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公開年:1984年
公開国:アメリカ
時 間:132分
監 督:ランドール・ウォレス
出 演:レオナルド・ディカプリオ、ジェレミー・アイアンズ、ジョン・マルコヴィッチ、ジェラール・ドパルデュー、ガブリエル・バーン、アンヌ・パリロー、ジュディット・ゴドレーシュ、エドワード・アタートン、ピーター・サースガード 他
受 賞:【1998年/第19回ラジー賞】ワースト・スクリーン・カップル賞(レオナルド・ディカプリオ)
コピー:この夏、あなたは2人のディカプリオを目撃する… 静と動 繊細と大胆 優しさと激しさ
今あなたは、2人のディカプリオを目撃する…


1662年、パリ。度重なる戦争によって民衆は飢えに苦しんでいたが、若き暴君ルイ14世は宴にうつつを抜かす日々で、暴動寸前だった。前王ルイ13世の親衛隊だったアラミス、ポルトス、アトスは既に引退していたが、ダルタニアンだけが銃士隊長としてルイ14世に仕えていた。ルイ14世は、宴で見かけたクリスティーヌに一目惚れ。しかし、クリスティーヌはアトスのひとり息子のラウルの恋人だった。ラウル銃士隊所属だったが、王はラウルを戦地の最前線に無理矢理に配置換えし、その結果戦死してしまう。息子を溺愛していたアトスは王に復讐を誓う。一方、敵対するイエスズ会に頭を悩ませた国王は、アラミスを呼び出し、イエスズ会の首魁を探すよう命じる。しかしその首魁こそアラミスであったのだ。アラミスはかつての盟友を集め、とある作戦に協力を求める。アトスとポルトスは受諾するが、ダルタニアンは拒否する。三銃士はバスティーユ牢獄に幽閉されている仮面の男を救い出すために潜入するのだったが…というストーリー。

個人的に、三銃士自体に、思いいれどころか馴染みがない(子供の頃に読んだことがない)。でも、ポルトスのお馬鹿キャラに、策士アラミス、偏屈だが情が深いアトスと知らない人にもキャラが良くわかる演出になっているのはさすがかと。成長した姿がいまいちピンとこないダルタニアンには、影の主人公としての役割が与えられる。ちょっとネタバレになってしまうが、“仮面の男”というタイトルは、ダブルミーニングになっていて、一応、ラストまで観ると、そのタイトルは納得できる(もっとネタバレになってしまうが)。

たしかに仮面の男がキーになっているお話なのだが、前半は、仮面の男の話がなくてもルイの悪逆非道っぷりがすばらしく、純粋な革命劇、復讐劇として十分に成り立ちそうなほど。でも、ルイ14世といえば“太陽王”といわれたほどの善王。歴史とは異なるのは明白なわけで、先の展開はバレバレですわな。チラチラと“仮面の男”がどこででてくるのかな…と頭をよぎるので、邪魔に思えるほど。むしろこのタイトルにしなければよかったのに…さえ。その辺の展開を先回りするだけの知識がない人には、逆に素直に楽しめる幸いが待っている。

ちょっと無駄なくだりだったな…と思うのはクリスティーヌ。息子の死に対する恨みの原因でさえあればよかったわけで、あんな 死に方をするだけならば、いらなかったかと…。母親の病気をなんとかしたいという理由があったにせよ、愛する人間が死んだ直後に王にあっさり陥落してしまったクソビッチにしか見えないわけで、死んだラウルはおろか、結婚を勧めたアトスが報われない。
根本的に、仮面の男のすり替わり劇のハラハラで盛り上がっている時に、ぎゃぁぎゃぁ喚かれるのも邪魔だった。物にされたあとにあっさりポイ捨てされて、恥じて死ぬという展開にして、120分くらいに編集してもよかったかなと思う。

(以下、完全にネタバレ)
ダルタニアンがルイとフィリップの父であることと、ダルタニアンが死んでしまうこと。両方ともなかなかの仕掛けなのだが、この二つの要素は盛りだくさんすぎな気がする。どちらかだけでよかったのではないだろうか。
#根本的に、勝手にダルタニアンを殺してしまうシナリオはもいかがなものかと思うが…。

結果的に、仮面の男が出てくるまででピークを迎え、あとはラストに向かって、じわじわとボルテージが下がっていくという印象なのが、ちょっと残念か。ハリウッド的なノリと、ヨーロッパの物語の雰囲気が、交通事故をおこしそうな部分もあったがなんとか持ち堪えている。結果的になかなか楽しめたのは事実。

#またもや、ラジー賞が意味不明。別にディカプリオの演技はひどいとは思えない。ネイティブの英語が判る人には、耐えられないような大根演技なのだろうか?判らんねぇ。

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公開年:1960年
公開国:日本
時 間:88分
監 督:(演出)藪下泰司、手塚治虫、白川大作
出 演:小宮山清、新道乃里子、木下秀雄、篠田節夫、関根信昭、武田国久、尾崎勝子、白坂道子、巌金四郎、加藤玉枝、川久保潔、風祭修一 他






遠い昔、一匹の猿が石から生まれた。その猿は“孫悟空”と名乗り、仙術を使って大暴れし、華果山の山奥にある水蓮洞で王様となった。ある日、恋人の憐々のために、天上にある木に生っている桃を盗もうとするが、仙女に見つかってしまい、そこでも大暴れ。釈迦如来は戒めのために、悟空を五行山の岩穴に閉じ込めてしまう。悟空の身を案じた憐々は、毎日食べ物を運んでちたが、猛吹雪の日にとうとう倒れてしまう。哀れに思った観世音菩薩の慈悲により、天竺へ経文を取りに行く三蔵法師のお供となることで、戒めが解かれる。しかし、戒めが解かれた途端に暴れた悟空は、頭に輪をはめられてしまうのだった。やがて二人が桃花という村を通りかかると、長者の娘がブタの化け物に言い寄られてこまっていることを知る。悟空は化け物を退治しようと娘に姿を変えるのだったが…というストーリー。

2013年9月発売の『ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~』4巻で、この作品に携った経緯などが綴られている。ということで一緒にレンタル。

手塚治虫は、本作公開の前年まで『ぼくのそんごくう』という西遊記ベースの作品を連載していた。当然そういうバックボーンをを踏まえて東映はオファーしたのだろう。演出・構成に手塚治虫がクレジットされている。でも実際は、ストーリーボードを書いた程度で、ほぼ携っていない。その理由がなかなか興味深い。ウィキペディアをみると“多忙になったから”と書いてある(その他の書籍も同じ感じ)。しかし、『ブラック・ジャック創作秘話』によればそうではなく、手塚治虫の提出したコンテや進め方が東映動画の方針と合わなかったから…とされていた。手塚治虫の代わりのように本作に携った月岡貞夫のインタビューを元にしているのでこちらが正しいかと。
で、『ブラック・ジャック創作秘話』では、月岡貞夫の動画のテクニックに関するエピソードが紹介されているのだが(内容はマンガで確認してくだされ)、本作を観ながら、そのシーンと思われる場面で一時停止して確認するなど、なかなか愉しかった。事実、ヌルヌルと良く動く、良質のフルアニメーションだと思う。
まあ、それでも、西洋の神様が出てくる展開とか、三蔵法師が“空気”なところとか、手塚らしさの残滓はあるけどね。

結局、手塚治虫は本作に携ることができず、忸怩たる思いを募らせる。その結果、アニメという“愛人”に深く執着していくことになる(もちろんそれ以前からアニメに対する思いは強かっただろうが、この件で“偏愛”になっていったように思える)。
#孫悟空自体への思い入れも強かったから、けっこうダメージはあったと思う。

話は変わるが、おそらくこの作品は、私が小学校低学年の頃に、学校の理科室で上映されたのを観た記憶がある。劇場ではないが、きちんと映写した映画を観るのはそれが初めてだったと思う。つまり初めて観た映画かと。
何が強烈に記憶に残っているかというと歌である。「♪お~れはそんご~く~、そんご~く~」「おれ~がつ~くぅった、でたらめのうたぁ~」とか、キャッチー(?)なメロディー。一瞬で当時の雰囲気が蘇ったわ。

何十年ぶりにかに観たことになるけど、猪八戒のエピソードと金閣・銀閣を絡めるなど、翻案した構成が見事。子供が飽きない時間に納める必要があり、且つお経と取りに行く旅は、苦労の末に完遂しなければいけないことを考えると、綺麗にまとまっていると思う。
さすがに古臭さは否めないけど、歴史的意味も含めて良作だと思う。

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公開年:1963年
公開国:日本
時 間:89分
監 督:石井克人
出 演:久保明、土屋嘉男、小泉博、太刀川寛、佐原健二、水野久美、八代美紀、天本英世、熊谷二良、草間璋夫、岡豊 他







豪華ヨットで海に繰り出した、大学助教授の村井と教え子の明子、笠井産業社長の笠井とその愛人の麻美、笠井産業の社員・作田、作家の吉田、そしてこの航行のために臨時雇いした漁師の息子・仙造。はじめは楽しい旅だったものの、猛烈な暴風雨に遭遇。船の装備は破壊され、ただただ潮流まかせに南へ流されるだけとなる。水も食料も底を突き、死を覚悟したその時、深い霧の中に無人島を発見し漂着する。島で食料を探していると、人間のものらしき足跡を発見。その先には一艘の難破船があったが、乗員の姿はなく、船内にはキノコが群生しているのみ。どうやら核実験の影響について調査してた模様だが、発見された公開日誌には“船員が日々消えていく”“キノコを食べるな”“MATANGO”などという謎の文言が記されていた。その船で見つけた缶詰も無くなりかけ、7人は食料と女性をめぐって対立し始める。そんな中、不気味な怪物が出没し…というストーリー。

近所のレンタル屋の特撮の棚を探していたが見つからず。実はホラーの棚にあった。いやいや特撮でしょ…っと思ったのだが、内容を見て、確かにジャンルは微妙だな…と、まあ納得。
変なモノサシかもしれないが、こういう怪獣やヒーローが出てこない作品の場合、特撮技術がショボいかどうかで、ホラーなのか特撮なのか、線引きされてしまう気がする。だって、特撮のショボさで興醒めしたり、笑えちゃったりする場合があるでしょ。
本作の技術はなかなかすごいと思う。まず、ロケのシーンとスタジオセットの雰囲気の差が小さい。さすがにセットなのかロケなのかの区別はつくのだけれど、当時のこの手の作品と比較すると、シームレスだと思う。
それから光学合成のレベルが高く、それもいい加減な合成ではなくて、キチンと機器の特性を把握した上で効果的に用いられている。
#でも、私は特撮にカテゴライズしちゃうけどね。

アメリカがゾンビなら、日本はマタンゴってところか。じゃあ、ゾンビが大衆社会の象徴だとすると、マタンゴは何か?やはりマタンゴも同じく大衆社会を投影してると思う。ただし、仲間に噛まれて増殖…ではなく、空腹に耐えられなくなり手を出してしまい、それ以降が虜となって、終いには異形の生物になってしまうというプロセス。初めは自ら手をだしてしまうという構図。企業の宣伝なんかに踊らされて、いいように虜になってしまう、企業の宣伝やブームに踊らされている人々を揶揄している感じだろうか。

星新一が参加しているということで、そんな設定になっているのかな?なんて思いながらみていた。しかし、それ以上は、特に星新一らしさは感じられぬままラストへ。らしさはキャラの一人に作家がいるくらいかなぁ…なんて思っていたら、最後の最後、オチが完全に星新一で思わず笑いが漏れた。星新一が好きな私としては、このラストを観ただけでも正直満足できたかも。

基本的に、愉しめた作品ではあったのだが、もうちょっとこうしたらよかったな…という部分はいくつか。

中盤、滞在する船に侵入してきたマタンゴが、ふっと消えるシーン。菌に噴散した後に、また群体を形成するという設定なのだろうか。まあ、菌だからいいんだけど、もうちょっとその設定を生かしたシーンや展開があってもよかったと思う。
また、キノコを食べるまでマタンゴにはならないという設定なのか、マタンゴたちに襲われてもマタンゴになってしまうのか?という点。ラストを考えると両方ということになりそうだけど、食べなければ変身しないという設定一本に絞ったほうがよかったと思う。生き残った人も、自ら食べはしなかったけど、無理やり口にいれられて吐き出したけど、ちょっぴり摂取してしまいました…ということにするか、救助されるちょい前に、結局我慢しきれず少し食べちゃいました、くじけちゃいました…という『ミスト』的なオチでもよかったと思う。
あとは、女性と作家以外は、いまいちキャラが立っていないのも不満かな。

同様の“変身人間シリーズ”は他にもあるが、比較して出色な作品だと思う。

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公開年:1984年
公開国:イギリス
時 間:94分
監 督:スティーヴン・フリアーズ
出 演:ジョン・ハート、ティム・ロス、ラウラ・デル・ソル、テレンス・スタンプ、フェルナンド・レイ、フレディ・スチュアート、ラルフ・ブラウン、A・J・クラーク、レニー・ピータース、バーニー・サール 他
  
 
 
 
 
銀行強盗で逮捕されたパーカーは、司法取引に応じて、仲間のコリガンを売って刑を軽減される。それから10年が経過。出所したコリガンは、雇った二人組の殺し屋を差し向ける。冷徹で腕の立つ殺し屋ブラドックと、無鉄砲なチンピラ・マイロンは、スペインにいるパーカーを、コリガンが滞在するパリまで連れてくるよう命ぜられていた。二人は警備を突破してパーカーの拉致に成功。車で移動する途中、成り行きで一人の女性マギーを同乗させざるを得なくなり、スペインからパリへの奇妙な旅が始まる…というストーリー。

二人組が、地元のチンピラをつかってパーカーを拉致させ、その後、容赦なく爆死させるという手口に、こりゃあなかなかハードな展開になりそうだな…と思ったのだが、上述したとおり、奇妙なロードー・ムービーと化す。それが悪いというわけではないのだが、スケールがだんだん小さくなっていくのが、狙いなのかどうか、正直ちょっと困惑しながら観ていた。
#よく考えると、パリまで連れてくることが目的なのだから、差し向けるのは殺し屋じゃなくても良かった気がするが、まあ、そこは気にするところじゃないか…。

まず、緩やかながらも警察の保護を受けて生活しているパーカー。拉致されたあとも、妙に達観している。まず、これがストーリーの軸になる。彼はなんであんな飄々として態度なのか?そこを含めて、観客の集中力を削がせないストーリ運びはなかなかだったと思う。確かに、スケールは小さくなったがユニークで、一切飽きさせることがなかったのは認める。

そういうパーカーの言動に対する彼らのとまどいと、ティム・ロス演じるマイロンの軽率な行動によって、綻びが生じていく。さらに、女性マギーが加わって移動がむずかしくなる。二人で一人を監視するのは、給油やら食事なんかの上でも問題ないが、二人の監視は難しい。トイレに行くのも大変。ましてや白昼。真の目的はパーカーを運んで代金を貰うことなのに、なんでこの女を連れて行くデメリットを背負わなければいけないのか…という疑問が観客に沸く。
マイロンは素人だし、ブラドックもあわよくばマギーをどうにかできるかな…なんて考えたのかもしれないが、リアルタイムで警察に追われている状況なので、選択の余地はないだろう…。でも、そうはしないわけだ。そこにもうちょっと説得力が欲しかった。

で、やっぱり話のポイントは、何でパーカーが達観した態度なのか…、そこである。
(以下ネタバレ)
私は、何か逃げ延びるための策を遂行中なのかと思っていたのだが、そうではなかった。途中、ブラドックとマイロンを仲間割れさせようと画策するのだが、作戦がショボすぎておもしろくない。
逃げ延びる策があったのか否かはわからないが、とにかくパーカーはパリまでは行けると踏んでいた。結局、その予定が狂って、ブラドックは自分の保身に走る。殺さないでくれと懇願するパーカー。これで完全に私の興味の糸が切れてしまったかな。期待させておいて、その程度のカードであんな態度だったのかよ…と。期待していたキャラが小物だったことへのがっかり感。

運よく生き延びたマギーの証言によって、検問であっさり引っかかるブラドック。なんだお前も小物かよ…という、重なるがっかり感。もう少し、ピリピリとした心理戦が展開されると期待してしまった私が悪いのかもしれない。

本作の主役はブラドック演じるジョン・ハートだが、パーカー演じるラウラ・デルとティム・ロスの演技が彼を喰ってしまった印象。平板で終わってしまった印象だが、彼らの演技で救われた。いや、多分、私が過剰に期待してしまっただけで、そうじゃなかった人の中には、好印象の人もいたに違いない。
良作一歩手前ってところだが、日本未公開には至極納得。

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公開年:2011年
公開国:日本
時 間:114分
監 督:石井克人
出 演:妻夫木聡、永瀬正敏、松雪泰子、満島ひかり、安藤政信、津田寛治、森下能幸、寺島進、松田翔太、大杉漣、阿部力、我修院達也、テイ龍進、島田洋八、清川均、高嶋政宏、小日向文世、土平ドンペイ、友光小太郎、結田康太、江藤純、山本竜二、田中聡元、松原誠、城明男、加治木均、黒石高大、戸井悠太、松山尚子、川村寧麿、前野朋哉、近藤フク、山口あゆみ、南優、眼鏡太郎、星野あかり、夏川亜咲、外川貴博、内ヶ崎ツトム、伊方勝、もてぎ弘二、天乃大介、歌川椎子、紺野萌花 他



25歳の青年・砧涼介は、役者の夢に挫折して、日々ダラダラと過ごしていたところ、つまらないパチスロの儲け話にひっかかり、300万円の借金を追わされてしまう。返済のため、裏社会の便利屋・山岡のに斡旋する秘密の運送屋“スマグラー”の仕事をするハメに。仕事を仕切るジョーとその相棒ジジイとともに、ワケありのブツを運ぶ仕事に。しかし、初仕事で運ぶ荷物は、田沼組組長の死体だった。一方、組長が殺された田沼組では、幹部の西尾、河島らが躍起になって犯人を捜索。やがて、チャイニーズマフィアの伝説の殺し屋、“背骨”と“内臓”の仕業であることが判明する。組長の若妻・田沼ちはるは、組員たちの様子を冷ややかに見ていたのだったが…というストーリー。

マンガ原作らしいのだが、だからといっていかにもマンガだなぁ…という“臭さ”を残す必要はない。どの部分を言っているかというと、終盤の安藤政信演じる“背骨”を永瀬正敏演じるジョーが銃で襲撃するシーンである。シュタタターと銃弾を避けて天井までゴキブリのように高速で登る。興醒め。台無し。
そのシーンの前にも“背骨”の常人を超えたムーブを見せる場所は多々あったが問題はなかった。いや、むしろ、アクションシーンとしては、素晴らしい(アクション監督はなかなかの才能だと思う)。だが、このCGによるアクションは“クソ”。おそらく経験が浅く安価だったんだと思うが、つまらないところでケチってしまったなと思う。安藤政信も永瀬正敏も非常に良い演技だっただけに、残念なシーンだ。

妻夫木聡演じる主役の砧は、巻き込まれ系のキャラクターだが、主役というほど軸でもないし、狂言回しという役回りでもない。彼が主役であるためには、映画の中で変化、成長をする必要がある。何でも諦めちゃうダメ青年が、どう成長するか…という部分。
大杉漣と松田翔太演じる警官にバレそうになったときに、火事場のクソ力を発揮するシーンでは、変化、成長の片鱗が伺えるが、それ以降はさっぱり描かれない。終盤で高嶋政宏演じる河島に拷問されるわけだが、そこに到達するまでは周囲に流されるだけ。で、最後の最後で、一皮向けるという演出なのだが、なんで拘束具が外れるのか…という肝心の部分がよくわからん。
主人公による軸が作れないなら、群像劇のようにすればいいのだが、その他のキャラのバックボーンを描こうという演出は特にない。シナリオの構成が悪いってことなんだろう(って、シナリオも石井克人が書いてるんだけど)。

一方、松雪泰子のゴスロリキャラをはじめ、脇を固める役者陣は、かなりいい仕事をしている。高嶋政宏はちょっとやりすぎか?と思わせるところだが、ギリギリの線を探った仕事だと思う。“現場”清掃のおばちゃんたちまでいい演技だ。妻夫木聡はいつもどおりの凡庸な演技に見えるが、逆に何の色もない若者を演じさせたら右に出るものはいないんじゃないかと思い始めてきた。案外、長くやっていける人なのかも。

唯一、イマイチだったのが、満島ひかり。無表情で抑揚のないしゃべり方で、ちょっとツンデレというキャラクター。そういう演技を求められたのかもしれないが、正直、また同じかよ…って感じで、この手の演技は飽きた。旬な人ではあるけど、今一つ変化がないと、このまま消耗して終わってしまう予感がする。

役者陣のいい仕事と、アクション監督のいい仕事によって救われて、なんとか凡作に留まった作品。もう一度言うが、シナリオの構成さえしっかりできていれば、間違いなく快作になっていたはず。

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公開年:1978年
公開国:アメリカ
時 間:13分
監 督:アーニー・フォセリアス
出 演:スコット・マシューズ、ジェフ・ヘイル、シンディ・ファーガッチ、ボブ・ニッカーボッカー、ポール・フリース 他






家電大好き青年“フルーク・スターバッカー"は、悪者“ダーフ・ネーダー"に捕えられてしまった“アン・ドロイド姫"からのSOSメッセージを再生。彼女を助けるために、騎士“オージー=ベン・ドーギー"の指導のもと“ファース”を鍛え、密輸商人“ハム・サラダ”の船で敵陣に乗り込んでいく…というストーリー。

内容も収録時間も確認せず、「ああ、スター・ウォーズのパロディムービーなんだろうなぁ…」くらいの感じで、何気なく手にとってそのままレンタルしてしまった。こんな短い作品であることなど、一切確認せずに。
『スター・ウォーズ』だけでなく、その派生文化も含めて、すべて大好き!っていうフリークなら楽しめるのだろうが、そうじゃない人はポカーンな作品。

スターウォーズのパロディムービーはたくさんあるらしいが、『スター・ウォーズ』公開後に、一番はじめに登場したパロディムービーだった模様。そういう事情もあってこそ、ジョージ・ルーカスが本作について言及(それも好意的に)しているから、“伝説”扱いなんだろう。

“ハードウェア”っていうのは、宇宙船なんかを全てアイロンとかトースターに置き換えていることからきている。キャラクター名も適当。C3POもどきは『オズの魔法使』のブリキ男、R2D2はただの掃除機。極めつけは、チューバッカがクッキーモンスターの色違い(共通点は毛メジャなところだけ)。

このブログでは短い作品でも紹介してきたが、さすがに本作は取り上げるのを躊躇した(観なかったことにしようかと)。だって、パロディなりに一つのお話として完結できているならよいんだけど、予告編レベルで終わってしまっているんだもの。せめて、ダイジェスト的な感じだったらよかったのだが。

まあ、“ファンムービー”のパイオニアとして、映画史上の価値はあるのかも。監督のアーニー・フォセリアスは、『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』にも関わった模様。そういうのは夢があるよね。

マニア以外は観なくて良い。

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公開年:1983年
公開国:日本
時 間:136分
監 督:深作欣二
出 演:薬師丸ひろ子、真田広之、千葉真一、寺田農、志穂美悦子、京本政樹、大葉健二、福原拓也、苅谷俊介、目黒祐樹、夏木マリ、萩原流行、浜田明、ヨネヤマママコ、汐路章、岡田奈々、松坂慶子 他
ノミネート:【1985年/第13回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】参加作品




安房の館山城が、黒装束の騎馬侍達による襲撃をうけ、城主・里見成義ら一族は虐殺されてしまう。成義の一人娘・静姫だけが生き残り、叔父のもとへの脱出を図る。城を襲ったのは、かつて里見家が征伐した蟇田定包の妻・毒婦玉梓と、息子の蟇田素藤であったが。征伐のときに死んだはずの彼らは、悪霊“御霊様”に仕えることで、不死の肉体をもつ妖怪に変化し、恨みを晴らそうというのである。二人は、静姫の生き血を御霊様に捧げるため、彼女の行方を血眼になって追うのであった。そんな中、逃走中の静姫の前に、巡礼姿の二人連れが現れる。二人は犬山道節、犬村大角と名乗り、100年ほど前の蟇田一族征伐のあらましを説明。その後の、里見義実の息女・伏姫と飼犬・八房の逸話と、伏姫から飛散した仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の字を刻まれた霊玉を持つものが、里見家の姫を守る運命にあることを告げた。そして二人は、自分の霊玉を静姫に見せるのだった。はじめはそんな伝説を信用としない静姫だったが…というストーリー。

滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』をベースに翻案した作品で、脚本は『男女7人夏物語』の鎌田敏夫。
京本政樹演じる犬塚信乃と、志穂美悦子演じる犬坂毛野に因縁があって、それぞれ恋愛に関するエピソードがあり、さらに薬師丸ひろ子演じる静姫と、真田広之演じる親兵衛が恋仲になってしまうという、まさに“男女8人犬物語”の様相と呈する。

しかし、鎌田敏夫と深作欣二の相性が悪いのか、犬坂毛野と萩原流行演じる妖之介の偏愛がうまく描ききれておらず、犬塚信乃と岡田奈々演じる浜路との悲恋も盛り上がりに欠ける。こういう部分をうまく描いてこそ、鎌田敏夫脚本は生きると思うのだが、実に残念。

そのくせ、薬師丸ひろ子のたぬき顔があえいでいるアップを、洋楽をバックに延々と見せられる辛さよ…。その濡れ場の横のちょっとした岩の向こうに他の7人がいて、聞こえないフリをしているのかと思うと、おかしさを通り越して切なくなってくる…。これから最終決戦に向おうというときに、なにを性欲を爆発させているのか。それに、八犬士の一人は子供ぞ(笑)。
こんなシーンに尺を使うなら、他を厚く描くべきである。

やはり“八犬伝”なのだから、8人のキャラがすべて立つように努力すべきだったろう。寺田農演じる犬村大角、苅谷俊介演じる犬田小文吾と、子役が演じる犬川荘助は、存在意義が薄すぎる。犬田小文吾と犬川荘助は、大男に子供が乗っかっているという漫画でありがちなキャラだが、特殊能力もよくわからないし、最後にとってつけたように石になるだけで、なんか邪魔くさい。そうなのだ。何が物足りないかというと、特殊能力という特徴づけがうまくできないことだ。
大葉健二演じる犬飼 現八は、敵組織の一員として悪逆非道を尽くした人間。そういう人間が、これまでの闇をすべて背負って、静姫のために働く。過去の自分を恥じて、死んでも構わない、むしろ死んで当然という心持ちになるのは、いい流れ。全てのキャラが、このように心の闇や負い目、脛に傷もつ存在だったら面白かったと思う。

これだけドロドロを繰り広げておきながら、最後は青春映画チックに終わるという。まあ角川映画らしいといえばそのとおり。霊体の声が応援するくだりはいらないと思うけど…。
凡作…というか、正直どうでもいい作品かな…。
#JAC陣によるアクションは見ごたえ充分で、彼らによって大いに救われていると思う。

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公開年:1996年
公開国:日本
時 間:90分
監 督:藤田敏八
出 演:水野晴郎、かたせ梨乃、菊池孝典、アガタ・モレシャン、シェリー・スェニー、西田和晃、占野しげる、エリック・スコット・ピリウス、フランク・オコーナー、フィリップ・シルバースティン、(ナレーター)油井昌由樹 他






第二次世界大戦開戦前夜。ヒトラーとの会談を終えた山下奉文陸軍大将は、シベリア鉄道で帰国の途に着く。山下大将の部下・佐伯大尉と青山一等書記官が帯同していた。列車の他の乗客は、契丹人女性の李蘭、ウイグル人女性のカノンバートル、オランダ人女優のグレタ、ナチス中佐のユンゲルス、ソ連軍大佐のポロノスキー、ポーランド人商人のゴールドストーン。それに車掌を合わせた10人が一等車に乗り込んでいた。やがて、ポロノスキーが毒殺され、それと同時に李蘭とグレタが姿を消してしまう。佐伯と青山は犯人探しに乗り出すのだったが…というストーリー。

やっと見つけててレンタルした。これで、日本3大トンデモ映画の制覇である。
本編が始まる前に山下大将についての説明が入る。主人公の人柄を説明する必要があるのか?映画としてそういうことをやっていいのか?という疑問が沸くわけだが、純粋に水野晴郎が山下奉文のことがすきなだけなので、考えても無駄である。
そして、その後に水野晴郎が登場し、けっこうな長さで、反戦の思いなどを語りますが、劇場作品でこんなことやっちゃいけません。

さあて、やっと本編か…と思うと、“この映画は終わりのクレジットのあと、あることが二度おこりますので、決してお友達には話さないでください。”というテロップ。『シックス・センス』が1999年だから、本作のほうが先駆者だね!と(まあ、問題は何がおこるのか…なんだけどね)。

一等車が隔離されていると説明されているが、二等車側から入れなくするだけでよく、完全隔離するという極めて不自然な設定。密室殺人の舞台にするためとはいえ、根本設定がクソである。で、乗客がどんどん死んでいくわけだが、山下大将はずーーーっと部屋に座って、推理してるだけ。別にそれはいいのだが、事件自体が散発的で推理をする気力が失せる…というか、一本の筋できれいにまとまっているわけではないので、推理する意味がない。
ただ、水野晴郎の頭の中では、一本の筋でまとまっているのだ。全部戦争が悪い!ってね。ということで事実が解明された後も。「我々は何も見なかった。男同士が殺しあったのだ!」と、黙認して終了。いい変えれば「俺、しーらねぇ」って言っているのと同じで、腰が抜けそうになる。

セットの稚拙さもひどいもので、とても列車に見えない。それでも昔の列車だから装備なんてそんなもの…と思わせることも可能なのだが、車内のシーンでは列車の揺れすら感じることができない(まともなカメラマンなのだろうか)。陳腐さは列車の外側のシーンになるとさらに顕著。いや、外にでれるなら、他の車輌にいって応援を呼ぶことも可能だろう…と。
まあ、うわさどおりのヒデェ作品だな…と思っていたら、そういえば冒頭のテロップで何かが2回おこるとかいってたな…と思い出す。

(別にネタバレ注意する必要もないんだけど一応)
今まで演じていた役者が出てきて、はいご苦労さ~んとなる。まあ、エンドロール後なので、カーテンコール的にこういうのもアリかな…とおもっていたら、役者の間ですったもんだがおこりはじめ、かたせ梨乃が死んじゃうという。犯人は役者の中にいるのだが、まあそれは言わないでおくが、結局はかたせ梨乃が死んだのも、戦争のせいだ…というオチに。

その後、外国人役者たちは、この事件にうちひしがれつつも退場…となった後、かたせ梨乃復活。そして日本人役者だけで打ち上げ宴会がスタート。どういうこと?毛唐どもをだましてやったぜ!ヒヒヒ!ってことなのだろうか。1つ目はまあわからんでもないが、2つ目は演出意図が不明。

クズ演出が悪いのは明らかなのだが、もし、水野晴郎の言う反戦のメッセージが妥当なものであったなら、ここまでヒドイ印象ではなかったと思う。戦争した日本が悪い、ただただ戦争が悪いと叫び続ける浅はかさ。毎度言っているが、なんで戦争が発生するのか、きちんと突き詰めていかないと解決しないのは明白なのに、そこには頑なに目をつぶるというクズ思考。戦中生まれの戦後育ちって本当にクズ人間だらけだと思う。群を抜いて駄作だと思う。
#さすがに続編は観る気がおきないなぁ…。

さて、
『幻の湖』…北大路欣也、長谷川初範、かたせ梨乃
『北京原人』…本田博太郎、長谷川初範、北大路欣也
『シベリア超特急』…かたせ梨乃
『デビルマン』…本田博太郎

皆さんお気づきだろうか。日本トンデモ映画の役者が共通していることを…。北大路欣也、長谷川初範、かたせ梨乃、本田博太郎。この4人で作品を作ったら、アポカリプト的な何かがおこるのではなかろうか。だれか心中する覚悟で作ってみてはくれないだろうか。

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公開年:1975年
公開国:日本
時 間:89分
監 督:石井輝男
出 演:小川真由美、岡田裕介、金子信雄、田中邦衛、絵沢萠子、滝沢双、田島義文、近藤宏、河合絃司、相馬剛三、山田光一、山下則夫、土山登志幸、横山繁、亀山達也、岡本八郎、山本緑、宗田千枝子、岡久子、松井紀美江、田中筆子、津森正夫、南広、沢田浩二、清水照夫 他




ギャンブル狂いの西原房夫は、情婦の向田孝子から金をせびる生活を続けていたが、彼女の財産も付きかけていた。かつては、証券会社に勤務していた西原だったが、400万円ほど横領し競馬につぎ込んだことが発覚しクビになっていた。当時、医者の妻だった孝子が、財産を処分して不倫相手の西原を救ったため、刑事事件になることは免れていた。西原と孝子はそれから同棲生活を続けている。しかし、西原はひそかに一発逆転を狙っていた。昨今、多摩農協に連続しての脅迫状が舞い込む事件が報道されていたが、それは西原の仕業だった。実は、この脅迫状は警察の目をそちらに向ける為で、一方で三億円を強奪する計画を立てていたのだ。そんな、西原の挙動を不審に思った孝子が問い詰めると、計画を告白。借金に追われる生活にほとほと疲れ果てていた孝子は、西原の犯行を手助けすることを決めるのだったが…というストーリー。

オープニングで、実際に捜査に関わった刑事さんが出ててきて講釈をたれる。当時のこの事件に対する社会の反応を考えるとわからないでもないが、結局捕まえられなかった刑事が、時効を迎えようという時に、何かを偉そうに語る滑稽な姿。当事者が、嬉々として犯人の予測をする姿があまりにも滑稽に映し出されている。とにかく、警察機構を馬鹿にする製作側の意図が明確であることがわかる。
それにまんまと乗っかる馬鹿刑事。キャリア批判や、本作の内容に苦言を呈しているが、こんな馬鹿じゃ捕まらないだろうと、ある意味納得できる、冒頭の掴みである。

1975年12月10日時効成立の事件なので、それに合わせて公開をぶつけたのだろう。つまり時効前に製作されているわけで、下衆だとは思うが、商魂はたくましいと思う(興収に繋がったかどうかは不明)。

盗まれた金は東芝府中工場の社員のボーナスだったのは有名な話だが、保険がかかっていてしっかり翌日には支払われていたりと、日本国内で誰も損をしていない。この、誰一人悲しんだ人がいないというところが、ある意味で神格化に繋がって(というか、犯人の過大評価に繋がって)、捜査手法が曲がっていっているのが、本作を通してもよく覗える。

犯人像が正解か否かは別にしても、警察の不手際の連続については、事実をうまく綴れていると思う。本作のすごいところは、事件の経過や捜査の経緯、警察の不手際が全てといってよいほど、詳細に盛り込まれていること。wikipediaに書かれているレベルの内容なら、ほとんど描かれていると思う。90分未満なのになかなか。犯罪史的なおさらいの意味では、いい資料かもしれない。

しかし、”答えはこれだ!”的な内容をつくっては見たものの、これだけ人々の想像力をかきたてて、記憶に残っているであろう事件なだけに、明らかになっている事実との整合性はがっちり取らねばいけないわけで、荒唐無稽なフィクションでおもしろさを追求するわけにもいかず、面白みに欠けた結果になってしまった。
ギャンブル好きという設定が、3億円の行き先と絡められているのだが、それならだれも気付かないなぁ…という展開ではなく、もうすこし凝った仕掛けが欲しかった。また、ラストは、ひとりのはみ出し刑事が、勘で逮捕した犯人を、厳密には不法な取り調べで追い詰め続け、結局時効を迎えてしまうという内容。それまでの流れと比較すると、ダイナミックさに著しく欠けており、尻すぼみ感が著しい。

あ、色々文句は書いたけれども、三億円事件を扱った『ロストクライム -閃光-』なんかより、何倍もおもしろいのは事実。とてもユニークな作品だと思う。観て損だとは思わないはず。
ポイントは小川真由美だろう。くたびれながらもエロさただよう佇まいが、コントロールされてるのかコントロールしてるのか判然としないという、微妙な立ち位置にうまくマッチしていると思う。
#昔、片岡鶴太郎が金子信雄のモノマネをしていたけど、『仁義なき戦い』をみても全然似てねえと思ったのだが、本作の金子信雄は、まさにモノマネのそれだったわ。

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公開年:1984年
公開国:日本
時 間:133分
監 督:藤田敏八
出 演:時任三郎、藤谷美和子、田中邦衛、三船敏郎、原田芳雄、五月みどり、清水健太郎 他






フィリピン人の父親とのハーフであるジョーは、島袋一家の組員。島袋一家は琉球連合に所属していたが、破門され、警察署長立会いのもとで解散することになった。組長は一時的に大阪に退避すると決め、身の回りの世話をするために帯同するように、ジョーは兄貴分から命ぜられる。残り少ない沖縄の夜を楽しんでいると、バーでばったりであった琉球連合の組員といざこざになってしまう。その喧嘩が元で、ジョーの弟分・与那城が琉球連合の連中に殺されてしまう。ジョーは、弟分の仇を討つために、琉球連合の理事長を射殺する。警察の捜査を掻い潜り、安ホテルに潜伏後、恋人の洋子の手引きで逃亡。その足で、母親に金を残そうと実家に夜と、母親から、昔に送られてきたフィリピンの父親からの手紙を渡される。その後、バスの中で、かつて刑務所で一緒だった、過激派の一員だった上勢頭と再会。彼の手引きで、海外逃亡を画策するのだが…というストーリー。

藤田敏八監督の作風にマッチしていない話だと思う。いや、海外逃亡をするまでの、ありがちで小品という印象のストーリーを、どよんと湿った重々しい空気を漂わせた、いい雰囲気でまとめており、そこまでは評価できる。しかし、フィリピン逃亡後、二次関数的にスケールが大きくなるのに、監督の演出がそれに付いていけていない。
本作、三船プロ作品ということもあってか、ジョーの逃亡を手助けする役で、三船敏郎が登場。チョイ役っちゃあチョイ役なのだが、ボートを操舵する役で、おそらく実際に操舵しているし、南の島のロケにもいっているので、拘束時間は相当なもの。そこまでやるんなら、もっといい役をやればよかったのに…。でも、7指摘したいところはそこじゃなくて、三船敏郎が出ているあたりまでが、おもしろさのピークだってこと。

フィリピンパートは、おもしろくなっていく気配が感じられない。原田芳雄には申し訳ないが、訳知り顔のキャラクターは、展開にマッチしていないし、いまいちヤバイ橋を渡っている雰囲気も出ていない。逆にクレイジーさ満開で暴走してくれればよかったのだが、それでもない。中途半端。
もう一つの流れである実父の消息の話も、それらしい人に出会う…というただそれだけで、グッとくるシーンに描けていない。盛り上がりも切なさも皆無。
清水健太郎演じるルポライターがとってつけたように登場。本当にとってつけた登場で、これまでの筋とは無関係。そこから、琉球連合の追っ手に襲撃されるあたりが、超絶的に退屈。平板でパラパラマンガをみているようである。大体にして、カーチェイスも銃撃戦もショボすぎる。

このお話はハーフとして生まれたことでアイデンティティが確立できなかった成年がアウトローとなり、逃亡することで“土地”というアイデンティティすら失ってしまう。しかし、逃亡により自分のルーツを感じ、さらに思いも寄らぬ新しい家族を得る予兆で、自分というものが見えてきた矢先に、“ルーツ”への失望、愛を喪失してしまい、また根無し草となり絶望する悲劇なのである。全然描けていないでしょ?(てか、そんなテーマが監督に見えていたのかすら甚だ怪しい)。

藤谷美和子は、ものすごく可能性を感じさせてくれる演技なのだが、ポテンシャルのチラ見せで終わった感じ。一途に一人の男を愛し、懐妊したのに無残に殺されてしまうという展開にも関わらず、特に心にさざなみすらおこらないのは、監督のせいか、彼女の演技のせいか。

絶対、もっとおもしろくできたはずなのになぁ…と、思いながらラストを迎えた作品。こんな感じなら、100分くらいにまとめてスピード感を出せばよかったのにね。

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公開年:1972年
公開国:日本
時 間:87分
監 督:伊藤俊也
出 演:梶芽衣子、横山リエ、夏八木勲、渡辺文雄、扇ひろ子、渡辺やよい、三原葉子、根岸明美、国景子、片山由美子、城恵美、三戸部スエ、小林千枝、由貴リエ、室田日出男、伊達三郎、堀田真三、沼田曜一 他





Y県女子刑務所から脱走する松島ナミと由紀子だったが、所員の執拗な追跡により捕らえられ、手足を縛られて懲罰房入りとなる。ナミは刑務所に入るまでのことを思い出す。かつてナミは杉見という刑事の恋人がいたが、杉見は麻薬捜査の囮としてナミを組織に潜入させた。しかし、ナミが刑事の犬であることがバレても助けることなく、強姦されるのを放置。それを理由にして現場に乗り込んで麻薬を押収するが、その麻薬をネタにして麻薬組織に取り入ってしまう。杉原に裏切られたナミは、復讐のために杉原を襲うが致命傷にはならず、逮捕され収監されてしまったのだ。復讐に燃えるナミは、他の女囚から孤立しており、所員たちからも目を付けられていた。そんな中、ナミを始末したい杉見は、女囚の片桐に、不審な点が残らないように始末を命じるのだったが…というストーリー。

キル・ビルで本作の主題歌『怨み節』が流れるのは有名な話。作中のショットで『修羅雪姫』のシーンがオマージュされているので、そっちはみたのだが、“さそりシリーズ”は初見。梶芽衣子のクールビューティさと大胆な演技(ウマいわけではない)は、タランティーノが惚れるのも、至極納得。なんか梶芽衣子を見ていると、うまく生きられないタイプの人間なんだろうな…っていう印象がする。だからこそ、本作のような役柄が、見事にハマるんだと思う。大体にして、あまり台詞がないのにこのインパクトを残しているってのがすごい。
本人はそんなイメージを払拭したいと思うだろうけど、滲み出ているものなので無理。逆に吹っ切れほうがいい。

梶芽衣子が主演したのは、初期の4作だけだが、その後、何度も主演女優を変えて映画版やVシネ版が作られている。こんなに、続編ではなく純粋にリメークが繰り返される作品って、他にあるだろうか。それだけ魅力的な設定ってことなんだろう(まあ、1990年代以降は、中途半端なセクシー系女優の流れ先って感じもしなくはないが…)。

元が劇画ということなので、あたりまえなのかもしれないが、囚人服をはじめ刑務所内の様子など、まずリアルじゃない。ありえない。でもそれが、観客に穴探しやトンデモシーン探しなどを始めさせる気をハナから消失させているわけで、そのおかげで、ナミと一緒に観客も“復讐の鬼”と化すことができるのだ。
ストーリーもシンプル。女を女とも思わない非道な刑事。全共闘などによる学生運動が内ゲバによって自壊していく頃とはいえ、まだまだ社会権力側の不当な圧力に不満が鬱々としていた時代。いや、実際の活動が下火になっていったからこそ、フィクションに入り込めたともいえる。そして、一度は愛し抜いた男を殺そうとするという、やってることはハードだけど、その内部は実にメロウ。ラストでいよいよ両者激突という場面でも、これだけの仕打ちにあっていながら、一瞬手を抜いてしまうナミの姿に、女性は共感できるのか!?男性は女ってチョロいな!って思うのか(笑)!?

ガラス張りの床や、回転セットなど、暗転の多用など、アングラ芝居調なのも、この時代の特徴か。

看守によるエロ&エロなシーンは当たり前。レイプシーンなどあからさまで、日活の成人映画だっていわれても納得できるくらいなんだけど、配給は東映。時代を感じるね。
#この、囚人服のTシャツ欲しいなあ。作ろうかな。売れると思うよ。

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公開年:1983年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:フランシス・フォード・コッポラ
出 演:マット・ディロン、ミッキー・ローク、ダイアン・レイン、デニス・ホッパー、ダイアナ・スカーウィッド、ヴィンセント・スパーノ、ニコラス・ケイジ、クリストファー・ペン、ラリー・フィッシュバーン、トム・ウェイツ、ソフィア・コッポラ、デブラ・フューアー、ヘザー・ランゲンカンプ 他
ノミネート:【1983年/第41回ゴールデン・グローブ】音楽賞(スチュワート・コープランド)



高校生のラスティ・ジェームズは、学校をさぼり、ビリヤード場にたむろする不良学生。彼の兄は“モーターサイクルボーイ”と呼ばれる不良グループの伝説的なリーダで、2ヶ月前にふらりと街を去ったままだった。そんな彼に憧れを抱いていたラスティは、兄の消息が気がかりでならなかった。そんな中、敵対するギャング組織のリーダから決闘の申し入れがあり、まよわず受諾。当日、ガールフレンドのパティの家でイチャイチャしていたら、集合時間が過ぎてしまうという失態を犯すものの、なんとか駆けつけ、仲間のスティーヴやスモーキー、BJらとと合流。激しい果し合いが繰り広げられる。ラスティたちの圧倒的な攻勢で、決着が付こうかというその時、大型バイクに乗った兄が登場。兄に目がいった瞬間、ビフはラスティの腹部をガラス片で深く切りつけ、大量に出血してしまう。兄は、逃げ出すビスめがけてバイクを突っ込ませ、彼を吹っ飛ばす。大出血しながらも兄の帰還を喜ぶラスティだったのだが…というストーリー。

言われないと、コッポラの作品だとわからない作品だと思う。ほぼ全編に渡って白黒だが、タイトルのランブルフィッシュ(=ベタ、闘魚)がパートカラーになっている。ちょっとネタバレだけどラスト間際に、ガラスに映ったラスティもカラーになっている。

しばし失踪していたミッキー・ローク演じる“モーターサイクルボーイ”が色覚異常であることが語られる。だから本作は白黒なのか?ということは本作は兄の目線なのだろうか?でも、兄が観ていなかったり存在しないシーンも白黒。兄が死んでも白黒のままだったから、兄弟共に色覚異常か?とか考えちゃう。
帰ってきた兄は、ペットショップのランブルフィッシュにご執心。そんな兄の様子が変わってしまったことに弟ラスティは不安を覚える。さらに、死んだと思っていたと母に、カルフォルニアで会ったといいはじめる。兄に変化はそのせいか?大体にして自分が母親の面影をほとんど知らないので、疎外感は増す一方。

地獄の黙示録の青春版だとコッポラは言ったらしいが、意味不明。かつて兄が組織のリーダーとして君臨したことや、ラスティがそれを目指していることなどが、地獄の黙示録のカーツ大佐のそれと重なるということだろうか。ん~、正直ピンとこない。
やはりカラーで表現されている魚には意味があるんだろう。こんな狭いところに入れられているから、闘争心がむき出しになるんじゃないか、川に放せばそんな性質は消えるんじゃないか(実際、そんなことはないのだが)、と兄は言う。事実はどうであれ、あの魚は“開放”の象徴。では、何から開放できていないかというと、この街の人々の記憶や先入観、家族とのしがらみ。特にもう捨ててしまいたいのが、自分に憧れている人間がいて、道を踏み外そうと
しているという事実。そして結局自分もこの街に戻ってきてしまうという弱さ。

一瞬、ガラスに映ったラスティがカラーになったのは、兄の行動を見て、その思いに気付き、開放しかけたからだと思う。つまり、“モーターサイクルボーイ”が捨てたい、捨てるべきと考えるものすべてが、白黒なのではないかな…と。ということは、色覚異常の設定はミスリードなのかな…。あまり成功していないね。
ただ、色がない分、音で伝えている感じ。音楽はなかなかよろしい。

正直、コッポラの作品だから、こうやって深読みしようという気になるだけで、そうでなければ、なんか、ウジウジして割り切れねぇ作品だ!って、バッサリ捨てていると思う。ちなみに興収は大赤字だった模様。さもありなん。

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GO

公開年:2001年
公開国:日本
時 間:122分
監 督:行定勲
出 演:窪塚洋介、柴咲コウ、大竹しのぶ、山崎努、山本太郎、新井浩文、村田充、細山田隆人、キム・ミン、ミョン・ケナム、大杉漣、塩見三省、萩原聖人 他
受 賞:【2001年/第25回ブルーリボン賞】主演男優賞(窪塚洋介)、助演男優賞(山崎努)、助演女優賞(柴咲コウ、大竹しのぶ)、監督賞(行定勲)、脚本賞(宮藤官九郎)、撮影賞(柳島克己)、照明賞(高屋斎)、編集賞(今井剛)、新人俳優賞(窪塚洋介、柴咲コウ)
【2001年/第44回ブルーリボン賞】新人監督賞(内田けんじ)、ベスト10(第5位)


在日韓国人三世の杉原は、日本の普通高校に通う3年生。元ボクサーの父に鍛えられた腕前で、喧嘩や悪さに明け暮れ、警察に厄介になることもしばしば。杉原はかつては朝鮮籍で民族学校に通っていたが、ハワイ旅行をきっかけに朝鮮籍から韓国籍に変えた父親の影響なのか、国民学校がイヤになったのか、特に将来の進路も描けないまま、日本の高校に通うことを決める。そのお陰で、当時の国民学校の同級生からは裏切り者扱いされていた。ただし、国民学校開校以来の秀才と呼ばれる正一だけは、進路を違えても、今でも親友同士だった。そんな中、同じ高校に通っているヤクザの息子・加藤の誕生日パーティーに行くと、桜井という少女が声をかけてくる。ふたりはパーティの喧騒を抜け出し夜の学校へ。杉原はたちまち恋に堕ちてしまうが…というストーリー。

『ピンポン』とかを観て窪塚洋介はユニークな演技だなぁ…と思ったものだが、本作の演技もさほど変わらんではないか。結局、同じ演技しかでけんのじゃなかろうか。こういうタイプの役者さんは、飽きられるまで消耗に消耗を重ねて、からっからの雑巾みたいになっておしまいのタイプ。彼がそれだといえるほど、作品を観ていないのでわからんけど。

在日朝鮮人を扱った作品といえば、崔洋一や井筒和幸が思い出される。崔監督の場合は自分のルーツから逃れれないという言い方は変かもしれないが、どうやっても画面ににじみ出る同胞意識を隠すことはできないし、井筒監督の場合は、在日朝鮮人の方々と付き合いがあったり、そういう環境にいたこともあるだろうが、根本的にあらゆるものに“反逆”する姿勢(簡単に言っちゃえばクレーマー)の道具として、在日朝鮮人を使っているだけに見える(彼の場合、数々のはずかしい失言の繰り返しで、よく正気でいられるなぁ…というレベル。あ、いつも酩酊してるか…)。

で、行定監督に、そのようなバックボーンがどれだけあるのかは存じ上げないが、作品を観る限りは、ノンポリというか、ただ、そこにいる在日朝鮮人を素直に描いているように見えて、非常に好感が持てた。

端々で、杉原が日本の高校にいくことを、「それはいいこと」と薦める在日朝鮮人が登場し、大抵が女性であるのがおもしろい。実はは両親の密かな気持ちも同じだったという。山崎努演じる父が、韓国籍に変えたのは(まあ、その朝鮮⇔韓国の国籍変更が容易にできるシステムの良し悪しはおいておいて)、息子の将来のためだった…ということなわけだ。この両親は日本という社会で生きていく覚悟ができれば、帰化しても良いを考えている(と思う)。二世の世代だと、帰化しちゃうと親族との関係で色々あるんでしょ。いまさら帰化したって、メリットもデメリットもないという打算もあるだろうけど。

父親は非常に厳しい躾をしているにも関わらず、息子は警察のご厄介になるようなことばかりやらかしている。そんなことじゃ帰化はできない。それに、帰化しろなんて直球で言ったら反発されるし、そこは自主性にまかせたい気持ちもある。じりじりとした感情が見える。まあ、この在日朝鮮人、在日韓国人という微妙な立場で、且つそういう親心を滲み出させることに成功している山崎努と大竹しのぶの演技がスゴイんだわ。

杉原は、大学進学を選択するけど、国籍なんかどうでもいいという態度。でも、身も蓋もないことをいっちゃうけど、在日朝鮮人、在日韓国人としてアイデンティティを確立しようっていうのは、あくまで、その土地の社会的なルールをしっかり守った上で宣言できることで、おそらく杉原はまた同じような壁にあたるんだろうな…と。まあ、そういう終わり方で全然問題はない。

この話は恋愛の話だ…って散々、杉原の語りが入るんだけど、私はそれをミスリードだと感じている。在日朝鮮人の若者の苦悩!って感じの映画かと思ったけど、むしろ、国籍を超えた親の普遍的な愛を描いた作品だと思う。快作。
#実際、そんな了見の在日朝鮮人、在日韓国人の親が存在するかどうかは知らん!

話は変わるが、本作の柴咲コウはそれほどかわいくない。その反面、本作の大竹しのぶのチャーミングさが異常。『黒い家』なんかとの振幅を考えると、俳優としてのすごさが際立つ。なんか、最近、彼女のすごさがじわじわ理解できはじめてきたぞ。

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公開年:2011年
公開国:アメリカ、フランス
時 間:108分
監 督:オリヴィエ・メガトン
出 演:ゾーイ・サルダナ、ジョルディ・モリャ、レニー・ジェームズ、アマンドラ・ステンバーグ、マイケル・ヴァルタン、クリフ・カーティス 、カラム・ブルー、グレアム・マクタヴィッシュ、ジェス・ボレッゴ、サム・ダグラス、シンシア・アダイ=ロビンソン、オフェリア・メディーナ 他
コピー: 悲しき暗殺者、カトレア。
彼女の生きる意味――それはただ、復讐を果たすこと。


1992年、コロンビア。マフィアの幹部である父の元、9歳の少女カトレアは、幸せにくらしていた。しかし、マフィアの大物とトラブルになり刺客を差し向けられ、目の前で両親が殺害されてしまう。カトレアは必死の逃走の末、アメリカ大使館になんとか逃げ込む。そこで、、父から渡されていたICチップを職員に渡して、保護を受けることに。アメリカ移送中に職員の目を盗んで再び逃亡。シカゴに住む叔父の所へ身を寄せる。叔父は殺し屋組織の元締めで、復讐を堅く誓っていたカトレアは、15年後、叔父の下で凄腕の暗殺者に成長していた。いよいよ復讐の時を迎えたと感じたカトレアは、叔父には内緒で現場にカトレアの花を残し続けていた。その犯行の特徴に着目したFBIは、マスコミにリーク。それは、父を殺したマフィアへのメッセージで、マスコミに出るのはカトレアの目論見通りだったのだが…というストーリー。

どこかでみたようなありがち設定で、新規性は皆無に等しい。というか、リュック・ベッソンが製作と脚本を手がけているわけで、『二キータ』と『レオン』をミックスしたセルフリメイクって言っても良いレベル。加えて、2000年以降の彼がお得意の、曲芸的なハイスピードアクションが味付けとして加わる。
復讐の鬼と化し、15年も着々と技能を積み上げていったカトレア。華麗な暗殺の手口が彼女のゾーイ・サルダナのスレンダーな肉体にマッチしていて説得力がある。ラスボスの屋敷内でのバトルは、内装や日用品を使ったアクションなども多く、『96時間』のいいところがうまく継承されていると思う。

叔父ってことなので、父親か母親の弟なんだろうが、なんかこの叔父さん、一応黒人ではあるけれど、南アジア的な顔立ちで、父母とも似ていなくてピンとこない(が、まあ、そこは気にしないでおこう)。

(以下、ネタバレ)
リュック・ベッソンなので、そこに必ず人間の弱みが描かれる。本作のそれは、弱みというか一般人なら当たり前の行動への渇望。まあ、簡単にいっちゃうと性欲なんだけどね。名前も素性も明かさずに男と付き合うのだが、そのせいで、足がついちゃって15年来の計画は頓挫か?って展開に。
本作で興醒めされるとしたら、ここだろう。ただ、いよいよ目的を達成するために仕掛ける!って時に、何、性欲満開にしてるわけ?っていうね。まあ、話のキーだから仕方がない。

もうちょっとCIAの悪事を膨らませて、最後まで悪あがきさせて絡めればよかったと、個人的には思っている。話が大きくなってしまったけど、そのCIA野郎の悪事を隠蔽するために、CIAもFBAもわざとだんまりを決め込んで、さあ、カトレアさんやっちゃってください!っていう流れ。さりげなく逃げられないように道路封鎖したり、マスコミにカトレアさんが見えないようにしたり、生温かいバックアップの中、最後の復讐劇が展開。足を洗って脱出する際も、さりげなく逃がしてくれるとか、そんな展開はどう?
でも、エンドロールの後に、FBIやCIAにも置き土産してることが判り…的な展開がよかったなぁ…。でも、そこまでやったら、シリーズ化しちゃうか…。

いままでのキャリアを存分に生かして、卒なく作ったな…という印象。海外ではそこそこだったと思うが、ゾーイ・サルダナが『アバター』に出ていた人だからって、客を引き寄せる力なんか無かったと思うので、日本国内の劇場公開では大して稼げなかったのではなかろうか。でも、この手の内容は、レンタル屋のコンテンツとしては、強いはず。鑑賞後の感じも悪くないので、つまんなかった…というウワサが広まることもなかろう。
軽くお薦め。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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