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公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:グレゴリー・ホブリット、リチャード・ドナー
出 演:デンゼル・ワシントン、ジョン・グッドマン、ドナルド・サザーランド、エンベス・デイビッツ、ジェームズ・ガンドルフィーニ、エリアス・コティーズ 他
ノミネート:【1998年/第5回ジュラルメール・ファンタスティック映画祭】参加作品
コピー:「悪」は感染する。
刑事のジョン・ホブスは、自身が逮捕した連続殺人犯リースの処刑に立ち会う。その際、リースは意味不明な呪文を唱えホブズの手を握り、「俺は戻ってくる」と不気味な言葉を残して処刑される。すると、その直後から、リースと同じ手口の連続殺人が次々と発生する。捜査を進めていくと、かつて同じ署に、立派な刑事であったが殺人容疑がかけられ謎の死を遂げたロバート・ミラノという警部補の名前が浮かぶ。真相を探ろうとミラノの娘グレタに接触するが多くを語ろうとしない。また、上司のサントン警部補も口を閉ざし、その件に関しては何かが判っても口外するなといわれる。諦めきれないホブスは、ミラノが死んだ山荘でAZAZELの言葉を発見。グレタを問い詰めると、アザゼルは悪霊で、接触することで人から人へ憑依する邪悪な存在であるという。にわかに信じがたい内容だったが、連続殺人事件は継続発生し、なぜかホブスが容疑者であることを示唆する証拠が現場に残されており…というストーリー。
料理の仕方によっては、もっと深く面白い作品になったはずなのに、構成・演出がとにかくクソな作品。少なくとも、この作品でやってることを避けていれば、まともな映画が作れそうなくらい反面教師になる作品だと思う。
いきなり冒頭から、人から人へ“悪意”が移動していく様子が“わかりやすく(笑)”演出されている。音付きで(笑)。こんな冒頭から説明していることが、オチなわけがないよな…と思っていたが、敵の能力はそれ以外になにもないという稚拙っぷり。何か他に悪魔さんの秘密があるのかなと、思うでしょ。無いのよ。
まさか、こんな稚拙な内容のまま映画になるわけがない…と思い、何か裏があるだろうと一生懸命考える。ところが考えれば考えるほど変なところが見えてくる。大体にして“接触”とはなんだ?握手のように肉体と肉体が触れるならわかる。服越しでも移る。それじゃ接触じゃなく、距離の問題じゃないか。
乗りつった人が死んだら、数分のうちに誰かに乗り移らないといけないということで、人里離れた森で対決しようと考える主人公。でも冒頭でも中盤でも、動物に乗り移れるということを散々示唆しており、動物に乗り移ればいいじゃねえかと、10人いたら9人がそう思うはず。まさかそんなオチなわけがないだろうと思っていると、そのとおりだったりする(笑)。大体にして、接触しなくても数分ならOKな理由が、“悪魔が必死になるから”だってさ。馬鹿じゃねえか。
一番肝心な、なんでホブスと握手したのに乗り移れなかったのか?という理由が一切説明されずに終わるのもクソ。正義の心が強いから…とか、そういう理由かと思いきや、最後は乗り移れちゃうんだよ。“必死になった”から(笑)。馬鹿かと。
『アダプテーション』で、シナリオ講座の講師が「登場人物の考えていることをナレーションでかぶせるなんていうのは愚の骨頂」といっていたが、本作では連発。それもナレーションにする必要もなく、普通に演出すればいいのにわざわざナレーション。
ラストのアザゼルのドヤ顔的なナレーション。観客のみんな騙されたでしょ?みたいなの、はずかしくて聞いてられない。世界で一番はずかしい演出の映画だと思う。
こういうのって、逆に観て笑ってやってくれ!って言いたくなるものなんだけど、本当にクソだからとても薦められないレベル。
#“悪魔を憐れむ歌”っていう邦題も、まったく意味不明。
公開国:アメリカ
時 間:125分
監 督:アレクサンダー・ペイン
出 演:ジャック・ニコルソン、キャシー・ベイツ、ダーモット・マロニー、ホープ・デイヴィス、ハワード・ヘッセマン、ダーモット・マルロニー、レン・キャリオー、ハリー・グローナー、ジューン・スキッブ、コニー・レイ 他
受 賞:【2002年/第28回LA批評家協会賞】作品賞、男優賞(ジャック・ニコルソン)、脚本賞(アレクサンダー・ペイン、ジム・テイラー)
【2002年/第60回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ジャック・ニコルソン)、脚本賞(ジム・テイラー、アレクサンダー・ペイン)
【2002年/第8回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ジャック・ニコルソン)
コピー:すべての人生を失くした日、人生最高の贈りものが届いた。
アメリカ中西部オマハに住む66歳のウォーレン・シュミット。彼は一流の保険会社に長年勤務していたが、この度、定年退職を迎えた。娘のジーニーは既に独り立ちして家を出ており、これからはおしどり夫婦として寄り添って生きてきた妻ヘレンとの生活。妻の望みでキャンピングカーも購入し、楽しい老後を過ごす予定だったが、どうも会社中心の生活リズムが抜けず、しっくりこない。そんな中、チャリティ団体のCMで、異国の恵まれない子供に援助する制度を知る。CMの内容に触発されて援助をすることを決心し、さっそく手続きに。手続きの一つとして援助する少年への手紙を書く必要があったが、自分の近況を綴っていくうちに、だんだんと、鼻に付く妻の行動、ダメ男と結婚しようとする娘、辞めた会社の奴らの態度など周囲への怒りがこみ上げてくるのだった。そんな中、ヘレンが急死してしまい…というストーリー。
定年退職した、いわば爺さんが主人公なのだが、30代でも40代でも家族持ちで会社勤めをしている男性なら、間違いなく共感できるだろう。言い換えれば、この作品が心に響くのは、おっさんだけ。女性にはピンとこないのではないかと思う。
冒頭、定年になったシュミットが会社を訪ねて、引継ぎ忘れた項目の説明や、援助できることはないか?と尋ねるがサラリとかわされ、おまけに自分が作成した引継ぎは廃棄されていることを知る。唯一の希望だった“優秀な娘”は、なぜか誰がどうみても胡散臭い男と結婚しようとしている。なんで、あの賢い娘が!?
自分は、会社に必要とされている“はず”。娘は思慮深く賢い“はず”。妻は貞淑な“はず”。信じていた…目論見が外れた…とかそういうレベルではなく、シュミットはこれまでそう思わなければ生きていけなかったわけだ。それどころかまるで自己催眠でも賭けたかのように、そう信じて微塵も疑わずに生きてきた。
#娘がIT企業の重要な役職とシュミットは思っていたが、電話の内容でタダの配送係であることは明白。これまでも気づくチャンスはいくらでもあったはずなのに、無意識に目も耳も塞いできたのだ。
定年を迎え、妻が死に、その自己催眠がどんどん解けて行く。妻の浮気が発覚してブチ切れ。じゃあ、娘の援助に労力を傾けようとしても、あの馬鹿家族と同レベルであることに否が応でも気づかされる。
尽くしていると思って生きてきたのに、感謝をされるどころか、卑下される始末。私は、正直、あの娘の首を捻りちぎってやりたい衝動に駆られた。
自分探しの旅に“逃げる”のだが、元々自分なんか無いんだから、見つからないわなぁ。キャンピングカーの屋根で一晩過ごし、悟ったように車を走らせるシュミットだったが、実はなにが判ったのかよくわからない(観客の判断に任せるということなのかな)。とにかく価値観の瓦解した彼の老後に明るいものなどは感じられない。
アフリカの子供の件は、じつは騙されていて(というか、その子に支援しているという建前になっていて)、届きもしない子供への手紙に、自分の思いを吐露しているだけ…というオチになると予測していた。暗い未来にさらに追い討ちかな…と思っていたが、最後の最後でうまく救いを差し込めている。
小さくてもいいから、純粋に気持ちを傾けられるものこそ、彼には必要だった。いままで、無償で家族に尽くしてきたと思っていたが、心の奥底では見返りを求めていた。それは賞賛であったり感謝の声だったり。でも、彼に本当に必要だったのは、お互いを慮るある意味一方通行の気持ち。そのボールが帰ってくるかどうか判らないけど、それでよい。小さな救いだからこそ、ストーリー上、うまく効いていると思う。
ストーリー全体はとても単調だし、よくある話だと思うが、コツコツとボディブローされる感じ。また、奇人じゃないジャック・ニコルソンの演技も、味があった。良作。『アダプテーション』と同年作品って考えれば、受賞暦だってなかなかだよ。
公開国:日本
時 間:82分
監 督:白川大作
出 演:堀絢子、木下秀雄、水木蘭子、北川まり、佐藤英夫、梅津栄、西村晃、加茂喜久、伊藤牧子、芳川和子、山本喜代子、花沢徳衛、海野かつを、西桂太、永山一郎、中川謙一、大村文武、本間千代子 他
森に住む日本犬の母子、シロとロック。シロは森の弱い動物を守る人気者だった。その森の近くの山奥には、動物を餌食とする虎・キラーとその部下の狐・アカミミがいた。動物たちを捕まえる邪魔をするシロを疎ましくおもったキラーは、アカミミを使ってシロを罠にかけて、殺してしまう。幼いロックは、勇敢にもキラーに立ち向かうが、返り討ちにあってしまう。森の仲間たちによってなんとか命を救われたものの、キラーに目を付けられたロックは森にいることはできない。そこで、森を降りて街をめざす。街は田舎者のロックには恐ろしいところだったが、そこでゴロという友達ができる。ゴロとその仲間は、ロックの身の上を聞いてキラー大事に強力しようと申し出てくれるのだったが…というストーリー。
今日は宝塚の手塚治虫記念館に行ってきた。選挙の前日だったみたいで、演説してる人とか結構いたけど、それでも宝塚は落ち着いた静かな街だった。いい所ですな。長年、行こう行こうと思いつつもこれまで予定が合わなかった。念願の訪問。
館内には全映像作品が観れるコーナーがあって、15分目安で交代してくださいと書かれているのだが、ほとんどお客さんがいなかったので、どっぷり観ていた。きちんと観たことがなかった短編を数本観たあと、腰が重くなっちゃってそのまま本作を最後まで鑑賞。
シロは見た目も行動も母親なんだか父親なんだかわからない。アニメ作品だからしょうがないけど、犬のまゆげがマヌケというかコミカルというか、まあ、微笑ましい。手塚治虫が関わっているとはいうが、動画的には、手塚アニメというよりも東映動画の雰囲気一色である。とにかく良く動いており、入魂の動画である。そうこう感心しているうちに、あれよあれよという間に、シロは殺されちゃう。
原案・構成は手塚治虫となっているが、どうも手塚治虫の考えていたものとは、かけ離れているらしい。だから言うわけではないのだが、構成のデキは極めて悪い。そして、“忠臣蔵”というタイトルを打っているわりに、全然忠臣蔵じゃないという、失策をやっている。
忠臣蔵といえば、主君の恨みを晴らすために、部下が復讐を遂げる話だが、本作は、殺された母親の恨みを晴らしたい息子と、それを気の毒に思って協力する者たちの話であって、完全に“さるかに合戦”である。忠臣蔵らしさといえば、敵の虎の名前がキラーで吉良上野介、ロックが石の意味で大石内蔵助、この程度である。
構成は無理やりな感じが強い。都会に出て強くなる!と意気込むわけだが、まあ都会に出ると強くなれるのか?という疑問が普通なら湧くだろう(笑)。ただ、森の中の世界のお話だと思っていたら(人間なんか存在しない世界だと思って観ていたのに)、突然都会が登場する。この世界観のパラダイムシフトがなかなか強烈である。
素直に街の犬たちと協力して隊を結成するのかと思いきや、またもや罠に嵌まって海に流される。なんという冒険。しかし、その後、人間の女の子に飼われて成長するのだが、なんと不義理にもこっそり奔走(せめて後でお礼にでもいくのかと思いきや、もう女の子出てこないし)。微妙にキャラ崩壊。
一方、森は人間に襲撃されちゃって、キラー以上の人間という敵の襲撃を受けて、対立軸が狂ってしまう。そうかと思いきや、森の動物たちは、動物園の生活にすっかり馴染んでしまうという斜め上の展開。もう、一体どうやってオチをつけるのだろう…って感じに。
ネタバレはしないようにするが、無理やり対決に持っていくものの、チョケてしまって腰砕けになってしまう。実に残念なクロージングに。
一点、非常に評価したい点がある。それは、ラストの動物園のシーンでの“雪”。本物の吹雪を撮影して合成してるんじゃないかと思うくらいリアル。実際、どうしてるんだろう。合成したとしてもすごいし、作画したとしてもすごい技術。評価点はここだけかな。
公開国:西ドイツ
時 間:157分
監 督:ヴェルナー・ヘルツォーク
出 演:クラウス・キンスキー、クラウディア・カルディナーレ、ホセ・レーゴイ、ポール・ヒッチャー 他
受 賞:【1982年/第35回カンヌ国際映画祭】監督賞(ヴェルナー・ヘルツォーク)
19世紀末の南米ペルー。オペラ好きのブライアン・スウィーニー・フィッツジェラルドは、自分のオペラ・ハウスを建設し公演することが夢。インディオたちには発音が難しく、彼は“フィツカラルド”と呼ばれている。かつて鉄道の敷設を試み失敗し破産。今は製氷業をやっているが、さほど儲かっておらず、オペラ・ハウス建設などほど遠かった。ゴムの生産で儲けた成金たちに資金援助を頼むが、まったく相手にされない。そこで、自分もゴムの生産を行うしかないと考えた彼は、手付かずのジャングルにゴム園を作ろうと考える。愛人で娼館の主人であるモリーの援助で、土地と中古船を購入。フィツカラルドは、パウル船長、料理人ウェレケケ、機関士チョロらを雇い出航。パテリア川を上流に遡っていくのだったが…というストーリー。
オペラ好きはわかる。でも、なんで自分の劇場を建てなければいけないのか。見に行くだけでは不満なのか?自分の劇団を常駐させるのは建設よりも多額の資金が必要だ。さらに、なんで山奥に劇場と立てようとするのだ?下流の劇場までいくのは大変だからか?大体にして客がこないぞ。完全に自分が観るためだけに建てるつもりか?
ものすごい情熱と実行力はわかるのだが、ゴールがぼやけているまま、突き進むという異様さ。とにかく金を稼がなければ始まらないということで、新たなゴム園が儲かることを証明しなくてはいけない。でもとても間に合わないということで、二つの河の間にある山を越えてショートカットさせようという話になる。常に情熱を傾ける方向性があさってなのに、馬力だけはものすごい。狂気…には違いないのだが、明らかな狂気とも言いがたく、その境界的な感じが、かえって異様さを際立たせる。
とにかく、この作品が何を観せたいのかわからなくなるのは、必至である。では、訳のわからないお話がいけないのか?というとそんなことはないのだが、ちょっと長すぎなんだよね。この作品。
(以下、ネタバレ)
原住民に襲われそうになるが、懐柔して人足として手なずけ、とてつもない努力と犠牲の末、大きな船の山越えを成し遂げる。もう、オペラハウス建設なんかどうでもいい展開に。
結局は失敗して、なんじゃこの話…と思いきや、最後、オペラの劇団を余った金で呼び寄せて、河上オペラを開催し、流域の人々を喜ばせる。当の彼もさぞや喜んでいると思いきや、神妙な顔つき。この顔つきのせいで、ますまに何が表現したかったのかわからない。
もしかして、あんな無駄な努力なんかせんでもこれで良かったんじゃないのか?と…ここまでやってやっと気付いた表情だとしたら、シュールすぎる。
こんなクレイジーな話なのに、それを支えている、大自然の映像や、急流に揉まれる船の映像は迫力満点だという、このバランスがすごい。船の山越えも実際にやって撮影したんだと思う。奇作だな。
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:ジョエル・コーエン
出 演:ニコラス・ケイジ、ホリー・ハンター、トレイ・ウィルソン、ジョン・グッドマン、ランドール・“テックス”・コッブ、ウィリアム・フォーサイス、フランシス・マクドーマンド、サム・マクマレー、M・エメット・ウォルシュ 他
コンビニエンス・ストア強盗の常習で何度も服役していたハイ・マクダノーは、婦人警官のエドに一目ぼれしてしまい、猛アプローチの末、出所後に結婚。それを機に工場でまじめに働いていた。家族が欲しかった二人だったが、しばらくしてエドの不妊症が発覚。あまりのショックで彼女は警察を退職してしまう。養子を貰おうにも、前科持ちのハイでは審査が通らない。エドはノイローゼになり、夫婦仲は冷え込む一方。そんなある日、家具チェーン店のオーナーであるネイサン・アリゾナ夫妻のところに5つ子が生まれたというニュースが。5人もいるなら1人いなくなっても大丈夫だろうと、なんとネイサンの家から1人の赤ん坊を盗んでしまう。あまりの可愛さにエドは狂喜するが、一方で罪悪感を感じ…というストーリー。
荒削りではあるが、以降のコーエン兄弟作品のコメディのエッセンスがふんだんに盛り込まれている。
謎のライダーが唐突に登場し、一体どういう風にからんでくるのか…と、主軸のストーリーに若干稚拙な部分があるのだが、この得体の知れない存在のおかげで、うまく目をそらすことに成功している。終盤にストーリーにがっちり絡んでくるが、実に稀有なキャラクター。警察を呼ぶといわれて、ロードランナーばりに消えるのは、本作のドタバタが、ワーナーアニメのようなノリで作られていることを表している。犬に追いかけられるシーンも同様。実はヘビーな内容が、カートゥーンチックなスピード感とよく相まっている。
刑務所仲間の二人がどうからんでくるのか…もポイントだが、ライダーか彼らのどちらかが犯人ということで最終的に決着がつくのだろうと予測していたが、いずれにもならず。このスカしかたはなかなか。しかし、ボンネットのくだりなど、この二人にまつわるギャグの部分は、無駄に感じる部分が多数。まあ、そこはご愛嬌だ。
なんともせつない正夢で終わる最後も、なかなか秀逸。良質なコメディだが、吹き替えのDVDを出すべき。
#昨日の『アダプテーション』のニコラス・ケイジと本作の彼が同一人物とはとても思えない…
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:スパイク・ジョーンズ
出 演:ニコラス・ケイジ、メリル・ストリープ、クリス・クーパー、ティルダ・スウィントン、ブライアン・コックス、マギー・ギレンホール、カーラ・シーモア、ロン・リビングストン、ジュディ・グリア、カーティス・ハンソン、スパイク・ジョーンズ、ジョン・キューザック、キャサリン・キーナー、ジョン・マルコヴィッチ 他
受 賞:【2002年/第75回アカデミー賞】助演男優賞(クリス・クーパー)
【2003年/第53回ベルリン国際映画祭】審査員特別賞・銀熊賞(スパイク・ジョーンズ)
【2002年/第69回NY批評家協会賞】脚本賞(スパイク・ジョーンズ)
【2002年/第28回LA批評家協会賞】助演男優賞(クリス・クーパー)
【2002年/第60回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(クリス・クーパー)、助演女優賞(メリル・ストリープ)
【2002年/第56回英国アカデミー賞】脚色賞(ドナルド・カウフマン、チャーリー・カウフマン)
【2002年/第8回放送映画批評家協会賞】助演男優賞(クリス・クーパー)、脚本賞(チャーリー・カウフマン※「コンフェッション」に対しても)
コピー:「マルコヴィッチの穴」の驚きを凌ぐ はずが……困った、書けない。
『マルコヴィッチの穴』の脚本で大成功で、一流脚本家の仲間入りをしたチャーリー・カウフマン。次回作として、作家スーザン・オーリアンが蘭の不法収集を行う栽培家ジョン・ラロシュを描いたノンフィクション『蘭に魅せられた男』の映画脚本の仕事が舞い込む。いざ執筆を開始したもののすぐに行き詰まり、苦悩の日々が続く。チャーリー宅には、陰鬱な彼とは対照的な陽気な性格の双子の弟ドナルドが居候していたが、突然、脚本家を目指すと言い出し、ロバート・マッキーの脚本家養成セミナーに通うようになる。そんなセミナーを受けて脚本家になれるなら苦労はしないと、冷たい態度をとるチャーリーだったが、ドナルドの書いた脚本が高評価を受けてしまう。ますます追い詰められたチャーリーは、こうやって苦悩している自分を脚本に出してしまうことを思いつくのだったが…というストーリー。
『マルコヴィッチの穴』同様に、非常に奇抜。執筆が進まず悶絶するチャーリーの様子と、並行するスーザン・オーリアンの原作の内容のシーンが、交互に展開されるが、はじめ観ているうちは、この二つのまったくバラバラなシーンがどう繋がっていくのか、いやそもそも繋がるのかどうかもわからない不思議な感覚のまま進行する。
『マルコヴィッチの穴』も、以後、似たような作品などが作られることはないだろう…と思うくらいオリジナリティに富んでいたが、本作も脚本化する自分の姿を描いてしまうという、ぶっ飛んだ内容。もう、やったもん勝ちで、誰にも真似できない内容である。この、唯一無二な感じこそ、チャーリー・カウフマン脚本の特徴である。
ペシミストというか、自己評価がとてつもなく低いというか、うじうじした男がもがき苦しむ話。はじめは無能だと思っていた双子との弟の書いていた脚本が評価されてしまい、ますます追い詰められる(おそらく実際のチャーリー・カウフマンには、双子などいないだろうし、禿げてもいないし肥満でもない)。私は、さすがにチャーリーほどマイナス思考ではないが、性格傾向的には近いし容姿に恵まれないところなんかも、妙にシンパシーが湧いてしまった。
#ロバート・マッキーの脚本セミナーの内容が、さりげなく秀逸。出ているのは本人ではないが実在の人物。
そのうじうじとした悩みで終わるのかと思いきや、終盤になって突然あさっての方向にはじけ出す。スーザン・オーリアンは実在の人物だし『蘭に魅せられた男』も実在する。でも、取材対象と関係を持っているどころかドラッグで繋がっているとか。もう、虚虚実実が入り混じって、観客は翻弄される。スーザン・オーリアン(が実在の個人かは知らないが、存在するならば)に、こういう扱いで登場させますよ…と、どう理解・説得したのかに非常に興味がある。
そして、破滅的で悲劇的な展開の末、チャーリーは光を見出すことが出来るの否か。
純粋な娯楽作品を期待した人は低評価を下すだろうが、玄人筋から観たら、こんなシナリオは自分には書けない…と、頭を殴られたような感覚になると思う。脚本家になりたい…なんて考えてる人が本作を観たら、諦めて筆を折る人がいるんじゃないかと思うくらい。観ている側の立ち居地が、神の手で強制的にシフトさせられるような、インパクトがある。怪作だ。
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:マイケル・ベイ
出 演:ユアン・マクレガー、スカーレット・ヨハンソン、ジャイモン・フンスー、スティーブ・ブシェミ、ショーン・ビーン、マイケル・クラーク・ダンカン、イーサン・フィリップス、グレン・モーシャワー、ショウニー・スミス 他
コピー:生きのびろ、地上でもっともピュアな魂。
21世紀前半の近未来。世界は放射能汚染によって済める状態ではなくなったため、完全管理の閉鎖された施設の中でコミュニティを形成し暮らしていた。地球の海上には、汚染されていない緑豊かな“アイランド”があるが、住める人数に制限があり、不定期に行われる抽選会により選ばれた者だけが行くことができ、住人にとってそれが一番の関心事だった。リンカーン・6・エコーは、そこで暮らし始めて3年が経つ。ある日、リンカーンは、換気口から入ってきた一匹の蛾を発見。生物は死滅していると聞かされていた彼は疑念を抱く。職員の目を盗んで施設内を探索するうちに、アイランド行きの抽選に当たった人間が、実は殺されているという事実を知ってしまう。彼は、抽選に当選した女性のジョーダン・2・デルタを引き連れて脱走し、初めて外の世界に踏み込む。だが、施設の管理者であるメリック博士が派遣した追手は、彼らを執拗に追跡する…というストーリー。
ありがちなSFネタだし、まったく受賞暦がなく世間的にもいまいち評価されていない模様だが、私はよくできた作品だと思う。
テクノロジーは進んでいるが古い技術も混在している街の様子などが非常にリアルだと思う。この手のSF作品では、全部が全部、技術が駆逐されてしまったかのようにデザインされがちだが、実際の世の中はそうではないからね。
生身の男女がこんなに逃げ切れるわけねーだろ?と、一瞬 疑問を抱いてしまうが、きちんと冒頭で二人がものすごく身体能力が高いことを説明されており(むしろジョーダンのほうが強い)、なかなか巧み。臓器移植のためにクローンを作っているということを謎解きのオチにはせず、脱走者と追跡者のチェイスと軸に、不正かつ非道な組織をどう追い詰めていくか。人間の尊厳…というよりも生き物の根源である“ただ生きたい”という欲求をうまく描いている。
その無垢な欲求の表現という意味では、リンカーンよりもジョーダンのキャラクターが生きている。ジョーダンは、いまいち事情が飲み込めないくせに、それなりに瞬時に対応して逃げ出せてしまう役。はっきりいってしまうとオツムのちょと足りないというか勘の悪い人の役。こういう役をやらせたら、スカーレット・ヨハンソンはぴったり。彼女だけでなく、本作のキャスティングはなかなかよろしい。
高速道路で積荷である電車の車輪を落とすシーンは、迫力があるだけではなく、非常にリアル。マイケル・ベイの真骨頂だと思う。
もう、病状が進行して時間がないにも関わらず、クローンを殺そうとするのは、ちょと無理があると感じたが、まあ、切羽詰って、逃亡を許してすべてが露見されてしまうよりはマシという、究極の選択をいうところだろう。瞬時に腕輪をつけたり、左右が逆であることの前にセンサーが埋め込まれているんじゃないのか?とか、ほころびは散見される。
ラストの、ただ開港される…という終わり方が、投げっぱなしに感じられた人も多いのだろう。これらが、評価の低い原因だとは思うは、あまりガチガチにやると、テンポも悪くなるし、流れも削がれる。このくらいがちょうどいいと私は思う。
#なんで記憶が伝播したのかという理由は、無理やりでもいいからもっと説明して欲しかったとは思う。
黒人の傭兵さんが、コートジボアールでの父親の経験を語り、クローンにシンパシーを感じていく流れもよい(これは、別に黒人差別を無理やり盛り込んだわけではない)。そして最後に、クローン開放の切り札になっていくのもなかなかよい。
『マトリックス』が記憶に新しいから二番煎じだと思われただけで、うまくまとまっている良作だと思う。
公開国:フランス
時 間:121分
監 督:ジャン・ピエール・ジュネ
出 演:オドレイ・トトゥ、マチュー・カソヴィッツ、ヨランド・モロー、ジャメル・ドゥブーズ、イサベル・ナンティ、ドミニク・ピノン、リュファス 他
受 賞:【2001年/第55回英国アカデミー賞】オリジナル脚本賞(ギョーム・ローラン、ジャン=ピエール・ジュネ)、プロダクションデザイン賞
【2001年/第14回ヨーロッパ映画賞】作品賞、監督賞(ジャン=ピエール・ジュネ)、撮影賞(ブリュノ・デルボネル)、観客賞[監督賞](ジャン=ピエール・ジュネ)
【2001年/第17回インディペンデント・スピリット賞】外国映画賞
【2001年/第27回セザール賞】作品賞、監督賞(ジャン=ピエール・ジュネ)、音楽賞(ヤン・ティルセン)、美術賞(Aline Bonetto)
コピー:幸せになる
医師である父親から心臓病を患っていると勘違いされ、学校に通わせてもらえなかったアメリは、空想の世界が唯一の遊び場だった。22歳になたアメリは、自立してアパートでひとり暮らしをして、モンマルトルのカフェで働いているが、周囲の人々にひっそりとお節介を焼いたり、小さな悪戯をしかけたりして、小さな幸せを与えることに喜びを感じている。そんなある日、自分と同じように不思議な行動をする青年ニノと出会う。彼は、スピード写真のブースに捨てられている失敗写真を集めてアルバムを作っていた。はじめはそんなニノに悪戯を仕掛けようとしていたのだが、彼の行動を見るうちに、だんだん彼に惹かれていく。しかし、内気なアメリはそんな気持ちを素直に打ち明けられないどころか、自分の存在を知られることすらできずにいた…というストーリー。
ブームとまでは言えないかもしれないが、21世紀に入ってのフランス映画(ひいては欧州映画)ファンが増えるきっかけになった作品だと思う。
空想がちな少女というよりも、まともな教育環境や家庭環境で育つことができないまま大人になった女性の奇行と、人並みに恋愛にいたるまでのお話である。こう書くと、それはなんか違うんじゃ…という人がいそうだが、私にはそう見える。
いかにも女性向けテイストの作品で、主演のオドレイ・トトゥは非常にかわいらしい。しかし、彼女の行動は実は女性らしくないと思う。
彼女の行動は、周囲の人を幸せに導くことを目的にしている。人目につかないようにしているが、その行動力たるや尋常ではない。サイズの違うスリッパなんてどこで見つけてくるのやら。おまけに、手紙の偽造など、本当にそれは相手の幸せを考えてのことなのか、疑問にすら思えるものもある。一応、それら“利他の心”から生じている行動を、やさしさの表出であると考えることもできるだろう。だが、私はそうは考えない。彼女は、自分の作為によって、周囲の人間が自分の思うとおりに動くことを楽しんでいるのだと思う。この人を思い通りに動かしたいという欲求は、男性が強く抱く欲求だ。
アメリのユニセックス性は、そこから生じていると私は考える。序盤で、アメリがセックスを試みたが楽しむことができなかったくだりがわざわざ差し込まれるが、それも彼女のユニセックス性を強調したい設定だと思う。
で、当初はうまくいっていた“客観”と“周囲に影響を与えたい欲求”が、自分が恋愛の“主観”になることで、くずれはじめ苦悩するわけだ。
公開当時、世の女性はアメリの変った魅力を感じていたが、それは女性としてのシンパシーではなく、実は男性的な行動に魅力を感じていたにすぎない…。男と肩を並べて生きようするよりも、素直に女性として生きたほうが幸せよ。そういう裏メッセージがあるように見える。
まあ、どっちだとしても、女性向け作品であることには変りはないけどね。
公開国:日本
時 間:119分
監 督:伊丹十三
出 演:宮本信子、津川雅彦、大滝秀治、北村和夫、金田龍之介、高瀬春奈、MITSUKO、洞口依子、一の宮あつ子、菅井きん、三田和代、黒田福美、橋爪功、柳谷寛、横山道代、杉山とく子、矢野宣、加藤善博、不破万作、上田耕一、宝田明、島田正吾 他
ノミネート:【1990年/第14回日本アカデミー賞】主演女優賞(宮本信子)、脚本賞(伊丹十三)、編集賞(鈴木晄)
捨て子だったナヨコは老夫婦に拾われ育てられるが、中学を卒業すると置屋に預けられ芸者の道に入る。一人前の芸者に育つが、18歳になったある日、僧侶多聞院に水揚げされる。すると多聞院の僧侶としての位がどんどん高くなっていく。しかし、多聞院ほどなくは死去。その後、ナヨコは多聞院と付き合いのあった銀行頭取の元で秘書として働き、10年が経過する。そんな中、ナヨコはうだつのあがらない支店長の主水と知り合い、やがて愛し合うようになる。一方、政界の黒幕と呼ばれている大倉善武も、ナヨコのあげまん相に目をつけていた…というストーリー。
『ミンボーの女』や『マルサの女』が、今では法律改正でピンとこなくなってしまっていることを考えると(『タンポポ』が地上派で放送されることはあっても、『ミンボーの女』や『マルサの女』が放送される可能性は限りなく低いだろう)、テーマ的には普遍な内容だと思う。
死、食欲、暴力、禁欲…さて本作のテーマは何か。それは、権力欲である。そして主人公のナヨコは、可愛がってくれた人に地位や権力を与える“妖精”である。
宮本信子の18歳っていう無茶をいきなり観せられるわけだが、荒唐無稽なお話なんですよ…と観客に認識させるためには必要な演出だったともいえる。まあ、キツイのは正直キツイ。なにも乳を放り出さなくてもよいと思うのだが、妖精だからしょうがないんだろう(そうか?)。大正文学のようなテロップが入るが、これも寓話のようなテイストを醸し出したい演出である(効果は甚だ疑問だが)。
で、肝心の話の筋が、かなり不可解。捨て子がそれなりに育ち芸者になる。はじめに坊主の愛人として囲われ、その坊主がものすごく出世する。まあ、それがナヨコのおかげだと周囲が言うのはよしとしよう。でも、その後の10年間まともに男と付き合ったことがないのに、ナヨコはあげまんだといわれる理由がわからない。もしかすると、その間も男と付き合って、あげまんパワーを発揮していたのか?そんな描写はなかったな。
それ以前に、坊主が不能者だったくだりが必要だったか?というのもひっかかる。主水がはじめての男だということなのか。だとして、その描写は必要だったか。あげまんを発揮する男が、結局3人しか出てこないのもいかがなものか。タイトルにするくらいの特徴なのだから、もっと短期間で破滅する男でもいいので、あと二人くらい登場させてもよかったと思う。
とはいえ、わらしべ長者的な、のどかな(というと語弊があるかもしれないが)サクセスストーリーや、転落話が展開され、それはそれで面白い。童話チックさと俗っぽさの振幅は楽しいと思う。他の伊丹作品にくらべて、業界のウンチク的な内容が不足しており、その辺を物足りないと感じる人はいるだろう。芸者遊びや色恋の話なのに、それにまつわるおもしろ話とかあるある話が、盛りだくさんとはとてもいえないし(伊丹十三自身が恋愛をウィットに語ることが得意だとは思えないし)。
まあ、他作品のおかげでハードルがあがっているだけであって、悪くない作品。何度目かの鑑賞だけど愉しめたもの。
公開国:アメリカ
時 間:92分
監 督:ジム・シェリダン
出 演:ダニエル・クレイグ、ナオミ・ワッツ、レイチェル・ワイズ、マートン・ソーカス、イライアス・コティーズ、ジェーン・アレクサンダー、テイラー・ギア、クレア・アスティン・ギア、レイチェル・フォックス、サラ・ガドン、グレゴリー・スミス 他
コピー:そこには、今でも幸せな家族が暮らしているはずだった。
優秀な編集者のウィルは、かねてからの夢だった小説化になるために出版社を辞め、ニューヨークの郊外に購入した新居に引っ越し、妻ビーと二人の娘たちとの生活を始める。しかし、引っ越した早々、家の周囲を怪しい人影がうろついたり、娘が幽霊を目撃したといいはじめたり、おかしな出来事が続き、妻も娘もすっかり怯えてしまう。ある夜、ウィルが地下室の物音を不審に思って近づくと、若者たちが侵入しミサを行っているのを発見。若者たちは逃げるが、一人の少女を捕まえ事情を聞くと、5年前にこの家で惨殺事件が起きていたことを聞かされる。その事件の犯人は家族の父親で、精神疾患により不起訴となっているらしい。ウィルは早速、その犯人の情報を得ようと地元警察に接触するが、まったく相手にしてもらえず…というストーリー。
ちょっとでも解説してしまうと、すぐにネタバレになってしまう。個人的には結構アリな作品なのだが、おそらく世間一般的には、“まあまあ”の烙印を押されるに違いない。
(以下ネタバレ注意)
自分がその逮捕された殺人犯だったのだが、記憶がない…ってのは、いささか無理があるなと感じてしまう(シーンが進むとそれほど無理な展開ではないとは思うのだが、明かされたときは「おいおい!」って思っちゃう)。嫁も子供も妄想でした。一応、『シックスセンス』的に、答え合わせをすると、確かに妻と娘が他の人間と接触しているシーンはない。整合性は取れている。
#これらのシーンが、妄想なのか、過去の実際のシーンなのか、どちらとも取れる描写なので、ピリっとしていない。シーンとしての緻密さに欠けており、インパクトに欠ける。そのため、評価が低くなっているのかも。
出版社を退職するシーンからして妄想というになるわけだが、ここまで荒唐無稽な展開に倒すのなら、あとは、メーターを振り切るくらい、ガンガンやってくれればよろしい。さて、どこまでいけるか。宇宙人とか霊の仕業でした…という以外なら、何をやってもよい。
『シックスセンス』のように最後の最後までタネ明かしをひっぱらなかったのは救い。それだとさすがに興ざめしたと思う。
これ、夫が犯人ということにされて、発狂。その後はその無念と誤解を晴らすために行動…という素人でも考え付く内容だったらイヤだな…と思っていたら、ドンピシャだった。この読めなくもない展開も、評価が低い原因かも。
ただ、単なる犯罪者の妄想ではなく、これまでのすべてが、思い出すためのロールプレイだというところが、他の“犯人は自分でした”系の作品とは一線を画していると思う。行動の根幹に家族愛が感じられ、終盤は共感とせつなさが湧いてくる。病院にいた時の記憶を覚えていたら、事件の核心に迫ることは出来なかったわけだから、ある意味、執念で自分の記憶を忘却していたとも考えられる。
事実がわかっても、家に戻って妄想を続けるところは、なかなか新鮮だった。
①自分がその犯人でした。②単なる妄想ではなく忘却することに意味がありました。③真の犯人との対決。この三段構成は、きれいにまとめあげるのはなかなか難しい。個人的にはこのくらい、これでもかと盛り込んだ脚本家の執念を褒めてあげたい。
まあ、“世にも奇妙な物語”の豪華版だと思えば、ものすごく愉しめる。
公開国:アメリカ
時 間:102分
監 督:サイモン・ウェスト
出 演:シルヴェスター・スタローン、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、チャック・ノリス、テリー・クルーズ、ランディ・クートゥア、リアム・ヘムズワース、ジャン=クロード・ヴァン・ダム、スコット・アドキンス、ユー・ナン、ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガー 他
コピー:最強無敵の、その先へ。
バーニー・ロス率いる傭兵部隊“エクスペンダブルズ”は、ネパールで、誘拐された中国人富豪の救出作戦を実行。いつものように激しい戦闘の末、見事作戦を遂行。今回の作戦で一旦チームを離れるイン・ヤンが富豪を中国に戻し、残りのメンバーはアメリカに帰還する。作成の成功を祝う彼らだったが、新人のビリー・ティモンズはいまいち傭兵稼業に馴染めなかったため、チームからの離脱をバーニーに申し出る。その一方、過去にヴィレーナの一件で仕事を依頼してきたCIAのチャーチが現れ、仕事を持ち込んでくる。そのミッションは、アルバニア領の山中に墜落した輸送機に積まれているコンピュータからデータを抜き出すというもの。チャーチはこの依頼を受けなければ自分の権限で刑務所送りにすると脅し、バーニーは渋々受諾する。チームには、チャーチの部下である女性マギー・チャンが加わり、現地へ赴く。マギーの協力によりデータの回収に成功するが、同じものを狙っていたジャン・ヴィラン率いる武装集団“サング”に襲撃される…というストーリー。
一作目よりもピリピリした感じはない。ミッキー・ロークは出てこないし、ジェット・リーも序盤でいなくなる。各者のスケジュールの都合もあるからキャスティングもストーリーも臨機応変に対応している…というか、誰がいなくなろうが大筋の展開には影響ないんだよね。前作よりも、嵌めて嵌められて的な丁々発止が無く、直球の戦闘ばかりなのはいささか芸が無く感じるが、もう二作目にして開き直ってしまった感がすごい。
新参のビリーが、「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ…」ばりの死亡フラグを立てまくっていて、映画ファンを笑わせようとしているとしか思えない。こんなお約束ノリのオンパレードだ。
あれだけ前作でアホ扱いだったガンナーだったが、実はMIT出身で化学専攻という、絶対 後付けだろ!っていう設定が追加に。だけど、わざわざ付けた設定がギャグにしか使われないというオチも。まあ、ドルフ・ラングレンは可愛がられてるんだろうな(笑)。
で、キャラクターの極めつけはやっぱりチャック・ノリスだ。別格扱いで笑える。セリフにもチャック・ノリス伝説を挟み込んでるくらいで、もう、ネタだよネタ。チャック・ノリスを知らない人は何だこの鼻の下の長いおっさんは?状態だとは思うけど、知ってる人は間違いなく大笑い。いくら年だからって、一切アクションしないのも笑えたわぁ。
チャック・ノリスが出てるくらいだから、前作は顔出しだけでおわったブルース・ウィリスとアーノルド・シュワルツェネッガーは、普通に参戦。まあ、終盤の主役級の惜しみないの重ね具合で誤魔化してる感じなんだけどね。
#スカイフォールもそうだたけど、チェーンをつかったアクションは流行りなのか?
ニコラスケイジとかダニー・トレホとか、まだまだパンチの効いてる役者はいるからね。たぶん次回作も作られるよ。その時は、シルヴェスター・スタローンやジェイソン・ステイサムがお留守になったとしても、驚かないよ。もう、なんでもありさ。なんなら、お亡くなりになった大スターをCGで蘇らせちゃえばいいヨ。
予想通りでもそれ以上でもない、血祭り大騒ぎのお馬鹿映画。ここまでやれば好感が持てる。
#マギーの栗山千明の吹き替えは全然気にならなかった。うまいな。
公開国:日本
時 間:90分
監 督:石橋義正
出 演:山田孝之、マイコ、石橋杏奈、原田美枝子、鈴木清順、佐藤めぐみ、岩佐真悠子、武藤敬司、奥田瑛二、美波
少年のような姿の男性オブレネリ ブレネリギャーが、公園でベンチに座ってジョアを飲んでいると、神々しい美しさの女性“偉大なミロクローゼ”が隣に座る。一瞬にして恋に落ちたオブレネリ ブレネリギャーは、平凡だった生活が一変する。彼女のために必死で働き、家まで購入するが、始めはうまくいっていた関係も次第にギクシャクしはじめる。そして彼女が別の男性と仲良く歩いているところを目撃してしまう…。一方、青年男子専門の相談員・熊谷ベッソンは、罵倒と激しいダンスで、若者たちの悩みを解決していく…。一方、恋人・ユリの行方を探す片目の浪人・タモンは、謎の盗賊団にさらわれた彼女を取り戻すために、時空を超えて旅をする…というストーリー。
奇抜なオムニバス的作品だが、恋する男が女性の幻想を追い続けるというテーマでくくられている。
冒頭のオブレネリ ブレネリギャーのくだりは、中島哲也監督の『パコと魔法の絵本』みたいな色彩センス。瞬間瞬間をスパ!っといい感じで観せる能力に、ものすごく長けている。
残りはすべて山田孝之が出ずっぱり。監督の脳内にあるイメージがよく彼に伝わっているのだとおもうが、彼の演技が雰囲気のすべてを作っているといってもよい。石橋義正監督という人は、いい絵コンテが描ける人なのかも。
自己満足的な作品だと言われたらそうかもしれないけど、こういう作品と作り上げることができたら、幸せを感じられるだろうな。もし、私なら死ぬ前に満足して往生できる気がする。思い通りのものを形にするって、そのくらい快感だと思うんだ。
TVってのは遠くの場所を見せる千里眼であることあ基本だと思うけど、映画ってのはメリエスの『月世界旅行』からスタートしたように、脳内イメージを表出するものであると思う。だから本作のような手法っていうのは、本来の映画らしさなんだと、私は思う。
#逆に、謎の盗賊団がSWのタスケン・レイダーのパロディだとか、そういうノリは不要だったのかも。
圧巻なのは、遊郭でのタモンの殺陣のシーン。いくら 模造刀でプロの殺陣師とはいえ、おねえちゃんたちが入り乱れる中のワンカット撮影はたいへんだったろう(倒れこんだところで刃に刺さっちゃうんじゃないと、ちょっとドキドキした)。こういう部分に偏執的なまでに注力しちゃうバランス感覚が好き。一番表現したかったのであろう、アクション中の歌舞伎の見得をやりきった後は、勢いつけすぎて、シーンをうまく締められなくなってるのはちょっと笑えるけど、まあそこはご愛嬌。
山田孝之は、自分の役者としての立ち位置をしっかり客観視して行動できちている人だと思う。この作品の成功の3割は彼のおかげ。
しっかりと吹き替え音声を付けて、海外で公開・発売すべきだと思う(字幕を追って、映像を見落とすのはもったいないと思う)。お薦めはしないが、個人的にものすごく鑑賞後の満足感が高い作品だった。
公開国:イギリス、アメリカ
時 間:143分
監 督:サム・メンデス
出 演:ダニエル・クレイグ、ハビエル・バルデム、レイフ・ファインズ、ナオミ・ハリス、ベレニス・マーロウ、アルバート・フィニー、ベン・ウィショー、ジュディ・デンチ、ロリー・キニア、オーラ・ラパス、ヘレン・マックロリー
受 賞:【2012年/第85回アカデミー賞】歌曲賞(Paul Epworth:曲/詞、アデル“Skyfall”)、音響賞[編集](Karen Baker Landers、Per Hallberg)
【2012年/第38回LA批評家協会賞】撮影賞(ロジャー・ディーキンス)
【2012年/第70回ゴールデン・グローブ】歌曲賞(Paul Epworth:曲/詞、アデル“Skyfall”)
【2012年/第66回英国アカデミー賞】作曲賞(トーマス・ニューマン)、英国作品賞
【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】歌曲賞(Paul Epworth:作詞作曲“Skyfall”、アデル:歌/作詞作曲“Skyfall”)、アクション映画賞、アクション映画男優賞(ダニエル・クレイグ)
NATOの諜報部員のリストが盗まれた。この情報が流れると、NATOが各国に忍び込ませているスパイの身が危険に晒されてしまう。MI6エージェント“007”ことジェームズ・ボンドは、リストが記録されているハードディスクを奪還すべくMの指示に従い、トルコのイスタンブールへ向かう。アシスタント・エージェントのイヴと共に、敵のエージェントを後一歩のところまで追い詰めるが失敗。ボンドは被弾し橋から川に落下し、そのまま行方不明になってしまう。作戦失敗によりMの立場は危うくなり、政府から追求を受けることになる。そんな中、MI6本部が爆破されてしまう。窮地に立たされたMの前に、まだ傷の癒えないボンドが姿を現す…というストーリー。
冒頭のチェイスのむちゃくちゃっぷりで、グっとハートを掴まれる。
『カジノ・ロワイヤル』『慰めの報酬』 は、久々の復活であることや、強い脚色&オリジナルストーリーであることで、厳しい目にさらされること必至ので、肩肘張ってしまうのは仕方が無かった。前2作のリアリティ路線は好みの別れるところだたろう。
しかし3作目にして、複雑な感情の絡み合いとかがなく、単純で素直な展開に。本来、007はこうであるべき。オープニングの曲の感じも、やっとシリーズ化できる安定感と余裕が生まれてきたように感じる。ハビエル・バルデム演じるラウルの強烈なキャラクターも、往年の007の悪役を彷彿とさせる。
こういうシリーズ物が、映画賞にノミネートされることは少ないけれど、技術系とはいえこれだけ評価されているのは、クオリティの高い証拠。私は、青色LEDの寒色系のシーンと暖色系の照明のシーンが交互に構成されているのが好き。
(以下ネタバレ)
本作の一番の特徴はMの引退だろう。ただ、Mのツンデレが、あまりにも可愛げがなく、正直、そのまま死んでもいいや…と思うくらいだった。
ラウルもMの元部下、ボンドも同じポジションでさらに作戦のために撃たれた。作戦の駒として扱われた両者だが、片方は究極的に憎み、片方はクールにビジネスパートナーとして信頼し合っている。どこに違いがあるのか?これが見所。
まあ、小手先の信頼じゃなく、ビジネスとして大人の信頼を涵養したもの同士ということ。バルデムが過去においてMに求めていた信頼は、所詮 子供が必要とするレベルの信頼だったということだな。
ボンドが復帰する際、ボンドは「綺麗に引退することができる諜報員はほとんどいない…」という何で戻ってきたのだ?と問われるシーンがある。私はこのセリフが伏線になっていると思っているで、Mは実は死んでいない死んでいないと考える。綺麗に引退したのさ。
さあメンバー一新で次のステージへ!という終わり方だが、次回か次々回で、さらっとMが出てくると私は予測している。Mの復帰(もしくは協力話)で一本話が作れるな。
#そういえば、007といえばボンドガール。今回、明確な配役として登場しなかった。つまり今回のボンドガールはMってことなんじゃないの?
スカイフォールとは、ボンドの生家のことだが、タイトルにするくらいなので、ダブルミーニングなんだと思うが不明。この世が終わろうとも正義を貫け…みたいな意味のラテン語の格言という噂もあるが、それはそれでピンとこない。
#この前、長崎にいったときに軍艦島にいくつもりだったのに、暴風雨で断念。ツイてない。行けてたら、もっと興奮できただろうな。
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:マーシャル・レウィ
出 演:ロバート・カーライル、アレクシア・ラスムッセン、キャスリーン・ウィルホイト、A・マルティネス、ダニー・マスターソン、マイケル・デ・バレス、ブラッド・グリーンクイスト、ロバート・チッチーニ、サヴァンナ・ラーセム、イーライ・ヴァーガス 他
ロサンゼルス郊外で暮らすラクランは、永住権を持つスコットランド人。かつてイギリスの人気バンド“CRANKS”のギタリストとして活動していた彼だが、現在は、農場労働者として勤務し、穏やか生活と送っている。音楽の世界と繋がっていたいためなのか、夜は往年のバンドを紹介するポッドキャスト番組を作り、自らDJをやっている。ある夜、バーで酒を飲んで帰宅する途中、飲酒運転で捕まってしまう。取調べが進むと、かつて大麻所持での逮捕歴があることが発覚。保釈金も弁護士費用も満足に払えない彼は、このままでは強制送還される可能性が高いという。追い込まれるラクランだったが、彼にはどうしうもスコットランドに帰れない理由があった…というストーリー。
邦題の“セカンド・カミング”の意味は最後まで観てもまったくわからなかった。
かつてはそこそこ有名なUKバンドのメンバーだったが、今では農場で働く人。夜にネット配信の音楽番組を製作しているけど、単なる自己満足。このブログと同じく、別に多くの人たちが観てくれるから作っているわけでもない。その番組の中でも、自分がかつてそこそこ有名なバンドの一員であったことを明かすことはない。無許可で曲を流して文句を言われないレベル。かつての派手な生活が忘れられないくて、音楽に関わっているわけではなさそう。
なんなんだろうな…?と思っていると、飲酒運転で逮捕され、あれよあれよという間に、ヤバい状況に。でも自業自得なので、かわいそうだとかそういう感情は湧かない。なけなしの金で弁護士を雇うも、状況はよくならない。
必死であがくのか…と思いきや、気なっていた女性にうつつを抜かす。お世話になっている農場の仕事は手を抜く(この農場主がなかなかの人格者)。時間が経てば経つほど、主人公への共感がうすれていく。だらだらとアメリカにいたのだから、マジメに働いて国籍の取得でもすりゃよかったのに…とまで思うくらい。
そんな生活のくせに、アメリカで娘もつくって離婚している模様。強制執行になりそうになるまで、その娘の顔を見に行くこともなかった模様。そんな元妻と娘に、強制送還されないように証言してもらおうとか、都合よすぎ。
どうやらうまくいかないと悟った彼が、ポッドキャスト放送で、なんで帰りたくないのか、吐露する。ああ、そういうことね…とは思うけど、やっぱり自業自得。
その後、ブチ切れて、再度飲酒運転を犯す。もう、強制送還は決定的。その後、手を差し伸べられても時すでに遅し。
最後はすっかり諦めた彼が、観念した表情に。観念というか、これまでどうしても避けていたものと向き合おうと覚悟した表情。だけど、観ている側からすると「だから、なんだ…」と。それが感想のすべて。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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