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公開年:1997年
公開国:日本
時 間:115分
監 督:佐藤純彌
出 演:緒形直人、ジョイ・ウォン、本田博太郎、小松みゆき、小野賢章、片岡礼子、小島一慶、坂上忍、佐藤蛾次郎、長谷川初範、ケント・ギルバート、北大路欣也、丹波哲郎、哀川翔、大竹まこと、下絛アトム、引田天功 他
第二次大戦中に消失した北京原人の頭蓋骨を、2001年、日本の生命科学研究所が東シナ海の海底に沈んでいた船の残骸から発見する。研究所は、その頭骨からDNAを採取し、北京原人を蘇らせる計画に着手する。日本政府が打ち上げた有人シャトルにてDNA操作を行い、見事に実験は成功するが、その時隕石がシャトルに衝突。原人のDNAを積んだポッドが地球に落下してしまう。幸いにして日本の領海内の島でポッドは発見され、島には親子と思われる3人の北京原人が元気に活動しており…というストーリー。
『幻の湖』を観たら、もう一本のトンデモ作品を観たくなって早速レンタル。いやいや、さすがですわ。もう、箇条書き状態でいいだろうか。
ジョイ・ウォン演じる中国人研究者。「ニホンのヒコキにケキチンサレタンデス」それが喋れるんなら通訳いらねえだろ。ポイントだけ喋らせたい演出意図はわかるけど不自然すぎる。「私たちは北京原人を奪ったのではありません。返してもらったのです!」っていうセリフは、あまりに中国らしすぎて、今じゃ放送できないレベルかも。
手錠ハメられた瞬間に、血がでるほど赤くなるかよ。ジョイ・ウォンがらみは変なところが盛りだくさん。それに気付かない監督の負の才能がすごい
もっともらしいDNA複製の説明が入るのだが、これが1980年代の映画だっていうんならわからなくもないが1997年だからね。『ジュラシック・パーク』って1993年だよ。それを考えると、本作の科学描写が稚拙極まりない。
日本が有人シャトルを打ち上げただけで大事件なのに、その中で極秘に実験をするなんてことが可能なわけもなく、宇宙飛行士としての訓練をまともしていない研究員を搭乗させるのも、荒唐無稽すぎる。
さらにDNAの複製だけじゃなく、なんで“時間反転”とかワケのわからないことをしちゃうのか。急速に成長させたいので、無理矢理持ってきた設定だと思うが、そんな仰々しい設定をもってこなくて話は成立すると思うんだ。特別な培養方法で2,3年で成年になる。そのために無重力空間が必要だった…とかでいいじゃない。落下してくるのが、2,3年後でもストーリーには何の問題もない。
っていうか、待てよ?発見されている頭骨は一つだぞ。そこから何で3体の原人が復活できるんだ??????
北京原人が女性研究員を襲う設定、必要かな。丹波哲郎演じる研究所の偉い人が、人非人ってことを表現したいんだけど、なんか取って付けたようだよね。てか、3人の原人は家族の設定じゃないのかな。フジ・タカシ、ヤマト・ハナコと苗字をわざわざかえてるのは何でだろう。一夫一婦制ではないっていう設定?よくわからん。
トンデモの一番の最大要素である、北京原人を陸上大会に出すシーン。これ意味あるかな?北京原人の子供を客席に座らせる必要あるかな?競技場に集まったマスコミ、「あれ、おかしくないか?」おかしいよ。誰がどう見ても(笑)。
そういえば、『幻の湖』でも、主人公は走ってたよな。トンデモ作品は“走らせる”ようだ。頭がおかしくなった監督や脚本家は、走らせたくなるらしい。他にも共通点はある。それほど豊満ではない女性の裸の露出。なんだろう、この印象的な共通点は。心理学的な研究の対象ではなかろうか。
ちなみに、現在公開中の『ガッチャマン』は本作の監督の息子らしいね。トンデモを生み出す力も遺伝するのか、これも研究の対象ではなかろうか(笑)。
あれ、北大路欣也と長谷川初範が出てるぞ。この二人『幻の湖』にも出てる。3大トンデモ作品の二つに出てるって、役者のキャリアとしてどうなんだろ。
終盤になると、科学描写は破綻を極める。成体のマンモスが登場。いつの間に?ストーリー的に、マンモス必要か?と思うだろうが、おそらくDNAからの再生技術があるんだよ…という補足設定のためと、最後にマンモスに乗った画が欲しかっただけだろう。
DNAで再生した北京原人に、50万年前の記憶がある???はぁ?ここまでくると、もうどうにでもして…って感じ。噂どおりですわ。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:ジョン・ドイル
出 演:コリン・ファース、オーランド・ブルーム、エレン・バースティン、パトリシア クラークソン、アンバー・ タンブリン 他
ノースカロライナ州の田舎町ダーラム。町にある倉庫のオーナーである老婦人ジョージアナは、長年連れ添っていた夫を病で亡くし、孤独感からなのか、しばしばパニック発作をおこすようになていた。ある夜、パニック発作に襲われ、姪のウィラを電話で呼び出すが、ウィラは叔母を気遣いしばらく滞在することにする。世間話をする中で、倉庫をガス・リロイという男に貸したことを知る。大昔、その倉庫で火事を出したことがある為、ジョージアナは中を確認したいという。ウィラは、そんなことよりも、何を保管するのかも確認せずに倉庫を貸したことを不安視。ネットで調べると、倉庫を借りているのが産業廃棄物処理の会社であることを知る。翌朝、倉庫へ出向いてクレームをいうが、ガスの口車ではぐらかされてしまう。二人は、警察署へ出向き、保安官のハリスに対応をお願いするが…というストーリー。
本作と同年に出演した『英国王のスピーチ』でオスカーを獲ったコリン・ファースが出演している作品である。そんなコリン・ファースが演じているガス・リロイが、口八丁手八丁で産廃を田舎町に持ち込み、市長に対してもこの廃れる一方の町に工場を建てて潤わせますよぉ~なんて乗り込むわけである。いかにも悪者に臭いを漂わせ、これはやらかしてくれますよ~、きっとオーランド・ブルーム演じる保安官は大企業の横暴を暴いたりするんでしょ~と観客は思うのが自然かと。
しかし本作、サスペンスと紹介されていることが多いが、全然サスペンスじゃない。サスペンスなんだろうと期待して観ていると、かなりの肩透かしを喰らうことになる。
そのまま対立構造になるのかと思いきや、老婦人ジョージアナが実は極貧で、倉庫を借りてもらえることがウェルカム状態であることが判明すると、ガス・リロイを食事に招いて、産廃処理工場を建てることで町の雇用を増やし若者の流出を食い止めるという大演説にほだされる始末。始末…というか、聞いていた私も、彼の言っていることは理にかなっていると思ったくらいで、そこを基点に話のテイストがすっかり変わってしまうのだ。
挙句の果てに、リロイとウィラが、いい雰囲気にまでなってしまうという。
もう一本の話の軸があって、保安官ハリスと、学生時代の元彼女メアリーの話。ハリスは今でもメアリーを好きなのだが、メアリーはそれを知りつつも会社の上司と付き合って、裕福な暮らしを夢見ている上昇志向の女。その後、実は上司に騙されいたことを知り、ショックのあまりに町を出ようと決める…という展開なのだが、この話が、とても一本の軸になどなれない薄っぺらな内容。うまく作れば、町を愛するってどういうことだろう…みたいな内容まで昇華することはできたと思うが、結局何をいいたいのか判らない話で終わっている。
本作を紹介しているあらすじでは、住民が不信感を募らせていき…みたいなことが書いてるが、そんなシーンはない。町の住民は基本的に大賛成である。事故後に工場の建設話が白紙になったという描写はない。
最後は、何か無理矢理に社会派ドラマに仕立てようと…というか、本作は社会派ドラマですよ?え?そうだったでしょ?サスペンス?は?一体何のことですか?という声が聞こえてきそうな空気を醸しだして、エンドロールに突入する。
どうなんだろうね。個人的には“静かな珍作”だと思うけどね。
公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス
出 演:ポール・ダノ、ゾーイ・カザン、アントニオ・バンデラス、アネット・ベニング、スティーヴ・クーガン、エリオット・グールド、クリス・メッシーナ、アーシフ・マンドヴィ、トニ・トラックス、デボラ・アン・ウォール、アリア・ショウカット 他
ノミネート:【2012年/第28回インディペンデント・スピリット賞】脚本賞(ゾーイ・カザン)
コピー:人が出会い、恋におちるだけで それはすでに、ミラクル。
カルヴィン・ウィアフィールズは、19歳で天才作家として華々しいデビューを飾ったが、それから10年間、ヒット作を出すことができずスランプに陥っていた。すっかり心を閉ざしてしまい、兄のハリーとセラピストのローゼンタールと犬のスコッティ以外とは、会話をする相手もいない。ある日、ローゼンタールは、セラピーの一環として、大好きな人についてレポート書くよう指示する。気は乗らなかったが、カルヴィンだったが、夢に見た素敵な女の子“ルビー・スパークス”を主人公に小説を書き始める。書き始めると、ルビーに恋をしたようにするすると書き進めるカルヴィン。ところが翌朝、目を覚ますと、キッチンにルビーが立っているのだった。そして、彼が小説に書いたとおりにルビーは振舞う。自分の頭がおかしくなったと思ったカルヴィンは、ハリーを呼びつけると、ハリーにもルビーのことが見えている。彼女が実在していると確信したカルヴィンは、ルビーとの幸せな日々を楽しむのだったが…というストーリー。
『リトル・ミス・サンシャイン』の監督コンビによる、久々の作品ということで、非常に期待したのだが、ムムム…、ちょっと期待はずれだったかも。
自分が小説で書いた理想の女の子が突然目の前に現れ、加筆するとそのとおりの行動をする…という『マルコヴィッチの穴』のような荒唐無稽さ。理想的な女の子と付き合うことになったものの、時間が経過すると、耐えられないほどの苦痛が生じてくるという、『(500)日のサマー』のような恋愛模様。ユニーク!って言ってあげたいところだけど、この二作が合わさった作品。それ以上に、説明のしようがないと思う。いい形容なのでは?
理想の女の子…という設定で登場するわけだが、狙った観客の層が若めの女性だったのか、ゾーイ・カザンは女性ウケのよさそうなガーリーなキャラ。男性から見ると、あまり理想の彼女と思えないっていうのも難点かもしれない。
母親が再婚して変わってしまった…という設定も、ストーリー展開的にも、主人公の心理描写的にも、あまりいい効果を生んでいないのが残念。
ラストの受け取り方も地味に難しいかも。これは、似ている人間と出会ったということなのか、再び同じことを繰り返しているのか。さて次は実際の恋をしましょうね、どうなることやら…っていうハッピーエンドなのかな?でも、どっぷりSF的な設定が基盤になってるのに、こういう普通の終わり方はどうだろうね。
お薦めしにくい出来映え。
公開年:1974年
公開国:日本
時 間:82分
監 督:坪島孝
出 演:目黒祐樹、田中邦衛、江崎英子、伊東四朗、天本英世、広瀬正一、鈴木和男、中庸介、人見明、江村高志、藤村有弘、E・H・エリック、夏樹レナ、安西マリア 他
孤児院出身で、盗みの天才だが女には弱いルパン三世。実は、フランスの怪盗ルパンの息子である二世が世界中に作った子供の一人。二世はルパン帝国を築き上げていたが、マカ・ローニ一家に潰されてしまい、子供たちも次々殺され、日本人を母に持つルパン三世が最後の生き残りとなっていた。ある日、ルパンは護送中の峰不二子に一目惚れ。彼女の脱走を手助けしたのはよいが、そのせいで銭形平次の子孫・銭形警部らにマークされてしまう。一方、ルパン帝国の残党で、帝国の再興を夢見る次元大介が、ルパン三世を捜していたのだ。次元はルパン一族直系であることを説明するも、ルパンは帝国の再興にはまたく興味を示さない。そんな中、不二子の入れ知恵で世界宝石展開催中の会場から大量の宝石を強奪する作戦を遂行するのだったが…というストーリー。
タイトルの“念力珍作戦”なるものは、シナリオ上登場しなかった。何か、すごい作戦がはじまるのかと思っていたのだが、まったく。へんてこな射光式土器をめぐっての騒動はあったが、別に念力的なものはない。
『ノストラダムスの大予言』の併映ってこともあって、なんとなくでつけたのかと。いやはや“ノストラダムスの大予言”とは懐かしい。むしろこっちを見てみたいのだが、DVDを借りようにも、国内ではDVD販売されてまへん。海外発売版は容易に入手可能という情報もあるが、買い方がよくわからん。閑話休題。
いかにも低予算で、添え物という真の意味でのB級作品だと思う。Wikipediaを見ると、原作を意識しないで自由に作った云々と書いてあったが、原作漫画のノリに近い仕上がりになっているのではなかろうか。スマン。原作マンガはほとんど読んだことがない。ショボい合成などの映像効果を用いて、マンガ的な表現を行っているというほうが正しいかな。
実にくだらない表現が満載だが、いい大人が低予算で真剣にふざけていると考えると、なかなか味がある。本気になれば、もうすこしギャグの間合いとかに工夫できると思うけど、野放図に編集しているとしか思えず雑、とにかく雑。でも、結果的にその雑さのせいで、笑えなくなってはいるだけど、クレイジーなノリの醸成には成功している(怪我の功名的な意味で)。
アニメの印象を引きずれば、そりゃあ田中邦衛の次元大介はありえないだろうが、本作の設定を考えれば別におかしくはないだろう。現在、ルパン三世の実写映画を作ろうとしているらしいが、峰不二子のようなグラマラス悪女役が見つからず苦戦しているとか。本作の江崎英子演じる峰不二子は、アニメの不二子には程遠く、全然グラマラスじゃないけど、妙な安っすい色気で誰でも手が出せそうな独特のキャラになっている。アニメに似せようとする意味はないって証明してくれている作品だと思う。もし、オリジナル色が出せないなら、実写化なんか止めるべきなのかもしれない。
是非モノで見るべき作品ではないし、コメディとしては三流だと思うけど、珍味。あくまで珍味。
公開年:2003年
公開国:アメリカ
時 間:139分
監 督:ピーター・ウィアー
出 演:ラッセル・クロウ、ポール・ベタニー、ビリー・ボイド、ジェームズ・ダーシー、マックス・パーキス 他
受 賞:【2003年/第76回アカデミー賞】撮影賞(ラッセル・ボイド)、音響賞[編集](Richard King)
【2003年/第57回英国アカデミー賞】監督賞[デヴィッド・リーン賞](ピーター・ウィアー)、プロダクションデザイン賞(ウィリアム・サンデル)、衣装デザイン賞(Wendy Stites)、音響賞
コピー:1805年――ヨーロッパ征服を狙うナポレオンの前に多くの兵士の命が犠牲となった。窮地に立つ英国軍が、一人の艦長のもとへ送り込んだのはまだ幼い少年たちであった…。
1805年。ナポレオンに席巻さつつあったヨーロッパでは、海上でもフランスが圧倒的優勢となっていた。イギリス軍は多くの兵士の命が失われ、兵力を補うために士官学校の少年までも戦場に送らねばならない戦況。そんな中、12歳の士官候補生ブレイクニーら数人の少年たちは、伝説的な名艦長として名を馳せるジャック・オーブリー率いるサプライズ号に乗り込む。サプライズ号の任務は、フランス軍の武装船アケロン号を拿捕するというものだったが、圧倒的なスピードと戦力を持つアケロン号の前に、大苦戦を強いられる。幼い少年達はひたすらにジャック艦長を信じ、戦い続けるが…というストーリー。
過去に何度かチャレンジしたことがあるものの、毎回寝てしまう。今回は気合を入れて最後まで鑑賞。ガラパゴス諸島まで目が覚めていたのは今回が初めて(笑)。
アケロン号を目にして、ヤッツケタルデー!と気合入れまくり。冒頭からドンパチが繰り広げられるので、このままのペースで、さぞやすごい海戦が繰り広げられるのかと思いきや、戦力差がものすごくて劣勢&劣勢。それに相手の船の全容も相手の乗組員の人影すらも、最後の方まで全然でてこないので、緊迫感もイマイチ。幽霊船と戦っているがごとく。
そして、延々むさ苦しい船内の画が続き、たらたらと航海の様子が続く。ちびっ子将校が右手を失ってみたり、船医の希望でガラパゴス島に観察にいったりクロッケーをしたり、開頭手術をしてみたり、そして密閉空間ならではの精神的に追い詰められる船員あり。船内のエピソードは盛りだくさんではある。
まあ、実話を元にしたお話と思われるので、展開には制限があるのはいたしかたないが、海戦アクションってよりも、航海日誌ドラマみたい。技術面での受賞が多いが、たしかに大海原を臨場感満載で描けている。しかし結局、船の上なので退屈になるのは致し方ないか…。そのくせ、船内の構造とか広さとかがうまく伝わってこないのは不思議だけど。
ラッセル・クロウの締りの無いお体のせいでボヤけてしまっているが、熱い海の男達の生き様、マチュリン医師との友情、少年たちの成長という三本の筋がうまく絡み合ったシナリオで、悪くは無いのだ。海戦で男性の興味を惹いておきながら、実は女性でも愉しめそうな人間ドラマが主軸という、チグハグさが、本作の難点のすべてだろうね。
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ブライアン・デ・パルマ
出 演:ジョン・トラヴォルタ、ナンシー・アレン、ジョン・リスゴー、デニス・フランツ、ピーター・ボイデン、カート・メイ ドナヒュー、ジョン・アキーノ、ジョン・マクマーティン、デボラ・エヴァートン、J・パトリック・マクナマラ 他
B級映画の音響効果マンであるジャック・テリーは、風の音を録音しに、夜の郊外に出かける。その最中、自動車が川に転落するのを目撃。ジャックは乗っている人を助けようと、すばやく川に飛び込む。運転席の男は流血してすでに死亡しており、後部座席にいた女性を救出する。救った女性と一緒に病院に収容されるジャック。ジャックは病院で、車で死んでいた男が次期大統領候補だったことを聞かされる。しかし、大統領候補の側近は、見ず知らずの女性と車に同乗して死亡したことを家族が知る必要はないと、ジャックに口止めをする。その後、録音テープを再生すると、銃声がしているのに気付く。大統領候補が死亡したニュースは世間を騒がすこととなったが、すぐに事件を目撃したというマニーというカメラマンが現れ、写真を雑誌社に売り始め…というストーリー。
音響技師っていう特殊な設定をうまくつかっている、典型的な巻き込まれ系のサスペンス。主筋のプロットがしっかしている作品。それに、デ・パルマ独特の緊張感のあるアングルが相まって、いい味となっている。終盤の花火のシーンも、合成バリバリだけど、力強いアングルで印象的。
しかし、ディテールに雑な部分があるのが難点。雑誌の写真を繋ぎ合わせて、あんなスムーズな動画は作れないだろう。あまりにも綺麗に動くフィルムが出来上がっているものだから、こっそり女をつかって入手でもしたのかとおもって、「あら、見落としたか…」と巻き戻したけど、そんなシーンはなかった。
暗殺者とのやり取りでも、仕込んだマイクの音から、いかにもプロの音響マンだなぁ…っていう能力を発揮して、難局を打破していくっていう場面がないのも残念。駅に誘い出される時も、すっかり殺し屋のいいようにされて、プロとしての能力は発揮せず終い。
大統領候補暗殺の事件が、結局解明されないってのもすっきりしないし、ラストのオチも、ものすごく趣味が悪い。これを伏線回収といっていいのかどうか悩むレベル。一人の女性を救えなかっただけでなく、暗殺であること自体が闇に葬られたことを、無かったことにせざるを得ない虚しさ…というか、頭がおかしくなりそうなのに受け入れざるを得ない…という表現なのはわかるが、好みではない。
アメリカン・ニューシネマのオチってこうだったでしょょ?っていう人もいるかもしれないけど、アメリカン・ニューシネマ的なんだからこれでいいんだよてドヤ顔されでも困ってしまう。逆に、アメリカン・ニューシネマ的手法の終焉を象徴している作品にも思える(時期的にも)。
一歩間違えれば、滑稽に思えるオチをトラヴォルタの演技が救っているのは認める。
公開国:日本
時 間:164分
監 督:橋本忍
出 演:南條玲子、北大路欣也、隆大介、関根恵子、宮口精二、大滝秀治、星野知子、光田昌弘、かたせ梨乃、長谷川初範、室田日出男、下絛アトム、北村和夫、谷幹一、仲谷昇 他
トルコ嬢の道子は、ある日一匹の野良犬と出会いシロと名づける。その愛犬シロと琵琶湖の湖畔を走り続け、1年以上が過ぎた。一方で、トルコの仕事に疲れ始め、そろそろ潮時かも…と思い始めていた秋のある日、シロが何者かに撲殺されて発見された。心の支えだったシロを失った道子は、仕事を休み、犯人探しに躍起になり、手がかりを求めて東京まで出向く。昔の仕事仲間だったローザの協力により、犯人が有名作曲家の日夏であることを突き止める。なんとか復讐しようとするが果たすことができず、琵琶湖に帰った道子は、かねてより親切にしてもらっていた銀行員の倉田に求婚され、結婚を決意するのだったが…というストーリー。
日本映画のトンデモ作品といえば、かならず登場する本作。いや、本作と『シベリア超特急』と『北京原人 Who are you?』がトップ3かな(『デビルマン』が食い込みそうだけど、あれはトンデモでもなんでもない駄作だしな)。なかなか発見できなかったがやっと借りることができた。
まず、主人公がトルコ嬢というのがなかなかのパンチなわけだが、こんな作品が東宝創立50周年記念作品の一つだという。そんなことが許されるのだろうか。当時の東宝社員は何を考えていたのだろう。まず、冒頭の“ランニング指導”っていうテロップで、なんか笑けて来たりする。
大体にして、あらすじを書いていてイヤになる。“昔の仕事仲間だったローザの協力により、犯人突き止める”と書いたが、そのローザは、何か良く判らないが、日本の性風俗産業を調査するために実際に現場で働いていたアメリカの諜報部員という設定である。トルコ嬢として相当な期間を働いた結果が、“日本の性風俗産業は、昔の赤線のようには発展し得ない…”とか、それ働かないと判らんか???スポーツ新聞のピンク欄を読むだけでなんとなく判らんか?そして、そのレポートをまとめるシーンを、『パルプ・フィクション』ばりに時間軸を交差させて差し込む演出。そこまでする意味は?
実は、ストーリー的に、犬を殺した犯人の身柄を判明させる役柄のためだけに彼女は存在する。はたして、犬を殺した犯人を捜すために、わざわざアメリカの諜報員を持ち出さないといけないものだろうか。
164分と、地味に長かったりするのだが、そのくせ無駄なシーンが多い。冒頭の、銀行に金を預けろだ何だのすったもんだは何だったのか。経営側と主人公間の対立関係を表現しようとしているのかと思ったら、その後の展開において、両者は仲良しさんである。犬が殺された程度で仕事は長期間休ませてくれるは、犬を殺した犯人を捜すために警察との間は取り持ってくれるわ、親切極まりないじゃないか。
#話のキーポイントである犬の死だが、その犬の死体が本物ように見えた。これが一番怖かった。
で、復讐劇になるわけだが、その復讐というのが、ジョギングで追い抜いてギャフンといわせてやる…って、なにそれ。頭のおかしい人間の発想ですわ。なんか変なクスリでもやってるんじゃないかと…。このシナリオを、だれか止める人間は東宝にはいなかったのか…。
配役をみると、役者陣は異様に豪華。トルコ嬢の同僚役のかたせ梨乃だが、別に彼女でなければいけないどころか、彼女の役が必要だったか甚だ疑問。かたせ梨乃
の無駄遣い。さらに、突然、秀吉時代の描写になるのだが、そこでの関根恵子やら星野知子やら秀治やら北大路欣也が登場。別の映画のセットを転用したのだろうが、これまた本編の筋とは不釣合いなほど豪奢。秀吉の時代に、自分と同じように理不尽な恨みを抱いた人がいた…という話だけなのに、無駄に長く豪奢である。
このくだりは、笛の人の語りなのだが、良く考えると、何でシロが死んだって、笛の人が知ってるわけ?
最後、凶刃に襲われたヒゲのおっさんは、誰の助けも呼ばずに、追いかけられるままに素直に走ってるわけ?
こんだけ、ダラダラ長いのに、大局的に矛盾があるってどういうことよ?
無駄にスペース・シャトルの模型が精巧。色々、力の入れ具合が間違っているんだよね。
トンデモな内容でも、琵琶湖周辺のご当地映画くらいになってりゃ意味もあるんだろうけど、それにすらなっていない。いやぁ、噂どおりのスゴい奴だった。こんな作品を作った人間に、仕事を頼む気などせんわなぁ。
公開国:日本
時 間:99分
監 督:出崎統
出 演:松崎しげる、榊原良子、中村晃子、藤田淑子、風吹ジュン、睦五郎、田島令子、久米明 他
惑星ダグザード。賞金稼ぎに勤しんでいた重犯罪者捕獲人ジェーンとコブラが酒場で出会う。彼女の美しさに魅せられたコブラは、ジェーンの後を付けるものの、何故かジェーンは宇宙征服をたくらむ悪の組織ギルドの攻撃を受け、一緒に応戦することに。その後、二人はコブラの相棒レディの待つタートル号で宇宙に脱出。そこで、コブラはジェーンの秘密を知る。ジェーンは、実は死滅した後に宇宙を彷徨い続けているミロス星の女王の末裔で、ミロス星を蘇らせるためには、ジェーンの三つ子の姉妹、キャサリンとドミニクを捜し出さねばならないのだった。彼女たちはミロス星をコントロールするキーなのだ。コブラ一行は、キャサリンが捕えられているラホール星のシド刑務所へ向かう。しかし、キャサリンはギルドの幹部クリスタル・ボーイを愛していると告げ、ジェーンを殺害してしまう。ジェーンは絶命の間際に妹ドミニクを捜してとコブラに告げるが…というストーリー。
『コブラ』のアニメといえば野沢那智なのだが、本作は松崎しげるが演じている。本作のの数ヵ月後にTVアニメがスタートしているので、別に松崎しげるのデキが悪いから声優変更とかいうわけではなく、予定通りなのだろう。だってデキは悪くないもん。いや、もしかすると、野沢那智より原作のイメージに近いかも。個人的には好き。ちょっと抑揚に欠けて一本調子なのは否めないけど、本作だけなら許容範囲。
声優で難があるのは、ジェーン役の中村晃子かも。よくわからんが、北関東訛りのような妙なイントネーションがちらほらで、宇宙アドベンチャーの雰囲気に水を差すね。
原作のコブラは、左腕はカバーのようにスポっとはずれて、中からサイコガンがでてきるのだが、本作では、何かよくわからない力によって腕がサイコガンに変更する模様。あれ?クリスタル・ボーイを倒すギミックとしてスポっとはずれる腕って大事じゃなかったけ?どうるんだろ…と思っていたら、うまく解決していた。というか、本作のほうがおもしろいかも。
これだけではなく、ストーリー面でも、原作からはかなり内容がアレンジされているのだが、悪くない。いや、個人的には原作とかTVアニメ版のギミックにピンとこないと感じていたので、むしろ歓迎である。TV版の三姉妹の刺青の仕掛けとか、あんまりおもしろいと思わないから。
#タートル号のデザイン変更は、イマイチだけど。
出崎統が監督をしているのに、それほどサイケデリックというか何というか、一見しただけで東京ムービーだとわかる独特の絵柄は少なめ。多分、劇場公開では“立体3-D”みたいな仕掛けをしていたので、そっちの技術的制限があって演出が制限…というか寄っていったんだろうね。結果的に、アニメだけどアヴァンギャルドな雰囲気を作ることになっていると思う。
悲劇的なラストと松崎しげるの歌声を合わせることも、はじめから考えていたんでしょう。ラストのイメージがしっかり出来ている作品というのは、予算の高低とは無関係に、締まった作品になる…という良い例だと思う。単発のアニメ作品としては、なかなか見ごたえのある快作だと思う。
#とはいえ、『ブレードランナー』と同年の作品と考えると、手放しでは褒められないけどね。
ちなみに、本作は『メガフォース』というアメリカのSF映画との同時上映だった。さてどっちがメインだったか。『コブラ』だっただろう。『メガフォース』はラジー賞ノミネート作品だからね。
公開国:アメリカ
時 間:118分
監 督:シドニー・ポラック
出 演:ロバート・レッドフォード、フェイ・ダナウェイ、クリフ・ロバートソン、マックス・フォン・シドー、ジョン・ハウスマン、アディソン・パウエル、ウォルター・マッギン、ティナ・チェン、マイケル・ケーン、ハンク・ギャレット、カーリン・グリン、ラッセル・ジョンソン、ハンスフォード・ロウ 他
ノミネート:【1975年/第48回アカデミー賞】編集賞(Don Guidice、Fredric Steinkamp)
コピー:ニューヨークの真只中を襲った戦慄のワシントン指令! 全米恐怖の巨大組織CIAに挑む華麗なる男《コンドル》! 人気最高2大スターの初顔合せで 放つロマン・アドベンチャー!
クリスマス・シーズンのニューヨーク。アメリカ文学史協会の看板を掲げるビルがあるが、そこは実はCIAの下部組織で、情報部17課第9班の名称を持つ末端の秘密情報機関だった。そこで勤務するコードネーム“コンドル”ことターナーの任務は、ラップ博士ら8名のスタッフと共に世界中から集められた小説や雑誌の内容を解読し、コンピュータに入力することだった。そんなある日、ターナーは、昼食の買出しのために外出すると、その間に局員が皆殺しにされてしまう。彼は、表の公衆電話からCIAに通報。部長ヒギンズが本件の対応を行うこととなり、ターナーを劇場裏の路地で保護することに。ターナーを安心させるために、情報部17課ウィクスとターナーの知り合いの職員サムも同行させることに。しかし、いざ現場にくと、ウィクスがターナーめがけて発砲。ターナーも反撃しウィクスの右脚を打ち抜くが、ウィクスはサムを射殺してしまい…というストーリー。
『ザ・ヤクザ』の翌年の作品。音楽はルパン三世の大野雄二みたいなジャズ調で、とても雰囲気があってよろしい。内容もなかなか硬派なサスペンス物。典型的な巻き込まれ型のストーリーだが、それを“書物で知っただけ”の知識だけで切り抜けていくという設定がおもしろい。交換機がらみの盗聴ネタは、今ではありえないけど、なかなか愉しめた。
ただ、主人公であるターナーたちアメリカ文学史協会の仕事が、どうにもピンとこないのが玉に瑕。
各国の雑誌から何かを読み取ろうというのは理解できる(実際に世の中のスパイの仕事は、それが主だと思う)。ただ読んだだけでは判らないような、記事や文章に隠された謎のメッセージを読み取ろうというのは、まあ、フィクションとしては納得できる。ただ、その内容をコンピュータに入力したからといって、何かが判るとも思えない。なにか、特殊で複雑な暗号があって、雑誌や小説を用いて連絡に使っているので、OCRで読み取って機械的にそれを捜している…というならわからんでもないのだが…。昔のSFマンガに、コンピュータが巨大な脳にでも繋がっている描写があったりするが、それと変わらないレベルなのが残念。
主人公以上に巻き込まれてしまう女役のフェイ・ダナウエィが、これまた雰囲気のある良い演技。結局、ターナーに魅力を感じて協力するのだが、事情は良くわからないが、さみしい女なんだろう。彼女の撮った写真がさみしい感じという以外に、彼女の心の深層を想像するアイテムはない。一緒にリゾートにいく男友達はいる模様だが、だからといって充実した日々を送っていたとはいえない。もうちょっと“さみしい女”としてのバックボーンを描いていれば、より感情移入ができたかも知れない。
で、時代が時代なので当時は説得力があったのかもしれないが、結局、中東の石油ビジネスがらみというオチが、判ったような判らないような。ガチガチのサスペンスなのに、事件の根幹となる出来事がピリっとしない。ラストのやりとりが、格好良いと思えるかどうか。私は、結局どうなるのか検討も付かないし、ただモヤモヤが残っただけで、後味が悪かったけど。
私にとっては、渋いんだけど締まってない感じの出来映え。緑茶はうまいんだけど、付け合せがビーフジャーキーで、なんだかなぁ…っていう感覚に近い(判らんか…)。いや、多分、ポラック節が性に合わないだけなんだと思う。
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:ジョージ・ロイ・ヒル
出 演:マイケル・サックス、ユージン・ロッシュ、ロン・リーブマン、シャロン・ガンス、ヴァレリー・ペリン、ジョン・デナー、ペリー・キング、ロバーツ・ブロッサム、フレデリック・レデブール 他
受 賞:【1972年/第25回カンヌ国際映画祭】審査員賞(ジョージ・ロイ・ヒル)
ビリー・ビルグリムは、第二次世界大戦に参加し、帰還後はビジネスでそれなりの成功を収め、外見的には平凡な男だった。しかし彼は、自分の意思とは無関係に、過去や未来や現在を行き来するという、変わった能力を持っていた。ある朝、謎の部屋でガールフレンドのモンタナとイチャついていたかと思えば、次の瞬間には、ドイツ軍の捕虜となりドレスデンの捕虜収容所でナチスの虐待を受け、恐ろしい体験をする。そうかと思えば、帰国後の妻との出会いや、その後の凡庸でつまらない生活を追体験してうんざりすると、またもや捕虜生活に逆戻りする。そして、結婚1年後のビリー夫婦の家に移り、愛犬と一緒に湖畔に座っていた彼は空を飛ぶ光る物体が、近づいたり離れたりするのを目撃し…というストーリー。
いかにも珍作という雰囲気を前面に出した作品。主人公は、過去・現在・未来をヒュンヒュン移動するという設定がミソ。各時代の似たようなアクションやセリフを編集点として、時間が飛んでいく様子は確かに面白かった。
しかし、“時間と飛んでいく”という設定が、純粋にピンとこない。時空を越えて旅をしてるんじゃあくて、ただ、昔のことをフラッシュバックで思い出しているようにしか見えない。途中でモンタナが「また過去にいってるの?すぐわかるわよ、あなたの様子で…」というセリフがある。つまり、過去にいっている間はぼーっとしているわけで、時間を移動しているわけではないじゃない。中途半端な演出かな。
時間軸がずれている並行世界を意識だけが渡り歩いていて、別の世界にいっている間は意識を失っている…、そういうことかな?
でも、どの世界にいっても、結局ドイツに戻ってしまうところをみると、ドイツで瀕死の目にあって、その時の妄想だったりするのかな?なんて、この前『ジェイコブス・ラダー』を観たからかもしれないけど、そんな風に思ってしまった。ドレスデン爆撃のシーンが、やたら執拗に描写されているので、余計に。しかし、結局、SFになっちゃうという、斜め上の展開。正直、私にはその演出意図が、理解できず消化不良。
無理矢理に深読みすれば、捕虜施設にて全体主義/共産主義に対するやりとりがくりひろげられるが、伝えたい真意はそこなのかな…と。
反共産バカのアメリカだけど、争いは似たもの同士の間でしかおこらない。強い公権力で国民を支配するという統治手段や、対立のために周辺国を衛星的に陣営に取り込む手法は、アメリカも同じだからね。いや、言いたいことはわかる。でも、そういう反政府的な思考をもった人が、自分の思い通りにならないからって、SF的な作り話を持ってきて溜飲を下げてるようなのは如何なものか。切り口が鋭いわけでもなく、物陰でウジウジ文句いっているような内容は、嫌い。
#「ママの車、キャデラックなのよ?」の意味がわからんけど、結局アメリカを揶揄したいだけなのかも。
おまけに、“ドレスデンが広島以上?”とか、寝惚けたセリフもあるし。なんか白人の馬鹿さ加減が所々がにじみ出ているような気がする。
昇華しきれていない、奇形のルサンチマンを観せられた気分。でもカンヌでは賞がもらえる。体制に楯突いてりゃ価値があると思ってる、馬鹿カンヌ。
公開国:チェコスロヴァキア、イタリア
時 間:71分
監 督:ミロス・フォアマン
出 演:ヤン・ヴォストルチル、ヨセフ・シェバネク、ラディスラフ・アダム、ヴラティスラフ・チェルマク、フランティシェク・デベルカ 他
ノミネート:【1968年/第41回アカデミー賞】外国語映画賞
チェコの田舎町。消防署幹部の面々は、退役した元消防所長が不治の病に侵されていることを知り、記念品を贈ろうと考える。地元民との交流パーティを催し、そこを贈呈の場としよと考えた。目玉の出し物は“ミス消防士コンテスト”や景品の抽選会。消防署幹部の面々は、このパーティを成功させようと努力するものの、コンテストの参加者がさっぱり集まらず、必至で若い女の子に声を掛けまくる始末。おまけに抽選会の商品が、ちょちょこ無くなってしまう。監視をしても、やっぱり無くなってしまう。そんなドタバタの中、パーティはスタートするが、集めた女の子たちは、恥ずかしがってステージから逃亡。さらに、会場近くの家が家事になってしまい、あわてて緊急出動するのだが…というストーリー。
『カッコーの巣の上で(1975)』『アマデウス(1984)』などで知られるミロス・フォアマン監督の作品。プラハの春より公開年が古いので、チェコにいた頃に作られた作品だろうか。
何も考えずに観ていると、じいさん、おっさん連中が、くだらないドタバタを繰り広げているだけに思える。意図は不明だが、景品のテーブルの下で情事にはげんでみたり、コンテストに出す女の子を別室に集めて破廉恥なことをしてみたり。それがおもしろいなら別に問題はないのだが、「くだらね~~」って感じでもなかったりする。笑いのセンスが有るとか無いとかの次元ではなく、“笑い”という文化が当時のチェコスロヴァキアにあったのか?という疑問すら湧くレベル。
ただ、あまりに笑えないので、逆に考えてしまうわけだ。そして、気付いてしまうわけだ。そういえばここは消防署だよな?それにしては、いわゆるファイヤーマン的な人が存在しないことに。そう、まともに動けそうにもないおっさんばっかりなのだ、この消防署。冒頭に若者が一人出てきたが、アホヅラだ。
そのおっさんたちは、もちろん本業ではないパーティに全力投球。幹部と思しき人たちが、真剣にどうでもいいことに対して、ああでもないこうでもないとマジメに談義を重ねて、その議論の結果としてあらぬ方向に向かってしまうか、議論の途中で別の事柄が発生してしまい無駄な議論になってしまうかのいずれかなのだ。
おや、これは、社会主義国家における役人達を揶揄しているのではなかろうか?こういうドタバタ喜劇を繰り広げるキャラクターというのは、愛嬌がある姿に大抵は描かれるものだが、本作の消防署員には、あまりそれがない。とことん、無能で存在価値がない生物に描かれている。その極めつけが、消防士なのに、まともに防火ができないという姿。
鎮火後にパーティ会場に戻ってくると、景品が全部無くなっているという衝撃(?)の事態に。電気を消すので盗んだ人は正直に戻してくださーい、なんて小学校で泥棒騒ぎがあったときの教師みたいなことをやっちゃうと、なんと電気がついたら署員が景品を戻そうとしている。ヤバイってことで、またもや署員が集まって談義するのだが、そこでも「正義より対面の方が大事」なんていうトンデモ結論に達してしまう。でも、これって膠着した官僚組織にはありがち。いざ、パーティ会場に戻ると市民はすっかりいなくなっており、すっかり信用がガタ落ち。
この作品は、公開1 週間で上映中止になったらしいが、いかに政府が鈍感だとしても、自分達がターゲットになっていることに気付くだろう。まあ、そういう政府批判というバックボーンがあってこそ、意味が通じる作品。笑いというのは、ストレス状態からの開放という側面がある。そのストレス状態が現代の我々にはピンとこないものなのだがら、繰り広げられている笑い自体にピンとこないのは、あたりまえ。仕方が無い。
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:イアン・ソフトリー
出 演:ケイト・ハドソン、ジーナ・ローランズ、ジョン・ハート ベン、ピーター・サースガード、ジョイ・ブライアント 他
ルイジアナ州ニューオリンズ。看護師志望を目指しているキャロラインは、とある弁護士から住み込みの仕事を紹介してもらう。町外れにある豪邸に、老婦人のヴァイオレットと脳梗塞で全く身動き出来ない夫のベンが住んでおり、ベンの介護を手伝うというのがその仕事だ。ヴァイオレットはキャロラインのことを快く思っていなかったが、弁護士の強い推薦により仕事が決まる。住み込みが始まるが、ヴァイオレットが嫌いということで屋敷の中には鏡が一切なく、非常に生活が不便。また、至る所に魔除けのレンガ屑が敷いてあるなど、どこか異様な雰囲気だった。キャロラインは屋敷内すべての部屋を開けられる合鍵を与えられていたが、屋根裏に鍵の合わない部屋があることを発見する。ベンが脳梗塞で倒れたのが屋根裏部屋と聞かされていたこともあり、その部屋に興味を持ち鍵を壊して侵入。するとそこには、室内には不気味なものが並んでいた…というストーリー。
日本未公開作品。たしかに昨今のホラー作品のような派手な演出がないので、いささか退屈で凡庸な感じをを抱くことだろう。
身動きの取れないじいさんの介護を依頼されるが、そのじいさんは、キャロラインに何かを伝えようとしている。それどころか、身動きが取れないはずなのに、なぜか自力で窓を越えて、這ってでもこの屋敷から逃げ出そうとする。そんなことができるなら、どうにかして言いたいことを伝えるくらいできるんじゃないの?なんて思いながら観ていたわけだが…。
はじめから、すこし挙動もおかしいヴァイオレット。いかにも訳知り顔なので、じいさんが倒れた原因は知っていそうな様子。『ミザリー』みたいな感じ?でも、悪者なのかそうでないのか、なかなか微妙な雰囲気。魔術の知恵が付いたキャロラインが結界を張って、ヴァイオレットが入ってこれなくなったところをみると、やっぱり悪者なのかな?と思うのだが、実はそう見せておいて違うのかな?という余地も残しており、地味だけどしっかりと計算された演出ができていると思う。
登場人物が少ないので、展開の幅にも限界がある。ある意味、真っ向勝負のシナリオではある。
でもさすがに、助けを求めた弁護士が、ヴァイオレットの仲間か?!というところで、「ああ、結局、駄作かぁ…」とすっかり油断する。つまらない物に時間を使ってしまった…って思うくらいに、本当にすっかり侮ってしまうわけだが、突然落とし穴に落とされたように、この話の真相が襲ってくる(さすがにオチを言ってしまうとおもしろく無くなるので言わないが)
真相がわかったときの、脳内でギュルギュルーって音が鳴るような感じ。掃除機の電源コードを巻き取る時のような勢いで伏線回収される。ああ、はじめにキャロラインの体にタトゥーがあるかどうか聞いたのはこういうことか…、家族がいるかいないか聞いたのはこういうことか…、昔この屋敷で起こった出来事の話で、被害者の子供のセリフの意味はそういうことか…。
まあ、この作品は、四の五の言わず観ることをお薦めする。
『悪魔を憐れむ歌』とか、こういう系の作品は、基本的なアイデアは非常に面白いんだけど、最後までバレないように作り上げるのは難しいんだと思う。ヒントを与えて気付かれると後は興醒めだし、与えなさすぎれば観客を飽きさせちゃうし。本作はギリギリの線で持ちこたえた感じ。隠れた良作ってところ。
公開国:日本
時 間:95分
監 督:(総監督)庵野秀明、(監督)摩砂雪、前田真宏、鶴巻和哉
出 演:緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃、山口由里子、石田彰、立木文彦、清川元夢、長沢美樹、子安武人、優希比呂、麦人、大塚明夫、沢城みゆき、大原さやか、伊瀬茉莉也、勝杏里、山崎和佳奈、儀武ゆう子、真理子、宮崎寛務、手塚ヒロミチ、野田順子、斉藤佑圭、小野塚貴志、合田慎二郎、岩崎洋介 他
ノミネート:【2012年/第36回日本アカデミー賞】アニメーション作品賞
エヴァ改弐号機と8号機は、NERVが宇宙空間にて封印していた初号機を奪取。綾波レイを救出するために暴走し、意識を失っていた碇シンジを救出する。しかし、シンジが目覚ると14年が経過。ミサトたちはNERVから決別し、“WELLE”という組織を結成。奪取した初号機のコアを用いた巨大戦艦“AAA ヴンダー”を建造し、使徒やNERVのエヴァと戦っていた。何故かシンジは、ミサトやアスカたちから冷たい態度を取られ、さらにレイも救出されなかったと聞かされる。そして、クルーたちから二度とエヴァに乗らないよう厳命され、爆弾付きの首輪をはめられて軟禁状態を強いられるのだった。事情を理解できないシンジが混乱していると、そこにレイの声がシンジが。それと同時にNERV側のエヴァMark.09が襲来し、AAA ヴンダーを攻撃し機体を破壊。レイの声に促されるまま、シンジはMark.09の手に乗り脱出。ミサトは、シンジの首輪を爆破させるのを躊躇い、シンジをNERV本部行きを許してしまう。シンジは、以前とはすっかり様子の変わってしまったNERV本部で、父ゲンドウと謎の少年渚カヲルとであう。ゲンドウは建造中のエヴァ13号機に、カヲルと共に搭乗することを命じるのだったが…というストーリー。
特にエヴァファンというわけではないので、もちろん前作までのあらすじは記憶になし。わざわざ観返すヒマもないので、適当にネットであらすじを復習。ああ、綾波レイを救うために暴走して、サードインパクトか?!というところで終わってたね。
過去に一回だけTVシリーズをさらっと観たけど、“Q”になってまったく別の話になってしまったようだ。正直、TVシリーズは、微塵も面白いとおもわなかったので、本作のストーリー展開は歓迎。しかし、“Q”がクエスチョンの意味だとするならば、それほど新たな謎があったようには感じず、次回ラストのための地均しという印象。むしろ、マリが「ゲンドウ君」などと呼称することで、アンサーに限りなく近いヒントが提示されているような…。
そんなことよりも、冒頭の『巨神兵東京に現わる 劇場版』の方が気になる。もしかすると、エヴァの世界が終わった後、ナウシカの世界に繋げようとしているのではなかろうか。ナウシカの話の中で出てくる“火の七日間”とか“大海嘯”なんてのは伝説の中の話だから、“インパクト”に比定させることは十分に可能。NERVによる人類補完計画だてって、教団による浄化・再建計画に比定できるだろう(教団は科学者集団だもんね)。
そういえば、ナウシカは“白き翼の使徒”って呼ばれたっけ。シンジは再びインパクトを起して、その後使徒と同化。あのウジウジした性格を反映して卵化。ナウシカの世界の“オーマ”になる…とか(性格も近いような)。もしかして、壮大なサーガを計画していたりして。ナウシカの世界が浄化された後、コナンとかナディアの世界に繋がるとか。そのためには、コミック版のナウシカをアニメ化する許可を庵野秀明がゲットせねばならないが、それほどハードルは高くないような気がしてきた。
閑話休題。個人的には好ましい展開にはなったものの、シナリオ的には違和感が。
いくら情があるからといえ、インパクトを引き起こす種であるシンジの扱いが雑。彼女たちは世界を守ることを究極の目的に戦っているわけで、それを疎外する一番の要因を、簡単に自由にするバランス感覚に違和感を覚える。いっそのこと殺してしまってもいいほどなのに。これを説得力のあるシナリオにするためには、WILLE側にもシンジを生かしておく理由がなければならない。いや、きっと次作にその辺の説明があるかも? いや、ちょっと期待薄。それなら、首輪に爆弾を付ける意味との整合性が難しいもの。
サード・インパクトが中途半端なところで終わったという説明があったが、十分世界を破壊しつくしているように見える。AAA ヴンダーに乗っている人以外に、一般市民らしき人が一切でてこないので、彼らが何を守っているのか、何と戦っているのかが判らなくなるレベル。私怨で戦っているようにすら見える。この段階になると、いっそ素直にインパクトをおこしてリセットしてしまったほうがいいんじゃないか、何か問題があるのか?とすら思えてくる。“Q”は、次作ができる前に、増補版を作ったほうがいいのではなかろうか。
#CGをつかったカットが、あまり良いデキに思えないのだが、なんとかならんか。
順調に興行収入も伸びているので、世間的には好評なんだろう。個人的にはあまり興奮できない出来映え(まあ、好みの問題さ)。
#なんか13号機、『パシフィックリム』みたいだな。
公開国:アメリカ
時 間:165分
監 督:クエンティン・タランティーノ
出 演:ジェイミー・フォックス、クリストフ・ヴァルツ、レオナルド・ディカプリオ、ケリー・ワシントン、サミュエル・L・ジャクソン、ドン・ジョンソン、ジョナ・ヒル、ウォルトン・ゴギンズ、デニス・クリストファー、ローラ・カユーテ、M・C・ゲイニー、クーパー・ハッカビー、ドク・デュハム、ジェームズ・ルッソ、トム・ウォパット、ジェームズ・レマー、マイケル・パークス、フランコ・ネロ、ジョン・ジャラット、ニコール・ガリシア、アトー・エッサンドー、ドン・ストラウド、ラス・タンブリン、アンバー・タンブリン、ブルース・ダーン、クエンティン・タランティーノ、ゾーイ・ベル、マイケル・ボーウェン、ロバート・キャラダイン、テッド・ニーリー、ジェームズ・パークス、トム・サヴィーニ、サミ・ロティビ、レックス・リン、マイケル・バコール、ネッド・ベラミー、オマー・J・ドージー、エヴァン・パーク、リッチー・モンゴメリー、ジャロッド・バンチ、ジャマール・ダフ、トッド・アレン、ルイス・スミス 他
受 賞:【2012年/第85回アカデミー賞】助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ)、脚本賞(クエンティン・タランティーノ)
【2012年/第70回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ、レオナルド・ディカプリオ)、脚本賞(クエンティン・タランティーノ)
【2012年/第66回英国アカデミー賞】助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ)、オリジナル脚本賞(クエンティン・タランティーノ)
【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】オリジナル脚本賞(クエンティン・タランティーノ
【2012年/第22回MTVムービー・アワード】トンデモ・シーン賞(サミュエル・L・ジャクソン、ジェイミー・フォックス:ジャンゴによるスティーブンの処刑シーン)
コピー:これがワイルドだ。
南北戦争勃発前夜のアメリカ南部。賞金稼ぎのドイツ人歯科医キング・シュルツは、お尋ね者三兄弟の顔を知る黒人奴隷ジャンゴを見つけると、彼の鎖を解き放ち、三兄弟の追跡に繰り出す。その後、ジャンゴの腕を見込んだシュルツは、彼を賞金稼ぎの相棒にして2人で旅を続けることに。しかし、そんなジャンゴが真に目指す先は、奴隷市場で生き別れた最愛の妻ブルームヒルダのもと。やがて、彼女が極悪非道な農園領主カルビン・キャンディに売り飛ばされたことを突き止めたジャンゴとシュルツ。2人はキャンディに近づくため、ある周到な作戦を準備するのだが…。
165分となかなかの長作。でも、テンポの良い作品という印象はないのに、観終わった後、何故かその長さを感じない。「ああ、こんなに長かったんだ…」って感じ。タランティーノのシナリオが優秀すぎるんだと思う。ちょっと神が降りてきたレベルかも。
場面転換でダレそうなところなんだけど、音楽のチョイスが絶妙すぎて、別の街へ移動しているだけのシーンでも、いい気分に浸れるほど。
この選曲のセンスは、今の日本映画にはないなぁ。
クリストフ・ヴァルツが助演男優賞を数々受賞ているが、彼の演技もさることながら、Dr.シュルツというキャラクターの設定が非常によかったと思う。かなり割り切った守銭奴として登場するが、反面それ以外の思想面はフラットだといえる。人種差別なんか金の問題に比べれば、どうでもいい…って感じ。でも、ジャンゴという“人間らしい”黒人に出会うことで、自分の中にある何かに気付く(簡単に“自由”とかいいたくない)。別にシュルツが黒人奴隷問題に目覚めたってわけじゃなくて、ジャンゴという人間の魅力を素直に認め、さらに尊敬に似た感情を抱いていく。
最後の「我慢できなかった」という台詞。これが、彼の内面の変化をすべて表しているね。どうしてそこまでジャンゴに手を差し伸べ続けなければならないのか…と、鑑賞中は思ったのだが、たった一言で腑に落ちる。
一見、無駄とも思える会話の応酬に、耳を奪われるのは、あいかわらずのタランティーノ節。白覆面のくだりとか、もうどうでもいいのに、聞いちゃう。居酒屋で隣の席のおもろいおっさんの話に思わず耳を傾けてしまうアレだわ。
地主キャンディと奴隷頭スティーブンのコンビ。おそらく実際の大農園では往々にして存在したであろうこの構造。キャンディの狂気とお坊ちゃま性の共存具合をレオナルド・ディカプリオが見事に演じ(というかキャスティングが良い)、従属と支配というアンビバレントな要素が見事に混在している“悪魔”スティーブンをサミュエル・L・ジャクソンが演じている(こっちは、演じているというよりも、“化身”しているレベル)。「いいから、書斎にこい!」このささやき一つで、真の関係性が見えるってのがすごい。
無駄なおもしろおしゃべりと、こういう一発でキメる台詞の振幅がすごい。やっぱり、このシナリオすごいんだよ。
人種問題もそうだけど、女性の地位向上についてだって、最終的な敵は“味方サイド”にいる。いつまでたっても全然問題が解消されていない…っていう世の中の出来事の半分の原因はこれ。もう半分は、問題の対立構造で得をしているやつがいて、維持している。
復讐というテーマを前面に出して、こういう社会構造の影にも切りつけている。シナリオの多重性という意味でも優秀。『イングロリアス・バスターズ』でも人種差別を扱ったが、やっぱりナチスを出すとふわっとしちゃう。自国の歴史で且つ黒人奴隷問題という
#そう考えると、ある意味、本作も昨今のリンカーン物連発の流れっちゃあ流れではあるな。
主人公ジャンゴの話にならなくて申し訳ないが、闇雲な暴走者でもないし、知恵者ってわけものないが、確実に青白い復讐の炎を絶やすことが無い、冷静なリベンジャーとしてのジェイミー・フォックスの演技は良かった。格好よい。
#なんで、炭鉱送りからキャンディの屋敷に戻るとき、裸馬にしたのか意味不明だが、なんかのパロディだろうか(すまぬ、西部劇は詳しくない)。
『アメイジング・スパイダーマン』がTSUTAYAオンリーだったのは、まああの程度の出来なら許容範囲か…と思ったが、本作がTSUTAYAオンリーなのはいかがなものかう。もっと広く観てもらいたいレベルの作品。
#コピーが、超絶的にダサい。これ考えたヤツは、2年くらい昏睡状態になればいいのに。そう思うくらいダサい。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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