忍者ブログ
[13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21]  [22]  [23
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

公開年:1966年
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:バート・ケネディ
出 演:ユル・ブリンナー、ロバート・フラー、ウォーレン・オーツ、クロード・エイキンス、ジョーダン・クリストファー、エミリオ・フェルナンデス、ジュリアン・マテオス、ヴィルジリオ・テクセイラ、エリザ・モンテス、フェルナンド・レイ、ロドルフォ・アコスタ 他





かつて6人の仲間と村人のため無法者たちと闘ったチコは、その村の娘ペドラと結ばれ、村の復興を目指して農民として平和に暮らしていた。しかし、近隣一帯を牛耳っているロルカ一味が村を襲撃し、チコら村の男たちを拉致。ロルカは農夫を集めて奴隷として、自分の農地で働かせていたのだ。かつてのチコの仲間クリスとビンは、チコが誘拐されたことを聞き、さっそく仲間集めを開始。フランク、ルイ、コルビー、マヌエルら癖のある男を集め、ロルカの本拠“悪魔の背骨”へ向かう。その頃、チコは捕えられていた300人の農民と協力し牢からの脱出に成功。到着した6人を合流し、再び7人となった彼らは、ロルカ一味を対峙すべく教会跡に砦を築くのだったが…というストーリー。

同じ村(近辺)の10年後を描いた作品。有名なわりには、いまいちなバトルにがっかりさせられた前作。さて、前作の難点は克服されているのか。

女性が助けを求めにくる展開がしっくりするし、集められたメンバーは前作より荒くれ者が多い。よりアメリカナイズされていて 無頼な感じが出ていて良い。期待できるな!…と思ったのだが、残念ながら、終盤になると話の軸がぼやけてくる。

敵が弱いのはいただけない…といつも苦言を呈しているが、本作も同じ。農民なんか弱っちい!って吐いておきながら、自分も農民を集めて反撃し始めるという泥仕合っぷり。ロルカの行動のベクトルがぼやけてくると、村に宝が埋まっているという設定が加味されるが、これが具体性が薄く、付け焼刃で差し込んだ感じが半端ない。実はロルカは豊かな村を目指す善良な人間なんだけど、その方法論が間違っていただけさ…みたいな展開にするのかな?なんて思っていたのだが、そういう高度なシナリオは描けなかったみたい。結局ただの欲深な俗物にしか描けていない。いずれにせよ、プロットの軸がドリフトしすぎ。

ドンパチが前作よりも激しくなり、エンタメ性が増しているのは歓迎すべきかもしれないが、貧しい村だし、馬移動で装備も限定されると思うので、応戦のために使用している大量の銃弾はどこから?という単純な疑問が沸く。
バトルの決め手が、偶然そこにあった大量のダイナマイトとか。前作でもいったが知恵を使おうよ。そりゃ、そんなにダイナマイトがあったら無双だろうさ。突然見つかった兵器で勝てました…ってオチでスッキリできるわけがない。せめて、ダイナマイト入手にいたる面白いエピソードくらい入れてくれないとさ。
おまけに、使ったダイナマイトが、見つかった量よりかなり多く見えるというね。

決着も、そんなボスひとりが死んだら、バトルは収束。そのくらいで、やめるような戦争ならはじめからやんなきゃいい…って感じ。大体にして、一番大事なボスが安易に前線に出てきておしまい…って。狡猾なのか無鉄砲なのか、キャラがブレブレ。いろいろ、構図がおかしいお話だった。
#だけど、この後も続編ができるんだよねえ…。西部劇ってのは“なんとなく”のノリを楽しむだけで、深く考えちゃいけないんだろうな。

拍手[0回]

PR

公開年:2013年
公開国:日本
時 間:90分
監 督:高雄統子
出 演:森山未來、星野源、鈴木れい子、立木文彦、くまいもとこ、永澤菜教、日比愛子、西原久美子、園崎未恵、斉藤貴美子、島田敏、白川周作、高乃麗、竹本英史、島崎信長、山本兼平、半田裕典、高森奈津美、原紗友里、庄司宇芽香、佐藤正治 他
コピー:神も仏も、ここにいる。




ブッダとイエスは、世紀末を無事に超えたことを機会に、バカンス目的で下界にお忍びで降臨する。二人は東京・立川のアパートで共同生活をはじめ、元商店街の人々との交流を通じて日本の風習や文化に触れ、四季を満喫していた。満喫しすぎて、衝動買いして浪費家っぷりを発揮するイエスをお金に細かいブッダが嗜めることもしばしば。螺髪・白毫・大きな耳たぶのブッダと、長髪・髭に茨の冠をつけているイエスは、周囲に素性がばれないように、注意深く生活していたが、ついつい“奇跡”を発揮してしまい、近隣住民たちに奇異の目で見られることも。そうこうしながらも、二人の人間味溢れる人柄は、人々の心とのやさしい繋がりを生んでいく…というストーリー。

まあ、基本的にマンガの通り。公開当時、原作ファンからものすごいバッシングがあったけど、それは、宗教ネタが薄まったから。いや、それはね、できないと思うよ。ムハンマドが出てこないのと同じ理由でしょ。映像にして拡散したら無用な軋轢を生む。その虎の尾を踏まないからって、バッシングするはいかがないものかと思う。
前半まではほのぼのとしつつも、クスクス笑ってたよ、私。宗教ネタなんて、Tシャツの文字とか奇跡おこしちゃったり、クリスマスに動物が集まってくるくらいのレベルで十分だって。

この手の作品の場合、逆にぴったり同じだったらアニメにする意味なんか薄いと思うよ。別に動くことでおもしろさが増すような内容ではないじゃない。全部読んでるわけじゃないけど、それを抜いた上で、複数のエピソードをうまくまとめたって意味では、評価できるのかも。
#まあ、宗教色が薄まったせいで、反比例してホモ臭が増しちゃってるけど。

でもね、そのノリが小波の連続で飽きちゃうのね。私は、銭湯あたりでダレてしまった。まあ、それも仕方がないか。映画全体として大きなストーリーの流がわるわけじゃないんだもん。“映画”という形式ではあるけど、一つの物語としての映画ではない。

もう一点、純粋に映画として感じる難点は、ナレーションかな。とても無粋だった。言葉で内証や状況を説明しないと表現できないなら、映画なんかやめちゃえってね。興味があるなら漫画を読めばよい。本作を見る意味はないかな。NHK教育の深夜で15分枠くらいが丁度いいと思う(それこそ、宗教的な意味合いでNHKじゃ扱えないだろうけど)。

拍手[0回]

公開年:1960年
公開国:アメリカ
時 間:128分
監 督:ジョン・スタージェス
出 演:ユル・ブリンナー、スティーヴ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ロバート・ヴォーン、ホルスト・ブッフホルツ、ブラッド・デクスター、イーライ・ウォラック、ウラジミール・ソコロフ、ロゼンダ・モンテロス、ビング・ラッセル 他
ノミネート:【1960年/第33回アカデミー賞】主題歌賞(スティーヴン・ソンドハイム、作詞・作曲 Sooner or Later“I Always Get My Man”)、美術[監督]賞(Richard Sylbert)、美術[装置]賞(Rick Simpson)、メイクアップ賞(John Caglione,Jr.、Doug
Drexler)
【1990年/第44回英国アカデミー賞】 劇・喜劇映画音楽賞(エルマー・バーンスタイン)
コピー:あの面白さ、あのメロディにのって 本物の七人が帰って来た……

メキシコの寒村イスカトランの住人は、毎年収穫期になると襲撃してくる無法者たちに怯えていた。昨今は自分たちが食べる分を賄うことも困難で、村を去る者も続出する状況となり、我慢の限界を感じた村人たちは、少ない金品をかき集め、無法者を撃退してくれるガンマンを雇うことにした。ヒリイオら3人の村人は国境沿いのアメリカ側の町を訪れる。町では、原住民の遺体を白人の墓地に埋葬するかしないかで揉め事がおこっていた。葬儀屋が反対する白人一味の攻撃を恐れていると、ガンマンのクリスが自分が埋葬してやると申し出て、やりとりを見ていたヴィンも賛同。墓地に入ると、案の定、反対勢力からの攻撃が始まるが、クリスとヴィンは鮮やかに撃退。ヒリイオは彼らの強さを目の当たりにして、村の窮状を話して協力を依頼する。同意したクリスは腕の立つガンマンを集めはじめるのだったが…というストーリー。

黒澤作品を無断でパクったのは『荒野の用心棒』のほうで、こっちではなかったね(本作は『七人の侍』が正式にライセンシーされた作品)。元があれだけ面白いんだから、プロットがそのままならつまらなくなるはずがない。あとは魅力的なキャラを配置すればいいだけ…のはずなんだけど、これがどうも…。

“七人”なんだから、そのキャラのバランスこそ最大の見せ所だと思うんだけど、キャラの描き分けのメリハリが薄いと思う。悪夢にうなされるシーンをさしこんでみたり、色々描き分けようという努力は見えるんだけど、七人の侍でいうところの三船敏郎が演じた菊千代当たる若者以外は似たり寄ったり。みんなただただダンディで差はない。
子供に好かれるキャラとかはまだマシな方で、強欲キャラも取ってつけたような感じだし、悪夢ガンマンも悪夢を見たつーだけで、なんだかよくわからんうちに死ぬだけだし。ナイフ投げに至っては、登場したときと死ぬ間際以外、ナイフ投げの能力は発揮しないし。あまり七人の意味がなくなっている。

名作西部劇という扱いがされることが多い本作だけど、ワタシ的には「そうかぁ?」って印象。
村の窮状を聞いて立ち上がり、仲間を集め始める流れまでは、まあ良しとしよう。でも、村に着くと、呑気な歓迎の踊りを延々見せられる。この村の緊迫感の無さよ。冒頭で敵の悪辣な態度こそ表現されているが、村人の敵への強い怒りの感情がいまいち薄くて、盛り上がらない。だから、この村を助けなければ!がんばれー!っていう思いもイマイチ湧いてこない。

で、肝心の敵も、人数や物量作戦だけで、それ以上の策を弄してこない。だから、ガンマン側が知恵を発揮して切る抜ける場面もないし、特殊能力が生かされる場面も少ない。
さらに、戦いの一番大きな展開が、村人の裏切りと言うのも、盛り上がりに欠ける。そのときも、7人は銃を取り上げられて解放されるだけ。ドンパチには至らず、丸腰で解放という、なんと情け深い無法者さんだこと(笑)。一時的とはいえ、そこでスゴスゴと村を出ていくのはいかがなものか。ここで荒ぶって次の遺恨を作ったりして、次の展開に繋げるのがマトモなシナリオというものではなかろうか。そのくせ、結局村に戻って、正面衝突というありきたりな流れに。芸がない。こういうポヤ~ンとした展開を見せられてしまうと、観客の心には「なんで、ガンマンたちは命を懸けて戦ってるんだ?」という根本的な疑問が生じてしまうだろう。

『七人の侍』と同様に、ユルブリンナーに「勝つのは農民だけ、俺たちはいつも負けだ」というセリフを吐かせるのだが、農民の狡猾さみたいなものが描かれていないのも、いかがなものかと。元ネタのセリフの意味判ってるか?って、問いただしたい気分に。

拍手[0回]

公開年:1990年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ウォーレン・ベイティ
出 演:ウォーレン・ベイティ、マドンナ、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、ジェームズ・カーン、キャシー・ベイツ、グレン・ヘドリー  、ウィリアム・フォーサイス、エド・オロス、エステル・パーソンズ、ミシェル・ジョンソン、メアリー・ウォロノフ、R・G・アームストロング、シーモア・カッセル、ヘンリー・ジョーンズ、ポール・ソルヴィノ、ビング・ラッセル、ジェームズ・キーン 他
受 賞:【1990年/第63回アカデミー賞】主題歌賞(スティーヴン・ソンドハイム、作詞・作曲 Sooner or Later“I Always Get My Man”)、美術[監督]賞(Richard  Sylbert)、美術[装置]賞(Rick Simpson)、メイクアップ賞(John Caglione,Jr.、Doug Drexler)
【1990年/第44回英国アカデミー賞】プロダクションデザイン賞、メイクアップ賞
コピー:これが今世紀最大のムービー・エンターテインメントだ!! 悪がはびこる犯罪都市に 心優しきタフな刑事と みなしごキッドが立ちあがる。

1930年代の大都会。街はギャングの親玉ビッグ・ボーイ・キャプリスに牛耳られていたが、正義を守る男ディック・トレイシー刑事は、呼び出し無線を腕に彼らに立ち向かっていた。そんな中、キャプリスは、クラブ・リッツの歌姫ブレスレス・マホニーを手に入れるため、オーナーのリップスを殺害する。リップス殺害事件の捜査を進めるトレイシーは、リップスの愛人だったブレスレスに証言を求めるが、彼女が証言する代わりに求める条件はトレイシーの愛。テス・トゥルーハートという最愛の女性がいるトレイシーが困惑する中、キャプリス一派の襲撃が彼を襲う。相棒キッドの機転で絶体絶命の危機を逃れたトレイシーは、キャプリスのアジトに盗聴器を仕掛けて、彼らの取引を妨害する作戦に出るのだったが…というストーリー。

コミックの美術表現を映像でやってみようという、80年代から90年代にかけてのアメリカ映画でしばしば見られたアプローチ作品の一つ。俯瞰の街並みの雰囲気とか、ハッとさせられるような、ビビッドな映像が多くて、その点では成功していると思う。

ただ根本的に、主人公は、黄色いトレンチコートを着ている刑事のおっさんで、ヒロイックさに欠ける。特段アメコミに詳しいわけではないが、人並み以上にキャラクターくらいは押さえているつもりの私でも、知らん。このコミックを知っている人なら、脳内で思い出補正が働いて楽しめるのかもしれないけど。そんなレベル。

盗聴で一旦は成功するものの、盗聴器が仕掛けられているのがバレで逆手に取られるパターンは、アメリカのギャングものではお約束なのかな。この前『L.A.ギャング ストーリー』で観たばかり。ちょっとこのパターンは食傷ぎみ。というか、盗聴して裏をかくという手法が切り札っていうのが、根本的にヒーローらしくない。

地味に、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、キャシー・ベイツというとてつもない共演が観られる作品なんだけど、メイクでいまいち伝わってこないという(アル・パチーノは、時間が経過するにつれてメイクしてる意味ないんじゃない?ってくらい素がでちゃうけど)。

大筋のストーリーはオーソドックスなのだが、コミックの複数のエピソードを集約しているのか、展開の移り変わりがけっこうごちゃごちゃしている。
攻防も小ネタの連続だし、大きなストーリーの流れにダイナミズムが感じられないのも難点か。一番の大物のはずのキャプリスが、誘拐罪を着せられる!といって逃げ回る展開が、スケールが小さすぎて…。敵が弱ければそのカウンターバランスとしてヒーロー側も小粒になるという悪例だよね。
 "顔無し”がマドンナなのが、丸わかりすぎるのだけは、どうにかしてほしかった。何とか裏をかいて、彼女だと思った?残念~って感じでスカして欲しかったのだが。見事な凡作。

拍手[0回]

公開年:2012年
公開国:日本
時 間:124分
監 督:河合勇人
出 演:長谷川博己、臼田あさ美、土屋太鳳、風間俊介、田畑智子、斉木しげる、でんでん、富田靖子、夕輝壽太、山中聡、赤堀雅秋、戸田昌宏、歌川椎子、澤山薫、窪田正孝、浜野謙太、北村匠海、未来穂香、西井幸人、藤原薫、小野花梨、桑代貴明、刈谷友衣子、工藤綾乃、三浦透子、岡駿斗、久本愛実、鈴木梨花、小山燿、吉永アユリ、下山葵、影山樹生弥、柿澤司、中西夢乃、伊藤凌、松岡茉優、中嶋和也、馬渕有咲、松本花奈、西本銀二郎、森野あすか、米本来輝、鈴木米香、齋藤隆成、三宅史、中澤耀介、澤田優花、安田彩奈、山口愛、福地亜紗美 他
コピー:常識を打ち破れ、世界は変わる

緋桜山中学の国語教師・鈴木先生は、独自の教育理論・鈴木メソッドを用いて理想的なクラスを作り上げようと、日々努力している。その独特な教育理論によって、時には他の教師と対立することもあるが、生徒たちの様子の変化に手ごたえを感じつつあった。プライベートでは、妻・麻美が妊娠中で、公私ともの順調のはずだったが、なぜか女子生徒・小川蘇美とのあらぬ妄想に振り回されるようになってしまった。2学期になり、学校が生徒会選挙や文化祭など慌ただしくなっていく中、鈴木先生の天敵・家庭科教師の足子先生が復帰。早速、足子先生は、生徒会選挙の有効投票率を上げるために記名選挙を提案したり、学校近くの公園から不審者を排除するために喫煙所の撤去を働きかけるなど、暴走をしはじめ職員の間に不穏な空気が流れ始める…というストーリー。

タイトルに“Episode11”とあったので、何ぞや?と調べたところ、本作はTVドラマであった模様。続きってことですな。私、観たことないどころか存在自体を知らず。これは『闇金ウシジマくん』のようにTVドラマを観ていなかった人にはピンとこないシーンの連発か?と警戒。確かに、TVドラマの流れであろうくだりは散見され、TVドラマを観ている人ならクスリとくる部分もあるんだろうな…とは思いながら、ノリが掴めないまま中盤まで経過してしまった。TVドラマを観ている人なら、鈴木先生や生徒が死んだりするようなお話じゃないことを判った上で観てるわけでしょ?知らない私は、この鈴木先生が全編にわたって良い人として扱われ続けるのか、破滅していくお話なのかすら見えなかった。
とはいえ、引っかかってしまって、ネット検索しないと観続けるのが難しいほどの不明個所はそれほどなかった。

そんな私が観終わった感想は、始めこそユニークだったけど、結局、中学生日記に落ち着いちゃったな…って印象。それが映画になっているという点を、逆に新鮮とみるか否か。
イライラさせられるエピソードはたくさん散りばめられてはいるものの、それに対するカタルシスがしっかりと得られなかった。イライラの滓だけが心の中に残ってしまい、ちょっと不快なまま終わってしまった感じもある。
本作の特徴なんだろうけど、言葉による処理が多く、ビジュアル表現がいまいち。いや、鈴木先生の妄想とかはあるんだけど、ビジュアルで表現して欲しいところは、そういう部分ではなく、登場人物の考えている事、感情の機微。子役が多くてそれを求めるのは無理なのかもしれないけど、全部、心の声やディベートで片付けられている気がして。
おそらく、TVドラマのほうは、ある意味中学生日記の現実版として、優秀なデキだったんじゃないかな。TVは別にそれでいいと思うんだけど、同じノリでそのまま映画にしちゃったのかもね。それがイマイチに感じる原因かのかな?と。

別に観なくてもよかったかな。TV版を観た人へのご褒美でしょう。
#昔、富田靖子のファンだったんだけどな。たまにみるといつも同じような演技なのが、ちょっと悲しい。

拍手[0回]

公開年:2000年
公開国:アメリカ
時 間:130分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:クリント・イーストウッド、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナー、ジェームズ・クロムウェル、ウィリアム・ディヴェイン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ローレン・ディーン、コートニー・B・ヴァンス、バーバラ・バブコック、ブレア・ブラウン 他
ノミネート:【2000年/第73回アカデミー賞】音響賞[編集](Bub Asman、Alan Robert Murray)



かつてアメリカ空軍に“チーム・ダイダロス”いう名の将来の宇宙探索飛行を目的としたパイロットチームが存在した。しかし、計画遂行の直前になって計画自体がNASAに移行してしまう。その結果、マーキュリー計画で宇宙へ行ったのはチームの4人ではなくチンパンジー。失意の中、チームは解散となる。それから40年後、チーム・ダイダロスの一員だったフランク・コービンのところに、NASAから宇宙衛星の修理依頼がくる。故障した宇宙衛星アイコンは、旧ソ連時代の遺物で、そのエンジンがフランクの設計を元に建造されているという。なぜソ連の人工衛星がにフランクの技術が用いられているのかは不明だったが、このまま放置しておけば数日以内に落下してしまうという。NASAに良い感情を持っていないフランクは、チーム・ダイダロスで作業するという条件を付けて承諾。かくして昔のメンバーであるウィリアム・ホーキンス、ジェリー・オニール、タンク・サリバンを集め、訓練を開始するのだったが…というストーリー。

荒唐無稽といってよい設定だけど、実に映画らしい内容。じいちゃんが宇宙に行けるなんてありえないけど、事情が事情だけに背に腹は代えられないという展開は、それなりに説得力がある。

しかし、中盤に、やっぱりじいちゃんたちが、情報だけ吸い取られてお払い箱になるかも!?以降の展開が、グズグズしちゃうのが残念。
若い飛行士がフランクから執拗に修理方法を聞き出そうするので、もしかして情報だけ取って宇宙に行かせないつもりか?あんにゃろめ!っていう流れなんだけど、このシナリオ上の小細工のせいで違和感が生じてしまう。だって、じいさんなんだから怪我したり死ぬ可能性だってあるわけだから、バックアップしないと世界が取り返しのつかない危機に陥っちゃうじゃない。どうしても自分が宇宙にいきたいからって、わがままを通す主人公がクレイジーにしか見えない。

トミー・リー・ジョーンズ演じるウィリアムが膵臓がんっていうくだりもそう。お涙ちょうだいで行かせてあげようって流れは、フィクションとしては悪くなんだろうけど、さっきも言ったように地球の危機なんだわ(笑)。こういう安易な演出が散見されて端々で嘘くさく感じられてノリきれない。脚本家は、どうしてもウィリアムじゃなければいけない理由をがんばって考えようよ。

じいさんたちの敵は、故障した人工衛星だけじゃなくて、3人の敵役がいる。まず、ジェームズ・クロムウェル演じるNASAの高官、ロシアのボストフ将軍、同乗する若い飛行士。こいつらの敵役っぷりが弱い。
NASAの高官はミッション成功後に、「フランクたちはやると思っていた」的なセリフは吐いて、クソ人間っぷり満開だし、ロシアの将軍はバレたあとプイっと消えちゃったし、若いパイロットもショートに巻き込まれちゃったりしたけど、結局、誰も大して痛い目にあっておらず、すっきりしない感。
本作は、捨てきれずにいる夢をかなえるというワクワク感と、高潔な任務遂行で世界を救うという名誉の両輪のお話。だから、夢をクソみたいな政争や権力欲のために使用したやつらから、名誉を奪うというのが正しいシナリオの流れであえる。奴ら3人から名誉を奪いというのがどういうことなのかを考えれば、高官は家族から軽蔑されるとか、ボストフ将軍はアメリカとロシアのお偉いさんから、隠ぺいできなかった責任をとらせれ拘束されるとか、若い飛行士は、実はそいつの恋人の親とか、自分の親ががチーム・ダイダロスに近しい人物で、ファミリーから軽蔑されちゃうとか。そいつらが墜ちていく様子をみて「ああ飯がウマイ」という流れにしてもらいたかった。

あとふた練りくらいすれば、大名作になったと思うので、非常に残念。

拍手[0回]

公開年:2013年
公開国:日本
時 間:105分
監 督:福田雄一
出 演:鈴木亮平、清水富美加、ムロツヨシ、安田顕、佐藤二朗、池田成志、塚本高史、岡田義徳、大東駿介、片瀬那奈 他
コピー:愛子ちゃん、どうか俺の闘う姿を見ないで欲しい。





紅游高校拳法部員の色丞狂介は、刑事だった父親と、ドSの女王様の母親の間に生まれた青年。ある日、同じクラスに転校してきた姫野愛子に一目惚れ。彼女が拳法部のマネージャーになるというので、小躍りして帰宅していると、銀行強盗の現場に遭遇。なんと愛子がその人質になっているではないか。愛子を救おうと銀行の裏口から侵入した狂介は、はずみでパンティを被ってしまう。すると、両親から受け継いだDNAが覚醒し、潜在能力が極限まで解放された超人“変態仮面”に変身するのだった。見事強盗を撃退した狂介だったが、その後も、変態仮面として街の悪人を退治していき、話題の的になっていく。愛子は助けてもらった変態仮面に好意を持つようになるが、狂介は正体を明かすことができずに、もどかしい思いをすることに。そんな中、空手部主将の大金玉男が、学校の土地に眠っている埋蔵金を狙って学校を制圧しようと刺客を送り込んでくる。拳法部にも攻撃の手が及んでくるのだったが…というストーリー。

大晦日に何を観てるんだ?と言われそうだが、いつもレンタル中でなかなか借りられないくらい人気で、やっと鑑賞。
週刊少年ジャンプで連載していた当時、読んでいたけど、まさかこんな形で映画化されるとはね。よく考えると、昨日の『脳男』と同じく“正義の狂人”。好みの設定なのだ。

単に、パンツをクロスして肩までねじりあげて、顔にパンティを被るだけというシンプルなスタイル。それなのに、ここまで原作どおりに再現できているのがスゴい。漫画では“にじり、にじり”などと独特に擬音で表現されていた動きが、見事に表現できており、コレジャナイ感が皆無なのだ。
映像表現の面でも、衝撃波の表現が地味に良い。漫画原作だから…という安易な演出ではなく、実に作風にマッチした効果を生んでおり、なかなかのセンスを感じる。これだけくだらないのに、興醒めさせないのは、こういう細かい部分の処理の力が多きと感じる。

鈴木亮平の肉体美と演技が良いのはもちろんなのだが、本作の成功の半分は、安田顕のおかげだろう。まさにヤスケンしかこの役をやる人間なんかいないだろう!と思うのだが、だからといって気負うでもなく“やって当然”“普通の役と何が違うの?”と言わんがばかりの安定感。リアル変態としての“自然な演技”が炸裂である。

ラストは昨今の日本映画ではお約束状態のスカっとしないグダグダ対決に(もう、諦めるしかないのかな)。ここは軽く流すしかない。
清水富美加は、仮面ライダーフォーゼに出ていた子。そこそこの規模の事務所なんで、最後のパンツを脱ぐシーンはキャラ的にNGにすべきだったと思うんだけどな。

残念ながら家族はもちろん、友達と観るのもお薦めしない。一人でくだらねーっていいながら、ニヤニヤ観る作品だ。いつも借りられている理由がよくわかった。
#相変わらず片瀬那奈は、らりるれろの発音が不自由。これさえなければ、もっといい仕事が来てると思う。思い切りのいい縁起だっただけに残念。

拍手[0回]

公開年:2013年
公開国:日本
時 間:125分
監 督:瀧本智行
出 演:生田斗真、松雪泰子、江口洋介、二階堂ふみ、太田莉菜、大和田健介、染谷将太、緒方明、山崎ハコ、大山うさぎ、池谷のぶえ、勝矢、菊地廣隆、永倉大輔、田中耕二、川口真五、岡雅史、出口哲也、後藤健、甲本雅裕、光石研、小澤征悦、石橋蓮司、夏八木勲 他
コピー:悪に裁きを下す、美しき殺人者




東京近郊で無差別連続爆破事件が発生している中、路線バスが爆破され、乗客は全員死亡。一連の事件と同一犯と思われたが、犯行に使われた爆弾は、舌を切り落とされた女性の全身に巻きつけられており、犯人の異常さが覗われた。捜査に当たった茶屋刑事は、僅かな手掛かりから犯人のアジトと思しき倉庫を突き止める。倉庫に押し入ろうとすると複数の人間が争っている音がする。急いで茶屋たちが押し入ろうとすると突然倉庫内で爆発が発生。倉庫の中には、一人の男が爆風で飛んだガラス片を浴びながらも立ちすくんでいた。茶屋はその男を一連の事件の共犯者として逮捕する。しかし、“鈴木一郎”と名乗った以外、一切身元は不明で、それ以上の供述をしようとしなかったため精神鑑定にかけることに。鑑定を担当した医師・鷲谷真梨子は、“鈴木一郎”のあまりにも平均的な受け答えに違和感を覚え、独自に彼の過去を調査するのだったが…というストーリー。

ちょっとゲテもの臭いタイトルに警戒していたが、なんだかんだ、今年後半で一番愉しめた邦画だったかも。

無痛症の人とか、共感能力に欠ける人とかを扱った作品は、ちょくちょく見られるので、それほど新鮮というわけではない。米ドラマ『デクスター』のような正義のサイコキラーが主人公の作品もある。
万能ではない法に失望した富豪により、不幸な肉体と精神をもって生まれた少年が、それこそマッドサイエンティスト的な歪んだ思考の元で、殺人マシーンに育てられる。しかし、あくまで“正義”の殺人マシーンとして。なにやらフランケンシュタインのようで、せつなさが漂うのが素敵な設定なのだ。“聖なる狂人”いいね。

松雪泰子演じる鷲谷によって、“脳男”の生い立ちは判明していく。荒唐無稽に思えるかもしれないが、それなりに整合性はある。映像にしちゃうとウソくささ満開になりそうなところを、うまく演出できていると思う。

一方の敵の犯罪者は、余命幾ばくも無いサイコキラーで、暴走…というか欲求のまま行動している。ただ、別に末期がんになったから、殺人を起こしているのか?というとそうではなく、そういう性向なんだと思う。両親殺しの団塊から、けっこうフルスロットルに見えるから。病気によって加速したという演出が不足ぎみだったかもしれない。余命幾ばくもない人が、法の外で、正義の鉄槌を下していき、世間から“正義の使者”と扱われる…みたいなストーリーは、思いつく人は多いと思う。それを逆に悪役側に適用するのは、悪くは無いけどね。

二階堂ふみと染谷将太の演技は、うまいわけじゃないけど、目くじらを立てるほどの問題ではないかな。でも、『ヒミズ』のことが頭をよぎって邪魔だったかも。
#二階堂ふみの演技に不満を感じた人は多かったかもしれないけど、そんなもんだよ。

ラストのバトルが、ちょっとダレてしまったのが残念。日本映画はこれが多い。しかし、その後の顛末で、ちょっと感動を覚えさせるほど盛り返したのはなかなか。心理学者が実地で打ちひしがれる展開は、けっこう好き。結局、知識でもなく、経験でもなく、“想い”で繋がることが出来たという流れも好き。

是非、続編を作っていただきたい。なんなら原作者にお願いして、映画独自のシナリオを作ってもらってもいいほど。日本流のアンチヒーローとしては、こういう姿がちょうどいい着地点なのかもしれない。サイコキラー物が大好物の私にとっては、満足の作品。
#ただ、PG12だったけど、PG15とかでもいいんじゃないかな…と思う。

拍手[0回]

公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:リチャード・ドナー
出 演:ビル・マーレイ、カレン・アレン、ジョン・マーレイ、キャロル・ケイン、ジョン・フォーサイス、ジョン・グローヴァー、ロバート・ミッチャム、アルフレ・ウッダード、ジェイミー・ファー、デヴィッド・ヨハンセン、スティーヴ・カーン、リー・メジャース、メイベル・キング 他
ノミネート:【1988年/第61回アカデミー賞】メイクアップ賞(トム・バーマン、Bari Drieband)


ニューヨークにあるテレビ局、IBCの社長フランク・クロスは、業界最年少社長として辣腕を振るっていたが、視聴率のためには手段を選ばない傲慢さと守銭奴ぶりから、周囲の人間からもれなく嫌われていた。今年もクリスマス休暇中の高視聴率を目指して、部下たちを罵倒していた。そんな中、彼の前に3人のゴーストが現れ、彼を改心させようとする。一人目のゴーストは過去をつかさどるゴーストで、タクシードライバーに扮して、フランク自身の過去へ連れて行き、彼がどうしてそんな性格になってしまったのか自覚させようとするのだったが…というストーリー。

デイケンズの『クリスマス・キャロル』を翻案した作品ということで、テレビ業界という俗っぽい舞台であるにもかかわらず、古典臭いというか説教臭さが漂う内容になっている。ただ、日本人向けではないというか、ピンとこないというか…。
本作で感動した人はたくさんいると思うので、水を差すようで申し訳ない。フランクが、どうしてそんな人間になってしまったのか?という、一番根幹の設定が釈然としなかったので、いまいち楽しめなかったのだ。

ゴーストの手助けによって、周囲の人の様子をつまびらかに見ることになり、フランクの心に変化が生じていくという内容。でも、本作の描かれ方だと、困窮する人々の様子や気持ちを彼は“知らなかった”だけであって、知りさえすれば親切にできた…ということに見える。
弟のパーティの様子を見て、彼の本音を聞いて知る。また、秘書の家の様子を見て、息子の一人が過去のトラウマで喋ることができないことを知る。でも、これは改心ではなく“知った”だけなのではないかな…と。

いや、まず知ること(=共感すること)こそ、改心の第一歩だろ…という意見はわかる。でも、二人目のゴーストが「一年間、黒い服を着ていたでしょ?」と嗜めるシーンがある。フランクが見ようと思えば見られるのに、目を背けていると指摘している模様。でも、殺人事件で殺されたなら葬式のために相当の期間、休んだであろうし、ニュースにもなっただろうから気付かないことのほうが不自然。指摘する所が"黒い服を着続けていたのに気付かないこと”って、なんか不自然だ。
ここは、フランクが自分の親の葬式のときも休んだことが無い人間だったとか、“確信犯”であるという設定にしないといけないのではないかな?と。フランクは、人々に見てもらう番組を作る側なのだから、感受性は高そうなはずなんだけど、周囲の人間には一切アンテナを向けることがない。他人に興味がないというよりも、あえて周囲にいる人間のことを見ないようにしているのかな?と私は思ったわけだ。
つまり、そんな馴れ合いの付き合いなんて価値がないという、ニヒリストなのだという設定。幼少期の環境や体験からテレビの世界に拠り所を求める人間になっており、テレビ業界での成功こそがアイデンティティを確立する唯一の手段。それ以外は、すべてシャットアウトしているのだ…、判ってはいるんだけど、どうしても素直になれないのだ…という設定にすべきだったと思う。

すると、“どうせそんなことは無駄”というニヒリズム VS 愛情という対立軸になる。これが正しい本作の構図だと思う。そして、過去の自分や周囲の本音を聞くことで、「ああ、別に自分の殻に閉じ篭る必要なんてないんだな…」「素直になればいいんだな…」と気付くという内容に集約すると、しっくりきたのだが…。

弟の気持ちなんて、仮に私がフランクの立場だったとしても、そこまで気付くことができるとは思えない。どちらかといえば、心の寂しい人間っていうよりも、社会性の無い人間。もしくは、付き合いたいと思っていないんだから、自分の心に素直に行動している人間に見える。
また、一応裕福な生活をしてはいるが、そのためにTV番組をショボくしているわけではなく、金をかけるとことはしっかりかけているわけで、仕事人としては悪くはないし。
大体にして、世の中にテレビ局が一社しかないわけじゃ無かろうに、ひとつや二つ、ブットンだ局があってもよいじゃないか。むしろ、クリスマスにTV漬けになってる民衆のほうがクレイジー。誰もがバカみたいにTVを楽しみにする社会がおかしい。
#ああ、私の心が荒んでいるだけなのかな…。

『クリスマス・キャロル』が定番すぎて、細かい疑問を差し挟む余地すら無いのかも。ただ、ビル・マーレイは本当にこういう役が似合う。彼の演技で、うまくシナリオ上の難点がラップされて、成立していると思う。

拍手[0回]

公開年:1981年
公開国:日本
時 間:91分
監 督:大林宣彦
出 演:薬師丸ひろ子、高柳良一、三浦浩一、峰岸徹、長谷川真砂美、手塚真、大石吾朗、岡田裕介、赤座美代子、ハナ肇、久里千春、山本耕一、千石規子 他






第一学園の二年生・三田村由香は、同級生の耕児と一緒に下校している際、道路に飛び出した三輪車の子どもが、時間を逆廻ししたよに後戻りするのを目撃する。心の中で「戻れ」と叫んでいた由香は、自分の力だったのでは?と不気味な予感を覚える。その後、剣道部の対抗試合でも、最後に残った耕児に対して「敗けないで」と願うと、危機一髪で奇跡的に逆転するのだった。そのことを耕児に話してみるが、彼は真面目に取り合ってくれない。そんな中、京極と名乗る男が由香の前に突然現れ、自分と一緒に世界を支配しようと誘ってくる。その数日後、由香たちのクラスに高見沢みちるが転校してきて、不思議な力で生徒や先生を翻弄しはじめ…というストーリー。

その後、角川映画は、原田知世とかが出てきてきて綺麗なアイドル路線とか女優化路線になってくけれど、その前のある意味本当のアイドル映画なのかもしれない。
ただ、先日の『金田一耕助の冒険』同様、大林宣彦演出が空回りしまくっていて、まるでアングラ前衛舞台の様相。いくらマンガな内容だといっても、逆効果になっている。手塚真の怪演がかすむほど。さすがに峰岸徹は仕事を選ぶべきだったかと思うが。その後、TVドラマで何度もリメイクされているので、眉村卓の原作はおもしろいのは間違いないわけで、間違いなく戦犯は大林宣彦。

当時の技術でできる範囲でがんばっている…とか、後の『時をかける少女』の萌芽が見られる…とか、色々フォローしてあげたいところだが、さすがに無理だ。マット合成とか、いかにも古臭い部分があるけど、そういう技術面での問題は感じない。新入生へのクラブ勧誘シーンとか、ああいう軽いおふざけのシーンが猛烈に虫唾が走る。酒の肴にもならない。

そのくせ、何故か「守ってあげたい」という名曲が主題歌だったりして、かえって奇妙さが倍増していたりして。

拍手[0回]

公開年:2012年
公開国:日本
時 間:128分
監 督:内田けんじ
出 演:堺雅人、香川照之、広末涼子、荒川良々、森口瑤子、小山田サユリ、木野花、小野武彦 他
コピー:入れ替わった人生、大金の行方、そして結婚――
その先にはなんと、史上最高に爽快でトキメくラストが待っている!?




とある事で自殺しようと考えた売れない役者・桜井は、死ぬ前に銭湯に行こうと考える。すると、羽振りの良さそうな男が銭湯に入ってきて、石鹸で足を滑らせて転倒し気を失い、そのまま救急車で搬送されてしまう。桜井は介抱する際にロッカーの鍵をすり替え、その男の服に着替えて成りすまし、彼の金や車を拝借してしまう。自暴自棄になっていた桜井は、一晩、車の中で過ごした後、男が持っていた大金で、今まで借金していた人に返済をして廻るのだった。一方、病院に搬送された男は、目覚めるとすっかり記憶を失くし、自分が誰だかわからなくなっていたが、持っていた身の回り品から桜井という男だと告げられる。本物の桜井は、昨日の男が搬送された病院を聞きつけ、こっそり財布や車を返却しようと病室を訪れたが、男が記憶喪失になっていることを知り、もう少し成りすまそう考える。そしてその男のマンションに入ると、電話が鳴る。その電話は殺人の依頼。男は伝説の殺し屋“コンドウ”だったのだ。成り行き上、依頼を引き受けてしまう桜井は。一方、自分を桜井だと思い込んでいるコンドウは、一流の役者を目指していたであろう自分として行動するのだったが…というストーリー。

『運命じゃない人』『アフタースクール』の内田けんじ監督作品。アンジャッシュのコントみたいなすれ違い、勘違いのシナリオで、テイストは同じ。狙ってやってるのこれしかできないのかは不明だが、うまくデキているのだから、まあ問題なし。個人的には、成りすますまでの展開が都合が良すぎて如何なものかな…とは思うが、コントですよ、コント…と思えば、全然許容できる(良い意味でだよ)。

単なるすれ違い、勘違いシナリオで終わっていないのは、香川照之演じる殺し屋の方が、すっかり前向きに人生を歩み始めるという皮肉なシチュエーションが効いているからだろう。
内田けんじシナリオのスゴいところは、“何かおかしくねえか?”と観客に細かい疑問を抱かせる点があちこちにあるのに、ほぼ後で回収(というか説明)されていること。例えば、香苗がなんで塩を舐めてるのかとか。多分、私が気付いていない仕掛けもたくさんあるはず。殺し屋が車にうるさい警報ブザーなんか付けるかな?とか、違和感があったんだけど、胸キュンの音に掛けたかっただな。
こういう偏執的なまでに緻密な作品というのは実に好感が持てる。納得いくまで推敲を繰り返しているであろう姿勢とか、作品に責任を持っている感じが伝わってくる。
これに加えて、香苗の父親のくだりとか、お涙まで挟んでくるんだから、すごい。

あえて“ほぼ”後で回収と書いたのは、ピンとこないところが無いわけではないから。別に、森口瑤子演じる女性の逃亡先のために、マンションを購入する必要はないような気もするし、成りすまししている人間が購入手続きできるほど、数千万円のマンション購入は簡単じゃないよな…とか(まあ、流すところなんだろうけど)。

好きな人は、とことんハマるだろうね。とても楽しめた。

拍手[0回]

公開年:1995年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:ダニー・キャノン
出 演:シルヴェスター・スタローン、アーマンド・アサンテ、ロブ・シュナイダー、ユルゲン・プロフノウ、マックス・フォン・シドー、ダイアン・レイン、ジョアンナ・マイルズ、ジョアン・チェン、バルサザール・ゲティ、ジェームズ・レマー、モーリス・ローヴ、イアン・デューリー、ピーター・マリンカー、アンガス・マッキネス、マーティン・マクドウガル、ミッチェル・ライアン 他
ノミネート:【1995年/第16回ラジー賞】ワースト主演男優賞(シルヴェスター・スタローン)


2139年。世界は核戦争によって荒廃し、人々は3つのメガシティと呼ばれる巨大都市の中に密集して生活していた。しかし、元ニューヨークがあった場所に建設された“メガシティ・ワン”では、犯罪が多発して秩序が崩壊寸前。かろうじて崩壊をくい止めていたのは、“ジャッジ”と呼ばれる特殊訓練を受けたエリート集団による治安維持部隊だった。ジャッジは、警察官、裁判官、刑の執行人を兼ねており、犯罪者を逮捕し、素早く判決を下し、その場で刑罰を与える権利を持っていた。そのジャッジの中でも、ドレッドは、その執行数において伝説的な存在となっていた。ある日、マスコミ関係者が殺害される事件が発生するが、犯行の様子が映ったビデオがドレッドらしき人物が映っており、それが証拠となりドレッドが逮捕されてしまう。もちろんドレッドに身に覚えはなく、同僚のハーシーは懸命に弁護したのだが、犯行に使われた銃がドレッドの遺伝子をキーに作動していることがわかり、それを証拠として死刑判決が確定してしまう。ドレッドを息子にように愛していたファーゴ長官は、自分の引退と引き換えに減刑を申し出て、終身刑に減刑される。長官はシティを追放され、ドレッドもアスペン刑務所に送られるのだったが…というストーリー。

イギリス/南アフリカ製の、2012年版『ジャッジ・ドレッド』を観た後、どうしても観たくなったので、改めて鑑賞。2012年版は、観ながら「こんな話だっけなぁ…」感が湧きまくりだったからね。

凡作扱いされることが多い本作だが、設定やストーリー展開に、すばらしいものがあると思う。“正義”ではあるけれど、杓子定規にもほどがあるドレッドと、狂言廻し的なポジションの小悪党ファージーとの関係。この取るに足らないチンケな男のおかげで、ドレッドの心に変化が生じ、成長していく。
“計画”の胤し子であるドレッドとリコは、元々同じだったが、正邪に分裂するという、よく見られる設定(シュワルツェネッガーの『ツインズ』みたいなコメディにも見られる)。だが、それをドレッドのルーツの謎や苦悩に結びつける流れも、良いと思う。
なんといっても、ドレッドが罠にハメられる手法と、隠蔽された計画の要旨がしっかりと結びついているのがウマい。

都市の外に汚染地区が広がっており、そこに追放されるのだが、この展開のおかげでより世界観が涵養されるといい効果を生んでいる(2012版には無い)。シティの内外とも雰囲気がうまく表現できている。人喰いのエンジェルファミリー、ちょっと今だと表現が難しいレベルなのだが、じつに印象深くて、本作をしっかり記憶に残す、いい役回りになっている。

再評価されていい作品なんじゃないかな?と私は思う。

拍手[0回]

公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:デクラン・オブライエン
出 演:ケレム・バーシン、サラ・マラクル・レイン、エリック・ロバーツ、エクトル・ヒメネス、ピーター・ネルソン 他






アメリカ海軍はブルー・ウォーター社に、コントロール可能な生物兵器の開発を依頼。その生物は遺伝子工学で生まれた鮫とタコの合体生物“シャークトパス”。しかし、実験中に制御装置がハズレ、海に放たれてしまう。そのまま南下し、メキシコのプエルトパヤルタに移動する。ブルー・ウォーター社の責任者は、これまでの開発成果を無にすることを良しとせず、かつて社に勤務していたアンディに、30万ドルで生け捕りにすることを依頼する。しかし、シャークトパスは次々を人を襲い始め、とうとうマスコミにもその存在が知られてしまい…というストーリー。

「マツコ&有吉の怒り新党」で紹介されていたそうで、面白そうなので観てみたら?といわれ薦められるがままに素直に鑑賞。

これから出てくるおそろしい謎の生物は??なんていう煽りは一切なしで、チラ見せも無しで、いきなり鮫とタコの合成生物を作りましたわ!スゴいでしょ!というところからはじまる。一切観客をジラす気もない。まあ、タイトルはそのまんまだし、ジャケット画像にはバッチリ出ているわけでお、ある意味、快い潔さをも言える。

CGのレベルはかなりショボいが、低予算のTVムービーということもあって、そこは大目にみたい。シャークトパス自体のデザインは悪くないし、蛸足のおかげで水中で小回りが利くというだけでなく、多少なら陸地に上がれるという、素敵な能力のおかげで、攻撃のバリエーションが増えているのも、おもしろい。CGがどうのこうのいうよりも、パースが狂っているカットが多いほうが気になる。

はじめこそ、麻薬犯罪組織の人間が襲われるが、以降は、B級ホラー作品にはありがちな、何の落ち度もない市民が、躊躇のない方法で無慈悲に(というかおもしろおかしく)殺されていく。じゃあ、退治しなくちゃ!となり、会社のご都合主義との戦いという人間側の葛藤も、ありがち。
恋愛っぽい展開や、親子の軋轢なんかの設定は、とりあえず配置してみた程度で、あまり盛り上がりに貢献していないのも、いかにもB級映画らしい。いや、こういう処理がきちんとできないからB級なんだけど。

ラストはシャークトパスに元々埋め込まれていた緊急用の爆破装置を作動させて倒すという、なかなか都合のよい展開。バカ映画だなぁ…っていいたいんだけど、後半は飽きる。とにかく飽きる。
まあ要するに、“シャークトパス”の出落ち作品ってことかな。

拍手[0回]

公開年:1979年
公開国:日本
時 間:113分
監 督:大林宣彦
出 演:古谷一行、田中邦衛、仲谷昇、山本麟一、吉田日出子、坂上二郎、東千代之介、樹木希林、熊谷美由紀、江木俊夫、阿部健多、木下隆康、大塚浩美、宇佐美恵子、原田潤、草野大悟、小野ヤスシ、佐藤蛾次郎、南州太郎、重松収、小川亜佐美、赤座美代子、伊豆肇、大泉滉、車だん吉、三輪里香、千うらら、石井めぐみ、高林陽一、田山力哉、志穂美悦子、斎藤とも子、笹沢左保、横溝正史、高木彬光、角川春樹、峰岸徹、岸田森、檀ふみ、岡田茉莉子、夏木勲、三船敏郎、三橋達也 他


数々の難事件を解決してきた金田一耕助は、すっかり有名人になっており、最近は等々力警部と一緒のCMで出演するまでに。一方、“ポパイ”を名乗る美術品専門の窃盗団が世間を騒がせてた。そのポパイのリーダー格であるマリアが、金田一の前に現れる。彼女は、金田一が真犯人を突き止められなかった“瞳の中の女”事件を解決しろと要求。美術評論家の古垣和哉から盗んだ、その事件解決の鍵となるであろう石膏像“不二子像”の首を金田一に渡すのだった。しかし、早々に石膏像の首を何者かに盗まれてしまう金田一。行方を調べると、古美術店々主明智小十郎の手に渡っていることが判明。マリアの手引きで明智邸を訪ねる金田一だったが、そこで殺人事件が発生し…というストーリー。

一応、横溝正史の原作で本人役で出演してはいるのだが、あらすじを書いていても、うんざりするぐらい内容がぐちゃぐちゃでイヤになった。追っている事件の内容が見えない…ということは、ストーリーの方向性が見えないということだ。加えて、お寒いギャグが散りばめられており、うんざり。当時は面白かったのかも?と一瞬考えたが、イヤイヤ、それはない。ここまでふざけなくても、ちょっとした違和感を漂わすだけで、映画なんて十分おもしろくなるものだと思うのだが。笑いのセンスがない人が、自分がおもしろいと勘違いしてお笑いをやるとこうなっちゃう、顕著な例だと思う。特に、中途半端なメタ視点に、冷める。

根本的に、過去の事件の続きを書いて…という要求の意味がわからない。謎解きの意味もわからない。シニカルでもなければウィットでもないオチ。ただひたすら不快。頭がおかしいのかな?これを観ておもしろいと思う人がいると本気で思っているのかな? 何人もの人間を動かして、これを世に放つことの意味とか、考えているのかな?

日本クソ映画列伝に加えたくなるところなのだが、製作姿勢を想像すると“映画”とすら認めたくない自分がいるのがわかる。ビール飲みながら笑うことすら適わない作品。

拍手[0回]

プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
リンク
カウンター
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ブログ内検索
最新コメント
[06/03 離脱ラバ]
[06/03 離脱ラバ]
[06/03 離脱ラバ]
[04/28 ETCマンツーマン英会話]
[10/07 絶太]
最新トラックバック
Copyright © 2009-2014 クボタカユキ All rights reserved.
忍者ブログ [PR]