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公開国:インド
時 間:156分
監 督:アヌバウ・シンハー
出 演:シャー・ルク・カーン、カリーナー・カプール、アルジュン・ラムパール、アルマーン・ヴェルマー、プリヤンカー・チョープラー、ラジニカーント 他
コピー:インド映画、 NEXT LEVELへ
英国のゲーム会社バロンは、通信データを物質化する画期的な技術の開発に成功する。同社のゲーム部門に勤務するシェカルは、次に開発するゲームをヒットさせるために、ゲーム好きの息子プラティクの「悪役が魅力的で絶対的に強いゲーム」という要望をヒントに、史上最強の悪役“ラ・ワン”が登場するゲームの制作を行う。苦労の末、発表すると高評価を受ける。ゲームを気に入った息子が、試作機で“ルシファー”の名でログインしプレーすると、ラ・ワンを最後のステージまで追い詰めるところまで進む。すると、ラ・ワンは、知能を発現させ“ルシファー抹殺”を誓い、同社のデータ物質化技術を使い、現実世界に実体となって飛び出してしまい…というストーリー。
そんな、デジタル情報を物質化するような、この世を一変させるような革命的な技術を発表しておきながら、呑気にゲーム開発をしているという不思議な状況。極めて不自然。
ゲームから現実社会にキャラクターを飛び出させるという思いつきをシナリオにしたのはいいけれど、そのために設定があまりにも荒唐無稽すぎて、バランスがおかしくなっている。SFというのはどんなに荒唐無稽でもゆるされるわけでもなく、あくまで未来ならあり得るな…と思わせる説得力があってこそなのだが。
そういう都合のよい具現化ツールで、コンピュータの世界からキャラクターが飛び出してくるが、結局はただのロボットで、ゲームという設定はあまり重要ではなくなる。
悪のロボットとの戦い…、味方のロボットはちょっとすっとぼけた行動をする…、なんだかこの前観た、同じインド映画の『ロボット』と同じような内容に収束していってるな…と思っていたら、なんと『ロボット』の主役ロボット“チッティ”が突然か登場(監督の違う映画なのにね)。同じ世界であることに驚愕(チョット出ただけで、それ以降は微塵も出てこないんだけど)。たまたま『ロボット』を観ていたからいいようなものの、観ていない人は混乱してしまうよね。
『ロボット』もそうだったんだけど、踊るシーンは、パーティとか踊ってもおかしくない場面でだけ。我々がインド映画にもっている印象って、どこでも突然踊り出す…変だけどある意味ミュージカルが歌で感情を表現するのと同じで、様式として万人が認めているところだと思う。むしろ、そうでなきゃ!という思いすらある。
#実際、本作のダンスシーン自体は楽しい。むしろどんな演出よりも一番楽しい。
しかし、インド映画界は、こういい演習を、グローバル的に恥ずべき演出だと思っているようにみえる。だから、不自然に踊るシーンは極力避けているのではなかろうか。
しかし、結果的に、残ったのは、陳腐なIT技術を前面にだしたSFだけである。そのSFも、コアの設定がわかりに(というか思いつきの設定なんだろうな)とか、G.ONEだけで散々動いているのに、ラ・ワンとの闘いでは、なんで息子が操作に協力しないといけないのかとか、まあとにかくピンとこない設定だらけ。
なんで、実体化したロボットが、人間を眠らせたり、行動に影響を与えられる能力を持て入るのか?どういうこと?
インド映画業界…というかインド社会の娯楽の形態上、避けられないのか、またもやとにかく長い。長くしないとインドの観客が満足しないとしても、結局はどうせインターミッションを挟んでいるはず。それならパート1、パート2にして、1時間半くらいの映画2本に分けてしまえばいいのに。
イマイチ…という感想しかない。映像技術面では、とっくに日本映画界を凌いでいることは認める。
#懲りずに、似たようなテイストのインド映画を借りる私が悪いか…。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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