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公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:163分
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演:ウィレム・デフォー、ハーヴェイ・カイテル、ヴァーナ・ブルーム、バーバラ・ハーシー、ハリー・ディーン・スタントン、デヴィッド・ボウイ、アンドレ・グレゴリー、ジュリエット・ケイトン、ロバーツ・ブロッサム、アーヴィン・カーシュナー、ネヘミア・パーソフ、バリー・ミラー、ヴィクター・アルゴ、ゲイリー・バサラバ、ポール・ハーマン 他
ノミネート:【1988年/第61回アカデミー賞】監督賞(マーティン・スコセッシ)
【1988年/第46回ゴールデン・グローブ】助演女優賞(バーバラ・ハーシー)、音楽賞(ピーター・ガブリエル)
【1988年/第9回ラジー賞】ワースト助演男優賞(ハーヴェイ・カイテル)
どんな作品でも、カトリック信仰がベースになっているスコセッシ監督。作品のどこかに十字架を背負ったキリストが投影された人物が登場するわけだが、本作はまさに直球(ご本人登場だからね)。
スコセッシの大傑作と賞賛する人もいるけれど、ワタシはそこまでとは思わない。映像も音楽も非常によろしいと思うが、『ラスト、コーション』のセックスシーンが直球すぎて、逆になにも感じなくなっちゃうのと一緒で、本作もストレートに表現されちゃったことでスコセッシ色というか味が、いささか軽減されていると思う。
意を決して、自分の思想の中心ともいえるテーマに挑戦しておきながら、冒頭で“フィクションである”と明確に宣言し、歴史的考察や学術的議論に巻き込まれることを回避している。まあ、キリスト教関連団体からの抗議を避けようとしたんだろうけどね。タイトルの“最後の誘惑”が何かっていうのは、オチみたいなものながら言わないけれど、まあ、こういう人間的すぎる表現が宗教関係者の怒りを買ったんだろう。
自分の好きなものを扱ったのはいいが、逆に客観性の欠落につながり、トータルな質は低下しているとも感じるし、もっと短くまとめたほうが、“最後の誘惑”の部分はもっと生きただろうとも思う。
そう考えると、芸術っていうのは「うまいこと何か別のことがら表現すること」で、受けてがそれを通じて感じる(気付く)過程を愉しむものなんだなぁ…と、思うよ。言いたいこと・作りたいものを、そのままつくったら、それは演説や説教とかわらなくなっちゃう(思いが強すぎて、長くなっちゃってるのもいただけないしね)。
ワタシがカトリック社会にいる人間なら、別の感情で目が曇って、この点には気付かなかったかも。反面教師的な意味で、芸術の何たるかに気付かせてくれて、非常に勉強になった作品。
とはいえ、同じテーマの作品として、メル・ギブソン監督の『パッション』があるが、そちらよりは格段に面白い(というかよっぽど映画らしい)と思う。ウィレム・デフォーの顔力がなかなか。『ダレン・シャン』のとってつけたようなチョイ役の彼が同一人物は思えまへん。
キリスト教に造詣の深くない人にとっても及第点は超えている作品と思うが、とにかく“最後の誘惑”の場面までが長く長くつらいので、くじけずに見なければいけない。スコセッシファンで、さらにその我慢強さを持ち合わせている人に限りお勧めする。
別件。
DVDへの文句だが、映像や音楽や演技に集中したいので吹替えをつけてもらいたい。そうしてもらえればもっと評価は上がったかもしれない。本作の字幕を追うのはけっこう厳しい。
#イエスが人々の原罪を贖ったというなら、なんで我々は死ぬのだろうか。その疑問には永遠に答えてもらえそうにない…
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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