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image0515.png公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:126分
監 督:ラッセ・ハルストレム
出 演:トビー・マグワイア、シャーリーズ・セロン、マイケル・ケイン、デルロイ・リンドー、ポール・ラッド、キーラン・カルキン、ジェーン・アレクサンダー、キャシー・ベイカー、エリカ・バドゥ、ケイト・ネリガン、K・トッド・フリーマン、J・K・シモンズ、エヴァン・デクスター・パーク、スカイ・マッコール・バートシアク、エリック・パー・サリヴァン、パス・デ・ラ・ウエルタ 他
受 賞:【1999年/第72回アカデミー賞】助演男優賞(マイケル・ケイン)、脚色賞(ジョン・アーヴィング)
コピー:そして僕は歩きはじめる

メイン州ニューイングランドにあるセント・クラウズの孤児院で生まれ育ったホーマーは、院長のラーチの助産の仕事を手伝っていた。ラーチはホーマーを息子のように愛し、ホーマーもラーチへの感謝を忘れることはなかったが、ラーチは違法な堕胎を行っており、それについてだけはホーマーは納得するができなかった。やがてホーマーは、このままラーチの元にいてよいのか、将来に不安を感じはじめる。ある日、ホーマーは堕胎手術にやってきた軍人ウォリーとキャンディの若いカップルと一緒に、孤児院を出て行くことを決める。ホーマーは、ウォーリーの親が経営するリンゴ園の仕事を紹介してもらい、収穫人たちの宿舎サイダーハウスで一緒に暮らし始める。生まれて初めて労働の喜びを感じるホーマーだったが…というストーリー。

軽妙に展開するが扱う内容は非常に重い、ハルストレム監督らしい作品。
堕胎を良しとするか否か。アメリカでは毎度 大統領選挙の争点になるほど重要な対立軸。ホーマーは生まれてくる子供の立場で大体の是非を考え、ラーチ院長は女性側の立場で考える。

やがてホーマーは自立して人生経験を増やしていくが、中盤は堕胎がストーリーの軸であることを忘れるくらい触れられない。純粋にホーマーが“社会”というものを知り、“青春”というものを取り戻していくという、グローイングアップムービーとなっている。
その中で、シャリーズ・セロンの美しさは特に際立っている。ホーマーのキャラクター設定上、堕胎という行為を忌避はするが、堕胎した女性に対して嫌悪感を持っているわけではない。しかし、結果的に堕胎した女性を愛することになるという矛盾を、シャリーズ・セロンの田舎町に不釣合いな美しさが、説得力を生んでおり、ストーリーの重要なピースになっていると思う。

最終的にホーマーは、きちんとするとかしないとかそんなレベルではない、ローズ・ローズの本人では抗いようのない運命を見ることになる。法的・宗教的には堕胎禁止は大事なことだが、はたして人々にとって、完全な善なのか。

“サイダーハウス・ルール”は、雇い主からしたら重要なルールかもしれないが、現場の人間には何の意味もない。リンゴ詰み作業の黒人たちは、字が読めないから、きっと自分たちを強く縛る戒めが書いているに違いないと思っている。しかし、ホーマーに読み上げてもらったら、なんじゃそりゃ?状態。

もしかして、同じように法や戒律も、その沿革や目的を理解すれば、それに合致しないシチュエーションなら許容されるのではないか?その法が想定していなかった事情の場合は、無効なのではないか?堕胎に関して言えば、単に快楽の結果や安易な経済事情ではなく、産むこと育てること自体が憚れるような場合は、適用除外なのではないか。
もっと言うと、法や戒律は、それだけが一人歩きすると、かえって世に害悪を及ぼすケースがあるのではないか。その段階で法は半死しているとすら言えるのではないか…とまで、言っていると思う。

で、実際の社会ではそういうことがあるでしょう…と、社会に出たくて仕方が無かったホーマーは、社会でそれを知って戻ってくる。まあ、決してこの作品がこの議論に決着を出せるほどの答えをだしているわけではないけれど、一つの重要な視点、シミュレーションになっていると思う。良作だと思う。
#ニセ免許のくだりは豪快だ。そして、ホーマーもそれに乗っかっちゃうことには、疑問を抱かないというね…(笑)。

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image1957.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:マイク・ミルズ
出 演:ユアン・マクレガー、クリストファー・プラマー、メラニー・ロラン、ゴラン・ヴィシュニック、メアリー・ペイジ・ケラー、キーガン・ブース、カイ・レノックス、チャイナ・シェイバーズ、ジョディ・ロング 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】助演男優賞(クリストファー・プラマー)
【2011年/第37回LA批評家協会賞】助演男優賞(クリストファー・プラマー)
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(クリストファー・プラマー) 【2011年/第65回英国アカデミー賞】助演男優賞(クリストファー・プラマー)
【2011年/第27回インディペンデント・スピリット賞】助演男優賞(クリストファー・プラマー) 【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】助演男優賞 クリストファー・プラマー
コピー:「私はゲイだ」父が75年目に明かした真実が、僕の人生を大きく変えた。

デザイナーのオリヴァーは、奥手な性格のため38歳になった今も独身。母が亡くなってから5年経ったある日、父ハルから突然自分がゲイであると告白される。厳格だった父の突然の行動に戸惑ったが、若い恋人アンディやゲイの仲間たちと楽しく過ごすハルを見て、それを好意的に眺めるようになる。だが、すぐにハルは末期ガンであると診断されてしまう。ハルは闘病しながらも人生を謳歌することを続け、オリヴァーも父の介護をしながら、これまで語り合うことなどなかった父との距離を縮めていくのだった。やがて父は亡くなり数カ月後経ったある日、とあるパーティーでオリヴァーはフランス人女優アナと出会う。なにか同じ匂いを感じ、二人は恋に落ちるのだったが…というストーリー。

子供の時、父の看護中、現在。そのの3つ流れが、チャンポンに編集されているのだが、父の看護中と現在は、ほとんと同じ時期の出来事なので、はじめの方はちょっと混乱する。

父親にゲイ告白され、とまどう息子…という構図だけなら、それまでさほど親子らしい関係を築いてこなかった息子としては、勝手にやってよ…となるところなのだが、ガン宣告されてしまうので、優しいオリヴァーとしては放っておけなくなる。途中までは、そんな親子関係の修復の話かと思ったが、実は違うんだな。
目前で繰り広げられるゲイ同士の愛をみて、これは正しい愛の姿なのか?オリヴァーは嫌悪を示さず冷静に彼らを見つめる。飄々としているものだから、オリヴァーの恋人アンディは、逆に冷静を装って距離を置いていると思うくらい。しかし、正しい愛の姿かどうか以前に、オリヴァーはゲイじゃない愛を知っているのか…
それは父親不在だった子供の頃の母と二人の生活の様子から垣間見れる。母との関係が悪かったわけではないが、オリヴァーは母親から無償の愛を注がれたことなどないのだ。

さらに、オリヴァーは自分がなんでこれまで付き合った女性と長続きしないのかを考え始める。決して喧嘩別れしたわけではない。結局は密接な関係になることを忌避してしまうのだ。そこで出会ったのがアナ。同じく親とうまく関係を築くことができずに、異性との距離感がわからない女性。で、結局はこの二人もうまくいかない。やっぱりうまくいかないとわかっていた…的なことを犬が言うのだが、それはアナの内なる声だったということが判る。

確かに愛されたことがないから、どうやって愛したらいいかわからない。でも、自分がなぜなぜ人を愛することができないのか、その理由はわかった。三つ子の魂百までっていうけれど、愛されなかった子供は絶対に他人を愛することはできないのか。確かに“愛の連鎖”は途切れているけど、自分が“初め”になってもいいんじゃないのか。怖いけれど、愛してみよう。だから、タイトルは“BEGINNERS”。そういうこと。

ピンときた人だけが腑に落ちる、そんな作品。ふ~、なるほどね…、って感じで観終えた。悪くなかったよ。

 
 

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image1970.png公開年:1990年
公開国:イギリス
時 間:90分
監 督:ハリー・フック
出 演:バルサザール・ゲティ、クリス・フュール、ダニュエル・ピポリー、バジェット・デイル、ゲイリー・ルール、アンドリュー・タフト、エドワード・タフト、マイケル・グリーン 他
コピー:生き残れるか、子供たち。



陸軍学校の生徒たちを乗せた飛行機が南太平洋上で墜落し、大怪我した機長と24人の少年たちが無人島に漂着する。唯一の大人である機長は意識不明の昏睡状態だったため、年長のラルフがリーダーとなり、生き残るためのルールが決められていった。とりあえず火をおこすことに成功し、狼煙を上げ続けて救助を待つことに。不便ながらも男の子だけの島の生活は楽しいものだったが、徐々にルールを守らなくなる少年が現れ、ラルフはいらだちを覚えてきた。そんな中、海上にヘリコプターの機影を発見。救助してもらえると期待は高まったが、ヘリは彼らを発見できず去っていった。なんと、狼煙の火が消えていたのだ。火の番をしていなかった者を叱責するラルフだったが、元々ラーフと仲の悪かったジャックが猛反発し、狩猟隊を結成して離脱してしまう。ジャックたちが、自由に遊び、豚を狩って食べるのを見て、ラルフの元にいた子供も、ジャックの元へ移りはじめ…というストーリー。

日本未公開の作品だが、その理由は二つだろう。一つは、無人島での両陣営の攻防に山谷があまりなく、淡白な印象であること。サラッと終わったように感じ、物足りなく思った人が多いだろう。もう一つは、エグい所業が少年によって為されること。

別に子供であることでエグさを際立たせようとかそういうことではなく、人間の奥底にある“素の人間”とはどんなものなのかを浮き彫りにするために、子供を用いているのである。そして、むき出しの人間性による“レッセフェール”の末に何が待ち受けているか。これは、行動心理学であり経済学のモデルであり、ロールプレイなのだ。
欲求のままに振る舞う人間と、自制こそ集団維持の道と考える人間の対決は、どうなるか。『ミスト』ばりの後味の悪さだが、子供の所業故に『ミスト』よりも不快感を覚えた人は多かろう。でも私はOK。立派にロールプレイとして成立していると思う。この後、子供達はどうなるんだろう…と気になる人もいるだろうが、作品の主旨を考えるとそんなことはどうでもいいポイントなのである。

ただ、シナリオとしては、ちょっと芸がない所がが目立つ。昏睡状態だった機長が、子供達の行動のエスカレートにあまり影響を与えておらず、存在の意味が薄い。そしてタイトルの意味。“蠅の王”とは、怪物を恐れたジャックが供え物にした蝿が群がる豚の生首のことで、それが暴食の象徴である悪魔ベルゼバブにも懸かっているのだが、それがタイトルにするほど重要な意味を持っているか?という点。その辺がガチっと噛み合えば、傑作になり得たかもしれない。まあまあの作品ってところ。

 

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image1943.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:ジョナサン・レヴィン
出 演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット、セス・ローゲン、アナ・ケンドリック、ブライス・ダラス・ハワード、アンジェリカ・ヒューストン、マット・フルーワー、フィリップ・ベイカー・ホール、サージ・ホード、アンドリュー・エアリー、ドナ・ヤマモト、シュガー・リン・ビアード、イー・ジェー・ツァオ、サラ・スミス、ピーター・ケラミス、ジェシカ・パーカー・ケネディ、ダニエル・ベーコン 他
受 賞:【2011年/第27回インディペンデント・スピリット賞】新人脚本賞(ウィル・ライザー)
コピー:人生、あきらめるには早すぎる。

シアトルのラジオ局で働く27歳のアダムは、恋人レイチェルと同棲中。酒もタバコもやらないし日々の運動も欠かさない健康的な青年だったが、最近背中の痛みを感じて病院にいくと、5年生存率が50%のガンと診断されてしまう。早速、きつい抗がん剤治療に入るアダムを、恋人のレイチェルは励ましてくれるし、親友のカイルはいつもどおりの能天気な態度で接してくれる。認知症を患う夫を持つ母親は、あいかわらず煩わしいが、彼女なりに受け止め気を使ってれる。そして、主治医に薦められた研修中の心理療法士キャサリンのセラピーを受け、一緒に化学療法を受ける患者たちとも友人になる。そうして、アダムは病気なんかに負けずに、前向きに闘病生活を送ろうとするのだったが…というストーリー。

ジャケット画像を見れば、主人公がガンになるお話ってのはわかりきっている。ガンであることが発覚するまで、見え見えの展開に付き合わないといけないんだろうな…なんて思っていたのだが、スムーズに展開。決して、乱暴な編集なわけではない。無駄なく、うまいこと導いてくれる感じ。全体的にも、作為的な無理な盛り上げがなく、一気に観れちゃう。するすると飲めるいいお酒みたいな出来映え。
ガンという重いテーマながら、軽妙にまとめた秀作…なんてありきたりな評価はしたくないんだけど、まさにそれなんだからしょうがない。気丈に振舞いながらも、ゆっくりと現実を受け止めるのと比例して、虚無感や何でだ! という重いが勝ってくる。それと反比例して周囲の人と関係が洗われていく。そう、まさに“ブラッシュ”されていく感じ。全部がウマくいくわけじゃないんだ。

命に直結する病気だから、否が応でも死に向き合わざるを得ないし、逆に受け止め切れなくて普通に振舞っちゃうんだろう…なんて思うかもしれないけど、ここまで重くなくても、麻酔をかけて手術をしなけりゃいけないことになると、誰でも万が一を考えるものだ。経験者なら共感できる描写が、ちりばめられているなぁ…と思ったら、脚本を書いているウィル・ライザーの体験が元になっているお話だった。そして、劇中でも親友役を演じているセス・ローゲンは、ウィル・ライザーの実際の親友で、製作までやっている。そりゃ、違和感ないわけだよ。
親友も母親も、これ以上やると興醒めするって線がキープされているし、認知症の母親の夫も、変に感動させるネタとかにしないところがいい。とにかく、演出も演技も“適度”。

アダムは、火山の噴火のニュースを見て、自分が手掛けていた番組制作のことを思い出す。一瞬、あ!オレは仕事やりかけだ! って思うんだけど、それ以上は何もない。シナリオ上、ここはもっと生かさないといけないところだろ!って言いたい人は多いと思う。でも、案外こんなもんなんだよ、実際。
死を目の前にして、別に放り出してもいいかな…っ気になったのか、どうしようもない…って悟ったのか、いがいとさらっと流せちゃっう。思い出して執着するとか、そういう展開じゃないところが秀逸。ホント、入院しちゃうと、まあ、後は任せるわ…って気になるもんだよ。そして、実際、世の中なんとかなるもんなんだわ、これが。

結構、いろんな映画ネタがちりばめらているのも面白かった。映画LOVEの溢れる映画でもある。是非観てほしい一作だな。

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image1932.png公開年:2010年
公開国:フランス
時 間:80分
監 督:レベッカ・ズロトヴスキ
出 演:レア・セドゥー、アナイス・ドゥムースティエ、アガト・シュレンカー、ジョアン・リベロー、ギョーム・グイ、アンナ・シガレヴィッチ、マリー・マテロン 他
受 賞:【2010年/第36回セザール賞】有望若手女優賞(レア・セドゥー)




17歳のプリューデンスは広い家に一人暮らし。母親が死んだ後、父親は海外出張でカナダにいったきり戻ってこず、姉は母親のいない家にはいられないと、親戚の家に泊まりこんでいる。誰からも干渉されない自由な生活だが、孤独に押しつぶされそうな毎日で、その孤独を補うため、人との繋がりを求めてデパートで窃盗を繰り返している。ある日出会った不良少女マリリンと知り合いになり、家に泊めるようになる。マリリンの知り合いが、違法バイク・レースをやっていることを知り、その世界にも関わっていく。そこで同じ年毎のフランクと出会い、特に恋愛感情があるわけでもないのに肉体関係を持つが、どれだけ、刹那的な関わりを重ねても、プリューデンスの心は満たされず…というストーリー。

どこかで見たことがある気が…と思っていたら、このレア・セドゥーは、『ロビン・フッド』とか『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』にちょこちょこ出てるんだな。でも、この女優さん一人で作品を引っ張れるほどの魅力があるわけではない。

『太陽の季節』のような若者の暴走を描いたともいえるし、80年代の角川のアイドル映画のように少女の背伸びを描いたともいえる。孤独な少女の退廃的な一時期をポートレートのように切り取った一作…といえば聞こえがいいが、あちこちで乳を出すシーンばかりだし、少女の苦悩の表現も甘いし、自暴自棄に危ういところに飛び込んでいくハラハラ感も薄い。
何か、ドラスティックな展開でもあるのかと期待したが、ラストまで大きな展開はなく、根は清純な少女が無理をして、アンビバレントな状況に苦悩するだけという、予想のつく内容。それを補うような、ショッキングなシーンがあるわけでもなく、とにかく退屈。

(ネタバレ…なのかな)
死んだはずの母親が、なぜかラストに登場。なにやら耳が遠くなったり、ちょっと精神に支障があるような雰囲気なのだが、わけがわからない。父親も姉も母親が死んでいないことを知っていたのか?大体にして、母親が死んだということにできるものなのか?それを17歳にもなった人間が信じるなんていうことがあり得るのか?
いや、さすがにそんな馬鹿なことはないだろう。きっと、このシーンごと、あまりの孤独感から生じたプリューデンスの妄想に違いない…とか、色々考えは巡ったのだが、何か考えることすら、労力の無駄な気がして、そのまま私は心をクロージングしてしまった。
だから、ラストの意味は結局よくわからない。

日本未公開作品なのだが、そりゃそうだろう…って出来映え。

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image1922.png公開年:2010年
公開国:アルゼンチン、フランス
時 間:90分
監 督:ナタリア・スミルノフ
出 演:マリア・オネット、ガブリエル・ゴイティ、アルトゥーロ・ゴッツ、エニー・トライレス、フェリペ・ビリャヌエバ、フリアン・ドレヘル、ノラ・ジンスキー、マルセラ・ゲルティ、メルセデス・フライレ 他





ブエノスアイレスに住む専業主婦のマリアは、夫と2人の息子との4人暮らし。これまで、妻として母親として献身的に尽くしてきたことに不満はないが、そんな平凡な日々にこれでいいのかという思いもつのる。そんな中、50歳の誕生日にたまたまプレゼントされたジグソーパズルに夢中になってしまう彼女。すっかり夢中になって、別のパズルを求めて専門店に足を運んだところ、そこに“パズル大会のパ-トナ-募集”の広告に発見。思わず広告主に連絡を取り会ってみることに。その相手は出場経験豊富で何度も入賞している独身紳士ロベルト。彼はマリアの才能に惚れ込み、2人で大会出場をすることに。しかし、マリアは家族に、パズルの大会に出るなどとは言えず、叔母の介護と偽ってロベルトのもとに通い練習にはげむのだったが…というストーリー。

夫と子供の飯の世話ばかりの日々にうんざりしているおばちゃんは、家事の合間にやるパズルだけが楽しみで、パズル屋でふと見かけたパズル大会のパートナー募集の紙。これだ!と思い、連絡を取る。やっぱり、息子がヴィーガンの彼女の言いなりになって、自分のつくった飯を食わなくなったのは大きいよね。自分のいない間にキッチンを使われるのも、カチンときただろう。
#しまいには、夫まで、息子の彼女の食事療法に付き合っちゃうとか、もう、うんざりだわ。そこは共感する。
主人公のおばさんもそうだろうけど、観ているこっちも、パズル競技なるものがあることに驚くわけだ。そして、夫や息子とは違う、紳士然というか妙に男っぽさをかもし出している相手に当惑しながらも、そして家族にもおばさんの介護って嘘をついて内緒でパズルの練習と続ける。

ジャンルとしては、『カレンダーガール』とか『キンキーブーツ』とか、素人ががんばちゃう系のお話。もう、一ジャンルとして確立されているといってもいいね。それら作品では、素人にそんなこことができるわけがない!という、周囲の偏見に押しつぶされそうになるが、それを乗り越える。だけどやっぱり壁にぶち当たって、もうだめか…となるけど、なんとか乗り越えるという、お約束の展開がある。
ところが本作では、ちょっと趣が異なるのだ。本作の主人公は、いつも私に家事ばかりやらせて自由になにもやらせないとスネるのだ。そうすると、周りがおろおろして、「好きにやったらいいよ」となる。すると、しめしめとばかりにガンガンやりはじめる。家事もおろそかになるけど、夫は我慢する。いよいよ夫はキレるんだけど、このおばさん全然譲歩しなくて、結局夫がごめんなさいという。なかなか珍しい展開、というか、男目線からすると、夫への同情心が沸いてくる。

色々ありはするけど、このままめきめきと頭角を現し、競技としての面白さを我々に観せてくれるのだろうとおもったのだが…。
(以下ネタバレ)

やっぱり、薄々は勘付いていたのだが、所詮パズルなのだ。ピースを絵柄から予想してはめ込んでいくだけなのだ。主人公のおばさんは、経験者なら外側から作っていくのを内側から作っていくので、「変わったやりかたね…」とはいわれる。でも、早く作れるテクニックというわけでもなく、その技でのし上がっていくわけでもない。おまけに、本編で大会でのプレーシーンは5分もない。次のカットでは、ヒャッハー!優勝したー!というシーンに切り替わる。
で、共感できない決定的なシーンが…。優勝の勢いで、競技パートナーのおっさんと体の関係を持ってしまう。そして事がおわると、何食わぬ顔でタクシーで家に帰り、夫の寝ている別途にもぐりこむ。

でも、世界大会の出場権を得たけれど、私は行かないの…と。そこでやめるなんなら寝たりしなきゃいいんじゃねーのかね。ん~~~。単なる、日々の不満をぶつけるっていうレベルを超えてしまって、一切共感ができなくなってしまった。
妙に服装だけはきちっとしているおばさんだとは思ったけど、そこまで踏み越えなくちゃいけない理由がよくわからんわ。

男女で感想がかなり異なるのかもね。私には、「ん~どうなのよ、これ。」っていう感想しか残らなかった。
 

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imageX0064.Png公開年:1989年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:スパイク・リー
出 演:ダニー・アイエロ、スパイク・リー、ビル・ナン、ジョン・タートゥーロ、ジョン・サヴェージ、ルビー・ディー、ロージー・ペレス、オシー・デイヴィス、リチャード・エドソン、ジャンカルロ・エスポジート、サム・ジャクソン、ジョイ・リー、スティーヴ・ホワイト、ミゲル・サンドヴァル、マーティン・ローレンス 他
受 賞:【1989年/第55回NY批評家協会賞】撮影賞  アーネスト・ディッカーソン
【1989年/第15回LA批評家協会賞】作品賞、助演男優賞(ダニー・アイエロ)、監督賞(スパイク・リー)、音楽賞(ビル・リー)
【1999年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品

ブルックリンの黒人街。その年一番の暑さの日。その日も、ピザ屋のオーナー、イタリア系のサルは、息子のピノとヴィトと商売をしてた。配達の合間に恋人のティナに会いに行き、サボってばかりに店員のムーキーも、文句を言いながらも雇い続け、酔っ払いのメイヤーが、小銭をせびりにきても快く店の前を掃除させてお金を渡す。周りは黒人ばかりだったが、サルは、彼らに寛容に接していた。しかし、黒人の“目覚め”を主張するバギン・アウトが、ピザ屋の壁にイタリア系のスターの写真しか飾られていないのを見て、黒人スターの写真を飾れ抗議する。しかし、自分の店に自分のルーツであるイタリア系の写真を貼って何が悪い!と一蹴するサル。バギンは、店をボイコットして仕返ししてやろうと、他の黒人たちに賛同するように声をかけて廻るが…というストーリ。

ピザの宅配をしている黒人がスパイク・リーだな。

私にはこの作品の良さがわからん。良さというか意図がわからん。エンドロールで紹介される、キング牧師の言葉とマルコムXの言葉は真逆のことを言っていると思うけど。

黒人が自らの行いが下品であることを恥とも思わず、志が低いことを他人のせいにし続けている様子を見せられても、楽しいとも思わないのはもちろん、同情もできない。
差別されている境遇から脱するために、相手が自分たちを差別していたことを責め続けても、それ以上の高みに上がれないことを彼らは気付いていない。対等の場所に立って勝負しようとしないことが、差別からの脱却を遅らせていることに、気付いていない。
私は差別されていたのだから、もっと優遇されるべきなのだ。マイノリティがマイノリティであることで地位を確立してしまったら、もっと平たくいうと、マイノリティであることで飯を食ってしまったら、飯を食うために永遠にマイノリティでいなければならなくなるということ(日本でも似たようなことをやっている団体がるけどね)。とにかく醜い。

人間が“仕事”をすることは尊い。だから仕事をしないことは恥だ…という感覚が微塵もないところも、我々日本人とは、生物としての立ち位置が異なる。

まるで、ドブをかき回してるようだ。言葉尻だけ捕らえて、相手を罵倒するクソラップを、そのまま映画にしたような作品。あの展開で、矛先がサルに向かうなんて、クレイジーすぎる。スパイク・リーは、黒人は救いようのない考え方の中にいうことを、思い知らせたいのか、これは仕方が無いことなのだと擁護しているのか、どちらなのかわからん。

映画だと割り切ったとしても、泥沼な地域の出来事をコミカルに描いているだろうか。あまり面白いと感じる部分はない。凡庸な黒人街の日常を描き続け、ラストで二次級数的に盛り上げていく手法は評価できるが、イライラが募り、それらが解消されずに終劇を迎えただけにも思える。
アメリカ人には意味ある作品なんだろう。アメリカの泥の中にいる人間には、感じる何かがあるのかもしれないけど、私にはさっぱり…。

 

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imageX0062.Png公開年:1993年
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:メル・ギブソン
出 演:メル・ギブソン、ニック・スタール、マーガレット・ホイットン、ギャビー・ホフマン、フェイ・マスターソン、ジェフリー・ルイス、リチャード・メイサー、マイケル・デルイー 他




1968年の夏。ニューヨーク州に住むノースタッド家はメイン州にて休暇中。ノースタッド家は3人の子供がすべて違う父親という複雑な家庭で、息子チャックは士官学校の受験に失敗したことや、日頃から意識を失ったように呆けることがあることから、、姉と妹が彼を馬鹿にするため折り合いが悪かった。そんな家からどうしても出たいチャックは、寄宿生活ができる士官学校にどうしても入りたかったのだ。そんなある日、人気の無い湖の対岸の家に教師らしき人が住んでいることを知り個人教授を依頼する。そに住む元教師マクラウドは、交通事故による火傷と事故の記憶により孤立しており、はじめはチャックの依頼を断っていたが、思うところがあり入学試験へ向けた個人指導を始める。しかし、その指導はチャックにとっては理不尽で…というストーリー。

メル・ギブソン監督作品って、妙に重い題材だったりすることが多いけど、初監督である本作は、いい感じの力のヌケ具合だと思う。

どういう理由なのかは不明だが、アメリカにはちょっとアスペぎみの子を扱った作品が多いと思う。突如、意識が飛んだようになってぼーっとしてしまい少年なんだけど、それが何だったのかは本編中では明かされない。別に障害があるとかそういうことではなく、そんなこともあるよね…的な扱い。そのへんはうやむや。自分の父親について伏せられていることに対しての、疑念の一要素として使われただけみたい。

そういう症状は別にして、こういう手をさしのべても掃うようなまねをする多いよね。正直、ムカっとくる。これをどう、気付かせずに矯正していくのか…これが難しい。かつて教師として失敗したマクラウドは、そこを越えた先にある喜びのために、チャックを教育しようと決めたわけだ。
そういう“報酬”は別にして、純粋に教育することを生きがいにできる人が教師だと思うんだけど。アメリカ的だな。

偏見によって苦痛を感じている二人がシンパシーを感じてくわけだけど、それを基盤とした成長と再生と友情の話。その過程も悪くは無い。しかし、アメリカ社会のクソっぷりのせいでとにかく後味が悪い。結局、マクラウドは、ただただ誤解を受けたまま、クソ心理学者と事実に基づかない司法によるレッテル貼りによって排除される。マクラウドもそれを受諾するしかない。

チャックの成長によってマクラウドは教師としての喜びを再び感じることができたのかもしれないが、それ以上にアメリカ社会が彼にした仕打ちが大きくて、爽やかな終劇には感じられない。
田舎町の人間がクソばかりというのが、昨日の『ヤング≒アダルト』と一緒。映画の中でしょ?っていいたいけれど、アメリカって実際、こういう閉鎖的なイメージ強い。アメリカってクソだなぁ…、そんなモヤモヤが支配するせいで、良作と評価できなかった作品。でも、メル・ギブソンはこういう作風のほうがよいと思う(もう、ネジがはずれちゃって戻れないか…)。

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imageX0060.Png公開年:2003年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:ジム・ジャームッシュ
出 演:ロベルト・ベニーニ、スティーヴン・ライト、ジョイ・リー、サンキ・リー、スティーヴ・ブシェミ、イギー・ポップ、トム・ウェイツ、ジョー・リガーノ、ヴィニー・ヴェラ、ヴィニー・ヴェラ・Jr、ルネ・フレンチ、E・J・ロドリゲス、アレックス・デスカス、イザック・ド・バンコレ、ケイト・ブランシェット、メグ・ホワイト、ジャック・ホワイト、アルフレッド・モリナ、スティーヴ・クーガン、GZA、RZA、ビル・マーレイ、ビル・ライス、テイラー・ミード、マイケル・ホーガン 他
ノミネート:【2004年/第20回インディペンデント・スピリット賞 】助演女優賞(ケイト・ブランシェット)

コーヒーとタバコをめぐるエピソードを綴ったオムニバス。待ち合わせをして会ったにもかかわらず、会話が噛み合わず気まずい空気を漂わせるロベルトとスティーブンの「変な出会い」など、「双子」「カリフォルニアのどこかで」「それは命取り」「ルネ」「問題なし」「いとこ同士」「ジャック、メグにテスラコイルを見せる」「いとこ同士?」「幻覚」「シャンパン」の11本。

何の予備知識もない状態で観たものだから、それぞれの話がいずれ繋がっていくのだろうと注視し続けたら疲れちゃった。何にも繋がりはなかったね。

長年撮り溜めた小作品をまとめたらしいけど、同じテーマで貫かれてるのはすごいね。コーヒーとタバコにどういう思い入れがあるのか…と思ったが、それほど深みがあるわけでもないし、コーヒーや煙草に深く関わるわけでも無かった。わたしタバコ吸わないので、この空間の良さはわからんす。
まあ、待ち合わせをしながら、隣のテーブルの会話を聞いているような、そんな感覚の作品。小さなユーモアが心地よい。意図的な笑い所が挿入されていれば、シャボン玉ホリデーとかゲバゲバ90分の世界。メジャー作品として多額の興行収入を稼ごうっていうわけもないだろうし、こんなのもたまにはいい。

半分くらいのエピソードは、出会って話し始めたものの、なんか気まずくなって、どちらかが立ち去るものばかり。結局、コーヒーを飲みタバコを吸いながらながら生まれた関係は、ほどなく二人の乖離を生む結果になる。この共通点に何か隠喩があるのだろうか。コーヒーとタバコが、人と人の間を埋める潤滑油になってないエピソードが多い。コミュニケーションツールとして何も生まないってdisってんのかな?もしかして、紅茶派の陰謀か!?

個人的にはケイト・ブランシェット×2が観れただけでも満足。ビル・マーレイとかアルフレッド・モリナとか、有名どころが出ているエピソードはのきなみ愉快で、きちんとオチてる。

何気にコーヒーショップで流れてたら、どっぷり観入っちゃうだろうな。そんな求心力がある。
#英米では、いとこ・はとこ・みいとこもcousinなのか?ツリ目のジェスチャーで日本人とかナメてんのかアメリカよ。どっちかというと日本人はたれ目のほうが多いと思うのだが…。

 

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image1919.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:129分
監 督:スティーヴン・ダルドリー
出 演:トム・ハンクス、サンドラ・ブロック、トーマス・ホーン、マックス・フォン・シドー、ヴァイオラ・デイヴィス、ジョン・グッドマン、ジェフリー・ライト、ゾー・コードウェル、ヘイゼル・グッドマン、スティーヴン・マッキンレー・ヘンダーソン 他
受 賞:【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】若手俳優賞(トーマス・ホーン)
コピー:あの日父を失くした少年の、喪失と再生のものがたり


9.11アメリカ同時多発テロで父親を失ったオスカー。宝石商だった父親は情緒不安定なオスカーの社会性を養うために、いつも一緒に勉強やゲームをするなど、とても密接な関係を気付いていただけに、突然の父親の喪失はオスカーを深く傷つけた。また、母親も夫を亡くした悲しみから立ち直れずにいる。死後1年、父親の部屋に入ることができなかったオスカーは、意を決して入室。そして、父の遺品にあった花瓶の中から一本の鍵を見つける。鍵の入っていた封筒には“BLACK”の文字が書いてあり、これが父親のメッセージと確信したオスカーは、母親には内緒でニューヨークに住むブラックさんの住所を調べ上げ、順番に鍵のことを知らないか訊いて廻るのだった…というストーリー。

オスカーは、アスペルガー症候群の傾向がある…というかほぼアスペ。『未来を生きる君たちへ』のクリスチャンと同じで心に負荷がかかると暴走するし、周囲の人と共感することが極めて苦手。トム・ハンクス演じる父親は、そんな彼を興味が途切れないように、手を換え品を換えトレーニングしていく。トレーニングというと何か冷たい印象かもしれないが、実際親の目線からすれば、オスカーの将来を考えて、辛抱強く怒ることなく社会性を養っていくしかないわけだ。単なる優しさとは違うと思う。会社員なら絶対に不可能な行いである。その“ありえないほど”の近さが、かえってオスカーを苦しめることになる。
ちょっと演出意図がよくわからない点が…。
父親がオスカーに出した最後の課題が、ニューヨークの第6区がどこにあるのか探すというもの。その課題をクリアするためには、街の見知らぬ人達とコンタクトを取らねばならず、それでオスカーの社会性を鍛えようというものらしい。まあ、それはいい。
では、例の鍵は父親が配置したヒントだったのか?そこがはっきりしない。色々調べてみると、ブラックさんを捜すところまで、父親の計算ずくだったという解説が多い。でも、それは違うような…。
単に部屋に入れなかっただけで、入りさえすればすぐに判るように明らかにヒントが配置されていたなら理解できるのだが、クロゼットを引っ掻き回して、花瓶を割ったことでやっと出現するような物が、ヒントだといわれても…。だから、私には、あの鍵が父親の仕掛けだとは思えず、オスカーが勝手に思い込んだけに見えた。だよね?
なんか、そこがはっきり描けていないのは、演出が至っていないところだと思う。

また、前半で母親は、息子から攻められ続け、息子をどう扱っていいのか困惑している描写が描かれる。でも、父親の謎のことばかりに比重が置かれていて、描写が足りない。描いていないわけではないのだが、いやでも二人で暮らさねばならないのに、まったく噛み合わないという、母親の苦悩をもっと描くべきである。
最後、サンドラ・ブロック演じる母親が、子供のためにやっていたことが、なかなかグっとくるのだが、前半で彼女の苦悩をもっと描いていれば、さらにグっときたと思う。
さらに、家族を捨てたおじいさんが登場したのに、そのおじいさんがどうして家族と向き合えなかったか…とか、それとオスカーとの今とシンクロさせるとか、そういう部分が薄かった。もったいない。

原作は、『僕の大事なコレクション』の原作も書いてる人なんだね。なんか納得。親族に関わることがらを探るっている同じノリ。
まあ、もっとこうすればよかったのにな…という部分はあるけれど、佳作だと思う。ありきたりな成長物語や癒しの物語なんかじゃなく、痛いものは痛い、埋められないものは埋めようがないというスタンスは好み。多分、原作のほうがすばらしいデキなんだと思うよ。

#でも、宝石商がなんで貿易センタービルにいたのかな…。

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image1924.png公開年:2010年
公開国:デンマーク、スウェーデン
時 間:118分
監 督:スサンネ・ビア
出 演:ミカエル・パーシュブラント、トリーヌ・ディルホム、ウルリク・トムセン、ウィリアム・ヨンク・ユエルス・ニルセン、マルクス・リゴード、トーケ・ラース・ビャーケ、ビアテ・ノイマン、キム・ボドゥニア 他
受 賞:【2010年/第83回アカデミー賞】外国語映画賞
【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞
【2011年/第24回ヨーロッパ映画賞】監督賞(スサンネ・ビア)
コピー:憎しみを越えたその先でどんな世界を見るのだろう。

医師のアントンは、家族をデンマークに残し、アフリカの難民キャンプで医療活動を行っていた。アフリカでは、貧困や劣悪な衛生環境による患者だけではなく、“ビッグマン”と呼ばれる悪党が率いる武装集団によって、腹を引き裂かれた妊婦なども運ばれてくる。一方、デンマークで暮らす息子のエリアスは、毎日学校で執拗ないじめにあっていた。そんなある日、エリアスがいじめられいると、転校生のクリスチャンが救出に入るが、結局巻き添えで一緒にいじめられる。翌日、ふたたびエリアスがいじめられていると、そこをクリスチャンが急襲。いじめっ子を棒で殴り倒し重傷を負わせてしまう。クリスチャンの父親は、暴力で報復しても問題は解決しないと諭すがクリスチャンは聞き入れない。一時帰国したアントンは、息子エイリアスとその弟モーテン、そしてクリスチャンを連れて出かけると、公園でモーテンとよその子供が喧嘩を始める。止めに入ったアントンだったが、駆け寄ってきた相手の子供の父親が、理由もなくアントンに殴りかかってくるのだった…というストーリー。

昨今、日本でもイジメ問題はホット。まさにタイムリーな作品だと思う。似通った社会状況であれば、世界のどこでも同じ問題がおこっているということだ(外国ではこうしてるー、だから日本はダメなんだーとか言うヤツもいるけれど、頭に虫が湧いてるってことだな)。そしてイジメ問題からはじまり、怒り・暴力・戦争という、人間の歴史を振り返れば、もうそういう生物なんだよ…と言わざるを得ない習性にに、どう向き合っていくべきなのか…と考えさせる作品である。

イジメから傷害事件に発展したにもかかわらず、現場の教師の態度は、デンマークも日本も一緒。自分が現場を適切に制御できないとみるや、保護者の家庭環境にも問題があると的外れな指摘をしはじめる。家庭環境に“も”というのがまた共通していて、自分のミスを正当化するために、関係ないところから落ち度を見つけてくるという、詭弁を弄するものの特長である。まあ、教師である云々の前にクズ人間なわけだ。実際、こういう教師には遭遇する。
で、そんなにこの学校がいやならば、他の学校にでもいけばといわんばかりなのだが、大都会ならいざしらず、そうでなければいける学校なんか限られる。要するに、子供は学校に人質に取られた状態。そこで、そんな教育をされるなんて、犯罪に等しい。そんな理不尽な戦場に無防備な子供をいかせなければならないという苦境。

では、子供たちにはそういうが、大人はどうなのか。父親のアントンは、まったく理不尽な理由で、狂った大人に殴られてしまう。アントンは、警察を呼ぶでもなく、直接本人の仕事場に押しかけ、何故殴ったのか説明しろと問い詰める。はたしてこの行動が正しいのか。私にはそうとも思えない。
子供たちが警察を呼べという。どちらかといえばそっちが正しいようにも思えるが、経験豊富な父親からすれば警察が解決してくれることは少なくて、むしろ余計にこっちが傷つけられることを知っている。日本だって、イジメや虐待があったと告訴しても現場の勝手な判断で受理してくれなかったりするでしょ。それどころか、あなたの方にも落ち度があったのでは?とか、何の根拠もなく傷つけられることだってある。
でも、警察も教師も100%信用しちゃいけない…とか言いにくい。

私はこの映画を観て、思ったことは、経験を積み重ねることで得られた結論にしたがって、早期に対処すること。つまり“初動”がすべてだといっていると解釈した。その初動に失敗した場合は、もう初動で対処した人に続きをやらせない。別のプレーヤーに対処させる。これが大事だんだろうな。
あの、自動車工場に勤める狂った親父だって、これまでの人生で誰も彼を諌めてこなかったから、ああなっている。ああいう態度を取ることで、人生を乗り切ってきているので、ああいう行動が正しいと思って疑っていない。
会社勤めをしていれば、これまで仕事をうまくやってきているのは、事業環境のおかげだったり周囲の人の協力のおかげだったりするのに、自分の仕事の仕方がこの成功を生んだと信じて疑わず、横柄で傲慢な態度を取っているやつはいないだろうか。

今の日本でいえば、竹島問題。わが国の先人たちはすっかり初動を謝ってしまったが、さてどうするか。おまけに、売国奴が政権に就いてしまっているこの有様。
戦争をおこさないためには、衝突がおこってから対処するのではなく、そのシチュエーションにしないように何手先も読んで行動すること。しかし、あえてそれをしないよう、無防備でいるよう、仕向けた人間がが多数いるわけだ(貶めようと活動している人間がいる。今でもいる)。
そろそろ、もう手遅れだと思う。後はこのまま素直に“やっちまえ”じゃなくて、いかに効率的に被害を最小限にするかか…しかもうないだろう。日本には尊敬すべき先人は大勢いるが、いま“老害”といわれている世代は、偉人の功績をすべて無にしてしまうくらい害悪。そろそろやるしかないんじゃないかな。若い世代が立ち上がるしかないよ。そこまで追い詰められてしまったな、日本は…。

と、そこまで考えさせてくれる作品。映画として優秀とはいえないが、慧眼とおもいえる優秀な視点で貫かれた作品だと思う。是非、観るべき一作。

また、クリスチャン少年は、アスペルガー症候群ぎみ。この“ぎみ”というのがやっかいで、自分の価値観を正しいと信じて疑わないし、自分が思っていることは他人も思っているとしか考えられず、そうではないとわかるとブチ切れる。
とにかく教育現場は大変だわ。少数の教師では対応できないでしょ。チーム戦だと思う。教師一人のスキルを上げるんじゃなくて、どういう教育チームを作るべきなのか…という新しい視点を持たないといかんと思うよ、文科省は。

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image1904.png公開年:2008年
公開国:ロシア
時 間:118分
監 督:アレクセイ・ゲルマン・Ml
出 演:チュルパン・ハマートヴァ、メラーブ・ニニッゼ、アナスタシア・シェヴェレヴァ 他
受 賞:【2008年/第65回ヴェネチア国際映画祭】銀獅子賞(アレクセイ・ゲルマン・Ml)、金オゼッラ賞[撮影](マクシム・ドロゾフ、リシャー・カミドコジャエフ)




1961年。医師のダニエルはソ連初の宇宙飛行計画に宇宙飛行士達の健康管理の責任として参加している。彼は妻ニーナを残してカザフスタンにきているが、現地にはヴェラいう若い愛人がいる。ロケット打ち上げの日は迫っているが、これまでの実験は失敗続き。ロケットの残骸を見るたびに、日頃友人のように接している宇宙飛行士達が、犠牲になってしまうかもしれないと考えると、心苦しくもあり、国家に対する怒りすら湧く。その結果、重度の神経衰弱に陥ってしまう。一方、妻ニーナは、夫が人命に関わる計画に参加していることに納得ができず、かねてから仕事を辞めることを望んでいた。そんなニーナは、夫の元へ向かおうとモスクワを旅立つのだったが…というストーリー。

時代とか状況を考えると、ガガーリンのことなんだろうなとピンとくる。私、『ライトスタッフ』とか『アポロ13』とか『フロム・ジ・アース 人類、月に立つ』とかDVDを購入して持ってるわけ。だから、ソ連版の『ライトスタッフ』みたいなのが観れるんだなと、ものすごく期待。いつもNASA側からの“見えない脅威”としてのソ連像しか描かれていないからね。それが、宇宙計画に参加しているお医者さんの目線で語られるに違いない…と。DVDのパッケージを見たらそう思うでしょ。

タイトルの通り、確かにお医者さんが主人公なのだが、この人、ずっと文句ばっかり言っている。おまけに奇行を繰り返すは卒倒するは、体も心も病んでいる。自分も宇宙飛行士になることを希望したのに落選。ダニエルの父はソ連一の外科医だったのに自分は大した腕もない内科医。こんな感じで、常に自分を卑下している。
有人宇宙飛行は世界で誰も成功したことはないわけだし、おまけに失敗続き。だけど、予定通りに打ち上げるしかない状況。何故か知らんけど、このお医者さん、宇宙飛行士の運動とかの指導もしている。だから、いつも一緒にいる彼らがこの残骸のようになっちゃうことを考えるとつらくてつらくて仕様が無いのはわかる。宇宙飛行士候補たちも、名誉なこととは思っても怖くて怖くて情緒不安定。

どういう話になるかな…と眺めているが、一向に宇宙飛行士にスポットが当たらず、医者と正妻と愛人との三角関係が描かれる展開に。
途中、飛行士が事故で死んだりするのだが、それはダニエルの心が一層病んでいく材料でしかない。画面だけみていたら誰がガガーリンなのかもよくわからないくらいで、完全におまけ状態。

この狂っていく様子と、三角関係の行く末になにがあるのか。ロケットの発射までをあと6週…5週とカウントダウンしていくのだが、近づいたからといってなにか劇的な事件がおこるわけでもなく。女二人が遭遇しても取っ組み合いの喧嘩が始まるわけでもなく。

この映画はいったい何を観せたいのだろう…そう考え続けるが答えは出ず、睡魔が襲ってくる。そうこうしているうちに医者ダニエルは死亡。主人公がいなくなって、このあとどうすのかと思っていると、正妻と愛人のその後が描かれはじめるが、それがなにかを示唆するわけでもない。

この映画は、一体何が言いたかったのだろう。政府の計画に翻弄された小さな人々の様子か。少なくとも私が期待した、ソ連の宇宙計画の裏側みたいな話ではなかった。
ヴェネチア国際映画祭はこの作品の何を良しとして銀獅子賞なんかをあげたのだろう。凡人の私には、何一つ良さが判らなかった映画である。本作にせよ『夏の終止符』にせよ、近年のロシア映画は無駄に芸術家をきどっているように思える。もう、ロシア映画は避けようかな…とすら思えるほど、観るのが苦痛だった。

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image1901.png公開年:1987年
公開国:西ドイツ
時 間:108分
監 督:パーシー・アドロン
出 演:マリアンネ・ゼーゲブレヒト、ジャック・パランス、CCH・パウンダー、クリスティーネ・カウフマン、モニカ・カルフーン、ダロン・フラッグ、ジョージ・アグィラー、G・スモーキー・キャンベル、ハンス・シュタードルバウアー、アラン・S・クレイグ 他
受 賞:【1988年/第14回セザール賞】外国映画賞(パーシー・アドロン)



ラスベガスとロサンゼルスの間にあるモハヴェ砂漠のはずれに、寂しげなモーテル“バクダット・カフェ”がある。ここを経営しているブレンダは、役たたずの夫や、自分勝手な子供達、従業員やモーテルに居着いてしまった客たちを、腹立たしく思っていた。そんなある日、ひとりの太ったドイツ人女性ジャスミンがやってくる。大きなトランクを抱え、砂漠とは不釣合いなスーツとハイヒールで歩いてきた彼女を不審に思ったが、ブレンダはしぶしぶ部屋を貸すことに…というストーリー。

内容よりも劇中歌“Calling You”のほうが有名かも。

日本で言うと『かもめ食堂』とかそっち系のジャンルになるんだと思うが、お国柄の差を面白く感じた。アメリカ映画だと、やってきて人々に影響を与えて去ってしまうのだが、ドイツ映画である本作は、やってきて人々に影響与えて居着く(一旦は去ってしまうが)。
で、なぜか日本映画の場合は、『かもめ食堂』をはじめうまそうな飯が絶対に登場するが、本作の舞台であるアメリカの場合はエンターテイメントになってしまう。何に癒されるのか…という点において国民性は出るものだなぁと。

バグダッド・カフェのある空間は、ほぼ同じようなことが繰り返えされている、時間がとまったような空間だ。夫のサルがこれ以上トラブルをもってくるわけでもない。遊び歩くルーディの娘が事件をおこすわけでもない。息子がピアノが弾きたいがために暴れるわけでもない。赤ん坊が不幸な事故がおこるわけでもない。

映画の主人公というのは、その内面が劇中で変化した人…という定義だとする。ジャスミンは男と旅中に別れ、バグダッド・カフェに迷いこむが、元からの性格のまま行動しているだけ。途中でヌードモデルになったりするが、別に彼女自身が大きく変わったわけではなく、打ち解けただけのこと。基本的に内面の変化は小さい。であるならば、本作の主人公は、ドイツ人女性ジャスミンではなく、いつもイライラしているルーディだ。このベガス近郊の乾いた赤い土が、ルーディの心模様であり、彼女の涙はいつもその乾いた土に吸い込まれるばかり…と。さて、ジャスミンがおこす小さな奇跡は、その砂漠の心を潤すことができるのか否か。

結果として一番の事件が、「仲が良すぎるから」と出て行ってしまうタトゥー屋の女性…っていうね。単純な大団円じゃない、こういう部分はおもしろい。

退屈に感じる人は絶対にいるだろうし、寝てしまう人もいると思うのだが、それはそれでいいのではないか。もしあなたが気持ちよく寝られたなら、それで結構なことなのではないか…と。まあ、こういう作品が滲みる時が、人生のどこかで誰にでもあるだろうさ。

#夫のサルが、傍観者で終わってしまうのが、演出上いまいち理解できないけどね。

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image1876.png公開年:1996年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:リー・デビッド・ズロートフ
出 演:アリソン・エリオット、エレン・バースティン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ウィル・パットン、キーラン・マローニー、ゲイラード・サーテイン、ジョン・M・ジャクソン、ルイーズ・デ・コーミア 他
コピー:誰にも言えない過去を抱えて、彼女はここにやってきた-。
凍てついた心を癒せるのは 傷ついた心だけ…。


刑期を終えて出所した若い女性パーシーは、メイン州の小さな町へバスでやってくる。彼女はこの小さな田舎町で再出発しようとしていたのだ。保安官の紹介で、ハナという無愛想な老婆が経営するカフェ“スピットファイアー・グリル”で働くことになる。ハナの甥のネイハムをはじめ、常連客はパーシーの正体を疑っていたが、パーシーは自分が収監されていたことを隠すこともなく堂々としていた。そんなある日、ハナが転倒して寝たきりになってしまったため、パーシーとおっとりとしたネイハムの妻シェルビーがカフェの切り盛りをすることに。その様子をみてハナも徐々に彼女たちを認めるようになり…というストーリー。

突然、閉鎖的な町に部外者がやってきて、それによって町が揺れだすという、よくあるパターンの作品。西部劇なんかだと凄腕の一匹狼だったりするが、本作は刑期を終えた若い女性。ショボいシナリオだと、その過去がバレるかバレないか…みたいな軸で展開させたりするが、そんなくだらないことにはならない。あっさり自分で大声で発表しちゃう。基本的にそこ自体には傷がないことをサラりと表現するが、でも彼女には影があるので、何か別の傷があるに違いない…そういう軸で展開していく。

彼女を受け入れる食堂のばあさんハナも傷を持っているが、それが何かは本人しかしらない。二人を手伝う、ばあさんの甥の嫁さんは、夫からの抑圧にうんざりしているが、おとなしい性格から歯向かうことができない。この傷をもった女性たち、そして閉鎖的な町の人たちでストーリーが流れていく。こう考えると、昨日の『シッピング・ニュース』に似ているな。

こういうパターンの場合、やってきた人は、大抵去っていくが、本作の場合はどうか(以下ネタバレ)。ちょっと救いがない気もするが、私は本作のラストは好きである。

パーシーの人生は決していい人生ではなかった。彼女の過去、何故刑に服すに至ったかを知ると、心が重くなる(これが、ちょっとエグすぎるので、あまりTV放送されないんじゃないかな)。別に周りの人のために身を粉にしようなんて気は微塵も無かったと思う。しかし、結果的に彼女はハナの心を開いただけでなく、息子の心も微かながらに開き、シェルビーも踏み出せなかった一歩を踏み出せるようになる。そして、町の人たちの悲しみは、彼女を失った悲しみだけじゃなく、自分たちの偏狭な心が彼女を殺してしまったことに気付いてしまった故。

正直、不動産屋の甥っ子は村八分になってもいいくらいなんだけど、引っかかりつつも人々は偏狭な心を捨てようとしているわけだ。そういう意味では極めてキリスト教的かもしれない。最後まで邦題がしっくりこないな…なんて思っていたのだが、最後まで観て“天使”と入っていることに至極納得。珍しく邦題が成功している例。

作文コンテストの件、山にいる謎の人物、憎たらしい不動産屋の件、その妻の件、諸々の流れが一気に集約されて潮流となる最後の盛り上がり。シナリオの巧みさに鳥肌が立った。本作の脚本は監督自ら書いているのだが、その後、この人が作品を手掛けたという情報がない(どーしてかな)。

お薦めの一作。連日の秀作。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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