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image1876.png公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:ラッセ・ハルストレム
出 演:ケヴィン・スペイシー、ジュリアン・ムーア、ジュディ・デンチ、ケイト・ブランシェット、ピート・ポスルスウェイト、リス・アイファンズ、ゴードン・ピンセント、スコット・グレン、ジェイソン・ベア、ラリー・パイン、ロバート・ジョイ、ジャネッタ・アーネット、キャサリン・メーニッヒ 他
ノミネート:【2001年/第59回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ケヴィン・スペイシー)、音楽賞(クリストファー・ヤング)
【2001年/第55回英国アカデミー賞】主演男優賞(ケヴィン・スペイシー)、助演女優賞(ジュディ・デンチ)
【2001年/第7回放送映画批評家協会賞】作品賞、音楽賞(クリストファー・ヤング)
コピー:人生最高の ニュースを 伝えたい

ニューヨークの新聞社でインク係として働くクオイルは、子供のころから父に厳しく扱われたことが心の傷となり、自分の殻に閉じこもってばかりの寂しい男になってしまっていた。ある日、彼は奔放な女性ペタルと出会い、はじめて男性としての幸せを感じる。その勢いのまま結婚し女の子をもうけるが、ペタルは育児も家事も一切せず、外出しては男と遊びまわっていた。そんな時、突然両親が自殺したという知らせが入り、クオイルは故郷へ戻るが、その間に、ペタルが娘をつれて家を出てしまう。クオイルは警察に捜索願いを出すと、ほどなく居所が判明。ペタルは若い男と駆け落ちする途中で交通事故死し、娘を養子縁組組織に売ってしまっていたことを知る。失意のクオイルは、父の遺灰をもらいにきた叔母について、父の故郷ニューファンドランド島へ引っ越すことにするのだったが…というストーリー。

インク係の仕事っぷりで、愚鈍さをさらりと表現。巧みな演出。アスペルガー症候群なのかな?ってくらいの様子。ハルストレムの他の作品と一緒で、痛い人が痛い人を引き寄せるお話。その連鎖のおかげ(?)なのか、町中痛い人ばかり。でも、ケヴィン・スペイシーが演じているからなのかもしれないが、愚鈍と扱われているクオイルだが、ニューファンドランド島にいると少し知的な人に見えてくる。

どう考えても惚れる要素なんかないケイト・ブランシェット演じるペタル(もちろんキレイなんだけど)。あれだけヒドい目にあわされながらも、なぜか彼女への好意が消える様子がないクオイル。というか、彼は何が“愛”なのかわかっていないから、はじめて接触した女性のぬくもりを愛だと刷り込まれている。ジュリアン・ム-ア演じるウェイヴィと距離が縮まっても、いつまでもペタルの妄想が彼を支配する。彼女との繋がりを深めるために彼が何を求めるかというと、彼女の心の傷を知りたがる…というのが痛々しい。

船の修理がおわったので旅立つ…という友人のためのお別れ会なのに、よってたかって船を破壊してしまう人たち。何か“愛”の形がみんないびつなのだ。
自分と変わらないような傷の持ち主ばかりの中で、彼らの傷を知り、彼らを慮り、彼らのために何かできるかも…と思えるようになっていくクオイル。同じように叔母も娘もウェイヴィ、その傷は癒せるだろうか。いや癒せるに違いない。そういう微かな希望を抱かせてくれるラスト。

いつものハルストレム作品の場合、とりかえしの付かないような深い傷のオンパレードなんだが、本作の傷はかさぶたができてる程度か。その浅さを嫌う人もいるみたいだが、私は満足。色んな愛があってよいし、色んな癒し方があってよい。味わい深い秀作。お薦め。
 

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image1876.png公開年:1983年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演:ロバート・デ・ニーロ、ジェリー・ルイス、ダイアン・アボット、サンドラ・バーンハード、シェリー・ハック、 トニー・ランドール、エド・ハーリヒー、フレッド・デ・コルドヴァ 他
受 賞:【1983年/第18回全米批評家協会賞】助演女優賞(サンドラ・バーンハード)
【1983年/第37回英国アカデミー賞】オリジナル脚本賞(ポール・D・ジマーマン)



コメディアンを目指すルパート・パプキンは、TVのトーク・ショーの人気者ジェリー・ラングフォードを熱狂的なファンの群れから救い出す。そのどさくさに紛れてジェリーのリムジンに乗り込んだパプキンは、「自分もあなたのようなコメディアンになりたい」とせまる。うんざりしたジェリーは、「今度事務所に自演テープを持って来い」と社交辞令でかわすが、本気で捉えたパプキンは大喜び。コネができたと勘違いした彼は、すっかりスターになった気分になり、昔から気を寄せていた女性リタにアプローチするのだが…というストーリー。

『タクシードライバー』と同じ種類の“狂気”なんだけど、社会に対する不満とか、社会からはみ出している不安とか、そういうことじゃなく、ただただ他人に笑ってもらい、受け入れられる存在になりたいという欲求。このまっすぐ欲求と無邪気な笑顔が、底の見えない穴のような不安を感じさせる。本作のパプキンは、どう考えても頭のネジがはずれており、社会不適合の度が過ぎているのでユニークに感じられるが、よく考えると、このような思い込みの激しい人はいなくはない。度が過ぎた受け入れられたい欲求を持っている人もいる。自分はまだ本気をだしていないだけ…なんて本気で思っている人は、案外その辺にいるし…。
#昨今、湧いている“放射脳”の人たちも似たような人種だよな…。

散々妄想を重ねていたパプキンのことだから、斜め上オチだって、妄想と取れなくも無い。
実際の出来事だとしても、目的のためなら何をやってもいいのか?という疑問はわくし、これを受け入れてしまう社会の異常性も際立つ。そして、最後にステージに上がったパプキンは、感無量な様子にも見えるが、とまどって喋れなくなっているように見える。
そのまま受け取っていいのか、メタ的な目線で見ればいいのか、困惑と驚愕が入り混じったこのオチは、直接、脳をマッサージされたようなインパクトだ。

個人的には『タクシードライバー』より好き。というかスコセッシ作品の中でも相当上位。お薦めする。

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image1883.png公開年:2009年
公開国:アメリカ、イタリア、スペイン、アルゼンチン
時 間:127分
監 督:フランシス・フォード・コッポラ
出 演:ヴィンセント・ギャロ、オールデン・エアエンライク、マリベル・ベルドゥ、クラウス・マリア・ブランダウアー、カルメン・マウラ 他





「いつか迎えに行く」と手紙を残し、幼い異母弟ベニーを残し音信不通になった兄アンジー。その兄がブエノスアイレスにいることを知ったベニーはNYから兄の家を訪ねる。しかし、アンジーは過去の生活や家族の存在を隠しただけでなく、“テトロ”と名を変えて生活をしていた。テトロにはミランダという妻がいたが、彼女にも父親が著名な音楽家であることも隠していた。突然現れたベニーのことも周囲の人に友人と紹介するなど、距離を縮めようとしない兄の態度を不快に思ったベニー。兄の荷物の中に誰も教えてくれない家族に関する何かがないかと物色すると、作家をめざしていた兄が綴った私小説を発見し…というストーリー。

コッポラか…、すっかり観終わってから気付いてしまった。確かに、『ゴッドファーザー』で描かれた“親子”が別の切り口で表現されている。エディプスコンプレックスという古典的なテーマの作品で、確かにコッポラらしい。
マエストロの父親とアンジーと、ちょっとネタバレになってしまうが、もう一つの親子関係の、エディプスコンプレックスの二重構造という構成。

誰も教えてくれない家族の過去を知りたい弟ベニー。それを一切語ろうとしない兄アンジー。夫が隠している過去を知りたくもあるが、今の生活が壊れることも恐ろしいミランダ。神経衰弱のように弟の好奇心と自分探しの欲求に追い詰められていくテトロは、どう結末をつけるのか…。

現在進行する話は白黒で、テトロが書いた過去や記憶、そして演劇など虚構表現がカラーという表現手法。白黒の映像に、ギャロの神経質そうでエグるような眼光が映える。彼の眼光だけでなく、風景などにも“光”を特徴的につかった表現が多く観られる。ただ、巧みだとは思うが、それほど新規性の高い表現化だとも思えず、むしろ野暮ったく感じるのは、いささか残念。

交通事故で同乗者を死なせたのは、事実なのか虚構なのか。事実だとしてあの女性はアンジーの彼女なのか、父親の伴侶なのか。ベニーの母でないんだよな?。それがミスリードなのか何なのか、すっきりしない。審査委員長的な女性とテトロの間に具体的に何があったのかもイマイチよくわからない。作家を目指していたが何で挫折したのかも、いまいちスッキリしない。

(ネタバレ注意)
“コッポラだ”とありがたがる人はいるかもしれないが、正直にいってしまうと、兄が父親なのがすぐ読めてしまい、それほど愉しめなかった。抱擁しておしまいという結末も陳腐とまではいわないが、ヒネりがないと思う。
#私なら、事実を淡々と受け止める弟。淡々と家族を問い詰め、逆にその態度に戸惑う周囲…という線で描くかも。

まあ、とにかくギャロだけでなく、オールデン・エアエンライクらの演技のデキはいい。それは否定の仕様が無い。

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image1869.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:133分
監 督:ベネット・ミラー
出 演:ブラッド・ピット、ジョナ・ヒル、フィリップ・シーモア・ホフマン、ロビン・ライト、クリス・プラット、ケリス・ドーシー、スティーヴン・ビショップ、ブレント・ジェニングス、ニック・ポラッツォ、ジャック・マクギー、ヴィト・ルギニス、ニック・サーシー、グレン・モーシャワー、アーリス・ハワード、ケン・メドロック、ケイシー・ボンド、ロイス・クレイトン、タカヨ・フィッシャー、タミー・ブランチャード、リード・トンプソン、ジェームズ・シャンクリン、ダイアン・ベーレンズ、リード・ダイアモンド 他
受 賞:【2011年/第46回全米批評家協会賞】主演男優賞(ブラッド・ピット『ツリー・オブ・ライフ』に対しても)
【2011年/第78回NY批評家協会賞】男優賞(ブラッド・ピット『ツリー・オブ・ライフ』に対しても)、脚本賞(アーロン・ソーキン、スティーヴン・ザイリアン)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】脚色賞(スタン・チャーヴィン、アーロン・ソーキン、スティーヴン・ザイリアン)
コピー:常識を打ち破る理論で野球を変えたひとりの異端児の闘い。

かつてニューヨーク・メッツから1巡目指名を受けたほどの有望株だったビリー・ビーン。スカウトのくどき文句を信じ、スタンフォード大学の奨学生の道を蹴ってまで入団したが、芽が出ることは無く、様々な球団を転々とした挙句に引退。その後はスカウトに身を転じ、今は若くして弱小球団アスレチックスのGMに就任する。2001年ポストシーズンでヤンキースに破れた上に、デイモン、ジアンビ、イズリングハウゼンのスター選手がFAで移籍することに。財政が厳しいアスレチックスはまともな補強をすることもできなかった。そんな中、トレード交渉のために訪れたインディアンズのオフィスで、イェール大の経済学部卒でインディアンズのスタッフとして勤務していたピーターと出会う。彼は、独自にセイバーメトリクス法を用いた選手のデータ分析を行っており、経験と勘だけを頼りにしていた他のスカウトとは異なる尺度で選手を評価していた。彼の理論に興味をもったビーンは、彼を引き抜いて自分の補佐とし、他球団からは評価されていない埋もれた戦力を見つけ出し、低予算でチームを生まれ変わらせようとするのだったが…というストーリー。

サラリーマンというよりも、管理職とかチームリーダーが是非観るべき作品。ドラッカーなんかを読むよりも、ずっと日々の力になると思う。とはいえ、ノムさんのID野球とやらで、データ重視という理論自体に違和感は感じない。

現在の日本と同じく、アスレチックスの編成チームの中も“老害”で溢れている。変わらなくてはいけないのは明白だが、自分の立場や生活を守るために、もっとらしい御託をならべて日々の糧を得ようとする。
アスレチックスのスカウトをクビになったじいさんが、そのあとゴタゴタとビリーの手法をこき下ろすわけだが、そういう人種はビリーが成功しても謝罪もしなければ、職を失うこともない。
彼らはスカウトをやめても、飯のタネとして主観を客観のように語り、大衆をミスリードする。簡単に言えば“平気でウソをつく人々”なのだ。今、テレビをつけてみたら、番組のコメンテーターと称する人物が、同じような態度ととっていないだろうか。いい加減、私たちも、もっともらしいことをいうだけで発言に責任を持たない人間を見抜く能力、いや糾弾する態度を身につけねばけないのだろう。

現場に足を運ばないGMと聞くと、自分では何もやらない人間のように思えて、ちょっと変な気がしたのだが、それはゲンかつぎだということが、後に判る。彼は基本的に“改革”自体を自分の手でやりとげている。けっしてやらせるだけにはしない。信じること、そしてやってみせること。上司としては理想的。
20連勝で十分ファンには夢も喜びも与えただろうが、最終目標はワールド・チャンプと言ってはばからないところも、実に好感が持てる。

最後のインディアンズのオーナー(かな?)のセリフ。そういう既得権益者はほどなくして滅びるという予言は見事的中する。インディアンズの実践によって…ではあるが。別に小泉元首相のファンでもなんでもないが、人間世界のあらゆるところにはびこる既得権益という名の“怠惰”を、お天道様が許すことなどない(と信じたい)。
アスレチックスもトップであるオーナーと一枚岩であったら、きっと同じような道を歩んだに違いないと私は信じている。これは、スポーツ映画というよりも社会学をテーマにした映画だな。

ビリーがアスレチックスに残ったことが美談のように描かれているが、ここは観た人の意見が分かれるところだろう。
将来を嘱望されたが花咲かず…という彼の人生。あの時こうすればよかったんじゃないかという思いは、程度の差はあれ、だれでも思っていること。過ぎたことを考えても仕方が無いということはわかっていても、考えてしまう。痛いほど良く判る。そこから生まれた情みたいなものが、彼がオファーを断った一因なのかどうかはわからない。一旦別のところで成功して戻ることだって無くはないわけで、あの場所が彼にとってどれだけ意味があったのか、その点だけはちょっと描ききれていなかったかもしれない。

同じ理論を使えという意味では決して無いが、“野球”をどういうスポーツなのか?という定義を基底にして、コンセプトを前面に出す球団が日本にあってもよいな…と思う。もちろんその方針はファンも理解できるようにね。
かつての広島カープが日本人オンリーだったのはポリシーが明確だったよね。今は、地域性による差こそあれ、似たり寄ったりのチームばかりになってしまった。日本野球低迷の理由は、案外この映画に答えが隠れているような気がしてならない。

ちょっと男の子向け映画な気もするけど、企業で生きる人間にとっては、非常に勇気と力をくれる作品だと思う。またもや2011年アメリカの当たり作品。お薦めしたい。野球好きな人は、絶対に観ることをお薦めする。努力・友情・勝利という、野球映画にありがちな要素とはまったく別の“野球映画”がそこにある。
#当初、ソダーバーグ監督で製作される予定だったらしいが、観たかった気もしてちょっと残念かも。

 

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image1876.png公開年:2010年
公開国:スペイン、メキシコ
時 間:148分
監 督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出 演:ハビエル・バルデム、マリセル・アルバレス、エドゥアルド・フェルナンデス、ディアリァトゥ・ダフ、チェン・ツァイシェン、アナー・ボウチャイブ、ギレルモ・エストレヤ、ルオ・チン 他
受 賞:【2010年/第63回カンヌ国際映画祭】男優賞(ハビエル・バルデム)
コピー:“絶望”の中にも必ず“光”は存在する。



スペイン・バルセロナ。ウスバルは躁鬱病で麻薬に溺れた妻と別居し、2人の幼い子供を男手ひとつで育てていた。そんな彼の仕事は、移民や不法滞在者に仕事を斡旋するなど、違法なことにも手を染めており、日々の生活の糧を得るのが精一杯の状態だった。そんな中、彼は末期ガンで余命はわずか2ヵ月と宣告される。だれにも打ち明けつことができず、死への恐怖だけでなく、遺される子どもたちの将来を考えると苦しみで気が狂いそうになるウスバルだったが…というストーリー。

『ノーカントリー』のアントン・シガーで究極的な気持ち悪さを爆発させたハビエル・バルデムだったが、本作では、どっちかというとそれなりにいい男っていう役。同じ顔なんだけどねぇ(笑)。まあ、あくまでそれなりだけど。とにかく、本作でのハビエル・バルデムの演技自体は、極上である。

ストーリーは男版の『死ぬまでにしたい10のこと』って感じ。不法滞在者や移民相手に、手助けなんだかピン撥ねなんだかわからないような掠りをやってる男なんだけど、妻がとても母親をやれる状態じゃないから、そんな仕事をしながらも子供二人を育てている。怒ったってどうしようもないから、淡々と抑えて生きている感じ。
掠り商売っていっても、移民の人たちにも奥底では慈愛に満ちた態度でのぞんでいる。父性と夫性と男気を兼ね備えた、いい人だと思う。
でも、その愛は常に一方通行でイマイチ伝わらない。そんな中、自分は癌で余命幾ばくも無いと宣告されるという、とにかくこれでもかこれでもかってくらい色々可愛そうな人。もう、ヘロヘロになったときに一縷の望みを託した移民女性にも、子供のために残した金を持ち逃げされる始末。彼の信頼は何一つとして報われることがない。
まるで神に見放されたようなのに、“生きよう”とする男の悲哀を綴ったお話…と言いたいところなんだけど、圧倒的にユニークな設定が…。それは、このウスバルという男が、成仏できない霊を見る能力を持っているということ。

じゃあ、その能力を軸にストーリーが進むのかというと、決してそうじゃない。所々出てくるんだけど、それほど重要なキーとは思えない。そして臨終の時を迎えようというときに、両親の遺品である指輪を娘に託す。そして、彼はこれまで見てきた霊のように自分の子供を見つめている。心配で成仏できないわけだ。でもその後、森で若者と出会うシーンになる。あれは、ほとんど記憶のない父親だろう。父親は子供の将来を今でも心配しているってこと。でも、心配されてる自分もなんだかんだで父親をやっている。そうか、なんだかんだ心配したってなるようにしかならない。これまで色々つらかったけど、すべて受け止めてきたじゃないか。もう、すべてをそのまま受け止めて、子供たちがきちんと生きていってくれることを“祈る”しかない…と。
うん、本作は“祈り”の作品ってところだな。

まあ、流れはわかるのだが、やっぱり、“霊が見える”っていう設定が必要だったかは微妙なんだよな。私なら、このスピリチュアルな能力を盛り込み続けることに、心が折れてオミットしてしまうと思う。別に、モルヒネの幻覚とかでもいいんだもの。
#必要か?って設定は他にもある。中国人のホモとかね。

でも、見ごたえのある作品だった。『死ぬまでにしたい10のこと』みたいなエグい欲望を爆発させることもなく、好感が持てる。掃き溜めの中に輝く、高尚な魂の光を見た(まあ、コピーのとおりか)。そんな印象。お薦めしたい。

それにしても、南欧の映画を作ったら移民を出さないわけにはいかないくらいの状況。EU終わってるな。ウスバルっていうのは、フランコ独裁時代に迫害された人物の息子だと。その子供の世代になっても、決して安心して暮らせる世界にはなっていないという、病根の深さよ。理想論だけの他民族国家なんて、うまくいかなって証明だわ(タダ乗りしようとするくせに、その土地の文化に溶け込もうとしないんだもの、うまくいくわけがない)。

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image1868.png公開年:2010年
公開国:ロシア
時 間:124分
監 督:アレクセイ・ポポグレブスキー
出 演:グレゴリー・ドブリギン、セルゲイ・プスケパリス
受 賞:【2010年/第60回ベルリン国際映画祭】銀熊賞[男優賞](セルゲイ・プスケパリス、グレゴリー・ドブリギン)、銀熊賞[芸術貢献賞](パヴェル・コストマロフ 撮影に対して)




北極圏の孤島の観測所。セルゲイとパベルは、島に設置された計測器のデータを本部に定期的に報告する任務に就いている。報告は無線で行われ、それだけが世界とコンタクトを取る手段である。年上のセルゲイは長年この仕事に就いており、重要な任務であるとプライドをもって業務にあたっていたが、若く経験の浅いパベルは、夏の間を観測所で過ごしてみよう…程度の軽い気持ちで志願してきた新人。セルゲイはパベルの気の入っていない仕事っぷりに不快感を抱いていた。ある日、セルゲイは観測をパベルにまかせて、食料の鱒の調達のために数日釣りに出かけることに。パベルは観測時間を寝過ごした上に、データを捏造して報告してしまう。そんな時、本部からセルゲイの家族が事故に遭い渋滞だという知らせが入り…というストーリー。

DVDのジャケットの姿をみると、今にも悪人相手にバトルをはじめそうな感じだけど、まったくそんな映画ではない。

とにかく頭から最後までわからない。二人しかいない世界は、時間がぬる~っと流れる。ぬる~っとまとわり付くような時間がいくら経過しても、何一つ事情がわからなかった。
まず、彼らがなんでこんな北極圏とおぼしき場所にいるのか。何かを観測しているが何のためなのか。冒頭で若い男が見つけた放射線が出ているものは何なのか。エンジンぽいがそんなものから放射線が出るとはどういことか?プルトニウムエンジンを積んだ人工衛星の残骸か?(後半で飛行物体かなにかの残骸もみつかるしな)
携帯音楽プレーヤーも出てくるし、パソコンでゲームもしていることから、昔ではないことは明らかなのだが、現代の話なのか近未来の話なのか、判断がつかない。今の世の中で、プルトニウム電池なんか積んだ人工衛星を飛ばすことは、少ないだろう。

なんといっても一番解せないのが、なんでパベルが、家族の事故のことをセルゲイに伝えないのか…である。彼が落胆するのを見るのがつらいと思ったからか?でも、毎日通信するんだから早々にバレるだろう。一度言いそびれたまでは納得できるけど、延々と隠し続ける意味がわからない。大体にしてセルゲイに対してかわいそう…とか、そんな感情を抱けるようないい関係には見えないし。

さらに、とうとう言わざるを得なくなって告白したあとの二人の態度がわからん。何で撃つのか。それもお互いに。セルゲイはどのくらい隠されていたか、あの時点では知らないんだぜ?それに、仮に知ったからって、迎えを待つ以外に手段はないんだぜ?

その後、よくわからない嫌がらせが始まる。別にプルトニウムが噴き出しているわけでもあるまいに。放射線を浴びたからって、体が放射線を帯びるなんてことはないだろう(放射線を磁力か何かと勘違いしてるんじゃないのか?)。自分が被爆したとわかったときに、そこらの土くれで体を拭う意味もわからん。
鱒に放射線を浴びせたからって、確かに被爆はしたことになるだろうけど、その鱒が放射線を出すようにはならんだろうが。

で、結局セルゲイが帰らない意味も、さっぱりわからない。どうせ帰っても仕方が無いと悟ったのかもしれないが、それなら、あんなにブチ切れる必要はなかろう。
それに、迎えに来た本部の連中が、放射線を出し続けているエンジンらしきものを回収していく。来たついでってことか?回収の必要なくらいヤバいんなら、もっと早く回収にこいよ。

たしかに、ベルリン国際映画祭が彼らに賞を与えるのも、カメラマンを評価するのも判る。いい演技だったし映像も良かったよ。でも、とにかく何もかもわからないんだ。わからないものをウマく演じられても、ウマく撮られても、わからないものはわからないんだ。

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image0552.png公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:117分
監 督:ガブリエレ・ムッチーノ
出 演:ウィル・スミス、ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス、タンディ・ニュートン、タンディ・ニュートン、ジェームス・カレン、ブライアン・ボウ、カート・フラー、ダン・カステラネタ、タカヨ・フィッシャー、ケヴィン・ウェスト、ジョージ・K・チェン 他
受 賞:【2007年/第16回MTVムービー・アワード】ブレイクスルー演技賞(ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス)
コピー:この手は、離さない──
全財産21ドルから立ち上がった父子の、実話に基づいた感動作。

1981年サンフランシスコ。クリス・ガードナーは医療機器のセールスマンをしているが、売り上げは芳しくない。5歳の息子クリストファーには、生活のつらさを味あわせたくはないと思っているが家計は苦しく、妻が働きに出ても、家賃の支払いもままならなぬ状態。やがて、生活に疲れた妻は出て行き、家賃滞納で部屋からも追い出されてしまう。息子と安モーテルや慈善事業の世話になりつつ、起死回生を狙って証券会社のインターンに応募する。しかし、数十人のインターンから正式採用されるのは1名で、おまけに6ヶ月のインターンの間は無給であることが判明。親子の生活は困窮を極め…というストーリー。

観客を感動させよう!希望を与えよう!という意図で作られたのは間違いない。しかし、その目的は達成されていない。
実話だそうだが、クリス・ガードナーという人を知らないので、驚きもないし感銘も受けない。アメリカでは成功者としてよく知られた人物だから…だと思うのだが、主人公によるナレーションが入るのだ。その時の私はこういう感じだった…、これから始まる話はこんな感じ…、みたいに。
本人を知らない私にとっては、これは、愚作以外の何者でもない。完全に掴みに失敗していると思う。だって、俯瞰目線での語りを聞くと、これから始まる話が、もうオチが決まっている話なんですよ…と、観客を我に帰らせて、ストーリーに没頭することを疎外するではないか。それに、語り口が穏やかだから、絶対に成功するんだろうな…と判ってしまう。先がわかる話を、嬉々として観るなんて、よほどのことがないかぎりありえないと思う。

それに、実話ベースの罠が。ウソみたいだけど実話なんだもん…っていうエピソードが多い。
お国柄なのか、個人的な事情なのかわからないが、母親が息子を置いていく様子が、どうもしっくりこない。はっきりいってこの奥さんはクソ人間。劇中ではずっとイライラしっぱなしで、観ているこっちもイライラしてくる。ノイローゼになっちゃんただな…みたいな描写が不足しているせいなのか、なんかしっくりこない。

クリス・ガードナーが大変だったのはわかるし、綱渡りをしてきたのもよくわかる。素直に大変な状況だねぇ…と言える。でも、結局ガードナーは、すごく賢いから乗り切れたんだよ!という描写が、素直に共感させてくれない。彼が他の人間より賢いというくだり、このシナリオで必要か?ルービックキューブのくだりをエピソードを入れるためには必要だったのかもしれないが、邪魔な設定だと思う。

なんか違和感ばりバリバリだったから、調べてみたら(ってwikipediaだけど)、全然この映画と話が違う。まず、妻じゃなくて不倫相手じゃねーか。インターンの間、子供の面倒を見ていたことになっているけど、妻は子供を連れて行っている。正式採用されて、そこで働いたように描かれているけど、ほどなくして別の会社に転職している(なんだそりゃ)。その後に、妻が現れて子供を置いていって、父子家庭はそれから。ホームレス生活は事実らしいが、タイミングが全然違うじゃないか。実話ベースって、もう脚色の嵐じゃねえか。家無しで子供を育てながら、無給のインターンなんてすげーな!って思った、俺の気持ち返せや! なんかむかつくんだけど。

エンドロールの前にクリス・ガードナーの現在について文章が入るのだが、その後成功したんですよ…だけじゃ、感動できるわけもない。普通、自分と同じような境遇の人にチャンスを与えているとか、そういう感じにならないと、単なる自慢話じゃないか。
あ、そうか、ナレーションも含めて、単なる自慢話を聞かされてる感じになるから、つまんないんだ。納得。

 

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image1122.png公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:168分
監 督:フランク・ダラボン
出 演:ジム・キャリー、マーティン・ランドー、ローリー・ホールデン、アレン・ガーフィールド、アマンダ・デトマー、ボブ・バラバン、ブレント・ブリスコー、ジェフリー・デマン、ハル・ホルブルック、ロン・リフキン、デヴィッド・オグデン・スタイアーズ、ジェームズ・ホイットモア、ジェリー・ブラック、キャサリン・デント、カール・ベリー 他
コピー:自分のことすら知らない男を、町の誰もが“希望”と呼んだ。
『ショーシャンクの空に』であきらめない“希望”を 『グリーンマイル』で“希望”が生み出した奇跡を そして2002年フランク・ダラボン監督が贈る3つめの希望のものがたり――

1951年ハリウッド。駆け出しの脚本家ピーターは、まだ大作を手掛けたことこそなかったが、夢の世界で仕事ができたことに満足し、幸福な時を過ごしていた。しかし、身に覚えがないのに、当時猛威を振るっていたレッドパージのリストにあがってしまい、業界から締め出されてしまう。絶望したピーターは、自暴自棄になり泥酔の末に車を走らせていると、橋の上で事故をおこしてそのまま河に転落してしまう。彼は見知らぬ海岸で目を醒まし、偶然通りかかった老人に助けられるが、事故のショックで記憶を無くしており、自分が何者かもわからない。しかし、町で治療を受けていると、一人の老人が、第二次大戦に出征し行方不明になった息子のルークだと言いはじめ…というストーリー。

アメリカには南北戦争やベトナム戦争やいろいろピンチはあったと思うが、第二のシーザーをつくらないために大統領の選出方法に腐心しているアメリカにおいて、マッカーシズムは最大のピンチ、それどころかこれによって“一度アメリカ憲法は死んだ”といってもよい。
政府と国民の契約関係…という意味においては、ピーターが審問会でぶちあげた演説の内容がすべて。ただ、それ以外の意味があって、大統領に権力が集まることをあれだけ警戒しているにもかかわらず、CIA長官が大統領よりも情報や権力が集まってしまうという、システム的欠陥がアメリカにはある。そして、このレッドパージも、議員と役人の暴走を阻むことができなかったというシステムの欠陥である。そして、一番目立つ形で被害を被ったのはハリウッド。

正直、ハリウッドも忸怩たる思いはあるあろうが、被害者であり加害者でもあるという触れるには痛すぎる歴史。でも、どうしても映画化しないといけなかったテーマ。しかし、あまりハードに糾弾すると自国を攻撃することになるし、変に煽ったところで今その敵はいないわけだし。主人公にジム・キャリーを据えたのは、ギスギスしがちなテーマに対して、少しガス抜きする意味もあるだろうな。でも、ちょっとガス抜きがすぎて、緊張感が削がれてしまったと思う。

それから、昨日の『マグノリア』と同様に、ちょっと長い。あと15分短くしたい。ラストの審問会を一番やりたかったことなのはわかる。実際に盛り上がるのだが、あそこだけが取ってつけたようなのがね。

いやいや、9年経とうが、父親はもちろん恋人や親友だって、間違わないと思うけどなぁ…という思いは避けられない。まあ、そうあってほしいという町の人の思いがあってね…というのは追々判ってくるんだけど、そういう違和感を頭の片隅に置きながら観せ続けるのは得策じゃなかったよね。
審問会の後にピーターが名前を出してしまったことによって、その人の人生を狂わせてしまったのは?という戸惑いに対して、都合よく片付けすぎた気もするし。

でも、色々文句は言ったけど、観終わったときのほっとした感には満足している。個人的には良作だと思う(今回で観たの2回目だもん)。
 

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image1120.png公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:189分
監 督:ポール・トーマス・アンダーソン
出 演:ジェレミー・ブラックマン、トム・クルーズ、メリンダ・ディロン、フィリップ・ベイカー・ホール、フィリップ・シーモア・ホフマン、ウィリアム・H・メイシー、ジュリアン・ムーア、ジョン・C・ライリー、ジェイソン・ロバーズ、メローラ・ウォルターズ、マイケル・ボーウェン、エマニュエル・L・ジョンソン、フェリシティ・ハフマン、アルフレッド・モリナ、トーマス・ジェーン、ドン・マクマナス、パット・ヒーリー、ロッド・マクラクラン 他
受 賞:【1999年/第72回アカデミー賞】助演男優賞(トム・クルーズ)、脚本賞(ポール・トーマス・アンダーソン)、主題歌賞(エイミー・マン “Save Me”)
コピー:20世紀の最後を生き抜く愛と希望のものがたり

ロサンゼルス。TV番組プロデューサーのアール・パートリッジは末期癌で臨終間近。彼の若い後妻リンダはあまりの悲しみに混乱。当のアールは混濁する意識の中で、かつて癌だったた妻と一緒に捨てた息子を、介護人のフィルに捜して欲しいと依頼する。その息子は、現在フランク・T・J・マッキーという名で、『誘惑してねじ伏せろ』という女性の口説き方の本を出筆し、性のカリスマとしてセミナーを開き荒稼ぎしている。一方、人気クイズ番組『子供は何を知ってるの?』の司会者ジミー・ゲイターも癌宣告されており、死ぬ前に彼を憎んで家を出て行った娘と和解しようとするが、追い返される。その娘クローディアは、薬物に溺れる毎日を過ごしていたが、ラリっている彼女が大音量で音楽を流したために近所から苦情が入り、対処のために警察官のジムが彼女に家に訪れる。ジムは玄関から出てきた彼女を見て一目惚れしてしまい…というストーリー。

色々な人々の奇異なお話が並行して流れるのだが、すべてのストーリーに共通するのが、父親との関係をうまく気付けなかった子供が、それをどうやって乗り越えるか、どうやって和解するのか…っていう点。ダメになった人々が何故そうなったのか?という点について、彼らが子供だった故に抗えないものがあったから仕方がないんだ…という立場からスタートしてるので、愛すべきダメ人間として描かれているのはそのせいだ。
このテーマに気付かないと、この人たちがなにをやってるのか、どういう話なのかさっぱりわからないまま、例の“カエル”に突入してしまい、さらにわからなくなるだろう。本作を好きになる人1割。よくらからん人5割。くだらねーと感じる人4割。そんな割合じゃないかな。そして、好きになった人とそうでない人の温度差がものすごくある作品だと思う。

個人的には、話を発散しすぎたために収束しきれずに終わってしまったという印象。各登場人物を最後に繋げていこうという流れはわかるが、それほど効果的に繋がっていくわけじゃない。
冒頭で語られるいくつかの不思議なエピソード。世の中にはまるで神の悪戯のような出来事が存在する…それはわかる。最後のカエルがそれと同様なのもわかる。だが、その神の悪戯によって、親から消すことのできない傷を追ってしまった彼らは、このカエルで救われるのか?カエルが印象的すぎて、記憶には残るのだが、そのインパクトを越える何かがあるかと聞かれると、それは微妙かと。何か、ピースが1つ欠けている気がして仕方が無い。

この内容で2時間ちょっとでスピーディにまとめあげてくれたら、それなりに良作だと思うのだが。3時間超であるメリットもそうせざるを得ない理由も特にみつからない。いや、これを2時間ちょっとにまとめるのが映画監督の本来の仕事だと思うのだが。
ウィリアム・H・メイシーのエピソードは薄い。他エピソードの関連も薄いし、父親との関係という本作を貫くテーマに対しても薄い。絡めるならもっと絡めるか、この程度の中途半端さならいっそのこと切ってしまってよいと思う。
あのクイズ番組を話の中核に据えたいなら、臨終のプロデューサー(トム・クルーズの父親)が、クイズ番組にもっと密接に関わっていたことにすべきだとも思う。

決して駄作ではないし、平凡な作品ではないけれど、究極的に好みが別れる作品だろうな。

#カエルについては遠地で発生した竜巻に吸い上げられた…とか考えれば、無理やり納得できないでもないのだが、銃が落ちてくるのはやりすぎだろ。
 

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image1866.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:138分
監 督:テレンス・マリック
出 演:ブラッド・ピット、ショーン・ペン、ジェシカ・チャステイン、フィオナ・ショウ、ハンター・マクラケン、ララミー・エップラー、タイ・シェリダン、アイリーン・ベダード、ウィル・ウォレス他
受 賞:【2011年/第64回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(テレンス・マリック)
【2011年/第46回全米批評家協会賞】助演女優賞(ジェシカ・チャステイン『テイク・シェルター』『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』に対しても)、監督賞(テレンス・マリック)、撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)
【2011年/第78回NY批評家協会賞】助演女優賞(ジェシカ・チャステイン『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』『Take Shelter』に対しても)、撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)
【2011年/第37回LA批評家協会賞】助演女優賞(ジェシカ・チャステイン『コリオレイナス(原題)』『The Debt』『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』『テイク・シェルター(原題)』『キリング・フィールズ 失踪地帯』に対しても)、監督賞(テレンス・マリック)、撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)
コピー:父さん、あの頃の僕はあなたが嫌いだった…

1950年代半ば。テキサスの田舎町に暮らすオブライエン一家。3人の息子に恵まれ一見平穏に見える家庭だったが、厳格な父親は、社会的な成功者になるための力を身につけるべく息子たちに厳しくあたり、子供たちにとってやすらぐ場所ではなかった。一方、全てを神の御心として受け入れようとする母親は、子どもたちを愛で包み込もうと優しく接していたが、そんなそんな両親の狭間で、長男ジャックは苦しみ葛藤していた。その後成長し、実業家として成功したジャックだったが、人生の岐路に立った今、少年時代を回想するのだった…というストーリー。

理不尽なまでに厳しい父親の教育に戸惑う妻と子供たち、しかしそれを受け入れるしかない状況。それを思い出す、おそらく成長したジャックであろうショーン・ペン演じる実業家。なにやら重々しい雰囲気でスタートし、彼らに何があったのか…と、期待は膨らむばかりだったのだが…。
いきなり20分近く、大宇宙の創世から生物の誕生・進化、恐竜まで登場するイメージ映像を延々と見せられる。まるで、手塚治虫の『火の鳥』の冒頭みたいなシーンだけど、テキサスの片田舎の家庭から、振幅が激しすぎてついていけない。たとえ、これが聖書の教えを信じた母親の想像だったとしても、突飛すぎる。映像は確かに美しいけれど、それはそれだろう。
キリスト教思想下での想像だとしても、それはそれでおかしい。この映像は、キリスト教的宗教的史観と科学的なそれとは相容れない。キリスト教原理主義者は、この大スペクタクルをたった6000年くらいのできごとだっていってるんだぜ。進化なんか認めていないし。それはないだろう。

とにかく、家庭ドラマの部分はまだしも、このイメージ映像とは繋がっていない。豚の丸焼きと、巨大なボールに入ったフルーチェをドーンと食卓に出されて、うまいだろ?うまいだろ、しつこく言われている感じ。
父なる神と、家庭の父を同一視して、実の父を憎むのと同じくして神も憎んでるってこと?それはそれで神への不敬なんじゃないかと思う。それに、息子・兄弟の死をどう受け止めるかってことと、この宇宙の理と何の関係が?間違いなく輪廻転生ではないわけで、息子の死から立ち直れない心に対して、何の一助にもなっていない。
だが、それでも生きていくには、そんな父親や神を信じなければならない。そんな世界観の中で、弱い存在の人間はそうやって生きていくしかない。だから、欧米に無神論者が増えているんだろうさ。

私には、なんで父親がきつく子供たちにあたったのか、理由は示されたようには見えないんだが。父と息子が似ていたから?自分のようになってほしくないから?そんなの詭弁だろ。虐待とまではいわないにせよ、子供への常軌を逸した行動に理由なんかない。心のゆがみ。それだけだよ。子供は延々と苦しみ続けるのさ(実際に長男ジャックは、成功者になっても苦しみつづけてるね)。
#大体、父親は好きなんて、そんな息子はこの世にそうそういないんだって。

結局は、私が“映画”というものに求めているものとは、ちょっと方向性が違う。すごく褒めている人がいるんだけど、そういう人とは友達になれんわ…って、そう思わせてくれるくらい。これがパルムドールってやっぱりカンヌはクソだよ。選考委員が芸術家気取りのクソ野郎ばっかりってのを証明してるわな。これを絶賛できるのが映画通だっていうんなら、私は映画通になんかなれなくて結構。そんなレベルかな。これを地上派で放映できる勇気のある局があったら逆に褒めてあげるわ。
とはいえ、一応話題作ではあるので、これから観ようという人もいるだろう。そういう人にアドバイスすると、“何も考えるな”、“絵画みたいなもんだと思え”そんなところかな。

#ショーン・ペンが出てくると、画が締まったのは認める。

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image1864.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:リサ・チョロデンコ
出 演:アネット・ベニング、ジュリアン・ムーア、ミア・ワシコウスカ、マーク・ラファロ、ジョシュ・ハッチャーソン、ヤヤ・ダコスタ、クナル・シャーマ、エディ・ハッセル、ゾーシャ・マメット、ホアキン・ガリード、レベッカ・ローレンス、リサ・アイズナー、エリック・アイズナー、サーシャ・スピルバーグ、ジェームズ・マクドナルド他
受 賞:【2010年/第77回NY批評家協会賞】女優賞(アネット・ベニング)、助演男優賞(マーク・ラファロ)、脚本賞(スチュアート・ブルムバーグ、リサ・チョロデンコ)
【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、女優賞[コメディ/ミュージカル](アネット・ベニング、ジュリアン・ムーア)
【2010年/第26回インディペンデント・スピリット賞】脚本賞(リサ・チョロデンコ、スチュアート・ブルムバーグ)
コピー:青空の下、共に生きる。家族になる。

ニックとジュールスはレズビアンのカップルで、精子バンクから提供された精子で一人づつ子供を儲けている。ニックの子供は18歳になる娘ジョニ、ジュールスの子供は15歳の息子レイザーで、郊外の一軒家で仲良く暮らしている。ある日、レイザーとジョニは、精子を提供した“父親”の存在が気になり始め、精子バンクに問い合わせ父親とコンタクトを取ろうとする。やがて、レストランのオーナーを務めるポールが提供者であることが判明。ポールも突然の二人の子供の出現を喜び、その気さくな性格で瞬く間に仲良くなってしまうが、それを知ったニックとジュールスの心は穏やかではなく…というストーリー。

まず、ジュリアン・ムーアが出て、性的なテーマがあるわけでなので、間違いなく“脱ぐ”んだろうな…と予想が付く。もちろんその読みは正解。もう、いい年なんだから、そのくらいの期待を裏切ったらどうかと思うんだが(笑)。

レズビアンのカップルが、男同士のビデオみて興奮するかね?と思っていたら、息子も不思議に思ってたみたいで質問してた。まあ、男性がレズビアン物を観るのと同じ感覚かね。
自分たちもそうだからって、息子もゲイなんじゃないかって疑うくだり。自分たちもそうだから疑うって、バカ親だわな。と、同時に、普通にストレートの親と大差ない親をやってるって表現なんだろうね。

(以下ネタバレ注意)
まあ、今のアメリカではけっこうある家族構成…っていうかもしれないけど、やっぱり特殊だと思う。でも、こういう特殊な設定の話ではあるけれど、シナリオはいたってセオリーどおり。
レズビアンカップルが体外受精で子供をつくって立派に育て上げる…っていう設定(掴み)→ 子供が精子ドナーを探して勝手に接触(転換ポイント①)→ 登場した“父親”によってぎくしゃくしてくる家族→ “父親”とジュールスが関係を持ってしまう(転換ポイント②)→ すったもんだで家族の絆の再確認。転換ポイントの挟み方は理想的だね。

ストレートの人間からすると、“父親”ポールとジュリアン・ムーア演じるジュールスの距離が縮まっていくのをみると、レズビアンっていうけど、彼女の人生の中でたまたまマッチする男性がいなかっただけで、別に男性が嫌いってわけじゃないんでしょ?むしろ“本当の私”に気付いちゃった…とか、そこまではいかないにせよ、女性でも男性でも人間として必要な人と一緒にいたいのよ…とか、そういう展開になるのかな、と思うわな。

でも、どういう形であろうと“家族”は“家族”っていうオチになる。個人的にはこのオチには満足していなくて、無難なところに収めたな…というガッカリ感すらある。
うーん。普通の家族と同じだっていうんなら、むしろ普通に離婚だってあるわけだし、なんか自分の存在意義とか生きがいとかそういうものにジュールスが気付いたように見えて、応援したい気持ちになっちゃった。だから、なんか残念な感じなんだよね。
それに、ニックってのが終始感じの悪いキャラクターで、一切共感できなかったのも、そう思わせる原因なのかもしれないな。
#どうしても、男目線だとポール寄りになっちゃうしなぁ。

ポールの出現によりニックが家族を取られるんじゃないか…という焦りから、まさかの父親ポジションの取り合い。そんなギスギスから、和解のディナーになり、あれ?まさか逆にニックもポールを気に入っちゃたりして?なんて思ったが、さすがにそれはない。その後の、ワインをゆっくり飲み周囲の音が消えていく“すべてを悟った”演出の緊迫感、ガラガラと価値観が崩れ落ちるような感じはうまかったね。

仮にポールとジュールスが思い切って結ばれたら、ミア・ワシコウスカ演じるジョニの扱いはシナリオ上かなり難しくはなったわな。そうしなかったせいで、息子のレイザーの影が物凄く薄くなってるけど。
正直、ドラスティックな展開(オチ)も観たいな。穏便な同性愛者の映画を作りたかったのかもしれないし、ゲイだって普通なんだって線ははずせなかったんだろうけど、このシナリオはその枠組みをはずしたほうが、より面白くなったと思う。でも、本当にラスト以外は、すんごく愉しんだよ。良作だと思う。
#男性がホモ映画をみると「うぇー」ってなる場合が多いけど、女性はどうなんだろ。
 

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image1865.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:スペンサー・サッサー
出 演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ナタリー・ポートマン、レイン・ウィルソン、デヴィン・ブロシュー、パイパー・ローリー、ジョン・キャロル・リンチ、フランク・コリソン、オードリー・ヴァシレフスキ、ポール・ベイツ 他




自動車事故で母を失った少年T.J.は、心に深い傷を負ったまま日々を過ごしていた。彼の父親ポールも同様で、鬱病になり家で寝ているか、セラピーに行くかを繰り返す日々だった。そんなある日、T.J.は、街で長髪に半裸のヘッシャーという男に遭遇。その後、なぜかT.J.の周りに出没し、挙句の果てにはT.J.の家に押しかけ、そのまま住みついてしまう。彼はヘヴィメタを大音響で流し、気の向くままに破壊行為を繰り返す。そんな彼をうんざりするT.J.だったが…というストーリー。

原題の“HESHER”は、あやしい風貌の兄ちゃんの名前。本名なんだかあだ名なのかはわからん。この兄ちゃんが舞い込んできて、人々(っつーか家族と一人のネエちゃん)はどう変わるのか?ってお話だから、彼の名前がタイトル。でも、そんな題名だと、何がなにやらよくわからんから、メタルヘッドなんていうそれっぽい邦題になってる。でも、残念ながら的外れ。ヘッシャーは車ではメタルロックばかりかけてるし、暇があればギターを弾いてる。けど、ヘヴィメタな格好ってわけでもないし(メタル要素はない)、タイトルにもってくるほど重要でもないし、焦点を合わすべきところでもない(まあ、そこはいいや)。

見覚えがあるな…と思ってたんだけど、『(500)日のサマー』の主人公の人だ。まったくイメージは違うけど悪くない。ARATAみたいなポジションの役者かな。

ナタリー・ポートマンの無駄遣い…って言いたいところだけど、案外、母親を喪失した少年が、母を投影しつつ恋心も抱くっていう微妙な線にはぴったりだったかと。野暮ったくてショボいんだけど、それがかえってビッチな本性とのコントラストを生んでいて、いいキャスティングだったと思う。でも、まるで彼女がメイン俳優みたいなジャケットなのはトホホ状態かな。メイン俳優陣だけだと誰も観ないだろうから、しょうがないんだろうけど、せめて眼鏡かけた写真にしようぜ。

すごく、いいセンスを持っている監督だと思う。
冒頭の、子供が車に接触して吹っ飛ぶんだけど、運転手が出てくるでもないし、ぶつけられた子供もそのまま行っちゃうっていう描写で、この街に住む人のレベルとか土地柄をさらりと表現していて、うまいと思う。
少年がなぜ車にこだわるのか?は、おおかたの観客が予想するとおりで、母親がらみ。ヒネリはない(というか、それ以外にない)。

妻を亡くして沈み続ける父親、母を無くして悲嘆したいのだが自分以上に父が壊れていて悲嘆することができない息子。そして、本当に壊れかかっている(ボケかかってる)おばあちゃんの三人暮らし。そんなところに正体不明でムチャクチャなヘッシャーがやってくるけど、そんな彼を追い返す力すら、彼らにはない。

ちょっと『家族ゲーム』みたいな感じになるのかな…と思いきや、ヘッシャーの行動にはあまりに一貫性がないし、ポリシーとか信念みたいなものもなく、単なる世捨て人のようにも見える。少年がいじめられていても、絶対になにもしない。そんなヘッシャーが家族をどう変えていくのか…そういう軸で展開する。

ただ、ちょっとこのシナリオというか設定で疑わしいのは、このヘッシャーってキャラの設定をどこまで創れているのかな?って点。別に本作の中で、ヘッシャーのバックボーンをすべて語れといっているわけではないし、語る必要まもちろん無いんだけど、設定上はしっかり細かいところまで考えていないと、行動に微妙な矛盾が漂ってくる。
ヘッシャーは、心を病んでいるのか、それとも育った環境によって不安定なのか、実は協調性がないだけで健常なのか。いつからこんな生活をしているのか。元はマトモな生活をしていたのか。今回と同じように人の家に押しかける生活を続けているのか、実は別に生計を立てる術はもっているのか…とか。
それまで、頑なに自分のやりたいことだけをやっていたヘッシャーが、ナタリー・ポートマン演じるニコールとそういう関係になって、少年を傷つけてしまった後、謝ろうとしてなのか色々加担するのだが、その気持ちの境目というか、価値観の境目みたいなものが、いまいち腑に落ちない。なんでばあちゃんにあそこまで感情移入したのかとかもね。みなまで言わなくていいけど、ちょっとブレがあるように感じられて、結局、ただのよくわからない人で終わってしまったのが残念。もう少しくらい正体をチラ見せしたほうが深みが出たと思う。

まあ、嵐に理由はない。あまりの自然の猛威にすっかりなぎ倒されて、笑うしかない…立ち上がるしかない…そう思える人もいるだろうさ。結局わけのわからないまま、終わってしまうんだけど、このわけのわからないものを作りたかったんだろうな…という気がするので、これはこれでOKかなと。

良作と胸を張ってお薦めはできないけど、なかなか悪くなかったと思う。化けそうな予感のする監督なので、ちょっと名前を覚えておこうと思う。

 

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image1808.png公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ジョナス・ペイト
出 演:ケヴィン・スペイシー、マーク・ウェバー、ダラス・ロバーツ、キキ・パーマー、サフロン・バロウズ、ジャック・ヒューストン、ペル・ジェームズ、ローラ・ラムジー、ロバート・ロジア、ゴア・ヴィダル、ジェシー・プレモンス、ロビン・ウィリアムズ 他




ヘンリーはセレブな顧客を多く抱える人気精神科医。しかし、多忙な生活の影で自殺してしまった妻を何故止めることができなかったのか、自問する日々が続いていた。その辛さからのがれるため、タバコ、酒、ドラッグに溺れている。見かねたヘンリーの父親は、同じように母親の自殺で苦しんでいる女子高校生のカウンセリングを命じるが、かえって苦しみは増す一方。ある日、そんな彼に自殺をテーマにした番組出演依頼が舞い込む。出演した彼は、自分は妻さえも救えないインチキな医者だと告白し、自分の本も買うなと生放送中に本を破り席を立ってしまい…というストーリー。

サスペンスでも謎解きでもないケヴィン・スペイシー主演作。残念ながらやっぱりキレは無いんだけど、ケヴィン・スペイシーであることで期待値が上がりすぎてしまっているだけで作品自体は悪くない。テイストとしては、人種間ではない軋轢による『クラッシュ』って感じ。

本当の自分はこうじゃない、こうあるべきだと思っている人たちのお話。向上心のある人、現状に満足できない人、その違いは何なのか。他人の評価、外部の価値観の差だけで、同じなのではないか…。そんなことを滔々と考えさせてくれる作品。
しかし、『クラッシュ』が答えを出さなかったのに対して、本作は、“奇跡”みたいなオチを用意している。ただ、その奇跡というのが、降って沸いたようなラッキーみたいなもので、そのおかげでうまくいったからといって、個々の問題は何一つ解決していないように感じられるのがよろしくない。作中の軋轢があまり激しくない(その軋轢は個人の内部で爆発する)ので、うまくいきすぎで興醒めしてしまうということもあるかも。せめて、この奇跡のような出来事に、ものすごい意外性があればよかったのだが、元々映画エージェントに関係する人がメインキャストの多くを占めているので、あまりにも予想の範疇なんだもの。

ジェマがシナリオにOKを出すこと、ヘンリーが女性に思い切って交際を求めること、それが、これまで彼らが悩みぬいてきたことへの答え…といわれれも、あまりにも“不足”。

日本未公開なのも仕方が無い。ヒットさせろといわれても、私も困惑すると思う。でも、終盤までは悪くないので駄作とは言いたくない。良質な凡作…だと思う。とにかく、最後にヒネリと深みがないのが残念すぎる。

 

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image1857.png公開年:1996年
公開国:デンマーク
時 間:158分
監 督:ラース・フォン・トリアー
出 演:エミリー・ワトソン、ステラン・スカルスガルド、カトリン・カートリッジ、ジャン=マルク・バール、ジョナサン・ハケット、エイドリアン・ローリンズ、サンドラ・ヴォー、ウド・キア、ローフ・ラガス 他
受 賞:【1969年/第29回アカデミー賞】主演女優賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第49回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(ラース・フォン・トリアー)
【1996年/第31回全米批評家協会賞】主演女優賞(エミリー・ワトソン)、監督賞(ラース・フォン・トリアー)、撮影賞(ロビー・ミューラー)
【1996年/第63回NY批評家協会賞】女優賞(エミリー・ワトソン)、監督賞(ラース・フォン・トリアー)、撮影賞(ロビー・ミューラー)
【1996年/第22回LA批評家協会賞】ニュー・ジェネレーション賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第9回ヨーロッパ映画賞】作品賞(ラース・フォン・トリアー)、女優賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第22回セザール賞】外国映画賞(ラース・フォン・トリアー)

スコットランドにあるプロテスタント信仰が根強い寒村。無垢だが年齢にそぐわない幼い心の持ち主ベスは、油田工場で働くヤンと結婚する。しかし、ヤンは油田作業で不在の日々が続き、べスの苦しみは増す一方。ベスは教会でヤンが早く帰ってくるように日々祈るのだった。すると、ヤンは事故に巻き込まれてしまい、陸地の病院に搬送されてしまう。一命は取り留めたものの、半身不随状態に。自分が願ったせいでヤンに災いがふりかかったと考えたベスは、強く自分を攻める。やがてヤンは、セックスのできない自分の代わりに、ベスが愛人をつくりその様子を詳しく聞かせて欲しいという。それで間接的にベスと愛し合うことができるというのだが…というストーリー。

母を亡くし、自分の出自の秘密を知ったトリアー監督が、その直後に作った作品。
育ての父を否定しカトリックに入信するなど(実父がカソリックから?)、私から言わせれば一見筋が通っているように見えて、トンチンカンな行動に感じるのだが、本作を通じて表現されているプロテスタント教会への無慈悲さみたいなものはそこから来ているものと思われる。

華美な装飾がない教会の様子。教義においてもガチガチに教義に縛られている、田舎プロテスタント。ここまで男尊女卑が徹底されていることや、破門=死・地獄行きであり、村八分になる様子がストレートに描かれているのも、実に興味深い。
よく、ムスリムの男尊女卑が話題になることは多いが、プロテスタントにおいても同様な事例があることを描いた作品は少なかったと思う。教義をガチガチに追求していくと、女性の行動や扱いに制限が加わってしまうのは、一神教の共通点かもしれない。

神の答えを自ら口にする主人公。その神の回答が、意外と理路整然としていて、単なる異常者ではない微妙な線がうまく描けているとは思う。
声に出しているから変なだけで、あのように自問すること自体はノーマルだよな…とも思う。じゃあ、常人と異常者の境界って何よ…と、そういう点でも考えさせられる。
しかし、症状は段々悪化していく様子。これは、自分が似たような症状を持っているか、身近に存在しないと表現は難しかろう。トリアー監督の場合は前者かな。

いずれにせよ、ベスの奇行によって、先の読めない展開になっているのは事実である。冒頭からヤンが怪我をした後くらいまでは、背中の皮を剥かれて、その上からウールのセーターを着せられたような、とにかく“イタい”と思わせ続けられる内容。
後半は、夫が妻に愛人をつくれと促し、その行為を聞かせろという性的倒錯な展開に(おもいっきり腰と痛打されたような感覚に襲われる)。そして、それに従うべきとの神の答えに対して忠実に行動する、さらに輪をかけてクレイジーな行動をとる主人公。

まてよ。彼女はクレイジーなのか?否。プロテスタントってのは聖書の教えを愚直に実践する集団ではないか(聖書も読ませずに民衆を支配し続けたカトリックへのエンチテーゼだ)。一切の娯楽を排除してとにかく働き続ける。神がそう求めるのだから理由なんかどうでもいいのだから。彼女は教会から忌避されているが、その行動様式において、一番プロテスタントらしい(というか、それ以上)じゃないか。
でも、教会は彼女を破門するわけだが…。

結果として、どこもかしこも狂気で満ち溢れた世界が描かれる。これがトリアー監督作品の特徴だし、それ故に評価されているわけだが、意図的にそう描いているというよりも、トリアー監督には世界がそう見えているというのが正解なんだと思う。ピカソには世界がキュビズムに見えていたのと同じように(ピカソの中に入ったことあるわけじゃないから実際は知らんけど)。
#私の中では、ピカソもトリアーも同じ部類の人。

彼女の奇行ゆえに、その愛の純粋さを感じられる…というか、行為と愛そのもの価値が同じものさしで測れないことを痛感させられた。でも、最後のシーンは何なのか。私の傍には神はいないみたいなので(笑)、答えを出せていない(彼ら全員死んでたりする?究極の奇跡?)。ただ、不意打ちで膝カックンやられたような衝撃のラストではあった。

トリアー監督の“黄金の心”三部作で観ていないのは『イディオッツ』。レンタルビデオ屋で見つからねえ…。
#コマの抜き方は黒澤作品、ブランコの表現なんか伊丹作品に通じるものがあって、技術的にはかなり好みの部類。

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プロフィール
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クボタカユキ
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男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
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