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image2179.png公開年:1958年
公開国:日本
時 間:78分
監 督:(演出)藪下泰司
出 演:森繁久彌、宮城まり子
受 賞:【1958年/第9回ブルーリボン賞】特別賞







宗の時代の中国。西湖のほとりに住む許仙は、不思議な少女・少青に御殿へ導かれ、美しい娘・白娘に引会わされる。許仙は一目で恋におちたが、実は、白娘の正体は許仙が子供のころに可愛がっていた白蛇の精で、少青は魚の精だった。その頃、高僧・法海は、人間の若者が白蛇の精と恋におちたことを法力で知り、彼を何とか救おうと考えた。一方、許仙の飼っていたパンダとミミと少青は、許仙と白娘が結ばれたことを知り大喜び。御殿に飾られていた木彫りの竜で遊んでいるうちに、その竜が彼らを乗せたまま空へ舞い上がり、そのまま国の宝物殿に落ちてしまう。少青はそこにあった二つの宝石を祝いの品として持ち帰ってしまうが、そのために許仙は窃盗の罪を負い、遠方の蘇州に流され労役に就かされる。しかし、許仙の体にまとわりつく白娘の妖気が夜な夜な白蛇となって現れたため、他の労役者から気味悪がれ追放されてしまう。その足で蘇州の街外れの古塔で待つ白娘の元へ向かうが、法海は許仙を救おうと白娘に法術戦を挑み…というストーリー。

日本発の初のカラー長編アニメ。昭和33年なので終戦からひと回りで、ここまでできるようになるのは、素直に凄い。凄い情熱。

中国の民話なので、ストーリー的なオリジナリティはほぼなく、本作の価値はそこに無い。着目すべきは動画の技術。ディズニーに追いつけという気概からか、とにかく動画のがんばりがスゴイ。実際の人物の動きをトレースして原画をつくっていた模様で、ディズニーと同様な手法を取り入れてる。ヌルヌルとよく動いている。

細かい描写の面では、明確に宗代という設定なのに、清の風俗が混入していたり、レッサーパンダのミミが、とてもレッサーパンダとは思えないキツネのような風貌だったり(資料不足かと)。冒頭の粘土アニメみたいなのはいかにも、文部省推薦的な臭いを漂わせていたり。その辺はご愛嬌。

ただ、冷静に考えると、物の怪の色香にやられてしまう男の話で、それも昔飼っていた蛇との色恋ときたもんだ。文部省推薦の子供向け作品の内容としては、いかがなものかと(笑)。この主題を、二人を支援する動物たちの健気さや、高僧とのバトルのおもしろさで包み隠しているわけだ。高僧も決して悪気があるわけではなくて、良かれと思ってやっている両陣営が、共倒れになってしまうのでは?!というのが、ハラハラポイントである。

最後はもちろん、すったもんだの末のハッピー・エンドになるわけだが、別にパンダもミミもついていってもいいんじゃないだろうか(なんなら少青だって)。根本的に、白娘は晴れて人間になったわけだし、別に普通に暮らしていいんじゃないかねぇ。

正直、ストーリー的にはもうちょっと工夫が欲しかったところだし、やっぱり国産初のカラーアニメだ!って気合を入れるなら、オリジナルな話にしてほしかった。当時もそういう声が大きかったのか、東映の次回長編アニメは『少年猿飛佐助』で、その後『西遊記』→『安寿と厨子王丸』と、中華と日本が交互に続く。『桃太郎 海の神兵』みたいなプロパガンダ映画を連想させるのを避けたかったのか、単に中国かぶれがいたのはよくわからんけど。
あと森繁久彌と宮城まり子だけに声をやらせる意味は、結果的になかった。これは失敗。森繁久彌はまだしも宮城まり子が声色を分けられていないし、根本的にアニメ声優に向いていない。

まあ歴史的な意味を考えると、そんな注文をつけるべきじゃないんだけど、そういう注文をつけたくなるレベルに達してる…ということだね。

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image2176.png公開年:1967年
公開国:日本
時 間:60分
監 督:(演出)芹川有吾
出 演:太田博之、畠山京子、石原良、ジュディ・オング、大竹宏、増岡弘、藤村有弘、曽我町子、内海賢二、八奈見乗児、山内雅人、市原悦子 他





世界各地の海に巨大な恐竜が出現し、豪華船などを次々と襲った。強力な超音波を放って破壊行為を行っていることから、恐竜の正体をB・G団が開発した兵器だとにらんだギルモア博士は、再び009たちサイボーグ戦士を召集する。001から009までのメンバーは対超音波砲を備えた新造船ドルフィン号で、次に恐竜が出現しそうな太平洋のグルカ島に出発。しかし、ドルフィン号には、ジョーが事故から救出して女性・へレナが密航。仕方なくヘレナを乗せたまま、島に向かうことに。グルカ島に近づくにつれ、巨大エイ型ろロボットや、エネルギー吸収クラゲなどによる攻撃が激化。いよいよ恐竜との直接対決になるが、なんとドルフィン号の対超音波砲が起動しない。絶対絶命のピンチを001の観念移動力で回避した彼らは、再度グルカ島のB・G団の基地に潜入。そこには、ジョーたちとは異なるゼロゼロ№サイボーグが待ち受けていた…というストーリー。

再びゼロゼロ№サイボーグを招集という流れが、『009 RE:CYBORG』と同じだが、本作のほうが古臭く且つ短いのに、絵の古臭さにアレルギーを感じなければ、まちがいなく面白い。夏休みの午前中にTV放映されてたら、思わず観ちゃう。でも、最後の10分で寝ちゃうかな。ラスボス戦が陳腐なのは、石森作品のすべてがそうなのだがら諦めよう。それでも、前作よりか、9人全員でのアンサンブル攻撃が、うまく描けており好感は持てる。

一番関心した…というか目から鱗だったのは、008が水を吐くシーン。009のほうが水中での動作が速いんじゃないかというシーンがあり、008の存在意義が薄れ掛けていたのだが、火を吐く006と水を吐く008というアンサンブルが非常に面白い。漫画やその後のアニメでもこの描写は出てこないと思うが、そのせいでいつも008は“空気”状態(もう、ただの事前調査員扱いといってもいい)。このギミックは、後も引き継ぐべきだったともう。

003とへレナというダブルヒロインの本作。ヘレナと009は子供向け作品なのにいい雰囲気を醸し出し、003が空気になっちゃう。横恋慕ネタでも放り込んでくるのかと思ったが、さすがにスルー。もっと複雑な003の感情を匂わせることもできただろうが、それもスルー。まあ、しょうがない。

怪獣のギミックをもっと面白くして、恋愛話をもうちょっと味付けした上でリメイクすれば、それだけで『009 RE:CYBORG』超え。“RE:CYBORG”なんかいらんかったんや…となること間違いなし。

0010ことへレナの声が市原悦子で、003は前作に続きジュディ・オングというのも色々すごい。

 

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image0413.png公開年:1997年
公開国:日本
時 間:133分
監 督:宮崎駿
出 演:松田洋治、石田ゆり子、田中裕子、小林薫、西村雅彦、上條恒彦、島本須美、渡辺哲、佐藤允、名古屋章、美輪明宏、森光子、森繁久彌、飯沼彗、近藤芳正、坂本あきら、斎藤志郎、菅原大吉、冷泉公裕、山本道子、飯沼希歩、得丸伸二、中村彰男、香月弥生、塚本景子、杉浦一恵、山本郁子 他
受 賞:【1997年/第21回日本アカデミー賞】作品賞、協会特別賞(米良美一)
【1997年/第40回ブルーリボン賞】特別賞
コピー:生きろ。

室町時代。山里に住む青年・アシタカは、北にあるエミシ一族の里を襲ったタタリ神と化した猪を退治する際に、死の呪いを右腕にかけられてしまう。村の老巫女から、西に行けば呪いを断てるかもしれないと告げられたアシタカは、西へ旅立つ。旅の途中、犬神に襲われて谷に転落した男たちを助けた縁で、“タタラ”の村に身を寄せることに。その村は、エボシ御前が率いる製鉄を生業とする村だったが、彼女たちが鉄を作るためにシシ神の森を切り続けたため、ナゴの守という猪をタタリ神に変えてしまったことを知る。その猪神こそ、アシタカの村を襲ったタタリ神だった。そんな夜、サンという娘が山犬とともにタタラの村を襲撃。サンは犬神モロの君に育てられたもののけ姫で、森を侵すエボシ御前を憎んでいるのだった…というストーリー。

ちょくちょくTV放送しているのをザッピングしなら観たり、あらすじを色んなTV番組や雑誌で知ってしまったりで、実はきちんと始めから最後まで観たことがなかった作品。やっときちんと鑑賞。

別に悪い作品だという気はないのだが、説教臭さが鼻について仕方が無いのは事実。手放しで感動している人がいるとしたら、逆にジブリ作品だからと良く内容を吟味することを放棄しているのでは?と、私は勘ぐりたくなる。本作が、アミニズムを表現しているという感想を見ることがあるが、舞台が森なのはわかるし自然を表現しているのは判るが、精神としてのアミニズムがどこに表現されているのか、私にはピンとこない。

たくさんの猪神の姿や、怒りでタタリ神になってしまう様子は王蟲を彷彿とし、コダマなどが出現し人の侵入を拒む森は腐海の設定に近い。そして、その“正しい”生態系は時には人に仇なすという畏怖の存在。サンはナウシカ、アシタカはアスベル、エボシ御前はクシャナで、ゴンザはクロトワ。キャラクター配置もナウシカを想像させ、ユングの“類型”よろしく、前期宮崎駿にみられる独特の類型の顕著たる例である。ちゃんとみると、『風の谷のナウシカ』の焼き直し…というか、原作版の『風の谷のナウシカ』をそのまま作るわけにもいかないから、舞台を中世日本にして作ってみようかな、そんな感じに思える。
腕スパーン、首チョーンと、現在ならばPG指定になりそうな描写も、原作版ナウシカのある意味エグい描写に踏み込みたかったものと想像する。

シシ神様の頭を返却し、怒りを納めるという先に、何があるのか。結局、サンはアシタカは共存できないを言い放つわけで、自然と人間の対立は永遠に解消しない。それこそ抵抗しても無駄という“運命論”のようなものを感じるし、最終的に滅びる運命にあるのだという斜に構えたニヒリズムみたいなものも感じる。
自然と人間の共生がテーマともいわれているが、ストーリー的に何も解決していないし、現実社会に対して何かを示唆していると思えない。いかにも戦後育ち世代の投げっぱなし具合を体現した作品だと、私には映る。いかにも深く物を考えているふりをしているだけで実は大して考えていない戦後育ち老人にありがちな思想。簡単に共産主義思想にかぶれて、且つその浅はかさを振りかざして臆面もなく説教をはじめるのが多い。戦後の虚無感の中で育ったことを差し引いても、私たちからみると実にうんざりである。

自然をコントロールしようなどということはおこがましい…という点には同意するが、人間もその自然から生まれた一部だろう。人間は自然に帰るべきなどという思想だって、逆に、人間は神に近い力を得たという驕りから生まれたおこがましい思想に私には思える。

まあ、元々ジブリはそういう傾いた思想がエンジンになっているのは判ってるので、そこをとやかくいうつもりはない。投げっぱなしなら投げっぱなしでいい。むしろ、自然をテーマにすればするほど答えなんか出るはずもないのだ。ただ、それならば、本作はみなまで語りすぎてはいないだろうか。本作の問題はただそれだけ。本作を褒めている人は、ちょっと鈍感な人だと思う(喧嘩売ってるな)。

 

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image2145.png公開年:2012年
公開国:日本
時 間:103分
監 督:神山健治
出 演:宮野真守、小野大輔、斎藤千和、大川透、増岡太郎、吉野裕行、杉山紀彰、丹沢晃之、玉川砂記子、勝部演之 他
コピー:終わらせなければ、始まらない。





2013年。ロンドン、モスクワ、ベルリン、ニューヨークはじめ、大都市の高層ビルが次々と爆破されるテロ事件が発生。犯人は依然判明せず、人々を恐怖に陥れていた。度々世界の危機を救ってきた9人のゼロゼロナンバーサイボーグは、それぞれ故国に還り独自に行動していたが、この事件に対処するため、ギルモア博士によって再度召集がかけられる。009こと島村ジョーは、ギルモア博士によって過去の記憶を消され、東京で普通の高校生として生きていた…。

こんな腹立たしい…というか殺意が湧いた作品を観たのは初めてかもしれない。

もう冒頭の009が出てくるシーンで、原画のデッサンがおかしい。コンピューターでポリゴンデータをつくって、計算で右目と左目の視点の原画をつくって3Dを実現しているんだろうけど、根本的に元データが人形劇レベルなので、動かすたびに不自然さを醸しだす。人が動いてるんじゃなく、マペットが動いてるような感じに。動かす度に違和感満載だから、動かさないシーン結構多くて、口だけパクパクいてる場面も多い。結果的にリミテッドになっちゃうんなら、3Dなんかやめちまえよ。バカらしい。

設定画ではかっこいいんだが、009の顔、相原 コージが書いた絵みたいになってるじゃん。目に立体感がなくただのテクスチャなんだもん。いわゆる“アニメ目”のキャラは全部ダメになってるね。こんな出来映えにしかできないんなら、3Dなんかやめちまえ。バカらしい。
ねえ、これってまだ、製作途中だよね?エッジの処理とか、テクスチャの違和感を除去するとか、これからやるんだよね?ねえ、まだ、途中経過だっていってよ~~~。なんで、国外も同時公開とかしちゃったんだろう。日本は技術力がありませんと喧伝してるようなもんだわ。

ストーリーのディテールは、それ以上にヘンテコ。

009の記憶を戻すために、何が必要なのかさっぱりわからない。「彼をめちゃめちゃにして」って殴るのが記憶を戻す条件なのかよ。
003が空から落ちていく意味もわからない。そのくせ、009に救ってもらって、「記憶、戻ったのね?」って、そのために落下したんじゃないのかい?確信があってやってるんじゃないのかい?

大体にして、009の記憶を3年サイクルでリセットしなければいけない理由がわからない。若いまんまの姿が負担になるから、記憶をリセットって、どう考えてもリセットしたことで生じる不都合のほうが大きいし、根本的に負担になる意味がわかんね。そんなことするくらいなら、年取った容貌に改造すりゃいいじゃねえか。
おまけに、それを説明するギルモアのセリフがクソ。グダグダと説明しなきゃならないような設定なら、やめちまえばいいんだ。

009と003の性的関係も不要。「また私だけ3つ年をとってしまったわ…」それはフィジカルの話か?精神レベルの話か?原作でも見た目年齢についてはちょっと問題なるポイントではあるが、前者設定を採用してるなら30年経ってるはずだが?

「いつから俺たちは正義の戦士じゃなくなっちまったんだ…」という007のセリフ。は?別に正義の戦士と呼べないような行動してるか?意味わかんね。

張々湖とギルモアが、中華飯店の商標で揉めた?なんで揉めないといけないのか、意味がわからない。目立つと困るから?別に顔出しして商売するわけじゃなかろうし。張々湖の名前はギルモアが付けたわけでもなかろうし、仮にそうだからといって、それにギルモアがいちゃもんつけるわけがなかろう。ギルモアというキャラクターに対する著しい毀損。

002は、日本の専守防衛姿勢が気に食わないから、ギルモア財団と距離を置いている?ジョーがリーダーになることに怒る?そんなこと気にするキャラじゃないだろ。あり得ん。ジェットがそこまでアメリカ様に愛国心を抱いているか?どちらかといえば、リベラルな志向で、愛国的アメリカ人ではなかろう。
002、戦闘機に乗るなよ。自分の能力はよ!「悪いがやり合うつもりはつもりはないんだ」⇒即刻、やってんじゃん!

003がネットにダイブできるとか、そういう設定不要じゃねえか?

004がレポートを読んでいるシーンをダラダラ見せられるなんて、耐えられるか?だらだら、説明しないと状況説明できず、話も展開させられない。シナリオ教室にでも通えばいいんだよ。

「いいのかい?フランスワーズ。僕もおそらく次のテレポーテーションが最後になる」都合よすぎ~~~。そんな都合のよい制限でつくられた悲劇なんかに、だれが感情移入できるんだよ。001にそのセリフ吐かせるんなら、せめて半分寝ぼけて言わせろや。

002と009の大気圏突入って、「また、それやるのかよ…」って感じ。ノスタルジーを感じるどころか、原作をレイプされたような気になるわ…って思ってたら、なんかラストでみんな五体満足なんですけど、なんで?オチの意味が、ぜ・ん・ぜ・ん・わ・か・ら・ん(勘違いするなよ!いい意味でいってるんじゃないからな!)

こういう不自然な数々の描写が、すり抜けて世にリリースされる、業界構造が問題。アニメも特撮も、いつまでたってもサブカルチャーの域を出ずに、カルチャーにならない原因はこれ。業界全体のレベルが低い。これに尽きることを証明している作品。

皆でコールしよう!「ク・ソ!、ク・ソ!、ク・ソ!」スタッフは、石ノ森章太郎の墓の前で、血が出るまで頭すりつけて謝罪しやがれ。俺は何のためらいもなく、バールのようなものでその頭を割る自信あるわ。

こんな話をつくるくらいなら、一旦全員死亡した後に、新ゼロゼロナンバーサイボーグで再始動したほうがよかったな。センスねえわ。この作品、009の闇歴史。同人誌扱いということでいいんじゃないかな。

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image2137.png公開年:1966年
公開国:日本
時 間:64分
監 督:(演出)芹川有吾
出 演: ジュディ・オング、曽我町子、石原良、川久保潔、増岡弘、太田博之、大竹宏、藤村有弘、内海賢二、八奈見乗児、畠山京子、はせさんじ 他





幽霊島を本拠地とするBG団(ブラックゴースト団)は、世界征服のためにギルモア博士にサイボーグ戦士を創らせる。レーサーの島村ジョーは、BG団によりBレース中の事故を引きおこされ瀕死の重傷となり、密かに幽霊島に搬入され、驚異的な身体能力をもつサイボーグに改造される。ジョーより前に8人にサイボーグが作られており001~008と呼ばれていたが、彼は自分たちが悪事に利用されることを恐れ脱走を計画。彼らはギルモア博士を人質に島を脱出し、009ことジョーも彼らに付いていくことに。実はこの脱走計画はギルモア博士の発案だったが、BG団の虫型偵察機に発見されてしまい…というストーリー。

『009 RE:CYBORG』のレンタルが始まったので、まず先に古の作品を観ておこうかと。

結論からいうと、望まずしてBG団に改造されてしまったサーボーグたちの脱走と復讐、正義への目覚め、そして任務の完遂という流れを一区切りとして、綺麗にまとまっている。子供向け作品でありながら、自分がもう人間では無くなってしまった悲しみを微かに漂わせることに成功している点も評価できる。

原作を読んだ人ならおわかりだろ思うが、改造される前の島村ジョーは、不幸な生い立ち⇒犯罪者⇒鑑別所行き…という設定である。ちなみに002も元ギャング。他は浮浪者的な人や、ただ誘拐された人など様々だが、006は生活苦のために自殺をしようとしたところをBG団にスカウトされるという、ヒーローチームにふさわしくない人だ(笑)。
#ちなみに001はギルモア博士による改造ではない。
まあとにかく、子供向け作品で犯罪者を主人公にはできないのでレーサーという設定になっている。また、007がちびっ子の設定になっているのも子供向け対応。このお陰で、動きにアクセントができたし、ジョーが一番年下(001を除く)という状況でなくなったことで、ジョーがリーダーシップを取る場面での違和感も減った。映画会社のグッショブだと思う。
#ただ、001が本作ではしゃべりすぎで、せっかく007を子供にした意味を削いでいる部分が散見されるのが玉に瑕。

009の代名詞である加速装置がないのも特徴だが、正直、009の加速装置と001の超能力は、なんでもアリ状態になっちゃうので、この点についても本作のほうがよい。
原作は原作、アニメはアニメ。一本の映画として成立させることが大前提で、必要ならば設定変更も辞さない…という姿勢は評価したい。この腹の括り具合を、仮面ライダーをはじめとする特撮作品(特にTV放映モノを映画にする場合)が持っていれば、子供騙しな映画なんか無くなるのに…と思う。

冒頭は、原画枚数を増やしてなるべくキャラクターを動かそうという努力が見られるが、力尽きたのか、ほどなくしてリミテッドになっちゃう。まあ、これはご愛嬌。
まあ、さすがに大人の鑑賞に堪えるレベルではないので、手放しで評価することはしないが、悪くない出来映えだった。さて『009 RE:CYBORG』はいかがなものか…。

 

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image1363.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:24分
監 督:加藤久仁生
出 演:長澤まさみ 他
受 賞:【208年/第81回アカデミー賞】短編アニメ賞(加藤久仁生)





年々海面が上昇し水没しつつある街。そこにただ一人残り、自宅を積み木のように高く積み上げて暮らしている老人がいる。彼は海面が上昇する度に、上へ上へと家を増築していた。ある日、老人が上の家へ引越しをしている最中に、お気に入りのパイプを落としてしまう。諦めようと思ったが、他のパイプではどうにもしっくりこない。意を決した彼は、潜水服を着て海の中でパイプを探しに潜っていく。海中に没したかつての家には、共に暮らした家族の思い出が刻まれており…というストーリー。

なぜ、海面が上昇しているのか?という部分にはあえて焦点を当てていないのが良い。環境破壊が云々なんて部分が、微塵でも感じられたら、あっという間に興ざめだっただろう。公開当時のことを考えると、次の年に『不都合な真実』のようなインチキエコロジー映画がアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を獲っちゃていた頃だ。

凡人なら間違いなくそういう要素を絡めただろうが、そうしなかった加藤監督は、それだけで慧眼だといえる。間違っても、もう一度観ようなんていう気にはならなかっただろう。

生きるって、多かれ少なかれ何かに立ち向かうことだし、立ち向かうことができているということが生きている証だと思う。往々にして、なんで立ち向かっているのかわからなくなる時があるけど、それでも立ち向かうことを止めたら、それは死を意味する…とまで言ったら極端か?
この老人も、別に家族の思い出に強く意識して執着しているわけでもないし、そこに居座ることで何かを抗議しているわけでもない。でも、惰性とは違って、何かにゆるやかに抗っているのは間違いない。不思議と将来の自分の姿かも…という観方にはならないはなぜだろう(わからん)。

おもしろい作品は、あっという間に時間が過ぎてしまうし、逆につまらん作品は長く感じる。本作は24分と短いけれど、それよりも長く感じる。でも、それはつまらないからではなく、みっちりと濃密だからじゃないかな…と。
変な表現かもしれないけど、かぼちゃの冷製ポタージュを飲んでるような感じの作品。

長澤まさみのナレーション版で観てしまったが、これは、映像とBGMだけで観るべき作品。とはいえ、わざわざ、ナレーション版が存在するということは、伝わりにくい部分があると判断されたんだろう。そういう配慮を差し込まれる隙がないくらい、完璧にサイレントですべてが伝わったなら、最高の作品になっただろう。

 

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image1000.png公開年:2007年
公開国:日本
時 間:63分
監 督:新海誠
出 演: 水橋研二、近藤好美、尾上綾華、花村怜美 他
コピー:どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。






東京の小学生・遠野貴樹と篠原明里は、体が弱く内向的な性格という共通点から特別なシンパシーを感じていた。しかし、小学校の卒業を境に、明里が栃木へ転向することになし、会うことがなくなる。中学に入学して半年が過ぎたころ、栃木の明里から手紙が届く。それから文通を重ねるが、今度は貴樹が鹿児島へ転向することになってしまう。鹿児島と栃木では、もう二度と会うことができなくなると考えた貴樹は、明里に会うために栃木にいく決心をする。授業が終わった貴樹は、電車を使い栃木へ向かうが大雪になってしまい電車が大幅に遅延。約束の時間が過ぎる中、貴樹は明里が駅で待っていなければいいと慮っていたが…というストーリー。

内容は別にして、書き込みが凄いと噂の作品。たしかに凄いんだけど、これ、写真とかビデオで撮った町並みから原画をおこしているので、書き込みがすごい…っていうのとはちょっと違うような…。でも、使ったことがある駅とか、通ったことがある町並みとかあアニメになっているのって、興奮するものだ。街ロケ番組とかとはちょっと違う感覚。見たくないもの、見せたくないもの、あまり美しくないものは、原画におこさなければよい。
まあ、新海誠独特の陰影と彩色が魅力なのはもちろんなんだけど。
この手法で観光地を紹介したアニメがあったら、私、観ちゃうけどね。私が観光庁の人間だったら、タレントを使ったPR映像なんかつくるくらいなら、こういうアニメを観光地ごとに作るけどね。

大雪で遅れて栃木に到着した後、二人は辺りにあった小屋で一晩を過ごすが、捜索されるでもない。これで、お互いの家庭環境がどんな感じかなんとなくわかる。無駄な設定の説明がないのは良い。
一途な思いのストーリーということだが、遠野貴樹にシンパシーを感じる男性は少ないだろう。鹿児島だろうが、手紙を飛ばして住所がわからなくなろうが、何とか住所を知る方法はあるわけで、いつまでもグズグズしている人間の気がしれない。むしろ、いつまでも男性から思ってもらえるというシチュエーションが、女性に響いてるんじゃなかろうか。

“切ない”というよりも、幼いころの喪失感と思い出がトラウマになってしまい、後々の人生においてまともな人付き合いができなくなっているという“症例”といえる。そりゃあ暗い。この暗さで2時間あったら、観ているこっちが鬱になっちゃいそうだけど、60分くらいだから堪えられる。

ただ、多くの人が思っただろうけど、山崎まさよしの「One moer time, One moer chance」のPVだよね。

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image0103.png公開年:1977年
公開国:日本
時 間:146分
監 督:舛田利雄
出 演: 納谷悟朗、富山敬、麻上洋子、神谷明、青野武、仲村秀生、緒方賢一、永井一郎、安原義人、柴田秀勝、阪脩、大林丈史、平井道子、小林修、広川太一郎、井上和彦、野村信次、山下啓介 他



西暦2199年。地球は突如、ガミラス帝国を名乗る勢力から遊星爆弾による攻撃を受け、放射線汚染により地表の生物は死滅してしまう。人類は地下へ逃げ延びるが、汚染は地下にも及びつつあり、人類滅亡まで1年ほどと予測された。そんなある日、はるか14万8千光年の彼方にあるイスカンダル星から宇宙船が飛来。中にいた一人の女性乗組員は既に死亡していたが、メッセージを携えていた。イスカンダルには放射能除去装置“コスモクリーナー”があり、メッセージと一緒にあった“波動エンジン”の設計図を元に宇宙船を製造しイスカンダルまでやってくれば提供する用意があるという内容だった。早速、第二次世界大戦中に海中に没した戦艦大和を宇宙戦艦に改造し、沖田艦長を筆頭に、古代進や島大介、森雪ら若き戦士は、宇宙へと旅立つのだったが…というストーリー。

なにやら、『宇宙戦艦ヤマト2199』とかいうのをTVでやっていたので、思い出して鑑賞。新しいのは絵柄が好みじゃないな。

“宇宙戦艦ヤマト”シリーズといえば、子供の頃、よく水曜ロードショーなどで放映されていたが、夜更かしのできない私は、大抵10時すぎに寝てしまうので、全作オチを観たことがないという…。TVの前にテープレコーダーを置いて(結線せずに)録音したしていたが、途中で「寝るならベッドで寝なさい」とかいう声が入る(笑)。

TVシリーズのダイジェスト版なのだが、別にがっかりする必要はない。半分以上のエピソードが一話完結の小ネタなので、本作でまとめた程度がちょうどよかったりする(アステロイド・ベルトのエピソードなど、印象深いものもあるのだが)。ヤマト発進から、シュルツとの攻防とワープ&波動砲の披露、ドメル艦隊との七色星団戦、ガミラス星での採集決戦、このくらいで十分である。
ただし、森雪の戦死⇒復活はカット。さすがに、流れをちょん切ると思ったか。

子供向けアニメとはいえ、改めてみるとツッコミどころが満載。ガミラスはなんで遠くの地球なんぞに眼を付ける前に、近所のイスカンダルに住もうとしなかったのか(ここを膨らますだけで、サイドストーリーが一本できるくらいの問題だと思う)。豊かな自然環境の地球が欲しいわけではないのは、わざわざ惑星改造が必要だったことから明白。もっち近場で適した星はあったに違いない。

第三艦橋は、ドメルの自爆によって破壊され、ガミラス星の決戦では熔け落ちたにも関わらず、イスカンダル到着時には復活。どういうことやねん。

古代進のセリフからは、イスカンダルにはスターシャくらいしか人がいないような感じなのに、真田さんのセリフだとイスカンダルの技師がいるような感じ、でも誰一人出てこない。どういうことや。

最後に、ヤマト乗組員の生存者67名、死亡者47名って、もっと人いたよね…。

まあ、正直、目くじら立てるつもりはない。『宇宙戦艦ヤマト』ってさぞや大ヒットしたんだろうと思われがちだが、TVシリーズは実際打ち切り状態で、最後は端折ってるからね。だから最後はワープにワープを重ねて終わらせてるとか…。TV版の後番組が“すばらしい世界旅行”(ドキュメンタリー番組ね)だったのをみると、よほどダメ番組だと判断されたんだろう。
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』もそうだったけど、荒さは勢いだからね。

ちなみに、本作が劇場公開された時の内容は、“スターシャ死亡版”といわれるものだったらしい。イスカンダルに到着すると既にスターシャは死亡していて、コスモクリーナーはオートメーションで引き渡される。よって、ヤマトといえばこのシーンというくらい有名な古代守は出てこないとのこと。後のシリーズとの整合性は取れないけれど、一つのストーリーとしてはそっちのほうが良いような気がする。

ノスタルジー。個人的には、ただそれだけの作品だが、フリークといわれる層が初めて発生した金字塔的アニメ作品。

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image0112.png公開年:1984年
公開国:日本
時 間:98分
監 督:押井守
出 演: 平野文、古川登志夫、神谷明、杉山佳寿子、島津冴子、鷲尾真知子、田中真弓、千葉繁、村山明、野村信次、二又一成、緒方賢一、佐久間なつみ、池水通洋、安西正弘、西村知道、永井一郎、藤岡琢也 他




文化祭前日の友引高校は、準備の大詰めで大騒動。連日徹夜続きで意識の朦朧とした生徒や教師たちによって異様な空気が醸しだされていた。しかし、夜が明けても、生徒たちは当たり前のように文化祭の準備を始め、疑問を持つ者は誰一人としていない。友引高校は同じ日を延々と繰り返しているのだった。そんな中、温泉マークが過労でダウン。サクラによって強制的に帰宅を命ぜられる。その後、誤ったクスリを処方したことに気付いたサクラが温泉マーク宅を訪れると、そこにはカビに埋もれた温泉マークが。もしや同じ日を繰り返しているのでは?と感づいた二人は、教師・生徒を強制的に帰宅させ様子をみることに。ところが、無事家に帰ることができたのはラムとあたるだけ。他の生徒はどうあがいても高校に戻ってきてしまう。サクラは錯乱坊の助力を得ようとするが失踪。さらに温泉マークも行方不明になってしまう。結局帰宅できなかった面々は、仕方なく諸星家に一泊する。翌朝、再び繰り返される文化祭前日に違和感を感じたサクラと面堂は、その夜に一同を引き連れて校舎の調査を実施。しかし、不条理な空間に紛れ込み退却を余儀なくされる。面堂は町内に隠していたハリアーを使って友引町からの脱出を試みるが、そこには、円形に切り取られた友引町が、巨大な亀の石像の背中の上に乗り宇宙空間に浮かんでいる姿があるのだった…というストーリー。

年齢が推測されてしまうが、本作は劇場へ観にいった。私はそれほどでもなかったのだが、同級生にファンがいて付いていったのだ。ただ、正直TV放送のイメージと本作のギャップに完全に面食らったのを覚えている。その勢いで観終わった後に、結構な量のグッズを買ってしまった記憶がある。
もう、時効だと思うので白状してしまうが、劇場にテープレコーダーを持ち込んで録音していた。その後、寝ながらよく聞いていたので、ほぼセリフは覚えている。そんな睡眠学習にパワーを使わずに、勉強していたら、その後の人生は全然違っていただろうと思う(笑)。

セリフが今になっても記憶から消えないのは、睡眠学習のせいではない。内容(台詞回し)がキレキレだからである。その後の押井守も似たようなノリではあるが、字面を見ないとスッと入ってこないセリフが多い。しかし、本作は子供向けアニメというベースのおかげか、平易な単語が多く、いわゆる“オタク”的なセリフなのだが、実に耳障りがいい。はっきりいって声優陣のセリフ廻しはうまくない(特にサクラ先生とか)。でも、それが逆に生きるセリフだったりする。間違いなく押井守の最高傑作だと思う。
#今なら、間違いなく何らかの映画賞を受賞していただだろうね。

ウルトラマンなど、今なら版権でモメそうなカットが多数。おふざけの部分も雑さが、荒さが勢いに繋がっている。温泉マークと角刈りが似てるところとか、アニメ独特の部分も効いている。

改めてみると、あたるとかメガネたちが食ってるそうめんの色は緑だな。グリーン麺か。スタッフに道民が混じってるな(笑)…とか、ああ、『ウルトラマンサーガ』でAKBがやってたの、このパクりだな…とか、色々、新たな視点で観ることができた。

#前作の『オンリー・ユー』と『ビューティフル・ドリーマー』の差は、クレヨンしんちゃんの駄作と良作の差に近いかも。

 

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imageX0095.Png公開年:1963年
公開国:日本
時 間:82分
監 督:白川大作
出 演:堀絢子、木下秀雄、水木蘭子、北川まり、佐藤英夫、梅津栄、西村晃、加茂喜久、伊藤牧子、芳川和子、山本喜代子、花沢徳衛、海野かつを、西桂太、永山一郎、中川謙一、大村文武、本間千代子 他




森に住む日本犬の母子、シロとロック。シロは森の弱い動物を守る人気者だった。その森の近くの山奥には、動物を餌食とする虎・キラーとその部下の狐・アカミミがいた。動物たちを捕まえる邪魔をするシロを疎ましくおもったキラーは、アカミミを使ってシロを罠にかけて、殺してしまう。幼いロックは、勇敢にもキラーに立ち向かうが、返り討ちにあってしまう。森の仲間たちによってなんとか命を救われたものの、キラーに目を付けられたロックは森にいることはできない。そこで、森を降りて街をめざす。街は田舎者のロックには恐ろしいところだったが、そこでゴロという友達ができる。ゴロとその仲間は、ロックの身の上を聞いてキラー大事に強力しようと申し出てくれるのだったが…というストーリー。

今日は宝塚の手塚治虫記念館に行ってきた。選挙の前日だったみたいで、演説してる人とか結構いたけど、それでも宝塚は落ち着いた静かな街だった。いい所ですな。長年、行こう行こうと思いつつもこれまで予定が合わなかった。念願の訪問。
館内には全映像作品が観れるコーナーがあって、15分目安で交代してくださいと書かれているのだが、ほとんどお客さんがいなかったので、どっぷり観ていた。きちんと観たことがなかった短編を数本観たあと、腰が重くなっちゃってそのまま本作を最後まで鑑賞。

シロは見た目も行動も母親なんだか父親なんだかわからない。アニメ作品だからしょうがないけど、犬のまゆげがマヌケというかコミカルというか、まあ、微笑ましい。手塚治虫が関わっているとはいうが、動画的には、手塚アニメというよりも東映動画の雰囲気一色である。とにかく良く動いており、入魂の動画である。そうこう感心しているうちに、あれよあれよという間に、シロは殺されちゃう。

原案・構成は手塚治虫となっているが、どうも手塚治虫の考えていたものとは、かけ離れているらしい。だから言うわけではないのだが、構成のデキは極めて悪い。そして、“忠臣蔵”というタイトルを打っているわりに、全然忠臣蔵じゃないという、失策をやっている。
忠臣蔵といえば、主君の恨みを晴らすために、部下が復讐を遂げる話だが、本作は、殺された母親の恨みを晴らしたい息子と、それを気の毒に思って協力する者たちの話であって、完全に“さるかに合戦”である。忠臣蔵らしさといえば、敵の虎の名前がキラーで吉良上野介、ロックが石の意味で大石内蔵助、この程度である。

構成は無理やりな感じが強い。都会に出て強くなる!と意気込むわけだが、まあ都会に出ると強くなれるのか?という疑問が普通なら湧くだろう(笑)。ただ、森の中の世界のお話だと思っていたら(人間なんか存在しない世界だと思って観ていたのに)、突然都会が登場する。この世界観のパラダイムシフトがなかなか強烈である。

素直に街の犬たちと協力して隊を結成するのかと思いきや、またもや罠に嵌まって海に流される。なんという冒険。しかし、その後、人間の女の子に飼われて成長するのだが、なんと不義理にもこっそり奔走(せめて後でお礼にでもいくのかと思いきや、もう女の子出てこないし)。微妙にキャラ崩壊。
一方、森は人間に襲撃されちゃって、キラー以上の人間という敵の襲撃を受けて、対立軸が狂ってしまう。そうかと思いきや、森の動物たちは、動物園の生活にすっかり馴染んでしまうという斜め上の展開。もう、一体どうやってオチをつけるのだろう…って感じに。
ネタバレはしないようにするが、無理やり対決に持っていくものの、チョケてしまって腰砕けになってしまう。実に残念なクロージングに。

一点、非常に評価したい点がある。それは、ラストの動物園のシーンでの“雪”。本物の吹雪を撮影して合成してるんじゃないかと思うくらいリアル。実際、どうしてるんだろう。合成したとしてもすごいし、作画したとしてもすごい技術。評価点はここだけかな。

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image2094.png公開年:1969年
公開国:日本
時 間:106分
監 督:(演出)池田宏
出 演:野沢雅子、田中明夫、里見京子、岡田由紀子、名古屋章、納谷悟郎 他






霧の夜、幽霊船が黒潮財団所有の豪華船やタンカーを襲撃する事件が連続発生する。大好きなボアジュースを飲みながら両親とモーターボートで遊んでいた隼人は、海辺で倒れている黒潮会長夫妻を発見。隼人と父は二人を救出し、とりあえず幽霊屋敷と呼ばれる洋館に運び入れた。ところが、そこにあの幽霊船の船長と思しき、クロの仮面を付けた幽霊船長が現れ、黒潮会長への恨みを語っていくのだった。その出来事から間もなく、幽霊船の使者と名乗るロボットが現れて街中を破壊。国防軍は応戦するが敵わず、壊滅的打撃を受けてしまう。そして、ロボットの攻撃により、隼人の両親は死んでしまう。隼人は両親の仇を討つために愛犬のジャックと調査を進めると、被害者であるはずの黒潮財団が、巨大な兵器工場を隠し持っていたことがわかり…というストーリー。

原作は石森章太郎のマンガ。東映まんがまつりの中の一本で上映時間も短いのだが、キャラデザインも石森作画をしっかり踏襲しているし、ストーリーも石森作品の王道的内容である。主人公に出自の秘密がある。他の石森作品だと、実はすごいスーパーパワーの持ち主っていうのがパターンだが、本作では、実はゆうれい船長の息子…というパターン。
#ちなみに、幽霊船長の声はお亡くなりになった納谷悟郎御大。
黒幕かと思いきや、さらにその後ろにも黒幕が…という展開や、CMや商品流通を使って人々を支配しようというシニカルな視点など、子供向けとしてはなかなか複雑。子供だましじゃないのが素敵。さすがに子供が付いてこれないと思ったのか、状況や先々の展開を主人公・隼人くんは、全部解説してくれちゃうのは、ご愛嬌。

ラスト手前までは、手の込んだ謎解きでグイグイ盛り上げて行くのも石森作品の真骨頂だが、最後が尻すぼみなのも、石森作品にありがち。これもいつものことだあ、人知を超えた巨悪が敵の正体というパターンが多く、こうなってくると最後は、玉砕&相打ちという展開になる。正直最後はおまけみたいなものだからね、いつも。

でも、ここまで石森イズムを体現しておきながら、綺麗にまとまった作品は案外少ない。まあまあの佳作だと思う。
#空飛ぶ幽霊船というモチーフは、石森章太郎が大好きだった模様。『アクマイザー3』ザイダベックをはじめ散見される。

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image2079.png公開年:2012年
公開国:日本
時 間:126分
監 督:増井壮一
出 演:矢島晶子、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、真柴摩利、林玉緒、一龍斎貞友、佐藤智恵、納谷六朗、寺田はるひ、富沢美智恵、三石琴乃、大本眞基子、阪口大助、萩森イ旬子、チョー、岩田光央、柴田秀勝、三ツ矢雄二、日高のり子、川村万梨阿、隈本吉成、辻親八、鈴木れい子、藤井隆、田中直樹、遠藤章造、土田晃之、羽鳥慎一、飯塚昭三 他
コピー:おバカ、ときどき、兄。宇宙も揺るがす、5才の決断!!


ある日、自分が取っておいたプリンをひまわりに食べられてしまい怒ったしんのすけは、思わず「ひまわりなんかいらない」と叫んで、家を飛び出してしまう。そこに、ひまわり姫を捜しているという、謎の二人の男が現れる。両親が困惑している中、男が差し出した紙に、サインをしてしまうしんのすけ。次の瞬間、上空にUFOが現れ、野原一家は吸い込まれてしまう。謎の男の一人ウラナスビの案内で到着したのは、“ヒマワリ星”という見知らぬ星。その星の王ゴロネスキーは、ひまわり様が姫にならなければ地球もヒマワリ星も消滅する…と主張する。そして、しんのすけがサインしたのは、ひまわりを引き渡すことを認める宇宙契約書であったことを知り…というストーリー。

それほど、プロットは悪くない。でも前半の演出がけっこうヒドい。状況説明がスッと入ってこない。散々、言葉での説明を繰り返すのが良くない。言葉ではなく流れとアクションで理解させなければいけないと思う。ゴロネスキーの詭弁をダラダラ聞かされて、子供が面白いと思うだろうか。

内閣紹介の歌とか、ダサい演出であるだけでなく、キャラの特徴の説明がわかりにくい。わかりにくいのだが、これからどういう邪魔をするのかは直球で伝わってくるので、実際に邪魔をする段階になると、新鮮味がない。
#ベテラン声優人の仕事もあまりいいとは思えないな。
一番悪いのは、ゴロネスキーというキャラを、悪役にしきれなかった点。あのヒママター理論とやら自体が、すべて嘘で、実は別の目的があったという展開のほうが、まだマシだったかもしれない。そうしないなら、内閣陣はもっと悪辣でよかったと思う。
そのせいで、ナウシカのパロディが全然生きていない。王がラスボスなのに、あっさり納得して、伝説の解説までしちゃうという演出のつまらなさよ。大人のクスり笑いを誘発したかったのだろうが、惨敗。

それでも、中盤になって、地球に戻される前後で、盛り返すチャンスはあったと思う。盛り上がりを考えれば、もっとかすかべ防衛隊に活躍させるべき。ひまわり星人におアパートを見つける程度の仕事ではなく、星に助けに行くくらいの友情パワーを見せてくれればよかったと思う。お助け養分が足りない。

シロも一緒にひまわりと確保されているのに、何の役回りも担っていないとか、小ネタもことごとくスベってしまった。もう、いつもは芸人ゲストの質の悪さに目がいくのが、もうそんなことどうでもよく感じるレベル。
とにかくノリがブツ切りな作品。どうにでもできたと思うんだけどなぁ。

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image2084.png公開年:2009年
公開国:日本
時 間:93分
監 督:片渕須直
出 演:福田麻由子、水沢奈子、森迫永依、本上まなみ 他
コピー:青い麦の海に飛び込むと、キラキラの明日が見えるんよ。





昭和30年代。田舎町ながら戦後の復興の機運が漂う山口県防府市国衙で、小学3年生の少女・新子は、おじいちゃんから聞かされた、平安時代のこの土地の様子を元に、住んでいたであろう人々の様子に思いを馳せては、楽しく暮らしていた。そんなある日、東京からの転校生・貴伊子がやって来る。とてもおとなしく、クラスの雰囲気にも馴染めずにいたが、好奇心旺盛な新子が貴伊子に興味を持ち、ほどなくして二人は仲良くなる。さらに、同級生のシゲルやタツヨシたちとも、用水路を止めてダム池を作るなど、活発に遊ぶようになる。しかし、そんな仲間たちの友情を揺るがす事件がおこり…というストーリー。

戦後まもなくの日本を舞台にした映画は多いけれど、意外と地方を舞台にしたのは少ないかも。金田一耕助シリーズとかはそうだけど、バタバタした不穏な空気をリアル描いたアニメっていうのは珍しいと思う。そして、新子の空想癖っていうのが、それの対極として表現されていて、生きている。
なにやら『となりのトトロ』とか『ももへの手紙』みたいな内容かと思って観ていた。実際、序盤はそういう感じで始まる。

もっと評価されてもいい作品だと思うのだが、アニメだからって迂闊に子供が見てしまうと、ちょっとよろしくない作品だったりする。なんか、田舎故のズケズケとした言動に不快さを覚えて、なんか毒気が強いな…とは感じていた。さらに、保険の先生の不倫のくだりから、きな臭くなり、友達の親の自殺と、とても子供にみせられまへん!!!!
世のお子様をお持ちの親御さんに警告する。ハードだよ。ほろ苦いとかそんなレベルじゃない。

子供っていうのは純真無垢な存在だと思いきや、友達はいたとしても、根源的な寂しさとか不安を拭えずにいるもの。そういうゆらぎをうまく表現している。そして、なにやら、想像の中の平安時代の様子と、リアル世界の新子の行動を並行で綴る。なんかリンクさせることに意味があるのか無いのかわからないが、とにかく演出の勢いがある。

これで、最後、おじいちゃん死んだら、ダメ押しだな…とか思ってたら本当に死んでやんの(笑)。でも、これ大人にとってはものすごい面白いっす。

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imageX0086.Png(マジンガーZ対デビルマン)
公開年:1973年
公開国:日本
時 間:43分
演 出:勝間田具治
出 演:石丸博也、田中亮一、富田耕生、里見京子、八奈見乗児、松島みのり、柴田秀勝、北浜晴子、大竹宏、沢田和子、矢田耕司、田の中勇、青木笑児、永井一郎、小林清志 他

機械獣を倒したマジンガーZの前に、恐るべき超能力をもったデーモン族の妖鳥シレーヌが現れ、町中を破壊してヒマラヤに飛び去っていった。デーモン一族の復活を知った不動明はデビルマンに返信し、シレーヌを追跡する。その様子を見たドクター・ヘルは、デーモン族とマジンガーZを戦わせることを思いつき、デーモン族を催眠光線で操ることを画策する。一方、日本に戻った不動明は、デーモン一族の出現を兜甲児に告げる…というストーリー。

(マジンガーZ対暗黒大将軍)
公開年:1974年
公開国:日本
時 間:43分
演 出:西沢信孝
出 演:石丸博也、田中亮一、富田耕生、里見京子、八奈見乗児、松島みのり、柴田秀勝、北浜晴子、大竹宏、沢田和子、矢田耕司、田の中勇、青木笑児、永井一郎、小林清志 他

海底基地のゴーゴン大公は暗黒大将軍の命令を受けて、ニューヨーク、パリ、ロンドン、モスクワに攻撃を開始。各都市は壊滅的な打撃を受ける。その手は東京にも伸び、光子力研究所の兜甲児東京を守るためにマジンガーZを緊急出動させる。しかし、ゴーゴン大公の差し向けた戦闘獣の力は超合金Zを簡単に破壊するほどで、大苦戦。なんとか東京の壊滅は防いだものの、大ダメージを負ってしまう。ゴーゴン大公の失敗に激怒した暗黒大将軍は、自ら七つの軍団を指揮し、光子力研究所への攻撃を開始する…というストーリー。

さすがに一本づつレビューするのは心苦しいので日本まとめて(一つのDVDに収録されている)。
なんでこんなのをいまさら観るのかというと、『アヘンジャーズ』の“日本よ、これが映画だ”というコピーに腰がくだけたのをレンタルが始まって思い出したから。クロスオーバー作品は、日本じゃ昔からあったよな…と。

#まず、『マジンガーZ対デビルマン』から…

両方、永井豪作品なんだから、そんなお祭り映画をくるなんて簡単じゃん!って思うかもしれないが、『マジンガーZ』はフジTV系、『デビルマン』はテレ朝(NET)系、その垣根を飛び越えるなんて、今じゃ考えられないところが、実に稀有。
そして、“東映まんがまつり”ってのは大抵TV放送したものを再編集しているのだが(ブローアップ版とか表現する)、これはしっかりオリジナルのシナリオ(一部のバンク映像を除く)。
乱暴にクロスオーバーしたわけじゃなく、マジンガーの世界の地底にデーモン族が潜んでいて、デビルマンは不動明の姿でそれを監視していたという内容で、まあ、もちろんそれぞれのTV作品とは不整合は生じるだろうが、単体作品としては違和感が小さい。
シレーヌのデザインも違うし、TVとは別次元ストーリーということだよね。
そして、昨今の仮面ライダー映画ではおなじみの、新フォームや新武器を映画で先行登場させちゃうというフォーマットも、実現されている(TVでは未登場のジェットスクランダー)。
#子供の頃、“対”ってついてるくせに戦わないのって変…っておもってたけど、VSって並び立って戦う意味でも使うらしいので、まんざら間違いでもないらしい。

昔、本作がTV放送されたことがあって、私は、チャンネルとひねったら、ラストのマジンガーZとデビルマンが握手をする(と記憶していた)ラストシーンで、見逃した自分の馬鹿、馬鹿、馬鹿…と悶絶したのを覚えている。この歳になってやっと観たわ。


#続いて、『マジンガーZ対暗黒大将軍』…

本作の特徴は、TV番組として『マジンガーZ』→『グレートマジンガー』と流れるのを、映画で先行紹介しちゃったこと。じゃあ、TVの最終回のブローアップ版? と思いきや、設定がけっこう違ったりして、
むしろ、映画版からTV版への流用が多いんじゃないかと思える。

で、この主役交代劇は、映画先行上映だけでなく、子供雑誌でもシルエットだけ小出ししたり、当時の子供の期待を散々煽るというメディアミックス戦略をとったパイオニア的作品。
いくらなんでももう無理~~というくらいに、マジンガーZはコテンパンにやられるのだが、「主役がやられる~~」という感情と、新ロボが出てくる!というワクワク感というアンビバレントな感情を同時に味わう素敵な経験をしているわけだ。ただ、突然、ばったばったと敵をなぎ倒す無双ロボットが登場して、「マジンガーZしょぼすぎ…、いままで何だったのよ…」的なせつない風が心に舞うんだけどね(笑)。

“東映まんがまつり”って、『マジンガーZ対デビルマン』の同時上映が、『仮面ライダーV3対デストロン怪人』、『ロボット刑事』、『キカイダー01』、『バビル2世』、『魔法使いサリー』で、『マジンガーZ対暗黒大将軍』の同時上映が、『五人ライダー対キングダーク』、『フィンガー5の大冒険』、『イナズマンF』、『ゲッターロボ』、『魔女っ子メグちゃん』と、夢のラインナップでおなかいっぱいになっちゃう。まあ、ブローアップ版でお金を取ろうなんてビデオの無い時代ならではで、TV録画にレンタルビデオのある今のご時勢では考えられないラインアップである。

とにかくノスタルジー満載の作品。いや、ただそれだけかも。

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プロフィール
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クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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