忍者ブログ
[107]  [108]  [109]  [110]  [111]  [112]  [113]  [114]  [115]  [116]  [117
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

image0939.png公開年:2004年
公開国:日本
時 間:119分
監 督:井筒和幸
出 演:塩谷瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ、楊原京子、尾上寛之、真木よう子、小出恵介、波岡一喜、オダギリジョー、光石研、加瀬亮、キムラ緑子、余貴美子、大友康平、前田吟、笑福亭松之助、ぼんちおさむ、笹野高史、坂口拓、ケンドーコバヤシ、木下ほうか、江口のりこ、ちすん、徳井優、松澤一之 他
受 賞:【2005年/第29回日本アカデミー賞】新人俳優賞(塩谷瞬、沢尻エリカ)、話題賞[俳優](沢尻エリカ)
【2005年/第48回ブルーリボン賞】作品賞
コピー:世界は、愛で変えられる。

1968年京都。高校2年の康介はある日、担任から指示を受け、日頃争いの絶えない朝鮮高校へ親善サッカーの試合を申し込みに行くことに。朝鮮高を訪れた康介は、音楽室でフルートを吹くキョンジャという女生徒に一目惚れ。しかし、ほどなく彼女の兄が朝鮮高の番長アンソンであることを知る。キョンジャと仲良くなり康介は、“イムジン河”という曲を覚え、彼女の前でギター演奏しようと考えるのだが…というストーリー。

井筒監督の作品って実は観たことないんだけど、そのくせ、なぜか監督としては信用していたりする。それは彼の書籍『サルに教える映画の話』を読んで、映画の面白さをより知ることができたから。映画初心者向けのとてもいい内容なので、まずこちらをお薦めしちゃう。

で、昨日の『ブラザーフッド』を見ながら、ふと本作のことを思い出し、そういえばまだ観てなかったことを思い出し鑑賞。以前、TV放映していたのをちらっと観たことはあったけれど、その時は、冒頭の喧嘩シーンでいまいちピンとこなくて途中で観るのをやめてしまったと思う。CMが挟まれるせいかどうも集中できなかったからもしれない。いつかレンタルして観よう…って思いながら中断したのを覚えている(それからかなり時間はたってしまったけど)。

本作については、政治映画なのかラブストーリーなのか喧嘩映画なのかいろいろ盛り込みすぎだとか、ピントがボケているだとか、政治的信条が鼻につくだとか、あげくのはてには日韓の歴史を勉強ろだの売国映画だのいう人までいるのだが、逆にそれら意見に“?マーク”のワタシ。そういう観点の映画ではないように思える。

葬式の場面にて、笹野高史演じる朝鮮人のおっさんが康介に対して、在日朝鮮人に日本人はこういうことをやったんだから日本人のおまえにはここにいてほしくない!というシーン。まず、すべてが日本政府の強制連行ではなかったろうし(おそらくどさくさにまぎれて民間組織・企業主導で連行・勧誘されたケースが多いんだろう)、自主的に日本にきた例も相当多いだろう。一族の一部だけが日本行きにノリ気で、それにひっぱってこられた人も、“その人”からみれば“連れてこられた”ってことになるだろう。さらに比較的ノり気で来た人も、イザきてみると全然いい目に合わなかったりして日本に恨み節をいい始める例だってある。もう在日がらみについてはカオス状態で、なにが正しいなんて一概に言える状態ではない。でも、この映画にでてくる笹野高史演じる朝鮮人のおっさんは、そう思ってるんだもの。そう思っているキャラが出てきたにすぎない。それ以上のものでもそれ以下でもなく、勘ぐってそれがすべてのメッセージだなんて言っても的外れでしょ。

大体にして友達のが葬儀にきている康介にたいして、日本人だからここにいるなっていう、おっさんの言い分はもっともらしく聞こえて、むちゃくちゃな理屈。マイノリティの暴走もいいところ。
康介は、それを聞かされて、叫びながらギターを川に投げ捨てるけど、それは日本がやったことを痛感したからだけじゃないよ。その恨みを子供世代にまで押し付ける理不尽さ。子供らに対してこの“恨み”を忘れるなという怨念の邪悪さもふくめて叫んでいるのである。

で、最後にキョンジャは、康介が唄う“イムジン河”が流れるラジオを、そのおっさんたちの突きつけるわけ。もう、これだけで充分、溜飲が下がる。
だから、本作に何か意味を持たせたい言うんなら、政治でも民族でもなくて、“世代闘争”でしょ。ワタシの感性はそう言ってますけど。

中国や韓国の、子供世代に恨み続けることを強いる反日教育しかり、日本の北方領土問題だって、自分達の世代(当事者世代)が解決できなかったのを棚にあげ、“解決を託す”という姿勢ならならまだしも、何代も下の世代に押し付けて且つそれに反する意見を述べようものなら非国民扱いする奴らの風潮もしかり。“人を呪わば穴二つ”。この結果、中国や韓国がどうなっていくのかは、すごく意地の悪い言い方になるけど、見ものである(日本の場合は、逆の方向にバイアスが振れちゃって、反国教育になっちゃってるが、これはこれでどうなるか見もの。まあ、本心では、“見もの”なんてのんきに言ってられないのは重々承知してるんだけど)。

喧嘩まみれのカオス状態、まとめようがないだろうと思っていたんだけど、まさかこんなに爽やかにまとめてくれようとは…。なかなかやるじゃん井筒監督。これが正直な感想。

沢尻エリカはこのまま育てば大女優になったでしょうな。昨今のくだらない醜聞のせいで、今後、仮に良い演技をしたとしても、余計なイメージがよぎって正しく評価されることはないでしょう。
なんで、韓国俳優や歌手がブームなのか。それは、バックボーンが見えもしないし、想像もつかない世界の住人だから。同じ日本人なら、同じような教育をうけて同じようなTV番組を見てることが想像つく。さらに知りたくもない過去やプライベートはネットの中で知れてしまうわ、あげくのはてにプライベートの切り売り状態の場合もあるわ、全くファンタジー界の住人じゃないから、興味が涵養されるはずがない(いかに、Gacktのようなキャラ作りが正しいか、的を得ているか。彼は賢い)。その辺が判っていない彼女は、俳優失格というか、俳優業を真剣に考えていなかったということである。まあ、今となってはどうでもいい人ではあるけど、本作内の魅力をみる限りにおいては、もったいないといっておこう。これで充分な賛美でしょ。

未見の方はどうぞ観てくだされ。ワタシ的にはかなりの爽やかムービーだと。

#それにしても、真木よう子の胸が全然無いように見えるのだが…着脱可能なのか(笑)

拍手[0回]

PR

image1041.png公開年:2004年 
公開国:韓国
時 間:148分
監 督:カン・ジェギュ
出 演:チャン・ドンゴン、ウォンビン、イ・ウンジュ、コン・ヒョンジン、チェ・ミンシク 他
コピー:一緒に帰ろう…





1950年ソウル。恋人ヨンシンとの結婚を控えるジンテは、弟ジンソクを大学に進学させるために、一生懸命に働き、苦しい家計を支えている。しかし、6月25日朝鮮戦争が勃発。ジンテは、強制的に徴兵されてしまったジンソクを取り戻そうと後を追うが、一緒に徴兵されてしまう。兄弟はまともな訓練も受けないまま戦場へと送り込まれてしまうが、兄ジンテは、軍功を上げることで弟を除隊させようと考え…というストーリー。

昨今の朝鮮半島情勢の雲行きの怪しいなか、あえてチョイス。

色々、言いたいことはあるのだが、まず、映画のテクニカル的な部分に、先に言及しておく。戦場(特に市街戦)のセットは非常によく作ったなと感心。フィジカルなダメージ表現も、目を背けたくはなるが、ストーリーの重みに水を差すことなく、よく仕上がっていると思う。日本映画界には、このクオリティの作品をつくるのは、無理かな。残念ながら根気もテクニックもないのではなかろうか。一点注意しておくが、心臓の悪い人は観ないほうがよい。それはグロいシーンがあるという意味ではなく“音”。突然、大ボリュームの爆発音が出る場面が多々あるが、尋常ではない(ちょっと悪意を感じるくらい)。観ないほうが…というか総じてボリュームは下げたほうがいいというのが、正しいか。

で、一番、印象に残っている点(というか、私の目にはものすごく奇異に映った点)なのだが、戦場にアメリカ兵が1人たりとも居ないことである。これは何を意味するのか。
実際問題、そんなことはありえないはず。ほぼ共同作戦のようなものだから。中国人民軍は登場するくせ、米兵は出てこない。アメリカ海兵隊が上陸したとかそういう情報は語られるが、米兵は出てこない。本作は、韓国内で大ヒットになったわけだが、その点をおかしいと指摘する人はいなかったのだろうか。見事になにもなかったようにこの点は無視されたのではないかと、私は思っている。正直なところ、これが何を意味するのかは、私自身整理がついていないが、あくまで私見として書く。単に同胞と殺しあっただけなら正視できるが、アメリカと一緒に(というか、アメリカの指揮下で)同胞と殺しあったことは、彼らにとって正視できないことがらなのではなかろうか。つまり、“やらされて”同胞と殺しあったということが。イデオロギーの違いとはいうけれど、実際に戦っている本人たちは、そんな了見で戦っているわけではなく、はじめは成り行き、その後は積み重なった私怨をエンジンとして殺しあった。それも同じ文化で言葉も普通に通じ合う同胞と。
#ちなみに、翌年製作された『トンマッコルへようこそ』でも、アメリカ兵こそ出てくるが、韓国軍と一緒に白兵戦をしているシーンはない。
この歴史的経験は、大きな傷になる。これはある意味、自文化を自らの手で破壊したともいえ、このような経験をすれば、問題がおこるとその原因を自分以外に原因を求めるようになるし、他文化に執拗なまでにこだわりをみせることに繋がるだろう。これを言うと、元々は日帝のせいだ!となるので議論にもならないのだが(するつもりもないんだけど)、単に戦争のむなしさといういう以上のものが、心を占拠する。

今回の騒動も、安保理に話をもっていくようだが、同じように、世界情勢がそうだから…という流れで、“やらされた”感や“しかたない”感で、同胞が争うことにならないことを祈ろう。同じく傷つくとしても、釈然としないまま手を血で染めることを、またもや繰り返したら、完全に狂ってしまいかねない。

最後の兄の正気の失いっぷりは、ちょっとご都合主義と感じるけれど、概ね映画としては評価できる(というか“したい”かな)。ただ、もろもろ引っかかりは感じるはずなので、それも含めて丸抱えする覚悟で観ることをお薦めする。
 

拍手[0回]

image1484.png公開年:2009年
公開国:日本
時 間:131分
監 督:中野裕之
出 演:小栗旬、柴本幸、田中圭、やべきょうすけ、池内博之、本田博太郎、松方弘樹、近藤正臣、萩原健一、山口祥行、綾野剛、須賀貴匡 他
コピー:その男、多襄丸。絶対、女を捨てない。己を曲げない。そして、どこまでも自由。




室町末期。畠山家の次男・直光は、大納言の娘である幼なじみ阿古姫と将来を誓い合っていた。ある日、大納言である阿古姫の父が急逝するが、将軍・足利義政は、阿古姫と結婚したものに、畠山家の家督および管領職を継がせると言う。この発言により長男・信綱は激しく動揺し、阿古姫を力ずくで奪いに掛かるが、直光は阿古姫と共にすべてを捨てようと逃亡をはかる。しかし、そんな時、幼少より目をかけてきた家臣・桜丸の思わぬ裏切りに遭ってしまい…というストーリー。

いわずもがな、芥川龍之介の『藪の中』がベース。ある意味、黒澤作品の『羅生門』のリメイクといってもよいかも(黒澤『羅生門』の原作は、芥川龍之介の『藪の中』であり、かつ芥川龍之介の作品の中に『羅生門』という別の内容の作品もあるわけで、非常にややこしいのは、周知のこと)。『椿三十朗』『隠し砦の三悪人』と黒澤リメイクが続いた流れの一つと捉えてよいと思う。

原作の『藪の中』は、盗賊と貴族の若者とお姫様の三者の話が食い違うという、同じ状況であっても別の人間の視点から見ると、まったく違うものだなぁ、真実とはなんだろうなぁ、というのがテーマ。結局、真実は何なのか?という研究が行われているくらいの名作である(そんなこと研究すること自体、私は野暮だと思うんだけど、それは、真実を匂わすような表現が随所に見られるためで、後の研究者たちもまんまと芥川の術中にはまっているのである)。

私は、この“藪の中”感こそ、大事だと思うのだが、本作では、スパっと事実を明白にしてしまう。ネタバレになるので詳しくは言わないが、ああ、そこで勝負はしないんだな…と、ある意味、この割り切りを評価しかけていた。芥川作品でもなく黒澤作品でもない、あくまで『藪の中』はモチーフにしているだけで、本作はオリジナルですよ!という意気込みかと。それはそれでクリエイターとして尊敬できる姿勢で、ちょっと応援しかけたのだが。

しかし、結局、お白州の場面になって、結局、三者三様の食い違い場面が差し込まれる。ただし、それは“藪の中”感を出すためではなく、愛を確認するために差し込まれる。がっかり。割り切ってるんだか割り切ってないんだか、この揺り戻しの中途半端な感じが実に気持ち悪い。もしかして、原作の霊媒師のくだりがしっくりこなかったので、他に見ている人がいましたってことにしたかっただけなんだろうか…。おまけに、最後は、中途半端な駆け落ちものになってしまう。これでいいんだろうか。少なくとも私の趣味ではない。

視点を変える。
松方弘樹、ショーケンって役者なんだねーと再確認させてくれた。田中圭も池内博之もなかなか光る演技。みんないい仕事をしたと思う。しかし、廻りの輝きのせいで、小栗旬の演技の幼さが際立ち、結局彼だけが損をしているように見えるのは私だけだろうか(まさに、完全に“喰われた”状態)。作風から小栗旬をキャスティングしたことは、すごく理解できる。しかし、これまで、なかなか評価されてきた小栗旬だったが、この作品はマズイ。学芸会に毛の生えた程度の演技に映る。アイドル的な要素は薄れてきたので、次回作で挽回しないと、役者としてのキャリアは危ういかもしれない(余計なお世話か)。

そんなに悪い作品ではないので、否定こそしないが、最後のオチまで明確にイメージできた上で、製作されたのかは、ちょっと疑問になるような作品。最後までしっかり走りきって欲しかった。息切れ作品。もったいない。

拍手[0回]

image1169.png公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:ギャヴィン・オコナー
出 演:カート・ラッセル パトリシア・クラークソン ノア・エメリッヒ ショーン・マッキャン 他
受 賞:【2008年/第24回インディペンデント・スピリット賞】監督賞(トーマス・マッカーシー)




1979年、翌年のレークプラシッドでの冬季オリンピックを控えたアイスホッケーアメリカ代表は、大学ホッケーコーチのブルックスを代表監督に任命。召集されたメンバーは大学生だったが、それでも彼は、世界最強のソビエトをはじめとする強豪国を倒し、金メダル奪取することを決意。周囲から無謀と思われながらも厳しい指導でチームをまとめ上げていく…というストーリー。

B級キング、カート・ラッセル。彼の出る作品を観るのは久々かも。なんで、あんなおもしろヘアなのかしら(笑)。エンドロールの後に本人の映像が出てくるんだけど、あんな髪型じゃないんだけどなぁ。

時代背景も結末もアメリカ人なら周知なのかもしれないけれど、私はよく知らずに観た。まあ、内容はディズニーお得意のスポーツドラマでベタベタな内容だけど、こういうのはやっぱり面白く観れる。

でも、本作は日本未公開。おもしろいのになんで?と思うかもしれないけど、わからないでもないかな。あくまでアメリカ目線だし、どこかで同じようなものを見た感じも否めないし、実話だからオチも調べればわかるだろうし。アメリカ人なら、「あの感動をもう一度」的な感じで楽しめるんだろうけど、さすがに外国人はその目線になれないし。
それに、彼らの偉業はわかるんだけど、努力で敵国を打ちのめしたっていう内容でしょ。冷戦時代のまっただなかで、スポーツといえども政治問題の影響が色濃い時代。今も民族間の紛争は耐えない状況は同じで、やっつけてイエィ!っていう内容は、時代が必要としているニーズとズレてるような。というか、愛国者法の制定から、やはり行き過ぎなので制限しようというアメリカ国内の動きの中で、このテーマをディズニーが扱うのってすごく違和感がある。こんな政治的なメッセージが濃く見える作品ってディズニーらしくないよね。なんなんだろう、この作品。

まあ、それはそれとして、別の視点で(というか、ディズニーはこっちのメッセージを発信したかったのかな…と思っているんだけど)。
代表チームって、往々にしてスター選手を集めて満足しちゃう傾向があるけど、チームスポーツの場合は、代表監督が目的に従って召集するべきで、そのためにはスター選手が排除される場合もある…という部分は、学ぶべきかな。その点は強く同意する。そういう監督の強い方向性を理解することも、楽しみの一つなんだけど、今はないよね(特にサッカー日本代表とか)。そこで、一番関心したのって、エンドロールの内容だったりする。金メダルをとった選手たちが、今は市井の人っていう部分。チームスポーツってこういうものだよっていう、リアルなメッセージかも。
あまり深く考えないで、たまにスポ根ものでも…っていう気分のときにはお薦め。及第点以上ではあるので、安心して観てほしい。

#ただ、スタッフ側にいるのにネガティブなことばっかり言ってるヤツが出てくるのだが、そいつをガツンを痛い目にあわせてくれなかったので、なんかすっきりしないんだけどね。

拍手[0回]

image1439.png公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:トム・マッカーシー
出 演:リチャード・ジェンキンス、ヒアム・アッバス、ハーズ・スレイマン、ダナイ・グリラ、マリアン・セルデス、マギー・ムーア、マイケル・カンプステイ、リチャード・カインド、アミール・アリソン 他
受 賞:【2008年/第24回インディペンデント・スピリット賞】監督賞(トーマス・マッカーシー)
コピー:扉を閉ざしたニューヨーク──移民の青年との出会いと“ジャンベ”の響きが孤独な大学教授の心の扉を開く。

62歳の経済学教授ウォルターは、妻を失ってから心を閉ざし孤独な日々を送っている。ある日、学会出席のためニューヨークへ。しばらく訪れていなかった別宅アパートを訪れると、なぜか見ず知らずの若いカップルがそこに。シリア出身のタレクとセネガル出身のゼイナブは、この時はじめて詐欺に遭ったこと知ったが、永住許可証を持たないために警察沙汰になれば強制送還されるため、素直に去っていく。しかし、あてのない2人のことが気になったウォルターは、しばらくの間泊めることに。徐々に交流は深まり、ジャンベ奏者のタレクからレッスンしてもらい、その楽しさを知ったウォルターは、再び生きる喜びを見出しはじめるのだが…というストーリー。

“扉”っていうのは、ウォルターの閉じた心のことをさしているのかな。むしろ、扉を叩いてやってきたのは、(自分のアパートとはいえ)ウォルターのほうだから、“扉をたたく人”はウォルターのことも指している…みたいなダブルミーニングなのかなとか考えたけど、そうでは無いみたい。なんか星新一の“ノックの音が”を想像してしまったりして、余計な先入観が出来上がってしまった。私にはピンとこない邦題かな(悪い邦題とはいわない)。

はじめ、イヤなジジィだなと思ったんだけど、冷静に考えると彼の言っていることは変ではないし(論文の締め切りに遅れたら、よほど公的に認められるような事情でなければアウトだろうし)、妻を亡くしたり仕事への情熱を失ってしまったりで、ああいう抜け殻みたいな状態になってしまった主人公に共感できなくもない。だから、ウォルターの変化する心模様にシンクロもできて、ハートウォーミング物として、なかなか良いと思う。

で、その心の種火みたいなものを燃え上がらせたのが、“移民問題”っていう、ことなのだが、どうも、この扱いが好みではない。この映画は、ウォルターの心の変化を見せたいのか、アメリカの移民問題に一石を投じたいのか、どちらがメインなのだろうか。もちろん並存しても構わない。私は前者がメインで後者は味付け、、くらいの感じで見ていたのだが、ストーリーが進むにつれて後者に比重が置かれていく。アメリカが抱える移民関係の諸問題に着目しているのはよくわかる。でも、私はどちらかといえばハートウォーミング物を見ているつもりだったのに、社会派ドラマを押し付けられちゃった感じになっちゃって、どうも後味がよろしくない。大体にして、この移民関係のくだりは説教くさいし、ストレートすぎるのだ。

もしかすると、私って人非人なのかもしれない。不法滞在者側に感情移入してしまいそうになるけど、きちんと手続きを踏まない(踏まなかった)彼らのだらしなさにどうも目が言ってしまう。差し伸べた手を払うようなことをしておいて、後から「なんでこんな目にあうんだ」って文句をいわれるのが、私はすごく嫌いなのだ。すべてがそうとはいわないけれど、「いままでだらしなくしていても大丈夫だったのに、なんで今は、だらしなくしてちゃいけないんだ!」って、言われてるような気がして、ちょっと引っかかる。
映画なんだから、同じテーマを扱ったとしても、もうちょっとカタルシスを感じさせてくれるなり、そうでなくてもいい雰囲気のせつなさを感じさせてくれるとか、もうちょっと観客を喜ばしてくれてほしい、、、とも思うし。まあ、私はそうだったというだけで、これを理由にダメな映画と断罪する気はない。おそらく一般的には良作と評価されると思うし、莫大な製作費の作品がある一方で、こういう低予算なミニシアター向けも存在する、アメリカ映画の幅も感じられる。

#3拍子?1・3・4泊をたたいてるだけだよね?
 

拍手[0回]

image1485.png公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:158分
監 督:ローランド・エメリッヒ
出 演:ジョン・キューザック、キウェテル・イジョフォー、アマンダ・ピート、オリヴァー・プラット、タンディ・ニュートン、ダニー・グローヴァー、ウディ・ハレルソン、モーガン・リリー、ジョン・ビリングスレイ、ジョージ・シーガル、ジミ・ミストリー、パトリック・ボーショー、アガム・ダーシ、ヨハン・アーブ、トーマス・マッカーシー 他
受 賞:【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】視覚効果賞
コピー:2012年12月21日 マヤの予言通り、世界は終わる──。

ロスの売れない作家ジャクソンは、別れた妻と暮らす子供たちとイエローストーン公園にキャンプにいく。彼はそこで怪しげな男チャーリーから、“地球の滅亡”の事実を各国政府が隠し、密かに巨大船を製造して一部の人間だけを乗せて脱出する計画であると聞かされる。しかし、その後ロサンゼルスを巨大地震が襲ったのを皮切りに、大津波や大噴火など、あらゆる天変地異が世界中で発生、次々と地球を呑み込んでいき、彼の言ったことが事実であると悟る。ジャクソンはケイトと子供たちを守るため、必死の避難をしながら巨大船のありかを目指すが…というストーリー。

あのトンネル内で車の事故をおこしたりとか、そういう悪ノリが散見されるんだけど、そこに目くじらをたてても仕方が無い。文化の継承が必要だからって目ぼしい美術品を集約するとは思えないんだけど…とか、あちこちでヘンテコ部分がいっぱいで、シナリオも薄っぺらなんだけど、それも気にする必要はないこういう終末論的な作品には、説教臭いメッセージが付き物だけど、本作にはそれが有るようで無い。全部オトボケ。中国でなら巨大船を作ってもバレないよ…なんて、未だに竹のカーテンは健在っていうメッセージなのかもしれないけど、テーブルジョーク感覚。アメリカ大統領まわりのエピソードだってシリアスなようで、どこかに小馬鹿にしてる臭いがするし。要するに、シリアスなメッセージは皆無で、そういうのは全部オマケでなのだ。

ホラ話なんだから徹底的にホラを突き通すという姿勢。とことんホラを突き通すためのCGがとにかくお見事で、現在でき得る限りのCG映像技術を放り込んでる感じ。ディズニーランドのキャプテンEO的とか、ジョイポリにあるアトラクションとか、その一種だと思ってみるべし。油断して観てると足に力入るよ。ははは。
私は、早々に、頭を空っぽにしようと決めた。空っぽにしないと付き合いきれない。同じアホなら踊らにゃソンソン。だって、本作の中でも、ラマ師が頭を空っぽにしろって言ってるでしょ(笑)。そういうノリの映画。

でも、ニュートリノ検出装置は、スーパーカミオカンデを使ってほしかったし、劇中に出てくる日本人どう見ても日本人に見えないし、エメリッヒはあいかわらず日本に気を使っていないことはわかった。というか、使ってるつもりで使えていないっていうほうが正しいかな。『GODZILLA』のエメリッヒだものね。彼の頭の中の日本は、いまだに『ベスト・キッド』のミヤギさんの家のイメージだものな。それにしても、ここまでパニック・ムービーばかり作り続ける彼って、ちょっと異常に思えるけどね。

とにかくこのアトラクションには乗ってみるべし。お薦めする。休日の前日にどうぞ。子供がみてもたぶんOK(ワタシ的にはPG-12な気がするけど、実際はGなので)。
#子供は殺しちゃだめだけど、ばーさんは遠慮なく殺していいのね(笑)。あと、韓国とか、船にのせてもらっていない国の人たちって、どういう心境で、この映画観てるのかしら…。

拍手[0回]

image1490.png公開年:2009年
公開国:日本
時 間:120分
監 督:崔洋一
出 演:松山ケンイチ、小雪、伊藤英明、大後寿々花、イーキン・チェン、金井勇太、芦名星、土屋アンナ、イ・ハソン、山本浩司、PANTA、佐藤浩市、小林薫 他
コピー:生き抜け!




17世紀の日本。最下層・非人の子として生まれたカムイにとって、強くなることだけが生き抜く手段。忍びとなったカムイだったが、やがて自由を求めて抜忍となり、追っ手からの逃亡生活が続く。ある日、カムイは漁師の半兵衛を助けた縁で、彼の家に身を寄せることになったが、半兵衛の妻スガルには自らも抜忍だった過去が。彼女がカムイに警戒心を募らせるのと対照的に半兵衛の娘サヤカはカムイに行為を寄せる。そんな漁村での生活が、カムイの心に平穏をもたらすのだったが…。

カムイ伝は読んだことがあるが、カムイ外伝は読んだことなく、原作との乖離具合や再現性についてはよくわからないのでコメントできない。

こういう内容だから特撮は必須なのだが、肝心の忍術のCG表現はショボい。というか、絵コンテが平面的というか空間的な幅が感じられないのがその原因だろう。
とはいえ、すべての特撮がダメなわけではない、はじめのほうの馬関係の特撮はよくできていて、それはスゴい。こういう行き届いていない状況をみると、やはり低予算だったのかな…と。とりあえずなんとかまとめたものの、すべてのCGにこだわれるだけのリソースがなかったということなんだろうね。

加えて、ライティングがよろしくない。暗いシーンは本当にただ真っ暗で、もうすこし物体のエッジがわかるようなライティングにできなかったものか…。さらに、暗いシーンと明るいCGシーンの統一感もいまいち。

マツケン以外のキャスティングにも難あり。大後寿々花は、良く言えば直情的な演技といえるけれど悪く言えば一本調子(鈴木杏と同じような成長過程をたどっているのかな。顔の骨格が)。土屋アンナは、『どろろ』でも似たような役をやっていたので既視感が。なぜ似たような役を重ねるのか、そういう仕事選びのセンスがよくわからない。
小雪はとても見映えがするのに、あいかわらず演技はパッとしない。いいかげん上達してもよさそうなものなのだが、毎度毎度、どんな役でも同じ感じ。一度、どこかの劇団なんかで鍛えてもらったほうがいいんじゃなかろうか。

さらに中盤から、くだらない演出が富に増えてくる。例えば、水のはいった樽で水を飲ませようとするが入ってないという演出。弟の様子で水が残っていないことはわかるだろうし、そうでなくても持っただけで入ってないことはわかるだろう。こういう三文芝居は、監督の責任。崔監督って、たまにTVでお見受けすると、偉そうなことおっしゃってますけど、本職はずいぶん杜撰ね。

さらに、意外な落とし穴。なんで抜け忍がそこまで執拗に追われる存在なのか、そんなこと説明しなくても当たり前だと製作側も疑問にすら思っていないようなのだが、その説明がないおかげで、なんでそこまでシリアスの闘っているのかよくわからず、いまいちふわっとした感じになっている。原作は漫画なのでそういう説明は不要だけど、映画の場合は、もう少しなんとかしないとダメ。

コインランドリーで、何気に置いてあった漫画を読んでる感覚なら許せるかな。無理して新作料金とかで借りるようなものではないよ。とても入魂の作品とは思えない。

拍手[0回]

image1480.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:152分
監 督:クエンティン・タランティーノ
出 演:ブラッド・ピット、メラニー・ロラン、クリストフ・ヴァルツ、ミヒャエル・ファスベンダー、イーライ・ロス、ダイアン・クルーガー、ダニエル・ブリュール、ティル・シュヴァイガー、B・J・ノヴァク、サム・レヴァイン、ポール・ラスト、ギデオン・ブルクハルト、オマー・ドゥーム、マイケル・バコール、アウグスト・ディール、ジュリー・ドレフュス、シルヴェスター・グロート、ジャッキー・イド、ドゥニ・メノーシェ、マイク・マイヤーズ、ロッド・テイラー、マルティン・ヴトケ、リシャール・サムエル、アルンドゥト・シュヴェリング=ゾーンレイ、ザック・フォルカー・ミヒャロウスキ、ケン・デュケン、クリスチャン・ベルケル、アン=ソフィー・フランク、レア・セドゥー、ティナ・ロドリゲス、レナ・フリードリヒ、ルドガー・ピストール、ボー・スヴェンソン、エンツォ・G・カステラッリ、サミュエル・L・ジャクソン 他
受 賞:【2009年/第82回アカデミー賞】助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ)
【2009年/第62回カンヌ国際映画祭】男優賞(クリストフ・ヴァルツ)
【2009年/第44回全米批評家協会賞】助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ)
【2009年/第76回NY批評家協会賞】助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ)
【2009年/第35回LA批評家協会賞】助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ)
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ)
【2009年/第63回英国アカデミー賞】助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】助演男優賞(クリストフ・ヴァルツ)、アンサンブル演技賞、オリジナル脚本賞(クエンティン・タランティーノ)
コピー:名こそ、彼らの名誉(グロリアス)。

ナチス占領下のフランス。ユダヤ・ハンターの異名をとるランダ大佐に家族を皆殺しにされた娘のショシャナは、なんとか逃げ延び、映画館オーナーとしてパリに潜伏。同じ頃、レイン中尉率いるユダヤ系アメリカ人を中心とした極秘部隊“イングロリアス・バスターズ”はナチスを次々と虐殺したあげく相手の頭皮を剥ぎ取る手口で、ドイツ軍を震え上がらせていた。そんな中、ショシャナの映画館でナチスプロパガンダ映画のプレミア上映が行われることになり、当日はナチス高官だけでなくヒトラーまでが出席することに。このチャンスを逃すまいと、ショシャナ、バスターズはそれぞれが行動を開始するが…というストーリー。

ワタクシ的には、『ワルキューレ』をうけての本作…という感じ。『ワルキューレ』の致命的な欠陥に対するワタシの苦情を聞いて作られたような内容で、非常に好感を持っている。詳しく言うとネタバレになってしまうので言わないが、史実であることに捉われて面白さが減るくらいなら、ぶっ飛ばしてしまえ!史実と面白さをトレードオフにしかできないようなら、創作なんかやめてしまえ!という私の想いに、タランティーノは見事に答えてくれたようで、とてもとてもうれしい。

それにしても、公開時に行われた開始1時間で途中退場した場合は返金するというキャンペーンは、本作のテイストにマッチしていないね。おそらく日本の配給会社発信の企画だと思うけど、この作品を観てから考えた企画なのか疑いたくなる。タランティーノはOKしているわけだから作品に失礼とまで言う気はないけれど、こういうキャンペーンだとチョケた内容かと思われてしまいそう。血しぶきバンバンで『パルプフィクション』的ではあるけれど、時代がクレイジーだっただけで意外にも突飛だったり不条理な登場人物は出てこない。こんなキャンペーン不要なくらい、がっちりと腰の据わった脚本に仕上がっていると私は思う。脚本での受賞こそ放送映画批評家協会賞のみだけど、ノミネートなら米アカデミー・ゴールデングローブ・英アカデミー、さらにパルムドールと並び、その評価は至極まっとう。この上映時間を長く感じさせないだけでもたいしたものである。お薦めする。

“またユダヤ迫害ものかよ”とウンザリするところなのに、まったくそんなことすら感じさせない。これまでのタランティーノ作品とは一味違うので是非お薦めする。演出上の難点は頭皮が容易にはがれすぎなところくらい(笑)。

あまり内容とは関係ないけれど、あらためて“ユダヤ”の定義は難しいなと思った。ユダヤ教徒なのか遺伝子的なユダヤ人特性を指すのか。ユダヤ・ハンターの対象になっているのは、ユダヤ教徒を直系親族に持つ人間で、敬虔なユダヤ教徒であることは関係ないように見えるけど。まあ、あくまで集団的なイジメ構造ができあがって、その対象になっているだけなので、明確な定義なんて、あるようでないのかな…と(実のところ、理由があって迫害しているわけじゃなくって、誰かを迫害したくて後付でもっともらしい理由づけしてるだけだからね。人間の知性のおかげでわかりづらくなっているけど)。

拍手[0回]

image1441.png公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:デヴィッド・エアー
出 演:キアヌ・リーヴス、フォレスト・ウィッテカー、ヒュー・ローリー、クリス・エヴァンス、コモン、ザ・ゲーム、マルタ・イガレータ、ナオミ・ハリス、ジェイ・モーア、ジョン・コーベット、アマウリー・ノラスコ、テリー・クルーズ、セドリック・ジ・エンターテイナー、ノエル・グーリーエミー、マイケル・モンクス、クリー・スローン 他
コピー:最期に頼れるのは、魂か、弾丸か


強引な手法で悪人に制裁を加えるロス市警の刑事ラドロー。その脱法的な手法に同僚のせいで同僚刑事からも疎まれていたが、上司のワンダーは彼を庇い続ける。ある日、元相棒ワシントンが、ラドローを内部調査部に密告しようといると聞き、ワシントンを問い詰めようと近づくと、偶然にも強盗事件に巻き込まれ、ワシントンは銃殺されてしまう。自分が容疑者になりかねない状況になったが、ワンダーの指示で証拠を隠滅するが、かといって犯人を野放しにすることができない彼は、独自で犯人探しを始めるが…というストーリー。

フォレスト・ウィッテカーは、『ラストキング・オブ・スコットランド』に続く作品なのだが、なんでこんなに似た感じの役柄を続けちゃうのか。ショーン・ペンとは仕事に対する姿勢がまったく違うようで、自分が演じる役柄に頓着がない模様。いかがなものかね。おまけに、本作の役は、ウィッテカーにはマッチしていないときている。

さらに、根本的に映画のセンスに著しく欠けるな…と思う点がある。まず、主人公は脱法的な行動をするわけだが、その行為がいたしかたないと思えるような説明はなされない。だから主人公として感情移入しにくいキャラなのだが、そのくせ、アングル的には彼の一人称目線の画面が多いので、無理やり主人公と一緒に脱法行為をさせられている気分になってきて、イライラしてくる。
本作の中に“事情がわかっていないのはラドローだけ”というセリフのがある。要するに、状況がわかっていない主人公がその謎解きをしていく話になっているから、一人称目線になってしまうのはわからないではないのだが、この場合は、三人称目線(まるで幽霊のように場面を俯瞰で見ている感じ)でつくるべきなのだ。製作側にその違和感に気付くセンスがない。

ハードな演出が繰り返されながらも、展開的にはふわふわした感じが続くのだが、ディスカントと二人で攻め込むあたりで急にテイストが変わってしまう。あまりに不自然なので、クレジットを観てみると脚本家が3人。別に複数の脚本家がいることはめずらしくもないが、ここまでシナリオの統一感が取れていないのもめずらしい。まとめ役が全然機能していない。
やはし、クライムサスペンスにしたいのかアクションにしたいのか、軸足が定まっていないのが、うまくいってない一番の原因だろう。

最も致命的なのは、30分程度で誰が犯人かわかってしまうこと。内容からみても、各役者のグレードの差からみても、予想がついてしまう。わかってしまった後も、さらに延々と犯人さがしが継続されるわけで、それに付き合い続けるのも、なかなかつらい。
さらに、ラストは私の大嫌いなニヒリズム落ち。結局、世の中、何をやっても無駄なんだよ…って、そういうことをわざわざ一本の映画にしようとする神経がわからない(前も何かで言ったと思うけど)。斜に構えて、格好をつけたつもりかもしれないが、この落ちを考えた脚本家は、とっととエンターテイメントの世界からご退場願いたい。

本作はわざわざ観る価値なし。お薦めしない。だれかが無料で貸してくれて、本当に何にもすることがない時だけ観ればいい。そうすれば、まあ、こんなもんかな…くらいで被害は最小限でくい止められるかも。

#全体的にいまいちでありながらも、意外に本作で得をしたのキアヌかもしれない。けっこう骨太の役もイケるな…という印象は与えられたので。今後、こういう役柄のオファーが増えるかもしれない。

拍手[0回]

image0228.png公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:123分
監 督:ニック・カサヴェテス
出 演:ライアン・ゴズリング、レイチェル・マクアダムス、ジーナ・ローランズ、ジェームズ・ガーナー、ジョーン・アレン、ジェームズ・マースデン、サム・シェパード、ヘザー・ウォールクィスト、ケヴィン・コナリー、デヴィッド・ソーントン、ジェイミー・ブラウン、スターレッタ・デュポワ 他
受 賞:【2005年/第14回MTVムービー・アワード】キス・シーン賞(レイチェル・マクアダムス、ライアン・ゴズリング)
コピー:誰にでも、帰りたい夏がある。

とある療養施設に独り暮らす老女。彼女は認知症により想い出を全て失っていた。そんな彼女のもとへデュークと名乗る老人が定期的に通い、ある物語を読み聞かせていた。それは、1940年のアメリカ南部のひと夏からはじまる、ある男女の恋物語だった…というストーリー。

まず、冒頭の水面の上を飛ぶ白鳥の群れの映像で、ガツンとやられた。実に素敵。私は、夕陽が沈む時のオレンジと濃紺のグラデーションも大好きなので、さらにシビれた。
しかし、その美しかった映像とは裏腹に、老人が語る恋物語の部分の映像にまったく魅力がない。音だけ聞いていれば内容は追える感じで、ラジオドラマでよかったくらい。もっと老人が朗読している演出を増やしてもよかったかも。
さらに、あれだけ箱入り娘状態だったのに、従軍看護婦になるのはOKなんだなぁ…とか、ちょっとご都合主義な展開にもひっかかりはじめる。同性としては、恋愛において、株取引でいうところの“損切り”ができないっていう部分は、共感しなくもないけど、そんな姿は別に見たくないなぁ…とも思い始める。
受賞歴をみたとおり、世間の評価通りなのかなぁと中盤であきらめかけたところで、“この朗読している老人は物語に出てくる誰なんだ?”という謎解き要素が加わってきて、ここから、ぐいぐい面白くなってくる。一気に中だるみ解消。

さらに、またもや、白いアヒルの群れの中をボートを漕ぐシーン(どうやって逃げないようにしたのかな)。これまた素敵。ちょくちょくシビれる映像を挟んでくる。実ににくい。

これ以上はネタバレなので言わない。
人間ってやっぱり記憶の連続性があってこそ人間なんだな…と、そういうせつなさも感じつつ、突然遠くの世界に行ってしまって彼を突き放し、それに咽び泣く彼の様子には、涙が出てしまった。まあ、最後のラストは別に好きじゃない人はいるかもしれないけど、オマケだと思えば。
一度観た後は、なかなかもう一度観ようとは思わない一期一会的作品かもしれないが、とても素敵な内容だったので、お薦めする。

#ここ数日、当たり作品が、続くねぇ。めずらしい。

拍手[0回]

image0271.png公開年:2003年 
公開国:フランス、ベルギー
時 間:102分
監 督:ジュリー・ベルトゥチェリ
出 演:エステル・ゴランタン、ニノ・ホマスリゼ、ディナーラ・ドルカーロワ、テムール・カランダーゼ、ルスダン・ボルクヴァーゼ 他
受 賞:【2003年/第29回セザール賞】新人監督作品賞(ジュリー・ベルトゥチェリ)
コピー:あなたのことが大切で、本当のことが言えなかった。



グルジアに暮らすおばあちゃんのエカと母マリーナ、そして孫娘のアダ。小さい衝突はあるが、貧しいながらもそれなりに仲良く暮らす毎日。おばあちゃん楽しみは、パリで働く息子オタールからの手紙だったが、ある日、オタールが事故死したとの訃報が届く。マリーナとアダはおばあちゃんを落胆させないために、手紙を偽造し続けたが、次第に様子がおかしさに気づき始めたおばあちゃんは、独断でパリ行きを決意して…というストーリー。

2度目の鑑賞なのだが、過去に私はものすごく高い評価をしていた。しかし、何が良くて評価したのかメモが残っておらず、どうしても思いだせなかったので、改めて。
娘と孫がつく嘘を中心に展開するストーリーは、特記するほど楽しくもほほえましくもなく、凡庸だったが、いよいよパリへ…という流れで、思い出した。この映画の素晴らしさを。
ネタバレなので、みなまで言わないが、“やさしい嘘”ってのは、娘と孫がついた嘘だけじゃないんだよね。うん。その嘘を聞いていると、とてもとてもきゅーんとなってくる。グルジア国内で展開される内容だけなら、たいしたことのない映画なんだろうけど、パリでの内容がこの映画のすべてである。

最後の孫の行動は、自由への旅立ちといえるけれど、母親からみれば、かつてエカおばあちゃんがオタールを見送ったのと同じ思いを繰り返しているわけで、社会主義世界の“永遠の昨日”が表現されているともいえる。この対比もせつない。
アダ役の人は、グルジアにいるときは、やぼったくおばさんみたいでとても若者に見えないのだが、空港での最後の笑顔はものすごく若々しく素敵に映っている。この対比のために、ずっとグルジアではやぼったい感じにしていたのだろうか。

世の中にはついていい嘘があるんだね。いい邦題である(めずらしく邦題のほうがいいケース)。DVDパッケージもやぼったいんだけど、それでスルーしないで、是非是非見てほしい。強くお薦めする。

拍手[0回]

image1053.png公開年:2007年 
公開国:アメリカ
時 間:123分  
監 督:リチャード・ラグラヴェネーズ
出 演:ヒラリー・スワンク、パトリック・デンプシー、スコット・グレン、イメルダ・スタウントン、マリオ アンドレ、エイプリル・リー・エルナンデス、ジェイソン・フィン、ハンター・パリッシュ、クリスティン・ヘレラ、ディーンス・ワイアット、ガブリエル・チャバリア、、アントニオ・ガルシア、ヴァネッタ・スミス、ティム・ハリガ
コピー:昨日までの涙が、インクになる。
それは、一人の新米教師と、一冊のノートが起こした奇跡の実話。

1994年、ロサンジェルスのウィルソン高校に、理想と情熱を持って赴任してきた新任国語教師エリン。しかし、2年前のロス暴動以来、民族間の対立が激化し、彼女の教室も同様の状況に。街は銃やドラッグがはびこり、生徒達は日々を生き抜くのが精一杯で、将来を考える余裕などない。エリンは、そんな生徒たちに対してどのような授業を行えばよいか苦心するが、ある日、全員に日記帳を配り、思ったことを何でもいいから毎日書くようにと提案する。生徒達が徐々に本音を綴り始めるにつれ、エリンに対しても心を開き始める…というストーリー。

この子供世代の対立だけがひどいわけではなく彼らの親世代からしてこの状況であり、すでに教育現場云々という次元ではない。政府の“人種統合政策”の机上の空論ぶりが実に腹立たしくなってしまうのと同時に、あまりに過酷な状況と閉塞感で、非常に重い気持ちになり辛かった。

日本でも外国人への参政権付与が話題になっているが、将来的には多くの移民を受け入れる方向に傾くかもしれない。日本人は異文化間の軋轢をさほど経験していないから簡単に考えがちだが、本作と同様のカオス状態になるのは容易に予想がつく。今のうちから真剣に本気で考えておかないと、本作の状況になるのは必至。“こうあるべき”というだけの“人種統合政策”は、かつての中国の文化大革命と同じで、その理論に現実を当てはめようとすると、崇高なお題目のために大量の死者が出る。我々はそれを歴史から学ぶべききである。

そういう反面教師的なロジックが、頭の中を占め続け、辛いだけの内容に半ばうんざりしかけた中盤から、ストーリーは変化してくる。

詳しくは書かないが、エリンはとにかく身を削る。精神的にもフィジカル的にも、そして経済的にも。ある意味、自分の生命を削ることを厭わず、教師として“命をかける”行いをする。ホロコーストのくだり、そして、ある人物を高校に招いたところで、私の心のボルテージは上がりに上がって、肌がピリピリしてくるのを感じた。今年、初泣き映画かも。まさに感涙。
はじめは、ヒラリー・スワンクには向いていない役だなぁとみていたのだが、彼女がこの仕事を請けた理由が、よくわかった。

これを観て、情熱も常識もない教師や教員組合組織、くだらない要求ばかりしたり無関心だったりの保護者に、微塵も変化がないのだったら、日本の教育現場はおしまいだろう。本作は、若い世代も大人も広く、見るべき。いや、職業を通して社会を変えるという“職”に命をかけるという点では、すべての立場・職業の人たちに通じるだろう。

強く強くお薦めする。ただ、一度みたら、もう一度みることはないだろう。やはり、あまりにも辛い情勢すぎるので。でも人生が一期一会であるように、そういう映画があってもいいだろう。娯楽作品とはいえないが観るべき作品。

拍手[1回]

image1482.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ
時 間:90分  
監 督:カイル・ニューマン
出 演:サム・ハンティントン、クリストファー・マークエット、ダン・フォグラー、ジェイ・バルシェル、クリステン・ベル、デヴィッド・デンマン、クリス・マクドナルド、セス・ローゲン、ダニー・トレホ、イーサン・サプリー、ビリー・ディー・ウィリアムズ、ジェイミー・キング=ニューマン、ペル・ジェームズ、ウィリアム・シャトナー、キャリー・フィッシャー、ケヴィン・スミス、ジェイソン・ミューズ、レイ・パーク 他


1998年。父親の経営する中古車販売店に勤務するエリックは、高校時代、スター・ウォーズに熱狂したオタク仲間たちと久々に再会。長いブランクの末に来夏に公開される『スター・ウォーズ エピソード1』の話で大盛り上がりだったが、仲間の一人ライナスがガンで余命わずかであることを知る。彼の命が尽きるまでに、エピソード1を見せてあげたいと思い、ルーカス・フィルムの本拠地“スカイウォーカー・ランチ”に侵入しようと考え、一同はアメリカ横断の旅に出る…というストーリー。

TSUTAYA独占レンタルなんて謳い文句だが、実際はどこかで単館上映した(する?)模様。あらすじを聞いただけで、なんとなくいい感じの思えた作品なのだが、当初は国内未公開の予定だった。さて、それはなぜだろう。そんな思いで視聴。

ルーカスサイドの許可がなければ、もちろん実現しないような映像が目白押し。製作にケヴィン・スペイシーが名を連ねているが、シナリオを読んで感心して、諸々調整に尽力したってところだろうか。まあ、ルーカスサイドが損をするような内容ではないし、アニメの方は放映中だし、いろいろ大人の事情も影響はしているだろうが、とにかくルーカスって太っ腹だね、、って感じ。
豪華なカメオ出演陣もなかなかのもので、いろいろな映画関係の人脈の賜物ともいえるが、スターウォーズの威光、衰えずといったところ。

コメディということだが、中途半端に小手先の笑いだけを取りにいった感じではなく、純粋にオタク達の青春ロードムービーに仕上がっていると思う。
でも、観進めていくと、なんて本作が日本未公開になりそうだったか理由がわかったような…。ネタバレになるし、もしかしたら私が見落としているかもしれないのだが…。
まず、ライナスの余命が短いことは、ライナス本人は知らなかったんだよね????もしかして知ってたの?いつから?
どっちにしろ、ルーカスは何でライナスだけにエピソードⅠを観ることを許可したの?ライナスの病気を何で知ったのだ?もしかして“フォース”ってことだろうか。
わけがわからなかったので、実はも言う一回後半部分を見直したのだが、やっぱりわからなかった。

やっぱりフォースの力ってことで、なんとなく成立しちゃってるのだろうか…。もしそうなら、その部分だけはちょっと芸がない。なんとかならなかったのだろうか…。んー。

内容以外に注目したいのは、TSUTAYAがこういう未公開作品をどんどん買い付けてレンタルしはじめたってこと(本作以外にも、色々カルチャ・パブリッシングは買い付けてはじめている)。小さい配給会社がどんどん倒産して、ますますニッチな良作が公開されにくくなるなかで、一つのいい方向性だろ思う(冒頭のCPのロゴ映像はものすごくダサいけどね)。
まあ、小さい配給会社が倒産していったのは、シネコンに押されて…みたいな事情だけでなく、やっぱり山師的な感覚の経営者が多かったからだと思う。いまの情勢を考えれば、合従連衡で乗り切る局面だったのに、だれもその旗振りはしなかった。所詮はお山の大将たちだったいうことかも。残念だけど。

閑話休題。若干、シナリオに難点はあるように思えるけど、なかなか気持ちのいい良作。スターウォーズがそこそこ好きなら、基本的にお薦めする。私はかなり楽しめた。うん。

拍手[0回]

image0299.png公開年:2006年 
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:123分
監 督:ケヴィン・マクドナルド
出 演:フォレスト・ウィテカー、ジェームズ・マカヴォイ、ケリー・ワシントン、サイモン・マクバーニー、ジリアン・アンダーソン、フォレスト・ウィッテカー、ケリー・ワシントン、ジリアン・アンダーソン 他
受 賞:【2006年/第79回アカデミー賞】主演男優賞(フォレスト・ウィテカー)
【2006年/第41回全米批評家協会賞】主演男優賞(フォレスト・ウィテカー)
【2006年/第73回NY批評家協会賞】男優賞(フォレスト・ウィテカー)
【2006年/第32回LA批評家協会賞】男優賞(フォレスト・ウィテカー)
【2006年/第64回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](フォレスト・ウィテカー)
【2006年/第60回英国アカデミー賞】主演男優賞(フォレスト・ウィッテカー)、脚色賞(ジェレミー・ブロック、ピーター・モーガン)、英国作品賞[アレキサンダー・コルダ賞]
【2006年/第12回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(フォレスト・ウィッテカー)
コピー:何よりも恐ろしいのは、人間の本性

スコットランドの医学校を卒業したニコラスは、冒険心からウガンダの診療所へとやって来る。当時のウガンダでは、軍事クーデターによってアミン大統領が誕生。ニコラスはアミンの演説を聞いて、彼のカリスマ性に魅力を感じるが、偶然にもケガをしたアミンを救ったことからアミンの主治医に抜擢される。アミンは単なる主治医以上の信頼をニコラスに寄せ、次第に“友人”として地位が向上していくのだが…というストーリー。

あのブラッディー・アミンである。あの30万人以上を虐殺したと言われる悪魔である。私が彼のことを始めて知ったのは、意外にもプロレス漫画(プロレススーパースター列伝かな?失念)。その中でアントニオ猪木との対戦が決まったものの、お流れになった件が紹介されていた。1979年のことというから、そのころにはすっかり“ブラッディー”で殺すに殺しまくっている。それも、反体制派クーデターが起こっていなければ、その対戦は実現されていたというのだから驚きである。
そのマッチメイクをしたのは、20世紀少年の万丈目のモデルともいわれる“呼び屋”の康芳夫(モハメド・アリ戦をコーディネイトしたのも、チンパンジーのオリバー君をチンパンジーと人間の中間にあたる未知の生物として触れ込んだも彼)。ウガンダ情勢もクレイジーだったかもしれないが、当時の日本も相当狂っていたことは間違いない。

R-15なのだが、個人的にはR-18でもいいかなと思うくらいなので、家族で見る場合は要注意だろう。

人間の歴史の中には、大量虐殺を行った例が多々あるが、あまりその研究は進んでいないように見える。個々の虐殺の研究は進んでいるかもしれないが、ここまで繰り返し大量虐殺が発生する以上、なにか発生のための条件があるように思われて仕方がない。人間は社会性の生き物であって、その体制のキャパを超えた場合に、無意識に虐殺因子が生み出される…とか。こういうとなにやらオカルトめいて聞こえてしまうかもしれないし、まるでその虐殺の発動条件が人数みたいに聞こえるかもしれないが、そうではない。おそらく、なにか、社会学的な条件があるはずである。人間は自分の行動に、後付でもっともらしい理由をつける生物である。自分でもその理由を信じ込んでしまうため、ますます真の原因がわからなくなって、やっかい極まりない…。
そのような研究が進むことは非常に重要だと思うのだが、そういうアプローチで活発に研究が行われていると聞いたことはない(もちろん私が知らないだけかもしれないが)。
「何よりも恐ろしいのは、人間の本性」というコピーからは、人間ならば誰しもがそういう本性を持っているといわんばかりだか、おそらくその見識はハズレである。おそらく人間という種に備わっている何かである。

フォレスト・ウィテカーは、本作で各男優賞を総ざらい状態だが、吹替え版でみたせいか、それほど彼の演技に感銘を受けなかった。たしかに、アミン本人に体格も顔立ちも似ているのは事実だが、それだけで演技賞をもらえるわけではあるまい。
彼の演技の価値を体感するためには、字幕版で見るのがよいのかもしれない。

先日、映画が“実話”である意味を問うてみたが、本作については、重みに繋がっている。ただ、その重みは映画の質に繋がっているのではなく、人類の闇歴史という意味で。色々脚色はされているだろうが、映画作品というよりも極上の再現ドラマという価値が高いかと。非常に閉塞感を感じる内容だが、種としての人類が持つ“業”を見つめるつもりで鑑賞してほしい。きびしいことを承知でお薦めする。

#今の日本ではこういう大量虐殺はおこらないけれど、穏便な手段によって人口が減っていくという、別の何かが発動されているのかな…なんて。

拍手[0回]

プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
リンク
カウンター
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ブログ内検索
最新コメント
[06/03 離脱ラバ]
[06/03 離脱ラバ]
[06/03 離脱ラバ]
[04/28 ETCマンツーマン英会話]
[10/07 絶太]
最新トラックバック
Copyright © 2009-2014 クボタカユキ All rights reserved.
忍者ブログ [PR]