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image1982.png公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:クレイグ・ギレスピー
出 演:ライアン・ゴズリング、エミリー・モーティマー、ポール・シュナイダー、ケリ・ガーナー、パトリシア・クラークソン、R・D・レイド、ナンシー・ビーティ、ダグ・レノックス、ジョー・ボスティック、リズ・ゴードン、ニッキー・グァダーニ、カレン・ロビンソン 他
ノミネート:【2007年/第80回アカデミー賞】脚本賞(ナンシー・オリヴァー)
【2007年/第65回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](ライアン・ゴズリング)
【2007年/第13回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ライアン・ゴズリング)、脚本賞(ナンシー・オリヴァー)
コピー:彼が恋に落ちたのは… 等身大のリアルドール!

アメリカの小さな田舎町。そこに住む26歳のラースは町の人から“ミスター・サンシャイン”といわれるほど、心優しき青年。ラースは、兄夫婦が住む家のガレージを階層した部屋に一人で住んでおり、友人も少なく、特に女性と話すこともままならないくらいシャイで、兄夫婦はそんな彼をものすごく心配していた。そんなある日、ラースは突然兄夫婦に、インターネットを通じて知り合った女性を紹介すると告げる。二人は驚きつつもすごく喜んだのだが、ラースがつれてきた女性は、何とインターネットで購入した等身大のリアルドール。ラースは“彼女”をビアンカと呼び、元宣教師でブラジルとデンマークのハーフで、足が不自由だと紹介する。困惑した兄夫婦は精神科医に相談するが、医者は当面ラースの妄想に話を合わせることを薦める。そこで、町の人たちにも事情を説明し、協力を仰いて、“ビアンカ”を生身の女性として扱うことにするのだったが…というストーリー。

一応コメディにカテゴライスしたが、笑うための作品ではない。そして、リアルドールを前面に出しているとはいえ、決してゲテ物作品ではないということ。

簡単に言ってしまえば、人生における“通過儀礼”の物語。人との関わりを苦痛に感じる男ラース。それは精神的なものじゃなく、物理的な苦痛を伴うほど。ライアン・ゴズリングの演技がなかなか良い。単に精神的にトラブルを抱えた、簡単にいってしまえば頭のおかしくなった人…とは、思えない微妙な線を演じきっている。

なんでラースはそういう考えを持つようになってしまったのか…ということが、ゆっくり、ゆっくり紐解かれていく。“ラブ・ドール”を愛でるラースの目線は、変態のそれではなく、人であるという確信を伴う。それを、“病気だから”と受け止める町の人々。もちろんはじめは笑いの種になるけれど、元々ラースに悪い感情を抱いていないし、小さい町だからなのか、案外うまくいってしまう。

コミュニケーション障害が現代病といえるかどうかはわからないけれど(昔からあったとは思うよ)、社会的に求められるコミュニケーション技術が多様で複雑になっているのは事実だと思う。そういう観点からも、なんとなく観客も許容できるし、ラースが素朴でピュアだからこそ、突拍子もない内容ながらもこのシナリオが受け入れられる要因になっていると思う。

私がイマイチ消化しきれていないのは、単に、ラースが病気だから…という理由だけでお、町の人たちがそこまでするか?という点。彼らも、その人形を通して、何かを得ているのでは?ということ。別に、病院のボランティアの仕事を与えたり、そこまでする必要はない。いや、ラースの手前そうしたとしても、実際に子供の中に放り込む必要はないわけだ。
何故そこまでするのか。そうすることで、町の人々も何かのロールプレイをしていたんだろうと思う。そのロールプレイとは何なのか。他者への無償の献身かな…と思うのだが、それ以上の何かがあるような気もする。
#途中でテディベアに救命処置を施すシーンがあるが、あれも繰り広げられていることがロールプレイである証拠の一つだと思う。

大人になるために通過儀礼を経ていないラースなので、ビアンカとの関係は、無意識にプラトニックなものに留まっている…という設定。それが無意識だ…っていうところがミソ。まあ、映画としてはこのラインを死守したことが、作品が成立した要素だったかも(さすがにこの線を越えたら、ただの変態映画になっちゃうものな)。

途中で、出てくる両親の墓が、一つのヒントになっていて、お母さんがすごく早くなくなっているということ。兄は母親の死を受け止めて、必死に母の代わりをしようとする父親との軋轢も経験している。でも弟のラースは、年齢的にもっと小さかったので、それに対する軋轢はなくて、案外、表面的には素直に受け入れてしまったに違いない。
兄は、弟ラースに対して、自分が逃げてしまったことを誤るのだが、そのシーンを見ても、ラースがいまいちピンときていない様子が伺える。むしろ、兄の謝罪を聞いて、それって問題だったのか…と改めて気付かされている感じ。

そういう“あたりまえ”が自分にはなかったことに気付くにつれ、“彼女”ビアンカとの別れが加速してく。途中から、町の人がビアンカを単独でパーティに連れ出そうとするあたりから、ビアンカとの口げんかが始まる。“ミスター・サンシャイン”だったかれは、おそらく初めて女性と対立する。
無意識にビアンカとの別れを選択…というか、ロールプレイしている感じ。里子に出された子供が、母親の肩口に乗っかって下にすべる落ちるアクションをしたりするのを思い出した(生まれてくる様子を無意識に再現しているらしい)。その、無意識にビアンカを葬ろうとしている彼の選択が、ちくちくと観ている人の心を刺激する。

そして、当初は困惑していた兄夫婦が(特に妻が)、ビアンカを葬り去ろうとしているラースの行動に逆に困惑してしまうという状況が滑稽でもあり、せつなくもある。子供の成長にとまどう親の姿に似ているが、とまどっている当の本人たちが、実際に出産を間近に控えているというのも、一つの隠喩かもしれない。

きっと、私の心も多かれ少なかれ、何かを忘れてここまで生きてきたから、この作品に何かひっかかりをおぼえるんだと思う。他の作品にはない、滑稽さとせつなさが絶妙にミックスした作品。人の成長ってなんだろうな…と考えさせられる作品。強くお薦め。

 

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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