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image0441.png公開年:1997年 
公開国:アメリカ
時 間:127分  
監 督:ガス・ヴァン・サント
出 演:マット・デイモン、ロビン・ウィリアムズ、ミニー・ドライバー、ベン・アフレック、ステラン・スカルスゲールド、ケイシー・アフレック、ステラン・スカルスガルド、コール・ハウザー 他
受 賞:【1997年/第70回アカデミー賞】助演男優賞(ロビン・ウィリアムズ)、脚本賞(ベン・アフレック、マット・デイモン)
【1998年/第48回ベルリン国際映画祭】銀熊賞:貢献賞(マット・デイモン:脚本と演技において)
【1997年/第55回ゴールデン・グローブ】脚本賞(マット・デイモン、ベン・アフレック)
【1997年/第3回放送映画批評家協会賞】オリジナル脚本賞(ベン・アフレック、マット・デイモン)、ブレイクスルー賞(マット・デイモン))
コピー:あなたに会えて、ほんとうによかった。

ボストンに住む青年ウィルは、幼い頃にうけた虐待の影響と、その天才ゆえに社会から孤立していた。だが、彼の才能に気付いた数学教授のランボーは、ウィルに精神分析医のショーンを紹介し、社会性を向上させようする。ウィルはショーンにしだいに心を開いてゆくが、ランボーは政府機関や大企業に彼を紹介しようとする…というストーリー。

ガロアしかりポアンカレ予想を証明したペレルマンしかり、数学の際立った才能の持ち主は社会性が欠如していることが多い。この二つはトレードオフなのか?人間は社会性を獲得するために、研ぎ澄まされた武器を手放したのか。この手の話を見聞きするたびに、考えさせられる。これにスポットを当てたのは、いいセンスである。

ガロアは決闘などしでかして刺殺され、ペレルマンは完全に隠遁。このストーリーの最後も、彼らと同じように慈悲無き切ない結末がやってくるのか…と、ハラハラとそればかりを気にして観ていた(結果は言わないが)。おかげで、おそらく多くの人にとって、泣きのポイントであったであろう「君のせいではない」のシーンも、泣きにいたらなかった。

本作の脚本はマット・デイモンとベン・アフレックによるものだが、彼らが選出した『夏休みのレモネード』と似ている(と、私は思う)。底辺に大きな潮流のようなテーマがあるように見えて、実は無い(というか、あってもさほど深くはない)。特徴的なシチュエーションをセッティングし、それらを動かしつつ、キャラクター達に脚本家の心の叫びを吐露させる。この創り方はうまくいく時はいくが、ダメなときは、シナリオの体にすらならない。ラッキーパンチとまでは言わないが、この手のライターは、同じクオリティの作品は続かないと思われる。

本作は、実に青臭く深みは無い(米アカデミー脚本賞だからといって、遠慮はしないよ)。しかし、あからさまな主張や深いテーマが無いことが、逆に先読みさせないすっきりとした展開を生み出し、さらに、割れそうな白磁の器のようなハートと、その器から表面張力でこぼれそうなパンパンの美酒のような才能をもったキャラクターと相まって、緊張感と共感を感じさせるいい作品になってる。

結果オーライだろうがなんだろうが、いい着地をしたと思う。これまで十年以上、観ないでいたのをちょっぴりだけ後悔している。未見の人は是非みてほしい。きびしい境遇でも一縷の希望にかける気持ちがあれば、そして微塵でもいいから周囲の後押しがあれば、生き方を変えることができる…と力づけられる人もいるかもしれない。

#穿った見方かもしれないが、社会性を獲得した彼は、数学の才をその手からこぼしてしまったのではないか…と、そういう変な想像をしたのは私だけか?
 

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image1454.png公開年:2008年 
公開国:カナダ、アメリカ
時 間:168分  
監 督:ジョナス・アカーランド
出 演:デニス・クエイド、チャン・ツィイー、ルー・テイラー・プッチ、クリフトン・コリンズ・Jr、パトリック・フュジット、ピーター・ストーメア、バリー・シャバカ・ヘンリー、エリック・バルフォー、ポール・ドゥーリイ、チェルシー・ロス、トーマス・ミッチェル、リアム・ジェームズ、マンフレッド・マレツキ、アルヌ・マクファーソン 他
コピー:美しき殺人鬼の罠に、世界が堕ちる


妻を病気で失ったエイダン・ブレスリン刑事は、仕事が忙しいことにかこつけて手をかけてこなかった2人の息子との関係に悩んでいる。そんなある日、銀のトレーに生きたままペンチで抜かれたと思われる大量の歯が発見され、その現場には“COME AND SEE”というメッセージが残されていた。続いて、中年女性メリー・アンが拷問殺人の犠牲者に。そのショッキングな死体の第一発見者は彼女の養女ある残る東洋系少女クリスティン。ところが捜査が行き詰まる中、クリスティンは自分がメリー・アンを殺害したと告白、不敵な笑みを浮かべて共犯者による猟奇殺人はまだ続くとブレスリンを挑発する…というストーリー。

黙示録の名前くらいは聞いたことあれど、四騎士となると、日本人にはあまり馴染みはないだろう。カトリック系でも宗派によっては黙示録を正式な聖典に含めない場合もあるし、プロテスタントにいたっては論外。『セブン』の七つの大罪は旧約聖書なので、カトリックどころか、ユダヤ教もイスラム教まで聖典の一つなのだから、その知名度・理解度には雲泥の差があると思われる。

そういう私も四騎士が黙示録に出てくるくらいのことは知っているけれど、その色や行動や意味についてはさっぱり。本作の中でも滔滔と説明的なセリフが出てくるところをみると、やっぱり本国でも知らない人が多いということだろう。
まあ、その説明を聞いても、「キカイダー四人衆って、黙示録の四騎士がモチーフなんだろうなぁ…」とか、そういうことしか浮かばない。元々イメージが無いのだから、そこからおどろおどろしいイメージが涵養されるはずもなく、仕方が無いので、スプラッタ的・スナッフムービー的要素を加味しないと、緊張感が保てなくって、結局、R指定になっているという有様。

ネタバレになりそうだが…、15年前ならいざしらず、いまさらこんなオチでは、だれも納得しないだろう。あまりに容易に読めすぎて、これはミスリードしているのであって、本当は別のオチがある、、と、私は信じて疑わなかったのだが、びっくりなことにそのまま。脚本の後半はぼやけまくって、結局、四騎士って誰と誰のことだっけ?と考えてしまううような始末。もちろん見返す気などおこらず。児童虐待だといわれてもピンと来ないレベルだし。

『セブン』が七つの大罪で、本作が四騎士ならば、面白さも7分の4くらいか?と言いたいところだが、7分の1くらいだと思ったほうがいい。とりあえず、新作でレンタルすることはやめよう。旧作(それもキャンペーンかなにかで最安)でレンタルして、なんとか許される程度である。要するにお薦めはしないということ。

#チャン・ツィイーにとって、本作のキャリアはマイナスなのでは?(というか、本作のオファーを受けなければいけないような状況なのかな…)。
 

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image0237.png公開年:2001年 
公開国:アメリカ
時 間:168分  
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演:レオナルド・ディカプリオ、キャメロン・ディアス、ダニエル・デイ=ルイス、ジム・ブロードベント、リーアム・ニーソン、ヘンリー・トーマス、ブレンダン・グリーソン、ジョン・C・ライリー、ゲイリー・ルイス、ロジャー・アシュトン=グリフィス、バーバラ・ブーシェ、リーアム・カーニー、スティーヴン・グレアム 他
受 賞:【2002年/第69回NY批評家協会賞】男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)
【2002年/第28回LA批評家協会賞】男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、美術賞(ダンテ・フェレッティ)
【2002年/第60回ゴールデン・グローブ】監督賞(マーティン・スコセッシ)、歌曲賞(U2“The Hands That Built America”)
【2002年/第56回英国アカデミー賞】主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)
【2002年/第8回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)
コピー:この復讐が終われば、愛だけに生きると誓う。
すべては、愛のためのに。

1846年、ニューヨークのファイブ・ポインツでは、アメリカ生まれによる組織“ネイティブズ”とアイルランド移民の組織“デッド・ラビッツ”が対立。その決闘により、デッド・ラビッツのボスであるヴァロン神父は、ネイティブズのボス・ビリーに殺された。ヴァロン神父の子・アムステルダムは少年院に投獄され、復讐を誓いながら15年の歳月が過ぎる。ファイブ・ポインツは、ネイティブズに仕切られ腐敗し、デッド・ラビッツは既に壊滅していたが、アムステルダムは復讐のため素性を隠しビリーの組織に潜り込むのだが…というストーリー。

TV放映をしていたけれど、チャンネルを合わせたら最後のほうだったので、再度DVDで観た。二度目の鑑賞かな。

スコセッシ作品といえば、“カトリック”“イタリア系移民”“イエス・キリストの投影”と、お約束なのだが、“イタリア移民”ではなく“アイルランド移民”と変わっているだけで、本作もパターンははずれていない。

アカデミー賞がなかなか獲れなかったわけだけれども、私のようにたいして詳しくない人間でも、作品は違えども同じテーマ(というか要素)が繰り返されていることには、気付く。よく考えるとそういう意味ね…程度ならいいんだけども、判りやすすぎるわけで、いくら個々の作品のデキが良くても、「また同じだね」という感が拭えない以上、いま一歩受賞にいたらなかったのもわからなくもない。
ハリウッドはユダヤ系社会だし、このテーマをよしとするとは思わないし。その後、雇われ監督としてメガホンを振るった『ディパーテッド』で作品賞を受賞するわけだが、雇われ監督だったために、この明らさまな要素が軽減したことが功を奏したと私は思っている。元々彼の才能は評価していたけれど、お約束パターンが鼻についていた人や、賞をあげるきっかけがほしかった人には、待っていました状態だったろう。

9.11によって、公開が延期された理由は、民族対立がニューヨークで行われていたという史実が、当時の社会感情にそぐわないと判断されたようだが、とにかく、ニューヨークにこういう血なま臭い歴史があったことを、アメリカ人でも知らない人が多かっただろうから、意味深い作品だと思う。

実のところ、ドラマとしての面白さがそれほど秀でているとは思わないし、感情が揺さぶられるわけでもないし、考えさせられる内容でもないので、これだけ暴力的でエグいシーンがあるにもかかわらず、総合的にはとんがった所がない映画である。移民の歴史を身近に感じている人には感じるところはあるのかもしれないけれど、お薦めしてまで観てもらう内容ではない。今後、TV放送があるときには、観ればいいんじゃないか…その程度のお薦め具合だ(ただ、尺が長いので地上派放映時は、間違いなくカットされるとおもうけどね)。

終わり方が、なにやら香港映画っぽい感じがして、その後の『インファナル・アフェア』リメイクである『ディパーテッド』の萌芽が感じられるのは、私だけだろうか(私だけだろうな…)。

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image0446.png公開年:2004年 
公開国:アメリカ
時 間:130分  
監 督:ジョナサン・デミ
出 演:デンゼル・ワシントン、メリル・ストリープ、リーヴ・シュレイバー、ジェフリー・ライト、リーヴ・シュレイバー、キンバリー・エリス、ジョン・ヴォイ、ブルーノ・ガンツ、テッド・レヴィン、ミゲル・ファーラー、サイモン・マクバーニー、ヴェラ・ファーミガ、パブロ・シュレイバー、テディ・ダン 他
ノミネート:【2004年/第62回ゴールデン・グローブ】助演女優賞(メリル・ストリープ)
【2004年/第58回英国アカデミー賞】助演女優賞(メリル・ストリープ)
コピー:全ては、あなたの知らないところでコントロールされている!

湾岸戦争の英雄レイモンド・ショーは、大物上院議員の母エレノアのバックアップによって政界入りも果たし、若くして副大統領候補にまでなる。一方、ショーの元上官マルコ少佐は、最近、戦争時の悪夢にうなされていた。敵の急襲によって意識を失ったマルコに代わり、敵に立ち向かい部隊を救ったのがショーということのはずだったが、マルコの脳裏に甦るのは、その事実とは異なるおぞましい記憶。疑念を抱いた彼は、独自の調査をはじめるのだが…というストーリー。

『影なき狙撃者』という作品のリメイクらしいのだが、観たことはない。リメイクされるくらいなので、当然、おもしろい作品なのだろうが、本作を観る限り、失敗リメイクということなんだろうな。

とにかく、端々で変な部分が散見されて、どうもしっくりこない。
戦闘マシンと化した兵士を作るために大掛かりな洗脳をやっているというなら、なんとか納得できるけど、母親の思ったとおりに行動させるために、わざわざクウェートの大掛かりな施設で施術?
息子が洗脳されたことを、別の上院議員に気付かれそうになったので殺そうと思うところまではいいが、その息子に殺しに行かせるって、なんでバレる危険を増すようなことをするのか?証拠が残ったり誰かに見られたら、本来の目的もなにも、全部おジャンなのに…
自分の描いたシナリオのとおり、これから銃撃が始まるというのに(星のマークのところにいったら撃たれるようにしたのは自分なのに)、おめおめと星の上にいって、へらへら笑いながら踊るってありえるか?
レイモンドとマルコ少佐は、洗脳の呪縛をといて本件に決着をつけようとするが、どうやって洗脳を解いた?精神力?なんか都合よくないか?

あまりにそういうことは気にならないんだよね…という人は観てもよいだろう。それなら多分楽しめる。そうでないなら観ないほうがいい。モヤモヤするハメに。

本作のメリル・ストリープは浮いている。あまりこの手の作品には出ないでしょう。彼女のフォルモグラフィを眺めると本作の役は異質だと思う。私見だけど、湾岸戦争に対する反感から出演を受けたのではないかと思っている。彼女の政治的信条は知らないけれど、ブッシュ政権の中東政策や兵士の苦痛を観るに耐えなかったのかもしれない。
本作のシナリオも、あまりリアルにすると政治的アピールが生々しすぎるので、わざと荒唐無稽ともいえる洗脳の描写にしているのかもしれない(ジョナサンデミがそんなヘタレなわけないか…)。

#こんな作品でも、ノミネートされてしまうメリル・ストリープ。恐るべし。

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image0102.png公開年:1953年 
公開国:日本
時 間:97分  
監 督:溝口健二
出 演:京マチ子、森雅之、水戸光子、田中絹代、小沢栄、小沢栄太郎、青山杉作、羅門光三郎、香川良介、上田吉二郎、毛利菊枝、南部彰三、光岡龍三郎、天野一郎、尾上栄五郎、伊達三郎、沢村市三郎、村田宏二、横山文彦、玉置一恵、藤川準、福井隆次、菊野昌代士、大美輝子、小柳圭子 他
受 賞:【1953年/第14回ヴェネチア国際映画祭】サン・マルコ銀獅子賞(溝口健二)、イタリア批評家賞(溝口健二)

戦国の世、貧しい陶工の源十郎は、陶器を売りに出た都にて若狭姫という女に見初められ、契りを結び生活をともにする。だが若狭姫の正体が死霊であることに気付き故郷に逃げようとするが、彼女は執拗に追いすがる…というストーリー。

『さらばベルリン』が少しがっかりな内容だったので、別の白黒映画を観てみようと、本作をチョイス。

ヴェネチア銀獅子賞をとった作品であることは、映画検定的にも(笑)押さえていないといけない情報。よっぽど受賞がうれしかったようで、しばし冒頭に、獅子像のお姿が差し込まれている。

日本にもアメリカ国立フィルム登録簿みたいなのが存在すれば、間違いなく登録される一本だとは思うのだが、当時、どういうポイントが評価されて受賞に至ったかは、もちろん判らないわけで、予想するしかない。場面間の繋ぎやアングルなど注目に値するポイントはあるし、衣装やセットの時代考証もしっかりしていて穴がない。脚本も、男の愚かさを寓話的に表現しつつ、女の情念というものの類型をうまく散りばめまとめあげている点は評価できる。しかし、無条件に、傑作々々とありがたがるほどのものかどうかは微妙なところ(と私は思う)。
まあ、観も蓋もないことを言ってしまえば「エキゾチック・ジャパン」ということだろう。ヨーロッパの映画賞にありがちなのだが、「俺は海外でこんなのを見つけてきたぜぇ」的な、発掘合戦的な要素がある(小津安二郎だってそういう目線で見つけられたものだろう)。そういうバイアスがかかった上での受賞だと私は考える。

などと、こんな評価をしているとお叱りをうけそうなのだが、問題は、今、お薦めできるかどうかなわけで、芸術性や歴史的意義を振りかざしても仕方がないのだから、許して欲しい。そういう観点で言わせていただくと…、、、もう仕事のこととかで、ちょっと疲れているんだけれど、アクション映画を観てスカっとしたいとかそういうポジティブな気力はないんだよね…っていうときに、フラットな気持ちで観てくれれば楽しめるかもしれない。

まあ、大人の寓話ではあるけれど、娯楽作品ではないということかな。

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image0285.png公開年:2006年 
公開国:ドイツ
時 間:138分  
監 督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
出 演:ウルリッヒ・ミューエ、マルディナ ゲデック、セバスチャン・コッホ、ウルリッヒ・トゥクール、トマス・ティーマ、ウルリッヒ・ミューエ 他
受 賞:【2006年/第79回アカデミー賞】外国語映画賞
【2007年/第74回NY批評家協会賞】外国映画賞
【2006年/第32回LA批評家協会賞】外国語映画賞
【2007年/第61回英国アカデミー賞】外国語映画賞
【2006年/第19回ヨーロッパ映画賞】作品賞、男優賞(ウルリッヒ・ミューエ)、脚本賞(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク)
【2006年/第22回インディペンデント・スピリット賞】外国映画賞
【2007年/第33回セザール賞】外国映画賞(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク)
コピー:この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない

1984年、冷戦体制の東ベルリン。国家保安省の局員ヴィースラー大尉は、反体制的疑いのある劇作家ドライマンとその恋人の舞台女優クリスタを監視し、反体制の証拠を掴むよう命じられる。さっそくアパートには盗聴器を仕掛け徹底した監視を開始するが、音楽や文学を語り合い、深く愛し合う彼らの世界に、だんだんと共鳴してしまい…というストーリー。

この、数々の受賞歴はダテではない。よくできた作品だと思う。

ただ、評価が難しい点が一つある。ヴィースラーが心変わりしていく過程が、いまいちぼんやりしているところだ。観る人によっては、そんな冷徹な上に他人に講義までするような人間が、自分の信条や地位を度外視するほど、心変わりするだろうか?という疑問が湧くと思う。それが腑に落ちるような演出というか説明はできていないと思う。とはいえ、もっとわかりやすく対象者に心酔していくところや揺れる心情をちりばめたほうがいいのか、本作のようにどっちつかずの線のままのほうがいいのか、正直なところ胸をはってどちらが正解か言い切れないのが心苦しい。
ただ、原題は『DAS LEBEN DER ANDERN』で“他人の生活”みたいな意味だと思うが、それを『善き人のためのソナタ』にしたり、このコピーを付けているということは、日本の配給会社は、その答えを、この音楽を聴いたことがきっかけで心変わりしたと解釈したということだろう。残念ながら、私の感性は、その曲だけで心変わりしたとは見ない。むしろ、自分の揺れる心に気付かせたきっかけだと思うくらいだ。

まあ、難点はそれくらいで、総じて良くできている。パッケージや紹介文で重そうな映画だと思われるかもしれないが、比較的軽妙な仕上がりになっている。未見の方は是非観て欲しい。まず、損はしないと思う。ラストの重ね重ね具合(観ればわかる)など、ドイツ映画らしいと思うし、ちょっぴりいい気分にさせてくれた。

なんといっても、作品を観ながら、色々と思索を巡らせることができたというのは、しっかりと映画に没頭させてくれた証拠だろう。私は、本作を観ながらこんなことを考えていた。

まず、国民の情報を病的に探り集める国家機関。社会主義国家のバカバカしさを表現しているわけだが、冒頭のナレーションで、その病的さをあえて語っているのはちょっと別な意味を含んでいるのかな?と。今の民主主義国家では、この他人の生活を覗く行為は、国家機関ではなく、言論の自由というもっともらしいおもちゃを武器にしたパパラッチまがいの報道機関が行っているのだ…というシニカルな視点。

他には、社会主義や共産主義体制は崩壊したけれでも、本作に観られるようなかつて東欧諸国は、マルクスやエンゲルスの共産国家にいたる過程を無視して、一足飛びで社会主義体制になってしまったのだから、こういう状況になるのはあたりまえだ…という歴史学的視点(充分に自由主義経済が揺籃して、その先に社会主義体制が生まれるといっていたんだから、充分に自由経済を発展させればよかったのに、目先の貧富の差に我慢ならず、過程を無視したバカどもがつくった体制だから、こうなるのは当たり前…という意味。まあ、映画の批評とは直接関係ないから、この話は広げない)。

ドイツは解放後に統一したけれども、文化や経済格差によって、しばらく苦しんだ(今も苦しんでいるか?)。北朝鮮・韓国が統一することになった場合、それ以上の差があるがうまくいくか?私はドイツの程度が限界だと思う。だから、朝鮮半島はドイツのような統一はまず無いということ。それは片方が(どちらかかはいわずもがなだが)瓦解して、難民状態に近い形で吸収される結末しかない。そして場合によっては他国がその国土の一部を望み、すべてが統一されない危険もはらんでいる。

とかとか、いろいろ考えさせてくれる傑作だ。

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image1092.png公開年:2003年 
公開国:アメリカ
時 間:119分  
監 督:マイク・トーリン
出 演:キューバ・グッディング・Jr、エド・ハリス、アルフレ・ウッダード、デブラ・ウィンガー、S・エパサ・マーカーソン 他
コピー:少し、休みませんか?しあわせを用意しています。




実話を元にしたシナリオで、且つ知的障害の話ということで、重かろう、お涙頂戴だろうと、敬遠して今に至る。

「いい話でしょ?」という押し売りになりがちだが、あっさりしたノリ。過剰に困難な運命を背負わせたり、ステレオタイプな悪役を登場させたりということをしないにもかかわらず、映画全体がぐっと締まっているのは、エド・ハリスと、キューバ・グッディング・Jrのキレのある演技のおかげ。無冠だがいい仕事としている。彼らに引っ張られて、周りの演者たちも、映画の雰囲気を壊さない良い芝居ができていると思う。

ベタベタな内容かもしれない。でも、本作を観て、地域スポーツってこうあるべきだなと本心から思えたし、自分が過去に置いてきた心のひっかかりや傷っていうのは、後の人生において力になるんだな…と。
いつも、どんなにいい映画でも、斜めに作品を見ているフシのある私だが、本作は素直に観ることができた。

正直、ラストのラストで、実際の映像が重なるところで、涙が出てしまった(通勤電車の中で観てたんだけどさ)。
#私、『陽のあたる教室』とかも好きですから…
こういうエピソードがある地域スポーツの歴史を持つアメリカ。捨てたもんじゃないね。地域の人がアマチュアスポーツで繋がっている文化って、日本ではありそうでない。すべてがいい面ばかりではないことはわかっているけれど、本作を観る限りは、とてもステキでうらやましく思えた。地味にいい作品なので、是非是非観て欲しい。お薦めする。

#でも、毎度こういう指摘をしなくてはいけないことに、うんざりなのだが、この邦題はナシ。『RADIO』だけがどうしても問題があるならば、せめて『アイム・レィディオ』とかにしてくださいな。

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image1073.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ
時 間:118分  
監 督:リドリー・スコット
出 演:ラッセル・クロウ、マリオン・コティヤール、フレディ・ハイモア、アルバート・フィニー、アビー・コーニッシュ、ディディエ・ブルドン、トム・ホランダー、イザベル・カンディエ、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ケネス・クラナム、アーチー・パンジャビ、レイフ・スポール、リチャード・コイル 他
ノミネート:【2006年/第12回放送映画批評家協会賞】若手男優賞(フレディ・ハイモア)
コピー:運命の休暇をあなたに──。最高の恋とワインを添えて。

ロンドン金融界の豪腕トレーダーマックスの元に、10年も疎遠にしていたヘンリーおじさんが亡くなり、あなたが遺産相続者だとの報せが届く。少年のころ、毎年夏になると、おじさんの所有するシャトーとぶどう園で楽しいバカンスを過ごしていたのだったが、全て売却するつもりでプロヴァンスへ向かうことに。しかし、懐かしのシャトーに来るとあの頃の記憶が次々と甦り、心が揺れてしまう。さらに、地元でレストランを経営するファニーと出逢い、情熱的に惹かれ合ってしまい…というストーリー。

『ブレードランナー』の彼がロマンス?『グラディエーター』の監督・主演コンビでロマンス?て、彼らのフィルモグラフィの中でも異色だ。正直、なんてことないありがちなストーリなんだけど、でも、すごく、楽しんで撮って、楽しんで演じているのがよくわかる。いい感じ。

リドリー・スコットは南仏に葡萄農園をお持ちのようで、どこぞの小説家に持ちかけて、この作品ができたとのこと。ようするに好きなことを題材にして映画を嬉々として撮ったってことだよね。ラッセル・クロウはラッセル・クロウで、ヘビーな役が多かったので、こういうのがやりたかったんだと思う。こちらも嬉々として演じているのがよくわかる(本人のパーソナリティとしては、本作の役は近いんじゃないかな)。

好きこそものの上手なれ。さほど凝ったシナリオじゃなくっても、作り手が本当に楽しんでつくれば、画面から楽しさが滲み出て、観ている側に伝わるという、いい例だと思う。パッケージ画像が、あまりにもロマンスムービー然としていて、恋愛ロマンスものは観ないという人は敬遠してしまうかもしれないけれど、そんなチャラい内容ではない。お薦めする。

ただ、『A GOOD YEAR』っていう題名を捨てたのは惜しいなぁ。“グッドイヤー”は当たり年って意味だけど、彼の人生にとってもいい年っていうことで、ダブルミーニングになっていて、いい題名だと思うから。せめて副題として残して欲しかったな。

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image0544.png公開年:2006年 
公開国:アメリカ
時 間:108分  
監 督:スティーブン・ソダーバーグ
出 演:ジョージ・クルーニー、ケイト・ブランシェット、トビー・マグワイア、ボー・ブリッジズ、トニー・カラン、リーランド・オーサー、ジャック・トンプソン、ロビン・ワイガート、ラヴィル・イシアノフ、クリスチャン・オリヴァー 他
ノミネート:【2006年/第79回アカデミー賞】作曲賞(トーマス・ニューマン)
【2006年/第12回放送映画批評家協会賞】音楽賞(トーマス・ニューマン


1945年。戦後処理を話し合うポツダム会談の取材のため、ベルリンにやって来たアメリカ人ジャーナリスト、ジェイク。彼は以前、ベルリン駐在の記者をしていたことがあり、その時、人妻レーナと不倫の関係にあったが、彼女は、今ジェイクの運転手をする米兵タリーの恋人となっており、思いがけずに再会を果たす。そんな矢先、タリーが謎の死を遂げ、その事件に疑問を抱き真相究明に乗り出すジェイクは、やがて巨大な陰謀へと行き着く…というストーリー。

映像も4:3にして、『第三の男』や『カサブランカ』のように白黒特有のライティングや編集をほどこし、当時のニュース映像を盛り込んだりして、1930年代製の映画よう様な雰囲気をつくろうと試みている。

が、それに何の意味や効果が?意図は何?なんと10分に一度睡魔が襲ってくるという凡庸さ。実は、批評をするのもはばかられるくらい、何を伝えたいのかストーリーがわからない。ケイト・ブランシェットは何がどうで、何でその夫は殺されるのか?最後のピースが繋がったでしょ?って何が?

ソダーバーグのせいではないが、DVDに日本語吹き替えがないのも、うんざり。レトロな画をじっくり見せたいなら、字幕を追わせるんじゃない。

はっきり言うが、つまらない。レンタルしてきても観終わる前に眠ってしまい、返却日が迫ってくる人が半数以上になるだろう。これに時間を費やすくらいなら、明日のために早寝したほうがいいよ。注意報発令だ。
本当に時間の無駄だったとがっかりしてしまった。ソダーバーグってフィルモグラフィざっとを眺めると、ちょっと打率低くないか?

#ああ、ケイト・ブランシェットは美しい。それだけ。
 

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image0845.png公開年:2005年 
公開国:アメリカ
時 間:韓国分  
監 督:パク・クァンヒョン
出 演:シン・ハギュン、チョン・ジェヨン、カン・ヘジョン、イム・ハリョン、ソ・ジェギョン、スティーヴ・テシュラー、 リュ・ドックァン、チョン・ジェジン、チョ・ドッキョン、クォン・オミン 他
コピー:笑顔が一番つよいのです



1950年代、朝鮮戦争。山奥深くにある人里と隔絶された村トンマッコルに、アメリカ人パイロットのスミスが操縦する飛行機が不時着する。さらに、道に迷った韓国軍兵士2人と人民軍兵士3人も村にやって来る。村で顔を合わせた両軍兵士は、一触即発の状態に陥るが…というストーリー。

前日の『王の男』が良かったので、連日の韓国作品。
『王の男』と同じように、画作りのセンスがすばらしい。画面内への人物や構造物の配置の仕方、そして照明の当て方が秀逸。奥行きを感じさせ、かつ集中すべきがどこなのかメリハリをはっきりしている。カメラを動かしてのカットも多いが、緊張感を増すいい効果を出せている。

なんか音楽が久石譲っぽいなあぁ。パクりか?とおもったら本当に久石譲だった。でも、村のシーンだけに限定して久石譲の音楽を使えばよかったかな。米軍の作戦部隊での音楽は全然マッチしていなかった(そこはBGMなしでよかったね)。

ストーリーについて少しだけ苦言。アメリカを悪者扱いにして、目を逸らそうとしている感じがして、若干気持ちが悪い。民族分断は外国のせいで、われら民族は悪くないというメッセージに感じる人もいるだろう(実際、そう思ってるのかどうかは知らないけど)。その誹りを避けるために、村を攻撃にくるのは、米軍単独にすべきではなく、米韓の合同作成にしたほうがよかっただろう(まあ、米軍と韓国軍が同等の立場で作戦遂行すると、逆に史実的にリアリティがなくなってしまうかもしれないけど)。

等々、文句も言ってみたが、基本的にアイデアは良いし、両軍兵士が仲良くなっていくさまは心温まるし、非常に楽しめた。もしかして夢オチだったりして…と思ったりするくらい、これってどういうオチにするのかなぁ…と、色々考えた。結果的にうまくまとめたと思う(あくまで、もうちょっとこうすれば、文句なしに楽しめるのにね…という文句だと思ってほしい)。最後の8mmフィルムの演出もいいと思う。とにかく、大事に大事に入魂につぐ入魂で創られた作品に見えて、好感が持てる。ジャケットの写真が、ちょっとチョケた感じで、コメディっぽいと思って、スルーしていた人もいるかもしれないが、全然違うので、強くお薦めしたいと思う。

脚本は、なんとかあと15分削って2時間以内に収めるべきだったとは思う。いろいろ思い入れが強すぎて、カットできなかったのかもしれない。

拍手[0回]

image0151.png公開年:2005年 
公開国:韓国
時 間:108分  
監 督:イ・ジュンイク
出 演:カム・ウソン、イ・ジュンギ、ユ・ヘジン、チョン・ジニョン、カン・ソンヨン、チャン・ハンソン、ユ・ヘジン、チョン・ソギョン、イ・スンフン 他
コピー:それより奥は、見てはならない。




16世紀初頭。旅芸人一座の花形チャンセンと女形コンギルは、コンギルを男娼扱いする座長を殺し逃走。漢陽の都にやって来る。そこで王の悪評を聞いたチャンセンは、王を皮肉る芝居を演じ、民衆の人気を得たが、王の重臣に捕らえられ、王の前で芝居を披露し笑わせなければ死刑だと宣告される。ところが、妖艶なコンギルの芸が王を虜にし、王を笑わせることに成功、彼らは死刑を免れ、宮廷お抱え芸人となるが…というストーリー。

冒頭には若干の難点がある。まず、チャンセンはコンギルが男娼扱いされることに、烈火のごとく怒るわけだが、芸を披露中の様子を見るに、そういう扱いをされたの初めてではなさそうである。なんで今になってこんな極端な反応をするのか?彼の性格なら、一度たりともそういうことは許さなそうなのだが…。違和感が拭えなかった。

そしてもう一点。彼らの芸は風刺喜劇なんだと思うが、いくら昔の設定だからといって、あまりにも笑うツボが判らないのだ。映画のつかみの部分なので、当時の芸らしくなくてもいいから、もうちょっと現代の観劇者が面白いと思うようにしたほうがよかっただろう。さらに、そのつまらなさを助長しているのが、日本語吹き替え音声。360度にいる客に聞いてもらうための、声の張り方や話し方ではなく、まったく大道芸人らしくないのだ。吹き替え音声だからって、もうちょっと気を使ってもらいたいものだ。

で、目立つ難点はそんなもんで、あとのデキはかなり良い。
まず、画に力がある。画質もアングルもかなりレベルが高い(うまく表現ができないので是非観て確認してほしいのだが、“メジャー然としている”と言っておこう)。残念ながら、今の日本映画にこんな画を作り出す力はないような気がする。本作のカメラマンの能力が高いというわけではなく、韓国の技術系スタッフの総合力が高いのだと思う。もし映画の製作者を目指すならば、韓国で勉強させてもらうといいのかもしれない。

本作を紹介した文章があまりよろしくなく、なにか王様を笑わすための苦心する芸人の話のように読めるたりするのだが、そうではなくって、政治に利用され翻弄される芸人の話である。なかなか厚みのあるシナリオで、かなり引き込まれた。ラストもほどよい余韻を感じさせ、なかなかのセンスを感じる。

本作に出てくるヨンサングンという王様は実在の人物で、暴君として有名なようだ。実際の歴史を知っていれば、より楽しめたと思う(まあ、この王様の後が、チャングムの王様らしいしね)。

総合的によくまとまった作品。お薦めします。韓流はあまりみないという方も、たぶん大丈夫。

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image0861.png公開年:2002年 
公開国:アメリカ
時 間:94分  
監 督:ピート・ジョーンズ
出 演:エイダン・クイン、ボニー・ハント、ケヴィン・ポラック、ブライアン・デネヒー、エディ・ケイ・トーマス、アディール・スタイン、マイク・ワインバーグ 他
コピー:あの夏の日。ぼくが見上げた空は今までで一番遠かった─。




カトリックの家庭に育つ8歳のピートは消防士の父と母と7人の兄弟の家族。夏休みの前にシスターから、天国にいけるかどうかは、夏の行ないで決まると言われ、気になってしかたがない。兄から、異教徒をカトリックに改宗させれば聖人になって天国に行ける、と聞かされ、早速ユダヤ教の教会堂へ行く。やがて、教会のラビとその息子ダニーと仲良くなり、ダニーを改宗させようとするのだが…というストーリー。

レモネードのくだりなんてはじめのところだけだし、全体の内容を表すものでもないのだが、これをタイトルにしてしまう日本の配給会社のセンスがよくわからない。原題は『STOLEN SUMMER』で全然違う…といいたいところなのだが、『STOLEN SUMMER』自体も直訳すれば“盗まれた夏”ということで、それも意味がわからない。天国へいくことに執心してしまい夏休みが台無しになったってこと?なにかピンとこない(意味を知っている人がいたら教えて)。

実は、一度観始めて、始めの15分くらいでやめていた。病気の子供がでてくる話で、おそらく死んでいくんだろうな…という、悲しい展開が見え見えで、なんか観進めるのがつらくなってしまったのだ。とはいえ、このまま放置しておくわけにもいかないので、2ヶ月のブランクをあけて、再開。

シナリオの盛り上がりの波のバランスが悪い。かなり後ろにになって、ピートの父親が暴れはじめるまで(実際に暴れるわけじゃないよ)、観ている側の感情は揺れて来ない。宗教の壁を越えることに対して、もっと周囲の大人の抵抗があったりして、子供達が不条理を感じてモヤモヤしたりする場面があったりすれば、もっとよかったのかもしれないが、なかなか物わかりの良い大人ばかりが登場する。

ベン・アフレックとマット・デイモンが新人発掘のために開催した脚本コンテストの選出作品らしいのだが、それほど光ったシナリオとは思えない。宗教を超えた人間同士のつながりがあるはずだ…というメッセージ自体、若いなぁ…と思う。申し訳ないが、浅い。重いテーマをあっさりとしたノリで語ってみた…とか、そういうテクニックではなくて、単に含蓄のない浅い内容だと、私は思う。もうしわけないが、お薦めはしない。

話は変わる。
ラストの方で、父親がピートに「ダニーがユダヤ人だからって、彼を天国にいかせないと思うか?」みたいなことをいい、それに対して「(カトリックである必要はないんなら)もう、シスターの話を聞かなくてもいいね」「ははは」みたいなやり取りがあるのだが、それって、鎌倉時代に日本で新仏教が生まれたロジックと一緒。だから、私は、別に新鮮だとも特段いい発想だとも思わない(新仏教なんて、出家しなくても仏になれるとか、題目を唱えれば仏になれるとか、実際に戒律を放棄してしまってるくらいだからね。素直に笑えないかな)。
 

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9a157936.Png公開年:2006年 
公開国:オーストリア,ベルギー,フランス
時 間:112分  
監 督:フーベルト・ザウパー
出 演:ロビン・ウィリアムズ、ジェフ・ブリッジス、マーセデス・ルール、アマンダ・プラマー、キャシー・ナジミー 他
ノミネート:【2005年/第78回アカデミー賞】ドキュメンタリー長編賞 (フーベルト・ザウパー)
コピー:一匹の魚から始まる悪夢のグローバリゼーション


タンザニアの巨大湖であるビクトリア湖は、約半世紀ほど前から、外来種の肉食魚“ナイルパーチ”が在来種を駆逐し湖の生態系を破壊。しかし、その身は食用としてEUや日本で好まれ、湖畔の町にはナイルパーチを加工・輸出する一大産業が誕生する。新たな産業は雇用を生み出したが、地域社会に経済格差・売春・エイズ・ストリートチルドレン・ドラッグも生み出した。さらに、ロシアからの輸送機は大量の魚をEUへ空輸するが、その往路は武器を輸送している疑惑が…という内容。

ダーウィンの悪魔というタイトルの意味がまったくわからなかったので調べてみた。アフリカのビクトリア湖は多様な生物が生息していて、“ダーウィンの箱庭”と呼ばれていたそうで、そこでおきた悲劇だからからだそうだ。そこをきちんと説明してくれないと、ピンとこないね。人間の行為(経済行為)が環境を激変させる流れと、ダーウィンは関係ないからね。

でも、経済行動によって社会が変わっていくのはあたりまえのことだし、どんな社会であっても、どこで折り合いを付けるか、落としどころはどこなのかを模索しているものである。どうも、搾取する側と搾取する側という対立軸で、語ろうとしているようでもあり、ちょっと観点が古臭くはないだろうか。そういう搾取の手がおよばない手付かずの社会をよしとして、経済行為自体を否定するならば、それは自然に還れというもっともらしい言葉に偽装したアナーキズムでしかない。

こういう状況であることはよくわかったのだが、だからどうすればよいのか、そういう示唆は一切ない。ドキュメンタリーなのはわかるが、ただ、製作者がいる以上、その人なりの光の当て方というものがあるはずなのだが、ただただ、現実をそのままみせようという、生態学者的な態度である。別にそれでもいいのだが、残念ながら、それは“映画”の範疇ではなく、資料映像である。
#ドキュメンタリーというわりには、まるでシナリオがあるような、アングルやセリフまわしなのが、若干気になるのだが、本当にドキュメンタリーならば、そういうカットを取れるのは、なかなかの才能だと思う。

ということで、残念ながら映画としての評価はしない。こういうアフリカでおこっていることに興味のある人が観てくれればいい。とりあえず、アフリカが舞台の映画だと思って、まちがって観てしまい、がっかりしてしまうことがないよう、注意喚起だけさせていただく。

話は変わる。
随分、英語を話す人が多いなぁと思ったが、後で調べたら、タンザニアはスワヒリ語と英語が公用語だった。納得。ただ、あくまで国語はスワヒリ語だし、ここまで英語を話せる人がいるということ、ひいては識字率が7割以上ということで、発展できる要素はあるということだろう。
ただし、マックスウェーバーによるところの、資本主義がうまれるにはプロテスタンティズムという要素が不可欠だという点を考慮するならば、タンザニアはこの状態を打破できない。日本いまがりなりにも資本主義が生まれたのは、“仕事”自体を無条件に尊いとして邁進できたからである(それがプロテスタンティズムと同じ効果を生んだから)。本作の登場人物は仕事を欲しているが、その“仕事”とは収入を得る手段のことを言っているだけど、仕事そのものを尊いものとは思っていない。登場する布教の様子は、カソリックの一派のようであるし(カソリック批判ではないので、誤解ないように)。
援助を否定はしないが、この状態では打破されないことをわかった上で(悪くいえば、援助は捨てたものとして)行わなければいけない。時間がかかるでしょう。
 

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image1021.png公開年:1991年 
公開国:アメリカ
時 間:108分  
監 督:テリー・ギリアム
出 演:ロビン・ウィリアムズ、ジェフ・ブリッジス、マーセデス・ルール、アマンダ・プラマー、キャシー・ナジミー 他
受 賞:【1991年/第64回アカデミー賞】助演女優賞(マーセデス・ルール)
コピー:ふたりのドラマは、やさしくアナーキー



過激なトークで人気のDJのルーカスは、放送中での不用意な言動がもとで乱射事件を誘発し、今は転落人生。また、教授だったというヘンリーは、その乱射事件で妻を失い、過去を捨ててホームレスとなっていた。共に心に深い傷を負った二人は出会い、奇妙な友情で結ばれるが…というストーリー。

おそらく、何度かレンタルしたりTV放送を見たりで、4度目くらいの鑑賞と思われるが、半分以上、内容は忘れていた。

テリー・ギリアムのフィルモグラフィを眺めれば、精神世界を独特のセンスで映像表現してみたり、そうでなければ大人のファンタジーのような作品が多いのだが、本作においては、ロビン・ウィリアムズの幻覚に現れる、炎の騎士くらいなもの。そういう意味で、彼にしては“普通の作品”といえるかもしれない。

毎度のことでもうしわけないが、十字軍とか聖杯伝説とかアーサー王とか、ある程度の知識こそあれど、それに付随するワクワク感的なものがないので、いまいちピンと来ていない(本国の人たちは、もうちょっと別の何かを感じて、楽しめているのではないかと、ちょっと不安にはなるが、私の不勉強の致すところなのでしょうがない)。

物語の始めは、正常な人間と異常な人間に差があるように見せて、ストーリーが進むにつれて、その境界があいまいになっていき、最後は判然としなくなっていくのだが、ちょっとあからさまな主張に感じられ、私は好きではない。
残り20分まで散らかすだけ散らかして、あとはどうやってまとめるか、、という所が評価のしどころなのだが、決してスカっとした締め方でもないし、ウマい!という仕掛けでもなく、なんとなく必然性がよくわからない方法で終わらせてしまった感じ。テリー・ギリアムらしくないハッピー・エンド作品という人もいるようだが、私にはハッピーエンドには見えないんだよな(わざとそのあたりをぼんやりさせようとしているのかもしれない)。
あくまで私の好みとして言わせていただくが、テリー・ギリアム作品としてみれば物足りない。それを忘れたとしても、凡作とは言わないが、ピリっとしない作品。

#裸で公園で踊るのは、なんとなく気持ち良さげだけどね


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クボタカユキ
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趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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