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公開年:1979年
公開国:日本
時 間:139分
監 督:市川崑
出 演:石坂浩二、佐久間良子、桜田淳子、草刈正雄、ピーター、中井貴惠、河原裕昌、久富惟晴、三条美紀、萩尾みどり、岡本信人、清水紘治、小林昭二、あおい輝彦、加藤武、常田富士男、入江たか子、草笛光子、大滝秀治、三木のり平、小沢栄太郎、白石加代子、林ゆたか、早田文次、山本伸吾、三谷昇、菊地勇一、林一夫、横溝正史 他
昭和26年。数々の事件に関わり心身共に疲れ果てた金田一耕助は、アメリカに渡ろうと決意する。渡米前に昔馴染の老推理作家を訪ねると、パスポート用の写真を撮っていないことを指摘され、近所の本條写真館を紹介される。そこを訪ねた金田一は、経営者の徳兵衛から、近頃、命を狙われているようなので調査してほしいと依頼を受ける。その日の夕方、若い女性が姉の結婚写真の撮影依頼に写真館を訪れる。しかし、その撮影場所には、女性が自殺したという場所でもあったいわくつきの廃墟を指定。写真館の長男・直吉は、依頼に来た少女と瓜二つの花嫁と初見の花婿の写真を撮った。翌晩、また写真を撮って欲しいと昨日の若い女性からの電話が入り、本條父子、弟子の黙太郎、金田一が撮影現場に行くと、天井から花婿の生首が風鈴のように吊るされており…というストーリー。
市川崑祭り継続中(笑)。市川崑版・金田一耕助シリーズの最終5作目。原作でも金田一耕助最後の事件という位置づけの作品。しかし、金田一耕助最後の事件といいながら、本作の舞台は昭和26年。『女王蜂』の舞台って昭和27年だったじゃないか。いきなり前作と矛盾が生じてしており、腰が砕ける。
市川崑による金田一耕助シリーズは打ち止めですよ…という意味と理解しようと考えたが、本作を昭和27年や28年としてはいけない理由が逆に思いつかない。これじゃあ、アメリカから帰ってきたことになっちゃう。
とにかく、これまでの4作とは趣を異にする。市川崑版・金田一耕助シリーズといえば、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』でも見られるレタリング体のフォント表記。スタッフや演者の表記や、『獄門島』ではナレーション的な表記も行われいるが、なんと本作のスタッフ表記は、普通のゴシック体(かろうじて“昭和26年”だけレタリング体だけど)。おまけにジャズ音楽がバックに流れ、これまでの因習深い僻地の雰囲気は一切皆無。さては製作会社が変わったのか?実は市川崑が監督していないんじゃないか?と思うほどである(もちろん変わっていない)。
期待され求められ、それに応えるらめに苦心を重ねた演出を、簡単にマンネリと揶揄された反発ではなかったのかと、個人的は思う。
冒頭と最後には、原作者の横溝正史が長々と登場(おそらく奥様も)。別に重要な役でも何でもない上に、おどろくほどの棒読みの長セリフ。その親族の娘として中井貴恵が出てくるが、相変わらずの稚拙な演技で、そこに彼女を配置するのってやっぱり市川崑は中井貴恵をポンコツと思っていたのかしら…なんて思ってしまう。
で、これまでの作品だと、ダラダラと長い家系図ばかりで判りにくいこと極まりない原作を、できるだけすっきり腑に落ちるように苦心していた様子が見られたのだが、本作ではそれすら完全放棄している感じ。草刈正雄演じる黙太郎に、劇中で「わかりにくい」と言わしめる始末。実際、これまで以上に人物相関図が複雑で、正直に言うと見終わっても良く把握できていない。由香利と小雪が腹違いでそっくりという以外には、さっぱり頭に入ってこない(これでも、原作版よりすっきりさせてはいるらしい)。
『女王蜂』で消えた、腹違いとか近親相姦とか首ちょんぱなどのギミックも復活。さらに『犬神家の一族』で佐清を演じたあおい輝彦はもちろん、常田富士男、大滝秀治、三木のり平、小林昭二などの常連陣を全員召集。加藤武演じる刑事の粋なラストも健在。完全に卒業のお祭り作品と化している。
これは、市川崑の「もうこれで勘弁してください」って思いと「いままでありがとう」っていう相反する気持ちが入り混じった作品なんだろう。金田一耕助感謝祭の最後の打ち上げ花火なんだな…と。そういう意味で、“奇作”である。
ただ、常連組で岸恵子と坂口良子は不在。単にスケジュールが合わなかっただけかもしれないが、この2名だけは思い入れが強くて、あえて出さなかったのではないかな…なんて個人的には思っている。
特段の美しさを放っている桜田淳子にも目が行くが、草刈正雄も興味深い。金田一と並列で狂言回しを演じているのだが、もしかすると、本作でいい味を出せば、別の推理サスペンスシリーズで主役を張らせようという映画会社の思いがあったのかもしれない。
しかし、つんのめった台詞回しが、せっかく耽溺している雰囲気を壊してしまい、とてもポスト石坂浩二が務まる器ではないことを証明してしまっている。エピローグで、何か仕事がないか横溝正史にお願いしているのだが、もちろん無い(笑)。
これは前4作の鑑賞を完走した人だけの、オマケ作品である。これだけを観て市川崑版・金田一耕助シリーズを評価することがないように願う。
負けるな日本
公開年:1978年
公開国:日本
時 間:140分
監 督:市川崑
出 演:石坂浩二、中井貴恵、高峰三枝子、司葉子、岸恵子、仲代達矢、萩尾みどり、沖雅也、加藤武、大滝秀治、神山繁、小林昭二、伴淳三郎、三木のり平、草笛光子、坂口良子、白石加代子、石田信之、中島久之、佐々木剛、佐々木勝彦、冷泉公裕、高野浩幸、常田富士男 他
昭和27年。伊豆山中の月琴の里で育てられた大道寺智子は19歳になり、かねてからの約束どおり、父・大道寺欣造の住む京都で暮らすこととなった。そんなある日、大道寺家の弁護士のところに、新聞の文字を切り貼りした「智子を呼び寄せてはいけない」という手紙が届いた。手紙には月琴の里で19年前におこった事件にも触れており、弁護士は私立探偵の金田一耕助に調査を依頼した。金田一が到着した日、大道寺家では、智子に求婚していた男の一人・遊佐三郎が何者かに惨殺される事件が発生。金田一は、智子の出生の秘密に事件の真相があると調査し始めるのだが…というストーリー…。
先日、『おとうと』を観たことで、私の中で“市川崑”祭りが開催されてしまった模様。
本作は、『犬神家の一族』から始まる市川崑による金田一耕助シリーズの4作目である。東宝作品としては全部で5作あるのだが、5作目の『病院坂の首縊りの家』はいささか毛色が異なるので、実質、市川崑独特の様式美が全開となっている横溝正史作品は、本作がラストといってよい。
『犬神家の一族(1976年)』『悪魔の手毬唄(1977年)』『獄門島(1977年)』『女王蜂(1978年)』『病院坂の首縊りの家(1979年)』と短期間に立て続けに作られており、さらに野村芳太郎監督による『八つ墓村』が1977年に作られていることからも、1970年代後半に横溝正史フィーバーがあったことが覗える。
独特の様式美は後の作品に様々な影響を与えているわけだが、それ以上に観客の目を飽きさせない術がものすごい。原作を読んだことがある人ならお判りだと思うが、実のところ横溝正史の原作は非常に単純。それほど推理モノとしては優れているわけではないので、諸々の伏線のフラグを読み取って熟考すれば、簡単に犯人は判明してしまう。観終わってから、なんでこんな単純な話で楽しめたのか疑問に思えるほどなのだが、それは、観客に考えさせる暇を与えないからだ。
編集ひとつ取っても、ありがちな編集点をはずして緊迫感を演出したり、ベテラン俳優に奇異で味わい深い演技をさせ、その話に聞き入らせる。何としても、観客に2手先を読ませないようにあらゆる手を尽くす。そして、その技術の手練れ具合といえば、単なる映画の演出を超えて、ポップアートか現代美術かっていうレベルである。
古谷一行版も観たことがあるが、同じ話なのに、こうも味が違うものかと。この比較をしただけでも、市川崑のキレっぷりは天才の領域であることを否定できまい。
しかし、作を重ねるごとに、インパクトの強いアイコンは失われていき、同じようなギミックが重なっていることから、急速にマンネリ化が進んだことが覗える。たとえば、また演劇関係の一座に関係したなりすましとかね(もちろん市川崑のせいではなく、横溝正史の問題)。
ちょっと、市川崑もつかれちゃったのかな…と思わせるのは、中井貴恵の扱い。タイトルの“女王蜂”っぷりを表現するのはマスト条件だと思うのだが、とにかく見た目も演技も野暮ったくて、黙っていても男を惹きつける魅力にはほど遠く、とても納得できるものではない。市川崑をしてもどうしようもなかったのか、どうでもよくなっちゃったのか…。
とは言うものの、大滝秀治や草笛光子、加藤武、岸恵子のレギュラーとも言える面々の演技は平常運転でキレキレだし、高峰三枝子、司葉子、萩尾みどりとゲスト陣の圧巻の演技がマンネリを補って余りある。スケキヨとか釣鐘首チョンパとかある意味キャッチーなギミックが無い分、ブーム当時はインパクトが弱いと思われたかも知れないが、エグい男女間のエピソードも少なく、個人的には地に足が着いた良作だと思う。5作品の中では上位。お薦めしたい。
#等々力警部の「君は間違っちゃいなかった」というのが痺れるよね。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:63分
監 督:中村誠
出 演:大橋のぞみ、北乃きい、土田大、チョー、藤村俊二 他
南国産のオレンジの入った箱と一緒に運ばれてきたチェブラーシカ。チェブラーシカは“ばったり倒れ屋さん”という意味。最初はひとりぼっちだったけれど、すぐにワニのゲーナとお友だちに。2人は、町にやってきたサーカス団に入ろうと芸を練習したけれど、やっぱり雇ってもらえなかった。その帰り道、同じようにサーカスの入団テストに落ちて泣いている少女マーシャと出会い…というストーリー。
“チェブラーシカ”といえば、ロシアのかわいいくまちゃんみたいな奴だよな…、なんでこの映画は日本製なの?監督も日本人だし???三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーとして出ている『チェブラーシカ』ってのもあるけど、それは昔のロシアの人形劇のやつなんだろうな。経緯はわからないが、まあ、それを現代技術で綺麗にシメイクしようっていうことなんだろう。
日本でちょくちょくTV放映していてなつかしー…とかそういう作品じゃなくって、グッズとかでちょこちょこ見かける程度。元々知る人ぞ知るってレベルだよね。
確かに現在の技術の賜物で、映像も綺麗。動きも綺麗。綺麗過ぎて、ストップモーションアニメなんだか、CGアニメなんだかよくわからないほど。綺麗なことが悪いわけじゃないけれど、逆に言ってしまえば、ストップモーションアニメの味が出ていないってこと。
そう、とにかく味がない。チェブラーシカは確かにかわいい。しかし、そのほかのキャラが愛らしさに欠ける。チェブラーシカと同じ世界の住人とは思えないくらい。
また、こういうアニメっていうのは、世界観が大事なのに、街とかセットの感じが異様に陳腐。キャラクターは動かさないといけないから簡素化が必要なのはわかるが、構造物は逆に気合を入れて作りこむもんじゃないのかねえ。はっきりってクリエイターとしてやる気があるのか甚だ疑問になる。粗削りでもいいからやりすぎってくらいやらないとダメ。
ストーリーが安易で子供向けなのは、元々そういう層がターゲットだから仕方が無い。でも、お話も映像も何もかもぽやんぽやんさせてしまったら、作品全体がぼやけてしまうじゃないか。引っかかるものが何も無い。目が飽きる。
他国の有名作品をわざわざリメイクしてこの有様って、ちょっとはずかしいのでは?はっきりいって子供も2分で飽きる。『チェブラーシカかわいー!』とか言うおネエちゃんも4分で飽きる。厳しいことを言って申し訳ないのだが、この監督さん、15分以上、人の興味をひく作品を作る能力があるのか、甚だ怪しい。今後、映画を作る機会があるのかどうかわからないが、もしそういうことがあったら、映画のことが判っている方のご協力を仰いだほうがよいと思う。
お薦めできない。お子様に観せおいて、しばらくおとなしくさせておこう…なんて思ってレンタルしても、その作戦は失敗すると思うので、警告しておく。
負けるな日本
公開年:1960年
公開国:日本
時 間:98分
監 督:市川崑
出 演:岸恵子、川口浩、田中絹代、森雅之、仲谷昇、浜村純、岸田今日子、土方孝哉、夏木章、友田輝、佐々木正時、星ひかる、飛田喜佐夫、伊東光一、江波杏子、穂高のり子、森矢雄二、横山明、森一夫、篠崎一豊、渡辺鉄弥、磯奈美枝、竹内哲郎 他
受 賞:【1961年/第14回カンヌ国際映画祭】フランス映画高等技術委員会賞(市川崑)
【1960年/第11回ブルーリボン賞】作品賞、主演女優賞(岸恵子)、監督賞(市川崑)、撮影賞(宮川一夫)
作家の父と継母の元で暮らすげんと碧郎の姉弟。厳格なクリスチャンである継母は姉弟に対して冷淡で厳しい態度をとり、さらに持病のリウマチを盾に一切の家事をげんに押し付けていた。父の作家としての収入は不安定で、家庭は貧しく暗い雰囲気だったが、げんと碧郎は仲良く明るくふるまっていた。しかし、碧郎の素行は悪くなる一方で、悪い学友と付き合い万引きをして警察に補導されるなどして、退学させられる始末。転校しても不良っぷりには拍車がかかるばかり。しかし姉のげんは、そんな碧郎のことを大切に思い、時に叱りながらも、面倒をみてやるのだった…というストーリー。
もう、3日連続でポンコツ作品続きだったので、堅実な作品を。BSか何かで『おとうと』の銀残しバージョンというのが放送されていたそうで、それを録画したものを観せていただいた。
映画検定のテキストでは、『おとうと』といえば“銀残し”という特殊なフィルムの脱色法。白黒に近い発色になる表現方法って書いているが、それを説明するテキストの写真が白黒って、説明にも何にもなっていない。やっとこの度、それがどんなものか理解できた次第。
カラーだけどセピア調ともいえる風合い。簡単に言えば“レトロ感”。記憶の中の世界というか、誰かからお話を聞いているような、なんともいえない雰囲気が作り出されている。
こんなにいい感じなら、現代技術をもってすれば画像処理でいくらでも作り出せるんじゃねえの?って思うかもしれないが、色の褪せ方が一様ではなく、そのアナログ感というかランダム感が、たぶん簡単には作り出せないと思う。特に場面の繋ぎで見られるフェードアウト&インのところの味わいはなかなかである。ただ、味わいだけっちゃあだけで、うまいか?GOODなのか?ってきかれると、素直に頷けなかったりする。その程度か。
ストーリーだけを取り出せば特筆するほどのレベルではない。しかし、映像が持つ雰囲気で観客はすっかりその気になる。悪い言い方をすれば誤魔化しってことだけど、映画監督の仕事ってのは誤魔化しの仕事。どれだけ素敵に私達を誤魔化してくれるのか…それこそが力量。後の『犬神家の一族』などの、味のある雰囲気の萌芽が如実に感じられる作品ではある。
田中絹代が神にすがる後妻を苛立たしく思えるほどうまく演じており、また、岸田今日子が演じる田沼婦人なる宗教かぶれの女の訳知り顔が、非常にくたらしい。この二人が持つ“闇”のおかげで、興味が維持できたような気がする。
岸恵子は不思議と“アカ”の臭いのするおばさんだという印象だったのだが、この作品では、母親がわりの姉の力強さといたずらっぽさが残る少女がミックスされた、絶妙な役を見事に演じきっていて、正直好みの顔立ちではないがなかなか魅力的に見える。
役者の中で、なぜか不必要に光り輝いているのが(笑)、看護婦役の江波杏子。びっくりするくらいの超美人。現代社会にこのまま登場したら大スターだわ。
こういう女性陣たちの演技で、なんとか支えられている作品という感じかな。
そして、タイトルの弟を演じているのが、なんと川口浩。探検隊しか知らないので、ちょっと新鮮。でもやぼったい演技で、まあ、この作品の野暮ったさを代表している感じかな。
傑作ですってお薦めできる感じではない。和菓子でいうと落雁みたいな感じかな。おいしくないわけじゃないし、大っ嫌いって拒絶するようなものでもない。だからといって進んで好むってものでもない。そんな感じ。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:ジョルジオ・セラフィーニ
出 演:ウェズリー・スナイプス、ゲイリー・ダニエルズ、ゾーイ・ベル、ロバート・ダヴィ、フランク・ジーガー、サイモン・リー、ジェイミー・モイアー 他
CIAの秘密工作員だったマーカスは、これまで国家に忠誠を誓い、命令のまま暗殺ミッションを遂行してきた。そんな彼に、アフリカのゲリラに武器を流す死の商人スミスの組織に潜入し、彼に資金を提供しているレッドベイル社を壊滅させるという命令が下された。この命令はCIAは一切感知しないという極秘命令。さっそくマーカスは、仲間のフローリア、ザンダーらとともにチームを結成し、ターゲットのスミスに接触を図る。マーカスはスミスのボディガードとして潜入に成功したが、予定にないところで、マーカスは襲撃されてしまい…というストーリー。
ウェズリー・スナイプスの作品を観るのは久々。『ブレイド』シリーズを観たのが最後かな。いや、他にも観ていたかもしれないけれど、ウェズリー・スナイプスは、どんな作品でもウェズリー・スナイプス。ジャック・ブラックやスティーヴン・セガールの比ではないくらい、どんな作品でもウェズリー・スナイプスはウェズリー・スナイプス。
それでも若いころは『メジャーリーグ』とか、バラエティに富んだ役柄も演じていたんだけどね。
ただ、この人のアクションは個人的に嫌いではない。リアルに格闘技経験があるとか、そんなことではなさそうだし、細かく見ればけっこうムチャクチャな動きなんだけど、映画のアクションとしてみると、メリハリがあって漫画的な意味での説得力はある(脳内的にはしっくりくるアクション…ってこと)。
ただ、残念ながら、本作のいいところはそれだけ。ウェズリー・スナイプスのせいではなくて脚本があまりにも三流。
“国家に裏切られる悲哀”と“仲間に裏切られる悲哀”という2本の軸が両方とも中途半端。特に、仲間と育まれてきたであろう友情が全然描ききれておらず、裏切られたことへのせつなさが全然湧いてこない。
その主要な仲間というのも、たった二人しかおらず(もう一人デクの棒がいるのだが、まったくキャラが立っていない)、根本的に人物を描くということが苦手な脚本家であることがわかる(それって脚本家として致命的な気がするけど)。
また、細かい味付け的な演出が雑。マーカスが糖尿病っていうギミックに必要性を感じない。特別必要でもなかったし、その後の伏線に一切なっておらず(その後、糖尿病のせいでピンチになるとか、そんな場面も特に無し)。連れまわされる女医のキャラも、厚みがなくて、別にだれでもいい感じ。教会で、後日談的にお話を語るのだが、その演出の効果も特に無し。逃走中なんだから、時間軸を“今”にした、もう一展開があって然るべきだと思うのだがね…。そういう、あたりまえが一切通用しない。
…てなわけで、そういう無意味なギミックを排除していったら、正味17,8分で終わっちゃうんじゃないかってくらいの、薄い内容。う~ん、脱税で訴えられてから、周りにいい人が集まらなくなっちゃったのかな…(他ではまったく見たことがないようなキャストばっかりだし)。何か色々とせつない作品である。もちろんお薦めはしない。
#いやあ、3日連続、このクオリティ。苦行になってきた。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:ニック・トムネイ
出 演:デヴィッド・ハイド・ピアース、クレイン・クロフォード、ナサニエル・パーカー、ミーガン・ペリー、ヘレン・レディ、ジョセフ・ウィル 他
コピー:この主人(ホスト)“何か”がおかしい…
銀行強盗犯のジョンは銀行強盗を犯して、警察から逃走中。ロス市街をさまよっていたが、足に重傷を負っているため、とりあえず隠れ家を見つけることに。高級住宅地の豪邸のポストに、オーストラリアに旅行中の家族からと思しきポストカードを発見し、その友人だと偽ってまんまと家に入り込んだ。家には細身の中年男性ウォーウィック一人だけ。ウォーウィックは独身で、友人を招いてのパーティの準備の真っ最中だったが、ロス到着早々に荷物を盗まれたというジョンを放ってはおけず、暖かく迎えたのだった。しかし、早々に強盗犯だということがばれてしまい、包丁をふりかざし、ウォーウィックを脅し始めるのだが…というストーリー。
TSUTAYA独占と描いてあった。『キック・アス』みたいなのもあるから、なかなか侮れないと思ってレンタルしてみたのだが、騙された私が悪いのだろう。
正直、過度な期待はしていなかったよ。前半はまあまあの展開で、ジャケットに書いてあった謳い文句の通り。始めは弱々しい立場だった家主が、クレイジーというかサイコというか、本領を発揮してチンピラ男に危害を加えていく。多重人格的な妄想患者なのも、まあ、B級作品としては悪くないとは思う。
で、問題は後半。
まず、傷の特殊メイクを施して開放する意味がわからない。かっちりしたメイク道具にどういう演出上の効果があるのか。
まあ、百歩譲って、狂ってはいるけれど、始めから一線を越えるようなレベルではなくって、やられそうになったから脅かしただけですよ…って、そう思うことにした……いやいやいやいや。じゃあ、なんでワインに薬を入れて飲ませてたんだよ。それって常習ってことを意味してるんじゃねえの?え?でも、郵便物を見て家に入ってきたのは、単なる偶然だよな。これ、常習なのか初犯なのかで、印象が全然ちがうよね。なんだかよくわからない。
で、どうやって話のケリをつけるのかと思っていたら、なぜかこの家主、刑事だっていうし。そして、都合よく「あ、さっきまで家にいやたつじゃん…」って。そんな偶然を持ってきたら、もう、話の整合性とかどうでもよくなっちゃうよね。なにこれ。
そんで、銀行強盗自体が女にだませれていて、そのお金をめぐってどうしたこうしたっていうやり取り。これ、前半のサイコパスのくだりと関連性あるわけ?で、自分の罪を隠すために同僚を家に招くって、取って付けたようなシリアルキラー風(常習じゃないんだろうから、あんま怖くないんだよね)。
シナリオの各要素のテイストがバラバラ。統一感がどうしたこうしたというレベルじゃなくって、とっ散らかりすぎ。このシナリオを書いた人、これで映画を作ろうと思った人、諸々、みんな頭がおかしいんだと思う。
この映画を作るのにお金をだした人がいるだろうに。多くの人が携わっているだろうに。なんで誰一人として注意してあげられなかったのだろう。名匠監督で注進しにくいわけでもないだろうし。
TSUTAYAもこんなのを独占レンタルしているようだと、『ファン・ボーイズ』や『キック・アス』で見る目あるなぁ…って思われたアドバンテージを全て失うことになるよ。ホント、金返せって言いたいわ。100円が惜しい。
#おっと、二日連続、このレベルはさすがにきついぞ…。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:78分
監 督:ヘンリー・セイン
出 演:カイル・デイヴィス、デヴィン・マッギン、バラク・ハードリー、エドムンド・ルピンスキー、グレッグ・ローレンス、イーサン・ワイルド 他
考古学教授レイクの下に、とある遺物が届く。それは太古に地球を支配していた邪神クトゥルフが実在することを証明するものだった。そして、その邪神を崇拝するクトゥルフ教団が暗躍し、いよいよ邪神クトゥルフが蘇り人類滅亡の危機が間近となっていることを知るが、その危機を救えるのは、伝説の怪奇作家ラブクラフトの末裔のみ。レイクは救世主を見つけるも、が全く無能なただの会社員で…というストーリー。
いや、借りる時からわかってたよ。ジャケットだってB級感満載だったし。“2010スラムダンス映画祭で大絶賛”ってそんな賞知らないし。日本では未公開だったみたいだし。期待なんかしていなかったよ。
あれ。ラヴクラフトっていう作家は実在していて、“クトゥルフ神話”ってのは彼の作品の世界なのね。知らなかったわ。要するに、同好の志のおふざけ映画みたいなものか。主人公がそのラヴクラフトの子孫っていう設定。その存在を知らなけりゃ、おもしろくも何ともないのはあたりまえってことか。
#ラヴクラフト映画祭 観客賞受賞!”いや、この作品以外に、ノミネート作品ってあったんかいな。
現代の技術をもってして製作された作品でありながら、まるでエド・ウッドがのり移ったようなグダグダな技術(それは、ある意味で魅力なはずなんだけど)。せっかくクトゥルフ神話とやらを持ち出しているのに、敵キャラにまったく魅力が無いのはどうしたことか(元々、このレベルの小説なのか?)。
教団がどうしたとか、混血がどうしたとか、塩水だ、砂漠だ、両腕骨折だ…終盤、収まりのつかなくなったストーリーをなんとかしようと試みているが、さらにグダグダになる一方。そんなになっちゃうなら、いっそのこと纏めることなんか諦めて、トコトンまでハチャメチャやっちまえばいいのに。中途半端だよな。
たった78分なのに2時間観たような気分になるくらいテンポが悪い。ワタシ、B級映画には結構好意的な方だけど、これは地雷だわ。『ゾンビランド』の8分の1くらいの満足度しかない。枝毛を切るくらいしかやることが無い時に、タダで貸してくれるなら観てもいい。でも枝毛切りは止めませんけどね…、そんなレベル。いやいや、久々に無駄な時間を過ごしたよ。
負けるな日本
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:ミヒャエル・ハネケ
出 演:ナオミ・ワッツ、ティム・ロス、マイケル・ピット、ブラディ・コーベット、デヴォン・ギアハート、ボイド・ゲインズ、シオバン・ファロン・ホーガン、ロバート・ルポーネ、スザーヌ・C・ハンケ、リンダ・モラン 他
コピー:禁じられた遊び。
夫ジョージと妻アン、一人息子のファーバー家は、バカンスのために湖の別荘へとやって来る。くアンが夕食の準備を始めると、一人の青年が訪れる。隣家の者だという彼は、卵を分けて欲しいと丁寧に申し出る。アンナは卵を渡すが、男は2度も落として割ってしまう。その後、男2人で再訪問して来るが、不遜な態度をとり続けたためにジョージーに平手打ちを食わされると男たちの態度が豹変。近くにあったゴルフクラブでゲオルクの脚を殴りつけ、一家全員をソファーに縛り付け…というストーリー。
1997年のオーストラリア映画のリメイクとのことだが、元作品は未見。『ダークナイト』『ノーカントリー』と不条理で理解不能な悪役の作品を観てきたが、本作の不条理ぷりはそれらを超える。
とにかく、あまりに不快極まりない。これをみてこの男たちをぶん殴ってやりたい衝動に駆られないヤツはいないと思う(何とも思わないやつはむしろそっち側の人間)。筋肉に力が入って腕が痛くなるくらい。製作側もそれが狙いで、とにかくどうやったらイライラさせられるかに注力しているのが良くわかる。
じゃあ、バイオレンス作品なのか?というと、そうじゃないところが、本作の特徴。お化けも出なければ、異形の殺人鬼も出てこないけれど、これは立派なホラームービー。
元がオーストラリア映画で、今回はアメリカでのリメイクだから"U.S."が付いていると、簡単に考えることもできるが、やはり『ダークナイト』『ノーカントリー』と一緒で、日常のそこかしこに理解不明な怪物が普通に存在する今…というアメリカ人が抱く恐怖を反映しているから、あえてそれを付加したのだと思う。『ダークナイト』のジョーカーと同じく、本作の男たちも幼少期に虐待されたことを滔々と語るのだが、それがまたまたうそくさく、自分の犯行の責任を社会に押し付けているとしか見えないのが、またまた気持ち悪い。
じゃあ、『ダークナイト』や『ノーカントリー』と同じように名作なんだよね?と聞かれると否である。その理由を簡単にいうと"やりすぎ”ているから。反撃しそうな展開を匂わせるくせに、まったくもって救いは無く、完全に観客は突き放される。そのくせ、“こっち見んな”演出とか、巻き戻し演出とか、沈んだ気持ちにグリグリグリグリといやらしい演出を重ね、イライラのピークを超える。
#ちょっと『ナチュラルボーンキラーズ』を意識しているのかなという部分もあるが、そういうのも邪魔臭い。
とにかく、気力・体力の落ちている人が見るのはやめたほうがよろしい。家族で見るのも厳禁。何なら一生観なくても問題なし。わたしの中では『ホステル』と同じレベルで不快。
負けるな日本
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:122分
監 督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
出 演:トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン、ウディ・ハレルソン、ケリー・マクドナルド、ギャレット・ディラハント、テス・ハーパー、バリー・コービン、スティーヴン・ルート、ロジャー・ボイス、ベス・グラント、アナ・リーダー 他
受 賞:【2007年/第80回アカデミー賞】作品賞、監督賞(ジョエル・コーエン・イーサン・コーエン)、脚色賞(ジョエル・コーエン・イーサン・コーエン)、助演男優賞(ハビエル・バルデム)
【2007年/第74回NY批評家協会賞】作品賞、助演男優賞(ハビエル・バルデム)、監督賞(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン)、脚本賞(イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン)
【2007年/第65回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(ハビエル・バルデム)、脚本賞(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン)
【2007年/第61回英国アカデミー賞】助演男優賞(ハビエル・バルデム、トミー・リー・ジョーンズ)、監督賞(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン)、撮影賞(ロジャー・ディーキンス)
【2007年/第13回放送映画批評家協会賞】作品賞、助演男優賞(ハビエル・バルデム)、監督賞(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン)
コピー:世の中は計算違いで回る
ハンティング中に、銃撃戦が行われたと思しき麻薬取引現場に出くわしたモス。複数の死体が横たわる中、200万ドルの大金を発見すると、危険を承知で家に持ち帰る。その後、魔が差して現場に立ち戻ってしまったことから、殺し屋シガーに追跡される身となってしまう。妻を実家に帰し、必死でシガーの追跡から逃れようとする。一方、ベテラン保安官のベルも、モスが事件に巻き込まれたこと察知し行方を追い始めるが、その先々で死体ばかりに遭遇。理解を超える状況に辟易する彼だったが…。というストーリー。
昨日の『ダークナイト』で思い出してしまった本作。
ジョーカーに負けず劣らず(いや、それ以上)の存在感、アントン・シガー。気色の悪い髪形に、屠殺用のエアガンのボンベを引きずる姿は、映画史に残る伝説キャラになったといってもよかろう。かといって、屠殺用エアガンにこだわりがあって、そればかりを使い続けているってわけでもないのが、また不気味だったりする。
『ダークナイト』の前年の作品で、同じテーマといってもよいだろう。これまでの価値観の埒外の存在がヌラーっと追いかけてくる恐ろしさ。
下卑た人間でも、損得の価値観くらい共有できそうなものだが、こだわるポイントやや引っ掛かるポイントのさじ加減がまったくもって不明で、会話すら成立しそうもないおそろしさよ。
コイントスで殺すか否かを決める様子は単なるギミックなのか。自分以外の大いなる者(シガーの場合は運)に自分の行動を任せる様子は、宗教の教義という大いなるものに、自分の行動規範を預けてしまうという原理主義者の行動に通じると私は思う(まあ、原理主義者だけではなく、血液型で性格の基本パターンが決まると思っている、アホな日本人も同じだけど)。
最後に、殺すかどうかを自分で決めることができないことをたしなめられるわけだが、正論を突きつけたところで、彼らの行動が改まるわけでもないところが、また怖いわけだ。
これまで価値観や倫理観の元に行動する保安官。家族の安穏のために目先の利益(簡単にいえば金)に走る男。裏家業ながら自らの職業意識で動く殺し屋。事情や経緯は色々あれど、理解できなくもないこの3人が、アントン・シガーという怪物に翻弄されるのである。かなりのクレイジーな地獄を見てきたベトナム帰還兵すら理解できないってんだから、もう次元からして違うってこと。
最後、トミー・リー・ジョーンズ演じるベル保安官が、妻に朝食で見た夢を語るシーンでブツっと終わる。「もう、俺にゃあ理解できんわ…」で終わるのか、「確かに訳のわからん世の中になったけど、死ぬまで信念を貫かんと生きている意味がないんちゃうか?引退してる場合じゃないんじゃねーの?」と思ったのか。さてさて。私は後者であることを祈るのだが、コーエンはどう表現したかったのか。
シガー程度のネジの外れた人間はゴロゴロ存在するであろうアメリカ。彼らにとって、単なるフィクションですまされないものを感じたことは、想像に難くない。
はたしてお金の行方は…とか、最後の奥さんは殺したの?…とか、本作はいろいろ投げっぱなしな部分が多い。主筋の伝えたい部分以外は、観た方々で考えてくださいってことなんだろうけど、こういう割り切りは好き。そこで、お約束な勧善懲悪的なカタルシスを求めるような、そんなレベルのステージに、もうコーエン兄弟はいない。
全編にわたって緊張感を維持し続けており、さすがコーエン兄弟といったところ。彼らの作品はすべて大好きだが、まさか『ファーゴ』に匹敵するような作品がまたまた生まれようとは…。強くお薦め。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:152分
監 督:クリストファー・ノーラン
出 演:クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン、ヒース・レジャー、ゲイリー・オールドマン、アーロン・エッカート、マギー・ギレンホール、モーガン・フリーマン、エリック・ロバーツ、ネスター・カーボネル、モニーク・カーネン、ロン・ディーン、キリアン・マーフィ、チン・ハン、リッチー・コスター、アンソニー・マイケル・ホール、キース・ザラバッカ、コリン・マクファーレン、ジョシュア・ハート、メリンダ・マックグロウ、ネイサン・ギャンブル、マイケル・ジェイ・ホワイト、ウィリアム・フィクトナー、マシュー・オニール、エディソン・チャン、マイケル・ストヤノフ 他
受 賞:【2008年/第81回アカデミー賞】助演男優賞(ヒース・レジャー)、音響賞[編集](Richard King)
【2008年/第34回LA批評家協会賞】助演男優賞(ヒース・レジャー)
【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(ヒース・レジャー)
【2008年/第62回英国アカデミー賞】助演男優賞(ヒース・レジャー)
【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】助演男優賞(ヒース・レジャー)、アクション映画賞
【2009年/第18回MTVムービー・アワード】悪役賞(ヒース・レジャー)
【2008年/第32回日本アカデミー賞】外国作品賞
【2008年/第51回ブルーリボン賞】外国作品賞
コピー:最凶の敵が、来る
バットマンとゴードン警部補が犯罪に立ち向かうゴッサムシティに、“ジョーカー”と名乗る白塗りの裂け男が現れる。またたくまに頭角を現し、大胆不敵に次々と凶悪事件を起こしていく。そんな中、地方検事として新任してきたハービー・デントは、ますます正義感に燃え、バットマンと協力して犯罪撲滅を推進していくのだった。しかし、そんな警察の努力をあざ笑うかのように、ジョーカーは犯行を重ねゴッサムシティを混乱に陥れる。そして、バットマンたちを徹底的に追い込むために、とある謀略を巡らせるのだった…というストーリー。
日本でも一昔前“新人類”なんて言葉が流行ったし、いつの時代でも「近頃の若い奴は…」と年寄りは言い続けている。しかし…である。
本作のジョーカーは単なるサイコを越えた存在。私怨だとかまともな動機による犯行ではなく、“そうしたいからする”という、まさにナチュラルボーン脱法者。これまでも、シリアルキラーなど常人の理解を超えた犯罪者を扱うことは多々あったが、所詮は特異な存在だった(特異だからこそファンが生まれるなどの現象もおこる)。
口が裂けてる理由を親からの虐待だと説明しているところから、一瞬やっぱりシリアルキラー的な存在なのか?と思ってしまうところなんだけど、虐待された人間の多くが異常犯罪者になるかというとそんなこともないし、むしろそれを自分からペラペラしゃべるところがウソくささ満載。そんな、一筋縄で理解できないところがクセ者。
しかし、昨今の世の中を見ていると、理解できない行動様式のやつが散見される。欧米では移民を増やしたはいいものの、同じ教育によって寛容されるコンセンサスが存在しないと、ここまで同じ人間とは思えない状況になるのか…と愕然とする始末。気付いた頃にはとき既に遅し。社会はアノミー状態に。
そんな理解のできない奴らが何かをやらかしてくる恐怖。つまり、テロに対するアメリカの苦悩や、個人では抗いがたい社会不安が、ハリウッド映画に如実に反映されているということだろう。そんな諸々をすべて演技で表現してしまったヒース・レジャー、恐るべし。本当に惜しい人を亡くした。
加えて、後にトゥーフェイスとなる検事に、民主主義国家としての“あるべき正義の姿”を見てバットマンが苦悩するという展開。普通、ヒーロー物で、そこを悩まれちゃうと成立しなくなる。民主主義国家において、国民の正式な付託を受けない権力は認められるべきではないなんて、まさか、ヒーロー物に「まだまだアメリカ、捨てたもんじゃない」と思わせられるとは。ヒーロー物でここまで社会不安や民主主義のテーゼを見事に反映させ、綺麗にまとめがて作品は、他にはなかろう。
リニューアル1作目の『バットマン ビギンズ』は、渡辺謙の出演などで話題にこそなった。しかし、内容的には原作をなぞっただけで(ティム・バートンのおふざけ調を廃しただけで)、この先どうなるものかと不安になったものだが、2作目で弾けすぎるほど弾けた。
別に、1作目を見なければついていけないわけでもないし、普段はヒーロー物なんか見向きもしない人も、これだけは観ておけとはっきり言い切れる作品だ。お薦め。
ただ、『スパイダーマン』然り、アメコミヒーロー作品に出てくるヒロインっていうのは、キルステン・ダンストやアンナ・パキンなどなど、なんでいまいちおばさん臭い人ばかりキャスティングされるのか、アメリカ人のセンスがよくわからん。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:トッド・フィリップス
出 演:ブラッドリー・クーパー、エド・ヘルムズ、ザック・ガリフィナーキス、ヘザー・グレアム、ジャスティン・バーサ、ジェフリー・タンバー、マイク・エップス、マイク・タイソン、ケン・チョン、レイチェル・ハリス、ロブ・リグル、サーシャ・バレス、ブライアン・カレン、イアン・アンソニー・デイル、ジリアン・ヴィグマン、ジャーナード・バークス 他
受 賞:【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】コメディ映画賞
【2009年/第19回MTVムービー・アワード】コメディ演技賞(ザック・ガリフィナーキス、ブラッドリー・クーパー)、トンデモ・シーン賞(ケン・チョン)
コピー:昨日の記憶が、全くない!?
結婚式を2日後に控えたダグは、悪友のフィルとステュ、義理の弟となるアランの4人で、バチェラーパーティーをするためにラスベガスへ向かう。高級ホテルのスイートを借り、浴びるように酒を飲み、独身最後の夜をバカ騒ぎする4人。しかし、翌朝目覚めると、部屋はメチャクチャで、何故か赤ん坊と一頭の虎が。しかも、新郎のダグは行方不明。まったく昨夜の記憶が無い3人は、まったく状況が把握できないが、とにかくダグを明日の結婚式に連れて行かねばならない。わずかな手掛かりを元に捜索を始めるが、ダグの行方に辿り着くどころか、昨夜の取り返しのつかない所業の数々が明らかになるばかり…というストーリー。
メジャーな俳優がまったく出ていないので、立ち上がりは悪かったものの、アメリカでは口コミでじわじわとヒットしたとのこと。日本でも当初は公開の予定がなかったらしいが、ちょっと日本の配給会社は見る目なさすぎじゃなかろうか。
下品さ”“くだらなさ”ばかり強調されてりるが、観てみたらそんなに下品じゃないし。それどころか、なかなか巧みで高度なシナリオだと思う。日本の配給会社の映画を観る目って節穴なんじゃねえかと。
サスペンス物やミステリー物で、実は自分が犯人でした…的な作品があるけど、それをコメディに転用しちゃうという、目からウロコの切り口。
そう、本作は、コメディというよりもミステリー要素が実に面白い。その主軸のプロットがしっかりしているので、変な中国系の人とか、お下品テイストは単なる味付けの範疇に収まっているし、ストリッパーとの結婚のくだりが逆にほのぼのといい感じになっちゃう。このシナリオはもっと評価されていいと思うぞ。
昨日の『ガリバー旅行記』もそうだが、私は、アメリカのお下品コメディーなんか、おもしろいとは思わない。おそらく、日本人の相当数が本作を単なるコメディとして疑わす、ひたすらそれを期待して観ていたに違いない。そういう観方をしていた人は、おそらくイマイチに感じたはず。このミステリー要素の巧みさに気付いて、それを愉しめた人は高得点だったはず(評価はパックリ割れたはずだ)。
ただ、『デュー・デート~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~』もそうだったけど、完全にアスペルガー症候群としか思えないキャラクターを出すのは、アメリカのコメディでは流行なのかね。確かに、実社会にもそれっぽい人が増えてはいるけれど、映画に出されると逆に笑えないんだけど。その点だけが不満。
近頃観たコメディの中では、飛び抜けて良いデキ。お下劣だっていう看板に騙されずに観るべし。お薦め。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:85分
監 督:ロブ・レターマン
出 演:ジャック・ブラック、エミリー・ブラント、アマンダ・ピート、ジェイソン・シーゲル、ビリー・コノリー、クリス・オダウド、T・J・ミラー、ジェームズ・コーデン、キャサリン・テイト、エマニュエル・カトラ、オリー・アレクサンデル 他
ノミネート:【2008年/第31回ラジー賞】ワースト主演男優賞(ジャック・ブラック)
コピー:そこは、本当の大きさを教えてくれる国。
ニューヨークにある新聞社のメール室で勤務するガリバー。本当は記者志望だが、失敗を恐れチャレンジせずじまい。また、旅行欄を担当しているダーシーに片思いしているが、そちらも告白できずにいる。ある日、ふとしたきっかけでダーシーから謎の三角海域バミューダ・トライアングルの取材を依頼されることに。意気揚々と現地に赴いたが、突然の大嵐に巻き込まれ、あえなく遭難。浜辺に打ち上げられたガリバーが気づくと、たくさんの小人たちによって拘束されていた。彼が漂着したのは、小人たちが住む“リリパット王国”だった。やがてガリバーは、その巨体を活かして王国の危機を救い一躍ヒーローになるのだが…というストーリー。
『ナイト ミュージアム』の製作チームが手がけたということだが、『ナイト ミュージアム』でも小さい模型を動かすシーンはたくさんあったし、技術的にはお手の物って感じ。ただ、今回は3Dに挑戦ってことで、他には特に目新しい技術は見られない。自分達でできることをできる範囲でやった…そんな感じで、技術面での感動は薄い。すごい映像のはずなんだけど、目が慣れちゃうってのはは恐ろしいことである。これで満足できなくなるのがいいことなのか悪いことなのか…。
監督に、同じように巨人を扱ったアニメ『モンスターVSエイリアン』のロブ・レターマンをもってきているが、巨人つながりだからといって、彼にやらせる意味がどこまであったのかも疑問である。
スウィフトの『ガリバー旅行記』を現代風にアレンジってことだけど、ストーリーはすごくまとも。素直すぎて悪くいえばヒネりが少ない。冒険物語なのにシナリオはあまり冒険していない。これがジャック・ブラック主演じゃなかったら、観客が見続けることができたのか、あやしいところである。
じゃあ、ジャック・ブラックの演技が絶妙か…というとそれも微妙。というかジャック・ブラックは、どの映画でもいつでも“ジャック・ブラック”であって、この人は役を演じているといえるのか?という疑問すら湧いてくる。個人的は嫌いじゃない人なのだが、さすがにいつも同じだと飽きてくる。それに、このいかにもなアメリカンジョークや、お約束のお下品は、アメリカではウケているのだろうか。おそらく日本ではこれをおもしろいと感じる人は少ないだろう。
『ナイト ミュージアム』のように子供をターゲットにしたいところなのだが、そうなってくると、子供達はノリきれない。下品なのは別のキャラにおまかせして、ジャック・ブラックにはアホでみじめなキャラクターに徹してもらったほうが良かっただろう。しかし、小人の国のキャラクターが弱い。『ナイト ミュージアム』のオーウェン・ウィルソン演じる西部劇人形くらいに際立ったキャラが生まれるまで、練りを重ねてたほうがよかっただろう。
あとはオマケの文句になっちゃうけど、巨人の島からガリバーが脱出しようとしないのかピンとこない(始めは脱出できないのかと思ったけど、その後、結構かんたんに脱出してるし)。
#小人の国と巨人の国までで、ラピュタはでてこないよ。
とはいえ、色々文句をいったが及第点ではあると思う。イヤなことはスカっと笑って忘れたいとか、家族みんなで楽しみたいとか、過度な期待を抱かなければ問題なし。まあ、旧作料金になってからでいいんじゃないかな。そんな感じ。
負けるな日本
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:トーマス・カーター
出 演:サミュエル・L・ジャクソン、リック・ゴンザレス、ロブ・ブラウン、ロバート・リチャード、アシャンティ、アントウォン・タナー、ナナ・グベウォニョ、チャニング・テイタム、テキサス・バトル、デビ・モーガン、メル・ウィンクラー、ヴィンセント・ラレスカ、レイ・ベイカー、エイドリアン・エリザ・ベイロン、ジェニー・ガゴ、レイシー・ビーマン、ベン・ウェバー、キャロライナ・ガルシア、デニース・ダウス 他
ノミネート:【2005年/第14回MTVムービー・アワード】ブレイクスルー演技賞[女優](アシャンティ)
コピー:――熱い感動を呼び起こした真実の物語――
犯罪が横行する町の低階層家庭の子供たちが集まるリッチモンド高校。半分も卒業できないレベルで、将来への展望も見出せない生徒ばかり。この高校のバスケットボール・チーム“オイラーズ”の成績も惨憺たる状態だったが、そんなチームを立て直すために、同校OBでバスケの全米代表にまで選ばれたケン・カーターがやってくる。しかし、バスケのトレーニングを始めると思いきや、彼はまず選手たちとある契約を交わすのだった。それは、学業での成績向上と規律ある生活態度を守らせるというもの。はじめは抵抗や戸惑いを見せる選手たちだったが、カーターの強い信念が選手たちの心を動かしていく…というストーリー。
ダメ生徒たちを独特の指導で成長させていく…という内容に加えて“実話”。今となっては、アメリカ映画のお家芸ともいえるジャンルの作品である。シナリオの盛り上がりポイントもセオリーを抑えているし、バスケシーンも迫力がある。エキセントリックなアウトロー的な役柄の多いサミュエル・L・ジャクソンが、“信念の人”をどっしりと演じており、観ていて力が入る作品。ただ、ちょっとこういう作品が多すぎで食傷気味の感があって、受賞歴が皆無に近いのも頷けるかなと。
普通なら、成長して勝ち上がって…っていう展開で終わるところだが、本作では、“学校は社会に人を送り出すマシンなんだから、その役目をきっちり果たさないとね”という、他作にはないテーマが盛り込まれている。一芸に秀でているのはいけれど、最低限に備えるべき作法・民度ってものがあるよね…と。このエピソードはなかなか新鮮で、非常に興味深く観させてもらった。
よく教育の話で、「日本はアメリカの10年とか20年後を追いかけているようだ」って意見を聞くことがあるんだが、私は「はあ?何それ?」状態だった。しかし、本作を観てわかった気がする。本作に登場する保護者連中は、完璧に“モンスター・ペアレント”。それもかなり、社会的資質や想像力が欠落した人々で、且つ一丁前に権利を主張することだけは知っている手のつけられないポンコツばかりである。確かに今にモンペどもの行動を見ていると、似ている。
ある程度の脚色はあれど実話であることを考えると、アメリカの教育レベルは、相当ヒドイものなんだろうね。いや、上の人はとことん上のレベルなんだろうけど、知的貧富の差(とでもいうのか)は相当開いているのだろう。いくら、アメリカが支配する側とされる側という構造の上に成り立っているとはいえ、底辺層の知的レベルが低すぎるのは、総体的にかなり問題。これでは、単純労働すらあやういレベル。語弊はあると思うが、あえて極端な言い方をさせてもらうと、奴隷としても使えない。奴隷が機能しなければご主人様の食い扶持も無くなる(アメリカって死亡フラグが立っているのかもしれない)。
日本も同じ轍を踏みかけているのかな…と思うとせつなくなるのだが、日本はこうならないように、50年先を見据えた教育というものを考えて欲しいと切に願う(下級武士に象徴されるように、底辺の知的レベルこそ、日本の国力の源泉だからね。政治家ども忘れるなよ)。
で、目新しい視点ではあったのだが、これを盛り込んだことで、妙に長い話になってしまって、実は途中で「まだ、半分か~」状態になる(でも、外すわけにはいかないから仕方が無い)。でも、長いけれど、充分に佳作。軽くお薦め。
負けるな日本
公開年:1995年
公開国:アメリカ
時 間:102分
監 督:アーネ・グリムシャー
出 演:ショーン・コネリー、ローレンス・フィッシュバーン、ケイト・キャプショー、ブレア・アンダーウッド、ルビー・ディー、エド・ハリス、ネッド・ビーティ、ケヴィン・マッカーシー、クリス・サランドン、クリストファー・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン、ダニエル・J・トラヴァンティ、リズ・トレス、リン・シグペン ヴィクター・スレザック 他
白人少女を強姦の末に殺害した容疑で死刑判決を受けた黒人青年ボビー。投獄から8年経過し、執行は間近。彼は無実の罪を晴らす為、大学法学部教授のポールに一通の手紙を書き、母親にそれを託すのだった。はじめは関わりあうつもりのなかったポールだったが、妻の勧めもあり調査を開始。すると、この事件の背景に隠された秘密に気付く。そして、ポールは同じ刑務所の中に真犯人がいると主張するのだった…というストーリー。
プロットは非常に良いと思う。実にサスペンスらしいサスペンスだ。だがしかし……、である。
(以下、ネタバレだらけ)
証拠主義に拠らない立件に憤りを感じるまではよい。しかし、自白の信憑性に疑いをかけておきながら、自分が真犯人と主張するサリバンの自白をあっさりと信じてしまうポールの行動がどうにもスッキリしない。主張のとおりにナイフが見つかったって小躍りしちゃうポールに、画面蒼白のブラウンさん。そのままスルっと無罪になっちゃうのだが、ボビーから隠し場所を聞いたんじゃないのか?って、誰も指摘しないとは考えにくい。
公開当時は納得できたのかもしれないけれど、CSIやらを観すぎたせいなのか、今では通用しないギミックではなかろうか。でもまあ、そこはフィクションだから許すけど。
しかし、オチのほうはどうにも納得しがたい。はたして、脱獄してまで復讐したいと思うほどのことだろうか。今は晴れて無罪を勝ち取った身。心置きなく性癖の赴くまま、お好きな猟奇殺人を繰り返すことができるようになったのに、昔の事件でまごまごしたのが気に喰わないから検事に復讐するって、そんなリスクを負うだろうか。どう天秤にかけても、自分の異常な欲を満たす方がメリットがあるだろうに。
異常者だからといってしまえばそれまでなのだが、同じように、サリバンがなぜ両親を殺したかったのかも、説明がない。
最後のほうは、「何?何?何が何なのさ」って感じで、観ている側がきょろきょろさせれちゃう感じ。その先に腑に落ちる描写でもあればいいのだが、やっぱり“彼らは異常者だから”という説明しか見つからない。
ローレンス・フィッシュバーンをはじめ、町の人たちのイラっとさせてくれるうまい演技のおかげで、いい感じでミスリードできていたのに、この稚拙な締めくくりっぷりで、台無しである。凡作。特段、お薦めしない。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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