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image1320.png公開年:1993年 
公開国:アメリカ
時 間:189分  
監 督:ロバート・アルトマン
出 演:アンディ・マクダウェル、ブルース・デイヴィソン、ジャック・レモン、ジュリアン・ムーア、マシュー・モディーン、アン・アーチャー、フレッド・ウォード、ジェニファー・ジェイソン・リー、クリス・ペン、リリ・テイラー、ロバート・ダウニー・Jr、マデリーン・ストー、ティム・ロビンス、ロリ・シンガー、ライル・ラヴェット、バック・ヘンリー、ヒューイ・ルイス、リリー・トムリン、フランシス・マクドーマンド、マイケル・ビーチ 他
受 賞:【1993年/第50回ヴェネチア国際映画祭】金獅子賞(ロバート・アルトマン)、特別賞(出演者全員)
【1993年/第28回全米批評家協会賞】助演女優賞(マデリーン・ストー)
【1993年/第51回ゴールデン・グローブ】特別賞
【1993年/第9回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、監督賞(ロバート・アルトマン)、脚本賞(フランク・バーハイト、ロバート・アルトマン)

メド・フライと呼ばれる害虫を駆除するため、駆除剤散布のヘリコプターが市街地を飛び回る。
一方、地上では、些細なことから生じる人生の出会いと別れ、葛藤と和解、愛と裏切り、生と死が繰り広げられる…というストーリー(?)

冒頭の謎の害虫とヘリによる駆除剤散布のシーンから、SFチックな展開を予測したが、そんな展開は一瞬でどこかに消え、群像劇(本当に多数の登場上人物による)が繰り広げられる。各ストーリーは軽くカラミつつもバラバラに進み、かつ3時間以上ということもあり、まったくもって次の展開が読めない。出てくる人物は、実に俗っぽくショボく、行動も小市民極まりない。この雑多な小話をどうまとめていくのか?ヘリ散布との関係は?観ているほうが、大丈夫か?!とドキドキしてくる。

まあ、結局は、『マグノリア』の蛙シャワーみたいなもんで、これでうまく収束したといえるのかどうか、甚だ疑問なところ。駆除剤散布はなんだったのか。薬がみんなをちょっとづつ狂わせたとか?
まあ、とにかく、独特です。アルトマン節とでもいうんですかね。
1994年の作品とは思えないほど、古臭さをまったく感じない仕上がり。本作の監督は、2006年にお亡くなりになったとのことで、実に惜しい才能である。『M★A★S★H マッシュ』や『今宵、フィッツジェラルド劇場で』を観てみようと思う。

とにかく長いことと、吹き替え音声なしで字幕のみという難点はあるものの、脚本の“妙技”を是非観てほしいという意味で、軽くお薦めしておく。ジュリアン・ムーアやらティム・ロビンスやら、さりげなく出演人が豪華なのも興味深い。
たまに人物の区別がつかなくなって混乱することがあるので、声や台詞まわしで区別をつけたいところだ。是非、吹き替え音声を付けて、再販してほしいのだが、TV放送には向かない諸々の理由があるので、無理かもしれないな。

#出てくる電話番号が555~じゃないのだが、これはありなの?

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image0807.png公開年:1999年 
公開国:アメリカ
時 間:127分  
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:クリント・イーストウッド、イザイア・ワシントン、ジェームズ・ウッズ、デニス・リアリー、ダイアン・ヴェノーラ、リサ・ゲイ・ハミルトン、ディナ・イーストウッド、ルーシー・アレクシス・リュー、シドニー・タミーア・ポワチエ、フランチェスカ・フィッシャー=イーストウッド、マリッサ・リビシ、エリック・キング 他
コピー:人である前に、男でいたい。


新聞記者エベレットは死刑囚に死刑執行直前のインタビューを行うことに。自分の“カン”を何よりも信じるエベレットは彼が無実であることを確信し、事件の洗い直しを始めるが、執行までに残された時間は既に半日を切っており…というストーリー。

パッケージ写真やコピーや紹介文を見て、『デッドマン・ウォーキング』的なものを想像していた。なんといっても“社会派ドラマ”と紹介されているのだから。文面通り受け取って、これまで食指が動かなかったのだが、『グラン・トリノ』がアリだったので、エイヤーで観てみることに。
ところがどっこい、これを社会派と呼ぶか?私は違うと思うぞ。死刑と冤罪という重いテーマながら、ふつうにドキドキありアクションありの、エンターテイメントドラマになっている。

#それにしても、本作のコピーは、的外れだけど。

『裸足の1500マイル』で、社会的なテーマの作品が、映画としての本分を忘れ、直接的にテーマをぶつけて、残念な結果になってしまったのにがっかりしていたので、本作を観て溜飲が下がった。なにやら『デッドマン・ウォーキング』のアンチテーゼというか(まあ、そういうつもりは更々無いとは思うけれど)、底辺にどんなテーマが流れていても、まず映画は映画であるべき!という姿勢を評価したい。

決して、手放しで傑作だというつもりはないのだが、娯楽映画として色々伏線も張れているし(死のカーブを最後にもってきたところとかね)、私は最後まで楽しめた。なにやら『ダイハード』とか『リーサル・ウェポン』に通じるダメ人間が演じる、“粋”さ加減も感じられる。ということは、それらの作品と同じように、ほとんど受賞しない作品ということではあるのだが…。でも、もし、私と同じように“社会派ドラマ”だと思い込んで、敬遠している人がいたら、それはまったく違うので、是非観てほしい。お薦めする。

#最後にでてくる、ルーシー・リューは、なかなか初々しい。

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image0443.png公開年:2003年 
公開国:ドイツ
時 間:135分  
監 督:ラモン・サラサール
出 演:アントニア・サン・ファン、ナイワ・ニムリ、アンベラ・モリーナ、ビッキー・ペニャ、モニカ・セルベラ、エンリケ・アルキデス、ダニエレ・リオッティ、ルドルフォ・デ・ソーザ、ロラ・ドゥエニャス 他
コピー:靴の数だけ,人生がある



高級靴店の店員をしながら靴デザイナーを目指す23歳の女。49歳のキャバレーの雇われママの夢は小説家になることだが、知的障害者の娘の世話に追われている。その25歳の知的障害者の娘は看護士に恋心を抱く。43歳のタクシードライバーの女は、夫が急死してから10年、3人の夫のつれ子ため生きている。高級官僚の妻である45歳の女は、子宝に恵まれず、その孤独を癒すため高級靴を買い漁る。そんな女たちのストーリー。

キャラクターが多数登場するが、あまりキャラクターが立っていなくて(特に若い女が)、いまいち区別がつきにくく、混乱…というか、ちょっといらいらする。
『8人の女たち』には8人の女が出てきたけれど、キャラが立っていたので、容易に区別がつきましたがね。話が進むと、それぞれの女たちが、バラバラではなく、関係性があることがわかってくるが、絡んだからといって、何かおもしろい展開が産まれるわけでもない。
こういう作品は、ほつれたそれぞれの糸が、ストーリーが進むにつれて絡み合って、撚られた糸が次第に独特の色を表してくるものだが、ラスト15分くらいから、急速に撚られる本作の糸は、ぼそぼその糸だ。

単に、悲惨な状況の女達を見せられただけで、ラストでなにか、希望を感じさせてくれて、観ている側が元気になるというようなこともない。

邦題に“靴”をもってくるほど、“靴”は本作において重要ではない。冒頭のキャラクター紹介の時に、足に絡めながら紹介していくが、それが特段いい効果を生み出しているわけでもないし、後々なにかに効いてくるわけでもない。どうも、本作公開時のポスターを観ると、靴を前面に出している様子はなく、原題の『Piedras』も「石」という意味。なんか、日本の配給会社が、ウリ文句を考える際に、それっぽくつけただけのようだね。

こういう作品がつづくと、疲れてきますな。本作は観なくて結構。『女はみんな生きている』の5分の1くらいの面白さしかないと思ってもらえばよい。
 

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image0165.png公開年:2006年 
公開国:アメリカ
時 間:128分  
監 督:スティーブン・ザイリアン
出 演:ショーン・ペン、ジュード・ロウ、アンソニー・ホプキンス、ケイト・ウィンスレット、マーク・ラファロ 他
コピー:善は、悪からも生まれる。




郡の出納官を務める実直な男ウィリーは、小学校建設に絡む役人の汚職を告発して逆に自分が職を追われた。やがてその小学校で欠陥工事が原因の事故が起こり、ウィリーは一躍注目の存在となり、それに目を付けた州の役人に担がれ、知事選に出馬することとなった。しかしそれは、対立候補の票を割るための策略で、ことの真相を知ったウィリーは、演説原稿を破り捨て自分の言葉で聴衆に語り始めると、貧しい人々の心を打ち、勝利を収め知事の座を射止めるのだったが…というストーリー。

どうも1949年に同名の作品があって、それのリメイクらしい。原作はピュリッツァー賞を受賞しているということらしいので、実話らしい(元の作品は観たことなし)。

それにしても、まったくもってピントのボケた作品だ。まず、実直だったウィリーが、騙されていたことを知り、開き直って、自分の言葉で演説しはじめて、当選するまでの流れは理解できる。しかし、実直だった彼が当選した後、なんで、あんな独善的で俗物な人間に堕ちていったのか、そのプロセスがまったく腑に落ちない。単に権力を握ってしまったら変貌したようにしか見えないのだが、理由の説明もないので、元々そういう資質だったと思うしかない。

ところが、リメイク元のストーリーを調べてみると、二回落選することで理想主義に挫折する…という、立派な理由があるらしいのだ。なんで、リメイク版では、こんな風に変えてしまったのだろう。

もう一人の主役級の、ジュード・ロウ演じるジャックだが、このキャラクターにまつわるストーリーが、何の効果を期待して盛り込まれているのか、さっぱりわからない。
これも、リメイク元は、彼の目線でストーリーが語られているようで、狂言回しのような役どころらしいのだが、本作では、純粋に単なる登場人物でしかない。そのせいで、ショーン・ペンに注目すればいいのか、ジュード・ロウに注目すればいいのか、いったいこの作品は何を見せたいのかさっぱりわからなくなっている。ジャックの恋する人物の顛末には、なんの意味があるのか…。アンソニー・ホプキンスのくだりは、結局、ストーリー上、どういう効果をもたらそうと思って入れられているのか…(イライラしてくるなぁ)。

この作品は、ショーン・ペン演じるウィリーが俗物に落ち、傍若無人に振る舞い、悪人のように見えながらも、それが人間の本性かもしれない…と考えさせることが目的の映画だろう。さらに、そんな人物でも、権力者として祭り上げてしまう民主主義の脆さというものを、揶揄したいのだろう。
そういう意味では、今の日本人だって、民主主義とは“多数決”で決めるものと思っている人が大半なのだから、こういう人物の生涯を見ることは反面教師として有益なはずなのだ(ちなみに民主主義とは、とことん議論を尽くして、折り合いがつかない場合は、いつまでもモメていると公益を損ねるので、最終的手段として多数決を行って決定する制度のことである)。

でも、そんなものを表現しようとは、本作からは微塵も感じられない。このリメイク作品からは、何のテーマも見えない。そういう主軸を据えようという意識が明確だったなら、こんなバカで、ボケたストーリーにはならない。『レナードの朝』『ボビー・フィッシャーを探して』『シンドラーのリスト』『今そこにある危機』『ミッション:インポッシブル』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『ハンニバル』という名作を送り出したの脚本家なのだが、なんで、本作だけ、こんなに駄作なんだろう。監督/製作/脚本と、色々、やりすぎたことが原因だろうか。

なんで、こんな作品にショーン・ペンは出ちゃったのだろう。おそらく、あの作品をリメイクするという時点で仕事を請けたか、全然ダメな作品なのは判っていたが、逆にオレの演技で成立させたやろうという役者根性はどちらかである。
ジュード・ロウにいたっては、ショーン・ペンが出るっていうから出てみた…くらいのノリかもしれない。

久々だが、本作を観ることは時間の無駄である。駄作の極みである。
#本作の汚名を濯ぐために、『ミルク』に出たんじゃなかろうか。

 

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image0358.png公開年:2002年 
公開国:アメリカ
時 間:109分  
監 督:マイケル・ホフマン
出 演:ケヴィン・クライン、エミール・ハーシュ、エンベス・デイヴィッツ、ロブ・モロー、エドワード・ハーマン、ハリス・ユーリン、ポール・ダノ、、リシ・メータ、ジェシー・アイゼンバーグ、ジョエル・グレッチ、スティーヴン・カルプ、ラフール・カンナ、パトリック・デンプシー 他



長年に渡って全寮制の男子校で歴史学を教えていたハンダートは、引退後の余生を送っていたある日、25年前の卒業生で今では大企業のトップとなったベルから招待を受ける。それは、ベルが生徒の頃に苦杯をなめた同校の伝統行事“ジュリアス・シーザー・コンテスト”の再戦を主催するためだった。ハンダートは、転校生だったベルが徹底的に彼に反抗した、苦い思い出が鮮明に甦るのだった…というストーリー。

私は『陽のあたる教室』が好きである。本作も先生モノなので、同様のテイストの期待をしたが、まったく裏切られた。ありがちな所で言えば、ちょっと他とはノリの違う先生が、問題のある生徒に苦労しながら、諸々の困難を乗り越えて、最後はカタルシスの波があふれるラストで終わるというところだろう。ありがちな展開かもしれないが、基本的に、先生モノに観ている側が求めるのは、そういうところだ(『スクール・オブ・ロック』でさえ、基本的はこれだろう)。

しかし、残念ながら、本作はモヤモヤで終わる。それも実に不快なモヤモヤだ。内容を言ってしまうとネタバレもいいところなので伏せるが、鳥肌が立つようなラストとは程遠い。

一点だけ、参考になったのは、たった一つの失敗でクヨクヨしないで、それはそれとして前向きに進むべきだ…ということだけである。私も、性格的に、一つ失敗すると、すべてイヤになって投げ出したくなるタイプなので、その点については、身につまされたことは認めよう。
だが、そんな教訓まかしいことを表現するために、わざわざ映画を一本つくる必要があるだろうか?

本作には、虫の好かない腹立たしい教え子が登場し、憎まれっ子世にはばかるといった具合に扱われており、その生き方を批判している。人間とは本来、実直であるべき…という、主張である。
では、言わせてもらうが、本作は、“映画”の本来あるべき姿を見据えて作られていますか?と問いたい。“映画”とは本来、人を楽しませたり、心を動かしたりするものでないだろうか。本作には、そういう根本的な映画の使命をまっとうしようという姿勢が欠如している。そこそこ面白い原作を映画という形にしただけであろう。人間のあるべき姿について説教をたれる前に、自分がつくっている映画が、どんなものか見つめなおすべきである。どの部分を、観客に「おもしろい!」と感じさせようとしているのか、さっぱりわからない。

TVドラマとして世に出して、受け入れられるかどうかのギリギリの線といったレベルである。
本作は観なくてよい。ストーリー構成、選出、演技、どれを取っても、特段に評価できる部分はない。“味”の無い映画だと思う。こんなことを言うのは失礼かもしれないが、才能のある監督とは到底思えない。

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image0034.png公開年:2002年 
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:138分  
監 督:ポール・ウェイツ、クリス・ウェイツ
出 演:ヒュー・グラント、ニコラス・ホルト、レイチェル・ワイズ、トニ・コレット、シャロン・スモール 他
ノミネート:【2002年/第75回アカデミー賞】脚色賞(ピーター・ヘッジズ、クリス・ワイツ、ポール・ワイツ)
【2002年/第60回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、男優賞[コメディ/ミュージカル](ヒュー・グラント)
【2002年/第56回英国アカデミー賞】助演女優賞(トニ・コレット)、脚色賞(ピーター・ヘッジズ、ポール・ワイツ、クリス・ワイツ)
【2002年/第8回放送映画批評家協会賞】若手俳優賞(ニコラス・ホルト)
コピー:38歳のウィルにとって人生はきわめて単純なものだった。そう、12歳の少年マーカスと出会うまでは――

亡き父がクリスマス・ソングを一発ヒットさせた印税で、気楽な独身生活を送っているウィル。ある日、12歳の少年マーカスと出会うが彼はシングルマザーのフィオナの鬱病に悩んでいた。そんな矢先、フィオナが自殺を図り、幸い事なきを得るも、母をこれ以上一人にしておけないと考え、ウィルと母をくっつけようと画策。マーカスは次第にウィルのアパートに入り浸るようになり、ウィルは生活のリズムを狂わされ困惑するが…というストーリー。

兄弟監督。コーエンやウォシャウスキーのように、欧米では兄弟監督というのが、結構いるが、日本はもちろんアジアではまったく聞かない。兄弟間の繋がりの質が違うのだろうか(文化的な興味はあるが、映画とはあまり関係なさそうなので、今は深く追求しない)。

観はじめて20分で、設定的に『ファイト・クラブ』との共通点が気になってしまった。
そこそこの年齢の男が、それなりの収入があり自由に暮らしを謳歌し、満たされない欲望を満たすために市井のセミナーに身分を偽り参加する…という共通点。
もちろん、片方はコメディだから単純に比較する意味はないと言われそうなのだが、『ファイト・クラブ』のキャラにはなにやら魅力というか引っかかるものを感じるのに対して、本作のキャラは魅力を感じないという、大きな差があると感じる。

私が思うに『ファイト・クラブ』の場合は、設定自体(独身でそこそこ高収入のサラリーマン)は至極普通でなのだが、家具に異様にはまるなど、行動はちょっと奇異。しかし、まあ方向性が違うだけで、自分もそういうところがあるかも…という感じで、興味が喚起される。
本作は、親の印税で無職という、ほぼあり得ない設定だが、行動については、まあそういうシチュエーションなら自分もそうするかも…と、そこで納得してしまい、それ以上の興味は喚起されない。
映画の主役キャラを設定する場合に、観ている側が感情移入できるように、“普通”のキャラにしようという試みがなされると思う。しかしこの“普通”の捉え方が曲者ということだ。ひとつ勉強になったのだが、本当に“普通”(つまり我らとまったく同じ)では、それでおしまい。同じようだが微妙にズレがあるという線でいかないと、興味を継続させて引っ張ることはできないということなのだ。

ということで、本作の前半は、ドラマとしてもコメディとしても、見ている側を引き込ませる力がない。その証拠に、私は始めの20分までに3度も観るのをやめて、他作品を観た。
さらに半分を超えても、ストーリーはさほど動きはじめないし、終盤に繰り広げられる恋愛もさほど魅力的ではない。加えて、ヒュー・グラントと子供のストーリーは絡み合っているように見えて実のところバラバラで、こちらの意識は分散される(ようするに集中できない)。終盤のステージまでの展開も、もうちょっとうまくやればもっと盛り上がって、なかなかのカタルシスを得られる結果になったと思うのだが、そうはならなかった。そして、とっちらかった状態のままで終焉を迎える。もっとどうにかできたに違いないという、残念さを禁じえない。
個人的な理由だが、前にも書いたようにレイチェル・ワイズは、好きなタイプではないので、それもイマイチ要因のひとつかも。

結果として、凡作としか表現できない。ただ、一点フォローしておくが、次もこの監督に何かつくらせてみようという気はおきるレベルであることは認める(設定やシナリオの問題であって、監督の力量が不足しているせいではないとは感じるので)。実際に『Mr.&Mrs. スミス』『ライラの冒険 黄金の羅針盤』と、その後そこそこの大作を手がけているのだがら、それにまちがいはないだろう。

アクション映画を観るくらいならラブ・コメディを観るような、ラブコメジャンキーの人は観てください。そうでない人は、特に観てもおもしろいと感じないでしょう。
 

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image0177.png公開年:1997年 
公開国:オーストラリア
時 間:95分  
監 督:サマンサ・ラング
出 演:パメラ・レイブ、ミランダ・オットー、ポール チャブ、パメラ・レーブ、ポール・チャッブ、スティーヴ・ジェイコブス、ジュヌヴィエーヴ・レモン、サイモン・ライドン 他
ノミネート:【1997年/第50回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(サマンサ・ラング)




長い間父親とふたり暮らしのへクターのもとに、家政婦として若い娘キャスリンがやってくる。やがて父は死に、その遺産で贅沢三昧の日々を楽しむヘクターとキャスリン。そんなある日、酔っぱらって運転していたキャスリンが男を轢いてしまい、ヘクターはその男の死体を庭の井戸に放り込むが...というストーリー。

バイセクシャルを扱い、独特の世界観や映像イメージの統一感があり、オーストラリア製で、且つ1997年の作品と考えれば、なかなか目新しいと当時は評価されていたのかもしれない。
しかし、現在観てみると、技法にこだわって映画のおもしろさをないがしろにしてしまった…と私は断じる。

カンヌにノミネートこそされているが、オーストラリア映画界がハリウッド然としてくることへの反発なのか、ヨーロッパ映画の様態を模倣したにすぎないと考える。
原作はベストセラー作品だったようで、“井戸”もなにかの隠喩らしいのだが、何の隠喩になっているのかさっぱり伝わってこない。本作についての色々な紹介を見ているが、井戸が隠喩的の使われていることは説明されているが、その隠喩が何なのか、ほぼどこにも書いていない。みんなわかった気になってるだけじゃないのか?裸の王様状態か?

まあ、二人の女の間の愛が、その他の欲によってどう変わっていくのか、そういう様を描きたいのだろうから、井戸は女性器の隠喩で、そこの男とお金が落ちるという状況なんだろうが、映画としては全然うまく描けていないのだ。
おそらく原作を味わった人には楽しめたのだろうが、残念ながら予備知識なしで観た私は、ぬるい塩水を飲まされている感覚になってしまった。

すいません。三日連続、つまらない作品で、ダメージをうけております。DVDパッケージの雰囲気やあおりがいい感じなので、完全にだまされた。

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image0366.png公開年:2002年 
公開国:アメリカ
時 間:98分  
監 督:ロジャー・ミッチェル
出 演:シドニー・ポラック、ベン・アフレック、サミュエル・L・ジャクソン、トニー・コレット、シドニー・ポラック、ティナ・スローン、リチャード・ジェンキンス、ウィリアム・ハート、アマンダ・ピート、ケヴィン・サスマン、アンジェラ・ゴーサルズ 他
コピー:たった一度の無謀な車線変更─その瞬間<とき>、見知らぬ2人の男の人生が交差した・・・


ニューヨーク。渋滞するハイウェイの中、裁判所へ急ぐ若手弁護士のギャビン・パネック。一方、親権をめぐる裁判出廷のために裁判所へ向かうドイル・ギプソン。そんな時、先を急いでいたギャビンが突然車線変更したため、隣のドイルの車と軽い接触事故を起こしてしまう。慌てていたギャビンは、ギブソンの示談の申し出を無視してその場を去ってしまうのが、それがその後の二人の運命を左右していく…というストーリー。

二日連続でがっかりなのだが、非常につまらない。先に言ってしまって申し訳ないのだが、今年観た映画で、一番つまらなかった。

とにかく先の展開が読める。百歩譲って読めたことはいいとしても、読めた展開になるまでにくだらない演出をだらだら観せられて、非常に耐え難い。とにかく前半は早送りで観させてもらった。もう、そうでもしないと気が狂いそうである。

ああ、その提出書類とやららが、さっきサミュエル・L・ジャクソンに拾われたやつなんでしょ…と、無いことに気付くまでの間、付き合うのがうざったい。サミュエル・L・ジャクソンが書類を拾ったシーンなんか、気付いた後で差し込むなりすればいいわけで。編集力無さすぎ。

大体にして、黒人に書類を盗まれた!って警察に通報すればいい話だと思う。犯人も捜してくれるし、義父にも説明がつくし、そういう事情なら判事だって考慮してくれるかもしれない。八方まるく収まるじゃないか。
それをしないってことは、文書自体に問題があるからなのか? そうなんだろ? そうじゃないと話おかしいよな! って思ってたんだけど、必死でその書類探すだけ。だったららやっぱり通報するのが一番だし、その手が思いつかないことが不自然極まりない。裁判で小ウソとついたことや義父に言い訳できないとか、それだけじゃ、隠す理由は弱いんだわ。
そう考えたら、残りの時間がくだらなくてくだらなくて。観ていてどうでもよくなってくるのよ。

こんなに着火点の低い奴らに同情のしようがあるわけもなく、共感できないのはもちろんなんだけど、このすったもんだを俯瞰で眺めていてもちっともおもしろくないんだ。そのたいしておもしろくない状況を、引っ張りまわされたあげくに傍で強制的に観せられている気分にさせられる。苦痛極まりない。大抵、どんな映画でも、一部でも共感できたり興味が沸くような登場人物がいるものだが、本作には誰一人として存在しないのだ。もう、本作の世界から逃げ出したい気分になった。

時間が経過するほどに、グダグダな泥仕合になってきて、お互いに強硬手段をとることになる。だけど、ギャビン対ギブソンっていう対立軸と、ギブソン対義父っていう対立軸が、中途半端に多重化しているのが、逆効果。前の対立軸は両者共にクソ人間どうしの争いで、そこまでいったらとことんまでやったらいいじゃん…っていう目線でしかみれないのに対して、後の対立軸はギブソンは正義を貫けるのか!?…っていう目線でみないといけない(むしろ、正義を貫け!って応援しないといけない)。
ギブソンっていうキャラに対して、卑下しながら応援するなんて、そんなアンビバレントな視点を持つのは無理だよ。なんで観客がそこまで強いられなきゃいけないのか。

まあ、もしかして後半になったら劇的な何かがあるかもしれないと、自分に鞭を打って観続けた。しかし、それはあっさりと裏切られる。どういう方向にもっていきたいのかも、さっぱりわからなくなる。前半と同じように諍いを継続したいのか、それとも矛先を義父に変えたいのか、最後のオチにいたっては、それをやったからって見ている側が、ああよかったよかったと感じるとでも思ったか!!!と憤慨したくなるほど。

こんなに演出や構成がグダグダなのに、とりあえず鑑賞に堪えているのは、サミュエル・L・ジャクソンがエキセントリックなキャラをうまく演じているからだと思う。対して、ここが悪いんだ! と明確に指摘しにくいけれど、私にはベン・アフレックの演技が大根に感じる。サミュエル・L・ジャクソンとの負のコントラストが効いているのか公開処刑状態だ。

世の中の評価は決して悪くないようだけれど、個人的には賛同できない。受賞歴が一切ないのも、私は納得。駄作といってよいと思う。実際どうかはしらないが、今後、この監督にまともな映画を作らせようという製作会社はないだろう。いろんな縁で映画作りに携わるという幸運に恵まれたにもかかわらず、時間も資源もこんな駄作で無駄にしてしまって、この監督には、映画の神からバチを当てられてしかるべきだ。

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image1090.png公開年:2005年 
公開国:アメリカ
時 間:105分  
監 督:リーヴ・シュレイバー
出 演:イライジャ・ウッド、ユージン・ハッツ、ボリス レスキン、ラリッサ・ローレット、ジョナサン・サフラン・フォア 他
コピー:世界にはあなたの発見を待っている“もの”がある



ユダヤ系アメリカ人の青年ジョナサンはある日、祖母から、亡き祖父の命の恩人だという女性が写った写真を渡される。彼は、この女性を捜すためウクライナへと向かい、地元の陽気な青年とその祖父をガイドに珍道中を繰り広げられるが、やがて、この土地に秘められた悲しい過去が…というストーリー。

あらすじもなにも知らず、そのほかにも何の情報もインプットせず、ジャケットのイメージだけで、なんとなく借りた。
出てくるキャラクターは、すべてクレイジーな人しか出てこない(犬もかな)。賛同してもらえないかもしれないが、暴力もセックスも反抗も無い『イージーライダー』だと思った。
舞台もキャラ設定も、日本の低予算映画にありそうな感じで、案外、日本人は楽しめるかもしれない。ちょっと紹介や宣伝の仕方を工夫したら、いまさらながら小ブレイクしてもおかしくないように思える。とりあえず、大晦日の深夜に放送してみてはいかがだろう。
#ただ、邦題のセンスは良くないね。内容と合っていない。
目的地につくまでの、淡々とした展開も、妙に笑わせようとしていない感じも好感がもてる(よっぽど、前日に観た『未来は今』がこりたようだ)。

ユダヤ迫害が扱われているが(ワーナーだね)、正面切って戦争反対をテーマに据えているわけでもなく、観終わって振り返っても、ストーリーの主軸とか隠れたメッセージとかは、ちょっと整理できていない。でも、個人主義が少し極端にまかり通っている日本では、なんだかんだ先人の歴史があって、今、僕はここにいるんだよな…ということを気付かせてはくれる良い薬にはなるかも。

風景の美しさが良く表現できている半面、東欧の貧しさというのも(おそらく事実)も表現されていて、歴史も表面的な部分以外に別の面がかならずあることを示唆させる。

以下ネタバレ。

一番難解というか、どういうことなのか考えさせられ戸惑うのは、やはりお爺さんの死だろう。
いままで、半ば無意識だったかもしれないが、過去の事実に目を背けて生きてきた彼。でもなぜか自分の居場所はここではないという違和感を感じ続けていたに違いない。そして、あの日のことを思い出し向かい合わざるを得なくなったことで、自分の居場所が見つかった…という感じだろうか。そしてあの日に死んでいたはずの自分も見つけてしまった。若者の目から見たら、さらに生きるべきだと思うかもしれないが、人間は過去を未整理のまま、ただ忘れて生きることはできないという、含蓄のある一意見として、私は受け止めた。

まったく期待していなかったのでハードルはかなり低かったのだが、けっこう満足できた。ちょっと私にだまされたと思って観てはいかがかな。
 

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image0162.png公開年:1999年 
公開国:スペイン
時 間:101分  
監 督:ペドロ・アルモドヴァ
出 演:セシリア・ロス、マリサ・バレデス、ペネロペ・クルス、カンデラ・ペニャ、アントニア・サン・ファン、ロサ・マリア・サルダ、フェルナンド・フェルナン・ゴメス 他
受 賞:【1999年/第72回アカデミー賞】外国語映画賞
【1999年/第52回カンヌ国際映画祭】監督賞(ペドロ・アルモドバル)
【1999年/第66回NY批評家協会賞】外国映画賞(ペドロ・アルモドバル)
【1999年/第25回LA批評家協会賞】外国映画賞
【1999年/第57回ゴールデン・グローブ】外国映画賞
【1999年/第53回英国アカデミー賞】監督賞[デヴィッド・リーン賞](ペドロ・アルモドバル)、外国語映画賞
【1999年/第12回ヨーロッパ映画賞】作品賞、女優賞(セシリア・ロス)、観客賞[監督賞](ペドロ・アルモドバル)
【1999年/第5回放送映画批評家協会賞】外国語映画賞
【1999年/第25回セザール賞】外国映画賞(ペドロ・アルモドバル)
【2000年/第14回ゴヤ賞】作品賞、監督賞(ペドロ・アルモドバル)、主演女優賞(セシリア・ロス)
コピー:世界の映画賞を独占、世界の女たちが涙した、母から生まれた総ての人たちに贈る感動作。

17年前に別れた夫のことを息子から問われた母マヌエラは、隠していた夫の秘密を話そうと覚悟を決めたのだが、息子は事故で死んでしまう。息子が死んだことを伝えるため、マヌエラは別れた夫と過ごしたバルセロナへと旅立つが…というストーリー。

おすぎさんが、この映画に出会うために産まれてきたとまで書いていたのを読んだことがあるが、そこまで言うなら…と思い、観よう観ようとかねてから思っていた。ところが、ちょっと紹介されているあらすじが重くて、いざ手を出そうというところで、数年、躊躇し続けていたのだ。『コーラス』もそうだが、ここのところ、ヨーロッパ物のほうが当たりが多いので、エイヤーで借りてみた。

正直なところ、序盤は紹介されているとおりの展開なので、さほど入り込めなかったが、バルセロナに舞台を移し、ペネロペが絡んできたあたりで、どっぷりと厚みのあるストーリーになる。母であり女性であり一人の人間であり、そんな女達の生き様が絡んでほつれて…。
流れに抗ったり身を任せたり。ちょっと男の私には、感覚的に想像の及ばない行動も多く、理解できない部分をあったのだが、それはそれで新鮮に映った。

ネタバレになってしまうが、元夫がペネロペとの間に子供をつくってしまう(ちょっと都合が良すぎる展開ではあるのだが)。生まれながらに苦難を背負ってはいるが、それは、息子の復活であり、キリストの復活に繋がる。マヌエラは聖母に重なる。前半は人間らしい(愚かともいえる)行動をとる彼女だが、進むにつれて聖母然とした行動をとるようになる。
その女性像が、腑に落ちるか落ちないかが、この映画を良いと思うか否かの分水嶺だろう。
子供の病気がいい方向に向かう展開は、あまりにも都合が良すぎるのだが、それも、キリスト教的なモチーフが底辺にある証拠だろう。

私は、非常に観る価値のある作品だと思うので、強くお薦めする。男同士にはない感覚・感情がそこにあって、男の人も新鮮に観れると思う。ただ、あまり家族や恋人と一緒に観る映画ではないと思うので、一人でじっくり観たほうがいいと思う(人によって受け取り方は、かなり異なるはずなので、影響を受けないようにすることをお薦めする)。

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image0490.png公開年:2004年 
公開国:フランス
時 間:97分  
監 督:クリストフ・バラティエ
出 演:ジェラール・ジュニョー、フランソワ ベルレアン、ジャン=バティスト・モニエ、ジャック・ペラン、マリー・ブネル、マリー・ビュネル 他
受 賞:【2004年/第17回ヨーロッパ映画賞】音楽賞(ブリュノ・クーレ)
【2004年/第30回セザール賞】音楽賞(ブリュノ・クーレ)、音響賞(Nicolas Cantin、Nicolas Naegelen、Daniel Sobrino)
コピー:涙がこぼれそうなとき、歌があった。

戦後間もないフランスを舞台に、問題児たちが集まる寄宿舎に赴任してきた音楽教師と子どもたちとの合唱を通じた心温まる交流を描いたストーリー。

私の勝手なイメージ以外のなにものでもないのだが、DVDのパッケージを見て、合唱団で繰り広げられる少年たちの成長物語的なものを想像していた。違った。これは、久々にいい拾い物(まったく期待していなかっただけに)。名作であった。
よく、つまらない映画で、短いのに長~く感じる作品があるけど、本作は真逆。時間は短いのに、すごく長く観ていた気がする。みっちりといいエッセンスが詰まっていたってことかな。

私は『陽のあたる教室』が好きなのだが、戦後すぎくらいを舞台にした『陽のあたる教室』という感じかも。
まず、子供の歌声には感動する。舞台はちょっとせつないくらいハードなんだけど(戦争直後だしね)、先生の真摯な態度にも心打たれる。こういう先生だったらよかったなと思うくらい。所々で、先生に感情移入しそうになるんだけど、自分だったら殴ったり怒ったりしそうになるところで、彼は抑えるので、なんか「あ…」って感じになって、すーっと血の気が引く。それは悪い意味じゃなくって、ちょっと自分が忘れかけていた我慢強さとか、人に対する接し方とかに気付かせてくれているのかもしれない。

ラストは、けっこう賛否があるようだが、なかなか清清しくて私は好きである。世のお父さんお母さんは観てください。私は強くお薦めしますよ。

#中2の年末の道徳の時間に見て欲しい作品ですな。

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image1074.png公開年:2006年 
公開国:アメリカ
時 間:134分  
監 督:アン・リー
出 演:ヒース・レジャー、ジェイク・ギレンホール、アン・ハサウェイ、ミシェル・ウィリアムズ、ランディ・クエイド、リンダ・カーデリーニ、アンナ・ファリス、ケイト・マラ 他
受 賞)【2005年/第78回アカデミー賞】監督賞(アン・リー)、脚色賞(ラリー・マクマートリー、ダイアナ・オサナ)、作曲賞(グスターボ・サンタオラヤ)
コピー:はじまりは、純粋な友情の芽生えからだった───


2人のカウボーイの20年にわたる秘められた禁断の純愛を描くストーリー。

正直なところ、同性愛描写は不快極まりなかった。慣れだとかそういう問題ではないだろう。イヤなものはイヤだ(一度、観るのをやめたくらいだ)。ただ、それがいやだからといって、それだけで映画全体を悪い評価にするのはフェアではないし、アカデミー賞監督賞受賞が妥当かどうかの判定はできないので、ちょっと観点を変えることにした。

ようするに、社会的に正しくないとされる関係になった二人の恋愛ということでしょう。別に同性愛だけが社会的に受け止められない行動ではないのだから、『マディソン郡の橋』の2人に置き換えてみて、はたしてその他の描写に対して良い評価できるか、ということで判断してみたいと思う。

で、そう置き換えてみても、アカデミー賞をとれるレベルだとは思えない。長年不倫しているカップルがいるが、諸々の事情で結ばれることはない。表の暮らしの中で、頭の片隅にはいつも相手のことがある。家族はそれにうすうす気付き苦悩する。やがてその関係は、突然の事故で破綻する。でも、愛し続けているのよ。
これになんの目新しさがあるだろう。どこかで描かれているシチュエーションだよね。やはり同性愛という要素だから評価されているだけなのでは?私にはそう思えてならない。いや、誤解があるといけないので断っておくが、悪い映画だとは思わないのだ。様々な登場人物の感情の表現もすばらしいとは思うし、ぱぱっと時間が経過しすぎることに違和感を感じた人もいたと思うが、私にはかえって新鮮だったよ。でも、だからといってアカデミー賞の監督賞のレベルではないでしょう。

私の場合は、最終的に同性愛描写の不快で原点されて、凡作と変わらない結果になってしまっている。もう、どうしようもないかな。ただ、私と同じ感想を抱く人は多いと思いますよ。これからレンタルする人は、心してみてください。けっして短くもないですし。
だいたいにして、友情と愛情は紙一重で、それは同性でも同じことですよなんて、アン・リーの考え方がにじみ出ているようで、それ自体がものすごく気に喰わないというのが、大きなマイナス要因かもしれない。

#ジェイク・ギレンホールは、『ムーンライトマイル』の時よりも格段にうまくなっている。ヒース・レジャーは、『ダークナイト』の時には、そう思わなかったのだが、本作を観た後は、お亡くなりになってとっても残念と感じた。それだけ、演者としてはレベルが高かったと思う。
 

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image0951.png公開年:1973年 
公開国:フランス
時 間:151分  
監 督:フランクリン・J・シャフナー
出 演:スティーヴ・マックィーン、ダスティン・ホフマン、ヴィクター・ジョリイ、アンソニー・ザーブ、ドン・ゴードン 他
ノミネート:【1973年/第46回アカデミー賞】作曲賞(ジェリー・ゴールドスミス)
コピー:脱走できるか! このままくたばるか! 執念の脱獄に挑む男パピヨン 今世紀最大のスケールで 映画化した 驚異のアドベンチャー・ロマン!
悪魔島よおさらばだ! 自由への闘志をたぎらせて7回脱獄-- 執念の8度目に挑む男パピヨン 世界1000万部の 超ベストセラー! 40億の巨費を投じて映画化成る!(リバイバル時)

胸に蝶のイレズミをしている所から“パピヨン”というあだ名で呼ばれている主人公が、無実の罪で投獄され、13年間にも及ぶ刑務所生活を強いられながら、自由を求め執拗に脱獄を繰り返し、ついに成功するまでを描いたストーリー。

まず、長いわりには、さほど無くてもいいようなシーンがけっこうあって、ちょっとうんざりとするのだが、古い映画だし、映画を観ること自体に意味のあった時代というか、ムダを極力排除することに重い価値のなかったころの作品だと割り切ってあきらめた。無くてもいいシーンは排除する…ではなく、切らなくていいシーンは残すというスタンスだったのかも。『ローズ』と同じように、DVDを日本語吹き替えで観ると、ところどころ吹き替えが原音声に戻る(TV放送時にカットしているということ)。たしかにカットしたシーンは重要な演出とは思えないのだ。

それはそれとして、この流刑地はなんなのか?ということが気になった。当時のフランスの植民地だろうか?と思ったのだが、地理の教員免許をもっていながら、お恥ずかしいかぎりであるが、そこはフランス領ギアナ。要するにフランスの海外県みたいなもので、現在もブラジルとスリナムの間のその一角はフランス領なのだ(知らなかった…)。で、そこが流刑地になっていたというわけなのでが、調べていくうちにもっと驚いたことが…。

なんと本作は、実話だったのだ!実際に本作のように脱獄を果たし、ベネズエラ市民権を得た男の話だそうだ。
正直、これがフィクションだとしたら、もう少し映画らしい演出をしないと、かなりツライと思っていた。一旦脱獄して原住民としばらく過ごすところなど、なんでこんなシーンを長々といれるのか、よくわからないセンスだと思ったのだが、実話なら冗長でもしつこくても仕方ないか(笑)。

映画としてのお勉強ではなく、本当の意味でお勉強になった。
結果からいうと、実話だと思えばかなり興味深い作品。単純にフィクションだとすればドラマとしての面白さはイマイチ。そういうレベルとしかいいようがないが、脱獄モノとして同じくくりにしてよいかどうかは疑問だが、『大脱走』や『ショーシャンクの空に…』と比較すると、格は落ちると思う。

#同じ服役囚のドガの頭のハゲが、時間が経過するごとに面積が増えるところは、細かい演出で好感が持てる。
 

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image0615.png公開年:2005年 
公開国:イタリア
時 間:114分  
監 督:ロベルト・ベニーニ
出 演:ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、ジャン・レノ、トム・ウェイツ、エミリア・フォックス、ニコレッタ・ブラスキ、ジャンフランコ・ヴァレット 他
コピー:心が君に届くまで、僕は愛を送り続ける。




愛する女性がイラク戦争に巻き込まれ、自らの命を投げ打ってでも彼女を看病する男性のストーリー…。

なのだが、誤解を恐れずに言うと、この映画は、私が今まで観たすべての映画の中で、もっとも不思議な映画である。
『ピノッキオ』の時もそうだったのだが、この人、どんだけ奥さんのことが好きなんだよ…っていうツッコミはとりあえず脇においておこう(知らない人に一応説明しておくけど、実際の夫婦だからね)。

この監督は、ラリってるんじゃないかと思うほど、私の価値観とズレている。何がどう面白いと思っている演出しているのか。そのチョケた演技はなんなの?と、とにかく私にとっては不思議極まりない。
残念ながら『ピノッキオ』の時は、その気持ちのまま最後を向かえ、この監督の作品はもう観なくていいやと思ったほどである。ただ、近頃ちょっと激しい映画ばっかり観続けたので、あえて真逆の映画を選んでみたわけ。

このまま、よくわからないまま終わるんだろうな…と思っていたら、最後の最後で、どんでん返し(なのかな?もしかしたら、私がニブくて気付かなかっただけだったりして…)があって、ちょっとびっくりしてしまった。

ちょっと評価が難しいし、うまく説明できないのだが、もし、ロベルト・ベニーニの作品を見たことが無い人がいたら、本作を観てみてほしい。そして、後学のために感想をお聞かせいただけないだろうか。

#邦題もDVDジャケットも、いまいち内容とズレているので、そのイメージで拒絶しないで、ちょっと観てみてよ(あ、おもしろくはないと思うから、つまらなかったといって、クレームを言ってこないでね(笑))

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クボタカユキ
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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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