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公開国:日本
時 間:94分
監 督:坂本浩一
出 演: 白石隼也、福士蒼汰、吉沢亮、奥仲麻琴、戸塚純貴、高山侑子、入来茉里、中山絵梨奈、篤海、KABA.ちゃん、小倉久寛、高橋龍輝、清水富美加、坂田梨香子、冨森ジャスティン、志保、土屋シオン、田中卓志、須賀健太、足立梨花、遠山俊也、真野恵里菜、原幹恵、渡部秀、三ツ矢雄二、関智一、デーモン閣下 他
コピー:究極のショータイム、開幕!
太古の昔に、人類に地底に追いやられた魔界の者、3人のアクマイザー”が地底から復活。地上侵略を再開する。人間の精神世界“アンダーワールド”の魔力を用いてモンスターを無限に生産するマシンを製造。怪人達を続々と生み出していく。一方、如月弦太朗はゾディアーツらとの戦いから5年後、新・天ノ川学園高校の教師となり、“宇宙仮面ライダー部”の顧問をしていた。しかし、生徒の一人・風田三郎らが“怪人同盟”と称して超能力を発揮して反抗。宇宙飛行士となった城島ユウキが乗る宇宙船を爆破すると宣言する。弦太朗はユウキを救うため、かつての仮面ライダー部を緊急招集する。一方、操真晴人たちは、マシンから生み出された怪人による騒動に巻き込まれる。解決するために、マシンに囚われている人物のアンダーワールドへ侵入した晴人達は、美少女仮面ポワトリンと出会うにだった…というストーリー。
ここ数年の仮面ライダー映画は、二つのストーリを交互にというパターンが続いているが、難点はその二つがぶった切れていて、さほど相乗効果がないこと。いっその事、同時上映で別の話にしたほうが、子供の集中力が続くだろうと思える点。
また、往年のヒーローを悪役にするパターンも継続。今回は、イナズマン、アクマイザー3、美少女仮面ポワトリンと盛りだくさんで、ちょっとインフレぎみ。前回のキョーダイン同様、ヒーローを悪役にするのは違和感があるというか、もったいないというか…。
イナズマンが妙に人間っぽくて気持ち悪いが、原作のイナズマンはこんな感じでむしろ忠実かも。ただ、ガーラの気色悪さはいただけない。悪役としての方向性を考えても、何かデザイン的に(というかバランス的に)何か間違っている気がする。
まあ、いつものお父さんサービスに加えて、美少女ヒロインというお母さんサービスの試みは、商業的実験としては面白いと思う。
今回は、ストーリー的にはかなりがんばっており、かなり好感が持てた。二つのストーリーは、タイムスリップネタながら繋がりに不自然さは無く、よく練られていると思う。はじめてまともに一本に繋がっている作品に思える。
上村優ことポワトリンを演じる入来茉里には申し訳ないが、仮面を被った顔は、はっきりいってブサイク(オリジナルの花島優子は、際立って美人というわけではなかったが、鼻筋が通っていて仮面栄えした顔だった)。でも、ブサイク設定でも別に問題無いのか!という、素敵(?)なオチが待っている。これは、脚本家はよくがんばった。仮面ライダー映画にしては、めずらしくまともにオチをつけた。でも、入来茉里というかホリプロ的には、それでいいのか?とは思うけど(笑)。
惜しいのは、オーズやダブルを登場させるくだり。8人ライダーを揃えるという展開は、往年の仮面ライダー作品を知っているお父さんにはうれしい流れだが、オーズ、W、アクセルの指輪は、一体どこから来たのやら。フォーゼの指輪はそれなりに理屈をつけていただけに、もうちょっとがんばって理屈を考えて欲しかった。怪人同盟の流れでも繋がっていていて良く練られているのに、もう少しがんばれなかったものか…。
まあ、とにかく、こういうシナリオを続けることができれば、仮面ライダー映画はワンステージ上がっていくのかもしれない。そんな感じで期待できる作品だった。
ただアクションが売りといってよい坂本監督だが、ワイヤーアクションにマッチしていないムーブが多くて違和感バリバリなのが気になる。シナリオがよくなったら、アクションがダメになるとか、がっかりさせないでほしい。
インガ役の原幹恵はよっぽどスタッフに気に入られたのか、いてもいなくてもいい役回りなのに、今回も登場。まあ、とにかくガンガン動けるし、使い勝手がいいのはわかる(ただ、流星と友子の関係がボヤけるけど)。
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:デニス・リー
出 演:マイケル・シーン、トニ・コレット、ジェイソン・スペヴァック、サマンサ・ワインスタイン、フランク・ムーア、アーロン・エイブラムス 他
祖父スタンと母パトリシアと共に暮らす少年ヘンリーは、生まれてすぐに会話をするようになった天才少年。彼は一度聞いたことをすべて記憶してしまう。同じ年齢の子と一緒に教育を受けることは困難で登校を拒否されることもしばしば。憤慨したパトリシアは10歳のヘンリーに強引に大学受験させると、大学側はヘンリーの能力に驚愕し、多額の奨学金を与え入学を認める。しかし、ヘンリーにはとある悩みがあった。それは、自分の父親が誰なのかパトリシアが語ろうとしないこと。スタンに相談すると、ヘンリーは驚愕の事実を聞かされる。女性の権利向上運動家のパトリシアは、精子バンクを利用して妊娠・出産していたのだ。さらに、同じ精子から生まれた姉まで存在することをスタンは調べてくれた。それを聞いたヘンリーは、遺伝子上の父と姉に会ってみたいを考えるのだったが…というストーリー。
ジュリア・ロバーツが製作総指揮に名を連ねている作品。なかなか良い作品だと思うんだけど、日本未公開なのが不思議。たしかに目立った俳優は出ていないし派手な内容でもないが、単館上映すらないとは…。
明らかに周囲の子とは異なる能力を持ってしまった故に苦労する少年ヘンリー。しかし、その賢さ故か、表立ってヘコむこともないしグレることもない。そんな彼が、やっとこだわりを見せたのは、遺伝子学上の父が誰かということ。そこから、彼の冒険が始まる。
生まれてすぐに言葉を話す…という突飛すぎる設定は不要だったかもしれない。幼児で高等数学を解するくらいでストーリーは十分成立したと思う。ただ、何でも記憶するだけで論理的な思考ができるわけでもないし、創造力が高いわけではないので、あまり記憶力に特化した設定にするのは、無理があったかもしれない(そういう子は大抵サバンなので、日常生活に支障をきたしているのがほとんどだ)。
無駄な演出があるせいでボヤけているのも認める。例えば、ヘンリーとスタンのスペイン語の会話を立ち聞きし、こつこつ訳すが、途中までしか立ち聞きしておらず、スタンが父親の存在をヘンリーに教えたと勘違いするくだりがあるが、それ必要か?とか。
また、良く考えると、ちょっとわかりにくい部分も。ヘンリーは、同じ精子から生まれた子がいるという情報から、オハラ博士に辿り着いたのだから、オハラとヘンリーが親子なら、自動的にオードリーとヘンリーは姉弟なのでは?とか思う。まあ、オードリーは、オハラの精子から生まれたのか、グンターの子なのか、判然としないから調べたんだな…と、考えるとわかるんだけど、一瞬あれ?となる。
なんでパトリシアまでDNA検査してるわけ?彼女とヘンリーの親子関係は確実でしょ?
大人なんて大きな子供。子供の時についた心の傷は、大人になってもそのままで、大人らしくあれと思っているから、そのギャップに苦しむ。登場人物全員が、心の傷で形作られたキャラばっかりなのが良い。賢いけれど無垢なヘンリーは、とてもまともな大人とは思えないスタンと一番ウマが合う。だって二人とも、自分がどんなもんかわかっていて、嘘がないからね。むしろ、他の年長者は、自分の心の傷を覆い隠して、私は大人でございますと偽って生きているんだもの。
パトリシアもオハラも、少しずつ自分の中に傷があることを認識しはじめ、彼らは変化していく。このデニス・リーという監督が脚本も書いているんだけど、正直、穴のある脚本だし、演出も迂遠な部分を整理できていないと思う(カナダに逃げた兄のくだりとかも、あまりうまく消化できていないよね)。でも、そこはキャリアが浅いと思って大目に見てあげるべき。人って、いつでも成長できるチャンスがあるんだ。ちょっとしたきっかけで踏み出すことができるんだ。やさしくなることができるんだ…という、主題は十分に伝わってきた。
あえてお薦めしようと思う。もしかすると、今後、いい作品を生む監督になるような気がする。エピローグに少しセンスを感じるんだよね。
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
出 演:キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング、グロリア・フォスター、マーカス・チョン、ジュリアン・アラハンガ、マット・ドーラン、ベリンダ・マクローリー、アンソニー・レイ・パーカ、ポール・ゴダード、ロバート・テイラー 他
受 賞:【1999年/第72回アカデミー賞】視覚効果賞、音響賞、音響効果編集賞、編集賞(ザック・ステーンバーグ)
【1999年/第53回英国アカデミー賞】音響賞、特殊視覚効果賞
【2000年/第9回MTVムービー・アワード】作品賞、男優賞(キアヌ・リーヴス)
【2012年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
コピー:なぜ 気づかない
近未来。コンピュータ・プログラマーとして働くトーマス・アンダーソンは、“ネオ”と呼ばれる凄腕ハッカーという裏の顔を持っていた。ある日から、夢を見ているような不思議な感覚に悩まされ、自宅のディスプレイに不思議なメッセージが出現するようになる。それに従い行動すると、伝説のハッカーであるトリニティと出会う。トリニティが美女だったことに驚くネオは、彼女に導かれ、モーフィアスと名乗る男に出会う。モーフィアスは、この世界が、実はコンピュータが創り出した仮想世界で、それを現実のように思い込まされているだけだと、トーマスに告げる。そして、このまま仮想現実の世界に残るか、目座丸かの選択を迫るのだった。半信半疑のトーマスだったが、目覚めることを選択し…というストーリー。
いまさら何だと思うかもしれないが、突然観直したくなった。
目に映る世界が現実か否か。人間は感覚器を介してしか世界を認識することができないのであって、その感覚の先に“実体”が存在する保証はどこにもないし、証明することはできない。極めて東洋的な唯識論だと思う。あらゆる感覚器を経由する信号を、脳髄の神経に繋げたコネクタでスチールし、擬似的に世界を見せるという設定によって、この極めて難解な唯識論を観客すべてがさらりと腑に落ちるように創りあげているのがすばらしい。
使ったことの無い目が“痛い”と感じる程度で次第に見えるようになるとは思えない。しかし、ジャンプシミュレートで体にフィードバックがあったことで、リアルな肉体にもマトリクスから影響を与えることができるという設定(それも、それなりに説得力のある設定)で、きちんと説明できているところが巧みである。
ただ、唯識論では、自分以外の存在の証明もできないわけだが、サイファーがマトリクスに戻ろうと裏切るシーンで、ちょっと違う切り口も見られる。つまり、“血の滴るステーキ”を認識させる電気信号は、各人間に対して同じ信号が送られている。つまり、物質を“それ”と認識させる共通記号があるということになる。その記号こそ、プラトンの“イデア”に相当するといえないだろうか。マトリックスこそ東洋哲学と西洋哲学の融合をさらりとやってのけた作品だと私は思う。
そういう哲学的な思考を具現した舞台に加えて、人間が“電池”として非人道的に扱われている設定。その人間の尊厳を取り戻すための戦いという二軸でストーリーは展開する。
正直に言うと、続編の2・3は、蛇足だと思っている。たしかに、マトリクスとの戦いを終結させねば話しが終わったことにならないと思うのは自然だと思う。けれど、この哲学的視点と民衆革命的視点の2軸の展開こそが、マトリクスの根本。続編は話は進めば進むほど、後者の比重が高くなる。そのバランスの崩れが進むにつれ、私の興味は薄れていくのだ。よって、本作で、これから彼らの戦いは続く!で終わらせたほうが良かったと私は考えている。
コンセプトやプロットがすばらしいのは誰もが認めるところだと思うが、脚本賞が与えにくいのはわかる。かといいって、技術面での受賞ばかりなのは、ちょっと当時の映画関係者の見る目は曇っていたのではないかなと感じざるを得ない。それに気付いたのか、2012年、公開からたった13年でアメリカ国立フィルム登録簿に載ることになった。他の登録作品く比べて極めて短期間に登録されている。
今、もう一度観てほしい作品。当時の“ブーム”という霧の先に、ものすごい物がることに気付くはず。
公開国:フィンランド、フランス、ドイツ
時 間:93分
監 督:アキ・カウリスマキ
出 演:アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン、ブロンダン・ミゲル、エリナ・サロ、イヴリーヌ・ディディ、クォック=デュン・グエン、フランソワ・モニエ、ロベルト・ピアッツァ、ピエール・エテックス、ジャン=ピエール・レオ 他
ノミネート:【2011年/第64回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(アキ・カウリスマキ)
【2011年/第24回ヨーロッパ映画賞】作品賞(アキ・カウリスマキ)、監督賞(アキ・カウリスマキ)、男優賞(アンドレ・ウィルム)、脚本賞(アキ・カウリスマキ)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】外国語映画賞
【2011年/第37回セザール賞】作品賞、監督賞(アキ・カウリスマキ)
コピー:心をみがけば、奇跡はおこる。
北フランスの港町ル・アーヴル。かつてパリでボヘミアン生活を送っていたマルセル。今はここル・アーヴルで靴みがきの仕事をしながら、愛する妻アルレッティとつましくも満たされた日々を送っていた。しかしある日、アルレッティが倒れて入院してしまう。やがて医者から余命宣告を受けたアルレッティだったが、そのことをマルセルには隠し通す。そんな中、マルセルはアフリカからの密航者で警察に追われる少年イドリッサと出会い、彼をかくまうことに。そして、母がいるロンドンに行きたいという彼の願いを叶えてあげるべく、近所の仲間たちの協力を得ながら密航費の工面に奔走するマルセルだったが…。
パルム・ドールにノミネートされていることは忘れて観たほうがよい。移民問題を扱っているから、反体制だよ、社会的な目線だね!っていう、カンヌ審査員のドヤ顔が浮かんできてウンザリするからね。
確かに欧州では移民問題は深刻だけど、カウリスマキがそれを深刻に描こうなんて思うはずが無い。あくまでシチュエーションの一つなだけであって、その舞台でキャラクターを軽妙に躍らせることをしか考えていない。実際の移民問題を念頭に置くと、不法入国のタチの悪さと、その悪影響が頭をよぎって、彼らを一切応援できないくなる。
主人公マルセルは、人柄は悪くないので嫌われてはいないけれど、町中の店にツケを貯めているので、ちょっと困った人扱いされている。でも、彼がコンテナで密入国してきた黒人の少年を匿っていると知って、彼らは急にやさしくなる。何故か。そのツケを貯めてる店の人たちは、元々みんな移民だったから。
#『ミッドナイト・イン・パリ』に出てくるフランスとはもちろん大違い。
黒人の少年イドリッサは逃亡した不法入国者としてニュースにもなっちゃって大変なことに。でも、町の人たちが無言で協力して、暖かく且つ必死にイドリッサを守ろうとする。でも、当のイドリッサが結構緊迫感がなくてちょろちょろ町に出ちゃう。しまいには、マルセルもイドリッサを妻の見舞いに生かせたりしちゃう。イドリッサが捕まっちゃう空気を醸しだしながら、さらっと何事もおこさないのは、カウリスマキ流。
根本的にイドリッサ自身に強い意志やキャラの濃さを付けず、あえて感情移入させないという演出なんだと思う。
逃亡資金を工面するために、往年のロックスターにお願いしてチャリティライブを開いてもらう。そんなくたびれたおっさんで、客が集まるんかいな?と思うけど、それ以上にライブを開く条件が、妻との仲直りの仲介役という展開。ジジィとババァをいちゃいちゃさせるのもいつものカウリスマキ。
で、余命宣告されてしまう妻はどうなるのか。主筋とはあまり絡むことなく、最後まで展開する。子供のようなマルセルは妻の死を受け止められないと考えられていたが、イドリッサを助けることで成長する…、そういう展開なのか? いやいやそこもカウリスマキ流が満開だった。
(以下ネタバレ)
奇跡がおこって完治!とかアリエネー!って思うかもしれないけど、カウリスマキのノリってむしろこんな感じだから。最後になってやっと“らしさ”が出たと私は思っている。
カウリスマキ作品ファンなら、いつもどおり。ファンじゃないなら、なんだこれ? そういう作品。
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:カール・ライナー
出 演:スティーヴ・マーティン、バーナデット・ピータース、キャトリン・アダムズ、メイベル・キング、リチャード・ワード、カール・ゴットリーブ、モーリス・エヴァンス、ディック・アンソニー・ウィリアムズ、ビル・メイシー、M・エメット・ウォルシュ、ディック・オニール、ヘレナ・キャロル、レン・ウッズ、ペペ・セルナ、ソニー・テリー、ブラウニー・マッギー、ジャッキー・メイソン、ドミンゴ・アンブリッツ、リチャード・フォロンジー、レニー・モンタナ 他
捨て子だったネービンは、心優しい黒人農夫の家に引き取られ育てられていたが、二十歳の誕生日に実子でないことを知らされる。家族のことは愛していたが、自分で人生を切り開く時が来たと悟ったネービンは、ヒッチハイクの旅に出る。トイレを借りたガス・スタンドで、1日1ドル10セントで住み込みの条件で雇われ、初めて就職をする。世間知らずの彼は、しばしば奇妙な行動をとったが、強盗相手に奮闘したり、なかなか忙しい日々を過ごしていた。そして、実家への仕送りも忘れない。そんなある日、すぐにずり落ちる眼鏡をかけていたスタンリーという中年男がやってくる。その眼鏡をネービンがずり落ちないように改造したやると大喜び。パテントを取って、儲けがでたら山分けだと言って去っていった。おかしな客ばかりだ。さらに、なぜかネービンを殺そうと撃ってくる男が出現。ネービンは彼から逃亡するが、旅芸人のトレーラーに逃げ込み、そのまま一座に加わってしまう。その一座で、オートバイスタント芸をやっている粗暴な行動の女性パティと知り合うのだったが…というストーリー。
こういう、わらしべ長者的でコメディチックな作品は、結構アメリカ作品に多い。ただ、コメディ要素のバランスが難しい模様。結局は人生自体を面白く観せたいので、笑いも悲しみも絶望も愛も、バランス良くしないといけない。本作は、笑い(それも荒唐無稽な展開と小ネタ)が多く、愛の部分がちょっと下卑ている(ネービンに無垢さが感じられない)。パティやマリーとの恋愛や、家族愛もたくさんあるじゃないかと思うだろうが、ちょっと打算的で“アガペー”的な要素が足りなすぎる。家族の愛も何か淡々としていてドライだ。そのせいか、ネービンがそれほど周囲から愛されているように見えない。
スティーブ・マーティン演じるネービンが、知能に問題がありそうな行動や喋り方なもので、私の中で、無意識に『フォレストガンプ』と比較していた。だって原題の“JERK”は、バカとかアホの意味だし。そのせいで、自然とハードルが上がっていた模様。
黒人農家の中、一人だけ踊りのノリが違うとか、民族差みたいなネタを面白いと感じるかどうか。日本人にはピンとこないとは思うが、『サボテン・ブラザース』『大災難P.T.A.』『花嫁のパパ』のスティーブ・マーティンのノリが好きな人には、全然アリかと(なんていったって主演デビュー作だし)。
アメリカ産のエグい色と味のお菓子を食べてる感覚に近いね。悪くはないんだけど、吹き替え音声で軽い気持ちで観たいところ。残念ながら字幕版しかない。
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:ウディ・アレン
出 演:オーウェン・ウィルソン、キャシー・ベイツ、エイドリアン・ブロディ、カーラ・ブルーニ、マリオン・コティヤール、レイチェル・マクアダムス、マイケル・シーン、ニナ・アリアンダ、カート・フラー、トム・ヒドルストン、ミミ・ケネディ、アリソン・ピル、レア・セドゥ、コリー・ストール、デヴィッド・ロウ 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】脚本賞(ウディ・アレン)
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】脚本賞(ウディ・アレン )
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】オリジナル脚本賞(ウディ・アレン)
コピー:真夜中のパリに魔法がかかる
ハリウッドで脚本家としてそれなりに成功しているギルだったが、いわゆるハリウッド的な娯楽作品のシナリオ執筆では満足感を得ることが出来ずにいた。彼は元々なりたいと思っていた小説家になるために、執筆を始めたが、納得いく出来にはほど遠かった。そんな中、婚約者のイネズの父のパリ出張に、夫婦で帯同することに。かねてから憧れだったパリの地に胸躍らせたギルは、シナリオの仕事を辞めてパリに移住をしたいと主張するが、今の安定したリッチな生活を捨てることなど、お嬢様育ちのイネズが許すはずもない。そんな二人の前に、イネズの男友達ポールが現れる。ギルはパリを夫婦で満喫したかったのに、イネズはポールたちと遊びたいといい始め、すっかり興醒め。インテリぶって見下すような態度のポールと行動を共にしたいと思うはずもなく、一人で夜中のパリを歩いてホテルに帰ろうとするが、すっかり迷ってしまい、途方に暮れて道端に座り込んでしまう。すると、そこに一台の年代物のプジョーが現われ、誘われるままにギルは乗り込んでしまう。連れて行かれたのはパーティ中の古めかしい社交クラブ。なんとそこには、フィッツジェラルド夫妻やジャン・コクトー、ヘミングウェイといった偉人たちが。彼は、1920年代のパリに迷い込んでしまったことを知り…というストーリー。
自分が崇拝する芸術家たちがいる時代にタイムスリップするという、荒唐無稽な設定。ヘミングウェイ、フイッツジェラルド、ピカソ、ゴーギャン、ゴヤ、ダリ。ちょっとフィッツジェラルドやアドリアナが良く判らなくてピンとこなかったんだけど、他がメジャーすぎるのでセーフ。
(以下ネタバレ)
1920年の世界でいい仲になったアドリアナと二人で、さらに過去世界に迷い込む。そこでアドリアナが過去の世界を賛美する様を見て、自分自身に対する満たされない気持ちの根源が、ただ自分が周囲のせいにしてだけだということに気づかされる。現実が虚しいと嘆き、ノスタルジーに縛られて生きていること、そのこと自体のほうがよっぽど虚しいと。
また、妻の浮気を、ヘミングウェイに指摘される場面。このタイムスリップ世界自体、実はギルの脳内世界だったのでした…というオチにすることもできたが、そうじゃなくてよかった。ギルを調べていた探偵も、中世に放り込まれるところで、ファンタジー色をキープ。おかげで、名作古典落語を聴いているような、心地の良い作品に仕上がっている。
ウディ・アレンがこんなSFチックな展開を放り込んでくるとは思いもよらず、ちょっと面食らった。老人が撮った作品とは思えないほど、新鮮な目線。チャカチャカしていない、落ち着いたカメラワークが、それに安定感を加えて、磐石。
ハリウッドでライターとして成功している彼は、何故か小説化になることにこだわる。なんでか。レジェンド達の助言で小説が仕上がっていくにつれ、現状生活で自分が見ないようにしていることが、顕在化してくる。つまり小説=自分の姿であると。
いつも自分を小馬鹿にしつづける妻に、深い考えも無くしたがっていたギルだったが、だんだんと何かが見えてくる。妻の不貞が発覚すれば普通は激昂するだろうし、相手の男も含めて、とっちめてやりたいと思うのが普通。観ている人の半分は、それを期待したかもしれない。少なくとも妻の両親には事実を明らかにしてギャフンと言わせてやりたいと思う人は多かったはず。
でも、そうはならない。自分がうまくいかないのは周囲のせいだと思っていた自分が間違いだったことに気付いたギルは、環境が悪いなら自分が変われば良い。変わった自分をこの環境が拒絶するのであれば、出て行けばよい。そのロジックを素直に受け止められる人間になったのだ。
正直、古いアレン作品は、私にとってそれほどピンとくるものではなかったが、本作は愉しめた。そして、いつも直球コメディばっかりのオーウェン・ウィルソンだが、ここまでアレン作品にハマるとは意外。お薦めする。
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:ジム・エイブラハムズ、デヴィッド・ザッカー、ジェリー・ザッカー
出 演:ヴァル・キルマー、ルーシー・ガタリッジ、オマー・シャリフ、クリストファー・ヴィリアーズ、ジェレミー・ケンプ、ピーター・カッシング 他
東ドイツ政府は、国威高揚のために国際フェスティバルを開催。アメリカからは人気ロック歌手のニック・リヴァースを招聘する。しかしこのイベントは、ストレック将軍による陰謀の一環。世界の目がフェスティバルに向いた隙を突いて、西ドイツに侵攻し第三帝国を復興させようというのだ。彼らは密かに著名な科学者を捕らえて、兵器の開発・製造もさせている。その科学者の一人であるフラモンド博士には、一人娘ヒラリーがいるが、彼女も父の消息を追って東ドイツに潜入していた。ニックは、バレー鑑賞の際に、ヒラリーが何者かに教われている所を救出。その際に、襲ってきた男を突き落としてしまったために、投獄されてしまうのだったが…というストーリー。
プロットは意外に悪くない。共産圏のイベントに正体されるロックスター。冷戦時代とはいえ、芸能人は案外行っちゃうだろう。はじめは陰謀に巻き込まれる展開で、やがてパルチザン物になっていく。
このストーリー設定は、コメディとの相性は良いはず。しかし、ディテールが滅茶苦茶すぎるのと、ギャグのレベルが寒すぎるのがいただけない。前半は、スタンドアップコメディアンのネタを延々と観せられている感じ。後半は、『モンティ・パイソン』のパクりを観せられている感じ。まあ、半分は下ネタですわ。
あまりに小ネタを連発しすぎるので、将軍たちの目的とか、いま何が話の争点になっているのかとか、よくわからなくなるくらい。
いくら冷戦当時だからって、なんで東ドイツの国際文化イベントごときで、世界の目が釘付けになるのか。むしろ警備が厳しくなるのが普通だろう。また、1980年代にナチス復興をめざす将軍が存在するという設定も、微妙すぎる。イギリスの諜報部員とかもでてくるのだが、何だかわかりにくい。というか、思いついたネタは全部入れてしまえ!的なノリなんだろう。
DVDジャケット映像に、変な柄のウシが出ている、確かに本作一番の迷場面がこのウシのシーンかも(出てくるのは一頭?だけど)。というか、記憶に残るのはこのウシだけかもしれない…。
これ、ヴァル・キルマーの映画デビュー作なんじゃないかなぁ。今はブクブク太っちゃってる彼だけど、一頃は美男俳優の一人。でも本作の彼、なんかバカっぽいし、エセ美男臭さがプンプン。本当は、美男役なんかどうでもよくって色んな役柄を演じたい、本格派志向の人なんだと思う。
もう一度言うが、ギャグのセンスさせマトモだったら、間違いなく良作コメディ。
公開国:アメリカ
時 間:88分
監 督:アキヴァ・シェイファー
出 演:アンディ・サムバーグ、アイラ・フィッシャー、ヨーマ・タコンヌ、ビル・ヘイダー、ダニー・マクブライド、シシー・スペイセク、イアン・マクシェーン、クリス・パーネル、ウィル・アーネット、ブリタニー・ティップレディ、ブリット・アーヴィン 他
死んだ実父が有名なバイク・スタントマンのニーブルの助手だったことから、自分も同じ道を志しているロッド。彼は現在、母と継父フランク、そして違父弟と暮らしながら、地道に努力をしているがスタントの腕はまったく上達しない。フランクは口だけで何一つ成し遂げられないロッドを見下しており、ロッドはそんなフランクにいつか自分を認めさせようと、喧嘩を挑むがいつも返り討ちにあっていた。そんなある日、フランクが持病の心臓病を悪化させ、移植手術をしなければ生きながらえるのは難しい状態であることを知る。いつもはフランクに悪態をついているロッドだったが、死んでしまっては自分を認めさせることもできないと考え、ニーブルの持つバス飛び越えスタントの記録を破って賞金を手にし、その金をフランクの手術費に充てようと思い立つ。まずはそのイベントの開催費用を貯めるために、悪友や憧れの女の子デニーズの協力を得て、スタントのアルバイトを始めるのだったが…というストーリー。
脚本のパム・ブラディは『チーム★アメリカ/ワールドポリス』でメジャーデビューしている人なので、本作のノリもなんとなく判るだろう。そう、ゲロとか下ネタとか芸能ネタとかが、ちりばめられている。
ただ、容姿も冴えないどんくさい男が、一人前の男として認めてもらえるように、バカはバカなりにもがくお話で、『バス男』にテイストは近いが、キャラクターはスカしたところが一切無く、根がまっすぐなため、共感しやすいし、ストーリーの方向性も明確なので、それなりにうまくまとまっていると思う。
バカを繰り返している前半は、結構退屈で、これ以上小ネタに付き合うのもつらくなって来たな…というところで、義父が倒れる。本気で義父を憎んでいるように見えるロッドが、手術費用を調達しよと真剣になるのだが、ロッドが言うように、どうしても倒したい相手に死なれては倒せないというのが本心なのか、父を二回も失うのがいやなのか、実のところよくわからなかった。
(少しネタバレ)
そこに、一つのターニングポイントである、実は父はスタントマンではなかった…という秘密が明かされる。あまりのショックに、スタントの道を諦めてしまうロッド。それは、義父のためのお金集めも諦めるということを意味する。ショックなのはわかるのだが、義父の命よりも自分の夢のほうが重要であることを意味している。
そうなると、最後に運良くイベントを開くに至るものの、義父のためなのか自分の為にやってるのか、ちょっとふわっとしてしまい、ストーリー上あまり効果的に働いていないのが残念。
スタントっていうのは、単なる自分の夢なんじゃなくて、“他人に夢を見させるもの”…という価値観の転換がなされ、その究極の“他人の夢”が義父の施手術費用だ…という流れを、太く印象付ける必要があったと思う。
後半はテンポがよくて、さらっと観ることができたが、もう少し熱くなれるように、ロッドの心情をうまく描けていたら良い作品になったと思う。めげずに続けてはいるが、けっして熱くはない…、この感覚がこの作品を貫いていると思う。凡作。
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:ローリーン・スカファリア
出 演:スティーヴ・カレル、キーラ・ナイトレイ、メラニー・リンスキー、アダム・ブロディ、ジリアン・ジェイコブス、パットン・オズワルト、T・J・ミラー、コニー・ブリットン、デレク・ルーク、ロブ・コードリー、マーク・モーゼス、ウィリアム・ピーターセン 他
コピー:君に出会えたから世界の終わりも怖くない
小惑星マチルダが地球に接近していることが判明し、各国政府は協力し衝突を回避するために破壊作戦を実行した。しかし、失敗に終わり、人類の滅亡はほぼ決定的となった。そのニュースが流れたとき、保険セールスマンのドッジの妻は突如逃亡する。地球滅亡まであと3週間。人々が自暴自棄になる中、普段と変わらない生活を送るドッジは、隣室の女性ペニーと初めて言葉を交わす。彼女は、イギリスの両親に会うために最後の飛行機に乗るはずだったが遅刻してしまい、嘆き悲しんでいた。翌日ペニーは、ここ数年の間に誤配されたドッジ宅宛の手紙の束を渡すが、ドッジはその手紙の中に、彼が今でも想い続ける高校時代の恋人オリヴィアからの手紙を見つける。滅亡の日が迫るなか、街で暴動が発生。ドッジが住むアパートも襲撃されると、ドッジはペニーを救出し、そのまま街を脱出。彼は世界が終わる前にオリヴィアへの気持ちを伝えようと思いオリヴィアを探す旅に出る。そして、自家用機を持っている知人に頼み、ペニーを両親のところに送ろうと考えるのだが…というストーリー。
世界が滅亡を迎えることが決定的になるが、案外、パニックになったりしないと思うんだよね…、という発想が基本になっているが、確かにそんな気がする。全員が自暴自棄になってしまえば、社会インフラは一気に止まってしまう。それは自分もこまるから、それなりに維持されるような気がする。
こういう展開だと、結局地球は滅亡しなかった…なんていう流れも考えられるが、そうしなかったのは良かった。
保険業を継続しようという感覚は意味不明だが、働く側の一定数は恒常性バイアスが働いて仕事を続けようと思うだろう。作中では、意外と客も問い合わせくる。クレイジーだとは思うけど、案外そんなもんだよな…という説得力がある。
主人公ドッジは、長年連れ添った妻の浮気を、地球滅亡直前というタイミングで知り、一瞬怒り狂うものの、瞬時に達観。その反動なのかもしれないが、以降はとにかくいつもどおりに、残りの時間を過ごそうとする。
しかし、それ以上の強者は、ドッジ宅を週一で掃除にくる家政婦。もう、来なくていいというドッジの言葉に対して、悲しい顔をする。もしや彼女は地球滅亡のニュースを知らないのか?そんなことはありえなくて、達観の一語に尽きるだろう。そんな彼女をそれ以上説くこともせず、また来週…と送り出す。
SF設定なんだけど、立派にロマンス作品。ちょっと不思議ちゃんな感じのマチルダとの珍道中。地球滅亡というシチュエーションでなければ、絶対に親しくなることはないであろう二人。成り行きで深い関係になってしまうが、それぞれ別の目的を遂げる過程の同行者でしかない。
しかし、最後、ドッジは約束の通り、飛行機に彼女を乗せるのだったが…。
まあ、極端な舞台設定なのに、主人公が普通でいよう、普通でいようとするから、終盤に至るまで凡庸な印象は否めない。でも、それとのギャップのせいなのか、ラストシーンがとにかく神々しい。私、こんなにラストシーンだけで、心を掴まれた作品は、はじめてかも。
その神々しさの様子は、是非とも観てもらいたい。
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:バリー・クック、トニー・バンクロフト
出 演:ミンナ・ウェン、エディ・マーフィ、B・D・ウォン、ミゲル・ファーラー、パット・モリタ、ジョージ・タケイ、ハーヴェイ・ファイアスタイン、スーン=テック・オー、ジェームズ繁田 他
ノミネート:【1998年/第71回アカデミー賞】音楽賞[オリジナル・ミュージカル/コメディ](ジェリー・ゴールドスミス)
【1998年/第56回ールデン・グローブ】音楽賞(ジェリー・ゴールドスミス)、歌曲賞(曲:マシュー・ワイルダー“Reflection”、詞:David Zippel“Reflection”)
コピー:この秋、激しくも美しいヒロインが鮮烈な感動を贈ります
秘めたる想いを胸に 少女ムーランは 髪を切り 戦士になった… 私は決してふりかえらない
ファ家のひとり娘ムーランは、女らしくすることが苦手で、嫁ぎ先が見つからず、家族を悩まさせていた。そんなある日、北方騎馬民族フン族が中国に侵攻してきた。皇帝は各家から男子一人を出征させるように命を下した。しかし、ファ家の男は、老いて足の悪くなった父しかいない。父想いのムーランは、長い髪を切って男装し入隊するのだった。そんな彼女を心配した先祖の霊たちは、ファ家最強の守護竜を降臨させてムーランを守らせようとしたが、手違いで弱小の守護竜ムーシューを呼び出してしまう。仕方なくムーシューを派遣。それでも、ムーランはムーシューの力を借りて、なんとか軍隊の厳しい訓練をこなしていくのだったが…というストーリー。
あんまり女性らしい行動が出来ない子…という描写はあったが、男まさり…という描写はなかったので、急に徴兵に応募する展開が、少々不自然に感じられた。『リボンの騎士』的なお話で、ありがちなプロットではあるが、女性の活躍と、純粋な立身出世物語として、ストレートに楽しめる内容だと思う。
ただ、それ以外に、ストーリーらしいストーリーはないのも事実。メリハリをつけるために、場面場面すべてでドタバタを差し込んでいる感じ。恋愛については、それを主軸におくとストーリーが壊れてしまうので、ラスト以外は友情の範囲に収めているので、そういう意味では女の子向けとは言い難いのかも。
では、戦争スペクタルとして優秀かといわれると、敵が中華の派遣を握っている統一王朝を脅かすほどの勢力には見えないという大欠点があり、盛り上がりに欠ける。黄巾党みたいなのが、同時多発的に各地で勃発して、ムーランのいる地方にも…という話ならわかるのだが。アメリカ人は、中国のスケールを理解していないし、歴史もよくわかっていない模様。フン族って、いつの時代に比定しているのかわからん。テュルク族とかが適当なんだと思うけど、それにしてもスケールが小さい。皇帝の城に攻めてくるラストだが、敵の数が少なく、且つ城の周りにいる民衆も、ただ眺めているだけという、ある意味シュールなクライマックス。
まあ、アメリカ人はおバカだし、アジアの歴史なんかまともに描くつもりはなさそうなので、違和感など感じないんだろう。お粥を箸で食えるかどうかは、アメリカ人でもなんとなくわかりそうなもんだけどね。
個人的には、民族的特長を出しすぎなキャラデザイン云々よりも、ご先祖が降りてきて会談するシーンが、なにか不快に感じる。なんでだろう。
私なら、あの小さい竜とかコオロギは出さない。『ピノキオ』的な効果を狙ったんだろうがストーリーにマッチしていない。
まず、ムーランの村に世捨て人のような老人を出す。村人からは疎まれているがムーランはやさしく接する。そして父もそんなムーランの行動を暖かく見守る。ムーランが男装して入隊したことをしった老人は、密かにムーランの後を追い、影からムーランを助ける。実はその老人は、以前皇帝の使えた軍師だったのだ。そして、皇帝とはちょっとした因縁があり、ラストではその因縁や過去の事件が明かされ、皇帝と老人も和解する。こんな話にするかな。要するにご先祖の霊とか妖精とか、そういうテイストと合わないプロットだと思うんだよね。
ストーリー面での苦言はここまでにして、技術面の話。
奥行きのある構図で、ヘタな3D作品なんかよりも、よっぽど空間を感じられる。まあ普通の遠近法なんだけど、原画マンの基本が出来ているってことだね。CG全盛になる前のディズニー作品の中で、一番のデキだと私は思う。手塚治虫が『バンビ』を見習って、自分の糧にしたように、本作の構図は見習う価値がある。これをただトレースするだけで、とてつもなく技術向上するんじゃなかろうか。
昨日観た『009 RE:CYBORG』がいかにクソかを、本作でも思い知らされる。それはね、原画のエッジの線。『009 RE:CYBORG』は全部黒でしょ。本柵は塗り色に近い色で書かれている部分が多く、雰囲気を毀損していない。
ストーリーの練り上げがもう少々できていれば、大傑作になったであろう作品。
公開国:日本
時 間:103分
監 督:神山健治
出 演:宮野真守、小野大輔、斎藤千和、大川透、増岡太郎、吉野裕行、杉山紀彰、丹沢晃之、玉川砂記子、勝部演之 他
コピー:終わらせなければ、始まらない。
2013年。ロンドン、モスクワ、ベルリン、ニューヨークはじめ、大都市の高層ビルが次々と爆破されるテロ事件が発生。犯人は依然判明せず、人々を恐怖に陥れていた。度々世界の危機を救ってきた9人のゼロゼロナンバーサイボーグは、それぞれ故国に還り独自に行動していたが、この事件に対処するため、ギルモア博士によって再度召集がかけられる。009こと島村ジョーは、ギルモア博士によって過去の記憶を消され、東京で普通の高校生として生きていた…。
こんな腹立たしい…というか殺意が湧いた作品を観たのは初めてかもしれない。
もう冒頭の009が出てくるシーンで、原画のデッサンがおかしい。コンピューターでポリゴンデータをつくって、計算で右目と左目の視点の原画をつくって3Dを実現しているんだろうけど、根本的に元データが人形劇レベルなので、動かすたびに不自然さを醸しだす。人が動いてるんじゃなく、マペットが動いてるような感じに。動かす度に違和感満載だから、動かさないシーン結構多くて、口だけパクパクいてる場面も多い。結果的にリミテッドになっちゃうんなら、3Dなんかやめちまえよ。バカらしい。
設定画ではかっこいいんだが、009の顔、相原 コージが書いた絵みたいになってるじゃん。目に立体感がなくただのテクスチャなんだもん。いわゆる“アニメ目”のキャラは全部ダメになってるね。こんな出来映えにしかできないんなら、3Dなんかやめちまえ。バカらしい。
ねえ、これってまだ、製作途中だよね?エッジの処理とか、テクスチャの違和感を除去するとか、これからやるんだよね?ねえ、まだ、途中経過だっていってよ~~~。なんで、国外も同時公開とかしちゃったんだろう。日本は技術力がありませんと喧伝してるようなもんだわ。
ストーリーのディテールは、それ以上にヘンテコ。
009の記憶を戻すために、何が必要なのかさっぱりわからない。「彼をめちゃめちゃにして」って殴るのが記憶を戻す条件なのかよ。
003が空から落ちていく意味もわからない。そのくせ、009に救ってもらって、「記憶、戻ったのね?」って、そのために落下したんじゃないのかい?確信があってやってるんじゃないのかい?
大体にして、009の記憶を3年サイクルでリセットしなければいけない理由がわからない。若いまんまの姿が負担になるから、記憶をリセットって、どう考えてもリセットしたことで生じる不都合のほうが大きいし、根本的に負担になる意味がわかんね。そんなことするくらいなら、年取った容貌に改造すりゃいいじゃねえか。
おまけに、それを説明するギルモアのセリフがクソ。グダグダと説明しなきゃならないような設定なら、やめちまえばいいんだ。
009と003の性的関係も不要。「また私だけ3つ年をとってしまったわ…」それはフィジカルの話か?精神レベルの話か?原作でも見た目年齢についてはちょっと問題なるポイントではあるが、前者設定を採用してるなら30年経ってるはずだが?
「いつから俺たちは正義の戦士じゃなくなっちまったんだ…」という007のセリフ。は?別に正義の戦士と呼べないような行動してるか?意味わかんね。
張々湖とギルモアが、中華飯店の商標で揉めた?なんで揉めないといけないのか、意味がわからない。目立つと困るから?別に顔出しして商売するわけじゃなかろうし。張々湖の名前はギルモアが付けたわけでもなかろうし、仮にそうだからといって、それにギルモアがいちゃもんつけるわけがなかろう。ギルモアというキャラクターに対する著しい毀損。
002は、日本の専守防衛姿勢が気に食わないから、ギルモア財団と距離を置いている?ジョーがリーダーになることに怒る?そんなこと気にするキャラじゃないだろ。あり得ん。ジェットがそこまでアメリカ様に愛国心を抱いているか?どちらかといえば、リベラルな志向で、愛国的アメリカ人ではなかろう。
002、戦闘機に乗るなよ。自分の能力はよ!「悪いがやり合うつもりはつもりはないんだ」⇒即刻、やってんじゃん!
003がネットにダイブできるとか、そういう設定不要じゃねえか?
004がレポートを読んでいるシーンをダラダラ見せられるなんて、耐えられるか?だらだら、説明しないと状況説明できず、話も展開させられない。シナリオ教室にでも通えばいいんだよ。
「いいのかい?フランスワーズ。僕もおそらく次のテレポーテーションが最後になる」都合よすぎ~~~。そんな都合のよい制限でつくられた悲劇なんかに、だれが感情移入できるんだよ。001にそのセリフ吐かせるんなら、せめて半分寝ぼけて言わせろや。
002と009の大気圏突入って、「また、それやるのかよ…」って感じ。ノスタルジーを感じるどころか、原作をレイプされたような気になるわ…って思ってたら、なんかラストでみんな五体満足なんですけど、なんで?オチの意味が、ぜ・ん・ぜ・ん・わ・か・ら・ん(勘違いするなよ!いい意味でいってるんじゃないからな!)
こういう不自然な数々の描写が、すり抜けて世にリリースされる、業界構造が問題。アニメも特撮も、いつまでたってもサブカルチャーの域を出ずに、カルチャーにならない原因はこれ。業界全体のレベルが低い。これに尽きることを証明している作品。
皆でコールしよう!「ク・ソ!、ク・ソ!、ク・ソ!」スタッフは、石ノ森章太郎の墓の前で、血が出るまで頭すりつけて謝罪しやがれ。俺は何のためらいもなく、バールのようなものでその頭を割る自信あるわ。
こんな話をつくるくらいなら、一旦全員死亡した後に、新ゼロゼロナンバーサイボーグで再始動したほうがよかったな。センスねえわ。この作品、009の闇歴史。同人誌扱いということでいいんじゃないかな。
公開国:アメリカ
時 間:82分
監 督:スティーヴ・オーデカーク
出 演:スティーヴ・オーデカーク、ロン・フェイ、レオ・リー、ジェニファー・タン、ジョン・B・キム 他
コピー:闘え!舌先にファイターの証を持つ“選ばれし者”よ!!
とある村に“選ばれし者”が生誕する。その噂を嗅ぎ付けた悪のカンフーマスター・イテテ師は、“選ばれし者”を滅ぼすために、家族もろとも焼き討ちされてしまう。新生児の“選ばれし者”は、イテテとの攻防の末、辛くも脱出。その後、ネズミに育てられ、立派な青年へと成長する。彼が“選ばれし者”と呼ばれる所以は、天性のクンフーファイターだけに授けられるベロンチョ(舌先の顔)を持っているからだ。やがて彼は、タン師匠の下で修行に励み、なぜかベティと名前を変えたイテテ師との宿命の対決を目指すのだった…というストーリー。
昨日の『デス・トゥ・スムーチー』が珍作なら、本作は何だ?奇作か?「一体、何をやってるのだ?俺は何を観せられているのだ?……」これが正直な感想。
古臭いカンフー作品を模したコメディなのかと思ったが、不釣合いなぐらいにCGや特撮を多様。でも、本当のカンフー映画を彷彿させる雰囲気で、こんなクソくだらない作品なくせに、なんてクオリティが高いのだ?!と思っていた。
エンドロールを観てびっくり。本作は『ドラゴン修行房』という過去作品に手を加えて作られているのだ。手を加えているっていっても、その改修具合はハンパなくて、別撮りした主人公をはじめ役者の顔の部分を合成しているのだ。そのシームレス具合は異常で、私、そんな合成をしているなんて微塵も感じなかったよ(『ベンジャミン・バトン』並みにすごいんじゃね?)。何なのこの技術の無駄遣い!!
で、この主人公、監督自身が演じており、全部の役者の吹き替えもこの監督一人でやってるんだって!!何なの、この労力の無駄遣い!!
犬の声の音声などを、わざと映像をはずしてみるなど、昔の映画の雰囲気をつくったり。何なの!!この、無駄な雰囲気作りのセンス!!
これだけ、無駄なパワーを炸裂させているのに、結局、選ばれし者の証である“舌先の顔”について、何だったのかはよくわからず。何なの!!この、いい加減さ!!
そして、主役のスティーヴ・オーデカークの体ができあがっている!!何なの、この無駄な筋肉のキレ!!
ちなみに吹き替えは西村雅彦がやっており、悪くない出来映えなのだが、なぜかワンパイというキャラクターだけ、別の人が吹き替えしてる。なんでやらなかったのか…。なんで中途半端なのか…。
私なら、まったく同じ内容を、台詞や吹き替えを別の声優や芸人にやらせて、月曜から金曜の深夜に連続放送する企画を出す。なんなら、24時間テレビの裏で、5本連続放送してもいいくらいだ。
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:ダニー・デヴィート
出 演:ロビン・ウィリアムズ、エドワード・ノートン、キャサリン・キーナー、ダニー・デヴィート、ジョン・スチュワート、パム・フェリス 、ダニー・ウッドバーン、マイケル・リスポリ 、ハーヴェイ・ファイアスタイン、ヴィンセント・スキャヴェリ、クレイグ・エルドリッジ 他
児童向け番組の人気キャラクターであるレインボー・ランドルフは、自分の子供を有名にして欲しいという親から賄賂を受け取る。しかし、それはFBIの囮捜査で逮捕されてしまい、番組は打ち切り。業界から追放されてしまう。番組ディレクターのノラは、急遽代役探しに奔走するが、賄賂や犯罪とは無縁のクリーンな人物を探さなければならず、なかなか見つからない。そんな中、ピンクのサイのぬいぐるみを着て麻薬厚生施設などの慰問を行っているスムーチーを紹介されるが、能天気で馬鹿がつくほどやさしくて確かにクリーンな人物。彼を大抜擢すると、あれよあれよという間に大人気となる。そんな、スムーチーの活躍に心穏やかではないのが、レインボー。彼は復讐心を燃やし、スムーチーを亡き者にしようと画策するのだった…というストーリー。
WOWOWが放映時につけた『スムーチーをぶっ飛ばせ!!』っていう邦題のほうが、内容的にはピッタリだな。WOWOWが邦題を付けていたことからおわかりだと思うが、日本未公開作品。豪華なキャスティングにもかかわらず、未公開なのはシナリオがごちゃごちゃしているせい。
ロビン・ウィリアムスが悪役なのだが、あまり悪役は多くないとはいえ『ストーカー』『インソムニア』なんかで悪役をやってるから、それほどインパクトはない。ロビン・ウィリアムス演じるレインボーが、嫉妬に狂って執拗にスムーチーに嫌がらせをするのは問題ない(むしろこれがストーリーの主軸)。
微妙なのが途中参戦する、ダニー・デヴィート演じる代理人と、スムーチーをアイスショーに出して一儲けを企むスポンサー。
これらの妨害を、“無垢”なスムーチーが、天然っぷりを発揮して切り抜けていくというストーリーに特化すればおもしろかったのだが、最終的にレインボーが改心するという流れを作ろうとして、ストーリーの軸が崩れている。
ラスボスをダニー・デヴィートにする意味もわからない。スポンサーは死んだのだから、スムーチーを殺すところまで追い詰めなければいけない理由は薄い。局長のプロスキーも悪役に廻る効果が薄すぎ。突然、以前の出演者が殺し屋として登場するのも不自然だし、観客からすれば唐突な登場すぎる。これならば、レインボーとスムーチーだけで、ずっと展開させたほうが良かった思う。
また、レインボーを改心させるならば、彼が改心するきっかけを、もっとインパクトがあり且つ納得できる内容にしなければ、バランスが悪い。
愉快なキャラクターだった、パンチドランカーの元プロボクサー・スピナーと、その一族のアイルランド系マフィア一家。はじめは悪役で登場するものの、スピナーにやさしく対応してくれるスムーチーの姿に感激。スピナーが殺された後は、スムーチーを完全バックアップする。し・か・し、やっぱりこの話は、色々な困難を清廉潔白すぎるスムーチーが、なんだかんだすり抜けるのが主軸の話なんだから、“味方”ができるのは、プロット的には失敗。
味方という意味では、ノラもおかしいと思う。ノラが、子供番組グルーピーでビッチだったていう設定は不要かも。さらにレインボーと付き合っていた設定もあまり効果が無い。この設定を挟むんなら、ノラはいっそのこと、最後に裏切るとか、死んでしまうとかのほうが効果的だったと思う。
そして最後は、飄々と子供たちを相手にするスムーチの姿で終わる。そして誰もいなくなった…的に。せっかくエドワード・ノートンを配役したのだから、不思議な神々しさや純真さを通り越えて、うす気味悪さを醸し出させる演出にしてほしかった。
ダニー・デヴィートが監督するコメディは、全部イマイチだな。笑わせようとしているのが伝わってくるし、自分が出ている部分が、作品の足枷になっているように見えるんだもの。
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:J・トッド・アンダースン
出 演:マイケル・ラパポート、マイケル・ジェッター、ジョン・キャロル・リンチ、アリヤ・バレイキス、レイチェル・リー・クック、マーティン・フェレロ、ジョー・グリファシ、ジョン・スラッテリー、ピーター・トームケ、ナンシー・プランク 他
コピー:復讐するは、最強の骨にあり。
薬剤師になることを強制する父を対立し、家を出ていたエディ。レスリング奨学生で大学に進み、整体師になる夢のため勉強と続け、卒業後は昼はインターンの整体師、夜は人体模型柄のスーツを着たプロレスラーとして働きながら、独立開業をめざしてがんばっていた。インターン先で伴侶も見つけ、もうすぐ出産を迎えようという頃、開業を決心。父との関係を修復すべく、故郷の父が経営する薬局の向かいで開業することに。父はそんな息子を暖かく受け入れ、幸福なスタートをむかえると思われた矢先、エドワードが街に出かけた隙に、父の薬局に地上げ屋が訪れ、銃を乱射して両親と妻を撃ち殺してしまう。事件現場を目撃したエドワードは、心に傷を負ってしまい…というストーリー。
#コメディではないように思うが…
イーサン・コーエンが共同脚本で参加しているシナリオにアドバイスするなど、非常におこがましい話ではあるが、ちょっとしたバランス感覚を加味するだけで、名作になっただろうと思う。
両親と妻の殺害現場を見たため、頭がおかしくなってしまった…という展開が弱い。ここは、犯行現場にギリギリ駆けつけて、致命傷でないながらも頭部を撃たれるとか、頭を強打するとか、明確な演出が必要だった。どの程度正気が残っているのかがイマイチよくわからないから、その後のエドワードの狂いっぷりが把握できず、応援しにくい。
また、地上げ屋とエドワードが現場で顔合わせすることで、エドワードは敵を明確にできるし、地上げ屋側も後から息子の存在を知り、もしかしてこいつが復讐しにきてるのか?というふわっとした対立軸にはならなかっただろう。むしろ、犯行直後から、顔を見られたエドワードを、警察と並行して捜索するほうが面白いと思う。
後、ご都合主義かもしれないが、罪のない人には怪我を負わせる程度で、殺害に至る下品な犯罪者やチンピラであるということを、はっきりさせること。これを鑑賞者にはっきり意識させることで、殺すべきでない人を殺してしまわないか、ハラハラ度が増す。
ここまで整理してあげると、ラストの心神耗弱による減刑…という流れは極めて自然になり、腑に落ちると思う。その他、マイナーな俳優陣なのに魅力的に描けていたり、インパクトがありながらもコメディにならないギリギリの死に方など、好感が持てる箇所が盛りだくさん。あと一歩で良作になる作品。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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