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公開国:インド
時 間:156分
監 督:アヌバウ・シンハー
出 演:シャー・ルク・カーン、カリーナー・カプール、アルジュン・ラムパール、アルマーン・ヴェルマー、プリヤンカー・チョープラー、ラジニカーント 他
コピー:インド映画、 NEXT LEVELへ
英国のゲーム会社バロンは、通信データを物質化する画期的な技術の開発に成功する。同社のゲーム部門に勤務するシェカルは、次に開発するゲームをヒットさせるために、ゲーム好きの息子プラティクの「悪役が魅力的で絶対的に強いゲーム」という要望をヒントに、史上最強の悪役“ラ・ワン”が登場するゲームの制作を行う。苦労の末、発表すると高評価を受ける。ゲームを気に入った息子が、試作機で“ルシファー”の名でログインしプレーすると、ラ・ワンを最後のステージまで追い詰めるところまで進む。すると、ラ・ワンは、知能を発現させ“ルシファー抹殺”を誓い、同社のデータ物質化技術を使い、現実世界に実体となって飛び出してしまい…というストーリー。
そんな、デジタル情報を物質化するような、この世を一変させるような革命的な技術を発表しておきながら、呑気にゲーム開発をしているという不思議な状況。極めて不自然。
ゲームから現実社会にキャラクターを飛び出させるという思いつきをシナリオにしたのはいいけれど、そのために設定があまりにも荒唐無稽すぎて、バランスがおかしくなっている。SFというのはどんなに荒唐無稽でもゆるされるわけでもなく、あくまで未来ならあり得るな…と思わせる説得力があってこそなのだが。
そういう都合のよい具現化ツールで、コンピュータの世界からキャラクターが飛び出してくるが、結局はただのロボットで、ゲームという設定はあまり重要ではなくなる。
悪のロボットとの戦い…、味方のロボットはちょっとすっとぼけた行動をする…、なんだかこの前観た、同じインド映画の『ロボット』と同じような内容に収束していってるな…と思っていたら、なんと『ロボット』の主役ロボット“チッティ”が突然か登場(監督の違う映画なのにね)。同じ世界であることに驚愕(チョット出ただけで、それ以降は微塵も出てこないんだけど)。たまたま『ロボット』を観ていたからいいようなものの、観ていない人は混乱してしまうよね。
『ロボット』もそうだったんだけど、踊るシーンは、パーティとか踊ってもおかしくない場面でだけ。我々がインド映画にもっている印象って、どこでも突然踊り出す…変だけどある意味ミュージカルが歌で感情を表現するのと同じで、様式として万人が認めているところだと思う。むしろ、そうでなきゃ!という思いすらある。
#実際、本作のダンスシーン自体は楽しい。むしろどんな演出よりも一番楽しい。
しかし、インド映画界は、こういい演習を、グローバル的に恥ずべき演出だと思っているようにみえる。だから、不自然に踊るシーンは極力避けているのではなかろうか。
しかし、結果的に、残ったのは、陳腐なIT技術を前面にだしたSFだけである。そのSFも、コアの設定がわかりに(というか思いつきの設定なんだろうな)とか、G.ONEだけで散々動いているのに、ラ・ワンとの闘いでは、なんで息子が操作に協力しないといけないのかとか、まあとにかくピンとこない設定だらけ。
なんで、実体化したロボットが、人間を眠らせたり、行動に影響を与えられる能力を持て入るのか?どういうこと?
インド映画業界…というかインド社会の娯楽の形態上、避けられないのか、またもやとにかく長い。長くしないとインドの観客が満足しないとしても、結局はどうせインターミッションを挟んでいるはず。それならパート1、パート2にして、1時間半くらいの映画2本に分けてしまえばいいのに。
イマイチ…という感想しかない。映像技術面では、とっくに日本映画界を凌いでいることは認める。
#懲りずに、似たようなテイストのインド映画を借りる私が悪いか…。
公開国:西ドイツ、フランス
時 間:146分
監 督:ヴィム・ヴェンダース
出 演:ハリー・ディーン・スタントン、ナスターシャ・キンスキー、ハンター・カーソン、ディーン・ストックウェル、オーロール・クレマン、トム・ファレル、ベルンハルト・ヴィッキ、ジョン・ルーリー 他
受 賞:【1984年/第37回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(ヴィム・ヴェンダース)、FIPRESCI[国際映画批評家連盟]賞(ヴィム・ヴェンダース)、全キリスト教会審査員賞
【1984年/第38回英国アカデミー賞】 監督賞(ヴィム・ヴェンダース)
テキサスの原野を彷徨う一人の男。彼は倒れこむうにガソリンスタンドに入り、製氷機の中の氷を口にすると、そのまま昏倒してしまう。彼は医者のところに担ぎこまれるが、身分を証明するものを何ひとつもっておらず、一枚の名刺を持っているだけだった。名刺に書いてある番号に電話をすると、どうやら倒れた男の弟らしい。倒れた男の名はトラヴィスで、4年前に失踪したまま行方不明になっていたのだ。連絡を受けた弟ウォルトは、トラヴィスを引き取るために、テキサスへ向かうが、、医者のところにいくと、トラヴィスは立ち去っていた。辺りを捜索し、トラヴィスを発見するが、様子がおかしく言葉を発しようとしない。兄はどこへ向かおうとしていたのか、そしてなぜ喋らないのか。まるで記憶を失くしたような振る舞いをするトラヴィスを、弟ウォルトは自宅のあるロスに連れて行こうとする。そこには、4年前から育てている、トラヴィスの息子ハンターは暮らしている…というストーリー。
ボロボロの壮年の男が、砂漠の中で倒れ、病院に担ぎ込まれるというシーンからスタート。何も喋らないし、他人とコミュニケーションを取ろうという姿勢が見られない。ただ、どこかに行こうという強い意志だけがそこにある。
弟がやってきても特段特別な感情を表すわけでもない。まるで記憶喪失にでもなったような感じなのだが、「おまえのことは知らない」と言うわけでもないし、まったく拒絶するわけでもない。私の解釈だと記憶喪失や痴呆になっているわけではないように思えるのだが、どういう設定なのだろう。
ロスの家に着き息子に会う。記憶喪失という設定ならば思い出すシーンとかがあるはずなのだが、そういうシーンは無かったと思う。しばらく人間社会に接触いていなかったため、馴れるのに時間が掛かっただけ…のように思えた。
で、そのまま喋らずを通すのか…と思ったが、ほどなく喋るようになる。あれだけ飛行機に乗るのを嫌がったのに、普通に高いところにも登るようになる。いったい何なのか、正直よくわからなくなってしまう。なんでトラヴィスがそんな人間になってしまったのか…という所にずっと注目しえいたのだが、ずっと明かされることはない(結局ラストの独白まで明かされない)。
『パリ、テキサス』とは、フランスのパリではなく、テキサスにそういう地名の場所があるらしい。トラヴィスはそこに向かっていたのだが、そこは自分の両親の縁の土地。なんでそこい向かおうとしたのか。自分の原点に戻ろうということなのか。
冒頭はロードムービーなのかな?と思わせておいて、そうではなく、疎遠になっていた親子と、これまで育ての親をやってきた弟とその妻の葛藤の物語が展開する。
と、思いきや、ああロードムービーじゃないんだな…と思ったころに、妻(ハンターの母)を捜す旅が始まる。この先の展開は好みが分かれるところだろう(正直にいうと、私は好きではなかった)。
良かれと思って、これまでわが子のように育てたのに、この顛末。彼らにとってはものすごい苦痛。そしてその思いはベッドのハンターには聞こえているはずなのに、ハンターはあっさりと顔も覚えていない父親の旅に同行してしまう。育ての親と子・ハンターの間の、この切なくも悲しく、そして埋めがたい距離感よ。その後、作品の中には出てこないというのも、演出的にもせつない。
トラヴィスと弟ウォレス、トラヴィスと息子ハンター、ハンターと育ての両親、トラヴィスと元妻、この作品は、人と人との間の空気というか空間を描いた作品なのだ。マジックミラーごしのトラヴィスと元妻のシーンがそれを特に表しているといえるだろう。
最後はハンターと実母の抱擁と、それをビルの外から観ているトラヴィス。お前はなんで一緒にいかないのか。母子をくっつけたらといって、幸せになれるか?無理だろう?そういう性風俗の店に勤めている母親と暮らすことが幸せか?と、問いかけずには入られない。
結局最後も、まともにコミュニケーションを取らずに、正解なのか誤りなのか、なんとも判別しにくいラストで終わる。
うーん。たしかにカンヌで評価されそうな内容ではある。ただ、私の心の余裕が無かったせいなのか、本作の緩やかな展開にイマイチ耐えられず。そして消化できず。経緯はどうあれ、放置された子供をその慈愛をもって育てたのに、報われないっていう、悲しさというか理不尽さだけが、私の心に滓のように残っているだけ。
公開国:アメリカ
時 間:170分
監 督:ブライアン・デ・パルマ
出 演:アル・パチーノ、スティーヴン・バウアー、ミシェル・ファイファー、ポール・シェナー、ロバート・ロジア、メアリー・エリザベス・マストラントニオ、F・マーレイ・エイブラハム、ミリアム・コロン、ラナ・クラークソン、ハリス・ユーリン、リチャード・ベルザー 他
ノミネート:【1983年/第41回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](アル・パチーノ)、助演男優賞(スティーヴン・バウアー)、音楽賞(ジョルジオ・モロダー)
【1983年/第4回ラジー賞】ワースト監督賞(ブライアン・デ・パルマ)
1980年。キューバは政府に反抗する者をアメリカに追放したが、収監されている犯罪者も一緒にアメリカに送致した。トニー・モンタナ、マニー・リベラも刑務所からアメリカに送られた者で、彼らはマイアミの移民キャンプに押し込められた。キャンプ生活にうんざりしたトニーは、多くのキューバ人に恨まれていた政治犯レバンガの殺しを請け負い実行。その後、麻薬取引で財を成したフランクの依頼で、コカインの取引に向かうと、金を横取りされそうになり、殺されかけるが、一瞬の隙をついて反撃し皆殺しにする。それをきっかけに、フランクの部下となるが、トニーはフランクの情婦エルヴィラに惹かれてしまう。数ヵ月後、トニーは独断でボリビアの黒幕ソーサと高額の麻薬取引を成立させるが、フランクの勝手な行動が気に喰わないフランクは、トニーの殺害を命じ…というストーリー。
『暗黒街の顔役』という作品があって、それのリメイクらしいが、もちろん知らず。冷戦のさなか、キューバからの移民受け入れという異常なシチュエーションから始まる。
あたり構わず噛み付いて、ちょっとでも見下していると感じたら容赦しない狂犬トニーをアル・パチーノが見事に演じきっている。かなりのピンチに陥ってもその目は怯えることがなく、それゆえに裏の世界でのし上がっていき、悪行を尽くしながらも見事に望みどおり成功していく。チェーンソーのインパクトはすごい。さすがデ・パルマってところ。あのシーンでトニーという男の性質を一発で描ききった。
その強引さで財を成していくが、学の無さや、志の低さ故に、すぐにほころびが出てくる。満たされない、というか強大な不安が彼を襲い続ける。でも、止まれない。その様子を観ていると、いったいトニーは何を目的に行動しているのか。どういう衝動が彼を突き上げているのか、すごく疑問に感じる。私は結局その彼の裏側みたいなものを見つけることができなかった。
このような悪徳な組織がぬくぬくと大きくなれるのは、かならず公権力のなんらかの助力があるからだ…という本作の切り口は正しいと思う。スケールは違うが、日本のパチンコ業界がぬくぬくと商売できるのも公権力の下支えがあるからである。
技術的に残念なのは、音楽のダサさ。即物的で薄っぺらな裏ビジネスでのしあがっていった様子をダイジェストで描いているシーンの音楽が一番ダサいが、それ以外もかなり格好わるい。
そして、本作は異様に長い。もうちょっとスマートに短くできなかったものか。その長さの末には、大逆転でもなく玉砕でもなくカタルシスもない。自滅の様子をみじめに描いている。このラストは好みの分かれるところだろう。
個人的にはあまり好きではない。アル・パチーノの演技がすべて。
公開国:日本
時 間:93分
監 督:片渕須直
出 演:福田麻由子、水沢奈子、森迫永依、本上まなみ 他
コピー:青い麦の海に飛び込むと、キラキラの明日が見えるんよ。
昭和30年代。田舎町ながら戦後の復興の機運が漂う山口県防府市国衙で、小学3年生の少女・新子は、おじいちゃんから聞かされた、平安時代のこの土地の様子を元に、住んでいたであろう人々の様子に思いを馳せては、楽しく暮らしていた。そんなある日、東京からの転校生・貴伊子がやって来る。とてもおとなしく、クラスの雰囲気にも馴染めずにいたが、好奇心旺盛な新子が貴伊子に興味を持ち、ほどなくして二人は仲良くなる。さらに、同級生のシゲルやタツヨシたちとも、用水路を止めてダム池を作るなど、活発に遊ぶようになる。しかし、そんな仲間たちの友情を揺るがす事件がおこり…というストーリー。
戦後まもなくの日本を舞台にした映画は多いけれど、意外と地方を舞台にしたのは少ないかも。金田一耕助シリーズとかはそうだけど、バタバタした不穏な空気をリアル描いたアニメっていうのは珍しいと思う。そして、新子の空想癖っていうのが、それの対極として表現されていて、生きている。
なにやら『となりのトトロ』とか『ももへの手紙』みたいな内容かと思って観ていた。実際、序盤はそういう感じで始まる。
もっと評価されてもいい作品だと思うのだが、アニメだからって迂闊に子供が見てしまうと、ちょっとよろしくない作品だったりする。なんか、田舎故のズケズケとした言動に不快さを覚えて、なんか毒気が強いな…とは感じていた。さらに、保険の先生の不倫のくだりから、きな臭くなり、友達の親の自殺と、とても子供にみせられまへん!!!!
世のお子様をお持ちの親御さんに警告する。ハードだよ。ほろ苦いとかそんなレベルじゃない。
子供っていうのは純真無垢な存在だと思いきや、友達はいたとしても、根源的な寂しさとか不安を拭えずにいるもの。そういうゆらぎをうまく表現している。そして、なにやら、想像の中の平安時代の様子と、リアル世界の新子の行動を並行で綴る。なんかリンクさせることに意味があるのか無いのかわからないが、とにかく演出の勢いがある。
これで、最後、おじいちゃん死んだら、ダメ押しだな…とか思ってたら本当に死んでやんの(笑)。でも、これ大人にとってはものすごい面白いっす。
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:ミック・ジャクソン
出 演:ジャック・レモン、ハンク・アザリア、ウェンディ・モニツ、キャロライン・アーロン、ボニー・バートレット、アーロン・ラスティグ、ブルース・ノジック、イヴォ・カッツァリダ、ジョン・キャロル・リンチ、ダン・シール、カイル・サリヴァン、クリスチャン・J・メオリ 他
スポーツコラムニストとして成功しているミッチ。新聞のコラムだけでなくTV出演もこなすなど、毎日仕事に忙殺されている。あまりの忙しさにシンガーの恋人ジャニーンとはすれ違いの日々。しかしミッチは彼女の不満に気付こうとせず、自分の都合ばかりを押し付けて破局寸前。そんな中、偶然、大学時代の恩師モリー先生を扱ったTVs番組を見かける。モリー先生は、難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵され闘病生活を送っていた。 しかし、尊敬している恩師ながらも、卒業してから一度も連絡をとっていないことに負い目を感じ、モリー先生に電話を掛けることができない。しかし、意を決して人生の最後を迎えようとしている恩師に会いにいくことを決めるのだったが…というストーリー。
TVムービーで、日本でも劇場公開はしておらず、NHKで放映された模様。しかし、TV映画とは思えない高いクオリティ。
死に直面しながらも、教師としての姿を貫くモリー先生をジャック・レモンが快演。ただのいい先生ではなく、人としての弱い部分をうまく演じている。で、これがジャック・レモンの遺作というのは、ある意味奇跡なのかもしれない。
一方の生徒側は、スポーツコラムニストとしてある程度成功しているミッチ。しかしプライベートはうまくいっているとは言いがたいし、実の所、仕事だってこんなやり方で本当に正しいのか疑問に思って生きている。でも、仕事に忙殺されることで、その疑問に向き合わないようにして、成立している人物。そして、簡単にいってしまうと、クソマスコミの一員ってこと。人の気持ちを削って飯を食っている。
こういう先生と恩師の関係。アメリカでもそんなにポピュラーではないと思うけど、こういう濃い関係ってのがあるんだろうね。日本では生徒と教師の間に、明確な深い谷があるのかほとんど聞かないね(個人的にはそれが悪いとは思わないけど)。逆に同窓会的なものをコンスタントに続けるのは日本のほうが多いかもしれないけど。
毎週、会うたびに症状が悪化してくのに、彼の個人授業は続く。不思議と、キリスト教めいた訓示が無い。『君は波じゃない、海の一部』なんて、非常に仏教的。『肩の鳥を乗せて…』水島かよ!(笑)
そして、同じ仕事を続けてはいるのに、仕事の切り口が変わっていくミッチ。飲酒運転で人生を棒に振りそうになった若者に対して、辛辣にレポートしつつも、やり直しが効くことを強く主張するようになる。モリー先生もミッチも海の一部だとしても、モリー先生の命はだた海に溶けていったわけではなく、ミッチの波として生き続けている。そういうことなんだと思う。そして、それが教育だと。
モリー先生の過酷だった少年時代と、彼が教師になるに至る経緯をもう少し深く表現してほしかったとは思う。父との距離感や、継母の影響という、外部要因的なものだけじゃなく、彼の内面がどう変化していったかをもう少し厚く。そして、ミッチをなぜ他の生徒よりも印象深くおもっていたのかも。
作品を見ながら主人公たちと一緒に自分の人生を見直すことができる秀作。結局は周囲の人をどれだけ慮れるか。そういうこと。
生きがいを考えさせてくる作品が三日連続コンボ。
#あのマッサージをしている人の、背中をガンガン殴るのは、本当に医学的に意味があるのか甚だ疑問。肺の毒を叩いて出す?なんじゃそれ…って感じ。あのシーンで、感動が削がれた気がしないでもない。
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:トム・マッカーシー
出 演:ポール・ジアマッティ、エイミー・ライアン、ボビー・カナヴェイル、ジェフリー・タンバー、バート・ヤング、メラニー・リンスキー、デヴィッド・トンプソン、マーゴ・マーティンデイル、アレックス・シェイファー 他
ノミネート:【2011年/第27回インディペンデント・スピリット賞】脚本賞(トム・マッカーシー)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】オリジナル脚本賞(ジョー・ティボーニ、トム・マッカーシー)
コピー:突然きみが家族になった。人生がもっと厄介で、愛すべきものになった。
弁護士のマイクは不況で仕事もほとんど無くなり事務所の運営もままならないほど困窮していた。高校のレスリング部のコーチで僅かな報酬を得ているが、焼け石に水。とうとう生活費を捻出することも苦しくなってきて、妻と幼子2人の家庭を守るために、とある公判に目を付ける。その公判とは、初期の認知症を患う独居老人レオに対して、州が後見人となり施設に入れるというもの。しかし、老人は自宅に留まることを希望している。マイクはレオ後見人に名乗りを上げる。なぜなら、後見人は月に1500ドル以上の報酬を受け取ることができるからだ。晴れて後見人となったが、マイクはレオを介護施設に入所させてしまう。身寄りが無い老人を騙してまんまと報酬を受け取ったマイクだったが、ある日突然、レオの孫だというカイルという青年が現れ…というストーリー。
弁護士とはいってもピンキリ。アメリカならその差は日本以上だろう。一応事務所も構えているけれど、ほとんど仕事がない状態。家族を抱えていながら破産寸前。レスリングのコーチをしているが、体調もいまいち。もう詰んだ状態。
#話は逸れるが、レスリングはアメリカのほうがしっかり根付いているな。今回のオリンピック騒動は日本よりアメリカのほうが本気で怒っていると思う。
主人公のマイルは弁護士として一線を越える。表面上ノーマルに見えるけどクソ人間…っていうキャラを演じさせたらポール・ジアマッティはピカイチだ。このヤバい橋をどうやって渡りきるのか?破滅するのか?を主軸に展開していくのかと思ったら、金髪に染めた謎の少年が登場。施設に放り込んだ老人の孫だという。
ほとんど喋らないし、ぶっきらぼうで、はじめはみんなヤバいやつだという先入観を持つ。悪そうに見えて、彼の純朴さはすぐに周囲に伝わり、みんなの“手を差し伸べたい”という欲求をくすぐる。ミステリアスな少年でなにか問題を抱えていそう。純粋ゆえに迷える若者ということで、利他という気持ちを周囲の人たちに湧き上がらせる。観ている方も手助けしてあげたくなる。
ここでマイクの妻の“男気”みたいな精神が発揮され、カイルに手を差し伸べていく。彼女がこの作品で一番まともな人物。
結局は、母親の素行が悪く、環境の悪さゆえに道を踏み外していただけ。それが無ければレスリングで大成していたに違いないことを知り、マイクたちは、色めき立つ。仕事もダメ、生きがいだったコーチ業もダメだったのに、途端に生きがいを感じ始めるマイクたち男連中。マイクを通して、みんなが失いかけていた夢を思い出し始める。
一見良さそうに見えるが、これがよくない。しかし、みんながカイルに夢をのせ、純粋な利他の気持ちではなくなってしまった。カイルのために駆け引きなしで応援しているつもりだったのだが、実際はカイルにみんながタダ乗りしていた。その重みに耐えかねたわけではないだろうが、あっさりとその夢を去っていく。
さて、その“夢”が消失したあとも、マイクはカイルに手を差し伸べることができるか。純粋な利他の気持ちが湧いたところで、しかしながら
冒頭の悪事が露見してしまう。さて、カイルとマイクの間の溝は埋まるのか。再び二人は前を向いて歩いていくことができるのか。
昨日の『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』に続いて、生きるってなんだろうなって考えさせてくれた作品。他人のために何かできているかいないかという物差しを忘れてしまったら、生きている意味なんか無いってことだな。自分のやりたいこと、成し遂げたいこととのバランスが大事。ハッピーエンドじゃないけど、ラストも嫌いじゃない。
連日のグッとくるコメディ。当たり。お薦め。
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:デヴィッド・フランケル
出 演:ジャック・ブラック、オーウェン・ウィルソン、スティーヴ・マーティン、ブライアン・デネヒー、アンジェリカ・ヒューストン、ラシダ・ジョーンズ、ロザムンド・パイク、ダイアン・ウィースト、ジョベス・ウィリアムズ、アンソニー・アンダーソン、コービン・バーンセン、バリー・シャバカ・ヘンリー、ジョエル・マクヘイル、ティム・ブレイク・ネルソン、ジム・パーソンズ、ケヴィン・ポラック、ネイト・トレンス、スティーヴン・ウェバー 他
コピー:大人げないオトナたちが見つけた、小さな幸せ。
1年間に北米大陸内で観察できた野鳥の数を競う、探鳥コンテスト“ザ・ビッグイヤー”。出場者は、仕事や家庭生活を犠牲にしてまで時間とお金を注ぎ込む熱狂的なバードウォッチャーたち。そして、その大会への挑戦を目指す3人の男たちがいたが、それぞれ問題を抱えていた。一人は、大企業の社長のステュ。彼は、引退してかねてからの夢だった鳥探しに打ち込むことを決心し、家族もそれを応援してるのだが、有能な経営者である彼の引退を社員は認めず、引きとめに必死。もう一人は、原子力発電所で働くブラッド。これまで“鳥”という趣味にのめり込みすぎて妻に愛想を付かされ離婚歴あり。今も独身のまま親と同居していた。何とかフルタイムでの仕事を続けながら“ザ・ビッグイヤー”に挑戦しようとしていたが、なかなか仕事との折り合いがつかない。最後の一人は、前年度の覇者で最高記録保持者のケニー。ニュージャージーの土建屋で裕福だったが、鳥が原因でこれまで二度離婚している。もう“ザ・ビッグイヤー”には挑戦しないと約束していたのに、自分の記録が抜かれるのではないかと毎日気が気ではなく、三度目の結婚にも危機が訪れていた。そんな三人が、野鳥を求めて奔走するのだが…というストーリー。
メインキャストであるジャック・ブラックとオーウェン・ウィルソンは、ほとんどコメディばかりだし、たまにシリアスな作品にでてもイマイチなことが多い。ジャケット画像を見ていつもどおりのコメディか…とまったく期待していなかったのに、いい意味で裏切られた。結論からいうと、彼らと同じようにコメディ作品への出演が多いスティーヴ・マーティンだが、『大災難P.T.A.』のようにグッとくるコメディがお得意の彼が入ることによって、ものすごく締まった作品になっている。当たり作品だ。
まず、“ザ・ビッグイヤー”なる大会(というか競技)に面食らう。本当にこんなイベントが存在するのか?と疑ったが実在するようだ(原作はノンフィクション作品とのこと)。何に驚くって、その鳥を見たか否かは“自己申告”だってこと。こんなのインチキする奴が出てくるだろ?って思って観ていたのだが、鳥への愛ゆえに、そんなことをする奴はいないということが前提になっているという、高潔な大会なのだ。
で、主役の3人とも、色々ダーティな妨害をして傷つけ傷つけられを繰り返すわけだが、この高潔さという点で共通して、その点において理解し合えていることが、実に愉快なのだ。
700種類以上の鳥を観察するということは、とてつもない苦労が必要なのだが、この“このとてつもなさ”っていうのが、無理すれば不可能ではないというところがミソなんだと思う。まず、北米大陸内の観察に限定されること。確かに広いが1年でめぐるのが不可能な広さではない。
研究されつくしていて、普通に生息する種類だけでは700種類以上を観察することは不可能で、アメリカ国土に迷い込んでくる周辺に生息する種類とどれだけ遭遇するかが勝負になっている。でも、それも過去のデータから可能性のあるポイントは絞れてくる。遭遇するためには、天才的な能力が必要ではなく、努力と運であり、それは自分の野鳥愛のバローメータであり鳥からの愛のお返しとも捉えられるわけだ。この難しいけどできなくもない。この線が、長く人を虜にする魅力なんだろう。
本作はコメディに違いないが、面と向かって笑わせようという場面は一切ない。一生懸命に行動し苦悩する彼らを強く共感してしまう。それを軽妙な場面運びによって紡いでいる。おそらく男性特有の“コレクション癖”みたいなものもくすぐるんだと思う。いてもたってもいられない彼らの気持ちは良くわかる。(実際に参加者のほとんどが男性だ)。
同じことをやっているのに、ある者は何かを得て、ある者は何かを失う。そんなバカなことに1年も費やすなんて…と思うし、自分はそんなことにチャレンジしたいなんて思わないけれど、生きる意味ってなんだろうな…と考えさせられた作品。男にはくだらないとわかっていても乗り越えなければならないものがある…そんなところか。
良作。お薦めしたい。
公開国:アメリカ
時 間:91分
監 督:ウォルター・ヒル
出 演:ライアン・オニール、イザベル・アジャーニ、ブルース・ダーン、ロニー・ブレイクリー、マット・クラーク、フェリス・オーランディ、ジョセフ・ウォルシュ、ルディ・ラモス、ウィル・ウォーカー、ニック・ディミトリ、ボブ・マイナー 他
通称“カウボーイ”と呼ばれる男は、強盗の逃走を手助けする「ドライバー」を生業としていた。これまで、その逃走テクニックでパトカーの追跡をかわして逃げ切りとおしていた。刑事は彼を捕まえようと躍起になっていたが、証拠を掴むことができずにいた。そして、刑事はとある強盗と取引をする。それは、その強盗の逮捕を見逃してやる代わりに、カウボーイに銀行強盗の手助けをさせろというものだった。奪われる金のナンバーを控えておき、その分け前をカウボーイが受け取れば、それを証拠に逮捕できるという算段だ。当初は仕事の依頼を断っていたカウボーイだったが、とある事情からその仕事を引き受ける気になり…というストーリー。
非常にシンプルなストーリーながらも、主人公のキャラクターが魅力的で、それだけでグイグイを惹きつけてくれる作品。主人公は強盗の逃走を手助けする運転だけを専門に担当する男カウボーイ。いつも携帯ラジオでカントリー・ミュージックを聞いているから。
どういう過去があるのかわからないが、とにかく主人公カウボーイがストイック。必要以上の取り分はもらわないし、気に喰わない仕事はしない。悪徳刑事が言うには、仕事は質素そのもので派手なことは一切しない。何が愉しみで生きているのかもわからない。まるで逃走請負職人を極めようとしているがごとく、それ以外に何のこだわりもみせない。
ホテルに身を隠した時も、強盗がニュースになっているか否か気になりそうなものなのに、TVを見ようともせず、ラジオを聞く。とにかく非常時でも自分のペースは変えない。
結果的に、警察が泳がせた大金を手にした後も、全額いただいてしまおうなんていう色気は出さない。ロンダリングの結果、何分の1になったとしてもそれで構わないという金への執着のなさ。
一方の敵役の刑事は、脱法なんかお構いなしで、ターゲットをお縄にするためなら、どんな小汚い手段でも平気でとる男。警察権力をいいように利用して相手を追い詰めていく、誰が見ても気に喰わないやつ。悪役としてはわかりやすく、ぶり殺してやりたくなるようなクソ人間をうまく表現している。
また、ヒロイン(?)として、ギャンブル好きの金持ちの囲われ女が出てくる。警察の面通しでカウボーイを庇うのだが、そこそこの美人ながらも金に困って助けたとかいう小物っぷり。そのせいなのか、ロマンスに展開しそうなものだが、一切そうはならない。でも、ギャンブラーとしての勘を働かせてカウボーイを助けたり、仕事を手伝いをしたりと、ユニークな展開を観せてくれる。
CGも特撮も何も無い、普通に車を暴走させるカーチェイスの迫力は凄まじく、昨今のカーアクション作品なんかよりも良いデキ。すばらしいクライムアクション作品だ。
そんなに良いポイントばかりなら、もっと有名になってもよさそうなものだが?というツッコミが聞こえてきそう。そう、それには明確な理由がある。
各キャラクターの構図を考えたら、悪徳刑事にひと泡吹かせて、まんまとお金をせしめて、すっきりカタルシスってオチが普通だろう。そこに、どれだけ観客が思いつかないような展開を考えるか。それがすべて。しかし、金は入ってないは、警察はギャフンといわせられないわ、もやもやもやもやした終わり方。
製作側の意図としては、捕まえることができなかったことで、警察はギャフンといってるだろう…って言いたいのかもしれないが、考えうる中で一番つまらない展開だと思う。ギャンブル女なんか、その様子を見つめて、そっと帰る…ってさぁ、、、そりゃないんじゃない?このラストシーンで納得できる人は、よっぽど変わった感覚の持ち主だと思うな。私は。
ラスト4分で、満点から赤点になるというはずかしい大技をやってのけた作品。逆に、みんなこのラスト、どう思うよ?と問いかけたいくらい。
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:ディー・ウォーレス、ヘンリー・トーマス、ロバート・マクノートン、ドリュー・バリモア、ピーター・コヨーテ、K・C・マーテル、ショーン・フライ、トム・ハウエル、エリカ・エレニアック 他
受 賞:【1982年/第55回アカデミー賞】作曲賞(ジョン・ウィリアムズ)、視覚効果賞(Kenneth F.Smith、デニス・ミューレン、カルロ・ランバルディ)、音響賞(Robert Knudson、Robert Glass、Don Digirolamo、Gene Cantamessa)、音響効果編集賞(ベン・バート、Charles L.Campbell)
【1982年/第17回全米批評家協会賞】監督賞(スティーヴン・スピルバーグ)
【1982年/第8回LA批評家協会賞】作品賞、監督賞(スティーヴン・スピルバーグ)
【1982年/第40回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、音楽賞(ジョン・ウィリアムズ)
【1982年/第36回英国アカデミー賞】作曲賞(ジョン・ウィリアムズ)
【1994年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
【1982年/第25回ブルーリボン賞】外国作品賞
アメリカ。森の中に球形の宇宙船が着陸し、その中から宇宙人が降りてくる。彼らは、地球の動植物の調査にやってきたらしく、サンプルを採集している。しかし、宇宙船の飛来を察知した人間が、宇宙船に近づいてきていた。危険を察知した宇宙船は飛び去っていくが、宇宙船から離れてしまっていた一人が取り残されてしまう。一方、森に近い住宅街に住む少年エリオットは、兄マイケル達からの命令で、母親に内緒でピザの宅配を受け取りに外へ出ると、物置小屋で発せられた大きな音に驚く。みんなを呼び寄せるがそこには何もいない。しかし、深夜、エリオットはとうもろこし畑で宇宙人を目撃し…というストーリー。
今回鑑賞したのは、20周年アニバーサリー版とかいうやつ。実は、オリジナル自体もしっかり観たことはなく、ほぼ初見に近い。色々スピルバーグ自らの手で改変されているようだが、細かいところは言及しない。しかし、CGには結構違和感があった。というか、ヌルヌル動きすぎて、かえってリアル感が疎外されている感じ。SWのジャバザハットと同じだな(まあ、同じ技術だから同然か)。
そういう枝葉の話は置いておいて、この作品の何が一番スゴイかって、3歳児でも普通に鑑賞できるだけなく、普通に感動できるということである。迷子になった宇宙人を子供がヘルプし、すったもんだありーので帰還する…という非常にシンプルなストーリー。たったそれだけなのに、なんでここまでハートに熱いものがこみあげてくるのか。『グーニーズ』に通じる愉しさが、それ以上なのは間違いない。
E.T.とエリオットはたしかに友情で結ばれるんだろうけど、普通の友情とはちょっと違う。家族愛や隣人愛とも少し違うタイプの愛情。街でこまっている外国人を助けるんだけど、なかなかいいやつで、最後まで気にかけているうちに、得もいわれぬ感情が芽生える…、そんな感じに近いか?異邦人に対する打算のない援助。何かしてあげたいという純粋な気持ちこそ、人間が“社会”というものを気付く意味の根源だよね…と、そんなことに気付かされる。
単純な話なのに飽きないのは、色々な仕掛けがしてあるのも理由だろう。兄が車をいたずらしているところも伏線になってる。巧み。
ヨーダのシーンは有名。SWにE.T.の種族がチラリと出てくるし、本作でヨーダを同じ宇宙人だと思い助けを求めるということは、間接的に地球とSWの世界は同一世界だということになるよね。大人はニヤリとしちゃう。
でも、宇宙船の中のE.T.のお仲間は、何やら服らしき物を着ていたので、やっぱE.T.はつっ裸ってことになるな(笑)。裸で普段食べなれてないものを暴飲暴食したら、そりゃ死にかけますわ。
子供が幼稚園に入ったら、観せるべき作品だと思う。文句なしの名作。
#このころのドリュー・バリモアは天使だな。
公開国:アメリカ
時 間:125分
監 督:ボブ・ラフェルソン
出 演:ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラング、ジョン・コリコス、マイケル・ラーナー、ジョン・P・ライアン、アンジェリカ・ヒューストン、ウィリアム・トレイラー、トーマス・ヒル、ジョン・ヴァン・ネス、ブライアン・ファレル、ブライオン・ジェームズ、クリストファー・ロイド、アルバート・ヘンダーソン 他
1930年代のカリフォルニア。パパダキスというギリシア人が経営するガソリン・スタンド兼レストランに、フランクという男が立ち寄る。フランクは、たまたま居合わせた無関係の男と同伴であるように装い、その男に置き去りにされた上に財布まで持っていかれたと主張し、タダ飯にありつく。パパダキスは、車の修理工が必要だったので、工員だと名乗ったフランクに留まって働いてもらいたかったのだが、当然フランクは固辞。しかし、キッチンで働く美しいパパダキスの妻の姿を見て翻意し、この店で下働きすることするのだった。数日後、パパダキスが出かけた隙に、フランクはコーラを襲う。初めは抵抗していたコーラだったが、元々、夫に嫌気が指していたこともあり、そのまま関係と継続するのだった。その後、駆け落ちしようとするがうまくいかず、とうとう夫を殺害しようという考えが浮かび…というストーリー。
初見。突然の過剰なエロ描写で焦る。だって会社の昼休みに観てたんだもん。さすがに消したわ。
未来を見出せない男女が、元々持ち合わせている欲望も爆発させつつ、現状から脱出しようともがくお話。でも、仮に観客に浮気願望とか現状への不満あったとしても、この二人に共感を抱くことはないだろう。フランクは後に明かされるが暴力犯罪で懲役をくらっていた男。コーラは、なんでこんな男に惹かれるのか理解しがたい。あまりに浅はかで世間知らずすぎる。
ただ、破滅していくのか、どうやって転落していくのか、その様子を観るのは非常に面白い。二人がお互いに牙を剥く展開もあるし、ダブル・ジョバティとかまで持ち出して、こじれにこじれさせる。
しかし、ジャック・ニコルソンは、ちょっとイービルに演じすぎた。無頼な生き方をしてきたけれど、普通の人間が持っている孤独への苦痛などというものも持っているんだよ…というところが描けていない。だから、エンディングがあっけなく感じてしまうのだ。
一人になった侘びしさを漂わせたかったのかもしれないが、似ても焼いても食えないようなキャラクターにしか映らないので、いまいちピンとこなかった。コーラが実家に帰ったときにだまって去った理由も、コーラとの関係に未来を見出せなかったからなのか、孤独にたえられなかったから、サーカス女に近づいていったのか、どちらか判らない。
郵便配達は一切登場しない。このタイトルになった逸話は結構知られているところだが、知らない人は一切知らない。いつ郵便配達が出てくるのか、それとも何かの隠喩なのか…と、気になってしまうのが普通だろう。何かあるのだろう…と、ラストに近づけば近づくほど、気になってしまい、話に集中できなくなる。あまりいい効果は生んでいない。
サーカスの女が、なんで山猫をいおいていったのかよくわからんし、そのままベッドにおいておくのもどうかと思う。そして、その後、山猫をどうしたのか(その辺に逃がしたのか?)
異論はあるのを承知で言うが、ジャック・ニコルソンの演技が良くない。というか、キャラの内面を演じきっていない。好みの作品に非ず。
公開国:日本
時 間:99分
監 督:山田大樹
出 演:南原清隆、内村光良、江口洋介、山口智子、益岡徹、武田真治、浅野麻衣子、中尾彬 他
受 賞:【1992年/第16回日本アカデミー賞】新人俳優賞(内村光良、南原清隆)、話題賞[俳優](ウッチャンナンチャン)
ミリタリーおたく・星亨は自ら計画を立てた作戦遂行のため、人材を集める。格闘技おたく・近藤みのる、パソコンおたく・田川孝、無線おたく・水上令子、アイドルと改造車おたく・国城春夫と、田川が同伴した湯川りさは、本土から離れた島・井加江島の旅館の一室に集められる。星は、隣室に住んでいるバングラディシュ人のティナが、この島の網元・高松との間にできた息子・喜一を奪われたことを知り、奪還を手助けすることにしたのだった。各人いまいち納得できないながらも、とりあえず星に協力。令子が盗聴した電話の音声もとに、田川がパソコンで音声を合成。その音声を使いニセの電話で高松家の家人を外出させ、その間に近藤と星が赤ん坊を奪還する。そこまではうまくいったのだったが、国城が船を動かすことに失敗。港で喜一は再び奪われてしまう。何とか漁師たちの手からは逃れたものの、近藤以外のメンバーは計画続行を拒否し、東京へ戻るのだったが…というストーリー。
良くも悪くも時代を感じる。敵役の中尾彬演じる漁師の網本みたいなキャラは、アジア女性を妾にして子供産ませるという傍若無人ぶりだが、海外赴任して現地で隠し子を作ってトラブルになり問題になっていたのもこの頃か。
おたくという言葉が目立ってきた時期だが、この頃からすでに“マニア”との差があいまいになっており、“マニア”+“社会性が欠如しかけている人”をおたくと定義している模様。おたくの語源からはすでに完全に乖離していることがわかる(登場人物の誰一人として二人称が“おたく”な人はいない)。
山口智子が微塵もおたくじゃないのはご愛嬌だとしても、アイドルおたくと改造車おたくをミックスしているのはいかがなものか(改造車おおたくっのも何か変なんだけど)。アイドルおたくは作戦には微塵も関係ないが、当時おたくといえば宅八郎、宅八郎といえばアイドルおたくということで、はずすことができなかったんだろう。そして、フジテレビがアイドルをタイアップしたかったという事情があったんだろう。この頃ころから、タイアップ、ゴリ押しのフジテレビ。当時は、テレビ局としても二番手、三番手だったから、こういうなりふり構わずとか、下品なのが味だったんだけど、今でもこれやってるから嫌われるんだろうね。フジは。
フィギュアおたく・丹波は、島の模型こそつくるが、別にその能力で奪還作戦を助けたわけではなく、内通者役というのもいまいち。さらに内通者としては国城がそれ以上のことをやってしまうので、ますます丹波の影が薄くなる。どうも“七人のおたく”という看板に偽りあり…というか貫き通せていないのが、引っかかる。もうちょっとプロットを練られなかったものか。
最後の男つくって逃げようとしてたくだりは不要なんじゃなかろうか。それ差し込むなら、そのまま子供をおいて去ってしまうくらいの救いのなさがあってもよかったかと思う。
ただ、これだけ難点が散見されているにも関わらず、筋が面白いのは事実。もちろん『七人の侍』という元ネタの面白さであることは間違いないのだが、この荒削りさが、若さと勢いに繋がっている。ウッチャンナンチャンはもちろんいい味を出しているのだが、冷静に考えると浅野麻衣子以外のメインキャストは、今でも第一線で生き残っている。これって案外すごいことだとと思う。
これ、今こそ、リメイクか続編つくりゃいいのに…と思う。快作。
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:マーク・アンドリュース、ブレンダ・チャップマン
出 演:ケリー・マクドナルド、ビリー・コノリー、エマ・トンプソン、ケヴィン・マクキッド、クレイグ・ファーガソン、ロビー・コルトレーン、ジュリー・ウォルターズ 他
受 賞:【2012年/第70回ゴールデン・グローブ】アニメーション作品賞
【2012年/第66回英国アカデミー賞】長編アニメ賞
コピー:私が、守り抜く。
中世スコットランドにあるとある王国。メリダは、馬に乗って弓を射るのが大好きなお転婆な王女。母のエリノア王妃は、メリダに王女らしく優雅に振舞うように口うるさく躾けるので、二人はいつも衝突してばかり。そんなある日、王妃はメリダを結婚させようと、周辺にある三つの国の王子とお見合いを勝手にセッティングしてしまう。不満なメリダは馬に乗って森に逃げ込むと、不思議な鬼火に導かれて魔女の家に辿り着く。そして、メリダは魔女に、自由になるために母を変えて欲しいとお願いする。しかし、森と人間の間には魔法を使ってはならないという掟があり、王国全体に呪いがかかってしまい…というストーリー。
タレントが声優をやっていいことはほとんどないが、本作の大島優子や中川翔子みたいにたまに飛びぬけてウマい人がいるからこまる(笑)。特に本作の大島優子なんか、絶対話題集めのためだけにキャスティングしたに違いないのに、このデキだもの。拾い物にもほどがある。はじめのナレーションでアレ?と思ったけど、普通の会話の台詞になったら違和感は皆無。続けられるものなら、続けたほうがいと思う。
魔女が作ったケーキを食べたため、熊になってしまった王妃と三つ子。魔法の力で運命を変えようとしたために悲劇がおこる。熊退治で名を成した父王は、皮肉にも熊になった妻を殺そうとしまう。冷静に考えれば、グリム童話ばりのおそろしい展開だ。さて、どうなっちゃうのか?母は人間に戻れるのか?欧州民話をオペラにしたみたいな、ある意味スタンダードなお話。昨今ではめずらしいくらいの、素直で古典的なドキドキ展開で、灰汁も毒も薄いけど、悪くなかった。
また、ピクサー作品なのにピクサーっぽくないのも特徴か。
ディズニーにピクサーが吸収された後、完全にピクサー臭がなくなった初めての作品かも。
魔女の家に押しかけていったら、壷から音声ガイダンスみたいなメッセージが出てくるところとか、エンドロール後の木彫りの熊の宅配のくだりなんて、『シュレック』とかのワーナー作品みたいなノリ。
CG技術に関してはもう行き着くところまで行ってしまった感じで、逆に髪の毛とか物体の素材感がリアルすぎて、逆にアニメとして違和感バリバリになってしまってるレベル。実写のCG技術をそのまま適用するのは、方向性として何か間違っている気がするのだが。
変な表現だけど、質の良い凡作って感じ。
公開国:日本
時 間:114分
監 督:根岸吉太郎
出 演:松たか子、浅野忠信、室井滋、伊武雅刀、光石研、山本未來、鈴木卓爾、小林麻子、信太昌之、新井浩文、榎本陸、有福正志、山崎一、宇野祥平、中沢青六、水上竜士、中村まこと、田村泰二郎、鈴木晋介、大森立嗣、眞島秀和、芹沢礼多、笠松伴助、宮地雅子、奥田恵梨華、森山智弥子、広末涼子、妻夫木聡、堤真一 他
受 賞:【2009年/第33回日本アカデミー賞】主演女優賞(松たか子)、美術賞(矢内京子、種田陽平)
コピー:太宰治 生誕100年 ある夫婦をめぐる「愛」の物語
終戦直後の混乱期の東京。才能に恵まれながらも、私生活では酒・借金・浮気と放蕩三昧を続ける小説家の大谷。妻の佐知は幼子を抱えながら、そんな大谷を健気に支えていた。ある日、大谷が、行きつけの飲み屋“椿屋”から金を奪って逃げ帰ってくる。追いかけてきた椿屋は警察に通報すると息巻いたが、これまでに大谷が踏み倒した酒代を含め、佐知が椿屋で働いて返すことでどうにか収まることに。佐知が独身ということにして働き始めると、途端に評判になり、若く美しい佐知目当ての客で繁盛し始める。しあkし、そんな妻の姿を見た大谷は、「いつか自分は寝取られ男になる」と嫉妬を募らせるようになり…とうストーリー。
大谷のモデルは太宰治自身。こんな放蕩な人間では無かったと思うが、その後実際に自殺してしまったことを考えると、よく自分を客観的にモデルにできるな…と関心するというか呆れるというか…。この心中話はダーク極まりないはずなのだが、この話の筋がものすごくおもしろい。太宰治といえば、鬱々とした作品ばかりかと思っていたが、正直意外。それとも原作は底抜けに暗いけれど、根岸吉太郎の技でここまで面白くなっているのか。私、文学青年ではないんで、原作を知らないのでなんともいえないのだが…。
#桜桃とタンポポの意味もよくわからん…
根岸吉太郎の作品は雰囲気が良くって好きな部類。でも、本作は戦後すぐなのだが、いまいち昭和な感じがしない。悪いわけじゃないのだが、大正っぽくてピンとこなかった。
文章上では問題はないのだろうが、“行けない”と“いけない(良くない)”など、言葉にするとわかりにくい台詞が散見。原作からはずれたくない気持ちはわかるのだが、無駄なひっかかりを残す必要はなし。脚本家が、頭の中でロールプレイしていないんだろう。キャスティングも“よく見る人”が多くて、ちょっと余計なイメージが刺さってきて邪魔だったかも。
放蕩な大谷が話の主軸ではあるのだが、主役ではない。主役は妻の佐知。夫に振り回されながらも献身的につくす妻を描いているのだが、佐知の過去の出来事が明かされると、この妻もなかなかユニークな人間であることがわかり、非常に興味が増す。なぜ、彼女は耐えられるのか。いや、進んでこの道を歩むのか。
大谷も、妻の奥底にはトラウマのようなものがあると疑っていたと思うのだが、結局そこは膨らみもしなかったし明かされもしなかった。それが、彼女の魅力の発露なのだから、明かすべきだったのでは?ただ、万引きを救ってもらっただけじゃないよね?だから、ラストがポヤ~ンとした感じで終わっちゃったんだと思う。
色々、難は散見されるんだけど、それでもまあまあ愉しめた作品。
公開国:香港、中国
時 間:131分
監 督:ベニー・チャン
出 演:アンディ・ラウ、ニコラス・ツェー、ファン・ビンビン、ジャッキー・チェン、ウー・ジン、ユエ・ハイ、ユィ・シャオチュン、ション・シンシン、シー・イェンレン 他
コピー:守れ。人々の希望のため――
1912年。清王朝が倒れた後、各地で内乱が発生している中国。海外列強の進出も許し、国内は荒廃し、多くの難民で溢れていた。登封市にある少林寺の僧侶たちは、難民や負傷兵の救助に奔走していた。そんな中、登封城の将軍・霍龍を追って、冷血な将軍・侯杰が寺に乗り込んでくる。侯杰は、霍龍の命乞いを無視して殺害し、去っていく。そんな無慈悲な侯杰も、妻・願夕と娘・勝男には人一倍の愛情を注いでいた。侯杰は願夕の兄と義兄弟の契りをかわしていたが、兄貴風うぃ吹かす願夕の兄を疎ましく思っており、腹心・曹蛮と願夕の暗殺を計画するのだったが…というストーリー。
“新”もなにも元を見たことがないので、その違いには言及できない。
お寺の話らしく、それこそ悪人正機説。極悪非道の男が、仏道に触れて変わっていくストーリーである。
この作品の中で一番の悪行をするのも主人公だし、すべてのトラブルの発端も、全部主人公。それだと、抹香臭いだけのお話になっちゃうので、都合よく、腹心が主人公を裏切ってそれ以上の敵役になってもらっている。この都合の良い展開を良しとするかしないかで、評価はかなり分かれるかと。
清族を傭兵に加えたり、白人を敵役にして登場させるなど、漢族の自己正当性の本音みたいなものが垣間見えて、少し気持ち悪かったりする。所詮は内乱のお話で、中国も韓国も、同じ国民を愛するという気持ちが欠けていることが良くわかる。日本人とは、“同胞意識”のエリアが異なるのだ…ということ。日本に帰化しても、中国の同胞への利益を優先するを、平然といってのける民族だからね。
その後の中国では、人民大革命によって宗教も何もかも破壊されて、この作品で良しとされている慈悲の心をもった人は抹殺されてしまうわけで、今の中国は本作で敵役になっている側の人間の子孫だらけ。まともな国なわけないよね。都合の悪いことは全部、他人のせいという今の中国人の気質が良く現れていたりする。そう考えると、かなり中国政府に対する皮肉は効いている作品ではある(が、所詮、作り手も中国人なので笑わせる話ではあるのだが)。
少林寺の武闘派坊主たちがいいキャラ。全員坊主なので均質的になりがちなのに、しっかりキャラが立っている。みんな弁慶みたいな死に方でちょっと芸はなかったけど、悪くはない。おとぼけでもおちゃらけでもない、爽やかな若者像をめずらしく中国映画で観た気がする。
#子供をふつうに殺しちゃうのも、その点は、ハリウッドと違ってよろしいかと。
ただ、ジャッキー・チェンのバトルで、途端にマンガになっちゃうんだけど、まあ、それはご愛嬌か。このキャラクターは、俗世から乖離した世界に閉じこもっていて、自分の価値を低く見ているという設定なんだけど、過去になにがあったとかその後どうなったとか、描かないといけなかったと思う。何なら狂言廻しにしてもよかったのに、ただ、子供たちを見て発奮しておしまいとか、シナリオが稚拙すぎたな。
寺や遺跡は西洋人に破壊されるという展開だが、そんなもん自軍内からのリークとか、皆殺しにしきれるわけがないんだから、どっかから漏れるわけで無理がある。大体にして、植民地大正義の西洋人からしたら、中国なんか虫けら扱いなんだから、隠蔽工作しようなんて発想があるわけがない。
終盤がグダグダではあるんだけど、中盤はなかなか観ごたえはあったと思う。まあまあの作品。旧作レンタル料金なら満足できるだろう(“新”なんか付けずに“少林寺”はいけなかったのか?)
#死ぬシーンの音楽が、皇潤のCMみたいで、なんかクスっとくる。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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