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公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:110分
監 督:マーク・スティーヴン・ジョンソン
出 演:ニコラス・ケイジ、エヴァ・メンデス、ウェス・ベントリー、サム・エリオット、ドナル・ローグ、ピーター・フォンダ、マット・ロング、ラクエル・アレッシ、ブレット・カレン、ローレンス・ブルース、ダニエル・フレデリクセン、マシュー・ウィルキンソン、ギブソン・ノルティ 他
ノミネート:【2007年/第28回ラジー賞】ワースト主演男優賞(ニコラス・ケイジ「ナショナル・トレジャー」「NEXT」に対しても)
コピー:拳(フィスト)にチェーン、魂(ソウル)に正義。
運命の鎖に繋がれたアナザー・ヒーロー。
移動サーカスでのバイク曲芸を生業とするブレイズ親子。ある日17歳ジョニーは、父がガンに冒され全身に転移しており、余命幾ばくもないことを知る。そこに、悪魔メフィストが現れ、父親の命と引き換えに魂を売り渡すことを契約してしまう。確かに契約通り父親の病気は快復したものの直後に事故死してしまう。悲嘆にくれるジョニーは、恋人のロクサーヌも捨ててサーカスを飛び出してしまう。13年後、不死身のバイクスタントとして名声を得ていたジョニーの前に、メフィストが再び現れる。メフィストは魔界の反逆者であり彼の息子でもあるブラックハートを捕らえるよう命じ、ジョニーにゴーストライダーとなるべく魔界の力を与えるのだったが…というストーリー。
とても面白い素材だと思うし、このストーリーは好きなほうだと思う。ただし、それが生かしきれておらず、満足度がものすごく低い。
まず、冒頭のゴーストライダーの説明がよくわからない。悪魔と契約した邪悪な魂を捕らえるのが使命とのことだが、ゴーストライダー自身が悪魔メフィストのしもべとして行動している模様。この時点で、頭に???マークが。なんで、メフィストは悪魔との契約者を退治させているのか。根本的にわからない。大事な部分なのできっちりわかりやすく説明してほしい。
#多分、原作を読めばわかるんだろうけど。
この映画がイマイチ流行らなかった(続編が作られない)一番の原因は、肝心のゴーストライダーが格好悪いからである。
大体にして単なるホネホネロックだから。骨のキャラクターだとしても、骨をベースにした異形のヒーローにすることは可能だろう。骨の形状をすこし鬼っぽくするとか、すこしゴツゴツさせるとか、工夫はいくらでもできたはず。完全に肉が剥げただけの骨格標本なんだもの。
そして、着ている革ジャンの中身は地獄の炎でパンパンに膨れているのだが、これまた革ジャンの縫製を忠実に表現してるもんだから、寸胴になっちゃってる。もうちょっと腰を締めて格好のよいバランスにできただろう。CGなんだから。
#それでも、バイクのデザインとチェーンアクションの格好よさでフォローできてはいるので、ギリギリ許せはする。
警察に拘留されたところで、チンピラどもをやっつけちゃうくだりは非常に面白い。悪魔と実社会の悪を重ねて、どんどん世のダニを退治してくれたりすると、すこしはカタルシスを感じられたかもしれないけど、残念ながらそれ以降人間は相手にしない。悪魔さんたちを相手の戦っても所詮絵空ゴトなので、ピンとない。やっぱり悪魔と契約した憎たらしいやつらをやっつけないとおもしろくならないだろう。シナリオのセンスないなぁ。
振り返って考えると、ロクサーヌというキャラは必要かどうか、甚だ疑問に思えてくる。「私カワイイわよね?」なんて言うのだが、別にたいしてカワイクはないし、そこまで魅力的な行動をとるわけでもない。終盤のバトル中でも大して重要な役割ではない。かといって、主人公の重い足枷になるわけでもない。『スパイダーマン』のメリー・ジェーンに比べると必要性が薄い。こんなキャラを出すくらいなら、悪魔と契約した悪い人間を出したほうがいいのに。
#最後、別れる理由もわかったようなわからないような。
アメコミ大好きのニコラス・ケイジだが、彼が絡むヒーローものは本当にツマらなくなる。よほどのアメコミ好きでもないかぎり、本作は観る価値なし。多分、別の監督で別の主役でリメイクしたら、ものすごくおもしろくなると思う。残念。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:ピエール・モレル
出 演:ジョン・トラヴォルタ、ジョナサン・リス・マイヤーズ、カシア・スムートニアック、リチャード・ダーデン、アンバー・ローズ・レヴァ、シェムズ・ダマニ、モステファ・スティティ、ディディエ・コンスタン、アレクサンドラ・ボイド、メリッサ・マルス、サミ・ダール、ヨアキム・デ・アルメイダ 他
コピー:人生のひきがねを引け。
フランスのアメリカ大使館に勤務するジェームズ・リースは、裏でCIAの見習い捜査官としても勤務していた。しかし、ナンバープレート交換程度の地味な作業ばかりで不満の毎日。そんなある日、麻薬捜査のためにCIA本部から凄腕捜査官ワックスが渡仏。そのパートナーを任され、初の重要任務に興奮するリース。ところがワックスという男は、任務遂行のためなら、暴走・破壊・殺人と一切手段を選ばない危険な男だった。人を撃ったことすらないリースは混乱し…というストーリー。
フランス映画がハリウッドを志向するとなぜモヤモヤしちゃうのか…、これは、ちょっとしたテーゼである。最近でいうと『アデル』もそんな感じだった。
むちゃくちゃな相方、振り回される主人公、過剰なアクション、次第にできあがっていくコンビネーション。アメリカのバディ物のお約束どおりといえば、そのとおり。そして、テロ組織と戦うというシンプルなストーリー。でも、なぜか、グッと完全には乗り切れない引っ掛かりがそこにある。
“敵の敵は味方”という言葉があるが、同じ西側ながらも決して仲良しではないフランスをアメリカが、中国人やアラブ人を悪者とすることで同じサイドに立つという構図を、楽しめるかどうか。移民問題を抱えるフランスのお国事情はわかる。しかし、『マチェーテ』では、そのへんの移民政策を、批判ともジョークともつかない微妙なラインでセンスよく扱っていたのだが、本作ではそのセンスが伺えない。あからさまに、中国人やアラブ人を直球で“悪”としているようにしかみえないのだが。
まさか彼女が?というのは、誰もが頭をよぎるだろうが、まさかそのままって…。単なる勧善懲悪を超えた何かを生んでくれるのか?とおもったが、その期待に応えてくれるものは無く、単に狂信者でした…というオチ。
後半突然登場する、凄腕ドライバーが大活躍。なかなかよさげなキャラで、彼の存在なしには成立しない展開なのに、事前の掘り下げは一切ない。もうちょっともっと前から絡める方法はなかったのだろうか。
ワックスのキャラも、実は似合わないジャンルの音楽好き…とか、自分の銃にこだわりがある…とか、色々キャラ付けとしているのだが、ぜ~~~~んぶが取ってつけたようにしっくりきていない。天井を撃ったらサラサラとヘロインが降ってくるってのが無理があるだけでなく、ツボで持ち歩かせるのはああいう風に使うためだ…はじめから計算ずくだったのさって、ねじ伏せるにもほどがありすぎる。で、そんなエスパーばりの能力は終盤になると消えうせて、キャラの一貫性が損なわれるのも、設定の煮込み方が足りない証拠。
あんまり考えないように観ようと、そういう心構えだったんだけど、それでもなぁ…。
満足度としては63点。65点というのが憚れるし、64点でもない。この微妙な採点で、なんとなく雰囲気がつかめるんじゃないかなと。
#まあ、B級映画で60点台って、結構なものだよ。旧作料金ならかなり優秀な部類だ
と思う。その割り切りがあれば、満足できる作品だと思う。
負けるな日本
公開年:2001年
公開国:日本
時 間:137分
監 督:佐藤純彌
出 演:大沢たかお、長谷川京子、柄本明、生瀬勝久、渡辺裕之、加藤清史郎、中村ゆり、渡部豪太、須賀健太、本田博太郎、温水洋一、北村有起哉、田中要次、坂東巳之助、永澤俊矢、池内博之、榎木孝明、西村雅彦、伊武雅刀、北大路欣也 他
コピー:幕末リアリズム。
日本の未来を変えた、史上最大の事件
嘉永6年(西暦1853年)、浦賀沖にペリーの黒船が来航し開国を迫る中、幕府内では、井伊直弼ら南紀派と、水戸藩主・徳川斉昭を筆頭とする一橋派の対立が激化していた。諸々の巧策によって大老に就任した井伊は、天皇の意見を仰ぐことなく独断で開国を進め、徳川斉昭らを排斥。さらには尊王攘夷派を大量粛清した安政の大獄へ繋がっていく。これ以上の井伊の専横を防ぐにはもはや暗殺以外に手立てはないと、関鉄之介ら水戸藩士17名に薩摩藩士・有村次左衛門を加えた襲撃実行部隊が組織され、実行の機会を狙うのだったが…というストーリー。
小学生の歴史の授業でも出てくるので、事件の名前と“いいなおすけ”というキーワードは誰でも浮かぶだろう。でも、事件の内容とか経緯は良くわからない人が多いはず。そして私もすぐには思い出せず、観ながら「ああ、そうか」と思い出した、そんな感じ。
昔、NHK教育テレビでは、小額6年生の社会科番組で再現ドラマのようなようなものがあったが、本作を観ながらそれを思い出した。ほんとに映画というよりも教材みたい。挿絵や止め絵でのナレーションに字幕での説明。ストーリー的に重要ではない誰だか判らない人物の氏名・年齢・刑罰内容にダラダラと時間を割いてみたりと、歴史マニア以外おもしろく感じるわけがない演出が多々ある。
全体的な構成もちょっと意図がわからない。
国を憂いて売国奴を誅滅することに命をかけた男たちの心意気を賛美したいのかと思ったが、早々に暗殺の件は終わる。では、そんな義心をもって人たちの思いが報われない悲哀とせつなさを見せたいのか。でも、その割には、後半は逃げ回って徐々に捕まっていくだけで、特段何かがあるわけでもない。
国会議事堂と桜田門が近いというのは、「へぇ」と思ったが、この作品の中で、わざわざ差し込むのは何故か。単なるトリビアなのか、現在のグローバルスタンダード至上主義を非難しているのか(もう、そんな傾向も下火だが)、現政権の批判なのか(製作中に政権交代があったので、どっちの政権を批判したのか、よくわからないけど)。
結局は、歴史的な事実を整理して、こうやって日本の礎はできてきたんだよということを紹介したいのか。でも、それにしてはずいぶん水戸藩を贔屓した内容に思える。現実を無視して攘夷攘夷と騒ぐところまでは、百歩譲って許すとしても、井伊暗殺は攘夷のための手段だったのに、途中から目的に変質してしまったことに気付かない愚かさよ。他藩が手を引いたことをまるで裏切りであるかのように言っているが、最終目的である攘夷の手段として井伊暗殺が最適では無いと判断したから引いただけ。坂本竜馬が「今はその時期ではない」と言うのは、目的を果たすために、現時点では最適な手段ではないよ…といっているわけで、至極もっとも。それすら理解できないほど、私怨で頭が麻痺している。これでは単なるテロリストと言われても仕方があるまい。
私は、このように、手段を目的化してしまった組織をクレイジーだと思っており、自分への戒めとしているので、まったく共感できない。むしろ害悪だとすら思う。
ということで、歴史事実を整理しているようにみえて、製作している側も狭い視点で製作しているように思える。こんなことなら、多少事実から逸脱しても、軽率なことやってしまった人間に悲哀、そうやって突っ走っちゃうことってあるよね…っている誰しも経験したことがある理想へのこだわりゆへの失敗なんかにフォーカスを当てたほうが、おもしろくなっただろうと思う。
ということで、“他人に観てもらう”という意味で腰が座っていない作品なので、お薦めできない。
#中途半端に濡れ場があるから、歴史のお勉強ってことで子供に見せることもできないし…。使えねえ。
負けるな日本
公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:140分
監 督:ジョエル・シュマッカー
出 演:ジェラルド・バトラー、エミー・ロッサム、パトリック・ウィルソン、ミランダ・リチャードソン、ミニー・ドライバー、キアラン・ハインズ、サイモン・カロウ、パトリック・ウィルソン 他
受 賞:【2004年/第10回放送映画批評家協会賞】若手女優賞(エミー・ロッサム)
コピー:あなたの声で私の花が開きはじめる。
1919年のパリ。かつて栄華を極めたオペラ座は今や廃墟となっており、残された品々がオークションにかけられようとしていた。オペラ座が廃墟となった原因は、1870年代のある事件。当時、華麗な舞台でにぎわっていたオペラ座では、仮面をかぶった謎の人物“ファントム”の仕業とみられる奇怪な事件が頻発しており、動揺が広がっていた。そんな中、一人のコーラスガール・クリスティーヌは、密かに怪人ファントムから歌の指導を受け才能を伸ばしていた。ファントムを亡き父が授けてくれた“音楽の天使”と信じて。ある日彼女は、代役として新作オペラの主演に大抜擢され、その歌声でチャンスをものにする。喝采を浴びる彼女を、幼馴染みの青年貴族ラウルも祝福。しかし、直後にファントムが出現し、クリスティーヌをオペラ座の地下深くへと誘うのだった…というストーリー。
先月、京都で劇団四季のオペラ座の怪人を観ようとしたのだが、前日ではチケットが取れずに断念。その埋め合わせとして本作を鑑賞。観たことはあるんだけど、もう一度。
今回観たのは、字幕版のみのDVDだったんだけど、当時の製作側の意向なのか吹き替え音声が入っていない(DVD容量の問題なのか、歌のクオリティを確保できなかったためかは不明)。で、たしか金曜ロードショーで劇団四季による吹き替え版が、放送されたことがあったと思うんだけど、私すっかり忘れていて途中からしか観れなかったのだ。いま思えば、きちんと録画しておけばよかったと、非常に後悔している。
とにかく、歌詞を追っていたら、ステージの細かいところや演者の表情に目がいかなくなって、訳が判らなくなって数回巻き戻した。絶対、吹き替え版なら、しっかりと入り込んで観ることができたに違いない(舞台装置や演技はよくできているからね)。
それから、戸田奈津子の字幕なのだが、歌詞がメロディーにしっかり乗ってない感じもするし、歌では使わないような言い回しというか単語が多い気がして、どうもいけない。戸田奈津子って歌詞の訳は苦手なんじゃないだろうか。
もう一つ、見過ごせない難点は、人物が登場するカット(特に、腰から上のアップショット)の、カット割が非常にダサい。絵コンテの段階で悪いのかカメラマンのセンスが悪いのかはわからないが、とにかく凡庸で味のないカットの連続で閉口してしまう。いくら元は舞台劇だからって、平板な画角ばかりで許されるはずはない。
結局、ミュージカルが見れなかったことの埋め合わせのつもりだったのに、逆にもやもやしてしまった。本作のレンタルDVDは観る価値はない。お薦めしない。
負けるな日本
公開年:1948年
公開国:アメリカ
時 間:80分
監 督:アルフレッド・ヒッチコック
出 演:ジェームズ・スチュワート、ファーリー・グレンジャー、ジョン・ドール、セドリック・ハードウィック、コンスタンス・コリアー 他
マンハッタンにあるアパートの一室で、ハーバード大学を卒業したばかりのフィリップとブランドンが殺人を犯す。その殺人は、自分が選ばれた存在であることを証明するという、ゆがんだエリート思想を証明するために行われたものだった。さらに、彼らは、殺したデイビッドの死体を隠した部屋の中で、彼の知人達を部屋に招きパーティを開き、そのスリルを味わうのだった。しかし、ブラントンは冷静を保っていたが、フィリップは次第に正気を失っていく。やがて、客の一人であるカデル教授が異変に気付き…というストーリー。
観客は最初から犯人を知っていて、ディテール(殺人の動機とか)は、ストーリーが進むほどに見えてくるという手法。
『[リミット]』ほどではないけれど、一つの空間だけで、ストーリー展開させる手法の作品。ただ、こちらはできるかぎり“ワンカット”にこだわった作品。しかし、今と違ってフィルムの長さに制限があるので、背中へのアップで暗転させて繋げているのだけれどね。
さらに、映画の中と実時間が同時進行という試みも。とにかく、色々と実験している映画である。
仕方がないとはいえ、今観ると、完全に一本で繋がっていない点、特に、デザートのソースの色模様が変わっていて、繋がりが壊れているのを観ると、ちょっとがっかりしてしまう。
この実験手法が結実したかどうか?と聞かれれば、あまり功は奏していないと感じる。その実験的挑戦に反比例して、ストーリーがピリッとしない点もイヤ。
「劣った者には生きる価値がない」という優生学的な持論を展開してみたりして、この主人公も『タクシードライバー』のトラヴィスと同様、他人の痛みに鈍感な人間なんだなぁとは思うが、特段その動機に恐怖を覚えたりするようなこともなく、人物の掘り下げが甘いと感じる。技術に溺れて、映画の本文を損ねてしまった、そんな印象。
また、セリフが非常に多いので、字幕を追うのがかなり厳しい。実のところ、かなり目がつかれて眠くなる。
正直に言うと、半分まで観て、誰がだれだか、わけがわからなくなったので、もう一度最初から観直してしまった。ヒチコック作品の中では、あまりデキのよい部類ではないだろう。観終わった後も、特に何も残らなかった。お薦めしない。
#まあ、冒頭の、絞殺なのに「あ~!!」と声上げちゃう段階で、違和感満載だったんだけどね。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:イーサン・マニキス、ロバート・ロドリゲス
出 演:ダニー・トレホ、ジェシカ・アルバ、ロバート・デ・ニーロ、スティーヴン・セガール、ミシェル・ロドリゲス、ジェフ・フェイヒー、ドン・ジョンソン、シェー・ウィガム、リンジー・ローハン、チーチ・マリン 他
連邦捜査官マチェーテは、麻薬王トーレスによって愛する家族を殺され、現在は失意のままアメリカに不法移民として留まっている。抜け殻のように生きながら、その胸の内では復讐の機会を狙っていた。そんなある日、謎のビジネスマンから喧嘩の腕を買われ、高額の報酬で不法移民弾圧をスローガンに掲げるマクラフリン議員の暗殺を依頼される。しかしそれは、不法移民を暗殺犯に仕立て上げることで、不法移民排斥を有利に進めようとする、クラフリン側が仕組んだ罠だったのだ。犯人として捕らえられそうなところを何とか切り抜けたマチェーテは、タコスを販売しながら裏で不法移民を支援する女性ルースと、今でこそ牧師だが昔は殺人も厭わなかった男パードレの助けを借りて、反撃に出るのだった…というストーリー。
ロドリゲス監督の『グラインドハウス』に含まれるフェイク予告編の評判が良かったので、本当に映画にしちゃったって作品。ようするに悪ノリで生まれたってことだね。
フェイク予告編の評判がよかったってことは、プレゼンレベルで成功しているようなものだから、あとはトコトン悪ノリをし続ければいい。こういうノリで作られた作品が、楽しくならないわけがない。
ダニー・トレホ(『スパイ・キッズ』の子供達の叔父さん役の人ね)が主役を張るようなレベルではないのと対比して、デ・ニーロにセガールにジェシカ・アルバと、主役級を遠慮なく脇役(それも端役に近い役)で使っちゃう。この豪華さ。
とはいえ、スティーヴン・セガールは、主役でもなければ正義の味方でもないとき、こんなにしょぼくて奇妙に映るのかと、驚くほど(笑)。ダニー・トレホとB級感と合わさって。この映画全体のB級感の半分を担っているといってもいいほど。
そして、この手のロドリゲス作品ではお約束の、一線をちょっと超えたレベルのエロ演出。そんなエロに直面しても、一切鼻の下を伸ばすことがないダニー・トレホがだんだん格好良くみえてくるから不思議(別に手を出さないわけではないのだが)。男の格好よさって何なんだろうって、ちょっと考えさせられちゃう。
B級感をだそうとして、わざとフィルムを劣化させたような画像処理が陳腐極まりなくて、邪魔臭いが、それは大目に見るとしよう。『グラインドハウス』も同じようにB級一直線を目指した作品だったと思うのだが、どこかに、劇場公開を見据えたA級感が漂っていた。しかし、本作にその臭いはない。それなのに、おそらく劇場で観た人の満足度は結構高かったのではないかと思わせる何かがある。
ノリと統一感のある雰囲気づくり、現実世界を頭によぎらせない疾走感。もしかすると、金を払ってみる価値の有り無しは、巧みなシナリオでも高等な技術でもないのかもしれない。
移民政策に対する政治的なメッセージがありそうに見えながら、実のところなにがいいたいのかよくわからないという、掴み所の無さもよい。色々考えさせてくれはするけど、深く考えさせもしない、良作でも佳作でもない“おもしろい”作品。お薦め。
#さすがのジェシカ・アルバもはじけるような美しさは薄れてきたかな…。
負けるな日本
公開年:1976年
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演:ロバート・デ・ニーロ、シビル・シェパード、ジョディ・フォスター、ハーヴェイ・カイテル、ピーター・ボイル、アルバート・ブルックス、ジョー・スピネル、マーティン・スコセッシ、ダイアン・アボット、ヴィクター・アルゴ、レオナルド・ハリス 他
受 賞:【1976年/第29回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(マーティン・スコセッシ)
【1976年/第11回全米批評家協会賞】主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)、助演女優賞(ジョディ・フォスター)、監督賞(マーティン・スコセッシ)
【1976年/第42回NY批評家協会賞】男優賞(ロバート・デ・ニーロ)
【1976年/第2回LA批評家協会賞】男優賞(ロバート・デ・ニーロ)、音楽賞(バーナード・ハーマン)
【1976年/第30回英国アカデミー賞】助演女優賞(ジョディ・フォスター)、作曲賞[アンソニー・アスクィス映画音楽賞](バーナード・ハーマン)、新人賞(ジョディ・フォスター「ダウンタウン物語」に対しても)
【1994年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
【1976年/第19回ブルーリボン賞】外国作品賞
コピー:ダウンタウンのざわめき…街の女 光のカクテル…濡れたアスファルト けだるいジャズの吐息… ニューヨークの夜が、ひそやかな何かをはらんで いま、明けてゆく…
ベトナム帰りの青年トラヴィス、夜勤のタクシードライバーをやりながら、社会の汚さに不満を覚えていた。ある日街で見かけた大統領候補者の選挙事務所に勤めるベッツィという女性が気になり、押しかけて次第に親しくなっていくのだが、彼女をポルノ映画館に誘ったことで絶交されてしまう。自分ではどうにもならない苛立ちから、闇ルートで銃を入手し、体を鍛え始める。彼の頭の中である計画が沸き上がっていたのだ…というストーリー。
スコセッシが本作のリメイクをやるとかやらないとかって情報を聞いたので、改めて観てみようかなと(本当かどうか怪しい情報だけど)。散々いろんな人々が解説しているので、今回はちょっと違った観方を。
トラヴィスは、拭いがたい社会への違和感、そして、周囲の人間がその違和感を感じていないかのように振舞っていることに対する更なる違和感を覚えている。とはいえ、自分の“正義”は周囲に理解されず、自分のコントロール下からは遠く離れた存在であると、半ば諦めている。かといって、社会への興味を失っているわけでもない。
トラヴィスがポルノを観てもさほど興奮していないことから、彼が諸々の感覚が他者よりも鈍感であることが判る。視覚的に捉えられる感覚から生じる彼の頭の中にある複雑で高尚ともいえる観念とは裏腹に、肉体的な感覚は若干麻痺しているものと思われる(だから、急に過激なトレーニングを始めても苦ではない)。この感覚の麻痺が先天的なものなのか、ベトナム従軍経験によるものなのかは、説明されていない。
痛みを感じない人間は、他者の痛みを慮ることができない。ひいては他者が感じる心の痛みにも共感することができない人間になってしまう。人間は、頭の中で社会観を形成するが、それを元に行動すると大抵は痛い目にあう。頭の中と現実との乖離を“痛み”として認識し、修正していく。ゴツゴツした岩が、川の流れにもまれて丸い石になるように、社会とのコンタクトで痛い目にあって次第に丸い人間になっていくわけだ。しかしトラヴィスはその痛みをいまいち感じない。だから、永遠にゴツゴツした岩のまま、社会にぶつかり続けることになるのだ。
他者の痛みに鈍感だから、自分の中の社会正義と異なるものを排除することに、躊躇はなくなる。彼にとって、自分の価値観と異なる政治家を抹殺することも、少女に売春させる奴らを退治することも同列なのだ。
社会とうまくやれない人も、犯罪者になってしまう人も、こういう傾向が強いな…と最近考える。
そして、本作の不思議な魅力の一因だが、徹底的に暴力に耽溺していく人物にも関わらず、なぜか聖人化されるという不思議さ。カトリック社会の文学においてはよくある手法らしいが、その発想の根源が何なのか、私には未だにわからない。でもなんともいえない雰囲気を醸し出しているのは認めざるを得ない。
昨日も名前を出したが、『ノーカントリー』のシガーも、同様の人物だと思う。しかしシガーの方はいささか人間離れした怖さ。トラヴィスの方は常人との境界があまりはっきりしていないし、よく観察すると同様の雰囲気の人はけっこう周囲にいるので、逆に怖くなる。
未見の人は是非観てほしい。とても30年以上前の作品とは思えない。お薦め。
#ジョー・ペシがポン引き役で出てくるのだが、筋骨隆々で何か笑えてしまう。
負けるな日本
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:スベネット・ミラー
出 演:フィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナー、クリフトン・コリンズ・Jr、クリス・クーパー、ブルース・グリーンウッド、ボブ・バラバン、エイミー・ライアン、マーク・ペルグリノ、アリー・ミケルソン、マーシャル・ベル、R・D・レイド、アダム・キンメル 他
受 賞:【2005年/第78回アカデミー賞】作品賞主演男優賞(フィリップ・シーモア・ホフマン)
【2005年/第40回全米批評家協会賞】作品賞、主演男優賞(フィリップ・シーモア・ホフマン)
【2005年/第72回NY批評家協会賞】新人監督賞(ベネット・ミラー)
【2005年/第31回LA批評家協会賞】男優賞(フィリップ・シーモア・ホフマン)、助演女優賞(キャサリン・キーナー:「ザ・インタープリター」「40歳の童貞男」「The Ballad of Jack and Rose」に対しても)、脚本賞(ダン・ファターマン)
【2005年/第63回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](フィリップ・シーモア・ホフマン)
【2005年/第59回英国アカデミー賞】主演男優賞(フィリップ・シーモア・ホフマン)
【2005年/第21回インディペンデント・スピリット賞】主演男優賞(フィリップ・シーモア・ホフマン)、脚本賞(ダン・ファターマン)
【2005年/第11回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(フィリップ・シーモア・ホフマン)
コピー:何よりも君の死を恐れ、誰よりも君の死を望む。
1959年、カンザス州の田舎町で一家4人惨殺事件が発生。翌日、新聞でこの事件を知った作家カポーティは、この事件を題材に作品をつくろうと思い立ち、ニューヨークから現地へ向い、同行したネルと共に事件現場を訪れ、関係者や警察への取材を重ねる。やがて2人の容疑者が逮捕されると、彼らへの接近を試み何度も取材を行うが、カポーティは、容疑者の一人であるペリー・スミスに得体の知れない魅力を感じ、創作意欲を刺激されてしまう。そして、さらなる面会を重ね、次第に彼の信頼を得ていくカポーティだったが、同時に、いくつも重ねた嘘の上に成り立った信頼関係が苦痛になり…というストーリー。
先日、『エクソシスト ビギニング』を先に観てしまったので、改めて観直したことを書いた。同様に、本作も『冷血』を観る前に先に観てしまったことを後悔していた作品。もう半年も前になるけど、やっと『冷血』を観たので改めて鑑賞。
やはり『冷血』⇒本作の順に観るのが正解。外国人が、日本の三億円事件をテーマにした作品を観ても、おそらくピンとこないに違いない。それと同じで、私も“事実”としてのこの事件をよく掴めないまま観ていたので、しっくりきていなかったのだ。その事件に対するリアルな空気感(仮に、その事件発生時に成人でなかったとしても、噂レベルで感じる雰囲気)を知っているか否かで大きく違うと思う。
本作のデキは非常によろしいとは思うが、この『カポーティ』で唯一不足しているのは、社会の反応がどれほど過敏だったかという点が、それほど伝わってこないことだね。『冷血』を観ることで、この動機を理解しがたい不条理な事件に対峙させられた社会の空気が補完された。
取材というものが客観的であるのに越したことはないが、実際のところ、ハイゼンベルグの不確定性原理のごとく、結局、取材する側が対象者に影響を与えてしまう。そして逆もしかり。ノンフィクションノベルの草分けということで何もかも手探りだし、心構えもできていないカポーティ。それに加えて、嘘をついてネタを得たという罪悪感や、弁護士を付けて死刑を延期させる行為が道義的にどうなのか?という自分への問い。万が一、釈放されてしまったら社会的批判にさらされる恐怖。さらに、生い立ち的に共通する何かまで感じ取ってしまった上に、元々同性愛性向の持ち主ときている。反対に、作品は大衆に受け入れられ、自分の本分は全うできてしまうという矛盾。これらが複合的にあいまってしまい、もう、マトモな精神でいられるはずがない。そして、それらの感情が整理されないまま、執行の現場を見てしまっては、そりゃあ立ち直れるはずがない。『冷血』の執筆で筆を折ってしまったのも、理解できる。
そして、この自分は天才だと言わんばかりの行動をとりながらも、分裂した内面に疲弊していく彼を、フィリップ・シーモア・ホフマンをよく演じていると思う。個人的には、はっきりいって気持ち悪く感じたけどいけど、そう感じられたこと自体、秀逸な演技ということだろう。彼に隠れぎみだけど、ネルを演じたキャサリン・キーナーの演技も、カポーティとネルとの微妙な関係を静かながらも良く表現できていると思う。
いまでこそ、シリアルキラーをはじめ、人間として立っている地平が違う奴らの所業に恐ろしさを覚える作品は数々ある(『ノーカントリー』とかね)。まあ、その走りのような事件で、アメリカ社会の転換期を見たような感覚になる作品。もう一度、言うが、『冷血』⇒本作の順に観ることをお薦めする。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:スペイン
時 間:94分
監 督:ナンシー・マイヤーズ
出 演:ロドリゴ・コルテス 他
コピー:目覚めたら土の中
イラクでトラック運転手の仕事に就くのアメリカ人ポール・コンロイ。仕事中に突然何者かに襲撃され昏倒。目を覚ますと、そこは地中に埋めらた棺型状の狭い木箱の中だった。懐中電灯とライター、携帯電話があったが、状況は一向に掴めず、酸素も次第に薄くなっていく。極限状況の中、携帯電話の電池切れを気にしながら、なんとか救助を求めようとするのだが…というストーリー。
観終わってから気付いたのだけど、主人公はイラクで働くアメリカ人なのに、スペイン映画なんだよね。
世の中には、一つの場所でずっと展開させる演出の映画がいくつもある。だけど、頑なにまったく場面を変えず、登場人物もはじめから最後まで一人だけ…と完全に貫いた作品を、私は観たことが無い(私が観たことが無いだけで、多分他にもあるんだろうけど)。
ほとんど同じ場面だったとしても、回想シーンや過去の出来事、ちょっと角度の違う映像なんかを挟んだりするもんだけど、本作はそれすら一切ない。外の様子が映ったのは携帯電話に送信されてきた数秒の動画だけ。あとは、完全に棺の中と電話の音声だけである。電話の会話のみで、色々想像させるわけ。
まあ、こういうコンセプトで作ろう!って決めて貫いただけだろうとは思うけど、本当に最後までやりぬいたことについては、褒めざるを得ない。高いところの映像を観て、お尻のあたりがヒュンってする感じになるのと同じように、寝返りもうてないような棺の中の閉塞感で、一緒に追い詰められた感じになっちゃう。
(ちょっとネタバレ注意)
実は、終盤になってくると、人事担当が無理やり契約解除しようとするくだりや、指を切断するくだりなど、無理やりが過ぎる場面が連続で差し込まれてきて、なんとか搾り出すぞ!ってがんばりというかあせりがにじみ出てくる。YOUTUBEに公開されてるのだから、無理やり解雇事由を認めさせる録音なんか録ったら企業としてマイナスになるだろうし、あんな狭い空間で横になって、小さいナイフ一本で自分の指を切断するなんて不可能に近い。
不安障害を抱えているっていう設定も、あまりにも冷静になれない主人公の様子に興醒めしないように、後付した設定な気がする。
もし、これが映画学校の卒業作品なら、150点オーバーなんだろうけど、プロの作品としてどこまで評価を得られるかは微妙。でも、究極的に低予算だったとしても、ここまでのものが作れるんだよ!同じ内容を民生デジカムで撮って、MACで編集したって、同レベルのものは作れるよ(本作がそうやって作られたという意味にあらず)!お金がない・手数が少ないなんて、言い訳できない時代になったんだよ!ってことを、世の中のエセクリエイターの喉元に付き付けちゃった作品ではある。
それ以上のものでも以下でもない。悪い作品ではないが特段お薦めはしない。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:シルヴェスター・スタローン
出 演:シルヴェスター・スタローン、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ミッキー・ローク、ドルフ・ラングレン、エリック・ロバーツ、ランディ・クートゥア、スティーヴ・オースティン、デヴィッド・ザヤス、ジゼル・イティエ、カリスマ・カーペンター、ゲイリー・ダニエルズ、テリー・クルーズ、ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガー、アミン・ジョセフ、セーニョ・アモアク、ハンク・エイモス、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ 他
ノミネート:【2010年/第31回ラジー賞】ワースト監督賞(シルヴェスター・スタローン)
コピー:最強 無敵
ソマリアでの人質救出作戦を成功させ帰還したバーニー・ロス率いるフリーの兵軍団“エクスペンダブルズ(消耗品)”に、休む間もなく新たな依頼が舞い込む。依頼内容は、南米の島国ヴィレーナの独裁者ガルザ将軍の抹殺。バーニーとリー・クリスマスは、すぐさまヴィレーナに潜入し、サンドラという女性の案内で現地視察を始める。実は、このサンドラはガルザの実娘でありながら、国民の窮状を憂い反政府運動を率いる女性闘士。結局、ガルザ一派に追われ二人は島を脱出するが、この依頼の影にCIAの汚い策略があることを感じ取り、依頼を断ってしまう。しかし、一緒に脱出することができなかったサンドラのことが気に掛かり、バーニーは単身でヴィレーナへ乗り込もうとするのだが…というストーリー。
このタイトルとキャストを見て、繊細なストーリーとか芸術性を求める人はいないだろう。後は看板に偽りがあるか否か。
銃撃戦、カーチェイス、爆破、アクション、凄いキャスト、何も考える必要なし。売り文句のとおりだし、予測していた内容と違ったなんていうトンチキな人はないだろう。カレーライスを頼んだらカレーライスが出てきて、ビールを頼んだらビールが出てくる。何の問題もない。スタローンの宣言どおりのCGを使わない爆破爆破のオンパレードを見せられると、やっぱりCGとは違う満足感があったよ。
公開当時、悪い評判を流してた評論家なんかもいたけれど、この映画に何を求めて文句をいってるんだか。“ももたろう”に情緒を求めてるようなもんだろう。
ラジー賞はスタローンをワースト監督賞にノミネートしているのだが、逆に聞きたい。何をどうすればワーストじゃなくなると?説明してみろや。この手をアクション映画のやり口といてあげつらって文句をいうようなヘマをやらかしているとでも?どうせ、スタローンが何をやっても、あいつらはノミネートするのだ。もう、他人の作品を評価する資格ないんだよね。
これだけ主役級が集まっていたら、脇役って損な役回りになっちゃいそうな感じだけど、ジェイソン・ステイサムもジェット・リーもしっかりキャラが立っていて、むしろ主役のオファーが逆にきちゃいそうなくらい。大号令をかけただけあって、応えて来てくれた人には損はさせないっていうスタローンの男気が感じられる。
老いてなお、誰かに求められた仕事を、人より秀でた自分の能力を駆使して、自分の信念でやり続ける。この姿がとても羨ましく、それどころか神々しさすら感じてしまう。お祭り映画のように見えて、それなりのデキと世界観を作り出してしまったので、続編の製作は間違いないだろう。準新作くらいの料金なら、ぜんぜん損した気にはならない。アクション物は徹底してブチのめしてほしいって思ってる人は、絶対に満足できる。そこまで微塵になるまでぶっ放す必要意ないもの(笑)。軽くお薦め。
#ノゲイラ兄弟出てた?
負けるな日本
公開年:1989年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:スティーブン・ソダーバーグ
出 演:ジェームズ・スぺイダー、アンディ・マクダウェル、ピーター・ギャラガー、ローラ・サン・ジャコモ、ジェームズ・スペイダー、ロン・ヴォーター 他
受 賞:【1989年/第42回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(スティーヴン・ソダーバーグ)、男優賞(ジェームズ・スペイダー)、FIPRESCI[国際映画批評家連盟賞](スティーヴン・ソダーバーグ)
【1989年/第15回LA批評家協会賞】女優賞(アンディ・マクダウェル)、ニュー・ジェネレーション賞(ローラ・サン・ジャコモ)
【1989年/第5回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、監督賞(スティーヴン・ソダーバーグ)、主演女優賞(アンディ・マクダウェル)、助演女優賞(ローラ・サン・ジャコモ)
【2006年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
弁護士のジョンと専業主婦のアンは、理想的な夫婦。しかし、ジョンはアンの妹シンシアと肉体関係にあり、アンはジョンとの夫婦生活に違和感を感じ精神科のカウンセリングを受ける日々。そんなある日、ジョンの旧友グレアムが彼ら夫婦を訪れる。グレアムと関わることで、アンの内面に潜んでいた自分自身が浮かび上がり、これまでの生活が偽り満ちていると思えてきて…というストーリー。
けっこう好きな監督ソダーバーグだけど、そのデビュー作を観るのははじめて。というか、当時、このタイトルのビデオをレンタルするのが、なんとなく憚られただけなんだけど。もう、そんなこと気にする歳ではない。
一言でこの作品を表現しろといわれれば“寸止め”かな。相手の心に踏み込むことで人生が変わっていくような内容ではあるけれど、すべての人間関係がザクっと刺さっていない感じ。そう、あらゆる関係が“ためらい傷”レベルの影響しか与えていない。この寸止めで生じている空気感を良いと思うかどうか。
決して悪い作品だなんて思っていない。むしろかなり好意的に観た。しかし、若干26歳にしてパルムドールを獲った作品ではあるが、そこまで高い評価に値する作品かどうかは微妙。というか、カンヌの選考委員が独りよがりでアーチスト気取りの馬鹿なのか、もしくは他の作品がポンコツだったかだと思う。
#ちなみに、今村昌平の『黒い雨』も候補だった年だね。
こういう寸止め演出というのは、その余韻と必要以上に演出しない手法のせいで、見ている側の想像に拠るところが多い。自分の気に入ったものは認めるけど、気に喰わないものは認めないような人だって、自分の想像したものは、自分の描いた好みの想像なわけだから、評価は高くなるのはあたりまえ。自分大好きなやつらばかっかりだもの。他人の作品を評価してるんじゃなくて、自分の想像力を評価してるだけなんだよね。
そして、こんな若い奴が金もかけずにこんな作品をつくった。俺こんな奴みつけたわ!って、パトロン感覚が加わる(カンヌには、こういう“ニッチ”志向が強くある)。
やっぱ、カンヌ映画祭はセンスには会わない。私の中ではラジー賞と同レベルだと思う…って、書いたところで、ラース・フォン・トリアー監督が“ヒトラーに共感”発言したことで、カンヌ映画祭から追放というニュースが入り込んできた。ほーら、馬脚を現したぞカンヌ映画祭。あの程度の発言で追放とは恐れ入るよ。いくらヒトラーが大悪人だろうと、その人生において彼が感じたことについて、一部たりとも共感しちゃいけないなんて、何様のつもりだ!別にホロコーストを賞賛したわけじゃあるまいし(ましてや、少し心や病んでる人間をつかまえてさ)。くだらねー、私がカンヌに参加してたら、途中で帰ってくるわ。そんな恐ろしい映画祭。なんで、ユダヤ団体やイスラエルにいちいちヘコヘコしなきゃならんのか意味わからん。彼らは“絶対正義”ではない。ほんとウンザリ。まあ、9割がクソみたいな映画しか賞がもらえない映画祭だから、どうでもいいけど。こんな映画祭、やめちまえばいいんだ。
閑話休題。
ただ、この空気感に目が離せなくなるのは、カメラワークがたくみだから(カメラマンがいのか、ソダーバーグのコンテがいいのかは、わからないけれど)。最近、毎度毎度同じことを言っていて申し訳ないんだけど、メインキャラの二人が、作品の中で大きく変化してく様子を描いているという、シナリオの基本中の基本ができているし、そして、変化を及ぼしている要因、つまり“セックス”と“嘘”と“ビデオテープ”が直球でタイトルになっているという、「ソダーバーグ、わかってるなぁ~」って感じ。巻き起こってることは、けっこうエグい話なのに、これをサラッ
とした後味に纏め上げているこのセンス・力量、そしてこれがデビュー作っていう驚き。一定の評価と期待を集めるのは強く理解できるし、実際に後々その期待には応えてくれているわけだから(だんだんデキが悪くなってると揶揄されることはあれど)。
それに、今回レンタルしたDVDには、吹替音声が付いていなかったんだけど、口調による感情表現が効果的な作品なので、久々に原音声で観てよかったなと思えた作品だった。
パルムドール!ってことで、過剰に期待しなければ、非常に愉しめる作品。軽くお薦め。でも、30歳台以上むけかな…という気はする。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:マイク・ミッチェル
出 演:マイク・マイヤーズ、キャメロン・ディアス、エディ・マーフィ、アントニオ・バンデラス、ウォルト・ドーン、クレイグ・ロビンソン、コディ・キャメロン、ジョン・クリーズ、ジュリー・アンドリュース、ラリー・キング、アーロン・ワーナー、レジス・フィルビン、クリス・ミラー、マイク・ミッチェル、ニーナ・ゾーイ・バクシ、コンラッド・ヴァーノン 他
コピー:さらばシュレック。さらばおとぎの国。
妻フィオナと3人の子どもに囲まれ幸せな毎日を送るシュレック。しかし、窮屈な日々の繰り返しに息苦しくなり、怪物として自由に生きていたままを懐かしく思ってしまう。そんなストレスから、いざこざが生じてしまい、家を飛び出してしまったシュレックに、魔法使いのランプルスティルスキンが、願いを叶えてあげようと持ちかける。しかしそれは罠で、契約書にサインした途端、シュレックは別の世界の“遠い遠い国”に飛ばされてしまう。そこは、ランプルスティルスキンが王として君臨する世界。ドンキーやフィオナとの出会いなど、いままであった出来事はすべてなかったことになっていたが、時すでに遅しで…というストーリー。
日々の生活に忙殺されてストレスが溜まって、我慢ができなくなっているシュレックが悪い…みないな流れだけれど、時にはそうなっちゃうこともあるだろう。夫婦で協力して子育て…という基本はいいとして、まるで息抜きを求めることすら犯罪のように言われては、たまったものではない。こんなことが“悪”といわれると夫婦生活の継続なんか困難だろう。相手のストレスが溜まってるようだったら、それに気付いてあげて「じゃぁ、たまには息抜きしてらっしゃい」ってのが良策だろう。この思いやりの無さ。アメリカ社会、大丈夫かよ(だから、大丈夫じゃないのか…)。
閑話休題。
1~3作で、やることはすべてやったと思うし、おそらく最終作と思われた3作目が息切れ状態だったので、4作目なんかおもしろくなりようがあるのかいな?どうせ3Dでごまかして内容は大したことないんじゃないの?とかなり懐疑的だった。
やっぱり、純粋なストーリーの継続は難しかったのか、魔法でパラレルワールドにぶっ飛んで行っちゃうという、ある意味反則的な手法。ちょっと逃げた感あり。最近のウルトラ銀河伝説でも仮面ライダーでも使われてるけれど、パラレルワールドは、ある意味なんでもありだがら、安易に扱うのはかなり危険(そして、ウルトラマンも仮面ライダーも失敗している)。
でも、本作の場合は、フィオナはレジスタンスのリーダーになってる…なんてところまで、ぶっとんでいるし、いままでの貯金が効いているのか、おなじみキャラの変貌ぶりがかなり楽しく感じられ、成功しているといえる。パラレルワールドなんだから、元の世界との差がどれだけ楽しく映るか?ってのが重要なんだね。勉強になった。
元の世界の戻るためには、“夜明けまでにキス”っていう目標も明確だし、かつ、表面的には1作目と同じ目的なわけで、シナリオの巧みさを感じる。フィオナが実は“半人”で、それが仲間にばれてしまってすったもんだ…なんていう展開を予想した人が多かったと思うけど、そういうわかりきった展開はばっさり表現しなかったのも、いいセンスであることの証明だ(本当に、うざったり無意味なやりとりは少なくて、気持ちよく観られる)。
4作目まで、ついてきた奴!たのしませてやるぜ!って感じで、いちげんさんのウケはどうでもいいわ!っていう割り切りが、勢いに繋がっている。毎度、BGMはおもしろいのだが、本作はいつもに増して曲のチョイスがよろしいし。ラストは安易な大団円に思えなくもないけど、Forever After “そのあとずっと幸せにくらしましたとさ。めでたしめでたし”と題名につけただけはある。エンドロールも、さらっと“集大成”であることを感じさせてくれて、いままでずっと観てきた人の胸には、ちょっと熱いものが沸くかもしてない。
しいて難点を言えば、劇団ひとりの吹替えか。文末が少し流れぎみになって、素人くささがにじみ出るのが残念。ちょっと“演技”しちゃったのが、悪く出たかも。でも決して作品の質を損ねるとか、そういうことではなく、ちょっと気になる…程度。
今回はふつうのDVDで3Dではなかったのだが、それでも陰影を際立たせるような光源の位置を工夫したカットが随所に見られ、3D効果に注力した形跡が感じられる。劇場で観た人の満足度は高かったのではないかと思う。1~3まで観た人にはお薦め。
3がいまいちだったので、もういいや…と持っている人も、これは観たほうがいいと思うよ。
負けるな日本
公開年:2000年
公開国:アメリカ
時 間:144分
監 督:ロバート・ゼメキス
出 演:トム・ハンクス、ヘレン・ハント、クリストファー・ノース、ニック・サーシー 他
受 賞:【2000年/第67回NY批評家協会賞】男優賞(トム・ハンクス)
【2000年/第58回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](トム・ハンクス)
コピー:世界の果てで 彼の旅が始まった…
運送会社FEDEXに勤務するチャックは、クリスマス・イブに急遽海外へ出張することに。自社貨物機で東南アジアへ向かうが、嵐により機が炎上し、太平洋上に墜落してしまう。奇跡的に一命を取り留め、南太平洋の無人島に漂着。生き残った同乗者はおらず、チャック一人で救助を待ち続けることに…というストーリー。
昨日の『幸せの1ページ』で、無人島繋がりで思い出した。久々に観なおした。前に観た時は、無人島での生活がもっと見たくて、帰還後のジメっとした展開がいまいち好きになれず、それほど評価が高くなかった(だって、無人島から脱出できるのかどうか、ストーリーをまったく知らずに観ていたからね)。
おおよそのストーリーを把握した上で改めて観ると、当時感じなかった、ものすごくいい味があることを、再発見してしまった。最後の、答えの無い感じもイマイチ感があったのだけれど、今観ると、ものすごく共感できる(歳をとったってことなのか)。
スケート靴を使って歯を抜いて気絶しちゃうと、“4年後”って、そのズバっとぶった切った演出に、当時は“おいおい…”思ったものだ。それなりに長い作品なので、収めるために切ったんだろうなと思っていたが、今はそうは思わない。本作のシナリオ(および編集)のすごいところは、観客が予想できちゃうこと、そしてその予想通りになることは、映像的に作らない。だって想像できたんなら、別にわざわざそれをなぞる必要ないでしょ?ってこと。この英断は、シナリオライターとしてできるようでなかなかできない。でも、絶対に必要なスキル。ホント、今となっては尊敬に値するデキ。
#目が覚めて、髪がチト焦げてた…とか、そんなくだり見せられてもウンザリだもんね。
やっぱり、歳を重ねたからかもしれないけど、帰還してからの、知人との再会の空々しさ、そして、愛の顛末の重さ・物悲しさに、グっとくるものがある。チャックのような経験まではしなくても、こういう感覚や、自分では抗いようのないことってあるからねぇ。
これだけ前面に出てきていながらフェデックスは一切投資していないけど、そりゃわかるよ。だって、フェデックスが一生懸命に運んでいるものは、本当に価値のあるものなのか?って捉えられなくもない。最後に、届かなかった荷物を配達して廻って、“届けてるのは物質じゃなくて人の気持ちですよ”なんて感じでフォローしても、物質文明の空々しさは拭いようがないものね。ここでも、明確な答えは提示しない。そういう何も語らない余韻が、ものすごくいい雰囲気を醸し出している。
『フォレストガンプ』の原作には、フォレストが南の島に落ちてしばらく現地で生活するエピソードがあるんだけど、映画ではバッサリ無かったので、それが補完されたようで、なんかうれしい。
何度観ても、海に漕ぎ出した後のシーンは、力が入る。実際、孤島の場合、ああいう三角波が立って、小船では出にくいんだろう。墜落して無人島生活っていう荒唐無稽な内容ながらも、考証面での穴がないから、リアルさにかけるなんて思う人がだれもないはず。
10年以上経ってわかる、“残る名作”。若いころに観て、その時はいまいちだと思った人。騙されたと思ってもう一回観てごらんなさい。お薦めする。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:マーク・レヴィン、ジェニファー・フラケット
出 演:ダニー・ブーン、アンドレ・デュソリエ、オマール・シー、ドミニク・ピノン、ジュリー・フェリエ、ニコラ・マリエ、ヨランド・モロー、ジャン=ピエール・マリエール、ミシェル・クレマデ、マリー=ジュリー・ボー 他
コピー:人生なんて、たった1行で変えられる。
冒険小説家アレックス・ローバーは、小説の内容とは裏腹に極度の潔癖症で、家からも出ることができないほど。筆の止まった彼女がインターネットでネタ探しをしていると、孤島に住む海洋生物学者ジャックの記事を発見。メールで連絡を取ってみることに。一方、そのジャックと娘のニムは、南の無人島で大自然と動物たちに囲まれて元気いっぱいに生活をしていた。そんなニムは、アレックス・ローバーの大ファン。海洋調査の旅に出た父の留守中にアレックスからのメールを受け取ったニムは大興奮して返事を書く。そんな時、島を巨大なモンスーンが襲い、父と連絡が取れなくなり、島に一人きりになってしまう。ニムは、アレックスに助けを求めるメールを送信するのだが…というストーリー。
原作タイトルの、『秘密の島のニム』でいいじゃないか。“幸せの1ページ”じゃ、作品イメージと乖離しすぎていて、何が何やらさっぱりわからないだろう。最後のニムのナレーションで“幸せの1ページ”の意味はわかるけど、だからってそれをタイトルにする効果はないんだよね。一体どういうセンスなんだかねぇ。
…という邦題への文句は置いておくとして、実はお上品な冒険活劇として、うまくまとまっていて、それなりに愉しめた。次々と先読みさせる間をあたえず場面展開できているし、テンポに緩急もあって飽きない。“まとめあげ”という意味では、本当によくできていると思う。しかし、それにも関わらず、難点がくっきりはっきり見える作品で、それらをなんとかすれば、かなりの名作になったのではないかと。
まず、ジョディ・フォスターのコミカルな演技を観て、違和感というかしらけてしまった。いや、きっと演技が悪いわけじゃなく、潔癖症の女性がこったこたになっていく話にしたいのに、いつまでたっても小奇麗なままという、踏み込みの甘さのせいだと思う。もう、気にしてなんかいられない!ってところまで、どんどんグズグズになって、そこまでいきゃぁ脅迫神経症も治っちゃうわなぁっていうところまでには、到達しないといけない。
それに、道中、彼女は何かに乗っかって、運んでもらっているだけで、ポイントポイントで彼女自身が究極の選択をしていない。この自主性の不足もよろしくない。
シナリオ面での欠陥は、アレクサンドラがまがりなりにも“変化”するのに比べて、もう一方の主人公であるニムがあまり変化しないこと。そして、たしかに南海の孤島で出会うことは出会うんだけど、両者が接触しても、大して化学反応が発生しないこと。正味90分もない作品なので、その辺をもうちょっと掘り下げれば、もっと良くなったかもしれない。
そして、話のどこにも“毒”がない。敵もいない。内面的に何かを克服した!とか、達成した!というカタルシスが足りない。
まあ、『ドクター・ドリトル』ばりに動物が都合よく行動するのも、噴火が間欠泉レベルでナメた描写をしているのも、いくらなんでもゴミムシダマシは食べないだろうとかは、児童向けだから良しとしようじゃないか(でも、トカゲ爆弾は、虐待だと思うけどね)。
いやあ、ここまでけなしておきながら、それなりにおもしろいっていうんだから、本当にあとちょっとでA判定の作品なんだろうね。軽くお薦めしますよ。児童向け…児童向け…、気にしない、気にしないと、呪文を唱えながら観れば、きっとおもしろいはず。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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