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公開年:1985年
公開国:日本
時 間:133分
監 督:市川崑
出 演:石坂浩二、中井貴一、川谷拓三、渡辺篤史、小林稔侍、井上博一、浜村純、常田富士男、北林谷栄、菅原文太、佐藤正文、茂木繁、保木本竜也、川崎博司、山口眞司、永妻晃、清末裕之、井上浩 他
1945年夏。ビルマ戦線の日本軍は、物資・食料が不足する中、連合国の猛攻を受け、タイへ撤退を続けていた。撤退する部隊のひとつ井上小隊は、音楽学校出身の隊長が隊員に合唱を教えており、隊員達は歌によって結束と強め、苦境を乗り越えていた。隊員のひとり水島上等兵は、音楽の才能があったのか、ビルマ伝統の竪琴サウン・ガウを巧みに弾きこなし、隊員たちの心を癒していた。小隊が国境に近づいたあたりで、日本は降伏。武器を放棄して投降した彼らは捕虜となり、南のムドンにある捕虜収容所に送られた。山奥の三角山には降伏しない小隊が未だ交戦を続けており、このまま降伏しなければイギリス軍は全面攻撃を開始し、間違いなく小隊は全滅する。彼らを助けたい井上隊長はイギリス軍と交渉し、説得役として水島を行かせることに。しかし、期限までに説得することができず、イギリス軍は攻撃を開始。水島もそのまま行方不明となってしまうのだった。水島は運よく戦火を逃れて、生き残ることができたのだが…というストーリー。
なんで水島がビルマに残ろうと思ったのか、隊の人々は理解できない。捕虜といっても虐待されるわけでもなく、いずれは日本に帰れるのだから、水島がなんで戻ってこないのかさっぱり理解できない。戻ってこない理由が思い浮かばないから、似ている人が現れてもたぶん違うだろう…ということになる。
かといって、水島と隊員たちがすれ違う演出がハラハラするか…といわれれば、そうでもなかったりする。
私がこの作品で一番しっくりこないのは、水島が一人で日本兵の供養をすると、そこまで頑なになった理由である。それが妥当か?納得できる?ということ。
水島は、投降しない小隊の説得に失敗して、結果として全員死んでしまう。責任を感じて供養しなくては…という気持ちになるのは理解できるのだが、でもそれは、その小隊だけをきっちり埋葬すれば終了する話。死んだ日本人全員を供養する!というモチベーションにまではならないだろう。
その後、日本兵の死屍累々を見るのだが、確かに供養したいという気持ちにはなるかもしれない。でも、待てよ。彼は突然ビルマにやってきたわけではない。これまでずっとビルマ戦線で戦ってきたわけで、敵味方ともに多くの死者が出ただろう。撤退中も多くの死体を見ただろう。今になって突然、供養しなくては!!!と目覚めるのは違和感を覚える。
その後、イギリス人修道女が日本兵を供養しているのを見て、苦悩(というか悶絶)する。ああ、国籍分け隔てなく供養している人もいるのに、私は帰ろうとしているのか…っていう苦悩なのかな。でも、イギリス人が供養しているのに、日本人がしないなんて情けない…っていう感情だとしたら、なんかズレている気がする。そう、水島はその後も日本兵を供養する!とは言うのだが、他の国の死者も供養するとは言っていないのだ。あのイギリス人修道女の行いを見たのにだ。むしろ、ずっと日本人、日本人といい続けているのって鬼畜の心じゃないか。何も学んでいないじゃないか。
どうにも納得できない私は、原作はどうなのかな?と調べた(といってもwikipedia)。そこに書かれていた原作の内容を読んで、至極納得できた。原作では、三角山の小隊の説得に失敗し玉砕した後、人食い部族に捕らえられ、毎日ご馳走を食べさせられた後に、丸焼きにされそうになるのだ。しかし、偶然強風が吹いて火が消えてセーフ。きっと精霊が怒っているのだと動揺する部族の前で、とっさに竪琴を奏でたら、またまた偶然風が止んで、こりゃすげえや喰うのやめよう!ってなって生き残る…っていう内容。そんな、ギリギリの体験したら達観しちゃて、もう後の人生は供養のために捧げます…くらいの心持ちになるわな。ものすごい説得力。
神の意思にかなった行動とは何なのか?そんな高尚なことはちっぽけな私にはわからないけれど、少なくとも今自分が善行だと思うことを全力でやることは、きっと神の意思に近づいているに違いない…といった感じの非常にプロテスタント的なセンスを感じるのだが、市川崑にそういう宗教的バックボーンがあったかは不明。でも『おとうと』も『野火』もキリスト教的な要素があるよね。
ちなみに市川崑は1956年にも『ビルマの竪琴』を作っている。レンタル屋で見つけたら比較してみようと思う。
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:バイロン・ハワード、クリス・ウィリアムズ
出 演:ジョン・トラヴォルタ、マイリー・サイラス、スージー・エスマン、マーク・ウォルトン、マルコム・マクダウェル、ジェームズ・リプトン、グレッグ・ジャーマン 他
ノミネート:【2008年/第81回アカデミー賞】長編アニメ賞
【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】歌曲賞(Jeffrey Steele、マイリー・サイラス“I Thought I Lost You”[曲/詞])、アニメーション作品賞
【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】歌曲賞(ジョン・トラヴォルタ、Jeffrey Steele、マイリー・サイラス“I Thought I Lost You”)、長編アニメ賞
コピー:『ずっと家族だって、信じてる』
ボルトはTVドラマでスーパードッグを演じているスター犬。しかし、ボルトはハリウッドのスタジオで育っており、本当に自分が飼い主の少女ペニーを悪の組織から守るために改造された犬だと信じきっている。それは、ボルトがリアルな演技をするように、製作スタッフがそう思い込ませているのだ。人気子役のペニーは、外の世界を知らないボルトのことを不憫に思っていた。そんなある日、ちょっとした間違いでダンボールに閉じ込められてしまい、そのままニューヨークまで搬送されてしまう。初めて外の世界に接触したボルトは、自分のスーパーパワーが発動しないことに困惑しつつ、ペニーがいるハリウッドを目指すことに。街で出会った野良猫ミトンズに道案内を命じるのだったが…というストーリー。
ピクサーがディズニーの完全子会社になった後の一発目の作品で、ジョン・ラセターが一から十まで携わった作品なのに、ピクサーの良さが皆無な作品。
まず、ボルトの設定がしっくりこない。ピクサーの勘違いキャラといえば、『トイ・ストーリー』のバズが思い出されるが、彼のような微笑ましさや愉快さは皆無。だって、貪欲な人間の都合で、スタジオの中で閉じ込められて、且つ騙されている状態なんだもの。『トゥルーマンショー』を思い浮かべる人が多かったと思うが、子供向けの設定としては、あまりにも可哀想で救いのないシチュエーション。
共演者の女の子もボルトのことを可哀想だと言っているが、結局はボルトで稼いでいる側の人間である。ボルトはなんとかペニーを救おうと気の遠くなるようなはるか彼方のハリウッドを目指す。騙されていたのに。搾取されていたのに。なんかせつない…それ以外にどういう感情が湧くというのだろう。ペニーのところにいったからって、意味があるのか?それほど、ペニーとボルトの間に絶対的な絆があったようには見えないから、騙されても虐待されても、ただ飼い主を守ろうとする健気な犬…にしか見えない。
スーパーパワーが発揮されたような偶然が度々おこって、ボルトの勘違いは続くのだが、これも面白くない。だって、不幸な勘違いが継続されるだけなんだもん。楽しいわけがない。
だいたい勘違いキャラが主役で、観ている子供たちは感情移入できるとは思えない。
騙していた女の子を救ってめでたしめでたし、役者も辞められてめでたしめでたしというオチで、ごまかされてしまいそうになるが、ボルトがそれを意図したわけではなく、単にペニーを救おうとして、結果オーライだっただけ。ただただ忠犬っぷりを発揮して、偶然で幸せになっただけ。それ、おもしろいか?
それに、別の犬が同じように騙されることになったわけだが、そういう不幸な犬が新たに生まれることについては、どうでもいいのか?自分がよければそれでいいんだな?色々、変なメッセージを発する結果になっている。何か、色々ひっかかる作品。
公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:150分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:ダニエル・デイ=ルイス、サリー・フィールド、デヴィッド・ストラザーン、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ジェームズ・スペイダー、ハル・ホルブルック、トミー・リー・ジョーンズ、ジョン・ホークス、ジャッキー・アール・ヘイリー、ブルース・マッギル、ティム・ブレイク・ネルソン、ジョセフ・クロス、ジャレッド・ハリス、リー・ペイス、ピーター・マクロビー、ガリヴァー・マクグラス、グロリア・ルーベン、ジェレミー・ストロング、マイケル・スタールバーグ、ボリス・マクギヴァー、デヴィッド・コスタビル、スティーヴン・スピネラ、ウォルトン・ゴギンズ、デヴィッド・ウォーショフスキー、デヴィッド・オイェロウォ、コールマン・ドミンゴ、ルーカス・ハース、ビル・キャンプ、エリザベス・マーヴェル、バイロン・ジェニングス、ジュリー・ホワイト、グレインジャー・ハインズ、リチャード・トポル、ウェイン・デュヴァル、クリストファー・エヴァン・ウェルチ、S・エパサ・マーカーソン、クリストファー・ボイヤー 他
受 賞:【2012年/第85回アカデミー賞】主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、美術賞(Jim Erickson、リック・カーター)
【2012年/第47回全米批評家協会賞】主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、脚本賞(トニー・クシュナー)
【2012年/第79回NY批評家協会賞】男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、助演女優賞(サリー・フィールド)、脚本賞(トニー・クシュナー)
【2012年/第70回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ダニエル・デイ=ルイス)
【2012年/第66回英国アカデミー賞】主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)
【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)、脚色賞(トニー・クシュナー)、音楽賞(ジョン・ウィリアムズ)
コピー:命をかけて夢見た 真の『自由』
南北戦争がはじまり4年が経過。北軍が有利になりつつあったが、未だ戦火は激しく多くの若者が命を落としていた。再選を果たし2期目に突入した第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、奴隷解放宣言をしたものの、合衆国憲法修正第13条を成立しないまま戦争が終結してしまえば、南部の奴隷解放は永遠になされないと考え、民主党陣営は多数派工作に乗り出す。しかし、修正案の成立にこだわることで、戦争の終結が伸びる状況を生んでいることに苦悩するリンカーン。一方家庭では、戦争で子供を失った心の傷のために精神が不安定になっている妻との口論や、強行に北軍入隊を希望する正義感が強い長男ロバートの説得に疲れ果てていく…というストーリー。
民主党の黒人大統領をいう今の状況なので、リベラル派さんたちは、いまこそ民主党最大のヒーローの映画だ!と考えたのだろう。冒頭で説明するスピルバーグの映像が差し挟まれるのだが、真剣な顔をしてはいるがノリノリなのが伺える。
普通のセンスなら「人民の~」演説とか、暗殺されるところにスポットを当てがちだけど、修正第13条を通すための丁々発止、権謀術数を見せているという点は、非常に評価できるシナリオだと思う。
28分あたりのリンカーンのセリフ(というか説明がすべて)。非常に判りにくいのが残念なのだが、そのセリフがこの作品のすべてといってよい。
戦時下の間は、連邦政府は国民の財産を合法的に接収できるかもしれないが、通常時は各州法が尊重されるのが、アメリカの法律。奴隷解放宣言を南北戦争終結後も無効になせないためには、黒人奴隷を持つことが合法であるという各州法を無効にしなければならない。それができるのは今だけ。多少、好みじゃない小汚い手法を使ったとしても、そのためなら平気で手を汚しますよ!という覚悟。
リンカーンたちと大筋の方向性は同じなのだが、求める手段の違いや、付随して発生する出来事に懸念を示す勢力に対して、小事にこだわって大事を成すことに失敗することの愚かさを滔々と説く姿勢は感服する。
その説得の際に用いられる言葉には、なかなかの名言がある。「その時々の状況にあわせて、実験を重ねるしかない」みたいな発言とか。単なる理想じゃなく、政治の実務を行っている人間だからこそ吐ける、重いセリフが随所に見られる。
トミー・リー・ジョーンズ演じるスティーブンス議員が興味深い。ちょっと勉強不足でこの人の存在を知らなかったのだが、こっそり妻にしている黒人女性に修正案の条文を見せるところは名シーンだ。
リンカーンは悪妻で有名だけど、母の愛ゆえの行動なのよ!てな感じで描かれている。さすがに、ちょっと美化しすぎ。やっぱり彼女は狂人の域だったと思うよ。
まともな教育を受けているアメリカ人で、それも民主党よりの人なら、素直に楽しめるのかもしれないが、日本人の大半はポカーンなのかもしれない。
今のオバマ政権が、目先の小事のために、大事を損ねている状況を、アメリカ国民はどう見ているのか。いや、アメリカ人はなんとも思っていないかもね。最近アメリカに何かを期待するのが馬鹿馬鹿しくなり状況だ。
決して、娯楽映画としてはおもしろくはないけれど、意義深い作品ではある。おっさん向けだと思う。
公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:ロエル・レイネ
出 演:ダニー・トレホ、アンソニー・マイケル・ホール、ディナ・メイヤー、ミッキー・ローク、リチャード・ディレイン、コリン・メイス、ダニエル・ラパイン、ローナン・サマーズ、エドワード・アクロート、ラデュ・アンドレイ・ミク、ジェームズ・キャロル・ジョーダン、エミール・ホスティナ、オヴィデュー・ニクレスク 他
西部開拓時代のアメリカ。ゲレロ率いる無法者集団は、訪れた町々で強盗殺人を繰り返していた。ある日、ゲレロの異父兄弟のレッドが、鉱山の町エデンデールで大量の銀が発見された情報を掴んでくる。それを強奪すれば、強盗に明け暮れる日々から脱することができる。エデンデールを見事に制圧し銀を手に入れた強盗団だったが、速やかに町を去ろうとするゲレロにレッドが反発。レッドはこの町に居座って支配するといい、かねてから親分風を吹かせていたゲレロを裏切って射殺するのだった。死んだと思いきや、地獄で目覚めるゲレロ。悪魔はゲレロの魂の代わりに仲間6人の命を差し出せば、生き返らせるという。契約したゲレロは24時間の間に6人の命を奪うべく、墓場からよみがえる。地上ではあれからちょうど1年が経過しており…というストーリー。
なんだかんだ、私はダニー・トレホのことが好きなんだろうな…と思う。多分コレつまらないだろうなっていう作品でも、とりあえず借りちゃうもん。いいキャラだよ。ちなみに、本作はオリジナルビデオらしくて、まあ、劇場公開できるレベルではないってことだわな。
復習のために蘇る…、あとはドンパチ、いけいけドンドン!っていう構図は非常にわかり易いが、ゲレロが殺される前と悪魔と契約した後の作品のテイストが、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』ばりに違っていて、失笑しちゃう。
復讐するっていたって、ゲレロだった所詮は無法者で、別に応援したくなる人格でもなきゃあ、格好いいわけじゃない。それじゃあってことで、無法者に夫を殺された女保安官みたいな人が登場してきて、ゲレロを助けるのだが、それほどストーリー上、重要ってわけでもない。
なんといっても、ゲレロが彼女をむしろ邪魔扱いするという展開。最後も傍観に近いし。
ミッキー・ロークにしかできなさそうなぶっ飛んだ悪魔像なのはいいんだけど、結局、この悪魔が何をやりたいんだか判らないという…。6人を殺し終えそうなところを邪魔する悪魔さん。間に合ったんだか間に合わなかったんだか、よくわからないという稚拙な演出に苦笑い。この監督さん、おそらく才能ないんだろうな…と。
要するにゲレロをずっと手下というかおもちゃにしておきたいということなんだろうけど、それならそれで、定期的に命を調達してくれば現世にいさせてあげる…っていう契約でいいんじゃないかな。
よくもまあ思いつきでここまで作ったな…って感じだし、ラストも続編があるかもよ!みたいな雰囲気をいけしゃあしゃあと出すもんだなぁ…と。まあ、B級映画ラブ!の人にはもってこいだけど、普通は100円以上は出したくない作品だろう(消費税分がもったいなく感じるレベル)。
#いや、私はこれからもダニー・トレホの作品は観るよ。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:スコット・ウォーカー
出 演:ニコラス・ケイジ、ジョン・キューザック、ヴァネッサ・アン・ハジェンズ、ディーン・ノリス、オルガ・ヴァレンティーナ、マイケル・マグレイディ、ブラッド・ウィリアム・ヘンケ、キャサリン・ラ・ナサ、ラダ・ミッチェル、カーティス・"50 Cent"・ジャクソン 他
コピー:奴は怪物(モンスター)。追い詰めるまで、逃さない。
1983年、アラスカ・アンカレッジ。17歳の娼婦シンディ・ポールソンが、モーテルの部屋で手錠に繋がれ叫び声を上げているところを警察に保護される。彼女はロバート・ハンセンという男に殺されそうになったと警察に話すが、地元でも善良で評判の高い人物だったため、その証言はまったく信用されず、単なる娼婦の客とのトラブルといして片付けられてしまう。しかし、彼女を救出した警察官は名特できず、事件の関係書類を無断で州警察に送付する。同じ頃、ニックリバー沿いで損壊した女性の遺体が発見される。事件の担当を命ぜられたのは、民間企業に転職予定の州警察巡査部長ジャック・ハルコム。ここのところ変死体の発見が相次いでいたことから同一犯による連続殺人を疑ったが、送付されてきたシンディ事件の資料が彼の目に留まる。彼女の告発したハンセンを容疑者の一人として調査すると共に、真相を聞くためにシンディを探すハルコム。苦心して見つけた彼女は、ハンセンにレイプされた後、殺されそうになるものの、死体遺棄のために軽飛行機を準備している隙に逃げ出したと説明する。しかし、ハンセンを調べれば調べるほど真犯人としか思えないにもかかわらず、直接証拠が一切見つからず…というストーリー。
ジョン・キューザックは2012年の『コレクター』っていう作品で、同じような北国で連続誘拐殺人事件を追う刑事の役をやっているのだが、今度は犯人役である。とてもクレバーには見えないニコラス・ケイジと、逆にクレバーすぎて穴が無さそうなジョン・キューザックの組み合わせは、とても事件が解決しそうな感じみ見えないのがおもしろい。で、冒頭で、この話は実話です…ってテロップが出るのだが、ニコラス・ケイジとジョン・キューザックが醸し出す“嘘くささ”で、すっかり実話であることを忘却してしまった。
北国であることが生む、沈んだ雰囲気と閉塞感が効果的に働いている。
けっこうシンプルな内容なので、あまり語るとおもしろくなくなってしまうので、ほどほどにしておくが、ハルコム刑事の正義に対する熱さがよく伝わってきた。家族の希望通り刑事を辞める決心をしたけど、やっぱり俺の転職はコレだ…って感じ。最近のニコラス・ケイジの作品では、あまり観られないストレートな演技。
反面、奥さんの態度がなかなかクソで、実話でございますって映画でこの演出だと、奥さんおもしろくないかも。
知能というよりも、行動力と持続力が卓越している。これに死体処理のテクニックが備わっていたら、まずます発覚することはないな…って感じ。被害者の腕輪を使った犯人とのやり取りとか、とても実話とは思えないくらい。で、実際忘れていて、エンドロールで実際の犠牲者たちの本物の写真が出るところで、ハっと思い出したわけだが、「ああ、捕まってよかった…」というめでたしめでたし感が強く、こんな陰惨なお話なのに、さわやかすら覚えるほど。軽くお薦めしたい。
公開年:2013年
公開国:日本
時 間:135分
監 督:李相日
出 演:渡辺謙、柄本明、柳楽優弥、忽那汐里、小池栄子、近藤芳正、國村隼、滝藤賢一、小澤征悦、三浦貴大、佐藤浩市 他
受 賞:【2013年/第37回日本アカデミー賞】撮影賞(笠松則通)、(照明賞)渡邊孝一、新人俳優賞(忽那汐里「つやのよる」に対しても)
コピー:人は、どこまで許されるのか。
明治13年の北海道。かつて幕府軍で、勤皇の志士を多数殺害し“人斬り十兵衛”と呼ばれ恐れられた釜田十兵衛という男がいた。その後、愛する女性と出会い所帯を持った重兵衛は、心を改め過去を捨てた。その妻は3年前に他界し、今は残された2人の子供と慎ましやかに平穏に暮らしていた。しかし、北海道での暮らしは厳しく、日々の食料にも事欠くようになってしまった。そんな中、かつて幕府軍で一緒に戦った馬場金吾が突然現れる。鷲路村の女郎がならず者の開拓民に切りつけられ瀕死となり、その犯人に懸賞金がかけられているという。一緒にその犯人を殺して懸賞金を山分けしようと誘うのだが、もう人は殺めないという妻との約束を守り、申し出を断るのだった。しかし、とてもこの冬を越せるだけの食料がないことを悟った十兵衛は、子供たちを守るために、再び刀を手にするという決断をする…というストーリー。
明治の北海道ほど、わくわくする舞台はないと私は思うのだが、意外と映画作品は多くない。資料が多くなくて逆に自由なお話がかけておもしろいと思うのだが、やはりアイヌ関係でヘタな描写をすると面倒くさいことになるから敬遠されているのかな。
懸賞金をかけた女郎がいる鷲路村は架空の地名だが、冒頭で鷲路村が札幌から80里と語られているので、札幌から320km以上。東京-名古屋間ぐらいの距離なので、かなり道東か道北の方だろうか。十兵衛が住んでいる場所がよくわからないが、「大雪山を回って」という表現があるし、足寄という似たような地名もあるから道東なのかな。
十兵衛が住んでいるのが海に近い場所。そこから大雪山をまわって道東?網走?私、地理は得意じゃないんだけど、大雪山を“廻って北へ上がる”っていう位置関係の表現が、ちょっとピンと来ていない(ロケは阿寒湖周辺だけど、現地にいってもあまりそれはアピールされていない)。案外、十兵衛の家と鷲路村は100km以内なのかもしれない。北海道をドライブすれば想像でいると思うのだが、馬や徒歩で整備されていない道を進むなんて、絶望的だからね。
そんな女郎屋があって政府の役人が独裁してるような村が実在の場所であることが好まれるとは思わないんから、架空の村なのは仕方ないと思うけど、大体この辺だよな…ってくらいのディテールがわかるようにしたほうがよかったと思う。
正直、『許されざる者』のリメイクとはいいところに目をつけたな…と思うし、よく翻案できていると思う。仙台藩が話の中に出てきて妙にリアルな部分があったり、アイヌの風習とかもしっかり取材している模様。日本人とアイヌの婚姻も実際はよくあったことだと思う。それらを踏まえて、犯罪者という設定を政治犯にしており、日本に舞台を変更するならば、シリアスでウエットな方向性に持っていったのは、正解かもしれない。
小池栄子はうまいんだけど、キャラとミスマッチなのが残念。忽那汐里もちょっと小奇麗すぎ。
個人的に、一番気に食わなかったのが、馬場金吾に妻がいないこと。元のネッド・ローガンには妻がいて、その妻の所に戻ること(戻すことが)できずに死んでしまうという切なさがよかったのだが、本作ではただのヘタレで終わっている。
スコフィールド・キッドに相当するのが、アイヌと和人の混血児に代わっているから、十兵衛を誘うのが金吾という設定になっており、それに引っ張られての設定変更だとは思うけど、そのせいで、金吾が離脱する流れも変な感じになっている。非常に残念。
リメイク時に加えられた表現で釈然としないのは、妻の首飾りを持ち歩いている件。道中、金にこまったら使うつもりだったのだろうか。もう、妻との約束は反故にして人殺しに出ているのだから、何かの戒めのためと思えないし。どうせ、子供に戻すのなら、家のどっかに隠しておけばいいのに。私には理解できない行動。
ネタバレだが、ラストのなつめと沢田五郎が結ばれて、十兵衛の子供たちを養うというオチ。これはアリか?私は、汚れながらも行き続ける男の美学みたいなものを元作品で強く感じていたので、死んでチャラみたいな今回のオチは好きじゃない。
適当にハッピーエンド的なパズルをやってるようで、おもしろくなかった。
壮大で畏怖に値するほどの北海道の大自然が満載の良い画なのだが、なにか裏に潜ませようとしているメッセージみたいなものに違和感を覚える作品。
元作品を知らなければ素直に楽しめるのかもしれない。私には元作品の良いところが削がれているようにしか思えなくて…。決して悪い出来映えではないのだが、うじうじ考えないで素直に“西部劇”をやって欲しかったかな。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:カール・リンシュ
出 演:キアヌ・リーヴス、真田広之、浅野忠信、菊地凛子、柴咲コウ、赤西仁、田中泯、ケイリー=ヒロユキ・タガワ 他
徳川綱吉が将軍の時代の日本。播州赤穂に、瀕死の状態で逃げ込んだ混血の異人カイは、名君・浅野内匠頭に命を救われる。以来、浅野への忠義を誓い、領内でひっそりと暮らしていたが、異人であるため領民からは疎まれ、心を通わせるのは、浅野の娘ミカだけだった。ある日、綱吉が赤穂を訪れることとなったが、豊かな赤穂の領地を狙っていた隣国の藩主・吉良上野介は、妖術使いのミズキを使って浅野の心を操り、寝所の吉良を襲わせる。刃傷沙汰に立腹した綱吉は、浅野に切腹を命じ、浅野家はお取り潰し。領地は吉良のものとなり、ミカは1年の喪明けに吉良と婚儀を挙げることになってしまう。家老の大石内蔵助ら家臣たちは、一連の出来事が吉良の仕業であると疑い、浪人となることを選択。大石は吉良によって地下牢に監禁され、家臣たちは四散、カイは奴隷としてオランダ商人に売られてしまう。それから1年後、大石は牢から解放されるが…。
公開前から誰がこんなもん観るねん…、公開しても大コケ…で話題だった本作。公開時のアメコミ映画に出てくるようなタトゥーのキャラクターとかごっつい鎧武者のポスター。ポスターにするような重要なキャラじゃなかったじゃん。むちゃくちゃだね。
同様に内容も結構むちゃくちゃ。
根本的に実際の日本を舞台にしてます…的なノリが根本的におかしい。建築物はヘンテコだし、女官なんだか腰元なんだかわからんのはオペラのMIKADOみたいなメイクだし、パラレルワールドの日本…みたいな設定でよかったんじゃないの?舞台が定まっていないんだから、その上にストーリーを構築するなんて、土台無理なのだ。
何で大石を1年で解放したのか。こいつがいるとマズイと思ってるなら、根本的に牢に監禁できるくらいなんだから、殺すことなんか簡単なのに。意味がわからん。
出島(地域の距離感がおかし)からカイを救うくだり。大石のキャラもカイのキャラも何か、それまでのシーンと繋がっていない感じ。根本的にキャラ設定がボヤけているのかなぁ。
カイが浅野の侍たちから蔑まれており、一番蔑んでいた侍が、カイを庇っていたトロい侍が死んで改心するという一連の流れが、全然おもしろくない。吉良に対峙するために一致団結する経過を表す、重要なファクターだったと思うが、まったく心がくすぐられない。
カイが元々天狗のところにいたという設定は良しとするが、天狗の存在意義・行動目的がよくわからん。彼らから刀を入手したのは、いいのだが、カイ以外は、その刀を結局使いこなせていないし、終盤は各々別の武器で戦っている。もうちょっとカイ以外の侍も天狗とのやり取りがあって、天狗パワーを授かるとか、天狗一族と、ミズキの一派に因縁があって、天狗たちが浅野に助力するとか、サイドストーリーを膨らますことができたはず。
デカい鎧武者は、カイが浅野の顔に泥を塗った(とされた)原因のひとつであり、その相手だったのだから、最後はしっかりリベンジさせるべきだったのだが、その構図を構築できなかった。
柴咲コウ演じるお姫様も、イヤがってはいるけれど、大石が挙兵しなけりゃ、そのまま嫁になってるんだろうな…って感じで、なんかスッキリしない。
海外の人は、最後、なんで勝った浅野たちが切腹せねばならんのか理解できるはずもない。仮にあの説明(ポンコツ説明)で理解したとしても納得できるわけはないし、大体まったくスッキリしない。日本独特のペーソスを感じさせたかったのかもしれないが、演出が稚拙なので“奇妙”以外に何一つ表せてはいなかった。
変なことしないで、相打ち・玉砕でお姫様だけ生き残りました…でよかったじゃん。
別に観なくていい作品。
公開年:1987年
公開国:フランス、西ドイツ
時 間:103分
監 督:ルイ・マル
出 演:ガスパール・マネス、ラファエル・フェジト、フランシーヌ・ラセット、スタニスタス・カレ・ド・マルベール、フィリップ=モリエ・ジェヌー、フランソワ・ベルレアン、イレーヌ・ジャコブ 他
受 賞:【1987年/第44回ヴェネチア国際映画祭】金獅子賞(ルイ・マル)
【1987年/第13回LA批評家協会賞】外国映画賞
【1988年/第42回英国アカデミー賞】監督賞(ルイ・マル)
【1988年/第1回ヨーロッパ映画賞】脚本賞(ルイ・マル)
【1987年/第13回セザール賞】作品賞、監督賞(ルイ・マル)、脚本賞(ルイ・マル)、撮影賞(レナート・ベルタ)、音響賞(Bernard Leroux、Claude Villand、Jean-Claude Laureux)、編集賞(Emmanuelle Castro)
1944年、ナチス占領下のフランス。親元のパリから離れ、カトリック寄宿学校に疎開している12歳のジュリアン・カンタン。クリスマス休暇が終わって学校に戻ると、ジャン・ボネという転入生がやってくる。ジャンはあらゆる教科の成績が良く、ピアノまで上手に弾きこなす優秀な少年だったが、なかなか周囲と打ち解けず、元気がない。ジャンの父は捕虜になっており、母も非占領地域で3ヵ月もの間、音信不通が続いているとのこと。はじめは、成績優秀なジャンをライバル視していたジュリアンだったが、森でのリクリエーションで一緒に迷子になって以来、仲良しになっていく。そんな中、ふとしたことでジュリアンは、ジャンの名前が偽名で、且つ彼がユダヤ人であることを知ってしまう…というストーリー。
ルイ・マル監督は、カンヌ、ヴェネチア、セザールとヨーロッパでの受賞打率がものすごく高いお人。本作を見れば、その力は納得せざるを得ない。
ナチに占領された暗黒の時代ではあるけれど、子供なのでどんなに世間が沈んでいても明るく楽しく生きようとする。世間知らずなだけに、前向きに未来を夢見ることもできる。そういう淡々とした日々が描かれているだけの普通の作品だな…と思う人がいるかもしれない。でも、その無邪気な日々の端々で、スパっと通り魔に切りつけられるがごとく、ユダヤ問題や戦争という現実が圧倒的な絶望感を伴って襲ってくるという、この恐ろしさよ。
このタイトルが、最後、ナチスに連行される校長が、生徒たちに向かって言う最後の台詞であるという重み。どこまでが事実なのかはわからないが、ジュリアン(=ルイ・マル)がナチから尋問されたときに、ジャンを見てしまったことで彼がこの世からさようならすることになってしまったという、強烈なトラウマ(一生、夢に見続けてもおかしくない)。
メタ視線でみれば、本作がルイ・マル監督の自伝的作品であるという事実が、この淡々と綴るような演出になっている最大の理由だろう。虚飾を配することなど、できるはずもない。
お涙頂戴…いや、突き抜けていて、むしろ涙は引っ込んでしまった。ユダヤ迫害だとか単純な個々の出来事だけではなく、人間に普遍的に備わっている、闇と光の両面がしっかり描かれているのも秀逸(レストランのシーンとか、足の悪い給仕のチクりとか)。文句なしの名作。
#こどもの日に観る映画ではなかったかな…。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:118分
監 督:リドリー・スコット
出 演:マイケル・ファスベンダー、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、ブラッド・ピット、ブルーノ・ガンツ、ディーン・ノリス、ナタリー・ドーマー、ゴラン・ヴィシュニック、トビー・ケベル、エドガー・ラミレス、ロージー・ペレス、リチャード・カブラル、ジョン・レグイザモ 他
ノミネート:【2014年/第23回MTVムービー・アワード】トンデモ・シーン賞(キャメロン・ディアス)
コピー:罪を、選んだ。
若い弁護士“カウンセラー”は、恋人ローラとの結婚を決意。出張という名目でアムステルダムまで行き、宝石商から婚約指輪を購入する。帰国後、カウンセラーは友人の実業家ライナーと彼の愛人マルキナが所有するペントハウスで開かれたパーティに参加する。ライナーは、かねてからカウンセラーに麻薬ビジネスに関わらないかと勧誘を受けていたが、婚約指輪の購入費用のために、一回だけやることにするのだった。指輪の購入費用に目処がついたカウンセラーは、ローラにプロポーズ。彼女はそれを受け入れるのだった。その後、麻薬ブローカーのウェストレーを紹介され、メキシコの麻薬カルテルとの取引に関わることに。しかし、メキシコの麻薬カルテルは、弁護士という職業に悪印象を持っており、何か問題が生じた場合は容赦なく制裁されるとウェストレーは忠告したが、計画通りに事を進めれば問題はないとカウンセラーは気にもとめなかった。一方彼は、本業として、殺人罪により収監中のルースの公選弁護人を担当していた。そこでルースからスピード違反で拘留された息子の保釈を頼まれる。カウンセラーはルースの息子を保釈させるのだが、何者かに殺害されてしまう。実はルースの息子は、麻薬カルテルに雇われた麻薬の運び屋で、別送していた麻薬も奪われてしまう。麻薬カルテルは、ルースの息子の死にカウンセラーが関わっているのではないかと疑うのだった…というストーリー。
…あらすじを書いていてうんざりするほど、難解である。「あの王様、はだかんぼうだよ!」的な感じではっきり言わせてもらう。この話はわからん。なんらかの解説・補足・予備知識を持たずして、スッと腑に落ちた人間が何人いるだろう。掴みどころのないストーリーを狙っているのかもしれないが、一線を超えて、何がおこってるんだか、さっぱりわからない状態。ストーリーの軸すら見えてこない。
豪華なキャストに期待が高まる分だけ、この難解さに打ちひしがれてしまう。役者それぞれに見せどころを均等に割り当てているように感じるが、おかげでストーリーのメリハリがなくなり、本当に観せたい筋がわからなくなっている。
以下ネタバレ…というか、私なりに掴んだ話の筋が以下(これであってる?)
若い弁護士が金に目がくらんでヤバイ商売に手を出すのだが、麻薬カルテルに追われるハメに。実は、麻薬カルテルなんかよりも貪欲で罪悪感のかけらもないサイコパスの罠にハマっていたのでした。そのサイコパスは、目に映る金目のものは全部自分のものにしようとするほどの底抜けの貪欲さで、そのためには全員を容赦なく非道な手段で殺すのでした。さて、サイコパスは誰でしょう。
ローラが惨殺されたことを示す映像が送付されてくるのだが、『セブン』ほどのインパクトはなし。リドリー・スコットってこんなレベルの監督だったっけ?
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:149分
監 督:ゴア・ヴァービンスキー
出 演:ジョニー・デップ、アーミー・ハマー、トム・ウィルキンソン、ウィリアム・フィクトナー、バリー・ペッパー、ヘレナ・ボナム=カーター、ジェームズ・バッジ・デール、ルース・ウィルソン、ブライアント・プリンス、メイソン・クック、JD・カラム、ハリー・トレッダウェイ、ジェームズ・フレイン、ホアキン・コシオ、デイモン・ヘリマン、マット・オリアリー、W・アール・ブラウン、ティモシー・V・マーフィ、ギル・バーミンガム、ケヴィン・ウィギンズ、ロバート・ベイカー、リュー・テンプル、レオン・リッピー、スティーヴン・ルート、ランディ・オグレスビー、ブラッド・グリーンクイスト、ランス・ハワード、レナード・アール・ハウズ、トラヴィス・ハマー、ジャック・アクセルロッド、フリーダ・フォー・シェン 他
受 賞:【2013年/第34回ラジー賞(ゴールデン・ラズベリー賞)】ワースト・リメイク・盗作・続編賞
コピー:世界を変えるのは、正義か?復讐か?
西部開拓時代のアメリカ。郡検事のジョン・リードが乗っている蒸気機関車が、強盗団から襲撃される。強盗団の目的は、列車で護送されているボスのブッチ・キャヴェンディッシュを奪還するためだ。ジョン・リードが護送車に向かったものの、一緒に護送されていたネイティブアメリカンのトントと一緒に強盗団に縛り上げられ、まんまとブッチを奪還されてしまう。その後、ジョンは勇敢なテキサス・レンジャーである兄ダンたちと一緒に、キャヴェンディッシュ一味を捕まえるために旅に出るが、仲間の一人の裏切りによって、全員残酷に殺されてしまう。そこに死体から金品を漁るために現れたトントは、不思議な白馬シルバーの導きによって、コマンチ族に伝わる術でジョンを救う。実は、トントは、少年時代にブッチから受けた忌まわしい経験から、復讐に燃える戦士だった。共通の敵を持つことになった二人は、手を組むことにしたのだが、法の僕であるジョンと、何でもありのトントが噛み合うわけもなく…というストーリー。
ディズニーでジェリー・ブラッカイマー製作でジョニー・デップ主演で、何の問題があろうか!?って感じなのに、まあ、ここまで冒頭から難点が鼻につく作品はめずらしい。
列車からジョンとトントが脱出する際のCGがあまりにうそ臭い。シーンに迫力があるのは結構なことだが、無闇に現実離れしてしまっては興醒めさせるだけである。もしかすると、3Dの効果がよく出るようにつくられているのかもしれないけど、ダメなものはダメ。
また、なぜか博物館のいる老トントが、少年に過去を語るという構成なのだが、これがクソ演出。ストーリーの転換ポイントでちょいちょいとこの場面になって、少年と老トントがやりとりしながら経緯を説明するのだが、本当に無用。一応エンドロール中のシーンに繋がりはするのだが、だからといって、正直、何の意味があるのか、どういう面白さを狙っているのかわからない。銀行強盗のくだりを冒頭にもっていったのだって、効果はあっただろうか。これらの演出をカットして130分以内に収めるのが正しかったのではなかろうか。本当にブラッカイマー製作なのか?と思うほど、彼らしくないような…。
大昔のローン・レンジャーのドラマを観ていた世代ではないので、懐かしさはない。おまけに、ジョニー・デップとアーミー・ハマーを見ても、この2人が合わされば、ものすげー強い!おもしろい!っていうワクワク感がイマイチ感じられない。まあ、トントのキャラクターは文句ないほど際立っているが、ジョンは銃もまともに扱えない文官がマスクしてるだけ。力不足。
#馬のかわいさには救われている。本当にかわいい。
それでも、両者の復讐劇と丁々発止の攻防は、よく組み立てられているので、見ごたえはあった。さぁて、ストーリーも佳境に入ってまいりました!というところで、また、交差する下の線路を走っている銀鉱石が乗っかってる貨車にダイブしても、なんともありません…てなCG。リアリティがなさすぎて、また興醒め。
また、兄ダンの妻とジョンの関係とか、ダンの息子との関係も、消化不良というか生かしきれていないと思う。
続編の予定はあるのだろうか。このままだとちょっと難しいのでは? 豪華な凡作の域を出ず。
公開年:1954年
公開国:アメリカ
時 間:76分
監 督:ジャック・アーノルド
出 演:ジュリー・アダムス、リチャード・カールソン、リチャード・デニング、ウィット・ビセル 他
地理学者カール・マイアはアマゾン河沿岸で指に水かきのある化石を発見する。その報告を受けて、リード博士らによる探検隊が組織された。一行が“黒い入り江”で調査中に、未知の生物が網にかかる。大暴れしたために惜しくも捕獲できなかったが、爪を残していった。未発見の生物の存在が明白となったので、志気があがる一行。その後、未知の生物が半魚人のような姿をしていることを知ったリードは、水中カメラをつかって撮影を試みるが、ウィリアム博士が功をあせって捕獲しようと攻撃したために逃がしてしまう。その際に手負いとなった半魚人は、怒って乗組員の1人を襲撃し殺害。そこでリードは、木の根から抽出した毒薬を河に流す作戦を敢行。半魚人は怒り狂って船を襲い、同乗していたリード博士の許婚ケイをさらって、水中に逃げようとし…というストーリー。
まあ、隠してもしようがないのだが、はじめっから、半魚人が登場しちゃう。当時の技術を考えれば、この半魚人の造形こそが、作品の全てってことなんだろうと思う。確かに、今見ても秀逸なデザインだと思うし、水中を泳いでも滑稽に見えない可動性はすばらしいと思う。
ただ、やっぱり“出オチ”なのだ。一生懸命、科学的な冒険映画を目指しているのが伺える。アマゾン川がデボン紀から変わってない…なんて表現がそれなんだけど、化石とミイラの区別も満足についていないような不自然な描写をしてみたり、アマゾン河の水が澄んでいたりと、すぐにボロが出ちゃう。
半魚人捕まえようと探索。追い詰めると反撃されて、バトル。都合よく探検隊に動向しているヒロインが襲われたそうになったり、さらわれそうになったりというお約束展開。なかなか半魚人も賢いしぞ!バトルの行く末は?!と、盛り上がるところなのだが、まあ盛り上がらない。
科学路線で盛り上がれないと、怪奇路線に方向転換。怪奇路線でダメなら、冒険小説路線で。それでもダメなら…と、逃げのシナリオだから。
歴史的な意味で価値のある作品だとは思うけれど、内容はクソつまらない。本当に半魚人の造形だけで歴史に名を遺している作品。
公開年:2011年
公開国:イギリス、アメリカ、アラブ首長国連邦
時 間:124分
監 督:ジョン・マッデン
出 演:ジュディ・デンチ、ビル・ナイ、ペネロープ・ウィルトン、デヴ・パテル、セリア・イムリー、ロナルド・ピックアップ、トム・ウィルキンソン、マギー・スミス 他
コピー:インドの風がささやいた。やりたいように、やればいい。
イギリス。40年連れ添った夫が多額の借金を残したまま死んでしまったイヴリン。息子夫婦の世話になるのはイヤな彼女は、家を売却し、インドにある高齢者向けリゾート“マリーゴールド・ホテル”で暮らすことを決意する。その他、退職金を娘の事業に投資したが失敗されてしまったダグラスとジーン夫妻はインドで安価に暮らそうと考える。股関節の手術が必要になったが国内では半年待たねばならないミュリエルは、インドの病院を紹介される。元判事のグレアムは、思い出の人を探すためにかつて生活していたインドを訪れる決心をする。独身貴族ノーマンは、人生最後のロマンスの相手を探すために異国の地を目指す。結婚と離婚を繰り返しているマッジは、お金持ちの夫を探すためにインドへやってくる。みんな、マリーゴールド・ホテルのネット広告をみてやってきたのだが、ボロボロの実物を見て愕然とする。しかし、決して裕福ではない彼らは、簡単に帰国することはできない。改装中とうそぶく若い支配人のソニーは、やる気だけはあるがまったくホテル経営のノウハウがわかっていない。ホテルの設備にはもちろん、インドという国自体に圧倒されてうんざりしながらも、徐々に自分たちの生活を掴み始める7人だったのだが…というストーリー。
あくまで私見なんだけど、インドが舞台になる映画は多いけど、所詮は逃げてきた人たち、現実から逃避するための舞台…でしかないことが多いように思える。そういう“逃げ”が前提になっている作品は、いまいち好みではない。『食べて、祈って、恋をして』とか『ダージリン急行』とか。私、ウェス・アンダーソンは好きだけど、それでもインドが舞台であることで、いい効果があったとは感じていない。
一癖ある7人の老人がインドにやってくる。7人がきれいに揃って同じスケジュールでやってくるっていうのは、いまいちリアリティに欠ける気がしないでもないが、まあ、映画だしね。
7人それぞれに事情が…というか、半分異常がクソ人間。色ボケが2人、人種差別者が1人、究極的に性格の悪いババァと言いなり夫。ネタバレぎみだけどゲイのじいさんが1人。最後の一人は純粋にお金がないが息子の世話になりたくないという頑固ババァ。最後の頑固ババァが、とってもとってもまともに見える。
開始から40分くらいまで、そんな老人たちが、インドの暑さと風習にやられ続けて苦闘する。正直、モタモタした展開。老人それぞれのキャラに深みを持たせるエピソードが繰り広げられるべきだが、しっかり観ていないと、エロじじぃと言いなり夫、イロボケばばぁと性悪妻のキャラクターが混同するほど。
話が全然集約されていかない中、車椅子ばあさんの人種差別のエピソードが、アクセントになっていく。しかし、これが若干消化不良ぎみ。同じ、使用人というシンパシーから、不可触民の娘に同情するという展開はわかる。それはわかるのだが、なんであそこまでの人種差別主義者に至ったのかというくだりがスポっと無視されているから、カウンターとして彼らを受け入ていく変化が生きてこない。
カーストが単なる上下差別構造なんじゃなく、不可触民も一種の職能ギルドであるということが、微かにうかがえることは評価したい。インドのカースト制度が南アメリカみたいな、単純な二極構造じゃないことが、インドの発展を阻害していることがよくわかる。
各自、個別にエピソードを展開させていくが、終盤になっても、死んだのが、ゲイじじぃなのか、色ぼけジジィなのか、一瞬わからなくなる。これは見た目が似ているとかじゃない。一応、判事のほうは心臓が悪い…とうくだりはあったけど、エロじじも年甲斐もなくがんばっちゃったからか?とか思っちゃうんだよね。
かといって、意図的にどっちかわからなくした演出ってわけでもなさそう。“インド”のようなダラダラゆるゆるしたピリっとしない演出のせいだと思う。
ただ、先の短い老人が、老人ホームじゃないところで、次の生き方を見つけるお話は、他にはなかったし、まだまだ、ユニークな老人を放り込めば、おもしろいお話はつくれそうな気がする。色々、文句はいったけど、まあまあの出来栄え。とにかく観客も、インドだもんしょうがいないよ…っていう心持ちで観ればよいのだと思う。あぁ、観客にそれを気づかせるのが目的なのか。なら、正解の演出なんだろうな。
公開年:2011年
公開国:イタリア
時 間:105分
監 督:ナンニ・モレッティ
出 演:ミシェル・ピッコリ、イエルジー・スチュエル、レナート・スカルパ、ナンニ・モレッティ、マルゲリータ・ブイ、フランコ・グラツィオージ、カミーロ・ミッリ、ダリオ・カンタレッリ、ロベルト・ノービレ、ジャンルカ・ゴビ 他
ノミネート:2011年/第64回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(ナンニ・モレッティ)
【2011年/第24回ヨーロッパ映画賞】男優賞(ミシェル・ピッコリ)、プロダクションデザイン賞(パオラ・ビザーリ)
コピー:神さま、なぜ、私なんですか?
ローマ法王が逝去。次の法王を決めるため、各国から枢機卿が集結し、システィーナ礼拝堂にてコンクラーベが開催される。選出方法は無記名投票による他選で行われるが、誰もが法王という重責を背負うことを嫌い、自分は選ばれたくないと考えていた。下馬評で本命視されていた枢機卿たちの得票が規定票数に達しないまま、時間だけが過ぎていった。そして幾度目かの投票にて、まったく予想もされていなかった無名のメルヴィル枢機卿が、運命の悪戯のごとく多数の票を集め新法王となってしまう。その結果に一番おどろいたのはメルヴィル本人。すでに聖ペドロ広場は新法王の就任を祝う人々であふれかえっていたが、パニック状態になたメルヴィルは、スピーチ直前にしり込みして引っ込んでしまう。困り果てた法王庁の報道官は、規則を曲げて外部から心理カウンセラーをこっそり礼拝堂につれてきて、メルヴィルの心を平穏にしようとするが、一向に効果が出ない。新法王が決定したにもかかわらず、数日経ってもスピーチが行われない異例の事態の中、背に腹は変えられない報道官たちは、さらに規則を曲げて、外部のセラピストに診察してもらおうと、メルヴィルをバチカンの外に連れ出すのだったが…というストーリー。
そうそう頻繁にコンクラーベなんか見られるものじゃないと思っていたのだが、2005年、2013年と二回も見ることができた。おまけにベネディクト16世は生前退位という稀有な例。本作は、この二例をモチーフにしているわけではなく、あくまで架空の設定。コンクラーベの様子は、外部に公開されることはないから、本作の描写は予想ってことだろう。
本来は選挙が終われば枢機卿は開放されるのだが、新法王が逃げまわっており、さらにそれを隠蔽しなくてはいけないから、ずーっと缶詰に。健康器具を持ち込んだり、不眠症の苦痛を大量の薬でごまかしたり、やり過ごすために趣味に興じたりと、枢機卿たちの俗っぽい部分がしつこくしつこく描かれる。極めつけはバレーボール大会。組み分けに文句をいう者や、子供っぽい態度をとる者多数。一緒に礼拝堂に缶詰になっている精神科医から見れば、彼らは異常な人々に見える。こまった人に手を差し伸べる聖職の方々のはずなのに、手を差し伸べられないといけない人々。
ちょっと露骨なカトリック批判なのかな…とも思うが、カトリック教会による性的虐待が問題になっている昨今、まあそんなもんだろう…という説得力がハンパない。教会は、それ以外にお金のスキャンダルなども抱えている。それなのにシスティーナ礼拝堂の前には、腐るほどの狂信的な信者が押し寄せている状態。むしろ、新法王になりたい!なれる!と思うほうが異常なのではないだろうか。
抜け出したメルヴィル枢機卿は、これまでの自分の人生をこれでよかったのか…と振り返る。そして、自分は人々のために何ができるのか…と。メルヴィルの苦悩はすごくよくわかる。しかし一方で、メルヴィル自体が、一般人が経験するようなことをあまり経験していないことも描かれている。教会の指導者がそれでいいのか?それで人を救えるのか?という単純な疑問が沸いてこよう。
“休日”なんていうお気楽な邦題なんかつけるから、『ローマの休日』みたいに法王がこっそり抜け出して、ドタバタでも繰り広げるコメディなのかと思ったら、そんなのんきな内容じゃない。(一応コメディにカテゴライズしておくけど、かなりシニカル。
そして、なかなか強烈なオチが待っている。カトリック教会の状況を知らなかったり、あまり深く考えないで観ていると、このオチの強烈さがわからないかもしれない。え?これ許されるの?ちょっとこれ大丈夫?と、少し不安になったくらいだ。
カトリック批判というか、宗教組織の存在自体を批判しているオチ。人間を救うことを標榜している団体が人間から乖離していることを、痛快に皮肉った作品だと思う。ドラスティックな改革が行われない限り、カトリックはゆるやかな終焉に向かうのだろうな…とまで考えさせられる作品だった。ちょっとお薦め。
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:123分
監 督:蜷川幸雄
出 演:吉高由里子、高良健吾、ARATA、あびる優、ソニン、今井祐子、綾部守人、市瀬秀和、妹尾正文、市川亀治郎、井手らっきょ、小栗旬、唐沢寿明、藤原竜也 他
受 賞:【2008年/第32回日本アカデミー賞】新人俳優賞(吉高由里子)
【2008年/第51回ブルーリボン賞】新人賞(吉高由里子)
コピー:痛くないと、感じない。
19歳、痛みだけがリアルなら痛みすら、私の一部になればいい。
渋谷界隈をブラつくだけの単調な日々を過ごす19歳のルイ。そんな毎日に苛立ち覚えていたある夜、クラブでアマと名乗る男と出会う。彼は赤く染めたモヒカンヘアで、顔中にピアスをしており、背中に龍の刺青、一番特徴的なのは“スプリットタン”と呼ばれる蛇のように先が割れた舌だった。未知の世界の人間と出会ったルイは、スプリットタンに特に心を奪われ、自分もやってみたいと思うのだった。アマに紹介してもらった店で、ルイは舌にピアスをあける。その穴を徐々に拡張していくのだ。その店の店長シバは、アマ以上に顔中がピアスで、全身彫り物だらけだった。それを見たルイは、自分の身体にも最高の絵を彫りたいと、アマの背中にある龍とシバの右腕にある麒麟を合わせたデザインをシバ依頼する。アマと同棲をはじめたルイだったが、彫ってもらう度にシバとも関係を続けた。しかし、いくら舌の穴を拡張しても、刺青を増やしても、ルイの心は満たされない。ただただ痛みだけが、生きている実感だとなっていた。そんなある日、町で絡んできたチンピラをアマが撃退。その場は逃げ帰ったものの、その後、その相手が死亡したことをTVニュースで知ったルイは…というストーリー。
自分がだれにも必要とされていない疎外感。自分が何をしても世の中に影響を与えていない疎外感。自分で何かをコントロールしたい欲求=自分がこの世にいる実感=自分の存在価値…という感じのロジックはわからんでもない。しかし、自分でコントロールしたいという割には、ピアスをあけてもらうのも、刺青を彫ってもらうのも、他人に体を委ねているわけで…。
普通は、あれ?自分のやってること何か矛盾してね?と気づくのだが、あまりいい環境で育っていないと、不安や疎外感で目が霞んでしまうのかな。
蜷川幸雄監督の演出だけど、意外とアクションシーンが気持ちよかった。キャラのバックボーンを説明しすぎないのは、当たり前ではあるけど、いかにもベテランらしい匙加減。小栗旬と藤原竜也の贅沢(?)な使い方なんて、蜷川幸雄にしかできんわな。
メインキャスト陣が体当たり演技なのは認める。ただそれはあくまで、彼らのキャリアとの相対的ながんばりである。
吉高由里子のナレーション棒読みは、演出なのかマジなのか。っていうか、あのナレーションは必要なのか?とか、酒しか飲んでなくて激ヤセしていくっていう設定なんだけど、“激”ってほどは痩せていなかったのが、ちょっと残念。デ・ニーロばりの仕事をしろとはいわないけど、もうちょっと観客がギョっとする程度は痩せてほしかった。
舌の穴を拡張するときは、痛くて攻撃的になる…ということだが、それが彼女の演技から伺えない。弱っている様子は伝わるが…。
同様に、人体改造という未知の世界なわけだけど、ARATAの顔ピアスも刺青もいまいち美しくないのは、いただけなかった。普段は、刺青なんかに魅力は感じないんだけど、一瞬心を奪われてしまったわ…くらいの美しさをみせてほしかった。まあ、そこはARATAの演技の問題じゃなく、演出の問題だね。
終盤は、親族でもない、ただ同居していただけの未成年に、警察が捜査状況を説明するという、リアリティのない場面があったり(ありえないとはいわないが違和感)、ちょっとストーリーに没頭できなくなってくる。これは、シナリオというよりも、原作の問題かも。
本作でユニークなのは、相手の犯罪行為を知ったときに隠蔽工作するというパターン。それを繰り返すルイ。現状を変えたいという意思と、変えたくないという意思のアンビバレントの共存。この両極端の感情の間を高速で揺れ動く軌跡が、彼女を形作っているってところか。
まあ、オチとかどうでもいい。いい雰囲気を最後まで貫いてくれた作品。けっこう気持ち悪い内容なのに、鑑賞後は案外さわやかな感覚に包まれたのは、何なんだろうね。これが蜷川演出なのかな。
#舌の穴拡張シーンはCGかな?そこは評価したい。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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