伸べると、本作のような状態になる。日本のとある大学の研究で、日本のホームレスの相当数に軽重の差はあれ精神的な障害があるという結果があった。実際、本人たちもそれに気付かず、なんでうまくいかないのか理解できずに、ホームレスを続けているケースが多いらしい。しかし、障害を認めるのは難しいし、往々にして社会性の資質に問題がある場合も多い。差し伸べた手は払いのけられることが多く、そうそう簡単ではない。
#大抵は、音楽の才能なんか無いわけで、こんなドラマティックな展開はまず無いわけだから、もっと悲しい状況。

それでも根気よく手を差し伸べ続ける人はいるが、続けるためにはそれなりのさじ加減があって、素人からみると「あの人の対応は冷たい」だ、「事務的だ」とかそういう批判になったりして、またまた難しい。とにかく、本作から何の解決のヒントも見えてこないので、どよーんとする気持ちになるだけだった。正直、記者とホームレスの友情物語とは、私には受け止められなかった。

技術的な面でも苦言を。編集がヘタ(編集者のせいか、脚本のせいかは不明)。過去の回想シーンと現代のシーンの繋ぎ方が雑。もうちょっとストーリーにうまいこと絡めてられないものか。一つ褒めると、共感覚の表現がおもしろかった(音を色で表現するところね)。

実話の壁が重すぎた作品。卒なくまとまってはいるが、肝心のテーマがあまりにも不完全燃焼。お薦めしない。

拍手[0回]

image1619.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:123分
監 督:ノーラ・エフロン
出 演:メリル・ストリープ、エイミー・アダムス、スタンリー・トゥッチ、クリス・メッシーナ、リンダ・エモンド、メアリー・リン・ライスカブ、ジェーン・リンチ、フランシス・スターンハーゲン、ヘレン・ケアリー、ジョーン・ジュリエット・バック、クリスタル・ノエル、ヴァネッサ・フェルリト、ジリアン・バック、ブライアン・エイヴァーズ 他
受 賞:【2009年/第76回NY批評家協会賞】女優賞(メリル・ストリープ)
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】女優賞[コメディ/ミュージカル](メリル・ストリープ)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(メリル・ストリープ)
コピー:50年の時を越え、2つの人生がキッチンで出遭った。

1949年。パリに赴任したアメリカ外交官ポールとその妻のジュリア・チャイルド。食べることが大好きなジュリアは、フランス料理に魅了され、名門料理学校に通うほどに。やがて、アメリカの主婦向けのフランス料理レシピ本の執筆に情熱を傾けていく。一方、現代のニューヨーク。作家志望ながら、その夢がかなわぬままOL生活を送るジュリー・パウエル。彼女は、ジュリアの524レシピを365日ですべて作り上げるブログを書くことを思いつく。夫の協力もあり、順調に進むかのようにみえたのだが…というストーリー。

11/4に『恋するベーカリー』をレビュしたのだが、実は私が観たかったのは本作だったということに、いまさらながら気づいた。メリル・ストリープ主演の料理モノの作品があったはず…と探していたら、『恋するベーカリー』が先にひっかかってしまったのだな。そして期待はずれだったという…(続けて、似たような料理ネタの作品に主演するなよな)。
そうそう、観たかったのはこっちである。

私は小さいころから、ヒマがあると家にあった料理本をよく読んでいた。料理本はたくさんあったが、母親の料理の腕はよろしくなく、それらのレシピから、なにか目新しい料理が作られることはほぼなかった。それこそあまった食材で色々料理していたのは私のほうで、大体、料理を見れば、なんとなく作り方が想像できていたものである(そして、その後、バイトしながら調理師免許まで取ることに)。その後、料理の世界とはさっぱり縁も無くなって、腕も勘も鈍りに鈍ってしまったのだが…。

料理に執着していく様子や、毎日病的にブログを綴っている点など、ジュリーにものすごくシンパシーを感じてしまった。彼女のブログは、コメントもたくさん、閲覧者もたくさんで、私のブログのように、1日の閲覧者が7人くらいで、コメントも一回も書いてもらえないポンコツブログとは大違いだけどね(最近は与太話でもいいからコメントがほしくなってきたよ)。

特に深い含蓄のある話でもないのだが、なんとなく魅力あふれる映画だった。二つの時代をいったりきたりする演出も、ありがちではあるけれど、異なる部分と共通部分の振り幅の加減が効果的だと思う。途中、赤狩りや共和党批判などが絡められるのだがが、料理とは自由な発想が不可欠な芸術であるということが言いたいのだな…と、勝手に読み取り深く同意した(赤狩りもイラク侵攻も共和党がやらかしたアメリカ史の大汚点だと、こんな映画からも強く感じる)。

残念なのは、最終的にジュリーとジュリアは接触することはおろか、心も通わなかったという点(実話だからしょうがないんだろうけど)。そして、もっと最大の残念ポイントは、肝心の料理がいまいちおいしそうに見えないこと(バターばっかりつかうんじゃねーっての)。食べモノのブツ撮りは日本人が一番うまいかもしれないね。料理の鉄人が未だにアメリカでウケる理由がよくわかる(仕事が美しくないんだわ。彼ら)。
料理にちょっとでも興味のある人は楽しめると思うので軽くお薦め。そうでなければ、多分何にも引っかからないと思う。私は楽しんだ。

#実際、あれだけ作って食べてを繰り返したら、とてつもなく太ると思うけどね。

拍手[0回]

image1516.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:134分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:モーガン・フリーマン、マット・デイモン、トニー・キゴロギ、パトリック・モフォケン、マット・スターン、ジュリアン・ルイス・ジョーンズ、アッジョア・アンドー、マルグリット・ウィートリー、レレティ・クマロ、パトリック・リスター、ペニー・ダウニー 他
ノミネート:【2009年/第82回アカデミー賞】主演男優賞(モーガン・フリーマン)、助演男優賞(マット・デイモン)
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](モーガン・フリーマン)、助演男優賞(マット・デイモン)、監督賞(クリント・イーストウッド)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】作品賞、主演男優賞(モーガン・フリーマン)、助演男優賞(マット・デイモン)、監督賞(クリント・イーストウッド)
コピー:ひとつの願いが、ほんとうに世界を変えた物語

南ア。1990年、27年間投獄されていたネルソン・マンデラが釈放され、その4年後の南ア初の全国民参加による総選挙にて大統領に就任する。しかし、アパルトヘイトは撤廃されたものの、白人と黒人の対立と経済格差は依然として存在し続けた。国民の統合こそが南アの未来であると確信する大統領は、1995年に南アで初開催されるラグビーW杯を和解と融和のチャンスと考えた。国際的な非難のために長らく国際試合に出ることができず弱小化した代表チームのキャプテン・フランソワを官邸に招き、国民の統合のためにW杯で優勝を目指すよう訴えかける。難しいとは思いつつも、大統領の信念に心打たれたフランソワは優勝目指してチームを引っ張っていくと決めるのだったが…というストーリー。

実話とはいえ、あまりにも出来過ぎなため、逆に映画にするには憚られるところなのだが、そこはクリント・イーストウッド。よくまとめあげたと思う。これまで、いくつもの心動かされる作品を世に送り出してきた彼だが、アクの強い作品ばかりだったのも事実。しかし、本作はめずらしくストレートな感動作である。彼も老いて丸くなったか?と穿った見方をしてしまいそうだが、色々満足がいくまでやリ尽くした先の達観の域ということだろう。

これまでノーベル平和賞を受賞した人物の中で、マザー・テレサとネルソン・マンデラは別格である。もうしわけないが、何も成していないのに受賞しておめおめと受け取ってしまったオバマなんか、ハナクソみたいなものである。マンデラの人生は、その身におこった出来事を並べていくだけでも、充分ものすごい映画ができあがり感動するのは必至なのだが、それを単純にやらなかった点も評価したい。

マザー・テレサとネルソン・マンデラの共通点は“赦し”だろう。自分を投獄し続けた白人には決して復讐しようとはせず、彼らを赦し寛容にも受けれようとする。それは、国家運営上のポーズではなく、その怒りに端を発する行動が何も生まないこと、意味のないことであることを、悟っている故であるのが(私にはそう見えるけど)、またすごいところである。

こういう“赦し”の行為こそ、国際紛争の解決の基盤となるもので、加害者側にとっても被害者側にとっても、これ以上の未来を切り開く術はない。しかし、だからといって、加害者側はもちろん他者が、被害者に対して「いい加減、赦せよ」といっても、そうはならないのが難しいところ。あくまで被害者側が、自分の恨みの心の先に何も無いことに気づかない限り発生しない。これは、狂い死にしそうになるくらい本気で恨み、なぜその恨みゆえに自分が苦しむのか?と、とことん考えつくさないかぎり到達し得ない。中途半端に何となく雰囲気で恨んでいるようでは、絶対にその境地にはたどり着かない。中国や韓国にそれを臨むのは無理なんだよなぁ。

また、加えて残念なのは、南アの人々が、マンデラの言っていることをイマイチ理解できていなさそうなところである。南アも日本と同様、基本的にキリスト教社会ではない。赦しにくわえて、労働がただの食い扶持を稼ぐ行為ではなく、他者への施し、そして職業が職業であるというだけで、無条件に素晴らしいという価値観が醸成されれば、元々それなりに資源のある国なのだから、大化けするに違いないのだが、サッカーのW杯では、残念なことに最悪の治安を世界に発信することになってしまった。マンデラに続く精神の闘士は現れていないのかもしれない。

とにかく、彼の強い精神力と、やるべきだと思うなら迷わずやるという行動力と、その苦労ゆえに重く響く言葉の数々に感服しきりである。W杯の優勝なんかは、私にとってはオマケみたいなものだった。マンデラの業績を決して汚すことなく、且つ内容がわかっていても心揺さぶられる作品。お薦めする。

拍手[0回]

image0101.png公開年:2003年 
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:ジョエル・シューマカー
出 演:ケイト・ブランシェット、ジェラルド・マクソーレイ、バリー・バーンズ、キアラン・ハインズ、ブレンダ フリッカー、ジェラルド・マクソーリー、サイモン・オドリスコール、コリン・ファレル 他
ノミネート:【2003年/第61回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ケイト・ブランシェット)
コピー:ひとりの記者として、子供の未来のために―― ひとりの母親として、愛する家族のために――
1996年、アイルランド・ダブリン――これは生きて愛して戦った、ひとりの女性記者の記録である…

1994年、夫とひとり息子とともに幸せに暮らしていたジャーナリストのヴェロニカ。彼女は、子どもたちにまで蔓延している麻薬問題に憤りを覚え取材を開始。様々な情報源をたどって調査をすすめるが、核心へと迫れば迫るほど、彼女にこの件から手を引くように犯罪組織は圧力をかけてくる。それも取材をやめない彼女に対して、組織は彼女の家族を脅迫のネタにしてくる…というストーリー。

社会悪に立ちはだかったジャーナリストで、その燃え尽きた命が社会を変えていったという事実について、批判する点など何一つない。

だが、私は色々な観点から、あまり本作を面白いとは思わなかった。まず、ケイト・ブランシェットがちっとも魅力的に見えない。私はケイト・ブランシェットを好きだし、彼女がこういう題材を好むのもなんとなく理解する。そして最後の写真のヴェロニカ本人の写真と似せているのもわかるし、演技も素晴らしい。でも、私がケイト・ブランシェットを好きだという要素は自分でもわからないのだが、本作の彼女はその要素が削除されている模様。一切、魅力を感じなかった。

冒頭で、犯罪組織に立ち向かう女性記者が殺されるというオチがわかる。欧米では周知の事件なのだろうから、もったいぶった演出はイヤがられるかもしれないので、こういう演出になるのはわかる。でも、よく知らない人や時間が経過して事件を忘却した人にとっては、逆効果なネタバレ演出でしかない。別編集のDVDを出してもよいかも。また、ジェリー・ブラッカイマー製作だけど、この事件を映画化したい!っていう意志ではなくって、映画化権を他に買われちゃってヒットされるのはイヤっていうのがにじみ出ているようにも見える。

そして、一番感じたのは、ヴェロニカ・ゲリンの偉業とは裏腹に、彼女本人にまったく好感がもてないこと。純粋に記者としても家族としても母親としても女性としても尊敬できない部分が多数。犯罪組織に立ち向かうジャーナリストに品性を求めるつもりはないが、いささか脱法というかルール無視というか、特に議員とのコネ利用して役所から情報を引き出すのや、取材の現場に警察とカメラマンがこっそり同行しているなんて、観ていてあまり気分のいいものではない。目的のためなら何をやってもいいという、ジャーナリストの姿勢は、言論の自由の暴走かと。暴走したのだから、別の暴走(犯罪組織の行動)と交錯して、このような結末になるのもいたしかたない。結局、出所のわからない資産を没収できるように憲法は改正された、めでたしめでたしというけれど、今度は政府のさじ加減で国民の資産を没収できる権限を与えてしまったわけで、これはけっこうおそろしい話。別の方法はなかったのかと。
若干失礼な見方かもしれないが、アイルランドの人々が彼女の死後に麻薬密売組織に対する反対運動を活発にしたけれど、これは、ゲリンの勇気に呼応して人々が目覚めた!っていうのとはちょっと違うように思える。もう、真剣に対峙しないといけない状況に、ゲリンにそうもっていかれた…というニュアンスが正しいのではないだろうか(まあ、そういう風にもっていくというのも、ジャーナリストの役目だから、間違いではないんだけど)。

そりゃあ、悪が滅びていく様子は、観ていて気が晴れる。でも、それはこの事件の顛末の魅力であって、映画の魅力ではない。多分、映画にしなくてもバラエティTV番組なんかで再現VTR的に紹介しても同じ感動を得られるだろう。要するに映画にすることで、+αされた点は無さそうだと思えるってことである。

よく、タイムマシンで戻れるならどんな偉人に会いたいですか?っていうアンケートがあるよね。ヴェロニカ・ゲリンを見ると、その偉業と人間性って必ずしもマッチしてないことがわかって、おそらくタイムマシンで戻って実際にあったら、いけ好かないクソ野郎だったていう例はいっぱいなんだろうなと(笑)。エジソンなんか、ぶん殴りたくなるようなイヤなヤツだろうねぇ。ドクター中松みたいに、その業績と本人に対する尊敬は別だからねえ。ヘレン・ケラーとか織田信長とか聖徳太子とかさ。あ、聖徳太子は実在の人物ではないだろうけど(私見)。

多分、「結構感動したよ~」って人はたくさんいるはずなんだけど、私は特にお薦めしないな。

拍手[0回]

image1311.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:ビリー・レイ
出 演:クリス・クーパー、ライアン・フィリップ、ローラ・リニー、デニス・ヘイスバート、カロリン・ダヴァーナス、ゲイリー・コール、キャスリーン・クインラン、ブルース・デイヴィソン 他
コピー:職業…FBI捜査官
罪状…二重スパイ
史上最悪の裏切り者、逮捕までの二ヶ月間。

捜査官への昇進を目指す若きFBI捜査官エリックは、上司のケイトから、ベテラン捜査官ロバート・ハンセンの監視を命じられる。彼の性的倒錯行動を監視し逐一報告しろという指示だったが、いくら行動を共にしても、何一つ不審な点は見つからない。そんな任務に不満を感じたオニールがケイトを問い詰めると、ハンセンにはロシアに協力するスパイの容疑がかけられていることを告げられる…というストーリー。

アメリカでは重大事件だったので周知だったかもしれないが、日本で記憶残っている人は少ないはず。それなのに、“BREACH”という原題に『アメリカを売った男』という邦題をつけちゃうバカさ加減。
3分の1近くまで、捜査の真の理由はわからない状態で、捜査しているつもりが利用されているのがおもしろいのだが、邦題とコピーのせいで丸わかりで、観も蓋もない。『死ぬまでにしたい10のこと』くらいバカな邦題である。さほど評価の高くない映画だったようので、とりあえず集客できりゃなんでもよかったのか。タチの悪い日本の配給会社め。

映画の内容としては、『フェイク』を同じようなプロット。まあ、そりゃあ事件の種類に違いこそあれ、両方ともFBI捜査官による騙し捜査なのだから、捜査手法がダブるのは当然か。バレるバレないのドキドキ感も『フェイク』と同様だが、さすがに、FBI内部の出来事なので、緊迫感は劣る。警戒されて捜査が頓挫しても、命が危険にさらされるわけでもなかろうし、どうであと数年で定年だし、その気になれば闇に葬ってしまえばいいのだし。
それにしても、既視感がバリバリすぎる。笑ってしまうのは、FBI捜査官の妻は、揃いも揃ってアホなのか?という点。FBIで捜査をしてるんだから家族に仕事の内容が言えない時があることくらい承知の上だろうと思うのだが。アメリカ人と日本人の職業観の違いだろうか。

一つ、慧眼だなと思うには、自分が廻りの人間にとって役に立つ存在でありたいという欲求が、犯行動機足りえるという点かな。

とはいえ、200円くらいのレンタル料金なら、まあまあ許せるかな?くらいのデキ。受賞がないのは、至極妥当。お薦めはしないが、どうしても暇つぶしにDVDを観たいなら、許せる範囲かも。

拍手[0回]

image0436.png公開年:1994年 
公開国:アメリカ
時 間:133分
監 督:ロバート・レッドフォード
出 演:ジョン・タートゥーロ、ロブ・モロー、レイフ・ファインズ、ポール・スコフィールド、デヴィッド・ペイマー、ハンク・アザリア、クリストファー・マクドナルド、マーティン・スコセッシ、バリー・レヴィンソン、エリザベス・ウィルソン、ウィリアム・フィクトナー、キャリスタ・フロックハート、ミラ・ソルヴィノ、ジェフリー・ノードリング、アラン・リッチ 他
受 賞:【1994年/第61回NY批評家協会賞】作品賞
【1994年/第48回英国アカデミー賞】脚色賞(ポール・アタナシオ)
コピー:70年代、ウォーターゲート。60年代、ケネディ暗殺。そして、50年代には、クイズショウ。それは、全米を震撼させた、3大スキャンダル。

NBCの高視聴率クイズ番組“21”。解答者のステンペルは、この番組が生み出したスターで、労働者階級の元GIのユダヤ系男性。しかし、よれよれのシャツに冴えない髪型というスタイルは、番組プロデューサーのエンライトによるもので、普通の人間がクイズで勝ち抜き大金を手にするというアメリカンドリームの演出であった。しかし、その人気にも翳りが見えはじめたため、次に視聴者が求めるのは、見映えのよいヒーロー像だと考えたエンライトは、次のヒーローに大学の講師ヴァン・ドーレンを据えるべく、ステンペルにわざと負けるように強要する…というストーリー。

いままで、何気にチャンネルをひねると放送していたりして、途中から観たりすることはあったが、一気通貫で観たことがなかったので、このたび改めてレンタル。

有名な事件だし、散々ドキュメント的なバラエティー番組で再現フィルムのように何度も紹介されているので、知っている人も多いはず。展開はバレバレだから、すぐに飽きちゃうと思いきや、面白い仕上がり。地味ではあるが、小気味良いテンポ。
エンドロールまで進んで、ロバート・レッドフォード監督であることに気付く。他のレッドフォード作品とは趣が違うように思えるが、まあ、言われてみれば、彼の政治的心象(共和党批判的な?)がいくらか反映されているように感じなくもない。しかし、いずれにしろ、きめ細かい演出が功を奏している良作である。

ただ、1994年当時、レッドフォードはこの映画を通して何を言いたかったのか、よくはわからない。エンターテイメントのあり方なのか、大衆の愚かさなのか、それとも。
(以下ネタバレ)
なんとも割り切れないのは、この事件の顛末として、TV局とスポンサーはお咎めなしで決着している点である(NBCはいまでも普通に運営されている)。日本だったら、放送法違反で免許停止なんていう展開になる可能性が高いが、アメリカではそういう規制がない模様だ。報道で事件を捏造するのは犯罪だが、娯楽というのは元々演出があってしかるべきもので、本件だってその演出の範疇にすぎない。大体にして、大衆は大喜びし、スポンサー企業は売り上げを伸ばし、TV局も出演者も大金を得て、だれも損をしていないじゃないか…。そういう理論らしい。
まあ、この映画だけでアメリカのすべてを語るつもりはないが、アメリカに改めて幻滅させられる映画である。本筋の事件だけじゃなく、レッドフォードによる細かい演出で垣間見える、有色人種差別や社会的階級格差が乗り越えられない(乗り越えさせない)壁として厳然と存在する社会。なにがアメリカンドリームなんだか。歯並び一つで人生が違うと“脅迫”されるような社会にはうんざりさせられる。
ワタシ個人的には、アメリカなんかに生まれなくて本当に神様ありがとうといいたくなる映画だった。それはそれとして、映画の物語の運び方は秀逸なので、もし未見ならば軽くお薦めする。

拍手[0回]

image0879.png公開年:2003年 
公開国:アメリカ
時 間:99分
監 督:ビリー・レイ
出 演:ヘイデン・クリステンセン、ピーター・サースガード、クロエ・セヴィニー、スティーヴ・ザーン、ハンク・アザリア、メラニー・リンスキー、ロザリオ・ドーソン、マーク・ブラム、チャド・ドネッラ、ルーク・カービー、テッド・コッチェフ、クリスチャン・テシエ、アンドリュー・エアリー、キャロライン・グッドオール 他
受 賞:【2003年/第38回全米批評家協会賞】助演男優賞(ピーター・サースガード)
コピー:ニュースに、本当と嘘は、あるのか?

1998年、ワシントンD.C.。25歳のスティーブン・グラスは、最も権威ある雑誌“THE NEW REPUBLIC”の最年少記者で、斬新なスクープを連発し今やスター記者。気さくな人柄で社内外の人望も厚かった彼だったが、彼の手掛けた“ハッカー天国”という記事が他誌から捏造疑惑を指摘され、それをきっかけに彼の驚くべき事実が露呈していく…というストーリー。

アメリカで発生した実話なのだが、第四の権力といわれる報道の自由がこういう形で暴走したという事実…、ネット上の色々な感想や指摘を読むと、多くの人はこの点に主眼を置いてご覧になったようだが(もちろん間違いではないのだが)、私の観点は異なるなぁ…と。
“ウソを突き通すために辻褄合わせのウソを重ね、それらがバレそうになりさらにウソを付くときの緊迫感”とか、“ただの周りの注目を浴びたかっただけの若者の過ち”とか、“他人から愛されたい深層心理”とか…そういう感想があったのだが、私はそうは思わないのだ。彼は、残念ながら“普通の人”ではないから。簡単にいってしまうと、『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』(M.スコットペック著)という書籍にて研究対象となっているカテゴリの人ということ。“普通の人”ならば、不誠実なことをした場合、多かれ少なかれ良心の呵責に苛まれるだろうが、そうでない人々の一群がいるのだ。もう10年以上も前に出版された本なのだが、社会生活を営む上で、かなり有益な書籍だと思うので、読むことをお薦めする。未読の人は、読んだ後に、本作を観なおすと印象が変わることだろう。

私は、グラスは確信犯だと見ている(確信犯の意味を、悪いと“確信”しながら罪を犯す人と思っている人が多いのだけれど、それは間違い。確信犯というのは、自分の行為が正しいと“確信”して罪を犯す人のこと。間逆だからね)。捏造は良くないこと自体は彼は理解している。でも、それを行うことに微塵の呵責もないのである。

『平気でうそをつく人たち~』では、そういう人の特徴は以下だといっている。
・どこにでもいる普通の人
・非常に意志が強い
・自分には欠点がないと思っている
・罪悪感や自責の念に駆られることを嫌う
・他人から善人だと思われたいと強く望む
・他者をスケープゴードにして責任転嫁する
・体面を保つために人並みはずれた努力ができる
等々…
本作の中のグラスの行動すべてが当てはまっていることに気付くだろう。若干語弊があるかもしれないが、彼は“サイコパス”“闇世界の住人”なのだ。だから、先に挙げさせてもらったような感想は、普通の人間ではない彼に対して該当しないと私は考えている。本作は、血も出なきゃ人も死人も出ないが、『羊たちの沈黙』くらいのサイコパスムービー。それも実話なのだから、強烈に恐ろしい。
そろそろお気づきかもしれないが、程度の差はあれ、こういう人は確実の廻りに存在するよね。絶対、記憶にあるはず(なければ、もしかするとあなたが“平気でうそをつく人”なのかも)。私は、そういう人に悩まされてこの本を読んだクチである。
#あれ?なんか一昔前のヒルズ族もこんなかんじじゃなかったか?(笑)

周知の事件を映画化したことを考えると、なかなかうまくまとめたと思うし、希代の詐欺師の話だと思っていた人は、私の目線で観てみると、違った見方ができるかもよ。けっこうお薦め。

拍手[0回]

image0299.png公開年:2006年 
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:123分
監 督:ケヴィン・マクドナルド
出 演:フォレスト・ウィテカー、ジェームズ・マカヴォイ、ケリー・ワシントン、サイモン・マクバーニー、ジリアン・アンダーソン、フォレスト・ウィッテカー、ケリー・ワシントン、ジリアン・アンダーソン 他
受 賞:【2006年/第79回アカデミー賞】主演男優賞(フォレスト・ウィテカー)
【2006年/第41回全米批評家協会賞】主演男優賞(フォレスト・ウィテカー)
【2006年/第73回NY批評家協会賞】男優賞(フォレスト・ウィテカー)
【2006年/第32回LA批評家協会賞】男優賞(フォレスト・ウィテカー)
【2006年/第64回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](フォレスト・ウィテカー)
【2006年/第60回英国アカデミー賞】主演男優賞(フォレスト・ウィッテカー)、脚色賞(ジェレミー・ブロック、ピーター・モーガン)、英国作品賞[アレキサンダー・コルダ賞]
【2006年/第12回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(フォレスト・ウィッテカー)
コピー:何よりも恐ろしいのは、人間の本性

スコットランドの医学校を卒業したニコラスは、冒険心からウガンダの診療所へとやって来る。当時のウガンダでは、軍事クーデターによってアミン大統領が誕生。ニコラスはアミンの演説を聞いて、彼のカリスマ性に魅力を感じるが、偶然にもケガをしたアミンを救ったことからアミンの主治医に抜擢される。アミンは単なる主治医以上の信頼をニコラスに寄せ、次第に“友人”として地位が向上していくのだが…というストーリー。

あのブラッディー・アミンである。あの30万人以上を虐殺したと言われる悪魔である。私が彼のことを始めて知ったのは、意外にもプロレス漫画(プロレススーパースター列伝かな?失念)。その中でアントニオ猪木との対戦が決まったものの、お流れになった件が紹介されていた。1979年のことというから、そのころにはすっかり“ブラッディー”で殺すに殺しまくっている。それも、反体制派クーデターが起こっていなければ、その対戦は実現されていたというのだから驚きである。
そのマッチメイクをしたのは、20世紀少年の万丈目のモデルともいわれる“呼び屋”の康芳夫(モハメド・アリ戦をコーディネイトしたのも、チンパンジーのオリバー君をチンパンジーと人間の中間にあたる未知の生物として触れ込んだも彼)。ウガンダ情勢もクレイジーだったかもしれないが、当時の日本も相当狂っていたことは間違いない。

R-15なのだが、個人的にはR-18でもいいかなと思うくらいなので、家族で見る場合は要注意だろう。

人間の歴史の中には、大量虐殺を行った例が多々あるが、あまりその研究は進んでいないように見える。個々の虐殺の研究は進んでいるかもしれないが、ここまで繰り返し大量虐殺が発生する以上、なにか発生のための条件があるように思われて仕方がない。人間は社会性の生き物であって、その体制のキャパを超えた場合に、無意識に虐殺因子が生み出される…とか。こういうとなにやらオカルトめいて聞こえてしまうかもしれないし、まるでその虐殺の発動条件が人数みたいに聞こえるかもしれないが、そうではない。おそらく、なにか、社会学的な条件があるはずである。人間は自分の行動に、後付でもっともらしい理由をつける生物である。自分でもその理由を信じ込んでしまうため、ますます真の原因がわからなくなって、やっかい極まりない…。
そのような研究が進むことは非常に重要だと思うのだが、そういうアプローチで活発に研究が行われていると聞いたことはない(もちろん私が知らないだけかもしれないが)。
「何よりも恐ろしいのは、人間の本性」というコピーからは、人間ならば誰しもがそういう本性を持っているといわんばかりだか、おそらくその見識はハズレである。おそらく人間という種に備わっている何かである。

フォレスト・ウィテカーは、本作で各男優賞を総ざらい状態だが、吹替え版でみたせいか、それほど彼の演技に感銘を受けなかった。たしかに、アミン本人に体格も顔立ちも似ているのは事実だが、それだけで演技賞をもらえるわけではあるまい。
彼の演技の価値を体感するためには、字幕版で見るのがよいのかもしれない。

先日、映画が“実話”である意味を問うてみたが、本作については、重みに繋がっている。ただ、その重みは映画の質に繋がっているのではなく、人類の闇歴史という意味で。色々脚色はされているだろうが、映画作品というよりも極上の再現ドラマという価値が高いかと。非常に閉塞感を感じる内容だが、種としての人類が持つ“業”を見つめるつもりで鑑賞してほしい。きびしいことを承知でお薦めする。

#今の日本ではこういう大量虐殺はおこらないけれど、穏便な手段によって人口が減っていくという、別の何かが発動されているのかな…なんて。

拍手[0回]

image0434.png公開年:2006年 
公開国:イギリス、フランス、イタリア
時 間:104分  
監 督:スティーヴン・フリアーズ
出 演:ヘレン・ミレン、マイケル・シーン、ジェームズ・クロムウェル、シルビア・シムス、アレックス・ジェニングス、ヘレン・マックロリー、ロジャー・アラム、ティム・マクマラン 他
受 賞:【2006年/第79回アカデミー賞】主演女優賞(ヘレン・ミレン)
【2006年/第63回ヴェネチア国際映画祭】女優賞(ヘレン・ミレン)、金オゼッラ賞:脚本(ピーター・モーガン)
【2006年/第41回全米批評家協会賞】主演女優賞(ヘレン・ミレン)、脚本賞(ピーター・モーガン)
【2006年/第73回NY批評家協会賞】女優賞(ヘレン・ミレン)、脚本賞(ピーター・モーガン)
【2006年/第32回LA批評家協会賞】女優賞(ヘレン・ミレン)、助演男優賞(マイケル・シーン)、脚本賞(ピーター・モーガン)、音楽賞(アレクサンドル・デプラ「The Painted Veil」に対しても)
【2006年/第64回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ヘレン・ミレン)、脚本賞(ピーター・モーガン)
【2006年/第60回英国アカデミー賞】作品賞、主演女優賞(ヘレン・ミレン)
【2007年/第20回ヨーロッパ映画賞】主演女優賞(ヘレン・ミレン)、音楽賞(アレクサンドル・デプラ)
【2006年/第12回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ヘレン・ミレン)
コピー:世界中が泣いたその日、たった一人涙を見せなかった人がいた

皇太子との離婚後も世界中の注目を集め続けたダイアナは、パパラッチとの激しいカーチェイスの末、自動車事故で他界する。悲しみに暮れる英国民の関心は、不仲が取り沙汰されていたエリザベス女王に向く。しかし、王室を離れ一民間人となったダイアナに対し、女王がコメントを発表する慣習はない。しかし、口を閉ざし続ける態度を英国民は薄情であると感じ、女王は窮地に立たされる。首相に就任したばかりのブレアは、事態の収拾に乗り出すが…というストーリー。

こんなことを言うと何だが、私は『パフューム ある人殺しの物語』を思い出した。ある“記号”に機械的に反応して狂乱する民衆。これが現代の様子なのだから、気持ち悪くて仕方が無い。

なにやら本作のチャールズがよく描かれすぎという評価があるのだが、どこが?わたしにはチャールズが馬鹿丸出し男に見える。もう次の領主様にはなる資格がないと、暗にいっているとしか思えない。まあ、それ以上にフィリップは役立たずに映っているけどね(笑)。
事実に則した内容なのかどうかは判断できないが、鹿に対して女王がシンパシーを感じる演出は秀逸だと思う。

英王室は旧来の領主様ではなく、立憲君主としての立場に忠実である。その忠実さとは、いくら世の中がゆらゆらゆれても、世界が基点を見失わないように、行動する。そうしてこそ存在意義がある。いちいちエリザベス女王のいうことは至極真っ当。それなのに、慣習を破るようにに王室の内外が女王に圧力をかけ、破らせた挙句、破ってよかっただろ…という顔をする。
これって、レイプしておきながら、おまえもいい思いをしただろう…といっているようなもの。要するに、この騒動は、女王がレイプされた、ということなのだ。最後のブレアとのやりとりでそう確信した。

純粋に映画としておもしろいとは思えないが、自分の国がどういう経緯でこういう体制をとっているのかを理解していないのは、非常にみっともないという、反面教師として観たい。

#ミレンは、あの足の動きをがいい例だが、ものすごく研究したのが、よくわかかる。いい意味で努力賞である。

拍手[0回]

image0723.png公開年:2000年 
公開国:アメリカ
時 間:114分  
監 督:ボアズ・イェーキン
出 演:デンゼル・ワシントン、ライアン・ハースト、ウィル・パットン、ウッド・ハリス、ドナルド・アデオサン・フェイソン、クレイグ・カークウッド、イーサン・サプリー、キップ・パルデュー、ヘイデン・パネッティーア、ケイト・ボスワース、ライアン・ゴズリング 他
コピー:アメリカが最も愛した友情が、ここにある



1971年、バージニア州。差別撤廃の風潮に押され、ある町で白人の高校と黒人の高校が統合されることになり、両校にあったフットボール・チームも統合される。差別意識が根強い地域地元住民の反発の中、アメリカ初の人種混成チームは、さまざまな苦難を乗り越え、ひとつにまとまっていく…というストーリー。

白人と黒人の間で衝突が起こる中、「これ以上こじらせるつもりか!」と警官がいうセリフがある。本作は実話が元だが、“これ以上”の“これ”っていう実際の衝突はこんなもんじゃなくてもっともっとエグいはず。子供が観たら、この程度の差別感情なら時間が解決してくれるんじゃね?って思いそうなレベルなんだが、この灰汁抜き具合が、ディズニー映画ってことなんだろうな。
だから実情を肌で感じているアメリカの人々と我々日本人とでは、演者のセリフの響き方が大きく違うことだろう。

単純に感動した…というのは正しい表現ではなく思えるが、いい言葉が浮かばない。とりあえず観ていて心が動いたと言ってこう。差別問題に限らず、解決しなくてはいけない社会問題は多々あるが、本作は解決のための手法を示唆してくれているな、と私は感じた。それは、ある社会問題を解決するときに、根本的な原理・方針を掲げて、それに沿うように法や仕組みを変えることは、一面では正しいかもしれないが、実際の解決の決め手には決してならないということである。実際の解決は、大勢に影響を与えるかどうかはわからないが、とりあえず目の前にある小事をプチプチと諦めることなく潰して、それをひたすら続けた先にある。ある日ふと振り返ると道がでいている…という具合に。
本作では、理想だけの政治家が制度や仕組みを変えても、それだけではうまくいかず、目の前のいざこざを一つ一つ乗り越えていったプレイヤーたちの行動の積み重ねが、世の人の心を変えていったことで表現されている。

基本方針やスローガンは必要だがそれはそれ。“ブロークン・ウィンドウ”理論しかり、結局は“小さいことからこつこつと”しか世の中は変えられないし、それをやってきた人こと評価しなくてはいけないだ…と強く思ったわけである。

日本はこ外見の違う集団同士の激しい軋轢がなかったので、よかったよかったと思っている人がいるかもしれないが、逆にこれ経験していないせいで、黒人が触れたものにさわることイヤなんてことを平気で言う、普通の主婦なんかが結構いたりしてびっくりすることがある。まさかと思うかもしれないが、今後日本で差別意識の根深さが問題になる日がくるだろう。予言しておく。

閑話休題。作品の話に戻す。
スタッフロールをみていると、ジェリー・ブラッカイマー制作ではないか。彼が関わった他作品とは毛色が異なり、メッセージ性の強いので、実に意外だった。ただ、黒人音楽をフューチャーしたサウンドトラックなんかは、米ドラ『コールド・ケース』なんかに共通するところがありますな。

未見の人にはもちろんお薦めするが、ディズニー作品ということで描写的には安全なので、三学期の大学受験が終わったあたりの高校三年生に観せておきたいかな(勝手なイメージ)。社会に出る前に観れるなら観ておけって感じ。差別問題以外にも感じてくれるものはあると思うんだよね。
 

拍手[0回]

image0833.png公開年:2002年 
公開国:アメリカ
時 間:119分  
監 督:チャールズ・ストーン三世
出 演:ニック・キャノン、ゾーイ・サルダナ、オーランド・ジョーンズ、レナード・ロバーツ、GQ、ジェイソン・ウィーヴァー、アール・C・ポインター 他
ノミネート:【2003年/第12回MTVムービー・アワード】キス・シーン賞(ニック・キャノン、ゾーイ・サルダナ)
コピー:未体験のビート、驚異のマーチング・バトル!


天才的なドラム・テクニックを持つニューヨーク・ハーレム育ちのデヴォンは、その才能が認められてアトランタのA&T大学に奨学金を得て入学し、名門マーチング・バンドに入る。A&T大学はライバル校モーリス・ブラウン大学との優勝を賭けたバンド対決を控えていた。入部早々鮮やかなテクニックで周囲を圧倒するデヴォンだったが、驕った言動から他のメンバーや監督との間で軋轢を生んでいき…というストーリー。

日本でもスポーツ競技のハーフタイムで、マーチングバンドやチアは登場するが、ここまでバンド自体の競技色が強いことはないでしょう。完全スポーツ競技だ。アメリカではどこでもこんな具合なのかはわからないけれど、なんでもかんでも競技にして鼻息を荒くして争うなんて、実にアメリカらしい。まあ、本作のようなのは、争いが良い意味で昇華しているいい例だが。

残念ながら、若者の成長物語としては、実に平板で薄い内容。誰一人、脱落するわけもないし、抗うことができないような運命を受け入れざるを得ない人が登場するでもない。傲慢な主人公が、それを思い知らされて変わっていくのかと思いきや、ヘコみこそすれど、たいして成長するわけでもない。主人公に限らずキャラクターのバックボーンが見えないから感情移入もできない。主人公の父親のくだりなんて、あってもなくてもどうでもいいんじゃないだろうか。素人もどきの脚本と言い切ってもいいかもしれない。そのくせ2時間近い上映時間(1時間20分くらいでちょうどいいようなきがする)。

しかし、それとは裏腹に、マーチング・バンドのシーンは、燃える。純粋にとにかくかっこいいと思う。楽器を始めたばかりの子に見せたら、かなり興味をもつに違いない。要するに、ただ、そこを観せたい映画なのだね(そういう意味でなら成功しているといえるのだろう)。

でも、やっぱり、ただただ、それだけしか無い。最後の勝負だって、なにがどうで勝利したのか、さっぱりわからないから、達成感なし。

本作は特にお薦めはしない。観ても時間の無駄だとはいわないけれど、わざわざレンタル代を払ってまで観るべき作品ではない。TV放映してたり、友達が持っていたら借りればいい…くらいの内容。
#エンドロールのデザインはちょっと格好いいかな。

拍手[0回]

プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
リンク
カウンター
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
ブログ内検索
最新コメント
[06/03 離脱ラバ]
[06/03 離脱ラバ]
[06/03 離脱ラバ]
[04/28 ETCマンツーマン英会話]
[10/07 絶太]
最新トラックバック
Copyright © 2009-2014 クボタカユキ All rights reserved.
忍者ブログ [PR]