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公開年:2007年
公開国:イギリス、フランス
時 間:94分
監 督:ガース・ジェニング
出 演:ビル・ミルナー、ウィル・ポールター、ジェシカ・スティーヴンソン、ニール・ダッジェオン、ジュール・シトリュク、エド・ウェストウィック、アンナ・ウィング、エリック・サイクス、アダム・ゴドリー、エイサ・バターフィールド、アダム・バクストン、エドガー・ライト 他
ノミネート:【2008年/第62回英国アカデミー賞】新人賞(ガース・ジェニングス)
コピー:ボクたちの、想像力と友情が世界をちょっとだけ変えるんだ。
1982年のイギリス。郊外の町に暮らす少年ウィルは、父親のいない家庭に育った小学5年生。家族が戒律の厳しい教会に
1982年のイギリス。小学5年生のウィルは母子家庭で、かつ家族が戒律の厳しい教会に所属しているため、TV・映画だけでなくすべての娯楽を禁じられる生活をしていた。そんなつらい生活の中でも、持ち前の豊かな想像力を発揮し、彼の聖書の中はカラフルな絵とストーリーで満ち溢れていた。そんなある日、とあることから学校で一番の悪童リー・カーターと知り合いになる。そして、彼の家で生まれて初めての映画『ランボー』を観て、強い衝撃を受ける。すっかりランボーに夢中のウィルは、リーが兄のビデオカメラを無断借用して製作しようとしていた自主映画に協力し、自ら“ランボーの息子”を演じるのだったが…というストーリー。
2007年製作にもかかわらず、日本での公開は2010年で、レンタル開始にいたってはつい最近という作品。なんでこんなにタイムラグが発生したのやら。ランボーの映像を映像を普通に使用しているので、版権の調整とか面倒くさそうだな…とは思ったけれど、それが理由ではなかろう。単に日本の配給会社の食指が動かなかっただけかな。
抑圧された生活をおくる少年が、ランボーを観たことで変わっていく…というこのプロット自体はものすごく魅力があるのだが、実際みていると薄味というか、とてもボヤけている。余計な調味料をブチ込んでしまったようなそんな感じ。
例えば、フランス交換留学生のくだりが、なぜフランスからの交換留学生でなくてはいけないのか?その学校に元からいるああいうキャラの生徒や、転校してきた金持ちの子供とかではいけなかったのか?フランスに帰るしょぼーんな彼からもイマイチ感じるものはなくて、やっぱりフランス人であることのメリットが感じられない。
#まあ、イギリス・フランス合作なのはわかるけど、それはそれ、これはこれでしょ。
また、リーがあんなに兄に対してコンプレックスを持っていたと感じさせる演出が前半部分に不足していて、ちょっと唐突に感じる。リーの家庭環境が不遇なのはわかるが、なぜ兄だけに固執しているのか、なんで同じように母親に対するコンプレックスは無いのか?とか、ちょっとディテールが甘い気がする。
あの、わけのわからん教会の集会で時計を並べているくだりとか、よく意味のわからない部分も多い。
映画作りへの魅力の感じ方のズレや、友情への重きの置き方のすれ違いなど、二人の間に生じているズレを巧みに表現することこそ大事なのでは?と思うのだが、肝心なその辺は、フガフガしていたりする。
個人的には、本作に流れる英国特有の閉塞感が、どうにもこうにも性に合わない。本作だけでなくイギリスのコメディ作品の多くが、判で押したように、貧しい階級がその状況から抜け出すチャンスが与えられておらず、且つ、大人も子供もあきらめているように見えるのが、非常に不快。特に学校が出てくる作品で、その傾向は顕著。イギリスの教育現場のニュースなどを聞く限り、それが事実らしいのがまた心苦しい。
イギリスでは校長に大きな裁量が与えられているのだが、その裁量が生徒たちの自由な行動を制限しているだけでなく、排他的な方向に作用しているのが非常に奇妙(気に喰わない生徒は入学させなかったり、恣意的な校則をつくったりね)。社会主義的管理方法が骨の髄まで染み込んでいる世代による老害が発生しているのかな。
それが、こうやってコメディ映画の中の夢まで奪っているというのがなんとも…。日本に教育現場が特段いいとは思わないのだが、海外の教育現場を見ると、まだマシと思えることが多いのが悲しい。
そして、先日に『ウィッカーマン』同様に、時代錯誤な教義を子供に押し付けるコミュニティが普通に存在する気持ち悪さよ…。
ただ、とにかく彼らが映画を作っている様子は、純粋に“楽しそう!”と感じる。映画を愛すること、ひいてはモノつくりの素晴らしさを改めて感じられる一作であることは間違いない。あれがコンテストになんとか応募できて…みたいな展開ではなく、ああいう終わり方であったのが本作の救い。この一点において、最後に心が動いたことは認めよう。すべての杜撰さは、とりあえず帳消しにしても良かろう…そう思うほど。軽くお薦め。
#というか、最後の展開のイメージが先にあったんだろうな。
負けるな日本
公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:マシュー・ロビン
出 演:ジェシカ・タンディ、ヒューム・クローニン、フランク・マクレー、エリザベス・ペーニャ、マイケル・カーマイン、デニス・ボウトシカリス、トム・アルドリッジ、ジェーン・ホフマン、ジョン・ディサンティ、ジョン・パンコウ、ドリス・ベラック 他
ニューヨークのイーストサイドにある古アパートでは、立ち退きをめぐって不動産業者と住民の争いが続いていた。死んだ息子がまだ生きていると信じる妻を世話する夫のフランクをはじめ住人たちは、苛烈を極める日々の立ち退き工作に疲れ果てていた。そんなある日、空の彼方から空飛ぶ円盤の形をした夫婦の宇宙生物が飛来し、アパートの屋上の小屋で暮らし始める。円盤生物たちは、破損したアパートを次々修復。住人たちとも仲良くなり、やがて、3匹の子供まで産まれ、修復したフランクのコーヒーショップで、手伝いをしてくれるまでになるのだった。しかし、地上げ屋のカルロスがアパートに侵入し、建物を破壊しようとするところで、父親の宇宙生物が見つかって壊されてしまい…というストーリー。
この邦題の仰々しさが、必要以上に感動作っぽさをあおっていてよろしくないのかも。子供がつくった童話絵本を観るような、暖かい気持ちで気楽に見てあげないと、ちょっと厳しい作品。
たしかに、地上げしている不動産業者は悪者なんだろうけど、すでに満足にダイナーを営むことの出来ない老人(だって、UFOさんたちが手伝わないと店は廻らないわけでしょ?)が、あそこの場所に固執するメリットが感じられないし、他の住人も経済的な理由以外に、あの場所に固執する理由がわからないので、共感しにくい。
もし、弱者を締め出すような社会を批判したいのなら、単にあのアパートが残りましとさ…だけで終わるのではなく、あのアパートを核にして、仕事が生まれ、町全体が生き生きと活気付いていくんだろうな…ということを匂わさないといけないと思う。
キレイになった家に住みつづけて、彼らは本当に幸せなのか。私にはそう思えなかったことが、一番ノリきれなかった理由かな。
それに、完全立ち退きを前提に計画が進んでいるのに、あのアパートが残った状態の、完成模型があることが理解できない。展開の都合のよさは、所詮ファンタジーなので許容範囲なのだが、ディテールのツメの甘さが、個人的にはなんとも許しがたい。
私だったら、模型のとおりに、虫食い状態で巨大ビルが完成して、それでもあのコーヒーショップは力強く大繁盛ってラストにする。そのほうが、味があったと思うんだけど。
さらに、根本的なことを言ってしまうと、別に、UFOじゃなくても妖精でもゴブリンでも幽霊でも謎の虫でもなんでもよかったりもする。UFOである必然性というか、UFOであることのストーリー上のメリットがもうちょっと感じられれば印象は違ったかもしれない。多分、子供が観ても、それほど面白いと感じない気がするので、お薦めはしない。
負けるな日本
公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:ニール・ラビュート
出 演:ニコラス・ケイジ、エレン・バースティン、ケイト・ビーハン、フランセス・コンロイ、モリー・パーカー、リーリー・ソビエスキー、ダイアン・デラーノ、マイケル・ワイズマン、エリカ=シェイ・ゲイアー、エミリー・ホームズ、アーロン・エッカート、ジェームズ・フランコ、ジェイソン・リッター 他
ノミネート:【2006年/第27回ラジー賞】ワースト作品賞、ワースト主演男優賞(ニコラス・ケイジ)、ワースト脚本賞(ニール・ラビュート)、ワースト・スクリーン・カップル賞(ニコラス・ケイジと彼のクマの着ぐるみ)、ワースト・リメイク・盗作賞
コピー:運命を見とどけよ
行方不明の娘を救うため、孤島を訪れた男。真実へ辿りつく時、衝撃のラストが襲いかかる──。
ある日、警官のメイラスのもとに、8年前に突然失踪した婚約者ウィローから手紙が届く。その手紙には、別れた後、故郷であるサマーズアイル島に戻り、そこで娘を産んだのだが、その娘が行方不明になってしまったので探す協力をして欲しいと書かれていた。メイラスは単身乗り込んだものの、私有地であるその島は、シスター・サマーズアイルを頂点に女性が支配する奇妙な共同体を営んでおり、誰一人よそ者メイラスに協力する者はおらず、捜査は難航を極め…というストーリー。
1973年に製作された同名作品のリメイクらしいが、それは未見。『ヴィレッジ』と『シャッター アイランド』を足したような雰囲気の作品で、アメリカにはこういうコミューンは実際にたくさんあるので、我々日本人が思う以上にアメリカ人はリアルに感じているのかもしれない。しかし、元の作品ではどうだったかしらないが、少なくとも本作には決定的な穴がある。
(若干ネタバレ)
まず、行方不明になった娘が二人の実子であることを隠しておく理由が無い。別れた女の産んだ子であるというだけよりも、あなたの子が行方不明だといったほうが、間違いなく島にやってくる確率は高いはず。
いや、それを先に言っちゃうと他の捜査官も連れてきて大騒ぎになっちゃうから!というのならば、その点はもうちょっと巧みな仕掛けをしないといけないだろう。
また、単にメイラスを生贄にしたいのならば、なんであんな回りくどいことをするのか?島にさえ来てしまえば、後は多勢に無勢なのだから、捕まえてしまうなり、食事に睡眠薬を入れるなりどうとでもなると思うのだが。
それに、冒頭の母子は結局なんだったのか?どう思い返してもどこにも繋がらない。
この映画の評価が低い一番の理由は、ニコラス・ケイジを起用していながら、一矢報いるどころか爪あと一つ残さずにまんまと策にはまってお仕舞いという、“期待はずれ”な思いを観ている側にさせた点。彼をキャスティングしたなら、最後になにかヒロイックな展開があると予測してしまうだろう。切れ切れの電波の中、友人と携帯で話をしたりして、もしかして助けが来るのでは?と感じさせるなど、それなりの伏線のセットアップがあって、その上で“スカし”をしたつもりなのかもしれないけど、消化不良も甚だしい。
画質が妙にキレイなせいもあって、恐怖感もないしスプラッター要素にも欠ける。リメイクされるほどの作品なのだから、絶対何かがある作品に違いないのだが、本作に限ってはとてもとてもお薦めできない。駄作といってもいいと思う。
#リメイク元を探して観てみようと思う(あるかな?)
負けるな日本
公開年:1975年
公開国:アメリカ
時 間:185分
監 督:スタンリー・キューブリック
出 演:マリサ・ベレンソン、パトリック・マギー、ハーディ・クリューガー、ライアン・オニール、スティーヴン・バーコフ、マーレイ・メルヴィン、パトリック・マギー 他
受 賞:【1975年/第48回アカデミー賞】撮影賞(ジョン・オルコット)、音楽[編曲・歌曲]賞(レナード・ローゼンマン)、美術監督・装置(Roy Walker、Ken Adam、Vernon Dixon)、衣装デザイン賞(ミレーナ・カノネロ、ウルラ=ブリット・ショダールンド)
【1975年/第10回全米批評家協会賞】撮影賞(ジョン・オルコット)
【1975年/第1回LA批評家協会賞】撮影賞(ジョン・オルコット)
【1975年/第29回英国アカデミー賞】監督賞(スタンリー・キューブリック)、撮影賞(ジョン・オルコット)
コピー:《風雲児》バリーの華麗なる愛と冒険の大ロマン!
18世紀中頃のアイルランド。農家出身のレイモンド・バリーは、初恋相手の従姉が婚約したことに納得がいかず、相手のイギリス人に決闘を申し込む。裕福な婚約者の資産を無にするつもりなどさらさらない親族は、バリーの銃弾を麻弾にすりかえる。決闘の末に相手を殺害してしまったと思い込んだレイモンドは、罪に問われることを恐れ村を出る。母親から逃走資金を入手したものの、ダブリンへ向かう途中で盗賊に奪われてしまい、仕方なく英軍の兵員補充に志願、大陸へ渡り七年戦争に従軍する。軍の中で頭角をあらわしたレイモンドだったが、親友の死に直面し脱走。将校に化けて同盟国プロイセンに渡るが、プロイセンの将校ポツドルフ大尉に変装を見抜かれてしまい…というストーリー。
昨日に続いて長い作品。あらすじを語ろうにもとてもまとめ切れないほどで、大河ドラマのダイジェストくらいイベント盛りだくさん。アイルランド人の一兵卒が貴族階級にのしあがり、諸々あて没落してく過程を描いているなのだが、本当に長くて一回で観きることができなかったくらい。バリーの生い立ちが、成功と失敗を交互にくりかえす人間万事塞翁が馬的な展開で、且つすべてが“虚栄心”というテーマで貫かれている。
前半はわらしべ長者的なのほほんとした空気があるが、後半はイラっとくるほど、主人公の観方が変わるのも特徴か。
何の予備知識もないで鑑賞すると、観るべきポイントがわからず、ちょっとつらいかもしれない。ストーリーは原作あり作品なのでキューブリックらしさ満開というわけではない。他のキューブリック作品とは毛色こそ違えど、完璧主義者の彼らしい、病的ともいえる衣装・セット・小道具の数々なのだが、この話の世界観を興醒めすることなく、完璧に作りこんでやる!っていうそっちのほうにスイッチが入っちゃった作品だといえる。
その病的なスゴさは、ヘタなヨーロッパ文化史の教科書なんかよりも、すっと理解できるくらい。文化的な時代考証に穴がないのがすごい。当時の男性は白塗りでほくろをつけていて、公家も真っ青の風体。当時の決闘方法や戦争の仕方なんか、なんでそんな方法やねん?!と首を傾げたくなるのだが、それも史実。貴族階級のアホな暮らしっぷりも手にとるように判り、クレイジーな時代がよく表現されている。
この作品の逸話としては、NASA向けのレンズを使ってロウソクの光だけでで撮影したというのが有名。たしかに1975年の作品と考えれば、ものすごいズバ抜けた技術、映像美。黒澤明も敗けているかと思う。
ただ、毎度のことだが、映像美がウリの作品のくせに、吹き替え音声がなくて、画面に集中させてもらえないのが、非常に残念。ブルーレイ化のあかつきには何とかして欲しいものだ。
ただ、ヨーロッパ文化史にでも興味がない限り、あえて観なくてもいいかも。ものすごいけど薦めする気はおきないというめずらしい作品。
負けるな日本
公開年:1989年
公開国:アメリカ
時 間:171分
監 督:ジェームズ・キャメロン
出 演:エド・ハリス、メアリー・エリザベス・マストラントニオ、マイケル・ビーン、レオ・ハーメスター、アダム・ネルソン、キャプテン・キッド・ブリューワー・Jr、トッド・グラフ、ジョージ・ロバート・クレック、ジョン・ベッドフォード・ロイド、クリストファー・マーフィ、J・C・クイン、キンバリー・スコット、マイケル・ビーチ 他
受 賞:【1989年/第62回アカデミー賞】視覚効果賞(デニス・スコタック、ホイト・イートマン、デニス・ミューレン、ジョン・ブルーノ)
コピー:「ターミネーター」「エイリアン2」のジェームズ・キャメロン監督が送る人類が初めて遭遇する愛と感動のスペクタクル・アドベンチャー!
海底油田の発掘基地で作業していたバッドたちは、近くの海域で原子力潜水艦が行方不明となったため捜索に加わるように指示を受ける。いやいやながらも、会社の厳命と多額の報酬に参加する。海溝で発見した原潜を発見し生存者の捜索にあたるが成果なし。その時、一部のクルーが生命体らしき謎の発光体に遭遇する。しかし、原潜沈没の原因がソ連の攻撃だと考える軍から派遣されたコフィは未知の生命体の存在を信じず、密かに沈没した原潜から核弾頭を回収する。そんな中、ハリケーンの影響により海上と発掘基地は断絶し、酸素の残量も半日程度となってしまう。コフィは不慣れな海底活動でのストレスと重責へのプレッシャーから徐々に正気を失い、核弾頭を海溝深くで爆破させようと考え…というストーリー。
大昔に鑑賞したが、今回は明らかに避暑目的でチョイス。171分の完全版というやつだが、確かに長い。当時、『ザ・デプス』『スフィア』『リバイアサン』と本作という、海洋SF系の作品がずらっとレンタルビデオ屋に並んでいたのを思い出す。同じテイストの作品が全部1989年製作で、何とも不思議だった。SFX技術の発達過程としては当然の流れだったのだろうか。
#正直、本作も観終わるまでは、他の作品と記憶が混同していたね。
後に『タイタニック』を製作することで判るように、好きこそ物の上手なれというか、海洋へのこだわりは半端ないキャメロン監督。プールなどで撮影されたと思われる海底シーンは非常にリアルで、海底基地などの設備も実に本物らしい良いデキ。13年前の作品とは思えないほど、映像的な完成度は高いと思う(まあ、本当にそんな装備で数百メートルオーダーの海底で活動可能なの?と思うシーンは多々あるがご愛嬌)。
1990年前後は、民生のサラウンド機材が安価に手に入るようになった頃で、この時期の作品は結構わかりやすいサラウンド音声が盛り込まれていたりする。リアスピーカーを左から右に何かが通る…とかね(『星の王子ニューヨークへ行く』なんかは、後ろを象が通るのが楽しかった)。本作も音声は凝っているので、サラウンドはONにしておこう。
その反面、ストーリーは大味。未知の生命体の扱いも取ってつけたように感じるし、人間ドラマの部分はオマケ感が否めない。そしてひたすら閉塞感の中、展開する。これは、キャメロン監督作品には多い、緊張と緩和が何度か繰り返されるのではなく、ずーーーっと緊張を重ねて、最後に緩和がくるパターン。かといって、大きなカタルシスが得られないのも特徴で、お祭りの見世物に近い感覚かもしれない(良くも悪くも)。
キャメロン監督は、“こういうすごい画を撮りたい!”という欲求が先に湧き上がって、そこからストーリーを肉付けしていくタイプなんだと思う。今回も深海底で作業する緊張感や、そこで光る生命体と接触するシーンが浮かんだんだろう。だから、あの後、宇宙人さんと人間がどういう関わりを持つとか、何でいままで海底に潜んでいたのか?とか、そういう前後の整合性なんかはどうでもいいのである。考えずに、その場その場を愉しめ!それだけの作品である。否定しているわけではなく、そういう映画というのもアリだからね。
考えなくていいストーリーというのは、やはり避暑目的に合っていると思うよ。団扇とビール片手にどうぞ。途中で寝ちゃったとしても、実害なし。季節限定で軽くお薦め。
#でも、津波シーンがアレなんで、しばらくTV放送はありえない作品だな。
負けるな日本
公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:マーク・ウォーターズ
出 演:ケイティ・ホームズ、マイケル・キートン、エイメリー、マーク・ブルーカス、マーガレット・コリン 他
コピー:ホワイトハウスのレディには、許されないロマンスの休日。
アメリカ大統領の一人娘サマンサは西海岸にある大学への進学を機にホワイトハウスを出ることに。これまで、彼女の周囲はシークレットサービスが厳重な警護にあたっていたが、普通の女の子として学園生活をエンジョイしたいと強く主張する。仕方なくその要求を受け入れた大統領は、サマンサに内緒で、学生になりすました若いシークレットサービスを大学に送り込み…というストーリー。
本気でこれを観たいを思って借りたわけではない。家族が軽いモノを観たかった模様。確かに軽いことは軽かったが、つまらないにもほどがある。
ストーリーは上記に書いたあらすじ以上に、大したものはない。ネタバレ覚悟で書くが、送り込まれた若いシークレットサービスと大統領の娘が恋に落ちるだけ。
TVムービーかと思うほどの稚拙な編集など、文句の付け所は山のようなのだが、決定的につまらないポイントは、大統領の娘という設定が全然生きていない点。まあ、百歩譲って恋愛話なのはよしとするけれど、大統領の娘としての自覚とか大統領の娘ならではの特殊事情とかが、実のところあまりない。いやいや、大統領の娘ならではの苦労してるよね?とツッコミたい人はいるだろうけど、よく考えて欲しい。大富豪の箱入り娘でも、大物マフィアの娘でも、この話は成立すると思わないか?断言しよう。成立するのだよ。
その中でわざわざ大統領をいう設定を選んだのなら、大統領の娘ならではの悲恋やトラブルがおこり、普通の恋をあきらめざるを得ない状況が発生し、それを克服することにおもしろさがあるわけだ。本作は、ただ、品行方正に大学生活を送ることになりました…というそれだけ。なにがおもしろいのか。
はっきりいって、大物マフィアの娘という設定で、手下の若造を警護役に送り込むとかのほうがおもしろい。若造が大学に入るためにいろいろ策を弄したり、勉強に四苦八苦したり、最終的に勉強にめざめちゃったりとか、いろいろなエピソードが浮かぶじゃないか。そして、紆余曲折ありながらも、若造と娘が恋に落ちちゃって、娘は若造がカタギだと思い込んでるから、普通の暮らしをする夢を抱いちゃったちするんだけど、実はチンピラだってことがわかって落胆するとか。ブチ切れた親父が若造を追い回すんだけど、大学でできた若造の友達たちが助けるために大騒ぎとか。
↑
なにこれ。さらっと考えただけなのに、ものすごくおもしろいじゃん。シナリオ書いてみようかな。
それに、ホワイトハウスに住んでいるからホワイト・プリンセスっていう邦題はあんまりだと思う。ホワイトは何をひっくり返してもただ白いという意味しかないだろうし、民主主義国家の大統領の娘をプリンセスというのは、ある意味失礼なのでは?
まあ、とにかく本作は駄作。注意報発令。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:マーク・ウォーターズ
出 演:フレディ・ハイモア、サラ・ボルジャー、メアリー=ルイーズ・パーカー、ニック・ノルティ、ジョーン・プロウライト、デヴィッド・ストラザーン、セス・ローゲン、マーティン・ショート 他
コピー:その世界は、すぐそこに…
双子の兄弟ジャレッドとサイモン、姉マロリー、母ヘレンは、森の中の屋敷に引っ越してくる。元々その屋敷は行方不明になった大叔父アーサー・スパイダーウィックのものだったが、ヘレンが相続していた。住み始めてみると、屋敷の中で不思議な現象が次々と発生。屋敷の謎を探ろうとしていたジャレッドは、屋根裏部屋で“決して読んではいけない”とメモが貼られた一冊の本を発見。その本には、80年以上前にアーサーが調べた様々な妖精たちの研究内容が記されていた。その後、屋敷の周囲に色々な妖精が姿を出現し、その本を手に入れようと屋敷に迫ってきて…というストーリー。
フレディ・ハイモアは同じテイストの『アーサーとミニモイの不思議な国』にも主演している。昨日の『アンストッパブル』のンゼル・ワシントンもそうだが、似たような作品に出ることに躊躇はないのだろうか。同じようなファンタジーなノリにCGのクリーチャー、おまけに不思議なツールで謎解きという、ちょっと油断していたら、同じシリーズの作品かと思っちゃうレベル。とはいえ、ジャケット画像も邦題もダサいので、本作を手に取る頻度は低いかなと。
で、実際に観てみると、なんとなんと。リュック・ベッソン監督の『アーサー~』シリーズなんかよりも、数段おもしろい(『アーサー~』シリーズがつまらなすぎるという意見はあるが)。とにかくCGのデキは本作のほうが上だと思うし、ファンタジーの具合もちょうどよい頃合。『アーサー~』までいっちゃうと、現実との乖離が甚だしくて、ワクワクしないからね。また、叔母さんに接触しようと屋敷を出ていくシーンなど、冒険モノとしてもデキがよい。
原作アリの作品なのだが、おそらく両親の離婚を乗り越える…みたいな要素が強い作品なんだろうなと予測する(読んだことなし)。ただ、結果として、父親の不貞の話はおもしろさには繋がっていないし、母親は最後まで部外者だったほうが良かった気がする。父親に化けた敵を刺しちゃうくだりを、父との決別・区切をつけることができた…と見せるのなんかは、正直どうかなと思うのだ。また、ケチャップやはちみつがさほど古くなかったことから、おばさんが精神病院に入れられたのは、そう昔ではないと思えるし、生きているのに屋敷が相続できていることから、日本でいうところの成年被後見人ということ?等々、ちょっとエグい部分が多かったりもする。そういう部分は、「よく考えれば…」と匂わす程度に抑えておけばよかっただろう。
ファンタジーの面でも優良だし、技術的にも穴が少ないので、家族関係のトラブルを絡めすぎずに、ファンタジー直球でいったほうがよかったんじゃないかと思う。子供と一緒に見るべき作品と素直お薦めできないのは、こういう理由かな。
とはいえ、(繰り返すけど)『アーサー~』シリーズよりは、全然愉しい。軽くお薦めしたい。
#おばさんが失踪したら、後々大問題になる気が…とか、そういう方向に気がいってしまうのは、汚れた大人だから?個人的には、性格の悪い姉に精神的なダメージを食らわせてほしかったと思う。なんか生理的に気に喰わないキャラだわ。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:99分
監 督:トニー・スコット
出 演:デンゼル・ワシントン、クリス・パイン、ロザリオ・ドーソン、イーサン・サプリー、ケヴィン・ダン、ケヴィン・コリガン、ケヴィン・チャップマン、リュー・テンプル、T・J・ミラー、ジェシー・シュラム、デヴィッド・ウォーショフスキー、ミーガン・タンディ、エリザベス・マシス、ディラン・ブルース、ジェフ・ウィンコット、アイシャ・ハインズ 他
ノミネート:【2010年/第83回アカデミー賞】音響賞[編集](Mark P. Stoeckinger)
【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】アクション映画賞
コピー:生きて帰れたら、言いたいことがあるんだ。
この映画は、<事実>から産まれた。
この日、初めて仕事をすることになった勤続28年のベテラン機関士フランクと、経験4ヶ月の車掌ウィル。根本的にソリが合わない上に、それぞれ私生活で問題を抱えている二人は、険悪なまま1206号に乗り込み業務を開始する。その頃、別の操車場で、運転士によるブレーキ操作ミスが原因で、貨物列車777号が無人のまま走り出してしまう。39両の大編成列車は、可燃性の高い化学物質とディーゼル燃料を大量に積んでおり、進行方向にある急カーブで転覆すれば大惨事になることは必至。さまざまな策を試みるも失敗に終わり、さらにスピードを上げる777号。同じ路線内にいたフランクとウィルは、1206号を777号の最後尾に連結させ、そのブレーキで停止させようと、777号に全速力で向かうのだが…というストーリー。
この事件のあらましはニュースで見て、結末はわかっているわけで、そんなにおもしろくなるわけ?という疑念満載で鑑賞開始。
デンゼル・ワシントンは、ついこの間『サブウェイ123 激突』で止まらない電車モノに出ていたのに、なんで似たような作品に出るのやら(ホワイトカラーとブルーカラーの違いはあれど、職務に忠実なベテランというキャラに違いはないし)。いや、それ以前にどっちもトニー・スコット監督じゃないか。何を考えているのかね。
とにかくオチが判っているだけに、伏線のセットアップがベタベタで、観ていてイヤになる。運転士が列車を降りるのも、ブレーキホースが外れているのも、説明的極まりなくてこのまま観ていていいのか不安になるほど。編集もダサダサで、映画としてどうなのかな?と。
ところが、子供の乗った電車をスルーして、事件がおおっぴらになりニュース映像が差し込まれる演出が多様されてくると、映画というよりも実際の事件を見せられている感覚で緊迫感がましてくる。
レールを軋ませ暴走する様子は、普段電車に乗りなれているせいか、想像力が喚起されてなかなかよろしい。昨今のぴゅんぴゅん飛ぶようなCGアクションとは違い、電車で行われるアクションはリアル極まりなく、久々に汗臭いアクションを見せてもらった感じ。実話だけに、荒唐無稽なアクションがないのが、逆に功を奏しているんだろう。
おもしろかった反面、日本人と欧米人の大きな違いを見せられたようで、ちょっと悲しかったことが。
アメリカには、『職業に貴賎なし』という概念がないんだなということが良くわかった。本作の主人公は、自分の職務にプライドを持ってはいるけれど、やはり自分の職業を高尚だとは思っていない。だから、ラストに平然と昇進を要求してよろこんじゃう。さらにエンドロールでは、事件の発端になったデブ運転士が現在ファーストフード業界で働いていると差し込まれる。
アメリカ人はこれを職業蔑視だとは思わない。日本ではマクドナルドの店員だろうが、ものすごく商業意識があるしコンテストまである。極端な例をいえば、トイレ掃除のおばちゃんにだって、日本人はその職業に経緯を払うのに。そして、それなりの給料が払われる。
アメリカでは、教育現場で「勉強しないと一生マクドナルドで働くことになるぞ!」とか平気で言うし、その発言が問題になることもないそうだ。でも、そのくせハンバーガーは喰うくせに。絶対に自分は必要としているのに、自分が求めているサービスをやってくれている人、その職業を蔑視するなんて我々は考えられないけれど、彼らは平気にやる。これって、単なる職業蔑視云々以前に、想像力の欠如だと思うのだ。
JRはこういう国に高速鉄道を売り込もうとしているけれど、日本の鉄道の安全は末端に職員の職業意識の上に成り立っているシステムなので、こういう職業意識の国にシステムごと導入しようとしているなら、必ず失敗するから注意したほうがいい。
彼らは、自由自由といいつつも階級社会をよしとする(この傾向はフランスも強い)。いやいやその階級から抜け出す機会は与えているわけで、努力しない結果階級が生じるのは仕方ないよ。結果の平等まで保証したら、社会主義国家じゃないか!というのが彼らの主張。この論調は彼らの主流的な考え方だけど、実はアホな考え。一度生まれた経済格差は教育格差を確実に生むので、実際はそれほど自由に機会の平等は与えられないし、相当数の階層が貧しいということは、自分のお客が貧しい、つまり客が減るということ。最終的には自分の首も絞まることになるので、短期的な視野であること極まりない。
おそらく、これを継続していると、総体的な学力がものすごく下がり数十年スパンでかなり国力が下がると思う(いまにそうなると思う)。
(閑話休題)
結果的に、手に汗握ってしまった。判っていながらも引っかかっちゃう、トリックアート展を見に行った時の感覚に近いかも(どうせ金はらったなら楽しまないと損…的なところも含めて)。そういう意味では、準新作料金くらいでレンタル価値は充分にある映画だと思う(ただし、前半は軽く流せというアドバイス付き)。
負けるな日本
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:ジョン・カラン
出 演:ロバート・デ・ニーロ、エドワード・ノートン、ミラ・ジョヴォヴィッチ、フランセス・コンロイ、エンヴェア・ジョカイ、ペッパー・ビンクリー 他
コピー:悪を憎み続ける男 正義をあざわらう男 男たちを蝕む女──そして理性は崩壊していく。
デトロイトで仮釈放管理官として働くジャック。これまで真面目に働き続け定年を間近に控えていた。最後に担当する受刑者は“ストーン”と呼ばれる男で、祖父母を放火で死なせた罪でこれまで8年間服役し残りの刑期が3年だった。仮釈放と強く望むストーンだったが、その反抗的な態度にジャックは強硬な姿勢を崩さず、面談はうまく進まない。そこでストーンは妻のルセッタにジャックを誘惑し、評価に手心を加えてもらおうと画策する。ルセッタは指示どおりにジャックに接近。当初は接触を拒むジャックだったが、結局根負けし二人きりで会うと一線を越えてしまうのだった。その一方、刑務所の中で精神世界に興味を持ち始め、自己啓発にのめり込んでいくストーンは、徐々に真人間に近づいていき…というストーリー。
昨日の『ゴーン・ベイビー・ゴーン』は、カトリック社会の空気がわからないとピンとこないのかな…と思ったが、本作はそれ以上にピンとこないかも。要するに、罪と罰に対する感覚がどうもスっと入ってこないのだ。同様にキャストが豪華な点も共通しているが、そちらの点でも本作は劣る。エドワード・ノートン自体どこか知的な匂いを拭いきれないので、こういう展開になるのが読める。また、ビッチ系の役ばかり続いているミラ・ジョヴォだけど、そういう役しかこないのか、そういう役しかできないのか。正直、この手の役柄の彼女は飽きた。
この話の主軸は、真面目一本だったジャックと、クソ人間のストーンが、面接を繰り返していくうちに次第に入れ替わっていき、善悪とは何なのか、罪と罰とは何なのか、ひいては生きる意味とは何なのか…ということを考えさせようということだと思う。この逆転の様子を見せるのがおもしろいと思うのだが、仮釈される時のストーンは元に戻っているように見え、どうも逆転したとは考えにくい。冒頭にジャックの若い頃のエピソードを仰々しく差し込んでいるが、それだと彼が元々問題のある性格傾向だということになってしまい、ますます逆転したのではなく、人間なんか内面的には善人も悪人もたいして変わりは無い…という論調になってしまう。単にジャックとストーンが個人的に問題を抱えているだけに見えてしまい、“人間”すべて似たようなところがあるよね…という哲学的なところまで昇華するのを妨げているようにも思える。
シナリオの軸がぶれているのか、私には見えないテーゼが隠れているのか、アメリカで善とされているものが同時に持ち合わせる闇みたいなものを肌で感じていないとダメなのか、本作も評価が難しい作品。ただ、佳作とまでは言いがたい。サスペンス的要素では、明らかに『ゴーン・ベイビー・ゴーン』より劣る。“STONE”もダブルミーニングになってるんだかなってないんだかよくわからないし。特段、お薦めはしない。
負けるな日本
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:ベン・アフレック
出 演:ケイシー・アフレック、ミシェル・モナハン、モーガン・フリーマン、エド・ハリス、ジョン・アシュトン、エイミー・ライアン、エイミー・マディガン、タイタス・ウェリヴァー、マイケル・ケネス・ウィリアムズ、エディ・ガテギ チーズ、マーク・マーゴリス、マデリーン・オブライエン、スレイン 他
受 賞:【2007年/第74回NY批評家協会賞】助演女優賞(エイミー・ライアン)
【2007年/第33回LA批評家協会賞】助演女優賞(エイミー・ライアン:『その土曜日、7時58分』に対しても)
【2007年/第13回放送映画批評家協会賞】助演女優賞(エイミー・ライアン)
ボストンで人捜し専門の私立探偵を営むカップル、パトリックとアンジー。ある日、4歳の少女アマンダが誘拐される事件が発生しマスコミをにぎわせる。警察の捜査に進展が見られない中、アマンダの叔母夫婦がパトリックに捜索の依頼にやってくる。しかし、人捜しといっても借金を踏み倒し失踪したような人間を探すのが専門で、誘拐事件に関わったことはない。また、アマンダの母親の素行が著しく不良であることで、引き受けることを躊躇する二人だったが、叔母の必死な願いに応え依頼を引き受けるのだった。2人は、警察とは違う独自の人脈を使って操作を始めるのだが…というストーリー。
日本未公開作品。これだけキャストが豪華なのに未公開?話も悪くないし決して箸にも棒にもかからないような駄作ではないのになぜ?とは思うだが、日本の配給会社が躊躇した理由がなんとなくわかる気がしないでもない。
(以下、ネタバレぎみ)
前半は誘拐事件の捜査に協力する若い探偵カップルの話。後半は人の倫理観、正しい行いとは何か?を問いかける作品になっている。テイストが変わる前後半の境目がはっきりと存在していて、これがもう少しスムーズだったら、もっとよい評価になっていたに違いない。
モーガン・フリーマンやエド・ハリスにしっかり犯人フラグを立てつつも、スカしに使うなんて贅沢なもんだなぁ…って思っていた。しかし、最終的には役者のランクのとおりに、しっかりと絡んでくる(なんだ始めに疑ったとおりかよ…と)。
かといって、犯人がバレバレなショボい演出なわけではなく、サスペンスの見せ方としては悪くない。ただ、裏にある事件の真相自体がそれほどおもしろくも深くも感じられなかったせいか、どうもカタルシスがない。
ただそれは、カトリックが生活様式に色濃く反映している社会圏にいないと、このカトリック流の“慈悲”のかけ方がピンとこないのと、宗教的な感覚とアメリカ政府の福祉政策の乖離を感じているか否かの差が大きいのだと思う。おそらく、最後に突きつけられた二者選択は、日本の観客とアメリカの観客では、感じる重さがまったく異なるのだろう。
だから、最後の空気感だけでスパっと終わるラストも、我々は物足りなく感じるが、現地人は「う~ん」となったのではないかと。
正直、評価が難しいが、少なくとも佳作だとは思う。誰かと一緒に観て、君ならどうする?って話をしたくなる作品ってことで。私ならドイル所長から口止め料を貰ってだまってるけど(人でなし?)
#あのままドイル所長が、あの子供を養育し続けることが、社会的、法的に可能なのか?なーんて、そっちの方に意識がいってしまったりもする。
負けるな日本
公開年:1957年
公開国:日本
時 間:110分
監 督:黒澤明
出 演:三船敏郎、山田五十鈴、志村喬、久保明、太刀川洋一、千秋実、佐々木孝丸、清水元、藤木悠、土屋嘉男、浅野光男、大友伸、佐田豊、高堂国典、富田仲次郎、稲葉義男、土屋詩朗、高木新平、増田正雄、松下猛夫、大友純、上田吉二郎、谷晃、堺左千夫、沢村いき雄、大村千吉、三好栄子、浪花千栄子、恩田清二郎、笈川武夫、桜井巨郎、井上昭文、小池朝雄、坪野鎌之、加藤武、高木均、樋口迪也、大橋史典、木村功、宮口精二、中村伸郎 他
戦国時代。蜘蛛巣城の城主都築国春は、北の館城主藤巻の謀反により攻め込まれ、やむなく篭城。もはやこれまでと城内で覚悟を決める。そんな中、一の砦の鷲津武時と二の砦の三木義明の活躍により形勢が逆転し、何とか難を乗り切ることができた。危急を救った武時と義明は主君に召され蜘蛛巣城へ向かうが、何故か道に城の前にある蜘蛛手の森から迷って抜け出せなくなる。すばらくすると小屋を発見。その中には老婆がおり、「武時は北の館の主になり、その後蜘蛛巣城の城主になる。義明は一の砦の大将になり、義明の子はやがて蜘蛛巣城の城主になる」と予言するのだった…というストーリー。
他の黒沢作品にある社会主義的視点とか、ストーリーの裏にある寓意を読み取ろうとか、そういう観方をすると、ちょっと調子が掴めないかもしれない。もちろん、娯楽大作でもない。
実のところ、話の筋はまるっきりシェークスピアの「マクベス」で、キャラクターからあらすじまでほぼ一緒。三人の魔女が一人のもののけに変わっているのと、一部のキャラが省略されている程度しか差がない。「洗っても血が落ちないよぉ~」なんてのも、「マクベス」が元ネタで、そういうレベルまで一緒。その戯曲を戦国チックにして歌舞伎や能の様式美を加えて仕上げた作品ということ。後の『乱』なんかと同じ方向性の作品、いや習作だったといってもいいくらいである。
ストーリー自体はかなりぶっ飛んでいるのだが、元の「マクベス」自体がかなり不思議な話なので、黒澤明のせいでは無い。魔女の予言どおりにことが進んでいるだけで、主人公がなにか悪さをしたから因果応報で滅びてしまうとか、そういう教訓めいた話ではない。はっきりいってけっこう理不尽な話で、シェイクスピア悲劇の中最も不吉な作品と言われるのはそのせいである。
予定説の概念をなんとなく理解している欧米人にはピンとくる作品だと思うが、日本人にはどこか納得のいかない話かもしれない。実際、欧米での評価は海外では高い模様。
ということなので、ストーリー上の工夫はほぼないといってよい。やはり、「マクベス」を愚直になぞりながらも、それを日本の様式美で如何に表現するか?というテーマだったんだと思う。そういう意味では大成功だし、以前に本作を観た時はマクベスを知らずに観たのだが、今回内容を把握してから観ると、やはり感じ方に差があった。「あーら、同じ。うまいこと戦国時代に置き換わってる~」っていう感心。原作どおりに『ハリーポッター』がうまいこと映画化されてるのを観て感心するのと同じ感覚かも。
じゃあ、所詮マネっこなので、それほど見る価値はないか?といわれるとそんなことはない。なんといっても、最後の絶命時の雨あられと矢が突き刺さるシーンは圧巻の極みで、昨今のCGなんか紙クズみたいに感じる。首に刺さるシーンはどうやって撮ったのか、何度観てもよくわからないほど。黒澤組の技術力に圧倒されること必至である。音声が聞きにくいのは毎度のことだけど、画の力でなんとなく持っていかれて納得しちゃうくらい。黒澤作品の時代劇の中では、説教臭い部分がないので、一番すっきり楽しめる作品なのかも。お薦め。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:121分
監 督:猪股隆一
出 演:成海璃子、山下リオ、桜庭ななみ、高畑充希、小島藤子、山本小春、金子ノブアキ、市川知宏、森崎ウィン、森岡龍、坂口涼太郎、宮崎美子、朝加真由美、おかやまはじめ、山田明郷、森本レオ、織本順吉 他
コピー:ひと筆にかけた思いがある!
愛媛県、四国中央高校の3年生早川里子は、書道家を父に持つ書道部部長。しかし、部員たちは好き勝手に書いているだけで、指導者もおらず廃部寸前。そんな里子自身も何で自分が書いているのかわからなくなっていた。産休補助教員の池澤先生が臨時顧問になったが、彼からも“つまらない字”といわれる始末。そんな池澤が突然披露したパフォーマンスに部員の清美は夢中になってしまうが、里子は書道は自分の心と向き合いながら一人でするものだと大反発。ますます部の雰囲気は悪くなる。しかし、清美の家の文具店が閉店セールをするので、恩返しに盛り上げたいと言うので、仕方なく協力するのだったが…というストーリー。
連日の成海璃子主演作品だが、特段ファンというわけではない。たまたま。でも、この2作を連続して観て、比較することにものすごく意味があった。簡単にいってしまえば、前日の『武士道シックスティーン』は快作だったのに、本作はポンコツである。この差はどこで生まれたのか。
実は、この2作はものすごく共通点がある。
女子高校生の部活動、個人競技でありつつ集団競技でもある、家庭環境にすこし問題がある子たち、主人公の親はその道のプロで子供のときから修行、勝利を掴むことを是として教育されている、楽しくなければ意味が無いというテーゼ…等々。これが同じ2010年製作で、普通なら同じ女優主演で、こんなカブった作品は普通避ける。
ここまで似ているのになぜ本作はダメなのか。私は次の2点だと感じた。
①根本的な主張がブレている。
楽しく書道をすることに意味があるという主題なのかと思ったら、町のため、みんなを元気にするためとも言い始める。もっともらしく聞こえるが、それぞれ利己主義と利他主義から生じたものであって、足場は異なる。これを融合するのは案外むずかしいと思うのだが、結局最後まで、融合することなく、なんとなく進む。さらに、ツライ状況を忘れる為に書道をやる…みたいな感じも加わってくる。それだと、アルコールと変わらないよ。
きっと、本作は“町おこし”というコンセプトをはずすことができない事情があったんだろう。それならば、後者にだけスポットを当てればよかったのだ。このフガフガした、合わない入れ歯みたいな感覚が気持ち悪い。『武士道シックスティーン』は前者に集約されていたから、すっきりおもしろかった。要するに、作り手側が伝えたいメッセージが、はっきりしていたかいないかの差である。これは実に大きい。
②監督の“気付き”の能力の欠如
観ていて、「おかしくね?」と思うシーンが多々あって、興醒めする。ありすぎるので箇条書きにしちゃう。
・着任した教師が、早々にグラウンドに巨大な紙を敷いて書きはじめるのだが、元々そんな巨大紙に書くような活動をしているわけでもないのに、その紙はどこから入手したのか?そんな簡単に用意できるものか?
・紙すき職人のじいさんが、自分の作った和紙を店においてもらえないからといって、分身ともいえる製作物を何と燃やしてしまう。そんなの職人といえるか?そんなじじいに共感できるか?同情できるか?
・「倒産したのを聞いたのは、その日の夜でした…」というシーンが夜。
・書道パフォーマンス甲子園を思いつくのが唐突すぎる。もうちょっと、思いつくプロセスを大事にしてほしい。事実だからといってなぎ倒した感満載。
・生活費や入院費を稼ぐ為に母子家庭の一人娘が働いているのに、のんきに進学を勧める母親の意味がわからん。金がないことは母親が一番知っているはず(もしかして、若年性痴呆とかそういうハードな設定なのか?)。
・もっともらしけど、根本的に親が入院していることを隠す意味がわからない。だって、隠すメリットが一つもないんだもの。
・「あたし後悔とかしてないきに」 後悔ってのは後からするもんだろ。
・その日に紙をもらって当日に張り合わせるなんて不可能だと思う。
・なんで転ぶと曲が止まるのだろう。なんでみんな歌詞を知っているのだろう。アンジェラ・アキは四国で神ですか?
映画監督業というのは、プロジェクトマネジメントの最たるものなので、こういう穴は敏感に察知しなければいけない。察知できないのも問題だし、察知できているのに「まあ、いいか」として流しているとしても問題。いずれにせよこの監督さんは、向いていないのではなかろうか。
また、なんでこんなにごちゃごちゃした印象の作品になってしまっているのか。まず、書道パフォーマンス甲子園を生み出したという事実が存在し、それに後付で思いつくかぎりのエピソードをくっつけたという製作構造がある。父親、紙すき職人のじいさん、顧問の教師…彼らのバックボーンがその例で、盛り込むだけ盛り込んでゴテゴテになっている。そしてゴテゴテになったあと、ブラッシュアップする過程をサボったからゴテゴテのままなのだ。ここまでできた段階で、「じゃあ、一回ガラガラポンで」ってやる勇気も時間も無かったんだろう。
はたして、めがねの子を転向までさせる意味があったろうか(いいキャラなのに)。いや、根本的に、めがねの子、いじめられた子、母親が入院してる子の役割がカブるところが多すぎる。ああ、やはり、考え始めるとキリがない。この作品は、途中経過を観せられたようなものではないだろうか。もしかして、観客に対して失礼なことをしているのではないだろうか。すごく製作姿勢に疑問を感じてきて、気分が悪くなってきた。まったくもってお薦めしない。本作を観るくらいなら『武士道シックスティーン』を観るのがいい。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:109分
監 督:古厩智之
出 演:成海璃子、北乃きい、石黒英雄、荒井萌、山下リオ、高木古都、賀来賢人、波瑠、古村比呂、堀部圭亮、小木茂光、板尾創路 他
コピー:まっすぐって、ぶつかる。
父の道場で、幼少から剣道修行を積んできた磯山香織。ずっと勝つことにこだわり続け負け知らずだった彼女だったが、中学のとある大会で無名選手に敗戦を喫してしまう。どうしてもそのことが忘れられず、自分を負かした相手を追って東松学園女子高等部に入学する。その因縁の相手・早苗を発見したが、彼女は勝ち負けに執着せず単に剣道が好きなだけの女の子だった。彼女を打倒することだけを考え続けていた香織にとって、その気概の無さは許せるものではなく、また、そんな相手に見込まれしまった早苗もただただ困惑するばかりで…というストーリー。
『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』『うた魂♪』等々、高校の部活動を舞台にした日本作品は数あれど、良いか悪いかは別として、コメディチックで浮ついた作品ばかり。本作は、こんなアイドル二枚看板のキャスティングながら、そんな浮つきは一切皆無。気持ちがいいほど直球の青春ストーリー。なぜか全然評価されてないけど、ものすごくよくデキた作品だと思う。根本的に原作のデキがいいんだろう(読んだこと無いけど)。香織と早苗のそれぞれのキャラのバックボーンや人格形成過程に無理がなく、すっと腑に落ちるので、どちらにも共感できるのが良い。
さすがに『山形スクリーム』の頃ほど健康優良児ではないが、とてもスレンダーとは言い難い成海璃子。しかし、それがバリバリの剣道少女として的確な体格で、ナイスキャスト。元々おばさんくさい顔立ちな上に、さすがに16歳は無理がある北乃きいだが、あっけらかんとした演技で違和感を払拭。本作に限っては演技力の賜物と評価していいだろう。二人とも、相当、剣道の稽古をした様子が見えるし、面ごしでもしっかり表情が判別できるのも良し。
戦い続けることの意味は?勝ちにこだわり続ける意味は?というテーマは、まるでサイヤ人と地球人の問答みたいだけど、しっかり哲学していると思う。「世界に一つだけの花」の歌詞に感動しているような、ポンコツ日本人への立派なアンチテーゼだ。ナンバーワンなんか目指さなくていいって、始めっから平均狙いしていいわけがなかろう。それこそ一流をめざしてゴツゴツぶつかった先に“納得”があれば、それこそが答えだ。オンリーワンですらない答えだって山ほどあるだろう。だけど、何もしなくても“元々特別なオンリーワン”なんてことは絶対に有り得ない。個人的には、あのクソみたいな歌詞を、ズバっと袈裟懸けで切ってくれたようで、非常に気持ちが良かった。
正直、女の子のスポ根モノで鳥肌を感じるシーンがあるとは予想外。こんなに「あ゛~~青春だぁ~~(涙)」って感じた作品、最近なかったよ。不覚にも、途中でウルっときてしまったもの。
これはアイドル映画じゃないから。騙されたと思って観て欲しい。強くお薦め。
#でも、男目線での女の子スポ根だからこんな清々しい仕上がりなのかも。もしかして意外とおっさん向け作品か?
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:89分
監 督:藤森雅也
出 演:原田知世、加藤清史郎、山口勝平、別所哲也 他
コピー:最初は、食べるつもりだったのに…
ある日、草食恐竜のお母さんは川から流れてきた卵を見つけて、自分の産んだ卵と一緒に育てることに。しかし、孵化したのは肉食恐竜ティラノサウルスの赤ちゃん。群れの仲間から、その子供を捨てるように強く言われるが、どうしても従うことができずに群れから離脱。ハートと名付けて自分の子供ライトと一緒に育てることに。しかし、成長するにつれて体の違いに違和感を感じ始めるハート。やがて、自分が肉食恐竜であることを悟り、母とライトの元から離れ、一人で生きていくことに。そんなある日、ハートはころがっていた卵がかえる瞬間に出くわし、生まれたばかりのアンキロサウルスの赤ちゃんを見て思わず“おまえうまそうだな”とつぶやく。するとその赤ちゃんはハートをお父さんだと思い込み、“ウマソウ”と名づけてくれたと勘違いする。そして、すっかりウマソウになつかれてしまい、食べるどころか突き放すこともできなくなってしまい…というストーリー。
結論から言えば、非常に秀逸な作品。原作の絵本は読んだことが無いけれど、おそらく、原作を壊していないだけでなく、超えてきてるのではないかとすら思う。
絵柄を見る限りでは、どう考えても大人の鑑賞に堪える作品とは考えにくいし、事前の宣伝でも、ハートとウマソウのエピソードにスポットを当てすぎた。実際は、ハートとウマソウ以外のエピソードのほうが濃いし、意味合い的にも深いと思う。実際は、幼児をつれて観にいっても、子供はポカーンで、大人が満足して劇場から出てきたに違いない。
難しかったと思うが、もっと違う切り口のプロモーションをすべき作品だったのかもしれない。
『あらしのよるに』にプロットは似ているが、同様に、その真意を小さい子供ががっちりと受け止められるとは思い難い。この世の生きとし生けるものすべてが、拭い去ることのできない業を抱えており、それを超えて何ができるのかという、夢と現実のギャップにどう向き合うかという内容である。これを、簡単に愛のお話ですよなんて形容する人は、もっともらしいことを言うだけの偽善者だと思う。
で、結局(というか当然なのだが)、“これが答えだ!”というものは提示されない。提示されるわけがない。答えの無い問題に立ち向かっていくのが大人だからね。読み聞かせなんかが頻繁に行われている童話作品らしいけど、コレを読んだ子供は、なんだかわからないけど、何かおもしろそうな光るものを感じてくれるだけで充分。大人になってから思い返してくれればそれでいい。
子供だましじゃないのは、アクションシーンからも見て取れる。ハートとバクーの戦闘シーンの動画のすばらしいこと、すばらしいこと。久しくここまでしっかりと書き込んだ日本アニメを観ることはなかった気がする。途中でちょこちょこ差し込まれる挿入歌が、いまいちピンとこないことと、コンピュータ着色がドギツイ以外は、技術的には文句なし。
実は、案外「THE日本」的な作品かもしれない。海外で公開しても、この感覚は理解されないかも(特に欧米では)。なので、是非とも積極的に公開していただいて、外国人と日本人の精神構造に違いを浮き彫りにしていただきたい。
単純な感動を1枚も2枚も超えて、清々しさすら感じる作品。絵柄に躊躇することなく、大人が堂々と借りるべき作品。強くお薦め。愉しめた。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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