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image0430.png公開年:2002年 
公開国:アメリカ
時 間:116分  
監 督:ブラッド・シルバーリング
出 演:ジェイク・ギレンホール、ダスティン・ホフマン、スーザン・サランドン、ホリー・ハンター 他
コピー:彼女が死んで、一つの嘘が生まれ




1973年。発砲事件に巻き込まれて、結婚式間近にして帰らぬ人となったダイアナ。その婚約者ジョーは、葬儀の後も、そのままダイアナの両親の家で暮らしていた。しかし、実は、ジョーとダイアナ事件の3日前に2人は別れていたのだった…というストーリー。

なぜか、ダスティン・ホフマンがダスティン・ホフマンでないように感じられ、スーザン・サランドンもスーザン・サランドンではないような感じ。似ている人が演じているような変な感覚だった(私だけかな)。

ふつうなら、ネタバレ注意というところなのだが、今回はいう意味がない。だって、ストーリーは予告編やDVDのパッケージで紹介されている内容がすべてだから。公開時も紹介番組でバンバン紹介されていたが、その時に聞いた内容異常のモノは何一つない。配給会社泣かせもいいところだ。
まず、世の中にはついていい嘘と悪い嘘がある。観た人の大半が感じることだと思うが、本作のは悪い嘘だ。さらに、嘘を引っ張り続ける根拠が薄い。リストラされたお父さんが、それをいえずに毎日公園に出勤するのと同じで、長引かせれば事態が悪化するのは目に見えている。、それに付き合わされるを、観た7割の人がイヤになるに違いない。

ストーリー上の区切りポイントとして、①別れていたことがばれる、②裁判の件で証言を求められる、という2点があると思うが、どちらのポイントも20分遅い。引っ張りすぎである。要するに、この婚約者が死んでしまったけど実は直前に別れていた…というアイデアが思いついた後、それ以上に、たいして膨らませたり、エッセンスを加えたりとかできなかったのだろう(それだけで逃げ切ろうなんて、甘すぎだよね)。決して長い映画ではないのだが、それでも増長に感じる。

本作があらすじ以上のひねりは無いと聞いて、それでも観たいを思う人は観ればいいと思う。私が一番、心に引っかかったのは、1973年にテプラは存在したのか?ということである(笑。あれ何?アメリカでは昔からああいう製品があったのか?誰か教えて)。時間の無駄とまでは言わないが、その程度の作品である。ダスティン・ホフマン、スーザン・サランドン、ホリー・ハンターが出演してこれか…。

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image0786.png公開年:1995年 
公開国:アメリカ
時 間:123分  
監 督:ティム・ロビンス
出 演:スーザン・サランドン、ショーン・ペン、ロバート・プロスキー、レイモンド・J・バリー、R・リー・アーメイ、セリア・ウェストン、ロイス・スミス、ロバータ・マクスウェル、マーゴ・マーティンデイル、スコット・ウィルソン、ギル・ロビンス 他
受 賞:【1995年/第68回アカデミー賞】主演女優賞(スーザン・サランドン)
【1996年/第46回ベルリン国際映画祭】男優賞(ショーン・ペン)
【1995年/第11回インディペンデント・スピリット賞】主演男優賞(ショーン・ペン)

“希望の家”で働くシスター・ヘレンは、相棒が無期懲役なのに自分が死刑になる事に憤りを感じている死刑囚マシューからの手紙を受け取り、彼を信じ特赦を得ようと弁護士の協力を仰ぐが…というストーリー。

スーザン・サランドンとティム・ロビンスって夫婦なのね(内縁かな?)。一回り年齢が違うので、ちょっと結びつかなかった。不勉強。『スピード・レーサー』でスピードの母役をやったときは、とてもとても60オーバーには見えず驚いたのだが、それより13年前の本作のほうが老けて見える。メイク技術の進歩恐るべし。

死刑問題という重いテーマを扱った作品だが、ティム・ロビンスはなるべく加害者・被害者のバランスを取ろうと心がけているように見える。本当ならば、彼はバリバリのリベラル派なので、死刑反対のほうに倒したかったのだと思うのだが、自制したのかな。現在ではもっと死刑廃止について活発な議論がなされているし、日本でも今後活発に議論されると思うので、12年も前の作品だが、一つの視点として観ておいたほうがいい作品に思える。

私は、被害者・加害者のほかに、死刑を執行する側に注目した。薬物注射による死刑は、より人道的にという配慮からなされているといわれているが、それに対して殺すのに人道的も何も無いという反論がある。ただ、私は、殺される側の人道よりも、執行する側への配慮と捉えたい。それはなぜかというと、日本の場合は死刑は絞殺(首吊り)によってなされると決まっているわけだが、その踏み板をはずすボタンは数人が一斉に押しだれだかわからなくするなどという配慮こそあれ、その後、刑務官たちは絶命するまで見届けなければならず、その後の始末(みなまでは言わないが首吊りの場合は当然汚れる)をするわけである。中には精神に異常をきたすかたもいらっしゃるわけである。

死刑問題を語るといろんな価値観が交錯して、まず話がまとまらなくなるのだが、少なくとも刑務官の精神的な負担は軽減してあげたい気持ちが、私にはある。本作でも、執行官が前の日は眠れないというシーンがあるが、日本の場合はちょっとインパクトすさまじすぎる。当然、本作のように執行の様子を被害者家族が見にくるなどということは不可能だ。見せられるはずがない(『グリーンマイル』の電気椅子どころの騒ぎではない)。

本作を観て、被害者家族が死刑の様子を見られることが、なんと恐ろしいことかと思う人もいるだろうが、それは国家にやらせていることを(まあ、実際は州だが)国民として承認している証である。日本の場合は、自分にはとてもできないことを見えないところで知らない間にやらせているのだから、どっちが恐ろしいかは、微妙なところである。

ここでこれ以上、死刑論を繰り広げる気はないが、今、海外から日本に対して死刑を廃止するような圧力があるのも事実である。要するに日本が主張するような犯罪抑止力は無いのだよという論法であるが、残念ながら、それは捕鯨禁止と同じで、もっともらしい価値観の押し付けである感が否めないのが、残念なところである(断っておくが、私は死刑推進論者ではない。ただ現行法制化で、法務大臣が法に逆らって死刑執行を行わないこと自体は、三権分立の一角である行政のあるべき姿として、間違っているとは思う)。

などなど、日本の場合、ちょうど一回りくらい死刑廃止に関しては、議論の深まりが遅れているので、考えるきっかけとしては、ちょうどいい作品ではなかろうか。

#ちょっと『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』を観たくなってきた。
 

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image1390.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ
時 間:167分  
監 督:デヴィッド・フィンチャー
出 演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ティルダ・スウィントン、ジェイソン・フレミング、イライアス・コティーズ、ジュリア・オーモンド、エル・ファニング、タラジ・P・ヘンソン、フォーン・A・チェンバーズ、ジョーアンナ・セイラー、マハーシャラルハズバズ・アリ、ジャレッド・ハリス、デヴィッド・ジェンセン、テッド・マンソン、トム・エヴェレット、フィリス・サマーヴィル、ドン・クリーチ、ジョシュア・デローシュ、リッチモンド・アークエット、ジョシュ・スチュワート、イリア・ヴォロック、ジョエル・ビソネット、チャールズ・ヘンリー・ワイソン 他
受 賞:【2008年/第81回アカデミー賞】美術賞(Victor J. Zolfo、ドナルド・グレアム・バート)、メイクアップ賞(Greg Cannom)、視覚効果賞(Steve Preeg、Craig Barron、Eric Barba、Burt Dalton)
【2008年/第62回英国アカデミー賞】美術賞(ドナルド・グレアム・バート、Victor J. Zolfo)、メイクアップ&ヘアー賞、特殊視覚効果賞(Eric Barba、Craig Barron、Edson Williams、Nathan McGuinness

80歳の老体で生まれ、歳を取るごとに若返っていく男の波瀾且つ儚い人生を、第一次大戦後から21世紀初頭に渡る現代史を背景に綴るストーリー。

まず、15秒のCMで紹介された内容で、おおまかなプロットはすべて語りつくされている。それ以上にロードムービーとして何を見せてくれるか。私の愛する『ファイト・クラブ』の監督である。タダでは終りはしないだろう。

受賞歴を見ればお分かりと思うが、視覚効果の技術には目を見張るものがある。CG全盛の現在であっても、一体どうやって撮っているのか、驚かされる。ここまでのクオリティを見せられると、もう表現できない映像はないのではないかと思わせてくれる。幼少期などは、おそらく顔と体を別々に撮って合成しているのだろうが、まったく違和感無し。すばらしい技術だ。セルビデオには、特典映像としてメイキングなどが付いているのかもしれないが、残念ながら今回はレンタル版なので無し。ちょっと見てみたい。
本作のケイト・ブランシェットはものすごく美しい。若い時期はどう表現しているのか。メイクだけでここまで若くできているのか(“特殊”メイクの領域?)。老いを重ねるデイジーも自然だし、死の床の特殊メイクも彼女と気付かないくらいのデキ。

それに対してストーリー面。なにやら、展開のしかたがフォレスト・ガンプに似ているなぁと思ったら、脚本がエリック・ロスで一緒だった(ヒロインのキャラクターも似ている)。老人が日記を読んだ(読んでもらった)かんじで、ストーリーを進める手法は、ちと古臭いか。まあ、ちょっと長いんだけど、飽きずには観れたのは、彼の力量のおかげ(としておこう)。

ベンジャミンは、デイジーと交差する年齢を通じて、「生きること」が何かを深く考えていくわけだが、さほど目新しい視点ではない。だって、最後に火の鳥が出てきて、あなたはこういう罪を犯したので、こうなっているのですよ…って、言いそうな感じなんだもの。
ドキドキでもワクワクでもいいんだけど、寝そべって観ていたら思わず身をおこしちゃうような演出が、デビット・フィンチャー作品にはあったんだけどね(“うまさ”を超えた何かが)。私の好きなデビット・フィンチャーは、もういないのかな(ゾディアックもピンとこなかったしなぁ)。凡作とはいわないが、傑作にはほど遠いだろう。やはり、仕掛けの使い尽くされた感が如何ともし難い。私は特にお薦めはしない。観るものがなければ観てください程度かな。

余談。BUTTONはボタンだと思うんだが、なんでバトンでなくてはいけないのか?なにか“ボタン”にすごく意味があるような気がするのだけれど。そのほか、ちょくちょく出てくるハチドリの表す意味がよく判らない。

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image0069.png公開年:2001年 
公開国:アメリカ
時 間:114分  
監 督:ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー
出 演:ジャック・ブラック、グウィネス・パルトロウ、ジェイソン・アレクサンダー、ジョー・ヴィテレッリ、グウィネス・パルトロー、レネ・カービー、スーザン・ウォード、アンソニー・ロビンス、ブルース・マッギル、ナン・マーティン、ダニエル・グリーン、ブルック・バーンズ、ゼン・ゲスナー 他
コピー:嘘のようなほんとのラブ・ストーリー


父親の遺言を守り、少年時代から外見の美しい女性だけを追いかけ続けてきたハルは、偶然出会った自己啓発セミナーの講師に内面の美しい女性が美人に見える催眠術をかけられてしまう。そして、最初に出会った心の美しい女性は体重300ポンドの巨漢女性で…というストーリー。

ファレリー兄弟の作品。彼らの作品の特徴といえば、『メリーに首ったけ』をはじめ、本物の障碍者を障碍者の役で使う点。アメリカでは賛否両論あるようだが、おおむね好意的に捉えられているらしい。宗教的な部分を除けば、日米間の表現上のタブーにさほど開きはないと思っていたが、この障碍者の扱いという部分は、かなりの差があるかも…と気づいた。映画の登場人物には、当然いいキャラもいれば悪いキャラもいる。障碍者にだっていいキャラもいれば悪いキャラもいるでしょ?という、考えれば至極当たり前のことなのだが、彼らは愚直なまでに全作品に登場させている。

日本映画での障碍者の扱いは腫れ物を扱うようだし、かなり限定的にしか登場することがない(その場合も、表面上は障碍のない人と区別がつかない障碍の場合が多い)。逆に扱うときは仰々しく扱い、それらの多くは差別問題を主題にした映画である。コメディーでさらっと使うことがいまの日本映画界にできるだろうか。たとえば、本作に登場するウォルトのようなキャラクターで。
多分、できないし、やらないだろう。なぜならば、これらに対するクレーム・トラブルを面倒に思うだろうから。それは制作側だけでなく、障碍者側もその準備が十分ではないからに他ならない(アメリカのように障碍者の役者団体なんでほぼ無いだろうし、ヒステリックにクレームをつける団体も多いでしょう)。ひいては、日本では日常空間の中で障碍者がいる風景が全然“ノーマル”でないこと、つまり障碍者の社会進出がいかに進んでいないかということの表れなんだと思う。

誤解を招くといけないので断っておくが、社会進出している障碍者の数に大きなの差があるのか否かを、知った上で述べているわけではない。ただ、障碍者自身の社会進出を望む強さと、それをフォローしようという人たちの強さと、それを自然に受け止めようとする人々の心の土壌があって、それら総体のパワーが、アメリカよりも劣っているのだろうなと思うだけである。そして、それが、映画における障碍者の扱いの違いと、受け止め方の違いに繋がっているのだろうなと…。

映画批評でもなんでもないのだが、私は、障碍のある人も無い人も一緒にプレーできるオープンスポーツが生まれてて、普通にオリンピック競技になるのが、理想だと思っている。(ちょっと伝わりにくかもしれないが)そういう意味で、本作には共感できる部分がある。

話を変える。
原題は“SHALLOW HAL”。“浅はかな”ハルである。これを『愛しのローズマリー』にしちゃうのは、『メリーに首ったけ』が当たったからに他ならず、その後も彼らの作品には、こういうノリの邦題がつけられている。良いとも悪いとも思わないが、同年(未公開)の『ギリーは首ったけ』よりはマシだと思う(笑)。少なくとも、まだ知名度のイマイチだったジャック・ブラックよりは、グウィネス・パルトロウ押しのほうが、収益に繋がると考えたのはうなずける。実際、本作のグウィネスは魅力的である。

人間を量る価値観、それもだれもが無意識に発動している内なる量りの存在に気づかせてくれるという意味で、なかなか考えさせてくれるいい作品だと思う。ただ、実際問題として、人間の価値観は個々のものだという答えに帰結してしまう。そして、それは廻りの環境と折り合いつけるものなのですよ…と、ハッピーエンドという名のオブラートに、ぽやーん包んでラストにしているのだが、決して悪くはない。

あまり、この作品を見るべきと薦める人はいないと思うのだが、私はあえて薦めてみたいと思う。コメディとカテゴライズされていることもあるが、笑える人は多くないと思う。軽いドラマだと思って観て欲しい。見終わった後に、ちょっと心に引っ掛るものがあれば、薦めた甲斐はあったと思う。

#余談。このコピーって、なんか実話みたいじゃないか?そういう情報はないんだが…。もし、実話じゃないなら、サギコピーだな。

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image1407.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ
時 間:117分  
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:クリント・イーストウッド、ビー・ヴァン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリー、コリー・ハードリクト、ブライアン・ヘイリー、ブライアン・ホウ、ジェラルディン・ヒューズ、ドリーマ・ウォーカー、ジョン・キャロル・リンチ、スコット・リーヴス、ブルック・チア・タオ 他
ノミネート:【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】歌曲賞(カイル・イーストウッド[曲/詞]、クリント・イーストウッド[曲]、マイケル・スティーヴンス[曲/詞]、ジェイミー・カラム[曲]“Gran Torino”)
【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(クリント・イーストウッド)
コピー:俺は迷っていた、人生の締めくくり方を。少年は知らなかった、人生の始め方を。

急変する世の中を嘆く、孤独な人種差別主義の偏屈な老人が、隣人のアジア系移民家族と思いがけず交流を深めていくストーリー。

無冠な上に、米アカデミー賞にいたっては、ノミネートすらない。どういうことか。私は大傑作だと思うが。
まず、イーストウッド演じる偏屈老人が抱く、子供たちや隣人に対するマイナスの感情に、私とは年齢こそ違えどとてもシンパシーを感じる。社会の流れについていけていないと片付けられがちだが、そうではなく、過ちや問題が見えているのに、それについて意に介さない人々に対して、付ける薬はない…と半ばあきれているのであって、むしろニヒリストに近いかも。

昨今、外国人地方参政権付与について日本でも話題になっているので、人種差別主義者と思われると困るのだが、本作のような街の状態だったら、私もかなり苦痛に感じてしまう。アメリカにおける人種問題は、“サラダボウル”状態が理想とされる時期があったと思うが、そんなのはきれいごと。物理的な空間において、一定水準の秩序と清潔を保つためには、ある程度の共通認識を持つこととコミュニケーションが容易であることが前提であり、そのベースなくして、文化や人種の尊重など困難だということを痛感した。そういう面でも、よく考えされられる作品だ(とりあえず、今の日本が、チンピラのウヨウヨいる状態でないことはありがたい限りである。あんな状況なら、銃を所持しないと身を守れないと言うのも、思わず納得してしまう)。

主人公より印象は薄いが、特徴的に使われているのは神父だろう。事件があった後、若い神父は老人の家を訪れ、彼らを殺してやりたいという。もし老人が「さていこうか」と銃をもって家を出たなら、彼も一緒に行ったのは間違いない。しかし彼は、翌日には、そんな老人を止めようとする。一晩置いたら感情が整理できたということだ。
しかし、より年齢の若い少年は、次の日になってもその感情を抑えられず、いつ復讐にいくのかと老人を急かす。ここからはネタバレなので言わないが、要するに、人の成熟とは自分の感情とどれだけうまく付き合えるかということだといっている。感情の暴走は利己につながり、その逆は利他の行動として現れる。老人は究極の利他で人生を締めくくったわけである。
彼が重い病だったからああいう行動がとれたのかも、と考えたくもなるが、そういうタラレバの話なんか無意味に感じるくらいよくできた話。観ながら、復讐すべき!と感情を昂ぶらせた人は多いと思う。そういう人があのラストで何を思い感じるか。もう、如是我聞~から始めれば、十分高尚な仏教の説話だと思う。『最高の人生の見つけ方』も生き様を考えるという意味で共通点はあるが、トータルのデキと含蓄は雲泥の差である。イーストウッドの監督の力量は、もはや敬服の域である。ニック・シェンクという脚本家にも、今後注目していきたいと思う。

青少年が本作を観て正しく理解できるかどうかは若干疑問ではあるが、ある程度の年齢の人たち(特に子育てを経験したくらいの人たち)には、是非観てほしい作品だ。強くお薦めする。

余談。あまりいいコピーではない。なぜなら、人生の締めくくり方を明確に考え始めたのは、後半をすぎてからだし(まあ、無意識に昔から考えていたかもしれなけれど)、このコピーを読んでしまうと、オチの予想がついちゃうから。

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image0052.png公開年:2005年  
公開国:フランス、ベルギー
時 間:95分  
監 督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
出 演:ジェレミー・レニエ、デボラ・フランソワ、ジェレミー・スガール、ファブリツィオ・ロンジョーネ、 オリヴィエ・グルメ、ステファーヌ・ビソ、ミレーユ・バイィ、アンヌ・ジェラール  他
受 賞:【2005年/第58回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(リュック・ダルデンヌ、ジャン=ピエール・ダルデンヌ)
コピー:痛みを知ること、やさしくなること。

20歳のブルーノと18歳のソニアのカップルは、わずかの生活保護とブルーノの盗みでその日暮らしの日々。ブルーノはソニアが自分の子供を産んだとういのに父親としての自覚どころか関心さえ示そうとせず、深い考えもなしにその子供をわずかのお金で売り捌いてしまう…というストーリー。

子供ができた若いカップルの過ちを描くドラマなどと紹介されていたが、(以下ネタバレ多く含む)大きな過ちを犯すのは男のほう。前半、若い二人の行動の子供っぽさを妙に強調するので、タイトルの“ある子供”が赤ん坊のことだけでなく、この若者たちも指すダブルミーニングであることに、早々と気づいてしまった。そうなると、売った子供を取り返すまで顛末と、それを通して大人への自覚を獲得していく…的な展開が続くのかと思ってうんざりしかけていたのだが、早々に奪回。セーフ(『天国と地獄』と一緒だね)。
さて、あとはどういう話にするのやら。自滅パターンしか想像が付かなかったけど、それを覆してくれるなら、さすがパルムドールと納得しようと考えたのだが、それは叶わず。

ベルギーでは失業する若者が相当数存在し、問題になっていると何かに書かれていた。そういう社会風刺を含んでいるのは理解できるが、それを踏まえても、本作はピンとこなかった。ピンとこないのは、その状況を肌で感じていないから…ということではない。一見、男が社会から手を差し伸べられていないように見えるのだが、私には差し伸べられた手を自分で払っているようにしか見えないから。冷たい言い方をすれば、同情する気がまったくおきないのである。仮に社会状況が良くても、この男はこんなもんなんじゃないかと思えて仕方がない。

さて、自首したことが大人への一歩なのかどうか。なにか希望の臭いも感じさせる終わり方だが、よく言えば余韻を残した終わり方、悪く言えば放り投げ。なかなか人間は変われない。社会的な業の深さも感じるし、日本がそういう状況でないことを、ありがたく感じてしまう次第であった。

技術面だが、現実的な描写がすばらしく、非常に参考になる。亡霊にでもなって彼らの傍らで、その様子を眺めているような感覚になる。それは、まったくBGMがないことと、手持ちカメラでの撮影が多いことの効果かと思う。模倣する作品が出てくるかもしれない(スタッフロールが無音なんで、「あ、そういえば」って気付くよね)。

本作は、『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』を抑えてパルムドール受賞となったが、個人的な趣味としては『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』のほうが好き。本作のほうがカンヌ好みだったということなんだろうけど、根本的に私とは趣味が合わないということかな(他の出品作品もさほど秀でているとも思えないんだよね)。

楽しい作品では決して無いので、ドンパチやフザけた映画に飽きたときに観ればいいかも。観なきゃ損します、とは言いません。

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image0514.png公開年:2007年  
公開国:アメリカ
時 間:97分  
監 督:ロブ・ライナー
出 演:ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン、ジョン・ヘイズ、ビヴァリー・トッド、ロブ・モロー 他
ノミネート:【2008年/第32回日本アカデミー賞】外国作品賞
コピー:余命6ヶ月、一生分笑う。



自分本位な富豪の男とマジメな自動車整備士が、ともに末期のガンで余命6ヵ月と宣告されたのをきっかけに、死ぬ前にやり残したことを実現しようと2人で病院を抜け出し冒険の旅に出る…というストーリー。

最近、某バラティ番組で泣ける映画として紹介されていたが、私の泣けるツボには一切引っかからなかった。実際に同じ状況になったら、自分も彼らのように案外淡々としているだろうなと、すっかり共感してしまって、逆に冷静に見てしまった(つまらなかったという意味ではない)。私の感受性が低いのだろうか。心が熱くなる場面は
あれど、正直、“泣く”という感情に至る場面がどこあったのかぜんぜんわからない。

原題は“棺桶リスト”の意味で(一人がすっぽり入る容器という意味)、もちろんそういう邦題にするわけもないし、原題のままでは意味が伝わらないだろう(配給会社も悩んだと思う。私なら、原題にプラスして副題として今回の邦題をつけたかな)。ただ、コピーを含めて、ちょっと重い映画と勘違いされ、敬遠する人もいるだろう。
本作は、死を扱いつつ、且つ大富豪という非現実的な設定を扱っているにもかかわらず、重くも荒唐無稽にもなっていない。ロブ・ライナー監督は、ここ15年くらい目立ったヒット作もなかったと思うが、ベテランの味を発揮した、いい仕上がりになっている。冒頭の山を登っているときのナレーションがモーガン・フリーマンで…というのが、じつはひっかけになっている(ネタバレになるので言わないが)、というのが、おもしろい。結構お気に入りの演出だ。単純でズルい手かもしれないが、けっこう効果的だったと思う。

ただ、ロケーション(CG含む)や、豪華二大俳優の演技のすばらしさを差っぴくと、“及第点”というか置きに言ったストライクという感は否めない。というと、否定的な評価に聞こえるかもしれないが、逆に言えば、性別や年齢を選ばず、大抵の人がおもしろいと感じる映画だと思うので、観るものが無いなぁ…という時には、選ぶとよい。ハズレにはならないと思う。

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image0044.png公開年:2003年  
公開国:アメリカ
時 間:101分  
監 督:シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ
出 演:ハービー・ピーカー、ポール・ジアマッティ、ホープ・デイヴィス、ジェームス・アーバニアク、ジュダ・フリードランダー、マディリン・スウィーテン、ジョイス・ブラブナー、トビー・ラドロフ、ドナル・ローグ、モリー・シャノン、ジェームズ・マキャフリー、ジョシュ・ハッチャーソン 他
受 賞:【2003年/第38回全米批評家協会賞】作品賞、脚本賞(シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ)
【2003年/第70回NY批評家協会賞】女優賞(ホープ・デイヴィス:「Secret Lives of Dentists」に対しても)、新人監督賞(シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ)
【2003年/第29回LA批評家協会賞】作品賞、脚本賞(シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ)
コピー:あなたを“輝かせて<スプレンダー>”くれる人が、きっと見つかる

外見も性格も難ありの男が、自分の日常をコミックにしようと思い立ち、友人のロバート・クラムに作画を頼み、コミック“アメリカン・スプレンダー”を創刊すると、予想以上の評判を呼び…という、ストーリーだが、パッケージの写真やコピーを見ると、冴えない男の恋愛ストーリーなのかと思ってしまう。全然違う。こういうミスリードは良くない。もうちょっと売り方というものを考えてほしいものだ。

なかなかユニークなキャラクターを思いついて、それを手の込んだ手法で見せてくれた面白い作品だったので、お薦めしようとしていたのだが、実は、ちょっとした衝撃があった。本作が伝記映画であること、つまり実話をベースにした物語であることを、観終ってから知ったのだ。
私は、アメリカン・スプレンダーという漫画も架空だと思っていたし、原作者がナレーションを入れるホワイトバックのシーンも一つの表現テクニックだと思ったし、TV出演時の映像が本人らしき人に変わるのもセンスのいい演出だと褒めようと思っていた。実際の映像だったとは。

逆に実話ベースでがっかりという感も否めないのだが、おもしろいものはおもしろいと認めよう(前にも言ったが、ちょっと壊れ気味の人間が好きなので、そういうバイアスがかかってはいるが)。これが、すべてフィクションだったらすごい作品だと絶賛されていただろうね。

それにしても、なんとも興味深い人生なのだろう。生きがいというものを持っているからといって、それだけで幸せになれるというわけではないけれど、それがあるかないかの差は大きいということを、強く感じさせてくれた作品。不思議な清清しさすら感じさせてくれる。
アメリカ映画というよりも、カナダ人がつくった映画っぽい雰囲気がある本作。お薦めする。

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b5ed082f.Png公開年:2000年  
公開国:アメリカ
時 間:123分  
監 督:ミミ・レダー
出 演:ハーレイ・ジョエル・オスメント、ケヴィン・スペイシー、ヘレン・ハント、ジェームズ・カヴィーゼル、ショーン・パイフロム、ジョン・ボン・ジョヴィ、アンジー・ディキンソン、ジェイ・モーア、デヴィッド・ラムゼイ、ゲイリー・ワーンツ、コリーン・フリン、マーク・ドネイト、キャスリーン・ウィルホイト 他
コピー:きっかけはここにある!



ケヴィン・スペイシー演じる社会科の先生が出した“世の中を良くするためにはどうしたらいい?”という課題に、ハーレイ君演じるトレバー少年が思いついた方法は人から受けた好意を別の三人へ回すというもの。
公開当時のCMも、この方法で世界が変わっちゃう感動作みたいなニュアンスだった記憶があったので、世の中の人がどんどん感化されていくのを楽しんで観るような、ファンタジー要素もありの映画なのかなと思っていたが、そんな展開にはならず。クセものだらけの人間ドラマだった。

そういう先入観が悪かったのかもしれないが、いつどっちの方向に展開するのかな?という目線でずーっと観続けることに。結局、大して展開はしないまま最後まで進むのだが…。本筋と並行して進む記者のハナシも、いまいちじゃまくさいし、『ライフ・オブ・デビットゲイル』ばりのラストも、たしかに衝撃的かもしれないが、冷静になれば、結局何がいいたいのか、よくわからない。

加えて、なんともガッカリさせてくれたのは、ハーレイ君の演技。母親に叩かれた後の顔。『シックス・センス』でも『A.I』でも同じ顔をしていたな。人間の脳というのは別の記憶がひょんに繋がると、笑いになることがある。ハーレイ君のあの顔がでてくると、笑いどころか、くっだらない駄洒落を聞かされた感じになる。子役にこんなことをいうのは酷かもしれないが、彼の役者としての限界見たり。

かといって、そこそこ楽しめたのは、ケヴィン・スペイシーの演技のおかげ。凡作を彼に救われたといったところだろう。心に傷のある人、それも“現代の狂気”的な感じを演じさせたら、もう、彼の右に出る人はいない。

さほどお薦めできる作品ではないが、駄作をここまで持ち上げたケヴィン・スペイシーの演技だけでも、観る価値はあるだろう(駄作になってしまった(笑))。何か深い意味やテーマがあると思わないで観ればよいだろう。『この森で、天使はバスを降りた』のような作品がOKの人は、本作もアリだろう。

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image0428.png公開年:2005年  
公開国:アメリカ、フランス
時 間:122分  
監 督:トミー・リー・ジョーンズ
出 演:トミー・リー・ジョーンズ、バリー・ペッパー、ドワイト・ヨアカム、ジャニュアリー・ジョーンズ、メリッサ・レオ、ドワイト ヨーカム 他
受 賞:【2005年/第58回カンヌ国際映画祭】男優賞(トミー・リー・ジョーンズ)、脚本賞(ギジェルモ・アリアガ)
コピー:俺が死んだら故郷ヒメネスに埋めてくれ


ある日、メキシコからの不法労働者のメルキアデスが他殺死体で見つかる。トミー・リー・ジョーンズ演じる親友のカウボーイのピートは、その犯人が新任の国境警備隊員マイクだと知ると、彼を拉致して、メルキアデスの死体を掘り起こさせ、彼の故郷メキシコへ埋葬するための旅に出る…というストーリー。

脚本は、『21グラム』のギジェルモ・アリアガだが、本作は、時間軸バラバラのフラッシュ編集ではない。やはり『21グラム』の極端な編集は、監督の仕業だったに違いない。

なぜそこまでして、親友をメキシコに埋葬しなければいけないか?友情か、哀れみか、それとも何か別の理由が?という感じで引っ張っていくのだが、それが徐々に解っていくほど、心の中から聞こえる、カサカサとさびれた音が大きくなってくるようだった。

ダイナーの女に対してピートが電話で求婚したときに、女が返した言葉「どうせあなたにはわからないわよ」。そしてラストシーンで、立ち去るピートにマイクが投げかける言葉「一人で大丈夫か?」。結局、人間は孤独なのだなということをいやでも浮き彫りにする台詞たちで、本作は溢れている。
さびれた街の住人たちは、人間が孤独なんてことは百も承知で、それを補うかのように繋がりあってるだけであると、自らはっきり認識している。しかし、登場人物の中で唯一、ピートだけが、人間の繋がりの中にやすらぎがあると思っているのだ。ダイナーの女は、何が「どうせあなたにはわからないわよ」といっているのか。私が旦那を愛する気持ちがあなたにはわからないといっているのではない。あなたは本気で人と人との繋がりの中に愛や安らぎがあると思っているけど、所詮、人間はすべて孤独なのよ。その上で繋がっていることがあなたには判らないのね…と言っているのだ。最後のサムも、人間はすべて孤独であるということを噛み締めてしまったピートの背中を見て、哀れんでいる。

『21グラム』のときもそうだったが、登場人物の心はすべて孤独だ。ギジェルモ・アリアガの人間観なのだろう。共感はしたくもないが否定もできない。ただ、心で鳴るカサカサが、必ずしも不快かというと、そんなことはない。何かあなたにも通ずるものはあるはずだ。皆さんもこのカサカサを味わってほしい。お勧めの作品だ。さすがカンヌ脚本賞。トミー・リー・ジョーンズがシナリオに惚れ込んで、自ら製作・監督に乗り出したのもうなずける。

ただ、女性はどういう感想を持つのだろう。その点は、興味がある。

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image0003.png公開年:2001年  
公開国:アメリカ
時 間:133分  
監 督:ジェシー・ネルソン
出 演:ショーン・ペン、ミシェル・ファイファー、ダコタ・ファニング、ダイアン・ウィースト、リチャード・シフ、ロレッタ・ディヴァイン、ダグ・ハッチソン、ローラ・ダーン、スタンリー・デサンティス、ロザリンド・チャオ、ケン・ジェンキンス、ウェンディ・フィリップス、エル・ファニング 他
受 賞:【2001年/第7回放送映画批評家協会賞】若手俳優賞(ダコタ・ファニング)
【2001年/第26回日本アカデミー賞】外国作品賞
コピー:いっしょなら、愛は元気。/いつも、一緒にいたい。それが何よりも大切なこと。全米が涙した、無垢で純粋な愛の感動作。

7歳の知能しか持たない父親サムは、スターバックスで働きながら一人で愛娘ルーシーを育てていた。しかし、家庭訪問に来たソーシャルワーカーによって養育能力なしと判断され、ルーシーと離れて暮らすことに。どうしてもルーシーを取り戻したいサムは、女性弁護士リタのもとを訪ねるが、を雇うお金などあるわけもなくあっさり断られてしまう。しかし、諦めきれないサムは…というストーリー。

公開当時、お涙頂戴映画として批判もあった本作。初めて観たときは、サムの行動に胸が痛くなったり、そんなことあるわけないじゃんと思いイラっときたり、それらが、泣かせにかかっている演出に思えて、純粋に楽しめなかった。でも、どうしても引っかかることがあって、しばらくたって再度観たのだが、根本的に、そういう見方自体は正しくないと思った。

まず、親子の絆で泣かせることを目的としているなら、本作のような設定にするのは有効とは思えない。
何を言いたいかというと、自閉症傾向の知的障害者で7歳児程度の知能の持ち主が、7年近くも、行政の目をかいくぐり、子を育てながら都市生活を営んでいるという状況がすでに、無理があるということだ。こんな状況がありえるのだろうか。一度も病気になったり検診を受けたり、なんらかの保護を受けるために、行政と接触することはなかったのだろうか。子供の安全を考えれば保護者として適当でないのは明らかだし、7歳になって初めて問題になるなどとは考えにくい。
たとえ、ショーン・ペンやダコタ・ファニングの演技が涙を誘うに十分なほど絶品だったとしても、リアリティのない設定ならば、その効果も半減してしまう。効果的に親子の絆の深さを見せ付けたいならば、もっとリアルな設定にしたほうがグっとくるはずである。自閉症の程度がもっとギリギリの線であるとか、これまでは公的に認められるような別の親族がいたが、その人が大病や事故で無くなってしまったが行政はしばらく気付かないとか、より有り得る設定に近づけることはいくらでもでるだろう。
いくらフィクションとはいえ、本作の設定は、童話のレベルといってよいのではないか。

でも、あえてリアルな設定にしていないのだから、お涙頂戴を目指している映画ではないのだ。つまり、ここで、リアリティがないと憤慨するのは間違っており、都会のファンタジーと捉えなければいけない。では、泣ける親子愛を見せる映画でないとすると、この映画は何を見せたいのであろうか。

それはおそらく、「ニヒリストVS.そうでない人」闘いの映画であると考える(そんな仰々しいテーマであるわけがない、、とお思いになるだろうが)。ニヒリストとは人生の意味なんてないと思っている人。サムは、自分の人生の意味は何か?と聞かれても多分答えられないだろうけれど、自分の人生に意味があること自体は疑ってもいないだろう。対して弁護士さんは、自分が社会的な存在意義のある人間であることは確信しているだろうけど、自分の人生が本当に意味のあるものだと思えているかは、甚だあやしい。一昔、ベストセラーになった養老孟司『バカの壁』の中に、麻薬中毒患者の100%が「自分は無意味だ」と考えていた…という記述があった。そういう社会の対極にいる存在がサムという訳。
途中で、サムと弁護士さんの、生きる意味に対する考え方が逆転しちゃったりすることもあったりして、そういう対立軸で綴られているのは明確だと思う。

とにかく、これは、現代の都会のファンタジーだということを、心に留めて観さえすれば、つまらないことに引っかかることなく、心地好いカタルシスを感じることができる。お勧めします。
 

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image0870.png公開年:2003年  
公開国:アメリカ
時 間:124分  
監 督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出 演:ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロ、シャルロット・ゲンズブール、メリッサ・レオ、クレア・デュヴァル、ダニー・ヒューストン、ポール・カルデロン、デニス・オヘア、エディ・マーサン、アニー・コーレイ、トム・アーウィン、キャサリン・デント、ケヴィン・H・チャップマン 他
受 賞:【2003年/第60回ヴェネチア国際映画祭】男優賞(ショーン・ペン)
【2003年/第29回LA批評家協会賞】女優賞(ナオミ・ワッツ)
コピー:誰もがいつか失う重さ。

余命一ヶ月と宣告され、心臓移植を待つ大学教授・ポール。それを知った妻は、彼が死ぬ前に子供が欲しいといわれ動揺する。前科者のジャックは、今では改心し信仰に篤く、クジで当たったトラックも神からの授かり物と信じるほどで、貧しくも懸命に家族を養っていた。かつてドラッグに溺れていたクリスティーナは、今では薬物を縁を切り、優しい夫と2人の娘と共に幸せに暮らしている。そんな出会うはずのない3人が、ある事故をきっかけに交わりを持ち…というストーリー。

最近は陳腐化したのか、めっきり減ったが、時間軸をごちゃまぜした作品(というと怒られるかもしれない)が、連発された時期があった。『パルプ・フィクション』の成功が火付け役だろう。『メメント』は設定上、その手法が必然だったが、本当にこの手法は必要なのか?という作品もあれば、パクリといわれるのを嫌ってか、小さく限定的に使った作品もある。本作は、顕著にこの手法を用いている。
『パルプ・フィクション』より9年も後の作品である。その間に、散々この手法の作品を見てきたので、「またかよ…」という気持ちが先にに立ってしまった。正直、飽きている。

『メメント』のDVDには、特典として、時間軸を正しい方向で見るモードが付いている。多分、普通に見ても、結局、真実がなんだったかよくわからなかった人のための、お遊びなのだが、おもしろいことに、正しい時系列で見たからといって、さほど、すっきり明解になるわけでもないのだ(もちろん、おもしろくもない)。それは、『メメント』の場合は、クリストファー・ノーラン監督の頭の中に、編集後の時系列が逆転した状態のイメージができていた上で、製作されていという証拠だろうと思う。では、本作はどうだろう。おそらく、ギジェルモ・アリアガの脚本の段階では、この編集のイメージはなかったと思われる(このような編集をすることを知っていたか否かも疑問。実際どうなのか非常に興味があるが、確かめる術はなし)。

ギジェルモ・アリアガは、『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』『バベル』などを手がけているが、一貫して「命の重さ」的なテーマを扱う(それらのレビュは、別途書く)。本作も重いテーマの作品なのだが、このような編集をしていなくても充分おもしろいシナリオだと思う。かといって、正しい時系列の編集だったら、もっと面白くなったとは、いいきれない。むずかしいところだね。
ただ、少なくとも、ここまで細切れにしなくてはいけない理由は見当たらない…。ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロ、3人の演技は鬼気迫るものがあった。シナリオの重さを受け止めきった、いい仕事をしたと思う。特にデル・トロの特異ともいえる顔力は(そんな言葉があるかどうかは知らんが)、本作のテーマに非常にマッチしていた。しかし、「ん?ん?どういうこと?」「どっちが先?」と、あまりに短いシーンがフラッシュバックばりに挿入されるので、勝手に脳が流れを理解しようと躍起になってしまい、ストーリーに没頭しようとしても意識が削がれてしまうことが多かった。世の中にはこの編集を絶賛している人もいるのだが、私にとってはやりすぎで逆効果。

また、シナリオでいまいち腑に落ちなかった点もある。ショーン・ペン演じるポールが、なぜ、脱法してまでドナーを知りたがったのかという点が、よくわからなかったので、彼の行動に理解も感情移入もしにくかった。そういう性格の人なのだろうだから、しょうがないでしょといわれてもこまるのだ(説明されていたのかもしれないが、私は気付かなかった)。もしこの点がうまく盛り込まれていたら、より面白くなったかも。

さて、本作はどういう人が楽しめるだろう。気持ちが沈んでいる人はますます沈んでしまうだろう。テーマは重いのだけど、哲学的か?といわれると、そこまででもない(命ってなんなんだろうねって、放り投げられちゃった感じがしなくもない)。泣ける訳でもないし。謎解き的なすっきり感があるわけでもないし。難しい。

重いテーマで且つ極端な編集という特徴に興味が沸いた人はみてくれればいい。典型的なハリウッド作品に飽きた人も、気分転換になるかもしれない。でも、是非観るべきと薦めまではしない。

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クボタカユキ
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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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