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公開年:1973年
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演:ロバート・デ・ニーロ、ハーヴェイ・カイテル、エイミー・ロビンソン、デヴィッド・プローヴァル、リチャード・ロマナス、デヴィッド・キャラダイン、ロバート・キャラダイン、ヴィック・アルゴ、チェザーレ・ダノーヴァ、ジーニー・ベル、ジョージ・メモリー、マーレイ・モストン、ハリー・ノーサップ 他
受 賞:【1973年/第8回全米批評家協会賞】助演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)
【1997年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品


ニューヨーク育ちの27歳のチャーリーは、叔父ジョバンニが経営しているヤクザまがいの会社の手伝いをしている。とはいえ、叔父の組織に真剣に忠義をつくすでもなく、仲間が経営するバーに入りびたるだけにだらだらとした生活を送っている。チャーリーには、ジョニー・ボーイという親友がいたが、彼は短気で仕事が続かず、稼いだ金もすぐにギャンブルや酒や女に使ってしまう男だった。とうとう高利貸しのマイケルへの返済で首が廻らなくなってしまい、取立てに追いかけられていた。そんな中、ジョバンニが、自分が経営するイタリア料理店をチャーリーにまかせようと思っていることを告げる。そろそろ自堕落な生活に区切りをつけて、まともな生活をするべきなのではないかと思い始めていたチャーリーにとって、その申し出は非常にありがたいものだった。しかし、ジョバンニはジョニーの素行を快く思っていないだけではなく、ジョニーの従姉テレサの持病のことを良しと思っておらず、彼らとの付き合いをやめるように暗に指示するのだった。しかし、実はチャーリーはテレサと密かに交際しており…というストーリー。

ハーヴェイ・カイテル演じるチャーリーがとても27歳には見えないわけだが、まあ、昔の人で且つ外人さんはそんなものである。
#今の人て、やっぱり見た目幼いのよ。

そろそろ30歳も見えてくるあたりで人生のことをまじめに考え始めるという、だれしも経験するであろう一つのターニングポイント。友や恋人を取るか仕事を取るか…と書いてしまうと薄っぺらになっちゃうが、うまく折り合いを付けて両方を並存させることができない状況。いままでマジメにやってきているというならば、テレサのことはどうにか説明できたかもしれないが、半ば穀潰しに近いチャーリーが、条件を出せる立場では一切ない。ましてジョニーについては、こいつは手が付けられないとチャーリー本人も思い始めており、イライラが募るばかり。とにかく、ジョニーはクレイジー(演じきったデ・ニーロは、さすがだよ)。

テレサにそんな事情を話すわけにもいかない上に、結婚してして光線は出しまくってくる。そうなったらスパっと別れちゃえばいいんじゃね?って思うかもしれないが、別れることで得るレストランは近所にあるわけで、チャーリーはニューヨークから離れることはできない。別れてもただただ気まずい生活がまっているだけじゃなく、別れ話をした段階で、怒ったテレサが親に話して、そこからジョバンニの耳にでも入った日にゃあ、すべてオジャンになりかねない。
元々は、自分のモラトリアム加減と怠惰さが生んだこととはいえ、どんどん追い詰められていく。
チャーリーがなんでジョニー・ボーイに肩入れするのか、そんな腐れ縁ともいえる深い友情はどこからくるのか…という部分が描かれていれば文句無しだったなと思うが、そこは明らさまに描写しないのが格好いい演出なんじゃん!っていうには理解できる。

このジリジリした感じに、いらいらして愉しめなかった人もいるかもしれないが、それは逆に感情移入しきっている証明だと思う。
一風変わったグローイングアップムービーともいえるし、破滅的なラストは、ニューシネマ的な空気を感じる。なかなか良い作品だと思うのだが、チャーリーの心の葛藤や、その苛立ちを表現する微妙なしぐさや表情にしっかり集中したいので、是非とも吹き替え音声で観たかった(残念ながら字幕のみ)。

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公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:コリン・ストラウス、グレッグ・ストラウス
出 演:エリック・バルフォー、スコッティー・トンプソン、ブリタニー・ダニエル、デヴィッド・ザヤス、ドナルド・フェイソン、クリスタル・リード、ニール・ホプキンス、ロビン・ガンメル、ターニャ・ニューボウルド、J・ポール・ボーマー 他
コピー:そこには、愛も英雄も存在しない




ジャロッドと恋人のエレインは、ロスで成功したジャロッドの親友テリーに招かれ、彼のペントハウスを訪ねるが、テリーの派手な生活に面食らってしまう。かねてから苦しい生活をしているジャロッドを見かねていたテリーは、ロスで一緒に働かないかと持ちかけるが、それを知ったエレインは機嫌を悪くしてしまう。パーティの翌朝、彼らは部屋のブラインドから差し込む青白い閃光と奇妙な音で目を醒ます。その光をみたテリーの友人の一人が、一瞬で光に吸い込まれ姿を消してしまうのを目撃。街を見ると、巨大な飛行物体からたくさんの巨大生物が降ろされ、街を壊し、同様に人間を吸い込んでいる。ジャロッドもその光に吸い込まれそうになるが、テリーによってなんとか阻止。昏倒し苦しむジャレッドだったが何とか回復。しかし、あまりの出来事に彼らは途方に暮れてしまい…。

突然、光と共に地球外生命体が来襲…ってところは、このまえ観た『アタック・ザ・ブロック』などよくあるシチュエーション。巨大な怪獣的な生物に追いかけられるのもようある設定だが、特に『クローバーフィールド』に似ている感じ。壊れる街や宇宙生物がリアルに描けているのは認めるけど、それだけでヒットする時代じゃない。とにかく、二番煎じどころか三番煎じもいいところで、出がらし感が満載。TSUTAYA独占レンタルで一切苦情が出ないのは、このせいかななんて。

こうなると、派手なアクションシーンで乗り切るんが上策だと思うのだが、部屋の中に閉じこもって外の様子を眺めているシーンとか、とりあえず様子伺いしてるだけの時間が長い長い。
やっと展開するのか?と思ったら、軍がやってきて対抗する。それも結局、主人公さんたちが何かするわけじゃなく、軍の様子を見て「ひゃっほー!」っていうだけだし。

ラストもラストになって、宇宙人に支配されそうになってギリギリで救われたジャロッドが得た能力が発動。本当はコレがやりたかったのかな…と思う。この半人半異星人みたいな設定はおもしろいんだけど、いかんせん、その展開になるのが、最後の方すぎた。
ネタバレになるので言わないが、宇宙人がなんで人間を吸い上げてるのかの理由も少し明かされる。そこは結構おもしろい。生物としてのエイリアンの生態ゆえに、人間から見ればあまりに無慈悲な侵略シーンだけを淡々と描き、そこでハイブリッド種を登場させ、
エイリアン、人間、ハイブリッドの三つ巴という展開⇒すったもんだで人間とハイブリッドが共闘という流れに…ってのが、至極自然なシナリオだと思うんだが。
続編が確実に決まってるならこれでもよいのだ、そうでなければ投げっぱなしにもほどがあるかな…と。

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公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:142分
監 督:バズ・ラーマン
出 演:レオナルド・ディカプリオ、トビー・マグワイア、キャリー・マリガン、ジョエル・エドガートン、アイラ・フィッシャー、ジェイソン・クラーク、アミターブ・バッチャン、エリザベス・デビッキ、アデレイド・クレメンス、マックス・カレン、カラン・マッコーリフ、ケイト・マルヴァニー 他
 コピー:その名はギャツビー 男の憧れ、女の理想 その人生は――【嘘(ミステリー)】



1920年代アメリカ。成功を夢見て故郷の中西部からニューヨークの郊外、ロングアイランドのウェストエッグに移り住んだニック・キャラウェイ。彼は証券会社に就職したが、本当は作家志望。いつかは夢を叶えようと思いながら、性に合わない会社員生活を送っていた。彼が借りている部屋の隣には、宮殿のような豪邸があり、毎晩のように豪華なパーティが開催されていた。豪邸の主は大富豪のジェイ・ギャツビーという男。ある日、まったく面識のないニックのもとに、パーティの招待状が届いた。場違いな場所に戸惑いつつも、謎の男ギャツビーについてパーティの参加者に探りをいれてみるが、誰一人として彼の素性を知る者はおらず、おまけにこのパーティが何の目的で開かれているのかすら不明だった。そんな喧騒の中、ニックは、屋敷の対岸に邸宅を静かに見つめる男がいた。その男こそギャツビー本人だったが、彼はなぜかニックに親しげに接し、生い立ちを打ち明けるのだった。裕福な名家に生まれた彼は、その後戦争に参加し英雄となり、両親がなくなった現在は天涯孤独だという。しかし、ニックはそんな彼の立ち振る舞いから、何かを隠していると直感し…というストーリー。

アメリカでは有名な小説とのことで、古典扱いの模様。1974年にも映画化されいるが、そっちは観たことはない(ロバート・レッドフォードだっけ?)。

彼は何者なのか?という謎解き的な雰囲気なのだが、冒頭はなかなかギャツビーは登場しない。なんなら実在しない人物なんじゃないの?って思うくらい登場しない。それだけ引っ張っておいて、いざ登場するものの、それほどアクの強くない人だったりする。何か嘘をついている…と狂言廻し役のニックがそういういうんだから、まあ、そうなんだろうと、納得するしかない。さて何を隠しているのか。ニックに何をさせようとしているのか。

(ちょっとネタバレだが)
金の出所やら出自については確かに不明で、そこになにか陰謀が!?とか思ったのだが、意外にも純愛の方向に舵が切られる。確かに予備知識のなかった私にとっては意外な展開だったのだが、だからといってインパクトを感じたわけではない。もっと、ギラギラとした生臭さと、純愛の振幅を描くべきだと思うのだが、前者が薄いから後者も生きてこないのだろう。

ナイーヴで一途で、とことん彼女のことだけを考えるギャツビーだったのに、最終的には肝心のデイジーまでが背を向けるという、何ともせつない悲恋へとストーリは変貌。さらに、デイジーを守ったが故に生んだ誤解が、決定的な悲劇を生む。でも、やっぱり彼の一途さ自体がしっくりくるように描けていないので、かなりの肩透し感がある。

失われた愛を取り戻そうと8年もがんばったのはわかるが、それしか方法が無かったのか。実も蓋もない意見になってしまうが、そんな常識はずれなことをするほど彼女に執着する理由は何?観客が、過去にそういう恋愛をしていたなら、たしかにそこまでこだわるわね…と納得できる描写があったか?無いよね。だから、ギャツビーの行動が、観客に奇異に映るので入り込めないのよ。
トビー・マグワイア演じるニックの狂言廻し役も中途半端な振る舞いで、どうしてもこのドラマを俯瞰で眺めてしまう原因にもなっていると思う。

しかし、こういう内容の作品を3Dで公開する意味ってあるかねぇ…。そのせいで、浮いたようなCG合成になっていて、いまいちしっくりこない。いまどき珍しいくらいのヘタクソさ。

特段悪いともいえないけど、映像と同様になにかピントがずれてるような作品。お薦めできない。

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公開年:2012年
公開国:フランス、アメリカ、カナダ
時 間:138分
監 督:ポール・トーマス・アンダーソン
出 演:ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ローラ・ダーン、アンビル・チルダーズ、ジェシー・プレモンス、ラミ・マレック、クリストファー・エヴァン・ウェルチ、ケヴィン・J・オコナー、マディセン・ベイティ、レナ・エンドレ 他
受 賞:【2012年/第69回ヴェネチア国際映画祭】銀獅子賞(ポール・トーマス・アンダーソン)、男優賞(フィリップ・シーモア・ホフマン、ホアキン・フェニックス)
【2012年/第47回全米批評家協会賞】助演女優賞(エイミー・アダムス)、撮影賞(ミハイ・マライメア・Jr)
【2012年/第38回LA批評家協会賞】男優賞(ホアキン・フェニックス)、助演女優賞(エイミー・アダムス)、監督賞(ポール・トーマス・アンダーソン)、美術賞(ジャック・フィスク)
【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】助演男優賞(フィリップ・シーモア・ホフマン)
コピー:男はただ、信じようとした。

日本の敗北宣言によって第二次世界大戦末期は終結。海軍勤務のフレディ・クエルは、戦時中に自ら開発したカクテルにハマってしまいアルコール依存症になってしまい、軍病院のメンタルテストに引っかかってしまい除隊を余儀なくされてしまう。その後、カルフォルニアあたりで職を転々としていたが、依存症からは抜け出せないまま各地でトラブルを起こす毎日だった。そんなある日、たまたま目に付いた客船にこっそり忍び込む。やがて船員に見つかるが、その船で娘の婚礼パーティを催そうとしていた“マスター”と呼ばれている男は、フレディを許し歓迎するという。その男ランカスター・ドッドは、独自の哲学と方法によって、悩める人々の心を治療を施す“ザ・コーズ”という新興思想団体を主宰していた。フレディは、がこれまで出会ったことないタイプのトッドに興味を持ち、船を下りた後も彼の傍を離れなかった。そしてトッドも、行くあてのないフレディを無条件に受け入れ、フレディは団体の運営にも深く関わっていくようになるのだったが…というストーリー。

すったもんだあって、そのまま消えちゃうんじゃないかと思っていたホアキン・フェニックスが見事に復活。例の騒動の時のようにネジの外れた役柄だったのも功を奏している。なで肩というか肩幅が妙にに狭い感じの役作りもスゴイかった。
#ちょっと、メル・ギブソンっぽいくたびれかたになったね。

設定といい展開といい、実に掴みどころが無い内容。実にPTAらしい作品。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のノリに近いかも。二人の“狂人”としての渦が、時には混ざり合い、時には反発しあい、また別の渦を生んでいくような、そんな感覚に。

タイトルの“マスター”が何を指すか…が難しいところ。普通に考えればフィリップ・シーモア・ホフマン演じるトッドを指すわけだが、人生においての指針みたいな広い意味に捉えることもできるだろう。
特に、人間の依存体質のようなものに焦点が当たっているように思える。人間は何かに依存しないと生きていけないのだろうか。では、依存と師事・尊敬・参考との違いは何なのか。そもそも人間は何をもってアイデンティティを確立するのか。どうすれば確立したといえるのか。

フレディは自分が周囲とうまくいっていないことは、重々承知しているわけだが、何で自分がこうなのかは理解できずにいる。こうすればいいといわれても素直に受け入れられない自分のことも判ってる。とりあえず、従ってみてもいいかな…とトッドに対してだけは思えている。でも、やっぱりある程度心酔してみたものの、何かが得られたとは思えなくなり、離れてみたりもする(そりゃ、ほとんどインチキだから効果なんか出ないわけだが…)。
ちょっと怖いのは、その過程で、他者をコントロールしたくなるという業欲に、フレディもトッドも溺れているところだったりする。そして、この世には一概にはいえないかもしれないが、影響を与えている側と、与えられている側の二種類の人間がいるという事実である。

さて、横暴な態度とは裏腹に、じつはセンシティブなフレディの様子が綴られているのはわかった。で、この作品は何を伝えたいのだろう。実は私には答えが見えない。
何度か観るとみえてくるのかも知れないが、残念ながら、もう一度観せようと思わせる、画の力や、それこそ作品のランドーマーク的な興味深いシーンやエピソードは薄いように感じた。私にとっては、色々と難しい作品だったかも。

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公開年:1989年
公開国:香港
時 間:111分
監 督:ジョン・ウー
出 演:チョウ・ユンファ、ダニー・リー、サリー・イップ、ケネス・タン、チュウ・コン、ラム・チャン、シン・フイウォン 他
コピー:さらば拳銃、さらば熱き男たち……。






引退することを決意していた殺し屋のジェフリーだったが、最後の仕事でクラブ歌手のジェニーを巻き込んで、彼女の角膜を傷つけ視力を失わせてしまう。ジェフリーは、自分の仕業であることを隠し彼女を支援していたが、かすかな光程度しか視力のない彼女は、しばらくすると完全に失明してしまうことを知る。救うためには角膜移植しかなかったが、国内で順番待ちをしていてはいつになるかわからない。かといって海外での手術には莫大な費用が必要である。そこで、ジェフリーは、再び殺しの仕事を引き受ける。エージェントのシドニーから依頼された仕事は、麻薬シンジケートのボスの殺害。見事完遂したものの、ボスの甥であるジョニーに命を狙われるようになる。実は仕事の依頼元は甥ジョニーで、代金の支払いを踏み倒そうというのだ。一方、刑事のリーも、ボス殺害の容疑者としてジェフリーを追うのだったが…というストーリー。

“男たちの挽歌”シリーズ中では最高傑作とも言われる本作。とはいうものの、多分、一作目しか観たことがなく、おまけに内容の記憶がないので、比べられない。ただ、ジョン・ウーといえば、教会+二丁拳銃+横っ飛び+鳩。その…に関しては、本作はコンプリート。

画質の古臭さは香港であることと製作年を考えれば致し方ないが、役者の顔も演技も実に古臭い。あやうくコントチックになっちゃいそうなくらいに古臭い。そして、ストーリー設定まで、古臭い。
まず、チョウ・ユンファ演じるジェフリーは、殺し屋なんだけど悪人しか殺さないし、絶対に堅気の人間には迷惑をかけないことが心情の、任侠ヤクザみたいな殺し屋。まあ高倉健みたいなものだ。世の中の趨勢についていけなくなって、殺し屋を辞めようとしたが、最後でやらかしちゃう。自分のせいで未来ある女性の将来を奪ってしまった、さあどうしよう。こっそり色々と手助けをするようになるわけだが、普通なら、実は目を傷つけた犯人がジェフリーだとすれば、「そんなの嘘よ!」的なメロドラマが展開しそうなものだが、そうはならない。ジェニーは彼の優しさをあっさり受け入れて深い関係になってしまう。
何で、そこはあっさりなのかなぁ…と思うところだが、話の重心が、男女の関係ではなく、男の友情のほうに置かれているから。それも男の友情が2本もある。一つは、ジェフリーと旧知の仲のエージェント・シドニーとの関係。一度はジェフリーを裏切る形になるものの、やはりジェフリーとの友情を思い出し、身を挺して彼を守る。もう一本は、刑事リーとジェフリーの関係。当然、刑事と殺し屋は追いつ追われつの関係だが、リーも警察内ではみ出し者で、ジェフリーも他の悪人から追われる立場。悪人しか始末しないジェフリーと、悪に対して手を抜かず、そのせいで警察のなかで浮いてしまっているリーは、一緒にシンジケートに対峙する過程でシンパシーを感じ、友情を抱くようになる。

時代からはみ出した孤高の男が、ピンチの中で友情を見出していく姿は美しく且つ切ない。でも、男の友情の部分が厚すぎやしないだろうか。あれだけ、ジェフリーが角膜移植をさせることを望んだのに、ジェフリーの目をわざわざ使えなくするとか、最後も手すら握らせないとか、そこまでジェニーを不幸にする展開は必要だったろうか。せつなさやむなしさを強調する意図はわかるが、ずいぶんバランス悪かぁねえか?と。ここまでくると、ゲイ・ムービーかと。途中で巻き込まれた少女を助けるくだりを挟んだりして、ゲイ臭を薄めようとしているのだが、それでも薄まらないという濃さ(笑)。

このゲイ臭が鼻につかなければ、かなり愉しめるのだが、気付いてしまうとどうもノリ切れない作品。後は、敵に魅力が薄いのも難点かもしれない。アメリカでリメイクするとかしないとか噂があったようだが、この辺をうまく調整すれば、『ディパーテッド』のように成功する要素は十分だ。

銃撃アクションも、少し過剰すぎていて、リメイクの暁には調整要か。さすがに主人公側だけ弾が当たらなすぎで、興ざめしちゃうかも。盲目の女性がなんで流れ弾に当たらないいられるのかという無理さは、途中で牧師に救出させてギリギリセーフの演出だったけど。

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image2187.png公開年:2011年
公開国:フランス、ドイツ、ベルギー
時 間:92分
監 督:マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・パロノー
出 演:マチュー・アマルリック、エドゥアール・ベール、マリア・デ・メディロス、ゴルシフテ・ファラハニ、キアラ・マストロヤンニ、イザベラ・ロッセリーニ、エリック・カラヴァカ、ジャメル・ドゥブーズ 他
コピー:叶わなかった愛が、いちばん美しい。




天才的なバイオリニストのナセル・アリは、命よりも大事な愛用のバイオリンを妻に壊されてしまう。それは音楽の師から譲り受けたストラディバリウスで、いくら替わりのバイオリンを探しても同じ音色を奏でるものは見つからなかった。もう自分の演奏ができないと悟ったナセルは自殺を決意し、自室に引きこもる。そして死ぬ瞬間までの8日間、かつて思い通りにならなかった人生を思い出す。妻ファランギーとの打算的な結婚。母親の死。そして、音楽の修行時代、おまえの奏でる音は空っぽだと師にいわれた時に、イラーヌという美しい女性と出会い恋に落ちたことが、今でも彼の心を締め付けており…というストーリー。

バイオリニストが、一世一代の決意をしてとある行動を…とか何とかいう感じの紹介を見て借りたわけだが、前向きさのかけらも無い“自殺”という展開。『ペルセポリス』の女流監督の作品だった。そりゃ、こうなるか。いや、本人はシュールというかちょい笑いも差し込んだ作品にしているつもりなのかもしれない。いや、おそらく、本気でコメディをつくっているつもりのではなかろうか。だけど、キャラクターがいくら希望を持ったとしても、その根底にはどん底の諦めが漂っている。お国柄というかこれまでの経験からなんだろうけど、とにかく暗い。

暗いけれど、その反面、映像センスはすばらしく、特にイランの町並みの美しさや、独特の文様には目を奪われる。途中で差し込まれる、子供向け童話アニメのようなのが、賛否分かれるところかもしれない。全体の作風や、元々監督の漫画とも乖離しているので、わざとらしさや、狙いすぎている印象を与えているかもしれない。
ただ、それはそれとして、このアニメのデキがすごく好き。まったく予備知識なしで、このクリエイターに日本昔話をつくらせたら、ものすごく面白くなるんじゃないかと思った。

ストーリーに話を戻す。まあ、替わりのバイオリンを捜している間というのは、愛していない妻との生活でもなんとかやっていこうという一縷の可能性があったんだろう。しかし、もう、永遠に見つかることはないと悟った時、彼は死を覚悟し、そして本当に自分が手に入れたかった愛のことを思い出し死んでいこうとするわけだ。

演出上、よくわらないのは、娘や息子の将来の姿が、ナセルの妄想の中の出来事なのか、事実なのか。この作品にイマイチのめりこめないのは、一人称なのか、主人公以外の別のだれかの語りなのか、純粋な俯瞰目線なのか、定まっていないところかもしれない。

あんなに夫を罵倒していた妻なのに、実は…という、謎解きのような展開や、なんでナセルはこんなに、夢のない人間なのか…ということが、ゆっくりと、そして淡々と語られていく。まあ、簡単に言えば愛のすれ違いを描いているわけだが、喪失感からくる絶望とあきらめを通り越して、“虚無”がそこにある。その愛の無さが自分の子供にも向けられているのを見ると、(観ている間は感じなかったが思い出すと)吐き気をもよおしてくるほど。

もう、幼少からの心の傷を、かさぶたが覆い、また覆いの繰り返しで、何が傷なんだかわからなくなった人間による作品に思える。サルトルの書籍を読んだときに感じた不快な感覚に近いかも。

 

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image2168.png公開年:2010年
公開国:アメリカ、アラブ首長国連邦、ポーランド
時 間:134分
監 督:ピーター・ウィアー
出 演:ジム・スタージェス、エド・ハリス、シアーシャ・ローナン、コリン・ファレル、マーク・ストロング、グスタフ・スカルスガルド、アレクサンドル・ポトチェアン、ゼバスティアン・ウルツェンドウスキ、ドラゴス・ブクル 他
コピー:生きるために 歩く。
シベリアからインドまで6500kmを踏破した男達の真実の物語

1940年、スターリン体制下のソ連。ポーランド人兵士のヤヌシュ・ヴィスチェックは、スターリン批判をしたことと、スパイ容疑で逮捕される。無実だったが、ヤヌシュの妻が拷問された末に行った供述を元に、懲役20年を言い渡され、シベリアの収容所に送られた。寒さと飢えと重労働によって、死亡するものが続出。ヤヌシュは、収容所で親しくなったロシア人俳優のカバロフから、脱出する方法があると聞き、希望を持った。しかし、脱走したとしても、500kmも離れたバイカル湖に沿ってさらに南下し、モンゴルに脱出する必要がある。しかし、このまま収容所にいても生き残るのは難しいと考えたヤヌシュと他の6人は、脱出を決行。すぐにロシア兵に発見されるが、猛吹雪に助けられ、追っ手を巻くことに成功する。しかし、満足な食料も装備も持たない彼らは、早々に困窮し…というストーリー。

歩いて帰るっていう内容なので、タイトルは間違っていない。でも地味なので副題をつけたくなる気持ちもわかる。でも、“-脱出6500km-”はいくらなんでもダサいかな。
正直、コリン・ファレルを見て、ダメ映画かな?なんて、ちょっといやな予感がした。でも、案外マッチしてる良い役だったし、ほどよい途中退場具合。キャスティングのセンスを感じた。うん、邦題以外は、悪くない。アドベンチャー物としてはなかなか楽しめた。

あまりに過酷な状況で、普通なら絶対に挫けてしまうのだが、ロシア兵というか共産主義の波がどんどん迫ってくる恐怖が、彼らの背中を押す。しかし、ギャングまがいのヴァルカや、菓子職人に絵描きや地下鉄技師など、こんな特殊な状況でなければ、一緒に行動することはなかったであろう面々。誰かが裏切るのでは?という疑心暗鬼も相まって、緊迫感はさらに増す。そして、案の定力尽きる者が徐々に出てくる。

途中で合流するイリーナ役のシアーシャ・ローナンは、『ラブリーボーン』(2009)とか『ハンナ』(2011)の人。なんか、女が一人というシチュエーションにキナ臭いものを感じたが、そういう展開はなし(まあ、あったらかなりヒくが…)。でも、彼女の薄幸そうな容姿から、予想がつくと思うが、そういう展開になる。でも、衰弱する様子はなかなか説得力があった。
説得力という意味では、アメリカ人地下鉄技師ミスター・スミス役のエド・ハリスもなかなか。元々、頬もコケてるし、死にそうな感じはなかなかリアルだった。

軽くお薦めしたいところなのだが、ちょっと補足しておく。本作はまるで実話のような感じがする。実際、原作がある模様。でも、その原作の内容自体が、事実か否かかなり怪しいものだとWikipediaには書いてありますな(笑)。そう考えると、確かに、ちょっとあり得ない内容のオンパレードだ。

北海道のブリザードを歩いたことがある人間なら、ビバークでもしなけりゃすぐに凍死するし、歩けるような雪の深さではないことくらいわかるだろう(せめてカンジキくらいは自作しないとさ)。それに、真冬に食い物は本当にない。数週間歩き続けるのは無理だろう。
一番、私が疑問に思ったのは、砂漠を歩くところ。砂漠=暑いという発想なのか、まるでサハラ砂漠を歩いているような描写なんだけど、モンゴルの砂漠なんてそれほど暑くないと思うんだよね。また、ちょっと考えればわかると思うのだが、昼は砂をほって影とつくって睡眠し、夜に移動が上策だろう。なんで彼らは昼にあるこうとするのだろう…。

ミスター・スミスはチベットから中国に入り、アメリカ軍に合流すると言っている。中国と日本は戦争中。敵の敵は味方…という理屈はわかるが、別にアメリカ軍と中国軍がうまくやっていたわけでもなかろう。無理だと思うんだよね…。

いや、みんな、考えるな、感じろ。私が上に書いたことは忘れるんだ。そうすれば、楽しく観れる。あ、言い忘れたけど、ものすごく音楽が良い。

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image2153.png公開年:2008年
公開国:ブルガリア、ドイツ、ハンガリー、スロヴェニア、セルビア
時 間:105分
監 督:ステファン・コマンダレフ
出 演:ミキ・マノイロヴィッチ、カルロ・リューベック、フリスト・ムタフチェフ、アナ・パパドプル、ドルカ・グリルシュ 他
コピー:前を向いて行こう。
これは、故郷に帰る旅。そして、自分を取りもどす旅。




1983年、共産党政権下のブルガリア。アレックス少年の住む田舎町にも、共産党の圧政が忍び寄り、町で一番のバックギャモンの名人である祖父バイ・ダンを共産党員が監視しはじめる。その共産党員は、アレックスの父ヴァスコが勤務する工場の上司。ヴァスコの経歴に詐称した箇所があることを発見した上司は、ヴァスコにバイ・ダンを見張ってその動向を逐一報告することを命じる。しかし、どうしても義父を売るようなマネができないヴァスコは、妻ヤナとアレックスを連れて、ドイツ亡命を決意する。それから25年後。アレックス一家は交通事故に遭い、病院に搬送されたアレックスが病院で目を覚ますと、事故以前の記憶をすべて失っており…というストーリー。

いかにもロードムービーっぽいジャケット画像だし、そう紹介されているようだけど、タンデム自転車で旅をする部分は、それほど長くは無い。というか、アレックスの人生自体がロードムービーって感じ。本作は、サシェが記憶喪失になった後の現在と、サシェの幼少期の話が交互に語られるという構成。

はじめの23分くらいまでは、記憶喪失になった青年の記憶と取り戻そうとする、ありがちなお話にしか観えなくて、つまらなく感じるだろう。でも、絶対に観るのをやめずにその壁を越えてほしい。共産党員による陰湿な所業によって、サシェの父親が追い詰められていくあたりから、急に面白くなりはじめる(一瞬、あの事故も共産党によるもの?とか頭をよぎるのだが、それは考えすぎ)。

私が不勉強なせいかもしれないが、なんで祖父は、共産党から目を付けられていたのかが、不明。本当にバックギャモンの台を作って売ったというだけの理由なのか?当時のブルガリアではそういう締め付け政策があったのだろうか。あまり語り過ぎずに、いいさじ加減の演出であることは間違いないのだが、祖父が長い間投獄されたであろうことは想像できるが、そこの詳細も描かない。あまりにブルガリアのことを知らなすぎて、ピンとこない箇所が散見されたため、もうちょっと説明してほしいな…という部分があったかも。
#私、バックギャモンのルールはまったく知りません。知っていたらもっとたのしめたのかも。

でも、東西冷戦の真っ只中ではあるが、共産主義自体が疲弊してきている時期なのは間違いない。共産主義的な組織は、外部にうまく攻撃できなくなると、その牙を内に向けるのは必定だからね。何故か、基本的に何かを噛み殺したい衝動に駆られているのが、共産思想。共産思想がそういう人間をつくるのか、そういう人間が共産思想を利用するのか。まあ、後者である。日本で共産革命を標榜していた人間の大半がそう。そして今でも。

やりすぎな陳腐な監督なら、収容施設から脱出するときの闇業者にも騙されちゃう展開にしちゃうと思うけれど、そうはしなかった。また、ブルガリアの共産党員や、イタリアに難民収容施設の職員など、胸クソ悪くなる人物が多々出てくるが、勧善懲悪で彼らが懲らしめられる場面は、作中にはない。そういう狭い了見を超越したお話であることが、人間として達観しすぎている祖父が体現している。
#アレックスの役者もバイ・ダンの役者も本当にいい顔している。

アレックスが取り戻すのは記憶だけじゃない。共産国家の呪縛から体は逃れられたけど、心は何かに縛られたままだった。
深く考えすぎても、楽観しすぎてもいけない。どんな状況にあっても、心だけは自由であれ。いい映画だった。お勧め。
#どういうツテで、両親の連絡先がわかったのか…も、後から考えると気になる部分ではあるが…。

 

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image2169.png公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:79分
監 督:ジェームズ・フランコ
出 演:ヘンリー・カヴィル、ブルース・ウィリス、シガーニー・ウィーヴァー、ベロニカ・エチェーギ、ロシュディ・ゼム、オスカル・ハエナダ、ジェームズ・フランコ、マット・ベル、ウィルマー・カルデロン、トリップ・ホープ、ヴィンス・ジョリヴェット、ロビン・コーエン、リチャード・ポートナウ、ジャロッド・バンチ、チャリティ・シェイ、デヴィッド・ギャレット、マーニー・シェルトン、ステイシー・ミラー 他




ニューヨークで暮らす兄弟アダムとマックスは、二人共IQを持って生まれた。弟マックスのほうが飛び級するほどの天才肌だったが、その分社会性に欠けていた。その後、勤勉な兄アダムは医者になったが、弟マックスはマジメに学業に励むことがなく、ドラッグの売買に手を染めて、本人もドラッグに溺れる日々を過ごしていた。ある日、マックスは、ドラッグの取引相手とトラブルをおこし、街にいることが出来なくなってしまう。そこでマックスは、ドラッグはやめて真っ当に生きると約束し、西海岸のアダムの家に置いてもらうことに。適当に選んだコンピュータ会社に就職し、それなりに調子よくやっていたが、同僚にドラッグを薦められたことをきっかけに、再びドラッグに手を出してしまう。その後は歯止めが利かなくなり、会社の同僚を巻き込んでドラッグ三昧に日々に舞い戻ってしまう。そして、それがアダムにばれてしまい、家を追い出されてしまい…というストーリー。

まず、ジャケットの画像とタイトルを見たら誰でも、ドンパチありのガンアクション映画だと思うだろう。残念ながら、そういう内容ではない。まず、狼は出てこないし、狼に比喩されるような人物もでてこない。そしてチンピラの小競り合いくらいはあるが、誰一人として激闘なんかしやしない。むしろ、激闘どころか堕落の極みである。
特に、ジャケット画像の“サスペンスアクションムービー!”という煽り文句は、完全に詐欺であり犯罪行為である。JAROは元より公正取引委員会や消費者庁に告発してよいレベル。誰か英語の達者な人は、ジェームズ・フランコ監督や製作会社に、こんな扱いをされていますよ!と何とかして伝えるべき。毀損があまりにもひどすぎる。正直、この詐欺行為によって、まともに作品を観ることが困難になった。このDVDの発売元は、買った人やレンタルした人が求めれば、代金を返還する必要があると思う。それほどヒドい。

で、実際のストーリーは…と。最後に「兄に送る…」みたいな文字が入るので、もしかすると監督か脚本家の実体験がベースなのかもしれんが、そこはよくわからん。
兄もなかなか賢いのだが、弟は勉強をしている様子なんかまったくないのに、自分よりもテストの成績はよい。元々社会性や道徳心に欠けていたのかもしれないが、自分はデキるので、努力なんかしなくてもどうにでもなると思い込んでいるのが敗因。そんな調子だから学校にいくことなんかバカバカしくなっちゃって、目先の快楽に溺れまくり。ドラッグ売買に手を染めるだけでなく、客を騙してボロ儲けを目論む。そしてその客とトラブルになってしまう(死んだのか怪我をさせただけなのかは、いまいち不明)。
本当に賢いなら、世の中には自分ではコントロールできないことが山ほどあることに気付くのだが、あくまで記憶力や計算力に長けているだけで、弟マックスはアホなのね。神童、神童っていわれていた子がマトモに成長したのをみたことがない。

兄アダムは、そんなマックスを文句を言いながらも弟だからとフォローする。何が腹立つって、兄アダムが手を差し伸べてやっているのに、おとなしく言うことを聞いているのは、自分が困ったている時だけ(こういう人は、世の中に結構存在する)。やさしい兄になんて罰当たりな!って、思いたいところなんだけど、この兄貴もなんか気持ち悪くて、なんかいまいち同情しきれない。両親にかわいがってもらえなかった嫉みみたいなものが心に染み付いているせいなのか、何かひねくれているし、人から認められたいという欲求が強すぎてイタい人。

(以下ネタバレ)
結局、マックスは薬でヘタこいて懲役を喰らう。そのおかげで薬からは遠ざかることができるのだが、その一方でアダムが日々のプレッシャーから病院の薬物に手を出してしまい、兄弟がクロスフェードで壊れていく。
あのマジメな兄が!と驚くマックスだったが、ペナルティを受けた兄を今度は彼が励ます。おお、兄弟ってやっぱり兄弟なんだな…と、一瞬騙されて感動しそうになったが、そういう低いレベルで兄弟のシンパシーを感じあってるのを観て、素直に感動できるかいな。

“自分はデキる”と信じて邁進できるのはいいことだが、デキる自分と実際の自分の乖離が苦痛になって、反社会的な行為でその溝を埋めるような生き方は不毛極まりない…という教訓。まあ、それほど面白いお話ではないね。

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image2110.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:ロブ・ライナー
出 演:モーガン・フリーマン、ヴァージニア・マドセン、マデリン・キャロル、キーナン・トンプソン、エマ・ファーマン、C・J・ウィルソン、アッシュ・クリスチャン、デバーゴ・サンヤル、フレッド・ウィラード、ジェシカ・ヘクト、クリストファー・マッキャン、ケヴィン・ポラック、ボイド・ホルブルック 他



甥と叔父の関係にある二人の男性が避暑地にやってくる。足が不自由な叔父のモンテ・ワイルドホーンは有名な小説家だったが、妻を亡くしてからアルコールにおぼれ、創作意欲を完全に失っていた。ヘンリーは、モンテが少しでも以前の叔父に戻れるように、避暑地で夏を過ごすことを勧めたのだ。そして、タイプライターを別荘に置くことも忘れない。別荘の隣家には、シャーロットという女性とその3人の娘が住んでいた。次女と三女はモンテに興味津々で、特に次女はモンテが小説家であることを知って、小説の書き方を教えて欲しいと小遣いを払って懇願する。渋々ながらレッスンを開始する一方で、モンテは彼女たちとの交流を深めるにつれて、シャーロットに惹かれていくのだった…というストーリー。

日本では劇場未公開作品。『スタンド・バイ・ミー』『ミザリー』のロブ・ライナー監督でモーガン・フリーマン主演だからといって、これをヒットさせる!と公開に踏み切るのは確かにむずかしい。だって、最初から最後まで大した事件がおこらないんだもの。
イマイチな作品でも、トガった内容ならば、単館上映はあり得ると思うが、最後までふわっとしたハートウォーミングに終始するので難しかろう。
#ちなみにロブ・ライナーが『最高の人生の見つけ方』の監督だったから、本作の邦題になっている模様。実に無能。

だからといって悪い作品かと聞かれれば、そんなことはまったく無い。心温まるいい作品だと思う。心が頑なになってしまった老人の心が、避暑地で出会った隣人との付き合いと経て、ほぐれていく様子は、観客の心もほぐしてく。教科書的な批評になってしまうけど、実際そうだから仕方が無い。

頑固親父で通すのかと思ったら、ジジィってば結構柔軟だし素直。モメごとをおこしてまで我を通すのは、かえって面倒くさいと思っている模様。極めて現実的。
シャーロットのほうも、離婚問題でドロドロ展開になるのかと思いきや、弁護士を通し常識的に事を進めていく。離婚交渉にともなう、母娘の軋轢も、母親の娘時代の日記を発見することで、穏便に収束する。
あまりにも都合のよい展開だが、都合が良すぎて、観客の心がかき乱されることはない。でも、稚拙な演出で判っていながらもイライラさせられるよりはずっとましで、たまにはこういうさざ波のような作品は、心の栄養になると思う。
モンテは経済的には困窮してるんだけど、昔のヒット小説の権利を売りさえすれば、気持ち一つでリッチマンになれる。もう、普通に考えたら、いつでも安泰な人生をはじめられる人なんだよね。
#足が不自由(というか下半身不随)なだけに、下世話な展開にはまずならないし、まあ、とにかく安心して観ることができる。

確かに劇場公開に不向きだが、裏を返せば、だからこそレンタルで観るべき作品といえる。ほっこりしたよ。

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image2140.png公開年:2011年
公開国:フィンランド、フランス、ドイツ
時 間:93分
監 督:アキ・カウリスマキ
出 演:アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン、ブロンダン・ミゲル、エリナ・サロ、イヴリーヌ・ディディ、クォック=デュン・グエン、フランソワ・モニエ、ロベルト・ピアッツァ、ピエール・エテックス、ジャン=ピエール・レオ 他
ノミネート:【2011年/第64回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(アキ・カウリスマキ)
【2011年/第24回ヨーロッパ映画賞】作品賞(アキ・カウリスマキ)、監督賞(アキ・カウリスマキ)、男優賞(アンドレ・ウィルム)、脚本賞(アキ・カウリスマキ)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】外国語映画賞
 【2011年/第37回セザール賞】作品賞、監督賞(アキ・カウリスマキ)
コピー:心をみがけば、奇跡はおこる。

北フランスの港町ル・アーヴル。かつてパリでボヘミアン生活を送っていたマルセル。今はここル・アーヴルで靴みがきの仕事をしながら、愛する妻アルレッティとつましくも満たされた日々を送っていた。しかしある日、アルレッティが倒れて入院してしまう。やがて医者から余命宣告を受けたアルレッティだったが、そのことをマルセルには隠し通す。そんな中、マルセルはアフリカからの密航者で警察に追われる少年イドリッサと出会い、彼をかくまうことに。そして、母がいるロンドンに行きたいという彼の願いを叶えてあげるべく、近所の仲間たちの協力を得ながら密航費の工面に奔走するマルセルだったが…。

パルム・ドールにノミネートされていることは忘れて観たほうがよい。移民問題を扱っているから、反体制だよ、社会的な目線だね!っていう、カンヌ審査員のドヤ顔が浮かんできてウンザリするからね。
確かに欧州では移民問題は深刻だけど、カウリスマキがそれを深刻に描こうなんて思うはずが無い。あくまでシチュエーションの一つなだけであって、その舞台でキャラクターを軽妙に躍らせることをしか考えていない。実際の移民問題を念頭に置くと、不法入国のタチの悪さと、その悪影響が頭をよぎって、彼らを一切応援できないくなる。

主人公マルセルは、人柄は悪くないので嫌われてはいないけれど、町中の店にツケを貯めているので、ちょっと困った人扱いされている。でも、彼がコンテナで密入国してきた黒人の少年を匿っていると知って、彼らは急にやさしくなる。何故か。そのツケを貯めてる店の人たちは、元々みんな移民だったから。
#『ミッドナイト・イン・パリ』に出てくるフランスとはもちろん大違い。

黒人の少年イドリッサは逃亡した不法入国者としてニュースにもなっちゃって大変なことに。でも、町の人たちが無言で協力して、暖かく且つ必死にイドリッサを守ろうとする。でも、当のイドリッサが結構緊迫感がなくてちょろちょろ町に出ちゃう。しまいには、マルセルもイドリッサを妻の見舞いに生かせたりしちゃう。イドリッサが捕まっちゃう空気を醸しだしながら、さらっと何事もおこさないのは、カウリスマキ流。
根本的にイドリッサ自身に強い意志やキャラの濃さを付けず、あえて感情移入させないという演出なんだと思う。

逃亡資金を工面するために、往年のロックスターにお願いしてチャリティライブを開いてもらう。そんなくたびれたおっさんで、客が集まるんかいな?と思うけど、それ以上にライブを開く条件が、妻との仲直りの仲介役という展開。ジジィとババァをいちゃいちゃさせるのもいつものカウリスマキ。

で、余命宣告されてしまう妻はどうなるのか。主筋とはあまり絡むことなく、最後まで展開する。子供のようなマルセルは妻の死を受け止められないと考えられていたが、イドリッサを助けることで成長する…、そういう展開なのか? いやいやそこもカウリスマキ流が満開だった。
(以下ネタバレ)
奇跡がおこって完治!とかアリエネー!って思うかもしれないけど、カウリスマキのノリってむしろこんな感じだから。最後になってやっと“らしさ”が出たと私は思っている。

カウリスマキ作品ファンなら、いつもどおり。ファンじゃないなら、なんだこれ? そういう作品。

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image2125.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:ロバート・ロレンツ
出 演:クリント・イーストウッド、エイミー・アダムス、ジャスティン・ティンバーレイク、ジョン・グッドマン、ロバート・パトリック、マシュー・リラード、ジョー・マッシンギル 他
コピー:スカウトマン、娘1人。キャリア最後の旅に出る。





数々の名プレイヤーを見出してきた、伝説的なスカウトマンのガス。しかし、近頃はコンピュータによるデータ分析手法や主流となっており、彼の“勘”によるスカウト手法は時代遅れになってきた。さらに、肝心の視力が衰え、その勘を発揮することもできなくなってしまう。残りの契約期間は3ヶ月となり、再契約が結ばれる可能性は極めて低くなっていた。そんな中、ドラフト注目株の高校生の調査をしていたガスのもとに、一人娘のミッキーが突然やってくる。ミッキーは弁護士事務所に勤務しており、今、経営陣に加われるか否かの大事な時期。さらに、この父娘は、ガスが家庭を顧みずスカウティングに没頭していたため長年疎遠だったこともありギクシャクした関係。ガスはミッキーに仕事に戻るように言うが、頑として聞かない。実は、ガスの目が悪いことを心配した、球団フロント職員のピートが、ミッキーに力を貸してほしいとお願いしていたのだ。気まずい雰囲気のまま二人は、注目選手の調査をはじめるのだった…というストーリー。

また適当に“人生の”なんてありがちなタイトルを安易につけちゃって…と思ったが、劇中のセリフにそれっぽいのがあったからチョイスしたんだろう。でも、最近こういうタイトルが多すぎて、プロモーション的にはNG。「あー、あのクリント・イーストウッドと娘にスカウトする話って、難ってタイトルだっけ…。最高のなんとかだっけな?」なんて感じで、捜すのが難しかったくらいなのでNG。

御大の作品ながら、映画賞からは総スカンをくらっている。しかし、決して悪い作品ではないのだが、ダメな理由ははっきりしているのかな…と思う。

まず、父娘の断絶を乗り越える…というテーマがある。父と息子、母と娘で、この手のテーマは少なくないが、父と娘というのは少ないかも。娘の結婚を機に云々…という話はあるけど、こういう男勝りな娘との関係というのはあまりないし、一般的に考えると特異なキャラクター同士のため、共感はしにくいかもしれない。
ガスははじめから娘を遠ざけようと思っていたわけではなく、男手一つで育てようと覚悟していたのだが、なぜそうできなかったのか…、その秘密がこのストーリーのミソなわけだが、これがどうもしっくりこない。
(以下ネタバレ)
ちょっと目を離している隙に、娘が変態野郎にいたずらされそうになっていた。「ああ、こんな状態では娘を守ることができないのか…」ということで、娘を預けることにした…というならわかるのだが、その後、相手の男をボコボコにしてしまったので、もしかしたら捕まっちゃうかもしれないので兄弟のところに預けた…と。こんな乱暴者のもとでは育てられない…という考えはわからんでもないが、何かしっくりこない。結果逮捕されなかったんだし、次から気をつけりゃいいと思うのだが、娘と離れ離れになることを選択する感情がイマイチ共感できないし、手紙一つよこさない理由にはまったくなっていない気がする。
この、話を成立させたかったら、最終的に起訴されなかったにせよ、短期間にせよ、実際に逮捕・拘留されたという設定しなければいけない。それなら物理的に娘を守ることはできないのだがら、娘を預けざるを得ないというのは、納得できる。

もう一つの本作がしっくりこない理由は、ご都合主義的すぎる展開のせい。
ガスを目の敵にする球団職員に陥れられ、球団オーナーもそいつの意見にほだされてしまい、ガスの決定を退けてしまう。おまけにそのせいでジャスティン・ティンバーレイク演じるジョニーとの関係もおかしくなってしまう。ガスのスカウトとしての名誉を復活させないと、この話はおかしくなってしまので、あのドラ1高校生がポンコツであることを、白日の下に晒さねばならない。でも、そのために登場するのが、ドラ1男と同じ高校で、彼にバカにされていたピーナッツ売りの少年で、そいつが実はものすごいピッチャーだったという、とてもとてもあり得ない展開。これが都合良過ぎて、ヒいてしまうほど。これが一番イカン。

ミッキーもスカウトの道に…ということでハッピーエンドになるわけだが、それもちょっと都合が良すぎる。それよりも、ガスとの契約を切る際に、社会保障はしっかりつけるといっていたくらいなんだから、白内障をさっさと手術すればいいのに…と思う。
そういう細かいところまで、なにか、一般的な感覚とズレがある作品。

でも、基本プロットは良いと思うんだよなぁ。監督と脚本家のキャリア不足のせいなのかなぁ。

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image0098.png公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:102分
監 督:ゴア・ヴァービンスキー
出 演: ニコラス・ケイジ、マイケル・ケイン、ホープ・デイヴィス、ニコラス・ホルト、マイケル・リスポリ、ギル・ベローズ、ジェメンヌ・デ・ラ・ペーニャ 他






地元シカゴのローカル・テレビ局で気象キャスターとして働くデイヴ。仕事の内容にしては多額の報酬を稼いでおり、順調な人生のように思われたが、なぜか街を歩いているとファストフードや飲み物を何度も投げつけられる。私生活では別れた妻ノリーンの元暮らす二人の子供たちは、それぞれ問題を抱えておりデイヴは気が気ではない。デイヴは復縁を考えてるがノリーンには一切その気がない。デイヴの父ロバートは有名な作家だったが、父からはまったく認めてもらえていないと感じており、関係もいまいちギクシャクしている。そんな満たされない毎日を送るデイヴは、これらの問題を打破するために、ある夢を描いていた。それは全国ネット番組“ハロー・アメリカ”のウェザーニュースを担当すること。何度もアプローチした結果、やっとオーディション話がやってきた。これを機に家族との絆を取り戻そうとノリーンにそのことを告げるのだが…というストーリー。

これ、日本未公開作品。自分の性格のせいで、現状に満足できない男が苦悩するストーリー。そんなに悪いとは思わないんだけど、ニコラス・ケイジ演じる主人公デイヴにイマイチ共感できないことが、未公開の理由かと。共感できない一つ目の理由は、彼がわずか2時間仕事するだけで、ローカル局にもかかわらず24万ドルという多額の報酬を貰っており、時間も金も余っていて、いくら家族の問題を抱えていても心持ちひとつでどにでもなりそうな境遇。何を贅沢なこと言っとんねん…と。
もう一つの理由が、あまりにもデイヴの性格が悪すぎること。デイヴの性格の悪さは、随所に見られるが、私が一番致命的だなと思ったのは、NYで娘に“なんでお前はラクダの足”と呼ばれているか?を聞いたとき。娘は“ラクダの足は強いから。私が強いから”とまったくトンチンカンな答えを言う。そのときデイヴは気付いていないと安堵の表情を見せる。いやいやいや。いずれ真実を知ったらもっと傷つくのだから、ほっとしている場合ではない。このとりあえず今乗り切れればいいという思考回路が実に不愉快な人間。ノリーンが愛想を尽かすのも至極当然。
冒頭のデイヴが両親の家を訪れる場面。母親は孫娘をいい娘だというが、父親は問題児だと看破する。見たくないものは見ないという性格は100%母親から受け継いでいることが表現されている。父ロバートは、妻がそういう性格なのはまあ良しとしても、息子がそれを受け継いでいる事については、顔には出さないものの非常に心を病んでいる。そんな矢先自分の大病が発覚。この息子をなんとかしなければ…と思うが無駄に体面ばかり気にして、自己顕示欲の塊のようになっている息子に、正論を語っても逆効果。

ロバートは死ぬ前に“価値あるものを手に入れるためには、それなりの犠牲も必要”と言う。まあ、わからないでもないけど、デイヴの場合、ハロー・アメリカの仕事を得るために、必ずしも必要な犠牲だったわけでもなく…。
それだけ収入があれば、けっこう頻繁に子供をNYに呼ぶことも可能だろうし。ラストで、アメリカンドリームを実現するためには、何らかのトレードオフが必要。そういうことには我慢しなきゃ。納得しなきゃ…とか、いわれても、何かピンとこない。

ニコラス・ケイジもマイケル・ケインも、ものすごくいい演技をしているんだけど、なんか芯が狂っているお話だと思う。とにかくピンとこない作品。

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image2097.png公開年:1985年
公開国:スウェーデン
時 間:102分
監 督:ラッセ・ハルストレム
出 演: アントン・グランセリウス、メリンダ・キナマン、マンフレド・セルネル、アンキ・リデン、ラルフ・カールソン 他
受 賞:【1987年/第3回NY批評家協会賞】外国映画賞
 【1987年/第45回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞
 【1987年/第3回インディペンデント・スピリット賞】外国映画賞



12歳の少年イングマルはいたずらっ子で、周囲の大人をこまらせてばかり。父は海外で働いており、母親といじめっ子の兄との3人暮らし。しかし、近頃、母親の体調が芳しくなく、夏休みの間、兄は祖母のところに、イングマルはグンネル叔父さんのところに預けられることになった。愛犬シッカンは、犬の保育所が預かってくれるとのこと。グンネル叔父さんの家は大きなガラス工場があるオーフェルシュ村にある。そこには都会にはいないような個性的な人たちばかり。中でも同じ年のガキ大将サガと出会う。はじめは男の子だとおもっていたが、実はサガは女の子。男の子と一緒にボクシングやサッカーに興じているが、彼女が胸が目立ってきて、女の子であることがバレてサッカーチームにいられないことを恐れている。彼女をはじめ多くの友達とひと夏を過ごしたイングマルは、秋になり久しぶりに家に戻るのだが…というストーリー。

『ギルバート・グレイプ』や『サイダーハウス・ルール』『シッピング・ニュース』のラッセ・ハルストレムがアメリカに渡る前の作品。アメリカで製作された各作品ほど、“鬱”展開ではないがその萌芽は十分に見られる。

イングマルを庇護すべき母親は病気によりその役目を果たすことができない。肉体的な病気だけならまだ問題はないのだが、精神にまで不安定となり、その理不尽な反応に、少年は苦悩する。それでも、それほど不幸じゃないと、自分に言い聞かせるイングマル。
そんな状況もあって、いたずらっ子というかガキ大将的な振るまいをするイングマル。問題行動は母をさらに苦悩のネタを増やすことになるが、母親はただ泣き叫ぶだけで、決してイングマルが求める反応になって返ってくることはない。

養育が出来なくなった母親は(というか親族は)、子供たちを親戚のところに預けることに。幸いなことに、はみだし者だったイングマルが戸惑うほど変わった人で溢れる村で暮らすことに。母親への思いは、犬の身を心配する心は張り裂けんばかりだが、それでも、田舎の子供たちを子供らしい日々をすごす。

粗暴な子供が案外モテるというのは、ヨーロッパでも日本でも同じなんだな。イングマルはなかなかモテる(笑)。

アメリカに渡ってからのハルストレムなら、不幸なできごとがもっと波状攻撃になるところだが、本作は予感だけ漂わせて、寸止めで大した事が起こらない展開が多い。その予兆が的中したのは、シッカンの死くらいだな(でも、あんな田舎なら、別に犬くらい連れていっても問題なかっただろうに…)。
もう、鬱になるかグレるかしかなさそうな状況なのに、イングマルは周囲のおかしな人々から溢れる小さな愛で踏みとどまる。イングマルの楽しさと悲しさが渾然とした笑顔は、とても印象的。
そうこうしながら、イングマルは成長していく。サガも成長していく(最後はスカート穿いていたな)。色々あるけど、どんなにつらくても何とかなるよ…、たしかにハルストレムらしい。まあ、好みは別れるところだとは思うが良作。

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プロフィール
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クボタカユキ
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趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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