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image2066.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:ジョナサン・ヘンズリー
出 演:レイ・スティーヴンソン、ヴィンセント・ドノフリオ、クリストファー・ウォーケン、ヴァル・キルマー、リンダ・カーデリーニ、ヴィニー・ジョーンズ、トニー・ダロウ、ロバート・ダヴィ、フィオヌラ・フラナガン、ボブ・ガントン、ジェイソン・バトラー・ハーナー、トニー・ロー・ビアンコ、ローラ・ラムジー、スティーヴン・R・シリッパ、ポール・ソルヴィノ、マイク・スター、マーカス・トーマス、ヴィニー・ヴェラ 他




1960年代、オハイオ州クリーブランド。アイルランド系の家に生まれたダニー・グリーンは、中学を出てから港湾労働者として働いていた。仲間を大事にする彼は、組合が過酷な労働環境を強いることに怒り、自ら労働者代表として立ち上がり、やがて組合長の座を勝ち取るまでに。しかし、力を得たダニーは、マフィアとも付き合うようになり、汚職を重ね逮捕される。ダニーは、長期の収監を免れるために、FBIへ犯罪者情報を提供する約束で釈放される。釈放はされたものの、家族との関係は悪化し、以前よりも裏社会の仕事に手を染めていくことになる。1970年代。ダニーは車に爆弾を仕掛けられ、間一髪で回避する。犯人を対立していたイタリア系マフィアだと確信したダニーは、同様に爆弾を仕掛け応酬。両陣営は、街全体を巻き込んだ抗争へと発展していき…というストーリー。

実在のアイルランド系マフィアの話らしい。冒頭は、義心に溢れた男が、幸せな家庭を築くまでが描かれる。地位も名誉も財産も得て、幸せ満開だったが、不正が発覚しあっさりと転落。その後、マフィアに関わっていくが、どっぷりマフィア組織の一員なのかというそういうわけでもない。純粋な仲間意識と、自分たちにかけられた火の粉は自分で掃うということを徹底している。その義心だけは昔から変わらず一環しており、その行動が悪であっても魅力的に写るのはそのせい。
完全な武闘派で、争う時は自らの拳で闘う。体を鍛えるために、普通に公園で腕立て伏せしているところが、人間臭さが満開。アイルランド系とはいえアイルランドがどんな所なのかも知らないし、ケルト戦士を自称しているけどそれがどういう戦士なのかも良くわかっていない。ただ、その流れる血の発露するまま行動する男。

元々そういう性格なので、汚い仕事とは完全にマッチできず、独断で慈善活動なんかもするようになる。やがて、マフィアまがいの仕事から足を洗おうとするのだが、そう簡単にはできない。着火点は低いので、恨みを買って攻撃されれば、反撃せざるを得ない。
マフィア側だって、足を洗おうとしているのだから、放っておけば消えるだけで実害はないのに、感情的にダニーとけじめが付けたくて、抗争になる。放っておけば、後のマフィア裁判もなく、そのままマフィアたちは安泰だったのに。
結果的に、マフィアが一掃されることになった、その原因は、ダニーという着火点があったからなのだ…ということでスポットが当たって、作品になったということだろう。

単純なマフィアによる抗争とは違うので、なかなか、掴みどころを絞らせない作品だった。何を観せたいのかピントを絞らせてくれないのだが、決して悪い意味で言っているのではなく、展開が読めないという意味で捉えて欲しい。

ポテトとハギスの罵り合いや、「おい、イタ公、貴様らがアダ名で呼び合うのは、本名もまともに覚えられないからか?」なんて台詞を吐いたり、なかなか面白いシーンもある。そこそこ面白い作品なのに日本未公開なのは、なんだかんだ、最後はあっさり死ぬから。まさに実話だから脚色のしようがないという、実話ベース作品が嵌りやすい落とし穴に嵌っている。
#ヴァル・キルマーがジャケット画像の三本柱の一人として出ているが、単に役者の知名度の問題で出ているだけで、こんなにスポットがあたるような役ではない。おまけにブヨブヨのおっさんで、ちょっとどうにかしないとヤバいレベル。

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image2061.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:119分
監 督:ブラッド・ファーマン
出 演:マシュー・マコノヒー、マリサ・トメイ、ライアン・フィリップ、ジョシュ・ルーカス、ジョン・レグイザモ、マイケル・ペーニャ、フランシス・フィッシャー、ボブ・ガントン、ブライアン・クランストン、ウィリアム・H・メイシー、トレイス・アドキンス、ミカエラ・コンリン、マルガリータ・レヴィエヴァ、ペル・ジェームズ、シェー・ウィガム、キャサリン・メーニッヒ、マイケル・パレ、マッケンジー・アラジェムス 他
コピー:なぜ、はめられたのか?
 それは、過去の殺人事件から始まった――。
 オフィスは高級車(リンカーン)。腕は一級。離婚歴アリ、子持ちのちょいワル弁護士。

ミック・ハラーは、黒塗りの高級車リンカーン・コンチネンタルを事務所代わりにして、いくつもの仕事をこなしている敏腕弁護士。強引な手法で司法取引を利用して軽い刑で収めるのが得意の戦法で、麻薬の売人や娼婦などの依頼を受けるため、検察からは忌み嫌われている。検事の元妻と娘とは、別れてからも良好な関係と保っている。そんなある日、資産家の御曹司ルイスが、娼婦に暴行したという容疑をかけられ、その弁護をしてほしいという依頼が舞い込む。いつも通りに司法取引をまとめるだけの仕事と考えていたが、ルイスは、被害者は自分の資産目当てに事件をでっち上げていると無実を主張し頑なに司法取引を拒むのだった。さらに、調査員であり親友である探偵フランクに調査を依頼すると、被害者が実は娼婦だということがわかる。これを証拠として、検事に起訴の取り下げるよう持ちかけるが、現場にはルイスの持ち物と思しきナイフが見つかっており、起訴を取り下げる気はないと告げられる。さらに、ルイスが加害者である可能性が次々と浮上し…というストーリー。

リンカーンを前面に出す意味がさっぱりわからん。だって、設定上はリンカーンを“事務所代わり”にして…となっているが、別に事務所になんかしていないんだもん。確かに仕事の依頼を車に乗ってるときに受けるシーンはあったけど、べつに事務所ってわけじゃないし。そのせいで、黒人運転手がいまいち使いきれていない(最後に取って付けたように小間使いさせているけど)。その辺はちょっと企画倒れ。でも難点はそこくらい。
#役者陣もパっとしないが、劇中のキャラクターにはとてもマッチしているので悪くないし。

冒頭はいけ好かないスカした弁護士野郎の、ダーティ且つ軽妙な日常を描いた作品としてスタート。金のために動く悪徳弁護士として検察側から忌み嫌われる彼。実際に大麻を裁く組織に便宜を図ったり。しかし、とある金持ちの息子が巻き込まれた事件の弁護を依頼され、いつも通りの豪腕・敏腕を発揮しようとするが何かいつもと勝手が違う。そして、イニシアチブを取っていると思いきや、すっかりサイコ野郎の手玉に取られていたいたことに気付く。単に落とし穴に嵌っただけなんてレベルではなく、巧妙で執拗なまでにがんじがらめに。なぜミックが仕事を依頼されたのか。このサイコ野郎の型の嵌め方が、実に周到で、しっかりと練られていてすばらしい。

この難局をどう乗り切るか…だけなら凡作なのだが、この時点で、タダの悪徳弁護士が利用され、自業自得に陥っただけ…としないのが良いポイント。嵌められたことに対してだけ彼は苦悩するのではない。弁護士としての地位を脅かされるから苦悩するのでもない。悪徳弁護士と思いきや、彼には彼なりの主義があり、その絶対にゆずれない主義を自らの至らなさで壊してしまったことに対する恐怖を感じているのだ。で、別れた妻も、苦悩する彼の本心を聞いて、ちょっと彼に対する見方が変わるのをうまく表現してたりする。

穴のない仕掛けと感情とのリンク。そして、主人公の対する共感を徐々に感じさせていく展開。これこそ、アメリカ映画界においてシナリオ技術が確立されている証拠。様々なスクールで学問のレベルまで高められており、これがあってこそ映画ビジネスの下支えとなっている。アメリカと日本の映画界の違いをまざまざと見せつけられた気がした。

あまり、ネタばらしはしたくない。是非観て欲しい作品。これはもっと評価されていい作品だし、続編を作って欲しいと思うくらいだ。

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image2094.png公開年:1969年
公開国:日本
時 間:106分
監 督:(演出)池田宏
出 演:野沢雅子、田中明夫、里見京子、岡田由紀子、名古屋章、納谷悟郎 他






霧の夜、幽霊船が黒潮財団所有の豪華船やタンカーを襲撃する事件が連続発生する。大好きなボアジュースを飲みながら両親とモーターボートで遊んでいた隼人は、海辺で倒れている黒潮会長夫妻を発見。隼人と父は二人を救出し、とりあえず幽霊屋敷と呼ばれる洋館に運び入れた。ところが、そこにあの幽霊船の船長と思しき、クロの仮面を付けた幽霊船長が現れ、黒潮会長への恨みを語っていくのだった。その出来事から間もなく、幽霊船の使者と名乗るロボットが現れて街中を破壊。国防軍は応戦するが敵わず、壊滅的打撃を受けてしまう。そして、ロボットの攻撃により、隼人の両親は死んでしまう。隼人は両親の仇を討つために愛犬のジャックと調査を進めると、被害者であるはずの黒潮財団が、巨大な兵器工場を隠し持っていたことがわかり…というストーリー。

原作は石森章太郎のマンガ。東映まんがまつりの中の一本で上映時間も短いのだが、キャラデザインも石森作画をしっかり踏襲しているし、ストーリーも石森作品の王道的内容である。主人公に出自の秘密がある。他の石森作品だと、実はすごいスーパーパワーの持ち主っていうのがパターンだが、本作では、実はゆうれい船長の息子…というパターン。
#ちなみに、幽霊船長の声はお亡くなりになった納谷悟郎御大。
黒幕かと思いきや、さらにその後ろにも黒幕が…という展開や、CMや商品流通を使って人々を支配しようというシニカルな視点など、子供向けとしてはなかなか複雑。子供だましじゃないのが素敵。さすがに子供が付いてこれないと思ったのか、状況や先々の展開を主人公・隼人くんは、全部解説してくれちゃうのは、ご愛嬌。

ラスト手前までは、手の込んだ謎解きでグイグイ盛り上げて行くのも石森作品の真骨頂だが、最後が尻すぼみなのも、石森作品にありがち。これもいつものことだあ、人知を超えた巨悪が敵の正体というパターンが多く、こうなってくると最後は、玉砕&相打ちという展開になる。正直最後はおまけみたいなものだからね、いつも。

でも、ここまで石森イズムを体現しておきながら、綺麗にまとまった作品は案外少ない。まあまあの佳作だと思う。
#空飛ぶ幽霊船というモチーフは、石森章太郎が大好きだった模様。『アクマイザー3』ザイダベックをはじめ散見される。

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image2065.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:ジョン・デピュー
出 演:グレイス・シン・イム、ジャレッド・スター、ケイト・ベイリー、アーロン・フィリカーノ 他






工場が排出する二酸化炭素を地中貯留するにあたって、政府の規則に従って用地検査にあたっている地盤調査員のローレンとイーサン。彼らが地震計を設置していると、この土地ではめったにない大きな地震が発生。震源はキャバナス湖周辺。ローレンは原因究明のために湖に向かう。一方、ジェニファーとネイサンのカップルは、休日を湖で過ごそうと訪れたところで地震に遭遇。水面からガスが吹き出ていることに興味を示し、水の中に入ろうとするが気分が悪くなり、その場を退散。しばらくして湖に到着したローレンと助手のノアは、カップルが窒息状態で死んでいるの発見する。通報するために車で街へ向かうが、車内でノアは昏倒。ローレンはとっさに酸素ボンベから空気を吸い二人は正気を取り戻す。何らかのガスが充満していると判断し、街へ急ごうとするが、今度はエンジンがかからなくなり、やむを得ず酸素ボンベを抱えて徒歩で向かうことにするのだが…というストーリー。

本来、B級映画というのはトホホ映画を称した言葉ではなく、低予算映画のことを指す。そういう意味では本作は新のB級映画である。これは、悪口ではない。予算がなければできる範囲でできることをやればいいのだから。役者たちは、他のどの映画でもドラマでも、まあ観たことがない人ばかり(いや、出ているのかもしれないが、思い出さないくらい印象が薄い人たち)。お色気要員の中国系なのか韓国系なのかしらん女優の安っぽさ。眉をひそめる表情とか素人演技である。でも、しょうがないのだ。お色気要員だと割り切る英断が大事である。

おそらく使用されているのは、民生デジタルカメラレベルだと思う。CGも壊れた橋の下の川とか、硫化水素が噴出すゆらぎとか、Macでできる程度の素人に毛が生えたようなもののみ。これでも、それなりのレベルの映画を作ることができるのだと、勇気が湧いてくる作品だ。

でも、予算がないなら、ストーリーや構成はしっかりすべきだろう。そこができていない。
CO2というタイトルで、冒頭でエンジンが掛からなく混乱した男が、車外で昏倒するオープニングで始まる。というか、もうそれで、何がおこるのか丸わかり。本編でも、エンジンが掛からなくなって混乱するという描写があるが、冒頭で観せられているから、驚きも半減。

こういう作品は、憎たらしい奴を殺すのが常道だし、うまく死亡フラグを立てるのもコツだと思うが、それもうまくできていない。妻を虐待していた夫。その悪行や自己中心的な行動に対するイライラをうまく募らせることができておらず、死ぬシーンでもスッキリしない。学者馬鹿の教授も、その呑気さと危機意識の低さが結果として他者への思いやりに繋がっていない。“馬鹿は罪”という部分の積み上げができていないので、死んだときにピンとこない。
みんな無駄死にに思えるほどだが、逆に無常感を出したいなら、もっと無慈悲な演出をすればよい。女性からボンベを奪った人間の顛末を描かなかったのもスッキリしない。

エピローグで、生き残った子供が何十年も経ってじいさんになっている語りのシーンがはさまれる。いきなり近未来の描写でガクっとくる。CO2の排出権取引とか炭素税とか、そんなもん科学的根拠も薄いし、まるで詐欺まがいだ…なんてところにスポットを当てたいのかな?と思っていたけど、結局最後は、風力なんかの自然エネルギー(笑)を中途半端に賛美するという、浅い思想の作品だった。

まあ、とにかくパニックムービーとしての、ツボを微妙にはずしているので、内容に没頭できない。橋から落ちて一人死んでから、梯子もってこいとか、もう、あのシーンがこの作品のクオリティを代弁しているといってよいだろう。
#日本語吹き替えもヒドくて、元音と元音声の際目がブツブツ切れるんだぜ。

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image2057.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:111分
監 督:矢口史靖
出 演:五十嵐信次郎、吉高由里子、濱田岳、川合正悟、川島潤哉、田畑智子、和久井映見、小野武彦、田中要次、森下能幸、古川雄輝、高橋春留奈、大窪人衛、今井隆文、三浦圭祐、安田聖愛、星野亜門、竹井亮介、藤本静、細川洋平、大久保綾乃、遊木康剛、徳井優、菅原大吉、大石吾朗、竹中直人、田辺誠一 他
コピー: 変形しない。戦わない。働きもしない。そんなロボットに日本中が恋をした――。


中小家電メーカー木村電器の窓際社員、小林、太田、長井の3人は、ワンマン社長から二足歩行ロボット開発を命じられる。それも三ヵ月後に開催されるロボット博に登場させ、会社にアピールをさせるとのこと。しかし、あと一週間というところで、制作途中のロボット“ニュー潮風”が窓から落下して大破してしまう。追い詰められた3人はロボットの製作を諦め、ロボットの中に人間を入れてロボット博での発表を乗り切ろうと考える。着ぐるみショーのアルバイトと偽って中に入れる体型の人を求人すると、ぴったりの人を発見。しかし、適格者は73歳の独居老人・鈴木重光。鈴木さんにも、最後まで着ぐるみショーだと言い聞かせ、なんとか誤魔化しきろうとするのだったが…というストーリー。

冒頭でロボットが大破するのだが、そのシーンではそれなりにサクサク動いている。後のシーンを観ると、どう考えても3人にロボットの知識はなく、あそこまで歩けるロボットを作れる技術があるようには描けていない。
おまけに、歩いて、窓を突き破って、パソコンやら機材も引っ張って、すべて階下に落下させる。そのシーンが力学的にあまりにも不自然で、ギャグだとしてもそれはないだろ…って描写。パソコンのバックアップを取っていないというけれど、ハードディスクってそう簡単に壊れないし。よくわかかっていないスタッフばかりが集まっていたんだろうね。取材不足ってもあるんだろう。
壊れましたていう展開にしたいのはわかる。ワンマン社長なのもわかる。でも、大破したロボットを見せて壊れちゃいました…となぜ言えないのか、そこまでの事情がまったくわからないから、全然ピンとこない。
もう、冒頭ですっかり観る気が失せてしまった。

一方、爺さんの生活や寂しさ、その心情を描いた部分は悪くない。ミッキー・カーティスは、五十嵐信次郎名義で気合満開で、結果を出していると思う。しかし、そののやる気も、一方のロボットのドタバタがヒドすぎて、台無しになっちゃった。

実際、世の中で発表されているロボットの仕組みや構造なんか、一般人はわかっていないかもしれない。でも、だからといって中に人が入っていてもわからんのじゃないのか?っていう視点って、親父ギャグ以下の稚拙な視点じゃなかろうか。
動くたびにウィーンとかどういう仕組みで音でてるわけ?間接部分スカスカだったじゃん。分解してる映像を観ても、そんな部品ないし。こういう、詰めの甘さって、観ていてイライラするわ。いくらコメディだって、そういうこともあるかな?って感じられるレベルじゃないと観ていられないだろう。はじめから最後まで、違和感を感じさせ続けるなんて、映画として最低じゃないかなぁ。

髪の毛発見したあとのくだりも、グダグダ。普通に髪の毛が付いていると考える方が自然だし。
CADソフト1日で使いこなせねーし。大学生の話を聞いたからって、元々、素養のあった人でもないのに設計書なんか書けないって。だから、はじめに壊れたロボット程度なら作れる技量があるのか、営業とか修理程度しかできないのか、どっちの設定なんだ?
①一流ではないけど、それなりには作れる技量はある。⇒でも壊れちゃったからやむを得ず爺さんで…。⇒大学生の話を聞いたら、バレる前に本物を作れそう…
②はじめから全然無理ゲー。⇒お茶を濁す程度のロボットを作ったけど壊れちゃう。⇒爺さんで誤魔化す。⇒大学生の話を聞いたら、本当に作れそうな気分になる…
①と②のどっちなのか?ロボット博のインタビューではまったく畑違いだといっていたし、大学のイベントで学生の質問を全然理解していなかったし、3人の素養としては②なんだろう。でも、ストーリー的には①のように努力させたかったんだろ。だって矢口監督作品の面白さってソコだったじゃない。

このどっち着かずのシナリオがつまんない原因なんだって。3人のうち一人か二人は、かつてロボット製作を夢見ていたけど、会社に入ったらそんなことやらせてもらえなくて…って、そういう設定にしないとさ。
マジメ練れよ。これ、矢口監督作品の中で、最低のデキだと、私は思う。
#もうちょっといい映画だった、ニュー潮風のフィギュア買う気になれたかも。

おどろくべきことに、世の中には、本作の誤魔化し具合やロボットイベントや業界の描写をみて、とてもリアルだという人がいるようだ。世間知らずも甚だしいとは思うけど、そういう人は何も疑わずに映画を観ることができて、さぞや幸せだとも思う。私、映画を観ても75%くらいは、これおかしくね?って思う方なので、本気で幸せなんだろうな…と思うよ。

 

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image2092.png公開年:2012年
公開国:日本
時 間:83分
監 督:金田治
出 演:石垣佑磨、大葉健二、森田涼花、永岡卓也、滝裕可里、西沢利明、穂花、三浦力、岩永洋昭 他
コピー: 蒸着せよ、銀の魂を継ぐ者よ――
 銀河に危機が迫る時、宇宙刑事が立ち上がる



宇宙船“かなた”で火星探索に向かった宇宙飛行士の十文字撃と大熊遠矢が行方不明になる事件が発生。その1年後、宇宙物理学研究開発機構“SARD”が襲撃される。襲撃したのは、30年前に宇宙犯罪組織マクーを率いたドン・ホラーの残党。しかし、その危機に宇宙刑事が駆けつける。ギャバンに正体は、銀河連邦警察本部で訓練を重ね、二代目ギャバンとなった見習い宇宙刑事の十文字撃だった。マクーの残党たちの目的は、初代ギャバンによって倒されたドン・ホラーの復活。ドン・ホラーの復活は、全宇宙の危機を意味する。果たして撃は、宇宙の危機を救えるのか…というストーリー。

主題歌の歌詞がとにかく秀逸で、今聞いても燃える。
宇宙刑事ギャバンと言えば、『ロボコップ』の元ネタだと言われているけど、ギャバンって太ももの裏とか、ただの黒タイツなのがダサいなと、昔から思ってた。今回の制作側もそう思っていたのか、腿裏が写るショットが極めて少ない。あのね、私だったら、黒のプロテクターをデザインして新造するわ。「あれね、昔はタイツに見えてたけど、黒いだけだから!」って言うね。企画側のセンスがないよね。フィギュアも売れるのに。

内容は実にシンプル。もうネタバレしちゃってもいいレベルだと思うが、幼馴染がボスキャラですっていう、仮面ライダーBLACK的な昔からある展開。ありきたいだからつまらないかというとそういうこともなく、極めて堂々と往年の特撮作品をやり切っているイメージ。いかにも30周年という企画物らしく、半分は大きい子供が観にくるんだよね?という方向性が固まっている証拠だと思う。

シャリバンとシャイダーも、勿体つけて登場させるんじゃなく、同じ隊員として至極普通に登場。演者も過去の特撮作品で別のヒーローを演じていた人たち。シンケンイエロー森田涼花がシェリーだが、なんか微妙に太ってるが意図なのか否かは不明だが、それほどカワイイを前面に押し出していないことで、作風に違和感が無く極めて自然。
こういうのに往年のヒーローを出すと、取って付けたみたいな感じになるんだけど、大葉健二がしっかり動けているせいか、こちらも違和感がない。はじめ、石垣佑磨が主役って聞いて、どうかなぁ…と思ってたりしけど、特に悪くはない。とにかく全体的によく纏まっている印象。

金田治は、仮面ライダー作品を多く手がけているが、なんでこんなに当たり外れのムラが大きいのか。金田監督といえばアクションシーンが一つの売りなのだが、これも、いい作品と悪い作品がある。本作はどちらかといえば悪い。十文字撃がくるくるとCGでアクションするシーンは興ざめ。そう、金田監督のアクションはCGと相性が悪い。現在だと、予算の関係は「ワイヤーアクション>CG」なんだろうな。金田監督作品の良し悪しは、アクションシーンに予算を割けるかどうか。これがすべてのようだ。

話は逸れるが、二代目ギャバンのイメージカラー(というか初代との差別化)は青。日本の国民色って、昔は赤だったんだけど、ある時期から青に変わったなぁ(サッカーに日本代表ユニフォームが青になったころだろうか)。中国や韓国が赤を使うので別の色にしたってこともあるかもしれないけど、その頃に何か境目があったように思える。

まあまあの佳作。さすがに続編を映画にするのは無理かもしれないけど、TVスペシャルとかビデオ作品で続けて良いと思う。

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image2054.png公開年:2007年
公開国:ベルギー、ルクセンブルク、イギリス、ドイツ、フランス
時 間:103分
監 督:サム・ガルバルスキ
出 演:マリアンヌ・フェイスフル、ミキ・マノイロヴィッチ、ケヴィン・ビショップ、シヴォーン・ヒューレット、ドルカ・グリルシュ、ジェニー・アガター、コーリー・バーク 他
ノミネート:【2007年/第20回ヨーロッパ映画賞】男優賞(ミキ・マノイロヴィッチ)、女優賞(マリアンヌ・フェイスフル)
コピー:この穴から幸せが見える。


ロンドン郊外の村で暮らす主婦のマギー。彼女の孫オリーは難病に苦しんでおり、治療費のために家を手放して質素にくらしていた。しかす、マギーと息子夫婦のトムとサラは、オリーを治療できる医療機関はオーストラリアのみで6週間以内に渡豪しなければ助からないと、医師から宣告される。息子夫婦に費用を捻出する経済力はなく、マギーはなんとかしようと金策に走るが、ローンも断られ、仕事も見つからない。途方にくれて街を歩いていると“ホステス募集・高給”を見つけ、その店に入る。しかし、そこはセックスショップ“セクシー・ワールド”。オーナーのミキは給仕の仕事だと思っている、マギーの世間知らずさに呆れつつも、彼女の手のなめらかさに目をつけ、壁の穴越しに手で男をイカせる仕事を薦める。あまりのことに一度は拒絶したものの、孫のためにはそこで稼ぐ以外に手はなく…というストーリー。

一瞬、他に何とかする方法あるんじゃねーの?と思うかもしれないが、あの町の状態とか、経済状態とか、何をどう考えても“あの手段”以外に方法は見当たらないはず。説得力が高い設定。そして彼女は、自分が汚れることと孫の命を天秤にかけて、後者を選択しアクセルを踏む。

ゆっくり暗転して場面転換という独特の編集方法がよい。登場人物の感情とうまくリンクしている表現だと思う。観ている側に、登場人物のその時の思いや状況を理解させる、絶妙な時間の提供にもなっている。
後半は、バレルかどうかのハラハラ・ドタバタ展開になっていくのかと思いきや、本当の終盤までそれをしなかった。その仕事にドップリつかって派手になっていく…みたいな展開も、ほとんど無かった。ありがちな展開に安易に倒さなかった構成力を評価したい。

東京で見た(というか行った)風俗店のアイデアをパクったという発言や、ヒマつぶしにゲームボーイをやってたりするなど、日本を褒めてるんだか馬鹿にしてるんだかよくわからないところはあるが、そこはご愛嬌。
彼女が孫にさしのべる“やさしい手”と、別の意味の“やさしい手”のダブルミーニングになっており、昨今ではめずらしい優秀な邦題である。

で、覚悟をきめた彼女と対極にいるのが息子。この期に及んで、母親がそんなことをしているのが許せないだ、こんな金は使えないだ。挙句の果てには、みんな俺に指図してばかりだなど、子供の戯言のオンパレード。そう彼は大人としての覚悟ができていない子供なのである。
視点を変えれば、マギーはそんな息子を大人にすることができていないとも言える。いや、できていないというよりもしていないのかもしれない。彼女も子離れができていない未熟な人間なのだ。でも、最後、マギーはすべてを息子に託す。あとはお前のステージだと。

そして、彼女はミキの元へ。息子夫婦の旅立ちとか、これまで村の茶飲み友達だった主婦たちへのカミングアウトとか、死んだ夫の浮気話とか、それらがすべて相まって、久々に最後、ニヤリとさせてくれた作品。単純に恋愛に走ったわけじゃないんだよね。

これ、いかがわしい商売が題材だからおおっぴらに薦めにくいだけで、『過去のない男』クラスの名作でしょ。強くお薦め。

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image2043.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:ニコラス・ウィンディング・レフン
出 演:ライアン・ゴズリング、キャリー・マリガン、ブライアン・クランストン、クリスティナ・ヘンドリックス、ロン・パールマン、オスカー・アイザック、アルバート・ブルックス 他
受 賞:【2011年/第64回カンヌ国際映画祭】監督賞(ニコラス・ウィンディング・レフン)
 【2011年/第46回全米批評家協会賞】助演男優賞(アルバート・ブルックス)
 【2011年/第78回NY批評家協会賞】助演男優賞(アルバート・ブルックス)
 【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】アクション映画賞
コピー:疾走する純愛――

自動車修理工場で働く男は、昼は映画のカースタントマンとして活躍する一方、夜が強盗の逃走を手伝う仕事も請け負っていた。家族も友人もいない孤独な彼だたが、同じアパートに暮らす人妻アイリーンと出会い、人目で恋に落ちる。彼女の夫スタンダードが服役中で、今は息子と二人暮らし。口下手ながらも徐々に距離を縮めていく二人だったが、そんなある日、服役していたアイリーンの夫スタンダードが出所してくることに。アイリーンもドライバーに心を寄せてはいたが、更生を誓う夫の姿を見て再び家族として暮らしていくことを決断する。しかし、スタンダードは服役中に用心棒代として多額の借金をしており、その代償として強盗の手助けをするよう強要されていた。再びアイリーンと息子が不幸になることを見かねたドライバーは、スタンダードが請け負った強盗計画を手伝うことを決める…というストーリー。

冒頭の強盗の逃走を手伝う様子を観て、先日観た『ザ・ドライバー』のリメイクかと本気で思った。また、冒頭の強盗の次に、スタントのシーンになり、さらに自動車工場で働くシーンになったので、昔は強盗だったけど嫌気がさして、スタントマンと工場勤務をしてるんだな…と。自動車工場の親父も、ある時ふらっとやってきて雇ったと言っていたし。しかし、調べてみると、逃がし屋は継続していて三足のわらじを履いている設定だとか。わかりにくいし、足を洗ったのに、アイリーンと息子のために戻る決断をする…という方がプロットとしてはおもしろいと思うのだが。
それこそ『ザ・ドライバー』の主人公のその後…といった感じだったらよかったのい。

カンヌ等々、なかなかの受賞暦だが、個人的にはピンとこない。やはり直前に『ザ・ドライバー』を観ちゃったのがよくなかったんだと思う。『ザ・ドライバー』よりもカーアクションは劣るし、主人公の寡黙さやミステリアスさも落ちる。
唯一勝っているのはバイオレンス要素だけである。正直、そういうエグい展開になるとは思っていなかった。闘争中のショットガンで吹っ飛ぶ血肉といった激しい描写だけでなく、エレベーターの中で、アイリーンと殺し屋とドライバーの3人になり、彼女の前で鬼になる瞬間など、心理描写も悪くない。

オチも、大金などには目もくれず、アイリーンと息子を守るためだけに行動する。最終的に大金には手をつけず消える。金が残っていればマフィアが彼女たちを追うことはないだろうという考えだろう。

しかし、ロン・パールマン演じるニーノを海岸で殺すシーンだが、殺すんならあんなマスクいらないんじゃないかと思う。マスクをかぶる意味は、マスクをしてはげ頭の男が犯人だとミスリードするためだと思う。そう考えると犯人が別人だということを判らせるためにニーノは殺さずにおくほうがいい。あれ?もしかして殺してないのか?でも、アイリーンの面は割れてるし、そんなことをする意味があるのか?わからん。
結局、最後の死闘だって素顔だったしなぁ…。スタントマンという設定は、あのマスクのためだけに存在するのだが、不要だったのではなかろうか。

ジャケットとかオープニングの、ネオンのようなピンクとか紫の映像に、一体どんな意味があったのか。ストーリーとも無関係だし、内容と雰囲気が違いすぎて、どういう効果を狙ったのか不明。さらに、生きてまーすという終わり方にも、どういう意図があったのか。

アイリーンが命をかけてまで守ろうと思えるほどいい女に思えなかったという点も、いまいちノリきれなかった原因だと思う。
#やっぱり、カンヌで評価されるような作品は、私と相性が悪い。

拍手[0回]

image2045.png公開年:2010年
公開国:ケイシー・アフレック
時 間:134分
監 督:オタール・イオセリアーニ
出 演:ホアキン・フェニックス、アントニー・ラングドン、キャリー・パーロフ、ラリー・マクヘイル、ケイシー・アフレック、ジャック・ニコルソン、ブルース・ウィリス、ダニー・デヴィート、ベン・スティラー、ショーン・コムズ、ジェイミー・フォックス、ビリー・クリスタル、ダニー・グローヴァー 他
コピー:信じた私が、バカでした。



二度オスカーにノミネートされた演技派ホアキン・フェニックスは、2008年末に突然引退を発表。さらにラッパーへの転進を宣言したことで、全米は仰天する。その後、髭を伸ばし放題の風貌で奇行を繰り返すと、ファンや俳優仲間たちから同情と心配の声が寄せられるのだった。ところが二年後、この騒動は義弟のケイシー・アフレックと一緒に仕組んだ、フェイク・ドキュメンタリー映画の撮影だったことを発表するのだった…。

当初は、ホアキンも、過剰に反応したり、どうやって蔑んでやろうかと、ここぞとばかりにもっともらしいことを言って悦に入っている半業界人みたいな奴らを炙り出して、滑稽に描くことが目的だったと思う。これまで成功していた人間が、自業自得とばかりにズルズルと滑り落ちていくのを見ると、嬉々として追い討ちをかけようとする人種は確かにいる(意外に男性の中にそういうのが多い)。
擦り寄ってくる気分の悪い奴らにうんざりしていたんだろう。気持ちはわかる。

しかし、いくら嘘だといっても、その嘘を何年も続けていれば、それに対するリアクションは“事実”として積み上げられていく。さらに、ホアキンが自らも予想外の失態を重ねることで、だんだんとて追い詰められていく。はじめは、嘘の周りで踊る人々の様子をシニカルに切り取るはずだったのに、自分も踊っていることに気付き焦り始めると、もう俯瞰でこの出来事を見つめる余裕は無くなっていく。
ホアキンがプレーヤーになっていく一方で、はたしてケイシー・アフレックは客観的な目線を持ち続けていられたのか?フレームの中にあまりいないからわからないだけで、かなりギリギリの線だったと思う。

試写会後の会見後に「ウソでしたー」と明確に種明かししたそうなのだが、実は本作を観ただけだと、実は最後まで虚実はわからない。これが本作のおもしろさであり、作品としての価値だと思う。
マスコミのウソや、世論が形成されていく様子。大衆が冷静さを失っていく様子など、本当にこれをケイシー・アフレックが明確に意図していたかは甚だ疑問だが、実にしっかりした問題提起になっていると思う。佳作。

#ただ、まあ、ネタだったとはいえ、2年も映画の世界から離れていたわけで、実際、休養したかったんだとは思うのよね。本作から2012年の『ザ・マスター』まで仕事がこなかったのは、計算通りだったとは思えないけど(この騒動のイメージが強烈すぎて、映画では使いにくいもの)。

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image2091.png公開年:1979年
公開国:日本
時 間:134分
監 督:斎藤光正
出 演:西田敏行、夏八木勲、仲谷昇、鰐淵晴子、斉藤とも子、石浜朗、村松英子、小沢栄太郎、池波志乃、原知佐子、山本麟一、宮内淳、二木てるみ、梅宮辰夫、浜木綿子、北林早苗、中村玉緒、加藤嘉、京唄子、村田知栄子、藤巻潤、三谷昇、金子信雄、中村雅俊、秋野太作、横溝正史、角川春樹、中田博久 他



昭和22年。銀座の宝石店・天銀堂で、複数の店員を薬殺し、宝石を盗む事件が発生。椿英輔子爵はその容疑者に良く似ていたため、取調べを受ける。事件当時は関西に旅行中だったためアリバイが立証され放免となったが、椿子爵は直後に失踪。数ヵ月後に、信州・霧ヶ峰でその遺体となって発見される。遺書には、容疑者にされた屈辱に耐えかねる旨とともに、“ああ、悪魔が来りて笛を吹く。”という一文が添えられていた。その遺書を携えた椿子爵の娘・美禰子は、金田一耕助の元を訪れる。椿子爵の妻や周囲の人が、死んだはずの椿子爵らしき人物を目撃したというのだ。調査を依頼された金田一が椿邸を訪れると、椿子爵の生存を占う「砂占い」の儀式が行われたが、その夜、椿子爵の伯父・玉虫伯爵が殺されてしまう…と言うストーリー。

西田敏行が金田一耕助演じる作品。なかなかレンタルしているところが無く、やっと発見。初見である。既にTVドラマでは売れっ子だったが、おそらく西田敏行の映画初主演作品かと。
市川崑×石坂浩二の『犬神家の一族(1976)』と同時期で、同じ角川映画。でも、『犬神家の一族』後の『悪魔の手毬唄(1977)』『獄門島 (1977)』『女王蜂 (1978)』と、同じ市川崑×石坂浩二なのになぜか東宝製作(その事情はわからん)。1979年になって再び角川春樹は金田一耕助を手がけるわけだが、その後も『金田一耕助の冒険(1979)』『悪霊島(1981)』と金田一を続けようとする。妙な執念を感じる。

散々、TVドラマ版も作られておりお馴染みの内容。『八つ墓村』では津山三十人殺しをモチーフに、本作では帝銀事件をモチーフにするなどいかにも横溝節。しかし、何といってもフルートが三本指でも演奏できるというところがおもしろポイントだったのに、本作ではそこには重きを置いていないなど、謎解きの部分に焦点がうまくあたっておらず、ドロドロとした汚れた血のくだりにばかりが描かれている。
他の映画化された作品と違い、金田一が事件がおこる土地を訪れるんじゃなく、金田一が住んでる部屋のそう遠くないところで発生しているのも特徴なのだが、そのせいか雰囲気はよろしくない。無駄に中村雅俊や梅宮辰夫・浜木綿子なんかを出して、彼らの個性が雰囲気を壊す結果になっているのもいただけない。

その後、西田敏行版は作られることはなかったわけだが、金田一ブームが去りつつあったという捉え方もできるが、西田敏行のデキが良くないのも原因だと思う。苦虫をつぶした顔が多く、石坂版の飄々とした部分がない。そして、所々でTVドラマでのコミカルな演技をひっぱってくるのだが、軽口を連発するコミカル演技がスベって掴みに失敗している。
“先生”呼ばわりされるのも違和感があるし、普通の探偵以上の何かが感じられないなど、金田一のキャラクターというかディテールに魅力が極めて薄い。こんなことなら、石坂浩二版の服装を模倣せずに、オリジナルの風貌にすればよかったのだ。

お話自体も、ドロドロなタブーを直球で表現するよりも、すこしオブラートに包むほうが雰囲気が出る作品。TV版のほうが面白く感じるのは、その辺をお茶の間に流しても許容されるレベルにぼかしているからだろう。
中尾彬版とどっこいの出来栄え。こっちには池波志乃が出ているが、どちらも金田一とは相性が悪かった模様。金田一シリーズのファンとしてはものすごく期待していたのだが、残念な作品。

 

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image2088.png公開年:2012年
公開国:日本
時 間:134分
監 督:大友啓史
出 演:佐藤健、武井咲、吉川晃司、蒼井優、青木崇高、綾野剛、須藤元気、田中偉登、斎藤洋介、平田薫、永野芽郁、平山祐介、深水元基、本田大輔、岡本光太郎、矢柴俊博、阿南敦子、有福正志、落合モトキ、永堀剛敏、松嶋亮太、窪田正孝、宮川一朗太、徳永淳、原田裕章、光宣、高野漁、川鶴晃裕、内藤和也、渡辺菜月、河村愛子、松尾諭、奥田瑛二、江口洋介、香川照之 他
ノミネート:【2012年/第36回日本アカデミー賞】新人俳優賞(武井咲「愛と誠」「今日、恋をはじめます」に対しても)
コピー: かならず、帰る。

明治11年。東京で“人斬り抜刀斎”を名乗る男による無差別な人斬りが繰り返されていた。亡き父から継承した神谷道場を切り盛りする神谷薫は、抜刀斎と遭遇。無謀にも一人で立ち向かおうとするが、危ういところを通りすがりの男に助けられる。その男は、幕末に反幕府軍の暗殺者として活躍した人斬り抜刀斎本人で、今は緋村剣心と名乗り、“不殺の誓い”を立て流浪の旅を続け、人助けをしているのだった。東京に出没している“人斬り抜刀斎”の正体は、実業家・武田観柳の用心棒・鵜堂刃衛。観柳は新種の阿片で世界征服を目論む男で、その陰謀に剣心も巻き込まれていく…というストーリー。

ポスターを見た時は、蒼井優ひでーと思ったが、動いているのを観るとそれほど変じゃなかった。

原作の東京編をギュっと凝縮させている。なんとかまとめてはいるのだが、まだまだ削ぎ落とす必要があったようだ。話をなぞることに一生懸命になって、キャラクター一人一人の掘り下げが甘く感じる。
それぞれの心の中にある思い、恨み、悔しさ、怒り。体制が変わって、今まで命を賭けていた“価値観”が崩壊し、あれはいったい何だったのか…というやるせなさみたいなものが漂っていない。
特に左之助はいらなくないか?と思うほど薄っぺらい。屋敷に乗り込んだ時、観柳にガトリングガンで応戦されるシーンは剣心と左之助のコンビじゃないといけないと考えたんだろう。屋敷に乗り込むときも、全然左之助が頼もしく感じないのは、左之助とのエピソードが描かれていないから。こんなことなら、剣心と斎藤一のコンビに改めてもよかったと思う。江口洋介の斎藤一は感情出しすぎな気がするが、原作に愚直に寄せていく必要もないから、まあいいか。
#演じてる役者も佐藤浩市のものまねする芸人みたいな顔で、ピリっとしない。

もう一つ残念なのは、アクションの編集がコマ切れすぎな点。アクション監督をわざわざ設けたのにもったいない。というか、そういう編集をしないと観れたもんじゃないレベルだったのか。それに、ヨリのカットが多すぎで、アクションの流れが掴めない。アクションは結構なウリだったはずなのに勿体無い。

この手の作品はありがちな、妙なシーンがやっぱりある。
剣心が抜刀斎時代の回想シーン。斬った相手が「大事な人がいるから死ねない」って言いながら何度も起き上がってくる。そう思うなら寝てろ…と。海外の人がみたら、間違いなく珍奇に写るだろう。原作はどうあれ、この映画では失敗演出。
なんか実写で観ると、鵜堂刃衛の“心の一方”がまるで魔術で興ざめする。もっと、説得力をもたせる演出にはできなかったものか。
剣心の“不殺”の思いを、薫が理解していればこそ、また人斬りに戻らないように、声を出せたわけで、本作では、薫が人斬りに戻ってほしくないと、術が解けるほど強く思っているように感じられない。前フリが薄いのだ。

やひこのイントンネーションとか、佐藤健の台詞回し、ちょくちょくおかしいのは気になるが、まあとにかく似ている。他のキャストも同様に良く似ている。うん、よくがんばって似せたね。でも、映画は似ている姿を見せるのが目的じゃないからね。削る技術に欠ける脚本家たち。至らずな努力賞作品。

#香川照之が竹中直人化してるなぁ

 

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image1194.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:110分
監 督:塚本連平
出 演:市原隼人、麻生久美子、根岸季衣、ガッツ石松、竹中直人、坂井真紀、佐々木蔵之介、志賀廣太郎、酒井敏也、森崎博之、石野真子、片桐はいり、掟ポルシェ、宮地雅子、安藤玉恵、脇知弘、賀来賢人、石田卓也、加治将樹、倉科カナ、小柳友、冨浦智嗣、水沢奈子、宇田学、成嶋こと里、豊田エリー 他
コピー:いっちょイタズラいきますか。


1979年のとある田舎町。イタズラ大好きの“ママチャリ”たち7人は、気ままな高校生活を送っていた。そんな中、新任の駐在さんが彼らの前に立ちはだかる。その駐在さんは、イタズラをされるとしっかりやり返してくるという大人げのない人物。ママチャリたちが仕掛ける“嵐のチャリンコライダー作戦”“鉄の嵐作戦”“SM貴族作戦”などにことごとく応戦。時には、公務員らしからぬ手段すら行使する駐在さんと7人の攻防は、長期戦に突入するのだった…というストーリー。

市原隼人の出ている作品を初めて観た(芸人が彼のモノマネをしたのを見てもよくわからなかったのだが、本作を観てもよくわからなかった)。イキのいい役者だし、コミカルな本作にはマッチしていると思うが、ちょっと単調だったかも。

イタズラ好きなバカ高校生たちと駐在さんという設定はすごく良い。かわいい馬鹿共は観ていて楽しいし、冒頭の掴みも良かったと思う。で小ネタのオンパレードだが、微笑ましいシーンの連発で決して悪くない。でも、どういうわけか空回りというか冷めてしまうのは何故なのか。

原作がそうなんだろうが、舞台を1979年にする意味が極めて希薄。町並みや小道具で雰囲気を作るべきなのだが、建造物などから1979年であることは伝わってこないし、むしろ現代の田舎にしか思えない。予算がないのはわかるが、1979年であることを表現するために、当時のCMや歌謡曲を無理やり挟みこむことしかできないのが、けっこうヒドい。

ラストに向かうにつれほころびが広がっていく。子供の心臓手術に子供の同意が必要?そんな手続きないでしょ。根本的に、最後にあんな中途半端な人情話はいらないんじゃなかろうか…と思うし。
同僚の警察官の台詞は「花火の代金払ってまいりました」じゃなくて「花火の請求書です」じゃないんだろうか。同僚の警官があの金額を立て替えたわけ?何かおかしいでしょ。こういうディテールの荒さが興醒めを招いている。

嫌いじゃないけど、凡作どまり。ファンキーモンキーベイビーズの曲が全然マッチしてないんだよなぁ。コメディなのにノリや雰囲気が作れていない作品。

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image2079.png公開年:2012年
公開国:日本
時 間:126分
監 督:増井壮一
出 演:矢島晶子、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、真柴摩利、林玉緒、一龍斎貞友、佐藤智恵、納谷六朗、寺田はるひ、富沢美智恵、三石琴乃、大本眞基子、阪口大助、萩森イ旬子、チョー、岩田光央、柴田秀勝、三ツ矢雄二、日高のり子、川村万梨阿、隈本吉成、辻親八、鈴木れい子、藤井隆、田中直樹、遠藤章造、土田晃之、羽鳥慎一、飯塚昭三 他
コピー:おバカ、ときどき、兄。宇宙も揺るがす、5才の決断!!


ある日、自分が取っておいたプリンをひまわりに食べられてしまい怒ったしんのすけは、思わず「ひまわりなんかいらない」と叫んで、家を飛び出してしまう。そこに、ひまわり姫を捜しているという、謎の二人の男が現れる。両親が困惑している中、男が差し出した紙に、サインをしてしまうしんのすけ。次の瞬間、上空にUFOが現れ、野原一家は吸い込まれてしまう。謎の男の一人ウラナスビの案内で到着したのは、“ヒマワリ星”という見知らぬ星。その星の王ゴロネスキーは、ひまわり様が姫にならなければ地球もヒマワリ星も消滅する…と主張する。そして、しんのすけがサインしたのは、ひまわりを引き渡すことを認める宇宙契約書であったことを知り…というストーリー。

それほど、プロットは悪くない。でも前半の演出がけっこうヒドい。状況説明がスッと入ってこない。散々、言葉での説明を繰り返すのが良くない。言葉ではなく流れとアクションで理解させなければいけないと思う。ゴロネスキーの詭弁をダラダラ聞かされて、子供が面白いと思うだろうか。

内閣紹介の歌とか、ダサい演出であるだけでなく、キャラの特徴の説明がわかりにくい。わかりにくいのだが、これからどういう邪魔をするのかは直球で伝わってくるので、実際に邪魔をする段階になると、新鮮味がない。
#ベテラン声優人の仕事もあまりいいとは思えないな。
一番悪いのは、ゴロネスキーというキャラを、悪役にしきれなかった点。あのヒママター理論とやら自体が、すべて嘘で、実は別の目的があったという展開のほうが、まだマシだったかもしれない。そうしないなら、内閣陣はもっと悪辣でよかったと思う。
そのせいで、ナウシカのパロディが全然生きていない。王がラスボスなのに、あっさり納得して、伝説の解説までしちゃうという演出のつまらなさよ。大人のクスり笑いを誘発したかったのだろうが、惨敗。

それでも、中盤になって、地球に戻される前後で、盛り返すチャンスはあったと思う。盛り上がりを考えれば、もっとかすかべ防衛隊に活躍させるべき。ひまわり星人におアパートを見つける程度の仕事ではなく、星に助けに行くくらいの友情パワーを見せてくれればよかったと思う。お助け養分が足りない。

シロも一緒にひまわりと確保されているのに、何の役回りも担っていないとか、小ネタもことごとくスベってしまった。もう、いつもは芸人ゲストの質の悪さに目がいくのが、もうそんなことどうでもよく感じるレベル。
とにかくノリがブツ切りな作品。どうにでもできたと思うんだけどなぁ。

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image2064.png公開年:2010年
公開国:フランス、グルジア、ロシア
時 間:126分
監 督:オタール・イオセリアーニ
出 演:ダト・タリエラシュヴィリ、ビュル・オジエ、ピエール・エテックス 他
コピー:どんなときも、口笛ふいていこう。





旧ソ連時代のグルジア。やんちゃ小僧だったニコは、成長して夢をかなえて映画監督になった。しかし、苦労を重ねて作り上げた作品は、検閲によって上映禁止と判定されてしまう。おまけに思想的に問題があると思われたのか、何者かから監視されるようになる。ニコの友人は、彼を救おうとフランス大使に引き合わせるが、それを理由に逮捕され暴行を受けてしまう。このままグルジアにいても、本当に作りたい映画をつくることができないと考えたニコは、意を決しフランスへ旅立つ決心をするのだったが…というストーリー。

監督の自叙伝的な作品らしいとのことで、映画愛に溢れた作品なのかと思ったが、そうでもなかった。冒頭の子供時代の、聖人画を汽車で盗みにいくシーン(そして撮影)なんかは、なかなか期待させてくれたのだが…。

なんでこの主人公は映画監督になれたのか。共産圏において、好きというだけで政府から予算をもらえるわけがなく、それなりに成果なりコネがなければ、そうはならないと思う。確かに自分の好きなようにやらせてもらえないということに反発しているのはわかる。しかし、この若い監督の、それなりの才能の片鱗っていうものが、説明できていないから、ただの尖がった若造に見えて、すごく感じが悪い。ちょくちょく作品の映像は出てくるけれど、なんだか良くわからないし、何が検閲者の気に触ったのかもわからない。

それどころか、あまりにも難解で突飛な演出で、体制がどうとかというレベルではなく、純粋に人様に見てもらうような作品に仕上がっていないように思える。グルジアでもフランスでも、結局、別の編集者が介入してくるが、そうしないとまともな作品にならないと判断されるレベルなんだと思う。
じゃあ、なんでこの程度の才能しかない男が、グルジアで映画を撮れるポジションを得ることができたのか?と。マグレあたりで、処女作品は良いデキだったのか?もし、そうならそれを表現しないと。なぜ、フランスのプロデューサーたちは、金を出そうと思ったのか。国境を跨いで名声が聞こえるほどの作品を過去に作ったのか?わからん。

映画は他人様に観てもらい、他人様の心を動かすもの。他人様のことは一切考えずに好きなものを撮るだけなら、自分で金を貯めるか、危篤なパトロンを見つけるかのいずれしかない。それもできないのに、しがみつくくせに、撮れば撮ったで誰の助言も聴き入れない。その挙句、公開したら閑古鳥。それもまるで介入されたせいだと言わんばかりに、フランスでは映画は撮れないとプロデューサに悪口雑言を吐いてグルジアに戻る始末。

正直、眠くなるような刺激のない演出と展開が続いた上に、この、クソ人間っぷりをみせられて、閉口した。おそらく最後の演出は、絶望して自殺したってことなんだろう。そりゃ、死にたくもなろうだろうさ…。

126分の上映時間だが、3時間以上に感じた。まったく良さがわからん。

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プロフィール
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クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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